クラシックの悦楽

2020年2月19日 (水)

木嶋真優 & イリヤ・ラシュコフスキー デュオ・リサイタル

2月2日兵庫県立芸術文化センター@西宮へ。

上海アイザック・スターン国際ヴァイオリン・コンクールで優勝した木嶋真優と、恩田陸の小説「蜜蜂と遠雷」で有名になった浜松国際ピアノコンクールで優勝したロシア出身のイリヤ・ラシュコフスキーを聴く。

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  • シューマン:幻想小曲集
  • シューマン:アラベスク(ピアノ・ソロ)
  • フランク:ヴァイオリン・ソナタ
  • プロコフィエフ:「ロメオとジュリエット」組曲(リディア・バイチ 編)
  • プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ 第2番

アンコールは

  • グラズノフ:瞑想曲 ニ長調 Op.32
  • スメタナ:わが故郷より
  • チャイコフスキー:「白鳥の湖」より“黒鳥”

シューマン「幻想小曲集」は元々、クラリネットとピアノのために書かれたもの。

プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ 第2番の原曲はフルート・ソナタで、これを聴いたダヴィド・オイストラフが作曲家にヴァイオリンへの編曲を熱心に勧め、オイストラフ自身が初演した。

木嶋は兵庫県神戸市生まれで、学生時代に西宮北口で阪急電車を乗り換え、小林駅まで通学していたという(小林聖心女学院小・中学校卒業)。

非常に雄弁で情熱的な演奏だった。大ホールの2階席中央で聴いたが、しっかり音が飛んできた。ラシュコフスキーのピアノは達者だが、余り印象に残らず。

2000席が完売。大したものだ。

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2020年1月30日 (木)

サロネン/フィルハーモニア管×庄司紗矢香 【構造人類学で読み解く「春の祭典」】

1月25日(土)兵庫県立芸術文化センターへ。

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フィンランドの指揮者エサ=ペッカ・サロネン/フィルハーモニア管弦楽団、独奏:庄司紗矢香で、

  • シベリウス:交響詩「太陽の女神(波の娘)」
  • ショスタコーヴィッチ:ヴァイオリン協奏曲 第1番
  • パガニーニ:「うつろな心」による序奏と変奏曲〜主題
    (ソリスト・アンコール)
  • ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」

ホールの入りは7割程度。

シベリウス「波の娘」は弦楽器の刻むリズムが明晰。

ショスタコのコンチェルト、第1楽章「ノクターン」は地獄からうめき声が聞こえてくる。ドミートリイ・ショスタコーヴィチの署名D-S(Es)-C-H(レ-ミ♭-ド-シ)音型が登場する第2楽章「スケルツォ」はネズミがちょこまか動き回るよう。第3楽章「パッサカリア」はレクイエム。そして研ぎ澄まされたヴァイオリン・ソロを経て一気呵成に狂騒的な第4楽章「ブルレスク」になだれ込む。

なお、D-S(Es)-C-H(レ-ミ♭-ド-シ)音型は交響曲第10番や弦楽四重奏曲第8番にも登場する。

バレエ「春の祭典」には生贄(選ばれた乙女)が登場するが、これは古代日本で水害など天災を鎮めるために捧げられた人柱と同じようなものだと解釈出来るだろう。新海誠監督「天気の子」に登場する天気の巫女も同様。つまり【地上の人間(文化/不連続)↔大地(祖先のいる場所/自然/連続)】という二項対立を結び、還流し、調停する役割を担っている(「天気の子」の場合は【地上の人間↔雲の上の神様】)。

また地下(大地)=祖先という考え方はオーストラリアの先住民族アボリジニの〈ドリームタイム〉と全く同じである。

そういえば武満徹は〈ドリームタイム(夢の時)〉というオーケストラ曲を作曲しているわけで、武満が初めて世界で認められる切っ掛けを作ったのがストラヴィンスキーだったという事実は正にシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)と言える

反キリスト的内容だったために、ハルサイの初演が悲鳴と怒号が渦巻く大スキャンダルのは有名な話だ(映画「シャネル&ストラヴィンスキー」で詳しく描かれた)。ここには【知性↔野生の思考】の相克があった。ニーチェの著書「悲劇の誕生」の概念を借りるなら、【アポロン的↔デュオニュソス的】二項対立ということになる。そういう意味で「春の祭典は」フローラン・シュミットが作曲した吹奏楽曲「ディオニソスの祭り」に直接繋がっている。

サロネンの指揮は大鉈を振るい、バッサバッサと目の前の障害物を上から下へ切り倒してゆく。先鋭でスタイリッシュ、オーケストラを畳み掛け駆る。一方、弱音部分は繊細。外科医が腑分けするよう。そして強烈な会心の一撃で最後を締めくくり、ホールは熱狂的興奮に包まれた。

