クラシックの悦楽

2017年3月21日 (火)

シューベルトと梅毒/アンドラーシュ・シフ@いずみホール

フランツ・シューベルトの死因が梅毒の治療による水銀中毒であったことは、現在ほぼ確定されている。

感染時期は1818年、梅毒の診断を受けたのが25歳の1822年12月、「未完成」交響曲を作曲中だった。その翌年に「わが祈り」という絶望の詩を書いている。そして遅くとも24年には水銀治療が開始されていたと推察され(この頃作曲されたのが弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」)、28年11月初旬に集中的な塗布治療が施されたことは間違いない(11月19日に死去、享年31歳)。

彼の最晩年のピアノ・ソナタ第19−21番は28年9月に一気に書き上げられた。故にこれらは3部作と見做される。第18番は26年に作曲された。

スイスの精神科医キューブラー・ロスはその著書「死ぬ瞬間」で死の間際にある患者が辿る死の需要の心理的プロセスを五つの段階に分けた。①否認と孤立(denial & isolation) ②怒り(anger) ③取引(bargaining)  ④抑うつ(depression) ⑤受容(acceptance) である。

ハ短調のピアノ・ソナタ第19番には④抑うつや②怒りといった感情の交叉を聴き取ることが出来る。特に第4楽章タランテラから窺い知れるのは「僕にはもう残された時間がない」という焦燥感だ。しかしこれが第20番、21番と進むに従い穏やかで静謐な境地に達し、⑤死の受容で彼の人生は幕を閉じる。

第20番 第2楽章アンダンティーノ(嬰ヘ短調)は死の谷から深淵を覗き込むような印象を覚える。「生は暗く、死もまた暗い(Dunkel ist das Leben, ist der Tod !)」なおこの音楽はカンヌ国際映画祭でパルム・ドール(最高賞)を受賞した映画「雪の轍」で印象的に使われている。また第21番 第1楽章はアカデミー視覚効果賞を受賞したSF映画「エクス・マキナ」で流れる。

さて、3月17日(金)いずみホールへ。アンドラーシュ・シフのコンサートを聴いた。オール・シューベルト・プログラムで、

  • ピアノ・ソナタ 第18番「幻想」
  • ピアノ・ソナタ 第20番
  • ピアノ・ソナタ 第21番

Img_1057
Img_1058

短調の第19番がスキップされ、長調の3曲が並んだ。元々の発表では20,21番のみの筈だったのだが、直前に演奏家の強い希望により18番が加えられた。

シフは2015年に1829年ウィーン製フォルテピアノを弾いてシューベルト後期ピアノ作品集のCDをリリースしたが、今回使用されたのはベーゼンドルファー(オーストリア)の280VC(価格2100万円)。楽章間は切れ目なく演奏された。

第18番のソナタは柔らかく優しい音色が奏でられた。朴訥な語り口で、雲の上を歩いているかのよう。メヌエットなど舞曲では軽やか。

第20番も、例えばポリーニとか内田光子みたいな「怜悧さ」「切れ」とは正反対で、第1楽章では愛らしさとか天使の微笑みが感じられた。ところが展開部に至ると仄暗い陰影が差し込み、詠嘆のため息をつく。ぼつりぽつりと呟くような第2楽章嬰ヘ短調で僕は中原中也の詩を想い出した。

汚れちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる

また狂気が疾走する中間部からは悲痛な叫びが聴こえてきた。第3楽章スケルツォは羽根/綿毛が舞うよう。第4楽章には穏やかな日差しが差し込むが、展開部では悲しみや嘆きがその笑顔の端々(はしばし)に垣間見られた。

