クラシックの悦楽

2024年1月17日 (水)

映画「マエストロ:その音楽と愛と」のディープな世界にようこそ!(劇中に演奏されるマーラー「復活」日本語訳付き)

公式サイトはこちら

〈スピルバーグからブラッドリー・クーパーへ託された想い〉

映画"Maestro"は元々マーティン・スコセッシ監督が企画を温めていたのだが『アイリッシュマン』を先にすることになり、手が回らなくなった。 そこでスティーヴン・スピルバーグに白羽の矢が立った。スピルバーグは当初相当乗り気だったが、ブラッドリー・クーパーが監督・主演した『アリー/スター誕生』を観て考えを改めた。クーパーには傑出した演出の才能があるから彼に任せたらいいだろう、と思ったのである。これはブロードウェイ・ミュージカル『キャバレー』を鑑賞して、その演出家であるサム・メンデスを自分が企画を抱えていた『アメリカン・ビューティ』の監督に迎えたひらめきに似たものがある(それまでメンデスは映画を撮ったことがなかったが初監督作品でアカデミー賞を受賞した)。またスピルバーグ自身、長年温めてきた企画『ウエスト・サイド・ストーリー』再映画化を実現し、やりきったと満足したことも大きいだろう。

 ・【永久保存版】どれだけ知ってる?「ウエスト・サイド・ストーリー」をめぐる意外な豆知識 ( From Stage to Screen ) 2021.12.01
 ・ 
映画「ウエスト・サイド・ストーリー」(スピルバーグ版) 2022.03.10

こうして本作はスコセッシとスピルバーグが製作に回るという強力な布陣となった。

〈同性愛〉

ブロードウェイ・ミュージカル『ウエストサイド物語』の作曲家で20世紀後半、ヘルベルト・フォン・カラヤンと並び立つ大指揮者でもあったレナード・バーンスタインが同性愛者であることは彼の生前から周知の事実であった。ただ僕がどうしても分からなかったのは、純粋に男だけが好きなゲイだったのか、バイセクシャル(両性愛者)だったのかということ。彼はフェリシアと結婚し子供を3人もうけた訳で、「本当に妻を愛していたのだろうか?、それともチャイコフスキーのように世間を欺くための〈偽装結婚〉に過ぎなかったのか?」というのが長らく関心事であった(チャイコフスキーの結婚生活はわずか6週間で破綻、彼は入水自殺を図る)。レニー(以下バーンスタインをこう呼ぶ)は最後までカミングアウトしなかったから。

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評価:A

2023年12月20日からNetflixで配信されているブラッドリー・クーパー脚本・監督・主演の映画『マエストロ:その音楽と愛と』を観て学んだこと。まず夫婦の関係というのは奥深く、本人にしか完全に理解するることが出来ないのだということ(「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」と言うではないか)。本作から真っ先に連想したのはケヴィン・クラインが主演した2004年の映画『五線譜のラブレター』(傑作!)である。ミュージカルの作曲家コール・ポーター(『エニシング・ゴーズ』『ナイト・アンド・デイ』『ビギン・ザ・ビギン』)とその妻リンダの関係を描く作品で、コール・ポーターはゲイだったが、リンダは心底彼のことを愛していた。

学んだことの2点目。ゲイとバイセクシャルの境界は曖昧で、多分それを区別することに余り意味はないということ。両者は虹色のグラデーションのように切れ目なく繋がっていて、だから近年LGBTQ+という概念が生まれたのだろう。ただ困るのは〈LGBT→LGBTQ→LGBTQ+〉と用語が年々変わって(足されて)きて各種メディアでも表記がバラバラなので統一して欲しい。

〈映画の勝因〉

本作がどうして成功したかと言うと、やはり夫婦の関係に焦点を絞ったことにあるのではないだろうか。例えば『ウエストサイド物語』空前の大ヒットという史実をスッポリ飛ばしてしまっているのだが、これを物語に取り込んでしまうとテーマがボケてしまう。偉大な指揮者/作曲家の伝記を目的とする映画ではないのだ。面白いのはレニーとフェリシアの3人の子供たちがこの映画を支持し、ブラッドリー・クーパーに全面協力している点。例えばこちらの記事をご覧あれ。

三島由紀夫をゲイとして描いたポール・シュレイダー脚本・監督、緒形拳主演『Mishima』(1985)が三島家の逆鱗に触れ、日本公開はおろか未だに日本でDVD/Blue-rayを発売する目処も立っていないのとは対照的だ。

 ・ 幻の映画「Mishima」〜三島由紀夫とは何者だったのか? 2020.03.02

あとフェリシアを演じたキャリー・マリガンが心底素晴らしい!特筆に値する。是非、映画のエンド・クレジットに注目して欲しい。なんとブラッドリー・クーパーより先にキャリー・マリガンの名前が出てくるのだ。クーパーは優しい人だ。

〈レナード・バーンスタインの遺品を貰った日本人〉

レニーの遺品を譲り受けた日本人指揮者がふたりいることをご存知だろうか?まず大植英次がレニー生涯最後のコンサートで使用した指揮棒とジャケットを遺族から譲られており、佐渡裕はベストを貰った。下記事にその写真を掲載している。

