アニメーション・アニメーション!

2023年10月20日 (金)

村上春樹「街とその不確かな壁」とユング心理学/「影」とは何か?/「君たちはどう生きるか」との関係

これは下記事の続きである。

 ・  村上春樹「街とその不確かな壁」をめぐる冒険(直子再び/デタッチメント↔コミットメント/新海誠とセカイ系/兵庫県・芦屋市の川と海) 

村上春樹はユング心理学から多大な影響を受けている。そのことはスイスにあるユング研究所で研鑽を積み、日本人として初めてユング派分析家の資格を得た河合隼雄と村上が何度も対談を重ねていることからも伺い知れるだろう(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』『こころの声を聴く―河合隼雄対話集』いずれも新潮文庫)。例えば小説『ねじまき鳥クロニクル』において主人公が井戸の底に下りていって瞑想するという行為は、深層心理の奥底に潜ることを象徴している。そこには集合的無意識があり、他者と繋がることが出来る。それが〈壁抜け〉だ。主人公は時空を超えノモンハン事件当時の満州国に直列接続する。

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村上に心酔するアニメーション監督・新海誠はこのアイディアを映画『君の名は。』に応用した。夢(=集合的無意識)の中で瀧と三葉は出会い、体が入れ替わるが、ふたりの間には東京と飛騨地方という距離の隔たりと、3年という時間のずれがあった。

 ・ 【考察】神話としての「君の名は。」〜その深層心理にダイブする。 2016.09.10

村上の新作小説『街とその不確かな壁』の主人公(ぼく)は、消息不明になった女の子(≒『ノルウェイの森』の直子)が語っていた、高い壁に囲まれた「街」になんとか辿り着く。「街」は集合的無意識のメタファーだから、その図書館で彼女に再会することになる。主人公に与えられた仕事は〈夢読み〉だ。

「街」の住人には影がない。主人公(ぼく)も「街」に入るために門番の手で影を切り離される。「影」とは何か?二つの解釈が考えられる。

まず第一に、ユング心理学における「影」だ。河合隼雄の著書に『影の現象学』があるので、一読をお勧めしたい。詳しい解説は下記事に書いた。

 ・ 〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その3〉影・トリックスター・ヌミノース 2019.06.07  

「影」はひとの無意識の中にあり、本能に結びついたこころの原初的なイメージ=元型(Archetype)の一つだが、『街とその不確かな壁』第二部に登場する図書館の前館長・子易さんは元型における「老賢人」だし、イエロー・サブマリンの少年は「子供(永遠の少年)」。そしてきみ(直子)は「アニマ」だ。

 ・ 〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その2〉太母・老賢人・子供・アニマ・アニムス・ペルソナ 2019.06.06

「影」のもう一つの解釈として20世紀末ウィーンの文化を代表する作家フーゴ・フォン・ホーフマンスタールが書いた『影のない女』に触れておきたい。リヒャルト・シュトラウスが作曲したオペラの台本だが、小説版もあり、内容は若干異なる。村上春樹は『騎士団長殺し』の中でリヒャルト・シュトラウスの歌劇『ばらの騎士』を登場させており、『ばらの騎士』の台本を執筆したのもホーフマンスタールである。『影のない女』のあらすじはこうだ。

東方の皇帝は狩りの途上でガゼル(羚羊)に変身していた霊界の大王カイコバートの娘を捕らえ、人の姿に戻った彼女を妻にする。しかしカイコバートの呪いにより、結婚から12ヵ月以内に皇后に影が出来なければ皇帝は石の体と化してしまうと宣告される。また影がないと后は子供を産めない。乳母は彼女に「人間の世界に降りてゆくと影が手に入る」と教える。二人は下界に降り、子供を欲しいと思っていない染物師の若い妻から影を得ようと画策する。

つまり「影」は〈子供を生む=自分の遺伝子を転写・複製する〉能力のメタファーになっている。霊界の住人は「影」を持つ必要がない。なぜなら永遠の命を有しているから。一方、人間は命が有限だから次世代に遺伝子をつなぐために「影」が必要なのだ。

フランスの構造人類学者レヴィ=ストロースは「神話論理」四部作の中で次のように語っている。

神話とは自然から文化への移行を語るものであり、神話の目的はただ一つの問題、すなわち連続不連続のあいだの調停である。

この原理はそのまま『影のない女』と『街とその不確かな壁』に当てはまる。人間は「影」を持つが故に不連続(mortal)であり、「影」を切離すことによって連続する(immortal)存在=「街」の住人になれる。人間の寿命を超えて生き続けるドラキュラ(や、ポーの一族)にも「影」はないし、生殖能力もない。

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興味深いことに宮崎駿監督の新作アニメ『君たちはどう生きるか』も『街とその不確かな壁』と似た構造を持っている。主人公の少年・眞人は大伯父が建てた塔がある洋館に入っていくが、ここは「街」と同じく集合的無意識のメタファーであり、塔の中で彼は時空を超えた人物たち(明治時代に生きた大伯父や若き日の母など)と出会うことになる。

 ・ 【考察】完全解読「君たちはどう生きるか」は宮﨑駿の「8 1/2」(フェデリコ・フェリーニ監督)だ!!
 ・ 
【考察】なぜ「君たちはどう生きるか」は評価が真っ二つなのか?/ユング心理学で宮﨑駿のこころの深層を読み解く

村上春樹は若い頃から子供を作らないと決めていた。今までに生み出して来た作品群こそが彼の子供たちと言えるだろう(つまり〈夢読み〉とは小説を書く彼自身のことだ)。ただ『街とその不確かな壁』に登場するイエロー・サブマリンの少年の描写を読んでいると、やっぱり息子が欲しかったんじゃないかな。そんな苦い後悔がちょっぴり滲み出しているように感じるのは、果たして僕だけだろうか?

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2023年10月 6日 (金)

村上春樹「街とその不確かな壁」をめぐる冒険(直子再び/デタッチメント↔コミットメント/新海誠とセカイ系/兵庫県・芦屋市の川と海)

2023年4月13日に村上春樹の新作長編小説『街とその不確かな壁』が出版された当初、余り良い評判を聞かなかった。しかし実際に読んでみると心の奥深く突き刺さった。僕が一番好な村上作品は従来『ノルウェイの森』だったのだが、その感動を上回った。最高傑作だと思う。一応今まで読んだものを挙げておく。

長編小説:『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

短編集:『カンガルー日和』『蛍・納屋を焼く・その他の短編』『神の子どもたちはみな踊る』『女のいない男たち』

随筆・紀行文:『映画をめぐる冒険』『ザ・スコット・ジェラルド・ブック』『ポートレイト・イン・ジャズ』『辺境・近境』

対談:『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』

2013年に出版された『色彩を持たない多崎つくると…』が心底つまらなく、救いようのない駄作だったので「村上春樹は最早オワコンか」と大いに落胆したものだが、杞憂だった。

新作で一番びっくりしたのは『ノルウェイの森』の直子がまたまた登場したことである。なんと彼女の物語はまだ決着がついていなかったのだ!

直子(と思しき女の子)はまず村上春樹の処女作『風の歌を聴け』で次のような記述として現れる。この時点で名前は明かされていない。

 僕はこれまでに三人の女の子と寝た。 (中略)
 三人目の相手は大学の図書館で知り合った仏文科の女子学生だったが、彼女は翌年の春休みにテニス・コートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で首を吊って死んだ。

続く『1973年のピンボール』(1980年刊行)では直子という名前を与えられ、1969年に大学生の「僕」(20歳)と付き合っている。早稲田大学のキャンパスは折しも学生運動で騒然としていた(この年に東大安田講堂事件があった)。しかしそれから4年経過した73年に直子は既に死んでおり、主人公は彼女が生前語っていた故郷の街に足を運ぶ。

村上春樹は1949年1月12日に京都市に生まれたが、生後すぐ兵庫県西宮市夙川に転居し、ここで小学校を卒業した(国語の教師だった父親が私立甲陽学院中学校に赴任したため)。さらに中学1年生のとき芦屋市に引っ越している(夙川と芦屋は阪神/阪急電車で1駅くらいの距離)。そして兵庫県立神戸高等学校に入学(阪急・芦屋川駅から最寄りの王寺公園駅まで12分)、1968年には早稲田大学第一文学部に合格した。

芦屋市は海岸地区を埋め立てて住宅都市を建設する計画した。村上が上京した翌69年から工事が始まり、74年ごろにほぼ終わった(写真こちら)。78年が舞台となる『羊をめぐる冒険』(1982年刊行)で彼が幼い頃海水浴をしたという芦屋浜は50mの砂浜を残し、すっかり失われてしまっていた。『羊をめぐる冒険』は次のような喪失感に満ちた文章で締めくくられる。

 僕は川に沿って河口まで歩き、最後に残された五十メートルの砂浜に腰を下ろし、二時間泣いた。そんなに泣いたのは生まれてはじめてだった。二時間泣いてからやっと立ち上がることができた。どこに行けばいいのかはわからなかったけど、とにかく僕は立ち上がり、ズボンについた細かい砂を払った。 
 日はすっかり暮れていて、歩き始めると背中に小さな波の音が聞こえた。

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その芦屋浜である。

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1983年に発表された短編『蛍』で遂に直子の物語が本格的に語られるが、名前は与えられていない。心を病んだ彼女は「大学をとりあえず一年間休学し、京都の山の中にある療養所に落ちつくことにします」という手紙を残し、主人公の元を去る。

そして『蛍』を拡張した物語が『ノルウェイの森』だ。因みにドビュッシーのピアノ曲集『版画』の中の一曲「雨の庭」(Jardins sous la pluie)に由来する『雨の中の庭』というタイトルで書き始められたが、原稿を版元に渡す直前に妻の意見を受け入れ『ノルウェイの森』に改められた。ところで新海誠監督のアニメーション映画『言の葉の庭』って『雨の中の庭』を意識していると思いません?雨の新宿御苑が舞台となっているし、2箇所の『の』の位置も同じ。そして劇中雨でずぶ濡れになったユキノの「わたしたち、泳いで川を渡ってきたみたいね」という台詞は『ノルウェイの森』からの引用である(“「ねえ、私たちなんだか川を泳いで渡ってきたみたいよ」と緑が笑いながら言った”)。なお新海の『秒速5センチメートル』ではヒロイン・明里が駅のプラットホームで村上の『蛍・納屋を焼く・その他の短編』を読んでいる。

