スウィングしなけりゃ意味ないね

2019年9月23日 (月)

映画『蜜蜂と遠雷』公開記念!これだけは聴いておきたいピアノの名曲・名盤30選

無茶は承知である。ヴァイオリンやチェロと違って、ピアノの楽曲は桁外れに多く、そこから名曲を30選ぶ作業は困難を極めるし、余り意味がないのかも知れない。

どうしてピアノのために書かれた楽曲がダントツに多いのか?答えは明白。殆どの作曲家がピアノを弾けるからである

例えばヴァイオリンやフルートのソナタをその楽器を演奏出来ない人が作曲する場合を想像してみよう。音域の高低はどこまで行けるのか?重音奏法はどの組み合わせが可能か?など、テクニックの限界を勉強する必要がある。プロ奏者の意見も聴いて、綿密な打ち合わせをしなければならない。面倒くさい、というわけ。ピアノならそういう行程を省くことが出来る。

原則として1作曲家1作品のみとした。ただし、(同時期に作曲され)連作と見なせるもの、演奏時間が10分未満の小品については例外的に複数曲選んで良いこととした。

さらに膨大な候補から曲を絞るために、一旦(クラシック音楽の)室内楽曲を外すことにした。室内楽については既に下記事で紹介しているからである。

よつて、

  • メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲 第1番
  • ブラームス:ピアノ四重奏曲 第1番
  • ドヴォルザーク:ピアノ三重奏曲 第4番「ドゥムキー」 
  • ショーソン:ヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏のためのコンセール
  • フォーレ:ピアノ五重奏曲 第1番
  • バルトーク:2台のピアノと打楽器のためのソナタ

については〈別枠〉として後述する。

それからチェンバロのために書かれた作品を含めるかどうか相当悩んだ。大バッハはどうしても入れたい、しかしフランソワ・クープランやラモーまで含めると収集がつかない。そこで〈モダン・ピアノでも演奏される作品に限る〉という条件を付けることにした。

一概にピアノと言っても、モーツァルトの少年時代には鍵盤楽器=チェンバロだったわけで、モーツァルト存命中にスクエア・ピアノやフォルテピアノが登場し、時代が下ってショパンが所有していたのはエラールとプレイエルのピアノ。その後ベーゼンドルファーやスタインウェイなどのモダン・ピアノが主流となった。こうした楽器の進化(音域の拡大)の歴史は踏まえておく必要があるだろう。ベートーヴェンも鍵盤の数が増えるごとに、それを最大限活かすようソナタを作曲した。

「僕は気分のすぐれないときはエラールのピアノを弾く。このピアノは既成の音を出すから。しかし身体の調子の良いときはプレイエルを弾く。何故ならこの楽器からは自分の音を作り出す事が出来るから」 by フレデリック・ショパン

大体、作曲された順に並べた。さらに、まず最初に聴いて欲しい極め付きの10曲 (Best 10)に◎を付けた。

  • J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 ◎
  • モーツァルト:ピアノ協奏曲 第23番
  • ベートーヴェン:後期ピアノ・ソナタ 第30-32番 ◎
  • シューベルト:後期ピアノ・ソナタ 第19-21番 ◎
  • ショパン:ピアノ協奏曲 第1番
  • シューマン:子供の情景
  • リスト:3つの演奏会用練習曲より「ため息」 ◎
  • ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
  • チャイコフスキー:四季
  • サン=サーンス:動物の謝肉祭
  • サティ:ジムノペディ
  • グラナドス:スペイン舞曲集より「オリエンタル」「アンダルーサ」 ◎
  • グリーグ:叙情小品集
  • ドビュッシー:アラベスク第1番、「夢」 ◎
  • ラヴェル:「水の戯れ」、組曲「鏡」から「海原の小舟」
  • モンポウ:内なる印象
  • プロコフィエフ:ピアノ協奏曲 第3番
  • ガーシュウィン:ラプソディー・イン・ブルー ◎
  • ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲
  • メシアン:鳥のカタログ
  • プーランク:ピアノ協奏曲 ◎
  • アンダーソン:ピアノ協奏曲
  • バド・パウエル:クレオパトラの夢
  • ビル・エヴァンス:ワルツ・フォー・デビイ ◎
  • ルグラン:映画『恋』(The Go-Between)サウンド・トラック
  • ナイマン:映画『ピアノ・レッスン』サウンド・トラック 
  • ジョン・ウィリアムズ:映画『サブリナ』サントラ ◎
  • 吉松隆:ピアノ協奏曲「メモ・フローラ」
  • 久石譲:Summer(映画『菊次郎の夏』より)、レスフィーナ(映画『アリオン』より)
  • ダリオ・マリアネッリ:映画『つぐない』サントラ

ロシア生まれで現在は京都市在住のピアニスト、イリーナ・メジューエワは著書「ピアノの名曲 聴きどころ 弾きどころ」(講談社現代新書)で次のように述べている。

すべてを含んでいるという点でバッハは特別だと思います。バッハ以前の音楽も、あとの時代の音楽も、全部バッハの中に入っているという意味です。(中略)すべてがそこに始まり、そこに終わるというか、バッハを超えるものがない。まさに絶対的な存在です。

つまり〈すべての道はバッハに通ず〉。

Bach

本来ならJ.S.バッハからは平均律クラヴィーア曲集を選ぶべきなのかも知れない。12の調性、さらに長調と短調を全て網羅した(12×2=24)「平均律」は後のショパンやショスタコーヴィチが作曲した「24の前奏曲」に多大な影響を与えた。お勧めはすスヴャトスラフ・ リヒテルのアルバム。しかしCDだと4枚に及ぶ大作である。僕は2夜にわたり、生演奏で全曲聴き通したことがあるが、最後は疲労困憊した。

というわけでゴルトベルク変奏曲の方が聴き易いだろう。細田守監督のアニメーション映画『時をかける少女』では、ここぞ!という時にゴルトベルクが流れる。

モダン・ピアノによる演奏で何といっても有名なのはグレン・グールドで55年のモノラル録音は38分、81年のステレオ録音は51分と極端にテンポが異なる。楽譜に記された繰り返しを全て実行すると70分を優に超えるが、メジューエワみたいに変奏曲によってリピートしたり、しなかったりという変則的なピアニストもいる。お勧めの演奏はイゴール・レヴィット。僕はチェンバロで聴くことが多く、ピエール・アンタイとかグスタフ・レオンハルト、アンドレアス・シュタイアーらの演奏を好む。

多分、モーツァルト/ピアノ協奏曲の最高傑作は第20番だろう。第2楽章は映画『アマデウス』のラストシーンで用いられ、第3楽章は明らかにベートーヴェン/ピアノ・ソナタ 第19番 第1楽章の原型である。もう、びっくりするくらいそっくりだ。ベートーヴェンやブラームスはこのコンチェルトに心酔しており、カデンツァを作曲している。またモーツァルト/ピアノ協奏曲 第21番は第2楽章が映画『みじかくも美しく燃え』のテーマ曲として使われたことで有名。しかし僕は敢えて、余り世に知られていない第23番を推したい。無邪気で、天衣無縫。天使と言葉をかわしているような心地がする。ミュージカル『モーツァルト!』で歌われたように、彼こそ〈神が遣わした奇跡の人〉であることが実感出来るだろう。推薦盤はポリーニ(p)&ベーム/ウィーン・フィルや、グルダ(P)&アーノンクール/コンセルトヘボウ管、バレンボイム(弾き振り)/ベルリン・フィル。

