古楽の愉しみ

2021年4月 6日 (火)

決定版!フルートの名曲・名盤 20選

僕は中学生の頃からフルートを吹いていた。高校まで吹奏楽部に入部していたし、社会人吹奏楽団にも数年間所属していた。だからある程度この楽器には精通しているつもりである。

フルートは木管楽器とされる。いや、でもちょっと待って!モダン・フルートの素材は金・銀・プラチナなどである(値段によって異なる)。実質的に現在は金管楽器なのだ。しかし歴史を遡ると、フラウト・トラヴェルソと呼ばれていた時代は正真正銘木製だった。1831年から1847年の間にドイツ人テオバルト・ベームにより開発されたベーム式楽器の登場で金属製に変わったのである。それはフルートの機械化であり、「サイボーグ化」と評した日本の某バロック・チェロ奏者もいる。フラウト・トラヴェルソ(バロック・フルート)時代は音階を作るために開けられた穴を(リコーダーのように)指で直接塞いでいたが、ベーム式では穴が大きくなり、可動式の蓋で覆うカバードキーが主流になった(詳しくはこちら)。この改良により、楽器の音が大きくなった。つまり教会や王宮の間、サロンといった小さな空間から、数千人を収容できるコンサートホールでの演奏が可能になったのである。ベーム式が生まれていなければ、軍楽隊やマーチングバンドなど屋外でフルートが活躍することは難しかっただろう。

フラウト・トラヴェルソは「横笛」を意味する。〈トラヴェルソ=横〉であり、英語ではtraverse。縦笛のリコーダーと対立する概念であり、フラウト・トラヴェルソ時代の音色はリコーダーにかなり近かった。だからバロック期のフルートのための楽曲は、しばしばリコーダーでも演奏される。例えばフランス・ブリュッヘンによる『ヴィヴァルディ:フルート協奏曲集』の録音はリコーダーによるもの。しかしリコーダーは大きな音が出ないので、ハイドンやモーツァルトなど古典派の時代以降衰退した。その過渡期を象徴する名曲が『テレマン:リコーダーとフルートのための協奏曲 ホ短調 TWV 52:e1』である。リコーダーの黄昏と、新しい楽器フルートの台頭が音楽の中でせめぎ合っている。

20世紀前半、フラウト・トラヴェルソ奏者はとっくに絶滅していた。フランス・ブリュッヘン、アンナー・ビルスマ(チェロ)らが古楽器を用いてピリオド・アプローチ(時代奏法)に取り組み始めたのは1960年代のことである。その復興運動にクイケン三兄弟(長男ヴィーラント:ヴィオラ・ダ・ガンバ、次男シギスヴァルト:ヴァイオリン、三男バルトルド:フルート)が加わり、1972年にラ・プティット・バンドを結成した。

ブリュッヘンは当初リコーダー奏者としてキャリアをスタートさせ、途中からフラウト・トラヴェルソ奏者としての腕を磨いた。しかし1981年に18世紀オーケストラを結成し指揮者に転向して以降はフラウト・トラヴェルソを吹くことがなくなり、彼が所有していた楽器の殆どを有田正広に譲渡した。バルトルド・クイケンはハーグ音楽院でフランツ・ヴェスターにフラウト・トラヴェルソを、ブリュッヘンにリコーダーを学んだ。 有田正広は1973年にオランダに留学し、フラウト・トラヴェルソをバルトルド・クイケンに師事した。ただし有田とバルトルドはどちらも1949年生まれ、同い年である。そして有田の教え子がバッハ・コレギウム・ジャパンの前田りり子や菅きよみ。つまりバロック・フルート奏者の第1世代がブリュッヘン、第2世代が有田とバルトルド、第3世代が前田や菅ということになる。

さて、これから紹介する楽曲の音源の良し悪しを見定める方法を指南しよう。バロック時代からモーツァルトまではモダン・フルートではなく、フラウト・トラヴェルソによる演奏をお勧めする。有田正広かバルトルド・クイケンが吹いているものは間違いなし。太鼓判を押せる。但し、モダン楽器でもベルリン・フィル首席奏者エマニュエル・パユの演奏なら文句なく素晴らしい。彼は古楽をノン・ヴィブラートで吹くなどピリオド(時代)・アプローチに長けている。また協奏曲では古楽器オーケストラと共演している。

ロマン派(ライネッケ)以降の作品ならエマニュエル・パユ、マチュー・デュフォー、シャロン・べザリー、オーレル・ニコレ、ジャン=ピエール・ランパル、パトリック・ガロワ、工藤重典らの演奏を推す。

パユの凄さは弱音の美しさにある。彼は吹く息を100%音に変換出来る類稀な能力を持っている。何はさておき彼の演奏を聴いて欲しい。

マチュー・デュフォーはかつてシカゴ交響楽団の首席奏者としてブイブイ言わせていた。2009年にグスターヴォ・ドゥダメルがロサンゼルス・フィルの音楽監督に就任するとデュダメルに懇願されロス・フィル首席奏者を兼任。2015年9月からはベルリン・フィル首席としてパユと共に活躍している。

シャロン・べザリーはイスラエル生まれのフルート奏者。彼女は12歳のときからムラマツのフルートを愛用しており、現在はムラマツ特製24Kゴールドを吹いている(詳しくはこちら)。

なお、僕は有田正広、バルトルド・クイケン、エマニュエル・パユ、マチュー・デュフォー、工藤重典の生演奏をコンサートホールで聴いたことがある。

まず手始めに、有田正広の『パンの笛〜フルート、その音楽と楽器の400年の旅』(2CD)からどうぞ。音楽配信サービスSpotifyでも聴けます。

Arita

ルネサンス期から現代音楽まで、作曲された時代に合った13本にのぼるフルートで演奏している。こんな芸当が出来るのは世界広しといえど、有田ただ一人ろう。伴奏楽器もイタリアンとフレンチのチェンバロ、フォルテピアノ、ピアノ(エラール)と使い分けている。特にF.クープラン作曲『恋のうぐいす』に注目!古(いにしえ)よりフラウト・トラヴェルソは鳥の声を模す楽器として使われた。その伝統はベートーヴェンの交響曲第6番『田園』第2楽章や、20世紀にプロコフィエフが作曲した交響的物語『ピーターと狼』にも引き継がれている。

