古楽の愉しみ

2018年4月28日 (土)

幻の楽器アルペジオーネを生で聴く〜クリストフ・コワンと仲間たち

4月25日(水)兵庫県立芸術文化センター小ホールへ。

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ニコラウス・アーノンクールに師事し、現在はモザイク・クァルテットのメンバーであるクリストフ・コワン(チェロ&アルペジオーネ)、オルフェウス弦楽四重奏団に以前所属していたジェローム・アコカ(ヴァイオリン)、金子陽子(フォルテピアノ)で、

  • ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第5番「春」
  • シューベルト:アルペジオーネ・ソナタ
  • リース:ロシアの3つのメロディーによるチェロとピアノフォルテのための変奏曲(日本初演)
  • ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 第5番「幽霊」
  • ショパン(フランショーム編):マズルカ第41番・34番(アンコール)

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アルペジョーネは1823から24年にかけてウィーンのギター製造者ヨハン・ゲオルク・シュタウファーによって発明された6弦の弦楽器である(因みにチェロは4弦、クラシック・ギターは6弦)。しかし全く普及せず、シューベルトが24年に作曲したアルペジョーネ・ソナタ以外に後世にまで知られている曲は皆無。1871年になってこの曲がようやく出版された時には完全に忘れ去られた楽器に成り果てていた。つまり市場に出回ったのは僅か数十年という短命だった。

Arpeggione

現在アルペジョーネ・ソナタはチェロで弾かれることが多く、今井信子はヴィオラでレコーディングしている。

アルペジオーネを弾ける奏者は世界的に見ても希少で、恐らく一桁台だろう。だって一生懸命奏法をマスターしても、レパートリーがシューベルトの1曲しかないのなら、やり甲斐がないじゃない?そもそも博物館所蔵以外に弾ける状態の楽器は殆ど無い。

だから今回、千載一遇の体験が出来た。アルペジオーネはチェロよりも小さく、ギターやヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ(肩掛けチェロ)よりは大きい。

爪弾くとギターに音色が近い(但し通常は弓で奏でる)。チェロより高い音で軽やかで華やか。典雅な響きがした。

バロック・ヴァイオリンは朴訥で、帽子で例えるなら(飾りの付いた)fancy hatではなく、plain hatという印象。

ベートーヴェンのピアノ・トリオは端正で、音楽が弾けていた。

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2018年1月25日 (木)

イザベル・ファウストとスティーブ・ジョブズ/バッハ無伴奏Vn.ソナタ&パルティータ全曲演奏会

1月23日及び24日に連続で、イザベル・ファウストの弾くJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲演奏会を聴いた@いずみホール。

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【第1夜】

  • 無伴奏Vn.ソナタ 第1番
  • 無伴奏Vn.パルティータ 第1番
  • 無伴奏Vn.ソナタ 第2番

【第2夜】

  • 無伴奏Vn.パルティータ 第3番
  • 無伴奏Vn.ソナタ 第3番
  • 無伴奏Vn.パルティータ 第2番

第2夜で曲順の入れ替えを行っているのは言うまでもなく、最後に【音楽世界遺産】である超弩級の名曲「シャコンヌ」を擁する無伴奏Vn.パルティータ第2番を持ってくるためである。余談だが1977年に遙かなる宇宙を目指し打ち上げられたボイジャー探索機には遠い未来、それが遭遇するかもしれない地球外知的生命体(宇宙人)に向け人類からのメッセージとしてゴールデンレコードが搭載されており、そこには無伴奏Vn.パルティータ第3番の第3曲「ロンド風ガヴォット」が選ばれている(演奏はグリュミオー)。詳しいリストはこちら

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どうして「シャコンヌ」じゃないんだ?という疑問は当然湧くが、恐らく収録時間の問題だろう。CDじゃなくレコードだからね。「ガヴォット」が3分弱。対して「シャコンヌ」はファウストのCDだと12分26秒。

ファウストは東京でしばしば無伴奏ソナタ&パルティータ全曲演奏会を開いているが、大阪では今回が初めて。僕は京都市のバロックザールで一度聴いており(レビューはこちら)、その時は3曲のみだった。またチョン・キョンファが一晩で6曲全曲演奏を行う無謀な挑戦にも足を運んだが、途中で弾くのが止まるわボロ雑巾みたいな状態で、惨憺たる結果に終わった。