第21番を今回初めて実演で聴いて気が付いたのは、左手(低音部)は否応なく人を連れ去ってゆく「運命」を表しており、シューベルトの歌曲「魔王」を想起させる。シフが「音楽史上最も優れたトリル」と評した不気味なトリルは死の予感。一方、右手が奏でるのは純粋無垢な「」だ。引き裂かれる想い。何と痛ましく、美しい音楽だろう!第2楽章では廃墟に風が吹き荒び、さすらい人が朧に姿を現す。それは作曲家が死んだ後のこの世界の情景を表しているのかも知れない。歌曲集「冬の旅」に近いものを感じた。第3楽章では春になり子どもたちの歓声が聴こえ、第4楽章で彼らは夏の野原を駆け回る。そして恋人たちは川原で憩う。しかしそこにシューベルトの姿はもうない。まるで歌曲集「美しき水車小屋の娘」の終曲「小川の子守唄」のように。

19時開演、15分の休憩を挟み4曲のアンコールが終わってみれば21時56分。深く得難い体験だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2017年3月17日 (金)

ファウスト✕ケラス✕メルニコフ/史上最強のピアノ三重奏

2月28日(火)いずみホールへ。

Schu

イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)、ジャン=ギアン・ケラス(チェロ)、アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)を聴く。

  • シューマン:ピアノ三重奏曲 第3番
  • カーター:エピグラム (2012)
  • シューベルト:ピアノ三重奏曲 第1番
  • シューマン:ピアノ三重奏曲 第2番 第3楽章(アンコール)

ファウスト✕メルニコフでブラームスのソナタを聴いた時のレビューはこちら。ファウスト単独でバッハの無伴奏を聴いたレビューはこちら。ケラスはアルカント・カルテットの一員として以前聴いた(こちら)。

シューマンは憂鬱で瞑想的。沈思黙考という雰囲気。第3楽章は鬱屈しているが、第4楽章は一転して伸びやかで華麗。

カーターが死の直前、21世紀に書いたエピグラムは現代音楽の最前衛を駆ける楽曲で面白い。

僕がシューベルトのトリオ第1番と初めて出会ったのは小学生の時。NHK-FMで放送されたスーク・トリオの演奏をテープ・レコーダーにエア・チェックし、繰り返し聴いた。1975年、日本コロンビアのスタッフが録音機材をチェコに持ち込んで録ったPCM録音で、ヨゼフ・スーク、ヨゼフ・フッフロ、ヤン・パネンカによる演奏だった。後にパネンカは指の故障でピアノを弾けなくなり、ヨゼフ・ハーラに交代する。結局トリオの第2番を聴いても何だかピンとこず、今でも第1番を愛聴している。

名手3人の演奏だけに一分の隙もない。明朗で簡潔な美しさがあり、ファウストは決して出しゃばらず禁欲的。ケラスには歌心があり、メルニコフのタッチは繊細でニュアンスに富む。パーフェクト。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2017年3月10日 (金)

周防亮介、クァルテット・ベルリン・トウキョウ@ザ・フェニックスホール

2月19日(日)ザ・フェニックスホールへ。

Img_1030

ほぼ2つ分のコンサートを連続で聴いちゃおうという"Sunday Surround Salon"という企画。14時開演で終演は17時40分、3時間半を超える長丁場。これをB席(2階)2,000円という破格の安さで聴いた。1階席はステージを囲むように席が配置された。

【第1部】周防亮介(ヴァイオリン)、三又瑛子(ピアノ)

  • イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第6番
  • J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番
  • パガニーニ:ロッシーニの歌劇「タンクレディ」のアリア
    「こんなに胸騒ぎが」による序奏と変奏曲
  • フランク:ヴァイオリン・ソナタ
  • フォーレ:夢のあとに(アンコール)

【第2部】クァルテット・ベルリン・トウキョウ

  • ハイドン:弦楽四重奏曲 第38番「冗談」
  • バルトーク:弦楽四重奏曲 第3番
  • ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第8番
    「ラズモフスキー第2番」
  • グラズノフ:5つのノヴェレッテ
    第2曲「オリエンタル」(アンコール)

