Cinema Paradiso

映画「羊と鋼の森」

評価:A

Iron

原作小説については下記事で詳しく語った。

小説がお気に入りだとその映画化に裏切られることが多いが、本作ではそんなことが全く無かった。公式サイトはこちら

映画序盤、主人公がピアノ調律師見習いとして先輩に同行した家庭でふたごの姉妹に出会う。最初に姉の和音(かずね=ハーモニー)が弾くのがラヴェル「水の戯れ」、続いて妹・由仁(ゆに=ユニゾン)がショパン「エチュード op25-9 蝶々」を暗譜で演奏する。これ、原作で妹の方は「ショパンのエチュード」とだけ言及されているが、姉の方は「たぶん、指を動かすための練習曲」としか書かれていないので何を弾くのだろうと興味津々だった。音楽で見事に二人の性格の違いを描き分けており、舌を巻いた。ラヴェルは後に「亡き王女のためのパヴァーヌ」も流れる。

また、ふたごが連弾する曲も原作では指定されていないのだが、モーツァルト「きらきら星変奏曲」がとっても物語の雰囲気にあっていた。

本作は非常に繊細にを描写している。ピアノのだけじゃない。ハンマーフェルトを削る、体育館に響き渡る靴、深々(しんしん)と雪が降り積もる、靴が雪を踏みしめる、等々。そして無音の張り詰めた緊張感も大変魅力的。卓越した音の映画である。

真面目で誠実な主人公を山崎賢人が好演。三浦友和の調律師もはまり役だ。上白石萌音・萌歌姉妹は背丈も、顔の大きさも顔の形も違うので「ふたご」からかけ離れているというか、実の姉妹にすら見えないのだが、ちゃんと作品世界に寄り添っていて○。

あと、If もしも....この小説が1990年代に映画化されていたとしたら(そもそも出版すらされていないのだが)、ふたごのキャスティングは石田ゆり子・ひかり姉妹が演じていたのではないかと夢想した。上白石萌音がベートーヴェン「熱情」を弾く場面が、僕には大林宣彦監督「ふたり」(1991)でシューマンのノヴェレッテを弾く石田ひかりの残像にピタリと重なったのである。ちなみに吉行和子は「ふたり」にも、「羊と鋼の森」にも出演している。

仄暗い森の中を手探りで模索しながらも、しっかりと人生の第一歩を踏み出す若い人たちの物語が、映画「羊と鋼の森」でくっきり輪郭を表した。

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映画「万引き家族」をめぐるイデオロギー論争(政戦)を叩き斬る!

カンヌ国際映画祭でパルム・ドール(最高賞)に輝いた「万引き家族」に対して右翼と左翼の両陣営が熾烈な戦い(イデオロギー論争)を展開している。

右翼の主張の代表例を挙げる。

高須クリニック院長のツィートは6月1日に発せられた。「万引き家族」の公開は6月8日である。マスコミ試写しか行われていない段階で、果たして高須氏はちゃんと映画を観た上で発言したのだろうか?どうもそうとは考え難い。結局、右翼による是枝批判の多くは中身も知らず、タイトルの印象だけで発信されている。作品も観ずに論じるなどは愚の骨頂である。そもそも「万引き家族」という名詞のみで、それを肯定しているのか、否定しているのか判断出来ますか?例えば「アドルフ・ヒトラー」という映画を中身も知らずに、「ヒトラーを賛美するなどけしからん!」と難癖つけるようなものではないか。

本作で描かれている家族は特殊な例である。だからといってそれを是枝監督は一般化して、日本の行政/体制批判をしているわけではない。我が国の「恥」を晒すことが目的じゃない。そもそもそんな内容だったらケイト・ブランシェットらカンヌの審査員たちの心を動かす筈はないではないか。つまりテーマ(Invisible people;見えない人々)に普遍性があり、国境を超えて観客の琴線に触れるものがあったということである。

一方、左翼の連中も相変わらずどうかしている。そもそも今回の論争の発端は一部ジャーナリストが、カンヌのパルム・ドール受賞に対して安倍首相が是枝監督を祝福しなかったことをフランスのマスメディア(フィガロ紙)が批判したと煽ったことにある。この《外圧を利用する》というのは日本の左翼の常套手段であり、朝日新聞によるいわゆる従軍慰安婦問題キャンペーンもまず韓国側を焚きつけることから始まった(後に朝日新聞社は誤報を謝罪)。30年経っても同じ手口で、全く進歩がない。外国人が何を騒いでいようが、はっきり言ってどうでもよろしい。我田引水のこじつけで、安倍政権批判をしたいだけでしょ。じゃあ訊ねるが、今村昌平監督が「楢山節考」でパルム・ドールをさらった時、中曽根康弘首相(当時)は直ちに祝意を述べましたか?宮崎駿監督「千と千尋の神隠し」がベルリンで金熊賞を受賞した時、小泉首相は?全く馬鹿げている。

