古典芸能に遊ぶ

百人一首から万葉・古今・新古今和歌集へ〜古代日本人の深層心理を探る旅

新元号が〈令和〉に決まった。「万葉集」に書かれた、梅花の宴(序文)に由来する。出典が国書であるのは史上初だという。〈令和〉で「万葉集」に注目が集まるのは大変結構なことだ。今まで全て中国古典出典だったというのが却って不思議な気すらする。

僕が今回、「万葉集」「古今集」「新古今集」に集中的に取り組もうと決意した理由は、これらを読めば古代日本人の心、深層心理が分かるんじゃないだろうかと考えたからである。例えば「古今集」に収録されているのは1,111首。紀貫之ら撰者4人の歌が全体の2割以上を占めるなど沢山選ばれている歌人もいるが、それでも何百人もの〈思い〉〈感情〉が集積している。そこから何らかの集合的無意識が浮かび上がってくる可能性もあるのではないか?

本稿を執筆するに当たり、読んだ本を挙げておく。

  • 最果タヒ「千年後の百人一首」(リトル・モア)
  • 最果タヒ「百人一首という感情」(リトル・モア)
  • 上野誠「はじめて楽しむ万葉集」(角川ソフィア文庫)
  • 「万葉集 ビギナーズ・クラシック 日本の古典」(角川ソフィア文庫)
  • 「新版 古今和歌集 現代語訳付き」(角川ソフィア文庫)
  • 「新古今和歌集 ビギナーズ・クラシック 日本の古典」(角川ソフィア文庫)

いずれも解説・現代語訳付きでわかり易い。お勧め!

さて、「万葉集」より前の、最初期の和歌の話から始めよう。〈難波津(なにわづ)の歌〉である。

難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花

末次由紀による漫画「ちはやふる」でも描かれている通り、競技かるたにおいては競技開始時に〈難波津の歌〉を詠むことが通例となっている。百人一首には入っていない。大阪市はこの歌にちなみ〈咲くやこの花館〉や〈咲くやこの花賞〉を設立している。王仁の作とされ、「古今和歌集」の仮名序で、字を習う人が最初に書くものとして紹介されている。仁徳天皇が即位したことを祝ったものと言われており、4世紀末から5世紀初頭の作品と推定される。

和歌は5-7-5-7-7というたった31文字で表現しなければならないのに、そのうち〈咲くやこの花〉という7文字(全体の23%)を繰り返している。何という無駄!「繰り返しのリズムが心地よい」などという戯言は聞きたくない。ハッキリ言う。単純で稚拙である。では、ここから出発した和歌は後にどのような進化を遂げたのだろう?

扱われた素材を見てみよう。4,500首以上ある「万葉集」(759年以降に成立)でが詠まれたのは41首。全体の1%にも満たない。花の中で一番多く詠まれたのがで141首、続いての116首、第3位が橘・花橘の107首。は植物の中で第10位なのだという(群馬県立女子大・北川和秀教授の集計に基づく)。これが905年に成立した「古今和歌集」になると(春歌全133首のうち)が18首に対して、が70首と逆転し、圧倒した(ほぼ4倍)。つまり和歌で「花」といえば「桜」を指すという常識が成立したのは平安時代以降なのである。余談だが現代人が「桜」で真っ先に連想するのはソメイヨシノ(染井吉野)だが、これは江戸時代中期ー末期に園芸品として生み出された交配種である。和歌で詠まれる「桜」は吉野山などに咲く山桜と考えるべきだろう。

「万葉集」は全て漢文で書かれており、中国文化の影響が色濃い。だからが好まれた。そして仮名文字が登場する「古今和歌集」成立まで約150年が経過する間に日本人の美意識は確立され、歌に詠まれる対象(花)も独自の素材としてに移行した(838年を最後に遣唐使が廃止されたことも大きいだろう)。と同時に薫物(たきもの)、(こう)の文化が発展した。奈良時代には主に宗教儀式で用いられたが、平安時代になると貴族たちが家伝の秘法に従って練香を作り、これを披露し合う〈薫物合わせ〉を愉しむようになった。は「古今集」のみならず「源氏物語」でも重要な役割を果たすことになる。また同じ自然現象を〈春ー霞〉〈秋ー霧〉と明確に区別するようになったのも「古今集」からで、「万葉集」では混用されている。ここにも繊細な美意識の萌芽が認められる。

なおは8世紀(飛鳥〜奈良時代)に遣唐使によって中国から持ち込まれた外来種である。「古事記」や「日本書紀」には一切、に関する記述がない。一方、山桜は古来からある自生種である。

奈良時代→平安時代の文化の変遷は1868年の明治維新から、約150年を経た現代までの変化に非常に似た状況であると言えよう。江戸時代の鎖国を経て明治時代は一気に西洋文化が日本に流入した。「欧米諸国に追いつけ追い越せ!」とばかり〈富国強兵〉が叫ばれた。それは〈猿真似の時代〉でもあった。しかし第二次世界大戦後、手塚治虫の出現とともに漫画文化が栄え、スタジオジブリの宮崎駿らが牽引した日本のアニメーションが今や世界を席巻した。プレイステーションやNintendo Switch、ポケットモンスターなどゲームソフトでも他国の追随を許さない。歴史は繰り返すのである。

和歌の話に戻ろう。

「万葉集」の特徴は素朴であること。例えば次の歌だ。

田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける
あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり

身も蓋もない言い方をすれば「見たままやん!」とツッコミを入れたくもなる。何のひねりもない。後者の〈にほふ〉は嗅覚じゃないかという反論があるやも知れぬが、古語でこの言葉は〈美しく咲く/美しく映える/美しさがあふれている〉という意味もある。

〈掛詞(かけことば)〉は「万葉集」にごく少数しか認めない。これが盛んになったのは「古今和歌集」から。〈掛詞〉はダブル・ミーニング(double meaning)であり、僕は「これってダジャレと同じじゃね?」と思った。古代日本人も現代の我々同様、ダジャレが大好きだったのだ。何だか親しみが湧いた。

