クラシックの悦楽

わが心の歌 25選 ③シャンソン「聞かせてよ愛の言葉を」と武満徹「小さな空」の関係

「聞かせてよ愛の言葉を( Parlez-moi d'amour )」は1930年に生まれたシャンソン。リュシエンヌ・ボワイエ( Lucienne Boyer ) が歌った。

20世紀の日本を代表する作曲家・武満徹は第二次世界大戦中の1945年8月初め、学徒動員で招集された陸軍食糧基地でこの歌に出会った。見習士官の一人が、手持ちの蓄音機を使ってこっそり内緒で敵国のレコードをかけたのである。中学生(14歳)の出来事だった。 その時のことを彼は次のように回想している。

それは、当時、私たちが接していた音楽というものと、まるで違うものだったのです。そのころ私たちはほとんど軍歌ばかり歌わされていたし、それに音楽も、敵性音楽といった欧米のほとんどの音楽は禁止されていました。その時、見習士官が私たちに聴かせてくれたのが、いま思えばフランスのシャンソンで、『パルレ・モア・ダアムール』(聞かせてよ、愛のことば)という歌でした。それは私にとっては初めて知った、軍歌とはまるで違う別の、しかも甘美な音楽でありました。それを聴いて、こんな素晴らしい音楽がこの世にあったのかと思いました。そのことが終戦になってからも忘れられなくて、音楽に自分の関心が集中してきました。

武満徹「私の受けた音楽教育」

Spotifyで聴くにはこちら。他のサブスクで検索する場合は日本語でなく、"Parlez"や"boyer"といったキーワードを入力するほうが確実に見つけられるだろう。

こんな歌詞だ。

聞かせてよ、愛の言葉を
優しく囁いて
あなたの美しいお話
聞き飽きたりなんかしない
何度でも繰り返して
その至福の言葉を
愛してると

知っているでしょ
私が心の底では信じてないのを
それでもまだ聞きたいの
愛撫するあなたの声で
私の大好きな言葉を
私は美しいお話に動揺し
心ならずもそれを信じたくなる

聞かせてよ、愛の言葉を
優しく囁いて
あなたの美しいお話
聞き飽きたりなんかしない
何度でも繰り返して
その至福の言葉を
愛してると

甘いささやきが、私の心をときめかす
空想上の生き物(シメール)を信じなかったら
ときに人生はつらいもの
でも安心させてくれる誓いの言葉を聞けば
悲しみは薄らぎ
口づけで心の傷は癒やされる

(第一節 繰り返し)

優しく慰撫するような歌声である。僕は終戦間近の日本の夏の日に、額に汗を浮かべながら陶然として78回転SPレコードに聴き入る武満少年の姿を幻視する。これが彼にとって音楽人生の出発点となった。

詩人・塚本邦雄はこのボワイエの歌唱を次のように評している(文中に出てくるメレとはスペインの女性歌手ラケル・メレのこと)。

......エメラルドとオパールが花影で觸れ合ひ煌めき合ふやうな美しい曲は、彼女がこの世に獻じた不壊の供物である。(中略)ジャン・ルノワールの曲もほとんど完璧であり、ボワイエの技巧も間然とするところがない。メレが蜜の甘さならボワイエは良質の冰糖の甘さ、その甘さに混るのは仄かな苦みである。

塚本邦雄「銀色のリラ リュシエンヌ・ボワイエ論」

武満徹(1930-1996)はストラヴィンスキーに認められ、ニューヨーク・フィルが初演した「ノヴェンバー・ステップス」など日本を代表する現代音楽作曲家として世界に名を轟かせたが、同時に「うた」の世界も忘れなかった。武満の「うた」は基本的に調性音楽で、大変聴き易い。中でも僕が一番大好きなのが「小さな空」。作詞も武満が手がけた。山田和樹/東京混声合唱団の演奏でどうぞ(こちら)。独唱バージョンもまた違った味わいがある(こちら)。他にも、混声合唱のための「うた」に収められた色々な曲を聴いてみてください。また、あまり知られていないが五木寛之(原作)小林正樹(監督)の映画「燃える秋」主題歌も哀愁が漂っていて良い(こちら)。ハイ・ファイ・セットが歌い、アレンジは別人の手による。

一方、武満のオーケストラ曲なら「夢の時(ドリームタイム)」と「系図ー若い人のための音楽詩」(谷川俊太郎が手がけた詩の朗読あり)の収録されたこちらのアルバムとか、「ウォーター・ドリーミング」の入ったこちらをお勧めする。

最後に、僕が推すシャンソンの名曲をいくつかご紹介しておく。

  • シャルル・トレネ Charles Trenet が歌う「ラ・メール ( La mer ) 」←「海」のこと。
  • エディット・ピアフが歌う「ばら色の人生 ( La Vie en rose )」「水に流して ( Non, je ne regrette rien )」「群衆 ( La Foule )」「パダム・パダム ( Padam padam )」
  • イヴ・モンタンが歌う「枯葉 ( Les Feuilles mortes )」「パリの空の下 ( Sous le ciel de Paris )」
  • ミレイユ・マチュー Mireille Mathieu が歌う「パリは燃えているか ( Paris en colère )」←同名映画の主題曲に歌詞を付けたもの。直訳すると「怒れるパリ」。Spotifyではこちら
  • 加藤登紀子が歌う「さくらんぼの実る頃」←パリ・コミューン時代の流行歌。宮崎駿監督『紅の豚』で使用された(こちら)。
  • ジャン・アヌイ(詞)フランシス・プーランク(曲)「愛の小径( Les chemins de l'amour )」ジェシー・ノーマンの歌唱でどうぞ(こちら)。

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新型コロナウィルスにより、変わりゆく世界の中で

新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐため、安倍晋三首相が全国すべての小中高校に3月2日から臨時休校することを求めたのが2020年2月27日。この時点で各地コンサートホールでの演奏会や演劇の公演が次々と中止になった。

コンサートを開催できない状況が続く中、僕が生演奏を聴いたこともある(@びわ湖ホール)、ヴァイオリニストの成田達輝が次のようなツィートを投稿した。

ここには記事〈新型コロナウィルスと”浮草稼業"〉に書いた、落語家・桂米團治(先代)が弟子の米朝に諭した言葉 ー好きな芸をやって生きているのだから、末路哀れになっても仕方がないー という覚悟・諦念がある。実に立派だと思う。たかだか劇場が1,2ヶ月閉鎖されただけで「演劇の死」などと大げさなことをほざく野田秀樹には彼の爪の垢を煎じて飲んでもらいたい。

ベルリン・フィル第1コンサートマスターを務める樫本大進はNHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」緊急企画(4月28日放送)の中でこう述べた。

コロナになる前は、音楽なしでは生きていけないと思っていました。本当に。社会的にも、僕自身だけじゃなく、音楽なしでは地球が回らなくなると思っていました。それを信じていましたから。でもそうではないんだなって、この1ヶ月ですごく分かって。自分でもそうじゃないんだなって、それよりもっと大事なものがいくらでもあるんだと。自分の健康から、家族の健康から、周りの人たちの健康から。ここまで自分の存在が使えないもの、必要ないもの、存在がないって感じたのは今回が初めてですし、3月の終わりの方ぐらいにすごく悩んだことでもありますし、「この仕事でいいのかな」とか反対に思っちゃいますし。

しかし一方で、自宅待機の生活が長く続く間にこういう感情も芽生えたという。

自分が弾きたくなったという気持ちがあって。今まで常に弾いているから、練習しなきゃではなく、コンサートしなきゃではなく、本当にただ自分のために弾きたいなっていう気持ちは、そこまで今まで味わったことがなかったので。僕でも必要と思っているということは、もっと必要と思ってくれている人がいっぱい外にはいるんだと考え始めました。(中略)文化を必要としているのは社会だと思う。心を失ったら社会は死んでしまうので、その心を生き残らせるために上からのサポートが必要というのは、ひとりひとりが叫ばなきゃだめだと思います。本当は今一番音楽っていうのが必要なものだと僕は思っています。一番生活に必要なくて、一番生活に必要なものだと、僕は信じています。