ではフルートの名曲ベスト20を、ほぼ作曲された年代順に挙げていこう。

オトテール:(フルート・トランヴェルシェールとバッソ・コンティヌオのための)組曲第3番 ト長調 作品2の3 
・F.クープラン:王宮のコンセール第4番 
・J.S.バッハ:フルート・ソナタ ロ短調 BWV 1030 
・ルクレール:フルート・ソナタ ホ短調 Op.2 No.1 
・ヴィヴァルディ:フルート協奏曲「夜」「ごしきひわ」 
・ブラヴェ:フルート・ソナタ ニ短調 Op.2 No.2「ラ・ヴィブレ」
・テレマン:(無伴奏フルートのための)12のファンタジア 
・ラモー:コンセール用クラヴサン曲集からコンセール第5番 
・C.P.E.バッハ:フルート協奏曲 ニ短調 Wq.22
・モーツァルト:フルート四重奏曲 第1番
・ライネッケ:フルート・ソナタ「ウンディーネ」
・ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲 
・フォーレ:劇付随音楽「ペリアスとメリザンド」よりシシリエンヌ 
・ラヴェル:序奏とアレグロ 
・イベール:フルート協奏曲
・ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲(ジャン=ピエール・ランパル編)
・プロコフィエフ:フルート・ソナタ 
・プーランク:フルート・ソナタ
・ピアソラ:タンゴの歴史 
・武満徹:ウォーター・ドリーミング

バロック期のイタリアの作曲家、ヴィヴァルディやコレッリ、タルティーニはヴァイオリンを主体とする楽曲が多い。その一方、フランスの作曲家は相対的にフルートを使った楽曲が目立つ。イタリアは昔からヴァイオリン製作の伝統があり、ストラディバリ父子、グァルネリ一族、アマティ一族といった優秀な楽器製作者たちを輩出した。一方、有名なフルート奏者は大抵がフランス人かスイス人(フランス語圏)である。エマニュエル・パユとオーレル・ニコレ、ペーター=ルーカス・グラーフはスイス出身、マチュー・デュフォー、ジャン=ピエール・ランパル、パトリック・ガロワ、マクサンス・ラリューらはフランス人である。

ジャック・オトテールはフランス盛期バロック音楽の作曲家でありフルート奏者。管楽器職人の家庭に生まれた生粋のパリジャンである。彼は沢山のフルートのための音楽を作曲し、フラウト・トラヴェルソ(楽器)の改良にも貢献した。1708年に出版された組曲 第3番は6曲から成り、〈サン・クルーの滝/ラ・ギモン/無関心な人/嘆き/かわいい子/イタリア女〉という副題が付いている。

フランソワ・クープランはオルガニスト、クラヴサン奏者としてルイ14世に仕えた。フランス印象派のモーリス・ラヴェルが作曲した『クープランの墓』(ピアノ独奏曲、後に管弦楽版に編曲された)はクープランが活躍した時代に思いを馳せた作品である。『王宮のコンセール』に楽器の指定はない。様々な種類の楽器を組み合わせた編成で録音されている。例えばオーボエ、チェンバロ、ヴィオラ・ダ・ガンバ。あるいはオーボエ、チェンバロ、ファゴット。チェンバロとヴィオラ・ダ・ガンバのみというのもある。1714-15年にヴェルサイユ宮殿で日曜に行われていた演奏会ではクープラン自身がチェンバロを弾いて、他にヴァイオリン、オーボエ、フルートといった面々で演奏された。因みにコンセールとはバロック音楽におけるフランス式の管弦楽組曲を指す。お勧めの音源はサヴァール/コンセール・ド・ナシオン。工藤重典(フルート)とリチャード・シゲール(チェンバロ)の演奏も好い。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハのロ短調ソナタは1717年から1723年、ケーテンの宮廷楽長だった頃の作品だろうと言われている。大バッハの音楽にはゴシック建築のような堅固さ、数学的緻密さがある。そして音符が規則正しく動く楽譜自体が美しい。まるで幾何学模様だ。凛とした佇まいの楽曲。

ルクレールのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集

    第Ⅰ巻:作品1(12曲) 第Ⅱ巻:作品2(12曲) 第Ⅲ巻:作品5(12曲) 第Ⅳ巻:作品9(12曲) 

のうち、9曲が楽譜に「フルートでも演奏可能」と指示されており、フルート・ソナタとして知られている。雅(みやび)で上品、そして、そこはかとなく哀しい。ルクレールはルイ15世より王室付き音楽教師に任命されるが、地位をめぐる内部抗争で辞任、ハーグの宮廷楽長となった。しかし晩年は貧民街に隠れ住むようになり、惨殺死体となって発見されるという劇的最後を遂げる。犯人は未だ不明。なんともミステリアスだ。

「疾風怒濤」といえばドイツ語のSturm und Drang(シュトルム・ウント・ドラング)の訳語で、十八世紀後半のドイツの文学運動を指す。だから「疾風怒濤の音楽」といえばハイドンの中期交響曲(26番-59番)やC.P.E.バッハの独壇場なのだが、僕はイタリアの作曲家ヴィヴァルディの音楽も疾風怒濤という表現が当てはまるように思う。フルート協奏曲『海の嵐』『ごしきひわ』『夜』等にもその感じが良く出ている。『ごしきひわ』はタイトル通り、鳥の鳴き声を模倣している。

ミシェル・ブラヴェはルイ15世時代に宮廷などで活躍したフルート奏者・作曲家。1732年に出版された作品2のソナタ集はフランス様式とイタリア様式を融合させるという考えの基に作曲された。Op.2,No.2 "La Vibray"はフランス語で振動や声や音の反響や、心の震え・揺さぶりなどを表す。快活で清涼。爽やかな一陣の風が吹き抜けるよう。愁いを湛えたOp.2,No.4『ルマーニュ』や、1740年に出版された作品3の第2番、第3番、第6番も好い。“ギャラント”(華麗な、優美な)様式が押し進められ、楽章数が少なくなり、より近代的になっている。

テレマンのファンタジー(幻想曲)は12の異なる調性が用いられており、無伴奏というのが野心的で、遊び心がある作品。J.S.バッハのイ短調パルティータ、次男C.P.E.バッハのイ短調ソナタと並んで、18世紀の無伴奏フルート独奏曲三大傑作の一つ。ある意味宇宙的広がりを感じさせる。

ラモーの『コンセールによるクラヴサン曲集』はヴァイオリン+ヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)+クラヴサン(チェンバロ)あるいは、フルート+ヴァイオリン+ヴィオラ・ダ・ガンバ+クラヴサンという編成による合奏曲集。クラヴサンのパートを伴奏(通奏低音)としてではなく、独立した声部として扱った最初期の作品のひとつとされる。ルイ15世(1715-74在位)時代ののロココ趣味を反映した華やかな世界を堪能されたし。有田正広のCDが代表盤だが、バルトルド・クイケンやランパルの録音もある。なおクラヴサンはフランス語で、ドイツ語とイタリア語がチェンバロ、英語ではハープシコードとなる。

