アニメーション・アニメーション!

2020年2月14日 (金)

岩井俊二監督「ラストレター」と新海誠/大林宣彦

評価:A

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アニメーション映画「秒速5センチメートル」を初めて観た時に感じたのは、新海誠監督は大林宣彦と岩井俊二の映画が大好きなんだなということ。例えば踏切の場面に「転校生」の影響が感じられる。それは後に「君の名は。」の男女入れ替わりに「転校生」が、タイムリープや終盤の男女のすれ違いに「時をかける少女」が反映されることで確信に変わることになる(「天気の子」で陽菜の体がふっと消え失せるのは「さびしんぼう」だ)。

「秒速5センチメートル」はさらに、岩井の劇場用長編映画第1作 「Love Letter」への熱烈なオマージュがしっかりと刻印されている。特に学校の教室の窓が開いていて、カーテンが風に揺れる場面。そして図書室の貸出カードを触媒として、男女がつながるアイディア。正に「失われた時を求めて」(マルセル・プルースト著)である。

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岩井俊二「Love Letter」より

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新海誠「秒速5センチメートル」より

その後、岩井と新海は急接近し、何度も対談する仲となる。そして岩井はアニメーション映画「花とアリス殺人事件」で"Special thanks to"として新海誠をクレジットし、その返礼として新海は「君の名は。」のエンドロールで岩井俊二の名を挙げた。

新海は「ラストレター」に対して次のような賛辞を送っている。

ラブレターのいくつもの誤配や錯綜が、人生を作っていく。その美しさを教えてくれるのは、傘をさした二人の少女だ。岩井俊二ほどロマンティックな作家を、僕は知らない。

「君の名は。」で声優を務めた神木隆之介と「天気の子」の森七菜が「ラストレター」に出演していることも見逃せない。クロスオーバーだ。共犯関係と言い換えても良い。

「ラストレター」は紛うことなき岩井俊二の集大成である。「Love Letter」で主演した中山美穂と豊川悦司が中盤で登場するし(トヨエツがユング心理学で言うところの、主人公の影 Shadowの役割を果たしているのが面白い)、学校の教室の開いた窓、揺れるカーテン、そして図書室の場面もちゃんと用意されている。

さらに岩井の過去作「四月物語」から松たか子が、岩井が主演した映画「式日」からは監督・庵野秀明が今度は役者として出演している。なお庵野は漫画家役なのだが、彼が仕事中に聴いているのが芥川也寸志が作曲した映画「八甲田山」のサントラというのが粋だね(ガイナックス元代表取締役社長の岡田斗司夫が「庵野は『日本沈没』とか『八甲田山』が好き」と証言している)。試聴はこちら

あと小学生の男の子たちの使い方が「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を彷彿とさせる。そして嗚呼、浴衣姿の広瀬すずと森七菜が、廃校のプールで花火をする場面!「打ち上げ花火」の奥菜恵を想い出して胸がキュンとなった。

岩井俊二は少女が輝く最高の瞬間を掴み取り、フィルムの中に永遠に閉じ込める才能に長けた人である。その代表例が「打ち上げ花火」の奥菜恵であり、「Love Letter」の酒井美紀、「花とアリス」の蒼井優(特にバレエのシーン!)も挙げられよう。今回「ラストレター」の森七菜がそのリストに加わった。

予告編でショパン作曲「別れの曲」が使われていたので、「ラストレター」は大林映画「さびしんぼう」へのオマージュなのか?と僕は予想を立てていた。しかし本編で「別れの曲」は使用されず、代わりに驚くべき仕掛けが待ち受けていた。

「ラストレター」の主人公・鏡史郎(福山雅治)は中年の小説家で東京に住んでいる。彼はふとしたことから古里の仙台に帰る。そこで、初恋の相手・未咲とそっくりの少女・鮎美(広瀬すずが一人二役)に出会う。鮎美は亡くなった未咲の娘だった。

このプロット、実は大林映画「はるか、ノスタルジィ」とそっくり同じなのだ!!「はるか、ノスタルジィ」の綾瀬慎介も小説家であり、両者とも帰郷時にカメラをストラップで首から胸に下げている

また姉妹が登場し、ひとりの男と三角関係になり、姉が死ぬという物語構造は大林映画「ふたり」(赤川次郎 原作)を彷彿とさせる。

岩井は最近、大林監督と親しくしており、「フィルムメーカーズ ⑳ 大林宣彦」(宮帯出版社)に寄稿している。「ラストレター」は実質的に岩井版「はるか、ノスタルジィ」だった。

そして「ラストレター」の鏡史郎と、「はるか、ノスタルジィ」の綾瀬慎介の(ある意味狂気を感じさせる)妄執は、更に遡ってアルフレッド・ヒッチコック監督の「めまい」に接続している。映画は繋がっている。新海誠の言葉を借りるなら〈ムスビ(産霊)〉ということになるだろう

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2019年11月29日 (金)

アナと雪の女王 2

評価:A

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前作のテーマは、「他者と異なる自分の個性を封じ込めて付和雷同するのは止めて、貴方らしく、ありのままに生きなさい(Let It Go)」だった。それはLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)=性的少数者の生きづらさを解消していこうという社会的機運に直結していた(僕はエルサがLGBTだと確信している)。しかし今回は趣向をガラリと変えてきた。テーマはズバリ「生成変化(transform)しないものに価値はない。勇気を持って未知の世界へ(Into the Unknown)一歩踏み出せ!」である。正にそれを象徴するのがエルサがソロで歌う主題歌というわけ。

本作には風・火・水・大地の精霊が登場する。まるでケルト神話だ、と思った。だから「アナと雪の女王2」が作品の雰囲気的に一番近いのは、アイルランドのアニメーション・スタジオ〈カートゥーン・サルーン〉が制作した「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」(トム・ムーア監督)である。日本の八百万神(やおよろずのかみ)信仰やアミニズムにも通ずる世界観であり、たいへん親しみやすい。

