Cinema Paradiso

スパイ小説「あの本は読まれているか」と「ドクトル・ジバゴ」の想い出

アメリカ探偵作家クラブが授与するエドガー賞の最優秀新人賞にノミネートされた、ラーラ・プレスコットのデビュー作『あの本は読まれているか』(The Secrets We Kept)は2019年にアメリカで出版され、2020年4月に翻訳が出た。〈あの本〉とはロシアの詩人・作家であるボリス・パステルナークが書いた小説『ドクトル・ジバゴ』のことである。1957年にイタリアで出版されたがロシア革命に対して批判的ということでソビエト連邦内では発禁処分となり、58年にノーベル文学賞を受賞するもソ連当局の圧力により辞退を余儀なくされた。結局、ソ連国内で『ドクトル・ジバゴ』ロシア語版が出版されるのはペレストロイカを推進したゴルバチョフ書記長時代の88年である。それから3年後の91年にソ連は呆気なく崩壊した。

2014年に「冷戦中、アメリカのCIAはソ連を崩壊させる手段として『ドクトル・ジバゴ』を使用した」という驚くべき九十九の機密文書が解除された。ワシントンポストのこの記事を父親がラーラ・プレスコットに送ってくれたという。しかしその文書は人物名に手が加えられていたり、一部が黒塗りされたりしていた。

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パステルナークに、妻とは別にオリガという愛人がいて、彼女が『ドクトル・ジバゴ』のヒロイン、ラーラのモデルだったというのはこの小説を読んで初めて知った。確かにユーリ・ジバゴにはトーニャという正妻がおり、ラーラとは不倫関係だ。なお『あの本は読まれているか』の著者の名前がラーラなのは、母親が映画の大ファンでそれに因んで名付けたという。そしてプレスコットは幼少期にモーリス・ジャールが作曲した〈ラーラのテーマ〉の旋律が流れるオルゴールを聞いて時を過ごした。正に〈運命の子〉と言えるだろう。

僕が『ドクトル・ジバゴ』のことを初めて知ったのは、音楽を通してであった。1978年、小学校5年生のとき映画館で観た『スター・ウォーズ』に衝撃を受け映画音楽が大好きになり、アカデミー作曲賞を受賞した『ドクトル・ジバゴ』(1965)サウンド・トラックLPレコードを買った。中学生だった。まだVHSビデオデッキすら家庭に普及していなかった時代で、レンタルビデオ店もなかった。3時間を超える長い映画なのでテレビ放送も望みなし。だからレコードの解説や写真で想像を膨らませるしかなかった。そこで原作小説に取り組むことにした。

僕が岡山市立図書館から借りて初めて読んだのは時事通信社記者・原子林次郎が訳した版である。しかし当時はロシア語の原典が入手困難で、イタリア語訳版と英訳版を相互に参照しながらの不完全な重訳である旨が訳者あとがきに記されていた。そして1980(昭和55)年、同じ時事通信社から待望の、ロシア文学の専門家である江川卓による原典を底本とする翻訳が出た。僕は上巻1,500円、下巻1,700円のハードカバーが出版されるやいなや、なけなしのお小遣いを叩いて購入した。この江川版は89年に新潮文庫に収められたが、今では絶版になっている。現在入試可能なのは2013年に出版された工藤正廣訳のみで、なんと8,800円もする!気軽に読める小説ではなくなってしまった。むしろDVD,Blu-rayや配信で鑑賞可能なので、映画の方がアクセスしやすいだろう。デヴィッド・リーン監督の名作であり、僕は『戦場にかける橋』や『アラビアのロレンス』よりも好き。ラーラを演じたジュリー・クリスティはイメージそのままで一分の隙もないし、悪徳弁護士コマロフスキー役のロッド・スタイガーも素晴らしい。

夢中になって『あの本は読まれているか』を一気呵成に読んだ。主人公はCIAに勤めるタイピスト兼、女スパイで『ドクトル・ジバゴ』をソ連国内に浸透させる諜報活動に従事する。事実は小説より奇なり。僕のために書かれたのではないか?と錯覚を起こすくらい気に入った。そして改めて自分がどれだけ『ドクトル・ジバゴ』を愛しているかを思い知った。もう、好き、好き、大好き!

『あの本は読まれているか』はLGBTQというテーマも絡んできて、さすが21世紀の小説という感じ。そして何より当時のCIAの人々が〈物語の力〉を信じていたっていう事実が素敵じゃない?正に〈ペンは剣よりも強し〉。超オススメ。こちらも映画化されることを是非期待したい。

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【考察】高橋留美子「めぞん一刻」はラブコメの元祖?(新海誠「天気の子」との関係も)

高橋留美子原作『めぞん一刻』のテレビ・アニメ版(全96話)を初めてU-NEXTの配信で観た。そのきっかけとなったのはギルバート・オサリバンが歌った"Alone Again"である。詳しくは下記事に書いた。

"Alone Again"は石原真理子主演、澤井信一郎監督の映画『めぞん一刻』実写版(駄作)の主題歌としてエンドロールで流れた。そして1986年の映画公開に合わせて、特別にアニメ版の第24話でオープニングに"Alone Again"、エンディングに同じくオサリバンの"Get Down"が使用された。"Get Down" は「おすわり」という意味。可愛い恋人を犬に見立てた歌なので、『めぞん一刻』の内容にピッタリ。この〈幻のオープニング&エンディング〉 が一回きりで終わったのは著作権・使用料の問題であったようだ。

また第27話『消えた惣一郎!?思い出は焼き鳥の香り』では物語の終盤に挿入歌として"Alone Again"が使用された。これが大変な名場面で、僕は甚く感動した。脚本は後に押井守監督『機動警察パトレイバー the Movie 1 & 2』や、金子修介監督の平成ガメラ三部作で名を馳せることになる伊藤和典。こんな情景だ。

夕暮れの坂道。行方不明になった惣一郎(=犬。名前は死んだ夫に由来する)を探していた音無響子(アパート「一刻館」管理人)は坂の下方から見上げ、犬を連れて歩く五代裕作(「一刻館」住人で大学生)を見つける。そのシルエットから死んだ夫が蘇ったのではないかと錯覚した響子は思わず「惣一郎さん!」と叫ぶ。遠くを走る電車。その時、街灯が坂下から順番に灯り、五代の顔が照らされる。ここで"Alone Again" が静かに流れ始める。「五代さん……」がっかりしたような、それでいて逆に嬉しそうにも聞こえる響子の呟きだった。