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2020年1月17日 (金)

「武満徹を探す三日間の旅@フェニーチェ堺」体験記

2019年12月27日〜29日、フェニーチェ堺で「武満徹のミニフェスティバル3日間」を体験した。

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オーケストラ作品を含め、意外と関西では武満徹(1930-96)の音楽を聴く機会が少ない。それは武満が東京の人だからである。関西出身の作曲家なら、例えば大栗裕や大澤壽人、貴志康一、西村朗の音楽は、たとえ採算が取れなかろうと(客を呼べなくても)大阪のオーケストラは(自分たちの使命として)頑張ってプログラムに入れるのだが、黛敏郎や三善晃、矢代秋雄らは完全無視である。知らん顔。

しかし、生前の武満と親しかった尾高忠明が大阪フィルハーモニー交響楽団のシェフに就任してから次第に状況が変わりつつある。僕がどうしても聴きたい武満の管弦楽曲は「ノヴェンバー・ステップス」「夢の時 Dreamtime」「ウォーター・ドリーミング」そして「系図 Family Tree ー若い人たちのための音楽詩ー」なんだよね〜。あ、「系図」の語り(詩の朗読)は作曲家の指示通り10代の女の子でお願いします(故・岩城宏之は吉行和子を起用した)。大フィルさんよろしく〜。

オーケストラですらそんな有様だから、まして武満の室内楽・器楽曲が関西で演奏されるのは皆無に等しい。だから今回のフェスはとてもありがたかった!

DAY1:杉山洋一(作曲家・指揮者)プロデュース「室内楽名品選」

  • ヴァレリア(ピッコロ2、エレクトリック・オルガン、ギター、Vn、Vc)
  • サクリファイス(フルート、リュート、ヴィブラフォン)
  • 遮られない休息 I,II,III(ピアノ)
  • ユーカリプス II(フルート、オーボエ、ハープ)
  • 環(リング)(フルート、リュート、テルツギター)
  • 悲歌(ヴァイオリン、ピアノ)
  • スタンザ I(ソプラノ、ヴィブラフォン、ギター、ハープ、ピアノ&チェレスタ)

演奏は荒井英治(ヴァイオリン)、吉野直子(ハープ)、黒田亜樹(ピアノ)、近藤孝憲(フルート)、山田岳(ギター)、高本一郎(リュート)、海野幹雄(チェロ)、松井亜希(ソプラノ)ほか。

杉山洋一自身レコードでは聴いたことがあったけれど、実演に接するのは今回初めてという曲が幾つかあるそう。「初期作品には書き方がいい加減なものもあります」と。

「サクリファイス(生贄)」はフルートの吹き方がまるで尺八みたいで、風に穂をなびかせるススキヶ原の光景が目に浮かんだ。

「ユーカリプス II」はフルートのフラッター(Flutter-tonguing)やオーボエの重音奏法など特殊技法のオン・パレード。しっかりゲンダイオンガクしている。でも聴いていて不快じゃない。

「環(リング)」は奏者が手にはめた指輪を叩いたり、フルートのカバードキーを(息を吹かずに)叩いたりと面白かった。

「悲歌」は元々、大島渚監督の映画「儀式」のために書かれたもので、原曲はヴァイオリン独奏と弦楽合奏という編成。

トークの中で荒井は世界のオーケストラから選りすぐったトップ・プレイヤーで構成されたスーパーワールド・チェンバーオーケストラと共演し、武満の「ノスタルジア」を弾いた時を回想し、「ゴッホの油絵みたいに脂ぎった演奏で、濃いめでアルバン・ベルク〈抒情組曲〉のような感じだった」と。日本のオーケストラが奏でる武満とは感触が違ったそう。

1969年に発表された「スタンザ I」は翌年の大阪万博で鉄鋼館ースペース・シアターのために書かれたオーケストラ曲「クロシング」の原型となった。これもそうだが、武満の作品にはしばしば途中で沈黙が訪れる。僕は行間に語らせる音楽だと思った。

DAY2:小味渕彦之(音楽評論家)プロデュース/西岡茂樹指揮による「ソング名品選」

  • 混声合唱のための「うた」から
    小さな空/小さな部屋で/恋のかくれんぼ/うたうだけ
  • 混声合唱のための「風の馬」
  • 独唱
    小さな空/三月のうた/燃える秋/うたうだけ/明日ハ晴レカナ、曇リカナ
  • 混声合唱のための「うた」から
    翼/島へ/◯と△の歌/死んだ男の残したものは/さようなら/さくら