「ソング・オブ・ザ・シー」も海の方から聞こえてくる母の歌に子どもたちが導かれるわけで、すごく似ている。

また、オラフが言う「水には記憶がある」という概念がとっても新鮮で、心惹かれた。洞窟でエルサが体験するのは重層的な記憶の集積であり、その豊穣な時間(の結晶)イメージが魅力的。

「我々は記憶において構成されている。我々は幼年期に、青年期に、老年期に、そして壮年期に同時に存在している。」(by フェデリコ・フェリーニ)

時間(結晶)イメージについて詳しくはフランスの哲学者ベルクソンの逆さ円柱モデルを用いて下記事に解説した。ご参照あれ。

ディズニー・スタジオの底力、恐るべし。

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また前作同様、ロペス夫妻が作詞・作曲した歌の数々も素晴らしい。ただアナの恋人クリストフにもソロ・ナンバーが用意されているのだが、間が持てないというか些かダレるかな。歌はもっと少なくても良かったのでは?

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2019年11月15日 (金)

超平和バスターズ「空の青さを知る人よ」と新海誠・川村元気

評価:B

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超平和バスターズの話からしよう。長井龍雪(監督)・岡田麿里(脚本)・田中将賀(キャラクターデザイン/総作画監督)の3人によるアニメーション制作チーム。「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。(略称「あの花」。TVシリーズ全11話と劇場版がある)」、「心が叫びたがってるんだ。(略称「ここさけ」)」、「空の青さを知る人よ」に於いて原作としてクレジットされている。3作品共通して、岡田麿里の出身地・埼玉県秩父市が舞台となっている。なお岡田はアニメーション映画「さよならの朝に約束の花をかざろう」(2018)で監督デビューを果たした(脚本兼任)。

入場者プレゼントで田中将賀描き下ろしA4クリアファイルを貰った。上記3作品のヒロインが描かれている。

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僕は真ん中、今回のヒロイン・あおいが一番好きかも。中二病みたいに不貞腐れたところが可愛い。意地張って強がっているところが健気だしね。「あの花」のめんま(ファイル右)はちょっとロリ過ぎて感情移入し辛いし、「ここさけ」の順(ファイル左)はその自閉症的性格が受け入れ難い。

「あの花」「ここさけ」における田中将賀の仕事ぶりを高く評価した新海誠監督は〈今どきの絵〉を描く田中をキャラクターデザイナーに迎え、Z会CM「クロスロード」(動画はこちら)、「君の名は。」「天気の子」でがっぷり四つに組んだ。余談だが「クロスロード」で声優を務めた佐倉綾音は「天気の子」で陽菜の弟・凪(なぎ)の恋人(元カノ)アヤネを演じている。で児童相談所の訪問者記帳時に「花澤綾音」と記名するのだが、これは凪の今カノ・カナを演じた花澤香菜(「言の葉の庭」「君の名は。」のユキちゃん先生)と姓名を交換したもの。さらに言えば映画にクレジットされていないが、花澤香菜は「天気の子」でお天気ガール(=陽菜)にイベントの当日の晴れを依頼する初代プリキュアのコスプレイヤーの声も当てている。以上トリビアでした〜。

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僕は当然、「あの花」「ここさけ」を全て観ていたのだが、正直、超平和バスターズが特に好きというわけではい。映画館で「空の青さ〜」の予告編を何度も観たが食指は動かず、鑑賞する気は毛頭なかった。しかし巷での評判がえらく高かったので、重い腰を上げたというわけ。

〈井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る〉という言葉が重要な役割を果たす。前半は荘子の「秋水篇」にある「井蛙不可以語於海者、拘於虚也」が出典のようだ。しかし後半部の出典は不明。僕が初めてこの成句を聞いたのが、三谷幸喜が脚本を描いた大河ドラマ『新選組!』の第6回「ヒュースケン逃げろ!」。しかし『新選組!』では〈されど空の高さを知る〉だった。三谷幸喜の創作なのかと思ったが、調べてみると河井寛次郎という陶芸家が大正から昭和初め頃に「井蛙知天」と書いたというのが遡ることが出来る最古の記録らしい。何れにせよ日本人の創作ね。言うまでもなく本作において〈井の中〉とは秩父市のメタファーである。

超平和バスターズ原作の中では、今回の物語が一番上出来だったのではないだろうか。これは新たにチームに加わった川村元気の力が大きいように思う。小説家(「世界から猫が消えたなら」「億男」)でもある川村はプロデューサーとして参加した「君の名は。」で新海誠を覚醒させ、大ブレイクに導いた男である。何しろチューニングが巧みだった。そして「天気の子」と「空の青さ〜」は、「君の名は。」のプロデューサーである古澤佳寛と川村元気が東宝を飛び出して設立した新会社STORYの作品。東宝とは業務提携契約を締結している(こちらにその記事)。

「空の青さ〜」がユニークなのは生霊をテーマとしたこと。死者が幽霊として現れるというのはたくさんアニメであったけれど(「あの花」もそう)、「源氏物語」みたいに生霊というのは珍しい。ただ過去の自分と現在の自分が同時に存在し、対峙するという〈時間イメージ〉の映画はイングマール・ベルイマン「野いちご」とかフェデリコ・フェリーニ「8 1/2」、大林宣彦「さびしんぼう」「はるか、ノスタルジィ」など実写でいくつか前例がある。

しかしながら最後が尻切れトンボというか、今一歩という感じだった。

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2019年10月15日 (火)

【考察】「天気の子」は米アカデミー賞の日本代表に相応しいか?/MX4D & 4DX体験記

まず大前提として読者の皆さんに知っておいて頂きたいことは、僕は新海誠監督「天気の子」が大好きだということだ。

今までに8回観た。内訳は、通常上映3回、IMAX上映(109シネマズ大阪エキスポシティ)3回、MX4D(TOHOシネマズ)1回、4DX(109シネマズ)1回。僕が過去映画館で観た最高回数は1982年に公開された「E.T.」の7回だったので、実に37年ぶりの記録更新である。