 ・ バーンスタインに捧ぐ~佐渡 裕/PACオケ 定期 2008.11.25

〈最後の来日をめぐる大騒動〉

レニー最後の来日公演が開催された1990年、僕は大学を卒業したばかりで岡山県岡山市に住んでいた。7月20日京都会館での演奏会に行こうかどうしようか最後まで迷っていた。ロンドン交響楽団を指揮してブルックナーの交響曲第9番が予定されていた。しかしマーラーならいざ知らず、ブルックナーはレニーの得意分野ではない。交通費も馬鹿にならない。思慮に思慮を重ねた上で断念した(もしマーラーの9番だったら万難を排してチケットを購入しただろう)。結局レニーは東京公演の途中で体調を崩し、残る予定を全てキャンセルし帰国、京都公演はマイケル・ティルソン・トーマスが振り曲目も変更になった。東京公演ではレニーが指揮する予定だった「ウエス・サイド物語~シンフォニック・ダンス」を“弟子の若い日本人”が代演したため、払い戻しをする・しないで主催者側と聴衆のすったもんだが起こった事が大々的に報じられ、僕は新聞記事でそれを読んだ(後に当時無名の“若い日本人”指揮者が大植英次だったことを知る)。その年の10月14日にレニーは肺癌で亡くなった。映画の中でも描写されている通り、彼はヘビースモーカーだった。

  大植英次、佐渡 裕~バーンスタインの弟子たち 2008.02.29

〈ユダヤ人の血〉

レニーの父サムはロシアのウクライナに生まれたユダヤ人で、ユダヤ教のラビ(律法学者)を代々務める一家だった。彼は16歳の年に反ユダヤ主義が高まる祖国を出て単身アメリカに渡った(ウクライナのユダヤ人がどのように迫害されていたかは映画化もされたミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』を参照されたい)。サムは叔父の営む理髪店で働いた後にパーマネントなど美容器具販売業で成功を収めた。母ジェニーもウクライナ生まれで7歳の時にアメリカに移住、12歳から羊毛工場で働いた。ふたりは新大陸で出会い結婚、レニーが生まれた。そんな家庭だったから音楽とは縁がなく、父はレニーが音楽家になることに反対した。クレズマー(中欧や東欧に住むユダヤ人の伝統音楽)を演奏する哀れな辻音楽師(street musician)のイメージを持っていたからである。

レニーがユダヤ人作曲家マーラーの音楽に心酔していた理由や、自作の交響曲第1番『エレミア』でメゾソプラノがヘブライ語で歌うのはこうした背景がある。幼い頃、父親からみっちりタルムード(モーセが伝えた口伝律法)を仕込まれていたのだ。なお、世界で初めてマーラーの交響曲全集をレコーディングしたのは彼である。

〈鮮烈な楽壇登場〉

映画は1943年11月14日から始まる(日付はクレジットされない)。急病でキャンセルしたブルーノ・ワルターの代役としてぶっつけ本番でニューヨーク・フィルの指揮台に立ち、ラジオでも放送されていたこともありセンセーショナルなデビューを果たした。この日のプログラムは以下の通り。

 ・シューマン:マンフレッド序曲
 ・ミクロス・ローザ:主題、変奏曲と終曲 
 ・R.シュトラウス:ドン・キホーテ
 ・ワーグナー:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第一幕への前奏曲

ここで留意したいのは真珠湾攻撃の後、第二次世界大戦最中の出来事だったということ。ドイツ・ベルリンに生まれたワルターはユダヤ人でウィーン国立歌劇場やウィーン・フィルでフルトヴェングラーと人気を争うほど活躍していたが、ナチス・ドイツの台頭でスイス経由でアメリカに亡命を余儀なくされた。ウィーンを去る直前の1938年に録音されたウィーン・フィルとのマーラー:交響曲第9番のライヴ録音は歴史的名演としてよく知られている。

またミクロス・ローザ(ロージャ・ミクローシュ)はハンガリー・ブタペストに生まれた。両親はユダヤ系の血筋で1939年ドイツに併合された祖国を離れ、ハリウッドで映画音楽作曲家になった。アルフレッド・ヒッチコック監督『白い恐怖』やウィリアム・ワイラー監督『ベン・ハー』などで3度アカデミー作曲賞を受賞。余談だがバレエ音楽『中国の不思議な役人』や『管弦楽のための協奏曲』で有名なバルトーク・ベーラもハンガリーに生まれた大作曲家で、第二次世界大戦が勃発しヒトラーを憎む彼は祖国を離れ渡米、貧困に喘ぎながら白血病に罹りニューヨーク州ブルックリンで亡くなった。そういう時代だった。閑話休題。

レニーはこのデビューをきっかけに1958年、アメリカ生まれの指揮者として史上初めてニューヨーク・フィルの音楽監督に就任することになる。それまではジョージ・セル(ハンガリー)やフリッツ・ライナー(ハンガリー)、ユージン・オーマンディ(ハンガリー)、アルトゥーロ・トスカニーニ(イタリア)、レオポルド・ストコフスキー(イギリス)といったヨーロッパ出身の指揮者たちがアメリカのクラシック音楽界を牛耳っていたのだ。

