Film Music

2020年1月31日 (金)

望海風斗(主演)宝塚雪組「ONCE UPON A TIME IN AMERICA (ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ)」

故セルジオ・レオーネ監督には次のようなタイトルの映画がある。

  • Once Upon a Time in the West(ウエスタン)
  • Once Upon a Time in America 遺作

そして2019年にクエンティン・タランティーノ監督の、

  • Once Upon a Time in Hollywood

が公開され、これで3部作が完結した。タランティーノは心からレオーネを敬愛しており、"Once Upon a Time in the West"について「この映画を観て映画監督になろうと思った」と熱く語っている(詳細はこちら)。タラちゃんがエンニオ・モリコーネの音楽を偏愛するのもレオーネの影響だろう。だから自作「ヘイトフル・エイト」でモリコーネを起用し、彼にとって初めてのアカデミー作曲賞をもたらした。これもある意味、レオーネとモリコーネへの感謝の気持ちの表明、恩返しであると言えるだろう。

ここで僕が考えるエンニオ・モリコーネのベスト5を挙げておこう。

  1. ニュー・シネマ・パラダイス
  2. Once Upon a Time in the West(ウエスタン)
  3. ミッション
  4. The Good, the Bad and the Ugly(続・夕陽のガンマン)
  5. Once Upon a Time in America

次点は「死刑台のメロディ」(Sacco e Vanzetti:サッコとヴァンゼッティ)かな?「天国の日々」もいいしな……。

"Once Upon a Time in America"はなんと言っても〈デボラのテーマ〉が素晴らしい!胸に染み入る美しさを湛える。

その"Once Upon a Time in America"を小池修一郎の作・演出で宝塚歌劇が上映すると聞いたときには心底驚いた。そして「大丈夫かな……」と不安になった。

華やかさとは程遠いノワール(マフィアもの)だし、宝塚に向いていると思えない。特に主人公のヌードルス(ロバート・デ・ニーロ)がキャデラックの車内で幼馴染のデボラ(エリザベス・マクガヴァン)をレイプする場面(衝撃的だった)とか、チャイニーズ・タウンの阿片窟でヌードルスがヘロヘロになり、虚ろな目でニヤッとする(そこでストップモーションがかかる)あの絶望的なラストシーンを一体全体どう処理するんだ!?と気が気じゃなかった。「清く正しく美しく」という、すみれコードに明らかに抵触する。

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1月12日(日)宝塚大劇場で観劇。結局、僕の心配は杞憂に終わった。さすが歌劇団のエース・小池修一郎、手練れである。小池が書いた台本の最高傑作は文句なしに「ポーの一族」だが、「ONCE UPON A TIME IN AMERICA 」はその次に挙げてもいいんじゃないかな?そう思った。

因みに僕が過去に観たことがある小池のオリジナル作品(海外ミュージカルを除く)は他に「ヴァレンチノ」「PUCK」「ロスト・エンジェル」「失われた楽園」「ブルースワン」「JFK」「イコンの誘惑」「エクスカリバー」「タンゴ・アルゼンチーノ」「LUNA -月の遺言-」「カステル・ミラージュ-消えない蜃気楼-」「薔薇の封印 -ヴァンパイア・レクイエム- 」「NEVER SAY GOODBYE -ある愛の軌跡- 」「アデュー・マルセイユ」 「グレート・ギャツビー」「オーシャンズ11」「カサブランカ」「銀河英雄伝説」「眠らない男・ナポレオン」「るろうに剣心」「ALL FOR ONE 〜ダルタニアンと太陽王〜」といったところ。

さて本題に入ろう。幕が開くと早速、ギャングに扮した黒燕尾の男役達による群舞から始まるのに胸が高鳴った。カッケー、最高!

デボラに対するレイプは未遂に終わり、深紅のバラの花でいっぱいの宝塚らしい場面に差し替えられていたし、阿片窟は出てくるけれど新たに別のラストシーンが用意されていて、納得の幕切れだった。

デボラがブロードウェイで成功するエピソードでは華やかなレビューが展開され、まるで「ジーグフェルド ・フォリーズ」だったし、それとは対照的に、禁酒法時代に“スピークイージー”と呼ばれたもぐり酒場でのいかがわしい退廃的ショーはボブ・フォッシー振付の「シカゴ」とか「キャバレー」を彷彿とさせた(以前小池は「キャバレー」を演出している)。「三文オペラ」のクルト・ヴァイル的とも言える。

また仲間の一人ジミーの人物造形が、全米トラック運転手組合の委員長を務めたジミー・ホッファをモデルにしていることに今回初めて気が付いた。マーティン・スコセッシが監督した映画「アイリッシュマン」(2019)ではジミー・ホッファをアル・パチーノが演じ、映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」に出演したデ・ニーロやジョー・ペシも「アイリッシュマン」で共演している。

あとデボラが将来、ハリウッド・スターになってヨーロッパの王族に見初められ、王妃になるんだと夢見ている設定は、モナコ公国の公妃になったグレース・ケリーの人生を踏まえているのだろうなと思った。

モリコーネの音楽は一切使用されず、太田健の作曲した楽曲も悪くなかった。あと望海風斗と真彩希帆が歌えるトップ二人なので、安心して作品世界に浸ることが出来た。お勧め!

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2019年10月18日 (金)

藤岡幸夫×神尾真由子/ウォルトンの協奏曲とハチャトゥリアンの交響曲第2番

10月16日(水)ザ・シンフォニーホールへ。藤岡幸夫/関西フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会を聴く。ヴァイオリン独奏は神尾真由子。

  • ウォルトン:ヴァイオリン協奏曲
  • ハチャトゥリアン:交響曲第2番「鐘」

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名曲ライブラリーを網羅するかのように大量のレコーディングを残したカラヤン/ベルリン・フィルはエルガー、ヴォーン=ウィリアムズ、ブリテン、ディーリアス、アーノルド、ウォルトンらイギリスの作曲家の音楽を一切取り上げていない(ついでに言えば「剣の舞」を含めハチャトゥリアンも皆無)。またウィーン・フィル、パリ管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ(オランダ)がこれらを演奏することも滅多にない(またコープランド、ガーシュウィンも)。つまりヨーロッパ大陸の人々はイギリス音楽(+アメリカ音楽)を完全に見くびっている。何故か?

ひとつには上に挙げた人々は全員20世紀の作曲家だということが挙げられる。ヘンリー・パーセル(1659-1695)亡き後、イギリス音楽は18−19世紀の約200年間、暗黒時代が延々と続いた。その間にヨーロッパ大陸で古典派ーロマン派の音楽が目覚ましい発展を遂げた。だから大陸側から見れば、ブリテン諸島は完全に〈後進国〉なわけだ。バカにもされる。ただ芸術全般が〈後進国〉だったわけではなく、演劇に於いてシェイクスピアは昔から高く評価されており、大陸の劇場でもしばしば上演され、大作曲家たちも彼の戯曲に纏わる多数のオペラ・オーケストラ曲を残している。その一覧は下記事にまとめた。

さらに言えば、イギリスの作曲家の評価が低いのは調性音楽を守ろうとした点にもある。20世紀は十二音技法・セリー・無調音楽が席巻した時代だった。だからエルガーとかヴォーン=ウィリアムズは〈時代錯誤〉の烙印を押された。これはハリウッドに渡り、映画ごときに〈魂を売った〉〈裏切り者〉であるウィーンの作曲家、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトが長きに渡りヨーロッパで黙殺されてきたことと無縁ではない。21世紀に入り調性音楽の復権が始まったことで、漸く彼らの名誉も回復されつつある。

僕が初めてウォルトンを聴いたのは中学生の時。ジョン・ウィリアムズ/ボストン・ポップス・オーケストラのLPレコード「ポップス・オン・ザ・マーチ」を買ったら、戴冠式行進曲「宝玉と王の杖 」が収録されていたのだ。気高い(noble/decent)素敵な曲だった。次にスタンリー・ブラック/ロンドン・フェスティバル管弦楽団のアルバム(フィルム・スペクタキュラー・シリーズ)で、映画音楽「スピットファイア」に出会った。前奏曲とフーガがめちゃくちゃ格好良かった(cool)!