「万葉集」から「古今和歌集」に移行すると、仮構性が強くなる。想像上の美の世界、ヴァーチャル・リアリティだ。「百人一首」にも選ばれた次の歌が代表例だろう。

心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花

「初霜」と「菊」がどちらも真っ白なので、折ろうとしても見分けがつかないというのだ。そんなことってあり得る!?同じ作者(凡河内躬恒)の歌で、月明かりの白さと梅の白さが紛れて見えない(だから匂いで梅の花のある場所を察知するしかない)というのもある。

月夜にはそれとも見えず梅の花香をたづねてぞしるべかりける

「んなあほな!」ツッコミどころ満載である。明治時代になって正岡子規が「歌よみに与ふる書」で「古今集」を徹底批判した気持ちが分からなくもない(「貫之(つらゆき)は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」と子規は記している)。

確かに花も実もある絵空事ではある。しかし一方で、僕はフィクションとしての面白さ、嘘から出たまこともあると思うのだ。凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の歌は、例えばフランス印象派のドビュッシーが作曲したピアノ曲「月の光」や歌劇「ペレアスとメリザンド」を想起させる。自然ではないが、人間が構築した完全なる美の世界がここにある。

〈本歌取り〉が盛んになるのは鎌倉時代初期、1205年に成立した「新古今和歌集」の時代になってからである。「古今和歌集」からさらに300年が経過している(「万葉集」から約450年)。「新古今」まで行くと、超絶技巧というか、余りにも人工的で僕にはToo much !と感じられる。貴族文化が成熟し、熟れ過ぎて腐りかけた状態。正にデカダンスである。「新古今」を読みながら僕が連想したのは、形式が肥大化し瓦解寸前のグスタフ・マーラーの交響曲や、ルキノ・ヴィスコンティ監督(イタリア貴族の末裔)の映画「ベニスに死す」「ルートヴィヒ」「家族の肖像」などである。〈本歌取り〉は元の歌を知らないと意味を成さない。つまり高い教養が問われる。また当時は歌会が盛んで「お題」を出されて詠まれた歌が多く、その多くが実体験に基づかない男が女の気持になって詠んだものもある。何だそれ!?ここまで来ると単なるお遊び、ゲームだ。だから武士の台頭とともに和歌や貴族文化が滅びるのは必然だったという気が僕にはするのである。朴訥な「万葉集」と爛熟した「新古今」、その中間の程よい匙加減が「古今集」というのが率直な印象である。

三島由紀夫は「日本文学小史」の中で次のように述べている。

 われわれの文学史は、古今和歌集にいたつて、日本語といふものの完熟を成就した。文化の時計はそのやうにして、 あきらかな亭午(ていご:真昼)を斥す(=指す)のだ。ここにあるのは、すべて白昼、未熟も頽廃(たいはい)も知らぬ完全な均衡の勝利である。 日本語といふ悍馬(かんば:あばれうま)は制せられて、だく足も並足も思ひのままの、自在で優美な馬になつた。調教されつくしたものの美しさが、なほ力としての美しさを内包してゐるとき、それをわれわれは本当の意味の古典美と呼ぶことができる。 制御された力は芸術においては実に稀にしか見られない。

ここで三島の言う〈未熟〉=「万葉集」であり、〈頽廃〉=「新古今和歌集」であることは論を俟たない。僕は三島の意見に全面的に賛成である。

「万葉集」では鳥の中でホトトギスが最も多く詠まれた。一説では156首、二番目に多い雁が63 首とされる(ホトトギスが153首、雁が67首とする説もある)。ただここで注意すべきは「万葉集」の時代、ホトトギスとカッコウは混同されていた可能性があるのだ。少なくとも平安時代において、カッコウは文学に全く登場しない。現代において「郭公」という漢字はホトトギスとカッコウという二つの読み(意味)があるが、古典ではホトトギスという読みしかなかった。実は生物学上も両者はカッコウ目カッコウ科の鳥に分類されており、案外近い存在なのである。ホトトギスの声は田植えを始める時期を知らせるということで「時鳥」という異名も与えられ、冥界を往来するというイメージまで付与された。

中国の故事を紐解くと長江流域に蜀という傾いた国があり、そこに杜宇(とう)という男が現れ、農耕を指導して君主になった。杜宇が死ぬとその霊魂はホトトギスに化身し、農耕を始める季節が来るとそれを民に告げるため飛んで来て鋭く鳴くようになったという。故に「杜宇」はホトトギスの異名となった。

ホトトギスとカッコウには托卵(ホトトギスは鶯の巣に卵を生む)という共通する生態があり、その他ホトトギスの習性として、夜に鳴くこと、雨の日にも鳴くこと、一ヶ所に留まらず飛び回りながら鳴くこと、そのため姿が見えないことなどが挙げられる。またホトトギスの口中は朱色なので、〈鳴いて血を吐く〉とも言われた。結核を病み、喀血した正岡子規の雅号「子規」もホトトギスの異名であり、「死期」を連想させる。

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おそらく冥界との繋りは、こうした生態に由来する発想なのだろう。常にこの世にいるわけではないので、子育ても他の鳥に委託するわけだ(ホトトギスの托卵は万葉人も知っていた)。

また鶯は谷の古巣で春を待つものとされた。

次に季節を見てみよう。「古今和歌集」で詠まれた内訳は以下の通り。

春:134首、夏:34首、秋:145首、冬:29首

つまり春≒秋、は夏≒冬と比較して約4〜5倍多く詠まれていることが判る。

なぜ秋が最も多いのか?秋は枯れ葉が舞い落ち、〈(夏)〉から〈(冬)〉への〈移行期〉〈境界域〉に立つ季節。だから「寂しい」という気持ちが掻き立てられ、「もののあはれ」にしみじみ感じ入る。例えば冬、雪が降り積もったスキー場やクリスマス商戦で賑わう12月の街角で「寂しさ」は感じないでしょう?既ににどっぷりと〈死の世界〉に足を踏み入れているから完了した状況であって、変化しつつある運動性を欠くのだ。故に心は動かない。逆に春は〈死〉から〈生〉への移行期なのでやはり「もののあはれ」がある。さらに散りゆくの花びらが〈生〉から〈死〉へ移行するメタファーとなる。