これは『めぞん一刻』のターニング・ポイントと言える極めて重要なシーンで、響子の亡き夫への未練が、五代に対する愛に変化(していることを自覚)する瞬間を捉えている。

そして僕は即座に新海誠監督『天気の子』を思い出した。東京・田端駅近くの不動坂で帆高が陽菜の体が透き通っていることを発見する場面だ。刻限は夕方であり、灯る街灯の演出もそっくり。どう考えても間違いなく『めぞん一刻』へのオマージュだろう。新海監督は大学生の頃『めぞん一刻』を愛読していたことをインタビューで語っているし、そもそも年上の女の人を好きになる主人公という設定は既に『言の葉の庭』で使っている。アニメ版で音無響子の声を務めた島本須美が『天気の子』でも声の出演をしているのは決して偶然ではないだろう。

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さて、今回『めぞん一刻』という作品を通して観て感じたのは「これってもしかしたらラブコメの元祖なんじゃないか?」ということだった。

ラブコメの女王といえば言わずと知れたメグ・ライアンだ。彼女が脚本家ノーラ・エフロンと組んだラブコメ三部作の第一作『恋人たちの予感(When Harry Met Sally...)』が公開されたのは1989年。それ以前のハリウッド映画のラブコメは思いつかない。

高橋留美子の漫画『うる星やつら』初掲載は1978年、『めぞん一刻』が80年である。柳沢きみお『翔んだカップル』をラブコメの元祖とする説もあり、この連載開始が1978年。あだち充が『みゆき』の連載を開始したのが1980年、『タッチ』が81年なのでほぼ同時期と言えるだろう。

2021年現在、『愛の不時着』など韓国ドラマはラブコメの絶頂期を迎えている。しかし韓国でラブコメの源流を探ると、せいぜい2001年に公開された映画『猟奇的な彼女』あたりだろう。やはり世界的に眺めても、高橋留美子はラブコメの元祖(同時多発した作家の一人)と言えるのではないだろうか?

以前ハリウッド映画には〈スクリューボール・コメディ〉というジャンルがあった。スクリューボールは当時のクリケットや野球の用語で「スピンがかかりどこへ飛ぶか予測がつかないボール」を指し、転じて突飛な行動をとる登場人物が出てくる映画をこう呼ぶようになった。代表作に次のような作品がある。

・或る夜の出来事(1934)
・特急二十世紀(1934)
・赤ちゃん教育(1938)
・ヒズ・ガール・フライデー(1940)
・フィラデルフィア物語(1940)
・レディ・イヴ(1941)
・教授と美女(1941)
・結婚五年目/パームビーチ・ストーリー(1942)

従って、これらを撮ったフランク・キャプラ、ハワード・ホークス、ジョージ・キューカー、プレストン・スタージェスらが〈スクリューボール・コメディ〉の名手と言える。

またこれと一部重なるが〈ロマンティック・コメディ〉とか、〈ソフィスティケイテッド・コメディ〉と呼ばれるジャンルがあり、その代表作が以下の通り。

・極楽特急(1932)
・生活の設計(1933)
・青髭八人目の妻(1938)
・ニノチカ(1939)
・天国は待ってくれる(1943)
・ローマの休日(1953)
・麗しのサブリナ(1954)
・昼下がりの情事(1957)
・お熱いのがお好き(1959)
・アパートの鍵貸します(1960)

上記のリストでも明らかな通り、このジャンルの名手といえばエルンスト・ルビッチとビリー・ワイルダー、女優の代表選手はオードリー・ヘップバーンということになる。

しかしここからプッツリと伝統は途絶え、〈ロマンティック・コメディ〉暗黒時代が1960年代〜70年代〜そして『恋人たちの予感』が登場する80年代後半までほぼ30年間続くことになる。

やはり大きな影を落としたのがベトナム戦争と米ソ冷戦(ベルリンの壁が築かれるのが1961年)、そしてアフリカ系アメリカ人による公民権運動だろう(キング牧師による「ワシントン大行進」が1963年、マルコム・X暗殺が65年)。混乱の時代だった。

1960年代にフランス・ヌーベルバーグ(新しい波)が台頭し、60年代後半にアメリカン・ニューシネマに飛び火した。フランソワ・トリュフォーとジャン・リュック・ゴダールが乗り込んでカンヌ国際映画祭を中止に追い込んだのが1968年、同じ時期日本は安保闘争や東大安田講堂事件(1969)に揺れ、72年のあさま山荘事件に雪崩込んでいく。前衛・アヴァンギャルドの時代であり、独立プロやATGが活発になった。ハリウッドでは大手映画会社が市場を牛耳るスタジオ・システムが呆気なく瓦解し、〈ロマンティック・コメディ〉どころではなくなった。ようやく『スター・ウォーズ』『未知との遭遇』が公開された1977年辺りから映画界は落ち着きを取り戻していく。〈ハリウッド・ルネッサンス〉の到来である。

あと『めぞん一刻』で感じたのは、非常に落語的だということ。一浪し三流大学に入学した五代はアパートの住人たちから「意気地なし」「甲斐性なし」「落ちこぼれ」と言われる。また日曜日の昼間から住人4人が寝間着姿で五代の部屋に集まって、ぐうたらしていると、五代は響子から「若いうちからこんな生活してたら、駄目になっちゃいますよ」と言われる。

駄目でいいんだという価値観。「ダメ人間万歳!」つまり、立川談志が言うところの〈人間の業の肯定〉が『めぞん一刻』の根底にある。

立川談志の著書に「現代落語論」がある。そしてその続編「あなたも落語家になれる」に、かの有名な一節が登場する。

 落語というものを、みなさんはどう解釈しているのか……、おそらく落語家を"笑わせ屋"とお思いになってるでしょう。(中略)
 でも、私の惚れている落語は、決して「笑わせ屋」だけではないのです。お客様を笑わせるというのは手段であって、目的は別にあるのです。なかには笑わせることが目的だと思っている落語家もいますが、私にとって落語とは、「人間の業」を肯定してるということにあります。「人間の業」の肯定とは、非常に抽象的な言い方ですが、具体的に言いますと、人間、本当に眠くなると、"寝ちまうものなんだ"といってるのです。分別のある大の大人が若い娘に惚れ、メロメロになることもよくあるし、飲んではいけないと解っていながら酒を飲み、"これだけはしてはいけない"ということをやってしまうものが、人間なのであります。
 こういうことを八っつぁん、熊さん、横丁の隠居さんに語らせているのが落語なのであります。

