アニメーション・アニメーション!

アカデミー長編アニメーション映画賞候補作「生きのびるために」

「生きのびるために」は米アカデミー長編アニメーション映画賞にノミネートされ、仏アヌシー国際アニメーション映画祭2018では長編コンペティション部門で観客賞と審査員賞を受賞した(日本から出品された「未来のミライ」は無冠に終わった)。アニー賞では長編インディペンデント作品賞を受賞。「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」で知られるアイルランドのスタジオ、カートゥーン・サルーン製作で、監督はノラ・トゥーミー(女性)。彼女は「ブレンダンとケルズの秘密」でトム・ムーアと共同監督を務めた。

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日本では劇場公開されず、現在既にNetflixから配信中。

やはりアカデミー賞にノミネートされた「ブレンダンとケルズの秘密」も「ソング・オブ・ザ・シー」もアイルランドの伝承やケルト神話に基づく作品だったので、最新作がタリバン政権下のアフガニスタンが舞台になっているのには面食らった。

カナダの児童文学作家デボラ・エリスの小説が原作で、同じ主人公パヴァーナで「さすらいの旅」「希望の学校」という三部作になっているようだ(さ・え・ら書房から日本語訳が出版されている)。彼女は1997年、1999年の二度にわたりパキスタンのアフガン難民キャンプを訪れ、女性や子どもたちからタリバン支配下のアフガニスタンについて聞きとり調査をしたという(詳細はこちら)。

映画を観ると、しっかりとカートゥーン・サルーン印が刻印されていたので感心した。その特徴は2つに集約される。

  1. キャラクター・デザインが「円」を基本にしていること。
  2. 現実の物語とアフガニスタンの神話が同期する(synchronize)。
厳しい現実をテーマにして、こういう切り口があろうとは!いやはや恐れ入りました。必見。

評価:A

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【考察】今夏最大の問題作「未来のミライ」(細田守監督)の構造分析と時間イメージ

評価:A

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公式サイトはこちら

細田守監督の最新作「未来のミライ」はアヌシー国際アニメーション映画祭コンペティション長編部門に出品され、結局無冠に終わった。7月20日に日本で公開されたが、巷での評判はすこぶる悪い。「何が言いたいのか、意味が分からない」「タイムスリップがご都合主義だ」等の否定的意見多数。SNSでの不評を受けて公開第1週の全国週末興行成績ランキングは「ジュラシック・ワールド 炎の王国」(2週目)に次ぐ第2位からの発進となった。最終興収58.5億円を記録した細田の前作「バケモノの子」の興収比60.0%という低調な成績である。

僕は小学校1年生の息子と観に行ったが、彼の感想は「面白かった」。

な映画である。言い換えるなら極めてユニークだ。あんまり類似した作品を想い出せない。これは「バケモノの子」=(「ベスト・キッド」+「千と千尋の神隠し」)÷2だったのに対して対照的だ。宮崎駿のアニメーションのスケールの大きさと比べると、細田守のそれは非常に小さい。製作のきっかけとなったのは細田自身に男の子と女の子の子供が生まれたことである。主題歌の打ち合わせの時に山下達郎から「すごい、また今回も私小説的ですね」と言われたそうだ。

細田は正真正銘ケモナーである。「サマーウォーズ」にはウサギ型アバター・キングカズマが登場し、「おおかみこども」は狼と人間が結婚し子作りをする。「バケモノ」の熊徹も毛がふさふさ。僕は細田の海外での評価が極めて低いのは、ケモナーであることが一因なのではないかと考えている。そして「未来のミライ」にも監督のフェティシズムが迸っている。くんちゃんが犬の尻尾を自分のお尻にくっ付けて、メタモルフォーゼ(変身)する場面があるのだ。やれやれ……。

あと「バケモノの子」で師匠・宮崎駿(=熊徹)に対し、主人公・九太の口を借りて「俺のやることを、そこで黙って見てろ!」と言い放った細田だが、本作でくんちゃんのひいおじいちゃん(曽祖父)は戦闘機のエンジンを作っているという設定であり、それってまんま駿のオヤジの話じゃん!!(宮崎の父は零戦のコックピットを作っていた)。もう大爆笑である。駿に憧れる余りに、遂に自分の記憶の改竄自己同一化)に乗り出したのだ。いやはや、恐れ入りました。

「すごい、また今回も私小説的ですね」
「すごい、また今回も私小説的ですね」

さて、本作の構造をフランスの哲学者アンリ・ベルクソンが著書「物質と記憶」(1896年初版)で論じた逆さ円柱モデルを応用し、説明してみよう。

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図上部の逆さ円錐がベルクソンが提示したモデル。下部の円錐がそれを反転したもの(鏡像)である。逆さ円錐の全体SABが主人公くんちゃんの記憶に蓄えられたイマージュの総て(=結晶)。頂点Sが純粋知覚の場、感覚ー運動の現在進行形(ing)であり現動的。つまり、くんちゃんの「今」の知覚である。Pという平面は現在彼がいる世界・宇宙そのもの。くんちゃんは円錐の中を自由に、生成され続ける過去(A'B'やA''B'')へと螺旋状に飛翔し、またSに戻ってくる。ここまでの構造時間イメージはフェデリコ・フェリーニ監督「8 1/2」やアラン・レネ「去年マリエンバートで」、イングマール・ベルイマン「野いちご」、大林宣彦「はるか、ノスタルジィ」などの前例がある。しかし「未来のミライ」がユニークなのは下部の円錐。それは未来に広がっている。中学生(15歳くらい)になった妹ミライちゃんは∀,B,あたりからやって来る。

「未来のミライ」はくんちゃんの内面意識個人的無意識自己 self)を描いていると解釈出来るだろう。その深層は過去から未来までの家族史(家族的・集合的無意識ー犬を含む)に接続している。

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しかし、4歳児のくんちゃんが中学生となった妹ミライちゃんを知っている筈がなく、ひいおじいちゃん(曽祖父)の個人史も知らないという矛盾が生じる。ここで多くの観客が困惑してしまうわけだ。しかし15年後のくんちゃんの内面だとしたらどうだろう?曽祖父の生い立ちについても両親から聞いて知っていてもおかしくない。こう仮定すれば全ての整合性がとれるのである。

つまり物語を通時的(時間の流れに沿って)考えるのではなく、共時的に捉える必要がある。過去も未来も今ここ(self)にあるのだ。

フェリーニは次のように語っている。

「我々は記憶において構成されている。我々は幼年期に、青年期に、老年期に、そして壮年期に同時に存在している。」

これを未来にまで延長したのが本作なのだ。

逆さ円錐(上部)と円錐(下部)の中心を貫いているのが、くんちゃんちの庭に植えられた一本の生命の樹 Tree of Lifeである。それは宮崎駿「となりのトトロ」に繋がっており、トトロ同様、「未来のミライ」でも《迷子》というモティーフが繰り返される。

実は「未来のミライ」の構造が一番近いのは大林宣彦監督「時をかける少女」(1983)かも知れない。深町くん(高柳良一)は未来からやって来るし、主人公・芳山和子(原田知世)は自分の幼少期にタイムスリップしたりもする。細田版アニメーション映画「時をかける少女」(2006)は実質的に大林版の後日談であり、芳山和子(魔女おばさん)の声優として細田は原田知世にオファーしたが、断られている。そして大林監督は細田のことを【映画の血を分けた息子】と呼んだ。

「未来のミライ」は現代の神話である。今度はフランスの構造人類学者レヴィ=ストロースの手法を用いて、本作を読み直してみよう。

オーケストラの総譜(スコア)を例に説明しよう。

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楽譜を(左→右)に読むと通時的流れがある。 ①行目:曽祖父の個人史、②行目:母の個人史、③行目:愛犬ゆっこの個犬史、④行目:くんちゃんの個人史、⑤行目:ミライちゃんの個人史、といった具合だ。音楽用語で言えばモノフォニー単一旋律 melody)である。そして映画に於ける《くんちゃんの冒険》は楽譜を(上↔下)に、螺旋状に行ったり来たりする。そこに家族史というharmonyが響き合う。これが共時的読解である。音楽用語で言えばポリフォニー多声音楽)となる。