邦画・洋画併せて今年のマイ・ベストワンになることは100%間違いないし(第2位は今のところ「蜜蜂と遠雷」)、米アカデミー賞の長編アニメーション部門は絶対に「天気の子」に与えられるべきだと思っている。最有力と言われる「トイ・ストーリ4」なんか目じゃない。

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9月27日、公開11週目を迎えた「天気の子」は4DXMX4Dでの上映を開始した。4Dとはアトラクション型の上映システムで、体感型機能として“水” “風” “フラッシュ” “モーションシート” などが加わった。

4DX韓国のCJ 4DPLEX社が開発し、2009年から提供が開始されたもので、もう一方のMX4DロサンゼルスのMediaMation社が開発し2012年ごろから使われ始め、日本では2015年4月10日にオープンしたTOHOシネマズ ららぽーと富士見で初披露となった。

公式サイトには“雪”の効果もあると書いてあるので、これは体験してみなきゃ!と思い立ち、東宝の映画なのだからTOHOシネマズなら間違いなかろうと信じて、まずMX4D版を観た。

ところが、である。天空の場面ではアームレスト(ドリンクホールダーの先)にある穴から風が顔に吹き付けて来て気持ちいいのだが、頭上から“雨”が降ったりとか“濡れる”機能が全くなく、肝心の場面で“雪”も降らないし、がっかりした。看板に偽りありだ。

一体どうなっているのだと帰宅して色々調べてみると、どうやら4DXMX4D版は全く演出デザインが異なるらしいということが判明した。そこで4DX 版も試してみることにした。

4DXではしっかりと“雨”が降ってきて濡れるし、“雪”も降った!また陽菜が巫女として雲の上に召された場面では“シャボン玉”が劇場を舞い、これもMX4D版にはなかったので、びっくりした。さらにMX4D版で風はアームレストの穴から局所的に吹くだけだが、4DXでは劇場全体に風が渦巻き、とてもダイナミック。しっかり自然に包まれている感じがした。4DXの圧勝である。あと“濡れる”といっても霧吹き・ミストを浴びる程度なので、劇場を出るときにはすっかり乾いており何の問題もなかった。レインコートが必要になるレベルではない。水を浴びるのが嫌な人は、手元にOn/Offボタンも付いている(MX4Dにはない)。

さて、2020年のアカデミー賞では、これまで〈外国語映画賞〉とされてきた部門が、〈国際長編映画賞〉に名称が変更される。この部門に日本代表として「天気の子」の出品が決まった。

過去に日本映画は〈名誉賞〉と呼ばれていた時代に「羅生門」「地獄門」「宮本武蔵」が、〈外国語映画賞〉になってからは2008年に「おくりびと」が受賞している。また1980年以降にノミネートされた作品として「影武者」「泥の河」「たそがれ清兵衛」「万引き家族」がある。

しかし、アニメーション映画「天気の子」が今年選ばれたことには違和感を覚えた。ハードルが高すぎるのである。

〈外国語映画賞〉時代、1997年に「もののけ姫」が日本代表に選ばれたが、ノミネート5作品には入れなかった。あの宮崎駿でも無理だったのに、「天気の子」に予選通過の可能性が果たして本当にあるのだろうか??

〈外国語映画賞〉にアニメーション映画がノミネートされ、最有力候補と噂されたことが過去一度だけあった。2008年イスラエル代表の「戦場でワルツを」である。ところがこの年、大方の予想を覆して受賞したのは日本代表「おくりびと」だった。A big surpriseだった。この一件ではっきりしたのはアカデミー会員の多くはアニメーションをまともな映画として認めておらず、実写作品と並べるとアニメは圧倒的に不利だということ。だからわざわざ2001年から〈長編アニメ映画賞〉が新設されたのだ。契機となったのは1991年にディズニーの「美女と野獣」がアニメーション映画としてアカデミー作品賞に史上初ノミネートされるも、受賞には至らなかったことに端を発する。

そもそも以前から日本代表選びには首を傾げざるを得ないことが多々あった。特に不可解だった選考が2009年の君塚良一監督「誰も守ってくれない」(東宝)。キネマ旬報ベストテンでは第9位だった。それがなぜこの年のOnly Oneに?さらに山田洋次監督(松竹)の作品が5回も選ばれているのに、大林宣彦監督や北野武監督の作品は1回もない。山田洋次は果たしてそんなに偉大な監督か??

しかしつい先日、ようやくそのからくりが判明した。日本代表となる作品は、松竹・東宝・東映・KADOKAWA(旧・大映)の映画製作配給大手4社で構成する日本映画製作者連盟が選考していたのである。つまり悪名高き日本アカデミー賞の会員と似たような構成なのだ。日本アカデミー賞も理不尽な受賞結果が多く(メジャー会社優位)、独立プロダクションの映画は圧倒的に不利だ。故・黒澤明監督が「権威がない」と受賞を辞退したこともあった。

だから米アカデミー賞の代表選びも持ち回りで「今年は松竹さんに花を持たせよう」と忖度された年は、山田監督に集中的にお鉢が回ってくるという仕組みだったのである。

とは言え、僕が「天気の子」を真摯に応援する気持ちに変わりはない。ジャパニメーションに対する世界的評価も年々高まる一方であるから、22年前の「もののけ姫」の時代に比べれば、アカデミー会員の意識も変化しているかも知れない。〈長編アニメ賞〉でも〈国際長編映画賞〉でもどちらでも良いから必ずノミネートを果たし、出来うることなら授賞式当日に名前を読み上げられ、爪痕を残してほしい。Good Luck !!!

