古楽の愉しみ

2020年2月27日 (木)

【考察】音楽とは何か?〜J.S.バッハ・オルガン作品演奏会:小糸 恵

いずみホールとバッハ・アルヒーフ・ライプツィヒ共同企画、今回登場したオルガニストはローザンヌ高等音楽院のオルガン科教授を務める小糸 恵である。いずみホール音楽ディレクターだった礒山 雅が不慮の事故(雪で足を滑らせ転倒、頭部を強打)で亡くなったのが2018年2月22日。その2年後の命日に同ホールで演奏会が行われた。

Koito

オール・J.S.バッハ・プログラムで、

  • プレリュードとフーガ ハ長調 BWV 545
  • “いざ来ませ、異邦人の救い主” BWV 659
  • “われらが神は堅き砦” BWV 720
  • “心よりわれこがれ望む” BWV 727
  • “われはいずこにか逃れゆくべき” BWV 646
  • “来ませ、造り主なる聖霊の神よ” BWV 667
  • トリオ ト短調 BWV 584
  • プレリュードとフーガ ト短調 BWV 535
    (休憩)
  • “おお人よ、汝の大いなる罪を嘆け” BWV 622
  • プレリュード ハ短調 BWV 546/1
  • Vn.とチェンバロのためのソナタ第3番 第1楽章(小糸恵編)
  • “バビロンの流れのほとりに” BWV 653
  • トッカータとフーガ ニ短調 BWV 538(ドリア調)

アンコールは、

  • カンタータ「神の時こそ良き時」 BWV 106から
    第1曲 ソナティーナ

「神の時こそ良き時」は別名「哀悼行事」と呼ばれ、葬儀の時に演奏するものと推測されている。つまり礒山への追悼としてわざわざ選ばれた楽曲だった。

2013年3月に小糸や礒山がステージに立った、次のような講演を僕は聴いている。

小糸のオルガン演奏は色彩豊かで(音色の選択が洗練されている。特に葦笛のようなコラール!)、力強く、動的(powerful & dynamic)。腹にこたえる、ずっしりした響きがある。

バッハの音楽、特にカンタータや受難曲、オルガン曲は神への捧げ物、供物であった。貴方がキリスト教徒であるかどうかに関わらず、生で演奏されるバッハのオルガン曲は間違いなく聴衆に神秘的な「ヌミノース体験」をもたらす。それはベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタ(第30,31,32番)や、後期弦楽四重奏曲(「大フーガ」,第14,15番)も同様である。

ヌミノースとは、「宗教体験における非合理的なもの」を指し、もともとはドイツの宗教学者であるルドルフ・オットーが提唱した宗教学の用語である。スイスの精神科医/心理学者カール・グスタフ・ユングはヌミノースについて「意志という恣意的な働きによって引き起こし得ない力動的な作用もしくは効果である。逆にヌミノースは、人間という主体を捉え、コントロールする。(中略)ヌミノースは、目に見える対象に帰属する性質でもあれば、目に見えない何ものかの現前がもたらす影響でもあり、意識の特異な変容を引き起こす」と述べている。「ヌミノース体験」に関して詳しくは、京都文教大学 松田真理子 准教授の解説をお読み頂きたい→こちら

早い話がヌミノース=「スター・ウォーズ」におけるフォースである。「ヌミノース体験」は瞑想や祈り、LSDなどのドラッグによるトリップでも獲得出来る。ザ・ビートルズの名盤「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に収録された"ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ(Lucy In The Sky With Diamonds) "はこの「ヌミノース体験」を歌っている。タイトルの頭文字を繋げたらLSDになるでしょ?正にサイケデリック・ミュージックである。

僕が中学生の時に読んだトルストイの「戦争と平和」で、今でも鮮烈に覚えている場面がある(以降、再読はしていない)。ロシア貴族で青年士官のアンドレイは、ロシア軍とナポレオン率いるフランス軍との〈アウステルリッツの戦い〉に臨み、敵弾に撃たれ仰向けに倒れる。そこで彼が見たのは高い空だった。そして次のように思う。

なんて静かで、落ち着いていて、おごそかなんだろう。おれが走っていたのとはまるで違う。

おれたちが走り、わめき、取っ組み合っていたのとはまるで違う。憎しみのこもった、怯えた顔で、フランス兵と砲兵が砲身清掃棒を奪い合っていたのとはまるで違うーまるで違って、この高い果てしない空を雲が流れている。どうしておれは今までこの高い空が見えなかったのだろう?そして、おれはなんて幸せなんだろう、やっとこれに気づいて、そうだ!すべて空虚だ、すべて偽りだ、この果てしない空以外は。何も、何もないんだ、この空以外は。いや、それさえもない、何もないんだ、静寂、平安以外は。ありがたいことに!、、

藤沼貴 訳/岩波文庫)

つまりアンドレイにとって空は神に等しい存在となった。これも「ヌミノース体験」と言えるだろう。

万葉集研究の第一人者で、新元号「令和」の考案者だと目される中西進は著書「万葉の秀歌」(ちくま学術文庫)において、御神酒(神前に供える。新海誠「君の名は。」の口噛み酒)を次のように説明する。

