アニメーション・アニメーション!

2017年2月 7日 (火)

ゲイは「美女と野獣」がお好き?

つい先日、BSジャパンで放送中の指揮者の藤岡幸夫がナビゲーターを務める音楽番組「エンター・ザ・ミュージック」(公式サイトはこちら)を観ていたら、モーリス・ラヴェルがマザー・グースを題材にして作曲した「マ・メール・ロワ」組曲が取り上げられていた。「マ・メール・ロワ」の第4曲は”美女と野獣の対話”である。これを聴きながら、ゲイって「美女と野獣」が好きなのかな?とぼんやり考えていた。

とそこで、物凄い事実に気が付いた!

「美女と野獣」は元々、フランスのヴィルヌーヴ夫人が1740年に書いたお伽噺である。現在よく知られるのは1756年に出版された、ボーモン夫人による短縮版である。

1946年、小説「恐るべき子供たち」の著者であり詩人としても名高いジャン・コクトー監督がこれを映画化した。キネマ旬報ベストテンで第6位に入るなど、公開当時から現在に至るまで高い評価を得ている。コクトーがゲイだったっことは公然の秘密であり、映画で野獣/王子を演じたジャン・マレーはコクトーの長年の愛人だった。

Bijo

1991年にディズニーは「美女と野獣」をミュージカル・アニメーションとして映画化。アニメ映画史上初めてアカデミー作品賞にノミネートされるという快挙を成し遂げた(当時は長編アニメーション映画部門がなかった)。その製作総指揮及び作詞を担当したのがハワード・アッシュマンである。しかし彼はAIDSを患い、「美女と野獣」がアカデミー賞で作曲賞(アラン・メンケン)と歌曲賞を受賞したときには既に故人だった。享年40歳。授賞式ではアッシュマンのパートナー(勿論男性)がオスカー像を受取り、スピーチをした(その時の動画はこちら)。アニメ版のエンド・クレジットには次のような追悼メッセージが刻印されている。

To our friend, Howard,
Who gave a mermaid her voice,
and a beast his soul.
We will be forever grateful.

 Howard Ashman
 1950-1991

ぼくらの友、ハワードに捧ぐ
君は人魚に声を与え(「リトル・マーメイド」のこと)
野獣に魂を授けてくれた
僕らは君への感謝の気持ちを永遠に忘れない

2017年、ディズニーはアッシュマン&メンケンの楽曲をそのまま用いて「美女と野獣」を実写映画化した。日本では4月21日に公開予定。公式サイトはこちら。美女を演じるのは「ハリー・ポッター」シリーズのハーマイオニーこと、エマ・ワトソン。監督を務めたビル・コンドン(映画「シカゴ」の脚色、「ドリームガールズ」脚色・監督)はゲイであることを公にしている。

Beauty_and_the_beast

また2017年版でガストンを演じるルーク・エヴァンズは俳優としてキャリアを始めた早い段階からゲイをカミングアウトしている。インタビューの中で彼は「みな僕がゲイであることを知っているし、それを隠そうと思ったことはない。カミングアウトしていることで俳優としての人生に支障が出たことはない」と述べている。

しかし一方で、こういう意見もある。ビル・コンドンが監督した「ゴッド・アンド・モンスター」で主演したイアン・マッケランは「ロード・オブ・ザ・リング」のガンダルフとしても有名だが、彼もゲイをカミングアウトしている。2年連続でアカデミー賞に白人俳優ばかりノミネートされ多様性の欠如が非難された2016年、マッケランは「ゲイを公表している男優もオスカーを獲得したことがない。偏見なのか、偶然なのか」とガーディアン紙に語っている。実際に彼は「ゴッド・アンド・モンスター」でアカデミー主演男優賞に、「ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間」で助演男優賞にノミネートされたが、何れも受賞を逃している。そしてマッケランは2017年実写版「美女と野獣」でコグスワースを演じている。

こうやって眺めていくと、やはり「美女と野獣」という物語にはゲイの琴線に触れ、惹きつける、何かとても大切なものがあることは間違いない。ストレートの僕にはそれが何なのか未だよく判らないのだけれど。

さぁ貴方も映画を観て、思索の旅(The Journey of Meditation)に出てみませんか?

