Cinema Paradiso

2021年9月13日 (月)

米アカデミー賞で国際長編映画賞受賞。監督賞にもノミネートされた「アナザーラウンド」

評価:B+

Druk2

米アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞。監督賞にもノミネートされたデンマーク映画である。

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4人の冴えない高校教師が「血中アルコール濃度を0.05%に保つと仕事もプライベートもうまくいく」というノルウェーの哲学者が唱えた説を実証実験するという物語。

この実験のルールがぶっ飛んでいて、飲酒は勤務中のみ。小説を執筆中に飲んでいたヘミングウェイと同じく夜8時以降と週末は飲酒禁止なんだそう。普通逆だろう!?

"Another Round”は英題で、バーなどで酒を「(俺と仲間たちに)もう一杯ずつ!」と注文するときに使う。原題の"Druk"はデンマーク語で「大量飲酒」という意味だそう。これは英題の方が相応しいのでは?

Druk

「酒は百薬の長」と言われ、適度な飲酒は人生を豊かにする。明日の自分がどうなるかなんて分らない。いまを楽しめ、いまを生きよう(Carpe diem:カルペ・ディエム、その日の花を摘め)。

いまを生きる 2014.10.01

しかし、過ぎたるは猶及ばざるが如し。飲み過ぎると身を滅ぼしかねがいぞ、というのが本作の趣旨と受け止めた。

映画の最後、ほろ酔い気分の主人公が踊り狂い全身で歓びを表現する場面は、決して上手なダンスではないけれど生命力に満ち、キラキラ眩しくてジーンときた。いろんなことがあるけれど、やっぱり生きているって素晴らしい。そんなことを再認識した。

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2021年8月16日 (月)

ミュージカル映画「イン・ザ・ハイツ」

ミュージカル『イン・ザ・ハイツ』は作詞・作曲家、兼役者でもあるリン=マニュエル・ミランダが2007年にニューヨークの大学の校内で初演し、その後オフ・ブロードウェイを経て2008年3月にブロードウェイに進出。トニー賞で13部門ノミネートされ(ウスナビを演じたミランダもミュージカル主演男優賞候補となった)、作品・楽曲・編曲・振付の4部門で受賞した。またオリジナル・キャストによるアルバムはグラミー賞にも輝いた。

評価:A+

Hghts

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本作はマンハッタン島北部のワシントンハイツを舞台にしている。ここはドミニカ共和国、キューバ、プエルトリコ、メキシコ等からの移民が集まり、スペイン語が飛び交うラテン系アメリカ人(ラティーノ)社会を形成している。ワシントンハイツはアフリカ系アメリカ人が多いハーレムよりも更に北に位置する。一方、マンハッタン島を南に下るとセントラル・パークやブロードウェイ、タイムズスクエアがあり、さらに最南端からは自由の女神像があるリバティ島を臨むことが出来る。つまりマンハッタン島のアップタウン(北部)には有色人種の貧困層が住み、ダウンタウンには白人の富裕層が住んでいるという図式(水平方向の格差)があることを認識しておくと本作を理解する助けになるだろう。これはアカデミー作品賞・監督賞を受賞したポン・ジュノ監督『パラサイト』で、貧困層が半地下に住み、富裕層が高台の高級住宅街に住んでいる構造(垂直方向の格差)に似ている。

兎に角、作詞・作曲を担当したリン=マニュエル・ミランダの稀有な才能に舌を巻くしかない。『ハミルトン』はトニー賞で11部門を受賞し、ピューリッツァー賞まで攫った。またディズニー・アニメ『モアナと伝説の海』主題歌はアカデミー歌曲賞候補となった。ミュージカルというジャンルに於いてミランダは50年に1人の天才と断言しても過言ではない。これには具体的な根拠があって、今からちょうど50年前にアンドリュー・ロイド・ウェバーの『ジーザス・クライスト・スーパースター』がブロードウェイで初演されたのだ。彼がその前作『ヨセフ・アンド・ザ・アメージング・ドリームコート』を作曲したのは20歳の時だった。その後も『エビータ』『キャッツ』『オペラ座の怪人』といった傑作群を世に送り出し、“現代のモーツァルト”と称賛された。当時彼の何が凄かったか(過去形)というと、クラシック音楽やジャズ、ロック、タンゴ、ポップスといった要素を見事に融合させたことにある。そしてロイド・ウェバーからさらに50年遡ると、ジョージ・ガーシュウィンがいた。