そして最後に視聴者へのメッセージ。

コロナっていう手ごわい相手に全員で戦っている状況です。みんなが闘っているということは、全世界がひとつになれるチャンスだと。気持ちを、みんなでひとつになれるような状況を作って、コロナを倒したあともっともっとすごい世界になれるように頑張りたいと思います。

精神科医・医学博士である高橋和巳が著書「人は変われる」(ちくま文庫)で書いたように、新型コロナ禍という絶望を経験することで自分を客観視できるようになり、現実をあきらめることで「新しい解釈」が生まれ、古い自分を乗り越えて新しい行動を取り始める姿がここに写し出されている(記事〈新型コロナウィルスという災厄の中から生まれるもの〉を参照されたし)。

日本では「自粛疲れ」が蔓延し、ウィルスに対する不安や恐怖心に押し潰され、世界中のサッカー選手にうつ病が急増したり、パニック/ヒステリー状態に陥った人々も少なくない。なんだか世間全体がピリピリしている。

  • 2月18日、福岡市の地下鉄でマスクを着用せずにせきをしていた乗客がいたことを理由に隣の乗客と口論となり、非常通報ボタンが押され列車が停止した。
  • 2月25日、横浜市のドラッグストア「マツモトキヨシ」に開店前からマスク買うために並んでいた列に割り込みがあり、殴り合いの喧嘩になった(その動画がマスコミで報道された)。
  • 大阪府警に「飲食店でくしゃみをしたことが発端でもめた」などの通報が相次いでいる。(4月26日サンケイスポーツより)
  • 4月28日、ブラジルのスーパーで男性客が店員にマスクをしていないことをとがめられて激高。店員を殴り倒した。止めに入った警備員にも殴り掛かり、警備員が拳銃を発砲、居合わせた女性店員の首に弾が命中し死亡した(この日州法で、公の場でのマスク着用が義務付けられた)。

しかし、悪いことばかりではない。

  • インド北部のパンジャブ州では新型コロナウイルス対策のロックダウン(都市封鎖)で全土の大気汚染が大幅に改善し、200キロ近く離れたヒマラヤ山脈が数十年ぶりに見晴らせるようになった。
  • 国際エネルギー機関(IEA、本部パリ)は4月30日、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受け、2020年のエネルギー関連の二酸化炭素(CO2)排出量が前年比約8%減少するとの見通しを公表した。米スタンフォード大学のロブ・ジャクソン教授は、この50年間でこれだけの効果を上げた危機は他にはなかったと語った。もしかしたら、地球温暖化の速度が緩むかも知れない。
  • 日本で各種学校の休校が長期化する中、 全国知事会でこの際9月入学に移行するべきだという意見が多く出された。僕は従来どおり、桜が咲く4月入学の方が情緒的には相応しいと考えるが、世界的標準に合わせた9月入学だと海外留学がしやすくなるなどメリットも見過ごせず、新型コロナ禍なくしてこういった議論も有り得なかったわけで、大変有意義なことだと思う。
  • 今回の騒動がきっかけで、オンライン授業やテレワークなどシステム環境の整備が一気に加速した。この経験は業務や学業が通常通り再開された後も、決して無駄にはならないだろう。

5月1日、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は当初イスラエルの都市テル・アヴィヴで予定されていたヨーロッパ・コンサートを新型コロナウィルスの蔓延により断念し、急遽会場を本拠地フィルハーモニーに移して無観客で実施、全世界に無料中継された。指揮はキリル・ペトレンコ、樫本大進がコンサートマスターを務めた。僕はリアルタイムで鑑賞。前半はアルヴォ・ペルト「フラストレス」、サミュエル・バーバー「弦楽のためのアダージョ」など弦楽合奏曲で、15人の奏者が間隔を2mくらい取り、十分なSocial Distance(社会的距離)を保って演奏した。真摯な祈りの気持ちがこもった、大変美しく感動的なパフォーマンスだった。プログラム後半、マーラーの交響曲第4番はエルヴィン・シュタインによる室内オーケストラ版。なんと独唱者(クリスティアーネ・カルク)を除いてたった14人!第1/第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスが1名ずつ、金管なし、木管がオーボエ、フルート、クラリネット各1名、そしてピアノ2名、ハルモニウム、打楽器という編成。〈音楽の力〉の凄みを、まざまざと見せつけられた!ただただ脱帽である。

コロナ禍の影響で倒産するホテル・飲食業・スポーツジム・ライブハウス・ミニシアター(映画館)は少なからずあるだろう。東京や大阪のオーケストラ、劇団で存続が困難になることろも出てくるだろう。仕方がない、あきらめるしかない。しかし、全部潰れるわけではない。気の毒だけれど、僕はダーウィンの進化論が言うところの「自然選択/自然淘汰」だと思う(ウィルス=自然)。優れたものだけが生き残るのだ。ミニシアターがなくなろうが、動画配信サービスがその代わりを担ってくれるだろう。4つある在阪オーケストラは統合して数を減らせば良い。その方が質も向上する。これが「新しい解釈」だ。

僕たちは今、世界恐慌や第二次世界大戦、あるいは「黒死病」と呼ばれるペスト(エボラ出血熱、マールブルグ病などウイルス性出血熱という説もあり)が大流行した中世ヨーロッパに匹敵する大きな困難に直面している。出口はなかなか見えてこない。しかし物事には暗い側面と、明るい側面がある。ピンチはチャンスだ。映画「風の谷のナウシカ」のラストシーンで描かれたように、絶望の中からも必ず希望の芽は生えてくる。僕はこの先、どんな新しい世界が広がっていくのか、とても胸を躍らせている。だから、(世界が生まれ変わる)その日が来るまでおとなしく"Stay Home"を守り、なんとか生き延びようではないか!

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新型コロナウィルスという災厄の中から生まれるもの

新型コロナウィルスが世界中で蔓延し、遂に日本でも緊急事態宣言が発令されるに至った。

僕が小学生だった頃(昭和)、学校(岡山大学教育学部附属小学校)で「戦争を知らない子供たち」(作詞:北山修/作曲:杉田二郎)を歌わされた。こんな歌詞だ。

戦争が終わって 僕らは生まれた
戦争を知らずに 僕らは育った
おとなになって 歩きはじめる
平和の歌を くちずさみながら

如何にも日教組の教員が好みそうな内容だ。

しかし僕は今思う。2020年に僕らは戦争を体験した。現在世界は戦時下にある。

日々犠牲者が増加し、外出も制限され、多くの人が仕事もままならない。ほぼ戦争状態と変わらない。緊急事態宣言≒戒厳令であり、敵は目に見えないウィルスだ。

演奏会が中止になったオーケストラの楽員が「僕たちは不要不急。要らないって、言われているみたいで悲しい」と発言している様子がテレビで報道された。

ようやく気がついたか。音楽とか演劇がなくても人は生きていける。今回のような生命に関わる非常事態を迎え、扱いが二の次になることは当たり前だ。生演奏の代替品として今はCDやSpotify,Amazon Musicなど定額制音楽配信(サブスクリプション)サービスがあるしね。

芸術は心の豊かさをもたらしてくれる。しかしそれには大前提があって、「生活や心に余裕がある時」に限られる。3・11東日本大震災の際、東北の人々を励ますために芸術家たちが訪れたのも直後ではなかった。落語や漫才で人々が朗らかに笑えるようになるにも時間が掛かる。

