Cinema Paradiso

2023年7月28日 (金)

【考察】なぜ「君たちはどう生きるか」は評価が真っ二つなのか?/ユング心理学で宮﨑駿のこころの深層を読み解く

ネタバレ前提で語ります。ご注意ください。また下記も併せてご一読ください。

 ・ 謎に包まれた宮崎駿監督の新作「君たちはどう生きるか」最速レビュー
 ・ 【考察】完全解読「君たちはどう生きるか」は宮﨑駿の「8 1/2」(フェデリコ・フェリーニ監督)だ!!

名字をからに改名した新生・宮﨑駿監督『君たちはどう生きるか』は賛否両論、面白いくらい評価が真っ二つである。公開から一週間後、「Yahoo!映画」で最高の5つ星をつけたユーサーが30%、星1つは36%、5点満点で平均2.9点だった。

これだけ極端に分かれる理由の一つに、主人公の少年が寡黙で、彼の感情の動きが読み取り難いことが挙げられるだろう。特に新しい母となる、夏子と対面してしばらくは、ほぼ無言である。だから彼が自傷行為をして額からおびただしい血を流す場面で観客はギョッとするのだ。想像力を駆使しなければ理解出来ない。そこに描かれないこと、語られない気持ちを頭の中で補わなければならない。

宮さんの前作『風立ちぬ』の主人公・堀越二郎も寡黙な人で、公開当時はやはり賛否両論だった。そのことについて下記事で論じた。

 ・ 想像力についての考察(「風立ちぬ」「桐島」そして「秒速5センチメートル」を巡って) 2013.08.23

自分が書いたものを10年ぶりに読み返し、映画『8 1/2』と結びつけて語っていたことに驚いた。すっかり忘れていたのだが、既に『風立ちぬ』の時点で宮崎駿のフェリーニ化現象に無意識のうちに気付いていたのだ。

『君たちはどう生きるか』を観た若い人が「さっぱり理解出来ない」=「詰まらない」と短絡的に思考する理由が僕にも良く判る。だって高校生のときに『8 1/2』を観た僕も全く同じだったから。だから決して諦めないで。これからも沢山の映画を観たり、小説を読んで学ぶ姿勢を持ち続ければ、いつかきっと君は次のフェーズにたどり着ける筈。それが「生きる」ということ。もし自分を磨かなければ……アホな大人になるだけだ。

『君たちはどう生きるか』の異世界は混沌としている。chaosだ。ユング心理学的に言えば集合的無意識に相当する。夢を見ているようなものだから、支離滅裂で論理的ではない。秩序をもたらすのは人の意識・自我である。

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さらに宮さんは〈集合的無意識≒アートの世界≒今まで自分が携わってきたアニメーション映画の総体〉と見なしている。メタファーに満ちているのでひとつひとつの記号(キャラクター・事物)が何を象徴しているのかじっくり考える必要がある。しかし世の中には見たまま、表面的にしか捉えない人々が少なからずいるので、「わけがわからない」「老いぼれたジジイの戯言だ」「退屈して途中で寝た」という感想になってしまう。そういう意味で、不親切な映画であることは確かだ。アートだから。

集合的無意識は時間や空間を超越する共時的世界だ(↔対義語は「通時的」)。過去・現在・未来が同時にそこにある。フェリーニは次のように語っている。

「我々は記憶において構成されている。我々は幼年期に、青年期に、老年期に、そして壮年期に同時に存在している。」

だから『君たちはどう生きるか』で大伯父が塔に入った時期と、少女時代の母が1年間神隠しにあった時期、そして眞人が入ったタイミングは何十年もかけ離れているのに、3人は共存出来るのだ。オーストラリアの先住民・アボリジニの思想〈ドリームタイム(夢の時)〉も同じこと。

 ・ アボリジニの概念〈ドリームタイム〉と深層心理学/量子力学/武満徹の音楽

面白いのは『ふしぎの国のアリス』同様、主人公は下に落ちて異世界に行く。まさに〈こころの深層に潜っていく〉イメージだ。ユング心理学に強い影響を受けた村上春樹の小説『ねじまき鳥クロニクル』で言えば〈深い井戸の底に下りて瞑想する〉ことに相当する(こちらも鳥だ!)。

『君たちはどう生きるか』の大伯父はユング心理学で言うところの集合的(家族的・文化的)無意識 Collective unconsciousの中にある、元型 Archetype のひとつ、老賢人(The Wise Old Man)である。少女時代の母ヒミや、キリコは太母(The Great Mother)。慈しみ、すべてを優しく包み込む良い母親像。育み、支え、成長と豊穣を促進する。母に似た夏子はアニマ(男性が抱く内なる女性像)と太母が融合した姿(心的複合体 Complex)。松本零士「銀河鉄道999」ではメーテルが相当する。ムッソリーニがモデルのインコ大王とその軍隊は影(シャドウ)、そしてサギ男(=鈴木プロデューサー)はトリックスターだ。

 ・ 〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その2〉太母・老賢人・子供・アニマ・アニムス・ペルソナ 2019.06.06
 ・ 〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その3〉影・トリックスター・ヌミノース 2019.06.07

ヒミとキリコは少量のを巧みに操り生活に役立てる。は文化の象徴であり、ギリシャ神話のトリックスター・プロメテウスが天上のを盗み、人類に与えた。しかし、過ぎたるは及ばざるが如し。大火は災いをもたらす。それは眞人の母を焼き尽くした火事の炎であり、『風の谷のナウシカ』で語られる火の七日間だ。勿論、東京大空襲や広島・長崎に落とされた原爆のメタファーとなっている。ことわざにもあるではないか、「馬鹿と鋏は使いよう」。

こうやって腑分けしていけば、そんなに難解な作品ではないでしょう?イマジネーションが溢れ出る、真っ当な傑作だと僕は思う。

人生は祭りだ、共に生きよう!」(E' una festa la vita, viviamola insieme! )  〜映画『8 1/2』より

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2023年7月22日 (土)

【考察】完全解読「君たちはどう生きるか」は宮﨑駿の「8 1/2」(フェデリコ・フェリーニ監督)だ!!

ネタバレ前提で語ります。ご注意ください。

 ・ 謎に包まれた宮崎駿監督の新作「君たちはどう生きるか」最速レビュー 2023.07.14

〈タイトルに込められた思い〉

本作は宮﨑駿(以下「宮さん」と呼ぶ)の「俺はこう生きた。君たちはどうするんだ」という我々観客、あるいは庵野秀明・細田守・新海誠ら後進のアニメーション作家に対する問いなのだろう。『君たちはどう生きるか』は1937年に刊行された吉野源三郎の小説で、映画の主人公・眞人がこの本を読み涙する場面はあるが、内容的にはほとんど関係がないと言って差し支えない(鈴木敏夫プロデューサーもそう断言している)。タイトルを拝借しただけ。むしろ筋書きは宮さんが帯に推薦文を書いたジョン・コナリー著『失われたものたちの本』(田内志文訳、創元推理文庫)に寄り添っている。鈴木プロデューサーは次のように語った。

「宮さんが一冊の本をぼくに提示した。『読んでみて下さい』。アイルランド人が書いた児童文学だった」(『スタジオジブリ物語』)

そして宮さんは『失われたものたちの本』に自分の体験を重ねた。彼は1941年東京生まれ。一族が経営する宮崎航空機製作所は数千人の従業員を擁したそう。太平洋戦争が始まり製作所が移転したために幼児期に家族で宇都宮に疎開し、小学校3年生まで暮らした。父の会社は零戦の風防(キャノピー:航空機の操縦席を覆う窓のこと)を作っていた。「戦争中なのに裕福だった」という。また彼が6歳のときから母は脊椎カリエス(結核菌が脊椎へ感染した病気)を患い、寝たきりの生活を送っていた。そんなある日「おかあさん、おんぶして」とねだると、「それは出来ないのよ」 と断られてしまう。そして次第に「本当に自分は母親に愛されているんだろうか」「自分は生まれてこなければ良かったんだじゃないか」と思い詰めるようになる。これらのエピソードが今回の映画に投影されている。つまり本作の主人公・眞人は少年時代の宮さんの分身である。

と同時に眞人の大伯父も現在の年老いた自己の分身と言える。映画に登場する異世界は大伯父が空から降ってきた飛行石と契約を結び(ハウルとカルシファーの関係を想起させる)創ったものという設定だ。異世界=大伯父の無意識・夢・願望の産物。そこに眞人やヒミ(眞人の母親の少女時代)、夏子(ヒミの妹/眞人の新しい母親)が現実逃避するための避難所・安全地帯という意味合いも重ねられ、心的複合体(complex)になっている。

〈『8 1/2』と宮﨑駿〉

〈大伯父=アーティスト=宮﨑駿〉と見立てれば、〈異世界=アート(imaginationの総体)=宮さんがこれまでに仲間たちと創造したアニメーション作品群〉となるだろう。つまり本作は宮﨑駿版『8 1/2』なのだ。