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2019年9月17日 (火)

「天気の子」劇場用パンフレット第2弾登場!〜新海誠監督が質問に答えてくださいました。

9月14日(土)より、新海誠監督「天気の子」劇場用パンフレット第2弾が発売された。

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「新海誠監督がみなさまからの質問にお答えします!」(36の質問)というコーナーがあり、1,000件を超える応募の中から、僕の質問が「君の名は。」に続いて採用された。

僕の質問は以下の通り。

船の甲板から転落寸前の帆高の手をキャッチして登場した須田は命の恩人であり、〈父親代わり〉の存在です。しかし物語の最後に帆高は須田に拳銃の銃口を向け、引き金を引きます。僕にはこれが象徴的な〈父親殺し〉に見えました。心理的〈父親殺し〉を経ることによって帆高は自我を確立し、陽菜にとっての「キャッチャー(大丈夫)」になれた。〈父親殺し〉は「天気の子」同様、空から魚が降ってくる村上春樹の小説「海辺のカフカ」のテーマでもあります。僕は「天気の子」と「キャッチャー・イン・ザ・ライ」「海辺のカフカ」が三位一体のように感じるのですが、見当外れでしょうか?

新海誠監督からの回答は劇場用パンフレットを購入してお読み頂きたいが、かいつまんで言うと、『天気の子』の脚本を書き終えたあたりで「海辺のカフカ」を再読し、共通点の多さに少し驚いた。無意識のうちに影響を受けていたのかもしれない、ことのこと。

質問者の年齢が併記されているのだが、可笑しかったのは僕が最高齢だったこと。平均年齢が若い。

また「山本二三 気象神社絵画・天井画」のインタビュー記事も興味深く読んだ。「天空の城ラピュタ」「時をかける少女」の美術監督である。

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余談だが、採用されなかった質問も載せておこう。

オカルト雑誌のライター、須賀は船の甲板から転落しそうになった帆高のキャッチャー(捕まえ手)として登場します。帆高が熱心に読んでいるサリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」において帆高が16歳の少年ホールデンだとすると、須賀は誰に相当するだろう?と考えて、ホールデンの恩師アントリーニ先生じゃないか、と思いました。アントリーニ夫婦はニューヨークのすごくしゃれた高層アパートメントに住んでおり、「入り口から二歩階段を下りたところにある居間に入ると、バーなんかもついている」と書いてあります(村上春樹訳、白水社)。一方、帆高が住み込みで働くことになる須田の事務所は半地下にあります。この暖かくて、子宮的なイメージの一致は新海監督が意図的にされた設定なのでしょうか?

 

映画「フィールド・オブ・ドリームス」にはサリンジャーをモデルにした黒人作家テレンス・マンが登場します(原作小説「シューレス・ジョー」ではサリンジャーその人となっています)。帆高はサリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を熱心に読んでおり、映画の終盤に陽菜が天に昇る夢を帆高と陽菜の弟・凪、須賀、そして須賀の娘・萌花が共有します。一方、「フィールド・オブ・ドリームス」でも複数の登場人物たちが同じ夢を見ます。これは単なる偶然なのでしょうか、それとも監督が意図されたことなのでしょうか?



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2019年8月28日 (水)

超実写版「ライオンキング」の抱える欺瞞

駄目だこりゃ。死ぬほど退屈した。

評価:D

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今回は「超実写版」と銘打たれているが、その説明によると”ディズニーが挑んだ、実写もアニメーションも超えた新たな表現方法”なのだそうだ。身も蓋もない言い方をすれば、実写と見間違えるほどリアルなCGアニメーションということである。同じジョン・ファヴローが監督し、2016年度のアカデミー視覚効果賞を受賞した「ジャングル・ブック」の実績を踏まえての自信なのだろう。

いや、確かに技術はすごい。出てくる動物も、アフリカの風景も本物にしか見えない。CGも遂にここまで来たか!という感慨はある。

しかし映像がリアルになればリアルになるだけ、〈動物が人間の言葉を喋る〉ことの違和感が増幅する。それと〈Circle of life(生命の輪、円環構造)〉と言いながら、実は劇中でライオンが草食動物を捕食する場面を一切見せないという欺瞞が浮き彫りにされる。これは手塚治虫の名作漫画「ジャングル大帝」も同時に抱える欺瞞である。プンバァ(イボイノシシ)とティモン(ミーアキャット)のコンビは、シンバに食べられないようにするために彼に昆虫採食を勧めるわけだが、「草食動物を食べることは残酷で、相手が昆虫ならええんかい!」とツッコミを入れたくなる。矛盾だ。実際のところライオンの体は大きいのだから、昆虫のタンパク質だけだったら生命を維持出来ないだろう。人間だって草食動物をバクバク捕食しているわけだし、ライオンにこのような倫理観を押し付けるのは間違っている。そういう物語上のアラが目立ってしまった。

あと画面構成(レイアウト)も、編集(カット割り)も1994年のアニメ版とそっくりそのままで、「リメイクする意味って何かあるん???」と頭の中を疑問符がぐるぐる回り続けた。

これは〈映画〉じゃない。〈アトラクション〉だ。

それからスカー(シンバの叔父)の声はアニメ版のジェレミー・アイアンズ、ハイエナのシェンジ役はやはり94年版のウーピー・ゴールドバーグの方が断然味があって良かったなぁ。また余談だが、94年版でシンバの声を当てたマシュー・ブロデリックと、ティモン役のネイサン・レインは後に舞台ミュージカル「プロデューサーズ」(台本・音楽:メル・ブルックス)でもコンビを組み、トニー賞を総なめにした。僕は2001年8月末(9・11同時多発テロ直前)にブロードウェイでこの二人が出演する「プロデューサーズ」を観た。本当に素晴らしかった。

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2019年8月26日 (月)