「題名のない音楽会」にも数度出演している周防亮介はフェミニン(feminine)な人である。長髪(髪型はボブ)色白の外見もそうだし、声のトーンも非常に高い。しかし外見とはあべこべで、彼のヴァイオリンの音は力強く深い。

イザイの第6番はスペイン出身のヴァイオリニスト、マヌエル・キロガに献呈された。スペインの血が滾り、周防は荒々しい表現も辞さない。

バッハのパルティータでは無骨で野太い音を奏でた。終曲シャコンヌの前にハンカチを取り出して汗を拭き、調弦をして一息ついた。そして始まった音楽は息詰まる緊迫感と焦燥感に満ちていた。

パガニーニはこれでもかっ!という超絶技巧。

フランクのソナタは憂愁の香りが匂い立つ。しかしそこには芯の通った意思があった。

クァルテット・ベルリン・トウキョウは2011年に結成された。発足時は日本人が3人で、4人全員がドイツのベルリンに留学していたということで命名された。現在は第1ヴァイオリン(守谷剛志)とチェロ(松本瑠依子)の2人が日本人。2014年度 青山音楽賞を受賞した際のインタビュー記事はこちら

ハイドンは軽やかで、はしっこい(捷い/敏捷い)。

バルトークはpowerfulで繊細、精緻。

ベートーヴェンの演奏はツメの甘さが目立った。この作曲家には切断する父性、峻厳さがもっと欲しい。

アンコールのグラズノフは豪快でdynamic、濃い演奏で◎。

結論としてこの四重奏団は古典派よりも近現代の楽曲の方がウマが合っている。ショスタコーヴィチやコルンゴルト、マニャールなどのカルテットを今後聴いてみたいな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2017年3月 9日 (木)

井上道義/大フィル〜ショスタコーヴィチ、革命の夜

2月17日(金)フェスティバルホールへ。

井上道義/大阪フィルハーモニー交響楽団で、

  • ショスタコーヴィチ:交響曲 第11番「1905年」
  • ショスタコーヴィチ:交響曲 第12番「1917年」

「血の日曜日」事件から第一次ロシア革命に至る時代を扱った「1905年」と、第一次世界大戦から十月革命に至る「1917年」の組み合わせ。

熱くて濃い演奏が展開された。「1917年」は雄弁でheavy、何かに取り憑かれたようで、時として暴力的にすらなった。

現在日本でショスタコを振らせたら、ミッキーの右に出るものはいないだろう。大フィルの楽員たちもよく奮闘した。奏者も疲れたろうし、聴く方も疲労困憊した。しかし余韻は心地良かった。

「1917年」の第1楽章、弦楽器のピチカートに初登場し、第4楽章では頻出するE(ミ♭)-B(シ♭)-C(ド)音形をスターリンの名前の頭文字とみなす解釈がある。これはそもそも音楽学者・一柳富美子が言い出したことらしく、ミッキーも支持している(NHK Eテレのインタビューで触れていた)。しかし僕はこの考えに与しない。だって交響曲第10番でショスタコはスターリンを描写しているが、自分のイニシャルであるD-S(Es)-C-H音形(レ・ミ♭・ド・シ)は出てきても、E-B-Cは登場しないからである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2017年3月 7日 (火)

ワーグナー〈ニーベルングの指環〉序夜「ラインの黄金」@びわ湖ホール

3月4日(土)滋賀県の、びわ湖ホールへ。

Img_1047

ワーグナー:楽劇〈ニーベルングの指環〉序夜「ラインの黄金」を鑑賞。

Img_1050

「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」へと続く4部作を4年かけて毎年1作ずつ上演する壮大なプロジェクトである。

僕が座ったのはS席16,000円。破格の安さである。2日間とも完売したが、オペラの上演で収益が上がるはずはない。大赤字だろう。滋賀県、(少なくともあと3年は)頑張れ!!因みにメトロポリタン歌劇場@ニューヨークの同クラスの席で観ると、大体3万円掛かる。それでもメトのチケット売上額は総支出額(制作費・劇場管理費・運営費など)の33%を占めるに過ぎない。不足分はファンドレイジング(寄付金募集)で賄っている。その1割は企業から、残りの9割は個人のパトロンが支えている。しかし日本にオペラハウスを支援する大金持ち・篤志家はあまりいないわけで、結局税金に頼らざるを得ない。ま、いずれにせよありがたいことである。