この解説で『落語』を『めぞん一刻』に置き換えると、そのままピッタリ当てはまるのだ。

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Netflix配信映画「マ・レイニーのブラックボトム」

評価:A

Maraineysblackbottom

2020年12月18日よりNetflixから配信された。公式サイトはこちら

アカデミー賞でヴィオラ・デイヴィスの主演女優賞ノミネートは確実、また故チャドウィック・ボーズマン(『ブラックパンサー』)が主演男優賞を受賞する可能性は高い。既に彼はロサンゼルス映画批評家協会賞とシカゴ映画批評家協会賞を獲得している。

「ブルースの母」と呼ばれた伝説的歌手マ・レイニー(1886-1939)が主人公。ボーズマンの役はそのレコーディングに参加した野心家のトランペッター。原作はオーガスト・ウィルソンが執筆した舞台劇。ウィルソンの父はドイツからの移民で母はアフリカ系アメリカ人。代表作は戯曲"Fences"で2016年にデンゼル・ワシントン監督・主演で映画化され、アカデミー賞では作品賞など4部門にノミネート、妻役のヴィオラ・デイヴィスが助演女優賞を受賞した。日本では劇場公開されずソフトスルー、邦題は『フェンス』。黒人版『セールスマンの死』といった内容である。今回もデンゼル・ワシントンはプロデューサーとして関わっている。

映画の出来として『マ・レイニーのブラックボトム』は明らかに『フェンス』より上。コンパクトな物語りながら1927年当時の黒人の生きづらさが見事に描かれている。またブランフォード・マルサリスの音楽が出色の出来。

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Netflix配信映画「シカゴ7裁判」鑑賞に役立つ豆知識

評価:B+

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公式サイトはこちら

『シカゴ7裁判』は『ソーシャル・ネットワーク』でアカデミー脚色賞を受賞したアーロン・ソーキンが脚本・監督した映画で、新型コロナウィルスの流行により配給のパラマウントが劇場公開を断念しNetflixに権利を売却、2020年10月16日より配信された。他にソーキン脚色作として『スティーブ・ジョブズ』がある。2017年に彼が監督デビューした映画『モリーズ・ゲーム』の出来はイマイチだったが、今回は腕を上げた。

本作は実話だが、日本人にとっては馴染みがない話で取っ付きにくいだろう。1968年8月28日、大統領選挙を控えたイリノイ州シカゴで民主党の全国大会が開かれていた。それに合わせて全国から反ベトナム戦争派の若者たちが集結し、集会やデモを繰り広げた。やがてデモ隊と警察が衝突し、数百名の負傷者を出す事件へと発展した。その時に逮捕された各グループのリーダー格が〈シカゴ・セブン〉である。

ボビー・シール率いるブラックパンサー党も日本人にはちんぷんかんぷんだろう。暗殺された黒人解放指導者マルコムXの暴力主義を受け継ぐ団体で、マーティン・ルーサー・キングの戦略には否定的な連中である。

さらにややこしいのが彼らが逮捕されたのは、暗殺されたケネディの後に自動的に副大統領から大統領に昇格した民主党のジョンソン政権時代であり、裁判が始まったときには共和党のニクソン政権に交代していた。当然司法長官も左派系のラムゼイ・クラークから、右派のジョン・N・ミッチェルに交代した。ここで押さえておきたいことは後にニクソンはウォーターゲート事件(民主党本部への不法侵入・盗聴)を起こし、その際に大統領再選委員会のトップだったミッチェルは、不法活動に対する有罪判決を下され拘束された最初の司法長官となった。詳しいことは映画『大統領の陰謀』をご覧あれ。そして民主党のケネディが始めたベトナムへの軍事介入は共和党政権においても引き継がれた。このあたりの政治的駆け引きが日本人には非常に分かり辛い。

アーロン・ソーキンの政治的立場は明確で、民主党支持が鮮明に打ち出されている。最初この脚本が完成したのは2007年で、根幹には共和党のブッシュ大統領が2003年に起こしたイラク戦争に対する批判があった。そして実際に撮影が始まった2019年にはトランプ政権への怒りがあった("The whole world is watching"「全世界が見ているぞ!」)。さらにボビー・シールに対するあからさまな人種差別行為を通してブラック・ライヴズ・マター(Black Lives Matter、通称「BLM」)の根深さを浮き彫りにしようとしている。つまり1968年を描くことで2020年を照射しようという狙いがあり、その目論見は見事に成功している。しかし、だからといってそれが作品の面白さに結びつくわけではない。僕は劇映画で政治的主張を語るべきではないと考えている。それはドキュメンタリーの役割だ。どうも本作はプロパガンダ的臭気が強く、浅ましいと感じる。威勢がよかったころのオリバー・ストーン監督の映画(『7月4日に生まれて』『ニクソン』)に近い胡散臭さだ。

アカデミー賞では作品賞・監督賞・オリジナル脚本賞・助演男優賞などでノミネートされると予想される。特に青年国際党(イッピー)共同創立者アビー・ホフマン役のサシャ・バロン・コーエンが好演。

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2020年映画ベスト30+α & 個人賞発表!

毎年恒例、映画ベストを発表しよう。2020年に劇場で初公開された作品及び、Netflix, Huluなどインターネットで配信された作品を対象とする。ただし、「ザ・クラウン」「ウォッチメン」「ウエストワールド」「ダーク・マテリアルズ/黄金の羅針盤」など連続ドラマは除外する。

タイトルをクリックすれば過去に僕が書いたレビューに飛ぶ。今年は1位が2作品ある(タイ)。どちらが優れていると言うことは無理。どっちも最高!それでいい。

1)ストーリー・オブ・マイ・ライフ /わたしの若草物語
1)パラサイト 半地下の家族
3)1917 命をかけた伝令
4)僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46
5)ザ・プロム (Netflix配信)
6)ウルフウォーカー
7)燃ゆる女の肖像
8)アルプススタンドのはしの方
9)海辺の映画館ーキネマの玉手箱
10)透明人間
11)劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン
12)ミッドサマー
13)Mank/マンク(Netflix配信)
14)TENET テネット
15)マ・レイニーのブラックボトム (Netflix配信)
16)テリー・ギリアムのドン・キホーテ
17)ラストレター 
18)レイニーデイ・イン・ニューヨーク
19)ハリエット  
20)ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密  
21)フォード vs フェラーリ
22)三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実
23)劇場版 鬼滅の刃 無限列車編
24)シカゴ7裁判 (Netflix配信)  
25)ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから (Netflix配信)
26)窮鼠はチーズの夢を見る
27)WAVES/ウェイヴス
28)のぼる小寺さん
29)娘は戦場で生まれた
30)もう終わりにしよう。(Netflix配信)
31)キャッツ  
32)レ・ミゼラブル
33)ジュディ 虹の彼方に 
34)星の子
35)スキャンダル
36)ジョジョ・ラビット 
37)スパイの妻

