Cinema Paradiso

2024年4月 2日 (火)

デューン 砂の惑星PART2

評価:A+

IMAXで鑑賞。

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パート2まで観て判ったのは1965年に出版された原作小説が後のSF作品に多大な影響を与えた、ということだ。女性だけの教団ベネ・ゲセリットが企てる「人類改良血統計画」は『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する秘密結社ゼーレによる「人類補完計画」を彷彿とさせるし、巨大なサンドワーム(砂虫)や惑星アラキスの生態系は明らかに『風の谷のナウシカ』の王蟲や腐海に繋がっている。主人公ポールの母が砂漠の民フレメンの教母になり、説く内容は『ナウシカ』の大ババが語る「その者、青き衣をまといて金色の野に降り立つべし。失われし大地との絆を結び、ついに人々を青き清浄の地へ導かん」に一致する。また『スター・ウォーズ』の舞台となる砂漠の惑星タトゥイーンも然り。

一方、砂漠の美しさや戦闘シーンの迫力はデヴィッド・リーン監督『アラビアのロレンス』(1962)以来のスケール感ではないかと驚嘆した。よくよく考えると本作と『アラビアのロレンス』の物語構造は似ている。よそ者であるイギリスの陸軍将校ロレンスが、オスマン帝国からのアラブ独立闘争を率いて英雄になっていく姿が、『砂の惑星』のポールがフレメンを率いて戦う姿に重なる。また『アラビアのロレンス』でアンソニー・クイン演じるアウダ・アブ・タイが本作ではフレメンの部族長スティルガーに該当するし、だったらオマー・シャリフ演じるシャリーフ・アリは?と考えた時、ゼンデイヤ演じるチャニではないか?と奇抜な発想が湧いた。ロレンスは砂漠の英雄になるが、そこには常に迷いがあり虚無感が漂うし、それはポールも同様。

こうした創作物のバトンがすごく面白いな、と思った。

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2024年4月 1日 (月)

大阪桐蔭高等学校吹奏楽部 定期演奏会2024(「サウンド・オブ・ミュージック」「オペラ座の怪人」のおもひでぽろぽろ)

3月17日(日)フェスティバルホールへ。大阪桐蔭高等学校吹奏楽部の第19回定期演奏会を聴く。監督の梅田隆司先生が指揮した。

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まず能登震災復興を願ってユーミンの『春よ、こい』が歌われ、2019年に初演されたショー〈歴史の「夢」を訪ねて〉の再演から始まった(〈ローマを訪ねて〉に改題)。

 ・ 大阪桐蔭高等学校吹奏楽部 定期演奏会2019とディズニー「ファンタジア」

ここで演奏された曲目は、

 ・レスピーギ(杉本幸一編):「リュートのための古風な舞曲とアリア」第3組曲
 ・ハンス・ジマー:アニメ映画「プリンス・オブ・エジプト」より
 ・レスピーギ:交響詩「ローマの祭」より
 ・グノー:アヴェ・マリア
 ・フォーレ:付随音楽「ペリアスとメリザンド」よりシチリアーナ
 ・レスピーギ:交響詩「ローマの松」より

クライマックスでホールの四方八方からバンダ(別働隊の小規模金管アンサンブル)が鳴り響き、迫力満点。

続いてミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』と『オペラ座の怪人』が歌・衣裳付きで上演された。『オペラ座の怪人』は嘗てヨハン・デ・メイ編曲版(歌なし)が定演で披露されたが、今回は郷間幹男による編曲。

 ・「吹奏楽の神様」屋比久勲登場!~大阪桐蔭高等学校吹奏楽部 定期演奏会 2014@ザ・シンフォニーホール

僕はこの2つのミュージカルに強い思い入れがあり、生徒さんたちのパフォーマンスを見ながらさまざまな思い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。多分これから演奏しようという若い人たちにも参考になる情報(ネタ)も含まれていると思うので、手繰った記憶を紐解いていこう。

映画『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)に初めて触れたのは地元の岡山市で中学生の時。昭和の時代、1980年ごろの話だ。家庭用ビデオデッキは未だ普及しておらず、レンタルビデオ店すらなかった。昔の映画はテレビ放送をリアルタイムで観るしか手段がなかった。文化祭の日に学校の教室で(8mmか16mmの)フィルム上映されたのだ。しかも3-40分に短縮されたハイライト版。それでも僕は感動した。そして全編を観たいと強く思った。数年後、岡山大学映画研究部が土曜日に映画館を夜間貸し切って名作映画4本を上映するイベントがあり、プログラム最初が『サウンド・オブ・ミュージック』だった。確か、岡山市千日前商店街にあったSY松竹文化だったと記憶している。21時上映開始で僕は1本目だけを観た(他にロベール・アンリコ監督、アラン・ドロン主演『冒険者たち』があったのを覚えている)。全長版を観てびっくりしたのは、短縮版に収録されていた修道院長(ペギー・ウッド)が歌う「すべての山を登れ Climb Ev'ry Mountain」がごっそり無くなっていたこと!大好きな曲なのに……。

のちに判明したのだが、公開直前になってロバート・ワイズ監督からこのソロ・ナンバーをカットするよう指示があったらしい。映画のテンポが間延びすると判断されたのだろう。しかしテレビ放送、ビデオ、DVD、Blu-ray、配信版にはカットされることなく丸々収録されているし、「午前10時の映画祭」でリバイバル上映された際にもあった(多分フィルムではなくデジタル上映だったからだろう)。因みにクレジットされていないがペギー・ウッドの歌はマージェリー・マッケイ(Margery MacKay)による吹替である。

大学入学のお祝いとしてパイオニアのレーザーディスク(LD)プレイヤーを買ってもらい、最初に購入したソフトが『サウンド・オブ・ミュージック』。当時のブラウン管テレビ(横:縦の長さが4:3)のサイズに合わせたトリミング版だった(つまり左右の映像がカットされていた)。後に特典ディスク付きワイドスクリーン版LDを買い、DVDを買い、さらにBlu-rayで買い直した。製作40周年記念版からマリア:島田歌穂、トラップ大佐:布施明という布陣で歌も含めた日本語吹替音声が実現し、製作50周年記念版ではマリア:平原綾香、トラップ大佐:石丸幹二となりこちらも購入。現在はディズニープラスで配信されている(個人的にはどちらかと言えば島田歌穂の歌声の方が好きだ)。

そして大学の卒業旅行で僕はオーストリアのザルツブルクを訪れ、映画のロケ地巡りをした。ドレミの歌が歌われたミラベル宮殿・庭園(花壇がとても美しい!)から毎日、半日ツアーバスが出ており、マリアとトラップ大佐が結婚式を挙げた湖畔の教会にも行った。ツアーの日本人は僕1人だけ。ガイドさんの解説(英語)によると地元の人々は殆どこの映画を観ておらず、全く知られていないそうだ。

アカデミー賞では作品賞・監督賞など5部門受賞した名作だが、Wikipediaによるとオーストリアではザルツブルクを除いて、21世紀に入るまで本作は1度も上映されていないそう。会話が英語なのも馴染めないだろうし、現地の人にとってナチス=ドイツによる併合は忘れたい過去なのだろう。このようにドイツ語圏では否定的な評価を受けている。

アンドリュー・ロイド・ウェバーがプロデュースし、2006年ロンドンで開幕した舞台版も東京の四季劇場〔秋〕で観劇した。

 ・ 劇団四季「サウンド・オブ・ミュージック」 2010.10.18

以前、大阪桐蔭も上演したミュージカル『マイ・フェア・レディ』のブロードウェイとロンドン初演でイライザを演じたのはジュリー・アンドリュースだった。ワーナー・ブラザースがこの映画化権を獲得し、社長のジャック・L・ワーナーがジュリーにスクリーン・テストを受けさそうとした時、彼女は「スクリーン・テストですって? 私があの役を立派にやれることを知っているはずよ」と拒否した。結局、無名の新人ではなく知名度の高いオードリー・ヘップバーンに同役は決まった。オードリーはこの役はジュリーのものだと考え断ろうとしたのが、そうすればエリザベス・テーラーに役が回ると分かりサインしたのだ。

