アニメーション・アニメーション!

新海誠監督の最新作「天気の子」とミュージカル「RENT」

新海誠監督の新作アニメーション映画「天気の子」公式サイトでは予告編を見ることが出来る→こちらから"TRAILER"をクリック。

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いや〜もう愉しみで仕方がない。待ちきれないから公開日の7月19日(金)は有給休暇を取得した。朝イチから観に行くぞ!

この予報から既にネット上ではロケハンの場所が特定され、聖地巡礼が始まっている。屋上に鳥居があるビルのモデルは代々木会館(実際の会館には屋外の階段と鳥居はない)で、鳥居そのものは朝日稲荷神社(別ビル)、そして主人公の少年が乗っている船は東京↔伊豆諸島を結ぶ「さるびあ丸」といった具合。「秒速5センチメートル」「言の葉の庭」「君の名は。」と同様にNTTドコモ代々木ビルがまたまた登場するのも嬉しい。最早、新海アニメのトレードマークだからね。あと「アメ」と名付けられた猫が可愛い。

音楽は「君の名は。」に引き続きRADWIMPSが担当。僕は予報で流れる主題歌「愛にできることはまだあるかい」を聴いた瞬間、びっくりした。出だしのコード進行(4つの和音)がピューリッツァー賞やトニー賞を総なめにしたブロードウェイ・ミュージカル「RENT(レント)」の名曲"Seasons of Love"(作詞・作曲:ジョナサン・ラーソン)と全く同じなのである。試聴はこちら。これは単なる偶然(無意識)なのか、監督からのリクエストなのか?興味は尽きない。

「天気の子」は世界中が注目している映画なので、後に音楽が"Seasons of Love"に類似していることが話題になるかも知れない。

気が早い話だが、僕は「天気の子」がきっと米アカデミー賞の長編アニメーション映画賞を受賞してくれるだろうと大いに期待している。細田守監督「未来のミライ」のノミネートに続け!!新海監督のデビュー作「ほしのこえ」(2002)から、彼の才能を信じて二人三脚で歩んできたコミックス・ウェーブ・フィルム代表 川口典孝氏も「(新海誠が)オスカーとる日も来ると思ってますから」と断言している(こちらの記事より引用)。

「君の名は。」英語版ではスマートフォンに入力された文字(日本語)を英語に置き換えることが出来なかったが、今度は万全の体制で臨んでいる筈。ディズニー/ピクサーに負けるな!ここは川村元気プロデューサーの腕の見せ所だ。

 

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フェルメール展@大阪市立美術館と、インディアンイエロー、ヱヴァンゲリヲン

3月17日(日)、大阪市立美術館@天王寺で開催されている「フェルメール展」へ。

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東京では日時指定制だったが大阪はなし。混雑を危惧したが午後3時以降なら入場待ちもなく比較的空いており、じっくり鑑賞出来た。

今回来たフェルメールの絵は《マルタとマリアの家のキリスト》《取り持ち女》《リュートを調弦する女》《手紙を書く女》《恋文》《手紙を書く婦人と召使い》の6点。

これ以外に僕は《手紙を読む青衣の女》《真珠の耳飾りの少女》を見ている。

フェルメールといえば《真珠の耳飾りの少女》を筆頭にラピスラズリを原料とする”フェルメール・ブルー”の美しさが有名だが、今回目立ったのは黄色。《手紙を書く女》や《恋文》で顕著な効果を上げた。フェルメールが好んだのは”インディアンイエロー”。インド・ベンガル地方の特産品で、マンゴーの葉だけを食べさせた牛の尿を集めて乾燥させるという方法で作られていた。しかし牛は過度の栄養失調となり衰弱死が多発。動物虐待だと非難され、1908年以降は市場での取引が禁じられた。故に現在では幻の色となった。

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今回まとめて作品を鑑賞して感じたのは、フェルメールの絵において【室内=自己(self)のメタファー】なのではないか?ということ。そして【(画面左上方にある)窓から差し込む光=他者からの干渉/外的刺激】を表現しているように思われた。その存在は【あこがれ/希望】であると同時に、【不安/畏れ】の対象でもあり得る。登場人物の心情を示すのが、背景に描かれた絵や地図だ。

具体的には《手紙を書く婦人と召使い》の背景に掲げられた、旧約聖書「出エジプト記」に基づく《モーセ(赤子)の発見》だったり、

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《恋文》で背景の絵に描かれた帆船だったり、

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《リュートを調弦する女》の壁に貼られたヨーロッパ地図だったりする。

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庵野秀明の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」に当てはめるなら、フェルメールにおける【室内=自己(self)のメタファー】↔【ヱヴァのATフィールド=「誰もが持っている心の壁」の内側】、【窓から差し込む光=他者からの干渉/外的刺激】↔【ヱヴァの使徒】という対応関係が成立するだろう。

フェルメール展は5月12日(日)まで。

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アカデミー長編アニメ映画賞&アニー賞受賞「スパイダーマン:スパイダーバース」

アカデミー賞の長編アニメーション映画部門及びアニー賞で作品賞を制覇した「スパイダーマン:スパイダーバース」を小学校1年生の息子と一緒に観た。

評価:A+

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僕は基本的にアメコミ映画が好きじゃない。ヒーローなんて胡散臭い存在だとしか思わない。しかし何故か「スパイダーマン」はサム・ライミ監督の三部作、アンドリュー・ガーフィールドとエマ・ストーンが共演した「アメイジング・スパイダーマン」二部作(監督はハリウッド実写版「君の名は。」の白羽の矢が立ったマーク・ウェブ!)、リブートされた「スパイダーマン:ホームカミング」を全て観ていて(自分でもその理由が判らない)、本作が何と7本目になる。そして「スパイダーバース」がずば抜けて一番面白かった!

