クラシックの悦楽

2017年2月15日 (水)

シリーズ《音楽史探訪》20世紀末回顧:空前のブルックナー、マーラー・ブーム〜しかしショスタコの時代は遂に来なかった。

1980年頃から2000年にかけての20年間は日本でブルックナー、マーラー・ブームが巻き起こった。録音メディアが丁度アナログからデジタルへの移行期で、CDの普及が大きかったように想う。

LPレコード時代、マーラーの交響曲で1枚に収まるのは第1,4番と「大地の歌」くらいで、その他は大概レコード4面を要した。つまり鑑賞中に3回レコードをひっくり返さないといけなかったわけで、煩わしいことこの上なかった。ブルックナーの交響曲も第5,7,8番はレコード2枚組で、当然値段も高かった。

1980年代はレナード・バーンスタインが2度目のマーラー交響曲全集を制作中で、クラウディオ・アバドもウィーン・フィルやシカゴ交響楽団とマーラーのセッション録音を重ねていた。レニーがイスラエル・フィルを率いて来日し、第9番の超弩級の名演を披露したのは85年である。またジョゼッペ・シノーポリが手兵フィルハーモニア管弦楽団との来日公演(87年)で第2番「復活」と第5番を取り上げた際は一大センセーションを巻き起こした(「復活」はNHK教育テレビ=現Eテレでも放送された)。レニーが亡くなったのが90年、そしてアバド/ベルリン・フィルがサントリーホールで「復活」を演奏している最中に携帯電話が鳴り出し大問題になったのが96年(ホールに電波抑止装置が導入される契機となった)。この頃からブームは下火になっていった(シノーポリは2001年に死去)。

ブルックナーについては朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団が伝説的名演、聖フローリアン修道院での交響曲第7番を録音したのが1975年10月12日。これがLP2枚組でビクターから市販されたのが79年だった。その直後からブームに火が付いた。オイゲン・ヨッフムがバンベルク交響楽団との来日公演で8番を演奏したのが82年、ロイヤル・コンセルトヘボウとの第7が86年。このあたりで最高潮に達したと言えるだろう。そして2001年に朝比奈が亡くなり、熱は次第に冷めていった。

NHK交響楽団の首席指揮者に着任したパーヴォ・ヤルヴィがつい最近、ヒラリー・ハーンとの対談(@フランクフルト)でとても興味深いことを語っている→動画(3分40秒あたりから)。「現在世界で未だにブルックナーの音楽が演奏され、愛されているのはドイツと日本だけ。そして面白いことに日本でブルックナーを演奏すると、会場には男性客しかいないんだ!ラヴェルとかチャイコフスキーとか、もっとロマンティックで美しい曲を演奏したら女性客や子どもたちが来てくれるんだけどね」それに対しヒラリーは「じゃあブルックナーは日本の成人男性のために作曲したのね!」だって。特にアメリカやイギリスでブルックナーは全く人気がなく、演奏される機会も滅多にない。

さて空前のブルックナー、マーラー・ブームに湧いた20世紀後半の日本において、「レコード芸術」誌など音楽雑誌で散々話題になったのが「次にブームになる作曲家は誰だ?」ということ。そして一番名前が挙がったのはショスタコーヴィチだった。しかし僕は「それはいくらなんでもないだろう」と想っていた。

ブルックナーとマーラーの音楽は単純明快である。ブルックナーの基本は教会音楽、オーケストラによるオルガンの響きの追求であり、神とワーグナーへの信仰が根底にある。マーラーは「俺が、俺が」と自分を語りたがる音楽であり、いわば"Watch me !"の駄々っ子だ。両者がポピュラーになるまで時間を要したのは単に規模(編成)が大きすぎ、演奏時間が長すぎるからに他ならない。しかしショスタコは違う。一筋縄ではいかない難物である。

ショスタコの音楽は表層で作曲家の本音を語っていない。共産主義国家・ソビエト連邦においてはいつ「反社会主義的音楽」という意味不明の烙印を押され、逮捕・投獄(あるいは処刑)されるか判らず、彼は入念な偽装工作を自身の作品に施した。幾つもの層を潜り抜けて行かないと、その深層心理真理)には到達出来ない。そしてそこまで辿り着ける者は少ない。(”いちばん大切なことは、目に見えない” サン・テグジュペリ「星の王子さま」より)