C.P.E.バッハはJ.S.バッハの次男。先に書いたように彼の音楽的特徴は「疾風怒濤」であり、その資質はハイドンに受け継がれた。無伴奏ソナタも傑作なのだが、ここは荒れ狂い躍動感に満ち溢れたニ短調の協奏曲を推す。独奏者とオーケストラの丁々発止のやりとりを堪能して頂きたい。

天衣無縫の作曲家モーツァルト。フルートとハープのための協奏曲も好いのだが、ここは意外と知られていない名曲、フルート四重奏曲 第1番を推す。清涼感があり、癒やされる。

ライネッケはドイツ・ロマン派の作曲家。1824年生まれなのでブラームスより9歳年長である。フルート・ソナタ『ウンディーネ』は1881年の作品。ウンディーネは水の精霊。事前にフリードリヒ・フーケの同名小説か、ジロドゥの戯曲『オンディーヌ』を読まれておくと、曲を聴きながらイメージが湧くだろう。そしてこの幻想的雰囲気は『ペレアスとメリザンド』に継承されていく。

ドビュッシーは無伴奏フルート作品『シランクス』を取り上げるべきかも知れない。元々は劇の付随音楽で当初『パンの笛』と名付けられていた。で管弦楽曲『牧神の午後への前奏曲』の牧神=パンであり、やはりフルート・ソロがパンの笛の役割を果たしている。幻想的で美しい曲だ。

フォーレの有名なシシリエンヌはメーテルリンクが書いた戯曲『ペレアスとメリザンド』の付随音楽である。劇は1893年にパリで初演された。フォーレの楽曲は1898年のロンドン公演(英語上演)で初披露となった。『ペレアスとメリザンド』はシベリウスも劇付随音楽を作曲しており、ドビュッシーによるオペラ版、シェーンベルクによる交響詩もあるので、聴き比べてみるのも一興だろう。

ラヴェル『序奏とアレグロ』はハープとフルート、クラリネットおよび弦楽四重奏のための七重奏曲。エラール社のダブル・アクション方式ペダルつきハープの普及のために同社より依嘱された作品なので、言わずもがなハープが大活躍する。しかしフルートも大変印象的な、珠玉の室内楽曲である。

イベールのフルート協奏曲は1934年に初演された。20世紀に生み出されたこのジャンルの最高傑作である。一言で評すなら軽妙洒脱。

ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲は1940年にダヴィッド・オイストラフの独奏で初演された。後にジャン=ピエール・ランパルがハチャトゥリアンにフルート協奏曲の作曲を依頼したところ高齢のため(当時65歳)新作は断ったものの、ヴァイオリン協奏曲の編曲を提案した。そこでランパルはフルートで吹くのは不可能な部分(低音や重音)を直して1968年に初演した。だからオリジナル作品ではないが、作曲家の「お墨付き」を得たアレンジである。英語では"edited by Jean-Pierre Rampal"と表記されている場合もあるので、「ランパル編集」の方が相応しいかも知れない。実は以前企画した記事〈決定版!ヴァイオリンの名曲・名盤 20選〉に大好きなこの曲を入れ損なったので、この機会に罪滅ぼしをしたい。ハチャトゥリアンはアルメニア人。バレエ音楽『ガイーヌ』の“剣の舞”や、浅田真央がフィギュアスケートのショート・プログラムで使用した劇音楽『仮面舞踏会』の“ワルツ”が有名。地方色豊かな作曲家である。

プロコフィエフのフルート・ソナタは第二次世界大戦中、独ソ戦のため作曲家がモスクワを離れて疎開していた時期に書かれ、1943年に完成した。初演を聴いたダヴィッド・オイストラフがプロコフィエフにヴァイオリン・ソナタに改作するよう熱心に勧め、翌44年にヴァイオリン・ソナタ第2番としてオイストラフとオボーリンが初演した。

有史以来、数あるフルート・ソナタの中でエスプリの効いたプーランクのソナタこそ紛れもない最高傑作だと信じて疑わない。宝石の輝き。1957年に完成し、ジャン=ピエール・ランパルのフルート、作曲家自身のピアノで初演された。コンサートホールで行われるフルート・リサイタルで現在一番人気の曲である。村上春樹の著書によると、プーランクは「私の音楽は、私がホモ・セクシュアルであることを抜きにしては成立しない」と語っていたそうだ。

アルゼンチン・タンゴの作曲家としてのみならず、バンドネオン奏者としても超一流だったアストル・ピアソラ。『タンゴの歴史』は1982年にベルギーで開催されたリエージュ国際ギターフェスティバルにおいて初演されたフルートとギターのための二重奏曲である。第1楽章“売春宿 1900”はブエノスアイレスの場末。第2楽章“カフェ 1930”の舞台は多分パリじゃないかな。ピアソラはこの花の都に留学し、ナディア・ブーランジェに師事した。そして第3楽章が“ナイトクラブ 1960”。1960年はピアソラがそれまで活躍の拠点としてたニューヨークからブエノスアイレスに帰国し、初めてキンテートを結成した年なので、どちらかの都市のナイトクラブを想定していると思われる。この年に作曲されたのが名曲『アディオス・ノニーノ』。タンゴ・ヌーヴォの誕生である。第4楽章“現代のコンサート”で時代は(作曲された時点では近未来の)1990年に飛び、タンゴは現代音楽と入り交じる。フルートは無調と調性音楽の間を曖昧模糊として揺蕩(たゆた)い、メロディ・ラインは消失する。本作は工藤重典のフルート、福田進一のギターで1984年に東京/音楽之友社ホールで日本初演された。その会場に武満徹も聴きに来ていたという。

武満徹『ウォーター・ドリーミング』はフルートとオーケストラのための10分程度の作品で、1987年に初演された。詳しい解説は下記事に書いた(イメージを喚起する写真付き)。

作曲法を独学で物にした武満はドビュッシーから多大な影響を受けている。だから『夢見る雨』『雨の樹』『雨の庭』『雨ぞふる』『海へ』『From me flows what you call time(私から”夢”と呼ばれるものが流れ出す)』等々、水をテーマにした作品が非常に多い(一方のドビュッシーには『海』『雨の庭』『水の反映』『水の精』『小舟にて』『沈める寺』といった作品がある)。 形が定まらない曖昧な存在、ゆらぎへの親近感こそ、武満の音楽の本質であると言えるだろう。またオーレル・ニコレのために作曲された無伴奏フルート独奏曲『声(ヴォイス)』『エア』といった作品もあり、特に1995年の『エア』は遺作となった。