マルチバース(multiverse)の話である。宇宙(universe)が1つ(uni)ではなく、多数(multi)である可能性を考慮し、それら数多くのuniverseの集合体を指す言葉だ。この「宇宙」の外に別の「宇宙」があるかも知れないと現在、多くの物理学者たちは考えている。なお「宇宙」の「宇」は「四方上下」(三次元空間全体)、「宙」は「往古来今」(過去・現在・未来の時間全体)を意味し、「宇」は空間的広がり、「宙」は時間的広がりに対応し、英語におけるspace-timeと同義である。

パラレルワールド(平行世界)と言い換えても良いだろう。時空が歪み、様々な「宇宙」からスパイダーマンたちが一箇所に集結するというアイディアが秀逸である。

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そもそも「マーベル・シネマティック・ユニバース」(Marvel Cinematic Universe)という概念もスーパーヒーローが共有する架空の世界(宇宙)を意味しており、我々のいる宇宙や、マーベル・コミックの描く世界とも別物である。

本作が斬新なのは3DCGと2Dの融合である。基本的にはCGアニメーションだが、アクションシーンで突如擬音が吹出しで文字化され、コミックス仕様に一瞬変化するのだ。あと背景が粒立っており、紙面の質感を意識している。その志は高い。2002年に設立されたソニー・ピクチャーズ アニメーションはエポックメイキングな作品を創り出した。

アカデミー長編アニメ映画賞は2012年の「メリンダとおそろしの森」から17年「リメンバー・ミー」まで6年連続でディズニーとピクサーが交代で独占し続けてきた。そこにソニーが風穴を開けたことはデカイ。さぁ、来年は日本から新海誠「天気の子」が殴り込みをかけるゾ!大いに期待したい。

 

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【考察】映画「コードギアス 復活のルルーシュ」と「カリ城」の緊密な関係

評価:A

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公式サイトはこちら

僕はテレビ放送された「コードギアス 反逆のルルーシュ」全50話をNetflixで観た上で本作に臨んだ。

驚いたのは死んだ筈のシャーリーが生きていたことである。劇場でも「あの娘、死んだんじゃなかったっけ!?」という会話がちらほら聞こえた。

後で知ったのだが、テレビの総集編となる劇場版三部作でシャーリーは死なないことに設定が変更されたようである。つまりパラレルワールド平行世界)ね。ちなみに現在、劇場版三部作は全てAmazon プライムにて課金なしで視聴出来るようになった

というわけで「復活のルルーシュ」を観たいと思う方は、最低限の予備知識として「反逆のルルーシュ」TV版か劇場版をご覧になっておくことを強くお勧めする。ただし劇場版(1本)はテレビの約17話分(417分)を140分に短縮しているので、流石に無理がある(分量1/3)。省かれたエピソードも多く、出来ればTV版に挑戦してみてください。絶対面白いから。

さて「復活のルルーシュ」だが、大河内一楼の脚本は相変わらず冴え渡り、谷口悟朗監督の演出もキレッキレ。

本作でナイトメアフレーム(人型機動兵器)の戦闘シーンは3DCGと手書きの両方が混ざり合った構成になっている。実は谷口監督が演出に関わっていないOVA「コードギアス 亡国のアキト」のナイトメアフレームはフル3DCG仕様なのだが、ハッキリ言って戦闘シーンのワクワク感が皆無である。つまり絵が無機質で冷たく、色気がない。完全な失敗作であった。一方、創意工夫が凝らされた「復活のルルーシュ」のアクションは絶妙なバランスとなった。

本作の冒頭部、C.C.と廃人同様のルルーシュが旅を続けるのを遠景から捉えたショットに僕は既視感(デジャヴュ)を覚えた。いつか見た、何故か懐かしい景色。でも初見時には思い出せなかった。

2回目の鑑賞で漸くその〈正体〉に気がついた。物語の終盤、全ての問題が解決し、海上に集結した超合衆国の軍隊がジルクスタン王国に続々と上陸作戦を開始する場面である。僕は内心で叫んだ。「アッ、これって宮崎駿『ルパン三世 カリオストロの城』の最後、ようやくインターポール(国際警察)が動き出し、沢山の警官たちがパラシュートでカリオストロ公国に降下してくる場面の変換じゃないか!!」

そう考えれば全てのパズルのピースが埋まった。〈お城に幽閉されたお姫様(ナナリークラリス)を救うために、主人公たちが奪還計画を実行する〉という基本プロットも全く同じだ。

そしてジルクスタン国王シャリオに仕える大将軍ボルボナ・フォーグナーは「カリ城」でカリオストロ伯爵に執事として仕え、裏では特殊部隊「カゲ」の長官を兼任するジョドーを変換したキャラクターである(その末路も極めて類似している;「無益な殺生はせぬ」by 五右衛門)。

だから「復活のルルーシュ」冒頭の二人連れの旅も、「カリ城」でルパンと次元がカジノの大金庫からゴート札を盗んだモナコ公国からカリオストロ公国に向かう情景をスケッチしたオープニング・クレジットへのオマージュだったのだ。