ショスタコの音楽はアイロニー(皮肉)諧謔(パロディ)精神に満ち、屈折している。その奥底にあるのは諦念虚無である。聴いていて心地よいとか、心が洗われるといった類ではない。

作曲家であり著名な指揮者でもあったピエール・ブーレーズはショスタコを嫌悪し、生涯に一度も振らなかった。クラウディオ・アバドもそう。小澤征爾や佐渡裕は辛うじて第5番をレコーディングしているが、それ以外の交響曲を指揮したという話は全く耳にしない。朝比奈は第1番と5番のみ。また帝王カラヤンは第10番以外、食指を動かさなかった。

2017年2月17日、18日に井上道義/大阪フィルハーモニー交響楽団は定期演奏会でショスタコの交響曲第11番「1905年」、第12番「1917年」を取り上げる。同じプログラムで、22日に東京公演も予定されている。同オーケストラ初のレパートリーである。とても愉しみだ。

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2017年2月14日 (火)

「満喫!楽聖ベートーヴェン」いずみシンフォニエッタ大阪 定期

2月11日(土)いずみホールへ。

飯森範親/いずみシンフォニエッタ大阪の定期演奏会を聴く。

  • シュネーベル:ベートーヴェン・シンフォニー (1985)
  • ベートーヴェン:大フーガ (弦楽合奏版・川島素晴 編)
  • 西村朗:ベートーヴェンの8つの交響曲による小交響曲 (2007)
  • ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第5番「皇帝」
    (ピアノ独奏:若林顕)(川島素晴 編)

主菜(Main dishes)に先立ち、恒例のロビーコンサートもあった。

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シュネーベルの曲は《Re-Visionen》シリーズの1つ。有名なベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調 第1楽章を分析/再解釈し、改作による幻想曲に仕上げましたといった趣き。まず冒頭「ダダダダーン」の三連打がない。けったいなアレンジだけどおもろい。この曲に秘められた叙情性が浮き彫りにされたという印象。

川島素晴が編曲した「大フーガ」弦楽合奏版はオリジナルの厳しさが薄められた。何だか視界がぼやけた感じ。

西村朗の曲は2007年12月初演時のレビューを書いているので、そちらをご覧あれ。

ベートーヴェンの交響曲第1番から8番までの全楽章を短時間でつまみ食いできますよという趣向。このパッチワークのノリは昔流行った「フックト・オン・クラシックス」(1981年全英アルバム・チャート第1位!)を彷彿とさせるものがある。若い人は知らないでしょう?こちらで視聴してみて。そういえばこれ、吹奏楽に編曲されたものを高校生の時、吹奏楽部で演奏した記憶がある。

トリの「皇帝」は元々木管楽器とトランペットが2管編成だったものを1管編成で演奏できるようアレンジ(ホルンのみ2名)。原曲にはないトロンボーンが1名加わり、24人のオーケストラ。何だかスッキリした響きで好ましかった。ただ第2楽章から終楽章への移行部でホルンのピッチが合わずお粗末。元・大フィルの村上さん、プロなんだからもっとしっかりしてくださいよ。ピアノは豪快な肉食系。些か繊細さに欠けるがイケイケで、どすこいの横綱相撲だった。爆演ピアニストとして名を馳せたジョルジュ・シフラ(ハンガリー)の勇姿を想い出した。

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2017年2月13日 (月)

ブラウティハイム/フォルテピアノ・リサイタル

2月4日(土)兵庫県立芸術文化センター小ホールへ。ロナルド・ブラウティハイムが弾くフォルテピアノを聴く。

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  • モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第5番
  • 同:ロンド イ短調 K.511
  • 同:ピアノ・ソナタ 第12番
  • ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第8番「悲愴」
  • 同:ピアノ・ソナタ 第18番
  • 同:ピアノ・ソナタ 第17番「テンペスト」
  • 同:エリーゼのために(アンコール)