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2017年2月 2日 (木)

「君の名は。」英語主題歌版(台詞は英語字幕付き)体験記

新海誠監督「君の名は。(Your Name.)」が4月7日より全米とカナダの劇場にて200スクリーン以上の規模で上映されることが決まった(配給はFunimation Films)。それに伴いRAWPIMPSの野田洋次郎くんが新たに英語詞を書き下ろした歌バージョンの上映をミント神戸で観てきた。因みに兵庫県ではここ1館でしか上映されていない(東宝の映画なのに、何でTOHOシネマズでやってくれない??)。台詞は日本語で英語字幕付き。予習としてEnglish ver.をiTunesからダウンロードし、歌詞とにらめっこしながら繰り返し聴いて頭に叩き込んだ。野田くんは幼稚園のときにアメリカのナッシュビルに引っ越し、ロサンゼルスの小学校などを転々としながら10歳で帰国したという。だから当然英語は自家薬籠中の物で、英語詞も実にこなれている。オリジナルはこっちじゃないか?というくらいの完成度の高さ。

6回目の鑑賞である。因みに僕が一番たくさん映画館で観た作品は高校生の時に封切られた「E.T.」の7回(@テアトル岡山、2003年11月3日に閉館)。ただし最初は試写会で観たし(同級生から招待ハガキを100円で買い取った)、シネコンが登場するより前の時代なので、当時は入れ替え制/指定席ではなく、連続して2回観ることも可能だったのである。「君の名は。」はちゃんと6回お金を払いました。

僕の前に座った女性は50歳位の母親を同伴していた。「私は2回目だから、お母さんは真ん中に座りなよ」と話していたので母親の方は初回と思われる。こんな特殊な上映が最初で大丈夫か?と訝った。また一席空いて僕の左隣には中年夫婦が座っていた。上映が始まり、映画冒頭で三葉がスマホにセットしたアラームが鳴る。突如隣のオバちゃんが「あれ、誰かの携帯が鳴っとる!私のかしら?」と慌ててカバンをゴソゴソし始めた。この人も初心者か!心底びっくりした。

初公開から既に5ヶ月以上が経過した。それでも「君の名は。」は未だ映画館に一度も足を運んだことのない潜在的な観客を掘り起こし続けている。これは凄いことだ。

英語の歌詞は日本語と比較して情報量が多いので、新たな発見もあった。例えば冒頭の「夢灯籠」である。

あぁ 雨の止むまさにその切れ間と 虹の出発点 終点と
この命果てる場所に何かがあるって いつも言い張っていた

この「言い張っていた」の主語は「君」だとずっと信じていた。ところが英語版は

And where the end of this light flies, I've always been insisting there was something that I've been longing for

となっており、「僕」だったんだ!とびっくりした。また「前前前世」の歌詞「何光年」が英語では"millions of light-years"(何万光年)に変更されているのも、スケールアップしていて可笑しい。

他にも色々と英語の勉強になった。具体例を幾つかあげよう。

  • 「夢灯籠」unprecedented:前例のない
  • 「前前前世」eyes glow:目が光る、waver:たじろぐ
    unfettered:束縛されない、自由な
    come up with a verse:歌詞を思い付く、ひねり出す
  • 「スパークル」tame:飼いならす、hourglass:砂時計
    skim through:飛ばし読みをする、ざっと目を通す
    doze off:うたた寝をする、lukewarm:なまぬるい
    mildew:白カビが生える
    second,hour hands of the clock:時計の秒針、時(短)針
    every word stacked:山のように積み重ねられた言葉
  • 「なんでもないや」gust of wind:一陣の風
    make it here:ここに到着する、come short:もの足りない
    glee:(サンタクロースが)ほくそ笑む
    ⇔「スパークル」の「君」にはgrin(歯を見せて笑う)という動詞が
    当てられている。
    showy crier:派手に泣く人

Zenzenzense だけ日本語のままというのが興味深い。相応しい英単語が見つからなかったのかな?