「反逆のルルーシュ」における宮崎アニメに対する数々のオマージュについてはこちらに詳しく書いた。

概ね満足できる作品だった。特に最後、C.C.のあんな素敵な笑顔が見れて本当に良かった。ただシャーリーの運命を変えたことが新作で全く生かされていないし、「反逆のルルーシュ」で生き残った登場人物の誰一人として「復活のルルーシュ」で死なないというのは、いくら〈ファンサービス〉のための〈お祭り〉とはいえ、ご都合主義なのでは?と些かの不満を申し添えておく。〈非情さ〉こそが「コードギアス」最大の魅力ではなかったか。

最後にいくつか豆知識(トリビア)を。

本作には〈アラムの門〉が登場する。ヘブライ語と密接な関係があるアラム語で〈トリイ〉とは〈門〉という意味である。アラム語はかつてシリア地方、メソポタミアで遅くとも紀元前1000年ごろから紀元600年頃までには話されていたという。つまり〈アラムの門〉≒〈トリイ(鳥居)〉であり、〈神(=Cの世界/集合無意識)にアクセスするための門〉と言えるだろう。

途中ルルーシュは「またお前たちに助けられたな」と言う。最初誰のことなのか判らなかったが、多分、「お前たち」とはCの世界にいるユーフェミアやロロの魂のことなのだろう。

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イルミネーション「グリンチ」とディズニー「シュガー・ラッシュ:オンライン」

「グリンチ」

評価:B 公式サイトはこちら

Grinch

「怪盗グルー」シリーズで脇役のミニオンが大人気になったように(スピン・オフも製作された)、イルミネーション・エンターテイメント(ユニバーサル・スタジオの子会社)作品の特徴は、精巧に組み立てられたプロットというよりは、寧ろキャラクター重視という色合いが濃い。特に「SING/シング」。

「グリンチ」も例外ではなく、話の面白さよりもキャラが立っているなぁという印象。

ドクター・スースによる原作絵本は2000年にジム・キャリー主演で実写映画化もされている。

本作を観ながら感じたのは、これってディケンズの「クリスマス・キャロル」をベースにしているんじゃないか、ということ。頑固者の初老の男がクリスマス直前にふとしたきっかけで少年時代に引き戻されて、最終的に改心する物語。構造が全く同じだ。

「シュガー・ラッシュ:オンライン」

評価:A 公式サイトはこちら

Ralph

前作はアーケードゲーム(業務用ゲーム機)内のお話だったが、今回はラルフとヴァネロペがインターネットの世界に飛び出した!

脚本が練りに練られている。YouTubeとかeBayをネタにしたギャグが最高に可笑しい。またディズニー・プリンセス総出演が壮観だし、〈王子様依存型ヒロイン〉という過去の自社路線を徹底的にからかい、セルフパロディにしてしまう潔さには感服する。ディズニーもすっかり変わった。

ウォルト・ディズニーが生きていた時代を第一次黄金期とすると、ジェフリー・カッツェンバーグが築いた第二次黄金期(「リトル・マーメイド」から「ライオンキング」まで)を経て、「アナと雪の女王」「ベイマックス」など第三次黄金期をもたらした立役者は間違いなく(低迷期に解雇され後に復帰した)ジョン・ラセターである。本作でもエグゼクティブ・プロデューサーとして名を連ねている。

しかし #MeToo 運動の余波で〈ハメられて〉、CCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)だったラセターは放逐された。ディズニー&ピクサーの前途には今、もくもくと暗雲が立ち込めている。

失脚したラセターは既にスカイダンス・アニメーションのトップに就任することが決まっており、それと前後して「トイ・ストーリー3」「リメンバー・ミー」のリー・アンクリッチ監督がピクサーを退社すると表明した。アメリカのアニメーション・スタジオの勢力地図は間もなく、すっかり塗り替えられることになるだろう。「面白くなってきやがった!」(宮崎駿「ルパン三世 カリオストロの城」より)

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百人一首と新海誠「君の名は。」

人生も半ばを過ぎて、最近しばしば〈我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか〉について考えるようになった。

 

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ポール・ゴーギャンがタヒチ島で描いた絵のタイトルである。 

 

そんな折、清川あさみ(絵)最果タヒ(著)「千年後の百人一首」を読んだ。最果タヒは兵庫県神戸市出身の詩人(32歳)。詩集「夜空はいつでも最高密度の青色だ」は何と2017年に映画化され、キネマ旬報ベスト・テンの日本映画第1位に選ばれた。

 

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彼女が百人一首を現代語訳したというか、現代詩として再創造(re-creation)した書物と言っても良いかも知れない。巻末に簡潔な原文の解説があるのも嬉しい。

 

これを読むまでは、お恥ずかしながら上方落語に登場する「千早振る」と、「崇徳院」の〈瀬をはやみ……〉くらいしか知らなかった。

 

本を手にとったきっかけはRHYMSTER宇多丸がパーソナリティを務めるTBSラジオ「アフター6ジャンクション」 #アトロク に最果タヒが出演したのを聴いたこと。そもそも広瀬すず主演の映画「ちはやふる」三部作が大好きなので、百人一首に興味を惹かれていたのである。

 

 

 

小倉百人一首は平安時代末期から鎌倉時代初期に生きた公家・藤原定家によって選定された。平安時代に台頭した武士貴族支配の世界を転覆せしめ、権力を掌握して古代を終焉させた時期に合致する。