失意のジュリーは『メリー・ポピンズ』(1964)に主演。そしてアカデミー主演女優賞を獲得した。同年公開された『マイ・フェア・レディ』は作品賞・監督賞などアカデミー賞を8部門獲得するがオードリーはノミネートすらされなかった。舞台と同様ヒギンズ教授を演じ主演男優賞を得たレックス・ハリスンは授賞式の壇上で「ふたりのイライザに感謝します」とスピーチした。

オードリーは歌が下手なのでマーニ・ニクソンという女優が吹替を担当した。しかし映画にはクレジットされずマーニは「他人に口外しない」という契約書にサインしている。ただし「いまに見てらっしゃい (Just You Wait)」というナンバーの前半部はオードリーの地声で、高音に移行する途中からマーニに切り替わる。注意深く聴けばはっきりと分かる。声域が狭いオードリーのためにヘンリー・マンシーニが『ティファニーで朝食を』(1961)の主題歌「ムーン・リバー」の音域を1オクターブと1音(つまりドから高いレまでの9音)で収まるように作曲し、アカデミー歌曲賞を受賞したのは有名な話。

マーニ・ニクソンは『王様と私』(1956)のデボラ・カー、『ウエストサイド物語』(1961)のナタリー・ウッドの歌の吹替も担当しているがいずれもノンクレジットである。しかし業界で彼女のことは知れ渡っていた。『ウエストサイド物語』の監督ロバート・ワイズは彼女を『サウンド・オブ・ミュージック』の尼僧役として出演させている。どの役かは歌声を聴けば分かるから探してみてください。映画の撮影が開始されたのは1964年。マーニは主演を務めるジュリー・アンドリュースと初めて対面する時に緊張した。ジュリーはマーニを見つけるとつかつかと彼女に歩み寄り手を差し伸べてこう言った「マーニ、私はあなたのファンです」。

ミュージカル『エリザベート』の演出で有名な小池修一郎(宝塚歌劇団)はかつてジュリー・アンドリュースのファンクラブ会長を努め、彼女が来日したときインタビューしている。故に彼のオリジナル作品には時々『サウンド・オブ・ミュージック』へのオマージュが盛り込まれていたりする(たとえば『蒼いくちづけ』)。

梅田先生も仰っていたが「私のお気に入り/My Favorite Things」はジャズのスタンダード・ナンバーになっており、一番有名なアレンジはジョン・コルトレーンがソプラノ・サックスを吹いた究極の名盤。次にお勧めしたいのはトニー・ベネットがカウント・ベイシー・ビッグ・バンドをバックに歌ったもの。ジャズ・オーケストラのサウンドがゴージャスで堪らない!

僕が『オペラ座の怪人』を初めて観たのは大学生の時。劇団四季の大阪公演でファントム:山口祐一郎、クリスティーヌ:井料瑠美、ラウル:柳瀬大輔というキャストだった。劇団四季は東京公演以外基本カラオケ上演だが、それでも感銘を受けた。後に東京でオーケストラ生演奏版も体験したが楽団員の人数が少なすぎて(弦楽器の各パート1人づつ)音がペラペラ、これなら厚みがあるカラオケの方がマシだと思った。

さらにウエストエンド(ロンドン)とブロードウェイ(NY)、ラスベガスでも『オペラ座の怪人』を観た。生演奏の質は桁違いに良かったし、ハロルド・プリンス新演出によるラスベガス版は舞台で炸裂する火薬の量が多く、シャンデリアは巨大で豪華だった。なんと4つのパーツが空中で回転しながら合体するのである!

 ・ ラスベガス便りその1 《オペラ座の怪人》 2009.01.02

こちらは残念ながら2012年で幕を閉じた。

ガストン・ルルー原作『オペラ座の怪人』のミュージカル化は既成のクラシック音楽を使用したケン・ヒル版や、日本では宝塚歌劇が初演したモーリー・イェストン作詞・作曲による『ファントム』もある。

 ・ 城田優 主演/ミュージカル「ファントム」 2014.10.11 
 ・ 音楽の天使が舞い降りた!!〜ミュージカル「ファントム」 2019.12.12

面白いのはモーリー・イェストン版で怪人(エリック)は歌姫クリスティーヌに亡き母の姿を重ねており(エディプス・コンプレックス)、アンドルー・ロイド・ウェバー(ALW)版ではクリスティーヌがファントムに亡き父の姿を重ねている(エレクトラ・コンプレックス)。つまり解釈が全く異なるのだ。ALWは間違いなくクリスティーヌとファントムの関係性にサラ・ブライトマンと自分のそれを見出している。

ALWとサラ・ブライトマンの年齢差は12歳。サラは1981年『キャッツ』のジェミマ役に起用された際ウェバーに見そめられ84年に結婚、86年『オペラ座の怪人』のクリスティーヌ役に大抜擢され一躍有名になった。しかし1990年に離婚した。そして93年の『サンセット大通り』が事実上ウェバー最後の傑作であり、その後彼の才能は枯渇した。サラは彼にとって正にミューズだった。実際、Blu-rayも発売されている『オペラ座の怪人 25周年記念公演 in ロンドン』でALWはサラを「私の音楽の天使(My Angel of Music)!」と紹介している(ここで嫌そうな表情を浮かべるサラが可笑しい)。

21世紀に入ってからのALWの作品は目を覆いたくなるほど酷いものばかり。映画『オペラ座の怪人』や、『キャッツ』でテイラー・スウィフト演じるボンバルリーナが歌う新曲もどうしようもない代物である。『キャッツ』は映画そのものも惨憺たる評判で、その年のゴールデンラズベリー(通称ラジー)賞で最低作品賞・最低監督賞(トム・フーパー)など最多6部門受賞するという不名誉を授かった。製作総指揮を担ったウェバーはこれにショックを受け、猫好きをやめて犬を飼い始めたという(参考記事はこちら)。かつて「20世紀のモーツァルト」と称賛された天才作曲家は今では見る影もなく、僕の脳内でアンドルー・ロイド・ウェバーは『サンセット大通り』作曲後、人々に惜しまれつつ急逝したことになっている。

大阪桐蔭の生徒さんたちの歌唱力は相当高く、感心することしきり。特に表題曲“The Phantom Of The Opera”でクリスティーヌは最高音hiEを出さなければならない。これを劇場で毎日歌うのは相当過酷であり、世界各国の公演で一部事前録音が使用されているのは有名な話。Bravissimo !

休憩を挟み第II部最初はベルギーの作曲家ベルト・アッペルモントの『ブリュッセル・レクイエム』。2016年3月に発生したベルギーの首都で発生した連続爆破テロ事件をテーマに、その犠牲者への想いが死者のためのミサ曲として結実した。大阪桐蔭は2023年の吹奏楽コンクールでこれを自由曲に選び、全国大会で見事金賞受賞。演奏は正確で緻密、そして伸びやかに歌い、文句なし。ただ背景の映像字幕による曲の解説があったのだが、事件の「犯人像」に全く言及していないのは片手落ちだと思う。イスラム過激派のテロ組織ISIL(イスラム国)が実行犯で、ISILは2015年パリ同時多発テロにも関与している。ISILに触れないのなら生半可な形で背景を語るべきではない。"All or Nothing"だ。

《19年の歩み》は「Mrs.GREEN APPLEメドレー」(編曲:郷間幹男)。全然聴いたことのない曲ばかりで、このバンドが昨年末に日本レコード大賞を受賞したことも今回の演奏会で初めて知った。YOASOBIの『アイドル』が優秀作品賞候補の10作に選ばれなかった時点で「茶番だ、あり得ない!所詮、所属事務所の力関係で決まってしまうんだね」と失望し、完全にレコ大に対する興味を失ったのだ。因みに調べてみるとMrs.GREEN APPLEの所属はユニバーサルミュージックでレーベルはEMI Records。大手だ。結局YOASOBIのAyaseとか米津玄師とかボカロP出身者はレコード会社(仲介業者/エージェント)を通さずインターネットから直接人気者になったわけで、業界が甘い汁を吸えないから無視する、そういうことなのだろう。大人の世界って本当に汚いよね。というわけで近いうちに大阪桐蔭が演奏する『アイドル』を是非生で聴きたい。YOASOBIとコラボした『ラブレター』も死ぬほど好きだ!

