クラシックの悦楽

カティア・ブニアティシヴィリ登場!広島交響楽団定期

11月15日ザ・シンフォニーホールへ。

フィンランドの指揮者ハンヌ・リントゥと広島交響楽団で、

  • ストラヴィンスキー:葬送の歌
  • チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
  • バルトーク:管弦楽のための協奏曲

ピアノ独奏はジョージア(昔はグルジアと呼ばれていた)生まれのセクシー・ダイナマイト、カティア・ブニアティシヴィリである。

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1909年に初演後、ロシア革命などによる混乱のため楽譜が行方不明になっていたストラヴィンスキー「葬送の歌」は2015年にたまたま発見され、16年12月にゲルギエフ指揮により100年以上の時を経て蘇演された。これを日本のオケが演奏するのは今回初だそう。バレエ音楽「火の鳥」の”子守歌”を彷彿とさせるような曲調だった。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲は超有名曲だが、意外にも生で聴く機会は少ない。調べてみたら僕は何と6年ぶりだった。

ブニたん(「ブニ子」と呼ぶ人もいる)は人魚仕様の赤いドレスで登場。指が鍵盤の上で、活きのよい魚のように弾ける。大胆でありながら、同時にしっかりコントロールされた、「飼いならされた激情」を発散する。有名な序奏部を経て、気忙しい第1主題はまるで民族舞踏のよう。展開部に至ると軽やかなギャロップとなる。第2楽章は繊細。第3楽章ロンドはすばしっこいネズミを想起させる。リントゥの指揮はキレッキレだった。

広響のコンサートマスターは以前、大阪フィル第2ヴァイオリン首席奏者だった佐久間聡一(35)。コンチェルトの後、ブニたんとちゃっかり抱擁(hug)している彼を見て「役得だな!」と感心することしきり。他の楽員たちがニヤニヤしているのが可笑しかった。

ソリストのアンコールは、

  • ドビュッシー:月の光
  • リスト:メフィスト・ワルツ第1番「村の居酒屋での踊り」

「月の光」は音と音の間隙に多くを語らせる、間の力能があった。

バルトークのオケコンは曲の冒頭にコントラバスが奏でる音のうねりが大地の唸り声のようで、ニーチェが言うところの「デュオニソス的」だなと感じた。あくまで根を張るように低く水平に広がる世界。故にハルサイ(ストラヴィンスキー「春の祭典」)に繋がっている。それに対してラヴェルやプーランク、メシアンなど20世紀フランスの作曲家たちは「アポロ的」と言えるだろう。垂直に上昇して蒼穹(メシアンの場合は神)を目指す。ここでのリントゥは楽句(フレーズ)ごとの性格の描き分けが巧みだった。おぬし、なかなかやるな。

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エリシュカさん、さようなら。〜大フィル定期

10月19日(木)フェスティバルホールへ。

チェコの巨匠ラドミル・エリシュカの指揮、大阪フィルハーモニー交響楽団・合唱団で、オール・ドヴォルザーク・プログラムを聴く。

  • 伝説曲 より第1〜4曲
  • テ・デウム(独唱:木下美穂子、青山 貴)
  • 交響曲 第6番

エリシュカは現在86歳。高齢であり、ドクター・ストップがかかり今回が最後の来日となった。チケットを購入するのにも躊躇があった。果たして彼は本当に日本に来れるのだろうか?体調不良でキャンセルになりはしないか?例えば過去にもゲルハルト・ボッセが振る筈だった大フィル定演(2012年1月)が急病により代演となった(ボッセは2月1日に死去)。

どうするか迷いに迷った。しかしここで、僕が生涯のベストワンとして愛して止まない映画「はるか、ノスタルジィ」ではるか(石田ひかり)が言う台詞「愛していると言わないで後悔するより、言って後悔した方がいい」を想い出した。「買わずに後悔するより、買って後悔した方がいい」そこに真理がある。決意は固まった。そして僕は賭けに勝った。

「伝説曲」は温かい空気に包まれ、音楽は膨張と収縮をゆったりと繰り返し、自然の息吹が感じられた。

「テ・デウム」は朗らか。ズッシリとした低音が全体をしっかりと支え、安定感があった。

後半のシンフォニーはふっくらとパン粉が膨らむイメージ。ボヘミアの自然の力強さと、同時に厳しさがある。第2楽章は一音一音を慈しむように奏でられる。第3楽章は野性の雄叫び。指揮者の肉食系の気質が剥き出しになる。喰らいついたら離さない。

終楽章でホールは祝祭空間となり、音楽は生を謳歌する。万感胸に迫る究極の名演であった。ありがとう、エリシュカ!