フェデリコ・フェリーニ監督『8 1/2』は1963年のイタリア映画。米アカデミー賞の外国語映画賞(現在の名称は国際長編映画賞)を受賞し、日本ではキネマ旬報ベストテンで外国語映画第1位に選出された。後世に多大な影響を与えた作品で、カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いたボブ・フォッシー監督『オール・ザット・ジャズ』や北野武『監督・ばんざい!』、ウディ・アレン『地球は女で回っている』も『8 1/2』の明白なパスティーシュである。こんな話だ。フェリーニの分身である映画監督グイドが主人公。新作映画を撮ろうとするグイドの混乱と焦燥、幻想、少年期の追想などが混沌とした状態で描かれる。8 1/2とは、本作がフェリーニが単独で監督した長編映画8作目であり、さらに処女作『寄席の脚光』がアルベルト・ラットゥアーダと共同監督だったため半分(1/2)とカウントしている。『8 1/2』は後にブロードウェイ・ミュージカル『NINE』に生まれ変わり、アカデミー作品賞を受賞した『シカゴ』や実写版『リトル・マーメイド』のロブ・マーシャル監督が映画化した。どうして半分(1/2)増えたかといえば、歌と踊りが加わったからである。

 ・ 城田優(主演)ミュージカル「NINE」 2020.12.10
 ・ ミュージカル映画「NINE」と冬季オリンピック 2010.03.22

2023年6月18日に放送されたTOKYO FM『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』〜「日本テレビとジブリ」についての座談会(その2)で、鈴木プロデューサーは宮﨑駿に『8 1/2』『魂のジュリエッタ』などフェリーニの映画を3本紹介したと語った。宮さんは最初から最後まで瞬き一つせず全部観た。そして観終わった瞬間「これ誰?俺と同じこと考えている奴がいる」と言った。

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大伯父が積む13個の積木は宮﨑駿が今までに監督したアニメーション映画のメタファーだというのが既に『君たちはどう生きるか』を観たレビュアーたちの一致した意見(consensus)だ。しかし『ルパン三世 カリオストロの城』から『君たちはどう生きるか』まで長編映画が12本。残る1本は?という点で意見が割れている。高畑勲が監督し宮さんが原作・脚本・画面設定を担当した『パンダコパンダ』を挙げる人、宮さんが監督した短編映画『On Your Mark』(上映時間6分48秒/『耳をすませば』と併映)、あるいは近藤喜文が監督し宮さんが製作・脚本・絵コンテ・主題歌『カントリー・ロード』の補作詞まで手掛けた『耳をすませば』だと言う人もいる。僕の見解を述べれば『8 1/2』的に数えると『On Your Mark』単独だと1/2〜1/10くらいにしかならないので、『On Your Mark』+『耳をすませば』で1本(あるいは脚本などで宮さんが関わった『借りぐらしのアリエッティ』や『コクリコ坂から』を加えても良いだろう)といった具合に、合わせ技・複合体(complex)としてカウントしているのではないだろうか?

〈サギ男とは何者か?〉

青鷺火(あおさぎび)という言葉がある。サギの体が夜間、青白く発光するという怪現象のことだ。つまりサギは人をあやかす存在である。

本作に於けるサギ男(青サギ)は現世と異世界を行き来するトリックスターの役割を果たす。いたずら者のトリックスターは境界に存在する。シェイクスピア『夏の夜の夢』の妖精パック、『ふしぎの国のアリス』の白うさぎ、『ピーターパン』のティンカーベル、『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラム、『古事記』『日本書紀』のスサノオ(須佐之男命)、ゲーテ『ファウスト』のメフィストフェレスなどが該当する。詳しくは下記事に書いた。

 ・ 〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その3〉影・トリックスター・ヌミノース 2019.06.07

サギ男とは、ズバリ鈴木敏夫プロデューサーのメタファーだろう。〈サギ=詐欺〉というダブルミーニングも含まれており、「俺は鈴木さんに騙されてこんな世界に飛び込んでしまった!」という思いもあるだろう。また大きな鼻は〈手塚治虫=その分身である『火の鳥』の猿田=お茶の水博士〉を連想させ、幼い頃強い影響を受けた手塚も多少入っているかも知れない(アニメーション作家としての手塚を宮さんは決して認めないが、先達であるという事実からは逃れられない)。

〈母の死因は空襲?それとも戦争と無関係な火事?〉

僕は劇中の会話に出てくる通り眞人の母は火事で死んだのだと思っていたのだが、映画のレビューに「空襲で死んだ」と書いている人が沢山いるので驚いた。上空を飛ぶ戦闘機なんか全く描かれていないし!

引越し先で眞人の父親がサイパン陥落の話をしているからその終結が1944年7月9日。東京都が空襲を受けるのは1944年11月24日から45年8月15日まで計106回。だから時期が合わない。故に空襲による火災ではないだろう。

〈ダンテ『神曲』再び〉

眞人は大伯父が残した塔に入り、そこが異世界に繋がっているのだが、塔の入り口に"FECEMI LA DIVINA POTESTATE"と文字が刻まれている。これはダンテ『神曲』の地獄の門に書かれた碑文の一部であり、"LA SOMMA SAPIENZA E 'L PRIMO AMORE."と続く。〈聖なる威力(神威)、比類なき叡智、そして原初の愛は、わたしを創った〉という意味。映画に登場する文だけ抜き取ると〈聖なる威力はわたしを創った〉となる。物語上、聖なる威力とは飛行石のことである。しかし、この世界には愛が欠けている

ダンテの『神曲』は宮さんが引退詐欺をしでかした『風立ちぬ』でも引用されている。『神曲』は地獄篇・煉獄篇・天国篇の3部から成る。煉獄とは地獄と天国の間にある世界。『風立ちぬ』のラストシーンで堀越二郎(=ダンテ)はカプローニ(=詩人ウェルギリウス)と一緒に煉獄にいる。そこに天国から菜穂子(=ベアトリーチェ)が現れる。絵コンテで彼女は「来て」と言うが、鈴木プロデューサーと庵野秀明の意見を聞き入れ最終的に「生きて」に変わった。

『君たちはどう生きるか』の異世界も地獄から始まり、眞人は大伯父のいる天国まで上って行く。案内役のサギ男=ウェルギウスであり、若き日の母ヒミ=ベアトリーチェだ。

〈薔薇が象徴するもの〉

眞人が幽霊塔に入ると最上階に大伯父が現れ、一輪の薔薇の花が落ちてきて砕け散る。『美女と野獣』のように薔薇は魔法を象徴し、魔法の効力が尽きようとしていると読み解くことが出来る。こちらは凡庸な解釈

もうひとつの可能性は不朽の名作オーソン・ウェルズ監督『市民ケーン』の主人公が死に際に呟く言葉“薔薇の蕾”(Rose Bud)だ。映画のラストシーンでRose Budとはケーンが幼少期に遊んでいた雪橇(そり)に書かれていた絵であることが明らかにされる。それはかけがいのない大切な思い出(彼はその後無理矢理両親から引き離される)。宮さんの記憶に直結している。

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〈「我を学ぶものは死す」の意味〉

異世界にある墓の門には「我を学ぶものは死す」と書かれている。絵手紙の創始者・小池邦夫が、師匠の洋画家・中川一政(かずまさ)(1893~1991)から貰った言葉。俺の言う通りにしていたら「亜流・中川」で終わるぞという警鐘だ。息子・宮崎吾朗の初監督作品『ゲド戦記』の試写を観終えた宮さんは鈴木プロデューサーにそっと、こうぼやいた。「(俺の)真似するんなら、元が分かんないようにやれ」

〈インコ大王〉

異世界の恐らく煉獄に相当する場所に、人を食うインコの集団が生活している。そのリーダーがインコ大王(声:國村隼)だ。インコの群衆は「DUCH」と書かれたプラカードを掲げ、大王を讃える。イタリア読みをすれば「ドゥーク」(CHは[k]の音/カ行の子音)。恐らく〈インコの軍隊=ファシスト党〉〈インコ大王=ムッソリーニ〉のメタファーだろう。イタリアの独裁者ムッソリーニは「DUCE(ドゥーチェ)」と呼ばれた。日本語では「統帥(とうすい)/総統/国家指導者」と訳される。

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宮さんの『の豚』の主人公ポルコ・ロッソはイタリア共産党員として描かれており(だからなのだ)、アドリア海を舞台に、敵対するファシスト党との攻防戦が展開される。ダンテ − ムッソリーニ − フェリーニ。イタリア繋がりだ。ついでに言えば『風立ちぬ』に登場するジョヴァンニ・バッティスタ・カプローニもイタリアの航空技術者。