〈映画『波止場』とエリア・カザン〉

冒頭でティンパニの連打が高鳴る音楽はマーロン・ブランド主演、エリア・カザン監督の『波止場』。レニーが作曲した唯一の映画音楽(劇伴)である。どうしてこれしか携わらなかったのか?大植英次によると「勝手にミキサーで音量を調整されて自分が意図したものとは違う仕上がりになり、嫌気が差したんだ」と語っていたそう。赤狩りの最中、かつて共産党員だったカザンは「ハリウッド・テン」の仲間たちを売った“裏切り者”なので、レニーが当時何を考えていたのか興味深いところである。

 ・ 宮崎駿「風立ちぬ」とエリア・カザン~ピラミッドのある世界とない世界の選択について 2013.08.28

〈『ファンシー・フリー』から『オン・ザ・タウン』→『ウエスト・サイド物語』へ〉

続く新作の稽古場面。レニーが「ジェリー」と呼んでいるのは振付師ジエローム・ロビンスのこと。ここで制作進行しているのがバレエ『ファンシー・フリー』。1944年ニューヨーク・シティ・バレエ団が初演した。3人組の水兵が休暇で船を降りニューヨークを散策するという内容で、このプロットを発展させたのがブロードウェイ・ミュージカル『オン・ザ・タウン』である。そしてレニーとジエローム・ロビンスのコンビは後に『ウエスト・サイド物語』を生み出すことになる。

映画冒頭からレニーの恋人として登場するデイビッド・オッペンハイムは有名なクラリネット奏者で画家のエレン・アドラー(スタニスラフスキー・システムを継承する演技指導者ステラ・アドラーの娘)と結婚した。エレンが主催するホーム・パーティでレニーとフェリシアは出会う。その会場で「ベティとアドルフ」と呼ばれているのはベティ・コムデンとアドルフ・グリーンという作詞・脚本家のコンビ。『オン・ザ・タウン』の仕事がMGMの大プロデューサーであるアーサー・フリードの目に止まり、ハリウッドの招かれミュージカル映画『踊る大紐育』『雨に唄えば』『バンド・ワゴン』といった傑作群で共同脚本を執筆した。二人がパーティで歌っている"Carried Away"は『オン・ザ・タウン』のナンバー。なおアドルフ・グリーンは1989年、バーンスタインがロンドン交響楽団を指揮した演奏会形式のミュージカル『キャンディード』(全曲)上演にパングロス博士として出演しており、その様子はDVDで鑑賞することが出来る。

〈白黒から総天然色へ〉

映画は前半モノクローム映像だが半ばでカラーに切り替わる。その転換点で10年以上の歳月が一気に経過しているという構成だ。白黒の最後らへんに『ウエストサイド物語』(1957年8月初演)制作発表記者会見みたいな場面があるので恐らく1956年頃。総天然色になってすぐ、レニーの伝記を書こうとしている作家との対談で、「テレビ出演を始めてから15年、ニューヨーク・フィルの音楽監督になって10年」と言っている。最初のTV番組が「オムニバス(OMNIBUS)」で放送開始が1954年(有名な「ヤング・ピープルズ・コンサート」より前)、音楽監督就任が58年なので時代設定は1968−9年と推定される。この時レニーが作曲しているのは歌手、演奏者、ダンサーのためのシアター・ピース『ミサ曲』で1971年ワシントンのケネディ・センターで初演された。

 ・ バーンスタイン「ミサ曲」と「ジーザス・クライスト・スーパースター」 2017.07.15

〈マーラー:交響曲第5番〜アダージェットと『ベニスに死す』〉

モノクロームからカラーに切り替わる場面でレニーが指揮しているのがマーラー:交響曲第5番 第4楽章 アダージェット。言わずと知れた、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』(1971)で一躍有名になった音楽だ。

『ベニスに死す』の主人公である作曲家グスタフ・アッシェンバッハはゲイとして描かれており、だから『マエストロ』でも、レニーの弟子(架空の人物)をケイト・ブランシェットが演じる映画『TAR/ター』でもアダージェットが引用されている。

 ・ クラシック通が読み解く映画「TAR/ター」(帝王カラヤン vs. バーンスタインとか) 2023.05.27

ただしグスタフ・マーラー自身はゲイではなく、アダージェットは愛する妻アルマに捧げられた楽曲である。ではクラシック音楽に造詣が深いヴィスコンティは何故主人公をゲイに設定したのか?実は別の明確なモデルがいたのだ。詳しくは下記事に書いた。

 ・ ヴィスコンティ映画「ベニスに死す」の謎 2011.10.18

〈レニーと大植英次の出会い〉

フェリシア・モンテアレグレ・コーン・バーンスタインが亡くなったのが1978年6月16日。大植英次がタングルウッド音楽祭でレニーと出会ったのが1978年の夏(フェスティバル開催期間は例年6月〜7月)。ほぼ同時期である。このとき彼は21歳だった。タングルウッドで大植がピアノを弾いている時に横からやたらと話しかけてくる初老の男がいて、うるさいからと手で追い払おうとしたらその人物がバーンスタイン本人であった、というのが初対面だった。このエピソードは大阪市で開催された演奏会で大植自身が語るのを僕は生で聞いた。

