Cinema Paradiso

2017年2月17日 (金)

アカデミー賞外国語映画部門ノミネート「ヒトラーの忘れもの」

評価:A-

Under Und2

映画公式サイトはこちら。デンマークとドイツの合作である。米アカデミー賞の外国語映画部門にノミネートされているが(デンマーク代表)、受賞は無理。多分「ありがとう、トニ・エルドマン」(ドイツ)か、番狂わせがあっても「セールスマン」(イラン)に行くだろう。

邦題が良くないと想うんだ。柔らかいオブラートに包み過ぎ。東京国際映画祭で上映されたときは「地雷と少年兵」だった。ストレートだけれど、きちっと内容を伝えている。原題は"Under sandet"直訳すると「砂の下」となる。地雷原のことね。英題は"Land of Mine"で「地雷の土地」。

ヒリヒリと胃が痛くなるような映画だ。観ていて辛い、しかし目を背けてはいけない。これが現実。地雷除去を命じられるドイツの少年たちが本当に可哀想。彼らには何の罪もないのに。そもそも選挙権すらないのだからナチス党に投票したわけでもないしね。大人の罪・過ちを子どもたちが贖わなければならないのだ。

最後に救いはあるのだが、ちょっと甘いかな。過酷さを貫き通して欲しかった。「サウルの息子」みたいに。

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2017年2月14日 (火)

ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち

評価:B+

Miss

映画公式サイトはこちら

決してティム・バートン監督の最高傑作だとは想わないが、彼らしい作品だなぁと観ていて心地良かった。ディズニーで撮った「アリス・イン・ワンダーランド」の窮屈な制約から開放されて、伸び伸びとワンダーランドで戯れている印象。

ティム・バートンは短編アニメのデビュー作「ヴィンセント」から、異形の者への偏愛を吐露し続けてきた。それは英語で形容するならばまさに今回のタイトルに入っているpeculiar people(or animals/monsters/ghosts)への執着・傾倒である。本作でもやはり異形の子どもたちが魅力的。またペレグリンを演じたエヴァ・グリーン(36歳)が大変美しい。

エマを演じたエラ・パーネルは丸顔で目がぱっちりしていて、

Peculiar

クリスチーナ・リッチに凄く似ているな!と感じた。

Sleepy

よくよく考えてみればクリスティーナは「スリーピー・ホロウ」に出演していたわけで、つまりティム・バートンの好みの顔なんだね。

テレンス・スタンプが演じたお祖父さんエイブ(エイブラハム)はヘブライ語アブラハムの英語読み。アブラハムは旧約聖書の中でノアの箱舟の後に登場する初の預言者、始祖である。そして主人公ジェイコブはヘブライ語でヤコブとなる。「創世記」によると彼の父はイサク、祖父はアブラハム。イスラエルの民つまりユダヤ人はみなヤコブの子孫とされる。劇中エイブが「ポーランドにいた時、モンスターがやって来た」と言うが、それは当然ナチス・ドイツのポーランド侵攻とアウシュヴィッツ強制収容所建設のことを示唆している。

第二次世界大戦が始まる直前、ナチスの手で強制収容所送りになろうとしていたチェコのユダヤの子どもたち669人を救出し、イギリスに疎開されたイギリス人がいた。名をニコラス・ウィントンという。彼の活動はキンダートランスポート(Kindertransport)と呼ばれ、映画にもなった→公式サイト。つまりミス・ペレグリンによって保護されている「奇妙なこどもたち」とは、ウィントンの手で救われたユダヤのこどもたちの暗喩である。

また同じ一日を永遠に繰り返す(ループ)というのは日本のアニメーションでお馴染みの設定である。直ぐに想い出すだけでも押井守監督「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」や、京アニ「涼宮ハルヒの憂鬱」の第12話-19話【エンドレスエイト】、新房昭之監督「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語」がある。「ミス・ペルグリンと奇妙なこどもたち」の原作者ランサム・リグズ(写真はこちらは38歳男性。もしかしたらジャパニメーション・ヲタクなのかもしれないなと想った。 

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2017年2月 7日 (火)

ゲイは「美女と野獣」がお好き?

つい先日、BSジャパンで放送中の指揮者の藤岡幸夫がナビゲーターを務める音楽番組「エンター・ザ・ミュージック」(公式サイトはこちら)を観ていたら、モーリス・ラヴェルがマザー・グースを題材にして作曲した「マ・メール・ロワ」組曲が取り上げられていた。「マ・メール・ロワ」の第4曲は”美女と野獣の対話”である。これを聴きながら、ゲイって「美女と野獣」が好きなのかな?とぼんやり考えていた。

とそこで、物凄い事実に気が付いた!