また是枝監督が韓国紙・中央日報のインタビューに応じて語ったことを取り上げ、鬼の首を取ったように映画を安倍政変批判に結びつけようとする愚か者たちがいる。

ドイツの哲学者フルードリヒ・ニーチェが芸術家について語った言葉を引用しよう。

彼は自分の作品や自分について的外れなことを語り、言ったり考えたりする。こうしたことは、創造的な芸術家にあって、ほとんど正常な状態のように、私には思える。ー親ほど自分の子供を知らない者はない。
 (村井則夫 訳「喜ばしき知恵」)

つまり小説家や映画監督は信頼できない語り手」であり、彼らの発言を鵜呑みにすべきではない。作品が語ろうとすることは、あくまでその作品自体に耳を傾けるべきだろう。作品が全てだ。原一男監督のドキュメンタリー映画「全身小説家」をご存知だろうか?小説家・井上光晴に取材した作品で、結論として彼の発言が全くの嘘っぱちであることが暴かれてゆく。

以下、是枝監督のブログ(6月5日)から引用する。

 正直な話、ネットで『万引き家族』に関して作品を巡ってではなく飛び交っている言葉の多くは本質からはかなり遠いと思いながら、やはりこの作品と監督である僕を現政権(とそれを支持している人々)の提示している価値観との距離で否定しようとしたり、逆に擁護しようとしたりする状況というのは、映画だけでなく、この国を覆っている「何か」を可視化するのには多少なりとも役立ったのではないかと皮肉ではなく思っている。(中略)個別の取材で記者に問われれば、専門家ではないが…と断りを加えた上で(この部分は大抵記事からはカットされる)自分の社会的・政治的なスタンスについては可能な限り話す。そのことで自分の作った映画への理解が少しでも深まればと思うからである。これを「政治的」と呼ぶかどうかはともかくとして、僕は人々が「国家」とか「国益」という「大きな物語」に回収されていく状況の中で映画監督ができるのは、その「大きな物語」(右であれ左であれ)に対峙し、その物語を相対化する多様な「小さな物語」を発信し続けることであり、それが結果的にその国の文化を豊かにするのだと考えて来たし、そのスタンスはこれからも変わらないだろうことはここに改めて宣言しておこうと思う。

映画という文化をダシにして、イデオロギー論争に持ち込もうとするな!恥を知れ、と言いたい。

僕の基本スタンスは「思想(マルクス主義)を憎んで人(作品)を憎まず」なので、左翼映画監督の作品も結構観てきた。代表例を挙げよう。

今井正(真昼の暗黒、橋のない川)、山本薩夫(真空地帯、あゝ野麦峠)、熊井啓(地の群れ、海と毒薬)、大島渚(日本の夜と霧、戦場のメリークリスマス)、山田洋次、高畑勲、宮崎駿

故に政治的メッセージ、イデオロギー色が強い「左翼映画」とはどういうものか、実態を把握しているつもりだ。そして是枝監督作品はそれらとは一線を画しており、反体制的ではないと断言出来る。

また文部科学大臣が是枝監督に対面して祝意を伝えたいとの意向を伝えると、「公権力とは距離を保つ」ことを理由に辞退したことに対して、「文化庁の助成金を貰っているのに矛盾している」と批判があった。しかし《助成金を与える=政府がスポンサー》では決してない。

日本芸術文化振興会は「我が国の優れた映画の製作活動を奨励し、その振興を図るため、日本映画の製作活動を助成します」としている。《陸軍省後援 情報局國民映画》と銘打たれた木下惠介監督「陸軍」(1944)とは全く異なるシステムであり、あくまで中立な立場での税金の投入だ。現政権に対して忖度(そんたく)する必要は全くない。

「公権力とは距離を保つ」という監督の姿勢は映画が政治のプロパガンダとして利用された過去の反省を踏まえてのことだろう。その頂点を成すのがレニ・リーフェンシュタール監督がナチ党の全国党大会を記録した「意志の勝利」(1934)であり、1936年ベルリン・オリンピックを記録した「オリンピア(民族の祭典/美の祭典)」だ。過ちを繰り返してはならない。

さて、「万引き家族」の評価はA+。公式サイトはこちら

是枝監督の「そして父になる」には《家族とは血の繋がりなのか?それとも一緒に過ごした時間なのか?》という問いがあった。そのテーマが本作では更に深化されている。さらに児童虐待/育児放棄を扱った「誰も知らない」の要素も加味されており、文字通り是枝作品の集大成となっている。

「家族って何だろう?」「絆って何?」と色々考えさせられる。

安藤サクラ(32)の演技が圧巻!他に樹木希林(75)、柄本明(69)、リリー・フランキー(54)、松岡茉優(23)、城桧吏(11)、佐々木みゆ(6)と各世代を代表する芸達者が集まった。

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ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞「犬ヶ島」