上記事で「パニックになった時、人の本性は現れる」と僕は常々思っていると書いた。2020年3月以降、20−30歳代の若者たちの無軌道ぶりが目に余る。1月以降に大学から海外渡航を控えるよう注意喚起されていたにもかかわらず卒業旅行としてヨーロッパに行き、新型コロナウィルスを日本に持ち帰り、症状があったのに卒業式や祝賀会に出席してウィルスをばら撒いた県立広島大学や京都産業大学の4年生たち。小池百合子・東京都知事が緊急会見で外出自粛を要請した翌日の3月26日に約40人が都内のダイニングバーで「お疲れ様会」なる懇親会を開催。会は三次会まで続き、最後はカラオケだったという慶応病院の研修医たち(18人が集団感染した)。同じ3月26日にナイトクラブを訪れて感染した岐阜大学の医師3人(30代2人、20代1人)。おかげで岐阜大学附属病院は4月19日まで約30あるすべての診療科の外来診療を休止することになった。

彼らは心の内にある欲望が外部に溢れ出ることを制御出来ない。遊びたくて仕方がないー本能の命ずるまま生きている。自分さえ良ければ満ち足りるのだ。他者のことは一切考えない。そして「自分は絶対大丈夫」という変な自信、万能感を持っている。これが若さの本質であり、愚かしさ、未熟さなのだ。

僕が思うに新型コロナウィルスとの戦いに勝ち抜いた暁に、世界は大きく変わっているのではないだろうか?今回の事態は間違いなく、1929年の世界大恐慌や、1939年に勃発した第二次世界大戦に匹敵する危機的状況である。第二次世界大戦の前後で、特にドイツと日本は劇的な変化を遂げた。それも良い意味において。ピンチはチャンスだと考えたい。

精神科医・医学博士である高橋和巳はその著書「人は変われる」(ちくま文庫)の中で、心には三つの能力がある、と記している。

第一の能力は、自分から離れることができる(自分を客観視できる)能力。第二の能力は、絶望することができる能力。そして第三は、純粋性を感じることのできる能力。現在の解釈を越えてより深い「新しい解釈」を生み出すことで、人は古い自分を乗り越えていく。

人が絶望的状況に直面した時、対処するためのキーワードは「どうしようもない」と「あきらめました」。この言葉を呟くことで頭の中に配置の転換が起こる。現実をあきらめることで、自分に対する自信を取り戻す。そして新しい行動を取り始めるのだ。

文庫本の解説を書いた女優・中江有里は「あきらめました」を、大きな嵐をやり過ごすための魔法の言葉だ、と述べている。

第三の純粋性を感じる能力とは、思い込みや過去の自分の常識に縛られないで、新しい心の動きを感じることができることを指す。

多くの人々は現在、新型コロナウィルスに対して絶望的な気持ちを抱えている。しかしこの苦境を乗り越えることできっと「新しい解釈」「新しい自分」を見出すだろう。僕らはまだまだやれる。決してへこたれない。

北米では殆どの映画館が閉鎖になっている。そして再開されても以前のように観客は戻ってこないと予想されている。「映画は映画館で観るもの」という固定概念・過去の常識がここで一気に雲散霧消する。日本でもライブハウス同様、多くのミニシアターが閉館に追い込まれるだろう。仕方がない、あきらめた。動画配信時代の到来である。

また、新日本フィルハーモニー交響楽団が新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から演奏会の中止・延期を余儀なくされており、楽団存続の危機に立たされている(緊急支援のお願いページへ)。大阪府にある4つのオーケストラ(大阪フィル、関西フィル、大阪交響楽団、日本センチュリー交響楽団)も似たような状況だろう。どこかが経営難で解散に追い込まれても不思議じゃない。仕方がない、あきらめた。そもそも下手くそなオケが大阪に4つもあるなんて無駄、不経済なのである。1つや2つなくなったって文化の火は消えないし、今こそ発想の転換を図るべき時なのだ。新型コロナウィルスで野田秀樹氏が言うような「演劇の死」は訪れないし、クラシック音楽だって死なない。どっこい生きている。

お荷物になっている在阪オケをどうするかという問題については随分昔から俎上に載せられてきた。2006年に関西経済連合会の秋山喜久会長(当時)が「大阪に4つもあるのはどうか」と語ったことに端を発する。

さらに橋下徹氏が大阪府知事・大阪市長を努めた時代に、大阪センチュリー交響楽団に対して大阪フィルと統合するよう促したが、両楽団が突っぱねて見送られたという経緯がある。そうして大阪センチュリーは日本センチュリー交響楽団に改名した。

しかし悪あがきはもうおしまいだ。 火急の事態が逼迫しており、即座の対応が求められる。あなた達は「不要不急」の存在なのだから、経営の合理化を目指して前向きに統合についての話し合いを進めてもらいたい。今こそ生まれ変われ!

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ベルリン・フィルのメンバーによる室内楽 〜ピアノ四重奏の夕べ〜(東京は無観客ライブ・ストリーミング配信/大阪は公演決行!)

3月16日(月)大阪のザ・フェニックスホールへ。

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実はその前日15日(日)に東京・春・音楽祭でも同じプログラムでコンサートが予定されていたが、新型コロナウィルス感染拡大のため公演中止となり、東京文化会館 小ホールから【無観客ライブ・ストリーミング配信】された。大阪では幸運にも実演が聴けたというわけ。

曲目は、

  • モーツァルト:ピアノ四重奏曲第1番
  • フォーレ:ピアノ四重奏曲第1番
  • ドヴォルザーク:ピアノ四重奏曲第2番

メンバーはヴァイオリン:ガイ・ブラウンシュタイン(元ベルリン・フィル第1コンサートマスター、イスラエル生まれ)、ヴィオラ:アミハイ・グロス(ベルリン・フィル首席奏者、イスラエル生まれ)、チェロ:オラフ・マニンガー(ベルリン・フィル ソロ・チェロ奏者、ドイツ生まれ)、ビアノ:オハッド・ベン=アリ(イスラエル生まれ)。

ベルリン・フィル|デジタル・コンサートホールで見慣れた面々である。

しかしこうしてプロフィールを眺めると、ベルリン・フィルの弦楽器奏者はユダヤ人が多いのだなということに気付かされる。現在、第1コンサートマスターを務める樫本大進や首席ビオラ奏者・清水直子をはじめとして日本人奏者も沢山いて、ユダヤ人+日本人がヴァイオリン・ヴィオラのセクションに占める割合は相当高いのではないだろうか?さすが〈弦の国〉だ。

ところが一方、面白いことにベルリン・フィルの低弦:つまりチェロとコントラバス奏者に日本人は一人もいない。ヴァイオリン・ヴィオラは得意だけれど、低弦は苦手という現象は一体全体どういうわけ??誰か事情にお詳しい方、ご教示頂ければ幸いである。閑話休題。

ウィーンの音楽家たちによる角が取れ、馥郁たる香り漂う演奏と異なり、重厚で厳格なモーツァルトだった。こういうのも悪くない。

フォーレは水を得た魚のようにピチピチと跳ねる。第一楽章は靄がかかった中から音楽が立ち現れ、第二楽章のスケルツォは鋭い。

全体を通して改めて感じたのは、室内楽とは対話なのだなということ。耳を澄ませてお互いの声をよく聴き、邪魔しない。その〈親密さ Intimacy〉こそ最大の魅力である。

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クラシック音楽をどう聴くか?〜初心者のための鑑賞の手引き

クラシック音楽に興味があるけれど、どう聴いたら良いのサッパリかわからない、途方に暮れるという若い方、特に中学生・高校生に向けてこれを書いてみようと思う。勿論、大人の初心者の方も大歓迎だ。出来る限りわかり易く、奥深い森への道案内をしたい。