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アリーナ・イブラギモヴァ✕セドリック・ティベルギアン@兵庫芸文

10月14日(土)兵庫県立芸術文化センターへ。

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アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)、セドリック・ティベルギアン(ピアノ)で、

  • モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ 第35番 K.379
  • シューベルト:ヴァイオリンとピアノのための幻想曲
  • ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第9番「クロイツェル」
  • シューベルト:挨拶を贈ろう D741(アンコール)

アリーナはモダン楽器だけではなく、J.S.バッハなどバロック音楽を弾く時はガット弦を張ったピリオド楽器も使いこなす。ふくよかな音でありながら、同時に凛として張り詰めた線も描くことが出来る。

シューベルトは夢見るよう。繊細で、玻璃のように壊れやすい世界を構築する。

そして火を噴くクロイツェル・ソナタ!ノン・ヴィブラートによる重音はJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ(特にシャコンヌ)を彷彿とさせる。僕は素早いネズミと猫の追いかけっこを連想した。捉えた獲物は離さないぞっ!

アンコールはシューベルト「幻想曲」中盤に登場する《主題と変奏》の元になった歌曲が演奏された。

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アンサンブル・ウィーン=ベルリン@いずみホール

10月6日(金)いずみホールへ。アンサンブル・ウィーン=ベルリンを聴く。

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  • フルート:カール=ハインツ・シュッツ(ウィーン・フィル)
  • オーボエ:ジョナサン・ケリー(ベルリン・フィル)
  • クラリネット:アンドレアス・オッテンザマー(ベルリン・フィル)
  • ファゴット:リヒャルト・ガラー(ウィーン交響楽団)
  • ホルン:シュテファン・ドール(ベルリン・フィル)

彼らの演奏を2015年に同ホールで聴いた感想はこちら

今回の曲目は、

  • ツェムリンスキー:ユモレスク
  • ヒンデミット:小室内音楽
  • リゲティ:6つのバガテル
  • ロータ:ささやかな音楽の捧げ物
  • ブリッチャルディ:「セビリアの理髪師」による幻想的なポプリ
  • レスピーギ:木管五重奏曲
  • ベリオ:オーパス・ナンバー・Zoo(作品番号獣番)
    *奏者によるナレーション付き
  • ドビュッシー:ゴリウォーグのケークウォーク(アンコール)

ツェムリンスキーは可愛らしい曲。

バルトークは土の匂い。

ヒンデミットは無機質で機械仕掛けのヒヤッとした質感。

リゲティの音楽は「2001年宇宙の旅」でも使用され、全般的に【これぞ現代音楽!】という雰囲気だが、「6つのバガテル」は意外にもハンガリーの民族色豊かだった。

映画「ゴッドファーザー」や「太陽がいっぱい」「道」で有名なニーノ・ロータの純音楽は戯けた道化。

レスピーギからはイタリアの明るい陽光と豊かな色彩が感じられた。

僕は普段、沢山の高校生による吹奏楽演奏を聴いているが、コンクール全国大会金賞校の演奏は「たしかに上手いんだけれど、音が硬い」という印象を拭えない。その点、アンサンブル・ウィーン=ベルリンのそれは柔らかく、まろやか。前者を楷書とすると、後者は草書。プロの味を堪能した。

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藤岡幸夫✕松田華音:グリーグとシベリウスの世界〜関西フィル定期

10月19日(木)ザ・シンフォニーホールへ。

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藤岡幸夫/関西フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会を聴く。

