古典芸能に遊ぶ

2023年3月10日 (金)

「芝浜」ネタおろし!〜笑福亭鶴瓶落語会

1月28日(土)兵庫県立芸術文化センターへ。

 ・笑福亭鶴瓶:鶴瓶噺
 ・桂二葉:金明竹
 ・笑福亭鶴瓶:妾馬
 ・笑福亭鶴瓶:芝浜

桂二葉は2021年に東西の噺家を対象にしたNHK新人落語大賞を受賞し、22年女性として初めて、さらに最年少で繁昌亭大賞を受賞した。また同年咲くやこの花賞も受賞するなど飛ぶ鳥を落とす勢いである。いや〰面白かった!畳み掛けるリズム感が心地良い。

彼女はこの世界に入る前に鶴瓶の追っかけをしていたことで有名なのだが、鶴瓶の自宅を突き止めたエピソードなど、びっくりするような手法でちょっとここには書けないのだが、めっちゃ笑った。鶴瓶を通して落語に出会ったようだが、米朝一門の桂米二に入門するというところも面白い。ちゃんと事前に米二から鶴瓶に「私が弟子に取ってもええですか?」と、ことわりの電話が入ったそう。

ネタおろしとなった「芝浜」は大阪の男が出奔し江戸に住み着くという設定に。出来は、うーん、まぁ、そこそこ。一年後にどう変わるか、来年の落語会に期待する。

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2022年12月18日 (日)

「ハワイの雪」と忠臣蔵特集〜柳家喬太郎 独演会@兵庫芸文 2022

12月17日(土)兵庫県立文化センターへ。

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〈昼の部〉

 ・柳家やなぎ:牛ほめ
 ・柳家喬太郎:ウルトラ仲蔵(喬太郎 作)
 ・一龍斎貞寿:鎌倉星月夜
 ・柳家喬太郎:ハワイの雪(喬太郎 作)

〈夜の部〉

 ・柳家やなぎ:子知る

 ・柳家喬太郎:カマ手本忠臣蔵(喬太郎 作)
 ・一龍斎貞寿:南部坂雪の別れ
 ・柳家喬太郎:俵星玄蕃(喬太郎 作)

柳家喬太郎の出演する落語会は既に40公演以上聴いているのだが、今まで一度も遭遇出来なかったネタが『ハワイの雪』。それを漸く聴けて感無量である。円谷プロ公認〈ウルトラマン落語〉も相変わらず愉しい!

夜の部は忠臣蔵特集で『俵星玄蕃』は三波春夫が歌った〈長編歌謡浪曲〉が有名。遺族から唯一カバーを許された柳亭市馬はこれをデビュー・シングルで歌ったり、 落語会でも自慢の喉を披露している。今回は喬太郎による落語版で堪能した。

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2022年9月 7日 (水)

第5回 柳家喬太郎なにわ独演会 2022

9月3日(土)ドーンセンターホール@大阪市へ。柳家喬太郎を聴く。

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喬太郎は最近膝の調子が悪いそうで、通常江戸落語では使わない見台と膝隠しを前に置き、胡座をかいての口演。

昼の部

 ・柳家喬太郎:百川
 ・寒空はだか:漫談
 ・柳家喬太郎:お若伊之助(初代 三遊亭円朝 作)

夜の部

 ・柳家喬太郎:野ざらし
 ・寒空はだか:漫談
 ・柳家喬太郎:ペタリコン(三遊亭円丈 作)

客席に子供がいないこともありマクラで艶笑小噺、喬太郎作〈東京ホテトル音頭〉、そしてブルー・ライト・ヨコハマの旋律に乗せて3分で出来る『芝浜』などを披露してくれた。さらに入門前に一年半、福家書店で働いていたときの〈書店店員発注電話〉も。また映画『シン・ウルトラマン』の感想は「最高!」と(喬太郎は持ちネタに『抜けガヴァドン』などウルトラマン落語がある)。

喬太郎で『ペタリコン』を聴くのは多分これが3回目。やはり凄味がある。人間の冷酷さを演じさせたら落語家で彼の右に出るものはいない。今回初めて気がついたが、これってモロにパワーハラスメントの噺だね。因みにパワハラは和製英語であり、英訳するとAbuse of Authority(権限の乱用)とか、Workplace Bullying(職場でのいじめ)ということになるらしい。

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2022年5月 6日 (金)

笑福亭鶴瓶 落語会@兵庫芸文 2022

5月5日(祝)、兵庫県立芸術文化センターへ。

 ・三遊亭白鳥:トキそば
 ・笑福亭鶴瓶:三年目
 ・笑福亭鶴瓶:お直し

2022年1月29日(土)の振替公演。鶴瓶が新型コロナウィルス感染症陽性者の濃厚接触者になったため、延期された。

鶴瓶の『お直し』は聴き飽きた。女性の一人称という形式も彼の資質に合っていない。

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2021年10月 1日 (金)