『イン・ザ・ハイツ』はサルサ(キューバ)、メレンゲ(カリブ海周辺諸国)、バチャータ(ドミニカ共和国)、レゲトン(プエルトリコ)などのラテン音楽に、R&B(リズム・アンド・ブルース)やヒップホップ(ラップ)が加味されている。ウスナビを中心とするラップバトルもある(動画はこちら)。

ウスナビを演じるアンソニー・ラモスは『ハミルトン』でジョン・ローレンスとフィリップ・ハミルトン(主人公の息子)の二役を演じた。リン=マニュエル・ミランダは映画版『イン・ザ・ハイツ』でピラグア(プエルトリコのかき氷)売り役として登場。ライバルのソフトクリーム屋(Mister Softee)役のクリストファー・ジャクソンはオリジナルの舞台でベニー(ニーナの恋人)を演じた。『ハミルトン』ではジョージ・ワシントン役。そして電話の保留中の音楽として『ハミルトン』の楽曲が流れてニヤリとさせられる。

往年のミュージカル映画へのオマージュに胸が熱くなった。プールの場面の俯瞰ショットはエスター・ウィリアムズ主演「百万弗の人魚」であり、重力を無視したアパートの壁でのデュエット・ダンスはフレッド・アステア主演「恋愛準決勝戦」だ(スタンリー・ドーネン監督は後に、同様の場面を再現するためにライオネル・リッチーが歌う『ダンシング・オン・ザ・シーリング』MVの演出を任された)。あとストリートで群衆が踊り狂う場面はアラン・パーカー監督『フェーム』を彷彿とさせた。

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2021年8月11日 (水)

プロミシング・ヤング・ウーマン

評価:A

Promising

タイトルを日本語に直訳すると『前途有望な若い女性』ということになる。アカデミー賞でオリジナル脚本賞を受賞。他に作品賞・監督賞・主演女優賞(キャリー・マリガン)・編集賞にノミネートされた。映画公式サイトはこちら

主人公は29歳の独身女性だが、キャリー・マリガンは撮影当時35歳前後で一児の母。設定に一寸無理を感じた。それで思い出したのだが、彼女が『17歳の肖像』で16歳の女子高生を演じた時、実際は22歳だった。やはり違和感があった。キャリーの〈サバ読み常習問題〉はどうも気になるところ。好きな女優さんなんだけれどね。彼女が特に絶品だったのは『わたしを離さないで』『ドライヴ』『華麗なるギャツビー』。幸薄い佇まいが似合うひとなんだ。

本作は主人公を取り巻く色彩が赤やピンクで、彼女に近づく男たちが青やエメラルドグリーンをの服をまとっているという具合に、非常にポップな画作りがされている。

ヒッチコック映画におけるバーナード・ハーマン風の音楽が印象的で、特にヒロインが怒りを爆発させる場面でワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』が高らかに鳴り響くという意外性に満ちた選曲には唸った(ヒッチコック『めまい』愛のテーマは『トリスタン』がベースになっている)。