また「前前前世」で、

君の髪や瞳だけで胸が痛いよ
同じ時を吸いこんで離したくないよ

この箇所で英語版はリズムを変えている(三連符の一部で音を刻まずに伸ばす)。しかし2番の歌詞では日本語版と同じく全て刻んで歌っている。

さて、英語字幕では日米(英)の文化差が浮き彫りにされて面白い。例えば四葉は三葉のことを「おねぇちゃん」と呼ぶが、字幕では"MItsuha"。瀧は奥寺先輩に"Ms. Okudera"と呼びかける。該当する言葉がないんだね。

瀧に憑依した三葉が高校で初めて司と会う場面の会話、

「……ツカサ、くん?」「はは、くん付け?」

のくだりは字幕で完全無視。こういうニュアンスも英語では醸し出し難いのだろう。

あとハッとしたのが「隠り世(かくりよ)/あの世」が英語では"Underworld"となっていたこと。そうか、キリスト教の"Heaven"でも"Hell"でもないんだ。"Underworld"はギリシャ神話に登場する黄泉の国に該当する。つまりこれを訳した人はオルフェウスとエウリディケの物語が念頭にあるんだね。それは日本のイザナギ、イザナミに繋がっている。

以下余談。彗星の軌道問題(2回目のニュースから物理学的に作画が間違っている)は未だ修正されていなかった。

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2017年1月14日 (土)

「君の名は。」IMAX(次世代レーザー)体験記

新海誠監督「君の名は。」が2週間限定でIMAX上映されることになり、その初日に109シネマズ大阪エキスポシティに観に行った。

Img_0964

予告編で「ラ・ラ・ランド」が流れた。日本でもIMAXシアターで上映するんだ!ときめいた。

横幅26m、高さ18mという巨大スクリーンに4Kで映し出される「君の名は。」の映像は、とにかく没入感がヤバかった!特に圧倒されたのはユキちゃん先生(花澤香菜)が古文の授業で万葉集を教える場面。チョークを黒板に押し当てた時に粉が飛び散るのが鮮明に見えたのだ。びっくりした。

12.1chサラウンドの音響も極上。今まで聞こえなかった効果音(虫の声 etc.)もバッチリ。

ただちょっと残念だったのは今回のIMAX版で彗星の軌道の作画ミス(2回目のニュース映像から)が修正されているかも?と期待したのだが、そのままだった。以前プロデューサーの古澤佳寛さんにツイッターで質問したら、修正予定ですとご返事を頂いたのだが、DVD/Blu-ray発売時などまだ先の話みたい。

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2016年12月28日 (水)

2016年を振り返って

2016年を回顧して、僕が今年を1文字の漢字で表すなら「」以外にないなと想う。

これは「将来の夢」とか、キング牧師の有名な演説"I have a dream"の夢(=希望・願望)ではなく、文字通り夜見るのことである。

何と言っても臨床心理学(ユング派)の権威・河合隼雄と、新海誠監督「君の名は。」の出会いが大きかった。この両者を結びつけるのがであり、言い換えるなら無意識潜在意識/深層心理ということになるだろう。

そもそも河合隼雄の名を知った切っ掛けが今年7月、佐渡裕プロデュースで兵庫県立芸術文化センターで上演されたブリテンのオペラ「夏の夜の」の予習として読んだ対談本「快読シェイクスピア」(ちくま文庫)だった。詳しくは下記事に書いた。

漸く人生の師MasterMentorに出会った!という確かな手応え。それから河合の著書を貪るように読んだ。年末までに27冊。過去にこれだけ集中して読んだのは、ちょっと記憶にない。

河合と「君の名は。」の”結び”はだけではない。新海誠監督は第2弾パンフレットの中で僕の質問に答え、村上春樹の短編小説「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」が「君の名は。」の発想の原点となったことを認めており、奥寺先輩の台詞には村上の「ノルウェイの森」からの引用がある。そして河合は数回に渡り村上と対談をしているのである(「こころの声を聴くー河合隼雄対話集」「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」いずれも新潮文庫)。

また河合はイザナギ・イザナミが登場する日本神話(古事記)や平安時代の「とりかへばや物語」について本を書いており、これらは「君の名は。」の土台となっている。

僕が同時期に河合隼雄と「君の名は。」にめぐり逢ったのも、正にユングが言うところのシンクロニシティ意味のある偶然の一致)なのであろう。

つい先日「君の名は。」について川村元気プロデューサーが集合的無意識の話をしている→こちら集合的無意識とはユング心理学の用語である。みんな繋がっている。僕も映画公開直後、9月の時点で集合的無意識という観点から「君の名は。」を論じた。

夢はその人の潜在意識の現れである。意識(その中心に自我+潜在意識=自己(self)。僕は今年から「夢日記」を書き始めた。2016年は人生の大きな転機となった。

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2016年12月13日 (火)