 ・ 時は来た(This Is the Moment)!今こそ語り尽くそう〜新海誠「秒速5センチメートル」超マニアック講座 

『街とその不確かな壁』で、十七歳の「ぼく」と十六歳の「きみ」は高校生エッセイ・コンクールの表彰式で出会う。離れた街に住む二人は手紙を幾つも交換し、やがてデートするようになる。その様子が次のように書かれている。

 その夏の夕方、ぼくらは甘い草の匂いを嗅ぎながら、川の上流へと遡っていった。流砂止めの小さな滝を何度か越え、時折立ち止まって、溜まりを泳ぐ細い銀色の魚たちを眺めた。二人ともしばらく前から素足になっていた。澄んだ水がひやりと踝(くるぶし)を洗い、川底の細かい砂地が二人の足を包んだー夢の中の柔らかな雲のように。ぼくは十七歳で、きみはひとつ年下だった。

 川にかかるいくつかの橋の下をくぐり、流れの浅いところを辿って歩き続けた。そのあいだ誰ともすれ違わなかった。途中で目にしたのは何匹かの小ぶりな蛙たちと、石の上にじっとたたずんでいる一羽の白鷺だけだ。その鳥は一本足で立ったまま身動きひとつせず、怠りなく川面を監視していた。

これは紛れもなく、芦屋川の描写だろう。その河口に芦屋浜がある。

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芦屋川にはアユやウナギ、モクズガニなどが生息しているそう。また6月上旬には上流でゲンジホタルを見られるという。

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小説の描写どおり白鷺がいた。

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『街とその不確かな壁』の「きみ」はやがていなくなり、音信不通となる(恐らく首を吊って自殺したのだろう)。「きみ」が以前語っていた、夢の中に出てくる高い壁に囲まれた「街」に「ぼく」は行きたいと願い、そして遂にたどり着く。そこの図書館で本当の「きみ」が働いている(十六歳の「きみ」は「ぼく」に、今ここにいるのは本当のわたしの「身代わり」であって、「ただの移ろう影のようなもの」だと言った)。その「街」にある図書館は第一部で次のように描写される。

 これという特徴のない石造りの古い建物だ。(中略)入り口には何の表示も掲げられておらず、知らない人にはそれが図書館だとはわからないようになっていた。「16」という数字が刻まれた真鍮のプレートが、素っ気なく打ち付けられているだけだ。プレートは変色し、字は読みづらかった。
 重い木製の扉は深く軋みながら内側に開き、奥には薄暗い正方形の部屋があった。(中略)縦長の窓が二つあり、家具はひとつも置かれていない。

これは学生時代に村上がよく利用したという芦屋市立図書館打出分室がモデルと思われる。残念ながら現在改修工事中で、中に入ることは出来ない。

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石造りの外壁が蔦で覆われ、とても素敵な雰囲気だ。

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写真では分かり辛いが入り口に「真鍮のプレート」が掲げられており、「縦長の窓が二つ」ある。在りし日の姿はこちら。小川洋子の小説『ミーナの行進』にも登場する。

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村上のデビュー作『風の歌を聴け』で「猿の檻(おり)のある公園」として登場する打出公園はこの図書館に隣接する場所にある。「僕」と「鼠」の出会いの場面だ。打出公園も工事中で猿の檻は2023年に取り壊された。

航空写真で見てみよう。

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写真上方「旧松山家住宅松濤(しょうとう)館」と書かれた建物が図書館だ。床が「正方形」になっている

また写真下方(図書館の南側)に打出公園があり、撤去前の猿の檻も見える。

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公園がリニューアルされた後、猿の檻があった場所に記念碑が建てられる予定らしい。なお『街とその不確かな壁』第二部で現実世界に戻った主人公が、館長として赴任する図書館は福島県南会津町図書館だと特定されている(記事はこちら)。

村上春樹はその創作活動の前半、〈デタッチメントの作家〉と呼ばれた。登場人物たちは概ね、社会と関わろうとしなかった。『ノルウェイの森』の主人公が、学生運動から距離をとっていた(detach:切り離す)ように。

しかし彼は1995年にその姿勢を大きく変更した。この年の1月17日に阪神淡路大震災が発生し、3月20日にオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした。村上は地下鉄サリン事件の関係者62人にインタビューを重ねノンフィクション『アンダーグラウンド』を上梓し、連作短編小説集『神の子どもたちはみな踊る』では阪神淡路大震災をテーマに取り上げた(新興宗教の話もある)。〈コミットメントの作家〉への転換である(commit:責任感を持って取り組む)。

新海誠は村上春樹の小説に多大な影響を受けたアニメーション作家である。2002年の処女作『ほしのこえ』から彼は“セカイ系の旗手”と呼ばれてきた。「世界の終わりに通じるような大惨事が、"ぼくときみ"というふたりの男女の恋愛関係に収斂されていく」というのがセカイ系の定義だ。これはそのまま〈デタッチメントの作家〉村上春樹の前期作品に当てはまる。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』なんてタイトルからして“セカイ系”そのものである。

『街とその不確かな壁』第一部は1980年に文芸雑誌「文學界」9月号に掲載された中編小説『街と、その不確かな壁』に基づいている(村上は「あれは失敗」として、彼の意向で単行本や全集にも一切収録されていない)。つまり『1973年のピンボール』に続く作品であり、それを拡張した今回の新作は村上が〈コミットメント〉から〈デタッチメントの作家〉に返り咲いた(原点回帰した)とも言えるだろう。だから僕はこれを読みながら「新海誠のアニメにそっくりだ!」と感じたので、なんだか可笑しかった(本当は順序が逆なのに)。それも初期作品『雲のむこう、約束の場所』とか『秒速5センチメートル』の雰囲気にすごく近い。新海も川村元気プロデューサーと出会うことによって〈デタッチメント〉から〈コミットメントの作家〉に大きく舵を切ったのである(『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締まり』)。また東日本大震災の体験も大きかっただろう。

 ・「君の名は。」劇場用パンフレット第2弾登場!〜新海監督が質問に答えてくださいました。 2016.12.13
 ・「天気の子」劇場用パンフレット第2弾登場!〜新海誠監督が質問に答えてくださいました。 2019.09.17
 ・「すずめの戸締まり」公開初日鑑賞報告!/【考察】どうして新海誠はセカイ系であり続けるのか?/村上春樹・高橋留美子との接点

『街とその不確かな壁』にはイエロー・サブマリンのヨットパーカーを着た、痩せた小柄な少年が登場する。金属縁の丸い眼鏡をかけている。間違いなくジョン・レノンのイメージだ。

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そしてジョンが作詞・作曲したビートルズの『ノルウェイの森』に繋がっている。

村上の小説『ノルウェイの森』の主人公は、直子の自殺によって絶望を味わうのだが、彼の魂を救うのが大学で出会った緑だ。作者は否定しているが緑のモデルが陽子夫人であることは論をまたない。ふたりは早稲田大学で知り合い、村上が22歳のときに学生結婚をした。そして親から借金をしてジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開店する。

しかし『街とその不確かな壁』に緑に相当する人物は登場しない。陽子夫人はこの小説を読んで、どう思っただろう?

さて本当は村上春樹と河合隼雄、さらにはユング心理学との関係にも触れたかったのだが余りにも長くなってしまった。続きはこちら ↓ の記事で。

  ・ 村上春樹「街とその不確かな壁」とユング心理学/「影」とは何か?/「君たちはどう生きるか」との関係

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2023年7月28日 (金)

【考察】なぜ「君たちはどう生きるか」は評価が真っ二つなのか?/ユング心理学で宮﨑駿のこころの深層を読み解く

ネタバレ前提で語ります。ご注意ください。また下記も併せてご一読ください。

 ・ 謎に包まれた宮崎駿監督の新作「君たちはどう生きるか」最速レビュー
 ・ 【考察】完全解読「君たちはどう生きるか」は宮﨑駿の「8 1/2」(フェデリコ・フェリーニ監督)だ!!

名字をからに改名した新生・宮﨑駿監督『君たちはどう生きるか』は賛否両論、面白いくらい評価が真っ二つである。公開から一週間後、「Yahoo!映画」で最高の5つ星をつけたユーサーが30%、星1つは36%、5点満点で平均2.9点だった。

これだけ極端に分かれる理由の一つに、主人公の少年が寡黙で、彼の感情の動きが読み取り難いことが挙げられるだろう。特に新しい母となる、夏子と対面してしばらくは、ほぼ無言である。だから彼が自傷行為をして額からおびただしい血を流す場面で観客はギョッとするのだ。想像力を駆使しなければ理解出来ない。そこに描かれないこと、語られない気持ちを頭の中で補わなければならない。

宮さんの前作『風立ちぬ』の主人公・堀越二郎も寡黙な人で、公開当時はやはり賛否両論だった。そのことについて下記事で論じた。

 ・ 想像力についての考察(「風立ちぬ」「桐島」そして「秒速5センチメートル」を巡って) 2013.08.23

自分が書いたものを10年ぶりに読み返し、映画『8 1/2』と結びつけて語っていたことに驚いた。すっかり忘れていたのだが、既に『風立ちぬ』の時点で宮崎駿のフェリーニ化現象に無意識のうちに気付いていたのだ。

『君たちはどう生きるか』を観た若い人が「さっぱり理解出来ない」=「詰まらない」と短絡的に思考する理由が僕にも良く判る。だって高校生のときに『8 1/2』を観た僕も全く同じだったから。だから決して諦めないで。これからも沢山の映画を観たり、小説を読んで学ぶ姿勢を持ち続ければ、いつかきっと君は次のフェーズにたどり着ける筈。それが「生きる」ということ。もし自分を磨かなければ……アホな大人になるだけだ。