正に #MeToo 運動の申し子といった内容で、最後はシスターフッドの映画でもあったと分かる構成は、見事に時流に乗った作品だなと思った。

女性をその才能とか内面ではなく、あくまで性的欲望を満足させるための対象(つまりラブドール)としてしか見ていない男たちばかり登場し、同性として居心地が悪くなった。

僕の学生時代を振り返ってみれば男子学生が集まると同じクラス女子の品評会になり、「あの子は可愛い」だの「あの子はブス」だの人格を無視したふるい分けが日常的に行われていた。若さ故のおぞましさ。そこには「女は外見にしか価値がなく、男は中身が肝心」という古い偏見がはびこってっている。そういった男からの視線、外圧を女性も意識せざるを得ず、だから40歳を過ぎて「おばさん」と呼ばれる事に抵抗がある人が多いのだろう。女性たちも「永遠に若く美しくなければならない」という呪いに取り憑かれているのではないだろうか?

たとえ主人公の復讐劇が完遂されたとしても世の男性たちの考え方が改まるとは到底考えられず、そこには絶望しかない。男と女の間にある深淵は果てしなく、到底それを埋められそうにない。しかし諦めず争(あらが)い続けることこそ生きることなのだ、ということを本作を観ながら考えさせられた。

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2021年8月10日 (火)

竜とそばかすの姫

評価:A+

Ryu

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CGキャラクターデザインは『塔の上のラプンツェル』『ベイマックス』『アナと雪の女王』などでメインキャラクターを担当したジン・キム。インターネット上の仮想世界〈U〉のコンセプトアートを担当したのは新進気鋭のイギリス人建築家/デザイナー、エリック・ウォンという人選がユニークだ。岩崎太整、Ludvig Forssell、坂東祐太の3人が担当した音楽の充実ぶりにも目を瞠るものがある。

〈U〉における主人公の名前がベルであることからも明らかなように、本作は『美女と野獣』を下敷きにしており、彼女が沢山歌うスタイルは、ディズニーの十八番であるミュージカル・アニメーションを彷彿とさせる。日本のアニメ業界が長年不得意として来たジャンルだが、この野心的な試みは見事に成功している。

『美女と野獣』や『かえるの王さま』といった西洋の異類婚姻譚は最後、魔法が解けて王子様の姿に戻り、ヒロインと結ばれてめでたしめでたしとなる訳だが、今回はそうではなく、主人公の母性が覚醒するに至るというのが、いかにも日本人らしい発想で面白かった。

細田監督は東映アニメーション時代に短編3D立体映画『銀河鉄道999〜ガラスのクレア〜』(2000)を監督しており(詳細はこちら)、『竜とそばかすの姫』はベル(Belle)がメーテルになるまでを描いていると解釈することも可能なのではないだろうか?(実際のところ鉄道に乗り、窮地に立つ“鉄郎”を救出するために駆けつけるわけだから。)

 ・松本零士「銀河鉄道999」とエディプス・コンプレックス〜手塚治虫/宮﨑駿との比較論 2016.07.07

〈U〉は『サマーウォーズ』における〈OZ〉の進化系だが、細田監督の描くインターネット上の仮想空間は、他の映画でありがちな流言飛語が渦巻き、妬みや悪意に満ちた場所ではなく、遠く離れた人と人の心が通じ合い、繋がることが出来るという世界観であり、前向き思考だ。

あまりにも楽観的でご都合主義ではないかという批判も当然あるだろうが、僕は花も実もある絵空事として好意的に捉えた。考えてみれば往年のハリウッド映画はハッピー・エンドしかなかったわけで、観客に夢や希望を与え元気づけるという効能も、僕たちが愛する映画の大きな魅力の一つではないかと思うのだ。

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2021年7月12日 (月)

「バビロン・ベルリン」〜ドイツの光と影@黄金の1920年代

Babylon

現在U-NEXTから配信されている『バビロン・ベルリン』を一気呵成に観た。Huluでも視聴出来るらしい。製作費は43億円でドイツのTVドラマ史上最高額が投入されており、現在シーズン3まで放送が終わっている。ヨーロッパ映画賞では「​フィクション連続テレビ映画への貢献賞」を受賞した(ヨーロッパ映画賞におけるTVドラマに対する唯一の賞。この年、作品賞・監督賞を受賞したのは『女王陛下のお気に入り』)。