「君の名は。」劇場用パンフレット第2弾登場!〜新海監督が質問に答えてくださいました。

「君の名は。」空前の大ヒットを受け、東宝はパンフレットの第2弾を12月9日(金)から劇場で販売開始した。

映画上映期間中にパンフレット第2弾が発売されるというのは異例の事態であり、ボリュームたっぷりで読み応えあり。特に新海誠監督の講演を採録した章と、公式サイトから募集した観客からの質問(総計2000件以上あったという)に監督が答える7ページは圧巻。内容が深く濃く、初めて明かされる事実が満載されている。

そしてな、な、なんと僕の質問も採用されていた!村上春樹の短編小説「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」(講談社文庫「カンガルー日和」に収録)と「君の名は。」の関連について。監督からの回答はパンフレットをご購入の上、ご確認ください。

なお、ブログではこちらの記事でその件について触れている。

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2016年12月 4日 (日)

「君の名は。」はどうしてこれだけヒットしたのか?〜様々な説を検証する。

「君の名は。」の興行収入は遂に「もののけ姫」(192億円)「ハウルの動く城」(196億円)を超え、200億円に達そうとしている。「ハリー・ポッターと賢者の石」(203億円)も目の前だ。

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1997年10月末、「もののけ姫」が興行収入のそれまでの最高記録だった「E.T.」(163.5億円)を抜かした時、製作総指揮をした当時の徳間書店社長(徳間康快氏)がこう豪語したことを懐かしく想い出す。

「米映画を完全に負かしたと言うこと。野球で言えば10対1。米に勝ったのは真珠湾以来ということです。『E.T.』は3年がかりの記録だったが、我々は最短距離で達成した。21世紀、22世紀が来ても抜かれることのない大きな数字だろう。」

しかしその翌年、「タイタニック」にあっさり追い抜かれることになる(最終272億円)。

「君の名は。」の空前のヒットは誰も予想出来なかった。新海監督の前作「言の葉の庭」の興行収入が1.5億円(1.3億という説もあり)だったので、川村元気プロデューサーや東宝宣伝部はその10倍の15億円、できれば20億円にまで達したら万々歳だと考えていたと証言している。

これまで様々な人達がヒットの理由を解析してきた。しかしどの理由もこの現象を説明し切れていない。真相は誰にも判りそうにない。結局一つだけの要因ではなく、多数のfactorが複合的に作用してその相乗効果で大爆発を起こしたというのが正解なのだろう。

1)SNS(social networking service)、口コミでの拡散

やはりこれは大きい。1週目よりも2週目のほうが動員数が伸びたという事実がそれを証明している。twitterなどSNS時代でなかったら、全く一般に名前を知られていない監督が創った(原作のない)オリジナル脚本のアニメーションが前作の100倍以上のヒットになる筈がない。「シン・ゴジラ」との兼ね合いもあり、公開日が8月26日だったというのも有利に働いた側面があるかもしれない。夏休みが終わり学校が始まって、そこで一気に話題が沸騰した。他にSNS拡散効果が目覚ましかった作品として、「この世界の片隅に」がある。初週は週末興行成績10位だったのだが、その後右肩上がりで3週目にはスクリーン数も14増えて6位に急浮上した(4週目は4位)。新時代を迎えて映画宣伝部も戦略の見直しを迫られている。

2)RADWIMPSのうた

ディズニー/ピクサーのアニメで最大のヒット作が「アナと雪の女王」(259.2億円)で、次に来るのが「ファインディング・ニモ」の110億円と「トイ・ストーリー3」の108億円である。「アナ雪」と「ニモ」には2倍以上の大きな差がある。これはやはりアカデミー歌曲賞を受賞した「Let It Go(ありのままで)」の力が大きいだろう。様々な人々が歌い、You Yubeにupされた。同様の現象がRADWIMPSの「前前前世」にも起こっている。両者は紅白歌合戦でも歌われることになった。「君の名は。」の劇中に4回RADWIMPSのうたが流れるが、各々が感情のピークに達するように映画を設計したと新海監督は語っている。NHK「クローズアップ現代」で取り上げられたSNSマーケティングの解析でも、「君の名は。」に関する話題で「RADWIMPS」というキーワードが半数以上を占めた(具体的データはこちら)。考えてみれば「タイタニック」もセリーヌ・ディオンが歌いアカデミー歌曲賞を受賞した"My Hart Will Go On"が大ヒットしたし、「千と千尋の神隠し」(304億円)では木村弓の「いつも何度でも」が流行った。