あと僕はピアノ・ソナタ 第11番が大好き。有名な第3楽章「トルコ行進曲」ではなく、第1楽章の主題と変奏が特にお気に入りで、聴いていると自分の幼少期を懐かしく想い出す。そういう、〈無垢な子供に還る〉力がモーツァルトの音楽にはある。また恩田陸が『蜜蜂と遠雷』で〈最もモーツァルトの天才を感じる〉と書いたソナタ 第12番も勿論素晴らしい。内田光子とか、マリア・ジョアン・ピリスの演奏でどうぞ。

モーツァルトの音楽は、長調から短調へ(またはその逆)転調する境界域神が宿ると僕は思っている。メジューエワも、〈モーツァルトほど転調したときにどきっとさせる作曲家はいない〉と書いている。

ベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタ30-32番は同時期(52歳)に作曲され、アルフレート・ブレンデルは「シューベルトの後期ピアノ・ソナタ19-21番と同様に、一連のものとして捉える必要がある」と述べている。この頃ベートーヴェンはJ.S.バッハの音楽に傾倒しており、第30,32番には変奏曲、31番にはフーガが仕込まれている。この傾向は後期弦楽四重奏曲(第13番以降)も同様である。最後のソナタの翌年にディアベリ変奏曲が書かれたが、これもゴルトベルク変奏曲を意識した作品である。

メジューエワは語る。

 最後の三つのソナタは一つのトリプティク(三部作)というか、三大ソナタ。演奏会でもまとめて取り上げられることが多いですね。第30番も第31番も素晴らしいですが、それでも第32番はずば抜けた存在です。最高傑作と言っていい。(中略)ベートーヴェンはやっぱり三曲をセットとして考えていたかもしれませんね。三曲全体でのバランスを取るというか、フーガは第31番でじゅうぶんやったから、ここ(32番)はフガートにしておこう、とか。 (「ピアノの名曲 聴きどころ 弾きどころ」より)

第32番は全2楽章で構成され、第1楽章がハ短調、第2楽章がハ長調である。これは交響曲第5番の第1楽章がハ短調で、終楽章がハ長調であることに呼応している。つまり〈苦悩を乗り越えて、歓喜に至る〉というコンセプトのバリエーションであり、彼の集大成と言えるだろう。但し、確かに第1楽章は激しい怒りとか懊悩・絶望が渦巻いているが、第2楽章は静的(static)で、天国的と言うか諦念と浄化がある。交響曲第9番「合唱付き」 終楽章のような〈歓喜〉ではない。僕はこの曲からゲーテの『ファウスト』を連想する。第1楽章がファウストとメフィストフェレスの道行き、第2楽章がグレートヒェンによるファウストの魂の救済。ロシアのピアニスト、マリア・ユーディナは第2楽章の解説として、ダンテ『神曲』の一節を引用する。光が差してきて、自分が変わる、という部分。ベアトリーチェによるダンテの救済。結局、『ファウスト』や宮崎駿『風立ちぬ』の元ネタは『神曲』なわけで、同じことである。ポリーニの演奏でどうぞ。

シューベルト最晩年のピアノ・ソナタ第19−21番は1828年9月に一気に書き上げられた。故にこれらは3部作と見做される。2ヶ月後の11月19日に作曲家死去、享年31歳だった。

ピアノ・ソナタ 第21番についてメジューエワは〈間違いなくシューベルトの最高傑作です〉と断言する。

僕は若い頃、冗長で退屈な曲だと思っていた。昔の自分の無知蒙昧に恥じ入る気持ちでいっぱいである。転機となったのはシューベルトの歌曲「魔王」と同じ構造であることに気が付いたこと。第1楽章、左手の低音部は死神を表し、シューベルトを黄泉の国に引きずり込もうとする。最初の悪魔的トリルが不気味に響き渡り、象徴的。右手の高音部は儚い白鳥の歌を弱々しく歌う。第4楽章冒頭の一音はピリオド。「これで終わり」ーその終止符を打ち消すように音楽は走るが、何度も何度も執拗にピリオドが打たれ、「これで終わり」と宣言する。恐るべき楽曲である。

推薦盤は後期ソナタ3曲まとめてならポリーニ、ブレンデル、内田光子あたりで。第21番に限るならジョージア(グルジア)出身のカティア・ブニアティシヴィリ(ブニたん)の演奏が悪魔に取り憑かれたようで圧巻。

下記事でショパンのオーケストレーション能力について、けちょんけちょんに貶した。

しかし敢えてその、ピアノ協奏曲 第1番を選択した。オーケストラは単なる伴奏に過ぎず面白みに欠けるが、全編を彩る美しい旋律の数々に魅了され、陶然となる。僕の愛読書、福永武彦『草の花』にこのコンチェルトが登場する。そしてわが生涯のベスト・ワン映画、大林宣彦監督『はるか、ノスタルジィ』にも。大林監督は『さびしんぼう』を撮った頃から『草の花』映画化を構想していた。

『草の花』の主人公・汐見が、亡くなった親友、藤木の妹・千枝子を誘い日比谷公会堂にショパンピアノ協奏曲第1番を聴きに往く場面がある。終演後の情景を引用しよう。

 新橋から省線に乗ると、釣革につかまった二人の身体が車体の振動のために小刻みに揺れるにつれて、時々肩と肩がぶつかり合った。そうするとさっき聞いたコンチェルトのふとした旋律が、きらきらしたピアノの鍵音を伴って、幸福の予感のように僕の胸をいっぱいにした。満員の乗客も、ざわざわした話声も、薄汚れた電車も、一瞬にして全部消えてしまい、僕と千枝子の二人だけが、音楽の波の無限の繰返しに揺られて、幸福へと導かれて行きつつあるような気がした。僕はその旋律をかすかに、味わうように、口笛で吹いた。千枝子が共感に溢れた瞳で、素早く僕の方を見た。

実に音楽的描写である。また小説の終盤、ひとりでコンサート会場にいた汐見に千枝子の友人・とし子が話しかけてくる。

ーショパンって本当に甘いんですわね、と尚もにこにこしながらとし子が言った。

ショパンは本当に甘いのか?ーこれは大変、興味深い問いである。稀代のショパン弾きとして知られ、「ノクターン全集」でレコード・アカデミー賞に輝いたメジューエワは次のように述べる。

 一般的にショパンのイメージは甘いというか、女性的で繊細な音楽と捉えられることが多いようですが、私にとっては古典的な作曲家。作曲家としても人としても厳格。ロマンティストですが、現実主義者でもある。男性的な感じ、あるいは英雄的な感じも非常に強い人。そういった意味ではベートーヴェンの精神性にも負けていないと思います。(中略)
 ショパンはもちろんロマン派のど真ん中の人で、音楽もロマンティックで感情豊かなものです。でもショパン自身はリアリスト。すべてを客観的に見ている。 (「ピアノの名曲 聴きどころ 弾きどころ」より)

貴方はどうお感じになるだろう?推薦盤はアルゲリッチのピアノ独奏。伴奏はアバド/ロンドン交響楽団でも、デュトワ/モントリオール交響楽団でも、どちらも好し。

シューマンについて、メジューエワは〈インスピレーションという言葉が似合います〉〈すごいスピードで次から次へ目まぐるしくアイディアが出てくるんですね〉〈エモーションをちょっとコントロールできていない〉〈ちょっとクレイジーでファンタジー豊かな人〉と評している。シューマンのcraziness(狂気)は、彼が罹っていた神経梅毒(梅毒が中枢神経系に感染し、引き起こす髄膜炎)と無関係ではあるまい。結局、やはり梅毒に罹患していたスメタナ同様、精神病院で最後を迎えることになる。しかし27歳で作曲した「子供の情景」にその狂気はなく、穏やかで幸福なの世界が描かれている。アルゲリッチの演奏で。