酒を飲むと、不思議な精神状態、すなわち「アソ」(ぼんやりした)なる状態になるので、神と人間との交流を可能にする陶酔と恍惚をつくりだすものとして、人々は酒を供えた。また音楽を奏してもアソになるので、これを神前に奏した。琴や鼓笛などの楽器は「あそぶ」もので、あそぶはアソなる状態になることであった。

つまり酒を飲んで「アソ」になるのはヌミノース体験そのものである。そして今回、小糸の演奏で聴いたバッハのオルガン音楽も「アソ」な気分に誘(いざな)ってくれた。特に「トッカータとフーガ ニ短調(ドリア調)」のクライマックスでは、閉じた瞳の中に眩い光のシャワーが放射状に降り注ぐのが見えたような錯覚に囚われた。僕はスティーブン・スピルバーグ監督「未知との遭遇」で巨大なマザーシップ(≒曼荼羅)が降臨してくる場面を思い出した。

この演奏会はNHKによりテレビ収録されており、2020年3月13日(金)5:00よりBSプレミアム「クラシック倶楽部」で放送される予定。

遊びをせむとや生まれけむ
戯(たはぶ)れせむとや生まれけむ
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さへこそゆるがるれ


(梁塵秘抄:りょうじんひしょうー平安時代の流行歌)

 

| | コメント (0)

2020年1月14日 (火)

古楽最前線!オペラ「ピグマリオン」

12月14日(土)いずみホールへ。〈古楽最前線〉を体感する。

Izumi_20200110105801

  • リュリ:音楽悲劇「アティス」より
    序曲、花の女神のニンフたちのエール、メヌエット、ガヴォット
  • コレッリ:歌と踊り「ラ・フォリア」
  • リュリ:コメディ・バレ「町人貴族」より
    トルコ人の儀式の音楽、イタリア人のエール
  • リュリ:音楽悲劇「アルミード」より
    第2幕 第2場の音楽、パサカーユ
        (休憩)
  • ラモー:オペラ「ピグマリオン」全曲

第1部で17世紀における〈オペラ・バレエの歴史〉をたどり、第2部で18世紀のオペラ「ピグマリオン」(日本語字幕付き)をたっぷり味わうという構成。スタッフは寺神戸亮(指揮・ヴァイオリン/プロデューサー)、岩田達宗(演出)、小㞍健太(振付)。管弦楽はレ・ボレアード、そして特別編成の合唱団。独唱はクレマン・ドビューヴル、鈴木美紀子、波多野睦美、佐藤裕希恵。バロックダンスは松本更紗(パリ市立高等音楽院古楽専攻
/ヴィオラ・ダ・ガンバ科卒業)、コンテンポラリーダンスが酒井はな、中川賢。

何より第1部は松本更紗のバロックダンスが優雅で美しく、魅了された。

また途中、岩田達宗と寺神戸亮による解説があり、バロックダンスには下図のような記譜法(notation)があることを初めて知った。

Notation

舞踏譜にはダンスのステップ、踊るときの空間指示、音楽と動きの関わりが平面に書き表されており、現代でも再現出来るというわけ。シャーロック・ホームズ・シリーズの短編小説「踊る人形」を思い出した。

第2部の「ピグマリオン」は1748年にパリの劇場(王立アカデミー)で初演された。純粋に「歌劇」というよりは、「歌劇」と「舞踏」が半々といった印象。成る程、ヴェルディのオペラ(シチリア島の夕べの祈り、アイーダ、オテロ)にも大々的なバレエ・シーンが有るが、この伝統の名残なんだなと理解した。特に最後は祝祭的だなと思った。

ギリシャ神話に登場する「ピグマリオン」といえば、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」である。原作となったジョージ・バーナード・ショーの戯曲が「ピグマリオン」で、イライザ・ヒギンズ・ドゥーリトル・ピカリング・フレディーなど登場人物の名前もそのまま。この戯曲は1938年にイギリスで映画化されている。(共同)監督・主演は「風と共に去りぬ」のアシュレー役で有名なレスリー・ハワード(第二次世界大戦中、搭乗していた旅客機がドイツ空軍に誤射され死亡)。なんと編集を担当しているのがデイヴィッド・リーン。後に映画監督となり、「戦場にかける橋」「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」などを撮った。

| | コメント (0)

2019年11月 1日 (金)

ピエール・アンタイ チェンバロ・リサイタル@いずみホール

10月24日(木)いずみホールへ。ピエール・アンタイを聴く。

Hant

  • ラモー:〈クラヴサン曲集〉より
    アルマンド、クーラント、内気。三つの手、サラバンド、つむじ風、ロンド風ジーグ
  • スカルラッティ:5つのソナタ
    K.213,K.214,K.3,K.208,K.175

        休憩

  • J.S.バッハ: アリア(イタリア風のアリアと変奏 イ短調 BWV989より)

  • ヘンデル:’ボートンハウスの筆写譜’からの組曲
    序曲(’忠実な羊飼い’より)、アルマンド、クーラント、サラバンド、メヌエット、ジーグ
  • ヘンデル:クラヴサン組曲第1番