柳家喬太郎 なにわ独演会 2021

9月23日(祝)ドーンセンターホール@大阪市へ。

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昼の部

・柳家喬太郎:紙入れ
翁家和助:太神楽曲芸
・柳家喬太郎:任侠流山動物園(三遊亭白鳥 作)

夜の部

・柳家喬太郎:花筏
翁家和助:太神楽曲芸
・柳家喬太郎:真景累ヶ淵 宗悦殺し(三遊亭圓朝 作)

『紙入れ』は「昔から“親子は一世、夫婦は二世、主従は三世、間男は止せ(四世)”と申します」というマクラから始まった。親子の関係は一世、夫婦の関係は二世にわたり、主従関係は三世にわたるほど深いものであるということ。如何にも江戸時代・封建制度らしい発想である。

また盗むという意味の「ぎる」という言葉が出てきたが、後で調べてみると「握る」の省略形のようだ。

『任侠流山動物園』のマクラで喬太郎は「今一番観たい映画は『ゴジラ vs コング』と『シン・ウルトラマン』なんです」と。小学生の頃、東映まんがまつりや東宝チャンピオンまつりで仮面ライダーやゴジラ映画を観たことを語り、また自身が主演した映画『浜の朝日の嘘つきどもと』で共演した高畑充希から劇中「ジジイ」と呼ばれ「もう、一生言われたい」と。「それから充希ちゃん、本当に顔が小さいんです!」

夜の部は開口一番「まず本日の演目をご案内します。『黄金の大黒』『がまの油』そして中入りを挟みまして『鼠穴』」これに場内大爆笑。

同日、春風亭一之輔が大阪で独演会をしていたらしく(昼公演のみ)、喬太郎は一之輔に電話して何を高座にかけたか確認したらしい。実際に一之輔の独演会終了後、こちらの会場にはしごした客が多数いた模様。

明るい相撲噺『花筏』に対して、『真景累ヶ淵』の語り口には凄みがあった。凄惨でありながら、聴衆の目と耳を惹きつけて離さない。喬太郎の圓朝は絶品である。

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2021年7月30日 (金)

柳家喬太郎独演会@兵庫芸文 2021

7月22日兵庫県立芸術文化センターへ。

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昼の部

  • 柳亭市弥:高砂や
  • 柳家喬太郎:転宅
  • 林家あずみ:三味線漫談
  • 柳家喬太郎:結石移動症

夜の部

  • 柳亭市弥:紙入れ
  • 柳家喬太郎:親子酒
  • 林家あずみ:三味線漫談
  • 柳家喬太郎:本当は怖い松竹梅

喬太郎四席のうち、初めて聴いたのは新作「本当は怖い松竹梅」のみ。ミステリー仕立てで、巧みな筋運びに唸った。

これはSWAの「古典アフター」という企画から生まれたもので、古典落語「松竹梅」を基に、その後を描いた作品である。ご隠居が探偵役で、途中古典落語「崇徳院」の熊五郎と行き違い、近松心中物のような結末に至る。しかも一筋縄ではいかなくて、そこにLGBTQ+の風味が添加されるという凝りよう。天才・喬太郎ならではの仕上がりだった。天晴なり!

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2021年2月 7日 (日)

「らくだ」笑福亭鶴瓶落語会 2021 @兵庫芸文

1月31日(日)兵庫県立芸術文化センターで笑福亭鶴瓶落語会を聴く。

  • 笑福亭鶴瓶:鶴瓶噺
  • 笑福亭鶴瓶:癇癪(私落語)
  • 桂三度:心と心(三度 作)
  • 笑福亭鶴瓶:らくだ

鶴瓶噺(Stand Up Comedy)では新型コロナ禍のエピソードをあれこれと。第1回目の緊急事態宣言が発令される前の2020年2月28日、東京で『桂文珍 国立劇場20日間独演会』にゲストとして出演した。その時文珍が掛けたネタが『くっしゃみ講釈』。「あの頃はまだ、高座でハクションを連発しても許されていたんですね」と鶴瓶。

ある日自宅でくつろいでいたらネジが出てきた。「なんや、これ?」と、よくよく考えたらTBS『半沢直樹』(1st season)に主人公の父親として出演したときの記念の品だった。ネジ工場を夫婦で経営している役だった。「みなさん、わかってますか?僕が首を吊らなかったら、今の『半沢直樹』ブームはなかったんですよ!」と。

また話題になっていたから予備知識ゼロで劇場版『鬼滅の刃 無限列車編』を観に行ったが、さっぱり理解出来なかった。「なんやあの、かまぼこ咥えとる娘は??」(←禰豆子/ねずこ)途中我慢ができなくなってトイレに行ったが、すすり泣きしている周りの観客に申し訳なかった。