「未来のミライ」は作家性(癖)が強く、奇天烈で、決して万人受けするようなウェルメイド・アニメとは言い難い。しかし僕は斬新で愛すべき作品だと想うし、断固支持したい。細田守を「モスラ」に喩えるなら、いま彼は折れた東京タワーに繭を張った幼虫の状態にあるのだ。間もなく殻を破り、成虫が羽を広げ飛翔する時が必ず来るだろう。その日を愉しみに待ちたい。

最後に。くんちゃんの声をあてた上白石萌歌が、4歳の男の子のようには全く聴こえず、10代の女の子以外の何者でもなかったことについては不問に付す。

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《増補改訂版》「コードギアス 反逆のルルーシュ」の魅力とその構造を徹底分析する。

TBSラジオで65年間続いた野球中継(午後6時からのナイター)が2018年3月末で終了し、代わって4月から月〜金曜日にヒップホップ・グループRHYMESTER(ライムスター)宇多丸(49)がパーソナリティを務めるカルチャー・キュレーション番組「アフター6ジャンクション」 #utamaru #アトロク が開始された。そして1ヶ月経ち、蓋を開けてみるとTBSラジオは聴取率1位を独走する結果となった。これがめっちゃ面白いので、僕も毎日通勤時にラジオクラウドで愛聴している。

5月22日(火)に【宇垣美里アナ&藤津亮太が語る「今からでも間に合うコードギアス一夜漬け入門」】という特集が組まれた。神戸市出身で同志社大学在学中にミスキャンパス同志社のグランプリを獲得、つい先日は「週刊プレイボーイ」のグラビアを飾ったTBSの宇垣アナ(27)が、助っ人・藤津亮太(アニメーション評論家)の力を借りて「コードギアス」を一度も見たことのないライムスター宇多丸に対してその魅力をとことん語り、「全力で」推しまくるという企画であった。宇垣アナは「ルルーシュと結婚したい!」と公言するくらいの熱狂的ファンである(その一方でルルーシュの親友・枢木スザクのことを「ウザク」と呼ぶ)。

僕はCLAMPによる耽美な、そして癖のあるキャラクターデザイン(絵柄)が苦手で今まで敬遠していたのだが、ラジオを聴きその内容にすこぶる興味を惹かれた。調べてみたところNetflixで配信されているのを発見、放送終了後19日間で全50話を一気に見通した。最終回が終了した直後からRe; turnし、2回目の鑑賞に突入。

「コードギアス」シリーズは2006年10月より第1期、2008年4月より第2期がテレビ放送された。現在はその総集編である劇場版3部作が公開中。

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本作最大の魅力は物語の反転にある。敵と味方が目まぐるしく入れ替わる。息もつかせぬ展開とは正にこのこと。そして戦争に《正義の側》と《悪の側》という絶対的な価値は存在せず、あくまで相対的なものだと教えてくれる。宇垣アナも激賞していたが、とにかく大河内一楼の脚本が圧倒的に素晴らしい!

藤津亮太は《全部のせ》と評したが、確かにその通りだった。

ユーフェミア(神聖ブリタニア帝国・第三皇女)は上空から落ちてきて枢木スザクに抱きとめられる。これは宮崎駿「天空の城ラピュタ」冒頭の引用であり、スザクが猫に指を噛まれるのは「風の谷のナウシカ」(ナウシカ↔キツネリス”テト”)。そして日本が神聖ブリタニア帝国に占領され、名前を奪われて「エリア11」と呼ばれる設定には「千と千尋の神隠し」が木霊する。ルルーシュがスザクにかけるギアス「生きろ。」は勿論、「もののけ姫」だ。中華連邦における花嫁略奪は「ルパン三世 カリオストロの城」。天子(てんし)≒クラリスであり、彼女がまだ幼いときに黎 星刻(リー・シンクー)≒ルパンの命を救ったという設定も同じ。

またルルーシュがギアスの力を用いてある登場人物の記憶を消去するのだが、これは筒井康隆のSF小説(ジュブナイル)「時をかける少女」にそっくり。他にも、ピカレスクロマン、軍師もの(頭脳戦)、くノ一(女忍者)、メイドアニメ、学園ラブコメ、ボーイズ・ラブ、「機動戦士ガンダム」をはじめとするロボットアニメ等の要素がてんこ盛り

本作はシェイクスピア「ハムレット」の構造を踏襲している(第1話、サイドカーでルルーシュは「ハムレット」を読んでいる)。ハムレットは殺された父の仇を取るために王に即位した叔父と、その妻になった母を暗殺しようと計略をめぐらせる。一方、ルルーシュは暗殺された母を守らなかった父、ブリタニア皇帝シャルルを討つために着々と準備を整える(父↔母が変換されている)。ハムレットは気が触れたふりをする。(Hamlet pretends to be mad.)「コードギアス」第2期で監視されているルルーシュも記憶を取り戻していないという見せかけの演技をする。

さらに「父殺し」というギリシャ神話「オイディプス王」のテーマが重ねられる(フロイトはこれに基づきエディプス・コンプレックスという概念を提示した)。フランスの人類学者レヴィ=ストロースは彼の著書「構造人類学」の中で「オイディプス王」の構造を分析している。この神話には《オイディプスは父を殺す》《オイディプスの息子エテオクレスはその兄弟ポリュネイケスを殺す》という【親族関係の過小評価/価値を切り下げられた親族関係】と、《オイディプスは母と結婚する》《オイディプスの娘アンティゴネは、反逆者として死んだ兄ポリュネイケスを、禁を破って埋葬する》という【親族関係の過大評価】の二項対立があると述べている。では「コードギアス」はどうか?《父殺し》だけではなく《ルルーシュは兄である第3皇子クロヴィスを暗殺する》という【親族関係の過小評価】があり、一方で《ルルーシュは妹ナナリーを溺愛する(彼が反逆する目的は全てナナリーの安全を守り、彼女を幸せにするためだけにある)》《第2皇女コーネリアは妹(第3皇女)ユーフェミアを溺愛する》という【親族関係の過大評価】が対立する。

またルルーシュとスザクは幼馴染の親友→敵対関係に移行し、以後も揺れ動く。これは永井豪の漫画「デビルマン」に於ける不動明(=デビルマン)と飛鳥了の関係を彷彿とさせる。「デビルマン」におけるデーモン≒ギアスと考えてほぼ間違いないだろう。2018年にNetflixから配信が開始された湯浅政明監督によるアニメ「DEVILMAN crybaby」(全10話 傑作!)の脚本を「コードギアス」の大河内一楼が執筆しているのは決して偶然ではない。さらに「デビルマン」の源流を辿ると、ダンテの「神曲」とミルトンの「失楽園」にたどり着く(永井豪の自作「魔王ダンテ」が原型)。「コードギアス」R2(第2期)TURN1「魔神が目覚める日」のサイドカーでルルーシュが読んでいるのは"La Divina Commedia"つまり「神曲」である。

ルルーシュと魔女C.C.(シーツー)が結ぶ契約は、ゲーテの小説「ファウスト」における主人公とメフィストフェレスの関係の変換である。これは後に「魔法少女まどか☆マギカ」の魔法少女↔キュゥべえに踏襲される。さらに「コードギアス」第2期(R2)冒頭の記憶を失った登場人物たちが、違和感を覚える日常を送っている姿は「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」冒頭部に重なる。

ルルーシュが持つギアス=《絶対遵守》の力が、原作 - 大場つぐみ・作画 - 小畑健による漫画「DEATH NOTE(デスノート)」(2003年12月から2006年5月まで連載)の効力に類似していることも指摘しておこう。