アンコールは、

  • J.S.バッハ: サラバンド(無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番より)

  • J.S.バッハ:  プレリュード(リュート組曲 ト短調 BWV995より

  • C-B.バルバドール:クラヴサン曲集 第1集から 第11曲 ラ・リュジャック

調べてみると、前回聴いたのは10年前だった。

アンタイのプロフィールは上記事で言及した。

客席の入りは7割くらい。

ラモーの演奏は華麗。でもさり気なく、素っ気ない。音は研ぎ澄まされ、きりりとしている。

スカルラッティでも感じたのは、アンタイの演奏には〈華(はな)がある〉ということ。虹色の色彩を帯びている。颯爽として、フェラーリに乗って海岸線をぶっ飛ばしているような雰囲気。

ヘンデルは表層的にゴージャスで、まるで「アベンジャーズ」等マーベル映画(MCU:マーベル・シネマティック・ユニバース)を観ているみたい。つまり中身は空っぽ(悪口じゃありません。そういうテーマパークのアトラクション的音楽があってもいい)。

アンコールは一転し、気高いJ.S.バッハを聴いて「格が違う!」と思った。

次回はアンタイで「ゴルトベルク変奏曲」を聴きたい。いや、アンドレアス・シュタイアーの演奏でも、もちろん良いのだけれど。

| | コメント (0)

2019年10月17日 (木)

ヘンデルとは何者か?〜クリスティ/レザール・フロリサンの《メサイア》@いずみホール

10月12日(土)台風の中、いずみホールへ。〈古楽最前線!ー躍動するバロック〉シリーズを聴く。企画・監修は故・礒山雅。

  • ヘンデル:オラトリオ《メサイア》全曲(字幕付き)

演奏はウィリアム・クリスティ(指揮)/レザール・フロリサン(管弦楽&合唱)。独唱はキャスリーン・ワトソン、エマニュエル・デ・ネグリ(以上ソプラノ)、ティム・ミード(カウンターテナー)、ジェームズ・ウェイ(テノール)、パドライク・ローワン(バス=バリトン)。

M

僕は今まで数回、《メサイア》を生演奏で聴いたことがあるのだが、如何せん退屈でいつも途中でウトウトしてしまい、有名な「ハレルヤ・コーラス」で漸く目覚めるということを繰り返していた。ところが今回は違った。

ヘンデル・ファンで曲目解説を書かれた音楽ライター・後藤菜穂子さんから叱られてしまうかも知れないけれど、僕がヘンデルに対して抱くイメージは〈胡散臭い興行師〉である。映画「グレイティスト・ショーマン」でヒュー・ジャックマンが演じたP・T・バーナムみたいな感じ。

J.S.バッハは10代の頃から教会のオルガニストとなり、ライプツィヒにある聖トーマス教会のカントルを務めた。目立つことなく地道に生きた。

一方ヘンデルはドイツのハレに生まれ、21歳から25歳頃までフィレンツェ、ローマ、ヴェネツィア、ナポリなどイタリア各地を巡り、イタリア・オペラを作曲した。その後ドイツ・ハノーファー選帝侯の宮廷楽長となったが、それでも飽き足らずロンドンを訪れ、オペラ「リナルド」を作曲。イギリス新国王ジョージ1世と良好な関係を築き「水上の音楽」を作曲、42歳で正式にイギリスに帰化した。その後イタリアを訪れて歌手と契約を結び、ロンドンの国王劇場で次々に新作オペラを上演、64歳の時にはオーストリア継承戦争の終結を祝う祝典のために「王宮の花火の音楽」を作曲する(この時の国王はジョージ2世)。祝典はロンドンのグリーン・パークで開催された。

こうしてヘンデルの生涯を見ていくと、栄華を極めることを夢見て、自分を高く売り込もうとヨーロッパ各地を練り歩いた派手好きな男の姿が浮かび上がってくる。そしてまんまとイギリス国王に取り入った。

ヘンデルは《エジプトのイスラエル人》とか《メサイア》など英語のオラトリオを幾つか書いたが、じゃぁキリスト教に対する信仰心が本気だったかどうか、怪しいものだ。なにせ山師だから。〈商売道具〉〈営業用〉という気がして仕方がない。

《メサイア》はアイルランドの首都ダブリンのホールでの初演後、ロンドンのコヴェント・ガーデン劇場で上演された。このとき「救世主の物語を劇場で上演するのはふさわしくない」と宗教関係者から非難の声が上がったそうだ。また《エジプトのイスラエル人》の初演はキングズ劇場だった。

一方でJ.S.バッハはその音楽を聴けば彼の信仰が本気だということが判るし、《マタイ受難曲》や《ヨハネ受難曲》の初演は聖トーマス教会である(ミサ曲 ロ短調の初演は死後)。ヘンデルとの明確な違いが浮かび上がるだろう。つまりヘンデルの場合、〈大衆のための受難劇・ショー〉〈娯楽提供〉という側面が強いと言えるのではないだろうか?

