Cinema Paradiso

ディズニー実写版「美女と野獣」

評価:A+

Beautyandthebeast

完璧な実写映画だ。

アニメーション映画史上初めてアカデミー作品賞にノミネートされたディズニーの「美女と野獣」を1992年日本公開当時に僕は映画館で観ている。何と今から25年前!その後、歌が完成していながら制作中にカットされたナンバー「人間に戻りたい(Human Again)」が追加され、上映時間が8分長くなったIMAX版も2002年にサントリーミュージアム天保山@大阪(現在閉館)で観た。因みに「人間に戻りたい(Human Again)」はIMAX版より先にブロードウェイ・ミュージカル版で復活・上演されていた(1994年初演)。

今回の実写版は紛うことなきGay (LGBT:L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシュアル、T=トランスジェンダー) Movieである。ビル・コンドン監督、ガストン役のルーク・エヴァンズ、コグスワース役のイアン・マッケランはゲイであることをカミングアウトしている。ディズニーは確信犯だ。

ル・フウは明らかにゲイとして描かれているが直接的な描写は一切ないので、小中学生に観せても一向に構わないだろう。親御さんは安心して子どもたちを連れていけばいい。

振り返ってみると僕が初めて「アラビアのロレンス」(1962)や「太陽がいっぱい」(1960)を観た時は中学生だった。でもロレンスやリプリーがゲイだということは一切判らなかった。多分映画公開当時に気が付いた大人も殆どいなかっただろう(淀川長治氏を除いて)。隠された真実を見抜くまでに僕はかれこれ20年以上を要した。「ベン・ハー」(1959)の主人公とメッサラ、「マイ・フェア・レディ」(1964)のヒギンズ教授とピッカリング大佐がゲイ・カップルだということを知ったのもつい最近のことだ。

そういえば実写版「美女と野獣」冒頭でベルが歌うシーンは「マイ・フェア・レディ」におけるコヴェント・ガーデンの場面を彷彿とさせる。「マイ・フェア・レディ」のジョージ・キューカー監督はゲイであり、美術および衣装を担当したセシル・ビートンはバイセクシャルだった。

今回の「美女と野獣」は映像がレインボー(キャンディー)・カラーでカラフル。これはジャック・ドゥミ監督「シェルブールの雨傘」を想い起こさせる。因みにドゥミは「美女と野獣」の作詞家ハワード・アッシュマン同様、AIDSで亡くなっている。

音楽について。ティム・ライス(作詞)、アラン・メンケン(作曲)による3つの新曲がどれもいい!メンケン完全復活か!?ただ、「人間に戻りたい(Human Again)」がまた消えたのが哀しい。

僕は「プレミアム吹替版」で観たが、このキャストが超豪華!山崎育三郎(野獣)、昆夏美(ベル)、岩崎宏美(ポット夫人)、村井國夫(モーリス)、吉原光夫(ガストン)、島田歌穂(プリュメット)と舞台ミュージカル「レ・ミゼラブル」出演経験者が6人もいる!またルミエール役の成河(ソンハ)は山崎育三郎と共にウィーン・ミュージカル「エリザベート」2016年公演でルイジ・ルキーニのダブル・キャストを務めた。実力派揃いなのである。

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LION/ライオン ~25年目のただいま~

正直、この邦題ってどうなの??ある意味ネタバレだし。原題はシンプルにLIONだけど。GAGAのセンスを疑う。

GAGAの宣伝部は説明過多なんだよ。世界最悪と言われ笑いものになった「ラ・ラ・ランド」のポスターも酷かった。

Jap

詰め込み過ぎ!下品!!恥を知れ!!!