 ・ 【考察】全世界で話題沸騰!「推しの子」とYOASOBI「アイドル」、45510、「レベッカ」、「ゴドーを待ちながら」、そしてユング心理学

《野球応援・リクエストコーナー》で飛んできたボールをキャッチした聴衆が選んだのは『北酒場』『パイレーツ・オブ・カリビアン〜彼こそが海賊』(作曲:クラウス・バデルト)そしてMISIAの『アイノカタチ』。

プログラム最後は《卒業生を送る歌》『さくら』(作曲:森山直太朗)。しみじみ。

そしてアンコールは定番『銀河鉄道999』(編曲:樽屋雅徳)と『星に願いを』で〆。そこには壮大な宇宙の広がりと神秘性があった。

例年通り、充実した3時間だった。卒業生たちの未来に幸あれ!

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2024年3月15日 (金)

TBSラジオ「アフター6ジャンクション」に投稿した、映画『アメリカン・フィクション』のレビューが読まれました。

TBSラジオ「アフター6ジャンクション」の週刊映画時評「ムービーウォッチメン」に投稿した原稿が一部抜粋して読まれた。今回対象になった作品は先日のアカデミー賞で脚色賞を受賞し、現在AmazonのPrime Videoで独占配信中の『アメリカン・フィクション』同コーナーに僕の文章が採用されるのはこれが4回目である。

 ・ TBSラジオ「アフター6ジャンクション」に投稿したメールが読まれました。お題はNetflix映画『ROMA/ローマ』 2019.03.08
 ・ 
『ストーリー・オブ・マイ・ライフ/わたしの若草物語』のレビュー 2020.07.02
 ・ 
『ハウス・オブ・グッチ』のレビュー 2022.02.14

Americanfiction

 以下、送ったメールの原文ママ。  

作品賞・主演男優賞などアカデミー賞5部門にノミネートされた本作が日本では劇場公開されず、配信スルーになったのはとても残念です。ほとんど黒人しか出ない映画は恐らく興行的に難しいのでしょう。例えばアカデミー作品賞を受賞した『ムーンライト』(2016)ですが、日本の興行成績は3.5億円。これはその前後に公開されたオスカー受賞作『バードマン』(2014):4.3億円、『スポットライト 世紀のスクープ』(2015):4.4億円、『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017):8.9億円と比較すると寂しい数字です。ミュージカルとしてリメイクされ、今年公開された『カラーパープル』も初週興行成績トップ10にランクインせず、苦戦しているようです。

『アメリカン・フィクション』はアメリカの白人が黒人に対してどういう見方をしているか、そのステレオタイプを風刺することがキモなので、日本人にはピンとこなくても仕方がないかなと思いました。劇中で主人公が「その根底には白人の我々に対する罪悪感がある」と述べていて成る程なと思いましたが、日本人はアフリカ系アメリカ人に対して何ら疚(やま)しい点がありませんから根本的に立場が違います。

それで連想したのが今年のアカデミー主演女優賞です。『キラーズ・オブ・ザ・フラワー・ムーン』のリリー・グラッドストーンはアメリカ先住民として初めて演技部門にノミネートされましたが、英国アカデミー賞(BAFTA)ではされませんでした。イギリス人にはネイティブ・アメリカンに対する罪悪感や忖度が欠片もないからでしょう。

黒人の悲劇を題材とした文学や映像作品を免罪符として消費するアメリカの白人社会という構造は日本に置き換えてみると24時間テレビとかで「がんばる障害者」を出演させ、それを健常者が消費する〈感動ポルノ〉に似たところがあって、色々と考えさせられました。家族のドラマとしても秀逸だったと思います。

ところで『アメリカン・フィクション』主演のジェフリー・ライトはマイク・ニコルズが監督したHBO製作のテレビ・ミニ・シリーズ『エンジェルス・イン・アメリカ』(2003)でエミー賞やゴールデングローブ賞を受賞した時から印象的な役者でした。彼のどこに惹かれるんだろう?とず〜っと考えていたのですが、今回ようやくわかりました!あの低音で響き渡る声がとっても素敵なんです。ダース・ベイダーの声で有名なジェームズ・アル・ジョーンズを彷彿とさせます。

放送された音声(映像付き)はこちらからどうぞ。

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2024年 アカデミー賞総括(宴のあとで)

今年のアカデミー賞予想、僕の的中は全23部門中18部門(外したのは主演女優・短編ドキュメンタリー・短編アニメ・音響・メイクアップ)だった。まぁまぁだが、20部門当てた過去もあるのでちょっとガッカリ。

なお、星海社新書から刊行されている【なぜオスカーはおもしろいのか? 受賞予想で100倍楽しむ「アカデミー賞」】の著者、 Ms.メラニーは18部門的中なので同点。またWOWOWで授賞式の中継番組を担当したフリー(元TBS)アナウンサー・宇垣美里は20部門当てたそうなので (とTBSラジオ「アフター6ジャンクション」で言っていた)、負けました。

昨年まで独立系のA24とか配信系のNetflixなどが強く、元気がなかったメジャー・スタジオが久しぶりに気を吐いた(ユニバーサル・ピクチャーズ の『オッペンハイマー』が7部門、ディズニー傘下サーチライト・ピクチャーズ『哀れなるものたち』が4部門受賞)。配信系は明らかに後退した。

授賞式で助演男優賞を受賞したロバート・ダウニー・Jr.がプレゼンターのキー・ホイ・クァンを無視して他の人々とだけ握手をしたり挨拶を交わしたと非難され、主演女優賞のエマ・ストーンもミシェル・ヨーに対して無礼な振る舞いをしたとして「東洋人を人種差別した」とバッシングを受けた(詳細はこちら)。言いがかりも甚だしい。現在のアメリカで人種問題はとてもセンシティブなのだなぁと改めて実感した次第である。しかしそんな中、『キラーズ・オブ・ザ・フラワー・ムーン』に出演したアメリカ先住民の俳優リリー・グラッドストーンが主演女優賞を獲れなかったのは投票するアカデミー会員の国際化が進み、最早アメリカ国内だけの祭典では無くなったことを端的に示している。だからこそ『君たちはどう生きるか』や『ゴジラ -1.0』が受賞出来たのだろう。本当に良かった。やはり宮崎駿監督は世界の映画人から尊敬されているのだということが良く分かったし、ゴジラの海外人気も日本人の想像以上だ。既にハリウッド・リメイクが何本もあり、ギレルモ・デル・トロ監督『パシフィック・リム』でもKaijuという言葉がそのまま使われている。山崎貴監督が視覚効果賞を勝ち取れたのは「完全にゴジラのおかげ」と言っているのはその通りで、特技監督・円谷英二の時代から培われてきた日本の特撮技術がようやく世界で認められたのだ。授賞式会場に伊福部昭が作曲した『ゴジラ』の音楽が流れたことには感慨深いものがあった。

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2024年3月10日 (日)

2024年 アカデミー賞大予想! (『君たちはどう生きるか』『ゴジラ -1.0』受賞の可能性をどう見るか)