原作はフォルカー・クッチャーの警察小説【ベルリン警視庁殺人課ゲレオン・ラート警部】シリーズで、2017年に放送されたシーズン1,2が『濡れた魚』、2020年放送のシーズン3が『死者の声なき声』を下敷きにしている。シーズン4の製作も決まっているが、次は『ゴールドスティン』に基づくものになるだろう。脚本・監督はトム・ティクヴァ。映画『ラン・ローラ・ラン』の監督で、『クラウド アトラス』ではウォシャウスキー兄弟(現在は姉妹)と共同監督を務めた。

当初、僕はベルリンをバビロンに結びつけた表題に強く惹かれた。ジャズ・エイジと呼ばれた狂騒の1920年代ニューヨークで活躍した作家スコット・フィッツジェラルドには『バビロンに帰る』という短編小説があり(村上春樹が翻訳している)、彼の遺作『ラスト・タイクーン』から霊感を得た小池修一郎(作・演出)のミュージカル『失われた楽園 ーハリウッド・バビロンー』という宝塚歌劇の演目もあった(小池はフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』もミュージカル化している)。こちらは1930年代のハリウッドを舞台にしている。

『バビロン・ベルリン』で、なんと言っても魅力的なのが1929年という時代設定。「光の中のベルリン」と歌われたワイマール共和国黄金期の終焉が描かれる。ボブ・フォッシー監督のミュージカル映画『キャバレー』は1931年のベルリンが舞台なので、その直前だ。株価が大暴落し世界恐慌が始まる1929年10月24日(暗黒の木曜日)に向けて物語はひた走りに走る。「こういうドラマが観たかったんだ!」と膝を打った。

シーズン3ではベルリンの映画会社ウーファでトーキー映画の撮影が開始されているのだが、マレーネ・ディートリッヒ主演でジョセフ・フォン・スタンバーグが監督した『嘆きの天使』 (1930)がドイツで最初のトーキー作品であり、フリッツ・ラングの『M』(1931)やG・W・パブストの『三文オペラ』(1931)が続いた。ウーファがサイレント映画からトーキーに切り替えるために大改修したのは1929年春だった。またここではビリー・ワイルダーが『人間廃業』(1931)『少年探偵団』(同年)等で脚本家として活躍していた。ユダヤ人だったラングもワイルダーも後にナチス・ドイツの台頭により、ベルリンを離れアメリカ合衆国に渡ることを余儀なくされる。

特に僕が痺れたのがシーズン1 第2話のクライマックス、「モカ・エフティ」のステージ上で男装の麗人が『灰に、塵に(Zu Asche, Zu Staub)』を歌う場面(動画はこちら)。享楽的・退廃的でミュージカル『キャバレー』の世界に通じるものがある。ホールにいる女の子たちがいわゆるフラッパーの格好をしており、フィッツジェラルドが『グレート・ギャツビー』(1925年出版)で描いたニューヨークと、ベルリンは完全に地続きだったんだということに気付かされた。さらに半裸の女性ダンサーたちはアメリカ生まれの黒人ダンサー、ジョセフィン・ベーカーをモデルにしているのだろうと思った。彼女は当時ベルリンやパリのミュージック・ホールで踊っていたという。

Babylon2

「モカ・エフティ」はベルリンに実際にあった伝説的なナイトクラブ で、2021年2月にベルリン・フィルがここで演奏されたダンス音楽を特集する演奏会〈黄金の20年代:「モカ・エフティ」での夕べ〉を企画しており、デジタル・コンサートホールでその様子を視聴することが出来る(こちら)。