----- 以下ネタバレあります。未見の方はご注意ください。 -----



ルルーシュは仮面で素顔を隠して「ゼロ」と名乗るのだが、これはゼロ記号ゼロ象徴価値の記号)を示している。

ソシュール(1857-1913)の言語学では「意味しているもの」「表しているもの」のことをシニフィアン、「意味されているもの」「表されているもの」のことをシニフィエと呼ぶ。「海」という文字や「うみ」という音声がシニフィアン、頭に思い浮かぶ海のイメージや海という概念がシニフィエである。ゼロ記号ゼロ象徴価値の記号)とはシニフィアンが具体的な姿を持っていないこと自体が、一つのシニフィアンとして機能する記号である。メラネシアの原始的宗教において、神秘的な力の源とされる概念「マナ」や、日本語で「ツキがある」「ツキに見放された」などと使用される「ツキ」が該当する。ゼロ記号ゼロ象徴価値の記号)は浮遊する過剰シニフィアンであり、その多義性に特徴がある。「ゼロ」の仮面もルルーシュだけではなく、C.C.(シーツー)、篠崎咲世子(くノ一/女忍者)、スザクらがかぶる。物語の中を漂い、循環するのである。

ゼロ」の仮面同様、本作でゼロ記号として働いているのが言うまでもなくギアスだ。ワーグナー「ニーベルングの指環」やトールキン「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」における指輪、「スター・ウォーズ」のフォース、「ハリー・ポッター」シリーズの魔法同様、ギアスという得体の知れない力は二項対立を結び、両極間を循環する第三項である。

ルルーシュ(ゼロ)が純血派の将校ジェレミアに対してハッタリで言う「オレンジ」という言葉もまた、ゼロ記号としてシニフィエ(意味されている対象)が定まることなく浮遊する。

皇帝の騎士としてナイトオブラウンズ(Knights of the Round)が登場するが、これは日本語に訳すと「円卓(roundtable)の騎士」となる。スザクが乗る人型兵器(ロボット)「ランスロット」もまたアーサー王物語に登場する円卓の騎士のひとり。彼はアーサー王と決裂し、円卓の騎士は王の軍勢に加わる者とランスロット派に二分され、戦うことになる。この構造が「コードギアス」に引き継がれている。アーサー王の狙いはブリタニア(現在のイギリス)の平定であったが、「コードギアス」には神聖ブリタニア帝国が登場する。ロイド、セシルらが所属しランスロットを開発した技術部・特派は後に「キャメロット」という組織へと発展解消した。キャメロットはアーサー王の王国であり、キャメロット城が築かれた。また生徒会で飼われている猫の名はずばり、アーサーである。

ナイトオブラウンズのNo.3(ナイト・オブ・スリー)が乗る人型兵器の名は「トリスタン」。これはワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の主人公。元々はケルトの説話であり、後にアーサー王物語に取り込まれた。円卓の騎士のひとりとしてランスロットに次ぐ強さの持ち主だったという。

また機動兵器「ジークフリート」が登場するが、これはワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」に登場する英雄。元は北欧神話である。

生死に関係なく、人の心と記憶が集まる「Cの世界(集合無意識/Collective unconscious)」という概念はユング心理学に由来する。それはシャルルやV.V.(ヴイツー)から「神」と呼ばれている。

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シャルルが読んでいる本に登場する、ユングによる「心」の構造である。中心に自己(SELF)があり、それを取り巻く円の内側(深層)が集合的無意識(Collective unconscious=Cの世界)。A元型(Archetype)で、アニマ(男性の思い描く理想的女性像)、アニムス(女性が思い描く理想的男性像)、太母(the Great Mother)、老賢人(the Wise Old Man)等が該当する。その外側に個人的無意識(Personal unconscious)が存在し、心的複合体=感情複合(Complex)を内包する。その代表例がフロイトが提唱したエディプス・コンプレックス。さらに「心」の表層に意識(Consciousness)があり、自我(EGO)が配置されている。

シャルルがいる神殿のような仮想空間は「アーカーシャの剣」。アーカーシャとは古代インド・サンスクリット語で「虚空」を意味し、存在の一切を統括する法則を指す。「剣」と命名されているのはアーサー王が持つ剣「エクスカリバー」を意識してのことだろう。これには魔法の力が宿るとされ、ブリテン島の正当な統治者の象徴である。石に刺さったエクスカリバーを引く抜くことがアーサーの血筋を証明することになる。一方、ジークフリートは「ノートゥング」という剣を鍛え直すのだが、そちらは神々の長ヴォータンが人間の女に産ませた息子ジークムントに与えたもので、木に刺さって誰も抜けなかったノートゥングを彼が引き抜く。2つの剣は見事に対称を成している。

シャルルとV.V.(ヴィツー)の悲願は《嘘のない世界》を創生する計画=「ラグナレクの接続」である。Cの世界に干渉し、不老不死のコードの力を使って全人類を集合無意識へと回帰させるというもの。つまり、個々人の意識間にある壁(新世紀エヴァンゲリオンでいうところのATフィールド)を取り払い、全人類の意識を強制的に共有状態にすること。ラグナレク(ラグナロク)とは北欧神話の世界において神々と巨人族が争う世界終末戦争のことであり「神々の黄昏」ともいう。ここでも「ニーベルングの指環」に接続している。

シャルルとV.V.は《嘘のない世界》を志向するが、その一方でルルーシュとスザクは《秘密と嘘に塗(まみ)れた世界》に生きている。この二項対立の根底には【個々人の思考に差異がなく、コミュニケーションが必要ない世界が仮に実現したとして、それは本当に「生きている」と言えるのだろうか?】【競争や対立、諍いのない暮らしは果たして人に幸福をもたらすか?】【人が本心を隠し仮面(ペルソナ)を被るのは善きことか、否か?】という哲学的問いがある。そして更に《限りある生命↔永遠の命》の相克に思いを馳せることになる。

またラグナレクの接続の場面で"Lasciate ogni speranza, voi ch'entrate."(この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ)というダンテ「神曲」の一節が登場することも付け加えておく。

最後に、最終話 TURN 25「Re;」について考察する。果たしてルルーシュは本当に死んだのだろうか?ここでまず、ナナリーが血まみれのルルーシュの手を触れた時に、ルルーシュの記憶が彼女に流れ込む場面に注目したい。これはルルーシュがC.C.と出会い、彼女からギアスを授けられた第1話 = STAGE 1「魔神が生まれた日」の再現になっている。そしてラストシーン、C.C.が荷馬車に積まれた藁の上から語りかけている相手は誰なのか?彼女の額には未だコードが浮かんでいるか?御者の顔はどうして見えない?これらを考えれば、答えは自ずから解るだろう。こうして物語は振り出しに戻り(Re;turn)、循環する。STAGE 1「魔神が生まれた日」の冒頭。暗闇の中でドックンドックンと心臓の鼓動が聞こえ、やがて瞳が開かれて最初に視界に浮かぶのがC.C.の姿である。さて、この瞳は誰のもの?

大河内一楼、恐るべし!!「コードギアス 復活のルルーシュ」を待て。

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TO BE CONTINUED...

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ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞「犬ヶ島」

評価:B+

Dogs

日本を舞台にしたウェス・アンダーソン監督のストップモーション・アニメである。ベルリン国際映画祭で銀熊(監督)賞を受賞した(最高賞は金熊)。公式サイトはこちら

けったいな映画である。でもそこに監督の(へんてこな)個性が刻印されており、好感が持てる。

早坂文雄が作曲した黒澤明『七人の侍』のテーマ曲(オリジナル音源)が流れ、『酔いどれ天使』からは2つの歌「東京シューシャインボーイ」「小雨の丘」が引用されている。あと少年の父親が『天国と地獄』に於ける三船敏郎そっくりだったり、世界観が『野良犬』だったりと黒澤映画への愛が全編に満ち溢れており、観ていて面映ゆいくらいである。

先日のスピルバーグ監督『レディ・プレイヤー1』にはガンダムやメカゴジラが登場し、伊福部昭の音楽が流れたし、すげえな。「日本文化ばんざい!」

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吹奏楽女子に告ぐ。「リズと青い鳥」は絶対、ぜーったいに観るべし!