『癇癪』は六代目笑福亭松鶴師匠と過ごした日々のスケッチ。文句なしに面白い。

「世界のナベアツ」として活躍していた三度。2011年、桂文枝に弟子入りして吉本興業から給料を3分の1まで下げられた。そして2018年、苦節4度目の挑戦で『NHK新人落語大賞』を受賞したネタが『心と心』。コンビニ強盗とそれに対応する店員、店長、店内に居合わせた客2人、計5人を演じ分け、会話だけではなく心の声も語るという野心作。上方落語の特徴である、見台・膝隠し・小拍子が好きだとマクラで語り、小拍子をチョンと打つことで時空間を跳躍できるという説明が、実はサゲ(落ち)の仕込み・伏線になっているというべらぼうな上手さ。こいつは天才だと唸らされた。

鶴瓶は六代目から落語を一本も教えてもらえなかったが、『らくだ』は師匠の口演を文字で書き起こすよう命じられた。今思い起こすと、あれがとても役に立った。弟弟子の笑福亭鶴志が松鶴の口跡にとても似ているので、『らくだ』は彼に任せようと考えていたのだが、2020年5月に亡くなってしまった(死因は新型コロナウィルス感染症ではない)。「だったら僕が継ごう」と決心して、鶴志の遺族に承諾を得て、彼の演出も取り込み「これが笑福亭の『らくだ』だ!」と胸を張って言える集大成にしたい、と抱負を語った。

『らくだ』を創作したのは(四代目)桂文吾。文吾の師匠が立川八百蔵(たてかわ やおぞう)で、更にその師匠が初代笑福亭松鶴という縁がある。大正時代に三代目柳家小さんが東京へ移植した。

鶴瓶の『らくだ』は笑福亭らしく下品な感じが凄くいい。またラストのどんでん返しも秀逸。

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2020年10月 7日 (水)

柳家喬太郎 なにわ独演会 〈第三回〉

9月26日(土)ドーンセンター・ホール@大阪へ。

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昼の部

  • 柳家喬太郎:禁酒番屋
  • 江戸家小猫:動物ものまね
    〈中入り〉
  • 柳家喬太郎:錦木検校(にしきぎけんぎょう)

喬太郎は次のようなことを語った。

最近、体脂肪を減らすのに役立つカラダカルピスを飲んでいます。ただ味はカルピスと別物ですね。森永コーラスみたいな。ご存知ですか?

今の御時世、マスクだとかフェイスシールドとか、私らの世代だと全学連 vs. 機動隊を思い出します。「接待を伴う飲食」なんて聞くと、全学連の学生を機動隊が接待している姿を想像したら、なんだか可笑しいですね。

10月1日から東京もGoToキャンペーンに追加されますが、だからって皆さん東京来ますか!?コロナにまみれる、みたいな。私らが地方にお邪魔するときは、最善の注意を払い、感染防止を心がけています。

4月から5月にかけて東京の寄席も中止になりました。落語協会では新型コロナウィルス感染拡大予防ガイドラインを設け、楽屋では全員マスク着用、前座が師匠方に出すお茶も急須ではなく紙コップです。あとガイドラインにコール&レスポンス禁止ってあるんですが、落語でそんなことします?ロックコンサートじゃないんだから。で、それ見てわざわざ高座でやっちゃった噺家がいたりして。入船亭扇辰

寄席に入るときは入り口で検温します。測ってくれた女の子が戸惑っているので「見せて」と言ったら33.7℃と表示されていました。私はワニか!?

東京かわら版で新型コロナに関して自宅でどう過ごしているかというアンケートがありまして、うちの師匠(さん喬)なんか「どうしたらいいかわからない」と真面目に答えていました。中には「下手な稽古はやるだけ無駄」とか、「何もせずぼーつとしていても、何か得るものがある筈」と書かれている方もおられて、とても共感しました。あと、ある師匠から「コロナ自粛で体内時計が狂っちゃった」と言われて、そうだなと思いました。今までは寄席で持ち時間15分とか20分と指定されると、だいたいそれくらいの時間で下りてくることが出来たのですが、感覚が分かんなくなっちゃった。

夜の部

  • 柳家喬太郎:ウルトラ仲蔵
  • 江戸家小猫:動物ものまね
    〈中入り〉
  • 柳家喬太郎:拾い犬

喬太郎の演じる円谷プロ公認・ウルトラマン落語は古典『抜け雀』のパスティーシュ『抜けガヴァドン』を複数回聴いたことがあるが、『中村仲蔵』のパスティーシュ『ウルトラ仲蔵』はお初。八つ裂き光輪(ウルトラスラッシュ)が炸裂する。いやー、笑った!大阪城で大暴れしたウルトラ怪獣ゴモラとか、ケムール人、ウルトラマンナイスも登場する。

『拾い犬』は2014年11月22日、11(わんわん)22(にゃんにゃん)に因んだ、横浜にぎわい座「わんvsにゃん寄席」で発表された新作落語。といっても設定は江戸時代なので〈擬古典〉と言ってい良い。ベースになっているのは上方の古典落語『鴻池(こうのいけ)の犬』と思われる。そもそも〈鴻=広い〉という意味だしね

