Cinema Paradiso

2024年6月15日 (土)

映画「オッペンハイマー」と、湯川秀樹が詠んだ短歌

109シネマズ大阪エキスポシティのIMAXレーザー/GTで『オッペンハイマー』を鑑賞。公式サイトはこちら

評価:A+

Oppenheimer

「原爆の父」を描く、ジャンルとしては伝記映画に属する。

本作のややこしさは時間軸をいじくっているとことにある(クリストファー・ノーラン監督の作品ではいつものことだが)。大きく分けて2つの柱がある。

 ①〈核分裂(fission)/カラー〉1954年米ソ冷戦と赤狩りの時代、オッペンハイマーがソ連のスパイ容疑をかけられたことに対する聴聞会(非公開/狭い部屋)と彼の回想。主観。
 ②〈核融合(fusion)/白黒〉1959年アイゼンハワー大統領時代、ルイス・ストローズが商務大臣に任命される前にその資格を問う公聴会(公開/広い部屋)とストローズの回想。客観。

ストローズがオッペンハイマーと初めて会うのは1947年なので、白黒パートは全て原爆投下(第二次世界大戦終結)後の出来事である。つまり白黒パートの方が基本的にカラー・パートより後の時代なのでそこがさらに混乱のもとになる。

なお原爆は核分裂(fission)を原理とする爆弾であり、水爆は核融合(fusion)反応を主体とする(核分裂反応も併用している)。だからカラー・パートは原爆が生み出されるまでの話で、白黒パートでは水爆をどう扱うかが議論される。

現代の物理学は、〈相対性理論〉と〈量子論〉という2大理論を土台にしている。時空の理論である〈一般相対性理論〉は、主にマクロ(巨視的)な世界を扱い、〈量子論〉は原子や素粒子(原子をさらに分解した最小単位)など、ミクロな世界を支配する法則についての理論である。ミクロな時空では、一般相対性理論が役立たない

アインシュタインは空間と時間が時空間の持つ二つの様相であり、エネルギーと質量もまた同じ実体がもつ2つの面にすぎないと考えた。だからエネルギーが質量に変わったり、質量がエネルギーに変わったりする過程が、必ず存在する筈だ。そこからE=mc2という有名な公式が導き出された(:エネルギー、m:質量、c:光速度)。そして質量をエネルギーに変換することで、核兵器や原子力発電の開発に繋がった。

時空間は曲がる」。これが、〈一般相対性理論〉を支えている発想である。地球が太陽の周りを回るのは、太陽の周りの時空間が太陽の質量により屈曲しているからである。地球は傾いた空間を真っ直ぐに進んでいるのであって、その姿は漏斗(ろうと)の内側で回転する小さな玉によく似ている。

Image

一方、〈量子論〉を基礎づける三つの考え方は粒性・不確定性・相関性(関係性)である。エネルギーは有限な寸法をもつ「小箱」から成り立っている。量子とはエネルギーの入った「小箱」のことであり、それが持つエネルギーはE=hvで表せる(:エネルギー、:プランク定数、:振動数)。

自然の奥底には「粒性」という性質があり、物質と光の「粒性」が、量子力学の核心を成す。その粒子は急に消えたり現れたりする(不確定性)。言い換えるなら世界を構成するあらゆる物質が粒子であるとともに、波の性質を備えていると考える(ここでの波とは確率の波である)。つまり量子は一見矛盾した2つの特徴(粒/波)を同時に持っている。

粒状の量子が間断なく引き起こす事象(相互作用)は散発的であり、それぞれたがいに独立している。量子たちは、いつ、どこに現れるのか?未来は誰にも予見できない。そこには根源的な不確定性がある。事物の運動は絶えず偶然に左右され、あらゆる変数はつねに「振動」している。極小のスケールにあっては、すべてがつねに震えており、世界には「ゆらぎ」が偏在する。静止した石も原子は絶え間なく振動している。世界とは絶え間ない「ゆらぎ」である よって自然の根底には、確率の法則が潜んでいる。ひとたび相互作用を終えるなり、粒子は「確率の雲」のなかへ溶け込んでゆく。

 ・ 【増補改訂版】時間は存在しない/現実は目に映る姿とは異なる〜現代物理学を読む 2019.11.18

『オッペンハイマー』で話題になるアインシュタインの発言「神はサイコロを振らない」は、観測される現象が偶然や確率に支配されることもある、とする量子力学の曖昧さを批判したもので、「そこには必ず物理の法則があり、決定されるべき数式がある筈だ」という立場から、彼は〝神″をその比喩として用いた。

僕が認識した範囲で本作にノーベル物理学賞受賞者は9名登場する。アルベルト・アインシュタイン/ニールス・ボーア/イシドール・イザーク・ラビ/アーネスト・ローレンス/ルイス・ウォルター・アルヴァレス/エンリコ・フェルミ/リチャード・P・ファインマン/ハンス・ベーテ/ヴェルナー・ハイゼンベルク ら。うちハイゼンベルクのみナチス・ドイツ側で、アインシュタインを除き残る7名はマンハッタン計画に関わった。

マンハッタン計画に参加した学者のうち、オッペンハイマー兄弟/イシドール・イザーク・ラビ/レオ・シラード/エドワード・テラー/リチャード・P・ファインマン/ハンス・ベーテ がユダヤ人。またエンリコ・フェルミはローマ生まれのイタリア人だが、妻がユダヤ人であったため迫害を恐れアメリカに亡命した(ムッソリーニ政権下のイタリアでユダヤ人がどういう目にあったかについては映画『ライフ・イズ・ビューティフル』に詳しい)。

マンハッタン計画が世界最高の叡智を結集したものであり、日本・ドイツ・イタリアの三国が束になっても敵いっこないし、ユダヤ人であるということを理由にアインシュタインら天才たちを放逐したドイツがいかに愚の骨頂であったか、よく分かるだろう。

物理学者で中間子の存在を理論的に予言し、1949年に日本人として初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹はたくさんの短歌を残した。原爆投下について詠ったものがいくつかあるので、最後にご紹介しよう。

天地(あめつち)のわかれし時に成りしとふ
原子ふたたび砕けちる今

(とふ:読み「とう」、意味「という」)

この星に人絶えはてし後の世の
永夜清宵(えいやせいしょう)何の所為ぞや

(永夜:秋や冬に夜が長く感じられること)(何の所為ぞや:何のためにあるのだろうか)