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ウォルトンのヴァイオリン協奏曲はヤッシャ・ハイフェッツの委嘱により作曲された。他にハイフェッツの為に書かれた名曲として、フランツ・ワックスマン(ドイツ出身。映画「サンセット大通り」「陽のあたる場所」でアカデミー作曲賞受賞)の「カルメン幻想曲」(神尾真由子のCDあり)や、ミクロス・ローザ(出身国のハンガリー読みはロージャ・ミクローシュ。映画「白い恐怖」「ベン・ハー」でアカデミー作曲賞受賞)のヴァイオリン協奏曲第2番がある(ビリー・ワイルダー監督「シャーロック・ホームズの冒険」に転用された)。また(委嘱は別人だが)コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲もハイフェッツが初演した。

滅多に聴く機会のないウォルトンのコンチェルトだが、とっても美しい。神尾が弾くのは今回初めてだという。第1楽章 第1主題は極めて静謐に歌い出し、咽び泣くような音色を奏でる。ジョージ・ハリスンが作詞・作曲したビートルズの名曲"While My Guitar Gently Weeps"を想い出した。憂いを帯びた旋律がネットリと絡みつく。展開部に至ると神尾はそれまで抑制してきた感情を一気に開放、燃え上がるパッションで聴衆を圧倒した。「ナポリ風の気まぐれなプレスト」と記された第2楽章は野太い音で妖艶。映画「にがい米」(1949)に登場するシルヴァーナ・マンガーノら 、逞しく豊満なイタリア女たちを想起させた。なお、ウォルトンは1948年にイタリア・ナポリ湾に臨むイスキア島に移住した。

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兎に角、神尾の演奏は途轍もなく、藤岡/関西フィルも好サポート。是非この曲はレコーディングしてもらいたい。また真由子さん、東京で弾いたコルンゴルトのコンチェルトを関西でも披露してくださいね。首を長くして待ってます。それといつか、ロージャのヴァイオリン協奏曲 第2番も聴かせて欲しいな。

さて、ハチャトゥリアンはアルメニア人だが現在のアルメニア共和国は1991年に独立するまでソビエト連邦に属していた。彼はショスタコーヴィチ、プロコフィエフと共にソビエト3巨匠のひとりと称されたが、どうもソ連ーロシアの指揮者からの評価は高くないようで、例えばエフゲニー・ムラヴィンスキー(交響曲第3番の初演者)とキリル・コンドラシンは交響曲第3番をレコーディングしているが、交響曲第1番と第2番は取り上げておらず、エフゲニー・スヴェトラーノフやゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、ヴァレリー・ゲルギエフに至っては交響曲を完全無視である。

だから交響曲第2番「鐘」のまともな録音としては作曲者自身のものと、チェクナヴォリアン、ヤブロンスキー、ストコフスキー、(パパ)ヤルヴィくらいしかないというのが現状で、はっきり言って珍品中の珍品だ。アメリカで初演したのはレナード・バーンスタインだが、レニーも音源を残していない。気に入らなかったのだろう。

阿鼻叫喚の大爆音で開始され、野蛮で土着的な音楽が展開される。ハチャトゥリアンの音楽って、どこか伊福部昭と共通点がある気がする。オスティナート(ある一定の音型が執拗に繰り返されること)へのこだわりとか。伊福部のルーツはアイヌの民族音楽であり、アイヌとアルメニアが似ているのかも知れない(集合的無意識)。キングコングが出てきそうだと思った(伊福部は「キングコング対ゴジラ」を作曲している)。

高カロリーでハイテンションな音楽に50分晒されていると最後は胃が爛れ、胸焼けがしてきた。"Too Much (お腹いっぱい)!!"と思ったが、極めて得難い体験をさせて貰ったので、藤岡にはただただ感謝である。

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2019年9月21日 (土)

デュメイ/関西フィル「シンドラーのリスト」「ニュー・シネマ・パラダイス」

9月21日(土)兵庫県立芸術文化センターへ。オーギュスタン・デュメイ(指揮・ヴァイオリン)/関西フィルハーモニー管弦楽団を聴く。

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  • ベートーヴェン:ロマンス 第2番
  • モーツァルト:セレナーデ 第7番「ハフナー」より第4楽章 ロンド
  • ジョン・ウィリアムズ:「シンドラーのリスト」テーマ
  • エンニオ・モリコーネ:「ニュー・シネマ・パラダイス」愛のテーマ
  • ガーシュウィン:2つの小品
    (休憩)
  • ドヴォルザーク:交響曲 第9番「新世界より」

前半がデュメイの弾き振り、後半は指揮に専念した。

デュメイのヴァイオリンの音色は高貴noble。「シンドラーのリスト」は深い哀しみがあった。それはweep(涙を流す)というよりは、greaf(絶望による悲痛・悲嘆)というニュアンスの方が近いと感じられた。

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2019年9月 2日 (月)

映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」の基礎知識(または、ポランスキーという男)

評価:A 公式サイトはこちら

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1969年のハリウッドを舞台にした本作を愉しむ上で、知っておくべき基礎知識を挙げておく(特に最初の2項目は最重要)。

マンソン・ファミリーシャロン・テート事件、ヒッピー、反戦運動(ベトナム戦争)、いちご白書(大学闘争)、トリュフォーやゴダールによるカンヌ国際映画祭粉砕事件(五月革命)、アメリカン・ニューシネマ(俺たちに明日はない/イージー・ライダー)、マカロニ・ウエスタン(英語ではSpaghetti Western)

ウォーレン・ベイティ、フェイ・ダナウェイ主演「俺たちに明日はない」(1967)の監督として当初、フランソワ・トリュフォーに白羽の矢が当たったが断られ、次にジャン・リュック・ゴダールに依頼されたがやはり合意に至らなかった。つまり、〈フランス・ヌーヴェルヴァーグ→アメリカン・ニューシネマ〉という流れは抑えておきたい。共通項は〈既存の価値観・システムの破壊〉であり、ヒッピーなどのカウンターカルチャー、学生運動に繋がっている。マンソン・ファミリーはその文脈の中にある。

本作のタイトルそのものが、マカロニ・ウエスタンで名を揚げたセルジオ・レオーネ監督の映画"Once Upon a Time in the West(ウエスタン)" および、"Once Upon a Time in America" へのオマージュである。

劇中、車を運転しているブラッド・ピットが、道路脇でヒッチハイクをしようとしているヒッピー娘と目が合い、その時に流れ出す曲がサイモン&ガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」。そうか、マイク・ニコルズ監督の「卒業」が公開されたのはこの頃だ、と嬉しくなった。

あと映画のエンディングで流れる曲が、僕の偏愛するモーリス・ジャールが作曲した映画「ロイ・ビーン」の音楽だったので感激した。ポール・ニューマン主演、ジョン・ヒューストン監督による西部劇。ちゃんとサントラCD持ってるよ!