恒例の第96回 米アカデミー賞受賞予想である。2024年の授賞式は日本時間3月11日(月)午前8時から開催される。自信がある(鉄板)部門には◎を付けた。

 ・ 作品賞:『オッペンハイマー』◎
 ・ 監督賞:クリストファー・ノーラン『オッペンハイマー』◎◎◎
 ・ 主演女優賞:リリー・グラッドストーン『キラーズ・オブ・ザ・フラワー・ムーン』
 ・ 主演男優賞:キリアン・マーフィ『オッペンハイマー』◎
 ・ 助演女優賞:ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ『ホールドオーバーズ』◎
 ・ 助演男優賞:ロバート・ダウニー・Jr.『オッペンハイマー』◎
 ・ 脚本賞(オリジナル):ジュスティーヌ・トリエ、アルチュール・アラリ『落下の解剖学』◎
 ・ 脚色賞:『アメリカン・フィクション』
 ・ 視覚効果賞:山崎貴と白組の愉快な仲間たち『ゴジラ -1.0』
 ・ 美術賞:『哀れなるものたち』◎
 ・ 衣装デザイン賞:ホリー・ワディントン『哀れなるものたち』◎
 ・ 撮影賞:ホイテ・ヴァン・ホイテマ『オッペンハイマー』◎
 ・ 長編ドキュメンタリー賞:実録 マリウポリの20日間 ◎
 ・ 短編ドキュメンタリー賞:The ABCs of Book Banning
 ・ 編集賞:ジェニファー・レイム『オッペンハイマー』◎
 ・ 国際長編映画賞:関心領域(イギリス)◎◎◎
 ・ 音響賞:『オッペンハイマー』◎
 ・ メイクアップ賞:『マエストロ』
 ・ 作曲賞:ルドウィッグ・ゴランソン『オッペンハイマー』◎◎◎
 ・ 歌曲賞:“What Was I Made For?”『バービー』◎◎◎
 ・ 長編アニメーション賞:君たちはどう生きるか
 ・ 短編アニメーション賞:Letter to a Pig
 ・ 短編実写映画賞:ヘンリー・シュガーのワンダフルな物語

 

今年の主要部門(作品・監督・演技)は鉄板で、波乱は殆ど無いだろう。

あるとしたら主演女優賞のエマ・ストーン『哀れなるものたち』くらいか。同じパターンだったのが昨年で、純粋に演技だけ見ればケイト・ブランシェットの圧勝なのにミッシェル・ヨーが受賞した。「有色人種に演技賞を与えなければ」という政治的配慮(ポリティカル・コレクトネス)が働いたのだ。その根底には『アメリカン・フィクション』で描かれたように白人たちの罪悪感が潜んでいる。今年の場合、僕はリリー・グラッドストーンよりエマ・ストーンの演技の方が断然優れていると思う。しかし「アメリカ先住民の俳優に初めてオスカーを与える」ことが何よりも重要で、最優先事項と言っても良い。これは『ゴッド・ファーザー』(1972)でマーロン・ブランドが主演男優賞を受賞した時、ネイティブ・アメリカンを自称するサチーン・リトルフェザーが壇上に立ち、「今日の映画業界におけるアメリカ先住民の扱いに抗議する」という理由で受賞を拒否するという声明を読み上げようとした事件に端を発する(彼女の死後、実は出自を偽りネイティブ・アメリカンでなかったことが判明した)。 あれから半世紀以上経った。

因みに英国アカデミー賞(BAFTA)はエマ・ストーンが受賞したが、リリー・グラッドストーンはそもそもノミネートすらされなかった。つまりイギリス人にはアメリカ先住民に対する罪の意識がかけらもないので、そこに忖度が発生しなかったということだ。

メイクアップ賞は『マエストロ』でなく『哀れなるものたち』かも知れない。

というわけで『オッペンハイマー』が最多の8部門(±1)受賞、『哀れなるものたち』が2部門(美術・衣装)あるいは3部門、『バービー』がビリー・アイリッシュの歌曲賞1部門のみという未来が大体見えてきた。

逆に全然わからなくて楽しみなのが長編アニメーションと視覚効果部門だ。

前者について。前哨戦を見る限り『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』が圧倒的に優勢である。アニメのアカデミー賞と言われるアニー賞も全米製作者組合(Producers Guild of America)賞も受賞した。しかしゴールデン・グローブ賞と英国アカデミー賞(BAFTA)は宮崎駿に行った。BAFTAを宮さんが制したのが大きい。

米アカデミー賞は作品賞同様に長編アニメーション賞もアカデミー会員が全員投票出来る仕組みになっている。つまり専門家だけではなく、スピルバーグやギレルモ・デル・トロ、ジェームズ・キャメロンなど実写の映画監督や俳優たちも投票するわけだ。そして現在はアメリカ国内だけではなく、海外にも沢山の会員がいる(招待された日本人は北野武、是枝裕和、仲代達矢、真田広之、菊地凛子、細田守、新海誠、片渕須直など)。アフリカ系女性として初めてアメリカ映画芸術科学アカデミー会長になり、女性や有色人種の会員を増やすなど組織の多様化を推し進めたシェリル・ブーン・アイザックス(任期2013年~17年)のおかげである。韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が作品賞・監督賞を勝ち得たのも海外の投票者が増えたからだ。この年、全米製作者組合(PGA)と全米監督協会(DGA)賞を制したのは『1917 命をかけた伝令』(米英合作)だった。僕は今回、このシステムが宮さんに有利に働くのではないか?と期待している。

専門家の立場から言えば技術革新が目覚ましい『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』を選ぶだろう(アニー賞がそうなった)。しかしこれは2部作の前編であり物語が中途半端に終わっている。一方Hayao Miyazakiは高齢であり、彼を讃えるチャンスはこれが最後かもしれない。『スパイダーマン』は次作で賞を与えても遅くない。そういう意識が投票者に芽生えるのではないか?さらにアメコミを嫌っている映画人も少なからずいる……最早心理戦である。

視覚効果賞について。ハリウッド大作と比べると『ゴジラ -1.0』(東宝)は余りにも低予算であり、本来ならVFXで太刀打ち出来る筈もない。製作費は未公表だが海外では1500万ドルと報道されており、22億円くらい。一方、有力候補と言われている『ザ・クリエイター/創造者』(20世紀スタジオ)が8000万ドル(約120億円) 。何と5倍以上である!!しかし米国の興行収入では『ゴジラ -1.0』が上回った。スピルバーグも山崎監督に対して「3回観たよ」と褒めてくれた。『ゴジラ -1.0』にチャンスがあるとすれば「お金がなくてもよく頑張ったね」とその心意気を買ってくれる可能性に賭けるしかない。そして幼少期にゴジラなど東宝の怪獣映画を観て特撮監督・VFXスーパーバイザーになろうと決心した人も少なくない。 

実は視覚効果部門の投票傾向には昔から大きな特徴があり、まずCGについてはあまり評価をしない。『スター・ウォーズ』シリーズは全面的にデジタルに移行したプリクエル(エピソード1−3)以降、受賞出来ていない。一方でCGを極度に嫌うクリストファー・ノーランの映画は過去3回受賞している(今回の『オッペンハイマー』は最初から対象外)。つまり“手作り感”が好まれる。そして非常に低予算の『エクス・マキナ』が受賞し、皆を大いに驚かせたことがある(これを当てた人は殆どいなかった)。だから『ゴジラ -1.0』の受賞があり得ると僕は考える。正直、対抗馬もあまり強くないしね。

冷静な分析として『君たちはどう生きるか』と『ゴジラ -1.0』受賞の可能性はどちらも40%くらい(国際長編映画賞候補の『PERFECT DAYS』は0%)。少なくともどちらかは受賞出来るのではないか?もし、どちらも獲れたらもう泣いちゃうよ。

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2024年3月 8日 (金)

落下の解剖学

評価:A+

カンヌ国際映画祭で最高賞パルム・ドールおよび、犬の演技に対して与えられるパルム・ドッグ賞を受賞(犬のスヌープがけだし名演!これは必見)。米アカデミー賞では作品賞・監督賞(ジュスティーヌ・トリエ)など5部門にノミネートされた。公式サイトはこちら

Anatomy2

この映画は事実と真実、フランス語ではfait(フェ)とvérité(ヴェリテ)がテーマだと僕は解釈した。

事実とは実際に起こったうそ偽りのない事柄のことで、真実は事実に対する偽りのない解釈のこと。つまり事実には人が関与しないが、真実には人が関与する。「真実はいつもひとつ」ではなく、「真実は人の数だけある」。

本作を観て、裁判とはお互いが「真実」だと考えることを巡って相克する場なのだと思った。検察側が信じる「真実」があり、被告である妻と弁護側にも別の「真実」がある。そして11歳の息子は両者が語る「物語」のどちらかを選択するよう迫られる。このことを通して少年の成長が描かれる。考えてみれば我々の人生は「自分の物語を選ぶ」ことの繰り返しで構成されているのだ。

