Cinema Paradiso

2012年5月19日 (土)

幻の「こんな私じゃなかったに」(川島雄三 監督)上映!/桂小金治 出演映画を観る会

5月12日(土)阿倍野区民センターへ。

Koki

落語家・桂文我さんの主催で、桂小金治(八十五歳)さんが役者として初めて出演した松竹映画「こんな私じゃなかったに」(昭和二十七年、1952)の鑑賞会。ふたりの対談あり。

監督は川島雄三。日本映画の金字塔「幕末太陽傳」(フランキー堺 主演)が余りにも有名。これは落語「居残り佐平次」「品川心中」「三枚起請」「お見立て」「死神」などをベースにシナリオが書かれている。またスタジオ・ジブリの鈴木敏夫プロデューサーが川島の最高傑作と推す「洲崎パラダイス 信号」や「雁の寺」にも痺れたねぇ。

こんな私じゃなかったに」は当時の流行歌で、「上海帰りのリル」や「銀座の恋の物語」と同様の、いわゆる歌謡映画である。出演は水原真知子、宮城千賀子、山村聡ら。DVD等で発売されておらず、文字通り幻の作品。既に35mmフィルムは失われたが16mmは綺麗な状態で現存しており、それが上映された。

想像以上に面白くてびっくりした。ヒロインは洋装で、大学で化学の研究を続ける、所謂”モダン・ガール”(1920年代は略して”モガ”と呼ばれた)。一方、その姉は元・芸者で、現在は稽古屋(←上方落語でお馴染)を営んでいる。いつも和服姿の古風な女。しかし劇中で主人公は家の経済状態が悪く、姉が借金を抱えていることを知る。彼女は大学に通いながら、夜は芸者のアルバイトを始める。つまり「古い日本の因習」と「新しい自由な空気」との狭間で激しく揺れ動くことになるのである。この構図が実に新鮮だ。また彼女の恋人が天文学者で、ベガとアルタイルについての薀蓄を語る場面がいい。速いダイアログ、土砂降りの雨などが印象的。ユーモアのセンスもあって、やっぱり川島雄三はモダニストであり、天才監督だったと改めて実感した。プロット自体が落語「持参金」を下敷きにしていると感じさせる点も興味深い。またヒロインが恋人にビンタを食らわせる場面で画面の端に犬が登場、文我さんの解説によるとこれは浮世絵に出てくる手法なのだそうである。深いっ!

水原真知子が三味線にのって端唄「春雨」を踊る場面が美しかった(文我さんは「あの踊りは完璧で、寸文の狂いもない」と絶賛)。また桂小金治さんは幇間(太鼓持ち)役で登場。撮影当時二十六歳、落語家になって五年目だったそう。劇中では「餅の滝登り」や鶏が卵を産む場面など、お座敷芸を披露。

上映後の対談によると、当時「二つ目」だった小金治さんは、四谷にあった寄席小屋「きよし」で高座に上がると、その都度後ろの壁にもたれて聴いていた客から「狸の賽!」とか「長短!」などとリクエストされたそうである。後から知ったのだが、それが助監督三人を引き連れて来ていた川島雄三監督だった(「川島監督は畳席が好きだった」)。そうしたある日、楽屋でお茶子さんから大きな名詞を渡された。裏を返すと手書きで「一献(いっこん)献じたし。いかが?」と書かれていたという。その夜、川島監督と落語の話や貧乏の話をしていると、「映画に出てみないか?」と誘われた。演技の経験がないと躊躇うと「あたしの言うとおりに動いていればいいんだよ」と言われた。翌日、撮影所の重役に会うと、片手を広げて「(ギャラは)これでどうか?」と問われた。当時前座の給料は一回二百から四百円が相場だったので、五百円貰えるのかと思った。ところが実際は一本五万円×年間六本の契約だった。小文治師匠(上方出身)に相談すると、「やりゃあええやないか。わしより高給取りになったな」と言われた。「ただし、女優だけは手を出すなよ」と念を押され、その教えは今までしっかり守ってきた。また大船撮影所で俳優の笠智衆から「駅から撮影所までの道中、立っているものなら電信柱でも郵便ポストでも何にでも挨拶しなさい」と助言を受けた。その通り実行していたら食堂で助監督三人を引き連れた別の監督から「君面白いね」と声を掛けられ、新たな映画出演が決まったという。