ここで取り上げられているクルト・ヴァイルの『三文オペラ』はジャズのスタンダードナンバー“マック・ザ・ナイフ”として知られており、ミュージカル『キャバレー』の音楽に多大な影響を与えた。そして『バビロン・ベルリン』シーズン2ではなんと『三文オペラ』(1928年8月31日初演)を上演しているシッフバウアーダム劇場でドイツ外相とフランス外相を暗殺しようとする計画が描かれ、まるでヒッチコックの『暗殺者の家』『知りすぎていた男』みたいな展開になる。クルト・ヴァイル はユダヤ人で、後に『三文オペラ』に出演した妻のロッテ・レーニャと共にアメリカ合衆国に亡命、ミュージカルの作曲家になった。そしてヴァイルの作品はナチスから“退廃音楽”の烙印を押され、演奏禁止になる。なおロッテ・レーニャは1966年、ミュージカル『キャバレー』ブロードウェイ初演時に下宿屋の女主人シュナイダーを演じた

また本作を通じて次のような衝撃的事実を知った。第一次世界大戦敗北後ドイツはベルサイユ条約で兵員の数を10万人に制限され、機甲隊や航空隊、潜水艦隊を持つことを禁じられた。そこでドイツ国防軍はソビエト連邦と秘密交渉を行い、モスクワから約400キロメートルの距離にあるリペツクに秘密の航空機訓練基地を建設したという。いやはや驚いた。実に勉強になる。

この物語で描かれるのは、如何にして民主主義がファシズムに屈し、独裁政治の影に覆われていったかということ。それはジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』のプリクエル(エピソード1〜3)で描こうとして、当時の観客から理解されず冷笑された内容にピッタリ重なる。

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2021年7月 6日 (火)

ブロードウェイ・ミュージカル「メリリー・ウィー・ロール・アロング」の辿った数奇な運命と、映画化について。

スティーブン・ソンドハイム(作詞・作曲)の「メリリー・ウィー・ロール・アロング」を梅田芸術劇場で観劇した。

Merrily

本当は6月12日(土)のチケットを購入していたのだが、緊急事態宣言発令により土日公演が中止に追い込まれ、払い戻しとなった。仕方がないので11日(金)のチケットを急遽購入し直し、有給休暇を取って劇場に向かった。

主なキャストは幼馴染の三人を笹本玲奈、平方元基、ウエンツ瑛士が演じ、他に朝夏まなと、昆夏美、今井清隆らが出演した。

8年前に、宮本亜門演出で同じ演目を観ている。

小池徹平、柿澤勇人主演:ミュージカル「メリリー・ウィー・ロール・アロング ~それでも僕らは前へ進む~」 2013.12.09

今回の演出はマリア・フリードマン。彼女は以前女優として本作の英国公演に出演したことがあり、新演出版はオリヴィエ賞で最優秀ミュージカル・リヴァイヴァル賞を受賞した。

現在から過去へと20年間をどんどん遡って話が展開するという斬新な台本である。三人の若者の出会いという出発点が幕切れとなる。過去→現在→未来と時間が経過する〈通時的〉物語ではなく、過去・現在・未来は同時にここにあるという〈共時的〉作品なのだ。亜門版には甚く感銘を受けた。新演出版に新鮮味はなかったが、悪くない。笹本玲奈がパンチのある声で熱唱。朝夏まなとはイマイチ。歌がねぇ……。

ソンドハイムが作詞・作曲し、『キャバレー』『エビータ』『オペラ座の怪人』『蜘蛛女のキス』のハロルド・プリンスが演出するという黄金コンビは『カンパニー』『フォーリーズ』『リトル・ナイト・ミュージック』『太平洋序曲』『スウィーニー・トッド』といった傑作群を世に送り出したが、『メリリー・ウィー・ロール・アロング』は興行的に惨敗を喫することとなり、本作がふたりの最後のコラボレーションとなってしまった。なんと公演回数たった16回で打ち切りになったのだ。時代の先を行き過ぎたのだろう。その顛末を関係者が語るドキュメンタリー映画『ベスト・ワースト・ストーリー』がNetflixから配信されており実に面白い。こちら。どうしてこんなニッチなドキュメントが日本語字幕付きで観ることが出来るのか、謎である。