まがつびよふたたびここにくるなかれ
平和をいのる人のみぞここは

(禍津日神:まがつひのかみー黄泉の穢れから生まれた神で、災厄を司るとされている) これは広島の平和記念公園で詠まれた。

| | | コメント (0)

2024年6月10日 (月)

石原さとみの熱い叫びを聴け! 映画「ミッシング」(+上坂あゆ美の短歌)

評価:A

Missing

映画公式サイトはこちら。

石原さとみは熱い女(ひと)だ。7年前に「変わりたい、自分を壊してほしい、私を変えてくれる人は誰か」と沢山映画を観て吉田恵輔監督に白羽の矢を立て、出演を直談判した。しかし「すみません、苦手です。僕の作品にあなたは華やか過ぎる」と断られた。しかし彼女は諦めなかった。

僕が本作で感じたのは、監督の直感が正しかったということだ。

ボディソープで洗ってわざと髪を痛め、半分茶髪、根っこの方は黒髪が生えているボサボサの状態で撮影に臨んでも、彼女の美しさ、内面から溢れてくる輝きは覆い隠すことが出来なかった。映画を観ている途中に「(物語の舞台となる)沼津のようなド田舎に石原さとみはいね〜よ!」と思った。

僕には土地勘がある。大学生の時に沼津駅で下車し、沼津港から千鳥観光汽船に乗り西伊豆の戸田まで旅をしたことがあるのだ。福永武彦が書いた大好きな小説『草の花』の旅を追体験したかったからである(今回調べてみると、この航路は2014年に定期便が廃止されたらしい)。

歌人・上坂あゆ美(1991年静岡県沼津市生まれ)が故郷について詠んだ短歌をいくつか思い出した。

・ 撫でながら母の寝息をたしかめる ひかりは沼津に止まってくれない
・ 沼津市で熱量があるものすべてダサいと定義していた青春
・ 富士山が見えるのが北という教師 見える範囲に閉じ込められて
・ あぜ道を走るラベンダー色の自転車 あの子はきっと東京に行く

閉塞感がひしひしと感じられる。上坂本人も高校卒業後に上京した。そして石原さとみは正に「ラベンダー色の自転車」に乗る少女だと思った。ハイカラで眩しくて灰色の沼津の風景には全く馴染まない。

それでも彼女の熱演は高く評価したい。やっと代表作と言える作品に出会えて本当に良かったね。

映画の出来も素晴らしかった。吉田恵輔監督作品の系譜の中では『空白』に近い味わいだが、より深化している。僕は本作の方が好きだ。

| | | コメント (0)

2024年4月 2日 (火)

デューン 砂の惑星PART2

評価:A+

IMAXで鑑賞。

Dune_20240402085401

パート2まで観て判ったのは1965年に出版された原作小説が後のSF作品に多大な影響を与えた、ということだ。女性だけの教団ベネ・ゲセリットが企てる「人類改良血統計画」は『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する秘密結社ゼーレによる「人類補完計画」を彷彿とさせるし、巨大なサンドワーム(砂虫)や惑星アラキスの生態系は明らかに『風の谷のナウシカ』の王蟲や腐海に繋がっている。主人公ポールの母が砂漠の民フレメンの教母になり、説く内容は『ナウシカ』の大ババが語る「その者、青き衣をまといて金色の野に降り立つべし。失われし大地との絆を結び、ついに人々を青き清浄の地へ導かん」に一致する。また『スター・ウォーズ』の舞台となる砂漠の惑星タトゥイーンも然り。

一方、砂漠の美しさや戦闘シーンの迫力はデヴィッド・リーン監督『アラビアのロレンス』(1962)以来のスケール感ではないかと驚嘆した。よくよく考えると本作と『アラビアのロレンス』の物語構造は似ている。よそ者であるイギリスの陸軍将校ロレンスが、オスマン帝国からのアラブ独立闘争を率いて英雄になっていく姿が、『砂の惑星』のポールがフレメンを率いて戦う姿に重なる。また『アラビアのロレンス』でアンソニー・クイン演じるアウダ・アブ・タイが本作ではフレメンの部族長スティルガーに該当するし、だったらオマー・シャリフ演じるシャリーフ・アリは?と考えた時、ゼンデイヤ演じるチャニではないか?と奇抜な発想が湧いた。ロレンスは砂漠の英雄になるが、そこには常に迷いがあり虚無感が漂うし、それはポールも同様。

こうした創作物のバトンがすごく面白いな、と思った。

| | | コメント (2)

2024年4月 1日 (月)

大阪桐蔭高等学校吹奏楽部 定期演奏会2024(「サウンド・オブ・ミュージック」「オペラ座の怪人」のおもひでぽろぽろ)

3月17日(日)フェスティバルホールへ。大阪桐蔭高等学校吹奏楽部の第19回定期演奏会を聴く。監督の梅田隆司先生が指揮した。

Toin_20240319080001

まず能登震災復興を願ってユーミンの『春よ、こい』が歌われ、2019年に初演されたショー〈歴史の「夢」を訪ねて〉の再演から始まった(〈ローマを訪ねて〉に改題)。

 ・ 大阪桐蔭高等学校吹奏楽部 定期演奏会2019とディズニー「ファンタジア」

ここで演奏された曲目は、

 ・レスピーギ(杉本幸一編):「リュートのための古風な舞曲とアリア」第3組曲
 ・ハンス・ジマー:アニメ映画「プリンス・オブ・エジプト」より
 ・レスピーギ:交響詩「ローマの祭」より
 ・グノー:アヴェ・マリア
 ・フォーレ:付随音楽「ペリアスとメリザンド」よりシチリアーナ
 ・レスピーギ:交響詩「ローマの松」より

クライマックスでホールの四方八方からバンダ(別働隊の小規模金管アンサンブル)が鳴り響き、迫力満点。

続いてミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』と『オペラ座の怪人』が歌・衣裳付きで上演された。『オペラ座の怪人』は嘗てヨハン・デ・メイ編曲版(歌なし)が定演で披露されたが、今回は郷間幹男による編曲。

 ・「吹奏楽の神様」屋比久勲登場!~大阪桐蔭高等学校吹奏楽部 定期演奏会 2014@ザ・シンフォニーホール

僕はこの2つのミュージカルに強い思い入れがあり、生徒さんたちのパフォーマンスを見ながらさまざまな思い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。多分これから演奏しようという若い人たちにも参考になる情報(ネタ)も含まれていると思うので、手繰った記憶を紐解いていこう。