〈ニーベルングの指環〉は後世の芸術に多大な影響を与えた。J・R・R・トールキンが書いたファンタジー小説「指輪物語(原題:The Lord of the Rings)」(1954-55)もその一つだ。ジョージ・ルーカスが創作した神話「スター・ウォーズ」で作曲を担当したジョン・ウィリアムズは〈ニーベルングの指環〉においてワーグナーが編み出した示導動機(ライトモティーフ)の手法を映画に応用している。宮﨑駿「崖の上のポニョ」のポニョは父親から”ブリュンヒルデ”と呼ばれるが、これは「ワルキューレ」に由来する(詳しくはこちらに書いた)。「ラインの黄金」に登場する火の神ローゲは「ハウルの動く城」カルシファーの原型である。

今回生で聴いてつくつづ痛感したことは〈ニーベルングの指環〉でヨーロッパ文明は成熟の頂点を極めたという紛れもない事実である。後にマーラーの登場あたりから熟し過ぎて腐りはじめ、ナチス・ドイツの台頭とともに完膚なきまでに破壊し尽された。フランシス・フォード・コッポラ監督「地獄の黙示録」でワルキューレの騎行が大音量で流されるのはこの歴史を踏まえている。またナチス時代のドイツをデカダンス調に描くルキノ・ヴィスコンティ監督「地獄に落ちた勇者ども」の原題(イタリア語)は「神々の黄昏」である。ヴィスコンティ「ルートヴィヒ」の主人公はワーグナーのパトロンであり、バイロイト祝祭劇場建設を支援した。そのこけら落としが〈ニーベルングの指環〉である。なお、ヴィスコンティはオペラ演出家としても名高く、マリア・カラスと組んだスカラ座での「椿姫」(指揮はジュリーニ)の成功は今や伝説となっている(カラスの呪いとして知られる)。

ワーグナーは〈ニーベルングの指環〉台本執筆にあたり、数多くの神話・伝説を研究した。例えば雷神ドンナーは北欧神話に登場するトールのドイツ名である。これを英語で綴るとThor(ソー)、マーベル・コミックスのヒーローで「アベンジャーズ」の一員マイティ・ソーの由来である。閑話休題。

演出家はドイツからミヒャエル・ハンペを招いた。1983年ムーティとザルツブルク音楽祭で組んだモーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」、87年にカラヤンとザルツブルク音楽祭で組んだ「ドン・ジョヴァンニ」などが代表作。日本では98年に新国立劇場で「魔笛」を、2007年に横浜みなとみらいホールでロッシーニ「セヴィリアの理髪師」を演出している。1935年生まれだから現在81歳。美術・衣装はバイロイト音楽祭で「ローエングリン」を手掛けたこともあるヘニング・フォン・ギールケが担当。

最初から最後まで舞台前面にシルクスクリーンが張られており、プロジェクション・マッピングが効果的に用いられた。冒頭は宇宙空間が前面のシルクスクリーンと後方のスクリーンに立体的に映し出され、モヤモヤしたガスが渦巻き太陽系の誕生が描写される。スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」のクライマックスやテレンス・マリック監督「ツリー・オブ・ライフ」を彷彿とさせた。

「もしかしてSF仕立てだった1989年バイエルン国立歌劇場に於けるサバリッシュ指揮、ニコラウス・レーンホフの演出みたいな方向に進むのかな?」と一瞬想ったが、ラインの乙女たち登場以降はオーソドックスで写実的な演出となり、1990年メトにおける、ワーグナーが楽譜に書き込んだ「ト書き」に忠実に従ったオットー・シェンク版に近いとなと感じられた(指揮はレヴァイン)。地下からエルダが現れる場面では再び宇宙が描かれた。