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〈マーラー『復活』映画で演奏される該当部分の日本語私訳〉

映画の後半でマーラーの交響曲第2番『復活(Auferstehung)』第5楽章フィナーレが演奏される。これは本人がロンドン交響楽団を指揮した映像が残されており、1973年9月にイギリス、ケンブリッジの近くにあるイーリー大聖堂で収録された。イーリー市はロンドンから電車で1時間半、102kmくらいのところにある。ちょうど東京ー熱海間(関西で言えば京都ー舞鶴間)の距離に相当する。僕はDVDを持っており、ドイツ・グラモフォンが2023年に開始した映像配信サービス「ステージプラス」では現在無料配信されている。音楽をすることの歓びを爆発させた、圧巻のパフォーマンスだ。

なお、大植英次が亡くなった朝比奈隆の後任として2003年4月から大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任し、その披露定期演奏会として選んだのがやはりマーラーの『復活』だった。

ブラッドリー・クーパーに指揮の指導をしたメトロポリタン・オペラの音楽監督ネゼ=セガンは同性愛者であることを公表している。パートナーはヴィオラ奏者のピエール・トゥールヴィル。彼が同性愛をカミングアウトする意義についてはこちらの記事が詳しい。レニーのことについても触れられている。

さらにクーパーは2022年2月26日にグスターヴォ・ドゥダメルがベルリン・フィルとマーラーの『復活』を演奏する際にもベルリンに同行し、勉強した。

『復活』のドイツ語歌詞は『マエストロ』の物語と密接にリンクしているのだが、残念ながらNetflixの配信では翻訳されていない。だから参考までに該当部分の対訳を以下添付する(無断転載禁止)。

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合唱・アルト:
Hör’ auf zu beben! 震えるのはやめよ!
Bereite dich zu leben! 生きることに備えよ!

ソプラノ、アルト独唱:
O Schmerz! Du Alldurchdringer! おお苦悩よ!全てを貫くもの!
Dir bin ich entrungen. お前から私は身を振りほどいた
O Tod! Du Allbezwinger! おお死よ!全てを征服するもの!
Nun bist du bezwungen! いまお前は(私に)征服された!
Mit Flügeln, die ich mir errungen, 私が手に入れたこの翼(=“死”)で
In heißem Liebesstreben 熱く愛を希求しながら
Werd’ ich entschweben 私は飛び立とう
Zum Licht, zu dem kein Aug' gedrungen!誰の目にも届かぬ光に向かって

合唱:
Mit Flügeln, die ich mir errungen, 私が手に入れたこの翼(=“死”)で
Werde ich entschweben! 私は飛び立とう
Sterben werd' ich, um zu leben! 私は死のう、生きるために!
Aufersteh'n, ja aufersteh'n wirst du, 復活する、そうだお前は蘇るのだ
Mein Herz, in einem Nu! 私の心、たちどころに!
Was du geschlagen, お前が打倒したもの(=“死”)が
Zu Gott wird es dich tragen! お前を神のもとに導くだろう

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ここで問題となるのが最後から2行目の動詞geschlagenの解釈である。これはschlagen(打ち倒す/打ち負かす/〜に勝つ)の過去分詞。ところが、schlagenには(鼓動する/脈を打つ)という意味もあるので、ほとんどの日本語訳はこちらを採用している。多分、その前の行にHerz(心臓)という単語があるので、それに引きずられているのだろう。しかしこれは絶対におかしい。意味を成さない。なぜならこの動詞の主語はdu(君、お前)であり、これは1格。3格のdir(君に)でも4格のdich(君を)でもない。「鼓動する」という意味の場合、次のような例文になる。

Der Puls schlägt unregelmäßig.\脈が不規則に打つ
Mein Herz schlägt heftig.\私の心臓がどきどきしている

つまりPuls(脈)やHerz(心臓)が主語(1格)になっても、duが主語になる筈がない(「私」は脈打たない)。ゆえに「お前がschlagen(打倒す)もの」=「お前がbezwingen(征服する)もの」=「Tod(死)」と読み取れば、全体の意味が通じるのである。

〈カズ・ヒロのメイクに注目!〉

ブラッドリー・クーパーをレナード・バーンスタインに見事に変身させたメイクアップアーティストはカズ・ヒロ(辻一弘)。アカデミー賞で2度メイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞している。特にゲイリー・オールドマンを担当した映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』のメイクは凄かった!

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2023年11月22日 (水)

キリル・ペトレンコ/ベルリン・フィル in 姫路

11月18日(土)兵庫県 姫路市へ。世界遺産・姫路城は美しかった。

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ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演を〈アクリエひめじ〉で聴いた。同団史上初の姫路公演だそうだ。

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S席43,000円 。清水の舞台から飛び降りる気持ちで高額チケットを購入した。因みに昨年のロンドン交響楽団はSS席23,000円。

 ・ サイモン・ラトル/ロンドン交響楽団@フェニーチェ堺(+世界のオーケストラ・ランキングについて) 2022.10.11

一番安いE席1,8000円を買えばいいじゃないかという意見もあるだろうが、やはり最高のオーケストラは最高の音響で体験したい。天井桟敷の貧相な音で聴くくらいなら、我が家のドルビーアトモス対応4Kテレビ(SONY BRAVIA)でデジタル・コンサートホールを視聴する方がマシだ。