「美女と野獣」は元々、フランスのヴィルヌーヴ夫人が1740年に書いたお伽噺である。現在よく知られるのは1756年に出版された、ボーモン夫人による短縮版である。

1946年、小説「恐るべき子供たち」の著者であり詩人としても名高いジャン・コクトー監督がこれを映画化した。キネマ旬報ベストテンで第6位に入るなど、公開当時から現在に至るまで高い評価を得ている。コクトーがゲイだったっことは公然の秘密であり、映画で野獣/王子を演じたジャン・マレーはコクトーの長年の愛人だった。

Bijo

1991年にディズニーは「美女と野獣」をミュージカル・アニメーションとして映画化。アニメ映画史上初めてアカデミー作品賞にノミネートされるという快挙を成し遂げた(当時は長編アニメーション映画部門がなかった)。その製作総指揮及び作詞を担当したのがハワード・アッシュマンである。しかし彼はAIDSを患い、「美女と野獣」がアカデミー賞で作曲賞(アラン・メンケン)と歌曲賞を受賞したときには既に故人だった。享年40歳。授賞式ではアッシュマンのパートナー(勿論男性)がオスカー像を受取り、スピーチをした(その時の動画はこちら)。アニメ版のエンド・クレジットには次のような追悼メッセージが刻印されている。

To our friend, Howard,
Who gave a mermaid her voice,
and a beast his soul.
We will be forever grateful.

 Howard Ashman
 1950-1991

ぼくらの友、ハワードに捧ぐ
君は人魚に声を与え(「リトル・マーメイド」のこと)
野獣に魂を授けてくれた
僕らは君への感謝の気持ちを永遠に忘れない

2017年、ディズニーはアッシュマン&メンケンの楽曲をそのまま用いて「美女と野獣」を実写映画化した。日本では4月21日に公開予定。公式サイトはこちら。美女を演じるのは「ハリー・ポッター」シリーズのハーマイオニーこと、エマ・ワトソン。監督を務めたビル・コンドン(映画「シカゴ」の脚色、「ドリームガールズ」脚色・監督)はゲイであることを公にしている。

Beauty_and_the_beast

また2017年版でガストンを演じるルーク・エヴァンズは俳優としてキャリアを始めた早い段階からゲイをカミングアウトしている。インタビューの中で彼は「みな僕がゲイであることを知っているし、それを隠そうと思ったことはない。カミングアウトしていることで俳優としての人生に支障が出たことはない」と述べている。

しかし一方で、こういう意見もある。ビル・コンドンが監督した「ゴッド・アンド・モンスター」で主演したイアン・マッケランは「ロード・オブ・ザ・リング」のガンダルフとしても有名だが、彼もゲイをカミングアウトしている。2年連続でアカデミー賞に白人俳優ばかりノミネートされ多様性の欠如が非難された2016年、マッケランは「ゲイを公表している男優もオスカーを獲得したことがない。偏見なのか、偶然なのか」とガーディアン紙に語っている。実際に彼は「ゴッド・アンド・モンスター」でアカデミー主演男優賞に、「ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間」で助演男優賞にノミネートされたが、何れも受賞を逃している。そしてマッケランは2017年実写版「美女と野獣」でコグスワースを演じている。

こうやって眺めていくと、やはり「美女と野獣」という物語にはゲイの琴線に触れ、惹きつける、何かとても大切なものがあることは間違いない。ストレートの僕にはそれが何なのか未だよく判らないのだけれど。

さぁ貴方も映画を観て、思索の旅(The Journey of Meditation)に出てみませんか?

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2017年2月 2日 (木)

「君の名は。」英語主題歌版(台詞は英語字幕付き)体験記

新海誠監督「君の名は。(Your Name.)」が4月7日より全米とカナダの劇場にて200スクリーン以上の規模で上映されることが決まった(配給はFunimation Films)。それに伴いRAWPIMPSの野田洋次郎くんが新たに英語詞を書き下ろした歌バージョンの上映をミント神戸で観てきた。因みに兵庫県ではここ1館でしか上映されていない(東宝の映画なのに、何でTOHOシネマズでやってくれない??)。台詞は日本語で英語字幕付き。予習としてEnglish ver.をiTunesからダウンロードし、歌詞とにらめっこしながら繰り返し聴いて頭に叩き込んだ。野田くんは幼稚園のときにアメリカのナッシュビルに引っ越し、ロサンゼルスの小学校などを転々としながら10歳で帰国したという。だから当然英語は自家薬籠中の物で、英語詞も実にこなれている。オリジナルはこっちじゃないか?というくらいの完成度の高さ。

6回目の鑑賞である。因みに僕が一番たくさん映画館で観た作品は高校生の時に封切られた「E.T.」の7回(@テアトル岡山、2003年11月3日に閉館)。ただし最初は試写会で観たし(同級生から招待ハガキを100円で買い取った)、シネコンが登場するより前の時代なので、当時は入れ替え制/指定席ではなく、連続して2回観ることも可能だったのである。「君の名は。」はちゃんと6回お金を払いました。