さて、

Lion

評価:A

「ライオン」は紛うことなき傑作。泣いた。アカデミー賞では作品賞・助演男優賞(デーヴ・パテール)・助演女優賞(ニコール・キッドマン)・脚色賞・撮影賞・作曲賞の6部門にノミネートされた。映画公式サイトはこちら。LIONの本当の意味は最後の最後に判る仕掛けになっている。

事実は小説より奇なり。インドでは毎年8万人以上の子どもたちが行方不明になっているという(映画のスーパーインポーズより)。本作でも人さらいが描かれているし、人身売買が当たり前のように行われている。5歳で迷子になり家族と生き別れ、オーストラリアに養子として引き取られた主人公の運命は過酷であるが、ものは見方次第であり、もし彼がそのままインドで生活を続けていたら肉体労働者を続けるしかなく、大学にも行けず母親同様に文盲(非識字)のままだった可能性も高い。どちらが彼にとって幸せだったろう?色々考えさせられた。

我々はどこから来て、どこへ行くのか?「私」とは一体、何者なのか?この映画のテーマは多かれ少なかれ私たち自身の問いでもあるだろう。つまり普遍性があるのだ。

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映画「 雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」/邦題について。

評価:B+

あの「ナイトクローラー」の記憶も新しい怪優ジェイク・ギレンホールの主演作である。公式サイトはこちら

Demo

原題はDemolition=解体・破壊という意味である。ブライアン・サイプが執筆し、2007年のBlack List(未だ映画化されていない優れたシナリオ)に載っていたものが15年に映画化された。因みに同年は「スラムドック・ミリオネア」「ダウト」「ビッグ・アイズ」「インビクタス/負けざる者たち」「ヒッチコック」「グローリー/明日への行進」等もリスト・アップされていた。

驚いたのは西川美和 脚本・監督「永い言い訳」との類似である。突然の妻の事故死、しかし夫は泣けず、悲劇の主人公の振りをする。そして心からの涙を流すまでの物語。そっくりだ。しかし結末に達するまでの過程が両者で全く異なる。そこに日米の違い、また作者の性の違いが如実に現れているところが面白い。ちなみに西川美和が書いた小説「永い言い訳」(直木賞/山本周五郎賞候補、本屋大賞ノミネート)が出版されたのは2015年2月。多分偶然の一致なのだろう(ただし、Black Listに掲載されていたシナリオを西川が入手して読んでいた可能性は100%否定出来ないが)。

困っちゃうのが邦題だ。意味不明。実はこれ、車の日除け(サンシェード/サンバイザー)から出てきた亡き妻のメモが由来となっている。

If it's rainy, You won't see me. If it's sunny, You'll Think of me.
雨の日だと、運転中に日よけを下ろさないからこのメモには気付かないわね。でももし晴れの日だったら、(メモを見つけて)私のことを想い出して。

しかしこれが「 雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」だと全く別の意味になって映画にそぐわない。配給会社ファントム・フィルムのセンスを疑う。

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面白きことは良きことなり!/アニメーション映画「夜は短し歩けよ乙女」

僕は本屋大賞で第2位になり、山本周五郎賞を受賞した森見登美彦(奈良県生駒市出身、京都大学農学部卒)の小説「夜は短し歩けよ乙女」が大好きで、繰り返し愛読している。21世紀に書かれた日本の小説の金字塔ではないかとすら本気で想っている。同じ原作者の「四畳半神話大系」は2010年にテレビアニメ化され、大傑作だった。そのことは当ブログで語った。

上記事でも「夜は短し歩けよ乙女」アニメ映画化希望を切望したが、なんと湯浅政明(福岡県出身)監督、劇団「ヨーロッパ企画」の上田誠(京都府出身)脚色、イラストレーター中村佑介(兵庫県宝塚市出身)がキャラクター原案、大島ミチル(長崎県長崎市出身)作曲、主題歌を歌うのがASIAN KUNG-FU GENERATIONで、「四畳半神話大系」のスタッフ再集結という夢のような企画として実現した!

評価:A+ 公式サイトはこちら

上映時間93分と極めてコンパクト。疾走感があり、湯浅監督らしいシュールで誇張された表現が極めて愉しい。奇想とデフォルメされた幻想が錯綜する。摩訶不思議なワンダーランドをひととき満喫した。

「詭弁踊り」は文章として親しんできたが、映像化されたその奇っ怪な踊りにぶっ飛んだ!!あとゲリラ演劇「偏屈王」がミュージカル仕立てに変更されており最高。その音楽は「ラ・ラ・ランド」みたいに洗練されておらず、いかにも大学生が作曲しました的な素人っぽさがツボにはまった。クライマックスは湯浅監督の「マインド・ゲーム」並にキテる(イカれてる)。←褒め言葉です。