4年ぶりの来日である。実は東京オリンピックが開催される予定だった2020年6月にプレイベントとして指揮者のグスターヴォ・ドゥダメルと共に日本で早坂文雄の映画『羅生門』の音楽や、ジョン・ウィリアムズがアトランタ・オリンピック開会式のために作曲した『サモン・ザ・ヒーロー』、ベートーヴェンの第九などを披露する予定だったが、新型コロナウィルス感染症拡大により開催中止、オリンピック自体も1年延期になった(予定されていた催しの概要はこちら)。

現在の首席指揮者キリル・ペトレンコの就任について8年前に次のような記事を上げた。

 ・ ベルリン・フィルの危険な賭け 2015.06.23

サイモン・ラトルの後任を決める団員の総会が大いに揉めたことや、ベルリン・フィルはキリル・ペトレンコと3回しか共演していないのに彼が首席指揮者に決まったことに対する僕の驚きと不安を書いている。しかし後にデジタル・コンサートホールで数々の名演に接し、そんな事は杞憂に過ぎなかったことが良く分かった。

ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、エフゲニー・ムラヴィンスキー、エフゲニー・スヴェトラーノフ、ヴァレリー・ゲルギエフなどを例に上げるまでもなく、ロシアの指揮者でモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、マーラーなどウィーン古典派やドイツ音楽を得意とする人は皆無に等しい。しかしロシア・オムスク出身のキリル(ヴァシリー・ペトレンコという指揮者もいるので以下こう呼称する)は例外だった。

キリルの指揮ぶりが誰に一番近いかといえば、天才カルロス・クライバーだろう(僕は中学生の時にミラノスカラ座引っ越し来日公演オペラ『ラ・ボエーム』で彼の実演を聴いた@建て替え前の旧フェスティバルホール)。速めのテンポ設定、畳み掛けるようなキレッキレのリズムがカルロスを彷彿とさせる。カルロスとの大きな違いはキリルのレパートリーの広さにある。特にオペラ指揮者として傑出しており、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトの『死の都』とかR.シュトラウスの『影のない女』、チャイコフスキーの『スペードの女王』など、いずれも息を呑む素晴らしさだった。あとオーケストラ曲ではベルリン・フィルのシェフに決まる前から他オケとセッション録音していたチェコの作曲家ヨゼフ・スーク(交響詩『夏物語』/交響曲第2番『アスラエル』など)へのこだわりはユニークだし、僕が2014年に書いた記事「厳選 交響曲の名曲ベスト30はこれだ!」の中で第1位と第30位に選出したフランツ・シュミット/交響曲第4番とコルンゴルト/交響曲 嬰ヘ調をベルリン・フィル定期演奏会で取り上げてくれた時には狂喜乱舞した!歴代のシェフ;フルトヴェングラー、カラヤン、アバド、ラトルらはこれらの楽曲を一度も指揮したことがない。キリルは〈本物の音楽〉を知っている。レナード・バーンスタイン/シンフォニック・ダンス(『ウエストサイド物語』より)を得意としているのも好感が持てる。

さて今回の曲目は、

 ・ モーツァルト:交響曲第29 番 イ長調 K.201  
 ・ ベルク:オーケストラのための3 つの小品 
 ・ ブラームス:交響曲第4 番 ホ短調 Op.98  

実はこのプログラム、11月3日ベルリンでの定期演奏会と同一で、既にデジタル・コンサートホールで繰り返し視聴していた。

第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが指揮台を挟んで向かい合う対向配置。2023年2月にこのオケ史上初の女性コンサートマスターとなったヴィネタ・サレイカ=フォルクナー(以前はアルテミス弦楽四重奏団のメンバーだった)が姫路の演奏会はトップを務め、その隣(ステージ奥)に樫本大進。ベルリンでの演奏はヴィネタの隣がノア・ベンディックス=バルグリー(第1コンサートマスター)で、樫本は出演していなかったが、リハーサルに参加していた。

ホルン首席のシュテファン・ドールはベルリンの演奏会に出演せず、客演奏者(アジア系?の女性)の音が力強さに欠け、物足りなかったのだが、姫路公演ではドールが登場し圧巻のパフォーマンスを披露した。

アルバン・ベルクはキリルにとって非常に重要な作曲家であり、2019年8月首席指揮者就任演奏会でもベートーヴェンの第九と共に、ベルクの歌劇《ルル》組曲を演奏している。

「オーケストラのための3つの小品」は1923年に初演された。デジタル・コンサートホールのインタビューでキリルが曲目解説している内容がとても面白い。第1楽章〈前奏曲〉はドビュッシー風に開始され、ヴァイオリンによる最初のモティーフ(動機)はマーラーの交響曲第9番と密接に結びついていると。ベルクは恩師であるシェーンベルクと敬愛するマーラーに対してアンビバレントな(相反する)感情を抱いていた。第2楽章〈輪舞〉は前半のワルツと、ヴァイオリン・ソロが登場する後半から緩徐楽章の役割を果たし、2部構成になっている。第3楽章〈行進曲〉を作曲家は「喘息発作」に喩えていて、この表現が作品理解に役立つ。第一次世界大戦の雰囲気が色濃く、マーラーの交響曲第6番からの影響も伺われる。マーラーは最終楽章で全てを打ち砕く3回目のハンマー打撃(第1稿)を躊躇し、第2稿で削除したが、ベルクはその決定打を打ち下ろし、Annihilation(アナイアレイション:壊滅・絶滅)に至る。