レザール・フロリサンはフランス最古の古楽団体であり、それを創設したクリスティは当然フランス人だと信じて疑わなかった。だから今回、彼がアメリカ生まれでハーバード大学とイエール大学で学んだと知り、驚天動地だった。

クリスティの指揮ぶりは清新で爽快。軽やかで"float in the air"(空中に浮く)という言葉が思い浮かんだ。アクセントのある楽句(Phrase)はスキップするようで、キレがあるけれどあくまでエレガント。フレッド・アステアのダンスを想起した。

ソプラノの「大いに喜べ、シオンの娘よ」などは、まるでオペラのアリアのように華麗で、そうか、ヘンデルの音楽ってハリウッドの映画音楽みたいだなと思った。ゴージャスな外装、でも中身は空っぽ。例えば映画館でイエス・キリストの生涯を描いた史劇「偉大な生涯の物語」(70mmフィルムを使用したシネラマ大作。ジョン・フォードの「駅馬車」同様モニュメント・バレーでロケされ、《メサイア》も使用された)を観ている感じ。

ヘンデルの「水上の音楽」も「王宮の花火の音楽」もイベントのためのエンターテイメント(余興)であり、後にも先にも花火大会のための音楽を書いた大作曲家なんて彼くらいだろう。

「ハレルヤ・コーラス」の歌詞、King of Kings,Lord of Lords,(王の中の王、君主/領主〚神という意味もある〛の中の君主/領主)なんて、まるでイギリス国王を讃えているみたいじゃないか。これ(double meaning)は多分、意図的な仕掛けだろう。さすが海千山千のヘンデル、ちゃっかりしている。ロンドン初演の時にジョージ2世がこの合唱で起立したと言い伝えられているが、「おっ、私のことだ。皆のもの、われを讃えよ」ということなんじゃないだろうか?

でも僕は、こういう人を嫌いじゃない(ハリウッドの映画音楽も大好き)。J.S.バッハみたいに真摯で生真面目な芸術家しかいなかったら、世界は味気ないものになってしまうだろう。ヘンデルという作曲家の概念を大きく変貌させてくれたクリスティに感謝したい。何より愉しかった!

参考文献:いずみホール《メサイア》パンフレットより、後藤菜穂子(著)「曲目解説」

| | コメント (0)

2019年1月23日 (水)

モンテヴェルディ:オペラ「ポッペアの戴冠」@いずみホール

1月19日(土)いずみホールへ。〈古楽最前線!〉シリーズ、

  • モンテヴェルディ:オペラ「ポッペアの戴冠」

を観劇。20分✕2回の休憩を含め、上演時間4時間の長丁場だった。

Monte

本作は作曲家の死の前年1642年に初演された最初期のバロック・オペラである。

ローマの暴君ネロ(ネローネ)とその後妻ポッペアを巡る史実に基づいており、ポッペアは許嫁の将軍オットーネを裏切りネロを誘惑、徳の道を説く哲学者セネカを自殺に追い込む。ネロは皇后のオッターヴィアを小舟で島流しにし、ポッペアがその後釜に座る。そんな彼女とネロを天上から愛の神が祝福して幕を閉じる。

要約するなら、「不倫は文化だ!」(by 石田純一)、最後に「愛は勝つ」(by KAN)、そして「悪徳の栄え」(by マルキ・ド・サド)でめでたしめでたし、ということになるだろう。勧善懲悪からかけ離れた、こんなimmoral(不道徳な)オペラは後にも先にもない。前代未聞である。幕切れの甘美で陶酔的な愛の二重唱とワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の近似性を指摘する人もいる。しかしトリスタンとイゾルデは不倫の清算を〈死〉で贖うが(そこにカタルシスがある)、「ポッペアの戴冠」はハッピーエンドである。正反対だ。

指揮者のアーノンクールは本作を次のように評している。「基本的なテーマは、破壊的な、それも社会をも破壊してしまう愛の力である」

欲望(愛欲・出世欲)の肯定。それは倫理よりも優先される。もしかしたらモンテヴェルディはAntichrist(反キリスト者)なのではないか?とすら思った。考えてみれば彼の代表作「聖母マリアの夕べの祈り」はあくまでマリア(母なるもの)に対する崇敬であって、キリストを讃えているわけじゃないものね。

特に感銘を受けたのが哲学者セネカが自死を強要され舞台から去った直後の、小姓ヴァレットと侍女ダミジェッラの恋の戯れ。彼らは「出来る限り長く生きて、愛し合いたい」と歌い、ここに死と生の二項対立がくっきりと浮かび上がる。鮮烈である。

ヴァレットは机上の空論を振り回す哲学者を徹底批判する。理性なんかクソくらえ。彼岸(イデア)を否定し、本能や「今」にしか価値がないとする彼の主張は250年後に登場するニーチェの思想(「神は死んだ」)にピッタリ重なる。何という先見性だろう!