声優陣は先輩:星野源、黒髪の乙女:花澤香菜(新海誠「君の名は。」のユキちゃん先生/「3月のライオン」の川本ひなた)、学園祭事務局長:神谷浩史(「進撃の巨人」のリヴァイ)と超豪華。3人とも歌います。またミュージカル界から新妻聖子も参加している。

小説には偽電気ブランなるお酒が登場するが、それに刺激されて電気ブランを飲んだこと、

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また劇中で重要な役割を果たす絵本「ラ・タ・タ・タム」を購入し、息子に読み聞かせたことなどを映画を観ながら懐かしく想い出した。

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なお入場者特典として森見登美彦 書き下ろし掌編小説『夜は短し歩けよ乙女 銀幕篇』が公開1週目に「先輩」から「乙女」への手紙、公開2週目には「乙女」から「先輩」への手紙が配布されるという。

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東宝と原作者の森見登美彦に言いたい。「恥を知れ!しかるのち死ね!」……仕方ないから次週も映画館に足を運ぶわ。

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「ムーンライト」がアカデミー作品賞を受賞した歴史的意義についての考察

評価:A

映画「ムーンライト」を一言で評するなら「お前は誰だ?」という問いに対して、主人公シャロンが自分自身を見つけるまでの物語だ。映画は少年期・青年期・成人期と3章に分けられ、それぞれ別の役者が演じている。ポスターはその3人の顔をモザイクにして貼り合わせている。

Moon

マハーシャラ・アリ演じる麻薬の売人フアンは第1章にしか登場しないのだが、観ている者に鮮烈な印象を与える。アカデミー助演男優賞受賞も納得の名演技だ。彼がシャロンに海で泳ぎを教える場面は明らかにキリスト教における(幼児)洗礼式を模している。ファンはシャロンにとって父親代わりであり、師(Mentor)でもある。

以下、「アフリカ系アメリカ人」と表現するのが現在アメリカ国内での作法なのだが、長たらしいので「黒人」と略させていただく。悪しからず。

世界初のトーキー映画は「ジャズ・シンガー」(1927)である。アル・ジョルソン演じる主人公は白人だが顔を黒塗りし、口紅で唇を分厚く誇張して黒人に扮し、舞台で歌う。これをミンストレル・ショーと言い、当時流行ったスタイルである。現在では考えられない話だ。

Jazz

ジュディ・ガーランドとミッキー・ルーニーが共演した"Babes on Broadway"(41)でも彼等はミンストレル・ショーを演じている。

Babes

1950年代になってもハリウッド映画で黒人俳優が白人俳優と共演することは極めて稀だった。ニコラス・ブラザースという黒人兄弟のダンスの名手がいたが、フレッド・アステアとの共演は生涯叶わなかった(ただしジーン・ケリーとは「踊る海賊」で、ゲストダンサーとして一場面のみ共演している)。

Nicholasbros

Nicholasbrothers

1951年のMGMミュージカル映画「ショウ・ボート」では黒人のジャズ歌手レナ・ホーンアフリカ系(混血)女性ジュリー役を演じる予定だったが、首脳部の意向で撮影直前になって白人のエヴァ・ガードナーに替えられてしまった(スクリーン・テスト映像も残っており、「ザッツ・エンターテイメント PART 3」で観ることが出来る)。

1960年代に入るとマーティン・ルーサー・キング牧師による公民権運動が起こり、マルコムXによる過激な活動もそこに絡み合ってアメリカ社会は変革の時を迎えた。その先駆けとなったのがシドニー・ポワチエとトニー・カーティスが共演した「手錠のまゝの脱獄」(58)である。黒人と白人が一つの手錠に繋がれるという設定が当時は衝撃的だった。そしてポワチエは「野のユリ」(63)で黒人俳優として初めてアカデミー主演男優賞を受賞する。