僕の前に座った女性は50歳位の母親を同伴していた。「私は2回目だから、お母さんは真ん中に座りなよ」と話していたので母親の方は初回と思われる。こんな特殊な上映が最初で大丈夫か?と訝った。また一席空いて僕の左隣には中年夫婦が座っていた。上映が始まり、映画冒頭で三葉がスマホにセットしたアラームが鳴る。突如隣のオバちゃんが「あれ、誰かの携帯が鳴っとる!私のかしら?」と慌ててカバンをゴソゴソし始めた。この人も初心者か!心底びっくりした。

初公開から既に5ヶ月以上が経過した。それでも「君の名は。」は未だ映画館に一度も足を運んだことのない潜在的な観客を掘り起こし続けている。これは凄いことだ。

英語の歌詞は日本語と比較して情報量が多いので、新たな発見もあった。例えば冒頭の「夢灯籠」である。

あぁ 雨の止むまさにその切れ間と 虹の出発点 終点と
この命果てる場所に何かがあるって いつも言い張っていた

この「言い張っていた」の主語は「君」だとずっと信じていた。ところが英語版は

And where the end of this light flies, I've always been insisting there was something that I've been longing for

となっており、「僕」だったんだ!とびっくりした。また「前前前世」の歌詞「何光年」が英語では"millions of light-years"(何万光年)に変更されているのも、スケールアップしていて可笑しい。

他にも色々と英語の勉強になった。具体例を幾つかあげよう。

  • 「夢灯籠」unprecedented:前例のない
  • 「前前前世」eyes glow:目が光る、waver:たじろぐ
    unfettered:束縛されない、自由な
    come up with a verse:歌詞を思い付く、ひねり出す
  • 「スパークル」tame:飼いならす、hourglass:砂時計
    skim through:飛ばし読みをする、ざっと目を通す
    doze off:うたた寝をする、lukewarm:なまぬるい
    mildew:白カビが生える
    second,hour hands of the clock:時計の秒針、時(短)針
    every word stacked:山のように積み重ねられた言葉
  • 「なんでもないや」gust of wind:一陣の風
    make it here:ここに到着する、come short:もの足りない
    glee:(サンタクロースが)ほくそ笑む
    ⇔「スパークル」の「君」にはgrin(歯を見せて笑う)という動詞が
    当てられている。
    showy crier:派手に泣く人

Zenzenzense だけ日本語のままというのが興味深い。相応しい英単語が見つからなかったのかな?

また「前前前世」で、

君の髪や瞳だけで胸が痛いよ
同じ時を吸いこんで離したくないよ

この箇所で英語版はリズムを変えている(三連符の一部で音を刻まずに伸ばす)。しかし2番の歌詞では日本語版と同じく全て刻んで歌っている。

さて、英語字幕では日米(英)の文化差が浮き彫りにされて面白い。例えば四葉は三葉のことを「おねぇちゃん」と呼ぶが、字幕では"MItsuha"。瀧は奥寺先輩に"Ms. Okudera"と呼びかける。該当する言葉がないんだね。

瀧に憑依した三葉が高校で初めて司と会う場面の会話、

「……ツカサ、くん?」「はは、くん付け?」

のくだりは字幕で完全無視。こういうニュアンスも英語では醸し出し難いのだろう。

あとハッとしたのが「隠り世(かくりよ)/あの世」が英語では"Underworld"となっていたこと。そうか、キリスト教の"Heaven"でも"Hell"でもないんだ。"Underworld"はギリシャ神話に登場する黄泉の国に該当する。つまりこれを訳した人はオルフェウスとエウリディケの物語が念頭にあるんだね。それは日本のイザナギ、イザナミに繋がっている。

以下余談。彗星の軌道問題(2回目のニュースから物理学的に作画が間違っている)は未だ修正されていなかった。

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2017年2月 1日 (水)

映画「沈黙 サイレンス」/スコセッシ✕カトリック✕日本

遠藤周作の小説「沈黙」を巨匠マーティン・スコセッシ監督が映画化したがっているという話は20年前くらいからちょくちょく耳に入っていた。漸く、ライフワークが完成した。公式サイトはこちら

Silence

原作小説は1971年に篠田正浩監督が映画化しており、キネマ旬報ベスト・テンでその年の第2位になっている(1位は大島渚の「儀式」)。これを前から観たいと思っているのだが、現在国内でDVD、Blu-ray発売がなく、全く機会が得られないままの状態が続いている。何故かイギリスではDVDが発売されているのだが、輸入すると8,000円かかるんだよね。アホらしい。資料によるとスコセッシ版でリーアム・ニーソンが演じたフェレイラ役を何と篠田版では丹波哲郎が演じている!なお原作者の遠藤周作が篠田正浩と共同で脚本を書いている。音楽は武満徹。