3)ムスビ

NHK「クローズアップ現代」”想定外!?「君の名は」メガヒットの謎”が中高年者を対象に独自の試写会を開き導き出した結論は、三葉のオバァちゃん(一葉)が語る「結び(組紐)」が人々の心を鷲掴みにしたということになった。これについて新海誠監督は次のようにtweetしている。

「運命の赤い糸」という言葉がある。「この世界のどこかに自分と出会うことを待っている異性がいる」という予感のようなものを心に抱いて生きている人々は多いのだろう。イギリスBBCラジオで映画評論家のMark Kermodeは「君の名は。」をシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」に喩えた→こちらに動画あり。考えてみれば映画「タイタニック」も「ロミオとジュリエット」同様に”運命的な男女の出会い”を描いている。これが全てとは思わないが、ヒットの一因であることは確かだろう。「タイタニック」がパニック映画のセオリー通り「グランド・ホテル形式」で撮られていたら、これほどの大当たりにならなかったかも知れない。ただ新海監督自身は川村元気プロデューサーとの対談で「僕は”運命の人”なんか信じていない。出会いは単なる偶然の積み重ねに過ぎない。現在の自分があるのは数々の選択をしてきた結果」だと語っている。つまり「運命の赤い糸」「ムスビ」で観客が感動しているのは作者の意図から離れた現象であり、「好意的誤解」とも言えるだろう。

4)東日本大震災の記憶

「シン・ゴジラ」と「君の名は。」は2011.3.11.の記憶と密接に結びついている。「あの日を境に世界の様相は変わってしまった。あの日以前に戻りたい。あの場所にもし自分がいたら、何か出来たのではないか?」という人々の想い、願いが本作に集約されており、共感を得られたのかも知れない。

5)日本人の潜在意識への働きかけ

上記事に書いたように「君の名は。」は平安時代に書かれた作者不詳の「とりかへばや物語」や古今和歌集、イザナギ・イザナミ・ミヅハノメといった日本神話に密接にリンクしている。それが日本人の潜在意識(無意識)の領域に届いた、琴線に触れたということも無視できないのではないだろうか?「千と千尋の神隠し」にも龍や八百万の神が登場する。また逆に、海外での大ヒットは日本独特の文化がエキゾチック・神秘的に映るのだろう。宮崎アニメでも「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「魔女の宅急便」など外国を舞台にした作品よりも、「となりのトトロ」「もののけ姫」「千と千尋」など日本が舞台の作品の方があちらでは評価が高い(米TIME誌が選ぶランキングはこちら)。

他にNHK「クローズアップ現代」では【風景描写の美しさ】【スピード感】もヒットの一因として取り上げられていたが、【風景描写の美しさ】は新海監督の「秒速5センチメートル」や「言の葉の庭」にも当てはまることだし、「千と千尋」や「アナと雪の女王」「タイタニック」に【スピード感】を感じるか?と問われたら、首を傾げざるを得ない。だから決定的事項とは言えないと想う。

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2016年11月30日 (水)

切断と結合の物語〜【考察】「君の名は。」

映画「君の名は。」については語り尽くした感があり、いくらなんでももう何も残っていないだろうと考えていた。ところが、新海誠監督がRADWIMPSの新譜「人間開花」(初回限定盤)に付属するDVDのために再編集した「スパークル (original ver.)」のMVを観て、新たな発見があった。なおMVには新規カットが幾つかあり、しかも(静止画ではなく)動いたので甚く感動した。作画監督を務めたのはキャラクターデザインの田中将賀。画質もBlu-ray並に綺麗だし、これは必見!

「スパークル (original ver.)」MVで新海監督は【彗星の分裂 → 三葉誕生時にへその緒を切断 → 髪を切る】というカットを繋いでいる(こちらの動画でも確認出来る)。僕は、はたと思い当たった。そうか、切断と結合は「君の名は。」の重要なモチーフだったのだと。彗星の分裂=切断であり、直後にその片割れは糸守町に衝突=結合している。これは1,200年周期で起こっており、スケールを拡大した織姫と彦星(七夕)の物語であるとも言えるだろう。

僕は上記事で、三葉と瀧の前前前世は結合(シャム)双生児のような両性具有の単一体だったのではないか?と仮説を立てた。そしてシャム双生児にも切断=分離というテーマが生じて来る。