評価:B+

Dogs

日本を舞台にしたウェス・アンダーソン監督のストップモーション・アニメである。ベルリン国際映画祭で銀熊(監督)賞を受賞した(最高賞は金熊)。公式サイトはこちら

けったいな映画である。でもそこに監督の(へんてこな)個性が刻印されており、好感が持てる。

早坂文雄が作曲した黒澤明『七人の侍』のテーマ曲(オリジナル音源)が流れ、『酔いどれ天使』からは2つの歌「東京シューシャインボーイ」「小雨の丘」が引用されている。あと少年の父親が『天国と地獄』に於ける三船敏郎そっくりだったり、世界観が『野良犬』だったりと黒澤映画への愛が全編に満ち溢れており、観ていて面映ゆいくらいである。

先日のスピルバーグ監督『レディ・プレイヤー1』にはガンダムやメカゴジラが登場し、伊福部昭の音楽が流れたし、すげえな。「日本文化ばんざい!」

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ゲティ家の身代金

評価:B+

All

実話である。原題は"All the Money in the World"、公式サイトはこちら

本作でクリストファー・プラマーがアカデミー助演男優賞にノミネートされた。彼が演じる大富豪は元々、ケヴィン・スペイシー(57)が特殊メイクで演じ、撮影は終了していた。しかし2017年10月29日、スペイシーが当時14歳だった俳優(ミュージカル「RENT」初演キャスト:アンソニー・ラップ)にセクハラを行っていたとの報道が出て彼は業界から追放された。公開まで1ヶ月しかないという段階でリドリー・スコット監督は撮り直しを決意し、急遽87歳のプラマーが代役に起用され、テキパキ10日間でやり終えた。代役の年齢差が30歳というのが凄まじいが、プラマーの堂々たる演技は見事なものであった。

世界一の大金持ちジャン・ポール・ゲティをリドリー・スコットはまるでシェイクスピア「リチャード三世」みたいな、”孤独な王”として描く。そういう意味で僕は「エイリアン:コヴェナント」のアンドロイド、デイヴィッドのことを想い出した。
ここでデイヴィッドが諳んじるパーシー・ビッシュ・シェリーの詩、

『我が名はオジマンディアス 王の中の王
全能の神よ 我が為せる業を見よ そして絶望せよ!』

これは正にゲティのことである。

またミシェル・ウィリアムズ演じる母親の強さが印象的。「エイリアン」第1作のリプリーにしろ、「テルマ&ルイーズ」にせよ、リドリー・スコットはこういう女性像が大好きなんだ。

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映画「レディ・バード」と舞台ミュージカル

評価:A

Lady
アカデミー賞で作品賞、監督賞(グレタ・ガーウィグ)、オリジナル脚本賞(グレタ・ガーウィグ)、主演女優賞(シアーシャ・ローナン)、助演女優賞(ローリー・メトカーフ)の5部門にノミネートされた。女性監督としてのノミネートは史上5人目である(「ハート・ロッカー」のキャスリン・ビグローが唯一の受賞者)。公式サイトはこちら

母親や学校の先生に対して「私のことをレディ・バードと呼んで」と言う、イタイ女子高生の物語であり、グレタ・ガーウィグの自伝的作品だそう。映画の舞台となるのも彼女の出身地・カリフォルニア州サクラメントである。

ヒロインはこじらせ女子というか、17歳のくせに中二病かよ!と言いたくもなる。でも観ているうちに彼女のことが段々愛おしくなり、いつの間にか応援している。そんな映画である。

映画「ブルックリン」の主人公も最後、「彼女に幸あれ!」という気持ちにさせられたし、これはシアーシャの人徳なのだろう。うん、そうに違いない。

余談だが、本作の中盤に高校でミュージカルを上演する場面がある。これがスティーヴン・ソンドハイム作詞・作曲の「メリリー・ウィー・ロール・アロング」。そして生徒がオーディションで歌うのがやはりソンドハイムの「カンパニー」や「イントゥ・ザ・ウッズ」だったりするので嬉しくなった。ミュージカル・ファンは必見!

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日本人よ、もっと誇りを持て!

是枝裕和監督「万引き家族」(公式サイトはこちら)がカンヌ国際映画祭で最高賞のパルム・ドールを受賞した。

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現在までに同賞を勝ち取った日本映画は衣笠貞之助「地獄門」、黒澤明「影武者」、今村昌平「楢山節考」「うなぎ」そして「万引き家族」の5作品である。

大変めでたいことである。しかし「誇りに思う」とか「日本人スゴイ」とか気軽に言えない空気が我が国には蔓延している。未だにマスコミの大勢を占める左翼ジャーナリストたちの(日の丸とか、君が代とか)「愛国心」に対するアレルギー、嫌悪(Hate)がその原因となっている。