  • 大島ミチル:《Sama》空から、そして空へ 世界初演
  • グリーグ:ピアノ協奏曲
  • シベリウス:交響曲 第5番

独奏は日本人ピアニストとして初めて名門レーベル・グラモフォンからデビューした松田華音。彼女は6歳の時にモスクワに渡り、以来そこで研鑽を積んでいる。

大島ミチルは長崎県出身、フランス在住。「失楽園」、平成「ゴジラ」シリーズ、「阿修羅のごとく」「明日の記憶」など映画音楽の作曲家として知られている。Samaとはアラビア語で「空」の意味。イラク出身の少女が「イラクに住んでいた時は戦闘機が飛び爆弾が落ちてくるので空を見上げることができなかった」と書いているのを読み、霊感を得たという。

3楽章構成で第1楽章「空から」は金管が叫び声を上げる。激しく打ち鳴らされるティンパニ。何処かで聴いたことがある雰囲気の曲だなと想っていたが、途中で気が付いた。レナード・バーンスタインが映画「波止場」(エリア・カザン監督)のために書いた音楽だ(特にティンパニの連打)。全体として悪くはないが、もう一度聴きたいとは想わないな。

松田華音がグリーグを弾くのはこれが初めてだそう。力強くダイナミック、完璧なテクニック。

シベリウスが日記に書いた16羽の白鳥(銀色のリボン)との邂逅については既に下記事に引用したのでここでは繰り返さない。

藤岡/関西フィルの《シベリウス・ツィクルス》は毎年聴いてきたが、今回も世界最高レベルの演奏に魅了された。やはり藤岡が故・渡邉暁雄(母がフィンランド人でシベリウスを得意とした)の薫陶を受けたことは大きいのだが、それだけではなく、このコンビにはジョン・バルビローリ/ハレ管弦楽団からの流れを汲む側面も毎回強く感じる。ハレ管も関西フィル同様、一地方オケ(マンチェスターに本拠地を置く)だし、藤岡は英国で学び、ハレ管にもしばしば客演している。故にバルビローリの”気配”が間違いなく音楽に漂っているのだ。

交響曲第5番は4楽章構成で1915年に初演された。その後も推敲を重ね、19年に第3稿改訂版が完成した。第3稿では第1,2楽章を融合し、3楽章構成に変更されている。初稿版はヴァンスカ/ラハティ交響楽団がBISにレコーディングしており、僕もCDを所有している。こちらのバージョンも決して悪くない。

さて第1楽章は清冽で、音楽はのびやかに滔々と流れる。(初稿の第2楽章に当たる)後半はリズミカルになり、推進力をグングン増す。

朴訥な第2楽章を聴きながら、低弦が第3楽章に登場する【白鳥の動機】を密やかに予告していることに今回初めて気が付いた!!

そしてフィンランドの森と湖が眼前に広がる第3楽章は躍動し、生の歓びに満ちていた。感無量である。

今後、藤岡/関西フィルで是非聴きたい曲を最後にリクエストしておく。

  • シベリウス:クレルヴォ交響曲
  • シベリウス:レンミンカイネン組曲
  • シベリウス:交響詩「タピオラ」
  • エルガー:(弦楽四重奏を伴う弦楽合奏のための)「序奏とアレグロ」
  • ディーリアス:幻想曲「夏の庭で」「夏の歌」
  • ディーリアス:歌劇「村のロメオとジュリエット」
          (演奏会形式/全曲)

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円熟の極み。〜五嶋みどり@ザ・シンフォニーホール

9月22日(金)ザ・シンフォニーホールへ。

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当ホールでは10年ぶりとなる五嶋みどりのリサイタルを聴いた。ピアノはリトアニア出身のイェヴァ・ヨコバヴィチューテ。

  • ヒンデミット:ヴァイオリン・ソナタ ハ調
  • ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第2番
  • シューベルト:ヴァイオリン・ソナチネ 第3番
  • エネスク:ヴァイオリン・ソナタ 第3番
         「ルーマニアの民族様式で」
  • ブラームス(ヨアヒム編):ハンガリー舞曲 第1番
         (アンコール)
  • クライスラー:シンコペーション(アンコール)

リトアニアはバルト海に面し、ルーマニアは黒海に接している。

ヒンデミットはドイツの作曲家。ソナタは1939年に作曲された。ヴィブラートを抑制した表現で、特に終楽章のフーガは無機質で虚無感が漂う。ニーチェの言葉「おまえが長く深淵を覗くなら、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ」(善悪の彼岸)を想い出した。ナチスが政権を握ったのが33年、翌34年に「ヒンデミット事件」が起こる。前衛的な彼の作品はナチスから「退廃音楽」の烙印を押され、弾圧された。そして38年にヒンデミットはスイスに亡命する。