続いて個人賞に移ろう。

実写監督賞:大林宣彦(海辺の映画館ーキネマの玉手箱)、ポン・ジュノ(パラサイト 半地下の家族
アニメーション監督賞:トム・ムーア、ロス・スチュワート(ウルフウォーカー
主演女優賞:シアーシャ・ローナン(ストーリー・オブ・マイ・ライフ /わたしの若草物語)、メリル・ストリープ(ザ・プロム
助演女優賞:アマンダ・サイフリッド(Mank/マンク
主演男優賞:ソン・ガンホ(パラサイト 半地下の家族)、チャドウィック・ボーズマン(マ・レイニーのブラックボトム
助演男優賞:ジェームズ・コーデン(ザ・プロム
オリジナル脚本賞:ポン・ジュノ、ハン・チンウォン(パラサイト 半地下の家族
脚色賞:グレタ・ガーウィグ(ストーリー・オブ・マイ・ライフ /わたしの若草物語
撮影賞:ロジャー・ディーキンス(1917 命をかけた伝令
編集賞:ジェニファー・レイム(TENET テネット
美術賞:ヘンリック・スヴェンソン(ミッドサマー)、イ・ハジュン(パラサイト 半地下の家族
衣装デザイン賞:ジャクリーン・デュランストーリー・オブ・マイ・ライフ /わたしの若草物語
作曲賞:トレント・レズナー、アッティカス・ロス(Mank/マンク
歌曲賞:Wear Your Crown(ザ・プロム
視覚効果賞:1917 命をかけた伝令
音響賞・音響編集賞:フォード vs フェラーリ

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祝!Netflixから配信〜フランソワ・トリュフォー「恋のエチュード」

2020年11月16日からNetflixでフランスのフランソワ・トリュフォー監督『恋のエチュード』(1971)と『柔らかい肌」(1964)の配信が開始された。Netflixはアメリカの会社であり、ヨーロッパ映画に弱い。今までトリュフォーの映画は1本もなかったし、イタリアのヴィスコンティやフェリーニ、ロッセリーニも皆無。これは一体、どういう風の吹き回し?なお『恋のエチュード』『柔らかい肌』はAmazonプライムとかU-NEXTとかからは配信されておらず、Netflix単独である。

トリュフォーといえばジャン=リュック・ゴダールと並び称されるヌーヴェルヴァーグの旗手である。ヌーヴェルヴァーグは1950年代末に始まったフランスにおける映画運動で、「新しい波」(New Wave)を意味する。血気盛んな若者たちは既成の映画製作システムをぶち壊し、手持ちカメラを担いで外に飛び出し、スタジオではなくパリの街中でゲリラ撮影を敢行した。ロベルト・ロッセリーニ監督『無防備都市』(1945)やヴィットリオ・デ・シーカ監督『自転車泥棒』(1948)に代表されるイタリアのネオレアリズモ→フランス・ヌーヴェルヴァーグ→アメリカン・ニューシネマという風に、その運動は飛び火した。ネオリアリズモの背景には第二次世界大戦の敗戦とイタリア共産党の台頭があり、ヌーヴェルヴァーグにはアルジェリア戦争(1954-62)、ニューシネマにはベトナム戦争(1955-75)や映画業界の斜陽化が暗い影を落とし、学生運動やヒッピー文化(カウンターカルチャー)と連動していた。アメリカン・ニューシネマの先駆的作品『俺たちに明日はない』(1967)は当初、トリュフォーに企画が持ち込まれたが断られ、次にプロデューサーはゴダールに接触したが結局合意には至らなかったという経緯がある。

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『恋のエチュード』という映画があると僕が知ったのは20歳を過ぎた頃だったように思う。大林宣彦監督が何かの雑誌で本作への想いを熱く語っておられて、丁度『日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』が尾道映画祭で上映された1987年前後だったと記憶している。他に大林監督が推薦していたのはゴダールの『軽蔑』、ロジェ・ヴァディム『戦士の休息』、アニエス・ヴァルダ『幸福』等だった(ある方が大林監督の選んだオールタイム・ベストをまとめたブログはこちら)。そして漸く発売されたレーザー・ディスク(LD)で観ることが叶った。その後、トリュフォーの映画は殆ど観たが、一番好きなのはやはり『恋のエチュード』だ。なお、大林監督の遺作『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』には鳥鳳助 (とりほうすけ)という人物が登場するが、言うまでもなくトリュフォーのもじりである。

『恋のエチュード』の原題を直訳すると『二人の英国女性と大陸』。原作者のアンリ=ピエール・ロシェはやはりトリュフォーが映画化した『突然炎のごとく』の著者でもある。『突然炎のごとく』は一人の女を愛する二人の男の話で、『恋のエチュード』は二人の姉妹を愛する一人の男の話。両者は表裏一体の関係にある。『恋のエチュード』でジャン・ピエール・レオ演じる主人公クロードは最後に自分の体験を元に『ジェロームとジュリアン』という小説を出版する。これは『突然炎のごとく』の原題『ジュールとジム Jules et Jim』に呼応している。

撮影監督はスペイン・バルセロナ出身のネストール・アルメンドロス。テレンス・マリック監督『天国の日々』でアカデミー撮影賞を受賞した。マジック・アワーにおける撮影があまりにも有名。『恋のエチュード』では緑色の部屋が印象的で、スイスの湖にある小さな島に於ける水上移動撮影も美しい。またこの場面でクラヴサン(チェンバロ)が主旋律を奏でるジョルジュ・ドルリューの音楽"Une Petite Île"(小島)がとっても素敵で、トリュフォーは『アメリカの夜』(1973)でも再使用している(ロウソクで照らされた仮面舞踏会の場面)。ウェス・アンダーソン監督もこの曲がお気に入りらしく『ファンタスティック Mr.FOX』で使っている。

『恋のエチュード』オリジナル版は132分だが映画が不評だったため劇場側の要請で20分ほどカットした118分のパリ公開版や、さらにカットした106分公開版がある。日本での初公開はアメリカ版だったが、僕が最初に観たLD版では既に132分に復元されており、Netflixから配信されているのも完全版である。特に初夜でが流れるシーンに抗議が殺到したため、パリ公開版ではそのシーンがカットされているが、鮮烈な印象があり僕は好きだ。

僕が最も愛する場面はエピローグである。年老いたジャン・ピエール・レオがひとりぼっちでロダン美術館を彷徨する情景には観る度に胸をえぐられる。

ここに僕は『日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』ラストシーンの大林宣彦監督によるナレーションをどうしても重ねてしまう。