本作の主題はラテン語の〈カルペ・ディエム〉(=英語で言えばSeize the day;その日を掴め/その日の花を摘め)そして〈メメント・モリ〉(死を想え)に通じるのではないかと感じた。

また似た言葉として次のようなものがある。

いのち短し 恋せよ乙女(ゴンドラの唄)

人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり(吉田兼好「徒然草」)

生ける者(ひと) 遂にも死ぬる ものにあれば この世にある間は 楽しくをあらな(大伴旅人「万葉集」)

指揮・チェンバロが渡邊順生、コンサートマスターが伊佐治道生。古楽器オーケストラは弦楽奏者8名+リコーダー、ドルツィアン(ファゴットの原型)、コルネット、テオルボ(リュート族の撥弦楽器)という編成。

歌手もオケも全員日本人で、これだけ高い質の演奏を実現出来たのだから大したものだ。歌の方は特に斉木健詞(セネカ)、望月哲也(ネローネ)、阿部雅子(ポッペア)、山口清子(ドゥルジッラ)、向野由美子(小姓ヴァレット)が素晴らしかった。一方、加納悦子(オッターヴィア)、岩森美里(乳母アルナルタ)はいまいち。話題のカウンターテナー・藤木大地(オットーネ)はまぁまぁかな。ダミアン・ギヨン、アンドレアス・ショル、米良美一らのレベルには到達していないなという印象を受けた。

古きを温(たず)ねて新しきを知る。斬新で、とにかくワクワクした!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月15日 (木)

スペイン再発見〜古楽最前線!ー躍動するバロック@いずみホール

11月11日(日)いずみホールへ。

に続くシリーズ第3弾、今回はファミ・アルカイ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、アカデミア・デル・ピアチェーレを聴く。

Kogaku

曲目は、

  • 作者不詳(16世紀頃):ディ、ペーラ・モラ
  • カベソン&アルカイ:ラ・ダマ・レ・デマンダ
  • イザーク&アルカイ:ラ・スパーニャに基づくグロサーダ
  • アルカデルト、オルティス&アルカイ:「おお幸福な私の目」
  • アルカイ:「牛を見張れ」によるディフェレンシアス
  • カベソン:第1旋法によるティエント 第3番
  • アルカイ:ジョスカンの「はかりしれぬ悲しさ」によるグロサ
  • ムルシア:ファンダンゴ
  • カベソン&アルカイ:グロサーダ「ある日シュザンヌが」
  • 作曲家不詳&アルカイ:ハカラス&フォリアス
  • サンス&アルカイ:パッサカリア、マリオナス、カナリオス

Img_1872_2

アルカイはスペイン生まれだが、父はシリア人で母はパレスチナ人だそう。

彼はジミ・ヘンドリックスの楽曲をカヴァーしたり、スタジオにはなんとエレキ・ヴィオラ・ダ・ガンバを所持しているという!型破りというか、規格外の人だ。

一旦は滅んで、1970年以降にヴィーラント・クイケン、ジョルディ・サヴァールらの尽力により復活した古楽器ヴィオラ・ダ・ガンバの概念を根底からひっくり返す、革新的演奏であった。特にガンバを横向きに倒し膝に載せ、ギターのように撥弦(はつげん)楽器として扱う手法には心底驚かされた。そしてカッケー!

ヴィオラ・ダ・ガンバ3丁とギター、チェンバロという五重奏を聴きながら、僕が真っ先に想起したのはアストル・ピアソラが率いるキンテート・タンゴ・ヌエヴォ( New Tango Quintet )だ。両者には迸る情熱がある。

ピアソラは生涯に八重奏団、六重奏団なども結成したが、バンドネオン奏者として頂点を極めたのがキンテート(五重奏団)時代だったことは論を俟(ま)たない。バンドネオン(ピアソラ)、ピアノ(パブロ・シーグレル)、ヴァイオリン、ギター、コントラバスという編成で、日本のバンドネオン奏者・三浦一馬もこのキンテート・スタイルを踏襲している。

今回のコンサートを聴き、確信を持ったのは、〈アルゼンチン・タンゴとスペイン音楽は密接に繋がっている〉ということ。16世紀以降、アルゼンチンはスペインの植民地となり、現在も公用語はスペイン語である。スペインとアルゼンチンの音楽は互いに影響し合い、共鳴している。それはアフリカ音楽とアメリカで誕生したジャズの関係に近い。

あと僕の脳裏に蘇った映像はアマゾン奥地でゴム園を開拓してオペラハウス建設の資金を作ろうとする1人の男を主人公とするヴェルナー・ヘルツォーク監督クラウス・キンスキー主演のドイツ映画「フィツカラルド」と、やはりヘルツォークとキンスキーが組み、伝説の都市エル・ドラドを探し求め、アンデスの山々を彷徨うスペインの探検隊を描く映画「アギーレ/神の怒り」であった。

Fitz Aguirre_

ファミ・アルカイとアストル・ピアソラに共通するもの。それは一つの音楽ジャンルの境界線を越えようとする強靭な意志である。ふたりは革命家なのだ。そして彼らはフィツカラルドとアギーレの姿に二重写しになる。

物凄い音楽を聴いた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アントネッロの〈エソポのハブラス〉@兵庫芸文