喬太郎はコロナで自宅待機中にあまり稽古をせず、ロッテのチョコパイばかり食べていたとか、コロナ禍の外出自粛でターゲットにされた「接待を伴う飲食店」は災難だけれど、「接待」の定義はどこまで指すのか?「マック」のスマイル0円は「接待」ではないのか?あっ、しくじった!マクドナルドは大阪で「マック」じゃなく、「マクド」って言うんでしたっけ?埼玉県にはガールズバーならぬ、ボーイズバーがあった、といった話などをした。

配信の落語会について、「演りにくいんじゃないですか?」とよく尋ねられるが、そんなことは全く無い。笑ってくれるお客さんがいなくても平気。第一、入門した頃の寄席はいつも閑古鳥が鳴いていて、100席の小屋でも一杯にならなかった。満席に出来たのは古今亭志ん朝くらいだったと。

山口容疑者が酒気帯び運転で逮捕されたのが練馬と聞いてがっかりしました。しかも氷川台。だって元TOKIOですよ!そこで捕まりますか!?もっと六本木とか渋谷とか芸能人として相応しい場所にして欲しかった。こちらの方には練馬がどういう場所かピンとこないかも知れませんが、大阪で言えば「なかもず」?(ここで場内爆笑)あ、知りませんよ、行ったことありませんし。ただ地下鉄の路線図見ていてなんとなくそんな感じかなと。表記がひらがなで目についたので(注釈:中百舌鳥は堺市です)。

政治家は大抵、赤坂の料亭で会合を開きますが、あれは多分、霞が関から近いからでしょうね。でも赤坂に料亭がもしなかったとしたらどうするんでしょう?例えばCoCo壱番屋しかなかったらカレーを食べるんでしょうか?それとも、料亭が練馬に集中していたら、わざわざ練馬まで足を運ぶんですかね?

当初、昼の部も夜の部も喬太郎が三席ずつの予定だったのだが、マクラで盛り上がったので二席ずつと相成った。

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2020年7月22日 (水)

【考察】「源氏物語」で紐解く古代日本人の深層心理と、その生活様式

僕は20歳を過ぎた頃から、折角日本に生まれたのだからいつか紫式部『源氏物語』は読まなければならないと切実に思い、しかしその余りの長大さ(文庫本で10巻)に繰り返し挫折してきた。漫画だったら読めるんじゃないかと考えて大和和紀『あさきゆめみし』にも挑戦したのだが、光源氏が須磨に退去した辺りであえなく音を上げた。次々と登場する女君がみな同じ顔に見えて、途中で混乱してわけがわからなくなってしまったのだ。小説の量が膨大過ぎて歯が立たないという経験はマルセル・プルースト『失われた時を求めて』に似ている。『失われた…』は何度挑戦しても第1巻より先に進まない(しかし未だ、諦めてはいない)。

『源氏物語』現代語訳として与謝野晶子、谷崎潤一郎(生涯に3度)、円地文子、田辺聖子、橋本治、瀬戸内寂聴ら錚々たる文学者が取り組んでいる。今回、僕が愛読している小説『対岸の火事』『八日目の蝉』『紙の月』や『愛が何だ』を書いた角田光代が訳したということで早速手にとってみると、兎に角スラスラ読めて驚いた!約2、3ヶ月で呆気なく通読出来た。女優・美村里江(旧芸名:ミムラ)も高校時代、谷崎潤一郎の現代語訳で挫折したが角田光代訳で漸く読破したとラジオで語った(こちら)。これに気を良くして僕は『あさきゆめみし』にも再度挑み、今度は完走した。さらに光源氏の死後(下巻)の部分は谷崎訳も目を通した。

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藤原俊成は鎌倉初期の建久四年(1193年)に開催された歌合で「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事也」と言った。

平安時代、『古今和歌集』(905年)より後に成立したと考えられる『伊勢物語』は歌物語である。その影響が色濃い『源氏物語』(1010年頃)でも沢山和歌が詠まれており、歌物語的性格がある。特に『古今集』からの引用が非常に多いので、『源氏物語』の前に、高田祐彦(訳注)『古今和歌集』(角川文庫)を読まれておくことをお勧めする。なお新海誠監督(中央大学 文学部文学科国文学専攻)のアニメーション映画『君の名は。』や『天気の子』は沢山の歌が挿入されているが、これは王朝文学の影響と思われる。

また副読本として臨床心理学者・河合隼雄の『源氏物語と日本人 ー紫マンダラ』(岩波現代文庫)と、大野晋(国語学者)×丸谷才一(小説家)の対談本『光る源氏の物語』(中公文庫)上下巻がとても参考になった。当時の風俗を知るという意味で『あさきゆめみし』も十分価値がある。

現代人が『源氏物語』を読むに当たり、まず受け入れがたいのが光源氏の華麗なる女遍歴であろう。精力絶倫と言うか、稀に見るプレイボーイぶりである。

京都大学および国際日本文化研究センター教授を定年退官後(65歳)初めて『源氏物語』を通読したという河合隼雄は『源氏物語と日本人 ー紫マンダラ』で次のように述べている。