詠まれた時刻を見ると、真昼よりも夕刻(黄昏=誰そ彼/アニメ映画「君の名は。」における〈かたわれ時〉)・夜・明方が圧倒的に多い。夕刻や明方は昼(動)↔夜(静)の〈移行期〉〈境界域〉であり、そこに「もののあはれ」「幽玄」が潜む。明方(しののめ)は通い婚だった当時において、男女が一夜を共にした翌朝の別離=〈後朝(きぬぎぬ)の別れ〉を意味しており、より一層切なさを増す。また夜は月の満ち欠けが「無常(生滅変転して片時も同じ状態に留まらないこと)」「哀愁」に結びつく。

最後に。「拾遺和歌集」に収録された、紀貫之の辞世の歌とされるものを見てみよう。

手にむすぶ水に宿れる月影のあるかなきかの世にこそありけれ

下の句は、「はかない人生/世の中であった」と解釈されることが多いようだが、僕は寧ろ「手に取ることが出来ない不確かな、夢のような人生であった」と積極的・肯定的に受け止めたい。それはアボリジニ(オーストラリア先住民)の概念〈ドリームタイム〉に繋がってゆく。 

紀貫之には「古今和歌集」に載った、次のような歌もなる。
            あひしれりける人の、身まかりにける時によめる
夢とこそいふべかりけれ世の中にうつつあるものと思ひけるかな
(この世は、夢とこそ言うべきであったのだ。私を取り巻く世界には確かな現実があるものだと思っていたのだがなぁ)
夢の時ドリームタイム)とこの世の〈境界域〉に、和歌は息づいている。

今回の体験を通して、僕は次に向かうべきターゲットを絞った。紫式部「源氏物語」である。そして遂に大伽藍に足を踏み入れたところである(角田光代 訳)。いずれ超大作「源氏物語」を言祝(ことほ)ぐ日も来よう。乞うご期待。

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桂雀々 立川志らく 東西会

4月7日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。

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  • 雀々・志らく:オープニングトーク
  • 桂優々:大安売り
  • 立川志らく:親子酒
     (仲入り)
  • 桂雀々:代書
  • 桂雀々:花ねじ(隣の桜)

立川談志の弟子、志の輔と談春の落語は生で聴いたとこがあるが、志らくは一度もなかったので今回の会に足を運んだ。結論から述べると大したことはなかった。時事ネタをいろいろ投入して来るのだが、正直余り面白くない。冴えが感じられない。もうええわ。

雀々は相変わらず師匠譲りの疾走感のある語り口で耳に心地よい。京都から山梨県の山中湖まで台湾人観光客のバスツアーに添乗し、通訳を間に挟んで落語をしたというエピソードが最高に可笑しかった。また「花ねじ」のマクラでは師匠・枝雀が創作したSR(ショート落語)を幾つか披露(「万年筆」「ソケット」「犬」「定期券」)。「花ねじ」は途中ではめもの(お囃子)が入り賑やかで、花見シーズンにピッタリだった。

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虹についての考察(万葉集から能「道成寺」、LGBTまで)

まずは大前提として下記事をご一読ください。

更に出来得ることなら、次も併せて目を通して戴ければありがたい。

アボリジニ(オーストラリア先住民)の神話と、そこにしばしば登場する〈虹蛇〉について書いた。

概要を述べる。アボリジニの概念〈ドリームタイム〉には守り神のような存在〈虹蛇〉が棲み、両性具有水を司る。鎌首をもたげた蛇の姿と虹の足が重ねられたイメージ。蛇は卵を丸呑みにし、後で消化されない殻だけを吐き出す習性がある。それが死と再生(=ドリームタイム)のメタファーとなる。虹蛇はアボリジニの詳細な自然観察から生み出された、象徴的存在である。

古代中国人も虹と蛇を結びつけて思考していた。「虹」という漢字の虫偏(むしへん)は大蛇/龍を意味する。漢文で書かれた「万葉集」が編纂され、漢文学が隆盛を極めた古代日本(7世紀〜8世紀)の人々もその概念を共有していた。平仮名が公的な文書に現れるのは905年に完成した「古今和歌集」からである。

では蛇は男性と考えられたのか?女性なのか?古代人の思考は昔話に顕現する。「蛇女房」と「蛇婿入り」という、どちらも人間と結婚する噺がある。つまり古代日本における蛇のイメージもアボリジニ神話と同様、両性具有と考えられる。一方、「鶴女房(鶴の恩返し)」はあるが、鶴が人間の男として現れる噺は聞かない。鶴は女性原理の象徴なのだ。

「蛇女房」はこんな噺だ。出産時に夫が「見るなのタブー」を破ったため蛇の正体がばれ、夫婦は一緒に暮らせなくなる。女房は別離の際、子供に乳代わりにしゃぶらせるよう自分の眼を与えるが、不思議な玉の評判が広まり、殿様に取り上げられてしまう。ここから2つのパターンの類話に分かれる。①困った夫は池に女房を探しに行き、彼女はもう片方の眼も与えて盲目となってしまう。時と方向が判らなくなると困るからと言い、蛇は夫に朝と晩に鐘を鳴らしてくれるよう頼む。②殿様の横暴に怒った蛇は洪水を起こし、城ごと押し流してしまう。

ここからはっきりと分かるのは【①蛇と寺の鐘の密接な結び付き②蛇は水を司る】ということである。

次に「今昔物語集」に書かれた〈安珍・清姫伝説〉を見てみよう。熊野に参詣に来た美形の僧・安珍を見て清姫は一目惚れし、言い寄る。修行の身ゆえ、困った安珍は清姫を騙して逃げる。清姫の怒りは天を衝き、遂に蛇身に化け安珍を追跡する。道成寺に逃げ込んだ安珍は梵鐘を下ろしてもらい、その中に潜む。しかし清姫は許さず鐘に巻き付く。遂に安珍は鐘の中で焼き殺されてしまうのであった。安珍を滅ぼした後、清姫は蛇の姿のまま入水する。

ここでも蛇と寺の鐘が結びついている。そして蛇と水の親和性も語られる。〈安珍・清姫伝説〉は後に能「道成寺」に変換された。寺の鐘は形態的に女性の子宮に似ており、そこに閉じこもる〈安珍・清姫伝説〉は胎内回帰願望と読み解くことも可能だろう。アボリジニ神話において、虹蛇に母子が呑み込まれる物語に類似している(レヴィ=ストロース著「野生の思考」に紹介されている)。