正直、現在欧米で主流の前衛的演出と比較すると古色蒼然としている。しかしまぁ、こういうのも悪くない。そもそも〈ニーベルングの指環〉4部作が日本で、ましてや関西で上演されることなど滅多に無いわけだから、奇をてらう必要もないだろう。直球で勝負だ。

Img_1054

歌手について。ロッド・ギルフリー(ヴォータン役)が朗々とした歌唱で良かった。あと西村悟(ローゲ)、カルステン・メーヴェス(アルベリヒ)、砂川涼子(フライア)らも好演。

沼尻竜典/京都市交響楽団の演奏も明晰で卓越していた。ワーグナーの官能性とか濃密さはないけれど、こういうシャープなアプローチも「あり」だろう。

あと3年、通います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2017年2月15日 (水)

シリーズ《音楽史探訪》20世紀末回顧:空前のブルックナー、マーラー・ブーム〜しかしショスタコの時代は遂に来なかった。

1980年頃から2000年にかけての20年間は日本でブルックナー、マーラー・ブームが巻き起こった。録音メディアが丁度アナログからデジタルへの移行期で、CDの普及が大きかったように想う。

LPレコード時代、マーラーの交響曲で1枚に収まるのは第1,4番と「大地の歌」くらいで、その他は大概レコード4面を要した。つまり鑑賞中に3回レコードをひっくり返さないといけなかったわけで、煩わしいことこの上なかった。ブルックナーの交響曲も第5,7,8番はレコード2枚組で、当然値段も高かった。

1980年代はレナード・バーンスタインが2度目のマーラー交響曲全集を制作中で、クラウディオ・アバドもウィーン・フィルやシカゴ交響楽団とマーラーのセッション録音を重ねていた。レニーがイスラエル・フィルを率いて来日し、第9番の超弩級の名演を披露したのは85年である。またジョゼッペ・シノーポリが手兵フィルハーモニア管弦楽団との来日公演(87年)で第2番「復活」と第5番を取り上げた際は一大センセーションを巻き起こした(「復活」はNHK教育テレビ=現Eテレでも放送された)。レニーが亡くなったのが90年、そしてアバド/ベルリン・フィルがサントリーホールで「復活」を演奏している最中に携帯電話が鳴り出し大問題になったのが96年(ホールに電波抑止装置が導入される契機となった)。この頃からブームは下火になっていった(シノーポリは2001年に死去)。

ブルックナーについては朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団が伝説的名演、聖フローリアン修道院での交響曲第7番を録音したのが1975年10月12日。これがLP2枚組でビクターから市販されたのが79年だった。その直後からブームに火が付いた。オイゲン・ヨッフムがバンベルク交響楽団との来日公演で8番を演奏したのが82年、ロイヤル・コンセルトヘボウとの第7が86年。このあたりで最高潮に達したと言えるだろう。そして2001年に朝比奈が亡くなり、熱は次第に冷めていった。

NHK交響楽団の首席指揮者に着任したパーヴォ・ヤルヴィがつい最近、ヒラリー・ハーンとの対談(@フランクフルト)でとても興味深いことを語っている→動画(3分40秒あたりから)。「現在世界で未だにブルックナーの音楽が演奏され、愛されているのはドイツと日本だけ。そして面白いことに日本でブルックナーを演奏すると、会場には男性客しかいないんだ!ラヴェルとかチャイコフスキーとか、もっとロマンティックで美しい曲を演奏したら女性客や子どもたちが来てくれるんだけどね」それに対しヒラリーは「じゃあブルックナーは日本の成人男性のために作曲したのね!」だって。特にアメリカやイギリスでブルックナーは全く人気がなく、演奏される機会も滅多にない。