エマニュエル・パユがテレマン『12の幻想曲』を順に並べ、間に20世紀以降の作品を挟み込んでいくという大変ユニークなソロ・アルバムを作成しており、武満の『声』『エア』も収録されている。これ、オススメ。

Solo

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2021年3月10日 (水)

鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン「ヨハネ受難曲」@いずみホール

2月20日(土)いずみホールでJ.S. バッハ作曲『ヨハネ受難曲』を聴いた。

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演奏は鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン。独唱は松井亜希(ソプラノ)、久保法之(アルト)、櫻田 亮(エヴァンゲリスト)、谷口洋介(テノール)、加耒 徹(バス)。

当初は外国人の独唱者が4人来日する予定だったが、新型コロナウィルス感染拡大の影響で不可能となり、全員が日本人となった。クオリティの低下が危惧されたが、特に問題なく杞憂に終わった。

諦念と憂愁に彩られた『マタイ受難曲』に対して、『ヨハネ受難曲』は激しい怒りに満ちていて熱い。火の玉のようだ。そして鈴木雅明の資質にはそんな『ヨハネ』の方が似合っているのではないか、と改めて思った。なお僕は鈴木/BCJの演奏する同曲を2007年4月7日(土)に神戸松蔭女子学院大学チャペルで聴いている。

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2020年12月28日 (月)

燃ゆる女の肖像

評価:A+

Portrait

カンヌ国際映画祭で脚本賞とクィア・パルム賞を受賞した。公式サイトはこちら

クィア・パルムとは2010年に創設された賞でLGBTQをテーマにした映画に与えられる。今までにグザヴィエ・ドランの『わたしはロランス』や、トッド・ヘインズの『キャロル』などが受賞しているが、女性監督が受賞するのは本作が初めて。クィア(Queer)とは、元々は「風変わりな」「奇妙な」などを表す言葉であり、同性愛者への侮蔑語であったが、1990年代以降は性的少数者全体を包括する肯定的な意味で使われている。黒人が「ニガー(nigger)」といった差別的な用語であえて自称して、意味の転換を図って行く感じに似ている。

監督のセリーヌ・シアマは同性愛者であり、『燃ゆる女の肖像』でエロイーズを演じたアデル・エネルと暮らしていたが、映画撮影前に同棲を解消したそう。

僕は以前より、『モーリス』『ブエノスアイレス』『ウェディング・バンケット』『キャロル』『恋人たち』『ムーンライト』など名作と誉れ高いLGBTQ映画は大抵、分け隔てなく観ている。しかし正直、面白いと思ったことは殆どない。それは僕が異性愛者だからだろう。例えば『君の名前で僕を呼んで』にしろ、アカデミー監督賞を受賞したアン・リーの『ブロークバック・マウンテン』にしろ、男女の恋愛を単に男と男に置き換えただけで、「凡庸な恋愛映画じゃないか」と鼻白み、退屈してしまうのだ。しかし『燃ゆる女の肖像』はそうじゃなかった。

冒頭5分位観ていて、カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いたジェーン・カンピオンの『ピアノ・レッスン』にすごく似ているなと感じた。小舟で女が島に到着する設定、そして荒々しい波の描写が女の心のあり方を反映している点。調べてみると案の定、『ピアノ・レッスン』との類似を指摘する声が少なからずあった。男と女の性愛が、女と女に置き換えられている。

『ピアノ・レッスン』との明確な相違は、本作が〈眼差しの映画〉であること。つまり誰が誰を見ているかというのが極めて重要なのだ。

AがBを見ている。BもAを見つめる。二人は相思相愛なのかも知れないし、互いに憎しみ合っているのかも知れない(それは表情で分かる)。両者は簡単に変換可能である。

一方、AがBを見ている。しかしBはAを見ていない。この場合、AはBのことが好き。しかしBはAに無関心なのかも知れない。また逆に、BもAのことが気にかかっているのだけれど恥ずかしかったり、恋に落ちるのが怖くて意識的に目を逸らしているのかも知れない。

劇中で語られるギリシャ神話『オルフェウスとエウリュディケ』が〈眼差しの物語〉を象徴している。オルフェウスは黄泉の国に死んだ妻を取り返しに行った帰り道、「見るな」の禁を破り、振り向いて後ろからついてくる彼女を見た。彼は単なる愚か者なのか?それともそこには何か深い思慮があったのか?

このように各人の視線を追うことで、そこにダイナミックなドラマが生まれるのだ。

これを意識的に演出したのが大林宣彦監督の『廃市』と『姉妹坂』だった。各登場人物の交差する視線の先には台詞で語られる、シナリオに書かれた物語とは全く別の〈心のあや〉が紡がれていたのである。

『燃ゆる女の肖像』ではヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲『四季』の『夏』から第3楽章が劇的効果を生んでいる。正に激情。調べてみると演奏しているのは英国屈指のバロック・ヴァイオリニスト、エイドリアン・チャンドラーと、彼によって1994年に創設されたピリオド・アンサンブル、ラ・セレニッシマ。

僕の人生において最初、激烈な『四季』に脳天をぶち抜かれたのがアーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの演奏(1977)だった。その次はビオンディ(Vn.)/エウローパ・ガランデ(1991)。そして今回、第3波の衝撃(サードインパクト)に襲われた。う〜ん、最高!!