黒人監督が脚光を浴びるのはスパイク・リーが89年に撮った「ドゥ・ザ・ライト・シング」からだろう。オバマ前大統領が妻のミシェル・オバマと初めてデートで観に行ったのが本作だそうである。日本ではキネマ旬報ベストテンで外国映画の第5位に選出された。映画の終盤、黒人の暴動が起こり白人の経営するピザ屋が放火された後に、キング牧師マルコムXがにこやかに一緒にいる写真と共に二人の相対する発言が引用されるのが象徴的だった。そして「ボーイズ'ン・ザ・フッド」(91)でジョン・シングルトン黒人として初めてアカデミー監督賞にノミネートされた。シングルトンは24歳で史上最年少、この記録は未だ誰にも破られていない。

黒人が監督した映画がアカデミー作品賞を受賞するのは「それでも夜は明ける」(2013)が初。「ムーンライト」は史上2作目となった。

バリー・ジェンキンス監督は37歳、これが長編映画2作目である。「それでも夜は明ける」のプロデューサーであるブラッド・ピットが本作でもプロデュースを務めている。舞台では未上演の戯曲「In Moonlight Black Boys Look Blue」(月明りで黒人の少年たちは青く見える)を原案とし、その作者であるマクレイニーとジェンキンスが共同でシナリオを書いた(アカデミー脚色賞受賞)。ふたりは「ムーンライト」で描かれたマイアミに生まれ育ち、どちらの母親も薬物中毒だったそうである。

「ムーンライト」がアカデミー賞を受賞したことは黒人映画である以上に、もっともっと大きな意義がある。それは同性愛をテーマとした作品として初めての受賞だからである。台湾のアン・リーが監督した「ブロークバック・マウンテン」(05)は作品賞最有力と言われながら「クラッシュ」に破れ、監督賞・脚色賞・作曲賞の受賞に留まった。これは主人公がゲイ・カップルだから保守的なアカデミー会員に敬遠されたのだろうと囁かれた。2年連続でアカデミー(演技)賞に白人俳優ばかりノミネートされ多様性の欠如が非難された2016年、俳優のイアン・マッケランは「ゲイを公表している男優もオスカーを獲得したことがない。これは偏見なのか、偶然なのか」とガーディアン紙に語っている。

LGBT(L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシュアル、T=トランスジェンダー)が特に欧米で差別されるのは、キリスト教の影響が強い。何故なら聖書で同性愛は罪だから。この辺りが日本人には理解し辛い。旧約聖書で強烈なのは男色の町、ソドムとゴモラは神ヤハウェの怒りを買い、天から硫黄と火が降る裁きを受け亡ぼされた。一神教の厳しさと不寛容(intolerance )がここに示されている。また新約聖書では次のように書かれている。

正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。
(コリント信徒への手紙 6章9−10節)

1960年代までイギリスで同性愛は犯罪だった。発覚すると逮捕され、矯正するために薬物療法が強制された。この実態は映画「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」(アカデミー脚色賞受賞)で描かれている。

LGBTが差別(hate 嫌悪)されるのはキリスト教だけじゃない。起源を同じくするイスラム教も同様。イランやスーダン、ソマリアで同性愛者は死刑。サウジアラビアでは死刑または鞭打ち刑となる。

ディズニー実写版「美女と野獣」は今月日本でも公開されるが、ゲイのキャラクターが登場するということでロシアでは16歳未満の鑑賞が禁止となり、マレーシアでは13歳未満の鑑賞に保護者の注意が必要であることを指す「PG-13」に指定され、クウェートでは上映禁止となった。マレーシアでは「レント」や「ブロークバック・マウンテン」が同性愛を理由に公開差し止めとなっている。因みにマレーシアの民族構成はマレー系67%、中国系25%、インド系7%。宗教はイスラム教61%、仏教20%、キリスト教9%、ヒンドゥー教6%となっている。

「ムーンライト」の話に戻ろう。全体を支配するのは月の光青い色調である。神秘的で詩的な雰囲気が漂う珠玉の作品に仕上がっている。僕は「ブロークバック・マウンテン」より好き。僕がアカデミー会員だったら作品賞は「ラ・ラ・ランド」に投票したが、「ムーンライト」の受賞も十分納得出来る。欧米のキリスト教社会はいま、大きく変わろうとしている。映画は時代を写す鏡である。その叡智に、僕たちも学ぼうではないか。