バロックザールで3曲聴いたときよりも今回の方が遥かに感動が大きかった。全然違う。やはり6曲を集中して、通しで聴くというのが鍵なのだろう。音楽は清冽で、暗闇の中でメラメラと真直ぐに燃える蝋燭の太い芯のような演奏であった。

ファウストはバロック・ヴァイオリンに裸のガット弦を張りバッハの無伴奏を弾いたことがあるそうなのだが、CDや今回は愛器ストラディバリウス「スリー・ピング・ビューティ」+スチール弦+バロックボウ(弓)という組み合わせ。その理由はこちらのインタビューで彼女が詳しく語っている。なおバロック弓は現代のものよりも約5cm短く、重量も15gほど軽い。よって構え方や運弓法(ボウイング)に違いが出てくる。ノン・ヴィブラートによるピリオド・アプローチ(古楽奏法)。ピッチを揺らすのは装飾音のみ。

彼女の奏でる音を聴きながら僕が想起したのは故スティーブ・ジョブズの座右の銘「洗練を突き詰めると簡潔になる(Simplicity is the ultimate sophistication. )」。大バッハの音楽はiPhoneの姿形に似ている。ファウストの舞台衣装もそうで、一見地味でシンプルだがその実とってもお洒落。どうやらイッセイミヤケのプリーツプリーズらしい。そしてスティーブ・ジョブズが生前愛用していた黒のタートルネックも三宅一生がデザインしたものだった(詳しくはこちら)。一部でセントクロイ・コレクションだという情報が飛び交っているがそれは間違い。ちゃんと伝記に明記されている。ある日ニューヨークにあるイッセイミヤケの事務所にジョブズ本人から電話があり、100着まとめて注文したという。彼は同じものを毎日着替えていた。

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僕はこの2日間、ファウストと共に深い、深い思索の森を散策した。それは「森林浴」と言ってもいい、魂が浄化される体験であった。周りの聴衆も殆どが連日足を運んだ人たちばかりで、いわば我々は「旅の仲間」「同志」だった。彼女がバッハを奏でる様子は農家の夫人が真摯な祈りを捧げている姿を連想させる。そう、ミレー「晩鐘」のイメージだ。

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そして本屋大賞を受賞した宮下奈都(みやしたなつ)著「羊と鋼の森」の次の一節を想い出した。

 自分が迷子で、神様を求めてさまよっていたのだとわかる。迷子だったことにも気づかなかった。神様というのか、目印というのか。この音を求めていたのだ、と思う。この音があれば生きていける、とさえ思う。

神はそこ(ホール)にいた。その神はキリスト教徒が思い描くような手の届かない彼岸の存在、絶対的な真理・イデアではなく、偉大な人間(バッハ)の想像力(イマジネーション)と叡智によって創り出されたものであった。

稀有な演奏会だった。現在望みうる最高のバッハ。是非何年後かにまた彼女で聴きたい。さらに五嶋みどりやアリーナ・イブラギモヴァが弾くバッハの無伴奏Vn.全曲演奏会も期待したい。いずみホールのスタッフの方々、よろしくお願いします。

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2017年11月28日 (火)

バルトルド・クイケン/バロック・フルート・ソロリサイタル

11月24日イシハラホールへ。バルトルド・クイケンで無伴奏フルート作品を聴く。

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  • テレマン:ファンタジア 第7番、第6番 ①
  • ミシェル・ド・ラ・バール:組曲+フランソワ・クープラン:恋の鶯 ②
  • J.S.バッハ:無伴奏フルートのための組曲(パルティータ)イ短調 ②
  • C.P.E.バッハ:無伴奏フルートのためのソナタ イ短調 ③
  • シルヴィウス・レオポルド・ヴァイス:組曲 ト長調 ②
    (原曲はリュート作品)

使用されたフラウト・トラヴェルソ(バロック・フルート)は以下のレプリカ(複製)。楽器の解説はクイケン自身による。
①ヨハネス・ヒアキントス・ロッテンブルク(ブリュッセル、1735年):②よりややピッチが高く、ソプラノ・ヴォイス。
②オトテール(パリ、1700年):ルイ14世の時代の楽器で、深く温かい音。
③アウグスト・グレンザー(ドレスデン、1750年):①よりもっとソプラノ。Singing instrument。