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2020年2月27日 (木)

【考察】音楽とは何か?〜J.S.バッハ・オルガン作品演奏会:小糸 恵

いずみホールとバッハ・アルヒーフ・ライプツィヒ共同企画、今回登場したオルガニストはローザンヌ高等音楽院のオルガン科教授を務める小糸 恵である。いずみホール音楽ディレクターだった礒山 雅が不慮の事故(雪で足を滑らせ転倒、頭部を強打)で亡くなったのが2018年2月22日。その2年後の命日に同ホールで演奏会が行われた。

Koito

オール・J.S.バッハ・プログラムで、

  • プレリュードとフーガ ハ長調 BWV 545
  • “いざ来ませ、異邦人の救い主” BWV 659
  • “われらが神は堅き砦” BWV 720
  • “心よりわれこがれ望む” BWV 727
  • “われはいずこにか逃れゆくべき” BWV 646
  • “来ませ、造り主なる聖霊の神よ” BWV 667
  • トリオ ト短調 BWV 584
  • プレリュードとフーガ ト短調 BWV 535
    (休憩)
  • “おお人よ、汝の大いなる罪を嘆け” BWV 622
  • プレリュード ハ短調 BWV 546/1
  • Vn.とチェンバロのためのソナタ第3番 第1楽章(小糸恵編)
  • “バビロンの流れのほとりに” BWV 653
  • トッカータとフーガ ニ短調 BWV 538(ドリア調)

アンコールは、

  • カンタータ「神の時こそ良き時」 BWV 106から
    第1曲 ソナティーナ

「神の時こそ良き時」は別名「哀悼行事」と呼ばれ、葬儀の時に演奏するものと推測されている。つまり礒山への追悼としてわざわざ選ばれた楽曲だった。

2013年3月に小糸や礒山がステージに立った、次のような講演を僕は聴いている。

小糸のオルガン演奏は色彩豊かで(音色の選択が洗練されている。特に葦笛のようなコラール!)、力強く、動的(powerful & dynamic)。腹にこたえる、ずっしりした響きがある。

バッハの音楽、特にカンタータや受難曲、オルガン曲は神への捧げ物、供物であった。貴方がキリスト教徒であるかどうかに関わらず、生で演奏されるバッハのオルガン曲は間違いなく聴衆に神秘的な「ヌミノース体験」をもたらす。それはベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタ(第30,31,32番)や、後期弦楽四重奏曲(「大フーガ」,第14,15番)も同様である。

ヌミノースとは、「宗教体験における非合理的なもの」を指し、もともとはドイツの宗教学者であるルドルフ・オットーが提唱した宗教学の用語である。スイスの精神科医/心理学者カール・グスタフ・ユングはヌミノースについて「意志という恣意的な働きによって引き起こし得ない力動的な作用もしくは効果である。逆にヌミノースは、人間という主体を捉え、コントロールする。(中略)ヌミノースは、目に見える対象に帰属する性質でもあれば、目に見えない何ものかの現前がもたらす影響でもあり、意識の特異な変容を引き起こす」と述べている。「ヌミノース体験」に関して詳しくは、京都文教大学 松田真理子 准教授の解説をお読み頂きたい→こちら

早い話がヌミノース=「スター・ウォーズ」におけるフォースである。「ヌミノース体験」は瞑想や祈り、LSDなどのドラッグによるトリップでも獲得出来る。ザ・ビートルズの名盤「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に収録された"ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ(Lucy In The Sky With Diamonds) "はこの「ヌミノース体験」を歌っている。タイトルの頭文字を繋げたらLSDになるでしょ?正にサイケデリック・ミュージックである。

僕が中学生の時に読んだトルストイの「戦争と平和」で、今でも鮮烈に覚えている場面がある(以降、再読はしていない)。ロシア貴族で青年士官のアンドレイは、ロシア軍とナポレオン率いるフランス軍との〈アウステルリッツの戦い〉に臨み、敵弾に撃たれ仰向けに倒れる。そこで彼が見たのは高い空だった。そして次のように思う。

なんて静かで、落ち着いていて、おごそかなんだろう。おれが走っていたのとはまるで違う。

おれたちが走り、わめき、取っ組み合っていたのとはまるで違う。憎しみのこもった、怯えた顔で、フランス兵と砲兵が砲身清掃棒を奪い合っていたのとはまるで違うーまるで違って、この高い果てしない空を雲が流れている。どうしておれは今までこの高い空が見えなかったのだろう?そして、おれはなんて幸せなんだろう、やっとこれに気づいて、そうだ!すべて空虚だ、すべて偽りだ、この果てしない空以外は。何も、何もないんだ、この空以外は。いや、それさえもない、何もないんだ、静寂、平安以外は。ありがたいことに!、、

藤沼貴 訳/岩波文庫)

つまりアンドレイにとって空は神に等しい存在となった。これも「ヌミノース体験」と言えるだろう。

万葉集研究の第一人者で、新元号「令和」の考案者だと目される中西進は著書「万葉の秀歌」(ちくま学術文庫)において、御神酒(神前に供える。新海誠「君の名は。」の口噛み酒)を次のように説明する。

酒を飲むと、不思議な精神状態、すなわち「アソ」(ぼんやりした)なる状態になるので、神と人間との交流を可能にする陶酔と恍惚をつくりだすものとして、人々は酒を供えた。また音楽を奏してもアソになるので、これを神前に奏した。琴や鼓笛などの楽器は「あそぶ」もので、あそぶはアソなる状態になることであった。

つまり酒を飲んで「アソ」になるのはヌミノース体験そのものである。そして今回、小糸の演奏で聴いたバッハのオルガン音楽も「アソ」な気分に誘(いざな)ってくれた。特に「トッカータとフーガ ニ短調(ドリア調)」のクライマックスでは、閉じた瞳の中に眩い光のシャワーが放射状に降り注ぐのが見えたような錯覚に囚われた。僕はスティーブン・スピルバーグ監督「未知との遭遇」で巨大なマザーシップ(≒曼荼羅)が降臨してくる場面を思い出した。

この演奏会はNHKによりテレビ収録されており、2020年3月13日(金)5:00よりBSプレミアム「クラシック倶楽部」で放送される予定。

遊びをせむとや生まれけむ
戯(たはぶ)れせむとや生まれけむ
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さへこそゆるがるれ


(梁塵秘抄:りょうじんひしょうー平安時代の流行歌)

 

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2020年1月14日 (火)

古楽最前線!オペラ「ピグマリオン」

12月14日(土)いずみホールへ。〈古楽最前線〉を体感する。

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  • リュリ:音楽悲劇「アティス」より
    序曲、花の女神のニンフたちのエール、メヌエット、ガヴォット
  • コレッリ:歌と踊り「ラ・フォリア」
  • リュリ:コメディ・バレ「町人貴族」より
    トルコ人の儀式の音楽、イタリア人のエール
  • リュリ:音楽悲劇「アルミード」より
    第2幕 第2場の音楽、パサカーユ
        (休憩)
  • ラモー:オペラ「ピグマリオン」全曲

第1部で17世紀における〈オペラ・バレエの歴史〉をたどり、第2部で18世紀のオペラ「ピグマリオン」(日本語字幕付き)をたっぷり味わうという構成。スタッフは寺神戸亮(指揮・ヴァイオリン/プロデューサー)、岩田達宗(演出)、小㞍健太(振付)。管弦楽はレ・ボレアード、そして特別編成の合唱団。独唱はクレマン・ドビューヴル、鈴木美紀子、波多野睦美、佐藤裕希恵。バロックダンスは松本更紗(パリ市立高等音楽院古楽専攻
/ヴィオラ・ダ・ガンバ科卒業)、コンテンポラリーダンスが酒井はな、中川賢。