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「レゴバッドマン ザ・ムービー」と「デッドプール」

「レゴバッドマン ザ・ムービー」 評価:B

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巷で評判が高い「レゴバッドマン ザ・ムービー」を5歳の息子を連れて観に行った。バットマンは言わずと知れた、スーパーマンと並ぶDCコミックスのヒーローである。

「デッドプール」 評価:B

昨年公開された「デッドプール」はマーベルのX-MENシリーズのスピンオフ作品。全米製作者組合協会賞(Producers Guild Awards)のノミネート10作品の中にも「ムーンライト」「ラ・ラ・ランド」「マンチェスター・バイ・ザ・シー」と並んで選ばれた。こちらはBlu-rayで鑑賞。

いや、確かにどちらも出来は良いと想うよ。ただ、今回悟ったのはやっぱり僕はアメコミが好みじゃないということ。観ていて途中で飽いてしまう。夢中になれて、心底傑作だと認められるのはクリストファー・ノーラン監督の「ダークナイト」だけかな。

僕には勧善懲悪が信じられない。Heroなんて胡散臭い。アメコミはキリスト教社会だからこそ生み出された文化だと想う。光と影、天と地、天使と悪魔、正義(Hero)と悪(Villain)。単純な二元論。物事を分類するのが父性原理(キリスト教)の特徴であり、コンピューターも0と1の二進法で解析・表示する。たしかに便利ではあるが、世の中そんなに単純に割り切れるものではない。こういう単細胞的思考は時にアーリア人(ゲルマン民族)を最も優れた英雄とし、ユダヤ人を不倶戴天の敵・ペストと見做すヒトラーの思想(著書「我が闘争」)や、サダム・フセインを「大量破壊兵器」を持つ悪の枢軸と断じ、イラクを侵略したジョージ・W・ブッシュのような人物を生み出すことになる。

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「キングコング:髑髏島の巨神」IMAX 3D

評価:A+

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怪獣映画としては史上最高レベルの作品ではないだろうか?「ゴジラ」1954年版に匹敵する。 

公式サイトはこちら

ジョーダン・ヴォート=ロバーツ監督は現在32歳。「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼルと同い年である。本作の前に「キングス・オブ・サマー」という長編が一本あるだけ。兎に角、キングコング✕フランシス・フォード・コッポラ監督「地獄の黙示録」というコンセプトにぶっ飛んだ!!映画会社のレジェンダリーやワーナー・ブラザースは「それはクレイジーだ。オッケー、そのバージョンで作ろう」と言ったそう。サミュエル・L・ジャクソン演じるパッカード大佐は「地獄の黙示録」のキルゴア中佐(ロバート・デュバル)そのものだし、ヘリコプター隊は『ワルキューレの騎行』の代わりにハードロック(ブラック・サバスの『パラノイド』)をスピーカーから大音量で流す。主人公コンラッドの名前は「地獄〜」の原作小説「闇の奥」を書いたジョセフ・コンラッドから来ており、ジャングルで待ち受けているマーロウは「闇の奥」に登場する船乗りの名前だ。また水爆の恐怖を描くスタンリー・キューブリック監督の「博士の異常な愛情」のエンディングでヴェラ・リンが歌った『また会いましょう』が「髑髏島の巨神」でも最後に流される。

日本兵グンペイ・イカリの名前は『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジとゲームクリエイター横井軍平(任天堂でゲームボーイを開発)から採られている。映画序盤、ヘリコプターで嵐の雲の中に突入する場面は「天空の城ラピュタ」竜の巣を彷彿とさせるし、「エヴァ」の使徒サキエルと「千と千尋の神隠し」のカオナシをモチーフにしたクリーチャーが登場。さらに東宝の「キングコング対ゴジラ」(1962)でコングが大ダコと闘う場面も再現される。兎に角、監督のオタクっぷりが凄い。経験のない若いクリエイターにこれだけの大作(a big budget movie)を任せ見事成功した、肝が据わった製作陣を讃えたい。考えてみれば同じレジェンダリーの「GODZILLA ゴジラ」(2014)でギャレス・エドワーズに託したケースも同様だった(ギャレスはその前に「モンスターズ/地球外生命体」2010しか撮っていない)。