アンコールは3曲でJ.S.バッハとテレマンのファンタジーから。

②オトテールの音色は朴訥で雅(みやび)。木のぬくもりが感じられた。

大バッハのパルティータはクイケンの寄稿文によると、もしかしたらリュートのための作品ではないかと。何故なら息継ぎの出来る箇所が殆どないからだ。そして彼はこう断言する。「バッハの音楽は、時間も場所も超越しているーそのことに気づかされるとき、私はいつも驚き、そのたびに幸福な思いにひたります」

息子C.P.E.の楽曲は華麗で気高い。

ヴァイスの曲はフルートのためのオリジナル作品のように響き、全く違和感がなかった。

久しぶりに古楽の世界を堪能した。

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2017年6月 7日 (水)

タリス・スコラーズ@兵庫芸文 2017

6月3日(土)兵庫県立芸術文化センターへ。

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ピーター・フィリップス指揮タリス・スコラーズ(10名によるア・カペラ)で、

  • タリス:ミサ曲「われわれに幼子が生まれた」
  • バード:アヴェ・ヴェルム・コルプス
  • 同:正しき者の魂は神の御手に
  • 同:聖所にて至高なる主を賛美もて祝え
  • アレグリ:ミゼレーレ
  • モンテヴェルディ:無伴奏による4声のミサ曲
  • パレストリーナ:主の僕たちよ、主をほめたたえよ
  • モンテヴェルディ:カンターテ・ドミノ (アンコール)
  • トレンテス:ヌンク・ディミッティス
    「今こそ主よ、僕を去らせたまわん」(アンコール)

生で彼らを聴くのはこれが3回目である。

彼らのレパートリーには現代の作曲家ペルトの作品もあるのだが、今回はルネサンス〜バロック期の教会音楽のみ。毎回、アレグリの「ミゼレーレ」は歌われており、彼らの代名詞と言えるだろう。楽譜はシスティーナ礼拝堂から門外不出だったが、これを聴いた14歳のモーツァルト少年が記憶だけを頼りにまるまる採譜したというエピソードは余りにも有名。

澄み切った、心洗われる響きに魅了された。

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2017年2月13日 (月)

ブラウティハイム/フォルテピアノ・リサイタル

2月4日(土)兵庫県立芸術文化センター小ホールへ。ロナルド・ブラウティハイムが弾くフォルテピアノを聴く。

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  • モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第5番
  • 同:ロンド イ短調 K.511
  • 同:ピアノ・ソナタ 第12番
  • ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第8番「悲愴」
  • 同:ピアノ・ソナタ 第18番
  • 同:ピアノ・ソナタ 第17番「テンペスト」
  • 同:エリーゼのために(アンコール)

ブラウティハイムはオランダのフォルテピアノ奏者。スウェーデンのBISレーベルから沢山のアルバムを発売している。この分野ではアンドレアス・シュタイアー(ドイツ)と並び称される名手である。ただしシュタイアーはモーツァルト、シューベルト、シューマンなどの作品を録音しているが、ベートーヴェンは少ない。一方のブラウティハイムはベートーヴェンのピアノ・ソナタ及び協奏曲全曲をレコーディングしている。今回使用されたフォルテピアノは1800年頃のアントン・ヴァルターが製作した楽器のレプリカ。丁度、ベートーヴェン「悲愴」が出版された(1799年)あたりだ。足で踏むペダルはなく、代わりに取り付けられた膝レーバーについての写真付き解説はこちら

モーツァルトの初期のソナタは踊るような演奏で、コロコロ転がってゆく。優しい場面が一転し、力強い音楽に。表現の幅がある。

ベートーヴェンには畳み掛けるような切迫感が感じられた。またフォルテピアノは時折、鐘のように響く弦の金属的共鳴音が聴こえてきて面白い。

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2016年5月25日 (水)

ザ・フェニックスホールでフランソワ・クープランを聴く

5月18日、ザ・フェニックスホールへ。

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アンサンブル・レ・フィギュールを聴く。パリ在住の音楽家たちで結成された古楽グループで、メンバーは高橋三千子(ソプラノ)、榎田摩耶(バロック・ヴァイオリン)、原澄子(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、石橋輝樹(フラウト・トラヴェルソ)、會田賢寿(チェンバロ)の5人。曲目は、