三葉のおばぁちゃん(一葉)が語るところのムスビとは結合であり、映画のラストシーンが三葉と瀧の再会=男女の結合を意味していることは言うまでもない。

切断と結合は「死と再生」と言い換えることも出来る。僕は今までに4回「君の名は。」を観たが、どうして三葉があのタイミングで髪を切るのか、納得がいく解釈が出来なかった。中学生の瀧に会って自分を認識してもらえず、失恋したと感じたから?いやいや、動機として弱すぎる。しかし上京したことを切っ掛けに彼女は生まれ変わろうと決意したのだと考えれば頷ける。実際にその翌日、三葉は死と再生という経験をすることになるのだから。

本編中に繰り返されるドアが開くショットは、2つに区切られた空間の結合であり、逆にドアが閉まるのは切断を意味している。

イギリスBBCラジオで映画評論家のMark Kermodeは「君の名は。」をterrific(素晴らしい)、sparkling(きらめくような)、wonderfulと絶賛した→こちらに動画あり。

彼は本作において「男と女、都会と田舎、古代と現代、科学と魔法、記憶と忘却といった相反する事物が、かたわれ時(strange twilight world)に出会うのだ」と表現している。

どうしてかたわれ時なのだろう?僕は考えた。そうだ!twilightとは昼と夜(day and night)、光と闇(light and darkness)との接点なのだ。つまりここにも結合のテーマが現れているのである。

「君の名は。」は深い。底なしの奥行きを持つ、途方もない作品である。

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2016年11月24日 (木)

映画「この世界の片隅に」

評価:A

映画公式サイトはこちら

映画館で予告編を観たときは絵が地味で、全く食指が動かなかったが、余りにも評判が良いので気が変わった。

本作を観て、二つの作品を即座に想い出した。まず1945年の神戸大空襲を背景に、市井の人々の生活をリアルに描いた高畑勲監督「火垂るの墓」(ネタバレになるので詳しく書けないが、プロットにも類似性がある)。そして広島に原爆が落とされた1945年8月6日午前8時15分=ゼロ時間に向けて物語が進行していくという意味で、井上光晴の小説「明日―1945年8日8日・長崎」(長崎に原爆が投下されるまでの1日を描く)。これを原作として1988年に黒木和雄監督が映画「TOMORROW 明日」を撮っているが(キネマ旬報ベストテン第2位、その年の1位は「となりのトトロ」)、僕はどちらかといえば長崎出身の市川森一がシナリオを書いたTV版(1988/08/09 日本テレビで放送)の方が優れていると想う。黒木監督作品は左翼臭がプンプンして嫌なんだ。閑話休題。映画の登場人物たちは知らないが、観客は8月6日に広島市で何が起こるか知っているので、そこにサスペンスが生まれるのである。

「この世界の片隅に」は非常に丁寧に作られた傑作である。特に焼夷弾が雨のように降ってくる場面は背筋が凍る想いがした。ただこの映画のファンが「今年の日本映画No. 1!」と絶賛していることに対しては強い違和感がある。いや、それはどう考えたって「君の名は。」の方が映画史上に残る作品でしょう。マイナーなものを支持する者たちの、メジャーに対する僻みとしか僕には聞こえない。

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2016年11月19日 (土)

トランプ大統領誕生と「君の名は。」大ヒットが意味するもの

ドナルド・トランプが次期アメリカ大統領に決まった時には世界に衝撃が走った。アメリカのマス・メディアによる世論調査では民主党のヒラリー・クリントン優勢が常に伝えられてきた。日米ジャーナリストの大半はあからさまにヒラリー支持者であり、彼女に有利な偏向報道がおおっぴらにされた。しかし、蓋を開けてみると彼等は悉く間違っていた。死屍累々たる有様である。

アメリカ在住の映画評論家・町山智浩は大統領選の行方に強い関心を持ち、週刊文春に連載している【言霊USA】に〈米大統領選スペシャル〉を執筆した。「映画のことだけ書いていればいいのに。ド素人が政治に手を出して何やってんだ」と僕は呆れ顔で観察していた。投票日前日、彼はテレビ朝日「報道ステーション」にも生出演した。

この選挙前の発言は、ジャーナリストたちから一斉に叩かれ、バカにされた。ところがトランプが勝つやいなや、彼らは豹変した。

結局、選挙結果を受け入れられないで未練がましく後からゴタゴタ言っているのはヒラリー支持者の方だという情けない顛末となった。大統領選のシステムに問題があるなら、選挙前から言え。「後出しジャンケン」は卑怯だ。言い訳するな、みっともない。

開票後の町山智浩と久米宏のラジオでのやり取りを御覧頂きたい→こちら

彼だけではなく、ジャーナリストや国際政治学者たちの態度で呆れたのは、ほとんど誰も謝らないことである。自分たちの分析に欠陥があり、(報酬を貰い)誤った予想を公の電波や紙面で伝えたことに対する反省はないのだろうか?貴方達の存在価値って一体何??