ブラームスはノン・ヴィブラートで開始され、淡い色彩でクララ・シューマンへのあこがれを描く。禁欲的ではあるが、それでも溢れ出す感情がある。終楽章は渋く、滋味に富む演奏。

シューベルトは他愛のない楽曲だが軽やかでチャーミング。

ルーマニア生まれのエネスクはエキゾチックで妖しく艶っぽい。でも決して下品にならない。表情に抑制が効いている。ヴァイオリンがフラジオレット(ハーモニクス)を駆使し、パンフルート(竹笛)のような音色を奏でる第2楽章は繊細。第3楽章は舞踏音楽で呪術的で魔法にかけられたよう。また特にこの曲ではピアノが水を得た魚のように跳ね回り、極めて共感性が高い演奏だった。

エネスク同様ロマ(ジプシー)音楽の影響が色濃いアンコールのハンガリアン・ダンスは静謐で哀感が漂い、ひたひたと胸に迫る。この曲のイメージが一新された。

19世紀のブラームスとシューベルトを20世紀の作曲家でサンドイッチにするというプログラム構成といい、文句なし。パーフェクトな内容だった。次回は彼女の演奏でショスタコーヴィチのソナタを聴いてみたい。

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漆原朝子のフレンチ・コレクション

9月8日(金)大阪倶楽部へ。

漆原朝子(ヴァイオリン)、鷲宮美幸(ピアノ)で、

  • ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ 遺作
  • フォーレ:ロマンス
  • ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ
  • ショーソン:詩曲
  • サン=サーンス:ヴァイオリン・ソナタ 第1番
  • マスネ:タイスの瞑想曲 (アンコール)
  • フォーレ:夢のあとに (アンコール)
  • ショパン:夜想曲 第2番 (アンコール)

濃密な音の中に意志の強さが感じられる。ただハーモニクス(倍音)奏法が掠れていて、余り綺麗じゃないなと想った。

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【アフォリズムを創造する】その6「芸術について」

音楽は言葉で表現できないことを語る。つまり夢=無意識に関わる芸術である。一方、文学は言葉で語る。それは意識・自我(ego)に属している。では映画(アニメ含む)はどうか?映画のはじめに言葉ありきーシナリオは言葉で綴られる。しかし同時に映像はイメージであり、音楽も加わりそこに無意識が忍び込む。故に映画は意識+無意識=自己(self)を表現する。

上の式を図で示すと次のようになる。

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図全体が自己(self)だ。これはユング心理学からの引用であるが、ニーチェは次のように語っている。《兄弟よ、君が「精神」と呼んでいる、君の小さな理性も、君のからだの道具なのだ。君の大きな理性の、小さな道具であり、おもちゃなのだ。「私は」と、君は言って、その言葉を自慢に思う。「私は」より大きなものを、君は信じようとしないがー「私は」より大きなものが、君のからだであり、その大きな理性なのだ。大きな理性は、「私は」と言わず、「私は」を実行する。(丘沢静也訳「ツァラトゥストラ」光文社古典新訳文庫より)》つまり「精神」(小さな理性)=自我であり、からだ(大きな理性)=自己と解釈出来る。

以前のアフォリズムで紹介したように、例えばイングマール・ベルイマン監督の映画「仮面/ペルソナ」冒頭に登場するタランチュラはイエス・キリストの、「2001年宇宙の旅」の太陽はツァラトゥストラ=ニーチェのメタファーであり、イメージの世界だ。新海誠監督「君の名は。」も三日月(三葉)、半月(かたわれ)、満月(三葉と瀧の結合)といった具合でイメージの洪水である。

映画は運動を描く。英語でもmotion picture(動く絵)と書く。つまりからだと同義だ。そしてそのイメージは観客の心の深層(魂)に働きかける。

イメージは無意識を探るため、心理学でも利用されている。その代表例がロールシャッハ・テストである。

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また心理学者・河合隼雄が日本に紹介した箱庭療法も言語化出来ないイメージを活用している。