独唱は高山景子、林隆史、益田早織、川野貴之、西尾岳史、そして特別編成合唱団が歌った。ピアノ伴奏は岡本佐紀子。

そもそも武満が作曲家を志すきっかけとなったのが、終戦間近14歳の時に勤労動員先で見習士官からこっそりレコードを聴かせてもらったシャンソン「聞かせてよ愛の言葉を」(戦争中は敵性音楽だから禁止されていた) 。ジャン・ルノアールが1923年に作詞・作曲し、リュシエンヌ・ボワイエが歌った

「小さな空」は心に染み入るノスタルジィがある。合唱版も独唱もそれぞれ味わい深い。「小さな部屋で」は寂しくて、温かい。

独唱用の楽譜で、武満自身が手がけたピアノ譜があるのは「うたうだけ」と「燃える秋」のみ。「うたうだけ」はとってもJazzyで、映画主題歌「燃える秋」はしっとり。なお武満は生涯に約100本の映画音楽を書いている。

「さようなら」はラジオ番組『私の歌』のために書かれた24歳の作品。

〈うた〉の魅力を堪能した。

DAY3:武満真樹プロデュース「武満徹の友人たちトーク&ライブ」

武満徹の娘・真樹が司会を務め、荘村清志(ギター)、coba(アコーディオン)が演奏。

  • フォリス(ギター独奏)
  • 「ギターのための12の歌」から
    オーバー・ザ・レインボウ/失われた恋/ロンドンデリーの歌
  • 森のなかで(遺作/ギター独奏)
  • 「ギターのための12の歌」から
    早春賦/シークレット・ラブ/ミッシェル
  • 映画「他人の顔」からワルツ(アコーディオン独奏)
  • 死んだ男の残したものは/翼(ギター&アコーディオン)

アンコールは、

  • トオルさんへのトリビュート(coba)
    小さな空+リベルタンゴ(by ピアソラ)etc.
  • 映画「ヒロシマという名の少年」(荘村清志)

生前武満は「演奏者の顔が見えないと、曲が書けない」と語っていたという。

遺作「森のなかで」は浅間山の裾野にある長野県・御代田町の別荘で作曲された。

「ギターのための12の歌」は珠玉の美しさ。

cobaの奏でる「他人の顔」ワルツは先鋭的かつ劇的。

ある日cobaに(それまで面識がなかった)武満から直接電話が掛かってきて、1993年に武満がプロデュースする八ヶ岳高原音楽祭にギターの渡辺香津美らと出演することになった。そして武満が膀胱がんと闘っていた95年9月、ビョークのワールド・ツアーに参加していたcobaはこれが最後になるかも知れないと、イタリア公演だけ抜けさせてもらって八ヶ岳高原音楽祭に駆けつけた(武満は96年2月に亡くなった)。

武満家では朝食時に食卓で父親がDJよろしくいろいろ選曲してCDを掛けていた。しかし娘から「朝っぱらからわけのわからない現代音楽は嫌よ」と釘を差されていたという。そしてある日のこと「これならいいだろう」とcobaが小林靖宏を名乗っていた頃のアルバム「風のナヴィガトーレ」から〈プシュケ〉を掛けた。ここで会場でもcobaが〈プシュケ〉全曲を弾いた。朝の風がよく似合う、爽やかな楽曲だった。

荘村は武満とよく、新宿三丁目のゴールデン街に飲みに行った。行きつけのバーには大体ギターが置いてあり、武満のリクエストでバリオス作曲「郷愁のショーロ 」を弾いた(会場でも演奏)。バーに井上陽水が居合わせてビートルズを歌ったりもした。武満は荘村の伴奏でビートルズの「ハニー・パイ」を歌ったという。荘村が酔いつぶれ、手を引っ張って立ち上がらそうとした武満を投げ飛ばしてしまい、顔に傷を負わせてしまったエピソードも披露。

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最後はとってもIntimate Concetとなった。

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2020年1月14日 (火)

古楽最前線!オペラ「ピグマリオン」

12月14日(土)いずみホールへ。〈古楽最前線〉を体感する。

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  • リュリ:音楽悲劇「アティス」より
    序曲、花の女神のニンフたちのエール、メヌエット、ガヴォット
  • コレッリ:歌と踊り「ラ・フォリア」
  • リュリ:コメディ・バレ「町人貴族」より
    トルコ人の儀式の音楽、イタリア人のエール
  • リュリ:音楽悲劇「アルミード」より
    第2幕 第2場の音楽、パサカーユ
        (休憩)
  • ラモー:オペラ「ピグマリオン」全曲

第1部で17世紀における〈オペラ・バレエの歴史〉をたどり、第2部で18世紀のオペラ「ピグマリオン」(日本語字幕付き)をたっぷり味わうという構成。スタッフは寺神戸亮(指揮・ヴァイオリン/プロデューサー)、岩田達宗(演出)、小㞍健太(振付)。管弦楽はレ・ボレアード、そして特別編成の合唱団。独唱はクレマン・ドビューヴル、鈴木美紀子、波多野睦美、佐藤裕希恵。バロックダンスは松本更紗(パリ市立高等音楽院古楽専攻
/ヴィオラ・ダ・ガンバ科卒業)、コンテンポラリーダンスが酒井はな、中川賢。