「シシ神の森」屋久島旅行記

8月3日(土)から7日(水)まで4泊5日で鹿児島県・屋久島に旅をした。

初めて屋久島を訪れたのは1997年夏。映画「もののけ姫」が公開された年である。宮崎駿監督とスタッフがロケハン時に泊まった民宿「水明荘」に僕も宿をとった。監督の色紙が飾られていた。往復8時間かけて縄文杉まで歩いたのだが、その時の旅の記録はここに書き記した。「スタジオジブリ」HPにも掲載された。あと帰りの屋久島空港の待合で、たまたま僕の隣に立川談志が座っていたのも懐かしい思い出だ。その時僕は談志の落語を聴いたことがなかったので話しかけたりしなかったが、付き人に対して何かブツブツ小言を並べていた。

今回宿泊したのはJRホテル屋久島。とろみのある天然温泉が極上だった。和歌山県の龍神温泉、愛媛県今治市にある鈍川温泉など、「美人の湯」と呼ばれる温泉は数あれど、僕が入った中では屋久島の泉質が最高だった。

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上の写真はホテルの展望風呂付き客室からの眺め。絶景のオーシャン・ビューである。食事も美味しかった!

それにしても可笑しいのは、屋久島には鉄道が走っていないんだよね。何故JRホテルがここに??

到着初日は空港近くでレンタカーを借りてヤクスギランドと、その近くにある紀元杉へ。

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屋久杉は何本もの太い縄を寄せ集め、束ねたような印象で、どこか注連縄(しめなわ)を想起させる。

「屋久島はひと月に35日雨が降る」と表現したのは林芙美子の小説「浮雲」である。成瀬巳喜男監督の映画版も日本映画史に燦然と輝く傑作だ。空港では晴れていたのに山中のヤクスギランドに着く頃は土砂降り。また海岸線に車で降りてくると道路はカラッと乾いていた。

旅の2日目は丸一日、ガイドを雇い沢登りを愉しんだ。屋久島の川の水はとてもきれいで、鮎も泳いでいる。ヘルメット、プロテクター、ライフジャケットを身に着けて、小学校2年生の息子は何度も高い岩の上から川に飛び込んでいた。その光景を見ながら映画「明日に向って撃て!」とか「ヤング・ゼネレーション」「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」の一場面を想い出した。

お昼はガイドの人が森の中でパエリアを料理してくれた。有頭海老やムール貝の入った本格的なもの。今まで食べたパエリアの中で一番の味だった。でも同時に飲んだインスタントの味噌汁も美味しかったので、シチュエーションの効果も大きいのだろう。

3日目、白谷雲水峡を歩く。

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今にも森の妖精〈こだま〉が出てきそうな「苔むす森」。

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ちなみに〈こだま〉は漢字で〈木霊〉と書き、樹木に宿る精霊のことである。「もののけ姫」が大好きな人はここと、縄文杉を併せて訪れたい。

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二股の「くぐり杉」である。

大川(おおこ)の滝は「日本の滝 百選」にも選ばれている。

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実にダイナミック。すぐ近くまで行けて、水飛沫を全身に浴びた。

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最終日は千尋(せんぴろ)の滝を訪れた。

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左側にある巨大な花崗岩 の岩盤が壮観である。

そしてトローキの滝へ。海に直接水が落ちる海岸瀑である。

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屋久島は山・川・海と大自然を満喫出来る。あと昨年の沖縄・宮古島でも感じたのだが、関西より断然涼しい。ガイドの人も「屋久島は避暑地です」と断言していた。日本の夏は南の島に限る!

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2019年8月14日 (水)

【考察】新海誠監督「天気の子」の神話学

神話としての「天気の子」を読み解くに当たり、フランスの社会人類学者レヴィ=ストロース(1908-2009)の考え方をご紹介しておこう。

南北アメリカ大陸の先住民の神話を詳細に研究した「神話論理」四部作で彼は次のように説く。

神話とは自然から文化への移行を語るものであり、神話の目的はただ一つの問題、すなわち連続不連続のあいだの調停である。

自然と文化の対立を語る神話が、様々なコードを用いて様々な二項対立(天と地、生のもとと火にかけたもの、新鮮なものと腐ったもの、裸と着衣、空っぽのものと詰まったもの、容れるものと容れられるもの=能動と受動、内のものと外のものなど)を語るのは、この調停不可能な根源的対立の調停を行う(隔たりを緩和したり、その間を循環する第三の項〘例えば天と地を結ぶつる植物〙を導入する)ためである。自然から文化への移行は、連続体としての自然に差異を導入して不連続化することによってなされる。この不連続化は言葉と交換(彼の著書『親族の基本構造』で明らかにされたように女性や財の交換)による他者とのコミュニケーションという、人間社会の基本的条件をもたらす。

「天気の子」には、

空(雲)・彼岸(ひがん)↔東京という大都会・此岸(しがん)

という二項対立がある。これは、

自然↔文化

を意味している。さらに、

神(永遠の命・連続)↔人間(限りある命・不連続)

重力からの開放↔重力による拘束

に繋がる。ではその二項対立の間を結ぶ第三の項は何か?

〈神(空)→人〉へのメッセージとして次のようなものが挙げられる。

  • 雨、水の魚
  • 落雷
  • 雲の切れ間から光が差し込む“天使のはしご”

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逆に、〈人間→神〉へ語りかけるためのコミュニケーション・ツールとして次のようなものがある。

  • 精霊馬(しょうりょううま):ご先祖様をお迎えしたり、お送りしたりする乗り物。 主に夏野菜の「キュウリ」と「ナス」で作られる。
  • お盆の迎え火(煙)
  • 巫女・人柱=陽菜

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Keburi

死者を荼毘に付した際に立ち上る煙(けぶり)を題材にした、次のような和歌もある。

  • 空蝉はからを見つつもなぐさめつ深草の山煙だに立て(古今)
  • あはれ君いかなる野辺の煙にてむなしき空の雲となりけむ(新古今)