ブラウティハイムはオランダのフォルテピアノ奏者。スウェーデンのBISレーベルから沢山のアルバムを発売している。この分野ではアンドレアス・シュタイアー(ドイツ)と並び称される名手である。ただしシュタイアーはモーツァルト、シューベルト、シューマンなどの作品を録音しているが、ベートーヴェンは少ない。一方のブラウティハイムはベートーヴェンのピアノ・ソナタ及び協奏曲全曲をレコーディングしている。今回使用されたフォルテピアノは1800年頃のアントン・ヴァルターが製作した楽器のレプリカ。丁度、ベートーヴェン「悲愴」が出版された(1799年)あたりだ。足で踏むペダルはなく、代わりに取り付けられた膝レーバーについての写真付き解説はこちら

モーツァルトの初期のソナタは踊るような演奏で、コロコロ転がってゆく。優しい場面が一転し、力強い音楽に。表現の幅がある。

ベートーヴェンには畳み掛けるような切迫感が感じられた。またフォルテピアノは時折、鐘のように響く弦の金属的共鳴音が聴こえてきて面白い。

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2017年2月 3日 (金)

ベルリン・フィル八重奏団@兵庫芸文

1月28日(土)兵庫県立芸術文化センターへ。ベルリン・フィル八重奏団を聴く。大ホール(2001席)は満席。

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  • ニールセン:軽快なセレナード
  • ドヴォルザーク:5つのバガテル
    (ウルフ・グィド・シェーファー編)
  • シューベルト:八重奏曲

ベルリン・フィル八重奏団は1928年にシューベルトの八重奏曲を演奏する目的で結成された。来年で結成90年だ。ヒンデミットはこの団体のために、1958年に八重奏曲を作曲している。

現在のメンバーは樫本大進(第1ヴァイオリン、日本)、ロマーノ・トマシーニ(第2ヴァイオリン、イタリア)、アミハイ・グロス(ヴィオラ、イスラエル)、クリストフ・イゲルブリンク(チェロ、ドイツ)、エスコ・ライネ(コントラバス、フィンランド)、ヴェンツェル・フックス(クラリネット、オーストリア)、シュテファン・ドール(ホルン、ドイツ)、モル・ビロン(ファゴット、イスラエル)。実に国際色豊かであり、この特徴は母体であるベルリン・フィルにも言えることだ。

ふわっとした柔らかい音色が(時に管楽器の)名手の証し。ここに実力の差が出る。僕は全日本吹奏楽コンクール金賞受賞団体の演奏を何度も生で聴いたことがあるが、上手いんだけれど音が硬いんだよね。余裕がないと言うか。それからフックスのクラリネットが特に際立っていたのだが、弱音が美しい。芳醇な響き。樫本はソロで聴くともの足りないのだけれど、アンサンブルはお見事!さすがコンサートマスターだ。

ニールセンは交響曲もそうなのだけれど、僕には何も感じるところがない。性に合わない。

ドヴォルザークは肥沃な土壌に、しとしとと雨が降る情景が思い浮かんだ。

シューベルトの長大な交響曲ハ長調「ザ・グレート」や弦楽五重奏曲、後期ピアノ・ソナタ、そしてこの八重奏曲などを聴くときは、【その冗長さを愉しむ】ことが肝心だと最近想うようになった。決して【隙きがない構成】【緊迫感】などを期待してはいけない。ないものねだりというものだ。のんびりと鷹揚に構えたほうがいい。

村上春樹は次のように語っている。

ヨーヨー・マとクリーブランド弦楽四重奏団の演奏するシューベルトの弦楽五重奏曲(ハ長調)を聴くと、あっという間に眠くなります。

村上は弦楽五重奏曲をシエスタ(昼寝)のお供として聴いている。そして、その特徴は八重奏曲にも当てはまる。特に第4楽章アンダンテの変奏曲は退屈で、眠くなる。でもそこがいい。これが判るのが大人というものだ。今回も名手たちによる演奏で堪能した。

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2017年1月27日 (金)