自分が生まれた国を自慢したくなるのは自然な気持ちの発露であるし、それを安易に「右翼」とか「国粋主義」「ファシズム」に結びつけようという彼らの思考は余りにも短絡的で愚かだ。お国自慢や家族自慢は「悪」ですか?馬鹿馬鹿しい。日本人はもっと自分たちに自信を持ったほうが良い。謙虚であることと、必要以上に卑下すること・自虐は全く別物である。

例えばある小学生が学校でいじめにあい、汚物扱いされているとしよう。「ああ僕/私って駄目な人間なんだ。消えてしまったほうがいい」と、そう考えてしまったらもうお終い。自殺という最悪の結果が待ち構えている。親が真っ先にすべきこと。まずいじめをやめさせること(しかし大抵の場合は難しい)。それが無理なら逃げ出すこと。転校して環境を変える。いちばん大切なことは駄目じゃないってことを本人に分からせ、自信を持たせることだろう。否定からは何も生まれない。徹底的に肯定し続けること

さて、カンヌで5回パルム・ドールに選ばれたことがどれだけ凄いことなのかを客観的データでお示ししよう。以下、ロシアやアジアなど近隣諸国の過去の成績を列挙する。

ソビエト連邦ーロシアの受賞が「偉大な転換」「鶴は翔んでゆく(戦争と貞操)」の2回、中国がチェン・カイコー「さらば、わが愛/覇王別姫」の1回、台湾・韓国は0。

では次点のグランプリ(審査員特別賞)はどうか?日本は市川崑「鍵」、小林正樹「切腹」「怪談」、勅使河原宏「砂の女」、小栗康平「死の棘」、河瀬直美「殯の森」の6作品。ソビエト連邦ーロシアは「惑星ソラリス」「シベリアーダ」「懺悔」「太陽に灼かれて」の4作品。中国はチャン・イーモウ「活きる」、チアン・ウェン「鬼が来た!」の2作品、韓国はパク・ヌチャク「オールド・ボーイ」(原作は日本の漫画)の1作品、台湾0である。

次に米国アカデミー外国語映画賞を見てみよう。なお1950−55年は「名誉賞」と呼ばれていた。

日本映画は黒澤明「羅生門」、衣笠貞之助「地獄門」、稲垣浩「宮本武蔵」、滝田洋二郎「おくりびと」の4作品。

ソビエト連邦ーロシアは「戦争と平和」「デルス・ウザーラ(但し監督は黒澤明)」「モスクワは涙を信じない」「太陽に灼かれて」の4作品、台湾がアン・リー「グリーン・デスティニー」の1作品、中国と韓国は0(韓国映画はノミネートすら一度もされたことがない)。

あと宮﨑駿「千と千尋の神隠し」がアカデミー長編アニメーション映画賞を受賞していることも忘れてはならないだろう(ベルリン国際映画祭では金熊賞=最高賞)。これもロシアを含むアジア諸国において、唯一の快挙である。

如何です?大したものじゃないですか。日本映画・ジャパニメーションは胸を張って世界に誇れる文化なのです。

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嘘つき野郎 ダニエル・デイ=ルイスの「ファントム・スレッド」とヒッチコック映画

評価:A

「ファントム・スレッド」の公式サイトはこちら。アカデミー賞で衣装デザイン賞を受賞。ほか作品賞・監督賞・主演男優賞(ダニエル・デイ=ルイス)・助演女優賞(レスリー・マンヴィル)・作曲賞の計6部門にノミネートされた。マーク・ブリッジスが衣装デザイン賞を受賞するのは「アーティスト」に続いて2度目である。彼の受賞スピーチが一番短かったということで、ご褒美にKawasakiのジェットスキーを獲得した。

Mark

上の写真、後ろに座っているのはプレゼンターのヘレン・ミレン。

Phantomthread

ダニエル・デイ=ルイスの引退作ということになっているが、声を大にして言いたい。彼奴(きゃつ)は大嘘つきである!僕は全く信じない。そもそも彼は1998年に突然、「役者を廃業して靴職人になる!」と宣言し、イタリアで修行を始めた。そこへマーティン・スコセッシ監督が足を運び、口説き落として「ギャング・オブ・ニューヨーク」で俳優復帰したという経緯がある。「リンカーン」で史上最多3度目のアカデミー主演男優賞を受賞した後もしばらく休業していた。今度はファッションデザイナーとして活動を始めると、ほざいているそうな……。アホか!彼奴(きゃつ)は宮崎駿や「トラフィック」のスティーブン・ソダーバーグ監督(引退宣言を撤回し「ローガン・ラッキー」で復帰)と同類(引退詐欺師)である。ほとんどビョーキだね。まぁ見ててみな、絶対戻ってくるから。そもそも靴職人とかファッションデザイナーとか、言うことが浮き世離れしているよな。支離滅裂だ。もう61歳だぜ!?