 ひとは、今日もまた
 恋にはぐれて
 くるほしく ー

 胸、張り裂けながら
 ただ、耐えて耐えて
 生くるのみか ー

 夕子、ー
 君を忘れない

『恋のエチュード』はフランソワ・トリュフォー自らがナレーションしている点でも特筆すべき作品である。僕が知る限りこれが唯一無二だろう。『突然炎のごとく』(1961)はミシェル・シュボール、『二十歳の恋/アントワーヌとコレット』(1962)はアンリ・セール、『恋愛日記』(1977)はブリジット・フォセーがナレーターを務めている。そもそも大林監督は自作における尾美としのりの役回りを、トリュフォー映画『アントワーヌ・ドワネル』シリーズ(『大人は判ってくれない』など)におけるジャン・ピエール・レオに重ねていた節がある。

フランソワは1932年に私生児としてパリに生まれた。翌年に母は建築技師であったロラン・トリュフォーと結婚、父親不明の幼児はこの男に認知され、トリュフォー姓を名乗る。しかし望まれない子供であったフランソワは里子に出された後、一旦祖母に引き取られるが、祖母の死後は再び両親と暮らし始める(この時8歳)。しかし両親からの十分な愛情を受けられず、家出や非行を繰り返しながら不幸な少年時代を過ごした。そんなトリュフォー少年にとって唯一の逃げ場所が映画館であった。1946年(14歳)には早くも学業を放棄、16歳になったトリュフォーは自らシネマクラブを作る。フィルムのレンタル料でかさんだ借金や彼の非行に業を煮やした父親は息子を48年にパリ郊外にある感化院(少年鑑別所)に入れるが、一度も面会に来ない両親の代わりに映画評論家アンドレ・バザン(当時30歳)が身元保証人を引き受け、少年は出所することが出来た。この辺の体験が処女長編『大人は判ってくれない』に投影されている。なお、実の父親は68年に私立探偵の調査により特定された。

ゴダールとトリュフォーはバザンが初代編集長を務めた映画評論紙『カイエ・デュ・シネマ』に執筆する批評家としてキャリアをスタートさせた。トリュフォーの方が1歳若く、彼らは〈若き急進派〉と称された。映画評論家から監督に進出した例として、他にアメリカのピーター・ボグダノヴィッチや原田眞人(『わが母の記』『駆込み女と駆出し男』)がいる。

ふたりは仲が良かった。例えばゴダールの長編映画デビュー作『勝手にしやがれ』(1960)の原案はトリュフォーが担当しており、ゴダールの『女は女である』(1961)の中でトリュフォーの『ピアニストを撃て』に言及される。またゴダール『男と女のいる舗道』(1962)では『突然炎のごとく』が上映されている映画館が映し出される。

1968年にトリュフォーはゴダールと共にカンヌ国際映画祭粉砕を主張して大暴れした。しかしこの五月革命(五月危機)を契機にふたりは袂を分かつことになる。ゴダールは政治に生き、トリュフォーは映画への愛に回帰した。そんなトリュフォーをゴダールは「ブルジョア的で堕落している」と激しく非難した。トリュフォーが脳腫瘍で1984年に52歳で亡くなったときもゴダールは葬儀に参列せず、沈黙を守った。

これらの詳しい顛末をお知りになりたい方はドキュメンタリー映画『ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー』をご覧になることをお勧めする。

なお、トリュフォーはスティーヴン・スピルバーグ監督『未知との遭遇』にフランス人UFO学者クロード・ラコーム役で出演している。スピルバーグは『アメリカの夜』に映画監督役で出ていたトリュフォーの演技を見て、彼の起用を決めたという。

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燃ゆる女の肖像

評価:A+

Portrait

カンヌ国際映画祭で脚本賞とクィア・パルム賞を受賞した。公式サイトはこちら

クィア・パルムとは2010年に創設された賞でLGBTQをテーマにした映画に与えられる。今までにグザヴィエ・ドランの『わたしはロランス』や、トッド・ヘインズの『キャロル』などが受賞しているが、女性監督が受賞するのは本作が初めて。クィア(Queer)とは、元々は「風変わりな」「奇妙な」などを表す言葉であり、同性愛者への侮蔑語であったが、1990年代以降は性的少数者全体を包括する肯定的な意味で使われている。黒人が「ニガー(nigger)」といった差別的な用語であえて自称して、意味の転換を図って行く感じに似ている。

監督のセリーヌ・シアマは同性愛者であり、『燃ゆる女の肖像』でエロイーズを演じたアデル・エネルと暮らしていたが、映画撮影前に同棲を解消したそう。

僕は以前より、『モーリス』『ブエノスアイレス』『ウェディング・バンケット』『キャロル』『恋人たち』『ムーンライト』など名作と誉れ高いLGBTQ映画は大抵、分け隔てなく観ている。しかし正直、面白いと思ったことは殆どない。それは僕が異性愛者だからだろう。例えば『君の名前で僕を呼んで』にしろ、アカデミー監督賞を受賞したアン・リーの『ブロークバック・マウンテン』にしろ、男女の恋愛を単に男と男に置き換えただけで、「凡庸な恋愛映画じゃないか」と鼻白み、退屈してしまうのだ。しかし『燃ゆる女の肖像』はそうじゃなかった。

冒頭5分位観ていて、カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いたジェーン・カンピオンの『ピアノ・レッスン』にすごく似ているなと感じた。小舟で女が島に到着する設定、そして荒々しい波の描写が女の心のあり方を反映している点。調べてみると案の定、『ピアノ・レッスン』との類似を指摘する声が少なからずあった。男と女の性愛が、女と女に置き換えられている。

『ピアノ・レッスン』との明確な相違は、本作が〈眼差しの映画〉であること。つまり誰が誰を見ているかというのが極めて重要なのだ。

AがBを見ている。BもAを見つめる。二人は相思相愛なのかも知れないし、互いに憎しみ合っているのかも知れない(それは表情で分かる)。両者は簡単に変換可能である。

一方、AがBを見ている。しかしBはAを見ていない。この場合、AはBのことが好き。しかしBはAに無関心なのかも知れない。また逆に、BもAのことが気にかかっているのだけれど恥ずかしかったり、恋に落ちるのが怖くて意識的に目を逸らしているのかも知れない。

劇中で語られるギリシャ神話『オルフェウスとエウリュディケ』が〈眼差しの物語〉を象徴している。オルフェウスは黄泉の国に死んだ妻を取り返しに行った帰り道、「見るな」の禁を破り、振り向いて後ろからついてくる彼女を見た。彼は単なる愚か者なのか?それともそこには何か深い思慮があったのか?