何より第1部は松本更紗のバロックダンスが優雅で美しく、魅了された。

また途中、岩田達宗と寺神戸亮による解説があり、バロックダンスには下図のような記譜法(notation)があることを初めて知った。

Notation

舞踏譜にはダンスのステップ、踊るときの空間指示、音楽と動きの関わりが平面に書き表されており、現代でも再現出来るというわけ。シャーロック・ホームズ・シリーズの短編小説「踊る人形」を思い出した。

第2部の「ピグマリオン」は1748年にパリの劇場(王立アカデミー)で初演された。純粋に「歌劇」というよりは、「歌劇」と「舞踏」が半々といった印象。成る程、ヴェルディのオペラ(シチリア島の夕べの祈り、アイーダ、オテロ)にも大々的なバレエ・シーンが有るが、この伝統の名残なんだなと理解した。特に最後は祝祭的だなと思った。

ギリシャ神話に登場する「ピグマリオン」といえば、ミュージカル「マイ・フェア・レディ」である。原作となったジョージ・バーナード・ショーの戯曲が「ピグマリオン」で、イライザ・ヒギンズ・ドゥーリトル・ピカリング・フレディーなど登場人物の名前もそのまま。この戯曲は1938年にイギリスで映画化されている。(共同)監督・主演は「風と共に去りぬ」のアシュレー役で有名なレスリー・ハワード(第二次世界大戦中、搭乗していた旅客機がドイツ空軍に誤射され死亡)。なんと編集を担当しているのがデイヴィッド・リーン。後に映画監督となり、「戦場にかける橋」「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」などを撮った。

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2020年1月 9日 (木)

ネルソンス/ウィーン・フィル「ニューイヤー・コンサート2020」とベートーヴェン交響曲全集

元旦に宿泊中だった群馬県の法師温泉 長寿館でウィーン・フィルの「ニューイヤー・コンサート2020」をTV鑑賞した。

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今年の指揮者はアンドリス・ネルソンス。ラトビア出身の41歳。昨年亡くなったマリス・ヤンソンス(ロイヤル・コンセルトヘボウ管及びバイエルン放送交響楽団の首席指揮者を務め、ニューイヤー・コンサートに3回登壇)も同郷だ。

ラトビアはバルト三国のひとつで、バルト海を挟んで向かい側にスウェーデンがある。ラトビアの隣国がエストニアで、その対岸にフィンランドが位置する。エストニアといえばヤルヴィ親子が有名で(父ネーメ、長男パーヴォ、次男クリスチャン)、ネルソンスはパパ・ヤルヴィやヤンソンスから指揮法を学んでいる。なお、パーヴォは現在NHK交響楽団の首席指揮者を務めている。

第二次世界大戦後から1970年代までベルリン・フィルやウィーン・フィルを支配していたのはヘルベルト・フォン・カラヤン(ザルツブルク@オーストリア出身)やカール・ベーム(グラーツ@オーストリア出身)だった。しかしカラヤンの死後ベルリン・フィルのシェフを務めたのはクラウディオ・アバド(イタリア)、サイモン・ラトル(イギリス)であり、昨年からキリル・ペトレンコ(ロシア)が芸術監督に就任した。

最近のベルリン・フィル定期演奏会に登壇した主な指揮者たちを列挙してみよう。クルレンツィス(ギリシャ)、フルシャ(チェコ)、ウルバンスキ(チェコ)、アダム&イヴァンのフィッシャー兄弟(ハンガリー)、パーヴォ・ヤルヴィ(エストニア)、ゲルギエフ(ロシア)、ハーディング(イギリス)、メータ(インド)、ドゥダメル(ベネズエラ)といったところ。ドイツ人はティーレマンくらいしかいない。

ウィーン・フィル「ニューイヤー・コンサート」に目を転じると、近年登壇した戦後生まれのドイツ・オーストリア系指揮者はティーレマンとウェルザー=メスト(リンツ@オーストリア出身)のみ。この地域の人材不足が深刻化している。

どうしてオーストリアやドイツの音楽教育は衰退・地盤沈下を起こしているのか?まず、子供の人権に対する社会の意識変化が挙げられるだろう。現代では子供の意見・自主性を無視して無理矢理、音楽のスパルタ教育を受けさせることが難しくなった。しかし音楽のプロを目指すなら3,4歳くらいからの徹底した幼児教育が必須である。その点で、1989年ベルリンの壁崩壊まで鉄のカーテンに閉ざされていた東欧諸国(バルト三国・ハンガリー・チェコ・ポーランド・ルーマニア)やロシアには未だに古くからの音楽教育の伝統が残っていた(ドゥダメルは言うまでもなくエル・システマの申し子である)。