ポール・トーマス・アンダーソン監督は「マグノリア」とか「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」とか、ちっとも面白くなかったが、「ザ・マスター」(2012)で見直した。

「ファントム・スレッド」もスリリングでワクワクした!また言うまでもないが数々の衣装が素敵。ため息が出た。デイ=ルイスも文句なしに素晴らしい。男の色気がある。「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」の山師とか、リンカーン大統領を演じた男と同一人物だなんて全く信じられない。気難しい役柄だが、見ていて微笑ましい。

本作は明らかにアルフレッド・ヒッチコック監督「レベッカ」(1940)の構造を踏襲している。【
デイ=ルイス演じるデザイナー(「ファントム・スレッド」)↔イギリスに大邸宅マンダレイを所有するマキシム(ローレンス・オリヴィエ「レベッカ」)】、【デザイナーの姉(「ファントム・スレッド」)↔マンダレイ家の家政婦長ダンヴァース夫人(「レベッカ」)】、【ウェイトレスからデザイナー夫人となるアルマ(「ファントム・スレッド」)↔上流階級婦人の付き人( lady's companion)としてモンテカルロでマキシムと出会い、結婚する「わたし」(ジョーン・フォンテイン「レベッカ」)】【デザイナーが見る母の幽霊(「ファントム・スレッド」)↔レベッカ(死者)】という変換がある。

そして物語後半、デイ=ルイス演じるデザイナーが毒キノコを食べさせられるのかどうか、というサスペンス演出はやはりヒッチコックが監督しジョーン・フォンテインが主演した「断崖」(1941)を彷彿とさせる展開になっている(ヒロインは果たして、夫から保険金目当てで毒入りミルクを飲まされるのか、否か?)。

最後に、ロックバンド「レディオヘッド」のメンバーでもあるジョニー・グリーンウッドが作曲した匂い立つような音楽がシックでこよなく美しかったことを力説しておきたい。彼は「ノルウェイの森」も良かった。

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フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法

評価:B+

Florida

映画公式サイトはこちら

ウィレム・デフォーがアカデミー助演男優賞にノミネートされた。監督は全編iPhoneで撮影した映画「タンジェリン」が話題となったショーン・ベイカー。今回は35mmフィルムで撮影されているが、魔法がかかるラストシーンのみiPhone仕様となる。

6歳の娘ムーニーを演じるブルックリン・キンバリー・プリンスの演技が驚異的。

明らかに育児放棄をテーマにした是枝裕和監督「誰も知らない」(カンヌ国際映画祭最優秀男優賞受賞)の構造をそっくりそのまま拝借している(監督も影響を受けたことを認めている)。ただ本作の勝因は舞台設定をフロリダのディズニーワールド近傍にある、貧困層が住み着くモーテルにしたこと。「マジック・キャッスル(魔法の城)」という命名が皮肉である。アメリカで彼らは“隠れホームレス”と呼ばれているそう。【富裕層が集まる夢の国(ディズニーワールド)↔貧困層(マジック・キャッスル)】【子供たちの無邪気で屈託のない明るさ↔母親の後ろ暗さ】といった二項対立が鮮烈である。This is America. 色彩感も良かった。

ウィレム・デフォーの役回りはさしずめ、冴えない守護天使だね。

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アカデミー作品賞ノミネート/ゲイ映画「君の名前で僕を呼んで」にラヴェルの音楽が流れる理由(わけ)

評価:B

Callme

アカデミー賞で脚色賞(ジェームズ・アイヴォリー)を受賞、ほか作品賞・主演男優賞(ティモシー・シャラメ)・歌曲賞の計4部門にノミネートされた。監督はイタリア人ルカ・グァダニーノ。映画公式サイトはこちら

ジェームズ・アイヴォリーといえば「眺めのいい部屋」(1986)、ハワーズ・エンド(92)、そして(ノーベル文学賞を受賞した)カズオ・イシグロ原作「日の名残り」(93)など文芸映画を撮らせたら超一級の監督という印象があった。しかし最近、名前を聞かないなぁと思っていたら久々の復活である。なんと現在89歳、アカデミー賞史上最年長での受賞(全部門)となった。企画初期の段階ではアイヴォリーも共同監督を務める予定だったが、フランスの出資者から(2人が撮影現場で対立するんじゃないかと)懸念が出て、結局身を引いたという。

本作の話題で初めて知ったのだが、アイヴォリー自身がゲイだったそう。ところが公私にわたり長年パートナーだった映画プロデューサーのイスマイル・マーチャントが2005年に亡くなってしまった(1961年にMerchant Ivory Productionsを設立)。それで意気消沈し、すっかり創作意欲を失っていたということらしい。

考えてみればE.M.フォースター原作「モーリス」(87)もバリバリのゲイ映画であった。

英ガーディアン紙のインタビュー記事でアイヴォリーは、「君の名前で僕を呼んで」に下半身を露出したヌードシーンがないことに不満を持っていると述べている。シャラメ君とアーミー・ハマーの出演契約にフルヌードが禁止条項として盛り込まれていたためだという。