「面舵いっぱい、のりたまで三杯!」というテレビCMのキャッチコピーはNHKのドラマ「ポンポン大将」に出演していた頃に小金治さん本人が思いついたものだとか。また、幼い頃父親にハーモニカを買って欲しいとねだったら、草笛を吹いてみせ「やってみな」と言われた。何日か頑張っているうちに吹けるようになった。そうしたある日学校から帰宅するとハーモニカが置いてあり、「努力の上に辛抱立てたんだ、報われて当然だ」と父から言われたというエピソードなどを語られた。

さらに寄席で三味線漫談家、粋談で有名な柳家三亀松が出演する時に客に受けるものだから押して(予定時間を超過して)しまい、トリを務める小文治師匠の持ち時間が少なくなるのを見るに見かねた小金治さんは三亀松に「あんたのせいでうちの師匠が迷惑している」と直談判に行ったそう。それを聞いた小文治は怒り、「三亀松師匠に謝れ!」と言った。しかし三亀松曰く、「いいんだよ。こいつが言うことが正しい」と帯をくれたとか。いい話を伺った。

最後は草笛で唱歌「故郷」を披露(大きい音が出てびっくり!)。また「大工調べ」で棟梁が啖呵を切るところを息も継がずにやり〆。充実した会だった。

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2012年4月24日 (火)

アカデミー作品賞、監督賞受賞「アーティスト」と、キム・ノヴァクの過激な批判!

評価:B+

Artist

「アーティスト」公式サイトはこちら

アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞(ジャン・デュジャルダン)、衣装デザイン賞、作曲賞の5部門を制覇。フランス映画が作品賞を受賞するのは史上初の快挙であり、サイレント映画の受賞は第1回「つばさ」以来、実に83年ぶりである。

物語は目新しいものではないが、サイレントらしい表現方法(例えば口のアップをモンタージュで重ねる)が際立っていた。あと犬の名演技が素晴らしい!

ミシェル・アザナビシウス監督はアカデミー賞授賞式で「私の人生を共に歩んでくれた3人の人物に感謝したい、ビリー・ワイルダー、ビリー・ワイルダー、ビリー・ワイルダー!」と言った。

主人公に忠実な運転手クリフトン(ジェームズ・クロムウェル)がワイルダー脚本・監督「サンセット大通り」に登場する執事マックス(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)へのオマージュであることは明らかだろう。「サンセット大通り」(1950)もかつてサイレント映画の大スターだったノーマ・デズモンドを主人公にしている。ただしこの「アーティスト」は「サンセット大通り」のような悲劇ではなく、むしろプロットとしてはミュージカル映画「雨に唄えば」(1952)に近い。そして主人公とヒロインによるタップ・ダンスの場面はフレッド・アステア&エレノア・パウエルによる至福の”ビギン・ザ・ビギン”(映画「踊るニューヨーク」Broadway Melody 1940)を彷彿とさせる。ちなみに”ビギン・ザ・ビギン”の名場面は「ザッツ・エンターテイメント」(1974)にも収録されている。

また僕がとても嬉しかったのは本作のクライマックス・シーンでバーナード・ハーマンがヒッチコック映画「めまい」の為に作曲した、まことに美しい音楽"Scene d'amour"(愛の場面)が丸まる転用されていたこと。この曲大好きなんだ!!

しかし「めまい」(1958)でヒロインを務めたキム・ノヴァク(78歳)は次のような驚くべき声明を業界紙Varietyに発表した。

「これはレイプにほかなりません。私の身体、少なくとも女優としての身体が、『アーティスト』という映画によって暴行された気持ちです」
「注目を集めるために、有名な作品の一部を乱用し、その作品が意図する以上に、新しい作品でより多くの喝采を浴びようとすることは、この業界に身を置く芸術家としてモラルに反することです。観客の感情を盛り上げるために『めまい』の愛のテーマを、『アーティスト』のクライマックスに使用したことは間違いありません。“死人に口なし”でヒッチコック監督や(主演男優の)ジェームズ・スチュアートは何も言えませんが、私が代わりに言います。恥を知りなさい!」

これに対し、レイプ被害者やその保護団体は次のように反撃した。

「この事態をレイプにたとえるのは極端すぎるし、適切ではない」
「本当にレイプされたのではないのにレイプという言葉が軽々しく使用されると、実際に苦しんでいる何千万人の被害者の苦しみが軽んじられることになる」