『君たちはどう生きるか』の異世界は混沌としている。chaosだ。ユング心理学的に言えば集合的無意識に相当する。夢を見ているようなものだから、支離滅裂で論理的ではない。秩序をもたらすのは人の意識・自我である。

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さらに宮さんは〈集合的無意識≒アートの世界≒今まで自分が携わってきたアニメーション映画の総体〉と見なしている。メタファーに満ちているのでひとつひとつの記号(キャラクター・事物)が何を象徴しているのかじっくり考える必要がある。しかし世の中には見たまま、表面的にしか捉えない人々が少なからずいるので、「わけがわからない」「老いぼれたジジイの戯言だ」「退屈して途中で寝た」という感想になってしまう。そういう意味で、不親切な映画であることは確かだ。アートだから。

集合的無意識は時間や空間を超越する共時的世界だ(↔対義語は「通時的」)。過去・現在・未来が同時にそこにある。フェリーニは次のように語っている。

「我々は記憶において構成されている。我々は幼年期に、青年期に、老年期に、そして壮年期に同時に存在している。」

だから『君たちはどう生きるか』で大伯父が塔に入った時期と、少女時代の母が1年間神隠しにあった時期、そして眞人が入ったタイミングは何十年もかけ離れているのに、3人は共存出来るのだ。オーストラリアの先住民・アボリジニの思想〈ドリームタイム(夢の時)〉も同じこと。

 ・ アボリジニの概念〈ドリームタイム〉と深層心理学/量子力学/武満徹の音楽

面白いのは『ふしぎの国のアリス』同様、主人公は下に落ちて異世界に行く。まさに〈こころの深層に潜っていく〉イメージだ。ユング心理学に強い影響を受けた村上春樹の小説『ねじまき鳥クロニクル』で言えば〈深い井戸の底に下りて瞑想する〉ことに相当する(こちらも鳥だ!)。

『君たちはどう生きるか』の大伯父はユング心理学で言うところの集合的(家族的・文化的)無意識 Collective unconsciousの中にある、元型 Archetype のひとつ、老賢人(The Wise Old Man)である。少女時代の母ヒミや、キリコは太母(The Great Mother)。慈しみ、すべてを優しく包み込む良い母親像。育み、支え、成長と豊穣を促進する。母に似た夏子はアニマ(男性が抱く内なる女性像)と太母が融合した姿(心的複合体 Complex)。松本零士「銀河鉄道999」ではメーテルが相当する。ムッソリーニがモデルのインコ大王とその軍隊は影(シャドウ)、そしてサギ男(=鈴木プロデューサー)はトリックスターだ。

 ・ 〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その2〉太母・老賢人・子供・アニマ・アニムス・ペルソナ 2019.06.06
 ・ 〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その3〉影・トリックスター・ヌミノース 2019.06.07

ヒミとキリコは少量のを巧みに操り生活に役立てる。は文化の象徴であり、ギリシャ神話のトリックスター・プロメテウスが天上のを盗み、人類に与えた。しかし、過ぎたるは及ばざるが如し。大火は災いをもたらす。それは眞人の母を焼き尽くした火事の炎であり、『風の谷のナウシカ』で語られる火の七日間だ。勿論、東京大空襲や広島・長崎に落とされた原爆のメタファーとなっている。ことわざにもあるではないか、「馬鹿と鋏は使いよう」。

こうやって腑分けしていけば、そんなに難解な作品ではないでしょう?イマジネーションが溢れ出る、真っ当な傑作だと僕は思う。

人生は祭りだ、共に生きよう!」(E' una festa la vita, viviamola insieme! )  〜映画『8 1/2』より

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2023年7月22日 (土)

【考察】完全解読「君たちはどう生きるか」は宮﨑駿の「8 1/2」(フェデリコ・フェリーニ監督)だ!!

ネタバレ前提で語ります。ご注意ください。

 ・ 謎に包まれた宮崎駿監督の新作「君たちはどう生きるか」最速レビュー 2023.07.14

〈タイトルに込められた思い〉

本作は宮﨑駿(以下「宮さん」と呼ぶ)の「俺はこう生きた。君たちはどうするんだ」という我々観客、あるいは庵野秀明・細田守・新海誠ら後進のアニメーション作家に対する問いなのだろう。『君たちはどう生きるか』は1937年に刊行された吉野源三郎の小説で、映画の主人公・眞人がこの本を読み涙する場面はあるが、内容的にはほとんど関係がないと言って差し支えない(鈴木敏夫プロデューサーもそう断言している)。タイトルを拝借しただけ。むしろ筋書きは宮さんが帯に推薦文を書いたジョン・コナリー著『失われたものたちの本』(田内志文訳、創元推理文庫)に寄り添っている。鈴木プロデューサーは次のように語った。

「宮さんが一冊の本をぼくに提示した。『読んでみて下さい』。アイルランド人が書いた児童文学だった」(『スタジオジブリ物語』)

そして宮さんは『失われたものたちの本』に自分の体験を重ねた。彼は1941年東京生まれ。一族が経営する宮崎航空機製作所は数千人の従業員を擁したそう。太平洋戦争が始まり製作所が移転したために幼児期に家族で宇都宮に疎開し、小学校3年生まで暮らした。父の会社は零戦の風防(キャノピー:航空機の操縦席を覆う窓のこと)を作っていた。「戦争中なのに裕福だった」という。また彼が6歳のときから母は脊椎カリエス(結核菌が脊椎へ感染した病気)を患い、寝たきりの生活を送っていた。そんなある日「おかあさん、おんぶして」とねだると、「それは出来ないのよ」 と断られてしまう。そして次第に「本当に自分は母親に愛されているんだろうか」「自分は生まれてこなければ良かったんだじゃないか」と思い詰めるようになる。これらのエピソードが今回の映画に投影されている。つまり本作の主人公・眞人は少年時代の宮さんの分身である。

と同時に眞人の大伯父も現在の年老いた自己の分身と言える。映画に登場する異世界は大伯父が空から降ってきた飛行石と契約を結び(ハウルとカルシファーの関係を想起させる)創ったものという設定だ。異世界=大伯父の無意識・夢・願望の産物。そこに眞人やヒミ(眞人の母親の少女時代)、夏子(ヒミの妹/眞人の新しい母親)が現実逃避するための避難所・安全地帯という意味合いも重ねられ、心的複合体(complex)になっている。

〈『8 1/2』と宮﨑駿〉

〈大伯父=アーティスト=宮﨑駿〉と見立てれば、〈異世界=アート(imaginationの総体)=宮さんがこれまでに仲間たちと創造したアニメーション作品群〉となるだろう。つまり本作は宮﨑駿版『8 1/2』なのだ。

フェデリコ・フェリーニ監督『8 1/2』は1963年のイタリア映画。米アカデミー賞の外国語映画賞(現在の名称は国際長編映画賞)を受賞し、日本ではキネマ旬報ベストテンで外国語映画第1位に選出された。後世に多大な影響を与えた作品で、カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いたボブ・フォッシー監督『オール・ザット・ジャズ』や北野武『監督・ばんざい!』、ウディ・アレン『地球は女で回っている』も『8 1/2』の明白なパスティーシュである。こんな話だ。フェリーニの分身である映画監督グイドが主人公。新作映画を撮ろうとするグイドの混乱と焦燥、幻想、少年期の追想などが混沌とした状態で描かれる。8 1/2とは、本作がフェリーニが単独で監督した長編映画8作目であり、さらに処女作『寄席の脚光』がアルベルト・ラットゥアーダと共同監督だったため半分(1/2)とカウントしている。『8 1/2』は後にブロードウェイ・ミュージカル『NINE』に生まれ変わり、アカデミー作品賞を受賞した『シカゴ』や実写版『リトル・マーメイド』のロブ・マーシャル監督が映画化した。どうして半分(1/2)増えたかといえば、歌と踊りが加わったからである。

 ・ 城田優(主演)ミュージカル「NINE」 2020.12.10
 ・ ミュージカル映画「NINE」と冬季オリンピック 2010.03.22

2023年6月18日に放送されたTOKYO FM『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』〜「日本テレビとジブリ」についての座談会(その2)で、鈴木プロデューサーは宮﨑駿に『8 1/2』『魂のジュリエッタ』などフェリーニの映画を3本紹介したと語った。宮さんは最初から最後まで瞬き一つせず全部観た。そして観終わった瞬間「これ誰?俺と同じこと考えている奴がいる」と言った。

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大伯父が積む13個の積木は宮﨑駿が今までに監督したアニメーション映画のメタファーだというのが既に『君たちはどう生きるか』を観たレビュアーたちの一致した意見(consensus)だ。しかし『ルパン三世 カリオストロの城』から『君たちはどう生きるか』まで長編映画が12本。残る1本は?という点で意見が割れている。高畑勲が監督し宮さんが原作・脚本・画面設定を担当した『パンダコパンダ』を挙げる人、宮さんが監督した短編映画『On Your Mark』(上映時間6分48秒/『耳をすませば』と併映)、あるいは近藤喜文が監督し宮さんが製作・脚本・絵コンテ・主題歌『カントリー・ロード』の補作詞まで手掛けた『耳をすませば』だと言う人もいる。僕の見解を述べれば『8 1/2』的に数えると『On Your Mark』単独だと1/2〜1/10くらいにしかならないので、『On Your Mark』+『耳をすませば』で1本(あるいは脚本などで宮さんが関わった『借りぐらしのアリエッティ』や『コクリコ坂から』を加えても良いだろう)といった具合に、合わせ技・複合体(complex)としてカウントしているのではないだろうか?