安珍・清姫伝説〉には続きがあり、蛇道に転生したふたりはその後、道成寺の住持のもとに現れて供養を頼む。また能「道成寺」では死んだ清姫が白拍子の姿に変化(へんげ Metamorphose)し、再び寺を訪ね舞を舞う。アボリジニ神話の母子もその後、虹蛇に吐き出され生き返る。両者は死と再生というテーマで繋がっている。

こうして見ていくと、オーストラリアのアボリジニ・古代中国・古代日本を結ぶ〈虹=蛇〉という概念は、ユング心理学における元型のひとつ、太母(the Great Mother)に相当すると考えられる。

Jungsmodel

上図はユングによる「心」の構造である。中心に自己(SELF)があり、それを取り巻く円の内側(深層)が集合的無意識Collective unconscious=Cの世界)。A元型(Archetype)で、アニマ(男性の思い描く理想的女性像)、アニムス(女性が思い描く理想的男性像)、太母(the Great Mother)、老賢人(the Wise Old Man)等が該当する。その外側に個人的無意識(Personal unconscious)が存在し、心的複合体=感情複合(Complex)を内包する。その代表例がフロイトが提唱したエディプス・コンプレックスだ。さらに「心」の表層に意識(Consciousness)があり、自我(EGO)が配置されている。

太母(the Great Mother)とは、子を慈しみ、優しく包み込むのような存在であると同時に、牙を向き人々に襲いかかり、すべてを呑み込む山姥のような姿として立ち現れることもある。安珍に襲いかかり焼き尽くす清姫や、殿様の狼藉に怒り川を氾濫させ、洪水で城下町を呑み込む蛇女房の姿は、正に太母(the Great Mother)そのものである。

虹=蛇〉は母であると同時に父でもある。蛇の頭部は男根を想起させる。両性具有の性質を象徴するのが〈〉だ。フランスの構造人類学者レヴィ=ストロースは南北アメリカ先住民の神話を研究した「神話論理」において〈〉を「半音階的なもの」と呼んだ。つまりある音から、別の音に、段階的(微分)変化を経て移行することを意味する。具体的にはワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」やラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」に顕著な手法である。

父性原理で思考する欧米の人たち(キリスト教徒)は全てのことを〈2項対立〉に分けて、切断する。正義か悪か、YesかNoか、男か女か。その中間項は一切認めない。いわゆる近代ヨーロッパにおける合理主義である。0か1かの二進法で計算するコンピューターの原理も同じ。だからキリスト教社会において同性愛者は差別され続けてきた。しかし日本など母性社会では違う。

ここでLGBTと虹の関係について述べよう。LGBTとは、「Lesbian」(レズビアン、女性同性愛者)、「Gay」(ゲイ、男性同性愛者)、「Bisexual」(バイセクシュアル、両性愛者)、「Transgender」(トランスジェンダー、性別違和を含む性別越境者)の頭文字をとった言葉で、Sexual Minority(性的少数者)の総称。そのシンボルとなっているのがレインボーフラッグである。1970年代から使用されているという。

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何故〈虹の旗〉なのか?

それは性別を男か女か、2つに分けて切断するのではなく、その移行段階グラデーション)、境界域に位置する人々を(排除せず)認めて欲しいという主張であり、多様性(Diversity)を象徴している。

今年のグラミー賞も、アカデミー賞も多様性(Diversity)が大きなテーマとして掲げられた。これが現在、世界を取り巻く潮流である。いま欧米社会は、失ってしまった〈野生の思考〉を取り戻そうと、必死に藻掻いている。

己の尾を噛んだ蛇は古代ギリシャ語でウロボロス(ouroboros)と呼ばれる。

Ouro

蛇は円環を形成し、始まりもなく終わりもない。過去・現在・未来は同時にここにある共時的(対義語は通時的)表象であるウロボロスはアボリジニの概念〈ドリームタイム〉と同義である。

中国では新石器時代の紅山文化(紀元前4700年頃-紀元前2900年頃)にウロボロスが現れている。

Kure

これぞ正に集合的無意識(Cの世界)・〈野生の思考〉の産物と言えるだろう。

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【考察】何故、虹を詠んだ和歌は希少なのか?

神戸生まれの詩人・最果タヒの著書「千年後の百人一首」「百人一首という感情」に続いて現在、「万葉集」「古今和歌集」「新古今和歌集」を読み進めているところである。若い頃の僕は完全に理系人間だったので、自分が将来古文に親しむようになろうとは夢にも思わなかった。人生先のことは分からないものである。

そもそも百人一首に興味を持ったのは広瀬すず主演の映画「ちはやふる」三部作のおかげ。だから原作漫画を書いた末次由紀には感謝しなければならない。また「万葉集」や「古今和歌集」を読みたいと思ったのはアニメーション映画「言の葉の庭」「君の名は。」を観たことが切掛なので、ただただ新海誠監督に感謝あるのみ。映画って本当に素晴らしい。

百人一首を一通り読んで激しい違和感を覚えた。〉を詠んだ歌が一首もないのである。

7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた「万葉集」(全部で四千五百首以上ある)で〈〉を詠んだものは、次のたった一首しかない。群馬県の歌である。

伊香保〈いかほ〉ろの 八尺〈やさか〉のゐでに 立つ虹〈のじ〉の あらはろまでも さ寝をさ寝てば
(榛名山麓にある高い堤に立つ虹のように、人目につくほどあなたと共寝さえできれば、なにも悔いることはない)

これ以降は、「玉葉和歌集」に収録された藤原定家(1162-1241)の、

むら雲の 絶え間の空に 虹たちて 時雨過ぎぬる をちの山の端

あたりまで、ほぼ皆無である。なんとこの間、五百年も経過している。

〉は儚く、美しいのに、何故和歌の素材として忌避されるのか?ここにはきっと何か、重大な秘密が隠されている筈である。ぞわぞわした。その理由を探求する過程で、〈古代人の心〉つまり古来日本人の持つ無意識・深層心理が見えてくるのではないか?僕はそう考えた。

最初に立てた仮説は、「古代人はあまり虹を見る機会がなかったんじゃないか?」というものだった。雨があがり、日光が差し込んできた瞬間に虹は生まれる。狩猟民族なら虹を見る機会も多かろう。しかし日本人は農耕民族である。しかも着物だから濡れると厄介なので雨天時に出歩いたりしない。特に平安時代、和歌を読んだのはもっぱら天皇や貴族だったわけで、屋敷にこもった状態で虹に遭遇する機会など殆どなかったのではなかろうか?