〈死んだ妻の妹と再婚するのは変か?〉

本作を観た観客の多くがこのことに違和感を覚えているようだ。

「出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」によると1940年の見合い結婚率は69.0%、恋愛結婚率は13.4%だった。それが2015年には見合い結婚率が5.5%、恋愛結婚率が87.7%になった(詳しくはこちら)。つまり現在と異なり、戦時下では恋愛結婚のほうが珍しかった。男と女は「家(一族)」を守るために婚姻を結んだ。例えば夫が戦死したために、未亡人がその弟と再婚させられることはしばしばあった。いわば政略結婚である。

〈キリコのモデル〉

異世界で喧嘩ばかりしていた眞人とサギ男はキリコの仲介で和解する。キリコのモデルは『太陽の王子 ホルスの大冒険』から『風立ちぬ』まで宮崎駿を支えた、色彩設定の保田道世(1939-2016)だと鈴木プロデューサーはラジオで明言している。宮さんは彼女のことを「戦友」と評した。またキリコという名前は『失われたものたちの本』で主人公を助ける“木こり”のアナグラムになっている。

〈生まれ変わり〉

〈ワラワラ〉が子どもとして生まれるために昇天する様子を見ながらキリコは「いっぱい食べさてやれて良かった」と言い、涙を流す。僕が想像するに、〈ワラワラ〉の前世はひもじくて餓死した子どもたちだったのではないだろうか?『火垂るの墓』の節子のように。

キリコの着物の柄は輪廻転生を象徴している。アニメ『魔法少女まどかマギカ』における円環の理(ことわり)ね。

なお『君たちはどう生きるか』から宮さんは名字の宮崎をからに改名している。つまり「俺は〈ワラワラ〉みたいに生まれ変わった。まだまだやるぞ~」という決意表明だ。もう既に次回作の企画書を鈴木プロデューサーに提出したらしい。終わらない人 宮﨑駿。

  【考察】なぜ「君たちはどう生きるか」は評価が真っ二つなのか?/ユング心理学で宮﨑駿のこころの深層を読み解く

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2023年7月14日 (金)

謎に包まれた宮崎駿監督の新作「君たちはどう生きるか」最速レビュー

7月14日(金)宮崎駿監督「君たちはどう生きるか」が遂に公開された。引退詐欺の「風立ちぬ」公開が2013年7月20日だから10年ぶりの新作である。

 ・ 宮崎駿監督「風立ちぬ」批判に徹底反論する(堀辰雄「菜穂子」を通して) 2013.08.19
 ・ 宮崎駿「風立ちぬ」とモネの「日傘を差す女」 2013.08.21
 ・ 
想像力についての考察(「風立ちぬ」「桐島」そして「秒速5センチメートル」を巡って) 2013.08.23
 ・ 
宮崎駿「風立ちぬ」とエリア・カザン~ピラミッドのある世界とない世界の選択について 2013.08.28

評価:A+

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公開前宣伝一切なし。予告編なし。ポスターの絵一枚だけ。どんな物語かすら分からない。異例ずくめである。公開後も当面パンフレットを売らないそうで、徹底した秘密主義が貫かれている(パンフレットに写真を載せないわけにはいかないし、そこからネット上に拡散されるのを防ぐ狙いだろう)。

これまでのスタジオジブリ作品で採られていた複数の企業が出資する映画製作委員会方式(例えば「千と千尋の神隠し」では徳間書店・スタジオジブリ・日本テレビ・電通・ディズニー・東北新社・三菱商事が組んだ)ではなく、 ジブリの単独出資で製作されている。大胆な賭けに出たリスクは全てスタジオが負い、自己責任を果たすいうことだ。

作画監督はこれまで「千年女優」や「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」を手掛けてきた本田雄(ほんだたけし)。当初本田は「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の作画監督に内定していたが、鈴木敏夫プロデューサーが庵野秀明監督に直談判しジブリに引っ張ってきたらしい。三鷹の森ジブリ美術館の「土星座」で上映された宮崎監督の短編「毛虫のボロ」でも作画監督を務めた。

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以下、あらすじを含め何を語ってもネタバレになる。

 

心の準備はよろしいか?

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冒頭、主人公の少年の着ている衣服が「風立ちぬ」に近かったので面食らう。やがて設定が第二次世界大戦中の日本だと分かってきて、ありゃりゃ、零戦の設計者・堀越二郎が生きた時代じゃないかと思った。疎開先のお屋敷に零戦の操縦席に取り付ける防風ガラスと思しきものが運び込まれる場面もある(宮崎駿の父親は零戦を製作していた中島飛行機に部品を納入していた)。鈴木プロデューサーの話では“冒険活劇ファンタジー”だった筈では??と疑問符がグルグル頭を回り始める。そこから急転直下、事態は大きく動いた。

主人公が異世界に行き、戻ってくるので物語の基本構造は「千と千尋の神隠し」に似ている。そこに「天空の城ラピュタ」の飛行石みたいな物体が出てきて、ヒロインの少女は火を操るので「ハウルの動く城」の悪魔カルシファーだし、彼女の格好はまるで「不思議の国のアリス」(アリス同様、主人公は落ちて異世界に行く)。そして主人公を食べようとするインコの集団はアリスに飛びかかるトランプみたい。可愛らしい生き物〈ワラワラ〉は「もののけ姫」の〈こだま(木霊)〉で、死者が船を漕ぐ場面は「崖の上のポニョ」。「ハウルの動く城」に出てくるそれぞれ別の空間につながる扉みたいなものもある。「眠れる森の美女」がいて、七人の老婆は「白雪姫」を見守る小人たちだ(ビリー・ワイルダーが脚本を書いたハワード・ホークス監督「教授と美女」を思い出した)。さらに宮崎駿が愛してやまない江戸川乱歩の「幽霊塔」やフランスのアニメーション映画「王と鳥(やぶにらみの暴君)」(アンデルセン原作/ポール・グリモー監督)スイス出身の画家アルノルト・ベックリンの代表作「死の島」もぶち込まれている。

Ghost

Tori

Death

あとポスターで描かれた鳥人間はハウルであり、「千と千尋の神隠し」で湯婆婆に仕えている湯バード(身体はカラスで顔が湯婆婆)ね。それと都会に住んでいた父と子が田舎に引っ越してくるのと、木のトンネルをくぐり抜けるのは「となりのトトロ」。

これは間違いなく宮崎アニメの集大成であり、かつ様々なファンタジー作品のガジェットがてんこ盛りにされている。

イマジネーションの飛翔、迸るイメージの奔流に圧倒された。掛け値なしの傑作。

ただ映画の上映が終わり場内が明るくなると「難しかったね」「もう1回観ないとよくわからない」というカップルの声が聞こえてきた。そういう感想も少なくないのかも知れない。

音楽が久石譲で主題歌が米津玄師という組み合わせはアニメーション映画「海獣の子供」と同じ座組だ。ただ米津に白羽の矢が当たったのは宮崎駿がたまたまラジオで「パプリカ」を聴いて気に入ったかららしい。

 ・ 大切なことは言葉にならない〜【考察】映画「海獣の子供」をどう読むか? 2019.06.22

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2023年7月13日 (木)

カンヌ国際映画祭で2冠!是枝裕和監督「怪物」と黒澤明監督「羅生門」

評価:A+

『怪物』は今年のカンヌ国際映画祭で脚本賞(坂元裕二)とクィア・パルム賞を受賞。公式サイトはこちら

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クィア・パルム受賞という情報そのものが既にネタバレじゃないかと鼻白んだのだが、その前知識は鑑賞の妨げ/noiseにならなかった。

向田邦子賞受賞歴もある坂元裕二だが、正直僕はTBSのドラマ『カルテット』を観ても、映画『花束みたいな恋をした』にせよ、彼の才能にピンと来なかった。日テレのドラマ『初恋の悪魔』に至ってはくだらなさに呆れ果て、数回で視聴を止めてしまった。ところが!『怪物』は掛け値なしに傑出した作品だった。坂元はNetflixと今後5年間の専属契約を結んだらしい。

3つの視点で1つの事象を描くというのは黒澤明監督と脚本家の橋本忍が映画『羅生門』で発明した手法である。リドリー・スコット監督『最後の決闘裁判』でも踏襲されており、(数々のパニック映画や三谷幸喜の『The 有頂天ホテル』でも活用された)「グランド・ホテル形式」同様、今や「羅生門形式」と命名しても差し障りないのではなかろうか?