本作は現在リチャード・リンクレイター監督により映画版が撮影中である。しかし!リンクレイターは『6才のボクが、大人になるまで。(Boyhood)』を12年間かけて断続的に撮影し、実際に少年が成長する過程を見せた人。そして今度はなんと!20年かけて撮るらしい(嘘じゃないよ、証拠記事はこちら)。おいおい、正気か!?途中で関係者が不慮の事故や病気で死なないことを祈るのみである。

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2021年7月 5日 (月)

映画「夏への扉 ーキミのいる未来へー」と大林版「時をかける少女」

評価:B+

Tobira

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1956年に出版されたロバート・A・ハイラインの余りにも有名な時間SF小説を三木孝浩監督が世界で初めて映画化した。主演は山崎賢人と清原果耶。清原については映画『まともじゃないのは君も一緒』のレビューで大いに語った。

6月25日(金)から公開されたが、なんと第1週目の週末興行成績ランキングでは11位と、ベストテン圏外からのスタートとなった。駄目じゃん。東宝としては期待外れの結果だろう。

三木孝浩監督は大林宣彦監督の熱狂的ファンで、高校生の時に大林映画『ふたり』をどうしても観たくて修学旅行先の東京で集団行動から抜けだし映画館に行ったという(参考記事こちら)。

彼の撮った化け猫映画『陽だまりの彼女』は『HOUSE ハウス』へのオマージュに溢れていたし、『ホットロード』は『彼のオートバイ、彼女の島』への挑戦状、そして『くちびるに歌を』では映画中盤に死んだ母親役で「ふたり」の石田ひかりか登場、オルガンを弾く場面があった(『ふたり』ではピアノでシューマンのノヴェレッテを弾く)。

そんな三木監督が『夏への扉』を映画化するなら、間違いなく『時をかける少女』を意識した作品に仕上がるだろうという確信があった。

『時をかける少女』は〈ひとが、現実よりも、理想の愛を知ったとき、それは、ひとにとって、幸福なのだろうか?不幸なのだろうか?〉という問いから始まる。そして『夏への扉』の冒頭もホーキング博士の言葉が画面に浮かび上がる。次にテレビのブラウン管に映像が流され、やがてワイド画面に移行するという流れも『時かけ』のスタンダードからビスタサイズへ、という手法を踏襲している。

猫のピートがすごく可愛かったので、それだけでも『夏への扉』の映画化としては大成功だと思う。考えてみれば大林監督にはテレビ映画『麗猫伝説』があるし、『時をかける少女』でRHYMSTER 宇多丸が唱える〈深町くん昏倒レイプ犯説〉の舞台となるタイル小路にも猫はいた。あと『夏への扉』に繰り返し登場する海も大林映画に繋がるものを感じた。さらに割れたガラスで指を切るくだりは『時かけ』への目配せなのかも。

誰が見ても本作に登場するマッド・サイエンティスト遠井博士が『バック・トゥ・ザ・フューチャー(BTTF)』のドクのパロディであることは明らかだが、原作小説がBTTFに多大な影響を与え、それが小説の映画化作品に還元された。ちゃんとループ構造になっているのが面白いなと思った。また30年前の過去に戻った主人公が少年が手に持つ雑誌にサインし、勇気づける場面はヤノット・シュワルツ監督の名作『ある日どこかで』を彷彿とさせる。大林監督は『時をかける少女』で音楽を担当した松任谷正隆に参考資料として『ある日どこかで』のフィルムを観せた。だから『時かけ』の音楽はジョン・バリーが作曲した『ある日どこかで』そっくりなのだ。そんなことどもを懐かしく想い出した。