シューマンでは力強く凛々しいノヴェレッテ 第1番も好き。大林宣彦監督『ふたり』の中で石田ひかりがこの曲を弾く場面はとても印象的だった。リヒテルでどうぞ。また「子供の情景」第7曲〈トロイメライ〉は大林映画『転校生』に登場する。

リストなら『蜜蜂と遠雷』で演奏されるピアノ・ソナタ ロ短調(アルゲリッチ、ポリーニ、ポゴレリッチ)とか、村上春樹の小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』に登場するラザール・ベルマンが弾く「巡礼の年」なども考えたが、最も透明で美しい「ため息」を選んだ。大林宣彦監督はこの曲が大好きで、東宝の正月映画『姉妹坂』では全編に流れるし、テレビ映画『三毛猫ホームズの推理』やBS-TBSで放送された『告別』でも使用された。ホルヘ・ボレットの演奏で。余談だが原田知世が主演した大林映画『時をかける少女』の〈土曜日の実験室〉の場面では、音楽室の方からリスト「愛の夢 第3番」が微かに聴こえてくる。

ムソルグスキーの音楽は一言で評するなら〈泥臭い〉。言い換えれば〈ロシアの土の匂い〉がする。メジューエワは〈混沌(カオス)〉と形容している。〈野生の思考〉で作曲されているので、ソナタ形式などきっちりとした構造からは程遠い。シューマン同様、理屈よりもインスピレーションの人と言っていいかも知れない。

ムソルグスキーの交響詩「禿山の一夜」はリムスキー=コルサコフが編曲したバージョンで知られており、クラウディオ・アバドの指揮で初めて原典版を聴いたときは腰を抜かした。全然違う曲だった!!もっさり、ドロドロしており、リムスキー=コルサコフ版はそのアクを抜き去り、洗練されたオーケストレーションが施されていた。泥を撹拌し、濁りのない上澄み液だけ抽出した感じ。友情からした仕事なのだろうが本末転倒というか、完全に原曲の魂(soul)が雲散霧消している。

展覧会の絵」には無数の編曲がある。最も有名なのがラヴェルの管弦楽編。他に冨田勲(管弦楽編/シンセサイザー編)、フンテク編、ゴルチャコフ編、ストコフスキー編、アシュケナージ編、大栗裕によるマンドリンオーケストラ編、エマーソン・レイク・アンド・パーマー(EPL)によるプログレッシブ・ロック編、また伊藤康英による「二台八手ピアノ、サクソフォーン四重奏、混声合唱と吹奏楽のための交響的カンタータ」版なんてのもある(実演を聴いた)。それだけ編曲したいという意欲を掻き立てる余白というか、があるのだろう。ピアノ原曲ではキーシン、ウゴルスキ、ポゴレリッチ、ブニアティシヴィリ(ブニたん)の演奏がお勧め。

チャイコフスキーは泣く子も黙る華麗なるピアノ協奏曲 第1番を敢えて外した(リヒテル&カラヤン/ウイーン響、アルゲリッチ&アバド/ベルリン・フィル)。より親密な(intimate)「四季」を推す。1月〈炉端にて〉とか、5月〈白夜〉、6月〈舟歌〉、11月〈トロイカ〉、12月〈クリスマス〉など、ほんわり暖かく包み込むように鳴り響き、郷愁を誘うんだよね。アシュケナージかプレトニョフの演奏で。本当はリヒテルを強く推したいのだが、抜粋なのが残念。鋼(はがね)の叙情。

サン=サーンスピアノ協奏曲 第2番(パスカル・ロジェのピアノとシャルル・デュトワの指揮)を推そうと決めていた。第4番も好し。しかし、よくよく考えると「動物の謝肉祭」にも2人のピアニストが登場する。特に〈水族館〉はキラキラ輝く珠玉の名曲だ。ユーモアもあるし。というわけで宗旨替えした。アルゲリッチ、クレーメル、マイスキーらの演奏でどうぞ。

フランス人や日本人以外のピアニストがエリック・サティを弾くことは滅多にない。例えばロシアのリヒテル、ギレリス、ベルマン、メジューエワとか、オーストリアのブレンデル、グルダ、ドイツのケンプ、バックハウス、ポーランドのツィメルマン、イタリアのポリーニ……誰も弾かない。3つのジムノペディとか、3つのグノシェンヌとか、技術的に簡単過ぎるのだ。腕に覚えがある奏者にとっては物足りない。しかし、曲の難易度(弾き手の達成感)と聴き手の感動が比例するわけではない。簡素で素朴な美しさに心惹かれる、もものあはれを知ることもある。サティは(後に登場する久石譲も)そういった類(たぐい)の音楽なのだ。チッコリーニやティボーデ、ロジェ、高橋アキの演奏でどうぞ。またジムノペディ第1番と第3番にはドビュッシー編曲によるオーケストラ版もある(第2番を省いているのが可笑しい)。デュトワ/モントリオール交響楽団で。

グラナドスはスペインのリズムが心地よい。旋律は太く男性的だが、哀愁を帯びている。「オリエンタル」「アンダルーサ」はギター編曲版もあり、ビクトル・エリセ監督の映画『エル・スール』で印象的に使われた。

アルベニスやグラナドスはラローチャの演奏が唯一無二。

ノルウェイの作曲家グリーグで一番有名なのはピアノ協奏曲だが、日本では余り聴く機会がない抒情小曲集を推す。心に沁みる逸品。ギレリスかアンスネスの演奏で。オーケストラ用に編曲された抒情組曲もある。バルビローリ/ハレ管で。

ドビュッシーの音楽を〈印象派〉たらしめているのは、①ありとあらゆる音階の駆使 ②polytonality(複調、多調)である。一番良いサンプルはピアノ曲集「版画」だろう。第1曲「塔」はガムラン音楽の影響を受け、東南アジアの五音音階(ペンタトニック)が用いられている。第2曲「グラナダの夕べ」はアラビア音階ーいろいろあるが、マーカム・ヒジャーズカルとマーカム・ナワサルだけ覚えておけばよいだろう。詳しくはこちらのサイトをご覧あれ。第3曲「雨の庭」では全音音階半音階長調短調が混在する。正に音階の見本市である。またpolytonality(複調、多調)とは、簡単に述べれば右手と左手で同時に弾く調が異なること。

月の光」があるベルガマスク組曲を選んでも良かったのだけれど、僕がその美しさに心奪われ、うっとり聴き惚れるのはアラベスク第1番と「」なんだな〜。サンソン・フランソワの演奏でどうぞ。

ラヴェルを聴くと「色彩豊かだなぁ」といつも感じる。響きから色彩を感知するからくりは半音階の駆使にある。半音階は脳内で無意識のうちに色彩のグラデーションに変換され、虹色に輝く。「水の戯れ」も「海原の小舟」も、日差しを浴びた水の煌めきが鮮烈である。

3曲で構成される「夜のガスパール」もいいね!第1曲「オンディーヌ」は水の精のことで、「水の戯れ」「海原の小舟」と併せて「水」三部作と呼ばれたりもする。「水の戯れ」「海原の小舟」はフランソワ、「夜のガスパール」はアルゲリッチの演奏でどうぞ。

フレデリコ・モンポウはスペイン、カタルーニャの作曲家。「内なる印象」はsensitiveで、ひそやかな音楽。そっと取り扱いたい。なかんづく〈秘密〉は絶品!聴いていると悲しい気持ちになる。ラローチャの演奏で。

プロコフィエフ/ピアノ協奏曲 第3番は『蜜蜂と遠雷』のクライマックスでも演奏される名曲中の名曲。過去を懐かしむようなクラリネットのソロで開始され、それから次々と目まぐるしく場面が転換、気まぐれな年頃の女の子みたいにに表情がコロコロ変わっていく。「プロコフィエフって踊れるよね」(by 栄伝亜夜『蜜蜂と遠雷』)アルゲリッチの独奏でどうぞ。アバドの指揮でもデュトワの指揮でもO.K.