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クエンティン・タランティーノ監督はセルジオ・レオーネと長年組んでいたエンニオ・モリコーネが大好きで、「ヘイトフル・エイト」の音楽をモリコーネに依頼してそれがアカデミー作曲賞初受賞に結実したのだけれど、まさか今回モーリス・ジャールで来るとは。憎いねぇ〜。

シャロン・テートが夫ロマン・ポランスキー(ポーランド出身の映画監督)へのプレゼントとして本屋で購入するのがトマス・ハーディの「テス」。1977年にポランスキーはジャック・ニコルソン邸での少女淫行の罪で逮捕され、一時釈放中に国外脱出して79年にイギリスでこの小説を映画化することになる(主演したナスターシャ・キンスキーとも、彼女が15歳の頃から性的関係を結んでいたという)。以後、彼はアメリカへ一度も入国していない。 #MeToo 運動を受けて、ポランスキーは2018年5月に映画芸術科学アカデミーから除名されるのだけれど、おせぇよ!!事件から41年も経っているんだぜ。しかもその間に「戦場のピアニスト」(2002)で彼にアカデミー監督賞を与えてるし。勿論、逮捕・収監の可能性があるためポランスキーは授賞式に参加していない。

シャロン・テートを演じたマーゴット・ロビーが素晴らしい。特にミニ・スカート姿が超キュート。彼女が映画館で自分の主演作を観る場面があるのだけれど、スクリーンに映し出されているのはシャロン・テート本人。これが正に至福の時間であり、彼女を〈事件の被害者〉ではなく、〈映画女優〉として現代に蘇らせようとしているタランティーノの優しさ・愛に心打たれた。

実は予感があった。「イングロリアス・バスターズ」でタランティーノはアドルフ・ヒトラーとナチスの高官たちを、パリの映画館で焼き殺している。つまり彼は歴史を修正することを厭わない。ならばシャロンが死なない道(選択肢)もあり得るのではないか?……そして実際どうだったかは映画を観てのお楽しみ。ネタバレ無し

あとレオナルド・ディカプリオ演じる役者のモデルはマカロニ・ウエスタン(荒野の用心棒/夕陽のガンマン/続・夕陽のガンマン)で大スターとなったクリント・イーストウッドと思われる。

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2019年5月 3日 (金)

調性音楽の勝利!〜菅野祐悟の交響曲第2番初演:関西フィル定期

20世紀は〈戦争の世紀〉であると同時に〈実験の世紀〉だった。マルクス主義者たちが実行した〈社会主義国家建設〉という実験もそのひとつで、壮大な失敗に終わったことは記憶に新しい(終わっていないと信じている人々も極少数いるが……)。芸術の分野では〈十二音技法・無調音楽〉や〈抽象絵画〉〈アングラ演劇〉などの実験が流行った。それは言い換えるなら〈調性の破壊〉〈具象・輪郭線の破壊〉であり、共通項は〈フォルムの破壊〉だった。つまり〈秩序から無秩序・混沌への移行〉を試みたわけだ。根底には〈人類は常に進化し続けなければならない〉という強迫観念・迷妄があった。その結果、現代芸術は大衆/一般鑑賞者の支持を完全に失った。

しかし、考えてみて欲しい。例えば紫式部「源氏物語」と村上春樹の小説を比較して、文学は果たしてこの一千年の間に進化しているだろうか?また、人間の心のあり方(human nature)は進化しているだろうか?答えは自明であろう。

つまり人間性とか芸術は、〈進化する〉という性質を一切持ち合わせていない。この一千年で進化しのは、科学技術(technic)であり、社会(保証)制度(system)だけである。そこを決して履き違えてはならない。

〈十二音技法・無調音楽〉は作曲技法(technic) が一つ、増えたというだけのことである。絵画でいうならばパレットに絵の具が一つ増えたことに等しい。だからといって調性音楽を否定することは三原色(赤・青・緑)を否定することに他ならず、愚の骨頂である。

だから20世紀は芸術にとって不毛の時代であった。調性音楽を守ろうとした誠実な作曲家たちは、映画音楽やミュージカルの世界に散らばっていった。その代表例がエリック・ウォルフガング・コルンゴルト、クルト・ヴァイル、ニーノ・ロータ、ジョン・ウィリアムズ、スティーヴン・ソンドハイム、アンドリュー・ロイド=ウェバーらである。

しかし100年間に及ぶ迷走を経て、芸術家たちは自分たちが犯したとんでもない間違いに漸く気が付き始めた。調性音楽の復権が始まったのである。エリック・ウォルフガング・コルンゴルトの再評価・発見がそれを象徴する出来事となった。そしてウィーン・フィルやベルリン・フィルが「スター・ウォーズ」を演奏する時代が遂に到来した。サイモン・ラトルはベルリン・フィルの定期演奏会でバーナード・ハーマン作曲「サイコ」(アルフレッド・ヒッチコック監督)の音楽も取り上げた。

藤岡幸夫は長年、調性音楽の復権に真剣に取り組んできた指揮者である。その豊かな成果が英シャンドスに録音した、一連の吉松隆の交響曲・協奏曲シリーズだろう。

そして最近、藤岡が新たにタッグを組み始めたのがNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」やテレビ「昼顔」等の音楽で知られる菅野祐悟である。2016年には関西フィルと「交響曲 第1番 〜The Border〜」を初演した。

このシンフォニーは4つの楽章から構成され、それぞれDive into myself/Dreams talk to me/When he was innocent/I amと副題が付いている。僕はこれを見て「ああ、この人はユング心理学から多大な影響を受けたんだなぁ」と感じた。つまり「夢(Dream)」を分析することで意識の層を潜り(Dive)、「個人的無意識(Personal unconscious)」を超えて深層の「集合的無意識(Collective unconscious)」に接続し、「元型(Archetype )」である「永遠の少年(プエル・エテルヌス)」や「自己(Self)」をしっかりと見据えて自己実現を図るという物語をそこから読み取った。

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この初演はライヴCDとなり、Amazon.co.jpのレビューでは2人が「交響曲にはなっていない」と書いている。

では「交響曲」の定義とは一体何か?〈オーケストラが演奏する〉は大前提だ。誰も異論はなかろう。他は〈3つ以上の楽章に分かれる〉とか、〈第1楽章がソナタ形式〉〈中間に緩徐楽章や舞曲(メヌエット/スケルツォ)を持つ〉とかだろうか?しかしシベリウスの交響曲 第7番を見てみよう。単一楽章でソナタ形式も持たない。この「交響曲」とシベリウスの交響詩「タピオラ」を分かつものは何か?答えは作曲家が「交響曲」と呼んだから。根拠はそれだけしかない。磯田健一郎(著)吉松隆(イラスト)「ポスト・マーラーのシンフォニストたち」(音楽之友社)にも、作曲家がそれを「交響曲」と呼べば「交響曲」なのだと書かれている。乱暴なようだが「真実はいつもひとつ」(by 江戸川コナン)。菅野祐悟に対して「交響曲にはなっていない」などとアホなこと抜かすな!無知蒙昧な輩はおとといきやがれ、である。