『時かけ』で和子の「どうして時間は過ぎていくの……」という問いに対して深町は「過ぎていくんじゃない、時間はやってくるものなんだ」と答える。その言葉が『夏への扉』を観ている間中ずっと、通奏低音のように僕の耳の奥底に鳴り響いていた。

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2021年7月 2日 (金)

あなたは永遠の命を授かりたいですか?〜映画「Arc アーク」

石川慶監督の映画『蜜蜂と遠雷』(キネマ旬報ベストテン第5位)を公開当時、僕は手放しで絶賛した。

特に長大な原作を2時間以内にコンパクトにまとめ、それでも物足りなさを些かも感じさせなかった手腕には舌を巻いた。

さらに長編デビュー作『愚行録』(2017)も日本映画らしからぬルック、ヒヤッとした質感があり、好きだ。ポーランド人の撮影監督ピオトル・ニエミイスキの功績が大きいだろう。だから新作『Arc アーク』の出来も間違いないだろうと大いに期待していた。しかし……

落胆したと言っていい。127分という上映時間もスカスカの内容と比して長すぎる。苦痛でしかなかった。これはゴミだ。

評価:D

Arc

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ケン・リュウのSF短編小説を石川監督が脚色・編集・監督した。

「永遠の命を授かることはひとにとって幸福なのか?不幸なのか?」という問いは、手塚治虫が漫画『火の鳥 未来編』(1968)で徹底的に突き詰めたテーマである。それから50年以上経過したわけだが、結局『Arc アーク』で語られていることは手塚が到達した地点より一歩も前に進んでいない。

本シナリオが決定的に駄目な点は芳根京子演じる主人公・リナに心の葛藤がないことだ。17歳の時、生まれたばかりの赤ん坊を見捨てることへの葛藤、30歳で不老不死の処理を受けるかどうか決断する際の葛藤。老化抑制技術を開発し実用化した天音(岡田将生)のどこが好きになって結婚するのか、その動機もさっぱり分からない。そもそも息子に対する愛情が皆無なわけだから、彼との再会を切掛に再び年を取ろうと決断する彼女の心の動きも全く理解不能である。共感する余地がない。

リナが90歳の誕生日を迎える場面で画面がモノクロームになるのも意味不明。不老不死を選択することで彼女の人生が色褪せたということなのかも知れないが、そもそも本人は(この時点で)全く後悔していないのだら。単なる軽薄な馬鹿女である。

結局最終的に彼女が老いる決意をする動機は、周りの人々が老いて死んでゆき寂しいからなのだが、ならば「周りの人々全員が不老処置を受けて生き続ければ、幸せになれるのか?」という問いに対して本作は何も答えてくれない。

僕自身は永遠の命なんてまっぴらごめんである。そもそも太陽や地球にも寿命がある。今後50億年以内に核融合に必要な燃料を使い果たした太陽は「赤色巨星」と化して膨張し、地球をいずれ飲み込んでしまうだろう。その時まで生きていたいか??年を取らないということは成長しない、生成変化しないということ。変わらない日常を永遠に送り続けても退屈なだけだ。誰も死なない、誰も成長しないのであれば映画も小説も意味をなさない。始めがあって、終りがあるから人生は豊かで面白いのだ。物語も同じである。

「なぜ生物は子孫を産むのか?」それは限りある一生だから、種を保存するために命をつなぐ=遺伝子を残すのだ。その過程で突然変異を生じ、自然淘汰により進化を遂げる。新型コロナウィルスも同様である。だから人間が不老不死になったら、子供を作ることも生物学的に無意味になる。それを無視して生み続ければ人口爆発が起こり生態系は崩れ、結局は食べるものがなくなって餓死するだろう。地球の資源には限りがある。

『映画.com』で4人が編集部の座談会を開き(こちら)、「自分なら不老処置を受けるか?」というテーマで語らっているのだが、女性2人が「受ける」、男性2人が「受けない」と答えているのが興味深かった。考え方に性差があるのかも知れない。