このように各人の視線を追うことで、そこにダイナミックなドラマが生まれるのだ。

これを意識的に演出したのが大林宣彦監督の『廃市』と『姉妹坂』だった。各登場人物の交差する視線の先には台詞で語られる、シナリオに書かれた物語とは全く別の〈心のあや〉が紡がれていたのである。

『燃ゆる女の肖像』ではヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲『四季』の『夏』から第3楽章が劇的効果を生んでいる。正に激情。調べてみると演奏しているのは英国屈指のバロック・ヴァイオリニスト、エイドリアン・チャンドラーと、彼によって1994年に創設されたピリオド・アンサンブル、ラ・セレニッシマ。

僕の人生において最初、激烈な『四季』に脳天をぶち抜かれたのがアーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの演奏(1977)だった。その次はビオンディ(Vn.)/エウローパ・ガランデ(1991)。そして今回、第3波の衝撃(サードインパクト)に襲われた。う〜ん、最高!!

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高校演劇から映画へ!〜「アルプススタンドのはしの方」

映画「アルプススタンドのはしの方」の原作は2017年に全国高等学校総合文化祭(総文祭)演劇部門で、最優秀に当たる文部科学大臣賞を受賞した兵庫県立東播磨高等学校演劇部の作品。そこの顧問教諭を務めた籔博晶(現在31歳)が執筆した戯曲である。

2018年に総文祭で文部科学大臣賞を受賞した香川県立丸亀高等学校演劇部の舞台「フートボールの時間」も映画化される予定。丸亀高は女子サッカー発祥の地と言われている。監督は坂本春菜。四国新聞の記事はこちら

いま高校演劇の総文祭が熱いということを知ったのは、本広克行監督、ももいろクローバーZ主演の映画『幕が上がる』だった。先生役が黒木華で、彼女も大阪の追手門学院高等学校で「演劇部のエース」として1年時から3年間主役を務めていたという。

なお、2016年の総文祭では静岡県立伊東高等学校演劇部による『幕が上がらない』という作品が優秀賞に選ばれている。

評価:A+

Stand

映画公式サイトはこちら

原作戯曲では甲子園球場(西宮市)が舞台となるが、映画は神奈川県の平塚球場でロケされている。Wikipediaの情報で知ったのだが、3ヶ月以上粘り強く甲子園球場と交渉したが、撮影許可が降りなかったそうだ。甲子園球場関係者はアホだ。何をお高く留まっているのか。

また原作は正規部員4人のために書かれているが、映画では英語教師(リメイク公演から登場)とか、吹奏楽部部長の女の子とかが台詞のある役として加わり、両者ともいい味出している。(ちょっと鬱陶しい)熱血教師が呟く、"Don't let it bring you down"(へこたれちゃダメだ)が本作のテーマに直結している。

中屋敷法仁(なかやしきのりひと)が高校3年生の時に『贋作マクベス』 を書き、全国高等学校演劇大会・最優秀創作脚本賞受賞を受賞したエピソードなども劇中で語られて胸熱である。

映画は舞台版同様、グラウンドで展開される野球の試合を全く見せない。総てのドラマは観客席のリアクションで描かれる。このストイックな演出を踏襲したのは大正解だ。

本作には「ベンチにいない人間が、スタンドで応援することに何らかの意味はあるのか?」という大きな問いがあり、最終的に明確な答えが用意されている。そして登場人物たちの「頑張れ〜!」という応援は結局、彼ら自身に対するエールになっているという構造が実に見事だ。

頑張ったからといって、その努力が報われるとは限らない。しかし、その過程にこそ価値がある。「しょうがない」と諦めるな。「いま」を生きよう。

 いのち短し 恋せよ乙女
 あかき唇 あせぬ間に
 熱き血潮の 冷えぬ間に
 明日の月日は ないものを
 
 (『ゴンドラの唄』)

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作品背景を知り、Netflix映画「Mank/マンク」を味わい尽くせ!

映画監督や評論家が選ぶオールタイム・ベスト投票で常に1位に君臨するオーソン・ウェルズ監督・主演『市民ケーン』(1941)の脚本を書いた、ハーマン・J・マンキーウィッツが主人公の映画『Mank/マンク』が2020年12月4日(金)より、Netflixから配信された。

アカデミー賞では作品賞・監督賞(デヴィッド・フィンチャー)・主演男優賞(ゲイリー・オールドマン)・助演女優賞(アマンダ・サイフリッド)・オリジナル脚本賞(ジャック・フィンチャー)・撮影賞・美術賞・衣装デザイン賞・作曲賞など大量ノミネートされるだろう。

今年度のアカデミー賞は各映画会社の中でNetflix作品のノミネートが最多となるであろうと噂されている。他に有力なのが『シカゴ7裁判』『マ・レイニーのブラックボトム』『ザ・ファイブ・ブラッズ』など。

デヴィッド・フィンチャーの父ジャックが本作のシナリオを書いたのは20年以上前であり、彼は既に2003年に他界している。

評価:A

Manknetflix

本作がアカデミー賞で監督賞を受賞する可能性はあるかも知れないが、作品賞は恐らくないだろう。『ノマドランド』が最有力候補であることは動かない。『Mank/マンク』は一般観客にとって敷居が高いと思う。そもそも『市民ケーン』を観ていない人にとってはちんぷんかんぷん、全く面白くないだろう。最低限〈バラのつぼみ〉の意味は知っていないと。映画史に関する教養が必須であり、要するに通好み。

映画序盤、マンク(マンキーウィッツの愛称)に「大金が稼げるぞ」という電報をもらった雑誌ライターのチャールズ・レデラーが1930年にパラマウント・スタジオを訪れる場面がある。そこでマンクの仲間を紹介されるのだが、その中にベン・ヘクトがいる。彼はウィリアム・ワイラー監督『嵐が丘』やアルフレッド・ヒッチコック監督『白い恐怖』『汚名』などのシナリオライターとして知られ、クレジットされていないが『風と共に去りぬ』にも関わっている。ニューヨークで劇作家として活躍していたヘクトがハリウッドに行くきっかけを作ったのも1926年に友人のハーマン・J・マンキーウィッツから受け取った電報だった。 彼の戯曲『フロント・ページ』は1940年にハワード・ホークス監督のスクリューボール・コメディ『ヒズ・ガール・フライデー』として生まれ変わるのだが、その脚色をしたのがチャールズ・レデラーである。そしてレデラーは新聞王ハーストの愛人マリオン・デイビスの本当の甥であり、両親の離婚後は代理母だったデイビス(10歳年長)に育てられた。