11月3日兵庫県立芸術文化センター小ホールへ。

古楽アンサンブル「アントネッロ」を聴く。

Eso

〈エソポのハブラス〉とは、日本初の西洋文学の刊行物〈イソップ物語〉のこと。今から400年以上も前、安土桃山時代の出来事である。天正遣欧少年使節の帰国や鉄砲伝来と同時期にあたる。

  • パバナス(器楽)
  • 《恋人よ、あなたを見る時》(ソプラノ&テノール)
  • 《大いなる秘跡ゆえ》(ソプラノ&テノール)
  • イソップ『アリとセミ』
  • イソップ『ウサギとカメ』
  • イソップ『犬と肉』(ソプラノ)
    (アロンソ・ムダーラ《主が家を建てられるのでなければ》の替え歌)
  • イソップ『牛とオオカミ』
  • 《羊の世話をしてくれたら》(テノール)
  • ラス・バカス(器楽)
  • 《緑の野原にため息をつきに来てちょうだい》(ソプラノ&テノール)
  • 《君の町へ》(ソプラノ&テノール)
  • ファンタジア(器楽)
  • 《羊の世話をしてくれたら》による変奏曲(ハープ独奏)
  • 『出陣の法螺貝』
  • 《おろろんおろろん》(ソプラノ)
  • 《めでたし澄みきったワインの色》(テノール)
  • 《僕のかわいいヒョウタンちゃん》(テノール)
  • ハカラス(器楽)
  • イソップ『カラスと狐』
  • 《あなたから笑顔と元気を奪ったのは誰?》(ソプラノ)
  • 《ああ、美しい恋人よ》(テノール)
  • 《キスして抱きしめて》(ソプラノ&テノール)

物語仕立てで、時折スペインの古謡や踊り、天草の子守唄などが織り込まれる。

いやぁ愉しかった!異次元空間(ドリームタイム)に彷徨い込んだような、摩訶不思議な感覚を味わった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月11日 (日)

《聖母マリアの夕べの祈り》@いずみホールと、「マリア崇敬」について

11月2日(水)いずみホールへ。

  • モンテヴェルディ:聖母マリアの夕べの祈り
  • カヴァッリ:サルヴェ・レジーナ(アンコール)

を聴く。演奏はジャスティン・ドイル/RIAS合唱団、カペラ・デ・ラ・トーレ(ピリオド楽器アンサンブル)。独唱は、

ソプラノ:ドロテー・ミールズ、マーガレット・ハンター
テノール:トマス・ホッブズ、マシュー・ロング

Izumi

今回のシリーズ【古楽最前線!ー躍動するバロック】を企画・監修した礒山雅・国立音楽大学招聘教授は2018年1月に雪で足を滑らせ頭を打ち、外傷性頭蓋内損傷のため死去した(享年71歳)。礒山氏はバッハ研究で名高い音楽学者だが、《聖母マリアの夕べの祈り》について次のように書いている。

私が無人島に持っていきたい曲は、モンテヴェルディの《聖母マリアの夕べの祈り Vespro della Beata Vergine》である。《マタイ受難曲》ではないのですか、とよくいわれるが、さすがの《マタイ》も《ヴェスプロ》の前では色褪せる、というのがかねてからの実感である。中世以来連綿と続いてきた、「マリア崇敬」の芸術――その頂点が美術ではラファエロの聖母像にあるとすれば、音楽では、間違いなくこの作品にあると思う。

<講談社学術文庫「バロック音楽名曲鑑賞辞典」より> 

ここで礒山氏の言う「マリア崇敬」について考察してみよう。

(ユダヤ教及び)キリスト教は父性原理の宗教である。旧約聖書の「創世記」において、神はまず自分の姿に似せ最初の男アダムを創り、アダムの肋骨から最初の女イヴを誕生させた。つまり男がで、女はということになる。また、三位一体:〈父と子と精霊〉に女性は含まれない

父性原理は「切断する」機能にその特性を示す。母性がすべての子供を平等に扱うのに対して、父性は子供を能力や個性に応じて分類する。

フランス人はまさに父性原理の権化であり、首と胴体を「切断する」ギロチンはフランス人が発明した。21世紀の現在もフランス人は赤ちゃんが生まれると、幼少期から夫婦と別室に寝かせる。子供を早くから自立させることが目的とされるが、つまりは親子の情や絆を「切断」しているわけだ。フランス人の多くが冷淡な性格なのは、ここに原因があるのではないかと僕は勘ぐっている。

そんな父性原理に対して、母性原理を導入して補完しようとした動きが「マリア崇敬」なのではないかというのが僕の考えである。

「マリア崇敬」はイタリアを中心に盛んとなった。世間一般にイタリア人=マザコンと言われることと(→こちらのブログを参照あれ)、母性原理導入とは無関係ではないだろう。スーパーマリオの口癖「マンマ・ミーア!」(ミュージカルの題名にもなった)は「なんてこった!」という意味で用いられるが、直訳すると「僕のお母ちゃん!」である。英語なら"Oh,my God !"なわけで、つまり〈神(父)→母〉に変換されている。「マリア崇敬」がこの慣用句にも潜んでいるのだ。イタリア人がどれくらい母親を大切にし、甘えているかは、フェデリコ・フェリーニ監督作品などイタリア映画を観ればよく分かる。