〈サギ男とは何者か?〉

青鷺火(あおさぎび)という言葉がある。サギの体が夜間、青白く発光するという怪現象のことだ。つまりサギは人をあやかす存在である。

本作に於けるサギ男(青サギ)は現世と異世界を行き来するトリックスターの役割を果たす。いたずら者のトリックスターは境界に存在する。シェイクスピア『夏の夜の夢』の妖精パック、『ふしぎの国のアリス』の白うさぎ、『ピーターパン』のティンカーベル、『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラム、『古事記』『日本書紀』のスサノオ(須佐之男命)、ゲーテ『ファウスト』のメフィストフェレスなどが該当する。詳しくは下記事に書いた。

 ・ 〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その3〉影・トリックスター・ヌミノース 2019.06.07

サギ男とは、ズバリ鈴木敏夫プロデューサーのメタファーだろう。〈サギ=詐欺〉というダブルミーニングも含まれており、「俺は鈴木さんに騙されてこんな世界に飛び込んでしまった!」という思いもあるだろう。また大きな鼻は〈手塚治虫=その分身である『火の鳥』の猿田=お茶の水博士〉を連想させ、幼い頃強い影響を受けた手塚も多少入っているかも知れない(アニメーション作家としての手塚を宮さんは決して認めないが、先達であるという事実からは逃れられない)。

〈母の死因は空襲?それとも戦争と無関係な火事?〉

僕は劇中の会話に出てくる通り眞人の母は火事で死んだのだと思っていたのだが、映画のレビューに「空襲で死んだ」と書いている人が沢山いるので驚いた。上空を飛ぶ戦闘機なんか全く描かれていないし!

引越し先で眞人の父親がサイパン陥落の話をしているからその終結が1944年7月9日。東京都が空襲を受けるのは1944年11月24日から45年8月15日まで計106回。だから時期が合わない。故に空襲による火災ではないだろう。

〈ダンテ『神曲』再び〉

眞人は大伯父が残した塔に入り、そこが異世界に繋がっているのだが、塔の入り口に"FECEMI LA DIVINA POTESTATE"と文字が刻まれている。これはダンテ『神曲』の地獄の門に書かれた碑文の一部であり、"LA SOMMA SAPIENZA E 'L PRIMO AMORE."と続く。〈聖なる威力(神威)、比類なき叡智、そして原初の愛は、わたしを創った〉という意味。映画に登場する文だけ抜き取ると〈聖なる威力はわたしを創った〉となる。物語上、聖なる威力とは飛行石のことである。しかし、この世界には愛が欠けている

ダンテの『神曲』は宮さんが引退詐欺をしでかした『風立ちぬ』でも引用されている。『神曲』は地獄篇・煉獄篇・天国篇の3部から成る。煉獄とは地獄と天国の間にある世界。『風立ちぬ』のラストシーンで堀越二郎(=ダンテ)はカプローニ(=詩人ウェルギリウス)と一緒に煉獄にいる。そこに天国から菜穂子(=ベアトリーチェ)が現れる。絵コンテで彼女は「来て」と言うが、鈴木プロデューサーと庵野秀明の意見を聞き入れ最終的に「生きて」に変わった。

『君たちはどう生きるか』の異世界も地獄から始まり、眞人は大伯父のいる天国まで上って行く。案内役のサギ男=ウェルギウスであり、若き日の母ヒミ=ベアトリーチェだ。

〈薔薇が象徴するもの〉

眞人が幽霊塔に入ると最上階に大伯父が現れ、一輪の薔薇の花が落ちてきて砕け散る。『美女と野獣』のように薔薇は魔法を象徴し、魔法の効力が尽きようとしていると読み解くことが出来る。こちらは凡庸な解釈

もうひとつの可能性は不朽の名作オーソン・ウェルズ監督『市民ケーン』の主人公が死に際に呟く言葉“薔薇の蕾”(Rose Bud)だ。映画のラストシーンでRose Budとはケーンが幼少期に遊んでいた雪橇(そり)に書かれていた絵であることが明らかにされる。それはかけがいのない大切な思い出(彼はその後無理矢理両親から引き離される)。宮さんの記憶に直結している。

Rosebud

〈「我を学ぶものは死す」の意味〉

異世界にある墓の門には「我を学ぶものは死す」と書かれている。絵手紙の創始者・小池邦夫が、師匠の洋画家・中川一政(かずまさ)(1893~1991)から貰った言葉。俺の言う通りにしていたら「亜流・中川」で終わるぞという警鐘だ。息子・宮崎吾朗の初監督作品『ゲド戦記』の試写を観終えた宮さんは鈴木プロデューサーにそっと、こうぼやいた。「(俺の)真似するんなら、元が分かんないようにやれ」

〈インコ大王〉

異世界の恐らく煉獄に相当する場所に、人を食うインコの集団が生活している。そのリーダーがインコ大王(声:國村隼)だ。インコの群衆は「DUCH」と書かれたプラカードを掲げ、大王を讃える。イタリア読みをすれば「ドゥーク」(CHは[k]の音/カ行の子音)。恐らく〈インコの軍隊=ファシスト党〉〈インコ大王=ムッソリーニ〉のメタファーだろう。イタリアの独裁者ムッソリーニは「DUCE(ドゥーチェ)」と呼ばれた。日本語では「統帥(とうすい)/総統/国家指導者」と訳される。

Duce

宮さんの『の豚』の主人公ポルコ・ロッソはイタリア共産党員として描かれており(だからなのだ)、アドリア海を舞台に、敵対するファシスト党との攻防戦が展開される。ダンテ − ムッソリーニ − フェリーニ。イタリア繋がりだ。ついでに言えば『風立ちぬ』に登場するジョヴァンニ・バッティスタ・カプローニもイタリアの航空技術者。

〈死んだ妻の妹と再婚するのは変か?〉

本作を観た観客の多くがこのことに違和感を覚えているようだ。

「出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」によると1940年の見合い結婚率は69.0%、恋愛結婚率は13.4%だった。それが2015年には見合い結婚率が5.5%、恋愛結婚率が87.7%になった(詳しくはこちら)。つまり現在と異なり、戦時下では恋愛結婚のほうが珍しかった。男と女は「家(一族)」を守るために婚姻を結んだ。例えば夫が戦死したために、未亡人がその弟と再婚させられることはしばしばあった。いわば政略結婚である。

〈キリコのモデル〉

異世界で喧嘩ばかりしていた眞人とサギ男はキリコの仲介で和解する。キリコのモデルは『太陽の王子 ホルスの大冒険』から『風立ちぬ』まで宮崎駿を支えた、色彩設定の保田道世(1939-2016)だと鈴木プロデューサーはラジオで明言している。宮さんは彼女のことを「戦友」と評した。またキリコという名前は『失われたものたちの本』で主人公を助ける“木こり”のアナグラムになっている。

〈生まれ変わり〉

〈ワラワラ〉が子どもとして生まれるために昇天する様子を見ながらキリコは「いっぱい食べさてやれて良かった」と言い、涙を流す。僕が想像するに、〈ワラワラ〉の前世はひもじくて餓死した子どもたちだったのではないだろうか?『火垂るの墓』の節子のように。

キリコの着物の柄は輪廻転生を象徴している。アニメ『魔法少女まどかマギカ』における円環の理(ことわり)ね。

なお『君たちはどう生きるか』から宮さんは名字の宮崎をからに改名している。つまり「俺は〈ワラワラ〉みたいに生まれ変わった。まだまだやるぞ~」という決意表明だ。もう既に次回作の企画書を鈴木プロデューサーに提出したらしい。終わらない人 宮﨑駿。

  【考察】なぜ「君たちはどう生きるか」は評価が真っ二つなのか?/ユング心理学で宮﨑駿のこころの深層を読み解く

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2023年7月14日 (金)

謎に包まれた宮崎駿監督の新作「君たちはどう生きるか」最速レビュー

7月14日(金)宮崎駿監督「君たちはどう生きるか」が遂に公開された。引退詐欺の「風立ちぬ」公開が2013年7月20日だから10年ぶりの新作である。

 ・ 宮崎駿監督「風立ちぬ」批判に徹底反論する(堀辰雄「菜穂子」を通して) 2013.08.19
 ・ 宮崎駿「風立ちぬ」とモネの「日傘を差す女」 2013.08.21
 ・ 
想像力についての考察(「風立ちぬ」「桐島」そして「秒速5センチメートル」を巡って) 2013.08.23
 ・ 
宮崎駿「風立ちぬ」とエリア・カザン~ピラミッドのある世界とない世界の選択について 2013.08.28

評価:A+

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公開前宣伝一切なし。予告編なし。ポスターの絵一枚だけ。どんな物語かすら分からない。異例ずくめである。公開後も当面パンフレットを売らないそうで、徹底した秘密主義が貫かれている(パンフレットに写真を載せないわけにはいかないし、そこからネット上に拡散されるのを防ぐ狙いだろう)。

これまでのスタジオジブリ作品で採られていた複数の企業が出資する映画製作委員会方式(例えば「千と千尋の神隠し」では徳間書店・スタジオジブリ・日本テレビ・電通・ディズニー・東北新社・三菱商事が組んだ)ではなく、 ジブリの単独出資で製作されている。大胆な賭けに出たリスクは全てスタジオが負い、自己責任を果たすいうことだ。

作画監督はこれまで「千年女優」や「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」を手掛けてきた本田雄(ほんだたけし)。当初本田は「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の作画監督に内定していたが、鈴木敏夫プロデューサーが庵野秀明監督に直談判しジブリに引っ張ってきたらしい。三鷹の森ジブリ美術館の「土星座」で上映された宮崎監督の短編「毛虫のボロ」でも作画監督を務めた。

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以下、あらすじを含め何を語ってもネタバレになる。

 

心の準備はよろしいか?