さて4月29日(祝)ザ・シンフォニーホールへ。藤岡幸夫/関西フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会を聴く。

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  • ディーリアス:春を告げるカッコウ
  • エルガー:チェロ協奏曲(独奏:宮田大)
  • 菅野祐悟:交響曲 第2番 世界初演

大学生の頃からディーリアスの音楽はジョン・バルビローリ、トーマス・ビーチャム、エリック・フェンビー、チャールズ・マッケラスらの指揮で親しんで来た。藤岡の指揮はふわっとした響きで、テンポは上述した指揮者たちよりも幾分速め。リズミカルで、ゆりかごが揺れているような感じ(back and forth)。すごく心地良かった!藤岡のヴォーン=ウィリアムズが絶品なのは知っていたが、どうしてどうしてディーリアスもいける。もっともっと聴きたいな。因みに僕のお気に入りは「夏の夕べ(Summer Evening)」「夏の歌(Song of Summer)」そして「夏の庭で(In a Summer Garden)」。それと藤岡さん、演奏会形式で歌劇「村のロメオとジュリエット」全曲とかいかがでしょう?エッ、採算が取れない?そう仰るなら、せめて間奏曲「楽園への道」だけでもどうかお願い致します。

エルガーのチェロ協奏曲と言えば、泣く子も黙るジャクリーヌ・デュ・プレとバルビローリ/ロンドン交響楽団による究極の名盤がある。唯一無二。ジャッキーの演奏が強烈すぎて、他のチェリストで聴きたいという気が全く起こらない。困ったものである。ミラノ・スカラ座にはヴェルディの「椿姫」に関して〈カラスの呪い〉という伝説があり、1955年にマリア・カラスが演じたヴィオレッタが余りにも素晴らし過ぎて、その後39年間「椿姫」が再演出来なかったのだが(64年にカラヤン、フレーニが試みたものの惨憺たる失敗に終わった)、エルガーのチェロ協奏曲に関しても間違いなく〈ジャッキーの呪い〉があると僕は踏んでいる(余談だが今年、ピアニストのアリス・紗良・オットがジャクリーヌと同じ病気、多発性硬化症を罹患したと報道された。心配である)。ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(スラヴァ)が生涯、この曲を演奏しなかったのも、「ジャッキーには到底敵わない」という思いがあったのだろうと僕は確信している。

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上写真はジャッキーとスラヴァ。

この度、宮田大の演奏に接し、初めてジャクリーヌ・デュ・プレ以外にも聴く価値のあるエルガーを弾けるチェリストがいるのだと知った。ジャッキーが情熱的でエモーショナルなのに対して、宮田はまるで虚無僧のようである。そこから聞こえているのは〈わび・さび〉。ゆったりとした第1楽章は枯れ葉舞う秋を感じさせる。第2楽章はトリックスターがちょこまか飛び回り、第3楽章はカンタービレと緊張感ある弱音が実に美しい。そして魂が入った第4楽章にはグルーヴ(うねり)があった。

ソリストのアンコールはカタロニア民謡「鳥の歌」、実はクリスマス・キャロルである。この曲を聴くと、否応なくパブロ・カザルスのことを想い出す。ケネディが大統領だった頃のホワイトハウス・コンサート(CDあり)。そして94歳の時、ニューヨーク国連本部での演奏と「私の生まれ故郷カタルーニャの鳥は、ピース、ピース(英語の平和)と鳴くのです」という有名なスピーチ(映像はこちら)。

菅野の新作には"Alles ist Architektur"と副題が付いている。ウィーン生まれの建築家ハンス・ホラインの言葉で、「すべては建築である」という意味である。僕はこの言葉を「すべては構造である」と読み替えることが出来るなと思った。つまり今回は、フランスの構造人類学者レヴィ=ストロースの思想に繋がっている。

プレトークでは藤岡から「調性を取り戻す!」という決意の言葉が力強く発せられた。また藤岡によると菅野の和声進行は独特で、リハーサル中に作曲家から「そこは神の声で」と注文があったというエピソードも披露された。

各楽章には様々な建築家の言葉が添えられている。

第1楽章:「建築の偉大な美しさの一つは、毎回人生がふたたび始まるような気持ちになれることだ」レンゾ・ピアノ(イタリア)
第2楽章:「建築とは光を操ること。彫刻とは光と遊ぶことだ」アントニ・ガウディ(スペイン)
第3楽章:「建築は光のもとで繰り広げられる、巧みで正確で壮麗なボリュームの戯れである」ル・コルビュジエ(フランス)
第4楽章:「可能性を超えたものが、人の心に残る」安藤忠雄

しかし音楽を聴いているうちに、こうした作曲家のコンセプトにいちいち拘る必要はないのではないか、あまり意味はないという気がしてきた。

そこで僕が想い出したのはレナード・バーンスタインが台本・指揮・司会を努めたヤング・ピープルズ・コンサートで第1回目(1958年)にTV放送された「音楽って何?(What Does Music Mean ?)」である。最初に「ウィリアム・テル」序曲が演奏され、「君たちはこれを聴くとローン・レンジャーとか西部劇を連想するかもしれないが、作曲家のロッシーニはアメリカの西部なんか知らなかった」とレニーは語る。次に演奏されるのがR.シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」でレニーは次のような、でたらめな物語を述べる。「ある無実の男が刑務所に留置され、それを友人のスーパーマンが助けに来る。スーパーマンは看守を殴り、男をバイクの後ろにヒョイと乗せ、立ち去る。遂に彼は自由の身になった!」その後で本当のドン・キホーテ物語を紹介し、もう一度演奏する。レニーはカーネギー・ホールに集った子供たちに語る。「どうだった?でも音楽自体は何も変わらなかっただろう。つまり、作曲家が語る物語とか情景描写というのは所詮おまけ(extra)に過ぎず、音楽の本質とは一切関係がない

というわけで、以下は僕が感じたままに書こう。第1楽章は途中、鳥の声が聞こえてきたりして、ベートーヴェン「田園」のような自然描写の音楽だと思った。第2楽章で連想したのはルロイ・アンダーソンの「ジャズ・ピチカート」。あとバリのガムランみたいな雰囲気も。色彩豊かで万華鏡のような音楽が展開され、レヴィ=ストロースの「野生の思考」という言葉が思い浮かんだ。つまり音符のブリコラージュだ。

緩徐楽章の第3楽章はエンニオ・モリコーネの「ニュー・シネマ・パラダイス」的。あとNHK「ルーブル美術館」でも再使用された映画"La califfa"の音楽(試聴はこちら)。メロディアスで心が癒やされる。そして終楽章は荘厳でパイプオルガンの響きがした。脳裏に浮かんだのは教会の尖塔。中間部に弦のトレモロから金管のコラールに移行する箇所があり、もろにブルックナーのシンフォニーだった。作曲家が「神の声」と言ったのはこの箇所ではなかったろうか?僕は「調性音楽の勝利!」と心の中で叫んだ。けだし傑作。今からライヴCD発売が愉しみである。

 

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2018年8月24日 (金)