  • F. クープラン:前奏曲第1番 クラヴサン奏法より
  • 同:11詩「私は苦しみに憔悴し」4つのモテより
  • 同:前奏曲第8番 クラヴサン奏法より
  • 同:「ソナード」諸国の人々 フランス人より
  • 同:前奏曲第5番 クラヴサン奏法より
  • 同:「わが心の甘い絆」エール・ド・クールより
  • 同:前奏曲「厳かに」 ヴィオル曲集 第2組曲より
    (枯れ葉を連想させる、鄙びた雰囲気)
  • 同:「波」 クラヴサン曲集第1巻 第5オルドル
    (華麗で気品に満ちている)
  • 同:「パルナソス山に導かれるリュリ」リュリ讃より
    (澄んだ青空、爽やかな微風を連想させる)
  • リュリ:「シャコンヌ」王の眠りのための音楽より
  • ランベール:「あなたの蔑みは」エール・ド・クールより
  • 同:前奏曲第3番 クラヴサン奏法より
  • 同:「リュリからアポロンへの謝辞」リュリ讃より
  • 同:「リュリとフランスのミューズたち、コレッリとイタリアのミューズたち」リュリ讃より
  • 同:「楽園シャンゼリゼで音楽の精霊たちと合奏するリュリ」
    リュリ讃より
  • ランベール:「愛する人の影」エール・ド・クールより
  • F. クープラン:「無題」「アルマンド」
    趣味の融合または新しいコンセール第6番より
  • 同:「神秘的な障壁」クラヴサン曲集第2巻 第6オルドル
  • 同:「悪魔のアリア」趣味の融合または新しいコンセール第6番より
    (ピッコロ+太鼓あり)
  • 同:「どうか私に言わないで」エール・ド・クールより
  • 同:「魅力」趣味の融合または新しいコンセール第9番 愛の肖像より
  • 同:12詩「あなたの熱い言葉は崇められ」4つのモテより
  • 同:13詩「私は幼く、蔑まれる者」4つのモテより
  • 同:「活気」趣味の融合または新しいコンセール第9番 愛の肖像より
  • 同:「アンジェリック」クラヴサン曲集第1巻 第5オルドル
    (ガンバと共に。木枯しの寂しさ)
  • 同:12詩「真実は大地から芽吹き、正義は天から見下ろす」
    7つのモテより
  • 同:「シャコンヌ」諸国の人々 神聖ローマ帝国の人より
  • 同:前奏曲第1番 クラヴサン奏法より

アンコールは以下の通り。
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フランス・バロック(古典フランス)音楽の作曲家で、僕が最も愛するのがフランソワ・クープランとジャン=マリー・ルクレールなので、クープランの音楽がたっぷり聴けて大満足。典雅な気分を満喫した。

またクープランの音楽はリュリに代表されるフランスの優雅さと、コレッリに見られるイタリアの明るさを融合したものだということが良く判った。演奏の質も上等だった。

クラシック音楽ファンの数はそもそも少ない。中でも古楽愛好家なんか、恐らく全体の1%にも満たないだろう。だからはっきり言って古楽をやっていても客は入らないし儲からない。陽は当たらず、一生貧乏暮しだ。そんな茨の道を敢えて歩く、才能ある日本の若者がこれだけいるということは実に頼もしく、嬉しいことだ。是非また聴きたい。彼らに幸あれ!

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2016年3月 9日 (水)

シリーズ【大指揮者列伝】音楽の革命家ニコラウス・アーノンクールの偉業を讃えて

2016年3月5日に指揮者のニコラウス・アーノンクールが亡くなった。享年86歳だった。彼が引退を表明したのは昨年12月5日。直筆で「聴衆のみなさまへ。私の身体の力が及ばないため、今後の計画を断念いたします」「舞台に立つ私たちと会場のお客様の間には特別の深い関係が生まれました。私たちは共に幸せな発見をして来ました」とメッセージが綴られていた。それから丁度3ヶ月。僕は宮﨑駿(脚本・監督)映画「風立ちぬ」のヒロイン・菜穂子のことを想い出した。菜穂子は自分の死期が近いと悟ると堀越二郎の元を離れ、サナトリウム(富士見高原療養所@長野県)にひとりで戻り、ひっそりと息を引き取る。真に美しい最後であった。

アーノンクールってどんな人?と尋ねられたとしよう。一言で言うなら「古楽器演奏のパイオニアのひとり」であり、「モダン・オーケストラによるピリオド・アプローチ(ピリオド奏法)の創始者」である。彼はクラシック音楽界に革命をもたらした。