ドイツ・オーストリア圏では優秀なピアニストも壊滅状態である。現在ドイツの芸術大学でピアノ科教授を務める河村尚子の証言をお読み頂きたい(→こちらの記事 )。自由な気風の西側諸国ではピアノを学ぶ学生が年々減っており、ドイツの音楽大学で勉強しているドイツ人は全体の10%くらいしかいない。代わって東欧の人たちやアジア人が多いという

もう一つ。ナチス・ドイツによるホロコーストの影響も無視できないだろう。アドルフ・ヒトラーが政権を握ると、ユダヤ系の音楽家たちはドイツ・オーストリアから去った。指揮者で言えばブルーノ・ワルター(ドイツ)、オットー・クレンペラー(ドイツ)、ジョージ・セル(ハンガリーに生まれ、ドイツで活躍)らである。いくら戦争が終わったとはいえ、悪夢のような記憶しかない土地へ戻る気にはなれないだろう。

さて、2020年はベートーヴェン生誕250年という記念の年である。それに向けて昨年末、ウィーン・フィルは交響曲全集のCDをドイツ・グラモフォンからリリースした。その大役に抜擢されたのがネルソンスである。日本では音楽之友社から出版されている雑誌「レコード芸術」誌において、レコード・アカデミー大賞銅賞を受賞した。つまり年間ディスクのベスト3に選出されたということ。

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これまで誇り高く頑迷なウィーン・フィルがベートーヴェン交響曲全集の録音で白羽の矢を立てた指揮者を振り返ってみよう。

  • ハンス・シュミット=イッセルシュテット(1965−69)
  • カール・ベーム(1970−72)
  • レナード・バーンスタイン(1977−79)
  • クラウディオ・アバド(1985−88)
  • サイモン・ラトル(2002)
  • クリスティアン・ティーレマン(2008−10)

ベートーヴェンのシンフォニーが彼らにとって「勝負曲」であることが、よくお分かりただけるだろう。ネルソンスに対して全幅の信頼を寄せていることが、うかがい知れる。

古楽器復興運動の最先端で戦っていたアーノンクールがモダン・オーケストラの指揮に進出して以降、世界のオーケストラは分断され、楽員たちは混乱し、大いに悩み続けて来た。

つまりティーレマンを代表とする〈守旧派〉が主張するように、古典派音楽に於いてカラヤンやベームが生きていた20世紀の演奏スタイルをそのまま踏襲しても構わないのか、それともメトロノーム記号を遵守した高速演奏で、弦楽器はノン・ヴィブラートで弾くなどピリオド・アプローチ(古楽器奏法)を学ぶべきか?

ウィーン・フィルはアーノンクールと良好な関係を築きつつ、頑なにピリオド・アプローチを拒み続けて来た。ノン・ヴィブラートで弾いたら彼らの持ち味が損なわれ、オケの個性が失われてしまうからである。

では、今回彼らがタッグを組むことを熱望したネルソンスはどうか?僕は聴いてみて「20世紀の巨匠たちのような、どっしりと重厚なスタイルでもなく、かといって潤いがなく〈タッタカタ!〉と進む古楽器オケの有り様でもない、第三の道」だと感じられた。それは2019年8月23日にキリル・ペトレンコがベルリン・フィルの首席指揮者就任演奏会で振ったベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」で提示した、〈20世紀の演奏様式とピリオド・アプローチの融合・ハイブリッド〉に通じるものがある。時代は成熟し、Next Stageに入ったのだ(2000年頃に録音されたアバド/ベルリン・フィルのベートーヴェン交響曲全集は発展途上というか迷いがあり、未成熟・中途半端な印象を拭えない)。

ネルソンスのベートーヴェンは弾力があって動的。ゴムボールが跳ねて坂を転がり落ちる感じ。ピリオド・アプローチのような硬さはなく、ふわっと柔らかい響きがする。リズムはサクサクして小気味好い。〈生きる歓び〉が感じられる。

例えば明るく伸びやかな交響曲第3番「英雄」。軽やかに歌う。従来から言われているようなナポレオンの気宇壮大なイメージとは全然違う。第2楽章も重くならず、ゆったりとしているが余り葬送行進曲という感じじゃない。〈透明な哀しみ〉がある。