本作を観た率直な感想を言えば、結局同性愛という設定を男女に変換してみれば、割とありきたりな恋愛(はつ恋の)映画だな、と。それは同様のテーマを持つ「キャロル」とか、アン・リーがアカデミー監督賞を受賞した「ブロークバック・マウンテン」にも感じたことである。

シャラメ君演じる主人公エリオは17歳であり、女の子にも興味があって、同性愛者というよりは、思春期特有の両性愛的感情のように僕には思われた。

舞台が北イタリアなので、イギリスの令嬢がイタリアのフィレンツェを訪れ、そこで恋に落ちるアイヴォリー監督「眺めのいい部屋」のことを想い出した。そういう意味でアイヴォリー色が色濃い。

物語の設定は1983年。街にダスティン・ホフマン主演、映画「トッツィー」のポスターが張ってあり、映画「フラッシュダンス」の挿入歌"Lady,Lady,Lady"(作曲はイタリア生まれのジョルジオ・モロダー)に乗って踊る場面もある。当時僕は高校生だったが「トッツィー」も「フラッシュダンス」も映画館で観ているので、なんだか懐かしかった。

本作は全編に渡ってピアノ曲に彩られている。冒頭シャラメ君が弾いているのはJ.S.バッハのカンタータ「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」。そして彼が次第に恋に落ちると、フランス印象派の作曲家モーリス・ラヴェルのピアノ組曲「鏡」より”海原の小舟”が断片的に流れ始める。そして同じラヴェルの「マ・メール・ロワ」から”妖精の庭”も使用されている。何故ラヴェルなのか?実は既に10年前、拙ブログ記事にその答えを書いていた。

”海原の小舟”は高速アルベジオ(分散和音)が水の煌めきを巧みに表現しており、正に「ときめく」感情にピッタリと寄り添っている。

2020年に続編製作が予定されており、グァダニーノの構想ではリチャード・リンクレイター監督のビフォア・シリーズ(Before Sunrise、Before Sunset、Before Midnight )のようにしたいとのこと。

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神話の構造「スター・ウォーズ」と「指輪物語」&「ニーベルングの指環」

1876年に第1回バイロイト音楽祭において初演されたワーグナーの「ニーベルングの指環」4部作は北欧神話に基づいている。J・R・R・トールキンの「指輪物語」(The Lord of the Rings)は1954-5年に出版され、それに先立って「ホビットの冒険」が37年に出版された。そして1977年にジョージ・ルーカス監督の映画「スター・ウォーズ」が公開される。

以下、この3作品の構造が全く同じであることを証明していくが、そこに宮﨑駿「崖の上のポニョ」も絡めたい。ポニョの父フジモトは彼女のことを”ブリュンヒルデ”と呼ぶ。「ニーベルングの指環」の登場人物である。つまり彼女と妹たちはワルキューレ(北欧神話に登場する半神)なのだ。ポニョが津波の上に立ち宗介のところに現れる場面で久石譲の音楽がワーグナー作曲「ワルキューレの騎行」にそっくりなのは決して偶然じゃない。「ニーベルングの指環」で【神々の黄昏→人類の台頭】が描かれるのに対し、「ポニョ」は【人間の時代の終焉→新人類(ポニョと宗介の子供= a Star Child)誕生】をテーマにしている。洪水の後に古代デボン紀の水中生物たちが現れるのはそのためである(公式サイトへ)。なお「スター・ウォーズ」で作曲家ジョン・ウィリアムズが採用したライトモティーフ(示導動機)の手法は「ニーベルングの指環」に由来する。

構造分析はフランスの社会人類学者レヴィ=ストロース(1908-2009)の手法に倣った。

「ニーベルングの指環」のあらすじはこちら。人物相関図はこちら。「指輪物語」の概要についてはこちらとか、こちらの年表をご参照あれ。

「ニーベルングの指環」では

  • ヴォータンの支配する天上の神々の世界↔地下のニーベルング族《垂直方向の差異

という二項対立があり、その中間地点=地上の人間世界では

  • ヴェルズング族(ジークムント、ジークリンデ)↔フルンディングの一族

という二項対立がある。ジークムント、ジークリンデはヴォータンが人間に産ませた双子の兄妹なので

  • 神々(その長がヴォータン)↔フルンディング(人間界)

の相克にも置き換えられる。これが最終夜「神々の黄昏」では

  • ジークフリート(ジークムントとジークリンデの間に生まれた息子)↔グンター(ライン河畔ギービッヒ家の当主)+ハーゲン(グンターの異父兄弟、父はニーベルング族のアルベリヒ)