ガーシュウィン/ラプソディー・イン・ブルーは『のだめカンタービレ』でもお馴染み。このJazzyな楽曲のイメージを喚起するためには、ウディ・アレンの映画『マンハッタン』か、ディズニーの『ファンタジア2000』をご覧になることを強くお勧めする。音源はレナード・バーンスタインかアンドレ・プレビンのピアノで。ユジャ・ワン(P)&ドゥダメル/ウィーン・フィルもスリリング。

ラフマニノフ/パガニーニの主題による狂詩曲の白眉はズバリ、第18変奏 アンダンテ・カンタービレである。全ての想いは下のブログ記事で激白した。

まぁ、エルガー/エニグマ変奏曲における第9変奏〈ニムロッド〉みたいなものだ。ユジャ・ワン(p)&アバド/マーラー室内管、アシュケナージ&プレヴィン/ロンドン交響楽団またはマツーエフ(P)&ゲルギエフ/マリインスキー歌劇場管あたりでどうぞ。

フランスの作曲家メシアンの最高傑作といえば世の終わりのための四重奏曲であることは衆目の一致するところだろう。しかし既にこちらの記事で取り上げたので、今回はピアノ独奏曲「鳥のカタログ」にした。メシアンと吉松隆といえば、なんてったってである。ウゴルスキの演奏で。

プーランクの音楽ほど、〈軽妙洒脱〉〈お洒落〉〈エスプリに富む〉という表現がぴったりなものはないだろう。ピアノ協奏曲はその極北にある。パスカル・ロジェ(P)&デュトワ/フィルハーモニア管の演奏にとどめを刺す。聴け、そして震えろ。

ルロイ・アンダーソンはオーケストレーションの腕を見込まれて、アーサー・フィードラー/ボストン・ポップス・オーケストラのために「ジャズ・ピチカート」「シンコペイテッド・クロック」「トランペット吹きの休日」「トランペット吹きの子守唄」など小品を沢山提供した。"A Christmas Festival"という、数々のクリスマス・ソングをメドレーにしてアレンジした傑作もある。ピアノ協奏曲の第1楽章はまるでニューヨークを舞台にしたメグ・ライアン主演のロマンティック・コメディのよう。第2楽章はキューバ(またはマイアミビーチ)でのバカンスで、第3楽章は一転してロデオというかウエスタン風。アメリカらしい、愉快な傑作である。ビーゲル(P)&スラットキン/BBCコンサート・オーケストラで。

クレオパトラの夢」はジャズ・ジャイアント、バド・パウエルが作曲・演奏した。村上龍が司会をしたテレビのトーク番組『Ryu's Bar 気ままにいい夜』のテーマ曲として使用された。秋の夜長にグラスを傾けながら聴きたい、グルーヴィー(groovy)な逸品。試聴はこちら

ワルツ・フォー・デビイ」はジャズ界のピアノの詩人ビル・エヴァンスが残した、優しくロマンティックな名曲。ビル・エヴァンス・トリオの録音が幾つも残っている。最初が1961年マンハッタンにあるヴィレッジ・ヴァンガードのライブで、最後は1980年サンフランシスコのジャズ・クラブ、キーストン・コーナにて収録。試聴はこちら。またエヴァンズのソロ曲「ピース・ピース(Peace Piece)」も素敵。静謐で深い。1958年のアルバム「エヴリバディ・ディグズ・ビル・エヴァンス」における本人のものか、イゴール・レヴィットの演奏を推す。

ミシェル・ルグランの作曲した映画「The Go-Between(1971)はカンヌ国際映画祭で最高賞のパルム・ドールに輝いた。ピアノ協奏曲仕立てになっており、主題と変奏で構成される。悲劇の予感。サントラCDが発売されていないので、こちらでお聴きください。

カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞したニュージーランド映画「ピアノ・レッスン」(1993)の主人公エイダ(ホリー・ハンターがアカデミー主演女優賞を受賞)を一言で評すなら”女ヒースクリフ”である。彼女の激情狂恋は間違いなくエミリー・ブロンテの小説「嵐が丘」に繋がっている。実際にジェーン・カンピオン監督(女性)は「嵐が丘」を撮りたいと熱望しているという。試聴はこちらマイケル・ナイマンはこの映画音楽を基にピアノ協奏曲を書いており、そちらもお勧め。

ジョン・ウィリアムズの「サブリナ」(1995)は現在、サントラCDが輸入盤で購入可能。ひとまず作曲家本人のピアノ、小澤征爾が指揮するこちらの演奏でお聴きください。夢の中の舞踏会にいるような、究極の美しさ。ジョンは天才だ。また2019年の新譜で「サブリナ」のバイオリン&オーケストラ版も登場した(アンネ=ゾフィー・ムターのアルバム「アクロス・ザ・スターズ」)。

Sabrina

Across

あとね、「E.T.」の"Over the Moon"も大好き!こちら

当初、久石譲からは僕の偏愛する大林映画「はるか、ノスタルジィ」の、”Tango X.T.C.”(タンゴ・エクスタシー)にしようと決めていた。しかし冷静になって聴き直してみると、果たしてピアノ主体の楽曲と言えるのか?と疑問がふつふつと湧き上がってきた。確かにピアノは使われている。しかしサントラで主旋律を弾くのはシンセサイザーだし、後のコンサート用編曲ではそこをバンドネオンが担当したりしている(試聴はこちら)。というわけで映画「菊次郎の夏」から爽やかな日差しを感じさせる”Summer”(試聴はこちら)と、映画「アリオン」からロマンティックな”レスフィーナ”(試聴はこちら)を選んだ。あと「千と千尋の神隠し」の”あの夏へ”とか、「ハウルの動く城」の”人生のメリーゴーランド”とかをお愉しみください。

吉松隆メモ・フローラ(花についてのメモ)」は地下に眠る玻璃のように繊細で、密やかに燦めいている。それはある意味、宮沢賢治の世界を彷彿とさせる。そもそもこのタイトル、賢治が自宅の花壇の設計のために残したノートの題なのだそう。田部京子(p),藤岡幸夫/マンチェスター室内管弦楽団のアルバムでどうぞ。吉松には左手のピアニスト舘野泉のために作曲した「KENJI…宮澤賢治によせる」という作品もある。

Memo

また吉松ならピアノ独奏のための「プレイアデス舞曲集」もお勧め。こちらも田部京子で。

アカデミー作曲賞を受賞した映画「つぐない」(2007)の音楽の真髄は、ピアノとタイプライターの競演にある。これは秀逸。試聴はこちら。アイディアの元祖としてルロイ・アンダーソンの「タイプライター」があるわけだが(こちら)。