主人公の帆高は陽菜が〈人柱〉になることを全身全霊で否定する。つまり神(天気)人間(文化)間の調停を拒むわけだ。ここが新しい。人間の業(ごう)の肯定交渉は決裂したため、文化(都市)は水没し、自然に還る。

エンドロールに流れるRADWIMPSの野田洋次郎が作詞した「愛にできることはまだあるかい」の歌詞を見てみよう。

何もない僕たちに なぜ夢を見させたか
終わりある人生に なぜ希望を持たせたか

なぜこの手をすり抜ける ものばかり与えたか
それでもなおしがみつく 僕らは醜いかい
それとも、きれいかい

答えてよ

これは、命に限りのあるもの(人間)不連続 が、永遠の命を有するもの(神)連続 に対して発した問いである。

そもそも映画(アニメーション)作りとは、命に限りのあるもの(人間)が、永遠の命を有するもの(映画)に、その想いや願いを託すことであると定義出来る。

さらに、「天気の子」に認められる顕著な二項対立として、

帆高(16歳の家出少年)↔社会

が挙げられる。

アドレッセンス(思春期)↔インチキな(phony)大人たち

の対決と言い換えても良いだろう。

その調停を担うのが拳銃であり、(象徴的な)「父親殺し」を経て帆高は社会(代表者:須賀)と和解する。

そもそも、

キミとボクの幸せ・愛↔世界の秩序・均衡を保つという大義・正義

の対立が”セカイ系”の基本構造であった。

次にユング心理学の手法を用いて「天気の子」を見てみよう。耳慣れない用語があれば、下記事を参考にされたし。

帆高にとって陽菜はアニマ(男性が抱く内なる女性像)であると言える。陽菜の弟・凪はinnocent(純真な)子供元型 Archetypeであると同時に、男女入れ替わりをするので、いたずら好きなトリックスターの役割も担っている。オカルト雑誌のライター・須賀は「なりたくない自分」、つまり影(シャドウ)だ。

須賀圭介は過去に囚われている。個人事務所「K&Aプランニング」のKは圭介、Aは死んだ妻・明日花の頭文字である。3年後(エピローグ;令和6年)に有限会社から株式会社に成長しても「K&Aプランニング」という名前を変更しない。旧事務所の冷蔵庫には明日花が書き残したメモが張りっぱなしであり、圭介は薬指に結婚指輪を2本はめている(1つは明日花のもの)。つまり須賀は延長された青春(アドレッセンス)を今も生きている(ゼルダという伴侶を得てジャズ・エイジを謳歌したアメリカの作家スコット・フィッツジェラルドみたいに)。だから、帆高が人生を棒に振っても会いたい子(陽菜)がいるという話を刑事から聞いて涙を流す。しかし同時に須賀はそんな〈駄目な自分〉を自覚しており、〈大人にならなければならない〉と自らに言い聞かせてもいる(須賀の台詞「ーもう大人になれよ、少年」)。故に彼は雨水で溢れた半地下の窓を開き、事務所を水浸しにしてしまう。無意識の内に〈過去を洗い流そう〉としたのだ。そしてクライマックスの廃ビルで須賀は大人の仮面(ペルソナ、社会的元型)を被り、「警察に自首しろ」と〈世間の常識〉を振りかざし帆高を説得しようとする。しかし帆高は拳銃を撃ってその仮面を割り、剥ぎ取る。こうして我に返った須賀は一転して帆高を助ける。

劇中に登場する占い師の女性、瀧の祖母(立花冨美)、そして気象神社の神主は老賢人(The Wise Old Man/Woman)だ。さらに雲の周囲を泳ぐ龍は帆高を呑み込むので、日本の昔話に登場する山姥と同じ意味合い=太母(The Great Mother)と言える。五十嵐大介の漫画「海獣の子」における、ザトウクジラの果たす役割だ。「天気の子」にもクジラが登場するのは決して偶然ではない。

また陽菜の体を取り巻く〈水の魚〉はヌミノース(宗教体験における非合理的なもの)である。それは波動であり、リズムだ。音楽用語で言えばグルーヴが該当する。

こうして見ていくと、「天気の子」のプロットがいかに入念に練られたものか、良くお判り頂けたのではないだろうか?

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2019年7月29日 (月)

新海誠監督「天気の子」がトロント国際映画祭に出品される意義について。

新海誠監督「天気の子」がトロント国際映画祭(9月5~15日開催)のスペシャル・プレゼンテーション部門に出品されることが決まった。この部門は観客賞(ピープルズ・チョイス・アワード)の選考対象となっている。

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トロントには審査員が選ぶ賞(コンペティション)がなく、観客賞が最高賞となっているが、実はアカデミー賞の前哨戦として極めて重要な賞なのだ。

2018年の観客賞に選ばれた「グリーンブック」はアカデミー作品賞を受賞。2017年の「スリー・ビルボード」はアカデミー作品賞にノミネートされ、主演女優賞を受賞。2016年の「ラ・ラ・ランド」もアカデミー作品賞にノミネートされ、監督賞や主演女優賞に輝いた。

他にトロントの観客賞がアカデミー作品賞および外国語映画賞に直結した例として「それでも夜は明ける」「英国王のスピーチ」「スラムドッグ$ミリオネア」「アメリカン・ビューティ」「グリーン・デスティニー」(台湾)「ライフ・イズ・ビューティフル」(伊)「炎のランナー」などがある。

もしも「天気の子」が観客賞を受賞出来れば、それはアニメーション映画として史上初の快挙であり、アカデミー長編アニメーション映画賞のノミネート確定ということになる。取らぬ狸の皮算用になりませんように。

僕が気になっているのは、恐らく秘密裏に作業が進んであるであろう英語吹き替え版(RADWIMPSの英語歌含む)がトロントに間に合うのか、どうか?ということ。映画に登場するスマホの文字もすべて英語に置き換えて上映すれば(「君の名は。」では技術的に無理だった)、よりトロントの観客にアピール出来るであろうに……。

Break a leg ! (意味はこちら。メル・ブルックス作のミュージカル「プロデューサーズ」で覚えました)世界へはばたけ「天気の子」!!