アーノンクールはドイツのベルリンで生まれ、オーストリア南部グラーツで育った。ウィーン交響楽団のチェロ奏者として活躍し、53年にウィーン交響楽団のメンバーで「ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス」を結成(ヴァイオリン奏者の妻アリスも参加)、初の公開コンサートは1957年に行われた。

彼は第21回京都賞の受賞スピーチで次のように回想している。「1954年にパウル・ヒンデミットがウィーンでモンテヴェルディの『オルフェオ』を上演しました。コンツェントゥス・ムジクスの弦楽器奏者は全員、楽器を総動員して参加しました。これが私とモンテヴェルディとの最初の出会いでした」ピリオド楽器による世界初録音であり、現在はCDで入手出来る。

ベルギーでレオンハルトとクイケン兄弟がラ・プティット・バンドを創設したのは1972年である。イギリスでデヴィッド・マンロウとクリストファー・ホグウッドがロンドン古楽コンソートを創設したのが1967年(マンロウが33歳の若さで急逝した76年に解散)、ホグウッドがエンシェント室内管弦楽団を創設したのが1973年、ピノックがイングリッシュ・コンソートを創設したのも同年。ノリントンがロンドン・クラシカル・プレイヤーズを、ガーディナーがイングリッシュ・バロック・ソロイツを創設したのが1978年である。またオランダに目を転じると、トン・コープマンがアムステルダム・バロック管弦楽団を創設したのが1979年、ブリュッヘンが18世紀オーケストラを創設したのが1981年だった。

つまりウィーン・コンツェントゥス・ムジクスは世界最古の古楽器オーケストラであると言っても過言ではない。

それまでどこかの貴族の家に眠っていたピリオド(古)楽器をひとつひとつ譲ってもらい、これらの楽器の演奏方法(当時は誰も知らなかった)を研究していく、という途方もない作業を繰り返した。オークションに出品された楽器を競り落とすこともあったという。

アーノンクールは1969年までウィーン交響楽団のチェリストとして務めた。つまりウィーン・コンツェントゥス・ムジクス創設から16年間、二足の草鞋を履いていたわけだ。

1962年に録音されたヘンデル/リコーダー・ソナタ集ではアンナー・ビルスマ(チェロ)も、フランソワ・ブリュッヘン(リコーダー)もモダン楽器を使用している。ブリュッヘンはフツーにヴィブラートを掛けており、この時代には未だ古楽器奏法は手探り状態だったようだ(ビルスマは1962-68年までアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席奏者だった)。これが69年に録音されたトリオ・ソナタになるとブリュッヘンにアリス・アーノンクール(ヴァイオリン)、ニコラウス・アーノンクール(チェロ)が加わり、全員古楽器になっているので60年代に奏法がほぼ確立されたと考えて間違いない。

僕がアーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの演奏を初めて聴いたのはヴィヴァルディの「四季」である。独奏はアリス・アーノンクール。76-77年の録音で、《衝撃の四季!》のキャッチコピーとともに「レコード芸術」誌で広告を見かけたのが小学校6年生の頃だった。あまりにも革新的だったので、当然推薦盤にはならなかった(今では信じられないだろうが、カルロス・クライバー/ウィーンpo.のベートーベン:交響曲第7番も無印だった。時代が彼らに追いつくためには時間を要したのである)。

僕が初めてクラシック音楽を好きになったのは小学校4年生の時、母が所有していた「四季」のLPレコードを聴いたのが切っ掛けだった。演奏はフェリックス・アーヨ/イ・ムジチ合奏団。59年のステレオ録音である。当時は「四季」といえばイ・ムジチで、クラシック・レコードの月間売上げランキングでも常にロベルト・ミケルッチ/イ・ムジチ(69年録音)のLPがトップを独走していた。そもそも現代ではヒットチャート・トップテンに「四季」が入ることもないよね。70年代は空前のブルックナー/マーラー・ブームが到来する前夜であった。閑話休題。

アーノンクールの「四季」を聴いて、天地がひっくり返った。特に激烈なインパクトだったのが雨の降る情景を描いた「冬」第2楽章である。アーノンクールの演奏時間は1分14秒。僕が慣れ親しんできたイ・ムジチの演奏は2分40秒。なんと倍以上の速さだったのである!とても同じ曲だとは信じられなかった。通奏低音もイ・ムジチがチェンバロであったのに対し、アーノンクール盤はポジティフ・オルガン。「こんなのあり!?」の驚きから、「音楽って自由なんだ!」という開眼へ。それは正にElectric Liberation =電気的啓示であった。僕は声を出して笑った。