続いて〈別枠〉。

メンデルスゾーンはその実像に比べ、クラシック音楽愛好家から〈軽く見られている〉という気がして仕方ない。ブルヲタ(ブルックナー・ヲタク)とか、マラヲタ(マーラー・ヲタク)というのは一大勢力だが、僕は「メンデルスゾーンが一番好き!」という人に出会ったことがない(そもそも、ブルヲタマラヲタはオーケストラ曲しか聴かない)。多くの人々はロマン派の作曲家に対して苦悩とか挫折とか、心理的葛藤を求めている。しかしメンデルスゾーンの音楽にはそういった要素が見られない。彼はユダヤ人で、父は裕福な銀行家であった。だから苦労ということを知らずに一生を送ったのである。28歳で美人と結婚し、5人の子にも恵まれた。言うことなしである。なお一時代を築いたメンデルスゾーン銀行だが、ナチス・ドイツが政権を握ると1938年に解体されてしまった。

メンデルスゾーンは20歳の時に指揮者としてJ.S.バッハ/マタイ受難曲を100年ぶりに蘇演したことでも知られている。だから彼の音楽はバッハに近く、決して感情的にならない。『蜜蜂と遠雷』で演奏される「厳格な変奏曲」もバッハのゴルトベルク変奏曲や、ベートーヴェンのディアベリ変奏曲を彷彿とさせる仕上がりになっている。

ピアノ独奏曲ならまず、フランスのピアニスト、ベルトラン・シャマユが弾くピアノ作品集をお勧めしたい。Spotifyはこちら、NAXOSはこちら。特にロンド・カプリチオーソと無言歌 第6巻 第2曲「失われた幻影」が素敵。「厳格な変奏曲」も入っているので、これ一枚で全体像が把握出来る。

メンデルスゾーン/ピアノ三重奏曲 第1番は端正な美しさ。〈悲劇の季節〉という言葉がぴったり。トリオ・ワンダラーかボロディン・トリオの演奏で。

ブラームスフォーレ室内楽の二大巨頭である。ブラームス/ピアノ四重奏曲 第1番はシェーンベルクによるオーケストラ編曲版でも知られる。白眉は第4楽章、ずばりロマ(ジプシー)の音楽だ。こんなに燃えるブラームスは他に例を見ない。ダンス・ダンス・ダンス!アルゲリッチ/クレーメル/バシュメット/マイスキーの競演でどうぞ。

フォーレ/ピアノ五重奏曲 第1番は冒頭ピアノの眩(まばゆ)いアルペジオ(分散和音)が例えようもなく美しい!これは一つのメルヘンだ。ル・サージュ(ピアノ)&エベーヌ弦楽四重奏団の演奏で。

チェコの作曲家ドヴォルザーク/ピアノ三重奏曲 第4番「ドゥムキー」は民族色が強い。”ドゥムキー”とは18世紀ポーランドに起こり、ウクライナ、チェコ、スロバキアなどスラヴ諸国に広まった民謡形式、”ドゥムカ”の複数形である。ゆっくりとした哀歌の部分と、テンポの速い明るく楽しい部分の急激な交代を特徴とする。6つの楽章から成るが、ソナタ形式は全く無い。スーク・トリオか、ファウスト/ケラス/メルニコフの演奏で。なお、チャイコフスキーにも「ドゥムカ」というピアノ曲がある。

ショーソン/ヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏のためのコンセールは幻夢的。第2楽章は月の光に浮かび上がるまぼろし。

バルトークは『蜜蜂と遠雷』の本選で風間塵が弾くピアノ協奏曲 第3番を選んでも良かったのだが(アンダ&フィリッチャイ/ベルリン放送交響楽団)、2台のピアノと打楽器のためのソナタを取り上げたのには理由がある。バルトークはピアノを打楽器と見なしていることが明確に判る楽曲だからである。この作曲家独自のユニークな着想であり、他には余り例を見ない。アルゲリッチ、フレイエほかでどうぞ。

チェンバロは爪で金属弦をはじいて音を出す機構である。つまり撥弦楽器だ。だからハープ、ギター、琴、三味線の仲間ということになる。一方、ピアノはハンマーフェルトで弦を叩く打弦楽器だ。最も近い兄弟はイランのサントゥールやハンガリーのツィンバロム(ツィンバロン)。

Santur Cimbalom

木琴(シロフォン)・鉄琴も親戚筋に当たる。故にピアノと打楽器は相性が良いのである。『蜜蜂と遠雷』でマサルが弾くバルトーク/ピアノ・ソナタも、打楽器として扱われている。

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2019年7月 9日 (火)

【考察】グルーヴ(groove)って、一体何?

最近、ジャズ・ミュージシャンやヒップホップのアーティストたちの口から〈グルーヴ(groove)〉という言葉を聞く機会が増えてきた(クラシックの音楽家たちは使わない)。2000年頃から広く使われ始めたようだ。しかしどうもその正体が見えてこない。そこでじっくりとこの言葉について考えてみた。

まずウィキペディアの定義を見てみよう。

音楽用語のひとつ。形容詞はグルーヴィー(groovy)。ある種の高揚感を指す言葉であるが、具体的な定義は決まっていない。

デジタル大辞泉では次のようになっている。

ジャズやロックなどの音楽で、「乗り」のことをいう。調子やリズムにうまく合うこと。

何だかわかったようなわからないような……。狐に化かされたような、モヤモヤした気持ちになるのは僕だけではあるまい。では次に語源からアプローチしてみよう。

grooveとは、そもそもアナログレコード盤の音楽を記録した「」を意味する言葉である。

ターンテーブル上で回転するLPレコードに針を落とした状態で、真横から見た光景を想像して頂きたい。針は溝に沿って上がったり下がったりする。それはまるで波乗り=サーフィンの様に見える。この〈サーファー気分=グルーヴィ〉と見做せば、なんとなくイメージが湧くのではないだろうか?

つまり僕は次のような定義を提唱したい。

音楽を聴いたり演奏した時に得られる、サーファーが波に乗れた時の快感、心地よさに相当する感情。(音の)波動律動うねり。それは多幸感をもたらすと同時に、時として畏怖の念を抱かせる存在でもある。

〈グルーヴ(groove)〉はいわば、ゼロ記号ゼロ象徴価値の記号)と言えるだろう。

ソシュール(1857-1913)の言語学では「意味しているもの」「表しているもの」のことをシニフィアン、「意味されているもの」「表されているもの」のことをシニフィエと呼ぶ。「海」という文字や「うみ」という音声がシニフィアン、頭に思い浮かぶ海のイメージや海という概念がシニフィエである。そしてゼロ記号ゼロ象徴価値の記号)とはシニフィアンが具体的な姿を持っていないこと自体が、一つのシニフィアンとして機能する記号である。メラネシア(オセアニア)の原始的宗教において、神秘的な力の源とされる概念「マナ」や、日本語で「ツキがある」「ツキに見放された」などと使用される「ツキ」が該当する。映画「スター・ウォーズ」のフォースもそう。ジェダイの騎士がフォースの力で敵を吹き飛ばしたりするが、あれこそ正に空気の波動であろう。つまり〈フォース=グルーヴ(groove)〉だ。ユング心理学においてはヌミノース体験に相当する。

神は細部に宿る

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2019年3月 7日 (木)

ビール・ストリートの恋人たち

評価:A+

Beale_street

公式サイトはこちら

監督は「ムーンライト」でアカデミー作品賞を受賞したバリー・ジェンキンス。本作でヒロイン・ティシュの母親を演じたレジーナ・キングがアカデミー助演女優賞を受賞した。

原作は黒人作家ジェイムズ・ボールドウィンが書いた"If Beale Street Could Talk"(ビール・ストリートに口あらば)。“ビール・ストリート”は、テネシー州・メンフィスにある通りの名前。この場所はアフリカ系アメリカ人によって作られた音楽〈ブルース〉発祥の地であり、ブルースからジャズが派生した。ルイ・アームストロングや、B.B.キングなど伝説的なミュージシャンたちがここで演奏した。