評価:A+

Liz

公式サイトはこちら。京都アニメーション(以下、京アニと略す)「響け!ユーフォニアム」のスピンオフ映画である。

「響け!」の1stシーズンは絶賛したのだが、2ndシーズン(第二期)はビミョーだった。特にイライラさせられたのが新キャラの鎧塚みぞれ(よろいづかみぞれ;オーボエ)と、傘木希美(かさきのぞみ;フルート)。因みに鎧塚みぞれは劇場版(第一期総集編)から登場している。正直、「このふたり、いらんわ!」と想った。何かね、本筋とは関係ないんよ。そういう視聴者のもやもやした空気を察知したのか(??)、第二期の総集編である「劇場版 響け!ユーフォニアム〜届けたいメロディ〜」ではふたりの登場シーンをバッサリまるごとカット。却って全体の風通しが良くなり、テレビ・シリーズより断然引き締まった作品に生まれ変わった。

そして本編から排除されたふたりを主人公に、完全新作として製作されたのが「リズと青い鳥」だ。「響け!」を観ていなくても全然大丈夫。独立した作品として存分に愉しめる。

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 (↑入場者特典。何故、トランペットの高坂麗奈??)

山田尚子監督はテレビ・シリーズ「けいおん!」から観ているし、映画「聲の形」に対しては厳しいことも書いた。

しかし「リズと青い鳥」は文句なしに素晴らしい。彼女の最高傑作であると同時に、京アニが今まで培ってきたノウハウの集大成、紛うことなき金字塔であると断言する。

まず画風を本編とはガラリと変えてきた(「響け!」のキャラクターデザインは池田晶子、「リズ」は「聲の形」の西屋太志)。そして背景画は淡い水彩画調になった。僕が真っ先に連想したのが高畑勲監督「ホーホケキョ となりの山田くん」である。

本作は故・高畑勲へのオマージュで満ち溢れている。童話「リズと青い鳥」の世界観は欧米を舞台にした高畑勲演出「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」のスピリット(魂)を引き継ぐものとなっている。つまり何気ない日常生活のリアリティを徹底的に追求する姿勢だ。中でも山田監督は「赤毛のアン」に対して強い想い入れがあるんじゃないかな?そんな気持ちが画面を通してビンビン伝わってきた。

本作は薬師丸ひろ子が主演した映画「Wの悲劇」と同様、入れ子構造になっている。

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つまり現実の物語(吹奏楽部の日常)と劇中劇(童話「リズと青い鳥」)に一対一対応の関係があり、密接にリンクしながら物語が進んでゆく。確信を持って言うが、山田監督が意識していてのは吉田秋生の漫画「櫻の園」ではないだろうか?女子校の演劇部が舞台となり、彼女たちが演じるチェーホフの戯曲「桜の園」とリンクする。一方「リズと青い鳥」の北宇治高校も、まるで女子校のように描かれる。共学なのに。男子はその気配を消す。「響け!」のレギュラー・メンバーである塚本秀一(トロンボーン)は一瞬(数秒)画面に現れるが、台詞は一切なし。

そして本作の作劇(プロット)が極めて巧妙なのは、並行する2つのセリー(系列)で最初【リズ→(北宇治の)A、青い鳥→(北宇治の)B】という対応関係を想定して観ていたら、途中から【リズ→B、青い鳥→A】だと気付かされ、逆転(構造の変換)が起こるんだ!これにはしてやられた。鮮やか、天晴である。

今回改めて音楽(アンサンブル)とは楽器と楽器の対話なのだということを思い知らされた。繊細で切なく、心に残る名作である。

山田監督は意識的にターゲット(観客)層を変えたいと藻掻いている。「けいおん!」「涼宮ハルヒの憂鬱」の頃から京アニに登場する女子高生といえば、パンツが見えるか見えないかというぎりぎりの超ミニスカートが定番だった(しかし決して見せない。ここが新海誠「君の名は。」との違い)。そして内股。この【萌え】要素で数多くの男性ファンを獲得してきたわけだが、「リズと青い鳥」における北宇治高校制服のスカート丈は明らかに「響け!」より長くなっている(内股かどうかもよく判らない)。つまり山田監督の意図としては「(ヲタクだけでなはく)是非若い女の子に観て欲しい!」ということなのだろう。ところが、僕が観た劇場(109シネマズ大阪エキスポシティ)の観客は9割が男で、しかも40過ぎたオッサンばかり。(自分のことは差し置くが、)これじゃ駄目なんだ!届けるべき人々(吹奏楽女子)にメッセージが届いていない。暗澹たる気持ちになった。全日本吹奏楽連盟はもっと京アニと連携し、映画の鑑賞を推奨するべきだし、中学・高校の吹奏楽部顧問の先生たちも、生徒に観るよう促すべきだろう。それが音楽教育の本来あるべき姿だと僕は想う。

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スピルバーグの大傑作「レディ・プレイヤー1」を観る前に知っておくべき2,3の事項

評価:A+

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大阪エキスポシティでIMAX次世代レーザー3D版を鑑賞。これってヴァーチャル・リアリティのお話だから、IMAXか4DX3Dなど没入感を味わえる環境で体感することが極めて重要。公式サイトはこちら

1980年に公開された「1941」と「未知との遭遇 特別編」以降、スティーヴン・スピルバーグ監督の映画は全作品を映画館で封切り時に観ている。駄作「オールウェイズ」や「フック」も含めてだ。

本作を観ながら僕は今から25年前の1993年のことを想い出した。その年の6月11日に全米で「ジュラシック・パーク」が公開され、わずか半年後の12月15日に「シンドラーのリスト」が立て続けに公開された。前者はスピルバーグが心底撮りたい映画、そして後者はアカデミー賞を獲るための必殺剣。結局アカデミー賞で「ジュラシック・パーク」は視覚効果・音響編集・録音の3部門、「シンドラーのリスト」は作品・監督・脚色・作曲・撮影・編集・美術の7部門で受賞、合せ技で10部門を制したのである。これこそがスピルバーグ一流のバランス感覚だ。

そして今回はがっつり社会派でシリアスな「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」が2017年12月22日に公開され、超娯楽大作でめっぽう愉しい「レディ・プレイヤー1」が翌18年3月29日に続いた。他者の追随を許さぬ見事なバランス感覚の再現。因みに「レディ・プレイヤー1」の撮影監督ヤヌス・カミンスキーとスピルバーグが初めて組んだ作品が「シンドラーのリスト」で、カミンスキーにオスカーをもたらした(「プライベート・ライアン」が2回目の受賞)。

「レディ・プレイヤー1」は1980年代のポップカルチャーに標準が合わされ、「ジュラシック・パーク」のT-レックス、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のデロリアンとか大友克洋「AKIRA」の主人公・金田のバイク、ガンダムなどが登場するので話題になっている。

原作者で共同脚本も執筆したアーネスト・クラインとスピルバーグはウルトラマンを登場させたいと考えていた。しかし版権問題が複雑すぎて結局無理だと諦め、アイアン・ジャイアントにその役割を担わせたという(こちらにそのインタビュー記事)。ウルトラマンに関しては円谷プロが法廷でつい先日まで争っていた→「ウルトラマン」国外利用権で円谷プロが米国で勝訴。タイ実業家らと20年以上係争(AV Watch)しかしアイアン・ジャイアントの一般的知名度は高いと言えず、コンテンツとしては弱いだろう(いや、僕はBlu-rayを持っているし、ブラッド・バード監督の最新作「インクレディブル・ファミリー」には大いに期待しているのだが……)。

それにしてもキングコング登場の場面では元祖1933年版のためにマックス・スタイナー(「風と共に去りぬ」「カサブランカ」)が作曲した音楽が使用され、ゼメキスキューブが使用される場面では「バック・トゥ・ザ・フューチャー(BTTF)」の音楽が高鳴り、メカゴジラが暴れ出すと伊福部昭作曲ゴジラのテーマが。あがった!ちなみに「レディ・プレイヤー1」の音楽はスピルバーグの朋友ジョン・ウィリアムズではなく、BTTFのアラン・シルヴェストリである。

他にも、ある人物の爆死シーンが明らかに「スター・ウォーズ エピソード4」のオマージュであるとか、アイアン・ジャイアントがシュワちゃん@ターミネーターの"I'll be back."ポーズをするとか、小ネタに関しては枚挙に暇がない。

ハイタッチのことを英語で”HI FIVE”という。ホラ、AKB48のシングル"GIVE ME FIVE !"ね。で「レディ・プレイヤー1」の主人公は当初、誰からもHI FIVEをしてもらえないという屈辱を味わうのだが、これが実は後の伏線になっているので要注目!