Silence2

スコセッシはシチリア系イタリア移民の家に生まれた(「ゴッドファーザー」のコルレオーネ一家と同じ)。だからカトリック教徒で、幼いころは司祭になろうと思っていたという。彼は日本映画に造詣が深く、高品質DVD&BDを発売するレーベルとして知られる米クライテリオンの約700タイトルのコレクションの中から、著名人がそれぞれのベスト10を選び出す企画で溝口健二の「雨月物語」を4位に挙げている(詳細はこちら)。そして彼の主導で同作は4Kデジタル修復された。今回の「沈黙」にも溝口の「山椒大夫」を明らかに意識したショットがある。またスコセッシは役者として黒澤明監督の「夢」に出演している。同作のメイキングを撮っていた大林宣彦監督の証言によると撮影現場でメイクを落とすやいなや、「ミスター・ホンダはどこにいる?」と訊ねたという。「ゴジラ」の監督で、「夢」では演出補佐を務めた本多猪四郎のことである(詳細はこちら)。そしてふたりは記念写真を撮った。

「沈黙 サイレンス」の評価はA+。アカデミー賞では撮影賞しかノミネートされず冷遇されているのだが、掛け値なしの傑作である。この過小評価は多分、アメリカ人の多くがプロテスタントだからじゃないかな?カトリックの話には興味がないのだろう(アメリカ合衆国では国民の約80%がキリスト教徒であり、うちプロテスタント諸派が51%、カトリック教会は24%)。ちなみにアメリカ歴代大統領でカトリック信者はジョン・F・ケネディただ一人だけだそう。

映画の中でイッセー尾形がポルトガルの宣教師に対して「日本は沼みたいなものだから、キリスト教は飲み込まれて決してわが国には定着しない」という旨を述べる場面がある。弾圧がなくなった現在も日本のキリスト教徒は極めて少ない。2015年度の宗教年鑑によると約1%で、180万人程度と書かれている資料もある。つまり多く見積もっても2%に満たないということだ(因みに神道が48%、仏教が46%だそう)。比較的クリスチャンの多い長崎でも4%。これらはプロテスタントも含んでいるので、カトリック信者は更に少なくなる。現状を見ると江戸幕府がキリシタンを弾圧した意味(benefit)は殆どなかったんじゃないかなという気がしてくる。取り越し苦労だったね。(全てを包み込む/飲み込む特性のある)母性社会日本に対して、キリスト教は(切断/断定する)父性が特徴である。両者の性格は互いに受け入れ難いものがあるだろう(詳しくは臨床心理学者・河合隼雄の著書「母性社会日本の病理」をご一読あれ)。

本作を観る前に懸念が2つあった。まず撮影延期で渡辺謙が出演出来なくなったこと(ブロードウェイ・ミュージカル「王様と私」のスケジュールと重なってしまった)。渡辺が予定されていた通訳の役は浅野忠信が引き継いだ。また全編が台湾ロケで、果たして「日本らしさ」が出るのか?という点である。しかしそれらは杞憂に終わった。浅野忠信は存在感があったし、ロケ地はちゃんと日本に見えた。さすが日本通のスコセッシだけのことはあると感心することしきり。外国人が撮った「違和感のない日本」という意味ではクリント・イーストウッド監督「硫黄島からの手紙」のレベルに達しているなと想った(「ラスト・サムライ」は風景が如何にもニュージーランド・ロケなんだよね)。

塚本晋也や小松菜奈ら日本人キャストが健闘。特にイッセー尾形と窪塚洋介が素晴らしい。窪塚が演じたキチジローはキリストを裏切ったイスカリオテのユダの再現なのだけれど、敵か味方か曖昧ではっきりしない(得体が知れない)ところが、とても日本人的キャラクターですこぶる面白い。遠藤周作は朝日新聞のコラム「自分と出会う」で次のように書いた。

卑怯者にして弱虫ゆえに踏絵を踏み、それなのに神を捨てきれぬ男をどうしても登場させざるをえなかった。その人物の名はキチジローという。フローベルは「マダム・ボバリーは私だ」と言ったそうだが、私もそれにならって「キチジローは私だ」と思いながら筆を進めた。

今回つくづく感じたのは「沈黙」の物語構造が、コッポラの「地獄の黙示録」に極めて似ているということだ。日本という【沼の底】に消えたイエズス会のフェレイラを探しに2人の宣教師が潜入するというプロットは、カンボジアのジャングルに王国を築いたカーツ大佐をアメリカの陸軍将校が暗殺すべく向かいうという「地獄の黙示録」に呼応する。もしかしたらその原作小説、ジョゼフ・コンラッドの「闇の奥」に遠藤が影響を受けているのかもしれない。