今日ではイ・ムジチの「四季」を聴くクラヲタなんかいない。彼らの存在は最早、冗談のネタでしかない。その後に登場したビオンディ/エウローパ・ガランテやカルミニョーラ/ヴェニス・バロック・オーケストラ、アントニーニ/イル・ジャルディーノ・アルモニコといった古楽器による新鮮な「四季」もアーノンクールなくしてはあり得なかったと断言出来る。全ては彼から始まったのである。

しかし晩年の成熟し落ち着いた解釈と比べると、70年代の「四季」は攻撃的で硬い演奏という印象が拭えない。肩に力が入っているのだ。あの時代のアーノンクールは古楽器演奏に対する世間の偏見と戦い、目の前に立ちはだかる壁を何としても突破してやる!という激しい闘争心に燃え、完全武装していたということなのだろう。彼がこの曲を再録音しなかったことが惜しまれる。

1980年代に入るとアーノンクールの新たな挑戦が始まった。モダン・オーケストラに古楽器奏法を取り入れるピリオド・アプローチの試みである。まずは名門ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を起用してモーツァルトやハイドンの交響曲をレコーディングした。弦楽器はノン・ヴィブラートで弾き、トランペットはピストン/バルブのないナチュラル管を用いるという方法論が確立された。

1990年にヨーロッパ室内管弦楽団と録音したベートーヴェンの交響曲全集にアーノンクールは次のようなコメントを残している。

私たちの録音の中で、ナチュラル・トランペットだけが歴史的な響きを持っています。理由は、トランペットは単なる楽器であるだけでなく、ある種のシンボルでもあって、全てのファンファーレ動機音型があるひとつの響きを要求するものであるからです。もし仮にモダン・トランペットで「高らかに鳴り響く」音を要求された場合、それは大きすぎる音量で演奏されることになります。それを正しい音量で演奏すると今度はファンファーレとしての性格が失われてしまいます。 ナチュラル・トランペットを使えばこうした問題は起きないのです。

ピリオド・アプローチ革命をオランダから開始したということには非常に意味がある。彼の国は古楽のメッカであり、アンナー・ビルスマがいてアムステルダム・バロック管弦楽団や18世紀オーケストラがあった。ハーグ王立音楽院には古楽科があった(日本からは寺神戸亮、若松夏美、鈴木秀美、有田正広らが留学)。つまりピリオド・アプローチを受け入れ易い土壌があったのである。

アーノンクールが初めてウィーン・フィルを指揮したのが1993年、ベルリン・フィルとの初顔合わせは1995年であった。ベルリン・フィルと良好な関係が持てたのは帝王カラヤンが89年に亡くなり、90年からシェフがクラウディオ・アバドに交代したことが大きい。また93年から98年までコンサートマスターを務めたライナー・クスマウル(現ベルリン・バロック・ゾリステン芸術監督)の指導下にベルリン・フィルはバロック・ボウ(弓)を揃え、オーケストラぐるみでそれがもたらす演奏効果を学んだ。

アーノンクールの手法をいち早く取り入れた指揮者たちがいた。チャールズ・マッケラス、デイヴィッド・ジンマン、クラウディオ・アバド、サイモン・ラトルらである。バーヴォ・ヤルヴィ、ダニエル・ハーディング、フランソワ=グザヴィエ・ロトらが後に続いた。またブリュッヘン、ホグウッド、ノリントンら古楽の世界の住人たちもモダン・オーケストラに進出していった。

アーノンクールがヨーロッパ室内管弦楽団とベートーヴェン・チクルスに取り組んでいる時、アバドはコンサート会場に足を運んで熱心に研究した。アバドがウィーン・フィルとレコーディングしたベートーヴェン交響曲全集(85-88)とベルリン・フィルとの全集(99−00)とを聴き比べてみて欲しい。あるいはロンドン交響楽団と録音したペルゴレージ:スターバト・マーテル(84)と、モーツァルト管弦楽団との再録音(07)でもいい。演奏スタイルの豹変に誰もが驚くであろう。つまりピリオド・アプローチを取り入れ、オケが小編成になっているのである。