『怪物』は「羅生門形式」に立脚しながらも、そこに宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の要素を導入したのがミソ。幾原邦彦監督の大傑作TVアニメ『輪るピングドラム』もそうなのだが、『銀河鉄道の夜』ネタに僕は弱いんだよな〜。しびれるねぇ(『ピンドラ』渡瀬眞悧 の台詞)。

これは控えめに言って是枝裕和監督の最高傑作ではないだろうか?少なくとも僕はカンヌでパルムドール獲った『万引き家族』より好き。『誰も知らない』の頃からそうなのだが、子供に対する演出が相変わらず上手いんだ。

つい先日他界した坂本龍一の音楽も心に沁みる。彼は映画全体のスコアを完成させるだけの体力が残っておらず、書き下ろしたのは「Monster 1」「Monster 2」の2曲のみ。他は今年発売されたオリジナル・アルバム『12』から「20220207」、「20220302」など既存曲が選ばれた。僕は「坂本龍一とは何者だったのか?」というテーマで後日新しい記事を書き上げる予定で、現在着々と準備を進めているところである。

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2023年5月27日 (土)

クラシック通が読み解く映画「TAR/ター」(帝王カラヤン vs. バーンスタインとか)

評価:A+

アカデミー賞で作品賞/監督賞/主演女優賞/脚本賞/撮影賞/編集賞の6部門にノミネート。ケイト・ブランシェットがクラシック音楽界の頂点に上り詰めた指揮者を演じる映画『TAR/ター』公式サイトはこちら

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無茶苦茶面白かったのだけれど、普段クラシック音楽に余り親しんでいない観客にはどう受け止められたのだろう?という気持ちにもなった。ある程度クラシック音楽の知識を持っていた方がさらに数倍楽しめる映画だと思うので、クラオタの視点から本作に新たな光を当てていきたい。

史実におけるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 首席指揮者の変遷は以下の通り。

〈フルトヴェングラー(一時期ルーマニア出身のセルジュ・チェリビダッケ)→カラヤン(オーストリア:ザルツブルク)→クラウディオ・アバド(イタリア)→サイモン・ラトル(イギリス)→キリル・ペトレンコ(ロシア)〉

しかし映画では〈フルトヴェングラー→カラヤン→アバド→アンドリス・デイヴィス→リディア・ター〉という流れのようだ。

アンドリス・デイヴィスという名前が面白く、現在もベルリン・フィルに客演しているアンドリス・ネルソンス(ラトビア)と、アンドルー・デイヴィス(イギリス)あるいはコリン・デイヴィス(イギリス)を掛け合わせたのだろう。

巨匠ヴィルヘルム・フルトヴェングラー亡き後、1955年にベルリン・フィルの首席指揮者として破格の終身契約を結び(この時水面下で交わされた駆け引きが実に面白いのだが、それはまた別の話)、帝王と呼ばれたヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)は、ベルリンでスターは自分一人で十分だと考えていた。故にライバルであるレナード・バーンスタイン(1918-1990)を客演指揮者として一度も定期演奏会に招かなかった。

バーンスタインは生涯に一度だけベルリン・フィルを指揮したことがある。1979年10月4日と5日の演奏会で、曲目はマーラー:交響曲第9番だった。

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正に一期一会、伝説的名演として知られ、1992年に漸く発売されたライヴ音源は日本の「レコード芸術」誌においてレコードアカデミー大賞を受賞した。その演奏会直後の79年11月から翌80年にかけてカラヤンは同曲をベルリン・フィルとセッション録音した。彼はそれまで一度も演奏会でこの曲を指揮したとがなく、ボウイング(弦楽器の運弓法)などバーンスタインがオケを鍛えたノウハウを利用/活用したのではないかという疑惑が囁かれている。実はカラヤンには前科がある。

1949年夏に引き続き1950年8月、フルトヴェングラーはザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルを指揮し、モーツァルトの歌劇『魔笛』を上演した。その年の11月、カラヤンはウィーン・フィルを指揮し『魔笛』をセッション録音した。キャスト(歌手)は、フルトヴェングラーがザルツブルクで指揮した『魔笛』とほぼ同じだった。フルトヴェングラーはこれを知り激怒した。自分が2年間にわたってザルツブルクで練り上げた成果をカラヤンが横取りしたと感じたのだ。まるで自分はカラヤンのリハーサル指揮者ではないか。(参考文献:中川右介 著『カラヤンとフルトヴェングラー』幻冬舎新書)

バーンスタイン(以下愛称のレニーと呼ぶ)がベルリンに登場したのはドイツ連邦政府が主催するベルリン芸術週間であり、カラヤンの管轄外だった。しかしカラヤンはこの歴史的音源が世に出ることを、自分が生きている間は阻止することに成功した

映画の冒頭、ケイト・ブランシェット演じるターが足でカラヤン/ベルリン・フィルの「マーラー:交響曲第9番」(1982年ライヴによる再録音)LPジャケットを足で払いよける場面があるのはそうした経緯がある。彼女はレニーに師事した経歴を持ち、同じ部屋にレニー/ベルリン・フィル「マーラー9番」LPもある。

対談の中でターは、生前のレニーから受けた教えで一番印象に残っているものは何かと問われ、次のヘブライ語を挙げる

精神的な集中を意味する〈カバナ kavanah〉と、(罪を悔い改め神の元へ)回帰することを意味する〈テシュヴァ teshuvah〉である。英語では"intension" and "return"。

レニーと親交が深かった指揮者・大植英次は次のように回想している。

「バーンスタイン先生は、正式に弟子というものを取ったことがなかった。世界に、バーンスタインの弟子、と言って喧伝しているものは少なくないが、セミナーやリハーサルなどで一緒に時間を過ごしただけの者が多い」しかし「もし、一人あげるならば、それはマイケル・ティルソン=トーマス」(山田真一著「指揮者 大植英次」アルファベータ より引用)

  大植英次、佐渡 裕~バーンスタインの弟子たち 2008.02.29

劇中ターがラジオから流れてくるマイケル・ティルソン=トーマス (MTT) 指揮するショスタコーヴィチ:交響曲第5番の終結部を聴き「こんなにテンポを遅くしては駄目」と言う(ショスタコの5番もレニーが得意とした曲)。同じ門下生としての対抗意識が剥き出しにされる場面だ。なおターは同性のパートナーであるベルリン・フィルのコンサートマスター(コンサートミストレスとも言われる)シャロンと暮らし、養女を育てており(ドイツでは2017年10月1日から同性婚が認められた)、MTTはゲイであることをカミングアウトしている。一方、レニーは結婚し子供も生まれたが、ゲイだったことはよく知られている(詳しい事情は今年Netflixから配信される予定のブラッドリー・クーパー監督・主演の映画『マエストロ』をご覧あれ)。またニューヨーク、マンハッタン生まれの女性指揮者マリン・オールソップについて言及されるが、彼女も同性愛者であるとカミングアウトしており、パートナーとの間に息子が一人いる。レニーが提唱し、1990年に始まった若い音楽家のための教育音楽祭PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌)の第1回にマリン・オールソップは参加し、佐渡裕と共に(交代で)指揮台に立った。そしてその3ヶ月後にレニーは亡くなった。彼女がターのモデルであることは間違いないが、この映画に対しては否定的なコメントを表明している。

映画の最初の方でターが受け取った、送り主不明の本はイギリスの女性作家ヴィタ・サックヴィル=ウェストの小説『Challenge』初版本。日本語訳はない。ヴィタはヴァージニア・ウルフの恋人で、名作『オーランドー』のモデル。同性愛は当時のイギリスで非合法だった。

マリン・オールソップと共に代表的な女性指揮者として劇中で名前が挙げられるナディア・ブーランジェ(1887-1979)について。フランスの作曲家・指揮者・ピアニスト・教育者で、詳細は不明だがレニーも彼女の門下生だそうだ(Wikipediaに記載されている)。映画『シェルブールの雨傘』や『ロシュフォールの恋人たち』『華麗なる賭け』の作曲で知られるミシェル・ルグランもパリ国立高等音楽院で彼女の薫陶を受けた。また何と言っても面白いのはタンゴの革命児アストル・ピアソラの逸話だろう。1954年、33歳の時、タンゴに限界を感じたピアソラは渡仏しパリでナディア・ブーランジェに師事する。ピアソラが提出した〈クラシック音楽〉の楽譜に首を傾げた彼女は「アルゼンチンではどんな音楽をやっていたの?」と訊ねた。渋々自作のタンゴを彼女に見せると「これが本物のピアソラよ。この音楽を決して捨ててはいけない」と励ましたという。 新生ピアソラ (Nuevo tango) が誕生した瞬間である。

カラヤンがベルリン・フィルとマーラーの交響曲第5番を初めて演奏したのは1973年。2月13日から16日にかけドイツ・グラモフォンにセッション録音し、翌17日に定期演奏会で聴衆に初披露した。レコーディングだとたっぷりリハーサルに時間をかけられるので(経費はレコード会社が全て負担)、レコーディング→演奏会本番というパターンを彼はしばしば行った。シンフォニーの第4楽章 アダージェットが有名になるきっかけとなったルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』が公開されたのが1971年だから、商売上手なカラヤンはその人気に便乗したのではないかと僕は疑っている(カラヤンの死後コンピレーション・アルバム『アダージョ・カラヤン』が発売されヨーロッパや日本で驚異的な大ヒット、全世界で500万枚以上売れた。その冒頭にアダージェットは収録されている)。ターがリハーサルでアダージェットを指揮する場面があり、ヴィスコンティに言及する。