しかし、どうも説得力に乏しい。もやもやした気持ちが残る。貴族だって〈野駆け〉(花見やもみじ狩りなど、山野を歩き回って遊ぶこと)をしたわけだし、天皇も〈行幸〉(外出)中に雨に降られることもあっただろう。滝にだって虹は出るし……

というわけで僕は答えを求めて、さらに調査を続けた。そして〈〉の語源を調べていて、衝撃的な事実を知った。

岩波書店の「広辞苑」ではについて次のように説明されている。

形声。「虫」(=へび)+音符「工」(=つらぬく)。にじを、空にかかる大蛇に見たててできた文字。

またWikipediaのの項には次のような説明がある。
「虹」を意味する漢字(虹、蜺、蝃、蝀)に虫偏が多く存在する点を見ても解る通り、中国語では、虹を蛇や竜の一種と見なす風習が多い。

エエッ、これってアボリジニ(オーストラリアの先住民)神話にしばしば登場する虹蛇Ngalyod;ンガルヨッド)と全く同じ発想じゃないか!!青天の霹靂だった。

つまり古代中国人も、遠く離れたアボリジニも虹と蛇を同一視していた。正にフランスの構造人類学者レヴィ=ストロースが言うところの〈野生の思考〉であり、ユング心理学における集合的無意識Collective unconscious:アニメ「コードギアス」シリーズではCの世界と呼ばれる)の産物以外の何物でもない。

「万葉集」は全文が漢字で書かれており、漢文の体裁をなしている。この時代は中国文化の影響が大きく、天智(てんじ)天皇の近江朝(おうみちょう)には漢文学が隆盛をきわめた。

つまり古代日本人は、〈〉を結びつけて考える中国の概念を共有していたということになる。

古代において、蛇は禍福に強く関わっている存在だった。以下「民族大辞典」より日本各地での伝承をご紹介しよう。

「蛇が道を横切ると悪いことが起きる」(宮城県)
「蛇に道切りをされると、なにか持ち物を落とすから、蛇に道を横切られた時は歩退け」(奈良県吉野郡)
「蛇の夢を見れば験が悪い」(三重県四日市)
「蛇の夢を見れば、よくないことが起こるから、氏神様にお参りしなければならない」(長野県)

僕が住む兵庫県宝塚市には蛇神社がある。宝塚で幼少期を過ごした手塚治虫の漫画「モンモン山が泣いているよ」にこの蛇神社が登場する。

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蛇は水を司る。全国で信仰されている水神さまは大抵、蛇や龍(または河童)を祀っている。

つまり〈虹=蛇〉は干ばつ時にという恵みをもたらすが、時には人々に牙を向き、川の氾濫など洪水を引き起こす怖ろしい神(災厄)にもなり得る。

中国の神話に登場する四神(しじん)とは四方の神、すなわち

  • 東ー青龍(せいりゅう)
  • 西ー白虎(びゃっこ)
  • 南ー朱雀(すざく):火の象徴。鳳凰。
  • 北ー玄武(げんぶ):水神。カメの甲にが巻きついた形に表す。

を指す。やはり蛇が水神を表象している。江戸時代の祭りには「四神旗」が必ずといってよいほど使われ、落語「百川」でも言及される。

だから雅(みやび)で「もののあはれ」を表現する短歌の世界に、畏れ多い存在である〈虹=蛇〉が登場しないのは当たり前なのではないだろうか?こうして僕の疑問は氷解した。

ところが明治維新以降、突如として〉は和歌の世界に立ち現れる。

明治・大正・昭和を生きた与謝野晶子(1878-1942)の歌に次のようなものがある。

小百合さく 小草がなかに 君まてば 野末にほひて 虹あらはれぬ
とき髪を 若枝にからむ 風の西よ 二尺に足らぬ うつくしき虹
わが恋は 虹にもまして 美しき いなづまとこそ 似むと願ひぬ

晶子はこの他にも多数、を詠んでいる。

また昭和生まれの俵万智には幼子を見つめる母の想いを詠んだ、次のような美しい歌がある。

一生を見とどけられぬ寂しさに振り向きながらゆく虹の橋

つまり「万葉集」から千年以上経過し、虹=蛇〉という結びつきがすっかり忘却の彼方へ追いやられてしまった。そこへ明治以降、〈虹は美しい〉という新しい概念が欧米から輸入され、人々の意識に定着し、和歌の世界にも取り込まれた。そういうことなのではないだろうか?

映画「オズの魔法使い」でジュディ・ガーランドが歌った〈虹の彼方に(Over the Rainbow)〉こそ、欧米人の虹に対する見方を代表するものである。

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春風亭一之輔 独演会@兵庫芸文

2月11日(月・祝)兵庫県立芸術文化センター中ホールへ。春風亭一之輔の落語を初めて聴く。

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  • 春風亭きいち:寄合酒
  • 春風亭一之輔:鈴ヶ森/ガマの油
  • 林家たけ平:相撲風景
  • 春風亭一之輔:百川

一之輔は現在41歳。2012年3月に真打昇進した際、〈二十一人抜きの大抜擢!〉と巷で評判になった。

開口一番、NHK大河ドラマ『いだてん』を観てますよと。古今亭志ん生を演じるビートたけしについて、「本物の志ん生師匠よりも、何喋っているんだかさっぱり分からない」と会場を沸かす。なお、志ん生は昭和36年(1961年)に脳出血で倒れ、半身不随となった。よって〈病後〉に芸風が変わった。