まさに場外乱闘。対岸の火事は大きいほど面白い。しかし世の中、色々な考え方の人がいるもんだ。

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2012年4月16日 (月)

アカデミー外国語映画賞受賞/イラン映画「別離」

評価:A+

Sepa

ベルリン国際映画祭で最高賞である金熊賞、さらにアカデミー外国語映画賞、ゴールデン・グローブ賞も受賞。

ウディ・アレンは「別離」のアスガー・ファルハディ監督に対し「(アカデミー賞)授賞式には出たくないけれど、あなたの映画を見て一緒に語りたいと思った」と手紙を書き、またスティーブン・スピルバーグは「『別離』は大差で今年のベストフィルムになるだろうと信じていたよ」とコメントしている。公式サイトはこちら

Sepa2

心に響く、完璧な作品である。「これを観ずして、今年他に何を観る?」と申し上げたい。

考えてみたら僕はアッバス・キアロスタミ監督作品(「友だちのうちはどこ?」「オリーブの林をぬけて」「桜桃の味」)とか、「運動靴と赤い金魚」とか意外とイラン映画を観ている。しかし間違いなく「別離」はイラン映画史上の最高傑作だろう。

本作には2組の夫婦が登場する。そして、それぞれには一人娘がいる。ある事故をめぐり、彼らは諍うことになる。物語はミステリー仕立てで展開される。

登場人物たちは家族を守るために、いくつかのささやかな嘘をつく。しかしそのことで、また誰かを傷つけてしまう。2つの家族が壊れてゆく姿を、キャメラは静謐なタッチで見つめる。娘たちの哀しい眼差しが観客の胸を抉る。

ハリネズミのジレンマ。ここに描かれるのは、もがいてもどうしようもない「人間の業(ごう)」である。深い。肌がヒリヒリするような、魂を揺さぶられる体験だった。

映画の幕切れが鮮烈であることも特記したい。結局、人生の選択肢に正解なんてないんだという紛れもない事実を僕たちは突き付けられることになる。

また作者ははっきりと語らないが、イスラム教の戒律に対する批判がベースにあることは間違いないだろう。

イランの女性たちは現在もヒジャブ(ベール)を着用しているが、本人の意思で離婚も出来るし、子供もどちらの親と暮らすか選べることを本作で初めて知った。もっと男性優位の社会だと思っていたけれど、意外と近代国家なんだ。こういうことも学べるし、映画ってやっぱり何ものにも代えがたい芸術だと改めて痛感した次第である。

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2012年4月10日 (火)

カンヌ国際映画祭 監督賞受賞「ドライヴ」

評価:A

Drive

アメリカ映画であるが、ニコラス・ウィンディング・レフン監督はデンマーク出身。映像に独特の匂いがある。公式サイトはこちら

スタイリッシュでクール。この新鮮な驚きは、例えばマーティン・スコセッシの「タクシー・ドライバー」やジョン・ウーの「男たちの挽歌」、あるいはクエンティン・タランティーノの「レザボア・ドッグス」やウォシャウスキー兄弟の「バウンド」を初めて観た時の衝撃に匹敵する。同じ題材のクライム・ムーヴィー(カーチェイスあり)であるサム・ペキンパー監督「ゲッタウェイ」と比較することも可能だろう。

ただ前述した傑作群と本作には決定的相違がある。それは音楽の使い方のセンスのよさだ。「ドライヴ」で選択される音楽と、それが流れるシーンとには微妙な違和感がある。しかしそのズレが化学反応を引き起こし、映画が発火するのである。お見事!としか言いようがない。

主演はライアン・ゴズリングキャリー・マリガンはアカデミー主演女優賞にノミネートされた(英アカデミー賞は受賞)「17歳の肖像」(2009)で16歳から17歳になろうとする少女を演じたわけだが、それからたった2年後に撮影された本作では子供のいる頼りない人妻役を見事に演じている(現在彼女の年齢は26歳)。主体性はないけれど、男の人生を狂わす女=ファム・ファタール。実に魅惑的だ。このキャラクター設定はスコット・フィッツジェラルドの小説「グレート・ギャツビー」のヒロイン、デイジーを彷彿とさせる。そういえば彼女は現在、バズ・ラーマン監督レオナルド・ディカプリオ主演の映画「グレート・ギャツビー」を撮影中だった(勿論デイジー役)。また悪役でロン・パールマン(「ヘルボーイ」)が圧倒的存在感を見せ付けた。