さて空前のブルックナー、マーラー・ブームに湧いた20世紀後半の日本において、「レコード芸術」誌など音楽雑誌で散々話題になったのが「次にブームになる作曲家は誰だ?」ということ。そして一番名前が挙がったのはショスタコーヴィチだった。しかし僕は「それはいくらなんでもないだろう」と想っていた。

ブルックナーとマーラーの音楽は単純明快である。ブルックナーの基本は教会音楽、オーケストラによるオルガンの響きの追求であり、神とワーグナーへの信仰が根底にある。マーラーは「俺が、俺が」と自分を語りたがる音楽であり、いわば"Watch me !"の駄々っ子だ。両者がポピュラーになるまで時間を要したのは単に規模(編成)が大きすぎ、演奏時間が長すぎるからに他ならない。しかしショスタコは違う。一筋縄ではいかない難物である。

ショスタコの音楽は表層で作曲家の本音を語っていない。共産主義国家・ソビエト連邦においてはいつ「反社会主義的音楽」という意味不明の烙印を押され、逮捕・投獄(あるいは処刑)されるか判らず、彼は入念な偽装工作を自身の作品に施した。幾つもの層を潜り抜けて行かないと、その深層心理真理)には到達出来ない。そしてそこまで辿り着ける者は少ない。(”いちばん大切なことは、目に見えない” サン・テグジュペリ「星の王子さま」より)

ショスタコの音楽はアイロニー(皮肉)諧謔(パロディ)精神に満ち、屈折している。その奥底にあるのは諦念虚無である。聴いていて心地よいとか、心が洗われるといった類ではない。

作曲家であり著名な指揮者でもあったピエール・ブーレーズはショスタコを嫌悪し、生涯に一度も振らなかった。クラウディオ・アバドもそう。小澤征爾や佐渡裕は辛うじて第5番をレコーディングしているが、それ以外の交響曲を指揮したという話は全く耳にしない。朝比奈は第1番と5番のみ。また帝王カラヤンは第10番以外、食指を動かさなかった。

2017年2月17日、18日に井上道義/大阪フィルハーモニー交響楽団は定期演奏会でショスタコの交響曲第11番「1905年」、第12番「1917年」を取り上げる。同じプログラムで、22日に東京公演も予定されている。同オーケストラ初のレパートリーである。とても愉しみだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2017年2月14日 (火)

「満喫!楽聖ベートーヴェン」いずみシンフォニエッタ大阪 定期

2月11日(土)いずみホールへ。

飯森範親/いずみシンフォニエッタ大阪の定期演奏会を聴く。

  • シュネーベル:ベートーヴェン・シンフォニー (1985)
  • ベートーヴェン:大フーガ (弦楽合奏版・川島素晴 編)
  • 西村朗:ベートーヴェンの8つの交響曲による小交響曲 (2007)
  • ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第5番「皇帝」
    (ピアノ独奏:若林顕)(川島素晴 編)

主菜(Main dishes)に先立ち、恒例のロビーコンサートもあった。

Img_1026

シュネーベルの曲は《Re-Visionen》シリーズの1つ。有名なベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調 第1楽章を分析/再解釈し、改作による幻想曲に仕上げましたといった趣き。まず冒頭「ダダダダーン」の三連打がない。けったいなアレンジだけどおもろい。この曲に秘められた叙情性が浮き彫りにされたという印象。

川島素晴が編曲した「大フーガ」弦楽合奏版はオリジナルの厳しさが薄められた。何だか視界がぼやけた感じ。

西村朗の曲は2007年12月初演時のレビューを書いているので、そちらをご覧あれ。

ベートーヴェンの交響曲第1番から8番までの全楽章を短時間でつまみ食いできますよという趣向。このパッチワークのノリは昔流行った「フックト・オン・クラシックス」(1981年全英アルバム・チャート第1位!)を彷彿とさせるものがある。若い人は知らないでしょう?こちらで視聴してみて。そういえばこれ、吹奏楽に編曲されたものを高校生の時、吹奏楽部で演奏した記憶がある。