映画『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)に初めて触れたのは地元の岡山市で中学生の時。昭和の時代、1980年ごろの話だ。家庭用ビデオデッキは未だ普及しておらず、レンタルビデオ店すらなかった。昔の映画はテレビ放送をリアルタイムで観るしか手段がなかった。文化祭の日に学校の教室で(8mmか16mmの)フィルム上映されたのだ。しかも3-40分に短縮されたハイライト版。それでも僕は感動した。そして全編を観たいと強く思った。数年後、岡山大学映画研究部が土曜日に映画館を夜間貸し切って名作映画4本を上映するイベントがあり、プログラム最初が『サウンド・オブ・ミュージック』だった。確か、岡山市千日前商店街にあったSY松竹文化だったと記憶している。21時上映開始で僕は1本目だけを観た(他にロベール・アンリコ監督、アラン・ドロン主演『冒険者たち』があったのを覚えている)。全長版を観てびっくりしたのは、短縮版に収録されていた修道院長(ペギー・ウッド)が歌う「すべての山を登れ Climb Ev'ry Mountain」がごっそり無くなっていたこと!大好きな曲なのに……。

のちに判明したのだが、公開直前になってロバート・ワイズ監督からこのソロ・ナンバーをカットするよう指示があったらしい。映画のテンポが間延びすると判断されたのだろう。しかしテレビ放送、ビデオ、DVD、Blu-ray、配信版にはカットされることなく丸々収録されているし、「午前10時の映画祭」でリバイバル上映された際にもあった(多分フィルムではなくデジタル上映だったからだろう)。因みにクレジットされていないがペギー・ウッドの歌はマージェリー・マッケイ(Margery MacKay)による吹替である。

大学入学のお祝いとしてパイオニアのレーザーディスク(LD)プレイヤーを買ってもらい、最初に購入したソフトが『サウンド・オブ・ミュージック』。当時のブラウン管テレビ(横:縦の長さが4:3)のサイズに合わせたトリミング版だった(つまり左右の映像がカットされていた)。後に特典ディスク付きワイドスクリーン版LDを買い、DVDを買い、さらにBlu-rayで買い直した。製作40周年記念版からマリア:島田歌穂、トラップ大佐:布施明という布陣で歌も含めた日本語吹替音声が実現し、製作50周年記念版ではマリア:平原綾香、トラップ大佐:石丸幹二となりこちらも購入。現在はディズニープラスで配信されている(個人的にはどちらかと言えば島田歌穂の歌声の方が好きだ)。

そして大学の卒業旅行で僕はオーストリアのザルツブルクを訪れ、映画のロケ地巡りをした。ドレミの歌が歌われたミラベル宮殿・庭園(花壇がとても美しい!)から毎日、半日ツアーバスが出ており、マリアとトラップ大佐が結婚式を挙げた湖畔の教会にも行った。ツアーの日本人は僕1人だけ。ガイドさんの解説(英語)によると地元の人々は殆どこの映画を観ておらず、全く知られていないそうだ。

アカデミー賞では作品賞・監督賞など5部門受賞した名作だが、Wikipediaによるとオーストリアではザルツブルクを除いて、21世紀に入るまで本作は1度も上映されていないそう。会話が英語なのも馴染めないだろうし、現地の人にとってナチス=ドイツによる併合は忘れたい過去なのだろう。このようにドイツ語圏では否定的な評価を受けている。

アンドリュー・ロイド・ウェバーがプロデュースし、2006年ロンドンで開幕した舞台版も東京の四季劇場〔秋〕で観劇した。

 ・ 劇団四季「サウンド・オブ・ミュージック」 2010.10.18

以前、大阪桐蔭も上演したミュージカル『マイ・フェア・レディ』のブロードウェイとロンドン初演でイライザを演じたのはジュリー・アンドリュースだった。ワーナー・ブラザースがこの映画化権を獲得し、社長のジャック・L・ワーナーがジュリーにスクリーン・テストを受けさそうとした時、彼女は「スクリーン・テストですって? 私があの役を立派にやれることを知っているはずよ」と拒否した。結局、無名の新人ではなく知名度の高いオードリー・ヘップバーンに同役は決まった。オードリーはこの役はジュリーのものだと考え断ろうとしたのが、そうすればエリザベス・テーラーに役が回ると分かりサインしたのだ。

失意のジュリーは『メリー・ポピンズ』(1964)に主演。そしてアカデミー主演女優賞を獲得した。同年公開された『マイ・フェア・レディ』は作品賞・監督賞などアカデミー賞を8部門獲得するがオードリーはノミネートすらされなかった。舞台と同様ヒギンズ教授を演じ主演男優賞を得たレックス・ハリスンは授賞式の壇上で「ふたりのイライザに感謝します」とスピーチした。

オードリーは歌が下手なのでマーニ・ニクソンという女優が吹替を担当した。しかし映画にはクレジットされずマーニは「他人に口外しない」という契約書にサインしている。ただし「いまに見てらっしゃい (Just You Wait)」というナンバーの前半部はオードリーの地声で、高音に移行する途中からマーニに切り替わる。注意深く聴けばはっきりと分かる。声域が狭いオードリーのためにヘンリー・マンシーニが『ティファニーで朝食を』(1961)の主題歌「ムーン・リバー」の音域を1オクターブと1音(つまりドから高いレまでの9音)で収まるように作曲し、アカデミー歌曲賞を受賞したのは有名な話。

マーニ・ニクソンは『王様と私』(1956)のデボラ・カー、『ウエストサイド物語』(1961)のナタリー・ウッドの歌の吹替も担当しているがいずれもノンクレジットである。しかし業界で彼女のことは知れ渡っていた。『ウエストサイド物語』の監督ロバート・ワイズは彼女を『サウンド・オブ・ミュージック』の尼僧役として出演させている。どの役かは歌声を聴けば分かるから探してみてください。映画の撮影が開始されたのは1964年。マーニは主演を務めるジュリー・アンドリュースと初めて対面する時に緊張した。ジュリーはマーニを見つけるとつかつかと彼女に歩み寄り手を差し伸べてこう言った「マーニ、私はあなたのファンです」。

ミュージカル『エリザベート』の演出で有名な小池修一郎(宝塚歌劇団)はかつてジュリー・アンドリュースのファンクラブ会長を努め、彼女が来日したときインタビューしている。故に彼のオリジナル作品には時々『サウンド・オブ・ミュージック』へのオマージュが盛り込まれていたりする(たとえば『蒼いくちづけ』)。

梅田先生も仰っていたが「私のお気に入り/My Favorite Things」はジャズのスタンダード・ナンバーになっており、一番有名なアレンジはジョン・コルトレーンがソプラノ・サックスを吹いた究極の名盤。次にお勧めしたいのはトニー・ベネットがカウント・ベイシー・ビッグ・バンドをバックに歌ったもの。ジャズ・オーケストラのサウンドがゴージャスで堪らない!