記事全体の構成をご紹介しよう。①「まず、何から手を付けたら良いの?」……取っ掛かりに最適の曲をご紹介する。②映画を大いに活用しよう!……ぼんやり観ているだけで良いので即効性があり、とっても効果的だ。③「演奏時間が30分以上もある交響曲とかソナタを、どう受け止めれば理解出来るの?」……そのコツを伝授する。意外と簡単。

では早速始めよう。

①「まず、何から手を付けたら良いの?」

僕の経験からお話しよう。最初にクラシック音楽って楽しい!と開眼したのは小学校4,5年生の頃。切っ掛けはヴィヴァルディの「四季」だった。

初心者にとって長大なクラシック音楽は雲を掴むようで覚束なく、聴いていると眠くなってしまう。抽象的で、具体的な絵とか形(目に見えるもの-vision)や物語がないからである。しかしヴィヴァルディの「四季」は標題音楽であり、物語がある。それを読みながら聴けば、情景が目に浮かんでくる。CDの解説書を読めば良いのだが、最近はSpotify,Amazon Musicなど定額制音楽配信(サブスクリプション)サービスを利用している方も多いだろう。そういう場合に便利なのがWikipediaである。「四季」の解説はこちら。【ヴィヴァルディ】【四季】でgoogle検索すれば、直ぐ見つけられる(キーワードに【wiki】 を加えても、加えなくても良い)。おすすめの演奏は◎ビオンディ/エウローパ・ガランテ、◯スタンデイジ/ピノック/ イングリッシュ・コンサート、◯カルミニョーラ/ヴェニス・バロック・オーケストラといったところ。

Siki

ヴィヴァルディ「四季」に似た趣向の作品としてベートーヴェン:交響曲第6番「田園」が挙げられる(【ベートーヴェン】【田園】でググる=google検索)。お勧めの演奏は◎ベーム/ウィーン・フィルか、◯ネルソンス/ウィーン・フィル、◯パーヴォ・ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィル。同じベートーヴェン:交響曲第5番「運命」は苦難(第1楽章 ハ短調)を乗り越えて歓喜(第4楽章 ハ長調)へ!という明快なコンセプトがあるのでこれも判り易い。◎クライバー/ウィーン・フィルか、◯アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス 、◯クルレンツィス/ムジカエテルナあたりで。この「運命」のコンセプトに追随したのがチャイコフスキー/交響曲第5番、マーラー/交響曲第5番、ショスタコーヴィッチ/交響曲第5番。ただしショスタコの場合は屈折しており、一筋縄ではいかない。

本題に戻ろう。他に標題音楽としてホルスト:組曲「惑星」(カラヤン/ベルリン・フィル)、リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェヘラザード」(デュトワ/モントリオール交響楽団)、ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」(ショルティ/シカゴ交響楽団)、チャイコフスキー:組曲「くるみ割り人形」(カラヤン/ベルリン・フィル)、サン=サーンス:組曲「動物の謝肉祭」(アルゲリッチ、マイスキー、クレーメルほか)、プロコフィエフ:交響的物語「ピーターと狼」、グリーグ:劇付随音楽「ペール・ギュント」組曲(カラヤン/ベルリン・フィル)、メンデルスゾーン:劇付随音楽「夏の夜の夢」(プレヴィン/ウィーン・フィル)、ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲、交響詩「海」(ブーレーズ/クリーヴランド管)、レスピーギ:交響詩「ローマの松/祭り/噴水」(ローマ三部作) などが挙げられる。ローマ三部作は◎ムーティ/フィラデルフィア管か、◯バッティストーニ指揮/東京フィルハーモニー交響楽団で。

ロックが好きな人にはストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」がピッタリ。ピンク・フロイドの「原子心母」とか、エマーソン・レイク・アンド・パーマーの「タルカス」、イエス(バンド)などプログレッシブ・ロックに近い。◎クルレンツィス/ムジカエテルナか、◎ロト/レ・シエクル、◯ブーレーズ/クリーヴランド管で。

標題音楽じゃないけれど、ジャズ好きにはガーシュウィン:「ラプソディ・イン・ブルー」や「パリのアメリカ人」がお勧め。指揮&ピアノはバーンスタインかプレヴィン、レヴァインで。

またベルリオーズ:幻想交響曲は失恋のショックで悶々とし、アヘンを吸いながら作曲された狂気の音楽(サイケデリック・ミュージック)だ。すこぶる面白い!◎アバド/シカゴ交響楽団や◯ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊、◯ロト/レ・シエクルの演奏でどうぞ。

小品ではデュカス:交響詩「魔法使いの弟子」、スメタナ:交響詩「モルダウ」、ムソルグスキー(リムスキー=コルサコフ編):交響詩「禿山の一夜」、ボロディン:交響詩「中央アジアの草原にて」、シベリウス:交響詩「フィンランディア」「トゥオネラの白鳥」、ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」「春の声」「ウィーンの森の物語」「トリッチ・トラッチ・ポルカ」、イヴァノヴィッチ:ワルツ「ドナウ川のさざなみ」、ワルトトイフェル:スケーターズ・ワルツ、メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」、マスネ:タイスの瞑想曲、ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲、スッペ:オペレッタ「軽騎兵」序曲、ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」序曲、ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死、歌劇「ローエングリン」第三幕への前奏曲、マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲あたり。シュトラウス一家のワルツ・ポルカならウィーン・フィルの演奏で。指揮者はカルロス・クライバー、ボスコフスキー、ティーレマン、ネルソンスあたり。その他の小品は◯カラヤン/ベルリン・フィルか、◯ロビン・ステープルトン/ロイヤル・フィルで。Spotifyで【ステープルトン】と入力し、検索すれば僕が作成したプレイリストが出てくる。

女性の場合はオーケストラ曲よりもピアノ曲のほうが馴染みやすいかも知れない。モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲付き」、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」、第17番「テンペスト」、第23番「熱情」、エリーゼのために、ドビュッシー:月の光(ベルガマスク組曲)、夢、アラベスク第1番、亜麻色の髪の乙女、ショパン:革命、雨だれ、エオリアン・ハープ、英雄ポロネーズ、子犬のワルツ、シューマン:トロイメライ(子供の情景)、ノヴェレッテ第1番、リスト:愛の夢第3番、ため息(3つの演奏会用練習曲)、ラ・カンパネッラ(パガニーニ大練習曲)、グリーグ:ノクターン(抒情小曲集)といったところか。ピアニストとしてはピリス(モーツァルト)、内田光子(モーツァルト)、河村尚子(ベートーヴェン、ショパン)、ポリーニ(ベートーヴェン、ショパン)、アルゲリッチ(ショパン、シューマン)、フランソワ(ドビュッシー)、メジューエワ(ベートーヴェン、シューマン、ショパン)、ボレット(リスト)、アムラン(リスト)、ギレリス(ベートーヴェン、グリーグ)なら間違いなし。

②映画を大いに活用しよう!