ちなみに1908年にベルクは喘息を発病、この時の年齢「23」を自己の運命の数と決め、『抒情組曲』など以後の作品の構成を彩ることになる。また1914年に第一次世界大戦が勃発し、その翌年から彼は兵役に服している。

現在ベルリン・フィルに所属する日本人は第1コンサートマスターの樫本大進、 第1ヴァイオリン町田琴和、第2ヴァイオリン首席マレーネ・イトウ(伊藤真麗音) 、首席ヴィオラ清水直子がいる。また他にアジア人としては初の中国人団員である第1首席ヴィオラ奏者の梅第揚(Mei Diyang=メイ・ディヤン) と初の韓国人団員であるヴィオラのパク・キョンミン (Kyoungmin Park)がいる。さらに2023年11月3日に首席ホルン奏者として中国出身の曽韵(Yun Zeng=ユン・ゼン) を迎えるとアナウンスされた。アジア人として初めての管楽器奏者である。こうして見ると「弦の国」と呼ばれる日本の音楽家はやはり弦楽器が得意。しかし高音パートに限られ低音パートのチェロやコントラバスなどの名手が少なく、管楽器も不得手ということが良く分かる。バッハ・コレギウム・ジャパンやサイトウ・キネン・オーケストラでも弦楽器はほとんど日本人なのだけれど、管楽器は外国人奏者の方が多い。日本でアマチュア吹奏楽は世界一と言って良いくらい盛んなのだが、これは民族的な才能(骨格の特徴など)の限界なのかも。

 ・ 民族と楽器 2007.10.08

声楽に於いても日本人は頑張っているのだが、一流のオペラ歌手(特にバリトン・バスなど低音部)を輩出することが叶わない。むしろ中国人や韓国人の方が名だたるオペラハウスに沢山出ている。閑話休題。

〈アクリエひめじ〉は2021年9月に誕生。なかなか音響が良かった。ただ残響の長さはザ・シンフォニーホルやフェニーチェ堺の方が一枚上手かな。ここで僕が考える関西の音楽ホール・ランキングを示そう(青山音楽記念館バロックザールなど、室内楽向き小ホールは除く)。

 ・S 級:ザ・シンフォニーホル(大阪市)/フェニーチェ堺(堺市)/いずみホール(大阪市)
 ・A 級:アクリエひめじ(姫路市)
 ・B 級:兵庫県立芸術文化センター(西宮市)/フェスティバルホール(大阪市)
 ・C 級:神戸国際会館 こくさいホール(神戸市)/浪切ホール(岸和田市)
 ・D 級:神戸文化ホール(神戸市)→老朽化のため2027年度以降、三宮に新・神戸文化ホールとして移転予定 
 ・F(不可):京都コンサートホール(京都市)

コンサートの後はせっかく姫路に来たのだからと、名店「十七八(となはち)」のおでんに舌鼓を打った。

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17時開店と同時にカウンターのみ12席が埋まった。熱燗1本+おでん10個ほど注文して、3千円出してお釣りが来たのには驚いた。安い!美味い!

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2023年9月28日 (木)

石田組@兵庫県立芸術文化センター

5月3日(水・祝)兵庫県立芸術文化センターへ。弦楽アンサンブル「石田組」を聴く。

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プログラミは以下の通り。

 ・ ホルスト:セントポール組曲
 ・ レスピーギ:リュートのための古風な舞曲とアリア 第3組曲
 ・ バルトーク:ルーマニア民族舞曲
 ・ シルヴェストリ:バック・トゥ・ザ・フューチャー
 ・ チャップリン:スマイル
 ・ レッド・ツェッペリン:カシミール
 ・ ローリング・ストーンズ:悲しみのアンジー
 ・ クイーン:輝ける7つの海
 ・ ディープ・パープル:紫の炎

アンコールは、

 ・ デーレ:すみれの花咲く頃ころ
 ・ J.ウィリアムズ:シンドラーのリスト
 ・ オアシス:ホワットエヴァー
 ・ F.マーキュリー :ボーン・トゥ・ラヴ・ユー

「石田組」を率いる石田泰尚(いしだやすなお)は神奈川フィルハーモニー管弦楽団の首席ソロ・コンサートマスター。グループの名前といいい、強面なのでなんだかヤクザの組長みたいだが、ぶっきらぼうだけれど実はいい人。サーヴィス精神も旺盛でたくさんアンコールをしてくれた。そのギャップが堪らん。

キレッキレの演奏を堪能。

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2023年7月12日 (水)

原田慶太楼(指揮)/関西フィル:ファジル・サイ「ハーレムの千一夜」と吉松隆の交響曲第3番

6月16日(金)ザ・シンフォニーホールへ。

原田慶太楼/関西フィルハーモニー管弦楽団で

 ・ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲
 ・ファジル・サイ:ヴァイオリン協奏曲「ハーレムの千一夜」
 ・吉松隆:交響曲第3番