トリの「皇帝」は元々木管楽器とトランペットが2管編成だったものを1管編成で演奏できるようアレンジ(ホルンのみ2名)。原曲にはないトロンボーンが1名加わり、24人のオーケストラ。何だかスッキリした響きで好ましかった。ただ第2楽章から終楽章への移行部でホルンのピッチが合わずお粗末。元・大フィルの村上さん、プロなんだからもっとしっかりしてくださいよ。ピアノは豪快な肉食系。些か繊細さに欠けるがイケイケで、どすこいの横綱相撲だった。爆演ピアニストとして名を馳せたジョルジュ・シフラ(ハンガリー)の勇姿を想い出した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2017年2月13日 (月)

ブラウティハイム/フォルテピアノ・リサイタル

2月4日(土)兵庫県立芸術文化センター小ホールへ。ロナルド・ブラウティハイムが弾くフォルテピアノを聴く。

Img_0970_1

  • モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第5番
  • 同:ロンド イ短調 K.511
  • 同:ピアノ・ソナタ 第12番
  • ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第8番「悲愴」
  • 同:ピアノ・ソナタ 第18番
  • 同:ピアノ・ソナタ 第17番「テンペスト」
  • 同:エリーゼのために(アンコール)

ブラウティハイムはオランダのフォルテピアノ奏者。スウェーデンのBISレーベルから沢山のアルバムを発売している。この分野ではアンドレアス・シュタイアー(ドイツ)と並び称される名手である。ただしシュタイアーはモーツァルト、シューベルト、シューマンなどの作品を録音しているが、ベートーヴェンは少ない。一方のブラウティハイムはベートーヴェンのピアノ・ソナタ及び協奏曲全曲をレコーディングしている。今回使用されたフォルテピアノは1800年頃のアントン・ヴァルターが製作した楽器のレプリカ。丁度、ベートーヴェン「悲愴」が出版された(1799年)あたりだ。足で踏むペダルはなく、代わりに取り付けられた膝レーバーについての写真付き解説はこちら

モーツァルトの初期のソナタは踊るような演奏で、コロコロ転がってゆく。優しい場面が一転し、力強い音楽に。表現の幅がある。

ベートーヴェンには畳み掛けるような切迫感が感じられた。またフォルテピアノは時折、鐘のように響く弦の金属的共鳴音が聴こえてきて面白い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2017年2月 3日 (金)

ベルリン・フィル八重奏団@兵庫芸文

1月28日(土)兵庫県立芸術文化センターへ。ベルリン・フィル八重奏団を聴く。大ホール(2001席)は満席。

Img_0969

  • ニールセン:軽快なセレナード
  • ドヴォルザーク:5つのバガテル
    (ウルフ・グィド・シェーファー編)
  • シューベルト:八重奏曲

ベルリン・フィル八重奏団は1928年にシューベルトの八重奏曲を演奏する目的で結成された。来年で結成90年だ。ヒンデミットはこの団体のために、1958年に八重奏曲を作曲している。

現在のメンバーは樫本大進(第1ヴァイオリン、日本)、ロマーノ・トマシーニ(第2ヴァイオリン、イタリア)、アミハイ・グロス(ヴィオラ、イスラエル)、クリストフ・イゲルブリンク(チェロ、ドイツ)、エスコ・ライネ(コントラバス、フィンランド)、ヴェンツェル・フックス(クラリネット、オーストリア)、シュテファン・ドール(ホルン、ドイツ)、モル・ビロン(ファゴット、イスラエル)。実に国際色豊かであり、この特徴は母体であるベルリン・フィルにも言えることだ。

ふわっとした柔らかい音色が(時に管楽器の)名手の証し。ここに実力の差が出る。僕は全日本吹奏楽コンクール金賞受賞団体の演奏を何度も生で聴いたことがあるが、上手いんだけれど音が硬いんだよね。余裕がないと言うか。それからフックスのクラリネットが特に際立っていたのだが、弱音が美しい。芳醇な響き。樫本はソロで聴くともの足りないのだけれど、アンサンブルはお見事!さすがコンサートマスターだ。