また立川談春原作『赤めだか』ドラマ版でビートたけしは立川談志を演じており、「いま志ん生師匠や談志師匠を演れるのは、たけしさんしかいない」とも。

テレビ『林家三平ものがたり』で三平を演じたのが山口達也、『赤めだか』では新井浩文が”立川ダンボール”という落語家に配役された。またNHKプレミアムドラマ『人生、成り行き 天才落語家・立川談志 ここにあり』では若き日の談志を小出恵介が演じた。

「だからテレビで落語家を演じた俳優は、後に警察沙汰なるという法則があるんです」と一之輔。そして盗人の噺「鈴ヶ森」へ。上手いねぇ〜。なおビートたけしも〈フライデー襲撃事件〉で逮捕歴がある。

一之輔の口跡には畳み掛けるようなリズム感があり、聴いてきて実に心地よい。なるほど、評判通り彼は天才だ。柳家喬太郎を初めて聴いたときのような、新鮮な驚きがあった。

「百川」ではマクラで〈四神旗〉の説明があった。四神(しじん)とは四方の神、すなわち

  • 東ー青龍(せいりゅう)
  • 西ー白虎(びゃっこ)
  • 南ー朱雀(すざく):火の象徴。鳳凰。
  • 北ー玄武(げんぶ):水神。カメの甲に蛇が巻きついた形に表す。

を指す。大変勉強になった。そうか、アニメ『コードギアス』の登場人物、枢木スザクとその父・枢木ゲンブの名は四神由来だったんだね。

今回の独演会で些か残念だったのは三席とも滑稽噺だったという点。一之輔の怪談噺や人情噺も聴いてみたいと、強く思った。

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笑福亭鶴瓶 落語会 2019@兵庫芸文

1月25日(金)兵庫県立芸術文化センターへ。笑福亭鶴瓶の落語を聴く。

  • 笑福亭鶴瓶:鶴瓶噺
  • 笑福亭鶴笑:立体西遊記
  • 笑福亭鶴瓶:徂徠豆腐
  • 遠峰あこ:アコーディオン歌謡
  • 笑福亭鶴瓶:明烏 ネタおろし

鶴瓶は開口一番、「痩せたでしょう」と。長野県で撮影中の映画の役作りで7キロ減量したという。2019年11月公開予定で、その時点では情報解禁前でタイトルを明かさなかったが、後に平山秀幸監督の「閉鎖病棟」だと判明。共演は綾野剛と小松菜奈。鶴瓶談によると小林聡美も出演しているらしい。

現在はテレビ/ラジオでレギュラー番組を8本持っていて、落語の方は昨年180席高座に上がった。

平山監督から長文の手紙を貰い、10年ぶりの映画主演を決めた。「忙しい人だから(かえって)時間があるだろう」と言われたそう。時間は工夫して作り出すものだから。

鶴笑はマクラで心斎橋2丁目劇場(1999年閉館)にダウンタウンが出演していた頃、漫才の合間に落語を演じ苦闘した日々を語り、得意のパペット落語で会場を沸かせた。

遠峰あこは持ち歌「秋田音頭」「私の大阪環状線」「哀愁のマグロぶつ」「両国」などを披露。こういうタイプの芸人さんは関西にいないので、凄く愉しかった。アコーディオン芸人といえば嘗て「おしどり」のマコがいたが、お江戸に行ってしまった。あちらで政治(福島原発事故問題)にのめり込み、次期参院選では立憲民主党から出馬するのだとか。何やってんだか……。閑話休題。

「徂徠豆腐」は一年前の兵庫芸文落語会でネタおろししたもので、一年間全国を廻り、練り上げた成果をもう一度聴いてもらいたいと。

この日のネタおろし「明烏」は遊郭で展開される艶噺。上方から江戸に移植された古典落語は多数あるが、「この噺を上方に持ってきてもええやろ」と考えての今回の口演となった。吉原から新町(大坂で唯一江戸幕府公認だった花街)に舞台が移されている。鶴瓶が遊女を演じると、〈大阪のおばちゃん〉みたいになり違和感があるのだが、こういう滑稽噺は流石に上手い。大いに笑った。

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百人一首と新海誠「君の名は。」

人生も半ばを過ぎて、最近しばしば〈我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか〉について考えるようになった。

 

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ポール・ゴーギャンがタヒチ島で描いた絵のタイトルである。 

 

そんな折、清川あさみ(絵)最果タヒ(著)「千年後の百人一首」を読んだ。最果タヒは兵庫県神戸市出身の詩人(32歳)。詩集「夜空はいつでも最高密度の青色だ」は何と2017年に映画化され、キネマ旬報ベスト・テンの日本映画第1位に選ばれた。

 

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彼女が百人一首を現代語訳したというか、現代詩として再創造(re-creation)した書物と言っても良いかも知れない。巻末に簡潔な原文の解説があるのも嬉しい。

 

これを読むまでは、お恥ずかしながら上方落語に登場する「千早振る」と、「崇徳院」の〈瀬をはやみ……〉くらいしか知らなかった。

 

本を手にとったきっかけはRHYMSTER宇多丸がパーソナリティを務めるTBSラジオ「アフター6ジャンクション」 #アトロク に最果タヒが出演したのを聴いたこと。そもそも広瀬すず主演の映画「ちはやふる」三部作が大好きなので、百人一首に興味を惹かれていたのである。

 

 

 

小倉百人一首は平安時代末期から鎌倉時代初期に生きた公家・藤原定家によって選定された。平安時代に台頭した武士貴族支配の世界を転覆せしめ、権力を掌握して古代を終焉させた時期に合致する。

 

武士(もののふ)は武装集団=軍人だから、当然ながら知性よりも肉体重視である。戦で勝利したものが「正義」になる。理屈もへったくれもない。つまり鎌倉幕府の成立は軍事国家が生まれたことを意味するわけで、天地がひっくり返ったと理解すべきだろう。マッチョな武家では体力的に劣る女性は男性より当然低く見られるわけで、男尊女卑社会である。だから以後、女流作家や歌詠みも鳴りを潜めた。しかし「源氏物語」や「枕草子」が生まれた平安時代はそうではなかった。

 

つまり現在では【武士道・侍=日本人の精神】のように言われるが、それは比較的近代の話であり、日本人古来の心のあり方は全く違うものだったのである。

 

 

 