その中で唯一偉いと思ったのが古舘伊知郎である。彼は11月9日にTBSで放送された《古舘がニュースでは聞けなかった10大質問!!だから直接聞いてみた》の中で、「私が間違っていました。ごめんなさい」と潔く頭を下げたのだ。見直した!

トランプ旋風で強く感じたのは新聞や週刊誌、テレビといった20世紀を席巻したマス・メディアの敗北・死である。彼らは意図的に世論を動かす力すら失った。

自分をモデルにした映画「市民ケーン」(1941)に激怒した新聞王ハーストが監督・主演のオーソン・ウェルズをハリウッドから追放したエピソードは余りにも有名だ。今では映画史上最高傑作とも言われる「市民ケーン」は結局、アカデミー作品賞も監督賞も受賞出来なかった。当時ハーストはいくつかのラジオ放送局、映画会社に加え、28の主な新聞および18の雑誌を所有していたという。世論を操作するなんてお茶の子さいさいだったのだ。ウエルズは後にヨーロッパを放浪する羽目になる。

それから一転、トランプ旋風の行方を決定付けたのは21世紀に登場したメディア、SNS(social networking service)であった。

時代は間違いなく転換点を迎えたのである。

ここで想い出すのが新海誠監督「君の名は。」の空前の大ヒットである。今年中に宮﨑駿監督の「もののけ姫」「ハウルの動く城」の興行成績を抜き、200億円の大台に乗るのは確実視されている。新海監督の前作「言の葉の庭」の興収が1.5億なので、100倍どころの騒ぎではない。「君の名は。」が「千と千尋の神隠し」同様に、日本人の潜在意識に訴えるものがあったことは確かだが、やはりSNSでの拡散、口コミの力がなければ、ここまで話題にはならなかっただろう。インターネット時代の申し子と言える。

今や国民的作家となった宮﨑駿監督のアニメも、当初はそれほどヒットしなかった。「風の谷のナウシカ」の興収は14.8億円、「天空の城ラピュタ」の興収はたった5.8億円である。細田守監督も「時をかける少女」の興収は2.6億円しかなかった(9年後の「バケモノの子」は興収58.5億円)。

ふたりとも作品をコツコツと積み上げることで、長い年月をかけ次第に世間にその名を浸透させて行った。新作が公開される度に、その前日に日本テレビが「金曜ロードショー」で彼らの旧作を放送したことの貢献度も高い。しかし「君の名は。」公開まで全く無名だった新海誠は、そんな従来のメディア戦略を嘲笑うかのように前代未聞の跳躍、大爆発を起こし時代の寵児となった。SNSを前に、新聞やテレビによる宣伝効果は全く意味を失ってしまったのである。

【SNSを征する者は世界を征す】21世紀はそういう時代に突入した。各映画会社の宣伝部は方法論の革新を迫られている。

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2016年10月21日 (金)

日本人は何故【泣ける映画】を求めるのか?〜「君の名は。」を糸口として

現時点で興行収入が150億円を超えた「君の名は。」は学校やSNSでの評判の拡散が今年度ぶっちぎりの大ヒットとなった要因と分析されているが、キーワードは「泣ける」だった。

例えばこんな記事がある→2016年最も泣けるアニメ映画『君の名は。』大ヒットの要因とは…

因みに僕自身は「君の名は。」を4回観に行ったが、泣いたことは1度もない。僕にとって「君の名は。」は【泣ける映画】でなく、もっと違う次元の感動があった。

雑誌やインターネットでの【泣ける映画】の特集は多く、またテレビの音楽番組ではしばしば【泣ける曲】ランキングで盛り上がる。どうして日本人はこんなに泣きたいんだろう?我々の文化に於いて【泣く】というのは概ね肯定的に捉えられており、特に若い女の子が「泣いた」と呟けば、それは「可愛い」に直結する。だからアイドルたちはSNSで競って「泣きました」を強調するのだ。考えてみればとても不思議な民族である。