本作を観る前に最低限の予習(教養)として、オーソン・ウェルズ監督「市民ケーン」(1941)とスタンリー・キューブリック監督「シャイニング」(1980)をご覧になっておくことを強くお薦めする。だって予備知識がないと「バラの蕾(Rose Bud)」と言われたって、なんのこっちゃ、さっぱり解らないでしょう?

因みにスピルバーグはキューブリックの遺志を継いで映画「A.I.」(2001)を撮った。彼が自らシナリオを執筆したのは「未知との遭遇」と「A.I.」2作のみである。それだけ想い入れが強いということ。そして「A.I.」はピノキオの物語がベースになっており、「未知との遭遇」の主人公ロイは子どもたちを連れてディズニーの「ピノキオ」を観に行こうとするし、映画の最後に主題歌「星に願いを」が流れる。また「ピノキオ」を基に手塚治虫は人間になりたがったロボットの漫画「鉄腕アトム」を描き(アトムはサーカスに売り飛ばされる)、そのアニメをアメリカで観たキューブリックは「2001年宇宙の旅」の美術監督を担当して欲しいと手塚治虫にオファーした。しかし当時、虫プロを抱え漫画の連載にも追われ多忙を極めた手塚はそれを断ったのである。ここにもうひとつの「レディ・プレイヤー1」の物語(ポップカルチャー史)がある。

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ギリシャ神話(オルフェウス)と日本神話、そして新海誠「君の名は。」の構造分析

以前、新海誠監督のアニメーション映画「君の名は。」には日本神話からの引用があると詳しく解説した。

上記事でイザナミとイザナギの物語がギリシャ神話と非常に類似していることにも触れた。そこで今回は社会人類学者レヴィ=ストロースの手法を用いて、両者の構造分析をしてみたい。

これは僕にとって、構造主義をどれだけ理解しマスター出来たかを試す応用問題だと位置づけている。まずはギリシャ神話から見ていこう。

オルペウス(オルフェウス)の妻エウリュディケーはある日、毒蛇に噛まれて死んだ。妻の不在に耐えられなくなったオルペウスは冥府に下り、竪琴を奏でてエウリュディケーの返還を求めた。悲しい琴の音に涙を流すペルセポネ(春の女神、ハデスの妻)に説得され、冥界の王ハデスは、「ここから抜け出すまでの間、決して後ろを振り返ってはならない」という条件を付け、エウリュディケーをオルペウスの後ろに従わせて送った。目の前に光が見え、あと少しというところで不安に駆られたオルペウスは後ろを振り向き、妻の姿を見たが、それは一瞬のことですべては霧のように消え去ってしまった。

一方、古事記に書かれた日本神話はこうなっている。

イザナギとイザナミは国産み・神産みにおいて本州・四国・九州などの島々、海・山・風など森羅万象を創った。火の神カグツチを産んだ際、イザナミは陰部に火傷を負い亡くなった。

これは火の起源を物語っている。火は料理土器づくりに繋がり、自然→文化への移行を象徴していている。ギリシャ神話では以下の通り。

人類に火をもたらしたプロメテウスは大神ゼウスから火を奪った罰を受け、30年間鷲に臓腑をえぐられ続けた。

Pro

料理(火でものを焼く)という文化を人類に与えたプロメテウスは生肉を喰らうもの(鷲)にいたぶられる罰を受ける。ここに二項対立が出現する。

  • 火を通したもの(文化)↔生のもの(自然)
  • 地上に下った火↔空高く舞う鷹【垂直方向の差異】

なおインドの神話「リグ・ヴェーダ」によると、マータリシュヴァンは天界からアグニ(火の神)を奪い、人間にもたらした。このエピソードはプロメテウスとそっくりだ。プロメテウスもマータリシュヴァンも言うまでもなく境界を超えて活躍するトリックスター二項対立を取り結ぶ/仲介する第三項)である。

ギリシャ神話と日本神話には次のような変換関係を認める。

  • 人類に火をもたらしたプロメテウスはゼウスから罰を受けるという代償を払う。→火の神カグツチを産んだイザナミは命を落とす。【自然→文化というプロセスの危険性】

古事記の続きを見よう。

イザナギがイザナミの遺体にすがって泣いていると、彼の涙からナキサワメ(泣沢女神)が生まれた。

ナキサワメは水の女神であり、火の起源に続き、水の起源が描かれる。

イザナギはイザナミにもう一度逢いたいという気持ちを押さえきれず、黄泉の国に旅立つ。しかしイザナミは黄泉の国の竈(かまど)で炊いた食べ物を既に食べてしまったから帰れないと彼に告げる(黄泉戸喫:よもつへぐい)。

古代では埋葬の際に食べ物を一緒に埋めていた。これを食べることで、死者は蘇ることが出来なくなると当時の人々は考えていたのである。つまり「同じ釜の飯を食う」という帰属意識だ。ギリシャ神話でも、ハデスに無理やり連れ去られ死者の国の食べ物(ザクロの実12粒のうち4粒)を食べさせられたペルセポネは、1年のうち4ヶ月は冥界で暮らさなければならなくなってしまった。

「決して覗いてはいけない」というイザナミとの約束を破り、イザナギは髪に挿していた櫛を折り、火をつけてイザナミの寝姿を見る。彼女の体は腐敗して蛆にたかられていた。驚き逃げるイサナギ。恥をかかされて怒り、追いかけてくるイザナミと8人の泉津醜女(ヨモツシコメ)。イザナギは髪飾りから生まれた葡萄、櫛から生まれた筍、黄泉の境に生えていた桃の木の実を投げつけて撃退した(ヨモツシコメたちはそれらを食べた)。そしてあの世とこの世の境である黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)に辿り着くと大岩で塞ぎ、イザナミと完全に離縁した。

ここに幾つかの二項対立が認められる。

  • 腐ったもの(イザナミ・死者)↔新鮮なもの(葡萄、筍、桃)
  • 蛆(自然)↔火・松明(文化)
  • あの世↔この世【大岩で完全に分離】

では、オルペウスの竪琴に対応するアイテムは日本神話においては何だろう?

ここでイザナミ・イザナギの息子・須佐之男(スサノオ)が登場する。彼が所持していた三種類の神器があり、内訳は①生太刀(いくたち):生命の宿る剣、これで切れば病や傷が治るといわれる ②生弓矢(いくゆみや):生命の宿る弓矢、これで射れば死者さえも甦るといわれる ③天詔(あめののりごと):神のお告げに使う

  • オルペウスは竪琴で死者を黄泉から帰らせようとする↔須佐之男の三種の神器

高天原を追放された須佐之男は出雲の国に向かい、そこで八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の生贄にされようとしていた、美しい少女・櫛名田姫(クシナダヒメ)を助け出し、八岐大蛇を退治する。

  • オルペウスはニンフ・エウリュディケーを蛇の襲撃から守れない↔須佐之男は大蛇を倒し姫を救う

その結果として、

  • 冥界から帰還した後、女性との愛を絶ったオルペウスから見向きもされなかったトラキアの娘たちは怒り狂って彼の手足を裂き、頭と竪琴をヘプロス河へ投げ込んだ↔須佐之男は櫛名田姫と夫婦になり、末永く幸せに暮らした

ここに逆転による変換関係が認められる。さらに次のような変換も含まれている。

  • 須佐之男は八岐大蛇を八つ裂きにした↔トラキアの娘たちはオルペウスを八つ裂きにした
  • 須佐之男が退治した大蛇の尾を切ると、中から大刀が出てきたので、彼はそれを天照大神に献上した↔引き千切られたオルペウスの首は歌を歌いながら竪琴と共にヘプロス河を流れくだった。最終的にレスボス島に流れ着き、オルペウスの死を偲んだアポローン(異伝ではゼウス)によって竪琴は天に上げられ、琴座となった

Orfeo

トラキアの娘達がオルペウスを八つ裂きにしたのはディオニュソス(豊穣とブドウ酒の神)の祭りの時で、彼女たちは酩酊していたという。つまり”貪欲な口(口唇の欲望)=節度なき消化器を表している。一方、須佐之男は姉・天照大神のいる高天原(たかまがはら)に居座り、神殿に糞を撒き散らすなど狼藉を働いたため、天照大神は天の岩屋に身を隠した。このエピソードは”粗放な肛門(肛門による漏出)=節度なき消化管”を表している。ここにも変換関係がある。