映画の舞台となるのはニューヨークのハーレム地区なので、実際のビール・ストリートは一切出てこない。つまり“ビール・ストリート”とはアフリカ系アメリカ人にとって、〈強さ〉とか〈心の拠り所〉〈未来への希望〉の象徴なのだ。だから邦題は些か紛らわしい。

静謐で力強い映画である。カメラが登場人物の顔を正面から捉えたショットとか、小津安二郎監督からの影響が色濃い。「ムーンライト」もそうだったがバリー・ジェンキンスの作品に登場する男たちは寡黙である。本作を観ている途中で気がついた。「そうか、『東京物語』の笠智衆だ!」主人公は多くを語らないので、観客は能動的に、台詞の行間や表情から彼らの想いを探っていかなければならない。凄く知的で文学的作品である。なおジェンキンスは元々、小説家を志していたそうだ。

誇張された色彩の映像が美しい。冒頭の俯瞰ショットなんか、まるでジャック・ドゥミの「シェルブールの雨傘」みたいで魅了された。黄色〜橙色が重要な役割を果たし、〈救い〉とか〈仄かな希望〉を象徴している。

またアカデミー作曲賞にノミネートされた、ニコラス・ブリテルによる音楽がしみじみ素晴らしい。Jazzを基調とし、本来ホーンセクション(金管)が演奏するところを弦楽器に委ねているのがユニーク。特にサウンドトラックでは〈アガペー〉と題された曲(トラック3)は、ソプラノサックスなど木管楽器に海鳥の鳴き声を託しており、鮮烈な印象を覚えた。必聴。

また〈チョップド&スクリュード〉が用いられていることも特筆すべきだろう。90年代にヒューストンを中心とするアメリカ南部のヒップホップ・シーンで生まれたリミックスの手法で、「極端に曲のピッチを落とした上で、さらに半拍ずらしてミックスする」というもの。

とにかく最高!必見だ。

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2011年12月10日 (土)

日本テレマン協会マンスリーコンサート~中山裕一/バロックヴァイオリンリサイタル

12月6日(火)日本テレマン協会のマンスリーコンサート@大阪倶楽部へ。

前半が20世紀アメリカの弦楽四重奏曲

  • コルンゴルト/弦楽四重奏 第2番 第1,2楽章
  • ガーシュウィン/弦楽四重奏のための「子守唄」

後半がスタンダードJAZZとクリスマス・ソング。

延原武春/テレマン・アンサンブルストンプ in KOBE(ピアノ、ベース、ドラムス)の演奏、ヴォーカルは原田紀子永海 孝。ガーシュウィンやコール・ポーターのソングス、「スターダスト」、「テネシー・ワルツ」、"Have Yourself A Merry Little Christmas"(ジュディー・ガーランド主演/映画「若草の頃」より)、"White Christmas"などが歌われた。

モラヴィア地方(現チェコ)で生まれ、「モーツァルトの再来」としてウィーンで時代の寵児となり、ユダヤ人だったためにナチス台頭とともにハリウッドに渡って映画音楽作曲家になったエーリッヒ・ウォルフガング・コルンゴルト。そのカルテットの第1楽章は匂い立つロマンチシズムに溢れている。ヨーロッパ文化の黄昏。第2楽章はウィーンのカフェを彷彿とさせる華やいだ雰囲気がある。

ガーシュウィンは最初から最後まで弱音器(ミュート)で演奏された。ヴァイオリンのハーモニクス(倍音)奏法が印象的。これは「20世紀のセレナーデ」と呼ぶべき佳曲。いいものを聴かせて貰った。

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翌7日(水)は兵庫県立芸術文化センターで中山裕一のヴァイオリン・リサイタル。「J.M.ルクレールのルーツを探る旅」という副題が付いている。共演はチェンバロ:高田泰治、チェロ:曽田 健。全員日本テレマン協会のメンバー。

  • コレッリ/ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ホ短調 Op5-8
  • ヴィヴァルディ/ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ イ長調 Op2-2
  • ソーミス/ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ト短調 Op2-10
  • ルクレール/ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ト短調 Op5-11
    (休憩)
  • ヘンデル/ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ニ長調 HWV371
  • ルクレール/ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ イ長調 Op9-4
  • J.S.バッハ/ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ ト長調 BWV1019
  • ルクレール/タンブール(太鼓) アンコール

哀しみに満ちたコレッリ、技巧的で遊び心があるヴィヴァルディ。そして中山さんと同じく、ジャン=マリー・ルクレールは僕も大好きなフランスの作曲家である。ルイ15世より王室付き音楽教師に任命されるも、晩年は貧民街で隠遁生活を送り、あばら家で惨殺死体となり発見されるという人生もミステリアス。その音楽は決然とした佇まいで、凛として美しい。

コレッリに師事したソーミスの楽曲は恐らくこれが日本初演だという。

闊達なヘンデルを経て、最後は大バッハ。ヴァイオリンとチェンバロが対等な立場で主導権を交互に握り、丁々発止のやり取りが展開された。5楽章構成で第3楽章がチェンバロ独奏というのもユニーク。

中山さんのバロック・ヴァイオリンは端正で品があった。ただ、イタリアのファビオ・ビオンディやジュリアーノ・カルミニョーラみたいに、そこを突き抜けた大胆さ、奔放さが欲しい気もしたが、全般におとなしい日本人演奏家にこれを求めるのは、ないものねだりというものかも知れない。

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2011年5月14日 (土)

本多俊之at ロイヤルホース

大阪・梅田のライブハウス・ロイヤルホースへ。

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サックス奏者で、映画「マルサの女」「メトロポリス」「茄子 アンダルシアの夏」などの作曲家としても知られる本多俊之さんのライヴを聴く。ロイヤルホース初登場だそうだ。

他のメンバーは竹下清志(P)、荒玉哲郎(B)、東原力哉(Ds)。

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第1部、第2部に分かれ、演奏された曲目は、

  • チック・コリア/500マイルズ・ハイ
  • 本多俊之/ドリーム・カムズ・トゥルー(1983)
  • D. エリントン/ソフィスティケイティッド・レディ
  • 本多俊之/たちまち(アルバム「SMILE !」より)
  • 本多俊之/シンクロナイズド・カルテット(「スーパー・カルテット」より)
  • 本多俊之/マルサの女
  • チック・コリア/キャプテン・セニョール・マウス
    (リターン・トゥ・フォーエヴァーのアルバム「第7銀河の讃歌」より)
  • バート・バカラック/小さな願い "I Say a Little Prayer"

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本多さんは陽気な人だった。節電の東京と比べ「こちらは明るくていいです」と。

彼のサックスは高らかに歌い、豪快なブローがたまらない。スタイリッシュで都会的な音。

自作「たちまち」はアップテンポでノリのいい曲。

また「マルサの女」は元々4拍子で作曲されたが、伊丹十三監督から登場人物”権藤”のイメージで「足を引きずる感じが欲しい」とリクエストされ、5拍子に書き換えられたというエピソードを披露された。

今回特にチック・コリアの「キャプテン・セニョール・マウス」が気に入った。

また、バカラックは勢いがあり、凛々しく、格好よかった。

手ごたえのあるライブだった。本多さん、また大阪に是非いらしてください!