 ・  ヴィスコンティ映画「ベニスに死す」の謎

Karajan

映画の後半、彼女が「私が所有するマーラー5番のスコアを盗まれた!」と騒ぎ立てる場面があるが、スコアには様々な書き込みをしている筈であり、つまり自分のアイディア・解釈を盗まれたと言っているのだ。これはレニーとカラヤンの確執を彷彿とさせる仕掛けになっている。

カリスマ的天才指揮者カルロス・クライバー(1930-2004)はレパートリーが非常に少ないことでも知られている。実は彼が指揮した曲の殆どは偉大な父エーリッヒ・クライバー(1890-1956)が生前指揮したものであり、カルロスは父が残したスコアへの書き込みなど資料をふんだんに活用し、メモがないものに対しては自信がなかったのではないかと推測される。とてもセンシティブな人だった。ちなみに僕は中学生の時に彼が指揮するミラノ・スカラ座引っ越し公演プッチーニの歌劇『ラ・ボエーム』を大阪・旧フェスティバールで鑑賞している。

 ・ シリーズ《音楽史探訪》音楽家の死様(しにざま) 2014.04.21

映画でマーク・ストロング演じる投資銀行家で、アマチュア・オーケストラの指揮者としても活動するエリオット・カプランのモデルはギルバート・カプラン(1941−2016)だろう。アメリカの実業家でアマチュアながらゲオルグ・ショルティに師事。大好きなマーラー:交響曲第2番「復活」のみを専門にする指揮者として自費を投じコンサートを世界各地で開き、最終的にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を振ったCDを天下のドイツ・グラモフォンから発売するまでに至った。

Kaplan

ターはアバド/ベルリン・フィルが1993年に録音したマーラー:交響曲第5番のLPジャケットを選び出し、それを模した写真を取ろうとする。彼女は常に『自分はどう見られているか』を意識しており、性格的にカラヤンに最も近い人物像となっている。

カラヤンはセルフ・プロデュース力に長け、常に自分が最も美しく写真に撮られることを心がけた。彼はおびただしい数のコンサート映像を残したが、映像演出にも口を出した(オペラ演出もした)。基本的に指揮する彼の顔は正面よりも横顔が映し出される方が多い。自分の横顔が美しいことを彼はよく知っていたのだ。そしてカメラはオーケストラの楽器を大写しにするが、奏者の顔は写さない。つまりあくまでスターはカラヤンただ一人であり、オケは彼の楽器でしかないことを示している。1960年代まではリヒテルやロストロポーヴィチと共演することもあったが、70年代以降は協奏曲で巨匠と呼ばれるソリストと組むことはなくなった。スターは彼一人だけ。カラヤン/ベルリン・フィルがアンネ=ゾフィー・ムターとモーツァルトを録音したときムターは15歳。エフゲニー・キーシンがカラヤンとチャイコフスキーを録音したときキーシンは17歳。晩年若手と組むことを好んだのは、その方がカラヤンが全体を支配し易いからだと僕は考えている。

カラヤンが陶酔したように目をつむり指揮するのも、その方がフォトジェニック(映える)からだからだろう。そもそも目を閉じたら奏者とアイコンタクトが取れない。つまり合理的ではない。カラヤン以前も以後も、こんなことをする指揮者は誰もいない。彼は徹底したナルシストだった。

ターはロシア出身の新人チェリスト・オルガにのめり込んでいく。同郷の偉大なチェリスト、ロストロポーヴィチが好きなのか?とオルガに尋ねるとイギリスのジャクリーヌ・デュ・プレ(愛称ジャッキー)がお気に入りだという。切っ掛けとなったのはYouTubeで見たエルガー:チェロ協奏曲の演奏。ここでターが少し失望したような表情を浮かべる。映像が残っているのはダニエル・バレンボイム/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団との共演。音楽好きなら誰でも知っている。みじかくも美しく燃えた稀代のチェリスト、デュ・プレ究極の名盤はバルビローリ/ロンドン交響楽団との共演盤であることを。そもそもYouTubeの音質はCDより遥かに劣る。つまりこのエピソードはオルガが俗物で、大したセンスの持ち主ではないことを端的に示しているのだ。

ジャッキーは21歳の時アルゼンチン出身のユダヤ人、バレンボイムとイスラエルのエルサレムで結婚した(バレンボイムの祖父母はそれぞれベラルーシとウクライナ出身で、ユダヤ人排斥運動を逃れてアルゼンチンに移住した)。その時彼女は家族の猛反対を押し切りユダヤ教に改宗している。しかしジャッキーは26歳の時に指先の感覚が鈍くなってきたことに気付き、後に多発性硬化症と診断され引退を余儀なくされる。病床の彼女を捨てバレンボイムはパリで別の女性と同棲し2人の子をもうけた。1987年にジャッキーが42歳で亡くなるのを待ち、翌88年バレンボイムとエレーナ夫人の正式な再婚が成立した。

ターが強引にオルガをエルガーのソリストに起用しようとするエピソードはクラシック音楽界の常識では到底考えられないことだ。定期演奏会で演奏される協奏曲において外部から有名アーティストを招かない場合、そのオケの首席奏者がソロを弾くのが当たり前。だからターと楽員との間に溝が深まるのは当然のことである。またマーラーとエルガーを組み合わせるプログラム編成にも違和感しかない。そもそもヨーロッパ大陸ではイギリスの作曲家(ヴォーン・ウィリアムズ、ホルスト、ウォルトンら)が見下されており、フルトヴェングラーやカラヤン、アバドがエルガーを振ることは一度もなかった。

オルガ起用については1982年にカラヤンとベルリン・フィル団員との間で勃発したザビーネ・マイヤー事件彷彿とさせる。当時このオケの楽員は全員男性だった。そこにカラヤンが女性クラリネット奏者ザビーネ・マイヤーを強硬に入団させようとしたのだが、団員投票で入団反対が決議され、それに従うべきだとするオケ側とで確執が生じた。その後、カラヤンは険悪な仲となったベルリン・フィルを避けるようになり、チャイコフスキーの後期交響曲(第4−6番)などはウィーン・フィルとレコーディングした。アバド時代になると漸く女性の楽員が少しずつ増え始め、2023年2月にオーケストラ140年の歴史で初の女性コンサートマスターが誕生した(アルテミス弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者だったヴィネタ・サレイカ=フォルクナー)。一方、ウィーン・フィルに女性奏者の正会員採用が始まったのは1997年のことである。世界のオーケストラの中で最も遅かった。それまで様々な人権団体から散々非難され、ニューヨークのカーネギーホールがウィーン・フィルに対して1998年までに女性奏者がいなければ舞台に立たせないとする最後通牒を突きつけたため、ようやく重い腰を上げたというわけ。1965年にショパン国際ピアノコンクールで優勝した名ピアニスト、マルタ・アルゲリッチがウィーン・フィルと初めて共演したのは2017年。どうして長い間ウィーン・デビューが実現しなかったのか?「これまで演奏しなかったのは、女性がひとりもいないオケだったからです」彼女はインタビューにきっぱりと答えた。

フルトヴェングラーは第二次世界大戦後、連合国による「非ナチ化」裁判を経てドイツでの活動が認められるようになるまで、約2年を要した。アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツ政権下でもベルリンに留まり、ヒトラーの誕生日には御前でベルリン・フィルを指揮しベートーヴェンの第九を演奏したりしていたからである。ムッソリーニ政権のファシズムを嫌悪しアメリカに亡命したイタリアの大指揮者トスカニーニは徹底的にフルヴェンを非難した。またカラヤンはナチスに入党した前歴があり、戦後やはり問題視された。戦時下においてドイツではナチス党員にならないとオーケストラの主要ポストには就けなかったのである。

映画『TAR/ター』には芸術家(アーティスト)の作品と、その人の人間性・Political Correctnessを関連付けて考えるべきか、切り離して評価すべきかという議論が出てくるが、これはフルトヴェングラーやカラヤンの実績を評価するか否かの問題と密接にリンクしている。端的に言えば「あなたは殺人者の芸術を認めますか?」という問いだ。ドイツの哲学者ショーペンハウアーが俎上に載せられる。年配の裁縫婦が彼のアパートの扉の前で友達とペチャクチャ喋っているのをうるさく思い、階段から突き落として大怪我を負わせたのだ。その女は裁判に勝ち、ショーペンハウアーは終身扶養の義務を負わされることになる。

宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』でカプローニが言う「君はピラミッドのある世界と、ピラミッドのない世界とどちらが好きかね?」も同義である。