一方、欧米で【泣ける映画】が持て囃されることはない。ハリウッド映画に【涙(tears)】は求められず、ヒットするために最も重要なのは【興奮(excitement)】と【笑い(fun, laughter)】である。

キリスト教は父性原理が強い宗教だ。祈りの言葉は「天にまします我らのよ」であり、三位一体とはイエス)、精霊を指す。そこに女性は一切介在しない。カトリック教会の頂点に立つのは法王だが、女性は法王になれない。

父性原理は【切断】し、物事を分類する。光と闇、天と地、善と悪、天使と悪魔。コンピューターも0か1で全てを表現する2進法が根幹をなす。

欧米社会では成人するまでに精神的な【母親殺し】(=自立)が求められ、強力な自我(ego)が形成される。他者とは異なる個(individual)を確立することが最も大切なのである。女性も同様で、その典型例が「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラだろう。

フランス人は赤ちゃんに添い寝をしない(具体的にはこちらのブログをご覧ください)。出来る限り早い段階でひとりで寝かせる。親離れをさせるためである。正に【切断】(divide)している。

ヨーロッパの昔話に多いパターンは精悍な青年(王子様)が困難を克服し、最後にバケモノ(大蛇・ドラゴン・魔女など)を退治して、お姫様と幸福な結婚をする。めでたしめでたし(And they lived happily ever after.)というもの。強い自我形成の大切さを示す寓意が込められている。「スーパーマン」「スパイダーマン」などアメコミも基本的に同じ構図だ。

一方、日本にこういう昔話は稀有であり、むしろ母性原理が支配的である。

日本人は場の平衡を保つことに腐心し、すべてを包み込むように(清濁併せ呑み)、横に繋がって生きてきた。「君の名は。」の言葉で言えば【結び】を大切にしてきたのである。

多分、父性原理に生きる西洋人にとって泣くという行為は相手に【弱みを見せる】ことに等しく、好ましくないのであろう。要するに【男らしくない】、みっともないのだ。それは男性だけに留まらず、ヒラリー・クリントンなど社会の第一線に立って働く女性にも当てはまる。

しかし日本では平安時代の「源氏物語」や、「君の名は。」で新海誠監督が参考にした「とりかへばや物語」など、作中の男たちは優雅に和歌を詠み、しょっちゅう泣く。恥ずかしいことではない。江戸落語の聴衆が好むのも人情噺だ。「君の名は。」の主人公・瀧も度々涙を流す。ハリウッド映画やディズニー/ピクサー・アニメで瀧ほど泣く男性キャラは皆無だろう。

映画を観たり、音楽を聴いて【泣く】という行為は何を意味しているのだろう?それは物語や、登場人物への【共感】【一体感】である。つまり【繋がる】ということであり、【結び】だ。ではアメリカ人が好むジョークとか笑い(古くはマルクス兄弟、現在は「サタデー・ナイト・ライブ」)は?それは【批評精神】と言えるだろう。対象との関係は【切れて】いる。客観的に相手を観察する【醒めた目】がある(その姿勢が欧米における自然科学の驚異的進歩という成果を生み出した)。

「竹取物語」とか「伊勢物語」など日本の古典文学、「万葉集」など和歌で重要な言葉に【かなし】がある。これは「哀し」と共に「愛し(しみじみとかわいい。いとしい。)」の意味を含有する。僕はこの【かなし】という感情が【泣ける】映画・音楽のルーツではないかと考える。

「君の名は。」の新海誠監督は毎日新聞の記事において、「作品には、少女漫画の文法を感じるところがあります。」と聞き手に言われ、次のように答えている(出典はこちら)。

私の作品に父性主義・父権主義はなく、そんな意味では確かに女性作家の小説の方が、好きなものが多いかもしれません。父が権威を大事にする人で、男はこうあるべきだ、人生はこうあるべきだ、と「あるべき」を言う親で、良くも悪くも影響も受けているかと思いますが反発もずっとあり、説教されるのが嫌いです。

「君の名は。」の登場人物たちの運命の鍵を握るのは巫女の超人的能力であるし、上の発言でも判る通り、新海アニメは母性原理を原動力にしている。それが日本人の無意識に訴えた(琴線に触れた)からこそ、これだけのヒット作が生まれたのだろう。

参考文献:河合隼雄「昔話の深層」「昔話と日本人の心」「母性社会日本の病理」

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