こうして分析を進めていくと、ギリシャ神話と日本神話が全く同じ構造を持っていることがご理解頂けただろう。両者を貫く主題は【生と死の分離】である。何故ひとは、永遠の命(連続)を有さず、有限(不連続)なのか?果たして我々が生きる意味はあるのか?その矛盾を少しでも解消・緩和すべく神話は存在する。

距離的にギリシャと日本は遠く隔たっている。構造が同じだからといって神話が伝播したわけでは当然ない。同時に発想されたと考えるべきだろう(共時態)。つまり人間の根源的思考様式(野生の思考)は万国共通なのである。これをユングは普遍的(集合的)無意識と呼んだ。

しかしたとえ構造が同じでも、文化の違いによる差異は当然ある。ギリシャ神話において、オルペウスが妻奪還に失敗したのは、ハデスとの契約を破ったためである。故にペナルティを課された(罪と罰)。プロメテウスがされたのも、神々の掟を破るというを犯したためである。

一方、イザナギが失敗したのは、イザナミにをかかせたからである。しかし約束を反故にしたからといってイザナギが罰されたわけではなく、あの世とこの世の境を塞いだのはあくまで彼の意志なのだから、責任の所在が曖昧な、いかにも日本的な解決策であると言えるだろう。【をかかされたものが身を引く(をかかせた者への責任は問わない)】というパターンは「鶴女房(鶴の恩返し)」「狐女房」「見るなの座敷(うぐいす長者/うぐいすの里)」などの日本昔話でも見られる。ところが西洋の童話「青ひげ」では、見るなと言われた部屋を覗いた新妻は青髭に殺されそうになる。やはり罪と罰なのだ。

  • 罪の文化/契約社会(西欧)↔恥の文化/なあなあの社会(日本)

これが神話で明かされる両者の差異である。

次に映画「君の名は。」の構造分析をしよう。まず瀧↔三葉には、

  • 男↔女【変換可能!】
  • 都会生活↔田舎暮らし
    (日照時間長い↔短い)
  • 父と同居、一人っ子↔父は家を出た、妹がいる
  • 大雑把↔几帳面・器用
  • 生者↔死者
  • 水平方向の隔たれた距離↔3年という時間のズレ
  • 半月Half Moon(一人ぼっちの瀧)↔満月(瀧+三葉)
  • 扉・襖(ふすま)が閉じる(回路閉鎖)↔開く(回路開放)
  • (ラストシーン)須賀神社の階段を上る(通時的)↔下る(遡及的)

といった二項対立がある。他に

  • 三葉(神に仕える巫女)↔父(人に命令を下す行政の長)
  • 三葉(ミズハノメ=の女神)↔繭五郎の大・神社で燃える松明
  • ティアマト彗星↔地上【垂直方向の差異】
  • 第1回隕石落下:山頂のクレーター(御神体)↔第2,3回目:糸守湖形成【垂直方向の差異】
  • この世↔カクリヨ(隠り世)=あの世
  • 三葉・テッシー・さやちん↔瀧・司・高木【親友】
  • 三葉・テッシー・さやちん↔松本・桜・花(意地悪)【敵対】
  • 朝日(スマホのアラームが鳴る/室内)↔かたわれ時(日没/屋外)

では二項対立仲介しようとする第三項は何か?次のようなアイテムが挙げられるだろう。

  • 「来世は東京のイケメン男子にしてくださ〜い!!」という鳥居下での三葉の叫び
  • 組紐・ムスビ(一葉の台詞「でも米でも酒でも、人の身体に入ったもんが、魂と結びつくこともまたムスビ」)
  • 電車(東京と糸守を結び、ラストシーンも並行して走る電車の窓越しにお互いを見つける)
  • この世と隠り世の間を流れる三途の川【
  • 口噛み酒(男女を結合させる精液/膣分泌液の暗喩)【
  • 天と地を結ぶ隕石(ティアマト彗星の破片)→それは同時に瀧と三葉の結合を切断する刃でもある。【矛盾】
  • 巫女舞の髪飾りに描かれた竜(龍)→彗星の暗喩であり、「瀧」も〈さんずい()+龍〉→精子の暗喩でもある。瀧が御神体の中で見た夢(幻想)では彗星が地球(卵子)の表面に衝突して受精し、細胞分裂を経て三葉が生まれる。
  • 三葉ともう一度入れ替わるために山頂の御神体を目指して瀧が登ってゆく際に、しとしとと降る雨(天と地を結ぶ)→ラストの再会の場面も雨上がりである(がふたりを結ぶ)。

が媒介する(第三項)という意味ではギレルモ・デル・トロ監督「シェイプ・オブ・ウォーター」の構造に近い(勿論、「シェイプ…」の方が後発)。

ではオルペウスの竪琴に相当するものは「君の名は。」の中で何か?それは組紐だろう。組紐は細い絹糸や綿糸を束ねて編む。竪琴は複数の弦を張り、音を編む(紡ぐ)。やはり構造は同じである。

神話としての「君の名は。」のテーマは、オルペウスやイザナギの物語と同様に【生と死の分離/離別】という矛盾の解消・緩和にある。そこには東日本大震災(3・11)という出来事が大いに絡んでいる。

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「映画ドラえもん のび太の宝島」と「リメンバー・ミー」

「映画ドラえもん のび太の宝島」評価:B+

6歳の息子と鑑賞。すこぶる愉しかった。最大の功績は脚本を書いた川村元気だろう。「告白」「悪人」「君の名は。」のプロデューサーであり、「世界から猫が消えたなら」「億男」「四月になれば彼女は」などの小説家としてしても知られている。

本作は明らかに宮﨑駿「天空の城ラピュタ」を下敷きにしている。宝島の内部構造はラピュタそのものだし、クライマックスで文明に毒された下部を切り離して上昇するのもそう。そして「魔女の宅急便」のパン屋さんが出てくるし、しずかが海賊に攫われ、それを追うという展開は「未来少年コナン」。ご丁寧なことに有名な海中のキスシーンに似た場面まで用意されている。あとフロック(兄)とセーラ(妹)の父キャプテンシルバーは庵野秀明「新世紀エヴァンゲリオン」の碇ゲンドウだね。シルバーの野望「ノアの方舟計画」≒エヴァの「人類補完計画」という対応関係が認められる。研究者であった妻が亡くなり、常軌を逸したという設定も全く同じ。よく考え抜かれている。

「リメンバー・ミー」評価:B-

これも息子を連れて行こうと予めチケットを購入していたのだが、直前に彼がインフルエンザAに罹患し、結局独りで観た。アカデミー歌曲賞、長編アニメーション映画賞を受賞。泣く子も黙る天下のピクサー作品である。クオリティの高さは折り紙付き。しかしおもろない。第1回劇場作品「トイ・ストーリー」からピクサーのテーマはいつも同じ(ただし、異端児ブラッド・バード作品は除く)。「仲間が一番」。つまり常にバディ・ムービーなのだ。今回は「家族が一番」。何も変わらない。ひねりがなさ過ぎる。もう飽いたわ。

「ドラえもん(日本のアニメ)」にあって「リメンバー・ミー(アメリカのCGアニメ)」に決定的に欠けているもの。それは萌えである。

それにしてもここ最近のアカデミー長編アニメ映画賞受賞作品を見て欲しい。

2007年 レミーのおいしいレストラン
2008年 ウォーリー
2009年 カールじいさんの空飛ぶ家
2010年 トイ・ストーリー3
2011年 ランゴ
2012年 メリダと恐ろしの森
2013年 アナと雪の女王
2014年 ベイ・マックス
2015年 インサイド・ヘッド
2016年 ズートピア
2017年 リメンバー・ミー

なんとディズニー・ピクサー映画が11作品中10作品を占め、例外は「ランゴ」のみ!!内訳はディズニー:3、ピクサー:7なのだけれど、ディズニーが史上初めて受賞した「アナ雪」以降はジョン・ラセターがディズニー&ピクサー両スタジオのチーフ・クリエイティブ・オフィサーを兼務しているんだよね。ラセター恐るべし(現在は「不適切な行為」で6ヶ月間休職中)。