僕が『オペラ座の怪人』を初めて観たのは大学生の時。劇団四季の大阪公演でファントム:山口祐一郎、クリスティーヌ:井料瑠美、ラウル:柳瀬大輔というキャストだった。劇団四季は東京公演以外基本カラオケ上演だが、それでも感銘を受けた。後に東京でオーケストラ生演奏版も体験したが楽団員の人数が少なすぎて(弦楽器の各パート1人づつ)音がペラペラ、これなら厚みがあるカラオケの方がマシだと思った。

さらにウエストエンド(ロンドン)とブロードウェイ(NY)、ラスベガスでも『オペラ座の怪人』を観た。生演奏の質は桁違いに良かったし、ハロルド・プリンス新演出によるラスベガス版は舞台で炸裂する火薬の量が多く、シャンデリアは巨大で豪華だった。なんと4つのパーツが空中で回転しながら合体するのである!

 ・ ラスベガス便りその1 《オペラ座の怪人》 2009.01.02

こちらは残念ながら2012年で幕を閉じた。

ガストン・ルルー原作『オペラ座の怪人』のミュージカル化は既成のクラシック音楽を使用したケン・ヒル版や、日本では宝塚歌劇が初演したモーリー・イェストン作詞・作曲による『ファントム』もある。

 ・ 城田優 主演/ミュージカル「ファントム」 2014.10.11 
 ・ 音楽の天使が舞い降りた!!〜ミュージカル「ファントム」 2019.12.12

面白いのはモーリー・イェストン版で怪人(エリック)は歌姫クリスティーヌに亡き母の姿を重ねており(エディプス・コンプレックス)、アンドルー・ロイド・ウェバー(ALW)版ではクリスティーヌがファントムに亡き父の姿を重ねている(エレクトラ・コンプレックス)。つまり解釈が全く異なるのだ。ALWは間違いなくクリスティーヌとファントムの関係性にサラ・ブライトマンと自分のそれを見出している。

ALWとサラ・ブライトマンの年齢差は12歳。サラは1981年『キャッツ』のジェミマ役に起用された際ウェバーに見そめられ84年に結婚、86年『オペラ座の怪人』のクリスティーヌ役に大抜擢され一躍有名になった。しかし1990年に離婚した。そして93年の『サンセット大通り』が事実上ウェバー最後の傑作であり、その後彼の才能は枯渇した。サラは彼にとって正にミューズだった。実際、Blu-rayも発売されている『オペラ座の怪人 25周年記念公演 in ロンドン』でALWはサラを「私の音楽の天使(My Angel of Music)!」と紹介している(ここで嫌そうな表情を浮かべるサラが可笑しい)。

21世紀に入ってからのALWの作品は目を覆いたくなるほど酷いものばかり。映画『オペラ座の怪人』や、『キャッツ』でテイラー・スウィフト演じるボンバルリーナが歌う新曲もどうしようもない代物である。『キャッツ』は映画そのものも惨憺たる評判で、その年のゴールデンラズベリー(通称ラジー)賞で最低作品賞・最低監督賞(トム・フーパー)など最多6部門受賞するという不名誉を授かった。製作総指揮を担ったウェバーはこれにショックを受け、猫好きをやめて犬を飼い始めたという(参考記事はこちら)。かつて「20世紀のモーツァルト」と称賛された天才作曲家は今では見る影もなく、僕の脳内でアンドルー・ロイド・ウェバーは『サンセット大通り』作曲後、人々に惜しまれつつ急逝したことになっている。

大阪桐蔭の生徒さんたちの歌唱力は相当高く、感心することしきり。特に表題曲“The Phantom Of The Opera”でクリスティーヌは最高音hiEを出さなければならない。これを劇場で毎日歌うのは相当過酷であり、世界各国の公演で一部事前録音が使用されているのは有名な話。Bravissimo !

休憩を挟み第II部最初はベルギーの作曲家ベルト・アッペルモントの『ブリュッセル・レクイエム』。2016年3月に発生したベルギーの首都で発生した連続爆破テロ事件をテーマに、その犠牲者への想いが死者のためのミサ曲として結実した。大阪桐蔭は2023年の吹奏楽コンクールでこれを自由曲に選び、全国大会で見事金賞受賞。演奏は正確で緻密、そして伸びやかに歌い、文句なし。ただ背景の映像字幕による曲の解説があったのだが、事件の「犯人像」に全く言及していないのは片手落ちだと思う。イスラム過激派のテロ組織ISIL(イスラム国)が実行犯で、ISILは2015年パリ同時多発テロにも関与している。ISILに触れないのなら生半可な形で背景を語るべきではない。"All or Nothing"だ。

《19年の歩み》は「Mrs.GREEN APPLEメドレー」(編曲:郷間幹男)。全然聴いたことのない曲ばかりで、このバンドが昨年末に日本レコード大賞を受賞したことも今回の演奏会で初めて知った。YOASOBIの『アイドル』が優秀作品賞候補の10作に選ばれなかった時点で「茶番だ、あり得ない!所詮、所属事務所の力関係で決まってしまうんだね」と失望し、完全にレコ大に対する興味を失ったのだ。因みに調べてみるとMrs.GREEN APPLEの所属はユニバーサルミュージックでレーベルはEMI Records。大手だ。結局YOASOBIのAyaseとか米津玄師とかボカロP出身者はレコード会社(仲介業者/エージェント)を通さずインターネットから直接人気者になったわけで、業界が甘い汁を吸えないから無視する、そういうことなのだろう。大人の世界って本当に汚いよね。というわけで近いうちに大阪桐蔭が演奏する『アイドル』を是非生で聴きたい。YOASOBIとコラボした『ラブレター』も死ぬほど好きだ!