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冒頭、主人公の少年の着ている衣服が「風立ちぬ」に近かったので面食らう。やがて設定が第二次世界大戦中の日本だと分かってきて、ありゃりゃ、零戦の設計者・堀越二郎が生きた時代じゃないかと思った。疎開先のお屋敷に零戦の操縦席に取り付ける防風ガラスと思しきものが運び込まれる場面もある(宮崎駿の父親は零戦を製作していた中島飛行機に部品を納入していた)。鈴木プロデューサーの話では“冒険活劇ファンタジー”だった筈では??と疑問符がグルグル頭を回り始める。そこから急転直下、事態は大きく動いた。

主人公が異世界に行き、戻ってくるので物語の基本構造は「千と千尋の神隠し」に似ている。そこに「天空の城ラピュタ」の飛行石みたいな物体が出てきて、ヒロインの少女は火を操るので「ハウルの動く城」の悪魔カルシファーだし、彼女の格好はまるで「不思議の国のアリス」(アリス同様、主人公は落ちて異世界に行く)。そして主人公を食べようとするインコの集団はアリスに飛びかかるトランプみたい。可愛らしい生き物〈ワラワラ〉は「もののけ姫」の〈こだま(木霊)〉で、死者が船を漕ぐ場面は「崖の上のポニョ」。「ハウルの動く城」に出てくるそれぞれ別の空間につながる扉みたいなものもある。「眠れる森の美女」がいて、七人の老婆は「白雪姫」を見守る小人たちだ(ビリー・ワイルダーが脚本を書いたハワード・ホークス監督「教授と美女」を思い出した)。さらに宮崎駿が愛してやまない江戸川乱歩の「幽霊塔」やフランスのアニメーション映画「王と鳥(やぶにらみの暴君)」(アンデルセン原作/ポール・グリモー監督)スイス出身の画家アルノルト・ベックリンの代表作「死の島」もぶち込まれている。

Ghost

Tori

Death

あとポスターで描かれた鳥人間はハウルであり、「千と千尋の神隠し」で湯婆婆に仕えている湯バード(身体はカラスで顔が湯婆婆)ね。それと都会に住んでいた父と子が田舎に引っ越してくるのと、木のトンネルをくぐり抜けるのは「となりのトトロ」。

これは間違いなく宮崎アニメの集大成であり、かつ様々なファンタジー作品のガジェットがてんこ盛りにされている。

イマジネーションの飛翔、迸るイメージの奔流に圧倒された。掛け値なしの傑作。

ただ映画の上映が終わり場内が明るくなると「難しかったね」「もう1回観ないとよくわからない」というカップルの声が聞こえてきた。そういう感想も少なくないのかも知れない。

音楽が久石譲で主題歌が米津玄師という組み合わせはアニメーション映画「海獣の子供」と同じ座組だ。ただ米津に白羽の矢が当たったのは宮崎駿がたまたまラジオで「パプリカ」を聴いて気に入ったかららしい。

 ・ 大切なことは言葉にならない〜【考察】映画「海獣の子供」をどう読むか? 2019.06.22

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2023年6月 2日 (金)

【考察】空耳力が半端ない!YOASOBI「アイドル」英語版/「推しの子」黒川あかねの覚醒

こちら↓も併せてお読みください。

 ・ 【考察】全世界で話題沸騰!「推しの子」とYOASOBI「アイドル」、45510、「レベッカ」、「ゴドーを待ちながら」、そしてユング心理学

ヒットチャートを爆走中のテレビ・アニメ『推しの子』主題歌・YOASOBI『アイドル』英語版“Idol”を聴きながら、テレビ朝日系列の深夜バラエティ番組『タモリ倶楽部』の名物コーナーだった“空耳アワー”を思い出した。多分多くの人が同じ感覚を味わったのではないだろうか?試聴はこちら

Idol

具体例を挙げよう。“that emotion”の箇所が「誰も」にしか聞こえない。また“Damn it !”というスラングがあり、「ちくしょう!」「くそ!」といった意味。これを短縮すると“dammit”になる。『アイドル』の中で “dammit,dammit” と連呼されるのだが、これが「ダメダメ」に聞こえるといった具合。逆に英語版の後に日本語版を聴くと、「誰も」 が“that emotion” に聞こえるという摩訶不思議な体験が味わえる。訳詞を担当したKonnie Aokiは凄腕だ。

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ネタバレ警告!以下、アニメ第七話の内容について触れます。

番組をご覧になった後にお読みください。

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アニメ『推しの子』第七話【バズ】は視聴者から「第一話に匹敵する神回!」と称賛された。僕も最後に黒川あかねが覚醒する姿を観て鳥肌が立った。

あかねは劇団「ララライ」に所属し女優として活動する高校2年生。子役時代は劇団「あじさい」に所属していた。これは間違いなく劇団ひまわりのパロディで、「ひまわり」が8月、太陽の季節なら「あじさい」は6月の雨。しっとり濡れた感じがあかねのイメージに相応しい。

第七話の最後に、ファンの手で殺された星野アイ(自称“歌い踊り舞う私はマリア”)が黒川あかねを依代(よりしろ)に降臨するわけだが、つまりあかねは巫女(日本の東北地方北部ではイタコと呼ばれる)の役割を果たしていると言えるだろう。

あるいは、あかねが憑依型の女優であるという解釈も可能なわけで、僕は美内すずえの漫画 『ガラスの仮面』で泥まんじゅうを食べた北島マヤのことを真っ先に思い出した。ネットの評判の中にも「黒川あかね、おそろしい子」というのがあり大爆笑。往年の大女優・月影千草が、当時中学生だった北島マヤの才能を見出した時の台詞である。ガラ仮面を連想したのが僕だけではなかったと分かり、嬉しかった。

考えてみればアイドル(偶像)とファンの関係って、宗教に似ている。「神曲」とか「布教活動」「お布施」といったオタク用語もそのままズバリだ。アイを刺殺した男も彼女を愛していた訳で、イエス・キリストとユダの関係に置き換えることが出来るだろう。ユダがイエスを裏切った後、絶望し自殺したのも符合する。

死者が生者を支配する世界。『推しの子』はますますダフニ・デュ・モーリエ(著)『レベッカ』の様相を帯びてきた。また男(アクア)の好みに合わせて死んだ女(アイ)を蘇らせるという意味ではアルフレッド・ヒッチコック監督の映画『めまい』も彷彿とさせる。そういえば『レベッカ』もヒッチコックが映画化しており、両者が似通った構造を持っていることを『推しの子』を通じて初めて気付かされた次第である。恐れ入りました、感服です。

今まで有馬かな“推し”だったのだが、黒川あかねに“推し変”しそうな自分が怖い。

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2023年5月20日 (土)

【考察】全世界で話題沸騰!「推しの子」とYOASOBI「アイドル」、45510、「レベッカ」、「ゴドーを待ちながら」、そしてユング心理学

赤坂アカ(原作)横槍メンゴ(作画)による『推しの子』がTVアニメになり、世界を席巻している。

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兎に角、初回放送90分というのが前代未聞で凄まじいインパクトをもたらした。またYOASOBIによる主題歌『アイドル』の破壊力が半端ない。この音楽ユニットは元々、小説を音楽にするプロジェクトから誕生したそうで、『アイドル』の歌詞も赤坂アカが書き下ろし、アニメ放送直前に公開された小説『45510』に基づいている。この短編の完成度の高さが超弩級で舌を巻く。

『アイドル』は配信直後から異次元ヒットを飛ばしており、ストリーミング再生数がダントツの首位、週前半3日間の集計で再生数が1000万回を超えるのはBTSの『Butter』以来、史上2曲目となる快挙だそう 。海外のチャートにも既に多数ランクイン。ビルボードのグローバルチャート「Global200」では14位を獲得したという。

『推しの子』を見始めて最初に気付いたのは、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画化でも名高いイギリスのダフニ・デュ・モーリエが書いた小説『レベッカ』と物語の構造が似ているということ。登場人物の多く(アクア、ルビー、有馬かな、斉藤みやこ etc.)が死んだアイ(アイドルグループ「B小町」のセンター)の面影にいつまでも囚われている。『レベッカ』が描くのも死者に支配された世界だ。タイトルロールのレベッカが全く登場しない構成も凄い。全ては人々の記憶で語られる。

『レベッカ』の着想にインスパイアされたと考えられる作品にノーベル文学賞を受賞したアイルランドの作家サミュエル・ベケットによる20世紀を代表する戯曲『ゴドーを待ちながら』と、直木賞作家・朝井リョウの小説『桐島、部活やめるってよ』(小説すばる新人賞受賞、映画も傑作)が挙げられる。

 ・「ゴドーを待ちながら」@京都造形芸術大学 2017.09.12

登場人物たちがしきりにゴドーや桐島のうわさ話をするが、当の本人は最後まで現れない。ゴドー/桐島=イエス・キリスト(神)と解釈することも可能だ。観客/読者が可視出来る人々はその信者というわけ。『アイドル』の歌詞に「歌い踊り舞う私はマリア」とある。つまりアクアもルビーも聖母マリアを信仰している。

しかしアイは平気で嘘をつき、「嘘は私なりの愛だ」と宣言する。彼女は単なる聖女ではなくサタン・魔女としての側面も持つ。だからゴドーや桐島よりも、腹黒いレベッカの方が性格的に近いと言える。アイは聖母マリアであると同時に、マグダラのマリア(罪深い女)でもあるのだ。その二面性にヲタは惹きつけられる。

YOASOBIの『アイドル』は冒頭に合唱が登場した瞬間から禍々しい黒ミサの様相を帯びてくる。

Oh, my Savior, oh, my saving grace

アカデミー作曲賞を受賞したジェリー・ゴールドスミス作曲、映画『オーメン』の主題歌「アヴェ・サタニ(Ave Satani )」に近い雰囲気がある。アヴェ・マリアをサタンに置き換えたもの。

と同時にMIX(AKB48などのライブにおいて、前奏や間奏にファンが叫ぶ掛け声のこと)が入り、アイドル・ソングとしても完璧。大いに盛り上がり、興奮はMAXに。

そしてBパートで、手記『45510』を書いた(主観「私」)と思しきBさんが登場。全力で悪意を噴出し、あたりかまわず撒き散らす。

さらに曲の後半「愛してるって嘘で積むキャリア」と歌う所でボレロのリズムになるのが悪夢のようでまたいい。断頭台への行進みたい。作詞・作曲のAyaseは天才だ!!

ikuraの歌い方がいつもと違い、声の加工も初音ミクを彷彿とさせるボーカロイド風に仕上がっている。本心を表に見せないアイにぴったりだ。AyaseはボカロPとして活躍していた時代もあり、確信犯だろう。