一方、ドイツのヨハン・ゼバスティアン・バッハの受難曲(Passion)やミサ曲、カンタータは父性原理に貫かれており、非常に厳格である。余りマリアに触れられることはない。この「切断する」厳しい父性原理はベートーヴェンに引き継がれた。

マリアに焦点が当てられた宗教曲「スターバト・マーテル(悲しみの聖母)」の名作を作曲したのは、パレストリーナ、ヴィヴァルディ、ペルゴレージ、ロッシーニなどやはりイタリア人が中心であり(チェコのドヴォルザーク作も素晴らしい)、ドイツ・オーストリア・フランス・イギリスの作品は極めて稀だ。フランス人のプーランクが「スターバト・マーテル」を作曲しているという反論もあろうが、彼はゲイだから。一般にゲイの人に「どうして結婚されないんですか?」と尋ねると「母が素晴らしすぎたから」という答えが帰ってくる。ニーノ・ロータ(作曲家)や木下惠介(映画監督)、淀川長治(映画評論家)がそうだった。閑話休題。

演奏について。色彩豊かな合唱が素晴らしく、ソリストも特に透明感のあるドロテー・ミールズ、たおやかで美しいトマス・ホッブズの歌声が絶品だった。

僕は予習としてヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂で収録されたジョン・エリオット・ガーディナー/モンテヴェルディ合唱団、イングリッシュ・バロック・ソロイスツのDVDを繰り返し鑑賞して臨んだのだが、指揮に関してはガーディナーの方が躍動感で勝っていると思った。

あと楽器編成が両者で相当異なっていたので面食らった。カペラ・デ・ラ・トーレは18人の編成で、いささか音が薄っぺらく感られた。

今回の上演では途中、サラモーネ・ロッシ、ビアージョ・マリーニ、ガスパロ・ザネッティが作曲した当時の器楽曲や、グレゴリオ聖歌「私を見てはならない」が挿入された。またガーディナーの映像同様に、要所要所でソリストと合唱が場所を移動して歌った。

《聖母マリアの夕べの祈り》について、モンテヴェルディ研究者のジルケ・レオポルト博士は「それは、さまざまな機会に応じて配置を入れ替え、編成を変えて上演することのできる、小品のゆるやかな連合体なのです」と書いている。

言い換えるならば、J.S.バッハ以降の音楽とは違って、【古楽とは、ジャズのジャムセッション(Jam session)・即興演奏( Improvisation)の如く、自由度が高くて変換可能な音楽である】と、僕は理解した。

礒山さんがもし生きておられたら、さぞかし今回の演奏を歓び、心から愉しんで聴かれたことだろうと、しみじみ思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月10日 (土)

四元素でたどる音楽史〜古楽最前線!ー躍動するバロック@いずみホール

古代ギリシャ時代には万物全てが「水」「気(風)」「火」「地」の四つの元素で構成されていると信じられ、近代科学が成立するまで大きな影響力を持っていた。ここには、【人間は二項対立で思考するものだ】という基本構造が隠されている。

まず〈気⇔地〉〈火⇔水〉という2組の基本的な二項対立があり、〈気⇔地〉は垂直方向の差異〈上(天)⇔下(地)〉、〈火⇔水(雨・川)〉は〈上昇⇔下降〉として示される。「気(風)」は生者、「地」は死者のメタファーでもある。また「火」は愛(情熱)、「水」は無関心(つれない)と言い換えることも出来るだろう。

次に〈火・気⇔水・地〉という組み合わせは〈温かい⇔冷たい〉であり、〈火・地⇔水・気〉は〈乾いた⇔湿った〉という二項対立を表している。これらを図にすると次のようになる。

4

日本人の感覚でこの分類はピンとこないかもしれないが、乾燥した地中海の気候をイメージしていただきたい。オリーブが育つ土壌で、春の訪れを告げる豊穣の西風ゼピュロスや、暖気と雨を運んでくる東風エウロスが吹く場所。

11月2日(金)いずみホールへ。

Izumi2

今年亡くなった礒山雅 招聘教授〈企画・監修〉による、【古楽最前線!】シリーズ第1回目はレクチャー&コンサート「四元素でたどる音楽史〜中世からモンテヴェルディまで」と題された。

演奏はカペラ・デ・ラ・トーレ(ピリオド楽器管楽アンサンブル)初来日とマーガレット・ハンター(ソプラノ)。お話は市川克明(音楽学)。

曲目は、

作曲者不詳:ファンファーレ(16世紀)
ランディーニ:さあ、春が来た

~WATER~「水」の巻
ビクトリア:めでたし、海の星
作曲者不詳/即興:バスダンス《新アリオト》(15世紀)
ギッツォーロ:セイレーンの歌/ネプチューンの応答
アルカデルト:真白で優しい白鳥は
アレグリ:セーヌのニンフたちの第5バッロ