 ・ 【考察】全世界で話題沸騰!「推しの子」とYOASOBI「アイドル」、45510、「レベッカ」、「ゴドーを待ちながら」、そしてユング心理学

《野球応援・リクエストコーナー》で飛んできたボールをキャッチした聴衆が選んだのは『北酒場』『パイレーツ・オブ・カリビアン〜彼こそが海賊』(作曲:クラウス・バデルト)そしてMISIAの『アイノカタチ』。

プログラム最後は《卒業生を送る歌》『さくら』(作曲:森山直太朗)。しみじみ。

そしてアンコールは定番『銀河鉄道999』(編曲:樽屋雅徳)と『星に願いを』で〆。そこには壮大な宇宙の広がりと神秘性があった。

例年通り、充実した3時間だった。卒業生たちの未来に幸あれ!

| | | コメント (0)

2024年3月15日 (金)

TBSラジオ「アフター6ジャンクション」に投稿した、映画『アメリカン・フィクション』のレビューが読まれました。

TBSラジオ「アフター6ジャンクション」の週刊映画時評「ムービーウォッチメン」に投稿した原稿が一部抜粋して読まれた。今回対象になった作品は先日のアカデミー賞で脚色賞を受賞し、現在AmazonのPrime Videoで独占配信中の『アメリカン・フィクション』同コーナーに僕の文章が採用されるのはこれが4回目である。

 ・ TBSラジオ「アフター6ジャンクション」に投稿したメールが読まれました。お題はNetflix映画『ROMA/ローマ』 2019.03.08
 ・ 
『ストーリー・オブ・マイ・ライフ/わたしの若草物語』のレビュー 2020.07.02
 ・ 
『ハウス・オブ・グッチ』のレビュー 2022.02.14

Americanfiction

 以下、送ったメールの原文ママ。  

作品賞・主演男優賞などアカデミー賞5部門にノミネートされた本作が日本では劇場公開されず、配信スルーになったのはとても残念です。ほとんど黒人しか出ない映画は恐らく興行的に難しいのでしょう。例えばアカデミー作品賞を受賞した『ムーンライト』(2016)ですが、日本の興行成績は3.5億円。これはその前後に公開されたオスカー受賞作『バードマン』(2014):4.3億円、『スポットライト 世紀のスクープ』(2015):4.4億円、『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017):8.9億円と比較すると寂しい数字です。ミュージカルとしてリメイクされ、今年公開された『カラーパープル』も初週興行成績トップ10にランクインせず、苦戦しているようです。

『アメリカン・フィクション』はアメリカの白人が黒人に対してどういう見方をしているか、そのステレオタイプを風刺することがキモなので、日本人にはピンとこなくても仕方がないかなと思いました。劇中で主人公が「その根底には白人の我々に対する罪悪感がある」と述べていて成る程なと思いましたが、日本人はアフリカ系アメリカ人に対して何ら疚(やま)しい点がありませんから根本的に立場が違います。

それで連想したのが今年のアカデミー主演女優賞です。『キラーズ・オブ・ザ・フラワー・ムーン』のリリー・グラッドストーンはアメリカ先住民として初めて演技部門にノミネートされましたが、英国アカデミー賞(BAFTA)ではされませんでした。イギリス人にはネイティブ・アメリカンに対する罪悪感や忖度が欠片もないからでしょう。

黒人の悲劇を題材とした文学や映像作品を免罪符として消費するアメリカの白人社会という構造は日本に置き換えてみると24時間テレビとかで「がんばる障害者」を出演させ、それを健常者が消費する〈感動ポルノ〉に似たところがあって、色々と考えさせられました。家族のドラマとしても秀逸だったと思います。

ところで『アメリカン・フィクション』主演のジェフリー・ライトはマイク・ニコルズが監督したHBO製作のテレビ・ミニ・シリーズ『エンジェルス・イン・アメリカ』(2003)でエミー賞やゴールデングローブ賞を受賞した時から印象的な役者でした。彼のどこに惹かれるんだろう?とず〜っと考えていたのですが、今回ようやくわかりました!あの低音で響き渡る声がとっても素敵なんです。ダース・ベイダーの声で有名なジェームズ・アル・ジョーンズを彷彿とさせます。

放送された音声(映像付き)はこちらからどうぞ。

| | | コメント (0)

2024年 アカデミー賞総括(宴のあとで)

今年のアカデミー賞予想、僕の的中は全23部門中18部門(外したのは主演女優・短編ドキュメンタリー・短編アニメ・音響・メイクアップ)だった。まぁまぁだが、20部門当てた過去もあるのでちょっとガッカリ。

なお、星海社新書から刊行されている【なぜオスカーはおもしろいのか? 受賞予想で100倍楽しむ「アカデミー賞」】の著者、 Ms.メラニーは18部門的中なので同点。またWOWOWで授賞式の中継番組を担当したフリー(元TBS)アナウンサー・宇垣美里は20部門当てたそうなので (とTBSラジオ「アフター6ジャンクション」で言っていた)、負けました。

昨年まで独立系のA24とか配信系のNetflixなどが強く、元気がなかったメジャー・スタジオが久しぶりに気を吐いた(ユニバーサル・ピクチャーズ の『オッペンハイマー』が7部門、ディズニー傘下サーチライト・ピクチャーズ『哀れなるものたち』が4部門受賞)。配信系は明らかに後退した。

授賞式で助演男優賞を受賞したロバート・ダウニー・Jr.がプレゼンターのキー・ホイ・クァンを無視して他の人々とだけ握手をしたり挨拶を交わしたと非難され、主演女優賞のエマ・ストーンもミシェル・ヨーに対して無礼な振る舞いをしたとして「東洋人を人種差別した」とバッシングを受けた(詳細はこちら)。言いがかりも甚だしい。現在のアメリカで人種問題はとてもセンシティブなのだなぁと改めて実感した次第である。しかしそんな中、『キラーズ・オブ・ザ・フラワー・ムーン』に出演したアメリカ先住民の俳優リリー・グラッドストーンが主演女優賞を獲れなかったのは投票するアカデミー会員の国際化が進み、最早アメリカ国内だけの祭典では無くなったことを端的に示している。だからこそ『君たちはどう生きるか』や『ゴジラ -1.0』が受賞出来たのだろう。本当に良かった。やはり宮崎駿監督は世界の映画人から尊敬されているのだということが良く分かったし、ゴジラの海外人気も日本人の想像以上だ。既にハリウッド・リメイクが何本もあり、ギレルモ・デル・トロ監督『パシフィック・リム』でもKaijuという言葉がそのまま使われている。山崎貴監督が視覚効果賞を勝ち取れたのは「完全にゴジラのおかげ」と言っているのはその通りで、特技監督・円谷英二の時代から培われてきた日本の特撮技術がようやく世界で認められたのだ。授賞式会場に伊福部昭が作曲した『ゴジラ』の音楽が流れたことには感慨深いものがあった。

| | | コメント (0)