映画は得体の知れないクラシック音楽を、明確なvision(視覚)に結びつける力がある。一番のお勧めはディズニーの「ファンタジア」(1940)。「ファンタジア 2000」もある。①でご紹介した小品がいくつも登場する。次に恩田陸原作の日本映画「蜜蜂と遠雷」。浜松国際ピアノコンクールがモデルになっている。またウディ・アレンの「マンハッタン」を観ればガーシュウィンの曲が大好きになるだろう。そしてMGMミュージカルの最高傑作「巴里のアメリカ人」。劇団四季が上演している舞台版を観てもいいい。あとクロード・ルルーシュ監督「愛と哀しみのボレロ」、アカデミー作品賞・監督賞に輝いた「アマデウス」。〈春の祭典〉初演時に於ける阿鼻叫喚の大混乱を活写した「シャネル&ストラヴィンスキー」や、ブラームスとクララの関係を描く「クララ・シューマン 愛の協奏曲」も面白い。また古い白黒映画だが今井正監督「ここに泉あり」と、大指揮者ストコフスキーも出演するディアナ・ダービン主演「オーケストラの少女」は名作中の名作。ジェニファー・ジョーンズ主演の美しい幻想映画「ジェニーの肖像」は全編にドビュッシーの名曲が散りばめられている。

あと大林宣彦監督「さびしんぼう」ではショパンの〈別れの曲〉、「ふたり」ではシューマンの〈ノヴェレッテ第1番〉とベートーヴェンの第九、「転校生」では〈トロイメライ〉〈タイスの瞑想曲〉〈アンダンテ・カンタービレ〉、細田守監督のアニメ版「時をかける少女」ではJ.S.バッハの〈ゴルトベルク変奏曲〉、ルキノ・ヴィスコンティ監督「ベニスに死す」ではマーラーの交響曲第5番が好きになるだろう。おっと、ヴィスコンティの「ルートヴィヒ」も忘れちゃいけない。〈ジークフリート牧歌〉〈子供の情景〉が印象的。タイムトラベルもの「ある日どこかで」はラフマニノフの〈パガニーニの主題による狂詩曲〉、中国映画「太陽の少年」は〈カヴァレリア・ルスティカーナ〉間奏曲がフィーチャーされている。またスタンリー・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」を観る前には是非、ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」を読んでおきたい。貴方がさらにディープな世界を体験したければ、ケン・ラッセル監督「マーラー」、「エルガー 〜ある作曲家の肖像〜 Elgar : Portrait of a Composer」、そしてディーリアスの晩年を描く「夏の歌 Song of Summer」をご覧あれ。

③「演奏時間が30分以上もある交響曲とかソナタを、どう受け止めれば理解出来るの?」

長大な交響曲や、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、フルートなど独奏楽器のためのソナタは、基本的に同じ構造を持っている。その共通項さえ把握しておけば、比較的聴き易くなるだろう。

古典派のハイドンからロマン派のシューマン、ブラームスあたりまで、交響曲や協奏曲、ソナタの大半は3楽章か4楽章で構成される(5楽章の「田園」など例外はあるが、ごく僅か)。全3楽章の場合は第2楽章、全4楽章の場合は第2,3楽章のことを【中間楽章】と呼ぶ。そして速度(tempo)は【開始楽章ー中間楽章ー終楽章】が、【急(fast)ー緩(slow)ー急(fast)】となっている。全4楽章の場合、【中間楽章】は【緩徐(slow)楽章】と【舞踏(dance)楽章】で構成される。ハイドンとモーツァルトの時代、【舞踏楽章】は基本にメヌエットだったが、ベートーヴェンがそれをスケルツォに変えた。イタリア語で「冗談」を意味し、語源的にはふざけた、諧謔(かいぎゃく)的音楽を指す。道化的と言い換えても良い。チャイコフスキーの場合、スケルツォの代わりにワルツを置いた。またブルックナーのスケルツォはホルンが活躍する「狩り」の音楽だ。【緩徐楽章】と【舞踏楽章】の順番はまちまち。マーラー:交響曲第6番みたいに、指揮者の解釈によって入れ替わる場合もある。

【開始(第1)楽章】は大半がソナタ形式である。【提示部ー展開部ー再現部ー結尾部(Coda)】で構成される。時に冒頭に【序奏】が置かれることがある。開始楽章は前述したようにテンポが速いが、【序奏】は対照的にゆったりしている。代表的なものにモーツァルト:交響曲第39番、ベートーヴェン:交響曲第7番、ブラームス:交響曲第1番がある。

【提示部】では主題(テーマ)が提示される。ハイドン、モーツァルトからブラームスあたりまで基本的に第二主題まで。ブルックナーの交響曲は第三主題がある。肥大化したマーラーの交響曲はもっと複雑で、第3番なんか第四主題まである。第一主題が長調の場合、第二主題は属調、第一主題が短調なら第二主題は平行調となる。例えば第一主題がハ長調(ドレミファソラシ)なら第二主題はト長調(ソラシドレミファ#)、半音階で七つ上(完全五度)。第一主題がイ短調(ラシドレミファソ)なら第二主題はハ長調(ドレミファソラシ)となる。つまり転調することで第二主題の開始が分かる。交響曲の場合、第一主題(動)は弦楽器、第二主題(静)は木管楽器が主体となる。基本的に【提示部】の終わりには繰り返し記号がある(最初に戻る)。聴衆に主題を覚えてもらうためだ。しかし指揮者によっては繰り返しを無視してサッサと次に移る人もいる。古楽器系オーケストラを振る指揮者は大抵、律儀に繰り返しを実行する(アーノンクール、ブリュッヘン、ノリントン、コープマン、ホグウッド、延原武春、鈴木秀美、ガーディナー、インマゼール、ラトル、パーヴォ・ヤルヴィ、ミンコフスキ、ロト、クルレンツィスら)。

【展開部】提示部で示された主題を様々に変奏、料理する。第一主題だけ扱われることが多い。

【再現部】提示部の主題が元の形で再現される。第二主題→第一主題の順番になることがしばしば。

【終楽章】はソナタ形式か、ロンド形式。特に協奏曲はロンド形式が圧倒的に多い。ロンド形式とは異なる主題をはさみながら、同じ旋律(ロンド主題)を何度も繰り返す。図式化すると、

A-B-A-C-A-D-...-A

つまり、常にAに戻ってくる。フランス語でrond(ロン)/ronde(ロンド)は「丸い」という意味で、英語ではround(ラウンド)となる。日本語で輪舞曲というのはそのため。

【舞踏楽章(メヌエット/スケルツォ/ワルツ)】は、ほぼ三部形式(A-B-A)だと考えて間違いない。Aを主部、Bを中間部(トリオ)という。トリオが2回登場するA-B-A-B-Aという特殊形もある(ベートーヴェン:交響曲第7番)。また複合三部形式というのもあり、主部や中間部がさらに細かくa-b-a/c-d-cで構成される。

【緩徐楽章】は一番バラエティに富む。ソナタ形式だったり、展開部を欠くソナタ形式(A-B-A-B)だったり(ベートーヴェン:交響曲第4番)、 ロンド形式だったり(ベートーヴェン「英雄」)、主題と変奏曲だったり(ベートーヴェン「運命」)する。

今まで述べてきた形式が基本形だが、時にフーガが登場することもある。代表例がモーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」やベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番、サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付き」、ブルックナー:交響曲第5番の終楽章。ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番は終楽章が後に独立し「大フーガ」となり、続く弦楽四重奏曲第14番は第1楽章がフーガ。

ブラームス:交響曲第4番は特殊で、第4楽章がシャコンヌ(またはパッサカリアとも言う)。たった8小節のシャコンヌ主題に、30もの変奏及びコーダが続く。これはJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番の終曲シャコンヌと併せて聴きたい。バッハのシャコンヌはストコフスキーや斎藤秀雄の編曲による管弦楽版もある。

いかがでしたか?例外もあるが、概ね基本構造はどれも同じ。何も難しいことはない。だから「ここまでが提示部(第一主題/第二主題)、この先が展開部…」といった具合に構造を意識して聴こう。これから聴く曲がどういう形式になっているか、予め解説書かWikipediaに目を通せば良い。Wikiには大抵の曲が載っているから。便利な時代になったものである。

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新型コロナウィルスと”浮草稼業“

新型コロナウィルス感染症の影響で、どんどんコンサートや各種イベントが中止に追い込まれている。2020年2月26日(水)、Perfumeが予定していた東京ドーム公演の2日目が中止された。開演5時間前の決定だった。新聞記事によると東京ドームのキャンセル料は実損2億円だという。

僕は2月29日(土)に兵庫県立芸術文化センターでフィンランドの俊英サントゥ=マティアス・ロウヴァリが指揮するエーテボリ交響楽団を聴く予定だったが、26日夕方に公演中止がアナウンスされた。なんとオーケストラの楽員は既に、遥々スウェーデンから日本に到着していた。一度も演奏することなく帰国することになった彼らがとても気の毒だ。

また37()8()にびわ湖ホールで上演される予定だったワーグナーのオペラ「神々の黄昏」も中止が決定された。「ニーベルングの指環」4部作を4年間かけて上演する大プロジェクトの最後を飾る筈の作品だった。チケットは既に購入しており、無念で仕方ない。

びわ湖ホールは赤字経営で滋賀県は毎年、11億円という助成金を出している。「神々の黄昏」の制作費は1億6千万円。その収益が0になった。果たして今後も存続出来るのだろうか!?