必見。今すぐ映画館に駆けつけろ!そして時代の証言者になれ。

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2012年4月 6日 (金)

ヘルプ ~心がつなぐストーリー~

評価:B+

Help

映画公式サイトはこちら。原題はシンプルに"The Help"

ジョン・F・ケネディやマーティン・ルーサー・キング牧師が活躍していた1960年代。アメリカ南部ミシシッピ州を舞台に、当時未だ根強く残っていた黒人差別問題をえぐり出す。

全米映画俳優組合(SAG)賞ではヴィオラ・デイヴィスが主演女優賞、オクタヴィア・スペンサーが助演女優賞(アカデミー賞も)、そしてアンサンブル・キャスト賞を同時に受賞した。

脚本・監督テイト・テイラー(白人男性)は原作者キャスリン・ストケットと幼馴染だそうだ。白人女性の目から見た黒人問題なので、この手法に異議を唱える人たちも多い。詳しくはこちら→「The Help」への批判

まぁその気持ちも分からないではないが、本作は秀逸な「女性映画」であると僕は太鼓判を押したい。群集劇としてそれぞれの役者が素晴らしい。黒人だけではなく白人女性も生き生きと(ある人物は物凄く憎たらしく)描かれている。これだけ出来の良い(well made)作品にお目にかかれることは滅多にない。

最近パッとしないスパイク・リー(ドゥ・ザ・ライト・シング、マルコムX)など黒人監督たちにも奮起してもらいたいものだ。

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2012年3月26日 (月)

戦火の馬

評価:B

War_horse

映画公式サイトはこちら

スティーヴン・スピルバーグ監督の映画は2種類に分類される。本当に自分が撮りたい作品と、アカデミー賞狙いの作品である。前者は「未知との遭遇」「E.T.」「ジュラシック・パーク」「タンタンの冒険」などであり、後者は「カラー・パープル」「太陽の帝国」「ミュンヘン」などが該当する。「戦火の馬」は勿論、後者に入る。しかし僕は想うのだが、既に「シンドラーのリスト」で作品賞・監督賞を、「プライベート・ライアン」で2度目の監督賞を受賞しているのだから、もう十分なんじゃない?”物欲しげな”スピルバーグ映画はあまり観たくないのだけれど……。なお、僕はデビュー以降劇場公開されたスピルバーグ映画を全作品観ている。

この物語の面白さは、馬の所有者がどんどん替わっていくところ。まるで「レッド・ヴァイオリン」(1998)か、一着の夜会服をめぐるジュリアン・デュヴィヴィエ監督「運命の饗宴」(1942)みたい。馬を主人公とした戦争映画は今までなかったし、大変ユニークだと想う。

あと、映画史に燦然と輝く過去の傑作へのオマージュ(眼差し)をこの映画から強く感じた。例えば林の中を騎馬で奇襲するシーンはデヴィッド・リーン監督「ドクトル・ジバゴ」(1965)のパルチザンを髣髴とさせるし(スピルバーグは高校生のときにリーンの「アラビアのロレンス」を観て映画監督になろうと決意したと告白している)、青年が馬に乗って我が家に帰ってくるのを家族が戸外で見守る構図は、まんまジョン・フォード監督の「捜索者」(1956)だ。そして真っ赤な夕焼けを背景に人物がシルエットで浮かび上がる場面は「風と共に去りぬ」(1939)といった具合。

また、イギリス・テイスト満載のジョン・ウィリアムズの音楽(アカデミー作曲賞ノミネート)の素晴らしさは特筆に価する。過去のジョン作品で言えば「ジェーン・エア」「遥かなる大地へ」「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」などに近い雰囲気。スピルバーグとの友情はデビュー作「続・激突!/カージャック」(1974)からずっと続いている。ジョンが音楽を担当しなかったのは「カラー・パープル」のみ。これはクインシー・ジョーンズがプロデューサーだったから仕方ないよね。

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2012年3月21日 (水)

ヒューゴの不思議な発明(3D)