何より第1部は松本更紗のバロックダンスが優雅で美しく、魅了された。

また途中、岩田達宗と寺神戸亮による解説があり、バロックダンスには下図のような記譜法(notation)があることを初めて知った。

Notation

舞踏譜にはダンスのステップ、踊るときの空間指示、音楽と動きの関わりが平面に書き表されており、現代でも再現出来るというわけ。シャーロック・ホームズ・シリーズの短編小説「踊る人形」を思い出した。

第2部の「ピグマリオン」は1748年にパリの劇場(王立アカデミー)で初演された。純粋に「歌劇」というよりは、「歌劇」と「舞踏」が半々といった印象。成る程、ヴェルディのオペラ(シチリア島の夕べの祈り、アイーダ、オテロ)にも大々的なバレエ・シーンが有るが、この伝統の名残なんだなと理解した。特に最後は祝祭的だなと思った。

ギリシャ神話に登場する「ピグマリオン」といえば、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」である。原作となったジョージ・バーナード・ショーの戯曲が「ピグマリオン」で、イライザ・ヒギンズ・ドゥーリトル・ピカリング・フレディーなど登場人物の名前もそのまま。この戯曲は1938年にイギリスで映画化されている。(共同)監督・主演は「風と共に去りぬ」のアシュレー役で有名なレスリー・ハワード(第二次世界大戦中、搭乗していた旅客機がドイツ空軍に誤射され死亡)。なんと編集を担当しているのがデイヴィッド・リーン。後に映画監督となり、「戦場にかける橋」「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」などを撮った。

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2019年11月 1日 (金)

ピエール・アンタイ チェンバロ・リサイタル@いずみホール

10月24日(木)いずみホールへ。ピエール・アンタイを聴く。

Hant

  • ラモー:〈クラヴサン曲集〉より
    アルマンド、クーラント、内気。三つの手、サラバンド、つむじ風、ロンド風ジーグ
  • スカルラッティ:5つのソナタ
    K.213,K.214,K.3,K.208,K.175

        休憩

  • J.S.バッハ: アリア(イタリア風のアリアと変奏 イ短調 BWV989より)

  • ヘンデル:’ボートンハウスの筆写譜’からの組曲
    序曲(’忠実な羊飼い’より)、アルマンド、クーラント、サラバンド、メヌエット、ジーグ
  • ヘンデル:クラヴサン組曲第1番

アンコールは、

  • J.S.バッハ: サラバンド(無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番より)

  • J.S.バッハ:  プレリュード(リュート組曲 ト短調 BWV995より

  • C-B.バルバドール:クラヴサン曲集 第1集から 第11曲 ラ・リュジャック

調べてみると、前回聴いたのは10年前だった。

アンタイのプロフィールは上記事で言及した。

客席の入りは7割くらい。

ラモーの演奏は華麗。でもさり気なく、素っ気ない。音は研ぎ澄まされ、きりりとしている。

スカルラッティでも感じたのは、アンタイの演奏には〈華(はな)がある〉ということ。虹色の色彩を帯びている。颯爽として、フェラーリに乗って海岸線をぶっ飛ばしているような雰囲気。

ヘンデルは表層的にゴージャスで、まるで「アベンジャーズ」等マーベル映画(MCU:マーベル・シネマティック・ユニバース)を観ているみたい。つまり中身は空っぽ(悪口じゃありません。そういうテーマパークのアトラクション的音楽があってもいい)。

アンコールは一転し、気高いJ.S.バッハを聴いて「格が違う!」と思った。

次回はアンタイで「ゴルトベルク変奏曲」を聴きたい。いや、アンドレアス・シュタイアーの演奏でも、もちろん良いのだけれど。

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2019年10月17日 (木)

ヘンデルとは何者か?〜クリスティ/レザール・フロリサンの《メサイア》@いずみホール

10月12日(土)台風の中、いずみホールへ。〈古楽最前線!ー躍動するバロック〉シリーズを聴く。企画・監修は故・礒山雅。

  • ヘンデル:オラトリオ《メサイア》全曲(字幕付き)

演奏はウィリアム・クリスティ(指揮)/レザール・フロリサン(管弦楽&合唱)。独唱はキャスリーン・ワトソン、エマニュエル・デ・ネグリ(以上ソプラノ)、ティム・ミード(カウンターテナー)、ジェームズ・ウェイ(テノール)、パドライク・ローワン(バス=バリトン)。

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僕は今まで数回、《メサイア》を生演奏で聴いたことがあるのだが、如何せん退屈でいつも途中でウトウトしてしまい、有名な「ハレルヤ・コーラス」で漸く目覚めるということを繰り返していた。ところが今回は違った。

ヘンデル・ファンで曲目解説を書かれた音楽ライター・後藤菜穂子さんから叱られてしまうかも知れないけれど、僕がヘンデルに対して抱くイメージは〈胡散臭い興行師〉である。映画「グレイティスト・ショーマン」でヒュー・ジャックマンが演じたP・T・バーナムみたいな感じ。

J.S.バッハは10代の頃から教会のオルガニストとなり、ライプツィヒにある聖トーマス教会のカントルを務めた。目立つことなく地道に生きた。

一方ヘンデルはドイツのハレに生まれ、21歳から25歳頃までフィレンツェ、ローマ、ヴェネツィア、ナポリなどイタリア各地を巡り、イタリア・オペラを作曲した。その後ドイツ・ハノーファー選帝侯の宮廷楽長となったが、それでも飽き足らずロンドンを訪れ、オペラ「リナルド」を作曲。イギリス新国王ジョージ1世と良好な関係を築き「水上の音楽」を作曲、42歳で正式にイギリスに帰化した。その後イタリアを訪れて歌手と契約を結び、ロンドンの国王劇場で次々に新作オペラを上演、64歳の時にはオーストリア継承戦争の終結を祝う祝典のために「王宮の花火の音楽」を作曲する(この時の国王はジョージ2世)。祝典はロンドンのグリーン・パークで開催された。

こうしてヘンデルの生涯を見ていくと、栄華を極めることを夢見て、自分を高く売り込もうとヨーロッパ各地を練り歩いた派手好きな男の姿が浮かび上がってくる。そしてまんまとイギリス国王に取り入った。