 恥ずかしいことであるが、私は長い間『源氏物語』を読んだことがなかった。若いときに、人並みに挑戦ーといっても現代語訳であるがーを試みたが、「須磨」に至るまでに挫折した。青年期にはロマンチックな恋愛に憧れていたので、それとまったく異なる男女関係のあり方が理解できなかったのである。それは端的に言って、「馬鹿くさい」と感じられたほどであった。次から次へと女性と関係をもつ光源氏のあり方には、腹立ちさえ覚えたのである。

僕も20代の頃に、同様な感想を持った。しかし時代背景をしっかり鑑みなければならない。

平安時代の平均寿命は男性33歳、女性27歳ぐらいだったと言われている。出産時に亡くなる女性の割合が高く、また乳児死亡率も高かった。

例えば2017年の日本における乳児死亡率は(1000人比で)1.9。江戸時代の記録はないが、1918年(大正7年)は188.6だった。つまり5人生まれたら1人は死んでいたことになる。因みに大正時代の平均寿命は43歳。それより寿命がもっと短い古代は推して知るべしだろう。江戸時代において生後1年までの死亡率は20-25%と推定されている。

佐藤千春の報告(『栄花物語のお産』日本医事新報)によると、平安時代は経産婦47人中11人、実に23.4%がお産で亡くなっているという。つまり当時、子供を生むのは命懸けだった。実際のところ、光源氏の母・桐壺更衣は出産後に体調が思わしくなく源氏が3歳の時に亡くなり、源氏の正妻・葵の上も夕霧を出産直後に命を落とす。

生物に課せられた使命は「種の保存」である。人工を減らさないためには男女1組あたり、2名の子供を成人になるまで育てなければいけない。ましてや天皇や貴族の場合、跡取りとして健康な男児が必要だった。しかし死亡率などから概算すると、平安時代の男性は1人あたり平均3−4人子作りする必要があった。光源氏が残した子供は3人。①葵の上ー夕霧 ②藤壺の宮ー冷泉帝 ③明石の方ー明石の君 である。決して多くはなく、標準的と言えるだろう。

生来、男に浮気性が多いのは生物学的必然である。種馬の如くせっせと種を植えなければ自分のDNAを後世に残すことが出来ない。しかしその辺の事情は近代医学の進歩で変わってきた。一方、女性の場合は一旦妊娠すると出産を経て産褥期が終わるまで約1年かかるわけで、男と比較して(子供の)生産性が高くない。だから生物学的に浮気をする謂れもない。世界にハーレムとか大奥というシステムが出来たのも上述したような理由からであろう。

平安時代において死因の三大疾患は①結核 54% ②脚気 20% ③皮膚病 10%だった。結核の原因は栄養失調。脚気はビタミンB1の欠乏。古代人は肉を食べなかったので慢性的にタンパク質が不足していた。宇治十帖に登場する大君(おおいきみ)の死因は神経性食欲不振症(摂食障害)と考えられる。皮膚病の原因は不衛生。平安時代の貴族は月に4−5回しか入浴しなかった。それも当時はお湯を沸かして室内を蒸気で満たしたサウナ風呂で、殆ど体を洗わない。入浴日は占いによる吉兆で決めていた。縁起の悪い日に入浴して垢を落とすと、毛穴ら邪気が入り込み命を失うと信じられていたという。裸では入らず「湯帷子」(ゆかたびら)という単衣を着用し、簀の上に敷物を敷いてその上に座る。これがゆかた風呂敷の語源である。裸で湯に浸かるようになったのは江戸時代以降である

また女性が長い髪の全体を洗うのは、多く見積もっても月一回程度だったようだ。『源氏物語』には宇治の中君が洗髪する場面があり、神無月(十月)に洗髪することは禁忌である旨が書かれている。つまり当時、お香が流行ったのは、(西洋の香水と同様に)体臭を消すという目的が大きかったんじゃないかな?因みに全長2mを超える髪を洗って乾かすまでは、朝から日暮れまで一日がかりだったとか。

平安時代の日本人は現在に生きる我々同様、宗教に対して鷹揚だった。『源氏物語』で朱雀帝はまず天皇として登場する。しかし32歳で冷泉帝に譲位し上皇となり、後に出家する(その際に娘である女三宮を光源氏に降嫁させる)。天皇は一応、天照大神(アマテラスオオミカミ)の末裔という設定になっており、神道のトップに立つ存在だ。その人が仏教に帰依するって矛盾してない?考えてみれば天武天皇の発願で奈良の大仏が建立されたというのも、おかしな話である。

また朝顔の姫君は斎院(さいいん)を努めた。斎院とは伊勢の斎宮(さいぐう)と同様に、平安時代から鎌倉時代にかけて京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)に奉仕した未婚の内親王または女王である。しかし彼女も後に出家して尼になる。神に仕える巫女が仏に宗旨変え??皆いいかげん、テキトーである。まぁこのおおらかさが、日本人らしいと言えるだろう。なお当時、女性の出家は坊主にせず、肩口で切りそろえる程度だった。それを「肩そぎ」あるいは「尼削ぎ」と言った。 現在でいうところのセミロング、おかっぱ頭である。