2024年3月10日 (日)

2024年 アカデミー賞大予想! (『君たちはどう生きるか』『ゴジラ -1.0』受賞の可能性をどう見るか)

恒例の第96回 米アカデミー賞受賞予想である。2024年の授賞式は日本時間3月11日(月)午前8時から開催される。自信がある(鉄板)部門には◎を付けた。

 ・ 作品賞:『オッペンハイマー』◎
 ・ 監督賞:クリストファー・ノーラン『オッペンハイマー』◎◎◎
 ・ 主演女優賞:リリー・グラッドストーン『キラーズ・オブ・ザ・フラワー・ムーン』
 ・ 主演男優賞:キリアン・マーフィ『オッペンハイマー』◎
 ・ 助演女優賞:ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ『ホールドオーバーズ』◎
 ・ 助演男優賞:ロバート・ダウニー・Jr.『オッペンハイマー』◎
 ・ 脚本賞(オリジナル):ジュスティーヌ・トリエ、アルチュール・アラリ『落下の解剖学』◎
 ・ 脚色賞:『アメリカン・フィクション』
 ・ 視覚効果賞:山崎貴と白組の愉快な仲間たち『ゴジラ -1.0』
 ・ 美術賞:『哀れなるものたち』◎
 ・ 衣装デザイン賞:ホリー・ワディントン『哀れなるものたち』◎
 ・ 撮影賞:ホイテ・ヴァン・ホイテマ『オッペンハイマー』◎
 ・ 長編ドキュメンタリー賞:実録 マリウポリの20日間 ◎
 ・ 短編ドキュメンタリー賞:The ABCs of Book Banning
 ・ 編集賞:ジェニファー・レイム『オッペンハイマー』◎
 ・ 国際長編映画賞:関心領域(イギリス)◎◎◎
 ・ 音響賞:『オッペンハイマー』◎
 ・ メイクアップ賞:『マエストロ』
 ・ 作曲賞:ルドウィッグ・ゴランソン『オッペンハイマー』◎◎◎
 ・ 歌曲賞:“What Was I Made For?”『バービー』◎◎◎
 ・ 長編アニメーション賞:君たちはどう生きるか
 ・ 短編アニメーション賞:Letter to a Pig
 ・ 短編実写映画賞:ヘンリー・シュガーのワンダフルな物語

 

今年の主要部門(作品・監督・演技)は鉄板で、波乱は殆ど無いだろう。

あるとしたら主演女優賞のエマ・ストーン『哀れなるものたち』くらいか。同じパターンだったのが昨年で、純粋に演技だけ見ればケイト・ブランシェットの圧勝なのにミッシェル・ヨーが受賞した。「有色人種に演技賞を与えなければ」という政治的配慮(ポリティカル・コレクトネス)が働いたのだ。その根底には『アメリカン・フィクション』で描かれたように白人たちの罪悪感が潜んでいる。今年の場合、僕はリリー・グラッドストーンよりエマ・ストーンの演技の方が断然優れていると思う。しかし「アメリカ先住民の俳優に初めてオスカーを与える」ことが何よりも重要で、最優先事項と言っても良い。これは『ゴッド・ファーザー』(1972)でマーロン・ブランドが主演男優賞を受賞した時、ネイティブ・アメリカンを自称するサチーン・リトルフェザーが壇上に立ち、「今日の映画業界におけるアメリカ先住民の扱いに抗議する」という理由で受賞を拒否するという声明を読み上げようとした事件に端を発する(彼女の死後、実は出自を偽りネイティブ・アメリカンでなかったことが判明した)。 あれから半世紀以上経った。

因みに英国アカデミー賞(BAFTA)はエマ・ストーンが受賞したが、リリー・グラッドストーンはそもそもノミネートすらされなかった。つまりイギリス人にはアメリカ先住民に対する罪の意識がかけらもないので、そこに忖度が発生しなかったということだ。

メイクアップ賞は『マエストロ』でなく『哀れなるものたち』かも知れない。

というわけで『オッペンハイマー』が最多の8部門(±1)受賞、『哀れなるものたち』が2部門(美術・衣装)あるいは3部門、『バービー』がビリー・アイリッシュの歌曲賞1部門のみという未来が大体見えてきた。

逆に全然わからなくて楽しみなのが長編アニメーションと視覚効果部門だ。

前者について。前哨戦を見る限り『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』が圧倒的に優勢である。アニメのアカデミー賞と言われるアニー賞も全米製作者組合(Producers Guild of America)賞も受賞した。しかしゴールデン・グローブ賞と英国アカデミー賞(BAFTA)は宮崎駿に行った。BAFTAを宮さんが制したのが大きい。

米アカデミー賞は作品賞同様に長編アニメーション賞もアカデミー会員が全員投票出来る仕組みになっている。つまり専門家だけではなく、スピルバーグやギレルモ・デル・トロ、ジェームズ・キャメロンなど実写の映画監督や俳優たちも投票するわけだ。そして現在はアメリカ国内だけではなく、海外にも沢山の会員がいる(招待された日本人は北野武、是枝裕和、仲代達矢、真田広之、菊地凛子、細田守、新海誠、片渕須直など)。アフリカ系女性として初めてアメリカ映画芸術科学アカデミー会長になり、女性や有色人種の会員を増やすなど組織の多様化を推し進めたシェリル・ブーン・アイザックス(任期2013年~17年)のおかげである。韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が作品賞・監督賞を勝ち得たのも海外の投票者が増えたからだ。この年、全米製作者組合(PGA)と全米監督協会(DGA)賞を制したのは『1917 命をかけた伝令』(米英合作)だった。僕は今回、このシステムが宮さんに有利に働くのではないか?と期待している。

専門家の立場から言えば技術革新が目覚ましい『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』を選ぶだろう(アニー賞がそうなった)。しかしこれは2部作の前編であり物語が中途半端に終わっている。一方Hayao Miyazakiは高齢であり、彼を讃えるチャンスはこれが最後かもしれない。『スパイダーマン』は次作で賞を与えても遅くない。そういう意識が投票者に芽生えるのではないか?さらにアメコミを嫌っている映画人も少なからずいる……最早心理戦である。