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J.S.バッハから古典派(ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン)を経て、ロマン派(ブラームス、ワーグナー、マーラー)に至るまで、作曲家たちは夢=無意識を描く音楽を、小さな理性でコントロールしようとしてきた。その手段が、旋律・調性・和声・拍子・形式である。ストラヴィンスキー、シェーンベルク、ベルク、リゲティら20世紀の作曲家たちが挑戦したのは、その枷(かせ)を取り払い、音楽を混沌(Chaos)に引きずり戻す作業であった。それは「アポロン的」表現から「デュオニュソス的」表現への変換を意味していた。

調性とは長調とか短調のこと。形式とはソナタ形式(主題提示部-展開部-再現部-終結部)・ロンド形式(A-B-A-C-A-D-A)・三部形式(A-B-A')・変奏曲などを指す。ハイドンからマーラーの時代まで約150年間、交響曲やソナタといえば第1楽章がソナタ形式で、中間に緩徐楽章や舞曲(メヌエットまたはスケルツォ、三部形式)を挟み、終楽章は再びソナタ形式かロンド形式とほぼ型(フォーマット)が決まっていたのだから驚くべきことだ。それは音楽という暴れ馬に馬具を装着し、制御するシステムであった。この工夫により聴衆は頭(意識)で全体像を把握し、理解することが出来た。

しかしシェーンベルクは十二音技法を生み出すことで調性を破壊し、音楽は協和音から不協和音が支配する世界に突入した。旋律や形式も木っ端微塵に打ち砕かれた。

「アポロン的」と「デュオニュソス的」対立軸はニーチェがその著書「悲劇の誕生」(1872年出版)でギリシャ悲劇を引き合いに出して創造した概念である。ギリシャ神話に於けるアポロン神は理知的で、情念(混沌)に形(フォルム)を与え、高尚な芸術へと昇華させる力を象徴している。一方、デュオニュソス神はバッカスとも呼ばれ、豊穣とブドウ酒、酩酊の神である。祝祭における我を忘れた狂騒や陶酔を象徴する。つまり秩序化された世界を、もう一度根源的なカオスに解体する力を司るのだ。アポロンは英知と理性であり、デュオニュソスは泥臭い人間の業(ごう)、欲深い本性であるとも言える。

確かにダンス・ミュージックであるベートーヴェンの交響曲第7番はある意味ディオニュソス的である。しかし知性(旋律・調性・和声・拍子・形式)でコントロールされている。手綱はしっかりアポロンが握っているのだ。

こうして見ると、1913年にパリで初演され、大騒動となったバレエ音楽「春の祭典」が果たした役割が理解出来るだろう(パニックの顛末は映画「シャネル&ストラヴィンスキー 」に描かれている)。それまでの音楽は知的で上品であり、調和に満ちていた。ストラヴィンスキーはそこにデュオニュソス的な、原始的で荒々しいどんちゃん騒ぎを持ち込んで建築物をぶっ潰し、混沌(土)に戻したのである。ベルクやバルトーク、リゲティ、武満徹らが成し遂げたことも、同じ方向性であった(武満の音楽は流動的な「水」や「夢」をテーマにしたものが多い)。

20世紀美術も音楽と同様な流れを辿った。ピカソが「私の唯一の師」と讃えるセザンヌを経てキュビズム(立体派)が完成され、やがてフォルムが解体されて抽象絵画に突き進んだ。人物/静物の輪郭=実際に目に見えるもの(意識)であり、それが失われるとイメージや無意識(魂)が残った。

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萩原麻未のラヴェル:ピアノ協奏曲

8月13日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。

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萩原麻未(ピアノ)、パスカル・ロフェ/兵庫芸術文化センター管弦楽団で、

  • ラヴェル:組曲「クープランの墓」
  • ラヴェル:ピアノ協奏曲
  • ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」

「クープランの墓」は流れるような演奏で、軽妙洒脱。繊細で柔らかい響きが魅力的だった。

萩原は2010年にジュネーヴ国際コンクール(ピアノ部門)で日本人として初めて優勝。そのファイナルで弾いたのがラヴェルのピアノ協奏曲であり、指揮もパスカル・ロフェだった。ピアノには靄がかかったような幻想性があり、「これが聴きたかったんだ!」と大満足。