平安朝の人々は「末法(まっぽう)」という終末思想に囚われていた。仏の教えが世間に行き渡らず、衰退してしまうとされる時代のこと(ノストラダムスの大予言みたいなものだ)。 永承七年(1052)に「末法」が到来するというのである。死後への不安から、天皇や貴族も仏教に帰依し、極楽往生を願った。『源氏物語』に登場する女たちの7割方が出家するのもそのためである。光源氏や薫も出家したいと話す。そして末法元年の翌年(1053)に建立されたのが宇治平等院鳳凰堂である。 小説が書かれた時点で平等院はなかった。

六条御息所の面白いのは生霊として人(夕顔/葵の上)を取り殺すところにある。それも無意識にだ。死後もこの世を彷徨い、紫の上や女三宮に取り付く。

平安時代の人々は生きている状態で魂(たましい)が肉体から遊離すると考えていた。これは精神(理性)と欲望(本能=自然に近い状態)との分離を目指した西洋と対照的な観念である。

古今和歌集 九七七番を見てみよう。

身をすてて行きやしにけむ思ふよりほかなるものは心なりけり
(我が身を捨てて心だけは知らないうちにそちらへ行っていたのでしょうか。自分の思いと別にあるものは心だったのです

また九九二番、

    女ともだちと物語して、別れてのちにつかはしける
飽かざりし袖の中にや入りにけむわが魂のなき心地する
(いくら語り合っても満ち足りない。お別れしても、あなたの袖の中に入ってしまったのでしょうか、私の魂が手元から消え失せたような気持ちがします)

他に離別歌 三七三番、

    あづまの方へまかりける人に、よみてつかはしける
思へども身をしわけねば目に見えぬ心を君にたぐへてぞやる

(あなたのことを思っても、身体を分けてついてゆくことは出来ません。だから目に見えない心をあなたに寄り添わせて遣わします)

恋歌 六一九番、

よるべなみ身をこそ遠くへだてつれ心は君が影となりにき
(あなたのそばに身を寄せるところがないので、身体は遠く離れているけれど、心はあなたの影になって寄り添っていました)

などがある。つまり遊離魂は〈影〉そのものだった。ここに古代日本人の心のあり方が読み取れる。

光源氏、頭の中将、匂宮、薫ら『源氏物語』に登場する男たちはよく泣く。〈男らしさ〉とは一体何なのだろう?僕らはそろそろ、そういった(武家社会時代に形成された)固定概念から開放されるべきだ。

米国の人類学者ルース・ベネディクトは著書『菊と刀』(1946)の中で、西洋は〈罪の文化〉で、日本は〈恥の文化〉だと分類した。〈恥の文化〉とは他者の非難や嘲笑を恐れて自らの行動を律することを指す。

光源氏は〈世間体〉を気にしている。後朝(きぬぎぬ)の別れでも、人目に触れないように女の家から極めて早朝に発ったりする。個人主義(Going my way)ではなく、〈場〉の雰囲気を毀さないよう、〈空気を読む〉ことに腐心している。

また六条の御息所が生霊となり、最後は鬼になるのは〈恥〉をかいたからだ。浮舟とその母も、他人に侮られるとか、物笑いのたねになることをすごく気にしている。

結局、千年経っても人の心のあり方は少しも変わらない。進化したのは社会保障、司法、医療、教育などの〈システム〉や〈科学技術〉であり、人間そのものではない。21世紀に生きる僕たちでもちゃんと『源氏物語』の感情に共感し、寄り添える。薫ー大君ー浮舟の関係性が、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画「めまい」の構造(スコティーマデリンージュディ)と全く同じだと気付いた時には驚いた。

『源氏物語』はマザー・コンプレックスの話であるとも言える。母性社会日本に相応しい(欧米諸国は父性原理で動いている)。光源氏が慕う藤壺の宮は源氏の母・桐壺更衣に生き写しと描写される。つまり母+アニマ(男性が抱く内なる女性像)。一方、源氏が幼少期から育てる紫の上は藤壺の宮の姪で、藤壺に似ている。つまり母+アニマ+娘の役割を果たす。

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河合隼雄『源氏物語と日本人 ー紫マンダラ』より

さて次に『源氏物語』最大の謎に目を向けよう。光源氏とは一体、何者だったのか?