百人一首を読んでまず気がつくのは、やたらめったら恋の歌が多いこと。調べたところ、なんと四十三首もある!恋愛至上主義。まるで新海誠監督のアニメーション映画みたいだと想った。

 

恋愛至上主義なのは、当時の平均寿命が30歳前後(男性33歳、女性27歳)だったことと無関係ではあるまい。「老境」とか「枯れる」とは無縁の世界だったのだ。

 

平安時代の男女は、なかなか会うことすら出来なかった。女性は御簾内に籠もり、姿を見せない。美女だと評判を聞いた男は何度も何度も手紙や和歌を交わし、そして漸く対面することが出来た。その形態は夜になると男が女のもとに通い、明け方に帰っていくというものであった。

 

 

 

新海誠が殆ど自分ひとりで創ったデビュー作「ほしのこえ」(2002)は地球と、はるか彼方の宇宙に引き離された男女が、携帯電話(当時のガラケー)のメールを交わす物語である音声ではない。正に和歌の世界ではないか。

 

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僕が死ぬほど好きな「秒速5センチメートル」(2007)では【東京↔栃木】【種子島↔栃木】に引き離された男女が手紙で文通する。ここでも音声は用いられない

 

そして爆発的大ヒットとなった「君の名は。」(2016)ではスマートフォンが大活躍するのだが、男女の連絡手段は交換日記であり、瀧が三葉に電話を掛けると通じない

 

つまり新海誠は話される言葉を信じていない人の心の想いを伝えられるのは書かれた言葉だけなのである。「君の名は。」で瀧が”すきだ”という気持ちを伝えるのも、口頭ではなく文字である。

 

Suki

 

「言の葉の庭」(2013)には古文の教師・雪野百香里が登場し、〈雷神(なるかみ)の 少し響(とよ)みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ〉という万葉集の短歌を言い残して高校生の主人公タカオと別れる。後日雨の日に再会した時にタカオは万葉集の返し歌 〈雷神の 少し響みて 降らずとも 我は留らむ 妹し留めば〉を口ずさむ。また「君の名は。」の発想の原点は古今和歌集に収録された小野小町の歌〈思ひつつ 寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを〉であり、ユキちゃん先生(雪野百香里)も再登場する。

 

 

 

百人一首に戻ろう。女性歌人の作品は二十一首。当時は「男女共同参画社会」であった(内閣府のHPへ)。

 

」が詠まれたのは十二首ある(太陽は皆無)。

 

季節では、

 

    • 春:八首

 

    • 夏:四首

 

    • 秋:二十首

 

  • 冬:五首

 

秋が圧倒的に多い。また春(八首)のうち、桜を詠んだものが六首ある

 

時刻で見ると、

 

    • 夕方:四首

 

    • 夜を詠んだ歌:十五首

 

    • 明方:十一首

 

 

これらの総和は、昼を詠んだと考えられる二十三首を軽く上回っている。

 

 

 

撰者である定家の父・藤原俊成は宮廷歌人であり、第八十三首に選ばれている。そして「幽玄」や「あはれ」「艶」の美意識を提唱した。

 

もののあはれ」は無常観に立脚した哀愁に通じており、無常とは生滅変転して移り変わり、片時も同じ状態に留まらないことである。

 

幽玄」は無意識から意識へ、夢から形あるものに移行する時(境界)に立ち現れるものであり、アボリジニ(オーストラリア先住民)の概念〈ドリームタイム〉に近い。

 

 

 

百人一首で詠まれる夕方(「君の名は。」における〈かたわれ時〉)と明方は【昼↔夜】の境界域であり、「幽玄」「あはれ」が立ち現れる瞬間である。そして夜の「」には満ち欠けがあり、無常の象徴となる。

 

新海誠「君の名は。」のも重要な役割を果たす。【半月=片割れ】であり、相手が欠けた状態を示し、【満月=ふたりの結合】を意味し、三日月は三葉の暗喩である。

 

百人一首に夕方よりも明方の歌が多いのは、朝が〈男女の別れ〉を意味するからだろう。

 

秋の歌が多いのは秋が【夏(生)→冬(死)】の境界に位置する季節だからである。【落葉=人が死にゆく時】を意味し、春の桜も開花から一週間ほどで散るので、やはり人が死にゆく時の暗喩となっている。そこに「もののあはれ」がある。

 

 

第九十九首の詠手は後鳥羽天皇である。貴族復権を掲げて承久の乱を起こし鎌倉幕府と戦ったが破れ、隠岐に流された。

 

第百首の順徳天皇は後鳥羽院の息子で、父の倒幕計画に参画したため佐渡に流され、その地で亡くなった。彼の歌、

ももしき(百敷;宮中を意味する)や 古き軒端の しのぶにも なほ余りある 昔なりけり

は王朝時代に終止符を打つ一首となった。

 

このように百人一首もまた、【貴族社会→武家社会】の境界に位置しているのである。

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柳家喬太郎「なにわ独演会」

9月22日(土)大阪府立男女共同参画・青少年センター(ドーンセンター)7階ホールへ。

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  • 柳家喬太郎:家見舞
  • 柳家喬太郎:そば清
  • 一龍斎貞寿(講談):八百蔵吉五郎
  • 柳家喬太郎:結石移動症(喬太郎 作)

冒頭、前座の体(てい)で登場した喬太郎は「おあとをお楽しみに、しばらくお付き合いください」と笑わせて根多へ。開口一番がシモネタで、トリは現代のソープランドが登場する新作だったので心底驚いた!攻めてる〜ぅ。これ、観客に子供がいたら演れないね。

「家見舞」は引越祝いに水瓶を担いで訪れた二人組に対して家主の兄貴分が「今度フナを持ってきてくれ、フナは澱を食うらしい」と言うのに対して、「フナには及ばんよ。何しろその瓶にはついこないだまでコイ(肥)が泳いでいたのだからな」と答えるのがサゲなのだが、耳で聴いただけでは〈鯉→肥溜め〉という連想が出来なかった。この地口落ち(ダジャレ)は現代人に通用しないんじゃないだろうか?