最後に。スコセッシ版「沈黙」のラストシーンがオーソン・ウェルズ監督「市民ケーン」のそれ(rose bud=バラのつぼみ)とそっくり同じだったのにはニヤッとした。

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2017年1月17日 (火)

(増補改訂版)「ラ・ラ・ランド」がオマージュを捧げた過去のミュージカル映画たち

ゴールデン・グローブ賞で史上最多となる7部門を制覇し、アカデミー賞でも最多ノミネート及び、作品賞・監督賞を「ムーンライト」と競うこと(一騎討ち)が確実なミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」は過去の様々な作品に影響を受けている。まずは公式サイト(→こちら)の本予告、及びショート予告を観てください。

China  Imax

一見して明白なのはジャック・ドゥミ監督のフランス映画「シェルブールの雨傘」(1964)と「ロシュフォールの恋人たち」(1967)への憧れ。それはセットや衣装の色彩感(キャンディー・カラー/レインボー・カラー)などコンセプトアート(concept art)に如実に現れている。

映画冒頭のナンバー"Another Day of Sun"(歌詞付き試聴はこちら)はイントロを聴いただけでミシェル・ルグランが作曲した「ロシュフォールの恋人たち」(キャラバンの到着)への讃歌だと判る→動画はこちら。これぞルグラン・ジャズ!そしてご丁寧なことにこのシーンにはキャラバンまで登場する。

さらに「ラ・ラ・ランド」フィナーレに於ける歌詞のない合唱(ヴォカリーズ)は「シェルブールの雨傘」のラストとそっくりだ→動画

さてロサンゼルスの街並みを見下ろす展望所でエマ・ストーンとライアン・ゴズリングが踊る"Lovely Night Dance"のFilm Clipをご覧あれ→こちら。喧嘩腰の男女が踊りを通して心を通じ合うというコンセプトはアステア&ロジャーズの「トップ・ハット」(35)から"Isn't This a Lovely Day"であり→動画、映像のルックは「バンド・ワゴン」(53)からアステア&シド・チャリシーが踊る"Dancing in the Dark"へのオマージュとなっている→動画。またこのシーンの直前にゴズリングが街灯に片手をかけて、くるりと一周するのは、言うまでもなく「雨に唄えば」(52)のジーン・ケリーを真似ている。

ふたりがグリフィス天文台(映画「理由なき反抗」でジェームズ・ディーンがチキンレースをするロケ地)のプラネタリウムで空中浮遊ダンスを披露する場面はウディ・アレン監督「世界中がアイ・ラヴ・ユー」(96)と"Lovely To Look At"(52)からガワー・チャンピオン夫妻が踊る「煙が目にしみる」の融合と言えるだろう→動画(3分過ぎから)

また床に沢山の星が映っている屋内でデュエット・ダンスするのはフレッド・アステアとエレノア・パウエルが踊る「踊るニュウ・ヨーク」(1940)からビギン・ザ・ビギンの引用である→動画はこちら

「ラ・ラ・ランド」の女4人で踊る場面(Someone in the Crowd)、

Emma

はボブ・フォッシー振付・監督「スウィート・チャリティ」(69)からシャーリー・マクレーン、チタ・リヴェラらが踊る"There's Gotta Be Something Better Than This"→動画(3分15秒あたりから)と3つの共通点がある。①スカートを指で持ち上げる仕草 ②腕を真直ぐ前に伸ばし、手首を支点に手掌を(鶴の首みたいに)下向きに屈曲させる振付 ③衣装の色

壮大なセットで繰り広げられるダンス・シーンは「巴里のアメリカ人」(51)のクライマックスや、「雨に唄えば」(52)の"Broadway Melody(Gotta Dance)"を彷彿とさせる。特にシルエットで踊るのは「巴里のアメリカ人」におけるヴィンセント・ミネリ監督(ライザ・ミネリのお父さん)お得意の演出法だ→動画。おまけにマネキン人形も登場する→動画。そもそも映画撮影所の舞台裏を描く(Backstage musical)という意味で「ラ・ラ・ランド」と「雨に唄えば」は共通しているしね。

Jazzman(ジャズ演奏家)と女優志願の女性との恋という「ラ・ラ・ランド」の基本プロットはマーティン・スコセッシ監督、ライザ・ミネリ&ロバート・デ・ニーロ主演「ニューヨーク・ニューヨーク」(77)を踏襲している。またダイナミックなクレーン撮影や夜間の照明はフランシス・フォード・コッポラ監督が製作費80億円をかけ、興行収入が2億円しか回収出来なかった壮大な失敗作(でも僕は案外好き)「ワン・フロム・ザ・ハート」(82)を意識しているのではないだろうか?因みにコッポラはこの作品で多額の負債を抱え、アメリカン・ゾートロープ(ゾエトロープ)・スタジオを手放す羽目になる。