アーノンクールは2001年と03年の2回、ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートに登壇した。遂に彼は世界を手中に収めたのである。レパートリーもシューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、スメタナ、ドヴォルザーク、ブルックナー、そしてガーシュウィン(!!)と広げていった。どうやらマーラーはお気に召さなかったようだ。

アーノンクールの実演を聴いたのは2006年11月、大阪・いずみホールでのモーツァルト:レクイエム。手兵ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを率いての公演だった。これが最初で最後である。しかしあろうことか演奏中に携帯電話がホールに鳴り響いた!本当に申し訳ない気持ちになった(もちろん僕が発信源じゃないよ、念のため)。

僕が今、一番聴きたい音源は2000年にウィーン・フィルとレコーディングしたフランツ・シュミット:オラトリオ「7つの封印の書」(1938年初演)。WARNER TELDECからCDが発売されたが、現在は廃盤。ナクソス・ミュージック・ライブラリー NMLなどの音楽配信もされていない。関係者各位、何とか状況を改善してください。お願いします。

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2016年2月24日 (水)

ロレンツォ・ギエルミ/ポジティフ・オルガン&チェンバロ・リサイタル with 平崎真弓

2月14日(日)兵庫県立芸術文化センター小ホールへ。

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イタリアの鍵盤奏者ロレンツォ・ギエルミのオルガンは以前2回いずみホールで聴いている。2009年のレビューと、2012年のレビュー。平崎真弓はミュンヘン国立音楽大学でバロック・ヴァイオリンを学びブルージュ国際古楽コンクールのバロック・ヴァイオリン部門で3位となった。現在はコンチェルト・ケルンのコンサート・ミストレスを務める。曲目は、

  • ヴィヴァルディ:ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ニ短調 op.2-3 RV14
  • J.S.バッハ:協奏曲 ニ短調 BWV974(原曲A.マルチェロ:オーボエ協奏曲)
    【オルガン・ソロ】
  • パスクイーニ:かっこうの歌によるトッカータ【オルガン・ソロ】
  • コレッリ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ「ラ・フォリア」
  • J.S.バッハ:ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ト長調 BWV1021
  • J.S.バッハ:イタリア協奏曲【オルガン・ソロ】
  • J.S.バッハ:ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ホ短調 BWV1023
  • コレッリ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ op.5-3より
    第5楽章 アレグロ(アンコール)
  • J.S.バッハ:管弦楽組曲 第3番よりアリア(アンコール)

ヴィヴァルディの通奏低音はポジティフ・オルガン、バッハの2曲はチェンバロが使用された。

ヴィヴァルディは優美。「かっこうの歌によるトッカータ」は可愛らしい音色で朴訥で典雅、軽やかな演奏だった。足ペダルの使用なし。

コレッリのヴァイオリンは激しく技巧的。嵐を感じさせた。

大バッハのソナタには凛とした美しさがあった。

アンコールで弾かれたG線上のアリアは、ほぼノン・ヴィブラートなので透明感があった。平崎真弓は初めて聴いたが、優れた古楽奏者だった。

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2016年1月22日 (金)

J.S.バッハ・オルガン作品全曲演奏会vol.8

いずみホールへ。

ヴォルフガング・リュプザムのオルガン独奏で、オールJ.S.バッハ・プログラム。

  • 前奏曲とフーガ ハ短調 BWV546
  • シュプラー・コラール集
    目覚めよ、とわれらに呼ばわる物見らの声 BWV645
    われはいずこに逃れゆくべき BWV646
    ただ神の御旨に従う者は BWV647
    わが魂は主をあがめ BWV648
    ああ、われらとともに留まりたまえ、主イエス・キリストよ BWV649
    イエスよ、汝いまぞ御空から下りたまい BWV650
  • 18のコラールから
    主イエス・キリストよ、われらを顧みて BWV655
    おお、神の小羊、罪なくして BWV656
  • 2つの単独コラール
    主キリスト、神のひとり子 BWV698
    神の子は来たりたまえり BWV724
  • 18のコラールから3つのグローリア・コラール
    いと高きところには神にのみ栄光あれ BWV662
    いと高きところには神にのみ栄光あれ BWV663
    いと高きところには神にのみ栄光あれ BWV664
  • 3つの単独コラール
    われは汝に依り頼む、主よ BWV712
    讃美を受けたまえ、汝イエス・キリストよ BWV697
    讃美を受けたまえ、汝イエス・キリストよ BWV722
  • 前奏曲とフーガ ハ短調 BWV545
  • パストラーレ ヘ長調 BWV590 より 第2楽章(アンコール)
  • 永遠の父なる神よ(キリエ) BWV672 (アンコール)