また同じ部屋にいるチャールズ・マッカーサーは古くからのベン・ヘクトの親友で『フロント・ページ』『特急二十世紀』の共同執筆者。映画『嵐が丘』のシナリオも共作している。

そして彼らがたまり場から向かう先が大プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックのオフィス。セルズニックは31年にパラマウントからRKOに移り1933年版『キング・コング』を製作。35年に独立してセルズニック・インターナショナル・ピクチャーズを設立、『風と共に去りぬ』『レベッカ』『ジェニイの肖像』などを世に送り出した。なお、『風と共に去りぬ』 でセルズニックはルイス・B・メイヤーのMGMと組んだおかげでレット・バトラー役にクラーク・ゲーブルを起用することが叶った。

またマンクの弟ジョーゼフ・L・マンキーウィッツは1949年『三人の妻への手紙』と50年『イヴの総て』でアカデミー監督賞と脚色賞を2回ずつ受賞。『イヴの総て』は作品賞も受賞し、後にポール・バーホーベン監督『ショーガール』(1995)の元ネタになった。1930年にジョーゼフは脚本家としてパラマウントにいたが、後にMGMに移籍、ルイス・B・メイヤーから「監督になりたいのならまずプロデューサーとして映画製作の経験を積むべきだ」と諭された。これが丁度、兄が『市民ケーン』を執筆した頃。しかし1943年ミュージカル映画『踊る海賊』を企画した際に主演のジュディ・ガーランドと恋に落ち、当時すでに両方とも既婚者だったためにメイヤーの反感を買ってしまい、MGMに居られなくなったマンキーウィッツ(弟)は20世紀フォックスに移籍した。そして46年に漸く念願だった映画監督としてのデビューを果たすことになる。

劇中に登場する、早逝した天才プロデューサー、アーヴィング・タルバーグの業績を記念したアーヴィング・G・タルバーグ賞がアカデミー賞授賞式において授与されることも覚えておきたい。1991年には、それまでアカデミー賞とは縁遠かったジョージ・ルーカスが受賞している。

さらにレネー・ゼルウィガーがジュディ・ガーランドを演じ、アカデミー主演女優賞を受賞した映画『ジュディ 虹の彼方に』にもルイス・B・メイヤーが登場するので、こちらも押さえておくと多角的に『Mank/マンク』を味わえるだろう。

オーソン・ウェルズは新聞王ハーストの怒りを買ったため処女作『市民ケーン』は呪われた映画となった。この後に彼はハリウッドでの映画製作が難しくなり、世界中を放浪することになる。つまりノマド(遊牧民)として後半生を過ごした。第2作『偉大なるアンバーソン家の人々』(1942)のオリジナル版は131分だったが最終的な編集の権利を映画会社のRKOに任せていたためズタズタにカットされ、ラストシーンは助監督が新たに撮り直し88分まで縮められた。カットされた映像は後に廃棄され、復元は不可能となってしまった。また『Mank/マンク』で言及されるコンラッドの小説『闇の奥』は結局、予算がかかりすぎるということで製作中止となり(後にフランシス・コッポラが『地獄の黙示録』として完成させた)、ウェルズが長年温めていたセルバンテスの『ドン・キホーテ』映画化企画も実現することはなかった。

『Mank/マンク』にはMGMスタジオがカリフォルニア州知事選挙でフェイク・ニュースを作り市民を騙したエピソードが登場するが、実はオーソン・ウェルズもマーキュリー劇団を主宰していた時代にラジオからフェイク・ニュースを流して視聴者にパニックを巻き起こした。有名な1938年の『火星人襲来』事件である。H.G.ウェルズのSF小説『宇宙戦争』を臨時ニュースとして始め、ドキュメンタリー形式のラジオ・ドラマを本物のニュースと間違うように仕掛けたのだ。その時、彼は23歳だった。

Mank

『Mank/マンク』の音楽はトレント・レズナー、アッティカス・ロストレント・レズナーはインダストリアル・ロックバンド「ナイン・インチ・ネイルズ」のメンバーで、ノイズ・電子音楽に特徴がある。フィンチャーの『ソーシャル・ネットワーク』でアカデミー作曲賞を受賞。今回は彼らのスタイルをガラリと変えて、『市民ケーン』の音楽を担当したバーナード・ハーマン(『めまい』『サイコ』『悪魔のシスター』『タクシー・ドライバー』)がもし現代に生きていたら、こんな曲を書くのではないかといった仕上がりになっている。しかし決して模倣ではなく、ジャズあり、ノイズ・ミュージックありとバラエティに富む。

また新聞王ハーストの愛人マリオン・デイビスを演じたアマンダ・サイフリッドが圧倒的に素晴らしい!ミュージカル映画『マンマ・ミーア!』(2008)で観たときは「歌の上手い可愛い女の子」程度の認識だったが、一皮むけた。なんかね、嫌いになれない。人間的優しさが全身から滲み出しているんだ。

 

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Netflixから配信されたミュージカル映画「ザ・プロム」にぶっ飛んだ!!

2020年12月11日(金)Netflixより映画『ザ・プロム』の配信が開始され、その質の高さと出演者の豪華さに心底驚かされた。ミュージカル映画としては『ラ・ラ・ランド』(2016年)以来、実に4年ぶりの大・大・大傑作!!なんてハッピーな気持ちになれる作品だろう。

評価:A+ 

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公式サイトはこちら。予告編はこちら

まず音楽が圧倒的に素晴らしい。オリジナルなら桁外れの完成度だと思い、調べてみると元々は舞台ミュージカルだったことが判明した。

2018年にブロードウェイで初演され、トニー賞でミュージカル作品賞・演出賞・主演男優賞・主演女優賞(ダブル)・台本賞・楽曲賞と7つノミネートされた(受賞なし)。2021年には地球ゴージャスにより日本初演が予定されている。出演は葵わかな、三吉彩花、岸谷五朗ほか。

「インディアナ州の田舎町で同性の恋人とプロムに行きたい女子高生を応援するために、落ち目のブロードウェイ・スターたちが町に乗り込んでくる」という物語。

本作で描かれるのは〈分断されたアメリカ合衆国〉である。

南北戦争(1861-65)で南北分断の争点となったのは黒人奴隷を開放するか否かだった。そして21世紀の分断で大きな比重を占めるのが同性愛者、LGBTQ(最近ではLGBTQ+に増えたようだ)の人権を認めるか否かということにある。インディアナ州とブロードウェイのあるニューヨーク州との対立はイコール、共和党支持者(保守)と民主党支持者(リベラル)の対立でもある。