評価:A

Hugo

アカデミー作品賞、監督賞などにノミネート。撮影賞、美術賞、視覚効果賞、録音賞、音響効果賞の5部門を受賞した。映画公式サイトはこちら

原題はシンプルに"HUGO"であり、この邦題には嘘がある。だって発明をしたのはヒューゴではないからだ。

マーティン・スコセッシ監督が心優しい3Dのファンタジー映画を撮ったと聞いた時は、すごく違和感があった。何故なら「タクシー・ドライバー」(カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞)「グッドフェローズ」「ディパーテッド」(アカデミー作品賞・監督賞受賞)などスコセッシといえば”暴力映画”というイメージだから。しかし本編を観てその疑問は氷解した。

「ヒューゴの不思議な発明」には世界最初の映画であるリュミエール兄弟の「(ラ・シオタ駅への)列車の到着」「工場の出口」(1895)や、エジソン「アーウィンとライスの接吻」(1896)、ジョルジュ・メリエス「月世界旅行」(1902)、D・W・グリフィス「イントレランス」('16)、チャールズ・チャップリン「キッド」('21)、ハロルド・ロイド「要心無用(ロイドの時計台)」('23)、バスター・キートン「The General(キートン将軍)」('27)などサイレントの映像が引用されている。ロイドの「要心無用」は本編の伏線にもなっている。

スコセッシは古いフィルムの修復・保存を目的とする組織「ワールド・シネマ・ファンデーション」のチェアマンを務めており、彼の尽力により「赤い靴」('48)、「アラビアのロレンス」('62)など過去の名作が鮮やかな画面で蘇った。つまり本作は映画(それも初期サイレント)への熱いオマージュになっているのである。スコセッシ版「ニュー・シネマ・パラダイス」と言ってもいい。

ならば3Dである必然性も理解出来る。「飛び出す映像」は魔術師でもあったジョルジュ・メリエスへの敬意の表明であり、そこには21世紀の「見世物小屋」としてのワクワク感がある。駅で脱線する蒸気機関車など効果抜群であった。

ただ僕は上記サイレント作品を殆ど観ているのでスコセッシの意図に甚く共鳴したが、映画史に全く興味のない人が本作を観て、果たして面白いと感じるかどうかは正直良く分からない。

パリの街を見下ろす映像から始まってどんどんカメラが突き進み、モンパルナス駅構内にワン・カットで入ってしまう冒頭のシーンが素晴らしい。往年のヒッチコック映画を髣髴とさせた(スコセッシは「タクシー・ドライバー」の音楽をヒッチコック映画で名高いバーナード・ハーマンに依頼した。それがハーマンの遺作となった)。主人公の少年が駅の時計台に住んでいるという設定は、まるで「オペラ座の怪人」か「ノートルダムのせむし男」みたいで愉しい(どちらもパリが舞台)。またヒロインのクロエ・グレース・モレッツちゃんは文学少女という設定で、少年と蒸気が噴出す地下通路?を駆け抜ける場面で興奮気味に「ジャン・バルジャンになったみたい!」と叫ぶところは爆笑した(ミュージカル「レ・ミゼラブル」を観れば分かります。現在その映画版が撮影中)。

また「ロード・オブ・ザ・リング」3部作で2度アカデミー作曲賞を受賞したハワード・ショアが本作の為に書いた音楽を僕は死ぬほど好きだ!!と最後に強調しておく。惜しくも今回、アカデミー賞はノミネートに留まったが、受賞しても良かったんじゃないかな。

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2012年3月16日 (金)

人生はビギナーズ(beginners)

評価:A

クリストファー・プラマーが82歳という史上最高齢でアカデミー助演男優賞を受賞したことで話題になっている。アカデミー賞が今回84回目。プラマーはオスカー像に向かって「君とは2歳しか違わないのに、今まで会う機会がなかったね!」と茶目っ気たっぷりにスピーチし、満場の喝采を浴びた。

映画公式サイトはこちら

Beginners

僕がクリストファー・プラマーを初めて観たのは中学生の時。映画「サウンド・オブ・ミュージック」(1965)のトラップ大佐だった。その時は「この人、大根役者じゃない?」というのが第一印象だった。なんだか、いつもニヤニヤしているんだよね。「そこは薄ら笑いを浮かべる場面じゃないだろう!」と子供心に思ったんだ。

ところがこの人は老いるにつけて良くなっていった。まずはなんと言ってもカルト映画「ある日どこかで」(1980)における、ヒロイン(舞台女優)のマネージャー役だろう。これは威厳があって味のある演技だった。