東京・帝国劇場や大阪・梅田芸術劇場、宝塚大劇場、劇団四季の全国の劇場もこの先2週間前後の公演中止を決定した。

さて、ミュージカル「レ・ミゼラブル」でジャン・バルジャンを演じたこともある某役者が、新型コロナ騒動に関して「文化、芸術だって経済を動かしている。劇場公演を中止するのなら、電車も止めろ」とツィートしている。また映画「蜜蜂と遠雷」でサウンド・トラック制作にも参加した某ピアニストは、「政府の要請を受け音楽業界は大騒ぎ、中止や公演延期が次々発表されていく。その一方、都内のラッシュ時に電車は相変わらず満員で、駅は大混雑。ウィルス拡散防止のバランスはこれでいいの?」という旨をSNSで呟いている。

呆れてしまった。そしてその直後からこみ上げてくる笑い。彼らは自分たちの職業が、”浮草稼業”であるという自覚がないのだろうか?

物事には優先順位がある。生命の危機に晒された緊急事態にまずカットされるのは音楽や芸能活動、娯楽、つまり全てひっくるめてAmusement & Entertainmentであることは仕方がないことだ。人が生きていく上で音楽や芝居がなくても差し障りはない(この際、”心の豊かさ”は二の次。そんな余裕はない)。

しかし首都圏の電車を止めたらどうなる?(職員の通勤に支障をきたし)霞が関や病院が機能しなくなっても構わないのか?電気やガスが止まって良いとでも?食料の流通もままならなくなる。ライフラインと芸能活動を等価で語るのは非常識だろう。

そもそも安倍総理は大規模なイベントの中止・延期を「要望(リクエスト)」しているのであって、これは行政命令ではない。主催者が総理の意向を忖度(そんたく)しているに過ぎない。あるいは日本人の特徴である同調圧力と言い換えることも出来る。強制力はないのだから「右にならえ」せず、したい者は信念を持って公演を続行すればいい。

上方落語界で唯一の人間国宝だった故・桂米朝は弟子入りした折、師匠の米團治から次のように言われたという。

「芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が良いの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに、むさぼってはいかん。ねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へのお返しの途はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで」

音楽家にしろ役者にしろ「米一粒、釘一本もよう作らん」身の上であり、「ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へのお返しの途はない」のも全く同じだろう。そういう”浮草稼業”でありながら、噺家と違って彼らに欠けているのは末路哀れという「覚悟」なのではないか?浮世離れしているというか、頭の中がお花畑なのだ。

こうした常識外れな音楽家たちの生態を見事に描き出したのが漫画「のだめカンタービレ」である。登場人物たちは全員、社会性が欠如した奇人・変人ばかり。でも芸術家って、きっとそれでいいのだ。世間は彼らの突出した才能だけすくい取って、消費する。そういう社会システムになっている。

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【考察】音楽とは何か?〜J.S.バッハ・オルガン作品演奏会:小糸 恵

いずみホールとバッハ・アルヒーフ・ライプツィヒ共同企画、今回登場したオルガニストはローザンヌ高等音楽院のオルガン科教授を務める小糸 恵である。いずみホール音楽ディレクターだった礒山 雅が不慮の事故(雪で足を滑らせ転倒、頭部を強打)で亡くなったのが2018年2月22日。その2年後の命日に同ホールで演奏会が行われた。

Koito

オール・J.S.バッハ・プログラムで、

  • プレリュードとフーガ ハ長調 BWV 545
  • “いざ来ませ、異邦人の救い主” BWV 659
  • “われらが神は堅き砦” BWV 720
  • “心よりわれこがれ望む” BWV 727
  • “われはいずこにか逃れゆくべき” BWV 646
  • “来ませ、造り主なる聖霊の神よ” BWV 667
  • トリオ ト短調 BWV 584
  • プレリュードとフーガ ト短調 BWV 535
    (休憩)
  • “おお人よ、汝の大いなる罪を嘆け” BWV 622
  • プレリュード ハ短調 BWV 546/1
  • Vn.とチェンバロのためのソナタ第3番 第1楽章(小糸恵編)
  • “バビロンの流れのほとりに” BWV 653
  • トッカータとフーガ ニ短調 BWV 538(ドリア調)

アンコールは、

  • カンタータ「神の時こそ良き時」 BWV 106から
    第1曲 ソナティーナ

「神の時こそ良き時」は別名「哀悼行事」と呼ばれ、葬儀の時に演奏するものと推測されている。つまり礒山への追悼としてわざわざ選ばれた楽曲だった。

2013年3月に小糸や礒山がステージに立った、次のような講演を僕は聴いている。

小糸のオルガン演奏は色彩豊かで(音色の選択が洗練されている。特に葦笛のようなコラール!)、力強く、動的(powerful & dynamic)。腹にこたえる、ずっしりした響きがある。

バッハの音楽、特にカンタータや受難曲、オルガン曲は神への捧げ物、供物であった。貴方がキリスト教徒であるかどうかに関わらず、生で演奏されるバッハのオルガン曲は間違いなく聴衆に神秘的な「ヌミノース体験」をもたらす。それはベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタ(第30,31,32番)や、後期弦楽四重奏曲(「大フーガ」,第14,15番)も同様である。

ヌミノースとは、「宗教体験における非合理的なもの」を指し、もともとはドイツの宗教学者であるルドルフ・オットーが提唱した宗教学の用語である。スイスの精神科医/心理学者カール・グスタフ・ユングはヌミノースについて「意志という恣意的な働きによって引き起こし得ない力動的な作用もしくは効果である。逆にヌミノースは、人間という主体を捉え、コントロールする。(中略)ヌミノースは、目に見える対象に帰属する性質でもあれば、目に見えない何ものかの現前がもたらす影響でもあり、意識の特異な変容を引き起こす」と述べている。「ヌミノース体験」に関して詳しくは、京都文教大学 松田真理子 准教授の解説をお読み頂きたい→こちら

早い話がヌミノース=「スター・ウォーズ」におけるフォースである。「ヌミノース体験」は瞑想や祈り、LSDなどのドラッグによるトリップでも獲得出来る。ザ・ビートルズの名盤「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に収録された"ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ(Lucy In The Sky With Diamonds) "はこの「ヌミノース体験」を歌っている。タイトルの頭文字を繋げたらLSDになるでしょ?正にサイケデリック・ミュージックである。

僕が中学生の時に読んだトルストイの「戦争と平和」で、今でも鮮烈に覚えている場面がある(以降、再読はしていない)。ロシア貴族で青年士官のアンドレイは、ロシア軍とナポレオン率いるフランス軍との〈アウステルリッツの戦い〉に臨み、敵弾に撃たれ仰向けに倒れる。そこで彼が見たのは高い空だった。そして次のように思う。