裁判で明かされた録音音声の中で、小説を書けず悩む夫は妻が自分のアイディアを盗んだと攻める。しかしサンドラは元々20ページ程度の草案を自分は300ページの小説として完成させたと主張する。つまりそこに彼女の「解釈」が加わっており、自分の作品だというわけだ。歴史・時代小説を例に取ると分かりやすいだろう。徳川家康の生涯という「事実」があり、そこに作家が「解釈」を加えることにより様々な作品が生まれている。

そもそも、夫が転落死して妻が殺したのではないかと疑われるという『落下の解剖学』のプロットはパク・ヌチャク監督『別れる決心』(2022)や増村保造監督『妻は告白する』(1961)を彷彿とさせる。特に後半で裁判劇となる展開は『妻は告白する』にそっくり。しかし映画を観終えたときの印象はそれぞれ異なる。つまり同じ構造を持っていても「解釈」によって全く別の作品が生まれるということだ。

「真実」とは何か?「物語」とは何か?そういったことどもに思考を巡らせずにはいられなくなる、哲学的示唆に富み、奥深い傑作だと思う。

Anatomy

以下余談。現在進行中のウクライナでの戦争はどうだろう?我々自由主義陣営の目から見ればロシアによる軍事侵攻は帝国主義の発露であり、明らかな国連憲章違反である。しかしプーチンの理屈ではウクライナでファシストが実権を握り、ロシア系住民が弾圧されていることに対して自衛権を行使しているだけだということになる。そしてこの物語を大多数のロシア人たちは「真実」だと信じており、プーチンに対するロシア国内の圧倒的支持率は揺らがない。

中東ガザ地区での戦闘も同様だ。イスラエル側も、イスラム組織ハマス側も自分たちが「正義」だと信じ、それぞれに別の「真実」がある。人は結局、見たいものしか見ないのだろう。

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2024年3月 1日 (金)

夜明けのすべて

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評価:A

Yoake

今から三十数年前、大学生の時に僕は映画館で『恋人たちの予感』(1989)を観た。(「ラブコメの女王」と呼ばれた)絶頂期のメグ・ライアンは光り輝くばかりにキュートで、監督のロブ・ライナーも脚本のノラ・エフロンも大好きなのだが、一つだけどうしても許し難い点があった。冒頭で〈恋愛感情抜きに男女の友情は成立するのか?〉という問題提議がされるが、最終的にハリー(ビリー・クリスタル)とサリー(メグ・ライアン)はセックスする。つまり〈男女の友情など成立し得ない〉という結論を出されたわけで、とてもショックだった。

この心的外傷は癒えぬまま歳月が過ぎていったが、そこへアイルランドから颯爽と登場したのがジョン・カーニー監督である。2007年に公開された『ONCE ダブリンの街角で』や後の『はじまりのうた』で見事に恋愛抜きの男女の友情を描いてくれて、溜飲が下がった。

そして恐らく『恋人たちの予感』が投げかけた問いに対する日本からの初めての回答が『夜明けのすべて』なのではないだろうか?

〈他者の心を理解することは不可能だけれど、その人に寄り添い、歩調を合わせることは出来る。それは男女を問わない〉というテーマがひしひしと胸に迫る。遺伝子を残すための本能としての求愛ではなく、思いやりから生まれる行動こそが人の人たる所以(ゆえん)だろう。

ゆったりと時間が流れる中、声高ではなく静かな波のように心を洗ってくれる、そんな素敵な映画だと思う。

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2024年2月14日 (水)

From Screen to Stage and back to Screen ミュージカル映画「カラーパープル」(1985年に渦巻いた壮絶なハラスメントについても語ろう)

評価:A+

1985年に公開されたスティーヴン・スピルバーグ監督の映画『カラーパープル』は猛烈なハラスメント(いじめ/嫌がらせ)の嵐に晒された。今でこそスピルバーグは押しも押されもせぬ大監督として世間から認知されているわけだが、当時はそうでなかった。1975年に『ジョーズ』、1981年に『レイダーズ/失われたアーク《聖櫃》』、そして82年に『E.T.』を撮り爆発的なヒットを連発、同業者から激しい嫉妬を買い「あいつは娯楽映画ばかり撮っている金の亡者」的に見られていた。つまり頑なにスピルバーグ映画の芸術性は認めないぞという雰囲気がハリウッドでは支配的だったのである。例えるならAKB48や坂道シリーズ(乃木坂・欅坂→櫻坂・日向坂)でボロ儲けした秋元康が「秋豚」と蔑称され、作詞家としての彼の才能が軽んじられている日本の現状に似ているだろう。

 ・ 秋元康プロデュース・欅坂46「サイレントマジョリティー」を讃えて(あるいは、アメリカの闇)
 ・ 【増補改訂版】「君の名は希望」〜作詞家・秋元康を再評価する

『E.T.』は米アカデミー賞で作品賞・監督賞にノミネートされたが、受賞したのはリチャード・アッテンボロー監督の『ガンジー』だった。

Purple

スピルバーグはどうしてもオスカーが欲しかった。そこでアリス・ウォーカーの小説に目をつけた。しかしメイン・キャストがほぼ黒人で、白人が殆どで出てこない『カラーパープル』を白人が監督することに批判が集まった。結局アカデミー賞では作品賞を含む10部門11ノミネート(助演女優賞が重複)されたにもかかわらず、なんとスピルバーグは監督賞候補に入らなかった。そして蓋を開けてみると受賞ゼロ、全滅だった。正に「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」だ。そんな風に当時のハリウッドは悪意に満ち溢れていた。結局、作品賞・監督賞を制覇したのはシドニー・ポラックの『愛と哀しみの果て』。凡庸な駄作である。

僕は『未知との遭遇 特別編』(1980)以降、スピルバーグの全映画を公開時に映画館で観ており『カラーパープル』も例外ではない。大いに気に入り、後にレーザーディスク(LD)も購入した。

ここで日本の雑誌「キネマ旬報」1986年度 外国語映画ベストテンを見てみよう。第3位が『蜘蛛女のキス』(アカデミー作品賞・監督賞ノミネート)、第6位が『カラーパープル』、そして『愛と哀しみの果て』が12位。この評価からも分かる通り、アカデミー史上最悪のミスジャッジであった。余談だがミスジャッジで思い出すのが1998年に公開された『恋におちたシェイクスピア』でグウィネス・パルトロウが主演女優賞を受賞した「とんでも事件」。この年は『エリザベス』のケイト・ブランシェットや『セントラル・ステーション』のフェルナンダ・モンテネグロが候補だったわけで、グウィネスというのはどう考えてもあり得ない選択だった。その後"MeeToo"運動を経て、『恋におちたシェイクスピア』のプロデューサーだったハーベイ・ワインスタインが告発され逮捕(禁固刑は合計39年を言い渡された)。グウィネスが証言するかどうかが焦点となり、遂に彼女が受賞したからくりが判明したというわけ。閑話休題。

 ・ 映画「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」 2023.02.07

漸くスピルバーグ映画がアカデミー作品賞・監督賞を受賞するのは『シンドラーのリスト』(1993)である。これはホロコーストを描いた作品であり、ハリウッドの重役にユダヤ人が多いことは周知の事実(ワインスタイン兄弟もユダヤ人)。有無を言わせぬ鉄板ネタであった。

『カラーパープル』はウーピー・ゴールドバーグの映画デビュー作で、僕はこれでアカデミー主演女優賞を受賞すべきだったと今でも思っている。結局彼女は『ゴースト/ニューヨークの幻』の胡散臭い女霊媒師役で助演女優賞を受賞するのだが、まぁこれは「あの時あげられなくてゴメンね。これで堪忍して」といった残念賞的意味合いが強かった。因みにウーピーはTV界のEmmy(エミー賞)、音楽界のGrammy(グラミー賞)、映画界のOscar(アカデミー賞)、そして舞台のTony(トニー賞)というエンターテイメントの最高峰に位置する栄冠を4つとも受賞したEGOTであり、現時点でEGOTを達成したのはオードリー・ヘップバーン、リチャード・ロジャース、メル・ブルックス、アンドリュー・ロイド・ウェバー、ジェニファー・ハドソン、ジョン・レジェンド、エルトン・ジョンら19人しかいない。

『カラーパープル』は2005年にブロードウェイでミュージカル化され、その10年後にシンシア・エリヴォ、ジェニファー・ハドソン主演で再演。第70回トニー賞ではミュージカル・リバイバル作品賞とミュージカル主演女優賞(シンシア・エリヴォ)の2冠に輝いた(『ハミルトン』が11部門攫った年だ)。シンシア・エリヴォは2019年に映画『ハリエット』に出演しアカデミー主演女優賞にノミネートされ、主題歌も歌った。現在はミュージカル映画『ウィキッド』を撮影中(エルファバ役)。

今回の映画はこのブロードウェイ版に基づいている。製作にスティーヴン・スピルバーグ、クインシー・ジョーンズ(前作で音楽を担当)、オプラ・ウィンフリー(前作でソフィアを演じアカデミー助演女優賞候補に)らが名を連ね、製作総指揮には原作者アリス・ウォーカーの名前も。監督はブリッツ・バザウーレ、ガーナ出身だそう。上映時間141分で、なんと85年版の154分より短い!