1933年の「キングコング」から【髑髏島でのコングと美女の心の交流→コングの捕獲→船でニューヨークへ→コングが暴れエンパイヤ・ステート・ビルへ→飛行機で銃撃し、コング転落】という基本プロットは1976年のジョン・ギラーミン監督版、2005年のピーター・ジャクソン監督版でも踏襲された。しかし今回は慣習に縛られず舞台は髑髏島のみ。ただしコングが美女を手のひらに乗せる場面や鎖でがんじがらめになる場面により、オリジナルへの敬意が払われている。

かっけーサミュエル叔父貴がタランティーノの「パルプ・フィクション」で26回、「ジャッキー・ブラウン」では37回言った決め台詞 "Motherfucker" (英語圏における全てのメディアで禁止用語となっている)をこの映画で言えるのか?にも注目!

なおエンドクレジットの後で明らかにされるのだが、2019年に公開予定の"Godzilla: King of Monsters"にはゴジラ、ラドン、モスラ、キングギドラが登場するようだ。愉しみだね。

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映画「3月のライオン」前編

評価:B+

3

映画公式サイトはこちら

羽海野チカの漫画「3月のライオン」はまずNHKでアニメ版が放送された。監督・シリーズ構成は「魔法少女まどか☆マギカ」で一世を風靡した鬼才・新房昭之。2017年夏には劇場版アニメ「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」(原作:岩井俊二)が控えている。そちらの公式サイトはこれ

「3月のライオン」実写映画化は「るろうに剣心」の大友啓史監督、神木隆之介主演(桐山零)で実現した。神木くんは「るろ剣」にも出演している。今回は死んだ魚のような目が素晴らしい!

兎に角、キャストが適材適所で目を瞠った。主人公の義理の姉・香子(きょうこ)を演じる有村架純、美人三姉妹を演じる倉科カナ、清原果耶、新津ちせ(「君の名は」新海誠監督の娘)、プロ棋士を演じる加瀬亮、佐々木蔵之介、伊藤英明らがマンガのイメージを些かも損なうことなく、生き生きとスクリーンに息づいている。「男はつらいよ」の前田吟も東京の下町がよく似合う。ただ特殊メイクで肥満体に変身した染谷将太には些か違和感があった。

アニメでは20話分が、実写版は2時間18分の上演時間内で一気に進行するのだが、駆け足感は微塵もない。むしろじっくりと人物が描かれている印象を受ける。アニメ版も確かに傑作なのだが、気になったのは主人公のモノローグが非常に多いことと、盤上の展開が事細かに描写されること。将棋を知らない者にとってはチンプンカンプンで退屈だ。しかし映画の方は試合の場面でも殆ど盤上を写さない。むしろ棋士の表情をアップで捉え、凝視する。そこに底知れないスリリングな人間ドラマが生まれるのだ。モノローグがバッサリ、カットされているのもいい。

映画で次女ひなたを演じた清原果耶は素晴らしかったが、アニメ版で声を当てたのが映画「君の名は」「言の葉の庭」の”ユキちゃん先生(雪野百香里)”こと花澤香菜。こっちの声もとっても可愛くて甲乙つけ難い。あと三女モモ役の新津ちせだが、劇団ひまわりのプロフィール写真を見たときは如何なものか?と首を傾げたが、スクリーンで動いている姿を見ると違和感なく、川本家にしっくり溶け込んでいた。親(新海誠)の七光りなんか関係なく、申し分ないキャスティングである。

桐山零が一人暮らしするマンション@六月町は隅田川の直ぐ側で、水の底にいるような青い照明が基調となっている。そこに将棋盤がぽつんと暖色で浮かび上がる。そして川向うの川本家三姉妹が住む家@三月町は完全に暖色(茶色〜褐色=肌色)の世界として描かれる。つまり一人ぼっちの零にとって将棋と三姉妹だけが救いなのだろう。

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テレンス・マリック監督「ボヤージュ・オブ・タイム」

評価:A

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公式サイトはこちら

映画冒頭に道元禅師の和歌「世の中は  何にたとえん 水鳥の嘴(はし)振る露に 宿る月影」が挿入される。これは【水を飲む水鳥の嘴(くちばし)から飛び散る水滴に映る月影(=無限の宇宙)も一瞬にして消え去るように、この世は儚く、無常である】と詠っている。日本以外にも中国(道教の教え)、アラブ(コーラン)、インドのバージョンも用意されているという。