角田光代は中巻の「訳者あとがき」に次のように書いている。

 上巻で、ずっと光君という人を追いながら、私にはどうしてもその顔が見えなかった。神のような、神の子のような、あるいは運命というものの象徴としての存在のような、人間的なものから離れた何かのようにしか思えなかった。

『源氏物語幻想交響絵巻』を作曲した冨田勲(故人)も、「私は源氏物語を読んでいて、光源氏の顔が全く思い浮かばないんです」と語った。

僕が思うに、光源氏とはプラネタリウムの光源(投影機から発する光)のような存在と言えるのではないだろうか。そして天井の曲面スクリーン一杯に写し出される数々の星座が女君たちというわけ。光源氏は様々な女性たちの生き様を浮かび上がらせるための装置であり、実体がない。だから実写映画やテレビドラマで『源氏物語』は成功しない。生身の男優が演じてもリアリティに欠けるのである。むしろ宝塚の男役が相応しい。

河合隼雄はこの仕掛を「マンダラ」と呼んだ。

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河合隼雄『源氏物語と日本人 ー紫マンダラ』より

光源氏の輝きは、太陽(昼)というよりは月(夜)に近い。紫の上が詠んだ歌、

氷閉ぢ石間の水はゆきなやみ空澄む月のかげぞながるる

「石間(いしま)の水」は遣水のこと。上の句は幽閉された自分自身のことを指し、下の句は自由戀愛を謳歌する光源氏のメタファー。つまり「光」=「月光(つきかげ)」なのである。とすると月読命(ツクヨミ)のイメージが重ねられていると解釈することが出来るだろう(天照大神と須佐之男とで三姉弟)。

菅原孝標女が『源氏物語』に夢中だった少女時代を振り返って(平安時代中頃に) 書いた『更級日記』には次のような一文がある。

「われはこのごろわろきぞかし。盛りにならば、かたちも限りなくよく、髪もいみじく長くなりなむ。光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめ。」と思ひける心、まづいとはかなくあさまし。
(「私はいまのところ器量が悪いけれど、女盛りの時期を迎えれば顔貌も限りなく良くなり、髪もとても長く伸びるでしょう。光源氏が愛した夕顔や、薫君が愛した浮舟のようにこそ未来の自分はありたいものだわ」と思っていた心はむなしく、みっともない限りだ)

『源氏物語』の現代語訳をした円地文子は『源氏物語のヒロインたち』という対談本の中で夕顔について次のような所感を述べている。

どこか遊女性がありますね。娼婦性っていうのかしら。そういうものはあると思いますよ。

この小説はさながら、〈平安時代の女性コレクション〉という絢爛豪華なショーを見ているかのようだ。女性図鑑・カタログ・絵巻と言い換えても良い。

角田光代はこちらのインタビューで次のように語っている。

もし紫式部がこれを全部一人で書いたという前提で考えるのならば、私はたぶん作者が意図して自分のコントロール下で書き進められたのは「明石」の帖までだと思うんですよ。「明石」以降はちょっと自分でも思いもよらないほうにいってしまって、物語や登場人物が勝手に歩いていっちゃって、ときどきコントロールするために短い挿話を差し込んでいるんだけど、物語の大きな流れはたぶん作者の手を離れちゃったんじゃないかなという印象があるんですよね。

書き手として私が考えるのは、小説というのはたぶん自分ができるすべての力を注いでつくったとしても、できるのは百パーセントまでで──それすらも難しいんですけども──それ以上は絶対にいかないと思っていたんですね。でも小説が百パーセント以上の力を発揮することがあって、それは作者じゃなくて、小説に宿った力がそうさせることがごく稀にあるとなんとなく考えていたんです。それの超弩級版がまさにこの『源氏物語』じゃないかなって、最近は思っています。

(中略)女たちのほうが勝手に生き生きと息づきはじめてしまったのかもしれない。それも作者の思惑を超えて、のような気がします。 

松尾芭蕉に「紅梅や見ぬ恋作る玉簾」という俳句がある。平安時代の貴族の男女の出会いは〈見ぬ恋〉であった。寝殿造りは御簾(みす)や几帳(きちょう)、屏風で女の姿を隠し、外部から目に触れないようにしていた。だから「どこそこの家の娘は大層別嬪さんらしい」という噂は耳にすれど、実際に垣間見ることはほぼ不可能であった。通い婚だった当時は、初夜に至るまで互いに顔を知らず、しかも逢瀬は真っ暗なので相手の顔も見えず、事が終わってから昇ってきた朝日で漸く容姿が確認出来るというのが通常であった。だから事後に「しまった!こんな筈じゃなかった」と後悔することも当然あるわけで、『源氏物語』第六帳〈末摘花〉でもそんな顛末が面白おかしく書かれている。

20世紀フランスの社会人類学者レヴィ=ストロースは著書『親族の基本構造』の中で、オーストラリアの原住民らを研究し、近親相姦の禁忌と、母方交叉イトコ婚が推奨されるのは何故かを解明した。そこには〈女性の交換〉という原理があった。人間社会の基本はコミュニケーションであり、それは言葉や物(お金を含む)を交換することにある

平安貴族にとっても、娘=交換価値であった。その最高の価値は入内し、中宮として天皇に寵愛され、嫡男を生み、その男児が春宮→天皇という道を進むことであった。藤原道長はそうして摂政となり、一族は栄華を極めた。