ソリストのアンコールは彼女が日仏を飛ぶエア・フランスに乗っていた時に聴いたという、Relaxation Musicを即興演奏で。弱音の美しさが際立っていた。

「展覧会の絵」は1990年4月17日(火)に倉敷市民会館で聴いた、ゲオルグ・ショルティ/シカゴ交響楽団(他にベートーヴェン:交響曲第5番)の演奏があまりにも鮮烈で、その後何度もこの曲を生で聴いたが、どれももの足りない。今回もどうしても27年前の衝撃と比べてしまい、全く愉しめなかった。最高のものを知っていることはある意味不幸である。

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「超絶のコンチェルト -めくるめく競演-」いずみシンフォニエッタ大阪 定期

7月15日(土)いずみホールへ。

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ロビー・コンサートを経て下野竜也/いずみシンフォニエッタ大阪で、

  • 尹 伊桑(イサン・ユン):クラリネット協奏曲
    独奏 上田希
  • 松本直祐樹:トロンボーン協奏曲 (初演)
    独奏 呉信一
  • ジョン・ウィリアムズ:オーボエ協奏曲
    独奏 古部賢一
  • HK・グルーバー:フランケンシュタイン!!【室内合奏版】
    シャンソニエ(バリトン) 宮本益光

尹 伊桑(1917-95)は日本統治下の朝鮮生まれ。父に音楽家になることを反対されたため、17歳の時に大阪市にある商業学校に入学した。その後、大阪音楽大学で作曲や音楽理論を学び、さらに東京で池内友次郎に対位法や作曲を師事した。帰国後、独立運動に身を投じ1944年には2ヶ月間投獄された。終戦後は北朝鮮に近づき、1967年に西ベルリンでKCIA(大韓民国中央情報部)により拉致されソウルに送還、スパイ容疑で死刑を宣告された。69年に大統領特赦で釈放されるも、韓国国内で尹の音楽は演奏を禁止された。苛烈な生涯である。彼のクラリネット協奏曲は重苦しい抑圧に対する叫びが込められていて、力強く不屈の闘志が感じられる。クラリネットの音だけではなく、奏者の声も活用される。個(ソロ)と社会(オーケストラ)の峻厳な対峙があり、苦悶や恐怖が描かれるが、やがてそれが限界突破し、笑いに転じる。不謹慎ではあるが僕は「面白い!」と気に入った。

松本直祐樹の曲で僕が連想したのは映画「砂の器」で哀しいお遍路の旅をする父子の姿であり、あるいは寺山修司が描く恐山の荒涼とした風景(例えば「田園に死す」)と、どこからともなく聞こえてくる鈴の音であった。

ジョン・ウィリアムズの協奏曲はオケが弦楽合奏のみ。第1楽章プレリュードはコープランドの楽曲やジョンが手掛けた映画「華麗なる週末(The Reivers)」を彷彿とさせ、第2楽章パストラーレはまるでトルーマン・カポーティの小説「草の竪琴(The Grass Harp)」を描写したみたい。あるいはジョンの楽曲で言えばスピルバーグの劇映画デビュー作「続・激突!カージャック(The Sugarland Express)」に近いかも。そして第3楽章「コメディア」は明らかに「E.T.」のハロウィンの場面や自転車での逃亡劇に繋がっている。穏やかで、どこか懐かしい、新世界の夢。いいねぇ。

「フランケンシュタイン!!」は歌付きの愉快な曲。ドラキュラ、フランケンシュタイン、スーパーマン、バットマン、狼男、ジョン・ウェインなどが飛び出す支離滅裂な言葉遊び。ティム・バートンの「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」とか、ピクサーの「トイ・ストーリー」を想い出した。あと挽肉パイが出てくるところは「スウィーニー・トッド」ね。グルーバーはオーストリアの作曲家だがアメリカ音楽のようでもあり、ラヴェルのオペラ「子供と魔法」のようでもあった。各奏者は10種類以上、30を超えるおもちゃ楽器を持ち替え、シャンソン歌手に対しては「鬱陶しいくらい」指示が楽譜に書き込まれているという。

ところでクリスマス・キャロル「きよしこの夜」はオーストリアで生まれた歌で作曲は小学校教師/教会オルガン奏者のフランツ・クサーヴァー・グルーバーなのだが、「フランケンシュタイン!!」の作曲家はもしかしてその子孫??

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