アイのモデルは誰だろう?真っ先に思い浮かぶのが九州・福岡県のアイドルグループRev. from DVLの絶対的センターだった橋本環奈。ファンが撮った「奇跡の一枚」と呼ばれる写真が全国的人気に押し上げるが、グループ解散まで彼女が原点を見捨てることはなかった。ハシカンは赤坂アカの『かぐや様は告らせたい』実写映画で主演を努めており、原作者が彼女のことを念頭に置かなかった筈はない。次にAKB48初の東京ドームコンサートで卒業した前田敦子、当時20歳。あっちゃんのボブの髪型は“重曹を舐める天才子役”有馬かなに゙継承されている。そして『欅坂46』孤高のセンター・平手友梨奈。巫女の役割も果たした“てち”には握手会での襲撃未遂事件があった(2017年6月24日@幕張メッセ)。アイドルがファンに襲われた事件としてAKB48川栄李奈と入山杏奈のケースもある(2014年5月25日の握手会@岩手県滝沢市)。

アイは「誰かに愛されたことも誰かのこと愛したこともない」と言う。これは施設で育った彼女の〈愛着障害〉を示している。親に愛されなかった子供は自己肯定感が低く、自分すら愛すことが出来ずリストカットなど自傷行為に及ぶことがある。「痛み」によって初めて「生の実感」を得るのだ。

「嘘=愛」はユング心理学においてペルソナ(仮面)と表現される。人は幾つもの仮面を持っている。家庭で見せる顔と、職場で見せる顔が違うのは当たり前。「どれが本物?」と問われても、誰も答えることは出来ないだろう。嘘はこの過酷な世界を生き抜くための盾・防壁だ。『アイドル』のMVでアイがウサギの着ぐるみを脱ぐ場面がある。あれはペルソナ(仮面)を外すことと同義と言えるだろう。

 ・〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その2〉太母・老賢人・子供・アニマ・アニムス・ペルソナ 2019.06.06

またアニメの第6話『エゴサーチ』において、「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」というニーチェの著書『善悪の彼岸』からの引用も深いなと思った。

まだまだ回収されていない伏線は多い。どうして産婦人科医ゴローの死体は発見されていないに彼の葬式は執り行われたのか?そもそも入院患者をほっぽらかして主治医が失踪したら捜索願いが出されるだろうし、警察が病院近くの崖から転落した可能性を考えない筈はない。山狩りは必ず行われるだろう。それにスマホの電源が生きていれば大まかな位置情報を特定出来る。仮に獣が死体を運んだとしても血痕は残る。どう考えても不自然だ。これらの謎が解明される日を楽しみに待とう。

余談だが梅田隆司(総監督)/大阪桐蔭高等学校吹奏楽部の演奏する『アイドル』が素晴らしい(動画はこちら)。特にサイリュームの使い方!!この楽団はYOASOBIの『ラブレター』(オフィシャルMVはこちら)に参加していて、けだし名曲。誰に対する手紙か判明したとき、心打たれない者はいないだろう。梅田先生、今年は甲子園でも『アイドル』を絶対聴かせてくださいね。

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2023年5月16日 (火)

「たぶんこれ銀河鉄道の夜」大阪・大千秋楽公演

4月16日(日)サンケイホールブリーゼ@大阪市へ。『たぶんこれ銀河鉄道の夜』を観劇した。大千秋楽公演でライヴ配信もされたようだ。

Milky

脚本・演出は京都を本拠地とする劇団「ヨーロッパ企画」の上田誠。出演は久保田紗友、田村真佑(乃木坂46)、お笑いコンビ「かもめんたる」の岩崎う大、槙尾ユウスケほか。ヨーロッパ企画からも藤谷理子、石田剛太、土佐和成、中川晴樹の4人が参加した。

ヨーロッパ企画の存在を初めて知ったのは瑛太、上野樹里らが出演した映画『サマータイムマシン・ブルース』だ。原作となった戯曲を書いた上田誠が引き続き脚色を担当。軽やかでめっちゃ面白かった!喜劇作家として上田は三谷幸喜に匹敵する才能がある。

次に森見登美彦(原作)上田誠(脚色)湯浅政明(監督)のテレビ・アニメ『四畳半神話大系』も途轍もない傑作で舌を巻いた。同じ座組によるアニメ映画『夜は短し歩けよ乙女』も文句なし。

 ・ 面白きことは良きことなり!/アニメーション映画「夜は短し歩けよ乙女」 2017.04.11

ただし、『サマータイムマシン・ブルース』と『四畳半神話大系』がコラボしたテレビ・アニメ『四畳半タイムマシンブルース』は退屈な駄作。監督が夏目真悟に交代したことが一因ではないかと考える。

そんなこんなでヨーロッパ企画の舞台は一度観なければと長年、思いを募らせてきた。

そしてそもそも僕は宮沢賢治の小説『銀河鉄道の夜』が大好きで、杉井ギサブロー監督によるアニメーション映画も観たし、勿論そのパスティーシュ『銀河鉄道999』も然り。梅田隆司/大阪桐蔭高等学校吹奏楽部が定期演奏会で上演したミュージカル『銀河鉄道の夜』にも心打たれた。

 ・ 大阪桐蔭高等学校吹奏楽部 定演/ミュージカル「銀河鉄道の夜」〜宮沢賢治の深層心理にダイブする。 2017.02.21

あと『少女革命ウテナ』で世界の少女たちを震撼させた幾原邦彦監督が10年ぶりに世に問うたテレビ・アニメ『輪るピングドラム』はアニメーション史上燦然と輝く金字塔だと信じて疑わないが、これも『銀河鉄道の夜』を下敷きにした作品だ(『ピンドラ』では村上春樹の短編小説『カエルくん、東京を救う』も重要な役割を果たす)。閑話休題。

さて、『たぶんこれ銀河鉄道の夜』は大いに気に入った!劇中歌14曲を上田が作曲し、総ての歌詞は「銀河鉄道の夜」からそのまま引用されている。たぶんこれミュージカル。ポエトリーラップを取り入れた手法も新鮮だった。

ブルーレイ発売が決まっており、早速予約しちゃいました。

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2022年11月30日 (水)

【考察】文化人類学者レヴィ=ストロース的視座(構造)から見た新海誠監督「すずめの戸締まり」

フランスの文化人類学者レヴィ=ストロースは「神話通時的であると同時に、共時的に読める」と述べている。共時的とは、〈過去・現在・未来は同時にここにある〉とする考え方だ。

さらに著書〈神話論理〉四部作の中で彼は「神話とは自然から文化への移行を語るものであり、神話の目的はただ一つの問題、すなわち連続不連続のあいだの調停である」と説く。

「すずめの戸締まり」には次のような二項対立がある。

 〈常世(とこよ):死者の世界〉↔〈現世(うつしよ):生者の世界〉

これぞ正に

 連続 ↔ 不連続

の対立である。人は死ぬ。人生は無常であり、『平家物語』で言うところの生者必滅の理(しょうじゃひつめつのことわり)だ。

Utsu

〈現世(うつしよ)〉は平安時代に〈浮世(うきよ)〉と言った。〈常世(とこよ)〉は永遠に変わらない恒常的世界であり、〈浮世〉は水の流れや波のまにまにふわふわ漂い、常に変化する世の中という意味。万物は流転する。仏教的厭世感から、〈憂(う)き世〉という表記が本来の形で、「つらいことが多い世の中」のこと。地震の多い現在の日本も〈憂き世〉だし、それは平安時代の人々が抱いていた末法思想にも繋がっている。末法元年である1052年に創建されたのが宇治平等院だ。詳しくは下記事をお読み頂きたい。

 ・【考察】映画「天気の子」を超ディープに味わうための、7つの事項(新海誠と村上春樹) 2019.07.19

また〈うつしよ〉は〈写し世〉のダブル・ミーニングとも解釈可能だろう。影のようなものだから実体がなく、定まらずゆらいでいる。

江戸川乱歩はしばしば色紙に「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」と書いた。我々が生きている時空間は〈高次元世界=常世〉の投影に過ぎず、夢を見ているときこそが本当の世界、うつつというわけだ。

〈常世〉について『すずめの戸締まり』の草太は「すべての時間が同時にある場所」と説明する。正に〈過去・現在・未来が同時に存在する〉共時的時空間ということだ。

一方で〈現世〉は過去→現在→未来と直線的に時間が進む通時的世界であり、ドイツの哲学者ヘーゲルは歴史を振り返ると世界や人間は弁証法的なやり方で日々成長・発展していると説いた。それを受けて20世紀フランスの哲学者サルトルは「ヘーゲルは正しい。合理的精神・理性を持って、進歩し続ける歴史に積極的に参加(engagement アンガージュマン)すれば、我々は素晴らしい世界に到達出来る」と主張した。

サルトルに対して、それはあくまで西洋中心主義的価値観(啓蒙思想)に基づく主観的で傲慢な物言いであり、単なる幻想に過ぎないと徹底批判したのがレヴィ=ストロースの著書『野生の思考』(1962年刊)である(そもそも歴史が人類の進歩の記録なのであれば、20世紀にアドルフ・ヒトラーやヨシフ・スターリン、21世紀にドナルド・トランプやウラジーミル・プーチンのような人物が現れ、彼らを支持する人々が少なくないという事実は完全に矛盾しているではないか!閑話休題)。

 ・レヴィ=ストロース「野生の思考」と神話の構造分析 2018.03.24

庵野秀明(企画・脚本)の映画『シン・ウルトラマン』で、神永(=ウルトラマン)が『野生の思考』を読んでいる場面が登場するのはご存知の通り(特報でも確認出来る)。

新海誠(著)『小説 すずめの戸締まり』で草太の祖父は次のように言う。「常世は見る人によってその姿を変える。人の魂の数だけ常世は在り、同時に、それらは全てひとつのもの」

これはユング心理学で言うところの〈個人的無意識〉と〈集合的無意識〉に相当するだろう。

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レヴィ=ストロースに話を戻そう。『すずめの戸締まり』において、