リュプザムは初来日だという。大層達者なオルガン奏者でちょっとびっくりだが、やはり日本にはオルガン・リサイタルをホールで聴くという習慣がないので、招聘元(民間のプロモーター)も二の足を踏むのだろう。教会だと収容人数が少なく採算が取れないし。リュプザムは盲目のオルガニスト、ヘルムート・ヴァルヒャとマリー=クレール・アランに師事した。マリー=クレールはタバコを吸いながらオルガンを弾くような自由奔放な女性だったという。

何と彼は暗譜でオルガンを弾いた。今までこのシリーズでは一度もなかったことである。これはヴァルヒャからの影響だという。ただ偽作の可能性があるという2曲のみ譜面を見ながら弾いていたので可笑しかった。

リュプザムによるとオルガンは非常に機械的な楽器なので、如何に歌わせるかが重要だという。バッハのコラールには素朴な信仰心があり、時に壮麗で、魂が浄化されるようだった。あとアンコールで演奏された「永遠の父なる神よ(キリエ)」が格調高くすごく良くて、深い感銘を受けた。

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2016年1月14日 (木)

イザベル・ファウスト/無伴奏ヴァイオリン・リサイタル

1月13日(木)京都・青山音楽記念館バロックザールへ。

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イザベル・ファウストのヴァイオリンで、オール J.S.バッハ・プログラム。

  • 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第3番
  • 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第1番
  • 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番
  • 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第3番よりラルゴ(アンコール)

このホールは初めて訪れたのだが、とても小さくて驚いた。横20席×10列=たった200席!兵庫県立芸術文化センター小ホールが417席だから半分以下。ザ・フェニックスホール@大阪市が301席である。なんという贅沢な空間だろう!勿論、満席。

ファウストの使用楽器は1704年製のストラディヴァリウス「スリーピング・ビューティ」。これをバロック・ボウ(弓)で弾く。モダン・ボウより短く、ボウイング(運弓)も変わってくる。勿論、ヴィブラートを抑えたピリオド奏法である。

ちなみに現代ではバッハをピリオド・アプローチで弾くのは常識になっている。例えば名盤として名高いギドン・クレーメルがソナタ&パルティータ全曲をフィリップスに録音した1980年の旧盤はふつーにヴィブラートをかけていたが、20年後の2001-2年に録音したECMの新盤ではヴィブラートは極力抑制されている。完全にスタイルが違う。

昨年は五嶋みどりが弾く禁欲的なソナタ&パルティータのCDが発売されたが、これもほぼノン・ヴィブラートだった。彼女はライナーノーツの中で「何年にもわたって、私はバロックスタイルの奏法に惹かれてきました」と書いている。

さて、ファウストの演奏はしなやかで気品に満ちていた。装飾的に用いられる繊細なヴィブラートは「かそけき(幽かな)」雰囲気。緩-急-緩-急で構成されるソナタの「急」の楽章は軽やかで、肩の力が抜けた印象。クレーメルの「激しく」「厳しい」演奏に対してファウストは「孤高」。女性らしいしっとりとした潤いがあり、音楽の息吹が感じられた。

僕が五嶋みどりのCDから受けた印象は「諦念」と「寂寞」だった。それは尼僧のイメージに繋がり、例えば藤沢周平の小説「蝉しぐれ」で最後に出家するヒロイン・お福とか、佐々木守(脚本)・実相寺昭雄(監督)の「怪奇大作戦 京都買います」に登場する《仏像を愛した女》美弥子、あるいは瀬戸内寂聴のことを想起させた。一方、ファウストのバッハはむしろ《バージン・クイーン》エリザベス1世のような芯の強さがあった。「パルティータ 第2番」クライマックスのシャコンヌはまるで急流下りのよう。どんどん風景が変わっていって、一気呵成に終止符に到達する。その後長い、水を打ったような沈黙が会場を包む。聴衆は彼女が弓を下ろすまで固唾を呑んで見守った。

クレーメルファウスト五嶋みどり。三者三様で全く性質の異なる音楽を創り出しているのだが、いずれも紛れもなくバッハであり、掛け替えのない未来への遺産である。ぜひ聴き比べてみてください。

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