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レヴィ=ストロース「野生の思考」と神話の構造分析

最初の切っ掛けは2016年に兵庫芸文で観たベンジャミン・ブリテンのオペラ「夏の夜の夢」だった。

観劇の予習としてシェイクスピアを翻訳した松岡和子とユング派臨床心理学の第一人者・河合隼雄との対談「快読シェイクスピア」(ちくま文庫)を読み、ユング心理学に興味を持った。ぶっちゃけ「これは物語や映画の読解/分析に使える!」と思ったのである。そして河合隼雄の著書を30冊以上読み漁っているうちに河合と中沢新一(宗教学・人類学者)の対談本「ブッダの夢」に出会った。そこで中沢からフランスの社会人類学者レヴィ=ストロース(著)「野生の思考」の紹介があった。

ユング心理学を習得した後、今度は長年の懸案事項だったニーチェ哲学に取り組んでみようと決意した。食わず嫌いで敬遠していた「ツァラトゥストラはかく語りき」は読んでみるとすこぶる面白く、平易だった。

続いてニーチェの思想を受け継いだ20世紀フランスの哲学者ジル・ドゥルーズとミシェル・フーコーを勉強してみた。

ドゥルーズの「シネマ」は大いに役立った。そしてドゥルーズやフーコーが「ポスト構造主義」と呼ばれていることを知った。では「構造主義」とは何ぞや??調査したところ、その親玉(Boss)がレヴィ=ストロース(1908-2009)であることが判った。ならば次の標的(Target)は彼しかいないだろう。狙いは定まった。

レヴィ=ストロースでまず魅了されたのが「野生の思考」で言及されるブリコラージュという概念である。日本語では「日曜大工」「器用仕事」「寄せ集め細工」などと訳される。手元にある材料を掻き集めて新しい配列でものを作ることを言う。ブリコルール(器用人)は手持ちのものを調べ直し、道具材料と一種の対話を交わし、いま与えられている問題に対してこれらの資材が出しうる可能な解答をすべて出してみる。しかるのちその中から採用すべきものを選び、組み立てる。詳しくは下記事で紹介した。

レヴィ=ストロースは南北アメリカ大陸の先住民の神話を詳細に研究した。神話を通して人類の無意識を探ろうという姿勢はユング心理学に共通している。

「神話論理」四部作でレヴィ=ストロースは次のように説く。

神話とは自然から文化への移行を語るものであり、神話の目的はただ一つの問題、すなわち連続不連続のあいだの調停である。

自然と文化の対立を語る神話が、様々なコードを用いて様々な二項対立(天と地、生のもとと火にかけたもの、新鮮なものと腐ったもの、裸と着衣、空っぽのものと詰まったもの、容れるものと容れられるもの=能動と受動、内のものと外のものなど)を語るのは、この調停不可能な根源的対立の調停を行う(隔たりを緩和したり、その間を循環する第三の項〘例えば天と地を結ぶ雨など水/つる植物〙を導入する)ためである。

自然から文化への移行は、連続体としての自然に差異を導入して不連続化することによってなされる。この不連続化は言葉と交換(彼の著書『親族の基本構造』で明らかにされたように女性や財の交換)による他者とのコミュニケーションという、人間社会の基本的条件をもたらす。

レヴィ=ストロースがしようとしたことは「人間が神話の中でいかに思考するかではなく、神話が人間の中で、人間に知られることなく、いかに思考するか」であった。

彼は「私の思考」という主体性を棄て、無意識という空虚な場での他者との交差を重視した(「私たちの各自が、ものごとの起こる交差点のようなものです」)。

レヴィ=ストロースによる神話の構造分析は映画に応用することが出来る。

例えば宮﨑駿「風の谷のナウシカ」の二項対立差異)を挙げてみよう。

森・王蟲(オーム)↔都市文明・人間

樹を育てる水↔全てを焼き尽くす火の七日間(巨神兵)

この2極を結びつける(調停する/媒介する)のがナウシカの存在である。

ではアカデミー作品賞・監督賞に輝いたギレルモ・デル・トロ「シェイプ・オブ・ウォーター」の場合はどうか。

アマゾンの半魚人(自然)↔軍人ストリックランド(核戦争危機)

傷口の治癒力↔銃弾・破壊

自由奔放なイライザの女性性↔男根(ファルス)至上主義(phallocracy)

この物語の中で調停役として媒介するのは特定の形はなく間隙を満たす「水(water)」であり、それは「愛」の隠喩(metaphor)でもある(無意識の中では、愛と憎しみは一体である)。そして男根の表徴(symbol)となるのが①ストリックランドの指(半魚人に噛み千切られ、接合しても腐ってゆく)②半魚人を叩きのめす電気棒③キャデラック などである。

宮﨑駿「崖の上のポニョ」にも似た構造(structure)が認められる。

ポニョ(魚=自然)↔宗介(人間=文化)

ポニョが住む海底の家↔宗介が住む崖の上の家

ポニョの家と宗介の家には水平方向(距離)と垂直方向(高低差)の大きな隔たりがある。それを媒介・緩和するのが津波、やはり水なのだ。またナウシカの手助けをするのが、彼女が手厚く葬ったペジテ王女ラステルの兄アスベルであり、一方ポニョを手伝うのが彼女の妹たちであるという対応関係/コードの変換にも注目すべきだろう。そしてポニョは父フジモトから「ブリュンヒルデ」と呼ばれることからも判る通り、神話「ニーベルングの指環」と同じ構造(structure)を持つ。「ニーベルングの指環」が【神々の黄昏→人間の時代の到来】を描くように「崖の上のポニョ」は【人間の黄昏→新人類(ポニョと宗介の子供)の誕生】を示唆している。つまり宗介=ジークフリートという関係式が成り立つ。

「風の谷のナウシカ」では最後に腐海から木の芽が生えてくる。地球は再生される。「崖の上のポニョ」の最後は古代魚が泳ぐデボン紀に戻り(公式サイトの解説)、車椅子のお婆ちゃんたちは立ち上がり駆けまわる(若返る)。「シェイプ・オブ・ウォーター」で半魚人が画家ジャイルズの禿頭に手を当てると、そこから髪の毛が生えてくる(再生)。

レヴィ=ストロースが確立した構造主義は大変ためになるのだが、いきなり「野生の思考」を読むのはハードルが高すぎるだろう。定価が税込みで5千円強なので値段も高いしね。そこでお勧めしたい入門書を幾つかご紹介しよう。

  1. 中沢新一:100分 de 名著「野生の思考」(NHKテキスト)
  2. 小田亮:レヴィ=ストロース入門(ちくま新書)Kindle版あり
  3. 鷲田清一・山極寿一:都市と野生の思考(インターナショナル新書)Kindleあり

1.はNHK Eテレで放送された番組のテキストで、番組をYouTubeで視聴も可能。
2.は
「神話論理」四部作の要旨までバッチリ判る優れもの。
3.は「野生の思考」を日本人に応用するとどうなるかが語られる
、哲学者にして京都市立芸大学長・鷲田清一と、ゴリラ研究の世界的権威にして京都大学総長・山極寿一との対談。実に愉しき知の冒険である。

最後に、今までレヴィ=ストロースの構造分析を応用して書いた記事をご紹介しておく。

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アカデミー賞受賞「シェイプ・オブ・ウォーター」2回目の鑑賞で大発見!