 

武士(もののふ)は武装集団=軍人だから、当然ながら知性よりも肉体重視である。戦で勝利したものが「正義」になる。理屈もへったくれもない。つまり鎌倉幕府の成立は軍事国家が生まれたことを意味するわけで、天地がひっくり返ったと理解すべきだろう。マッチョな武家では体力的に劣る女性は男性より当然低く見られるわけで、男尊女卑社会である。だから以後、女流作家や歌詠みも鳴りを潜めた。しかし「源氏物語」や「枕草子」が生まれた平安時代はそうではなかった。

 

つまり現在では【武士道・侍=日本人の精神】のように言われるが、それは比較的近代の話であり、日本人古来の心のあり方は全く違うものだったのである。

 

 

 

百人一首を読んでまず気がつくのは、やたらめったら恋の歌が多いこと。調べたところ、なんと四十三首もある!恋愛至上主義。まるで新海誠監督のアニメーション映画みたいだと想った。

 

恋愛至上主義なのは、当時の平均寿命が30歳前後(男性33歳、女性27歳)だったことと無関係ではあるまい。「老境」とか「枯れる」とは無縁の世界だったのだ。

 

平安時代の男女は、なかなか会うことすら出来なかった。女性は御簾内に籠もり、姿を見せない。美女だと評判を聞いた男は何度も何度も手紙や和歌を交わし、そして漸く対面することが出来た。その形態は夜になると男が女のもとに通い、明け方に帰っていくというものであった。

 

 

 

新海誠が殆ど自分ひとりで創ったデビュー作「ほしのこえ」(2002)は地球と、はるか彼方の宇宙に引き離された男女が、携帯電話(当時のガラケー)のメールを交わす物語である音声ではない。正に和歌の世界ではないか。

 

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僕が死ぬほど好きな「秒速5センチメートル」(2007)では【東京↔栃木】【種子島↔栃木】に引き離された男女が手紙で文通する。ここでも音声は用いられない

 

そして爆発的大ヒットとなった「君の名は。」(2016)ではスマートフォンが大活躍するのだが、男女の連絡手段は交換日記であり、瀧が三葉に電話を掛けると通じない

 

つまり新海誠は話される言葉を信じていない人の心の想いを伝えられるのは書かれた言葉だけなのである。「君の名は。」で瀧が”すきだ”という気持ちを伝えるのも、口頭ではなく文字である。

 

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「言の葉の庭」(2013)には古文の教師・雪野百香里が登場し、〈雷神(なるかみ)の 少し響(とよ)みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ〉という万葉集の短歌を言い残して高校生の主人公タカオと別れる。後日雨の日に再会した時にタカオは万葉集の返し歌 〈雷神の 少し響みて 降らずとも 我は留らむ 妹し留めば〉を口ずさむ。また「君の名は。」の発想の原点は古今和歌集に収録された小野小町の歌〈思ひつつ 寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを〉であり、ユキちゃん先生(雪野百香里)も再登場する。

 

 

 

百人一首に戻ろう。女性歌人の作品は二十一首。当時は「男女共同参画社会」であった(内閣府のHPへ)。

 

」が詠まれたのは十二首ある(太陽は皆無)。

 

季節では、

 

    • 春:八首

 

    • 夏:四首

 

    • 秋:二十首

 

  • 冬:五首

 

秋が圧倒的に多い。また春(八首)のうち、桜を詠んだものが六首ある

 

時刻で見ると、

 

    • 夕方:四首

 

    • 夜を詠んだ歌:十五首

 

    • 明方:十一首

 

 

これらの総和は、昼を詠んだと考えられる二十三首を軽く上回っている。

 

 

 

撰者である定家の父・藤原俊成は宮廷歌人であり、第八十三首に選ばれている。そして「幽玄」や「あはれ」「艶」の美意識を提唱した。

 

もののあはれ」は無常観に立脚した哀愁に通じており、無常とは生滅変転して移り変わり、片時も同じ状態に留まらないことである。

 

幽玄」は無意識から意識へ、夢から形あるものに移行する時(境界)に立ち現れるものであり、アボリジニ(オーストラリア先住民)の概念〈ドリームタイム〉に近い。

 

 

 

百人一首で詠まれる夕方(「君の名は。」における〈かたわれ時〉)と明方は【昼↔夜】の境界域であり、「幽玄」「あはれ」が立ち現れる瞬間である。そして夜の「」には満ち欠けがあり、無常の象徴となる。

 

新海誠「君の名は。」のも重要な役割を果たす。【半月=片割れ】であり、相手が欠けた状態を示し、【満月=ふたりの結合】を意味し、三日月は三葉の暗喩である。

 

百人一首に夕方よりも明方の歌が多いのは、朝が〈男女の別れ〉を意味するからだろう。

 

秋の歌が多いのは秋が【夏(生)→冬(死)】の境界に位置する季節だからである。【落葉=人が死にゆく時】を意味し、春の桜も開花から一週間ほどで散るので、やはり人が死にゆく時の暗喩となっている。そこに「もののあはれ」がある。

 

 

第九十九首の詠手は後鳥羽天皇である。貴族復権を掲げて承久の乱を起こし鎌倉幕府と戦ったが破れ、隠岐に流された。

 