視覚効果賞について。ハリウッド大作と比べると『ゴジラ -1.0』(東宝)は余りにも低予算であり、本来ならVFXで太刀打ち出来る筈もない。製作費は未公表だが海外では1500万ドルと報道されており、22億円くらい。一方、有力候補と言われている『ザ・クリエイター/創造者』(20世紀スタジオ)が8000万ドル(約120億円) 。何と5倍以上である!!しかし米国の興行収入では『ゴジラ -1.0』が上回った。スピルバーグも山崎監督に対して「3回観たよ」と褒めてくれた。『ゴジラ -1.0』にチャンスがあるとすれば「お金がなくてもよく頑張ったね」とその心意気を買ってくれる可能性に賭けるしかない。そして幼少期にゴジラなど東宝の怪獣映画を観て特撮監督・VFXスーパーバイザーになろうと決心した人も少なくない。 

実は視覚効果部門の投票傾向には昔から大きな特徴があり、まずCGについてはあまり評価をしない。『スター・ウォーズ』シリーズは全面的にデジタルに移行したプリクエル(エピソード1−3)以降、受賞出来ていない。一方でCGを極度に嫌うクリストファー・ノーランの映画は過去3回受賞している(今回の『オッペンハイマー』は最初から対象外)。つまり“手作り感”が好まれる。そして非常に低予算の『エクス・マキナ』が受賞し、皆を大いに驚かせたことがある(これを当てた人は殆どいなかった)。だから『ゴジラ -1.0』の受賞があり得ると僕は考える。正直、対抗馬もあまり強くないしね。

冷静な分析として『君たちはどう生きるか』と『ゴジラ -1.0』受賞の可能性はどちらも40%くらい(国際長編映画賞候補の『PERFECT DAYS』は0%)。少なくともどちらかは受賞出来るのではないか?もし、どちらも獲れたらもう泣いちゃうよ。

| | | コメント (0)

2024年3月 8日 (金)

落下の解剖学

評価:A+

カンヌ国際映画祭で最高賞パルム・ドールおよび、犬の演技に対して与えられるパルム・ドッグ賞を受賞(犬のスヌープがけだし名演!これは必見)。米アカデミー賞では作品賞・監督賞(ジュスティーヌ・トリエ)など5部門にノミネートされた。公式サイトはこちら

Anatomy2

この映画は事実と真実、フランス語ではfait(フェ)とvérité(ヴェリテ)がテーマだと僕は解釈した。

事実とは実際に起こったうそ偽りのない事柄のことで、真実は事実に対する偽りのない解釈のこと。つまり事実には人が関与しないが、真実には人が関与する。「真実はいつもひとつ」ではなく、「真実は人の数だけある」。

本作を観て、裁判とはお互いが「真実」だと考えることを巡って相克する場なのだと思った。検察側が信じる「真実」があり、被告である妻と弁護側にも別の「真実」がある。そして11歳の息子は両者が語る「物語」のどちらかを選択するよう迫られる。このことを通して少年の成長が描かれる。考えてみれば我々の人生は「自分の物語を選ぶ」ことの繰り返しで構成されているのだ。

裁判で明かされた録音音声の中で、小説を書けず悩む夫は妻が自分のアイディアを盗んだと攻める。しかしサンドラは元々20ページ程度の草案を自分は300ページの小説として完成させたと主張する。つまりそこに彼女の「解釈」が加わっており、自分の作品だというわけだ。歴史・時代小説を例に取ると分かりやすいだろう。徳川家康の生涯という「事実」があり、そこに作家が「解釈」を加えることにより様々な作品が生まれている。

そもそも、夫が転落死して妻が殺したのではないかと疑われるという『落下の解剖学』のプロットはパク・ヌチャク監督『別れる決心』(2022)や増村保造監督『妻は告白する』(1961)を彷彿とさせる。特に後半で裁判劇となる展開は『妻は告白する』にそっくり。しかし映画を観終えたときの印象はそれぞれ異なる。つまり同じ構造を持っていても「解釈」によって全く別の作品が生まれるということだ。

「真実」とは何か?「物語」とは何か?そういったことどもに思考を巡らせずにはいられなくなる、哲学的示唆に富み、奥深い傑作だと思う。

Anatomy

以下余談。現在進行中のウクライナでの戦争はどうだろう?我々自由主義陣営の目から見ればロシアによる軍事侵攻は帝国主義の発露であり、明らかな国連憲章違反である。しかしプーチンの理屈ではウクライナでファシストが実権を握り、ロシア系住民が弾圧されていることに対して自衛権を行使しているだけだということになる。そしてこの物語を大多数のロシア人たちは「真実」だと信じており、プーチンに対するロシア国内の圧倒的支持率は揺らがない。

中東ガザ地区での戦闘も同様だ。イスラエル側も、イスラム組織ハマス側も自分たちが「正義」だと信じ、それぞれに別の「真実」がある。人は結局、見たいものしか見ないのだろう。

| | | コメント (0)

2024年3月 1日 (金)

夜明けのすべて

映画公式サイトはこちら

評価:A

Yoake

今から三十数年前、大学生の時に僕は映画館で『恋人たちの予感』(1989)を観た。(「ラブコメの女王」と呼ばれた)絶頂期のメグ・ライアンは光り輝くばかりにキュートで、監督のロブ・ライナーも脚本のノラ・エフロンも大好きなのだが、一つだけどうしても許し難い点があった。冒頭で〈恋愛感情抜きに男女の友情は成立するのか?〉という問題提議がされるが、最終的にハリー(ビリー・クリスタル)とサリー(メグ・ライアン)はセックスする。つまり〈男女の友情など成立し得ない〉という結論を出されたわけで、とてもショックだった。

この心的外傷は癒えぬまま歳月が過ぎていったが、そこへアイルランドから颯爽と登場したのがジョン・カーニー監督である。2007年に公開された『ONCE ダブリンの街角で』や後の『はじまりのうた』で見事に恋愛抜きの男女の友情を描いてくれて、溜飲が下がった。

そして恐らく『恋人たちの予感』が投げかけた問いに対する日本からの初めての回答が『夜明けのすべて』なのではないだろうか?