「シェイプ・オブ・ウォーター」がアカデミー賞で作品賞・監督賞・美術賞・作曲賞を受賞した後に、ギレルモ・デル・トロ監督が31年間連れ添った妻(1986年結婚)と2017年2月に別居し、9月に離婚が成立していたことを発表した。

アカデミー賞授賞式では彼の横に美女が座っていたのだが、脚本家キム・モーガンであることが判明(写真はこちら←5枚あり)。彼女はデル・トロが監督する予定になっている、1947年のフィルム・ノワール"Nightmare Alley"(日本では劇場未公開で現在「悪魔の往く町」というタイトルでDVD発売中)リメイクの脚色を手がけているらしい。で調査したところ彼女もバツイチで、前夫はカナダのガイ・マディン監督だそう。

授賞式でデル・トロの名前が呼ばれ、彼が壇上に向かっている時に客席の彼の娘をカメラが捉えたのだが、不貞腐れたような顔でダルそうに拍手していたのが最高に可笑しかった。そりゃ父が母を棄てて、間髪をいれず別の若い女と公の場で睦み合っていたら、娘としては面白くないわな。「不潔!サイテー」と叫ぶ彼女の心の声が聞こえるようだった。人生いろいろである。

さて映画の2回目を観て、新たに気付いた点、また前回記事で書き切れなかったことを列記してみよう。

1)何故ジェームズ・キャメロンなのか?:エンドロールのSpecial Thanksでメキシコの仲間(アミーゴ)であるアルフォンソ・キュアロン、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥらとともにジェームズ・キャメロン監督の名が登場する。1回目に観た時は「何故キャメロン?」と理由が分からなかった。2回目で「アッ!」と叫びそうになった。映画冒頭、カメラは水中をグングン進み、扉を開けて水没したヒロイン・イライザの室内に入ってゆく。そこでは眠るイライザと家具が浮遊している。これって映画「タイタニック」冒頭の水中撮影とそっくりじゃん!

2)怪物(Monster)とは誰か?:映画の冒頭で語られる、ナレーションを引用しよう。

"Would I tell you about her? The princess without voice. Or perhaps I would just warn you, about the truth of these facts. And the tale of love and loss. And the monster, who tried to destroy it all."

「声を失ったお姫様、彼女のことを語ろうか?それとも起こった出来事の真実を聞かせて、君に警告を与えようか?それは愛と喪失、そして全てを破壊しようとした怪物(Monster)の物語だ」

この映画を初めて観る人は当然モンスター=半魚人のことだと思うだろう。「お姫様」と並列して語られるから当然である。しかし実はこれが巧妙なミスリードなのである!映画を最後まで観た人には分かる。だって半魚人は何も破壊していないのだから。つまりモンスターとは明らかに別のキャラクターのことを言っているのである。

3)Positive Thinking:軍人で機密機関「航空宇宙研究センター」警備責任者のストリックランドはノーマン・ヴィンセント・ピールが1952年に出版した「積極的考え方の力」(The Power of Positive Thinking)を読んでいる。ピールはニューヨーク・マンハッタン五番街に面したマーブル共同教会の牧師を半世紀以上勤めた人で、デール・カーネギー、ナポレオン・ヒルと並ぶ自己啓発の御三家と呼ばれている。またハンバーガーチェーン店マクドナルドの創業者レイ・クロックを描く映画「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」で主人公はノーマン・ヴィンセント・ピールが吹き込んだレコードをいつも熱心に聴いている。そして「積極的考え方の力」はドナルド・トランプ大統領の愛読書なのである。つまり「シェイプ・オブ・ウォーター」はNegative thinkingの弱い者たち(イライザの協力者)が力を合わせてThe Monster of Positive Thinkingと対決する寓話とも読み取れるのである。

4)色彩設計:「航空宇宙研究センター」の壁やイライザたちが着る制服は青緑色で統一されている。言うまでもなく水中のイメージだ。

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またストリックランドが購入する高級車(キャデラック・ドゥビル)の色はGreen(緑)ではなく、Teal(ティール)だとディーラーから説明がある。Tealとは日本語で「鴨の羽色」のことで、マガモの頭から首にかけての羽毛の色からとられた名前である。

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鴨は淡水域、湿原、海洋などに生息し、やはり水と深い関わりを持つ。

5)"Bojangles"(ボージャングル):イライザが住むアパートの隣人でゲイの画家ジャイルズは白黒テレビでシャーリー・テンプル主演映画「少連隊長(Little Colonel)」を観ている。ここで彼が言う「ボージャングル」とは世界最高のタップ・ダンサーと称されたビル・”ボージャングル”・ロビンソンのこと。実はテンプルとボージャングルはアメリカ映画史上初の白人と黒人のダンス・ペアだった。当時白人と黒人のダンサーが映画の中で一緒に歌い踊るということは滅多になかった。僕が知る限りフレッド・アステアは一度もなかったし、ジーン・ケリーはヴィンセント・ミネリ監督「踊る海賊」のナンバー、"Be A Clown"でニコラス・ブラザーズと一度踊ったきり。またMGMのミュージカル大作「ショウ・ボート」(1951)で混血の娘ジュリー役にキャスティングされたレナ・ホーン(黒人)は結局降ろされて、同役を白人のエヴァ・ガードナーが演じた。そういう時代だった。

6)アリス・フェイ:やはり白黒テレビで放送されているミュージカル映画"Hello, Frisco, Hello"(日本未公開)の中でアリス・フェイが"You'll Never Know"を歌う。これは1943年度のアカデミー歌曲賞を受賞している。アリス・フェイの名前を知っている日本人はもう殆どいないだろう。彼女の不幸は20世紀フォックスと専属契約を結んだミュージカル女優だったことだろう。何しろミュージカル映画と言えばMGMの専売特許だった時代である。60年代に衰退したMGMミュージカルは70年代に「ザッツ・エンターテイメント!」というアンソロジー映画として息を吹き返すのだが(Part 3まで製作された)、フォックスの場合はそんな気運すらなく、70年代は「スター・ウォーズ」や「エイリアン」などSFブームに呑み込まれてゆく。ちなみに「少連隊長」も20世紀フォックス作品であり、「シェイプ・オブ・ウォーター」を製作したフォックス・サーチライト・ピクチャーズは1994年に設立された20世紀フォックスの子会社である。

7)キューバ危機:物語の時代背景は東西冷戦下の1962年である。途中ラジオから「ミサイル基地が見つかった」というニュースが流れるが、これはキューバ危機の発端となった。

8)辻一弘:エンドロールにKazuhiro Tsuji の名前を発見!勿論、「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」でアカデミー賞を受賞したメイクアップ・アーティスト、辻一弘氏だ。辻さんは半魚人の目の部分を担当したそうだ。

9)半魚人=王蟲(オーム)?:前述したようにイライザは基本的に青緑色の服を着ている。ところがラスト・シーンで彼女が身につけているコートは赤色だ。何故か?

Shapeofwater

ここで彼女は銃で撃たれ、コートはに染まる。2回目の鑑賞で脳裏をよぎったのが宮﨑駿のアニメーション映画「風の谷のナウシカ」である。

物語の終盤でナウシカはペジテの赤い服を着ている。

Photo

しかし囮として囚われた王蟲(オーム)の子供を開放しようとして、その傷口から噴出する体液を浴びて深い青色に変わる。

Nausicaa

つまり「シェイプ・オブ・ウォーター」と「風の谷のナウシカ」には

  1. 人間に捕らえられ、利用されようとした生物(半魚人/王蟲)をヒロインが開放する。
  2. その過程でヒロインは負傷し、着衣が血/体液で染まる。
    「シェイプ・オブ・ウォーター」青緑→赤
    「風の谷のナウシカ」赤→深い青
  3. 半魚人は傷口を癒やしたり髪の毛を生やす神秘的力を有す。
    王蟲もナウシカの傷を癒やし、木を芽吹かせる力がある。
  4. 半魚人はアマゾン川で神と崇められている。
    王蟲は森の守り神。

Me

という構造(structure)の一致、対応関係(変換)が認められる。つまりギレルモ・デル・トロにとって半魚人=王蟲イライザ=ナウシカなのだ。これぞ構造人類学者レヴィ=ストロースが言うところの神話的「野生の思考」である。

映画「パンズ・ラビリンス」(2006)で主役の少女を演じたイバナ・バケロは撮影前にデル・トロから「風の谷のナウシカ」のコミック本を全巻貰ったと証言している。

また「パシフィック・リム」(2013)に出演した菊地凛子によると、撮影中に落ち込んでいる時、監督が「となりのトトロ」の♪さんぽ♪を歌って、励ましてくれたそうだ(こちらの記事)。

デル・トロはあるインタビューに答え、こう語っている。

「日本の配給会社に『宮崎さんに会いたい』と頼んだけれど、宮崎さんは忙しくて時間がつくれないらしい。残念だけど、仕方ないよね」

宮さん、どうか彼に会ってあげて!

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