ヘンデルは《エジプトのイスラエル人》とか《メサイア》など英語のオラトリオを幾つか書いたが、じゃぁキリスト教に対する信仰心が本気だったかどうか、怪しいものだ。なにせ山師だから。〈商売道具〉〈営業用〉という気がして仕方がない。

《メサイア》はアイルランドの首都ダブリンのホールでの初演後、ロンドンのコヴェント・ガーデン劇場で上演された。このとき「救世主の物語を劇場で上演するのはふさわしくない」と宗教関係者から非難の声が上がったそうだ。また《エジプトのイスラエル人》の初演はキングズ劇場だった。

一方でJ.S.バッハはその音楽を聴けば彼の信仰が本気だということが判るし、《マタイ受難曲》や《ヨハネ受難曲》の初演は聖トーマス教会である(ミサ曲 ロ短調の初演は死後)。ヘンデルとの明確な違いが浮かび上がるだろう。つまりヘンデルの場合、〈大衆のための受難劇・ショー〉〈娯楽提供〉という側面が強いと言えるのではないだろうか?

レザール・フロリサンはフランス最古の古楽団体であり、それを創設したクリスティは当然フランス人だと信じて疑わなかった。だから今回、彼がアメリカ生まれでハーバード大学とイエール大学で学んだと知り、驚天動地だった。

クリスティの指揮ぶりは清新で爽快。軽やかで"float in the air"(空中に浮く)という言葉が思い浮かんだ。アクセントのある楽句(Phrase)はスキップするようで、キレがあるけれどあくまでエレガント。フレッド・アステアのダンスを想起した。

ソプラノの「大いに喜べ、シオンの娘よ」などは、まるでオペラのアリアのように華麗で、そうか、ヘンデルの音楽ってハリウッドの映画音楽みたいだなと思った。ゴージャスな外装、でも中身は空っぽ。例えば映画館でイエス・キリストの生涯を描いた史劇「偉大な生涯の物語」(70mmフィルムを使用したシネラマ大作。ジョン・フォードの「駅馬車」同様モニュメント・バレーでロケされ、《メサイア》も使用された)を観ている感じ。

ヘンデルの「水上の音楽」も「王宮の花火の音楽」もイベントのためのエンターテイメント(余興)であり、後にも先にも花火大会のための音楽を書いた大作曲家なんて彼くらいだろう。

「ハレルヤ・コーラス」の歌詞、King of Kings,Lord of Lords,(王の中の王、君主/領主〚神という意味もある〛の中の君主/領主)なんて、まるでイギリス国王を讃えているみたいじゃないか。これ(double meaning)は多分、意図的な仕掛けだろう。さすが海千山千のヘンデル、ちゃっかりしている。ロンドン初演の時にジョージ2世がこの合唱で起立したと言い伝えられているが、「おっ、私のことだ。皆のもの、われを讃えよ」ということなんじゃないだろうか?

でも僕は、こういう人を嫌いじゃない(ハリウッドの映画音楽も大好き)。J.S.バッハみたいに真摯で生真面目な芸術家しかいなかったら、世界は味気ないものになってしまうだろう。ヘンデルという作曲家の概念を大きく変貌させてくれたクリスティに感謝したい。何より愉しかった!

参考文献:いずみホール《メサイア》パンフレットより、後藤菜穂子(著)「曲目解説」

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2019年1月23日 (水)

モンテヴェルディ:オペラ「ポッペアの戴冠」@いずみホール

1月19日(土)いずみホールへ。〈古楽最前線!〉シリーズ、

  • モンテヴェルディ:オペラ「ポッペアの戴冠」

を観劇。20分✕2回の休憩を含め、上演時間4時間の長丁場だった。

Monte

本作は作曲家の死の前年1642年に初演された最初期のバロック・オペラである。

ローマの暴君ネロ(ネローネ)とその後妻ポッペアを巡る史実に基づいており、ポッペアは許嫁の将軍オットーネを裏切りネロを誘惑、徳の道を説く哲学者セネカを自殺に追い込む。ネロは皇后のオッターヴィアを小舟で島流しにし、ポッペアがその後釜に座る。そんな彼女とネロを天上から愛の神が祝福して幕を閉じる。

要約するなら、「不倫は文化だ!」(by 石田純一)、最後に「愛は勝つ」(by KAN)、そして「悪徳の栄え」(by マルキ・ド・サド)でめでたしめでたし、ということになるだろう。勧善懲悪からかけ離れた、こんなimmoral(不道徳な)オペラは後にも先にもない。前代未聞である。幕切れの甘美で陶酔的な愛の二重唱とワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の近似性を指摘する人もいる。しかしトリスタンとイゾルデは不倫の清算を〈死〉で贖うが(そこにカタルシスがある)、「ポッペアの戴冠」はハッピーエンドである。正反対だ。

指揮者のアーノンクールは本作を次のように評している。「基本的なテーマは、破壊的な、それも社会をも破壊してしまう愛の力である」

欲望(愛欲・出世欲)の肯定。それは倫理よりも優先される。もしかしたらモンテヴェルディはAntichrist(反キリスト者)なのではないか?とすら思った。考えてみれば彼の代表作「聖母マリアの夕べの祈り」はあくまでマリア(母なるもの)に対する崇敬であって、キリストを讃えているわけじゃないものね。

特に感銘を受けたのが哲学者セネカが自死を強要され舞台から去った直後の、小姓ヴァレットと侍女ダミジェッラの恋の戯れ。彼らは「出来る限り長く生きて、愛し合いたい」と歌い、ここに死と生の二項対立がくっきりと浮かび上がる。鮮烈である。

ヴァレットは机上の空論を振り回す哲学者を徹底批判する。理性なんかクソくらえ。彼岸(イデア)を否定し、本能や「今」にしか価値がないとする彼の主張は250年後に登場するニーチェの思想(「神は死んだ」)にピッタリ重なる。何という先見性だろう!