シリーズ《映画音楽の巨匠たち》第7回/ミクロス・ローザ(ロージャ・ミクローシュ)篇

まず最初に、シリーズ《映画音楽の巨匠たち》過去記事をご紹介しよう。

今回ご紹介したいのはハンガリー出身の作曲家ミクロス・ローザ。ハンガリー読みでは日本語同様に姓・名の順で表記するのでロージャ・ミクローシュとなる。アカデミー作曲賞に17回ノミネートされ、「白い恐怖」「二重生活」「ベン・ハー」で3度受賞した。

ローザといえば泣く子も黙る《史劇の達人》である。「ベン・ハー」「エル・シド」「クォ・ヴァディス」「ジュリアス・シーザー」「ヤング・ベス」「黒騎士」「円卓の騎士」「キング・オブ・キングス」「ソドムとゴモラ」など枚挙に暇がない。ローマ帝国時代の音楽の雰囲気を巧みに醸し出しながらも、しっかりとハンガリー民謡の節回しを仕込んでいるところがさすが匠の技である。

僕の考えるローザの映画音楽ベストを挙げる。

  1. ボヴァリー夫人(1949)
  2. 白い恐怖(1945)
  3. ベン・ハー(1959)
  4. 針の眼(1981)
  5. 炎の人ゴッホ(1956)
  6. キング・オブ・キングス(1961)
  7. エル・シド(1961)
  8. 失われた週末(1945)
  9. シャーロック・ホームズの冒険(1970)
  10. ヤング・ベス(1953)
  11. 悲愁(1979)
  12. ジャングル・ブック(1942)
  13. リディアと四人の恋人(1941)
  14. シンドバッド黄金の航海(1973)
  15. プロビデンス(1979)

「ボヴァリー夫人」は、ミュージカル映画「巴里のアメリカ人」「バンド・ワゴン」「恋の手ほどき」で知られるヴィンセント・ミネリ監督作品だが、僕はミネリの最高傑作だと信じて疑わない。本作についてはフランスの哲学者ジル・ドゥルーズによる卓越した分析があるので、そちらを是非ともお読み頂きたい。下記事に引用している。

ローザの音楽も実に素晴らしい。特に圧巻なのが舞踏会シーンで流れるワルツ。狂気が疾走する。ミネリはこの音楽をThe "Neurotic Waltz"(神経症的円舞曲)と呼んだ。途轍もない渦の中に呑み込まれる印象。ヒロイン(ジェニファー・ジョーンズ)が夢に貪り喰われる瞬間が描かれる。お勧めはエルマー・バーンスタイン/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏(ステレオ録音。オリジナル音源はモノラル)。iTune Storesで「Madame Bovary」「バーンスタイン」というキーワードを入力し検索すれば購入出来る。また映画のDVDはAmazonで入手可能。

ボヴァリー夫人」が公開された1940年代、ハリウッドでは映画にフロイトの精神分析を絡めることが流行っていた。アルフレッド・ヒッチコック監督の「白い恐怖」もその一つである。幻想シーンのイメージはシュルレアリスムの画家サルバドール・ダリが起用された。この映画のテーマもズバリNeurosis(神経症)である。「白い恐怖」は電子楽器テルミンが使用された。映画でテルミンを初めて使用したのはローザである。これに関しては面白いエピソードがあるので下記事で紹介した。

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一方で「白い恐怖」の音楽はとてもロマンティックだ。映画を元に再構成した、華麗なピアノ協奏曲版もあるのでお聴きあれ。

ローザの遺作は「スティーブ・マーティンの四つ数えろ」(1982)だが、「針の眼」はその一つ前、晩年の大傑作である。スパイ・スリラーとして映画の出来もよく、これを観たジョージ・ルーカスは監督のリチャード・マーカンドを「スター・ウォーズ ジェダイの帰還」に抜擢した。高校生の時、僕は「針の眼」のサウンドトラックLPレコードを購入し、繰り返し聴いた(その時点で映画は未見だった)。成人してCDで買い直そうと考え、輸入CDショップ(タワーレコードかHMV)で見つけたのだが、何と値段が5,000円以上もした!多分、限定版(limited edition)だったのだろう。迷いに迷った挙げ句、断念した。結局その後一切お目にかかることは出来なかった。四半世紀探し求め続けた……そして今ではiTune Storesでダウンロード出来るようになった。良い時代になったものである。

イエス・キリストの生涯を描く「キング・オブ・キングス」はもう冒頭の「ホザンナ」の合唱からその荘厳さに圧倒される。

「エル・シド」は中世スペイン地方のムード満点。

「シャーロック・ホームズの冒険」はヤッシャ・ハイフェッツが初演したローザのヴァイオリン協奏曲 第2番が流用されている。ホームズは趣味でヴァイオリンを弾くので。ハイフェッツの演奏はCDで聴くことが出来る。

「ヤング・ベス(悲恋の王女エリザベス)」は若き日のエリザベス一世を描く。後日《Fantasy on Themes from "Young Bess "》(「ヤング・ベス」の主題による幻想曲)というコンサート・ピースに再構成された。パイプ・オルガンが前面に押し出され、重厚な金管アンサンブルに対峙する。また映画半ばでグレゴリオ聖歌「怒りの日」が立ち現れる。

ビリー・ワイルダー監督「悲愁(Fedora)」は、もうひとつの「サンセット大通り」。どちらもウィリアム・ホールデンが出演している。

「ジャングル・ブック」の魅力は野性味。

「リディアと四人の恋人」は「舞踏会の手帖」「パリの空の下セーヌは流れる」などで知られるフランスの巨匠ジュリアン・デュヴィヴィエ監督が第2次世界大戦勃発により、アメリカに疎開している際に撮った作品。同時期に彼は「運命の饗宴」も製作した。ピアノ協奏曲仕立てなのが素敵。

「シンドバッド黄金の航海」は「シンドバッド七回目の航海」(1958)の続編で、前者の音楽を担当したのはヒッチコック映画で名高いバーナード・ハーマン。両者を聴き比べてみるのも一興だろう。

というわけで次回《映画音楽の巨匠たち》はバーナード・ハーマンか、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト、あるいは久石譲を取り上げたいと考えている。誰がいい?リクエストお待ちしています。

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2018年5月11日 (金)

デュメイが弾くコルンゴルト!!「終の棲家、アメリカ」関西フィル定期(余談:テルミン秘話)

4月29日(日)ザ・シンフォニーホールへ。関西フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会を聴く。

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指揮はインドネシアに生まれ、ハノーファー高等音楽院で大植英次に師事したアドリアン・プラバーヴァ。アムステルダム・ロイヤル・コンセルトヘボウ管ではベルナルト・ハイティンクの副指揮者を務めた。ヴァイオリン独奏はオーギュスタン・デュメイ(関西フィル音楽監督)で、プラバーヴァの招聘はデュメイの指名だという

  • ミクロス・ローザ:映画「深夜の告白」組曲
  • コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲
  • バルトーク:管弦楽のための協奏曲(オケコン)

ミクロス・ローザはハンガリー出身で(ハンガリー式読みはロージャ・ミクローシュ)、映画「白い恐怖」「二重生活」「ベン・ハー」で3度アカデミー作曲賞を受賞している。

大指揮者ブルーノ・ワルター(ベルリンに生まれたユダヤ人)はロージャの「主題と変奏、フィナーレ」をしばしば演奏会で取り上げており、レナード・バーンスタインがワルターの代役でニューヨーク・フィルに華々しいデビューを飾った折も、この曲を振った。