ミュージカル映画は撮影前に歌を録音し、役者はそれに合わせて口パクで演技するのが従来の撮影方法であった。 しかし「ラ・ラ・ランド」の"Audition"や"City of Stars"でエマ・ストーンは撮影現場で実際に歌い、同時録音するというSinging Liveの手法が採られている。実はこれ、映画「レ・ミゼラブル」(2012)でトビー・フーパー監督が生み出した手法なのだ。

このように約80年に及ぶ、ミュージカル映画という夢の記憶が集積し、びっしり詰まっているのが「ラ・ラ・ランド」という作品の正体である。

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2017年1月14日 (土)

「君の名は。」IMAX(次世代レーザー)体験記

新海誠監督「君の名は。」が2週間限定でIMAX上映されることになり、その初日に109シネマズ大阪エキスポシティに観に行った。

Img_0964

予告編で「ラ・ラ・ランド」が流れた。日本でもIMAXシアターで上映するんだ!ときめいた。

横幅26m、高さ18mという巨大スクリーンに4Kで映し出される「君の名は。」の映像は、とにかく没入感がヤバかった!特に圧倒されたのはユキちゃん先生(花澤香菜)が古文の授業で万葉集を教える場面。チョークを黒板に押し当てた時に粉が飛び散るのが鮮明に見えたのだ。びっくりした。

12.1chサラウンドの音響も極上。今まで聞こえなかった効果音(虫の声 etc.)もバッチリ。

ただちょっと残念だったのは今回のIMAX版で彗星の軌道の作画ミス(2回目のニュース映像から)が修正されているかも?と期待したのだが、そのままだった。以前プロデューサーの古澤佳寛さんにツイッターで質問したら、修正予定ですとご返事を頂いたのだが、DVD/Blu-ray発売時などまだ先の話みたい。

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2017年1月11日 (水)

夢と狂気のミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」

ミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」(公式サイト→こちら)はゴールデン・グローブ受賞で史上最多の7部門(ミュージカル作品賞・主演男優賞・主演女優賞・監督賞・脚本賞・作曲賞・歌曲賞)を受賞した。アカデミー賞でも作品・監督賞で「ムーンライト」と一騎打ちの模様となっている(作曲・歌曲賞受賞は300%確実)。

Lalalandimax

ミシェル・ルグランが作曲した映画「ロシュフォールの恋人たち」(ジャック・ドゥミ監督)の音楽を彷彿とさせる冒頭のナンバー"Another Day of Sun"(歌詞付き試聴はこちら)にはinsaneという言葉が用いられ、後半の"Audition"(歌詞付き試聴はこちら)ではmadnesscrazyが登場する。これらはすべて日本語で狂気を意味する。ついでながら最高に可笑しかったゴールデン・グローブ賞授賞式オープニングに於ける「ラ・ラ・ランド」のパロディをご紹介しよう→こちら

映画スターを目指してオーディションに落ちまくりながら映画スタジオのカフェで働くミア(エマ・ストーン)は"Audition"で「些かの狂気が新たな色彩を見出すための重要な鍵よ。それは私達をどこへ連れて行ってくれるか判らないけれど、でもだからこそ必要なものなの」と歌う。夢と狂気ーこれが「ラ・ラ・ランド」の肝(きも)である。

そもそもLa La LandのLAはハリウッドのあるロサンゼルス(Los Angeles)のことを指し、【あっちの世界/あの世/我を忘れた陶酔境】を意味する言葉である(こちらのブログを参照のこと)。

"Another Day of Sun"の最後は何かに取り憑かれたように「たとえ(オーディションに落ちて)失望させられたとしても、次の朝には必ずまた日が昇る」と合唱が執拗に繰り返す。正に狂気が疾走するのだ!

僕はこの歌を聴きながら、あるアイドルの発言を想い出した。

高橋みなみはAKB48選抜総選挙のスピーチで「努力は必ず報われる。私の人生を持って証明してみせます!」と言い、物議を醸した。

AKB48のオープニングメンバーオーディションの応募総数は7924名、最終合格者は20名だった。競争倍率は396倍。つまり高橋みなみにとって「努力は必ず報われる」は真実であったが、彼女1人に対してその影で395人が涙をのんだことになり、この金言が当てはまるのはたった0.25%に過ぎない。さらに最終合格者のうち、シングルの選抜メンバーに選ばれたのはごく一握りであり、「努力が報われた」女の子はさらにさらに少なくなる。

オリンピックの金メダリストも同じようなことを言ったりするが、それこそオリンピックで金メダルを受賞できる確率は天文学的に少ないだろう。では日本代表に選ばれなかったアスリートたちは努力を怠っていたのか?そんな筈はない。