製作陣にウーピーの名前がないから彼女は本作に思い入れがないのかな?残念だなと思っていたら、本編を観るとカメオ出演していたのでむっちゃ嬉しかった。

率直な感想。スピルバーグ版よりもミュージカル版の方が良かった。上映時間が短いことからも分かる通り展開が早いし、何よりミュージカル・シーンが素晴らしい。歌も、踊りも。ゴスペル(アフリカ系アメリカ人によって生み出された教会音楽)とかブルースが、黒人たちの辛い労働・日常生活から生まれた「叫び」であることがとても良く理解出来る仕組みになっている。本作にとってミュージカルという形式が最も相応しかった、と言えるだろう。

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2024年2月 9日 (金)

哀れなるものたち

評価:A+

ベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞。アカデミー賞では作品賞・監督賞・主演女優賞・助演男優賞など11部門にノミネートされている。これはクリストファー・ノーラン監督『オッペンハイマー』の13部門に次ぐもの。映画公式サイトはこちら

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R18+指定の本作を観終えた瞬間、僕は「セックスはスポーツだ!」と思った。既に『ラ・ラ・ランド』でアカデミー主演女優賞を受賞しているエマ・ストーンが「そこまでしなくても」と言いたくなるくらい全編に渡り脱ぎまくるわけだが、不思議と嫌らしさとか不快感はない。エマは今回プロデューサーも兼任しているわけで「男たちの欲望により、本人の意志に反して無理やり脱がされている」という雰囲気が全くないからだろう。むしろセックス・シーンは爽快に汗をかいているという開放感すらあった。

一体誰が「哀れなるものたち(Poor Things)」なのか?それは主人公ベラに対して、「父権主義」を振りかざす男たちのことだというのが僕の解釈だ。助平親父を演じたマーク・ラファロが秀逸。ベラを支配するつもりが精神的に急速に成長する彼女に置いてきぼりにされ、映画後半未練たらしくつきまとう姿は滑稽で爆笑した。今年のアカデミー助演男優賞候補の中ではアイアンマン(『オッペンハイマー』のロバート・ダウニー・Jr.)が優勢とされているが、超人ハルク(映画では三代目)も頑張れ!と応援したくなった。

ヨルゴス・ランティモス監督は『籠の中の乙女』『ロブスター』『聖なる鹿殺し』といったこれまでの作品で一貫して、父親・社会・神(『聖なる鹿殺し』でバリー・キオガン演じる謎の少年マーティン)といったものから一方的に押し付けられる不条理なルールに主人公が絡め取られ、苦悩する映画を撮ってきたわけだが、本作のベラは赤ん坊の脳を移植されることで「純粋無垢」という資質を獲得しており、そういった社会規範・コードから軽やかに抜け出してどんどん先に進んでいく。そこに監督が今回切り開いた新世界を見たし、〈エマ・ストーン〉力でもあるのかも知れない。

僕が今までで一番強烈な印象を覚えた映画のヒロインは中学生の時に初めて観た『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラで、彼女もアメリカ南北戦争当時の社会規範から逸脱した存在だ。あれから40年を経て、ようやくスカーレットに匹敵するキャラクターに出会えたと嬉しくなった。

あと、人工的な海に浮かぶ船を見て真っ先に連想したのが『フェリーニのアマルコルド』。帰宅し調べてみると案の定、監督が脚本家に渡した参考資料にフェリーニの『そして船は行く』が含まれていたという記事を見つけた(こちら)。

『哀れなるものたち』が持つフェリーニ的強烈な色彩感とか幻想性といった特徴は『ロブスター』や『聖なる鹿殺し』には認められない。ベラ同様ヨルゴス・ランティモスも本作でNext Stageに突き抜けた!、と快哉を叫びたくなった。

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2024年1月17日 (水)

映画「マエストロ:その音楽と愛と」のディープな世界にようこそ!(劇中に演奏されるマーラー「復活」日本語訳付き)

公式サイトはこちら

〈スピルバーグからブラッドリー・クーパーへ託された想い〉

映画"Maestro"は元々マーティン・スコセッシ監督が企画を温めていたのだが『アイリッシュマン』を先にすることになり、手が回らなくなった。 そこでスティーヴン・スピルバーグに白羽の矢が立った。スピルバーグは当初相当乗り気だったが、ブラッドリー・クーパーが監督・主演した『アリー/スター誕生』を観て考えを改めた。クーパーには傑出した演出の才能があるから彼に任せたらいいだろう、と思ったのである。これはブロードウェイ・ミュージカル『キャバレー』を鑑賞して、その演出家であるサム・メンデスを自分が企画を抱えていた『アメリカン・ビューティ』の監督に迎えたひらめきに似たものがある(それまでメンデスは映画を撮ったことがなかったが初監督作品でアカデミー賞を受賞した)。またスピルバーグ自身、長年温めてきた企画『ウエスト・サイド・ストーリー』再映画化を実現し、やりきったと満足したことも大きいだろう。

 ・【永久保存版】どれだけ知ってる?「ウエスト・サイド・ストーリー」をめぐる意外な豆知識 ( From Stage to Screen ) 2021.12.01
 ・ 
映画「ウエスト・サイド・ストーリー」(スピルバーグ版) 2022.03.10

こうして本作はスコセッシとスピルバーグが製作に回るという強力な布陣となった。

〈同性愛〉

ブロードウェイ・ミュージカル『ウエストサイド物語』の作曲家で20世紀後半、ヘルベルト・フォン・カラヤンと並び立つ大指揮者でもあったレナード・バーンスタインが同性愛者であることは彼の生前から周知の事実であった。ただ僕がどうしても分からなかったのは、純粋に男だけが好きなゲイだったのか、バイセクシャル(両性愛者)だったのかということ。彼はフェリシアと結婚し子供を3人もうけた訳で、「本当に妻を愛していたのだろうか?、それともチャイコフスキーのように世間を欺くための〈偽装結婚〉に過ぎなかったのか?」というのが長らく関心事であった(チャイコフスキーの結婚生活はわずか6週間で破綻、彼は入水自殺を図る)。レニー(以下バーンスタインをこう呼ぶ)は最後までカミングアウトしなかったから。

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評価:A

2023年12月20日からNetflixで配信されているブラッドリー・クーパー脚本・監督・主演の映画『マエストロ:その音楽と愛と』を観て学んだこと。まず夫婦の関係というのは奥深く、本人にしか完全に理解するることが出来ないのだということ(「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」と言うではないか)。本作から真っ先に連想したのはケヴィン・クラインが主演した2004年の映画『五線譜のラブレター』(傑作!)である。ミュージカルの作曲家コール・ポーター(『エニシング・ゴーズ』『ナイト・アンド・デイ』『ビギン・ザ・ビギン』)とその妻リンダの関係を描く作品で、コール・ポーターはゲイだったが、リンダは心底彼のことを愛していた。

学んだことの2点目。ゲイとバイセクシャルの境界は曖昧で、多分それを区別することに余り意味はないということ。両者は虹色のグラデーションのように切れ目なく繋がっていて、だから近年LGBTQ+という概念が生まれたのだろう。ただ困るのは〈LGBT→LGBTQ→LGBTQ+〉と用語が年々変わって(足されて)きて各種メディアでも表記がバラバラなので統一して欲しい。