今井信子✕波多野睦美/ヴィオラ・声・ピアノで綴る「歌」

1月19日(木)ザ・フェニックスホールへ。今井信子(ヴィオラ)、波多野睦美(メゾソプラノ)、高橋優介(ピアノ)で、

  • シューベルト:ソナチネ ニ長調 作品137
  • ヘンデル:歌劇「ジューリオ・チェザーレ」より
    「涙のために生まれ」
  • スクリャービン:ピアノ・ソナタ 第2番「幻想」
  • マスネ:エレジー
  • フランク:シルフ(空気の精)
  • ウォルトン:歌曲集「3つの歌」
    「ダフネ」「金メッキの格子を透かして」「老フォーク卿」
  • ブリッジ:アルトとヴィオラのための3つの歌
    「遠く、遠く、離れ離れに」「どこに行くの、魂は?」
    「歌は、声が静かに死に、消えても」
  • ブラームス:ヴィオラとピアノのための2つの歌
    「しずめられた願い」「聖なる子守唄」
  • ブラームス:子守唄(アンコール)

今井は言わずと知れたヴィオラの名手だが、シューベルトのソナチネでは珍しくヴァイオリンを弾いた。音は擦れ、滋味あふれる。

スクリャービンのソナタは幻夢。サイケデリックでカラフル。

プログラム後半はフランス語、英語、ドイツ語の歌曲を堪能した。

マスネに感じるのは侘しさ。フランクに宿るのは仄かな甘さ。ブリッジには深い悲しみと虚無があった。ブラームスは秋の夕映えの美しさ。子守唄には愛情に満ちた優しい眼差しがあった。

生涯を独身で通したヨハネス・ブラームスにどうしてこんな素敵な子守唄が書けたのだろう?そう疑問に思い、ハタと気が付いた。そうか、彼の視線の先にあったのはクララ・シューマンの子どもたちであったに違いない!

ロベルト・シューマンとクララは8人の子供を儲けた。ブラームスが初めてデュッセルドルフにあるシューマン家を訪ねたのは1853年のことである。この時長女マリエは12歳、末娘オイゲーニエは2歳だった。そして翌年の54年に最後の子供フェリックスが生まれる。彼には詩の才能があり、そのうち3つにブラームスが音楽を付けた(「わが恋はライラックの茂みのように緑」 Op. 63-5、「ニワトコの木に夕風が」 Op. 63-6、「うち沈んで」 Op. 86-5)。しかしフェリックスは肺結核を患い、25歳の若さで亡くなった。なんだか切ないね、ヨハネス。

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2017年1月26日 (木)

チョン・キョンファ/J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲演奏会

1月25日(水)ザ・シンフォニホールへ。チョン・キョンファによるJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲演奏会を聴いた。

1月23日(月)に福岡で公演が予定されていた「熊本復興支援チャリティーコンサート」は体調不良によりキャンセルとなった。どうなることかと心配したのだが、大阪公演は無事開催された。

冒頭で彼女はマイクを持って登場。「1969年から私のマネージャーを勤めてくれたTerry Harrison (UK)が亡くなったと昨日電話で知らされました。今日の演奏は彼に捧げます」と英語でアナウンスした。会場は「そんなこと言われても、その人知らんし……」と微妙な空気に包まれた。

Terry Harrison
Terry Harrison

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イザベル・ファウストなどが日本で全曲演奏会をするときは大概、2日に分ける。アリーナ・イブラギモヴァが1日で演ったときも、第1部 14:00~ 、第2部 17:00〜と2部構成で別料金だった。それが一気に聴けるというのはかなりお得。

2回の休憩(15分・20分)を挟み、全6曲が演奏された。19時開演で4曲終了時点で既に20時50分、終演は21時54分と約3時間に及ぶ長丁場だった。終電の関係もあり、途中で帰る客もチラホラ。

ここ30年位でバッハの演奏様式はガラッと様変わりした。それを象徴するのがギドン・クレーメルのCD。彼は無伴奏ソナタとパルティータ全曲を1980年と2001-2年に2回録音している。21年間で全く異なる演奏となった。旧盤はふつーにヴィブラートをかけているのだが、新盤は装飾音以外、ヴィブラートを極力排している。これは古楽奏法(ピリオド・アプローチ)の隆盛と無関係ではない。つまりバロック・ヴァイオリン奏者シギスヴァルト・クイケン、サイモン・スタンデイジ、寺神戸亮らの登場が大きい。彼らに倣いヴィクトリア・ムローヴァも大変身を遂げたし、最近ソナタ&パルティータ全曲を録音した五嶋みどりやチョン・キョンファも例外ではない。