なんて静かで、落ち着いていて、おごそかなんだろう。おれが走っていたのとはまるで違う。

おれたちが走り、わめき、取っ組み合っていたのとはまるで違う。憎しみのこもった、怯えた顔で、フランス兵と砲兵が砲身清掃棒を奪い合っていたのとはまるで違うーまるで違って、この高い果てしない空を雲が流れている。どうしておれは今までこの高い空が見えなかったのだろう?そして、おれはなんて幸せなんだろう、やっとこれに気づいて、そうだ!すべて空虚だ、すべて偽りだ、この果てしない空以外は。何も、何もないんだ、この空以外は。いや、それさえもない、何もないんだ、静寂、平安以外は。ありがたいことに!、、

藤沼貴 訳/岩波文庫)

つまりアンドレイにとって空は神に等しい存在となった。これも「ヌミノース体験」と言えるだろう。

万葉集研究の第一人者で、新元号「令和」の考案者だと目される中西進は著書「万葉の秀歌」(ちくま学術文庫)において、御神酒(神前に供える。新海誠「君の名は。」の口噛み酒)を次のように説明する。

酒を飲むと、不思議な精神状態、すなわち「アソ」(ぼんやりした)なる状態になるので、神と人間との交流を可能にする陶酔と恍惚をつくりだすものとして、人々は酒を供えた。また音楽を奏してもアソになるので、これを神前に奏した。琴や鼓笛などの楽器は「あそぶ」もので、あそぶはアソなる状態になることであった。

つまり酒を飲んで「アソ」になるのはヌミノース体験そのものである。そして今回、小糸の演奏で聴いたバッハのオルガン音楽も「アソ」な気分に誘(いざな)ってくれた。特に「トッカータとフーガ ニ短調(ドリア調)」のクライマックスでは、閉じた瞳の中に眩い光のシャワーが放射状に降り注ぐのが見えたような錯覚に囚われた。僕はスティーブン・スピルバーグ監督「未知との遭遇」で巨大なマザーシップ(≒曼荼羅)が降臨してくる場面を思い出した。

この演奏会はNHKによりテレビ収録されており、2020年3月13日(金)5:00よりBSプレミアム「クラシック倶楽部」で放送される予定。

遊びをせむとや生まれけむ
戯(たはぶ)れせむとや生まれけむ
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さへこそゆるがるれ


(梁塵秘抄:りょうじんひしょうー平安時代の流行歌)

 

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木嶋真優 & イリヤ・ラシュコフスキー デュオ・リサイタル

2月2日兵庫県立芸術文化センター@西宮へ。

上海アイザック・スターン国際ヴァイオリン・コンクールで優勝した木嶋真優と、恩田陸の小説「蜜蜂と遠雷」で有名になった浜松国際ピアノコンクールで優勝したロシア出身のイリヤ・ラシュコフスキーを聴く。

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  • シューマン:幻想小曲集
  • シューマン:アラベスク(ピアノ・ソロ)
  • フランク:ヴァイオリン・ソナタ
  • プロコフィエフ:「ロメオとジュリエット」組曲(リディア・バイチ 編)
  • プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ 第2番

アンコールは

  • グラズノフ:瞑想曲 ニ長調 Op.32
  • スメタナ:わが故郷より
  • チャイコフスキー:「白鳥の湖」より“黒鳥”

シューマン「幻想小曲集」は元々、クラリネットとピアノのために書かれたもの。

プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ 第2番の原曲はフルート・ソナタで、これを聴いたダヴィド・オイストラフが作曲家にヴァイオリンへの編曲を熱心に勧め、オイストラフ自身が初演した。

木嶋は兵庫県神戸市生まれで、学生時代に西宮北口で阪急電車を乗り換え、小林駅まで通学していたという(小林聖心女学院小・中学校卒業)。

非常に雄弁で情熱的な演奏だった。大ホールの2階席中央で聴いたが、しっかり音が飛んできた。ラシュコフスキーのピアノは達者だが、余り印象に残らず。

2000席が完売。大したものだ。

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サロネン/フィルハーモニア管×庄司紗矢香 【構造人類学で読み解く「春の祭典」】

1月25日(土)兵庫県立芸術文化センターへ。

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フィンランドの指揮者エサ=ペッカ・サロネン/フィルハーモニア管弦楽団、独奏:庄司紗矢香で、

  • シベリウス:交響詩「太陽の女神(波の娘)」
  • ショスタコーヴィッチ:ヴァイオリン協奏曲 第1番
  • パガニーニ:「うつろな心」による序奏と変奏曲〜主題
    (ソリスト・アンコール)
  • ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」

ホールの入りは7割程度。

シベリウス「波の娘」は弦楽器の刻むリズムが明晰。

ショスタコのコンチェルト、第1楽章「ノクターン」は地獄からうめき声が聞こえてくる。ドミートリイ・ショスタコーヴィチの署名D-S(Es)-C-H(レ-ミ♭-ド-シ)音型が登場する第2楽章「スケルツォ」はネズミがちょこまか動き回るよう。第3楽章「パッサカリア」はレクイエム。そして研ぎ澄まされたヴァイオリン・ソロを経て一気呵成に狂騒的な第4楽章「ブルレスク」になだれ込む。

なお、D-S(Es)-C-H(レ-ミ♭-ド-シ)音型は交響曲第10番や弦楽四重奏曲第8番にも登場する。

バレエ「春の祭典」には生贄(選ばれた乙女)が登場するが、これは古代日本で水害など天災を鎮めるために捧げられた人柱と同じようなものだと解釈出来るだろう。新海誠監督「天気の子」に登場する天気の巫女も同様。つまり【地上の人間(文化/不連続)↔大地(祖先のいる場所/自然/連続)】という二項対立を結び、還流し、調停する役割を担っている(「天気の子」の場合は【地上の人間↔雲の上の神様】)。

また地下(大地)=祖先という考え方はオーストラリアの先住民族アボリジニの〈ドリームタイム〉と全く同じである。

そういえば武満徹は〈ドリームタイム(夢の時)〉というオーケストラ曲を作曲しているわけで、武満が初めて世界で認められる切っ掛けを作ったのがストラヴィンスキーだったという事実は正にシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)と言える

反キリスト的内容だったために、ハルサイの初演が悲鳴と怒号が渦巻く大スキャンダルのは有名な話だ(映画「シャネル&ストラヴィンスキー」で詳しく描かれた)。ここには【知性↔野生の思考】の相克があった。ニーチェの著書「悲劇の誕生」の概念を借りるなら、【アポロン的↔デュオニュソス的】二項対立ということになる。そういう意味で「春の祭典は」フローラン・シュミットが作曲した吹奏楽曲「ディオニソスの祭り」に直接繋がっている。

サロネンの指揮は大鉈を振るい、バッサバッサと目の前の障害物を上から下へ切り倒してゆく。先鋭でスタイリッシュ、オーケストラを畳み掛け駆る。一方、弱音部分は繊細。外科医が腑分けするよう。そして強烈な会心の一撃で最後を締めくくり、ホールは熱狂的興奮に包まれた。

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「武満徹を探す三日間の旅@フェニーチェ堺」体験記

2019年12月27日〜29日、フェニーチェ堺で「武満徹のミニフェスティバル3日間」を体験した。

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オーケストラ作品を含め、意外と関西では武満徹(1930-96)の音楽を聴く機会が少ない。それは武満が東京の人だからである。関西出身の作曲家なら、例えば大栗裕や大澤壽人、貴志康一、西村朗の音楽は、たとえ採算が取れなかろうと(客を呼べなくても)大阪のオーケストラは(自分たちの使命として)頑張ってプログラムに入れるのだが、黛敏郎や三善晃、矢代秋雄らは完全無視である。知らん顔。

しかし、生前の武満と親しかった尾高忠明が大阪フィルハーモニー交響楽団のシェフに就任してから次第に状況が変わりつつある。僕がどうしても聴きたい武満の管弦楽曲は「ノヴェンバー・ステップス」「夢の時 Dreamtime」「ウォーター・ドリーミング」そして「系図 Family Tree ー若い人たちのための音楽詩ー」なんだよね〜。あ、「系図」の語り(詩の朗読)は作曲家の指示通り10代の女の子でお願いします(故・岩城宏之は吉行和子を起用した)。大フィルさんよろしく〜。

オーケストラですらそんな有様だから、まして武満の室内楽・器楽曲が関西で演奏されるのは皆無に等しい。だから今回のフェスはとてもありがたかった!