ヴァイオリン独奏は服部百音。原田も服部もこれが関西フィル定期デビューだ。

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原田慶太楼といえば10年間、作曲家で自作の指揮もするジョン・ウィリアムズのアシスタントを務め、ジョンからの信頼が厚いことで有名である。今年も大スクリーンで映画を上映しながら生演奏する「スター・ウォーズ」シネマ・コンサートを東京・大阪で振るらしい。

服部百音は現在23歳。テレビドラマ「王様のレストラン」「新選組!」「真田丸」「半沢直樹」や舞台ミュージカル「オケピ!」で有名な作曲家・服部隆之の娘。すなわち「音楽畑」シリーズを作曲した服部克久の孫にあたる。超名門の音楽一家だ。お母さんの服部エリもヴァイオリニストだそう。現在は桐朋学園大学音楽学部大学院に在学中で、スイスのザハール・ブロン・アカデミーにも在籍している。因みにザハール・ブロンの門下生には樫本大進(ベルリン・フィル第1コンサートマスター)、庄司紗矢香、神尾真由子、木嶋真優らがいる。

「運命の力」序曲は緊張感に満ち、切れのある演奏。原田は激しくテンポを揺らす。全身全霊を傾けた圧巻のパフォーマンス。あまりに体の動きが凄まじいので、将来【むち打ち/頸椎損傷/頸椎ヘルニア/頸椎靭帯骨化症】といった指揮者特有の職業病になるんじゃないかと心配になった。

トルコのピアニスト/作曲家ファジル・サイのコンチェルトは打楽器が大活躍する。トルコの太鼓クドゥムがステージ前方に配置され、指揮台の両サイドでヴァイオリンと丁々発止のやりとりを展開する。打楽器の使い方がフランスの作曲家モーリス・ジャールに近いなと思った。ジャールがアカデミー作曲賞を受賞した映画「アラビアのロレンス」で主人公が戦うのはトルコの前身・オスマン帝国である。

 ・ シリーズ《映画音楽の巨匠たち》第3回/モーリス・ジャール 篇

「ハーレムの千一夜」は「アラビアン・ナイト」をモチーフにした作品であり、リムスキー=コルサコフの交響詩「シェヘラザード」と密接に繋がっている。ミニマル・ミュージックの旗手ジョン・アダムスにもヴァイオリンと管弦楽のための「シェヘラザード2」という作品があり、3つを聴き比べるのも一興であろう。

服部百音はまるで「アラビアン・ナイト」 に出てきそうな衣装で登場。とても美しく素敵だった。ヴァイオリンの線は細いがパッションがあり、聴き応え十分。トルコの有名な歌による変奏曲の第3楽章は官能的だった。

吉松隆の音楽といえば「朱鷺によせる哀歌」とかピアノ曲「プレイアデス舞曲集」など静謐なイメージが強い。シベリウスと宮沢賢治が大好きな人だし(こんなエッセイも書いている)。

ところが!交響曲第3番はその印象を見事に覆す作品で、barbarism(野蛮/未開)と抒情の複合体(complex)。相反する感情がぶつかり合う。第1楽章アレグロで噴出するマグマは手塚治虫の「火の鳥 黎明編」を想起させる。一転、ジャズやロックがごった煮の第2楽章スケルツォは都会の喧騒。「鉄腕アトム」で描かれた“来たるべき世界”が僕の目の前に広がる。第3楽章アダージョを経て、第4楽章フィナーレでは太陽の光が燦々と降り注ぎ、太陽に突っ込んでいく「鉄腕アトム」最終話を思い出す(元ネタはギリシャ神話イカロスの翼だろう)。この熱狂はエマーソン・レイク&パーマーの「タルカス」やレナード・バーンスタイン「ウエスト・サイド・ストーリー」の“マンボ”に通じるものがあると感じられた。

コンサート会場に吉松隆本人も来ており、終演後ステージに。演奏に大満足したのだろう、満面の笑みだった。

どうして僕はこのシンフォニーから「鉄腕アトム」を連想したんだろう??帰宅して調べてみるとビンゴ!吉松はTVアニメ「アストロボーイ・鉄腕アトム」の音楽を担当していたことが判明した(知らなかった)。「アトム・ハーツ・クラブ」という作品もある。

鮮烈な印象を残した原田慶太楼の関西フィル・デビュー。次回は定期演奏会のプログラムにジョン・ウィリアムズをぶち込んで欲しい。そして才能豊かな彼は近い将来ベルリン・フィルの指揮台に立つ日が来るだろうと今から予想する。その時は是非、吉松隆をお願いします。

 ・ シベリウスと吉松隆、そして宮沢賢治〜関西フィル定期 2015.11.01
 ・ 
吉松隆/交響曲第6番初演と、天使に関する考察~いずみシンフォニエッタ大阪 定期 2013.07.18

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2023年7月 7日 (金)

藤岡幸夫(指揮)ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番 再び

4月29日(祝)ザ・シンフォニーホールへ。

藤岡幸夫/関西フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、

 ・田中カレン:ローズ・アブソリュート
 ・田中カレン:アーバン・プレイヤー(都会の祈り)〜チェロとオーケストラのための
 ・ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番