〈映画の勝因〉

本作がどうして成功したかと言うと、やはり夫婦の関係に焦点を絞ったことにあるのではないだろうか。例えば『ウエストサイド物語』空前の大ヒットという史実をスッポリ飛ばしてしまっているのだが、これを物語に取り込んでしまうとテーマがボケてしまう。偉大な指揮者/作曲家の伝記を目的とする映画ではないのだ。面白いのはレニーとフェリシアの3人の子供たちがこの映画を支持し、ブラッドリー・クーパーに全面協力している点。例えばこちらの記事をご覧あれ。

三島由紀夫をゲイとして描いたポール・シュレイダー脚本・監督、緒形拳主演『Mishima』(1985)が三島家の逆鱗に触れ、日本公開はおろか未だに日本でDVD/Blue-rayを発売する目処も立っていないのとは対照的だ。

 ・ 幻の映画「Mishima」〜三島由紀夫とは何者だったのか? 2020.03.02

あとフェリシアを演じたキャリー・マリガンが心底素晴らしい!特筆に値する。是非、映画のエンド・クレジットに注目して欲しい。なんとブラッドリー・クーパーより先にキャリー・マリガンの名前が出てくるのだ。クーパーは優しい人だ。

〈レナード・バーンスタインの遺品を貰った日本人〉

レニーの遺品を譲り受けた日本人指揮者がふたりいることをご存知だろうか?まず大植英次がレニー生涯最後のコンサートで使用した指揮棒とジャケットを遺族から譲られており、佐渡裕はベストを貰った。下記事にその写真を掲載している。

 ・ バーンスタインに捧ぐ~佐渡 裕/PACオケ 定期 2008.11.25

〈最後の来日をめぐる大騒動〉

レニー最後の来日公演が開催された1990年、僕は大学を卒業したばかりで岡山県岡山市に住んでいた。7月20日京都会館での演奏会に行こうかどうしようか最後まで迷っていた。ロンドン交響楽団を指揮してブルックナーの交響曲第9番が予定されていた。しかしマーラーならいざ知らず、ブルックナーはレニーの得意分野ではない。交通費も馬鹿にならない。思慮に思慮を重ねた上で断念した(もしマーラーの9番だったら万難を排してチケットを購入しただろう)。結局レニーは東京公演の途中で体調を崩し、残る予定を全てキャンセルし帰国、京都公演はマイケル・ティルソン・トーマスが振り曲目も変更になった。東京公演ではレニーが指揮する予定だった「ウエス・サイド物語~シンフォニック・ダンス」を“弟子の若い日本人”が代演したため、払い戻しをする・しないで主催者側と聴衆のすったもんだが起こった事が大々的に報じられ、僕は新聞記事でそれを読んだ(後に当時無名の“若い日本人”指揮者が大植英次だったことを知る)。その年の10月14日にレニーは肺癌で亡くなった。映画の中でも描写されている通り、彼はヘビースモーカーだった。

  大植英次、佐渡 裕~バーンスタインの弟子たち 2008.02.29

〈ユダヤ人の血〉

レニーの父サムはロシアのウクライナに生まれたユダヤ人で、ユダヤ教のラビ(律法学者)を代々務める一家だった。彼は16歳の年に反ユダヤ主義が高まる祖国を出て単身アメリカに渡った(ウクライナのユダヤ人がどのように迫害されていたかは映画化もされたミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』を参照されたい)。サムは叔父の営む理髪店で働いた後にパーマネントなど美容器具販売業で成功を収めた。母ジェニーもウクライナ生まれで7歳の時にアメリカに移住、12歳から羊毛工場で働いた。ふたりは新大陸で出会い結婚、レニーが生まれた。そんな家庭だったから音楽とは縁がなく、父はレニーが音楽家になることに反対した。クレズマー(中欧や東欧に住むユダヤ人の伝統音楽)を演奏する哀れな辻音楽師(street musician)のイメージを持っていたからである。

レニーがユダヤ人作曲家マーラーの音楽に心酔していた理由や、自作の交響曲第1番『エレミア』でメゾソプラノがヘブライ語で歌うのはこうした背景がある。幼い頃、父親からみっちりタルムード(モーセが伝えた口伝律法)を仕込まれていたのだ。なお、世界で初めてマーラーの交響曲全集をレコーディングしたのは彼である。

〈鮮烈な楽壇登場〉

映画は1943年11月14日から始まる(日付はクレジットされない)。急病でキャンセルしたブルーノ・ワルターの代役としてぶっつけ本番でニューヨーク・フィルの指揮台に立ち、ラジオでも放送されていたこともありセンセーショナルなデビューを果たした。この日のプログラムは以下の通り。

 ・シューマン:マンフレッド序曲
 ・ミクロス・ローザ:主題、変奏曲と終曲 
 ・R.シュトラウス:ドン・キホーテ
 ・ワーグナー:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第一幕への前奏曲

ここで留意したいのは真珠湾攻撃の後、第二次世界大戦最中の出来事だったということ。ドイツ・ベルリンに生まれたワルターはユダヤ人でウィーン国立歌劇場やウィーン・フィルでフルトヴェングラーと人気を争うほど活躍していたが、ナチス・ドイツの台頭でスイス経由でアメリカに亡命を余儀なくされた。ウィーンを去る直前の1938年に録音されたウィーン・フィルとのマーラー:交響曲第9番のライヴ録音は歴史的名演としてよく知られている。

またミクロス・ローザ(ロージャ・ミクローシュ)はハンガリー・ブタペストに生まれた。両親はユダヤ系の血筋で1939年ドイツに併合された祖国を離れ、ハリウッドで映画音楽作曲家になった。アルフレッド・ヒッチコック監督『白い恐怖』やウィリアム・ワイラー監督『ベン・ハー』などで3度アカデミー作曲賞を受賞。余談だがバレエ音楽『中国の不思議な役人』や『管弦楽のための協奏曲』で有名なバルトーク・ベーラもハンガリーに生まれた大作曲家で、第二次世界大戦が勃発しヒトラーを憎む彼は祖国を離れ渡米、貧困に喘ぎながら白血病に罹りニューヨーク州ブルックリンで亡くなった。そういう時代だった。閑話休題。

レニーはこのデビューをきっかけに1958年、アメリカ生まれの指揮者として史上初めてニューヨーク・フィルの音楽監督に就任することになる。それまではジョージ・セル(ハンガリー)やフリッツ・ライナー(ハンガリー)、ユージン・オーマンディ(ハンガリー)、アルトゥーロ・トスカニーニ(イタリア)、レオポルド・ストコフスキー(イギリス)といったヨーロッパ出身の指揮者たちがアメリカのクラシック音楽界を牛耳っていたのだ。

〈映画『波止場』とエリア・カザン〉

冒頭でティンパニの連打が高鳴る音楽はマーロン・ブランド主演、エリア・カザン監督の『波止場』。レニーが作曲した唯一の映画音楽(劇伴)である。どうしてこれしか携わらなかったのか?大植英次によると「勝手にミキサーで音量を調整されて自分が意図したものとは違う仕上がりになり、嫌気が差したんだ」と語っていたそう。赤狩りの最中、かつて共産党員だったカザンは「ハリウッド・テン」の仲間たちを売った“裏切り者”なので、レニーが当時何を考えていたのか興味深いところである。

 ・ 宮崎駿「風立ちぬ」とエリア・カザン~ピラミッドのある世界とない世界の選択について 2013.08.28

〈『ファンシー・フリー』から『オン・ザ・タウン』→『ウエスト・サイド物語』へ〉

続く新作の稽古場面。レニーが「ジェリー」と呼んでいるのは振付師ジエローム・ロビンスのこと。ここで制作進行しているのがバレエ『ファンシー・フリー』。1944年ニューヨーク・シティ・バレエ団が初演した。3人組の水兵が休暇で船を降りニューヨークを散策するという内容で、このプロットを発展させたのがブロードウェイ・ミュージカル『オン・ザ・タウン』である。そしてレニーとジエローム・ロビンスのコンビは後に『ウエスト・サイド物語』を生み出すことになる。