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2019年7月27日 (土)

父親殺し〜【考察】新海誠監督「天気の子」の心理学

ネタバレあります。未見の方は要注意。また、下記事も合わせてお読み下さい。

1)父親殺し

映画の冒頭、主人公である16歳の家出少年・帆高は「さるびあ丸」という船で離島から東京に向かっている途中に異常気象の雨に襲われ、甲板から転落しそうになったところをオカルト雑誌のライター、須賀圭介に助けられる。つまり、手をキャッチされる。これは帆高が読んでいるサリンジャー(著)「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の内容に呼応している。

崖っぷち近くにある、だだっ広いライ麦畑で子供たちが大勢集まって何かゲームをしている。中には前をよく見ていなくて勢い余って崖から落ちそうになる子がいる。彼らをそっと見守り、危ない時はキャッチ(捕手)してあげられるような大人になりたい、と16歳の主人公ホールデンは妹フィービーに対して語る。

父親不在の「天気の子」において、Catcher(命の恩人)として登場した須賀は、帆高にとっての〈父親代わり〉となる。 社会に出たときの規範であると同時に、胡散臭い男なので〈なりたくない自分=〉でもある。つまり相反する感情がそこにはある。

帆高=ホールデンならば、〈父親代わり〉としての須賀は「キャッチャー・イン・ザ・ライ」 に於ける誰に対応するだろう?と僕は考え、ホールデンが退学した学校の恩師アントリーニ先生かな、と思った。

アントリーニ夫婦はニューヨークのすごくしゃれた高層アパートメントに住んでおり、「入り口から二歩階段を下りたところにある居間に入ると、バーなんかもついている」と書いてある(村上春樹訳、白水社)。

ここで村上春樹と柴田元幸(東京大学名誉教授)の対談「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」(文春新書)から引用しよう。

柴田 あのアパートメントというのが、何段か階段を降りてリビングに入っていくようになっているということが書いてあって、ちょっと地下なんですよね。それであそこだけ、暖かい。なんとなく子宮的。
村上 たしかにそうですね。フィービーの部屋だって暖かくないです。

僕はハッとした。帆高が住み込みで働くことになる須田の事務所は半地下にあるのだ!

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「東京って怖えぇ」と言う帆高にとって、須田の事務所は暖かく、穴ぐらにある隠れ家のような落ち着ける場所である。

須賀の娘・萌花は喘息を患っている。そしてアントリーニ先生の奥さんも喘息がひどい。ここにも共通項がある。

アントリーニ先生はホールデンに次のように言う。「私の目にはありありと見えるんだよ。君が無価値な大義のために、なんらかのかたちで高貴なる死を迎えようとしているところがね」(村上春樹訳、白水社)。まるで「天気の子」のヒロイン・陽菜に対する言葉みたいではないか。

映画のクライマックスで帆高は須田に銃口を向け、引き金を引く。これは通過儀礼としての象徴的な〈父親殺し〉であると言えるだろう。つまり「僕はあんたたちみたいに”常識”とか”倫理”に囚われたインチキな(phony)大人には絶対ならない!そうなるくらいならいっその事、青臭い(=童貞)と言われようがアドレッセンス(思春期)に留まる」という決意表明と解釈出来る。

その直後、警官に取り囲まれた帆高を助けるために陽菜の弟が飛び込んでくる。それまで彼を「センパイ」と呼んでいた帆高は「凪 !?」と叫ぶ。さらに天空にいる陽菜を奪還する場面で初めて彼は「陽菜さん」ではなく、「陽菜!」と呼び捨てにする。つまり、姉弟に対して〈弟分〉のような甘えた気持ちで接して来た帆高は、〈父親殺し〉を契機に〈家長〉としての自覚を持ったのである。そして2年半後、嘗て「大人になれよ、少年」と言っていた須田は帆高を「青年」と呼ぶ。

「天気の子」同様、空から魚が降ってくる村上春樹の小説「海辺のカフカ」は15歳の少年が主人公で、父親から「母と交わり父を殺し、姉とも交わる」という呪いをかけられたため家出を決意する。ベースにあるのはギリシャ悲劇「オイディプス(エディプス)王」。つまり〈父親殺し〉をめぐる物語だ。「天気の子」と「キャッチャー・イン・ザ・ライ」「海辺のカフカ」は密接に繋がっている(三位一体)。「君の名は。」でいうところの〈ムスビ産霊〉〉だ。

エンドロールでRADWIMPSの野田洋次郎はこう歌う。

君にとっての「大丈夫」になりたい

帆高は心理的な〈父親殺し〉を経ることにより文化的社会的規範から自由になり、自我を確立して陽菜にとっての「キャッチャー」になったのである。

新海誠は長野県小海町の建設会社「新津組」(公式サイトはこちら)社長の息子として生まれた。父は息子に家業を継がせるつもりだったと語っている(記事はこちら)。しかし新海はアニメーションという仕事を選んだ。そこには当然大きな葛藤があったろう。心理的な〈父親殺し〉が必要だったのかも知れない(「新津」を捨て「新海」を名乗る)。なお、新海と父の関係は「君の名は。」のテッシー(勅使河原)父子に投影されている。

2)夢の効用〜「フィールド・オブ・ドリームス」

天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ (古今集)

陽菜が天に昇る夢を帆高と陽菜の弟・、須賀、そして須賀の娘・萌花が同時に見る。つまり四人は夢を共有している。そこには〈夢の通い路〉〈夢の直路(ただち)〉がある。

はかなしや 枕さだめぬ うたたねに ほのかにまよふ 夢の通ひ路(千載集)

恋ひわびてうち寝るなかにいきかよふ夢の直路はうつつならなむ(古今集)

映画「フィールド・オブ・ドリームス」にはサリンジャーをモデルにした作家テレンス・マンが登場する(原作小説ではサリンジャーその人となっている)。

そして「フィールド・オブ・ドリームス」でも複数の登場人物たちが同じ夢を共有する。これって単なる偶然だろうか?