ナレーションはケイト・ブランシェット。中谷美紀による日本語版もある。視覚効果監修は「マトリックス リローデッド」「ツリー・オブ・ライフ」「ヘイトフル・エイト」のダン・グラス。

宇宙の誕生(ビッグ・バン)から地球の誕生、生命の進化から人間登場へ、そして宇宙の死までが描かれる。日本で公開されるのは90分の35mm版だが、40分のIMAX版もあるという。

ハワイ、アイスランド、チリ、パラオ、パプアニューギニア、ソロモン諸島などでロケされた。

実は本作のコンセプトはテレンス・マリック監督が以前に撮った「ツリー・オブ・ライフ」(カンヌ国際映画祭パルム・ドール、アカデミー賞で作品賞・監督賞・撮影賞にノミネート)の一部に描かれたパートを拡大したものだ。VFXで創造された恐竜も両者に登場する。そもそもこの企画はマリックが地球の生命を探求する映画「Q」として1970年代から温めていたものだという。

彼の映画の特徴は監督デビュー作「地獄の逃避行」(1973)、「天国の日々」(78)の頃からそうなのだが、映像は本当に美しいのだけれど、シナリオが弱いんだよね。だから最近の作品「トゥ・ザ・ワンダー」「聖杯たちの騎士」なんかは完全に一般観客から見放されている。むしろ今回のようなスタイルの方が合っているのではないか?

「ボヤージュ・オブ・タイム」は自然ドキュメンタリーに近いが、恐竜や(俳優が演技する)原始人も登場するし、必ずしもそう言い切れない。ケイト・ブランシェットの語りもナレーションというよりはむしろ「」だしね。

我々観客は理解しようなどという邪心を捨てて、ゆったりと映像に身を委ねればいい。そこには哲学的瞑想的な世界が茫漠と広がってゆく。ある意味「」の体験に似ている。調べてみるとマリックはハーバード大学で哲学を専攻し主席で卒業。ハイデッガー著作の翻訳本を出版したり、マサチューセッツ工科大学で哲学を教えていたこともあるそう。筋金入りだね。

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「モアナと伝説の海」あるいは、ディズニー・プリンセスの変遷

評価:A+

Moana

一旦ディズニーを解雇され、ピクサーの長編アニメーション第一作「トイ・ストーリー」を監督したジョン・ラセターがチーフ・クリエイティブ・オフィサーとしてディズニーに復帰後、取り組んできたことが2つある。1つ目は「ディズニーのピクサー化」であり、2つ目は「ディズニーの宮崎アニメ化」である。「ピクサー化」とはストーリー作りの段階から監督経験者全員を招集し、ラセターも加わって大人数でああでもない、こうでもないと議論しながら企画会議を繰り返して物語を練り上げていく合議制のことを指す。作品のクオリティは極めて高くなるが反面、作家性(個性)が失われたバディ・ムービーになりやすいという欠点もある。「ズートピア」がその典型例だろう。「シュガー・ラッシュ」なんかもそう。現在では殆ど、ディズニー映画なのか(子会社の)ピクサー映画なのか見分けがつかなくなってしまった。

ラセターが宮﨑駿に私淑していることはつとに有名だ。「千と千尋の神隠し」のアメリカ公開に尽力し、その様子は「ラセターさん、ありがとう」というドキュメンタリー作品となった。宮さんがアカデミー名誉賞を受賞した時ラセターはプレゼンターを務め、彼が初めて「ルパン三世 カリオストロの城」を観た時の感動を熱く語った。出不精の宮さんが重い腰を上げたのも、「僕がアメリカに行かないと、ラセターに怒られるから」という理由だった(「千と千尋」がアカデミー賞で長編アニメーション部門を征した際は渡米していない)。ラセターがディズニー復帰後、製作総指揮した「塔の上のラプンツェル」(2010)は完璧に「カリ城」へのオマージュであった。そもそもラプンツエルを塔の上から救い出すのは王子様の筈なのに、ディズニー版では3人組の泥棒さんなのである。まんまルパンじゃん!