 ・ 宮崎駿「風立ちぬ」とエリア・カザン~ピラミッドのある世界とない世界の選択について 2013.08.28

なおクロード・ルルーシュ監督の映画『愛と哀しみのボレロ(Les Uns et les Autres)』ではカラヤンをモデルにした指揮者が登場し、ナチスとの関係が描かれていて実に面白い。特にカーネギー・ホールでブラームス:交響曲第1番のタクトを振る場面は必見。

レニーはユダヤ人であり、祖父母はウクライナからの移民。そういう意味でも元・ナチス党員のカラヤンと水と油であった。またマーラーもユダヤ人。フルトヴェングラーやカラヤンがナチス政権下でマーラーの楽曲を指揮することは一度もなかったし、戦後フルヴェンは『さすらう若人の歌』をザルツブルク音楽祭で取り上げたが(独唱はディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ)、交響曲を指揮することは生涯なかった。

ロシアがウクライナを蹂躙する現在、ウラジーミル・プーチンと親しく、彼を批判しないロシアの指揮者ヴァレリー・ゲルギエフがヨーロッパから追放される憂き目にあった。ミュンヘン・フィルは首席指揮者だった彼を解雇。再び政治的立場と芸術を結びつけるべきなのかどうかが議論の的となっている。

映画の話に戻ろう。ジュリアード音楽院での講義でパンセクシャル(Pansexual、全性愛)の学生がJ.S. バッハについて、生涯に20人もの子供をもうけ男性優位的思考の持ち主だから人間として絶対に認められない、バッハの音楽もまともに聴いたことがないと言ったのに対し、ターはその人となりと生み出した作品は分けて考えるべきだと主張し、彼を徹底的に論破し恥をかかせる実に痛快な場面がある。 「すべての道はバッハに通ず」と言われるくらいで、大バッハを勉強せずしてこの業界で優れた楽曲を書ける筈がない。

スキャンダルに巻き込まれ追い落とされたターはニューヨーク市のスタテンアイランドにある実家に帰り、兄のトニーと再会する。二人の会話からターの本名がリンダであり、ヨーロッパで受けの良いリディアに改名したことが判明する。スタテンアイランドは下町で、彼女が労働者階級(ブルーカラー)の出身だということが明らかになる。

昔、神奈川フィルの常任指揮者やオーケストラ・アンサンブル金沢のアーティスティック・パートナーを歴任した金 聖響(きむせいきょう)という在日韓国人3世の指揮者がいたが、実は芸名だった。映画『この胸いっぱいの愛を』で共演した女優のミムラ(美村里江)と2006年結婚し2010年に離婚。その後2億円の借金トラブルを抱えていることが週刊文春で報道され、現在は雲隠れしている。彼は佐村河内守『交響曲1番HIROSHIMA』全国ツアーにも関わっていた。

 ・ 稀代の詐欺師・自称「作曲家」佐村河内守について 2014.02.12

佐村河内守の経歴詐称騒動も、作曲家の人生とその作品を結びつけて考えるべきか否かという問いを我々に突きつけてくる。

ターの実家のクローゼットには録画した日付と『YPC』という文字が背表紙に書かれたVHSビデオが数十本ズラッと並んでいる。レナード・バーンスタインが企画・指揮・司会を務めニューヨーク・フィルが演奏するYoung People's Concerts (ヤング・ピープルズ・コンサート)のことだ。子供のための音楽教育番組で53公演がCBSによりテレビで中継された。放送開始は1958年、最終回が72年。日本のテレビ番組『オーケストラがやってきた』や『題名のない音楽会』も本コンサートを手本として企画されている。ターはその第1回「音楽って何? (What Does Music Mean?)」でレニーが語り、チャイコフスキー:交響曲第5番 第4楽章を指揮する場面を観ながら涙を流す。これが彼女が音楽家を志す原点だった。番組の冒頭、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲を振り終えたレニーが振り返り、客席を埋め尽くす子供たちに問う。「この曲を知っているかい?」子供たちが元気に叫ぶ、「ローン・レンジャー!」(当時大人気だったテレビ西部劇、後に映画化された)。

劇中、#MeeToo 運動が盛り上がりを見せる中、名前を挙げられた2人の指揮者について。2017年に女性オペラ歌手3人と女性音楽家1人が、1985年から2010年の間に米国でシャルル・デュトワからセクハラを受けたと訴えた。女性らによると、デュトワは女性たちに無理やりキスをし、口の中に舌を入れたとされる。本人は疑惑を否定。女性らに対する法的措置を講じたが、芸術監督・首席指揮者を務めていた英ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団から解雇された。それ以降、名誉音楽監督だったNHK交響楽団を指揮することはなくなり、大阪フィルハーモニー交響楽団を指揮するという「都落ち」を体験した。また香港フィルハーモニー管弦楽団やシドニー交響楽団@オーストラリアなど非欧米圏を中心に活躍するようになる。しかし新型コロナ禍の3年間を経て、現在漸く名誉を回復しつつあるようだ。

また2017年12月2日、40代男性が15歳だった1985年から数年間にわたり、ジェームズ・ レヴァインより性器を触られたり目前で裸になり自慰行為を強要されるなどの性的虐待を受けたため自殺を考えるまでに思いつめていたとニューヨーク・ポストが報じた。彼が名誉音楽監督を務めるニューヨークのメトロポリタン歌劇場(MET)は調査の結果、性的虐待疑惑の「信頼できる証拠」が出たとしてレヴァインを解雇、失意のうちに彼は2021年に亡くなった。

映画で言及されなかったが、ダニエレ・ガッティは一部メディアに報じられた過去のセクハラ疑惑によりロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者を2018年8月に解任された。しかし本人は疑惑を否定、同年12月にはローマ歌劇場の音楽監督に就任し、2021年1月にはベルリン・フィルに客演している。

ターと彼女の教え子クリスタ、アシスタントのフランチェスカはアマゾン先住民、シピボ=コニボ族を研究するため彼らが暮らすペルーの熱帯雨林を流れるウカヤリ川中流地域でフィールドワークを行った。その際ターがフィールド・レコーディングしたシピボ族のシャーマンが歌うイカロ(治療歌)が映画冒頭のクレジットで流れる。劇中何度か登場する迷路のような幾何学模様「Kené(クヌー)」はシピボ族特有の文化で、シピボ族の創生神話によるとこの世界は銀河に誕生した天の川、母なるアナコンダ「Ani Ronin」が自分の肌に描かれたKené(クヌー)を歌ったときに始まったとされる。Kené(クヌー)とは「振動を生む宇宙エネルギーの構成図」で、シピボ族はすべての生物が独自のKené(クヌー)を持つと考える。

これはオーストラリアの先住民アボリジニの神話〈ドリームタイム〉と〈虹蛇〉の関係によく似ている。正にユング心理学における〈集合的無意識〉の産物と言えるだろう。

 ・ アボリジニの概念〈ドリームタイム〉と深層心理学/量子力学/武満徹の音楽

朝日新聞の記者・小原篤氏は『TAR/ター』について次のような感想を書いている。

「アジア」や「モンスターハンター」を「零落」や「屈辱」のダシに使うんですか? ふーん。

僕は全く違う印象を受けた。

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ネタバレ警告!以下本作の結末について触れます。

心の準備はよろしいか?

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ヨーロッパの楽壇から放逐されたターがフィリピンでボートに乗り川を遡る場面で、マーロン・ブランドの映画のせいで未だにワニが生息していると言われる場面がある。これはフランシス・フォード・コッポラの映画『地獄の黙示録』のことでブランド演じるカーツ大佐は密林の中で王国を築く。カーツのイメージにターが重ねられているのだ。また 『地獄の黙示録』 では第一騎兵師団がワーグナーの『ワルキューレの騎行』をヘリコプターに据え付けられたスピーカーから大音量で流しながらベトコンの村を襲う場面があるが、これは楽劇『ニーベルングの指環』の楽曲で、ワーグナーはアドルフ・ヒトラーがこよなく愛した作曲家。プロパガンダとしても当時ドイツで盛んに利用された。『ニーベルングの指環』を毎年上演するバイロイト祝祭劇場を運営するのはワーグナー家であり、ナチス政権とベッタリ相思相愛の関係にあった。ユダヤ人にとってはそのトラウマもあり、現在でもイスラエルでワーグナーの楽曲が演奏されることは殆どない(そのタブーを破ったのがバレンボイム)。つまり 『地獄の黙示録』 は西洋文化の暴力性を象徴する映画であり、進み過ぎた文明の行き着く果てを示している。フルトヴェングラーもカラヤンもワーグナーを得意とした指揮者であった。因みに映画の原題はApocalypse Now(現代の黙示録)で黙示録にはこの世の終末や最後の審判などについて記載されている。