となる。

「指輪物語」では

  • 冥王サウロン+サルマン(白の魔法使い)↔人間+エルフ(自然と豊かさを司る半神)+ガンダルフ(灰色の魔法使い)《水平方向の差異

「スター・ウォーズ」では

  • 銀河共和国(滅亡後はレジスタンス)&ジェダイの騎士(白っぽい服装)↔銀河帝国(シスの暗黒卿、ダース・ベイダー)(黒っぽい服装)《光と闇、明度の差異

変換される。ここで興味深いのが「指輪物語」で魔法使いが両陣営に分かれていること。「スター・ウォーズ」でもジェダイの騎士が light sideとdark side両方に布陣している。これに相当するのが「ニーベルング」では人間である。【神と結合し、子(ジークムントとジークリンデ)を産む女↔地下世界の住人ニーベルング族と結合し、子(ハーゲン)を産む女】

では上述した二項対立を結び、その境界を超え循環する第三項は何か?「ニーベルング」「指輪物語」については言うまでもなく指輪であり、「スター・ウォーズ」ではForce(日本語では〈理力〉〈霊力〉、中国語では〈原力〉と訳された)が該当する。指輪フォースも絶大な力を秘めていることは確かだが、その実態はよく判らない(指輪の場合は欲望のメタファーでもある)。得体が知れない。レヴィ=ストロースはこれをゼロ記号ゼロ象徴価値の記号)と名付けた。

ソシュール(1857-1913)の言語学では「意味しているもの」「表しているもの」のことをシニフィアン、「意味されているもの」「表されているもの」のことをシニフィエと呼ぶ。「海」という文字や「うみ」という音声がシニフィアン、頭に思い浮かぶ海のイメージや海という概念がシニフィエである。そしてゼロ記号ゼロ象徴価値の記号)とはシニフィアンが具体的な姿を持っていないこと自体が、一つのシニフィアンとして機能する記号である。メラネシア(オセアニア)の原始的宗教において、神秘的な力の源とされる概念「マナ」や、日本語で「ツキがある」「ツキに見放された」などと使用される「ツキ」が該当する。ジャック・ラカン(1901-81)の精神分析においてその機能を果たすのは「ファルス」(象徴的な男根)と言える。ゼロ記号ゼロ象徴価値の記号)は浮遊する過剰シニフィアンである。意味が無いのではなく、その多義性に特徴がある。なお「ハリー・ポッター」シリーズにおけるゼロ記号は勿論、魔法だ。

「ニーベルングの指環」ではライン川の3人の乙女が守る黄金を地底の住人アルベリヒが奪い、鍛えて指輪を造る。最終的にブリュンヒルデの手で指輪はラインの乙女たちのもとに戻る。その時、ライン川が氾濫し大洪水が発生する。「指輪物語」においてサウロンはモルドールにある滅びの山(火山)の火口で金属を鍛えて指輪を造る。そして最終的にフロドが滅びの山の火口に指輪を葬る。その行為は大噴火というカタストロフィー(破滅的な災害)を起こす《からへの変換》。両者に共通するのは「一体化していたあるものを無理矢理引き剥がし過渡の分離をしたために起こった混乱・無秩序・悲劇を解消するために、仲介者がそれを本来あるべき場所に戻す」という構造(プロット)である。また「指輪物語」では白の魔法使いサルマンの居城があるアイゼンガルドをエント(木に似た巨人)がアイゼン川のを引き入れて水没させる。では「スター・ウォーズ」の場合はどうだろう?フォースという神秘的な力を持つアナキン・スカイウォーカー(=ダース・ベイダー)はダース・シディアス(シスの暗黒卿/パルパティーン)の計略にはまり、妻や子供たちと引き離される。しかし最後に、家族のもとに還る(エピソード6 ジェダイの帰還)。その際に核爆発によるデス・スター内部からの崩壊=カタストロフィーが発生する(初代および第2デス・スター、そしてエピソード7のスターキラー基地は全て同じ運命をたどる)。大洪水火山の噴火核爆発ーこれら「すべてを呑み込む」性質(昔話では山姥、ユング心理学におけるグレートマザー/太母に相当)は不変である。

洪水という主題は「崖の上のポニョ」にも現れる。旧約聖書では言うまでもなく《ノアの方舟》だ。

「スター・ウォーズ」におけるR2-D2とC-3POの役割は傍観者/語り部で、かつコメディリリーフだ。つまり彼らは(二項対立の)境界を超え、行き来するトリックスターである。その直接の影響が黒澤明「隠し砦の三悪人」であることは余りにも有名だが、「指輪物語」の中ではさしずめホビットが該当しよう。”語り部”の役割はビルボ・バギンズ→フロド・バギンズに、”コメディリリーフ”の役割はピピンとメリーが分け合い担っている。シェイクスピア「夏の夜の夢」のトリックスター・妖精パックも語り部であり、劇の最後に口上を述べる。「指輪物語」に於けるトリックスターはの神ローゲ(北欧神話のロキLoki)だろう。ローゲはいたずら好きで狡猾な半神だ。つまり人間と神の境界に潜む。神出鬼没であり、「ワルキューレ」ではヴォータンからの召喚に応じ岩山のブリュンヒルデを魔ので囲む。そして「神々の黄昏」では神々の居城=ヴァルハラ城を焼き尽くす。トリックスターの面目躍如である(ロキは「終わらせる者」という意で、両性具有であるという)。ギリシャ神話のトリックスター・プロメテウスは神の世界から人間界にをもたらす。は【生のもの→調理したもの】という、自然から文化への移行を象徴している。また宮﨑駿「ハウルの動く城」に登場するカルシファー≒ロキと考えてほぼ間違いない。