ニールセンは交響曲もそうなのだけれど、僕には何も感じるところがない。性に合わない。

ドヴォルザークは肥沃な土壌に、しとしとと雨が降る情景が思い浮かんだ。

シューベルトの長大な交響曲ハ長調「ザ・グレート」や弦楽五重奏曲、後期ピアノ・ソナタ、そしてこの八重奏曲などを聴くときは、【その冗長さを愉しむ】ことが肝心だと最近想うようになった。決して【隙きがない構成】【緊迫感】などを期待してはいけない。ないものねだりというものだ。のんびりと鷹揚に構えたほうがいい。

村上春樹は次のように語っている。

ヨーヨー・マとクリーブランド弦楽四重奏団の演奏するシューベルトの弦楽五重奏曲(ハ長調)を聴くと、あっという間に眠くなります。

村上は弦楽五重奏曲をシエスタ(昼寝)のお供として聴いている。そして、その特徴は八重奏曲にも当てはまる。特に第4楽章アンダンテの変奏曲は退屈で、眠くなる。でもそこがいい。これが判るのが大人というものだ。今回も名手たちによる演奏で堪能した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2017年1月27日 (金)

今井信子✕波多野睦美/ヴィオラ・声・ピアノで綴る「歌」

1月19日(木)ザ・フェニックスホールへ。今井信子(ヴィオラ)、波多野睦美(メゾソプラノ)、高橋優介(ピアノ)で、

  • シューベルト:ソナチネ ニ長調 作品137
  • ヘンデル:歌劇「ジューリオ・チェザーレ」より
    「涙のために生まれ」
  • スクリャービン:ピアノ・ソナタ 第2番「幻想」
  • マスネ:エレジー
  • フランク:シルフ(空気の精)
  • ウォルトン:歌曲集「3つの歌」
    「ダフネ」「金メッキの格子を透かして」「老フォーク卿」
  • ブリッジ:アルトとヴィオラのための3つの歌
    「遠く、遠く、離れ離れに」「どこに行くの、魂は?」
    「歌は、声が静かに死に、消えても」
  • ブラームス:ヴィオラとピアノのための2つの歌
    「しずめられた願い」「聖なる子守唄」
  • ブラームス:子守唄(アンコール)

今井は言わずと知れたヴィオラの名手だが、シューベルトのソナチネでは珍しくヴァイオリンを弾いた。音は擦れ、滋味あふれる。

スクリャービンのソナタは幻夢。サイケデリックでカラフル。

プログラム後半はフランス語、英語、ドイツ語の歌曲を堪能した。

マスネに感じるのは侘しさ。フランクに宿るのは仄かな甘さ。ブリッジには深い悲しみと虚無があった。ブラームスは秋の夕映えの美しさ。子守唄には愛情に満ちた優しい眼差しがあった。

生涯を独身で通したヨハネス・ブラームスにどうしてこんな素敵な子守唄が書けたのだろう?そう疑問に思い、ハタと気が付いた。そうか、彼の視線の先にあったのはクララ・シューマンの子どもたちであったに違いない!

ロベルト・シューマンとクララは8人の子供を儲けた。ブラームスが初めてデュッセルドルフにあるシューマン家を訪ねたのは1853年のことである。この時長女マリエは12歳、末娘オイゲーニエは2歳だった。そして翌年の54年に最後の子供フェリックスが生まれる。彼には詩の才能があり、そのうち3つにブラームスが音楽を付けた(「わが恋はライラックの茂みのように緑」 Op. 63-5、「ニワトコの木に夕風が」 Op. 63-6、「うち沈んで」 Op. 86-5)。しかしフェリックスは肺結核を患い、25歳の若さで亡くなった。なんだか切ないね、ヨハネス。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

より以前の記事一覧