第百首の順徳天皇は後鳥羽院の息子で、父の倒幕計画に参画したため佐渡に流され、その地で亡くなった。彼の歌、

ももしき(百敷;宮中を意味する)や 古き軒端の しのぶにも なほ余りある 昔なりけり

は王朝時代に終止符を打つ一首となった。

 

このように百人一首もまた、【貴族社会→武家社会】の境界に位置しているのである。

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続・終物語

今まで長らく封印してきたのだが、遂にそれを解き、西尾維新原作の〈物語〉シリーズについて語ることにしよう。

僕が最初に観たのは2016年1月から17年1月にかけて東宝で公開された三部作の劇場アニメ「傷物語」(I 鉄血篇、 II 熱血篇、 III 冷血編)だ。時系列で言えば〈物語〉の発端に位置する。正直、これだけではどうもピンとこなかったので当ブログでは取り扱わなかった。

映画館に足を運んだきっかけは、「魔法少女まどか☆マギカ」に打ちのめされたからである。

「まどマギ」の新房昭之が〈物語〉シリーズの総監督を務めており、シャフトが制作したアニメをもっと観たいと思った。また「まどマギ」で異空間設計(プロダクションデザイン)を担当した劇団イヌカレーも参加している。

その後、AmazonプライムやNetflix、Huluで配信されたものを断続的に観た。アニメが製作された順番に列記すると、

  • 化物語(全十五話)
  • 偽物語(十一話)
  • 猫物語〈黒〉(四話)
  • 〈物語〉シリーズ セカンドシーズン(二十八話)←「猫物語〈白〉含む
  • 憑物語(四話)
  • 終物語 (二十話)

となる。結局合計すると八十五話!他にもiOS,Android向けにリリースされたアプリにて配信された「暦物語(十二話)があるらしい。時期的には「終物語」上・中巻(2015年10-12月に地上波で放送)と下巻(2017年8月12・13日にBS11で放送)の間。沢山の〈物語〉の集合体であり、時系列がバラバラなので、こうやって書いていてもややこしくて頭が混乱する。ま、そこがこのシリーズの醍醐味でもあるのだが。

〈物語〉シリーズを一言で評すなら、〈ハーレム〉のお話ということになるだろう。高校三年生の主人公・阿良々木暦はありとあらゆるタイプの女性たちからモテモテになる。ツンデレ(戦場ヶ原ひたぎ)、メガネっ子・巨乳(羽川翼)、ロン毛の妖女(キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード)、幼女(忍野忍)、小学生少女(八九寺真宵)、ロリ系中学生(千石撫子)、ボーイッシュでBL好きの後輩高校生(神原駿河)、妹系ていうか正真正銘の妹!(阿良々木火憐/月火)、能面・影(忍野扇)、ツインテール・学級委員長で攻撃的性格(老倉育)、はんなり京都弁(影縫余弦)、童女・人形(斧乃木余接)、「何でも知っている」自信家(臥煙伊豆湖)等々。

わかりやすく言えば1994年に発売され、一世を風靡した「ときめきメモリアル(ときメモ)」みたいな感じかな。つまり恋愛シュミレーションゲームだ。ここで声を大にして言っておくが、僕自身は「ときメモ」をしたことは一切ないし、興味もなかった。プレステ自体持っていないしね(こういう言い訳を一々しないといけないので、〈物語〉シリーズを語るのは気が重い)。余談だが「ときめきメモリアル」は97年にフジテレビ制作で実写映画化された。その時ヒロイン・藤崎詩織を演じたのが吹石一恵で、今は福山雅治の奥さんね(僕は映画版も未見)。

恐らくこのハーレム状態がヲタクたちの妄想を膨らませ(王様気分)、絶大な支持を得て息の長い作品となっているのだろう。女性たちにとっては何が面白いんだかさっぱり理解出来ないかも知れないが、逆ハーレムの少女漫画「王家の紋章」を想い出して欲しい(プリンセス気分)。両者は鏡像の関係で全く同じ構造なのだ。「王家の紋章」も1976年10月の連載開始から未だに続いている(42年間!)。

キャラクター・デザイン:渡辺明夫が描く女の子たちは「萌え」というヲタクの心をくすぐる。東宝の川村元気プロデューサーが岩井俊二の「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」のアニメ映画化を企画した際、新房昭之に監督を依頼すると同時に「キャラクター・デザインは是非、渡辺明夫さんで」と指名したのは、〈物語〉シリーズのことが頭にあったからである。

また〈物語〉シリーズ恋愛シュミレーション怪異仕様となっている。怪異とは妖怪変化や幽霊のこと。つまり水木しげる「ゲゲゲの鬼太郎」や手塚治虫「どろろ」の雰囲気を兼ね備えている。

で僕が一番好きなキャラクターは貝木舟(かいきでいしゅう)。詐欺師(悪役)として登場するのだが、どこか憎めない屈折したキャラクター。一筋縄ではいかず、人間に深み(闇)がある。特にセカンドシーズン恋物語」の彼は最高だね。あとネーミング・センスが上方落語「狼講釈」「べかこ」「深山隠れ」に登場する丹坊堅丸(どろたんぼうかたまる)みたい。因みに江戸時代の画家・鳥山石燕の今昔百鬼拾遺」には田坊(どろたぼう)という妖怪が登場する。

「まどマギ」もそうだが、新房昭之の演出は極めてスタイリッシュ。画面を横溢する無数の縦線と横線。そして時折アクセントとして登場する円。カッケー!首を曲げる独特なポーズ「シャフ度(シャフト角度)」のこともこのシリーズを通して学んだ(「まどマギ」や「打ち上げ花火」にも出てくる)。