ターは宿泊地近くのマッサージ店で、透明なガラス越しに座るたくさんの女性たちの中からひとり選ぶように言わる。それはオーケストラの配列によく似ている。胸にNo.5をつけた女性がターを見つめ、彼女は店を飛び出して嘔吐する。ここは売春宿で、その女性の位置はオーケストラにおけるオルガのポジションに相当し、No.5はマーラーの交響曲を想起させる。ヴィスコンティ映画『ベニスに死す』にも老作曲家グスタフ・フォン・アッシェンバッハの回想の中で、娼館で少女娼婦を買う場面がある。少女はベートーヴェンの『エリーゼのために』を弾く。そのイメージは、疫病が蔓延するベニスでアッシェンバッハが出会う美少年タッジオに繋がっている。

『TAR/ター』最後の場面はスクリーンに映し出される映像を背景にオーケストラが演奏する『モンスターハンター:ワールド』コンサート(曲は“友との出会い Meeting a Friend”)。聴衆は皆コスプレしている。日本では『狩猟音楽祭』と呼ばれる。

『モンスターハンター』は4人で協力し巨大なモンスターを狩るゲームであり、本作においては〈モンスター=ター〉、〈狩人=SNSで彼女に対する敵意・悪意をばら撒く人々〉という図式が成り立つ。

しかしこのラストは果たしてターの「零落」や「屈辱」なのだろうか?僕はそう思わない。全然。むしろ「開放」だろう。それは楽しかったペルーでのフィールドワークへの「原点回帰」とも言えるし、彼女はこの熱帯でカーツ大佐のように「王国」を築くのかも知れない。

ベルリン時代、ターはミソフォニア(misophonia 音嫌悪症)に悩まされていた。稀に診断される医学的な障害で、特定の音に対して否定的な感情(怒り、嫌悪、逃避反応)が引き起こされる。指揮者に多い。また彼女は過度の潔癖症でもあった。これらは文明の病と言える。

さらに彼女は欧米社会で指揮者としてのキャリアを築くために「覇権的男性性(hegemonic masculinity)」を鎧として身にまとわなければならなかった。「父の娘」であったとも言える。これはユング派の女性分析家によって1980年代に提出された概念で、個人的な親子関係を越えて「父なるもの(父権制/家父長制 )」の強い影響下にある女性を意味する。

しかしフィリピンでのターは不潔でも気にせず、周囲の騒音に悩まされている様子もなくリラックスしているように見える。

そもそもゲーム音楽がクラシック音楽よりも劣ってる、堕落だという発想が根本的に間違っている。つい50年前までは映画音楽も同様の扱いだった。ウィーンのオペラ作曲家からハリウッドの映画音楽作曲家になったエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトは「大衆文化に身を売った男娼」と楽壇から徹底的に蔑まれ、カラヤンやアバドの時代にベルリン・フィルが映画音楽を演奏することなど考えられなかった。

 ・ シリーズ《音楽史探訪》Between Two Worlds ~コルンゴルトとその時代(「スター・ウォーズ」誕生までの軌跡) 2014.01.17

しかし今はどうだ?ジョン・ウィリアムズはウィーン・フィルおよびベルリン・フィルの指揮台に経ち『スター・ウォーズ』や『E.T.』『ハリー・ポッター』を演奏したし、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲はオーケストラの重要なレパートリーとなり大人気だ。キリル・ペトレンコ/ベルリン・フィルは先日初めてコルンゴルトの交響曲を定期演奏会で取り上げた。そして今年、ドイツ・グラモフォンは久石 譲/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団による映画音楽集を発売する。10年前にはあり得なかったことだ。

『TAR/ター』の行き着いた先を肯定的に捉えるか、否かであなたの人間性が試される。そういうリトマス試験紙になっている。なんとも恐ろしい映画だ。

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2023年3月15日 (水)

A24とNetflixの躍進が目立ったアカデミー賞授賞式 2023を振り返る

アカデミー賞授賞式 2023が終わった。

さて、今年僕の予想が的中したのは作品・監督・主演女優・助演男優・脚色・視覚効果・撮影・長編ドキュメンタリー・短編ドキュメンタリー・編集・国際長編・歌曲・長編アニメ・短編アニメの14部門だった。昨年の的中が18部門だったので低調と言わざるを得ないのが現状である。

星海社新書から刊行されている【なぜオスカーはおもしろいのか? 受賞予想で100倍楽しむ「アカデミー賞」】の著者、 Ms.メラニーは今年14部門的中なので同点だった。

昨年、配信系のNetflixは徹底的に嫌われて27のノミネーションに対して受賞したのは『パワー・オブ・ザ・ドッグ』のジェーン・カンピオンが監督賞のたった1つだったのだが、今年は『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』で長編アニメーション、『エレファント・ウィスパラー』で短編ドキュメンタリー、『西部戦線異状なし』で国際長編映画・作曲・美術・撮影賞を受賞し、計6部門と大躍進した。独立系のA24が『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』で7部門、そして『ザ・ホエール』で主演男優・メイクアップの2部門受賞しているので、合わせると15部門。計23部門のうち65%を、たった2つのスタジオで制したことになる。他の主なスタジオは、

 ・ディズニー:2(『ブラック・パンサー:ワカンダ・フォーエバー』で衣装デザイン賞、『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』で視覚効果賞)
 ・パラマウント:1 (『トップガン マーヴェリック』で音響賞)
 ・HBO Max/ワーナー・ブラザーズ:1(『ナワリヌイ』で長編ドキュメンタリー賞)
 ・Apple TV+
:1(『ぼく モグラ キツネ 馬』で短編アニメ賞)
 ・ソニー・ピクチャーズ:0

メジャー・スタジオが元気がなく、見る影もない。最早アカデミー賞と、独立系に与えられるインディペンデント・スピリット賞の違いが、なくなりつつある(『エブエブ』はインディペンデント・スピリッツ賞でも7冠に輝いた)。

Netflixは今までに監督・国際長編映画・長編アニメーションと主要な賞を手中に収めてきたので、いよいよ残るは悲願の作品賞のみとなった。近い内に実現することを期待したい。

韓国映画『パラサイト 半地下の家族』に続き、今年は中国系の大躍進で同じアジア人として誇らしい限りだが、テルグ語で歌曲賞を受賞した「ナートゥ・ナートゥ」(RRR)といい、短編ドキュメンタリー賞の『エレファント・ウィスパラー』といい、インド勢も大いに気を吐いた。アカデミー賞が最早、英語を喋る白人だけの祭典ではなくなり、真の多様性を獲得した左証である。

そして今までファンタジー(『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』)とモンスター映画(『シェイプ・オブ・ウォーター』)の受賞はあったけれど、本格的SF、さらにカンフー映画の作品賞受賞は『エブエブ』が史上初であり(『スター・ウォーズ』も『E.T.』も成し得なかった)、このことも大いに喜びたい。助演女優賞を受賞したジェイミー・リー・カーティス(母は『サイコ』のジャネット・リー)がスピーチの中で、これまで出演してきたあらゆる【ジャンル映画】に感謝の言葉を述べていたのは、それを踏まえてのことだ。

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2023年3月12日 (日)

2023年 アカデミー賞大予想!

恒例の第95回アカデミー賞受賞予想である。2023年の授賞式は日本時間3月13日に開催される(午前スタート)。相当自信がある(鉄板)部門には◎を付けた。なお、「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」は長ったらしいので、頭文字をとってEEAAOと略す。

  • 作品賞:「EEAAO」◎
  • 監督賞:ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート「EEAAO」◎
  • 主演女優賞:ミッシェル・ヨー「EEAAO」
  • 主演男優賞:オースティン・バトラー「エルヴィス」
  • 助演女優賞:ケリー・コンドン「イニシェリン島の精霊」
  • 助演男優賞:キー・ホイ・クァン 「EEAAO」◎
  • 脚本賞(オリジナル):マーティン・マクドナー「イニシェリン島の精霊」
  • 脚色賞:サラ・ポーリー「ウーマン・トーキング 私たちの選択」
  • 視覚効果賞:アバター:ウェイ・オブ・ウォーター◎
  • 美術賞:フロレンシア・マーティン「バビロン」◎
  • 衣装デザイン賞:キャサリン・マーティン「エルヴィス」
  • 撮影賞:ジェームズ・フレンド「西部戦線異状なし」
  • 長編ドキュメンタリー賞:ナワリヌイ
  • 短編ドキュメンタリー賞:エレファント・ウィスパラー:聖なる象との絆
  • 編集賞:ポール・ロジャーズ「EEAAO」◎
  • 国際長編映画賞:西部戦線異状なし(ドイツ)◎
  • 音響賞:「西部戦線異状なし」◎
  • メイクアップ賞:「エルヴィス」
  • 作曲賞:ジャスティン・ハーウィッツ「バビロン」
  • 歌曲賞:“ナートゥ” 「RRR」 ◎◎◎
  • 長編アニメーション賞:ギレルモ・デル・トロのピノッキオ ◎◎◎
  • 短編アニメーション賞:ぼく モグラ キツネ 馬
  • 短編実写映画賞:無垢の瞳