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2011年4月16日 (土)

The Age of Eiji 「不安の時代」から始動!〜大植英次/大フィル定期

ザ・シンフォニーホールへ。

大植英次/大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会(二日目)を聴く。

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昨シーズンこのコンビはふたつの「第9シンフォニー」で有終の美を飾ったが、今シーズンはふたつの「第2シンフォニー」で幕開け。

  • バーンスタイン/交響曲 第2番「不安の時代」
  • シベリウス/交響曲 第2番

まず最初に大植さんがマイクを持って登場。東関東大震災の被災者を想い、賛美歌 320番「主よ、みもとに近づかん」(Nearer My God To Thee)が演奏された。これは99年前(1912年)にタイタニック号が沈没する際、最後まで船上で音楽家が弾き続けた曲(試聴はこちら!)。指揮なしで弦楽器のみ。コンサートマスター・長原幸太さんのソロで始まり、続いて2nd.Vn.主席の田中美奈さんが加わり、弦楽合奏へ。「(戦争や)災害があったとき、人々の心を助ける目的でバッハやラヴェル(←恐らく「クープランの墓」のこと)が作曲したという前例はありますが、音楽家が演奏したという記録はこれくらいしかないんです」と大植さん。

実は僕も先月の大フィル定期を聴きながらタイタニック号のことを連想し、奇しくもレビューでそのことに言及している。

正にシンクロニシティ。

ジャズ・ピアニスト小曽根真さんをソリストに迎えたバーンスタインは「夜のシンフォニー」。ニューヨーカーらしく都会的で雄弁。小曽根さんはスウィングしてノリノリ、大植さんのタクトは複雑なリズム処理が見事であった。第2部「挽歌」は厚みのある弦の響き、凄まじい管の咆哮が強烈。「仮面劇(マスク)」はJAZZ。大植さんが指揮台で軽快にステップを踏む。シンコペーションが小気味よく、ここで前に出てきた(コントラバス主席)新 真ニさんのピッツィカートが弾ける!「エピローグ」は朝の爽やかさ。そこには気だるい虚無感も漂う。しかし音楽は最終的に(「ウエストサイド物語」のように)浄化され、力強く「再生の願い」を込めて締めくくられる。大植さんも小曽根さんも満面の笑み。会心の出来だった。

このシンフォニーが発表されたのが1949年。赤狩り(マッカーシズム)がアメリカで吹き荒れ始めたのが48年、東西冷戦が深刻となりベルリン封鎖が行われたのも同年である。そうした空気が"The Age of Anxiety"の背景に流れており、それは福島原発事故に伴う放射能の恐怖に晒された今の日本とシンクロニシティがある。

大植さんはバーンスタインから直接「Eiji、この曲をお前にやる」と言われたそうだ。しかしクラシックの技法からジャズまで幅広くこなせるピアニストが中々見つからず、レニーの死後21年間、一度も演奏する機会がなかったという。まさに満を持しての内容だったというわけ。だからこそシーズン最初の曲がこれだったのだろう。

なお、通常暗譜で指揮する大植さんだが珍しく譜面台が置かれており、レニーのスコアが表紙を上にして置かれていた。しかし演奏中、それは一度も開かれることはなかった。最後に大植さんが楽譜を高く掲げて盛大な拍手を贈る聴衆にアピール。それにキスするパフォーマンスも。まこと愛すべき人だ。

小曽根さんのアンコールは「ウエストサイド・ストーリー」から"Tonight"。ビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビー」風に優しく始まり、最後は"Cool"のメロディも加わってマイルス・デイビスの"So What"仕立てに。粋で素敵だった。なお、定期一日目のアンコールはやはり「ウエストサイド・ストーリー」の"Somewhere"だったそうだ。

プログラム後半のシベリウスは大きくうねり、振幅のある演奏。音楽の表情、テンポがクルクル目まぐるしく変化する。大植さんのチャイコフスキーの解釈に近い印象を受けた。故にシベリウスがチャイコフスキーから、いかに多大な影響を受けていたかを今回如実に感じることが出来た。大フィルの濃い陰影ある弦の響きが素晴らしく、フィンランドの深い森が幻視された。第2楽章には仄暗い情念がめらめらと熾火のようにくすぶる。第3楽章には木枯らしが吹き抜ける疾走感があり、レント・エ・スアーヴェ(ゆっくり、しなやかに)と指定されたトリオでは自然を謳歌するのびやかさがあった。そしてスケールの大きな第4楽章へと怒涛の如くなだれ込む。そこには氷河を押し分けて進む船の力強さ、頼もしい推進力があり、大植さんはさらに一層激しくテンポを動かした。有無を言わせぬ圧巻の名演!

The Age of Eiji はこうして輝かしく船出した。さぁこれから一年、どのような驚きがさらに僕たちを待ち受けているのだろうか?大植/大フィルの動向から片時も目が離せない。

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2010年12月22日 (水)

荘村清志 ”アルハンブラの想い出”

大阪倶楽部へ。

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日本を代表するクラシック・ギタリスト荘村清志(しょうむら きよし)さんのコンサート。

  • バリオス/マドリガル、ラ・ギタリータ、郷愁のショーロ
  • ラインハルト(ディアンス編)/ヌアージュ(雲)
  • ディアンス/20通の手紙より
  • イルマール/バーデン・ジャズ組曲
    (休憩)
  • 賢王アルフォンス/聖母マリア
  • スペイン民謡/映画「禁じられた遊び」より”愛のロマンス”
  • タレルガ/アルハンブラ宮殿の想い出
  • グラナドス/アンダルーサ(スペイン舞曲集)
  • アルベニス/グラナダ、セビリア(スペイン組曲)
  • マイヤーズ/映画「ディア・ハンター」より”カヴァティーナ” (アンコール)
  • カタロニア民謡「聖母の御子」 (アンコール)

バリオスはパラグアイの作曲家。乾いた響きに哀愁が滲む。

ラインハルトの「ヌアージュ」はJAZZ。それをクラシック・ギターで弾けるようアレンジされたもの。爽やかに一陣の風が吹き抜ける。

20通の手紙」からは7曲 ー シドニー(友人)への手紙、セーヌ(河)への手紙、黒い手紙(アフリカ大陸へ)、ジャック・カルティエへの手紙(カナダ国歌のアレンジ)、北東(ブラジル)への手紙、フリア・フロリダ(バリオス作曲)への手紙、イサーク・アルベニスへの手紙。バラエティに富み、親しみやすい楽曲。

バーデン・ジャズ組曲」はブラジルのギタリスト(ボサノヴァの巨匠)、バーデン・パウエルへのオマージュ。

プログラム前半はノリのいい、近代ギター音楽を堪能した。

打って変わって後半は、過去へとタイム・スリップ。

聖母マリア」は12世紀アンダルシアの音楽。味わい深い古楽の響き。

アルハンブラの想い出」は遠方へのあこがれ。

グラナドスアルベニスはスペインを代表する作曲家。「アンダルーサ」はスペイン映画「エル・スール」でとても印象的に使われていた。

やっぱりスペインの音楽はギターが一番、その持ち味を発揮するなぁと感じられた冬の夜であった。

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2010年9月26日 (日)

北村英治 at ロイヤルホース 2010

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大阪・梅田のロイヤルホースへ。

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JAZZクラリネットの第一人者、北村英治さんのライヴを聴く。

北村さん以外にビアノ、ドラム、ベースという編成のカルテット。

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第1ステージ(19:00-20:00)

  • Rose Room
  • 忘れがたきニューオリンズ
    (Do You Know What It Means to Miss New Orleans?)
  • 恋人よ我に帰れ
  • Someday Sweetheart
  • Misty
  • A列車で行こう

第2ステージ(20:30-21:30)