ドーンセンターでの口演は初めてで、「参画(さんかく)センターと聞いていたので、江戸川乱歩『三角館の恐怖』みたいにホールが三角形なのかと想像していたら、違いました」と喬太郎。流石上手いこと言う。

「そば清」のマクラは青森県に招かれた時、ホッケの刺身が出たそう。「鮮度がよくないとなかなか食べられないんですよ」と言われ、「食べてみましたが……焼いたほうが美味しい」に場内爆笑。また秋田市のフードコート(@フォンテAKITA)に「おしゃれそば」なるものがあると紹介。チャーシューと支那竹が入っているという。さらに二つ目の頃、「乾電池くんと輪投げをしよう!」というイベントの司会で初めて大阪に営業に来たエピソードも飛び出して、「マクラが迷走してます」と自戒の念。

東京の講談師は現在、男性よりも女性の数が上回っているという。しかしトーンが高い女性の声による講談はどうも違和感がある。

「結石移動症」はかなり冒険的な根多だが、考えてみれば古典落語には「明烏」「三枚起請」「 紺屋高尾」「居残り佐平次」「品川心中」など遊郭を舞台にした廓噺沢山あるわけだから、確かにこういうのもあっていいなと思った。

それにしても医学的に出鱈目な病名で、いかにも落語的。面白かった!

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柳家喬太郎・柳亭市馬 「江戸落語 喜楽館寄席」

7月17日神戸新開地・喜楽館へ。

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東京・落語協会の面々が集った(故・桂歌丸や春風亭昇太らは落語芸術協会所属)。

  • 柳亭市坊:子ほめ
  • 柳家さん若:権助魚
  • 柳家喬太郎:孫、帰る(山崎雛子 作)
  • 柳家小菊:粋曲
  • 柳亭市馬:船徳

喬太郎の「孫、帰る」はお盆の噺だし、「船徳」といい、夏らしい噺を味わった。

柳家小菊は都々逸、寄席のうたを披露。江戸の「粋」を堪能した。痺れるね!

開口一番、「日大の内田です」と会場を沸かせた喬太郎(日本大学商学部経営学科卒)は「近くに高級なお風呂屋さんがある」新開地という場所のいかがわしさで客をいじり、東京の寄席も鈴本演芸場@上野のすぐ脇に「日本一ポン引きが多い通り」があることや、池袋演芸場の「い」は「いかがわしい」の「い」、「け」は「汚らわしい」の「け」。そういう「袋」なんですと。

山崎雛子は喬太郎が以前、池袋のカルチャーセンターで創作落語の講師を務めていたときの生徒らしい。噺の中で喫煙する場面があり、「従業員雇う飲食店は原則禁止」とする受動喫煙防止条例を提案した小池都知事に対するボヤキも。

 ー以下ネタバレあり、要注意!ー




「孫、帰る」の前半は爆笑の連続だったが、孫が実は交通事故で亡くなっていて幽霊だと分る後半は客席がしんと静まり返り、そのコントラストが鮮やかだった。どこか上方の「たちぎれ線香」に通じるものがある、傑作怪異譚である。

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桂文珍・あやめ「ベッコの会」@神戸新開地・喜楽館

7月13日(金)神戸・新開地にできたてホヤホヤの寄席小屋「喜楽館」へ足を運んだ。7月11日にオープンしたばかりである。

1階席は座席の前列・後列の間が広く、座り心地がとても良い。この点では天満天神繁昌亭を凌駕している。ただし2階席は幅が狭く、座ると膝が前列に当たるので、繁昌亭と同程度。よって断然1階席がお勧め。

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  • あやめ・智之介・三ノ助:神戸トーク(鼎談)
  • 笑福亭智之介:たぬさい
  • 桂三ノ助:皿屋敷
  • 姉様キングス(あやめ・染雀):音曲漫才
  • 桂文珍:旅立ち(文珍 作)

桂あやめ、笑福亭智之介、桂三ノ助は全て神戸市出身の落語家。桂文珍は神戸市灘区在住。つまり「ベッコ」とは神戸っ子のことらしい。

鼎談では地元のパン屋さんドンク -DONQ- を智之介が知らないことで盛り上がる。また神戸でメロンパンといえばラグビーボール型で中に白あんが入っており、あやめが大阪に行ったときに全く通じなかったというエピソードを披露。

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現在はコープこうべが「神戸ハイカラメロンパン」と命名し、ご当地フードとして定着させようと頑張っているという。因みに全国的に親しまれている円形のメロンパンは神戸でサンライズと呼ばれている。

また若い頃、あやめが神戸出身を打ち明けると「お嬢さんなんやね」と良く言われたが、そんなことは全く無い。神戸沿線は阪急線(山側)・JR線・阪神線(海側)で(社会階層が)線引されており、阪急沿線(高台)に住む人々は宝塚歌劇を観劇する層で、近所に「いかりスーパー」があって、その駐車場にはベンツとかBMWばかり停められており、「つっかけじゃ、いけへん」と。

「狸賽(たぬさい)」本来のサゲはサイコロの五の目を表現するために「狸が冠かぶって、杓(しゃく)持って、天神さんのかっこで立っとりました」なのだが、「神戸の人に天神さんの格好ってイメージ出来るんかいな?」と思って聴いていたら、智之介はサゲを変えてきた。これには納得。

「姉様キングス」としてあやめとコンビを組む林家染雀は大阪府八尾市出身。染雀は三味線、あやめはバラライカを持ち、どちらも三弦の撥弦楽器。あやめによると「父親が共産党」(←これ、「恋人はサンタクロース」の替え歌で姉様キングスのネタにもなっている)で、幼い頃ハレの日に洋食を食べるとなると必ず神戸にある老舗のロシア料理店「バラライカ」に行っていたと。店内に楽器が飾ってあって、それを弾いてみたいと思ったのが切掛だとか。

そして「のんき節」改め「喜楽節」、「ストトン節」、「あほだら経」などを披露。

桂文珍の創作落語「旅立ち」はセレモニーホールを舞台にした噺。桂歌丸の告別式に参列したエピソードを皮切りに、弟子・珍念の弟の葬儀で棺桶を担いだ逸話を面白可笑しく語り(どこまで本当か分からない)、麻原彰晃や金正恩など時事ネタを盛り込み、さすがの上手さだった。

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