「深夜の告白」(1944)はビリー・ワイルダー監督の映画で、ワイルダーの「シャーロック・ホームズの冒険」(1970)ではハイフェッツが初演したロージャのヴァイオリン協奏曲 第2番が流用されている(ホームズの趣味はヴァイオリン演奏なので)。二人の最後の共同作業は78年の「悲愁」Fedora。「サンセット大通り」の焼き直しであり、ウィリアム・ホールデンも出演している。僕はロージャ晩年の「針の目」(1981)の音楽が大好きで、15歳の時にサントラのLPレコードを買った。後にCDで買い直そうと血眼になって探したのだが結局手に入らず、漸く昨年、iTunes Storeで発見し、早速ダウンロードして聴いた。感無量だった。

「深夜の告白」の”前奏曲”は重々しく感じるが、続く”面会”になると甘美な音楽となり、チェロのソロがこよなく美しい。「白い恐怖」を彷彿とさせる。余談だがここで面白いエピソードをご紹介しよう。

映画音楽に電子楽器テルミンを使用したのはロージャが史上初だった。

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で、テルミンが登場するのが北米で1945年11月16日に公開されたビリー・ワイルダー監督「失われた週末」(アル中が主人公)と同年12月28日に公開されたアルフレッド・ヒッチコック監督「白い恐怖」の2作品である。「白い恐怖」のプロデューサーは「風と共に去りぬ」や「レベッカ」で知られるデヴィッド・O・セルズニック。「失われた週末」公開直後にロージャのもとにセルズニックの秘書から電話がかかってきたそうだ。曰く「セルズニック氏は自分の作品より先にテルミンが使用された別の映画が公開されたと聞き、大変怒っておられます」どうやら作品の完成自体は「白い恐怖」の方が先だったようである。

驚かされたのはプラバーヴァが「深夜の告白」とオケコンを暗譜で振ったこと。演奏頻度が高いバルトークは理解できるが、ロージャまでとは恐れ入った。新作でも暗譜で振る大植イズムが弟子にも浸透しているのか!?

21世紀に入り、漸くコルンゴルトの時代が到来した。

東京に遅れた関西だが、コルンゴルトのコンチェルトは大阪交響楽団、大フィルに続いて関西フィルでも遂に取り上げられた。しかも名手デュメイで!!10月には日本センチュリー交響楽団の定期で演奏される。

デュメイはたっぷりと豊かに歌う。繊細だが決して甘過ぎない。第2楽章は硬質な抒情があった。pp(最弱音)、ハーモニクス(倍音)の美しさが際立つ。最後は澄み切った青空に、音がスーッと消えていった。ロンド形式の第3楽章はキレッキレ。カミソリのような鋭さがあった。オケはリズミカルで弾け、間奏でデュメイが金管に向い満足そうに頷く姿も見られた。特にヴァイオリンとフルート・ソロとの掛け合いは最高!圧巻の演奏だった。嘗てデュメイはEMIや独グラモフォンから沢山のアルバムをリリースしていたが、最近はとんと音沙汰がない。是非コルンゴルトはレコーディングして貰いたいものだ。

オケコンも切れ味鋭く、緊張とその緩和のメリハリ、コントラストが鮮烈だった。第3楽章「エレジー」は夜の静寂(しじま)を切り裂く悲痛な鳥の叫び。正直、師匠である大植さんのオケコンより良かった。さすがデュメイが見込んだ男だけのことはある。プラバーヴァ、恐るべき才能だ。

この演奏会の直後、福島駅からJR環状線に飛び乗って京橋駅まで大阪桐蔭高等学校吹奏楽部を聴きに行ったのだが、それはまた、別の話。

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2018年3月 1日 (木)

尾高忠明/大フィルの奏でる武満徹とジョン・ウィリアムズ

2月9日(金)ザ・シンフォニーホールへ。尾高忠明/大阪フィルハーモニー交響楽団で、

【第1部】武満徹の世界

  • 3つの映画音楽(「ホゼー・トレス」から”訓練と休息の音楽”〜「黒い雨」から”葬送の音楽”〜「他人の顔」から”ワルツ”)
  • 夢千代日記
  • 「波の盆」組曲

【第2部】ジョン・ウィリアムズの世界

  • 「未知との遭遇」組曲
  • 「ハリー・ポッターと賢者の石」ヘドウィグのテーマ
  • 「シンドラーのリスト」メイン・テーマ
  • 「E.T.」フライング・シーン
  • 「ジョーズ」メイン・テーマ
  • 「スター・ウォーズ」メイン・テーマ

補助席も出て満席。会場内は熱気に満ち溢れていた。

何よりありがたかったのは武満徹の音楽を沢山聴けたこと。東京と比較すると関西で武満が聴ける機会は稀だ。大フィルも関西の作曲家、例えば大栗裕とか貴志康一の作品ならたまに「義務感」で仕方なしに演奏するのだが、関東の作曲家になるとからっきし駄目。黛敏郎とか芥川也寸志など皆無に等しい。京都市出身の松村禎三ですら1989年(平成元年)3月の定期で1回取り上げられたきりという惨状である。

だから武満と親交が深かった尾高が音楽監督に就任するのは大歓迎である。特に聴きたいのが究極の名曲「系図(Family Tree)  ー若い人たちのための音楽詩ー」。頼みまっせ!!!

ただ尾高が今年2月札幌交響楽団の定期で「ファミリー・トゥリー」を取り上げたときの語りは中井貴惠(60歳)だったのだが、どうか老人は勘弁して下さい。若い人たちのための音楽詩ーなので。日本の初演は遠野凪子(なぎこ)で、当時15歳。今なら上白石萌音/萌歌 姉妹あたりを推薦しておく(萌歌は山田和樹/日本フィルで「系図」の経験あり)。

ホゼー・トレス」は劇的でダイナミック。「乱」はオーボエ・ソロが諸行無常を嘆き、無意識・混沌が描かれる。

武満が「乱」の音楽を担当した時、黒澤明はロンドン交響楽団かハリウッドのスタジオ・オケを起用するよう要望した。それに対し武満は岩城宏之/札幌交響楽団がいいと主張、喧嘩になった。結局武満が黒澤を札幌のホールまで連れていき音を聴かせたところ、漸く納得したという。そんなエピソードを尾高は披露した。

ノスタルジックな「波の盆」は塗り薬がひたひたと傷口から体内に浸透し、全身をゆったり癒やすような雰囲気。

ジョン・ウィリアムズの世界では会場に来ている子供たちをステージに上がらせ、奏者の間近で聴かせた。これが前衛的な「未知との遭遇」というのがイカしてる!尾高は確信犯だね。

ハリー・ポッターはチェレスタの後の繊細な最弱音がキレッキレだった。

E.T.は流麗。

大フィルの「スター・ウォーズ」は大植英次・音楽監督時代に何度か聴いているのだが、今回の演奏が最もレベルが高かった。これはホルン首席・高橋将純氏の功績が大だろう。大植時代に高橋さんはいなかったからね。

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2018年1月18日 (木)

クラシック音楽業界の虚飾を剥ぐ〜大フィル初演!コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲

1月18日(木)フェスティバルホールへ。

角田鋼亮/大阪フィルハーモニー交響楽団による定期演奏会で、

  • コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲
  • マーラー:交響曲第1番「巨人」

を聴く。ヴァイオリン独奏は竹澤恭子(ソリスト・アンコールはレイフ・ヴォーン・ウィリアムズ:揚げひばり)。

僕がエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトが作曲した映画音楽「シー・ホーク」を初めて聴いたのは高校生の時。スタンリー・ブラック指揮、ロンドン・フェスティバル管弦楽団によるLPレコードだった。そして「なんて壮大な楽曲だろう、この人は天才だ!」と想った。