2022年のアカデミー賞において、僕の予想は作品・監督・主演女優・主演男優・助演女優・助演男優・脚本・脚色といった主要部門でパーフェクトに的中したのだが、このうち今年間違いないと言い切れるのは作品・監督・助演男優のみ。現状分析をしよう。

主演女優賞は「EEAAO」のミッシェル・ヨーと「TAR/ター」のケイト・ブランシェットの一騎打ち。僕はケイトを応援したいのだが、現在アカデミー会員は「多様性を尊重するという価値観を持っている」ことを世間に示さないといけないという強迫観念にとらわれているので(演技賞候補が全員白人で“白人だらけのオスカー” #OscarSoWhiteと糾弾されたこともあった)、白人のケイトよりもアジア系民族が有利と考えた。最早、演技力がどうこうという問題ではないのである。それに今回を逃したら、ミッシェル・ヨーがオスカーを手にする機会は二度と来ないだろう(ケイトは引退しない限りまだいっぱいある)。

主演男優賞は「エルヴィス」のオースティン・バトラーと「ザ・ホエール」のブレンダン・フレイザーとの一騎打ち。「イニシェリン島の精霊」のコリン・ファレルは一歩後退した。僕はオースティン・バトラーの将来性(スター性)に賭ける。イケメンだし、「エルヴィス」の演技にはオーラと色気があった。

助演女優賞もさっぱり分からない。「イニシェリン島の精霊」のケリー・コンドンか、「EEAAO」のジェイミー・リー・カーティスか。ここで僕は「EEAAO」 から2人ノミネートされているので、票が割れるのではないかと踏んだ。「ゴッドファーザー」でジェームズ・カーン、アル・パチーノ、ロバート・デュヴァルの3人がノミネートされ、誰も獲れなかった年の再現である(主演男優のマーロン・ブランドは受賞した)。

長編ドキュメンタリー賞については、「ナワリヌイ」よりも僕は「ファイアー・オブ・ラブ 火山に人生を捧げた夫婦」の方が断然好き。Disney+から配信中。

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2023年3月10日 (金)

デイミアン・チャゼル監督「バビロン」は「ラ・ラ・ランド」を露悪趣味に歪曲した映画

評価:B-

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公式サイトはこちら

デイミアン・チャゼルが史上最年少の32歳でアカデミー監督賞を受賞した『ラ・ラ・ランド』を露悪的にしたような映画だ。悪趣味で下品。両者の関係はジョセフ・L・マンキーウィッツの『イヴの総て』(アカデミー作品賞・監督賞受賞)に対するボール・バーホーベンの『ショーガール』(ゴールデン・ラズベリー賞で最低作品賞・最低監督賞を受賞)の・ようなもの。

冒頭の狂騒の乱痴気騒ぎを観ながら、旧約聖書に記された悪徳や頽廃の代名詞として知られる『ソドムとゴモラ』のエピソードを思い出した。マルキ・ド・サドの小説で言えば『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』的嗜好である。

『バビロン』には主要な登場人物が5人いる。( )内はモデルとなった歴史上の人物。

 ・ジャック・コンラッド(ジョン・ギルバート):サイレント映画のスター
 ・ネリー・ラロイ(クララ・ボウ):新進気鋭の女優
 ・マニー・トレス(ルネ・カルドナ):映画製作を夢見るメキシコ出身の青年
 ・シドニー・パーマー(ルイ・アームストロングやデューク・エリントンを束ねたキャラクター):黒人のジャズ・トランペッター。映画がトーキーに移行し、主役に抜擢される。
 ・レディ・フェイ・ジュー(アンナ・メイ・ウォン):中国系で昼間はサイレント映画の字幕を書き、夜はパーティで妖艶に歌う。

彼らの運命は時に交差するが、基本的には群像劇である。そういう意味でロバート・アルトマン監督の『ナッシュビル』『ザ・プレイヤー』とか、ポール・トーマス・アンダーソン監督『マグノリア』に近い形式と言えるだろう。

それなりに見所はあるが、さすがに上映時間3時間9分は長過ぎる!製作費が8,000万ドル(約108億円)に対して2023年3月10日現在、アメリカ国内での興行収入がたった1,540万ドル、海外を合わせても総計6,340万ドルと惨敗である。製作費すら回収出来ていない(北米での公開日は2022年12月23日)。

トーキー映画『ジャズ・シンガー』(1927)到来で落ちぶれるサイレント期のスターというプロットはまるでスタンリー・ドーネンが監督したMGMミュージカル『雨に唄えば』みたいだなと思いつつ映画館に足を運んだら、まんまラストで主人公が『雨に唄えば』を涙を流しながら観るシーンがあって興ざめ。余りにもベタ過ぎないか?ひねりがなく、新鮮味に欠ける。イタリア映画『ニュー・シネマ・パラダイス』を彷彿とさせるが、あっちの方が断然良い。

なお、僕が大好きな『ラ・ラ・ランド』はヴィンセント・ミネリ監督『巴里のアメリカ人』と、ジャック・ドゥミ監督『ロシュフォールの恋人たち』『シェルブールの雨傘』への熱いラブレターだ。

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2023年3月 8日 (水)

イニシェリン島の精霊

評価:A

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アカデミー賞で作品・監督・主演男優・助演女優・助演男優(×2人)・脚本・作曲・編集の8部門9ノミネートを果たした。公式サイトはこちら

本作を見る前にアイルランド内戦についておさらいしておこうと思い、ニール・ジョーダン監督の映画『マイケル・コリンズ』を見直したところ、とても良い補助線になった。1923年という『イニシェリン島の精霊』の時代設定は独立運動家コリンズが暗殺された翌年。よって海を隔てた対岸のアイルランド島では戦争の火焔が上がっている。

本作におけるパードリック(コリン・ファレル)とコルム(ブレンダン・グリーソン)の諍いは、アイルランドの独立を目指しIRAで共闘していたコリンズと後に大統領になるデ・ヴァレラが、イギリスと締結した条約の内容で対立し、アイルランド自由国と共和国政府に分裂し戦争に発展していく歴史に重ねて見ることが出来る。

コルムが言いたいことは「行動変容」という言葉に集約されるが、長年友情を育んできたパードリックには全く理解出来ない。ふたりはコミュニケーションの不全状態に陥っている。しかし旧弊な島民の中でおそらく一番教養があると思われるパードリックの妹シボーン(ケリー・コンドン)にコルムのメッセージはしっかりと伝わり、彼女は動き始める。ここがこの物語の面白いところである。

指を切断するというのは甚だ過激な行動だが内部分裂のメタファーにもなっており、1960年代に日本の学生運動が内ゲバに明け暮れた挙げ句の果て連合赤軍によるリンチ殺人事件に至る過程や、オウム真理教による男性信者リンチ殺人事件にも繋がっているな、と思った。

つまりこの奇妙で深遠な物語には普遍性があるということだ。

 

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2023年2月 7日 (火)

映画「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」

評価:A

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映画会社ミラマックスの設立者で、『イングリッシュ・ペイシェント』『恋におちたシェイクスピア』『シカゴ』『コールド・マウンテン』などアカデミー賞を獲りまくったプロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインの悪事がいかにして暴かれ、#MeToo運動に繋がっていったのかを描く作品。告発者の一人アシュレイ・ジャッドが本人役で出演している。

公式サイトはこちら

本作を観ながら何度も脳裏をよぎったのは、アラン・J・パクラが監督した1976年の映画『大統領の陰謀』だ。『大統領の陰謀』はワシントン・ポストの男性記者二人がウォーターゲート事件を取材し、巨悪(ニクソン)を追い詰めていくわけだが、『シー・セッド』ではそれが二人の女性記者になり、さらに彼女たちの家庭生活にもカメラが踏み込んでいく。女性による取材は、同性被害者への共感に満ち、そこにシスターフッド的連帯が生まれる。そして言葉には出されないが、彼女たちのふるまいには「自分の幼い娘が大人になった時も、こんなクソみたいな世界のままでは絶対に駄目だ。いま変えるしかない」という強い決意が滲み出ている。正に#MeToo という巨大なムーブメントの源泉を垣間見た思いがした。あと『大統領の陰謀』では記者たちが新聞社内でスパスパ煙草を吸っていたが、『シー・セッド』のニューヨーク・タイムズでは完全禁煙になっているのが45年(ウォーターゲート事件が1972年、ワインスタインの報道が2017年)という歳月を感じさせる。また監督が女性になったのも時代だなぁと思う。

「ニューヨーク・タイムズ」社の会議室にワインスタインと彼の弁護士が突然やって来るシーン。キャリー・マリガン演じるミーガンが彼を見つめる姿を正面からカメラが捉えるが、その表情には怒りとか嫌悪、恐怖といった激しく高ぶる感情よりもむしろ、虚無感や哀れみといった静けさ見たのは僕だけではないだろう。

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