で「終物語」で完結したと思わせておいて、「続・終物語」って一体どういうこと!?と狐につままれたような気分である。

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評価:B+

TOHOシネマズでイベント上映を鑑賞。公式サイトはこちら。上映時間は148分。はじめにテレビ放送ありきの企画であり、それを劇場公開用につなげたものなので長め。導入部は「鏡の国のアリス」を彷彿とさせる。つまり今までの〈物語〉シリーズに登場したキャラクターの反転した姿であり、返しの世界が描かれる。だから多分、本編を知らないと意味不明だろう。

まぁ、それなりに面白かった。おまけみたいなものだから。

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にわかには信じ難い大傑作アニメ「若おかみは小学生!」と大林映画

評価:AA

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映画公式サイトはこちら

大の大人が口にするのも恥ずかしい題名である。そして絵柄(キャラクター・デザイン)がはっきり言って生理的に受け付けられない。「ムリ……」と思った。映画館で予告編を見たが、全く食指が動かなかい。ところが!!である。

いくら耳をふさいでも、あちらこちらで絶賛の嵐が吹き荒れている音が聞こえてくる。その熱量が半端ではない。

大人たちが熱狂している。

これは尋常じゃない。僕は人が勧めるものは素直に従う人間なので(自分の好みに拘泥していては世界が広がらない)、激しい抵抗感を覚えながらも半信半疑でTOHOシネマズ(シネコン)に重い足を運んだ。21時05分開始のレイトショーである。そもそもこんな題名の映画(子供だまし)をレイト上映している事自体、どうかしている。

そして……

涙腺決壊とはこのような映画を指すのだろう。もう、とめどなく涙が流れた。悔しいけれど認めざるを得ない。掛け値なしの大、大傑作。2018年の日本映画(実写含む)を代表する一本である。「この世界の片隅に」を第1位にして、「君の名は。」をランク外としたキネマ旬報ベストテンが本作をどう扱うのか、要注目だ。

高坂希太郎監督は「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」で原画を担当し、「耳をすませば」「もののけ姫(共同)」「千と千尋の神隠し(共同)」「ハウルの動く城(共同)」「風立ちぬ」で作画監督を務めてきた人である。宮崎駿の右腕であり、自然描写など、そのイズムが本作でも透徹している。また次々と出てくる食べ物の美味しそうなこと!

そして最大の功績は吉田玲子の脚本にある。京アニ「リズと青い鳥」のホンも素晴らしかったし、今年の脚本賞は是非彼女にあげたい(でも多分、今年の映画賞で脚本賞を総なめにするのは「カメラを止めるな!」の上田慎一郎だろうなぁ)。

映画の冒頭と締め括りは神楽で(女の子ふたりが舞うのでどうしても「君の名は。」を想い出す)、その間に日本の春夏秋冬が丹念に描かれる。

本作の魅力をズバリ一言で述べるとしたら「共時的」であるということに尽きる。これはスイスの構造主義言語学者ソシュール(1857-1913)の用語で、対義語が「通時的」。関連する複数の現象や体系を、時間の流れや歴史的な変化にそって記述する事を言う。つまり〈過去→現在→未来〉という不可逆的・一方通行の流れ。対して「共時的」とは、過去・現在・未来が同時にそこにあることを示している。フランスの構造人類学者レヴィ=ストロースは「神話は共時的である」と述べている。

映画「若おかみは小学生!」で温泉旅館〈春の屋〉に最初にやってきたお客さん=美少年は主人公おっこ(現在)のメタファーである。〈鏡〉に写った彼女自身と言っても良いし、ユング心理学における〈影〉、あるいは〈ドッペルゲンガー(二重身)〉と言い換えることも出来るだろう。彼女は美少年に対し、「頑張れ自分!」と背中を押す。

次のお客さん、占い師のグローリー・水領さんは未来のおっこ。水領さんは「そんなに気を張って、頑張らなくてもいいんだよ。子供らしくたまにははしゃぎなさい」と現在のおっこをギュッと抱きしめてくれる。

そして三番目のお客さんは、まだ両親がいて、何の心配も要らなかった頃の無邪気/純真な( innocent )おっこ。そんな幼い頃の記憶を現在のおっこがしっかり抱きとめる。

つまり過去・現在・未来のおっこが、そこに同時に存在しているのである。

こうして一年の体験を通して、彼女は意識と無意識を統合し、自己実現を果たす。舌を巻くほどの構成力だ。

本作最大のクライマックスとなる、ある事件を目撃しながら、僕が即座に想い出したのは、赤川次郎原作、大林宣彦監督の映画「ふたり」のラストシーンである。大林宣彦作詞、久石譲作曲の主題歌「草の想い」が流れ始め、石田ひかりがカメラに向かって正面から坂道を登ってくる。カメラが切り替わり、後ろ姿を捉えると、それは交通事故で死去した彼女の姉を演じた中嶋朋子に入れ替わっている(ふたりでひとり=自己実現)。この場面で起こるある出来事が「若おかみは小学生!」と密接に関連しているのである(ネタバレになるので具体的には書きません)。因みに赤川次郎の原作にこのエピソードはない。動画はこちら

考えてみれば死んだ両親の幽霊が主人公の目の前に現れるという設定は山田太一原作、大林宣彦監督「異人たちとの夏」だ。もしかしたら原作者の令丈ヒロ子は大林映画のファンなのではないか?と考え、彼女がなにかそのことに言及していないか調査をはじめた。つまり自分が立てた仮説の〈裏を取る〉作業である。そしたら、あったあった!