つまり、いかにして地位の高い男を婿に迎えるかということが彼らにとって最も重要事項であり、見ぬ恋〉 は 娘=交換価値 を高めるために必要であったと言えるだろう。

最後に。『源氏物語』上巻を読んでいる途中で、「おや?」と引っ掛かった。明らかに欠落部分があると感じたのである。光源氏と藤壺の二回目の秘密の逢瀬が描写されるが、一回目については全く言及されない。また六条御息所が唐突に登場し、源氏との馴れ初めが書かれていない。この疑問は後に、大野晋×丸谷才一の対談本『光る源氏の物語』を読んで解消された。

藤原定家(1162-1241:小倉百人一首撰者)の書いた注釈書のなかに「一説には 巻第二 かゝやく日の宮 このまきもとよりなし」とある。つまり『輝く日の宮』という巻が元々あったが、定家の時代に既に失われていた可能性が示唆される。

丸谷は紫式部のパトロン・藤原道長の意向で削除されたという説を述べており、興味深い。脱落したこの巻を補う丸谷の同名小説も読んだ。また瀬戸内寂聴も同様の趣旨で小説『藤壺』を書いている。

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2020年2月28日 (金)

新型コロナウィルスと”浮草稼業“

新型コロナウィルス感染症の影響で、どんどんコンサートや各種イベントが中止に追い込まれている。2020年2月26日(水)、Perfumeが予定していた東京ドーム公演の2日目が中止された。開演5時間前の決定だった。新聞記事によると東京ドームのキャンセル料は実損2億円だという。

僕は2月29日(土)に兵庫県立芸術文化センターでフィンランドの俊英サントゥ=マティアス・ロウヴァリが指揮するエーテボリ交響楽団を聴く予定だったが、26日夕方に公演中止がアナウンスされた。なんとオーケストラの楽員は既に、遥々スウェーデンから日本に到着していた。一度も演奏することなく帰国することになった彼らがとても気の毒だ。

また37()8()にびわ湖ホールで上演される予定だったワーグナーのオペラ「神々の黄昏」も中止が決定された。「ニーベルングの指環」4部作を4年間かけて上演する大プロジェクトの最後を飾る筈の作品だった。チケットは既に購入しており、無念で仕方ない。

びわ湖ホールは赤字経営で滋賀県は毎年、11億円という助成金を出している。「神々の黄昏」の制作費は1億6千万円。その収益が0になった。果たして今後も存続出来るのだろうか!?

東京・帝国劇場や大阪・梅田芸術劇場、宝塚大劇場、劇団四季の全国の劇場もこの先2週間前後の公演中止を決定した。

さて、ミュージカル「レ・ミゼラブル」でジャン・バルジャンを演じたこともある某役者が、新型コロナ騒動に関して「文化、芸術だって経済を動かしている。劇場公演を中止するのなら、電車も止めろ」とツィートしている。また映画「蜜蜂と遠雷」でサウンド・トラック制作にも参加した某ピアニストは、「政府の要請を受け音楽業界は大騒ぎ、中止や公演延期が次々発表されていく。その一方、都内のラッシュ時に電車は相変わらず満員で、駅は大混雑。ウィルス拡散防止のバランスはこれでいいの?」という旨をSNSで呟いている。

呆れてしまった。そしてその直後からこみ上げてくる笑い。彼らは自分たちの職業が、”浮草稼業”であるという自覚がないのだろうか?

物事には優先順位がある。生命の危機に晒された緊急事態にまずカットされるのは音楽や芸能活動、娯楽、つまり全てひっくるめてAmusement & Entertainmentであることは仕方がないことだ。人が生きていく上で音楽や芝居がなくても差し障りはない(この際、”心の豊かさ”は二の次。そんな余裕はない)。

しかし首都圏の電車を止めたらどうなる?(職員の通勤に支障をきたし)霞が関や病院が機能しなくなっても構わないのか?電気やガスが止まって良いとでも?食料の流通もままならなくなる。ライフラインと芸能活動を等価で語るのは非常識だろう。

そもそも安倍総理は大規模なイベントの中止・延期を「要望(リクエスト)」しているのであって、これは行政命令ではない。主催者が総理の意向を忖度(そんたく)しているに過ぎない。あるいは日本人の特徴である同調圧力と言い換えることも出来る。強制力はないのだから「右にならえ」せず、したい者は信念を持って公演を続行すればいい。

上方落語界で唯一の人間国宝だった故・桂米朝は弟子入りした折、師匠の米團治から次のように言われたという。

「芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が良いの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに、むさぼってはいかん。ねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へのお返しの途はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで」

音楽家にしろ役者にしろ「米一粒、釘一本もよう作らん」身の上であり、「ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へのお返しの途はない」のも全く同じだろう。そういう”浮草稼業”でありながら、噺家と違って彼らに欠けているのは末路哀れという「覚悟」なのではないか?浮世離れしているというか、頭の中がお花畑なのだ。

こうした常識外れな音楽家たちの生態を見事に描き出したのが漫画「のだめカンタービレ」である。登場人物たちは全員、社会性が欠如した奇人・変人ばかり。でも芸術家って、きっとそれでいいのだ。世間は彼らの突出した才能だけすくい取って、消費する。そういう社会システムになっている。

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