 連続 ↔ 不連続

の境界を超え循環(行き来)し、調停するトリックスターの役割を果たすのはダイジンである。

トリックスターは悪賢い冗談や、ひどい悪戯を好み、姿を変える力がある。完全に負の英雄だが、その愚かさによって、他の者が一生懸命努力しても達成出来なかったことを軽々と成し遂げてしまう。トリックスター・イメージの活性化は、惨禍が生じたこと、もしくは危険な状況が生じていることを意味する。

 ・〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その3〉影・トリックスター・ヌミノース 

また『すずめの戸締まり』には次のような二項対立もある。

 〈環は4歳のすずめに「うちの子になろう」と言う(親族の肯定)〉↔〈17歳のすずめは叔母を「環さん」とよそよそしく呼び、「おばさん弁当」を口にしない(親族の否定)〉

 〈すずめはやせ細った猫に「うちの子になる?」と言う(親族の肯定)〉↔〈ダイジンは草太に「おまえはじゃま」と言い、3本足の椅子に閉じ込める(親族/仲間意識の否定)〉

 〈要石は氷のように冷たい〉↔〈ミミズは火のように熱い〉

 〈草太は暴れるミミズを要石で鎮める(怪物退治ー英雄ー過大評価)〉↔〈草太は3本脚の椅子に閉じ込められ上手く走れない(不具ー過小評価)〉

さて、主人公の名前・岩戸鈴芽(いわとすずめ)は『古事記』『日本書紀』に登場する天の岩戸(あまのいわと)伝説のアメノウズメ由来であることは既に下記事に書いた。

 ・新海誠監督「すずめの戸締まり」のなりふり構わぬ宣伝戦略/【考察】「すずめ」とは何者か?

繰り返しになるが伝説の内容はこうだ。弟・須佐之男(スサノオ)の狼藉にショックを受けた天照大御神(アマテラスオオミカミ)は天岩戸に引き篭った。天照=太陽神が隠れたために高天原(たかまがはら=天上界)も葦原中国(あしはらのなかつくに=地上の人間が住む世界)も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した。そこで天照を引張り出そうと天宇受売命/天鈿女命(アメノウズメ)が胸をさらけ出して踊ったところ、八百万の神が一斉に笑った。これを聞いた天照は訝しんで天岩戸の扉を少し開け、 隠れていた天手力男神がその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。

この神話には次にような二項対立がある。

 〈岩戸が開く:世界が太陽で照らされ平和な状態〉↔〈岩戸が閉じる:世界が闇に閉ざされ禍(まが)が発生する〉

一方、『すずめの戸締まり』の場合はこうだ。

 〈扉が閉じる:世界が平和な状態〉↔〈扉が開く:中から災厄(ミミズ)が飛び出し地震が発生する〉

つまり〈扉を開く〉↔〈閉じる〉という行為は反転しているが、二項対立間(左右)の関係性は同じであり、これを「同じ構造を持っている」と言う。そしてレヴィ=ストロースは〈開く〉↔〈閉じる〉の反転を「変換」と表現している。お判りいただけただろうか?

 ・【考察】超マニアック講座! 新海誠監督「すずめの戸締まり」をめぐる12の事項

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2022年11月26日 (土)

【考察】超マニアック講座! 新海誠監督「すずめの戸締まり」をめぐる12の事項

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以下ネタバレ前提で書いたので、『すずめの戸締まり』を未見の方は要注意。

1) 主題歌「すずめ」解題

(作詞・作曲)野田洋次郎すずめ feat.十明」歌詞の冒頭部はそんなに難しくない。

君の中にある 赤と青き線
それらが結ばれるのは 心の臓

き線は言うまでもなく動脈静脈のこと。ここで『君の名は。』のテーマである「結び」が登場する。肺静脈血は心臓を経て大動脈血に、大静脈血は肺動脈血になる。問題はこの後だ。

時はまくらぎ 風はにきはだ 星はうぶすな 人はかげろう

「にきはだ(和肌/柔膚)」は柔らかい肌のこと。フランソワ・トリュフォー監督に同名の映画があり、フランス語で"La Peau douce"という。

「うぶすな(産土)」は①その人の生まれた土地。②「産土神(うぶすながみ)」の略。「産土神」とは、その人が生まれた土地の守護神を指す。

「星はうぶすな」という歌詞は〈パンスペルミア説〉に由来する。『君の名は。』は間違いなく五十嵐大介の漫画『海獣の子供』の影響を受けているのだが、『海獣の子供』も〈パンペルミア説〉に基づいている。地球の生命の起源は地球ではなく、他の天体で発生した微生物の芽胞が(隕石と共に)地球に到達したものとする仮説。ギリシャ語でパン=汎(すべて)+スペールノ(種をまく)を意味し、〈胚種広布説〉とも邦訳される。紀元前5世紀に活躍した古代ギリシャの自然哲学者アナクサゴラスの提唱した概念、スペルマタ(種子:最も微小な物質の構成要素)にその起源を辿ることが出来る。『君の名は。』のティアマト彗星は1,200年周期で地球のそばを通過し、その度に分裂して地球に片割れを残していくわけだが、我々人類の種もそれにくっついてこの星にやって来たのかも知れない。

なお、庵野秀明『新世紀エヴァンゲリオン』も〈パンスペルミア説〉に立脚しており、黒き月に乗ってリリスが地球にやって来てファースト・インパクトを引き起し、リリスからリリン=人間が生まれた。

「まくらぎ(枕木)」は鉄道のレールの下に横に敷き並べる部材。古くは木材が用いられた。僕はこの歌詞から大村陽子(1956- )の歌集『砂がこぼれて』に収載されている、ある短歌を想い出した。

枕木の数ほどの日を生きてきて愛する人に出会はぬ不思議

つまり作者の視点・主観は走る電車上(乗客)にある。眼の前を、枕木がどんどん通過していく。「時はまくらぎ」とは、〈通り過ぎてゆく枕木ひとつひとつ=一瞬の時間〉ということだ。〈枕木一つ=プランク時間〉と考えても良いだろう。プランク時間とは量子力学における時間の最小単位のこと。時間は連続的に流れるのではなく、非常に短い「静止した時間」(=プランク時間)がパラパラ漫画のように次々と現れていることを意味する。

2) 蝶々結びとブレスレット

『君の名は。』の三葉は繰り返し蝶々結びをする。すずめの制服のひもリボンも蝶々結びだ。Radwimpsの野田洋次郎がAimerに楽曲提供した「蝶々結び」という歌があり、元々『君の名は。』のために用意されていた楽曲ではないかと僕は推定している。

また『君の名は。』の瀧は組紐のブレスレットをしている。すずめも左手に赤と黄色のブレスレット(ミサンガ?)をしている。これはポスターでも確認出来る。

Suzume

3) 二匹の蝶

冒頭、夢から覚めたすずめに二匹の蝶がまとわりついていた。そして常世(とこよ)にて幼少期の自分自身と出会ったラストでも、そばに二匹の蝶がピッタリ寄り添っている。

僕にはこの蝶は静謐な常世(死後の世界)の象徴のように思える。中原中也の詩『一つのメルヘン』のように。あるいは〈胡蝶の夢〉という故事があり、夢と現実の区別がつかない状態をいう。すずめも常世と現世(うつしよ)を行き来することが出来る。

なお、新海監督の作品には二羽(つがい)で飛ぶ鳥が繰り返し出てくる。『秒速5センチメートル』しかり、『君の名は。』しかり。『すずめの戸締まり」冒頭、すずめと草太の出会いの場面でも上空を二羽の鳶が飛んでいた。一人っきりで飛ぶのはあんまり寂しいもの。

二匹の蝶は死んだ父親と母親なのではないかという説が巷で出回っているが僕は同意しかねる。本作において父親は重要ではない。四歳のすずめと十七歳のすずめを表しているのかも知れないし、すずめのなかに母が生きている(ふたりでひとり)と解釈することも可能だろう。

4) 他者の夢の中へ入っていく

新海誠監督の作品の大きな特徴は「他者の夢の中に入っていく」という描写があること。『君の名は。』もそうだし、『すずめの戸締まり』のすずめも映画後半で草太の夢の中に入っていく。これは稀有なことであり、他の日本の映画監督の作品では滅多にお目にかかれない。

『君の名は。』の企画の原点には小野小町が詠んだ和歌にあった。

思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを

平安時代の人々は夢に人が現れるのは、その人が自分の事を思っているからだ」と解釈した。現代のフロイト的深層心理学の考え方と真逆である。つまり「真剣にある人のことを思えば、その人の夢の中に入っていける」というのが新海的思考なのである。今回の新作では井上陽水の歌う『夢の中へ』が流れるのが象徴的だ。最初に「探しものは何ですか?」と君に問いかけ、「それより僕と踊りませんか?」と夢の中へ誘う。これが「僕の夢」であろうと「君の夢」であろうと、必ずどちらかは「他者の夢」の中で踊ることになる。あるいは「夢の通い路」で繋がった共通の夢なのかも知れない。

はかなしや枕さだめぬうたゝねにほのかにまよふ夢のかよひぢ(式子内親王)

「他者の夢の中に入っていく」という観念に執着した映画監督としてMGMミュージカル映画『巴里のアメリカ人』で有名なヴィンセント・ミネリがいる。詳しくはフランスの哲学者ジル・ドゥルーズの著作『シネマ』を参照にされたし。

 ・ジル・ドゥルーズ「シネマ」〜哲学者が映画を思考する。 2017.12.07

またミネリから多大な影響を受けたデイミアン・チャゼル監督『セッション』『ラ・ラ・ランド』『ファースト・マン』も「他者の夢の中に入っていく」物語だ。チャゼルがしばしば「セカイ系」と揶揄されるのも、おそらくこれが原因だろう。

5) 公開時期の意味

昭和から平成前期の時代、アニメ映画興行の稼ぎ時は小中学生の春休みと夏休み、そして冬(正月)休みだった。子供が映画館に行くには保護者に付き添ってもらわないといけないし。東映まんがまつり、東宝チャンピオンまつりなどがそう。スタジオジブリ・宮崎駿監督の『となりのトトロ』『魔女の宅急便』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』なども夏休み興行だった。休みが一番長いから儲かるわけだ。