公式ツイッターで呟いていた。

大林監督が長年、掘り下げて来たのも「共時的」映画である。「異人たちとの夏」に代表されるように大林映画は生者と死者が共生する世界である。また山中恒原作の「さびしんぼう」では主人公ヒロキの母タツ子と、彼女の少女時代の姿=さびしんぼう(なんだかへんて子)が同時にそこに存在している。同じく山中恒原作の「はるか、ノスタルジィ」では50歳を過ぎて久しぶりに故郷の小樽に帰ってきた小説家・綾瀬慎介(ペンネーム)が、そこで自分の少年時代の姿・佐藤弘(綾瀬の本名)に出会う。これも「共時的」物語である。

そして令丈ヒロ子はこちらのインタビュー記事で、大林映画「転校生」に触れ、原作「おれがあいつであいつがおれで」を書いた山中恒を”師匠”と呼んでいる

大林映画「時をかける少女」の後日談をアニメーション映画に仕上げ、大林監督が〈映画の血を分けた息子〉と呼んでいる細田守監督が今年完成させた「未来のミライ」もまた、「共時的」アニメーションを志した。しかしこちらの方は残念ながら「若おかみは小学生!」程の完成度の高さには至っていない。

余談だが「共時的」映画の元祖はイングマール・ベルイマン監督「野いちご」(1957)である。そしてフェデリコ・フェリーニ監督「8 1/2」(1963)がこのジャンルの代表作と言えるだろう。「ベルイマン生誕100年映画祭」に大林監督が寄せたコメント(こちら)で「野いちご」に触れ、〈ベルイマンの発明〉と述べているのは「共時的」表現法のことである。

「我々は記憶において構成されている。我々は幼年期に、青年期に、老年期に、そして壮年期に同時に存在している。」(フェデリコ・フェリーニ)

劇場版「若おかみは小学生!」の話に戻ろう。僕が心底惚れ込んだのは、主人公のライバルとなる大旅館の跡取り娘”ピンふり”こと真月(声:水樹奈々)だ。何と言ってもキャラが立っている!〈おっこ vs. 真月〉の図式は明白に、美内すずえの漫画「ガラスの仮面」における〈北島マヤ vs. 姫川亜弓〉の変換だろう。特に真月がスティーブ・ジョブズやトルストイの名言を引用する場面にはやられた。そして最後に引用するのがウォルト・ディズニーというのが泣ける。クーッ、カッケー!

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【解説】「ペンギン・ハイウェイ」〜〈海〉と〈お姉さん〉に関する考察

森見登美彦の小説は以前から大好きで、今までに「太陽の塔」「四畳半神話大系」「夜は短し歩けよ乙女」「【新釈】走れメロス他四篇」「有頂天家族」「宵山万華鏡」「夜行」を読んでいる。しかし日本SF大賞を受賞した「ペンギン・ハイウェイ」は未読であり、映画版が余りにも素晴らしすぎたので、これを機会に一気呵成に読み通した。

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上記事で〈海〉とは〈ワームホール〉みたいなものだろうと僕の考えを書いたのだが、なんのことはない、小説の中で何度もワームホールについて言及されていた。

本作はポーランドの作家スタニスワフ・レムが執筆したSF小説「ソラリス(ソラリスの陽のもとに)」に触発されている。歯科医院で小学校4年生の主人公アオヤマくんがいじめっ子のスズキくんに対し、歯の中にばい菌がいっぱいになって、歯をぜんぶ抜かないと治らない〈スタニスワフ症候群〉という嘘の病気について語るエピソードがある。

「ソラリス」は2度映画化されている。アンドレイ・タルコフスキー監督の1972年「惑星ソラリス」@ソ連と、ジェームズ・キャメロン製作、スティーブン・ソダーバーグ監督の2002年「ソラリス」@アメリカ合衆国である。1965年に出版された原作小説の日本における最初の翻訳「ソラリスの陽のもとに」はロシア語からの重訳であり、さらにソ連に於ける検閲を考慮し四百字詰め原稿用紙四十枚分に及ぶ削除箇所があった。その後、「ソラリスの陽のもとに」を高校生の時に読んで魅了され、ポーランド語を学んだという沼野充義によるポーランド語原典からの完全翻訳版が2015年にハヤカワ文庫SFより刊行された。

これはソラリスの〈海〉が、その上空にある惑星観測ステーションに勤める研究者の記憶をもとにコピー人間(似姿)を造る、つまり死者を実体化(擬態)する物語である。

海は地球上の生命のすべての起源であり、なるものである。「ペンギン・ハイウェイ」ではそれを〈お姉さん〉のおっぱいが象徴している。そしてペンギンは〈お姉さん〉=が生む子供たちだ。また海は命を与える存在であると同時に、命を奪う者でもある。それは3・11東日本大震災で我々の多くが実感したことだ。