〈他者の心を理解することは不可能だけれど、その人に寄り添い、歩調を合わせることは出来る。それは男女を問わない〉というテーマがひしひしと胸に迫る。遺伝子を残すための本能としての求愛ではなく、思いやりから生まれる行動こそが人の人たる所以(ゆえん)だろう。

ゆったりと時間が流れる中、声高ではなく静かな波のように心を洗ってくれる、そんな素敵な映画だと思う。

| | | コメント (0)

2024年2月14日 (水)

From Screen to Stage and back to Screen ミュージカル映画「カラーパープル」(1985年に渦巻いた壮絶なハラスメントについても語ろう)

評価:A+

1985年に公開されたスティーヴン・スピルバーグ監督の映画『カラーパープル』は猛烈なハラスメント(いじめ/嫌がらせ)の嵐に晒された。今でこそスピルバーグは押しも押されもせぬ大監督として世間から認知されているわけだが、当時はそうでなかった。1975年に『ジョーズ』、1981年に『レイダーズ/失われたアーク《聖櫃》』、そして82年に『E.T.』を撮り爆発的なヒットを連発、同業者から激しい嫉妬を買い「あいつは娯楽映画ばかり撮っている金の亡者」的に見られていた。つまり頑なにスピルバーグ映画の芸術性は認めないぞという雰囲気がハリウッドでは支配的だったのである。例えるならAKB48や坂道シリーズ(乃木坂・欅坂→櫻坂・日向坂)でボロ儲けした秋元康が「秋豚」と蔑称され、作詞家としての彼の才能が軽んじられている日本の現状に似ているだろう。

 ・ 秋元康プロデュース・欅坂46「サイレントマジョリティー」を讃えて(あるいは、アメリカの闇)
 ・ 【増補改訂版】「君の名は希望」〜作詞家・秋元康を再評価する

『E.T.』は米アカデミー賞で作品賞・監督賞にノミネートされたが、受賞したのはリチャード・アッテンボロー監督の『ガンジー』だった。

Purple

スピルバーグはどうしてもオスカーが欲しかった。そこでアリス・ウォーカーの小説に目をつけた。しかしメイン・キャストがほぼ黒人で、白人が殆どで出てこない『カラーパープル』を白人が監督することに批判が集まった。結局アカデミー賞では作品賞を含む10部門11ノミネート(助演女優賞が重複)されたにもかかわらず、なんとスピルバーグは監督賞候補に入らなかった。そして蓋を開けてみると受賞ゼロ、全滅だった。正に「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」だ。そんな風に当時のハリウッドは悪意に満ち溢れていた。結局、作品賞・監督賞を制覇したのはシドニー・ポラックの『愛と哀しみの果て』。凡庸な駄作である。

僕は『未知との遭遇 特別編』(1980)以降、スピルバーグの全映画を公開時に映画館で観ており『カラーパープル』も例外ではない。大いに気に入り、後にレーザーディスク(LD)も購入した。

ここで日本の雑誌「キネマ旬報」1986年度 外国語映画ベストテンを見てみよう。第3位が『蜘蛛女のキス』(アカデミー作品賞・監督賞ノミネート)、第6位が『カラーパープル』、そして『愛と哀しみの果て』が12位。この評価からも分かる通り、アカデミー史上最悪のミスジャッジであった。余談だがミスジャッジで思い出すのが1998年に公開された『恋におちたシェイクスピア』でグウィネス・パルトロウが主演女優賞を受賞した「とんでも事件」。この年は『エリザベス』のケイト・ブランシェットや『セントラル・ステーション』のフェルナンダ・モンテネグロが候補だったわけで、グウィネスというのはどう考えてもあり得ない選択だった。その後"MeeToo"運動を経て、『恋におちたシェイクスピア』のプロデューサーだったハーベイ・ワインスタインが告発され逮捕(禁固刑は合計39年を言い渡された)。グウィネスが証言するかどうかが焦点となり、遂に彼女が受賞したからくりが判明したというわけ。閑話休題。

 ・ 映画「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」 2023.02.07

漸くスピルバーグ映画がアカデミー作品賞・監督賞を受賞するのは『シンドラーのリスト』(1993)である。これはホロコーストを描いた作品であり、ハリウッドの重役にユダヤ人が多いことは周知の事実(ワインスタイン兄弟もユダヤ人)。有無を言わせぬ鉄板ネタであった。

『カラーパープル』はウーピー・ゴールドバーグの映画デビュー作で、僕はこれでアカデミー主演女優賞を受賞すべきだったと今でも思っている。結局彼女は『ゴースト/ニューヨークの幻』の胡散臭い女霊媒師役で助演女優賞を受賞するのだが、まぁこれは「あの時あげられなくてゴメンね。これで堪忍して」といった残念賞的意味合いが強かった。因みにウーピーはTV界のEmmy(エミー賞)、音楽界のGrammy(グラミー賞)、映画界のOscar(アカデミー賞)、そして舞台のTony(トニー賞)というエンターテイメントの最高峰に位置する栄冠を4つとも受賞したEGOTであり、現時点でEGOTを達成したのはオードリー・ヘップバーン、リチャード・ロジャース、メル・ブルックス、アンドリュー・ロイド・ウェバー、ジェニファー・ハドソン、ジョン・レジェンド、エルトン・ジョンら19人しかいない。

『カラーパープル』は2005年にブロードウェイでミュージカル化され、その10年後にシンシア・エリヴォ、ジェニファー・ハドソン主演で再演。第70回トニー賞ではミュージカル・リバイバル作品賞とミュージカル主演女優賞(シンシア・エリヴォ)の2冠に輝いた(『ハミルトン』が11部門攫った年だ)。シンシア・エリヴォは2019年に映画『ハリエット』に出演しアカデミー主演女優賞にノミネートされ、主題歌も歌った。現在はミュージカル映画『ウィキッド』を撮影中(エルファバ役)。

今回の映画はこのブロードウェイ版に基づいている。製作にスティーヴン・スピルバーグ、クインシー・ジョーンズ(前作で音楽を担当)、オプラ・ウィンフリー(前作でソフィアを演じアカデミー助演女優賞候補に)らが名を連ね、製作総指揮には原作者アリス・ウォーカーの名前も。監督はブリッツ・バザウーレ、ガーナ出身だそう。上映時間141分で、なんと85年版の154分より短い!

製作陣にウーピーの名前がないから彼女は本作に思い入れがないのかな?残念だなと思っていたら、本編を観るとカメオ出演していたのでむっちゃ嬉しかった。

率直な感想。スピルバーグ版よりもミュージカル版の方が良かった。上映時間が短いことからも分かる通り展開が早いし、何よりミュージカル・シーンが素晴らしい。歌も、踊りも。ゴスペル(アフリカ系アメリカ人によって生み出された教会音楽)とかブルースが、黒人たちの辛い労働・日常生活から生まれた「叫び」であることがとても良く理解出来る仕組みになっている。本作にとってミュージカルという形式が最も相応しかった、と言えるだろう。

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