  • アヴァロン(Avalon)
  • 虹の彼方に
  • 星影のステラ
  • ビギン・ザ・ビギン
  • バードランドの子守唄
  • For Eiji(クラリネット奏者バディ・デフランコが北村さんのために書いた曲)
  • Memories of You
  • Sing,Sing,Sing

第3ステージ(22:00-23:00)

  • Smiles
  • 身も心も
  • 黒いオルフェ
  • 小さな花(Sop Sax奏者シドニー・ベッシェ 作曲)
  • ディア シドニー(ボブ・ウィルバーがベッシェに捧げた)
  • チェロキー
  • スターダスト
  • 世界は日の出を待っている

ボサノヴァ調で耳に心地よい「For Eiji」や「黒いオルフェ」、そして「チェロキー」の疾走感。クラリネットの柔らかい音色、豊かな低音部に魅了された。

北村英治さん、御年81歳。足取りも確かで、まだまだお元気。抜群のスウィング感で速いパッセージも軽々と吹きこなす。

食事と酒を愉しみながら、計3時間のライヴを堪能した。

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2010年5月10日 (月)

これは画期的!/林家花丸の落語JAZZ

DVDで初めて桂枝雀さんの落語を聴いた時、下記記事のタイトルが瞬時に閃いた。

そして、故・笑福亭松鶴(六代目)も「落語はJAZZや」と言っていたという事実を知った→鶴志さんの証言へ!

落語とJAZZのコラボレーション。ありそうでなかったイヴェントを体験するために、天満天神繁昌亭へ。補助席も一杯の大盛況。全席自由でチケットに記載されている整理番号順での入場。

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実はこの公演、僕はチケット発売日の朝10時きっかりにチケットぴあで購入したのだが、なんと整理番号が102番だった(繁昌亭主催公演なら同じやり方で必ず一桁台を購入出来る)。想像するに花丸さんサイドが整理番号の1-100までを事前に押さえていたということなのでは?こういうやり方は些か理不尽(アンフェア)に感じられた。

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  • 笑福亭生寿/米揚げ笊
  • 桂三金/奥野君のコンパ(三金 作)
  • 林家花丸/電話の散財
  • 唐口ジャズカルテット/♪ジャズライブ
  • 林家花丸/JAZZ落語・七度狐

三金さんのネタは何度か聴いたことがあるが、半ばに登場するバルーンショーで、手術用ゴム手袋を膨らませてニワトリを擬態するという趣向は今回初体験。益々面白くなった。

電話の散在」は大正時代の作品。途中、ハメモノ(お囃子)がふんだんに盛り込まれ、賑やかで愉しい。

仲入りをはさんでジャズライブ。カルテット(トランペット、ギター、ドラム、ベース)で演奏されたのは下記。

  1. TAKE THE 'A' TRAIN(A列車で行こう)
  2. STARDUST(スターダスト)
  3. BLUE BOSSA(ブルー・ボッサ)

そして待望のJAZZ落語。高座の下手にカルテットが陣取る。花丸さんの出囃子が何とクルト・ワイル/「三文オペラ」より”マック・ザ・ナイフ”!イカしてる。もうこれだけで痺れた。

落語のハメモノの代わりにJAZZが響き、カラスや鳩、山羊の擬音あり。調子に乗った花丸さん、「アルマジロ」「バクが夢を食べる音!」などと言って、唐口一之さんを困らせる一幕も。客席が大いに沸く。話の後半では骸骨がラインダンス(ロケット)を踊り、「彼岸の花咲く頃」を歌うなど宝塚歌劇のパロディも(宝塚のテーマ曲は「すみれの花咲く頃」)。宝塚雪組バウホール公演「雪景色」の監修をされ、すっかり宝塚ファンになった花丸さんの面目躍如である。

いやぁ、斬新でエキサイティングな会だった。客席を立った人々が口々に「今日は本当に面白かったね!」と言い合う光景が印象的だった。

今回、花丸さんは21世紀の落語に新たな地平を拓いたと言っても過言ではないだろう。是非これからもJAZZ落語を続けて下さい。次回も絶対行きます。

ところで花丸さんによるとこの日、桂九雀さんが楽屋に手伝いに来られていたそうだ。趣味でクラリネットを吹く九雀さん、JAZZ落語の成果をその目で確かめに来たという側面もあったのかも?

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2009年12月25日 (金)

北村英治 with アロージャズオーケストラ/Hyogo Christmas Jazz Festival 2009

クリスマス・イヴの12月24日、兵庫県立芸術文化センターへ。

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ジャズ・クラリネットの第一人者・北村英治と、関西で活躍するアロージャズオーケストラの共演を聴くため。

ロビーでは日本酒(白鶴)の試飲もあった。

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大ホール(2001席)は満席。曲目は以下の通り。

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プログラム後半、「ブルー・クリスマス」(エルヴィス・プレスリーによるカヴァーが有名)と「ザ・クリスマス・ソング」(メル・トーメ作曲)はピアノ&ヴォーカルの高浜和英さんと北村英治さん二人きりのセッション。「スリップド・ディスク」(ベニー・グッドマン)、「ムーングロウ」(映画「ピクニック」のテーマ)になるとアロージャズからドラムスとベースが加わり、カルテットになった。色々なJAZZの形態が愉しめる構成だった。

生誕100年を迎えたベニー・グッドマンを中心に、グレン・ミラー、デューク・エリントン楽団の十八番など1920年代後半(大恐慌の時代)から1940年代(第二次世界大戦)にかけてのスウィング・ジャズの名曲が綺羅星のごとく演奏された。丁度この頃は、アメリカ文学で言えばスコット・フィッツジェラルド(「グレート・ギャツビー」「ベンジャミン・バトン」)やアーネスト・ヘミングウェイ(「武器よさらば」「誰がために鐘は鳴る」)ら、いわゆるロスト・ジェネレーション(失われた世代)の作家たちが活躍した時代に一致する。"The Jazz Age"とも呼ばれ、ジャズの黄金期だった。

今回のコンサートを聴いて、この時代の音楽の豊穣さに圧倒される想いがした。

ロックンロールが台頭する1950年代後半になると若者の興味はそちらに移行し、JAZZは衰退の一途を辿る。

ビー・パップ・スタイルの行き詰まりを打開すべく、1960年代に入ると「モダン・ジャズ理論の拘束からの開放」「既成観念の否定」を謳ったフリー・ジャズが登場する。それはある意味このジャンルを徹底的に破壊する行為であった。そしてJAZZは完全に大衆の支持を失うことになる(マニア化)。

これは20世紀にシェーンベルクの十二音技法の出現と共に、ソナタ形式と調性音楽が破壊され、聴衆にそっぽを向かれてしまったクラシック音楽にも同じことが言える。そしてジャンルは死に絶え、後には不毛な荒野だけが残った。歴史は繰り返される。

北村さんは「この時代のJAZZはSPレコードに収まるよう、3分程度の短い曲が多いのです。当時の人々は曲にあわせて踊ったので、丁度よい長さだったのでしょう。そしてその中できちんと完結している。最近の10分を越えるような演奏は延々と続くソロがあったりして、聴いてる途中で『もういいよ』というものが少なくない」と仰り、僕もその通りだなと頷いた。

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北村さんのクラリネットの音色は柔らかく、自在に歌い、スウィングする。80歳という年齢を全く感じさせない、かくしゃくとして粋なステージだった。

アロージャズは今回初めて聴いた。(小曽根真 presents)No Name Horsesほど各人のソリストとしての技量があるわけではないが、アンサンブルが非常に揃っており精度の高さに舌を巻いた。素晴らしいJazz Orchestraである。

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