アカデミー作品賞を受賞した「ビューティフル・マインド」(2001)も良かったなぁ。

さて、「人生はビギナーズ」である。ここでのプラマーは妻と死に別れ、75歳にして「私はゲイだ」とカミング・アウトするという役柄。これはマイク・ミルズ監督の実体験(実父のエピソード)を元に書かれている。

いやぁ、この作品はクリストファー・プラマーに尽きる!助演でありながら存在感が圧倒的。紛れもなく彼の生涯、最高の演技であった。息子役のユアン・マクレガーも悪くないが、霞んじゃうよね。

この映画を観ながらつくづく感じたのは、人間という存在は誰もが孤独であり、身を寄せ合い孤独に孤独を重ねて生きざるを得ないということ。アメリカ映画でありながら、どこかヨーロッパ映画の匂いを漂わせる作風であった。

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2012年3月12日 (月)

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い(EXTREMELY LOUD & INCREDIBLY CLOSE)

評価:A

Extremely_loud_

アカデミー作品賞にノミネートされた。公式サイトはこちら

元々アスペルガー症候群(軽度自閉症)があり、さらに父親(トム・ハンクス)を9・11で失った為、PTSD(心的外傷後ストレス障害)も患った少年の再生を描く作品である。

痛ましい映画だ。途中、少年は自傷癖もあることが明らかになったりもする。

しかし3・11を体験し、やはりPTSDに陥った我々日本人にも共感できる物語だと言えるだろう。映画館の暗闇の中、あちらこちらからすすり泣く声が聞こえた。

次第に少年の心は人々との交流で癒されていき、最後には希望が残る。だから後味も決して悪くない。お勧め。脚色は「フォレスト・ガンプ」「アポロ13」「ベンジャミン・バトン」のエリック・ロス。

「リトル・ダンサー」でも感じたことだが、スティーヴン・ダルドリー監督は少年を演出するのが上手いなぁ。ほとほと感心した。また母親役のサンドラ・ブロックがいい味出している。僕は昔この人が嫌いだったけれど、年取ってすごく良くなった。

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ALWAYS 三丁目の夕日'64 (3D)

評価:

前作に僕は最低評価のをつけた。

いま読み返すと「あざとい」だの「救いようがない」「自己模倣」だのボロカスだ。

映画公式サイトはこちら

今回の3作目はいい作品だ。高度経済成長で驀進する日本・東京の下町で、それに背を向け、やせ我慢して生きてゆく市井の人々が描かれる。それは3・11を体験した我々に、これからどう生きるべきかという問いかけにもなっている。しみじみ泣ける。そして希望もある。ただし本作はドキュメンタリーではないし、「あの頃は良かった」というノスタルジー映画でもない。そこは勘違いすべきではないだろう。

そもそも脚本・監督の山崎 貴は1964年長野県松本市生まれであり、この時代の東京を知っている筈もない(彼は高校まで松本市で過ごした)。だからある意味これはファンタジーである。

僕はまだ生まれていないが、文献など読んだり当時の映像を見たりすると1964年の東京は本作で描かれるような希望に溢れた美しい街では決してなかったことが分かる。60年には安保闘争があり、学生たちは左翼運動で血気盛んだった(そのあたりのことは「コクリコ坂から」でしっかり描かれている)。社会でもさまざまな軋轢があり、労働組合の集会(メーデー)、部落(同和)問題などで殺伐としていた。そして公害による大気汚染(光化学スモッグ)、水質汚染はピークに達していた。

日本映画に目を転じると、山本薩夫(白い巨塔)、今井正(橋のない川)、熊井啓(帝銀事件 死刑囚、黒部の太陽)、浦山桐郎(キューポラのある街、非行少女)、大島渚(日本の夜と霧、飼育)など、いわゆる「社会派」と呼ばれる左翼の監督たちが「問題作」を次々に発表し、社会を告発していた。宮崎駿は東映動画労働組合の書記長として、高畑勲は同副委員長という立場で会社と闘争していた(後に退社)。決していい時代でもなければ、人々は幸福でもなかった。少年犯罪も現在と比較し、圧倒的に多かった。→警視庁統計へ

映画とは花も実もある絵空事である。ここに描かれたことだけが真実ではない。そのことを踏まえた上で、心地よい2時間をお過ごしあれ。

最後に、はっきり言って本作が3Dである意味は全くなかった。東京タワーの尖塔を俯瞰で捉えるショットと編隊飛行するジェット機が画面を飛び出してくる場面だけが効果的だった。

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