交響曲第5番「運命」も〈苦悩を乗り越えて勝利へ!〉というコンセプトから遠く離れて、明朗で端正な世界が広がってゆく。

あと驚いたのが交響曲第6番「田園」や第7番で、第1楽章(ソナタ形式)提示部の繰り返しをしなかったこと!スコアに書かれた繰り返しを省略するのはカラヤン・ベーム時代は普通のことだったが、1970年代に入り、カルロス・クライバーやクラウディオ・アバド、リッカルド・ムーティら(当時の)若手指揮者たちがこぞって繰り返しを敢行するようになった(それに対して音楽評論家たちはことごとく苦言を呈した)。そして80年代以降、アーノンクール、ノリントン、ブリュッヘン、ガーディナーら古楽オーケストラの指揮者(=原理主義者)たちがベートーヴェン演奏になだれ込み、楽譜に記載されたリピート記号を遵守することが正しい作法、デフォルトとなった。だから却ってネルソンス/ウィーン・フィルの姿勢は挑発的というか、新鮮に感じられる。

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「ニューイヤー・コンサート2020」で感じ取ったのは、ネルソンスとウィーン・フィルの抜群の相性の良さである。相思相愛。楽員たちが正に〈水を得た魚〉のように、嬉々としてピチピチ飛び跳ねている。ふっくらとウインナ・ワルツを歌い、エレガント。馥郁たる香りが立ち込め、陶然となった。間違いなく、これから何度もネルソンスは再登板することになるだろう。

あと「郵便馬車のギャロップ」でネルソンスがトランペットを吹いたのだが、これが意外にもめちゃくちゃ上手くて呆気にとられた。調べてみると彼は音楽家としてのキャリアをラトビア国立歌劇場管弦楽団の首席トランペット奏者としてスタートさせ、後に指揮者に転向したらしい。どうりで。そもそもニューイヤー・コンサートはその創始者クレメンス・クラウス(ウィーン生まれ)が亡くなり、急遽当時コンサートマスターだったウィリー・ボスコフスキー(ウィーン生まれ)がヴァイオリンを持ったまま指揮台に上がった。ボスコフスキーが病に倒れた後登場したロリン・マゼールもそのスタイルを踏襲し、指揮台でヴァイオリンを奏でた。ネルソンスのトランペットはその伝統を想起させるものだった。Good job !

それと、ボスコフスキーやマゼールの時代、テレビ中継で挿入されるウィーン国立歌劇場バレエ団(当時)のダンスは、いかにも田舎の〈芋にーちゃん〉と〈芋ねーちゃん〉が踊ってます、という体(てい)だったのだが、組織体制の変更でウィーン国立バレエ団となった現在は衣装や振付が洗練され、隔世の感がある。これは2010年にフランスの天才ダンサー、マニュエル・ルグリが当団の芸術監督に就任したことと決して無関係ではあるまい。ルグリ恐るべし!

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2019年11月29日 (金)

パーヴォ・ヤルヴィ/ロイヤル・コンセルトヘボウ管@フェニーチェ堺

11月23日(土)フェニーチェ堺へ。パーヴォ・ヤルヴィ/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を聴く。

  • ベートーヴェン:交響曲 第4番
  • ショスタコーヴィチ:交響曲 第10番
  • チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」からトレパーク(アンコール)
  • シベリウス:悲しきワルツ(アンコール)

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フェニーチェ堺(堺市民芸術文化ホール)は今年10月1日にこけら落とし公演がされたばかりの真新しい施設である。大層音響がよくて、ザ・シンフォニーホールに匹敵するなと思った。

パーヴォの振るベートーヴェンは勿論、ピリオド・アプローチ。第1・第2ヴァイオリンが指揮台を挟み向かいあう対向配置で、ヴィブラートは微か。水も滴るような美しい音色で、潤いがあって瑞々しい。あと木管の響きが古色蒼然とした魅力に溢れている。

ショスタコーヴィチも対向配置。軽快ですばしっこいこと、猿(ましら)の如し。

一方、アンコールの「悲しきワルツ」は幽(かそけ)き雰囲気に魅了された。

ホルンの首席奏者がべらぼうに上手いなと思って見たら女性だった。ケイティ・ウーリー、英国生まれでフィルハーモニア管弦楽団から移籍したそう。正直、ベルリン・フィルのシュテファン・ドールを上回っているんじゃないかとすら思った。

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2019年11月20日 (水)

河村尚子と菊池洋子「2人の協奏曲」(ベートーヴェン&モーツァルト)

11月16日(土)兵庫県立芸術文化センターへ。

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下野竜也/兵庫芸術文化センター管弦楽団で、

  • モーツァルト:「イドメネオ」序曲
  • モーツァルト:ピアノ協奏曲 第20番(独奏:菊池洋子)
  • ベートーヴェン:「プロメテウスの創造物」序曲
  • ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第5番「皇帝」(独奏:河村尚子)
  • モーツァルト:2台のピアノのための協奏曲 第10番より第1・3楽章(菊池・河村)