~AIR~「気」の巻
フレスコバルディ:そよ風吹けば
(伝承曲):パッサメッゾ
モンテヴェルディ:いとも優しいナイチンゲールよ
プレトリウス:カナリー(カナリア)
モンテヴェルディ:西風が戻り

~FIRE~「火」の巻
作曲者不詳/カヴァリエーリ:おお、なんと新たな奇蹟よ
作曲者不詳:愛の神よ、与えてください(16世紀)
フォリアーノ:甘い愛の炎
トロンボンチーノ:あくまで従ってまいります
作曲者不詳:戦いの道をたどろうとする者は(17世紀)

~EARTH~「地」の巻
ビクトリア:レクイエム入祭唱
ホルボーン:パヴァーヌ:葬送
      アルマンド:愛の果実
ピッファロ:あなたの神々しい姿を
ランディ:生のパッサカリア~「死なねばならぬ」

An

カペラ・デ・ラ・トーレは2005年にミュンヘン生まれのショーム奏者カタリーナ・ボイムルによって創設された。今回使用された楽器は、

  • ショーム(シャルマイ・ポンマー):オーボエの前身
  • ドゥルツィアン:ファゴットの前身
  • サックバット:トロンボーンの前身
  • ツィンク(ルネサンス・コルネット):発音機構上金管楽器に属すが、木製
  • リュート、テオルボ:撥弦楽器
  • ポジティフオルガン
  • 打楽器

伝承曲「パッサメッゾ」は変奏曲になっており、途中からまるでジャズの即興演奏(インプロヴィゼーション)風になり、ノリノリだった。

モンテヴェルディ「西風が戻り」は奏者が一人ずつ演奏をやめ、舞台を立ち去り、最後はテオルボとオルガン奏者のふたりだけに。ハイドンの交響曲 第45番「告別」を彷彿とさせるな演出。

ヨーロッパの洗練を感じさせる、愉快な演奏会だった。

市川克明氏から、「1600年を境にオペラが生まれ(ヤコポ・ペーリ「ダフネ」「エウリディーチェ」)、長調と短調が明確に別れたのもこの頃」というお話があり、大変興味深かった。なお、モンテヴェルディのオペラ「オルフェオ」が初演されるのが1607年である。

またトロンボンチーノは奔放な人だったと触れられたので、興味を持って帰宅後調べてみた。

ルネサンス期に活躍した作曲家バルトロメオ・トロンボンチーノはその名の通りトロンボーン奏者でもあった。メディチ家のために演奏していたこともあるという。しかし素行に問題があり、マントヴァで宮廷音楽家となるもその悪行ゆえヴェネチアに逃亡。またマントヴァに戻ったと思ったら、今度は妻が愛人と密会しているのを目撃して殺害した。これは当時の慣例で許されたが、さらに別の悪行に及んで再びマントヴァを去り、フェラーラの宮廷に仕えるようになった。

!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月28日 (土)

幻の楽器アルペジオーネを生で聴く〜クリストフ・コワンと仲間たち

4月25日(水)兵庫県立芸術文化センター小ホールへ。

Img_1718

ニコラウス・アーノンクールに師事し、現在はモザイク・クァルテットのメンバーであるクリストフ・コワン(チェロ&アルペジオーネ)、オルフェウス弦楽四重奏団に以前所属していたジェローム・アコカ(ヴァイオリン)、金子陽子(フォルテピアノ)で、

  • ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第5番「春」
  • シューベルト:アルペジオーネ・ソナタ
  • リース:ロシアの3つのメロディーによるチェロとピアノフォルテのための変奏曲(日本初演)
  • ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 第5番「幽霊」
  • ショパン(フランショーム編):マズルカ第41番・34番(アンコール)

Img_1719

アルペジョーネは1823から24年にかけてウィーンのギター製造者ヨハン・ゲオルク・シュタウファーによって発明された6弦の弦楽器である(因みにチェロは4弦、クラシック・ギターは6弦)。しかし全く普及せず、シューベルトが24年に作曲したアルペジョーネ・ソナタ以外に後世にまで知られている曲は皆無。1871年になってこの曲がようやく出版された時には完全に忘れ去られた楽器に成り果てていた。つまり市場に出回ったのは僅か数十年という短命だった。

Arpeggione

現在アルペジョーネ・ソナタはチェロで弾かれることが多く、今井信子はヴィオラでレコーディングしている。

アルペジオーネを弾ける奏者は世界的に見ても希少で、恐らく一桁台だろう。だって一生懸命奏法をマスターしても、レパートリーがシューベルトの1曲しかないのなら、やり甲斐がないじゃない?そもそも博物館所蔵以外に弾ける状態の楽器は殆ど無い。

だから今回、千載一遇の体験が出来た。アルペジオーネはチェロよりも小さく、ギターやヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ(肩掛けチェロ)よりは大きい。

爪弾くとギターに音色が近い(但し通常は弓で奏でる)。チェロより高い音で軽やかで華やか。典雅な響きがした。

バロック・ヴァイオリンは朴訥で、帽子で例えるなら(飾りの付いた)fancy hatではなく、plain hatという印象。

ベートーヴェンのピアノ・トリオは端正で、音楽が弾けていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