映画冒頭からレニーの恋人として登場するデイビッド・オッペンハイムは有名なクラリネット奏者で画家のエレン・アドラー(スタニスラフスキー・システムを継承する演技指導者ステラ・アドラーの娘)と結婚した。エレンが主催するホーム・パーティでレニーとフェリシアは出会う。その会場で「ベティとアドルフ」と呼ばれているのはベティ・コムデンとアドルフ・グリーンという作詞・脚本家のコンビ。『オン・ザ・タウン』の仕事がMGMの大プロデューサーであるアーサー・フリードの目に止まり、ハリウッドの招かれミュージカル映画『踊る大紐育』『雨に唄えば』『バンド・ワゴン』といった傑作群で共同脚本を執筆した。二人がパーティで歌っている"Carried Away"は『オン・ザ・タウン』のナンバー。なおアドルフ・グリーンは1989年、バーンスタインがロンドン交響楽団を指揮した演奏会形式のミュージカル『キャンディード』(全曲)上演にパングロス博士として出演しており、その様子はDVDで鑑賞することが出来る。

〈白黒から総天然色へ〉

映画は前半モノクローム映像だが半ばでカラーに切り替わる。その転換点で10年以上の歳月が一気に経過しているという構成だ。白黒の最後らへんに『ウエストサイド物語』(1957年8月初演)制作発表記者会見みたいな場面があるので恐らく1956年頃。総天然色になってすぐ、レニーの伝記を書こうとしている作家との対談で、「テレビ出演を始めてから15年、ニューヨーク・フィルの音楽監督になって10年」と言っている。最初のTV番組が「オムニバス(OMNIBUS)」で放送開始が1954年(有名な「ヤング・ピープルズ・コンサート」より前)、音楽監督就任が58年なので時代設定は1968−9年と推定される。この時レニーが作曲しているのは歌手、演奏者、ダンサーのためのシアター・ピース『ミサ曲』で1971年ワシントンのケネディ・センターで初演された。

 ・ バーンスタイン「ミサ曲」と「ジーザス・クライスト・スーパースター」 2017.07.15

〈マーラー:交響曲第5番〜アダージェットと『ベニスに死す』〉

モノクロームからカラーに切り替わる場面でレニーが指揮しているのがマーラー:交響曲第5番 第4楽章 アダージェット。言わずと知れた、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』(1971)で一躍有名になった音楽だ。

『ベニスに死す』の主人公である作曲家グスタフ・アッシェンバッハはゲイとして描かれており、だから『マエストロ』でも、レニーの弟子(架空の人物)をケイト・ブランシェットが演じる映画『TAR/ター』でもアダージェットが引用されている。

 ・ クラシック通が読み解く映画「TAR/ター」(帝王カラヤン vs. バーンスタインとか) 2023.05.27

ただしグスタフ・マーラー自身はゲイではなく、アダージェットは愛する妻アルマに捧げられた楽曲である。ではクラシック音楽に造詣が深いヴィスコンティは何故主人公をゲイに設定したのか?実は別の明確なモデルがいたのだ。詳しくは下記事に書いた。

 ・ ヴィスコンティ映画「ベニスに死す」の謎 2011.10.18

〈レニーと大植英次の出会い〉

フェリシア・モンテアレグレ・コーン・バーンスタインが亡くなったのが1978年6月16日。大植英次がタングルウッド音楽祭でレニーと出会ったのが1978年の夏(フェスティバル開催期間は例年6月〜7月)。ほぼ同時期である。このとき彼は21歳だった。タングルウッドで大植がピアノを弾いている時に横からやたらと話しかけてくる初老の男がいて、うるさいからと手で追い払おうとしたらその人物がバーンスタイン本人であった、というのが初対面だった。このエピソードは大阪市で開催された演奏会で大植自身が語るのを僕は生で聞いた。

Eiji

〈マーラー『復活』映画で演奏される該当部分の日本語私訳〉

映画の後半でマーラーの交響曲第2番『復活(Auferstehung)』第5楽章フィナーレが演奏される。これは本人がロンドン交響楽団を指揮した映像が残されており、1973年9月にイギリス、ケンブリッジの近くにあるイーリー大聖堂で収録された。イーリー市はロンドンから電車で1時間半、102kmくらいのところにある。ちょうど東京ー熱海間(関西で言えば京都ー舞鶴間)の距離に相当する。僕はDVDを持っており、ドイツ・グラモフォンが2023年に開始した映像配信サービス「ステージプラス」では現在無料配信されている。音楽をすることの歓びを爆発させた、圧巻のパフォーマンスだ。

なお、大植英次が亡くなった朝比奈隆の後任として2003年4月から大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任し、その披露定期演奏会として選んだのがやはりマーラーの『復活』だった。

ブラッドリー・クーパーに指揮の指導をしたメトロポリタン・オペラの音楽監督ネゼ=セガンは同性愛者であることを公表している。パートナーはヴィオラ奏者のピエール・トゥールヴィル。彼が同性愛をカミングアウトする意義についてはこちらの記事が詳しい。レニーのことについても触れられている。

さらにクーパーは2022年2月26日にグスターヴォ・ドゥダメルがベルリン・フィルとマーラーの『復活』を演奏する際にもベルリンに同行し、勉強した。

『復活』のドイツ語歌詞は『マエストロ』の物語と密接にリンクしているのだが、残念ながらNetflixの配信では翻訳されていない。だから参考までに該当部分の対訳を以下添付する(無断転載禁止)。

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合唱・アルト:
Hör’ auf zu beben! 震えるのはやめよ!
Bereite dich zu leben! 生きることに備えよ!

ソプラノ、アルト独唱:
O Schmerz! Du Alldurchdringer! おお苦悩よ!全てを貫くもの!
Dir bin ich entrungen. お前から私は身を振りほどいた
O Tod! Du Allbezwinger! おお死よ!全てを征服するもの!
Nun bist du bezwungen! いまお前は(私に)征服された!
Mit Flügeln, die ich mir errungen, 私が手に入れたこの翼(=“死”)で
In heißem Liebesstreben 熱く愛を希求しながら
Werd’ ich entschweben 私は飛び立とう
Zum Licht, zu dem kein Aug' gedrungen!誰の目にも届かぬ光に向かって

合唱:
Mit Flügeln, die ich mir errungen, 私が手に入れたこの翼(=“死”)で
Werde ich entschweben! 私は飛び立とう
Sterben werd' ich, um zu leben! 私は死のう、生きるために!
Aufersteh'n, ja aufersteh'n wirst du, 復活する、そうだお前は蘇るのだ
Mein Herz, in einem Nu! 私の心、たちどころに!
Was du geschlagen, お前が打倒したもの(=“死”)が
Zu Gott wird es dich tragen! お前を神のもとに導くだろう

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここで問題となるのが最後から2行目の動詞geschlagenの解釈である。これはschlagen(打ち倒す/打ち負かす/〜に勝つ)の過去分詞。ところが、schlagenには(鼓動する/脈を打つ)という意味もあるので、ほとんどの日本語訳はこちらを採用している。多分、その前の行にHerz(心臓)という単語があるので、それに引きずられているのだろう。しかしこれは絶対におかしい。意味を成さない。なぜならこの動詞の主語はdu(君、お前)であり、これは1格。3格のdir(君に)でも4格のdich(君を)でもない。「鼓動する」という意味の場合、次のような例文になる。

Der Puls schlägt unregelmäßig.\脈が不規則に打つ
Mein Herz schlägt heftig.\私の心臓がどきどきしている

つまりPuls(脈)やHerz(心臓)が主語(1格)になっても、duが主語になる筈がない(「私」は脈打たない)。ゆえに「お前がschlagen(打倒す)もの」=「お前がbezwingen(征服する)もの」=「Tod(死)」と読み取れば、全体の意味が通じるのである。

〈カズ・ヒロのメイクに注目!〉

ブラッドリー・クーパーをレナード・バーンスタインに見事に変身させたメイクアップアーティストはカズ・ヒロ(辻一弘)。アカデミー賞で2度メイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞している。特にゲイリー・オールドマンを担当した映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』のメイクは凄かった!

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