下野の指揮はサクサクと水捌けがよく、リズミカル。

河村の「皇帝」は力強く骨太のベートーヴェンで聴き応えがあり。

27曲あるモーツァルトのピアノ協奏曲のうち、短調は第20番ニ短調と第24番ハ短調の2曲しかない(5つあるヴァイオリン協奏曲は全て長調)。第20番はベートーヴェンの大のお気に入りで、カデンツァまで作曲している(モーツァルトのコンチェルトにベートーヴェンがカデンツァを書いたのはこの曲のみ)。そしてベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第19番の第1主題は、モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番 第3楽章のロンド主題とそっくり同じである

ベートーヴェンの「皇帝」で想い出すのは、ピーター・ウィアー監督の大傑作オーストラリア映画「ピクニック at ハンギング・ロック」だ。

女学校の生徒4人が岩山でピクニックをしているときに行方不明になる。近くに住み捜索隊に加わる青年マイクルは湖畔に浮かぶ白鳥を見ながら、いつか垣間見た美少女ミランダの面影をそこに重ねる。ここで「皇帝」第2楽章が流れる。

また後にピーター・ウィアーがハリウッドに進出し、ロビン・ウィリアムス主演で撮った「いまを生きる」でも、アメリカの全寮制学校の英語教師が、ロンドンに残してきた妻の写真を見つめながら彼女に手紙を書く場面で「皇帝」第2楽章が流れる。ウィアーにとってこの音楽は〈愛しい女性の面影〉と同義なのだ。

最後、2台のピアノのための協奏曲は中々これだけ達者なピアニスト2人が揃うのが滅多にないことなので、何とも贅沢な耳のご馳走だった。

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2019年11月19日 (火)

菊池洋子 ピアノ・リサイタル「モーツァルト 音のパレット」最終回

11月10日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。菊池洋子のピアノで、オール・モーツァルト・プログラムを聴く。

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  • ピアノ・ソナタ 第7番
  • ピアノ・ソナタ 第16番
  • きらきら星変奏曲(「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」による12の変奏曲)
  • 幻想曲 ハ短調
  • ピアノ・ソナタ 第14番 ハ短調
  • グラスハーモニカのためのアダージョ K.356 (アンコール)

菊池はモーツァルト国際コンクールにおいて日本人として初めて優勝した。

イングリット・ヘブラー、クララ・ハスキル、リリー・クラウス、マリア・ジョアン・ピリス、そして内田光子。〈モーツァルト弾き〉と呼ばれるピアニストは圧倒的に女性が多い。1965年にマルタ・アルゲリッチがショパン・コンクールで優勝するまでは「女性は非力であり彼女たちの演奏でベートーヴェンやショパンを聴く価値は全くない。子供でも弾けるモーツァルトでもさせておけ」という偏見が社会にはびこっていたのは疑いようのない事実である。ウラディミール・ホロヴィッツは「東洋人と女にはピアノは弾けない」という”迷言”を残した。しかしピリスや内田光子は見事に「女はモーツァルトしか弾けない」という世評を打ち砕いたのではないだろうか?

幻想曲 ハ短調はソナタ 第14番と同じ調性であり、出版時にソナタの前奏曲として作曲された。よって今回も切れ目なく演奏された。

菊池の歯切れよく、コロコロ転がるモーツァルトを堪能した。

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2019年11月 9日 (土)

河村尚子 ピアノ・リサイタル「ベートーヴェン紀行」最終回

11月4日(月)兵庫県立芸術文化センターへ。河村尚子のリサイタルを聴く。

  • ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30・31・32番

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河村は兵庫県西宮市出身。恩田陸原作の映画「蜜蜂と遠雷」で主人公・栄伝亜夜(松岡茉優)のピアノ演奏を担当し、話題をさらった。

今回使用されたピアノはベーゼンドルファー 280VC。

第30番はテンポを積極的に動かし、力強い意志が感じられる。

第31番の第3楽章は序奏を経て、切々と「嘆きの歌」が歌われる。これはJ.S.バッハの「ヨハネ受難曲」との関連が指摘されており、十字架上のイエスを見つめるマリアの哀しみを連想させる。やがて3声のフーガが開始され、教会のステンドグラスから光が差し込む情景が幻視される。どこからか鐘の音も聴こえてくるようだ。

第32番の第1楽章は峻厳な響き。河村は叩きつけるように音を奏でる。空恐ろしい音楽に打ちのめされた。第2楽章の変奏曲は穏やかで崇高。迷える魂に救済の手が差し伸べられ、彼は浄化されて昇天する。

河村による後期ピアノ・ソナタのアルバムがリリースされるのが、楽しみだ。

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2019年11月 7日 (木)