3)人柱は何故生まれたか?

旱魃(かんばつ)という言葉の、旱(かん)は「ひでり」、魃(ばつ)は「ひでりの神」を意味する。中国神話によると、中国を統一した黄帝は戦争の際、敵陣営の風雨を司る雨師と風伯に対抗して体内に大量の熱を蓄えている娘・魃を呼び寄せ対抗した。魃が雨を止めることで黄帝は勝利を掴んだが、魃は力を使いすぎて天へ帰れなくなっていた。日照りが続いたため、魃は北方の山中に幽閉された。跋は日本における巫女のような存在であり、100%の晴れ女である。

古代アステカ人は雨乞いや豊穣を祈願して人間の新鮮な心臓を神殿に捧げた。またマヤ文明に於いて旱魃は雨の神チャクの怒りによるものだと考えられたため、14歳の美しい処女を選び、聖なる泉に生贄として捧げた。この生贄の儀式はメル・ギブソンが監督した映画「アポカリプト」にも描かれている(ダイヤログは全編マヤ語)。

人柱など人身御供は〈神とのコミュニケーション〉の手段として活用された。人と人とのコミュニケーションの基本は〈価値の交換〉である。言葉の交換もそうだし、物々交換の代わりとして現在では貨幣経済が主流となった。貨幣が〈価値の担保〉になったのである。同様に人が神様に何かをお願いするためには、等価のものをこちらから差し出さなければならない。つまり〈代償を支払う〉必要がある。それが人柱、人身御供だ。

4)指輪は何故、陽菜の指をすり抜けたのか?

「天気の子」のクライマックスで昇天した陽菜の指から、帆高から貰った指輪が抜け落ちる。多くの人はこれが、陽菜の体が透明になったせいだと考えているが、果たしてそうだろうか?ならば、陽菜が着ている服やチョーカー(首飾り)も地上に落下しなければ矛盾する。

人柱になった陽菜は神への供物であり、巫女=コミュニケーション・ツールだ。巫女は処女でなければならない。しかし男から貰った指輪は穢(けがれ)だ。だから神は弾き飛ばしたのである。

助けに来た帆高は陽菜がいる、かなとこ雲の上(=神の座)に乗ることが出来ない。それは彼が穢(けがれ) だからである。

5)「崖の上のポニョ」

本作は「天空の城ラピュタ」との類似点を沢山指摘出来る。陽菜が身に付けているチョーカー(首飾り)は飛行石みたいだし、「天気の子」の雲の周りを龍神が泳いでいるのは「ラピュタ」の”竜の巣”に相当する。そして男の子と女の子が両手を繋いで落下する場面も共通している。さらに「ラピュタ」の美術監督として圧倒的に美しい雲を描いた山本二三が「天気の子」では気象神社の天井画を描いている。しかし、物語の構造的に一番近いのは「崖の上のポニョ」であろう。

水没する世界。でもキミ(ポニョ/陽菜)とボク(宗介/帆高)さえいれば大丈夫、なんとかなるさ。

なお、宮崎駿は水没する世界というイメージが大好きで、「パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻」「ルパン三世 カリオストロの城」などで繰り返し描いている。

それで想い出したのだが、新海誠「秒速5センチメートル」の少年少女は古代カンブリア紀の話をしていた(明里は「私、ハルキゲニアが好きだな」と言うのだけれど、多分それは新海誠が村上春樹を好きっていうこと)。そして「崖の上のポニョ」には古代デボン紀の魚が登場する(公式サイトの解説はこちら)。

6)両性具有

以前、こんな記事を書いた。

「天気の子」で両性具有を担っているのが陽菜の弟・凪である。実際「君の名は。」同様、凪は男女入れ替わりを実行する。それは王朝文学「とりかへばや物語」に繋がっている。

7)ミュージカル「RENT」

予報1を観たときから、主題歌「愛にできることはまだあるかい」冒頭のコード進行が、ピューリッツァー賞やトニー賞を総なめにしたブロードウェイ・ミュージカル「RENT(レント)」の名曲"Seasons of Love"(作詞・作曲:ジョナサン・ラーソン)と全く同じなことに気付いていた。試聴はこちら。「どういう意図があるのだろう?」と、それからずーっと考え続けてきた。ふと思ったのは、「RENT」はAIDSが蔓延した絶望的な世界の中で、身近な人たちとの愛を拠りどころに一日一日を大切に生きていこうというメッセージを発している。そういう意味で「天気の子」に近い志向を持っていると言えるだろう。

8)もやもや感の正体

「天気の子」に否定的な意見を持つ人の多くが異口同音に言っているのが結末が「モヤモヤする」ということである。どういうことか?

セカイ系の旗手・新海誠は処女作「ほしのこえ」からバッドエンドを描いてきた。その究極形が「秒速5センチメートル」であり、〈キミとボク〉の関係はすれ違いのまま幕を閉じる。ここで大きく舵を切って大ヒットを飛ばしたのが「君の名は。」である。〈キミとボク〉もハッピー、セカイもハッピーエンドを迎えた(アメリカで初めて上映されたとき、雪の降る東京の街角で瀧と三葉がすれ違う場面では客席から"Oh my god !"〘あーあ、またか!〙というため息が漏れたという)。しかし、「天気の子」の場合、〈キミとボク〉はハッピーだけれど、セカイにとってはバッドエンドだ。このベクトル(進む方向)の差異が違和感の正体だろう。

 

以上どうでしたか?新海誠の超ディープな世界をご堪能頂けただろうか。それではサヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。

Sayonara

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