今回の演奏会では昨年発売されたCDよりもゆっくりと開始された。哀しみが滲み、諸行無常の趣き。しかし一方で凛とした佇まいがあり、若き日の彼女の鋭さやバッハの厳しさも垣間見られた。

パルティータ第1番の途中で弾き間違いがあり、その後動揺したのかテンポが千々に乱れた。先行きが危ぶまれハラハラしたが、次の曲からなんとか持ち直した。またソナタの第3番を弾き始めて気に入らなかったのか数小節して中断、最初から演り直す場面も。なんだかボロボロだったのだが、なんとか最後まで持ち堪えた。満身創痍、でも聴き応えのある演奏会だった。不思議な体験をさせてもらった。

東京公演は1月28日(土)@サントリーホール。さてどうなりますやら。

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2017年1月13日 (金)

クレメンス・ハーゲン&河村尚子/デュオ

1月8日(日)兵庫県立芸術文化センター小ホールへ。

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ハーゲン・クァルテットのメンバーであるクレメンス・ハーゲン(チェロ)と河村尚子(ピアノ)のデュオ・リサイタルを聴く。因みに河村は兵庫県西宮市生まれ。地元でのコンサートだ。

  • シューマン:5つの民族風の小品集
  • ベートーヴェン:チェロ・ソナタ 第2番
  • ラフマニノフ:チェロ・ソナタ
  • フランク:チェロ・ソナタ 第1楽章(アンコール)

ベートーヴェンとラフマニノフのソナタはどちらもト短調で調性が同じ。

ハーゲンのチェロは伸びやかに歌い、雄弁であると同時にキレがある。

ベートーヴェンでふたりは生を謳歌する。第1楽章の序奏は厳格な雰囲気で開始されるが、主部に入るやいなや感情が迸る。ピアノは力強く弾け、だが軽過ぎない。いい塩梅だ。

ラフマニノフのソナタは霧が立ち込めて視界が効かない、あるいは粉雪が舞う情景を連想させる。何とも幻想的な雰囲気だ。僕はトルストイの小説「アンナ・カレーニナ」(1877年出版)のことを想い出した(駅での轢死場面)。

因みにラフマニノフは交響曲第1番の初演が惨憺たる失敗で大ブーイングを浴び、神経衰弱に陥る。そこで友人の仲介もあり、1899年に敬愛するトルストイの自宅を訪ね自作の歌曲「運命」を披露した(しかしここでも「誰がこんな曲を聴きたいと思うかね?」と老作家の不興を買い、5日間寝込むことになる)。

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2016年12月19日 (月)

プラジャーク・クヮルテット×関西弦楽四重奏団

12月9日(金)大阪倶楽部へ。

チェコのプラジャーク・クヮルテットと関西弦楽四重奏団で、

  • ボロディン:弦楽四重奏曲 第2番 (プラ)
  • ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲 第10番 (関西)
  • メンデルスゾーン:弦楽八重奏曲 (合同)

ボロディンの第1楽章はノスタルジック。第2楽章には瞬発力があり、第3楽章はチェロ(上森祥平)が朗々と鳴り響く。豊かな歌が胸に滲みた。

プラジャークの音色は古い木目を連想させる。穏やかで、落ち着いた茶色の音。その色彩はプラハの街並みに繋がっている。

Prague

ドヴォルザークの第2楽章は民族色豊かでボヘミアの田園風景が脳裏に浮かんだ。

合同合奏によるメンデルスゾーンは奏者たちが実に楽しそうに弾いているのが印象的だった。特にチェロの上森祥平とミハル・カニュカ。覇気があり、音がうねる。終楽章は動的で、鹿の跳躍を想わせた。

SQ2団体が必要なので八重奏曲をライヴで聴く機会はめったにない。貴重な体験だった。

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2016年12月12日 (月)

やっとコルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲の実演が聴けた。〜大響定期

12月8日(木)ザ・シンフォニーホールへ。

寺岡清高/大阪交響楽団、小林美樹(ヴァイオリン)で、

  • コルンゴルト:「雪だるま」前奏曲とセレナーデ
  • コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲
  • ツェムリンスキー:交響詩「人魚姫」

漸くである。この日が来るのをどれだけ待ち続けて来たことか!