つまり「努力は必ず報われる」のは勝者の理論であり、生まれ持った資質や運を持たぬ我々大半の人間にとって、決して真理ではないのである。

脚本家・山田太一がいいことを言っている→「頑張れば夢はかなう」というのは幻想、傲慢(日経ビジネス アソシエ)

を持つことは自由であり、誰しも有する権利である。しかしの実現に向けてその光(Stars)を追い続けるには狂気が必要であり、凡人は諦めが肝心だ。そのことを「ラ・ラ・ランド」は私たちに語りかけてくるのである。

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2016年12月31日 (土)

ジャック・ドゥミ「港町三部作」から聖林ミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」へ

今年度アカデミー作品賞・監督賞の有力候補であり、作曲賞・歌曲賞の受賞はほぼ100%間違いない映画「ラ・ラ・ランド」はMGMミュージカルの黄金期「踊るニュウ・ヨーク」(1940)、「巴里のアメリカ人」(51)、「雨に唄えば」(52)、「バンド・ワゴン」(53)やボブ・フォッシー監督の「スウィート・チャリティ」(69)を彷彿とさせる仕上がりであり(公式サイトの予告編を観れば一目瞭然)、そして何よりジャック・ドゥミ監督のフランス映画「シェルブールの雨傘」「ロシュフォールの恋人たち」へのオマージュとなっている。音楽そのものも、もうイントロを聴いただけで、ミシェル・ルグランが作曲した「ロシュフォールの恋人たち」への熱烈なラヴ・レターであることは火を見るより明らかだ(特に”キャラバンの到着”)。

La

ジャック・ドゥミは港町ナント(現在は「熱狂の日」音楽祭=ラ・フォル・ジュルネ発祥の地として有名)で幼少期を過ごした。その頃の様子は後にドゥミと結婚した映画監督アニエス・ヴァルダ(「幸福」でベルリン国際映画祭銀熊賞)が「ジャック・ドゥミの少年期」(1991)で生き生きと描いている。

Demi

ドゥミとヴァルダ、そしてアラン・レネは(セーヌ川の)左岸派と呼ばれ(対する映画批評家出身のトリュフォー、ゴダール、ロメールらはカイエ派/右岸派)、ドゥミの長編映画デビュー作「ローラ」は「ヌーヴェルヴァーグ(=新しい波)の真珠」と讃えられた。

ふたりは一男一女をもうけた。ドゥミは1990年に59歳で亡くなり、死因は白血病と発表された。しかし2008年になってヴァルダはドキュメンタリー映画「アニエスの浜辺」で実はAIDSで亡くなったのだったと告白した。ということはドゥミはバイセクシャルであり、50歳を過ぎても男の恋人(あるいは男娼)と関係があったことを意味している。それでもアニエスが心の底からドゥミを愛していたことは「ジャック・ドゥミの少年期」を観れば判る。まこと愛とは計り知れないものである(ミュージカル「コーラスライン」の演出・振付をしたマイケル・ベネットは87年、映画「愛と悲しみのボレロ」で有名なダンサーのジョルジュ・ドンは92年にやはりAIDSで亡くなった。この病気をテーマにし、トム・ハンクスがアカデミー賞主演男優賞を受賞した映画「フィラデルフィア」が公開されるのは93年である)。

ナントを舞台にした「ローラ」(1961)は白黒でミュージカルではない(ドゥミはカラーのミュージカル映画として撮りたかったのだが、予算が足りなかった)。しかしカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した総天然色映画「シェルブールの雨傘」(1964)は明白な「ローラ」の続編である。踊り子ローラに恋する主人公ローラン・カサールが失恋しナントの街を去る場面で「ローラ」は終わる。そして「シェルブールの雨傘」でカサールは宝石商として登場、どちらもマルク・ミシェルが演じている。ミシェル・ルグランは「ローラ」から音楽を担当しており、「ローラ」に於けるカサールのテーマが、そのまま「シェルブール」でも使用されている。で「シェルブール」でカサールがローラのことを歌う回想シーンでナントの街並みが映し出されるのだが、「シェルブール」が公開された64年当時「ローラ」は日本未公開で、日本の観客にはチンプンカンプンだったろう(日本初公開は92年)。現在はアニエス・ヴァルダが監修し2012年に完成した「ローラ」デジタル完全修復版がDVD,Blu-rayで容易に入手出来る。

「シェルブール」が画期的だったのは全篇が歌で構成されており、通常のダイアログは皆無であること。ハリウッドのミュージカル映画やブロードウェイ・ミュージカルでは前例がない手法だ。「シェルブール」の後にヨーロッパでは「レ・ミゼラブル」や「エリザベート」「ロミオ&ジュリエット」など同様のスタイルの舞台ミュージカルが生まれた。