そして【海に選ばれた】「モアナ」を観た時、瞬時に感じたのは彼女は風の谷のナウシカなのだということ。巨神兵や「天空の城ラピュタ」の飛行石が出てくるし、自然が蘇るクライマックスは「もののけ姫」だ(「ファンタジア2000」最終エピソード/ストラヴィンスキー「火鳥」にも似た描写がある)。モアナは雄々しく、ディズニー・アニメ史上最強のヒロインと言えるだろう。かっけー!

ディズニー長編アニメーションの第一作は言わずと知れた「白雪姫」(1937)である。彼女は"Someday My Prince Will Come."(いつか王子様が……)と夢見る、受動的な女の子であった。これは父性主義が強いキリスト教社会が生み出したお伽噺の特徴であり、女性はヒーロー(英雄)と結合することでしか幸せを掴むことができなかった(And they lived happily ever after)。「シンデレラ」(50)や「眠れる森の美女」(59)も同様。

変化が現れたのが「美女と野獣」(1991)のベルである。強い意志を持ち、自ら人生を切り開いてゆく。公開当時の批評を読めば判るが、笑っちゃうのはベルが本を読んでいるということだけで世間は衝撃を受けたのである。それまでディズニー・ヒロインの頭の中身は空っぽだと皆が思っていたわけだ。今からたった26年前の話である。「美女と野獣」はアニメーション史上初めてアカデミー作品賞にノミネートされた(当時は未だ長編アニメーション部門がなかった)。そして「アナと雪の女王」(2013)年の登場で世界中の女性達が熱狂し、「ありのままで(Let It Go)」生きようと夢見たが、その先には孤独地獄が待ち受けていた。

さて、「モアナ」の話に戻そう。基本ラインは宮崎アニメなのだが他にも様々な映画からの引用があり、てんこもりの出血大サービス、至れり尽くせりのエンターテイメントに仕上がっている。ココナッツ海賊カカモラが登場する場面は明らかに「マッドマックス 怒りのデスロード」だし、宮﨑駿がアイディア構成・原画で参加している東映動画「どうぶつ宝島」(1971)の要素も入っている。吹き矢とかモアナが閉じ込められた洞窟から巨大な銅像を倒して脱出する場面は「レイダーズ 失われた聖櫃(アーク)」だし、海の表現はジェームズ・キャメロンの「アビス」、映画の終盤に半神マウイがモアナの元を去り……という件(くだり)は「スター・ウォーズ エピソード4」のハン・ソロの行動パターンと同じ。

フィジー、タヒチなど南太平洋の神話がベースになっているので日本人にも親しみやすい。つまり多神教の話なんだね。最後に登場するのは全能の女神ティフィティで、これもイエスやその父なる神など男ばかりのキリスト教とは全く違う。日本同様母性が主体なんだ。

人類に火をもたらすマウイはギリシャ神話(←こちらも多神教)におけるプロメテウスである。つまりトリックスターだ(トリックスターとは神話や伝説などで語られるいたずら者。その思いがけない働きによって旧秩序が破壊され、新しい創造が生じるきっかけとなることがある。しかし単なる破壊者として終わることもある)。日本神話(古事記)で言えば須佐之男(スサノオ)が近い。マウイが半神なのも神と人間の間を行き来する存在だからだね。

監督は「リトル・マーメイド」「アラジン」のロン・クレメンツとジョン・マスカー。ディズニーは低迷していた時期に手描きアニメーションを捨て、全てをCGアニメーションに切り替える方針を打ち立てた。それに反発したふたりは2004年に揃って退社した。しかし2006年にジョン・ラセターがチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任すると彼らも復帰し、手描き(セル画)による「プリンセスと魔法のキス」(09)を監督した。今回素晴らしいと感じたのはCGが主体でありながら、マウイの入れ墨が動いたり神話の箇所は手描きの手法を取り入れていること。つまり3Dと2Dのハイブリッドが見事に成し遂げられているのである。

作曲はブロードウェイ・ミュージカル「ハミルトン」でトニー賞を席巻したリン=マニュエル・ミランダ。もう文句なしに魅力的な楽曲である。

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