僕がエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲を初めてCDで聴いたのは今から30年前のことである。その濃厚なロマンティシズムにいっぺんに魅了された。パールマン、プレヴィン/ピッツバーグ響の演奏で、EMIの輸入盤。当時、国内盤は一切なかった。0である。初演者ヤッシャ・ハイフェッツの名盤ですら手に入らなかった。コルンゴルトは完全に忘れ去られた(日本人は端から知らない)存在だったのだ。

プレヴィンはその後、ドイツ・グラモフォンにギル・シャハムとアンネ=ゾフィ・ムターの独奏で2回この曲を再録音している。

ちなみにコルンゴルトの映画音楽「シー・ホーク」との高校時代の出会いについては下記事に書いた。

この30年で次第にコルンゴルトの再評価は進み、歌劇「死の都」も日本で初演された。

天下のウイーン・フィルも小澤征爾(2004年)とゲルギエフ(2006年)の指揮で2回、ヴァイオリン協奏曲をレコーディングするに至った。

東京では神尾真由子や五嶋みどりがコンサートでこの曲を弾いた。しかし中々、関西で聴く機会はなかった。

大阪交響楽団がコルンゴルトを演奏するのは楽団創設以来これが初めてである。大阪フィルハーモニー交響楽団は未だ一度もない(来年やっと定期演奏会でヴァイオリン協奏曲が取り上げられる)。東京に比べて大阪は完全に立ち遅れている。

「雪だるま」はコルンゴルトが11歳の時に作曲したピアノ曲に師のツェムリンスキーがオーケストレーションを施した(少年にツェムリンスキーを紹介したのはマーラーである)。優雅でウィンナ・ワルツの残り香がする。ただオケがもたついたのは残念。芯がないヘナヘナの演奏だった。

ヴァイオリン協奏曲の方も、「もう少し夢見るように奏でられないものか」とオケに不満が残ったが、ソロは悪くなかった。なにより生で聴けたことが嬉しい。

ツェムリンスキーの「人魚姫」も大好きな交響詩なのだが、滅多に演奏される機会がないのがとても残念だ。マーラーまで綿々と続いてきた浪漫派の終焉をそこに聴くことが出来る。

寺岡さん、次は是非コルンゴルトの交響曲 嬰ヘ調と、ツェムリンスキーの抒情交響曲を大響定期で聴かせてください!

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2016年12月 6日 (火)

デュメイ/関西フィルのメンバーによる室内楽

11月20日(日)伊丹アイフォニックホールへ。

オーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン)と関西フィルのメンバーによる室内楽を聴く。

  • モーツァルト:フルート四重奏曲 第1番
  • モーツァルト:フルート四重奏曲 第4番
  • ドヴォルザーク:三重奏曲 ハ短調 作品74
    (休憩)
  • ブラームス:弦楽六重奏曲 第1番

デュメイは後半のブラームスのみ出演。モーツァルトでフルートを吹いたのは河本朋美。ヴァイオリンは今年4月に入団した第2ヴァイオリン首席の増永花恵。すごく上手い!ドヴォルザークではコンサートマスターの岩谷佑之と増永、ヴィオラの中島悦子が弾いた(岩谷・増永はブラームスに参加せず)。

モーツァルトの響きは柔らかく軽やか。爽やかな微風に乗って舞う蝶のようだった。フルートはロングトーンでもヴィブラートが控えめで、とても上品。

ドヴォルザークは民族的味わいと、切れがある演奏。硬と軟のコントラストが鮮明。英語で表現するならSparkle(きらめき、光彩)が感じられた。

ブラームスは名手デュメイの奏でる研ぎ澄まされた音がゴツくて強力で、他の奏者が沈んでしまった。特に第2ヴァイオリンがおとなし過ぎる!(教育的目的もあるのだろうが)ここは岩谷か増永が弾いて欲しかった。

室内楽ってやっぱり(スキルの)バランスが重要だなと想った。

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