「ローラ」「シェルブールの雨傘」そして「ロシュフォールの恋人たち」(1967)は港町三部作と呼ばれており、3作品ともに水兵が街を歩いている風景が映し出される。また「ロシュフォールの恋人たち」でカフェの常連客である老紳士はパリのフォリー・ベルジェールの売れっ子ダンサーだった60歳のローラに40年間恋し続け、遂には切り刻んで殺してしまうというエピソードがある(以上は新聞記事として語られる)。ゆえにこれらをローラ三部作と呼ぶ人もいるのだが、ここでややこしいのがドゥミがベトナム戦争下のアメリカで撮った「モデル・ショップ」(1968)という作品があり、ここでも「ローラ」のアヌーク・エーメがローラを演じている(日本初公開は2007年)。故にローラ四部作??但し、残念なことに「モデル・ショップ」のみ音楽がミシェル・ルグランではなく、ドゥミは「モデル・ショップ」を失敗作と認めている。

「シェルブールの雨傘」でカトリーヌ・ドヌーヴの歌の吹き替えをしているのがダニエル・リカーリ、「ロシュフォールの恋人たち」で吹き替えしているのがア・カペラ・ヴォーカル・グループ「ザ・スウィングル・シンガーズ」のメンバー、アンヌ・ジェルマン。つまり両者でドヌーヴの歌声が違うわけで、その辺は緩い。因みに「ザ・スウィングル・シンガーズ」にはミシェル・ルグランの姉クリスチャンヌもいて、やはり「ロシュフォールの恋人たち」サントラで歌っている。またドゥミの作品にはハリウッド映画への憧れが濃密で、「ロシュフォールの恋人たち」には「雨に唄えば」「巴里のアメリカ人」のジーン・ケリーや「ウエストサイド物語」のジョージ・チャキリスが出演している。

余談だが「ロシュフォールの恋人たち」でドヌーヴと共演した姉フランソワーズ・ドルレアックはこの映画が公開された年、別の映画の追加撮影の為ニース空港に向かう運転中に高速道路のカーブを曲がり切れず激突、車は横転、炎上した。享年25歳だった。

「シェルブール」と「ロシュフォール」で個性的なのはCandy Colorsと評される鮮やかなである。と言い換えることも出来る。ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーの象徴となっているレインボーフラッグを彷彿とさせる。そしてそのは「ラ・ラ・ランド」にも受け継がれている。

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2016年12月28日 (水)

2016年を振り返って

2016年を回顧して、僕が今年を1文字の漢字で表すなら「」以外にないなと想う。

これは「将来の夢」とか、キング牧師の有名な演説"I have a dream"の夢(=希望・願望)ではなく、文字通り夜見るのことである。

何と言っても臨床心理学(ユング派)の権威・河合隼雄と、新海誠監督「君の名は。」の出会いが大きかった。この両者を結びつけるのがであり、言い換えるなら無意識潜在意識/深層心理ということになるだろう。

そもそも河合隼雄の名を知った切っ掛けが今年7月、佐渡裕プロデュースで兵庫県立芸術文化センターで上演されたブリテンのオペラ「夏の夜の」の予習として読んだ対談本「快読シェイクスピア」(ちくま文庫)だった。詳しくは下記事に書いた。

漸く人生の師MasterMentorに出会った!という確かな手応え。それから河合の著書を貪るように読んだ。年末までに27冊。過去にこれだけ集中して読んだのは、ちょっと記憶にない。

河合と「君の名は。」の”結び”はだけではない。新海誠監督は第2弾パンフレットの中で僕の質問に答え、村上春樹の短編小説「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」が「君の名は。」の発想の原点となったことを認めており、奥寺先輩の台詞には村上の「ノルウェイの森」からの引用がある。そして河合は数回に渡り村上と対談をしているのである(「こころの声を聴くー河合隼雄対話集」「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」いずれも新潮文庫)。

また河合はイザナギ・イザナミが登場する日本神話(古事記)や平安時代の「とりかへばや物語」について本を書いており、これらは「君の名は。」の土台となっている。

僕が同時期に河合隼雄と「君の名は。」にめぐり逢ったのも、正にユングが言うところのシンクロニシティ意味のある偶然の一致)なのであろう。

つい先日「君の名は。」について川村元気プロデューサーが集合的無意識の話をしている→こちら集合的無意識とはユング心理学の用語である。みんな繋がっている。僕も映画公開直後、9月の時点で集合的無意識という観点から「君の名は。」を論じた。

夢はその人の潜在意識の現れである。意識(その中心に自我+潜在意識=自己(self)。僕は今年から「夢日記」を書き始めた。2016年は人生の大きな転機となった。

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