DAY1:杉山洋一(作曲家・指揮者)プロデュース「室内楽名品選」

  • ヴァレリア(ピッコロ2、エレクトリック・オルガン、ギター、Vn、Vc)
  • サクリファイス(フルート、リュート、ヴィブラフォン)
  • 遮られない休息 I,II,III(ピアノ)
  • ユーカリプス II(フルート、オーボエ、ハープ)
  • 環(リング)(フルート、リュート、テルツギター)
  • 悲歌(ヴァイオリン、ピアノ)
  • スタンザ I(ソプラノ、ヴィブラフォン、ギター、ハープ、ピアノ&チェレスタ)

演奏は荒井英治(ヴァイオリン)、吉野直子(ハープ)、黒田亜樹(ピアノ)、近藤孝憲(フルート)、山田岳(ギター)、高本一郎(リュート)、海野幹雄(チェロ)、松井亜希(ソプラノ)ほか。

杉山洋一自身レコードでは聴いたことがあったけれど、実演に接するのは今回初めてという曲が幾つかあるそう。「初期作品には書き方がいい加減なものもあります」と。

「サクリファイス(生贄)」はフルートの吹き方がまるで尺八みたいで、風に穂をなびかせるススキヶ原の光景が目に浮かんだ。

「ユーカリプス II」はフルートのフラッター(Flutter-tonguing)やオーボエの重音奏法など特殊技法のオン・パレード。しっかりゲンダイオンガクしている。でも聴いていて不快じゃない。

「環(リング)」は奏者が手にはめた指輪を叩いたり、フルートのカバードキーを(息を吹かずに)叩いたりと面白かった。

「悲歌」は元々、大島渚監督の映画「儀式」のために書かれたもので、原曲はヴァイオリン独奏と弦楽合奏という編成。

トークの中で荒井は世界のオーケストラから選りすぐったトップ・プレイヤーで構成されたスーパーワールド・チェンバーオーケストラと共演し、武満の「ノスタルジア」を弾いた時を回想し、「ゴッホの油絵みたいに脂ぎった演奏で、濃いめでアルバン・ベルク〈抒情組曲〉のような感じだった」と。日本のオーケストラが奏でる武満とは感触が違ったそう。

1969年に発表された「スタンザ I」は翌年の大阪万博で鉄鋼館ースペース・シアターのために書かれたオーケストラ曲「クロシング」の原型となった。これもそうだが、武満の作品にはしばしば途中で沈黙が訪れる。僕は行間に語らせる音楽だと思った。

DAY2:小味渕彦之(音楽評論家)プロデュース/西岡茂樹指揮による「ソング名品選」

  • 混声合唱のための「うた」から
    小さな空/小さな部屋で/恋のかくれんぼ/うたうだけ
  • 混声合唱のための「風の馬」
  • 独唱
    小さな空/三月のうた/燃える秋/うたうだけ/明日ハ晴レカナ、曇リカナ
  • 混声合唱のための「うた」から
    翼/島へ/◯と△の歌/死んだ男の残したものは/さようなら/さくら

独唱は高山景子、林隆史、益田早織、川野貴之、西尾岳史、そして特別編成合唱団が歌った。ピアノ伴奏は岡本佐紀子。

そもそも武満が作曲家を志すきっかけとなったのが、終戦間近14歳の時に勤労動員先で見習士官からこっそりレコードを聴かせてもらったシャンソン「聞かせてよ愛の言葉を」(戦争中は敵性音楽だから禁止されていた) 。ジャン・ルノアールが1923年に作詞・作曲し、リュシエンヌ・ボワイエが歌った

「小さな空」は心に染み入るノスタルジィがある。合唱版も独唱もそれぞれ味わい深い。「小さな部屋で」は寂しくて、温かい。

独唱用の楽譜で、武満自身が手がけたピアノ譜があるのは「うたうだけ」と「燃える秋」のみ。「うたうだけ」はとってもJazzyで、映画主題歌「燃える秋」はしっとり。なお武満は生涯に約100本の映画音楽を書いている。

「さようなら」はラジオ番組『私の歌』のために書かれた24歳の作品。

〈うた〉の魅力を堪能した。

DAY3:武満真樹プロデュース「武満徹の友人たちトーク&ライブ」

武満徹の娘・真樹が司会を務め、荘村清志(ギター)、coba(アコーディオン)が演奏。

  • フォリス(ギター独奏)
  • 「ギターのための12の歌」から
    オーバー・ザ・レインボウ/失われた恋/ロンドンデリーの歌
  • 森のなかで(遺作/ギター独奏)
  • 「ギターのための12の歌」から
    早春賦/シークレット・ラブ/ミッシェル
  • 映画「他人の顔」からワルツ(アコーディオン独奏)
  • 死んだ男の残したものは/翼(ギター&アコーディオン)

アンコールは、

  • トオルさんへのトリビュート(coba)
    小さな空+リベルタンゴ(by ピアソラ)etc.
  • 映画「ヒロシマという名の少年」(荘村清志)

生前武満は「演奏者の顔が見えないと、曲が書けない」と語っていたという。

遺作「森のなかで」は浅間山の裾野にある長野県・御代田町の別荘で作曲された。

「ギターのための12の歌」は珠玉の美しさ。

cobaの奏でる「他人の顔」ワルツは先鋭的かつ劇的。

ある日cobaに(それまで面識がなかった)武満から直接電話が掛かってきて、1993年に武満がプロデュースする八ヶ岳高原音楽祭にギターの渡辺香津美らと出演することになった。そして武満が膀胱がんと闘っていた95年9月、ビョークのワールド・ツアーに参加していたcobaはこれが最後になるかも知れないと、イタリア公演だけ抜けさせてもらって八ヶ岳高原音楽祭に駆けつけた(武満は96年2月に亡くなった)。

武満家では朝食時に食卓で父親がDJよろしくいろいろ選曲してCDを掛けていた。しかし娘から「朝っぱらからわけのわからない現代音楽は嫌よ」と釘を差されていたという。そしてある日のこと「これならいいだろう」とcobaが小林靖宏を名乗っていた頃のアルバム「風のナヴィガトーレ」から〈プシュケ〉を掛けた。ここで会場でもcobaが〈プシュケ〉全曲を弾いた。朝の風がよく似合う、爽やかな楽曲だった。

荘村は武満とよく、新宿三丁目のゴールデン街に飲みに行った。行きつけのバーには大体ギターが置いてあり、武満のリクエストでバリオス作曲「郷愁のショーロ 」を弾いた(会場でも演奏)。バーに井上陽水が居合わせてビートルズを歌ったりもした。武満は荘村の伴奏でビートルズの「ハニー・パイ」を歌ったという。荘村が酔いつぶれ、手を引っ張って立ち上がらそうとした武満を投げ飛ばしてしまい、顔に傷を負わせてしまったエピソードも披露。

Takemitsu

最後はとってもIntimate Concetとなった。

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