  • 「ニーベルング」ジークムントとフンディングの戦いのときヴォータンが現れ、自らが与えた剣ノートゥングを打ち砕く。武器を失ったジークムントは、フンディングの槍に刺されて絶命する↔「指輪物語」ゴンドール(都)の執政デネソールは戦で重傷を負った次男ファラミアが死んだと勘違いし、ファラミアもろとも焼身自殺を図る↔「スター・ウォーズ」ダース・ベイダーはルークとライトセーバーで戦い、ルークの腕を切り落とす《親族の過小評価
  • 「ニーベルング」洞窟の中で大蛇に変身したファフナー(巨人族)が財宝を守っている。ジークフリートが退治し、指環と隠れ頭巾を奪う↔「ホビットの冒険」スマウグ(ドラゴン)が財宝を守っている。ビルボが黄金の杯を盗む

隠れ頭巾というガジェット(小道具・仕掛け)は「ホビットの冒険」「指輪物語」において、指輪をはめると姿が消えるという設定に変換されている。また「スター・ウォーズ」ではジェダイの騎士がフォースの力(理力)で自分の気配を消すことが出来る。「ハリー・ポッター」にも隠れマントが登場する。

「ニーベルング」における【父ヴォータン↔娘ブリュンヒルデ】の二項対立は「指輪物語」では【ゴンドール(都)の執政デネソール↔息子(次男)ファラミア】の確執に変換されている。その背景には死んだ長男ボロミアに対するデネソールの偏愛がある。「スター・ウォーズ」では言うまでもなく【父ダース・ベイダー(アナキン)↔息子ルーク・スカイウォーカー】だ。プリクエル(前日譚、エピソード1-3)では【師オビ=ワン・ケノービ(父代わり)↔アナキン・スカイウォーカー】の衝突に置き換えられている。ギリシャ神話《エディプス王》的”父殺し”の主題はエピソード7の【ハン・ソロ↔カイロ・レン】に引き継がれる。

「指輪物語」のファラミアは父に愛してもらいたいと切望している。しかしそれは決して満たされない。これは旧約聖書《カインとアベル》の物語の引用だ。後にスタインベックの小説「エデンの東」になった。カインが弟アベルを殺すのは、神ヤハウェがアベルしか愛さなかったから。つまり嫉妬である。「ニーベルング」ではブリュンヒルデとの結婚の宴を開いたギービッヒ家の当主グンターを異父兄弟ハーゲンが殺し、指輪を奪おうとするという形で現れる(「神々の黄昏」)。「スター・ウォーズ」プリクエルでは女王パドメ・アミダラとオビ=ワンが密通ているのではないかという疑心暗鬼・嫉妬から、アナキン・スカイウォーカーがオビ=ワンとの死闘になだれ込む(「最後のジェダイ」ではレイを巡ってカイロ・レンが叔父ルークに嫉妬する)。

「ニーベルング」のジークムントとジークリンデという双子の主題は「スター・ウォーズ」の双子ルークとレイアに再現される。エピソード4ではルークがレイアに恋心を抱いているようにも描かれる《近親相姦的、親族の過大評価》。「指輪物語」ではアラゴルン(帰郷した人間の王)と結ばれるエルフ族のアルウェンに双子の兄エルラダンとエルロヒアがいるという設定として現れる。双子とは一つの卵子が二つに分化することの暗喩であり、自然(神々の黄昏)→文化(人間の台頭)への移行を象徴している。

ジョージ・ルーカスが「スター・ウォーズ」の撮影時に繰り返し観ていたという黒澤明「七人の侍」もまた、【武士道の終焉→庶民(農民)の時代の到来】を描いている。フランスの哲学者ジル・ドゥルーズ(1925-95)はその著書「シネマ」の中で「七人の侍」に触れ、「今日、まさに〈歴史〉のこの時点において、侍とは何か」という高次の問いが存在すると語る。

最後に到達したその問いとともに、答えが到来するだろうー侍は、君主のもとにも貧しき者のあいだにも、もはやおのれの場所はない影に生成してしまったのだという答えが(真の勝者は農民たちであった)。

ジェダイの騎士(「ニーベルングの指環」では神々)の置かれた立場も正に、侍と同じなのである。

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