それから時を経て彼のヴァイオリン協奏曲を初めてCDで聴いたのが今から約30年前。その濃厚なロマンティシズムにいっぺんに魅了された。パールマン、プレヴィン/ピッツバーグ響の演奏で、EMIの輸入盤。当時、国内盤は一切なかった。0である。初演者ヤッシャ・ハイフェッツの名盤ですら手に入らなかった。コルンゴルトは完全に忘れ去られた(日本人は端から知らない)存在だったのだ。

今では東京で五嶋みどり、神尾真由子、諏訪内晶子らがこのコンチェルトを演奏するなど、すっかり市民権を得た。しかし大阪は東京より遥かに遅れていて、大阪交響楽団が定期演奏会で取り上げたのが漸く2016年末。

大フィルに至ってはそもそもコルンゴルトの楽曲を演奏すること自体、今回が初めてである。なお関西フィルは今年4月29日の定期演奏会で(独奏:オーギュスタン・デュメイ!)、日本センチュリー交響楽団は10月25日の定演で(独奏:荒井英治)で同曲を取り上げる。遂にコルンゴルトの時代が来たのだ。

このコンチェルトがアメリカで初演されたのが1947年。70年も経過している(日本初演は1989年)。どうしてこれ程までに適正な評価が遅れてしまったのか?その理由は大きく2つある。

  1. 初演された当時はアルノルト・シェーンベルクの十二音技法を経て、無調音楽が主流の時代になっており、「調性音楽は過去の遺物、時代錯誤だ!」と楽壇から無視された。
  2. 全楽章の主題(テーマ)全てがコルンゴルトが過去に手掛けた映画音楽から採られており、聴衆からも「映画に身を売った作曲家」と蔑まれた。

映画音楽を馬鹿にする風潮は今のクラシック音楽業界にも根強くあり、例えばオーケストラの定期演奏会で映画音楽が取り上げることは極めて稀である。要するにお高くとまっているのだ。プロコフィエフ「アレクサンドル・ネフスキー」「キージェ中尉」は例外中の例外。彼の場合、映画はあくまで副業であり、主軸がコンサート・ピースだからだろう。

現在はウィーン・フィル、ベルリン・フィル、NHK交響楽団も「スター・ウォーズ」や「E.T.」「ハリー・ポッター」などを演奏するようになったが、あくまでポップス・コンサートや野外コンサートに限られている。大フィルも今度、武満徹とジョン・ウィリアムズの特集を組むが、やはり枠外(「Enjoy !オーケストラ」)だ。定期演奏会では歌劇の序曲やチャイコフスキーのバレエ音楽が演奏されるのに、映画音楽はどうして無視されるのか?そこには偏見以外の理由があろう筈がない。

つまりアメリカ合衆国においてアフリカ系アメリカ人による公民権運動が始まる前(20世紀前半)の状態、人種隔離政策ならぬ「音楽隔離政策」が未だにクラシック音楽の世界では当たり前のように蔓延(はびこ)っているのである。マーティン・ルーサー・キング牧師の有名な演説"I Have a Dream"(1963)じゃないけれど、僕も次のように叫びたい。

わたしには夢がある!何時の日にか映画音楽がジャンルの色で差別されることなく、ベートーヴェンやチャイコフスキー、マーラーらの作品と肩を並べ、オーケストラの定期演奏会で取り上げられる日が来ることを。

闘いの日々は続く。TO BE CONTINUED...

さて、本日の演奏についてだがまず第1,2楽章の異様に遅いテンポに驚いた。僕は今までにこのコンチェルトのCDをハイフェッツ含め10種類以上聴いているが(ヒラリー・ハーンのDVDも)、竹澤は史上最遅である。豊穣な響きでたっぷりと歌うが、些か間延びした印象を受けたことも否めない。第3楽章は標準的な速さになり、引き締まった。力強く張りがあり、雄弁だった。そしてオーケストラを含め音色は美しく、総論として満足した。

マーラーについては歌い方、テンポ、ダイナミズム、どれをとっても良く言えば「中庸」、悪く言えば「中途半端」。楷書的な解釈で、はっきり言って「おもろない」。シンフォニーの冒頭から、盛り上がりに欠けたフィナーレまで頭の中では「この指揮者、一体何を表現したいの??」という疑問符がグルグル回り続けていた。彼の描こうとするヴィジョンが全く見えて来ない。

これは僕の持論だが、クラシック音楽はあくまで欧米の文化なんだから、若い指揮者は日本国内のポストだけで満足していたのでは駄目だ(その良い例が金聖響)。若い時こそ海外に武者修行に飛び出さなくちゃ!小澤征爾だって、大野和士や尾高忠明だって、一流の人たちは皆そうしてきた。角田鋼亮よ、旅に出て揉まれて来い!!

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2017年5月23日 (火)

シリーズ《映画音楽の巨匠たち》第6回/ミシェル・ルグラン篇(+大阪桐蔭高校吹部「キャラバンの到着」)

過去のシリーズは以下。

まずは昨年全日本吹奏楽コンクールで金賞を受賞し、全国の頂点に立った大阪桐蔭高等学校吹奏楽部が精緻華麗にマーチング演奏する「キャラバンの到着」をお聴きください→こちら(本当はこのフラワーコンサートに行く筈だったのだが、連れていく予定だった息子が当日朝に発熱し、断念した)。ミシェル・ルグランが作曲し、ジャック・ドゥミが監督した港町三部作のひとつ「ロシュフォールの恋人たち」冒頭のナンバーで、三菱ランサー・エボリューションのCMでもお馴染みだろう。

僕は映画「ラ・ラ・ランド」を観る前にまずiTuneでサントラをダウンロードした。そして最初の"Another Day of Sun"のイントロを聴いた瞬間に「アッ、キャラバンの到着だ!」と思わず叫んだ(映画の動画はこちら)。実際に若者たちが遠方から町にやって来て、車を降りるやいなや踊りだすというシュチュエーションも両者で完全に一致している。さて、ジャズが大好きな「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼル監督(音楽学校でプロを目指しジャズ・ドラムを学ぶが、才能の欠如を感じ諦めたという)と、この作品でアカデミー歌曲賞及び作曲賞を受賞したジャスティン・ハーウィッツがこよなく敬愛するフランスの作曲家ミシェル・ルグラン(1932ー 、パリ生まれ)とは一体何者なのか?