ショパン国際ピアノ・コンクールの覇者アヴデーエワに呆れ果てる〜BBC プロムス・イン・大阪

10月31日(木)ザ・シンフォニーホールへ。BBC Proms JAPAN 2019を聴く。

トーマス・ダウスゴー/BBCスコティッシュ交響楽団、ピアノ独奏:ユリアンナ・アヴデーエワで、

  • メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」
  • チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 第1番
  • マーラー:交響曲 第5番

看板に偽りありーすっかり騙されたと後で気が付いたのだが、ロイヤル・アルバート・ホールで毎年開催されるBBCプロムスのラスト・ナイトで演奏するBBC交響楽団と、今回来日したオケとは全く別組織だったのだ!BBC交響楽団の本拠地はロンドンで、スコティッシュ響はスコットランドのグラスゴー。なんと英国放送協会(BBC)は5つのオーケストラを組織下に置いているらしい(他にBBCウェールズ・ナショナル交響楽団など)。青天の霹靂である。NHKなんか1つだぜ!?

オーケストラの実力はフィルハーモニア管弦楽団より断然劣っており、大阪フィルハーモニー交響楽団と同レベルかな。はっきり言って在京オケの方が今や遥かに上手い。

トーマス・ダウスゴーはデンマークの指揮者。2016年に新日本フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会に客演し、これの評判がすこぶる良かった。僕はSNSで彼の名を知り、その後ナクソス・ミュージック・ライブラリー(NML)で彼がスウェーデン室内管と録音した一連のベートーヴェンやシューベルトの交響曲を聴き、すっかり魅了された。

「フィンガルの洞窟」は先鋭的で小気味よい。テンポは速く、音楽がうねる。鳴門の渦潮のイメージが思い浮かんだ。クライマックスでは猛々しい推進力を発揮した。

ユリアンナ・アヴデーエワはショパン国際ピアノ・コンクールにおいてマルタ・アルゲリッチ以来、45年ぶりの女性ピアニストの優勝者として注目を浴びた。だからチャイコフスキーのコンチェルトには大いに期待し、アルゲリッチとイーヴォ・ポゴレリッチのCD(指揮はいずれもクラウディオ・アバド)をしっかり聴き込んで臨んだのだが……。

アヴデーエワはソフト・タッチで華(はな)がなく、音像がぼやけ、指がもたつく。オケの足を引っ張り、ミスが非常に多い(間違えた鍵盤を押さえる/音が抜ける)。繊細さに欠け、響きが濁る。「ちゃんと練習したのか??」と疑問符が頭の上をぐるぐる回る。第3楽章はリズムが完全に崩壊し、酔っぱらいか、医者に薬漬けにされた患者の演奏かと思った。はっきり言ってプロ失格。もう彼女は一生聴かない。

僕が思い出したのは1983年ウラディーミル・ホロヴィッツ最初の来日公演である。坂本龍一が途中で席を立ちテレビで罵倒、音楽評論家・吉田秀和が「ひびの入った骨董品」とこき下ろした。入場料はなんと5万円だった。 僕はNHK教育テレビの放送を視聴したが、ミス・タッチだらけのお粗末な代物だった。そう、今回のアヴデーエワはちょうど、あんな感じ。

マーラーは弦が対向配置、第1楽章は野菜をザクザクぶった切るように音楽が進み、展開部はスポーツカーで沿岸のハイウェイをかっ飛ばす疾走感があった。第2楽章は巨大ハリケーンが大木をなぎ倒す。第3楽章スケルツォはシェイクスピア「夏の夜の夢」に登場する妖精パックのスキップ。彼のいたずらが周囲をかき回す。次第にリズミカルで動的となり、血湧き肉躍る。第4楽章アダージェットはシルクのように滑らかで、音色が深い。憧憬に満ちている。第5楽章は生の賛歌。太陽の陽光が燦々と降り注ぎ、エネルギッシュでギラギラしている。僕はマーラーがボヘミア(現チェコ)のカリシュト村で過ごした、楽しかった幼少期の思い出を描いているのではないかと思っている(彼がウィーンに上京するのは15歳の時)。オーソン・ウェルズ監督の名作映画「市民ケーン」で言うところのバラの蕾(Rosebud)ね。

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つまりこのシンフォニーは第4楽章が青春時代(妻アルマとのめぐり逢い)、第5楽章が幼少期といった具合に原点回帰する構成となったいるわけだ。ダウスゴーは万全の解釈で、そういった情景を浮き彫りにしていった。

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アンコールはプロムスのラスト・ナイトに倣って、エルガーの「威風堂々」第1番。トリオで歌われる「希望と栄光の国」の歌詞カードが予め配布され、聴衆も歌った。ちょっと今まで耳にしたことがないくらいの超高速で、筋肉質に引き締まり、見事な演奏だった。

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