女性は自分の美しさや、肌のハリ・ツヤが衰えることを極端に恐れる。だから美容院やエステが流行り、「美白」やアンチエイジングがもてはやされる。女子アナは30歳が“賞味期限”と言われ、未だに30歳定年説が根強く流布している(小林麻耶は29歳でTBSを退社し、宇垣美里は28歳になる直前に辞めた。逆に30歳手前で局アナを辞める男性は滅多にいない)。35歳にもなると映画女優はほとんど良い役ががなくなってしまう。メグ・ライアンやキャメロン・ディアスが典型例。メリル・ストリープは例外中の例外だ。女優の“賞味期限”をめぐって、『デブラ・ウィンガーを探して』というドキュメンタリー映画が制作されたりもした。

結局女性の場合「永遠に生きたい」のではなく、「死ぬまで若く美しい姿でいて、周囲の人々からちやほやされたい」ということなのかも知れない。それが自由意志なのか、外部の目線からの圧力なのかは置いておいて。

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2021年6月28日 (月)

アメリカン・ユートピア

評価:B+

ロックバンドのコンサートを撮った史上最高の記録映画といえばマーティン・スコセッシが監督したザ・バンドの解散ライヴ『ラスト・ワルツ』(1978)と、トーキング・ヘッズのライヴを収めた『ストップ・メイキング・センス』(1984)だというのが定説になっている。誰も異論はなかろう。後者の監督は後に『羊たちの沈黙』でアカデミー賞を5部門受賞するジョナサン・デミ。そのトーキング・ヘッズのヴォーカル、デイヴィッド・バーンがスパイク・リー監督と組んだ新作が『アメリカン・ユートピア』である。

Utopia

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世界ツアーの内容を練り上げ、ブロードウェイのショーとして再構成した公演の記録である。

舞台装置も小道具もない空間に繰り広げられるパフォーマンスの数々。加工しない純粋な人の声と、楽器演奏に魅了される。そこには生の躍動がある。

はっきり言って『ストップ・メイキング・センス』よりもショーとして洗練されている。つまり両者を比較すればデイヴィッド・バーンが進化し続けていることが明白になる。この時御年67歳。大したものだ。この人は飄々とした味わいがある。

スパイク・リーの演出は、特に俯瞰ショットが美しく印象的。また終盤ブラック・ライヴズ・マターを扱った楽曲で大いに盛り上がった。

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2021年6月25日 (金)

ドキュメンタリー映画「僕が跳びはねる理由」

評価:A

Boku

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現在僕は幻冬舎から出版されている岡田尊司(著)『自閉スペクトラム症 「発達障害」最新の理解と治療革命』を読んでいる。その中に東田直樹が13歳の時に書いた『自閉症の僕が跳びはねる理由』からの引用がある。こんなくだりだ。

僕が跳びはねている時、気持ちは空に向かっています。空に吸い込まれてしまいたい思いが、僕の心を揺さぶるのです。

この一節に出会ったその日に、映画館に『ファーザー』を観に行くと『僕が跳びはねる理由』の予告編をやっていた。そんなことってある!?正にシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)だ。これはもう「観なさい」という天のお告げに違いない、そう思った。

驚いたのはこのドキュメンタリー映画、監督がイギリス人なのである。調べてみると『自閉症の僕が跳びはねる理由』は世界30カ国以上で出版されており、117万部を超えるベストセラーなのだそう。英語に翻訳したデイヴィッド・ミッチェルは息子が自閉症で、我が子の行動に困り果てていたときにこの本に出会ったという。本編に出てくるインドのお母さんが涙ながらに「直樹のエッセイを読んで初めて、自閉症の娘の苦しみが理解出来た」と語っているのがとても印象に残った。言霊の持つ力って凄い!

「普通って何?」ということを真剣に考えさせられた。

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