しかし2016年(平成28年)に公開された『君の名は。』の頃からこのセオリーは崩れ始める。この年、東宝は夏休み興行の目玉として『シン・ゴジラ』で勝負した。公開日は7月29日。そのため余り期待されていなかった『君の名は。』は8月26日に追いやられた。ことろが!蓋を開けてみると『シン・ゴジラ』の興行収入は82.5億円で『君の名は。』は250.3億円。後者の圧勝だった。理由は主に2つ挙げられる。

まず『君の名は。』のターゲットが小中学生でなかったこと。高校生から大学生、10代後半〜20代の若者に刺さる映画を目指した。彼らは親の付添が不要だから学校帰りに映画館に立ち寄れるわけだ。

第2に、公開時期のおかげで直ぐに学校が始まり、教室で「『君の名は。』良かったよー」と口コミで映画の評判が伝播した。またSNSが普及し、観た人の感想が拡散されたことも功を奏した。つまりバズったのだ。結果、その波は中高年にまで広がった。「アニメは子供が観るもの」という昭和の常識は、とっくに遠い過去のものとなっていたのである。

そして長い間歴代興行成績ランキングのトップに君臨していた『千と千尋の神隠し』の記録を破った『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』の公開日は2020年10月16日だった。昭和の常識で言えば閑散期の興行である。しかし逆に、この時期だとライバルとなる作品が少ない。しかも映画館の多くはシネコンになっている。故に『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』はスクリーンを独占することが可能になり、稼ぎまくった。

つまり『すずめの戸締まり』の公開日11月11日も『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』のひそみに倣ったのである。たとえば公開初日、TOHOシネマズ渋谷で『すずめの戸締まり』の上映回数は30回だった。また『君の名は。』『天気の子』と違って『すずめの戸締まり』は初日からIMAXでの上映も同時に始まった。IMAXは入場料の単価が高いので、興行収入の上乗せが出来る。

6) 東京の地下空洞(後ろ戸のある場所)

山田太一(原作)・市川森一(脚色)・大林宣彦(監督)の『異人たちとの夏』には東京の誰もいない地下鉄のゴースト・ステーションが登場する。たしかこの場面は原作小説にはない、映画オリジナルだった筈だ。

『君の名は。』は明らかに大林映画『転校生』と『時をかける少女』の影響を受けている作品なので、新海監督が『異人たちとの夏』を参考にしている可能性も0ではないだろう。

7) 年上の女性への憧れ・恋

『言の葉の庭』『君の名は。』そして『すずめの戸締まり』における岩戸環と岡部稔の関係も、新海作品には繰り返し年上の女性への恋心というテーマが登場する。

村上春樹の小説『ノルウェイの森』のレイコさんの印象も重なっていると思うが(『君の名は。』の奥寺先輩は「幸せになりなさい」と、レイコさんと同じ言葉を残す)僕は高橋留美子の漫画『めぞん一刻』の影響が強いと考える。

週刊ビッグコミックスピリッツのインタビューで、新海監督は次のように語っている。

『めぞん一刻』とか、高校大学くらいの時に読んで、「五代くんみたいに生きられたらなあ」って思いましたから。(中略)「年上の女性ってきっと知的なんだろうなあ」って思ったり。

 ・【考察】高橋留美子「めぞん一刻」はラブコメの元祖?(新海誠「天気の子」との関係も) 

なお新海監督自身は4つ年下の女性と結婚している(ふたりの間に生まれた娘が新津ちせ。映画『3月のライオン』『喜劇 愛妻物語』や朝ドラ『エール』『カムカムエブリバディ』などに出演)。

8) ダイジンとサダイジン

猫のダイジンとサダイジンという名称については、巷で沢山の憶測が渦巻いている。ダイジンは『平家物語』で幼くして入水する安徳天皇ではないかだの、サダイジンは日本三大怨霊の平将門ではないかというトンデモ説も飛び出した。

僕はここで、ダイジンはすずめが幼い頃から持っていた箱に書かれた「すずめのだいじ」に由来するのではないか、という説を提唱する。すずめは冒頭、やせ細った猫を見て「うちの子になる?」と言う。そこで猫は「すずめは僕のことが好き、〈すずめのだいじ〉なんだ」と思う。次に東京でダイジンは「すずめは僕のことを好きじゃなかったんだ」と知り、一気にやせ細り喋らなくなる(ここは『魔女の宅急便』のキキの振る舞いへのオマージュでもある)。

さらに左大臣と右大臣は天皇の臣下の最高位である。だから安徳天皇である筈もないし、官位が低かった平将門でもない(将門は検非違使にもなれず天皇の護衛をする〈滝口の武士〉に過ぎなかった)

では『すずめの戸締まり』でダイジンとサダイジンは誰に仕えているのか?草太の台詞で「気まぐれは神の本質だからな」とあるので八百万の神のひとりであることは間違いない。で、その頂点に立つのは太陽神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)である。こう考えるとヒロインの名前・岩戸鈴芽(いわとすずめ)が天岩戸(あまのいわと)伝説と関連があり、アメノウズメとしての役割を果たしていることと合致する。つまり天照の命を受け、臣下のダイジンとサダイジンは要石の役割を担ってきたのだと考えられる。

古代中国に「天子は南面し 臣下は北面す」という言葉がある。故に京都御所で天皇は南を向いて座す。一方、左大臣・右大臣は天皇の補佐役として、左大臣は天皇から見て左側、つまり東側に立つ。日が昇る方角(東、つまり左手側)の方が位が高い。だからミミズの頭と尻尾を抑えるとき、サダイジン(の要石)は東の東京に、ダイジンは西の宮崎に置かれた。

9) 父親殺しから父親不在へ

新海誠監督の前作『天気の子』ではギリシャ悲劇『エディプス王』的“父親殺し”がテーマになっていた。主人公の家出少年・帆高(ほだか)は顔に怪我をしていることから、父親に殴られたことを示唆しており、フェリーで知り合ったライターの須賀が父親代わりとなるが、最終的に帆高は須賀に拳銃を向け、発砲する。これは心理的な〈父親殺し〉を表現している。

新海監督は長野県小海町の建設会社新津組社長の息子として生まれた。父は息子に家業を継がせるつもりだったと、あるインタビューで語っている。しかし結局家業を継がずアニメーション作家になった。建設会社を営む父と、その息子の葛藤は『君の名は。』のテッシーのエピソードとしても描かれている。

恐らく父に対する罪悪感、エディプスコンプレックスは〈父親殺し〉という通過儀礼を経て吹っ切れたのだろう、『すずめの戸締まり』は〈父親不在〉の物語になった。すずめに父の記憶はないし、草太に両親はなく、祖父に育てられた。また旅の途中で出会う神戸のスナックのママ・二ノ宮ルミは女手一つで幼い双子を育てている。父親が消えた代わりに本作で描かれるのは女同士の連帯・共感だ。このシフトは恐らく、東日本大震災の前年に新海監督に娘が生まれて、その成長を見守ってきたことと無関係ではないだろう。

10) 二ノ宮ルミ

前項でも書いたが女手一つで幼い双子を育てる神戸のスナックのママ、二ノ宮ルミという女性が登場する。神戸には実際、二宮商店街がある。そして阪神淡路大震災以降、鎮魂と追悼、そして街の復興を祈念し電飾による光の祭典「神戸ルミナリエ」が毎年12月に行われてきた(新型コロナ禍で中止に)。 イタリア語luminarieはluminaria(イルミネーション)の複数形。またフランス語でlumière(ルミエール)は「光」という意味。つまり震災のショックから立ち直り、明るく生きている二ノ宮ルミはすずめにとって「光」のような存在ということなのだろう。

ここで新海誠が愛してやまない作家・村上春樹が翻訳したスコット・フィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』の最後を引用しよう。

Gatsby believed in the green light, the orgastic future that year by year recedes before us. It eluded us then, but that’s no matter ― tomorrow we will run faster, stretch out our arms farther. . . . And one fine morning ――

So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.

 ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。……そうすればある晴れた朝に――
 だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。
      (村上春樹 訳)

つまり『グレイト・ギャツビー』における緑の灯火=『すずめの戸締まり』の二ノ宮ルミなのだ。そして忘れてはならないのは神戸は村上春樹が青春時代を過ごした街であり、初期三部作『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』に登場するジェイズ・バーのモデルになったジャズバー「レフトアローン」は神戸市の隣・芦屋市にあった。

11) NTTドコモ代々木ビル(ドコモタワー)

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『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』『君の名は。』『天気の子』で描かれるドコモタワーは勿論、『すずめの戸締まり』にも登場する。これはフランソワ・トリュフォー監督におけるエッフェル塔と同じ役割を果たしている。詳しくは下記事をお読みください。

 ・ 時は来た(This Is the Moment)!今こそ語り尽くそう〜新海誠「秒速5センチメートル」超マニアック講座 

12) 常世(とこよ)と現世(うつしよ)

この項目については、レヴィ=ストロースによる構造人類学と、ユング心理学の手法を用いて詳しく語る必要があるので、後日追加記事を書くことにしたい。乞うご期待!

エピローグ)

僕は公開初日に大阪エキスポシティで日本最大のスクリーンIMAXレーザー/GTで観たのだが、その後、兵庫県西宮市にあるTOHOシネマズのIMAXレーザーで鑑賞し、驚愕した。スクリーンが余りにも小さいのである!!エキスポシティは横39席。スクリーン幅26m 高さ18m。西宮OSは横が31席。スクリーンサイズは公表されておらず、IMAXに改装される前のスクリーンは幅14m 高さ5.8mだった。調べてみると実際に公表されているものでキャナルシティ博多のIMAXレーザー・スクリーンは幅が15.1m 高さ8.4mしかない。面積比で考えるとエキスポのスクリーンは3.7倍だ。最高品質を自慢するIMAXでもピンキリだなと思った。

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