本作の主題はラテン語の〈カルペ・ディエム〉(=英語で言えばSeize the day;その日を掴め/その日の花を摘め)そして〈メメント・モリ〉(死を想え)に通じるのではないかと感じた。

また似た言葉として次のようなものがある。

いのち短し 恋せよ乙女(ゴンドラの唄)

人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり(吉田兼好「徒然草」)

生ける者(ひと) 遂にも死ぬる ものにあれば この世にある間は 楽しくをあらな(大伴旅人「万葉集」)

指揮・チェンバロが渡邊順生、コンサートマスターが伊佐治道生。古楽器オーケストラは弦楽奏者8名+リコーダー、ドルツィアン(ファゴットの原型)、コルネット、テオルボ(リュート族の撥弦楽器)という編成。

歌手もオケも全員日本人で、これだけ高い質の演奏を実現出来たのだから大したものだ。歌の方は特に斉木健詞(セネカ)、望月哲也(ネローネ)、阿部雅子(ポッペア)、山口清子(ドゥルジッラ)、向野由美子(小姓ヴァレット)が素晴らしかった。一方、加納悦子(オッターヴィア)、岩森美里(乳母アルナルタ)はいまいち。話題のカウンターテナー・藤木大地(オットーネ)はまぁまぁかな。ダミアン・ギヨン、アンドレアス・ショル、米良美一らのレベルには到達していないなという印象を受けた。

古きを温(たず)ねて新しきを知る。斬新で、とにかくワクワクした!

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2018年11月15日 (木)

スペイン再発見〜古楽最前線!ー躍動するバロック@いずみホール

11月11日(日)いずみホールへ。

に続くシリーズ第3弾、今回はファミ・アルカイ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、アカデミア・デル・ピアチェーレを聴く。

Kogaku

曲目は、

  • 作者不詳(16世紀頃):ディ、ペーラ・モラ
  • カベソン&アルカイ:ラ・ダマ・レ・デマンダ
  • イザーク&アルカイ:ラ・スパーニャに基づくグロサーダ
  • アルカデルト、オルティス&アルカイ:「おお幸福な私の目」
  • アルカイ:「牛を見張れ」によるディフェレンシアス
  • カベソン:第1旋法によるティエント 第3番
  • アルカイ:ジョスカンの「はかりしれぬ悲しさ」によるグロサ
  • ムルシア:ファンダンゴ
  • カベソン&アルカイ:グロサーダ「ある日シュザンヌが」
  • 作曲家不詳&アルカイ:ハカラス&フォリアス
  • サンス&アルカイ:パッサカリア、マリオナス、カナリオス

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アルカイはスペイン生まれだが、父はシリア人で母はパレスチナ人だそう。

彼はジミ・ヘンドリックスの楽曲をカヴァーしたり、スタジオにはなんとエレキ・ヴィオラ・ダ・ガンバを所持しているという!型破りというか、規格外の人だ。

一旦は滅んで、1970年以降にヴィーラント・クイケン、ジョルディ・サヴァールらの尽力により復活した古楽器ヴィオラ・ダ・ガンバの概念を根底からひっくり返す、革新的演奏であった。特にガンバを横向きに倒し膝に載せ、ギターのように撥弦(はつげん)楽器として扱う手法には心底驚かされた。そしてカッケー!

ヴィオラ・ダ・ガンバ3丁とギター、チェンバロという五重奏を聴きながら、僕が真っ先に想起したのはアストル・ピアソラが率いるキンテート・タンゴ・ヌエヴォ( New Tango Quintet )だ。両者には迸る情熱がある。

ピアソラは生涯に八重奏団、六重奏団なども結成したが、バンドネオン奏者として頂点を極めたのがキンテート(五重奏団)時代だったことは論を俟(ま)たない。バンドネオン(ピアソラ)、ピアノ(パブロ・シーグレル)、ヴァイオリン、ギター、コントラバスという編成で、日本のバンドネオン奏者・三浦一馬もこのキンテート・スタイルを踏襲している。

今回のコンサートを聴き、確信を持ったのは、〈アルゼンチン・タンゴとスペイン音楽は密接に繋がっている〉ということ。16世紀以降、アルゼンチンはスペインの植民地となり、現在も公用語はスペイン語である。スペインとアルゼンチンの音楽は互いに影響し合い、共鳴している。それはアフリカ音楽とアメリカで誕生したジャズの関係に近い。

あと僕の脳裏に蘇った映像はアマゾン奥地でゴム園を開拓してオペラハウス建設の資金を作ろうとする1人の男を主人公とするヴェルナー・ヘルツォーク監督クラウス・キンスキー主演のドイツ映画「フィツカラルド」と、やはりヘルツォークとキンスキーが組み、伝説の都市エル・ドラドを探し求め、アンデスの山々を彷徨うスペインの探検隊を描く映画「アギーレ/神の怒り」であった。

Fitz Aguirre_

ファミ・アルカイとアストル・ピアソラに共通するもの。それは一つの音楽ジャンルの境界線を越えようとする強靭な意志である。ふたりは革命家なのだ。そして彼らはフィツカラルドとアギーレの姿に二重写しになる。

物凄い音楽を聴いた。

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アントネッロの〈エソポのハブラス〉@兵庫芸文

11月3日兵庫県立芸術文化センター小ホールへ。

古楽アンサンブル「アントネッロ」を聴く。

Eso

〈エソポのハブラス〉とは、日本初の西洋文学の刊行物〈イソップ物語〉のこと。今から400年以上も前、安土桃山時代の出来事である。天正遣欧少年使節の帰国や鉄砲伝来と同時期にあたる。

  • パバナス(器楽)
  • 《恋人よ、あなたを見る時》(ソプラノ&テノール)
  • 《大いなる秘跡ゆえ》(ソプラノ&テノール)
  • イソップ『アリとセミ』
  • イソップ『ウサギとカメ』
  • イソップ『犬と肉』(ソプラノ)
    (アロンソ・ムダーラ《主が家を建てられるのでなければ》の替え歌)
  • イソップ『牛とオオカミ』
  • 《羊の世話をしてくれたら》(テノール)
  • ラス・バカス(器楽)
  • 《緑の野原にため息をつきに来てちょうだい》(ソプラノ&テノール)
  • 《君の町へ》(ソプラノ&テノール)
  • ファンタジア(器楽)
  • 《羊の世話をしてくれたら》による変奏曲(ハープ独奏)
  • 『出陣の法螺貝』
  • 《おろろんおろろん》(ソプラノ)
  • 《めでたし澄みきったワインの色》(テノール)
  • 《僕のかわいいヒョウタンちゃん》(テノール)
  • ハカラス(器楽)
  • イソップ『カラスと狐』
  • 《あなたから笑顔と元気を奪ったのは誰?》(ソプラノ)
  • 《ああ、美しい恋人よ》(テノール)
  • 《キスして抱きしめて》(ソプラノ&テノール)

物語仕立てで、時折スペインの古謡や踊り、天草の子守唄などが織り込まれる。

いやぁ愉しかった!異次元空間(ドリームタイム)に彷徨い込んだような、摩訶不思議な感覚を味わった。

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