映画「ペンギン・ハイウェイ」には出てこないが、原作小説には〈お姉さん〉が日曜日に教会に通っていることが言及されている。ここで〈お姉さん〉に聖母マリア像が重ねられていることが分かる。キリスト教におけるマリアは古来、海の星の聖母(Stella Maris)と呼ばれていた。希望の印、導きの星であり、船乗りにとってステラ・マリスとは航海の目印となる北極星を指すとか、宵の明星=金星のことだとする説もある。つまり〈海〉=〈お姉さん〉=聖母マリアという三位一体が成り立ち、さらにマリア→海の星→宇宙へと繋がっているのである。

〈お姉さん〉は〈海〉の創造物である。これは間違いない。では〈お姉さん〉の原型(prototype)は何か?つまり〈海〉は何に基づいて似姿を創ったのだろう?小説に次のような記述がある。

 彼女(お姉さん)の顔を観察しているうちに、なぜこの人の顔はこういうかたちにできあがったのだろう、だれが決めたのだろうという疑問がぼくの頭に浮かんだ。(中略)そして、ぼくがうれしく思うお姉さんの顔がなぜ遺伝子によって何もかも完璧に作られて今そこにあるのだろう、ということがぼくは知りたかったのである。

ここで僕が考えたのは、〈海〉はアオヤマくんの心の中にある女性の理想像、ユング心理学で言うところのアニマ(元型 archetype)を実体化したのではないか?という仮説である。ゲーテの言葉で言い換えるなら「永遠に女性的なるもの」。しかしそうするとアオヤマくんが〈お姉さん〉の生まれ故郷、海が見える坂の街の場所を知らなかったという矛盾が生じる。彼はそもそも本物の海を見たことがない。

「もし私が人間でないとして、海辺の街の記憶はなんだろう?」
 お姉さんは路地を歩きながら言った。「私だってお父さんやお母さんのことを憶えているし、自分が今まで生きてきた思い出があるよ。それもぜんぶ作りもの?」
「ぼくにはわかりません」

ということは、彼女は何らかの理由で早逝し、〈海〉が残された両親の記憶から似姿を創ったのかも知れない。

次に〈お姉さん〉の言う海辺の街はどこだろう?と想像してみる。真っ先に連想したのは森見が書いた「夜行」の舞台となった尾道市である。しかし海辺の街の坂の上には教会があるという記述があるので当てはまらない。大林映画でも分かる通り、尾道は寺と神社の町なのだ。ならば海+坂道+教会といえば長崎市や神戸市が候補に挙げられる。もし長崎ならば〈お姉さん〉は原爆投下で命を落としたのかも知れない。その時〈海〉は長崎に出現していて、〈海〉自身が〈お姉さん〉を記憶していたのだろう(両親も同時刻に亡くなった筈なので)。

物語の最後に〈お姉さん〉は消失する。言い換えるなら〈海〉に還る。この場面で僕が想い出したのは、押井守監督のアニメーション映画「攻殻機動隊」である。主人公の草薙素子はインターネットという〈海〉に溶けて〈神〉になる。何だか似ていませんか?未来のアオヤマくんは素子を探し続けるバトーになるわけだ。

そこで僕は森見登美彦が押井守について言及した記事がないか探した。つまり、自分が立てた説の裏を取ろうと考えたのである。そして……あった、あった!

森見は大森望(書評家)との、「夜は短し歩けよ乙女」を巡っての対談で次のように語っている。

大森 つげ義春の『ねじ式』とか、あるいは押井守を連想したんですが。
森見 押井守さんも好きなので、入ってるだろうと思います。ボーッとしてると、押井守と宮崎駿が自動的に出てくるんです。
大森 たしかに、『千と千尋の神隠し』っぽいところもあるし。

             (「本の旅人」2006年12月号より)

また朋友・明石氏(現在は弁護士)との対談で、次のような発言もある。

明石 なぜか、いきなり盛り上がったなあ。夕方になって日が傾いた頃に、突然森見君が「押井守を知ってるか」って言い出して(笑)。「短篇集のレーザーディスクとか一式持ってるから、今から俺の下宿に観に来るか」って。
森見 それはね、高校の時には、誰とも押井守の話とかできなかったんですよ、まったくまわりに通じなくて。そしたら明石君が押井守の名前を知ってたから、「この人なら!」と思ったんでしょうね(笑)。
明石 たまたま『攻殻機動隊』が好きだっただけなんですけどね。後日森見君の家に泊まったら、押井守のレーザーディスクをかたっぱしから見せられた(笑)。

       (「文藝」2011年5月号 【森見登美彦】特集より)

最後に。「ペンギン・ハイウェイ」に登場するジャバウォックとチェスゲームはルイス・キャロル「鏡の国のアリス」からの引用である。そして「ソラリス」もまた、に映る自己(self)についての物語なのだ。

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インクレディブル・ファミリー

評価:A

Incredibles2

公式サイトはこちら。前作「Mr.インクレディブル」も2004年公開時に映画館で観ているのだが、何しろ14年前の話なので当ブログも未だ開設していなかった。更に遡って当時書いた拙レビューを発見した。こちら

ブラッド・バード監督は安定の面白さ。ただ実写への進出作(「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル 」「トゥモローランド」)がイマイチだったので、アニメの世界の戻ってきてくれて本当に嬉しい。ド派手なアクションのてんこ盛りで、息もつかせぬとは正にこのこと。

007シリーズのジョン・バリーを彷彿とさせるマイケル・ジアッキーノのJazzyな音楽も乗りに乗っている。エンド・クレジットでMr.インクレディブル、イラスティガール、フロゾン各々のテーマソングが流れるのがご機嫌だ。

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