ルグランの出発点は1958年(26歳)に新婚旅行でニューヨークに渡航した際に録音されたアルバム「ルグラン・ジャズ」である。

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参加しているミュージシャンが凄い。ジョン・コルトレーン(Sax)、ビル・エヴァンス(Pf)、そしてマイルス・デイヴィス(Tp)!!ジャズ・ジャイアンツが一堂に会するという壮観さ。ルグランは卓越したアレンジャーとしての才能を開花させた。これ必聴。

そして彼は丁度その頃、台頭してきたフランス・ヌーベルバーグ(新しい波)の映画作家たちと深く関わるようになる。

ではルグランが作曲した映画音楽ベスト10を選んでみよう。

  1. ロシュフォールの恋人たち (1967)
  2. 恋 The Go-Between (1971)
  3. 愛のイエントル Yentl (1983)
  4. シェルブールの雨傘 (1963)
  5. 華麗なる賭け (1968)
  6. 天使の入江 (1963)
  7. おもいでの夏 (1971)
  8. エヴァの匂い (1962)
  9. 愛と哀しみのボレロ (1981)
  10. ベルサイユのばら (1979)

多分、誰もが知っいるのは「シェルブールの雨傘」だろうが、真のルグラン・ファンなら10人中10人が「ロシュフォールの恋人たち」を真っ先に推すだろう。唯一無二。彼のエッセンスがギュウギュウに詰まっている。

ピアノの音がキラキラ煌めき、そして切ない協奏曲仕立ての「 (The Go-Between)」の音楽はこちら。映画のクライマックスではフーガも登場し、クラシカルなルグラン音楽の代表作である。

アカデミー賞で編曲・歌曲賞を受賞した「愛のイエントル」の白眉"Papa, Can You Hear Me?"の試聴はこちら。星空の下、死んだ父に対して謝り、でもこの生き方しかないの、分かってと訴える歌。バーブラ・ストライサンドが製作・監督・脚本・主演した、けったいな【ひとりミュージカル】映画である。最初から最後までバーブラがひとりで歌いまくる。ブロードウェイ・ミュージカルに主演したこともあるマンディ・パティンキンが相手役なのに、彼には一切歌わせない。最初観た時は開いた口が塞がらなかったが、次第にバーブラの人となりが判ってきて、好きになった。20世紀初頭ポーランドのユダヤ人コミュニティ。女は学問をすることが許されず、それに抗ったイエントルは男装して神学校(イェシーバー)に入学する。そして自分のついた嘘を貫き通すために女性と結婚までする。"It is written."がこの物語のキーワードとなる。女は書物を読まなくていい。男に従属するのが女の幸せ。そう「旧約聖書(またはユダヤ教の律法)に書いてある」。イエントルはこの「常識」に対して徹底的に反抗する。「予め定められた運命(It is written.)」なんてない。自らの手で書くのだ。彼女の生き様は後にディズニーの「アナと雪の女王」の"Let It Go"に流れ込み、国連の親善大使として活躍するエマ・ワトソン(「ハリー・ポッター」シリーズ、「美女と野獣」)へと継承されてゆく。映画のフィナーレで歌われる感動的な"A Piece of Sky"はこちら。イエントルは移民船に乗り込み、新大陸を目指す。コンサートでこの名曲をFilm上の自分自身と気持ちよくデュエットする愛すべきバーブラの姿はこちら(1分30秒あたりから)。どれだけ自分のことが好きやねん!!ここには写っていないけれど、実はコンサート会場にスティーヴン・スピルバーグも来ています(「イエントル」に出演しアカデミー賞にノミネートされたエイミー・アーヴィングは元スピルバーグ夫人で89年に離婚)。

華麗なる賭け」は「風のささやき」がアカデミー歌曲賞を受賞。スティーブ・マックィーンとフェイ・ダナウェイが格好いい。この歌が流れ、マックィーンが黄色いグライダーを操縦するシーンには痺れる→こちら!別のシーンだけれど、スプリットスクリーンもお洒落。

ジャック・ドゥミとの「天使の入江」は何かに急き立てられるかのような疾走感・焦燥感がある。試聴は→こちら。ギャンブルに明け暮れる男女の茫漠とした満たされない想い、空虚さが胸を打つ。

ルグランがアカデミー作曲賞を受賞した「おもいでの夏」はこちら

愛と哀しみのボレロ」は長年フランシス・レイとコンビを組んできたクロード・ルルーシュ監督(「男と女」)の大作で、なんと音楽はレイ×ルグランという豪華版。そしてルグランの曲では”世紀末の香り”にとどめを刺す!!→こちら。これはオーケストラバージョンだけれど、本編では歌バージョンあり。僕は本作を祖母と一緒に映画館(SY松竹文化@岡山市、2005年に閉館)で観た。中学3年生の時だった。そして初めて20世紀を代表する振付家モーリス・ベジャールと稀代のダンサー、ジョルジュ・ドンの名を知った。その御蔭で1985年3月4日に岡山市民会館でジョルジュ・ドン&東京バレエ団で「ボレロ」を観たのも鮮烈な体験だった。忘れもしない、大学入試の合格発表があった夜だった。その後ドンは1992年にAIDSで亡くなった。享年45歳。またルグランの朋友ジャック・ドゥミもAIDSで90年に命を落とした。そういう時代だった。

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池田理代子(漫画)原作「ベルサイユのばら」(実写版)はジャック・ドゥミが監督しているが、作品自体は惨憺たる出来であった。もう泣きたくなった。ドゥミは「金のために撮った」と赤裸々に告白している。身も蓋もない。プロデューサーは山本又一朗、総製作費10億円を投じ、ベルサイユ宮殿でロケされた。資生堂がタイアップし、こんなCMもTVで放送された。原題が何故か"Lady Oscar"で、ダイアログも英語。意味不明。しかしルグランの音楽は掛け値なしの傑作だと僕は今でも確信している。是非聴いてみて→こちら!演奏はロンドン交響楽団。この佳曲を人知れず埋もれさせてしまうなんて勿体なさ過ぎる。Jazz Version(こちら)とか、対位法で作曲された雄大なフィナーレもどうぞ→こちら

番外編として手塚治虫原作、市川崑監督「火の鳥」実写版(1978)の音楽も素晴らしい。こちら!演奏はやはりロンドン交響楽団。ルグランはメイン・テーマのみ作曲している。

また彼はリナ・ホーン、キリ・テ・カナワ、ジェシー・ノーマンら一流歌手たちと組んでソング・アルバムをレコーディングしている。中でも一押しなのがナタリー・デセイとのアルバム。

Nat

デセイは「魔笛」「椿姫」などに出演する本格的オペラ歌手だが、ルグランの曲ではちゃんと柔らかいシャンソンの歌い方に切り替えている。キリ・テ・カナワやジェシー・ノーマンはオペラティック過ぎる(ヴィブラートがキツイ)のだ。

最後にルグランの舞台ミュージカルをご紹介しよう。劇団四季が上演した「壁抜け男」である。

Kabe

地味だけど愛すべき逸品。劇伴の奏者は3人だけ。後に拡大したオーケストレーション版でブロードウェイ上演もされた。

Amour

壁抜け男」は1999年に博多の福岡シティ劇場で日本初演された(ここは現在、劇団四季の専用劇場ではなくなりキャナルシティ劇場に名を変えた)。僕はこの初日に観ている。主演のデュティユルは現在、テレビ朝日「題名のない音楽会」で司会を務める石丸幹二。他に井料留美、光枝明彦、丹靖子ら。この4人は全員、既に四季を退団している。同メンバーでVHSビデオも出ていたのだけれど、現在Amazon.co.jpで購入出来るDVD/Blu-ray (23% OFF)は2012年の再演版で別キャストである。

シリーズ《映画音楽の巨匠たち》次回はバーナード・ハーマン(「めまい」「北北西に進路を取れ」「サイコ」「タクシー・ドライバー」)か、「スター・ウォーズ」の生みの親エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト辺りを考えている。どちらかもし、ご希望があればコメントをお寄せください。

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