ここで〈赤い州青い州〉という概念をWikipediaでご覧頂きたい→こちら民主党支持の青い州は東海岸のニューヨークと西海岸のロサンゼルスを中心とする沿岸部の大都市に多く、共和党支持の赤い州は内陸部の田舎に集中している。今年の大統領選でもニューヨーク州はバイデンが勝ち、インディアナ州はトランプが勝利した。つまり次のような二項対立に整理できる。

◯インディアナ州(田舎/内陸部)⇔ニューヨーク州(都会/沿岸部)
◯労働者階級(poor white/white trash)が多い⇔金持ち・知識階級が多い
共和党支持(保守)⇔民主党支持(リベラル)
◯アメリカ第一主義(ナショナリズム)⇔グローバリズムを信奉する
◯キリスト教原理主義者が多い⇔日曜日に教会に行く人が少ない
◯同性愛者、LGBTQのに対して不寛容⇔寛容
◯人工妊娠中絶を認めない⇔認める
◯銃規制に反対⇔賛成
◯地球温暖化対策に消極的⇔積極的(エコが好き♡)
◯新型コロナウィルス対策としてマスクをしない⇔マスクをする

熱心なキリスト教信者が多いと、なぜLGBTQに対して不寛容になるのか?これは中々日本人に理解し辛いところだろう。

キリスト教の本質は禁欲、自己犠牲の精神である。つまり本能的快楽、欲望を否定する。夫婦になって性交するのはあくまで、子供を作る=新たなクリスチャンを増やすことが目的であり、性交中に快楽を感じてはいけないのだ。だから自慰・マスターベーションは罪とされ禁忌である。快楽だけで生産性がないから。同様に同性愛者間に子供は生まれないから生産性がないので容認できないという理屈になる。

イギリスでは19世紀ヴィクトリア朝時代に自慰によってオルガスムが得られることを覚えた女子は医学的に問題のある子(病気)と見做され、陰核(クリトリス)を切り取られたり、焼灼されたりといった「治療」が施された。そして1976年にカトリック教会は自慰行為を「重大な道徳的退廃」とした。

イングランドとウェールズで21歳以上の男性同士の同性愛行為が合法化されたのは漸く1967年のことである。それまでは逮捕され刑務所に収監されるか、同性愛を「治療」するための化学療法を受けるかの選択を強いられた。さらにスコットランドでは1980年、北アイルランドでは1982年になるまで、同性愛は違法だった。

『ザ・プロム』を通して現代アメリカ合衆国の実情が見えてくる。SNSの活用も新しい。

主人公エマを演じたジョー・エレン・ペルマンは調べたところ、これが映画初出演のようだ。ディズニー・プリンセスを演じてもおかしくないくらいの歌声の美しさ、そして透明感。凄い新人が現れた。

Prom2

エマの恋人アリッサは当初アリアナ・グランデが演じると報道されたが、スケジュールの都合で降板、代わってアリアナ・デボーズが起用された。デボーズはミュージカル映画『ハミルトン』(2020年7月3日からディズニー・マイナスで配信されているが12月17日現在、未だに日本語字幕が付かず)にアンサンブルとして出演、そしてスティーヴィン・スピルバーグ監督による『ウエスト・サイド・ストーリー』リメイク版ではなんとアニタ役を射止めた!!"America"を彼女が歌い踊るんだ。

Westsidestory

余談だがスピルバーグ版『ウエスト・サイド・ストーリー』 は2020年12月に公開予定だったが、新型コロナ・ウィルス禍のせいで丸々1年延期になった。 

『ザ・プロム』の監督、ライアン・マーフィって知らないなと思って調べたところテレビドラマ『glee グリー』の企画・製作総指揮・原案・脚本・監督を担当した人らしい。私生活では同性愛者であることをカミングアウトしている。彼自身、プロムにボーイフレンドを連れて行くのを許されなかったという経験を持つ。

ミュージカル『ブック・オブ・モルモン』でトニー賞の最優秀演出賞と振付賞を受賞、『ザ・プロム』でも最優秀演出賞にノミネートされたケイシー・ニコロウによる振付が圧巻。キレッキレのダンスに高揚感マックス!!

現在71歳、最年長キャストのメリル・ストリープがなんと最多のダンスシーンをこなしている。メリルが実に楽しそうに演じていて、彼女を見ているだけで笑顔になれる。もう既にアカデミー賞を3度受賞しており、今後はやりたいことをやるんだ、という意志が伝わってくる。なんて自由なんだ!

またニコール・キッドマンのソロ・ナンバー“ザズ(Zazz)”は明らかにミュージカル『シカゴ』"All That Jazz"のパロディ。曲名からして韻を踏んでいるし。ボブ・フォッシーの振付をベースにしているので、元ネタを知っていると爆笑間違いなし。黒ずくめの衣装もフォッシー流。ウテ・レンパーのパフォーマンスでご覧あれ→こちら。なおニコールの役どころはブロードウェイで上演中の『シカゴ』のコーラスで、主役ロキシー・ハートのアンダースタディ。つまり元々の役者に何らかの緊急事態が起こって演じられなくなったときに備えて、その役を稽古して公演期間中待機している俳優のこと。

そしてミュージカル映画『キャッツ』のバストファー・ジョーンズ役でゴールデン・ラズベリー(ラジー)賞の“最低助演男優賞”という不名誉な栄冠に輝いたジェームズ・コーデンが本作で起死回生の大逆転ホームラン!いい味出している。素敵な役に巡り会えて本当に良かった。これで名誉挽回。涙が出た。

Corden

ブロードウェイ上演版の楽曲に2曲、新曲が加わった。エンドクレジットで流れる"Wear Your Crown"とジェームズ・コーデンのソロ"Simply Love"である。"Wear Your Crown"はメリル・ストリープ、ジョー・エレン・ペルマン、アリアナ・デボーズらが歌う。試聴はこちら。通常プロムの最後には生徒の投票でプロムキングとプロムクイーンを決める。 アメフト部の男子とチアリーダー女子が選ばれることが多いそう。つまりcrownはクイーンが頭に乗せる王冠(クラウンティアラ)のことを指している。そしてなんとこの曲でメリルはラップに挑戦している!!ノリノリだ。

Gotta wear your crown

Shout it loud
And let the world know
How your DNA
Is perfectly made

王冠をかぶれ

大声で叫べ
そして世界に知らしめるんだ
如何にあなたの遺伝子が
完璧に出来ているかを

ここで何故DNAの話が出てくるのかというと、LGBTQの人々は今まで「普通ではない」「病気だ」と見なされ、カウンセリングや「治療」が必要と判断されてきた歴史があるから。

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