チェロ独奏は長谷川陽子。客席は7割程度の寂しい入り。

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田中カレンという作曲家は今まで全く知らなかった。1曲目は「Annick Goutal」という香水店の「Rose Absolue」という香水からインスピレーションを受けたそう。静謐で繊細。エストニア生まれのアルヴォ・ペルトの楽曲を連想した。

2曲目"Urban Prayer"は色彩豊か。3楽章形式で第2楽章は竹林を渡る風が目に浮かんだ。アン・リー監督『グリーン・デスティニー』(中国・香港・台湾・米国の合作映画 )の雰囲気。中々素敵な音楽で気に入った。

ヴォーン・ウィリアムズの交響曲第5番は同じコンビで2017年にも聴いている。

 ・ ヴォーン・ウィリアムズの交響曲第5番とロンドン大空襲(The Blitz)〜藤岡幸夫/関西フィル定期 2017.05.18

第2次世界大戦中ナチス・ドイツによる空襲に見舞われる中、1943年に初演されたこのシンフォニーは優しさと祈りで聴衆を包み込むような作品だ。ヴォーン・ウィリアムズが古の教会音楽を研究した成果もはっきりと見て取れる。

第1楽章 プレリュードはゆっくり、慈しむように進行する。事前に僕はアンドルー・マンゼ/ロイヤル・リヴァプール・フィルと、ブライデン・トムソン/ロンドン交響楽団の音源(Spotify)で予習して臨んだのだが、藤岡のテンポはより遅く設定されていた。これはこれで良い。

第2楽章 スケルツォは闇の世界。作曲家が師事したモーリス・ラヴェルの影響が色濃く影を落とす。

第3楽章 ロマンツァはひたすら美しく、首席ヴィオラ奏者と首席チェロ奏者のソロが心に沁みる。

第4楽章 パッサカリアの主題と、第3楽章でコーラングレが奏でる旋律は歌劇『天路歴程 (The pilgrim's progress)』第1幕 第2場「美しい家(The House Beautiful)」から採られているらしい。暗い時代に、教会のステンドグラスから「希望」という名の一条の光が差し込むよう。

プーチンのロシアに蹂躙されるウクライナに思いを馳せながらコンサートを堪能した。

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2023年6月23日 (金)

ヒラリー・ハーンが弾くベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ@兵庫芸文

6月3日(土)兵庫県立芸術文化センターへ。

Hahn

ヒラリー・ハーンのヴァイオリン・リサイタルを聴く。ピアノはアンドレアス・ヘフリガー。

 ・ ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第9番「クロイツェル」
 ・ ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第10番

アンコールは、

 ・ J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番より サラバンド
 ・ ワーグナー(リスト編):トリスタンとイゾルデより 愛の死 (ピアノ独奏)
 ・ 佐藤聡明:微風

『微風』はヒラリー・ハーンが17ヶ国26人の現代作曲家にヴァイオリンとピアノのためのアンコール・ピースを委嘱したもので、大島ミチルの『Memories』と共に「27の小品集」というCDに収録されている。

彼女を聴いた過去の感想は以下の通り。

 ・ ヒラリー・ハーン@兵庫芸文 2016.06.20
 ・ ヒラリー・ハーン/ヴァイオリン・リサイタル@兵庫芸文 2013.05.20
 ・ 
ヒラリー・ハーン/ヴァイオリン・リサイタル 2009.01.14

2009年の記事で僕は「アメリカのヴァイオリニスト、ヒラリー・ハーンはまるで妖精のような人だ」と書いた。あれから14年。彼女は現在43歳で、さすがにティンカー・ベルとは言えなくなったけれど、妖艶な人になった。髪の毛は白いものが混じり、演奏中はメガネを掛けるようになり、時が経つのは早いなぁと思った。

兵庫芸文では7年ぶりのコンサート。実は今回と同じ出演者・プログラムで2022年2月24日に公演が予定されていたのだが、新型コロナウイルス感染症の水際対策強化のため中止になってしまった。

前回は紙の楽譜だったが、今回はiPadに。音の線は細いが弱々しくはなく、針金のように芯が強い。表情は繊細で透明感がある。

「クロイツェル」の終楽章はしなやか。水を跳ねる魚のよう。

ソナタの第10番は陽だまりの音楽。第5番「春」みたいに朗らかなベートーヴェン。冒頭のトリルからは鳥の囀りが聴こえてくる。このソナタは作品96で、作品93の交響曲第8番と同じ1812年に作曲された。第9番「クロイツェル」作品47が作曲されたのは1803年なので、交響曲第3番「英雄」作品55が完成する1年前である。だから両者には9年の隔たりがあり、作風が大いに異なる。

第10番の明るさは3年間に及ぶ新型コロナ禍で溜まった鬱憤を吹き飛ばしてくれるような趣があり、何だかウキウキときめく心持ちになった。

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2023年6月16日 (金)

山田和樹(指揮)ガラ・コンサート「神戸から未来へ」@神戸文化ホール〜何と演奏中に携帯電話が鳴るハプニング!

5月19日(金)「神戸から未来へ」と題されたガラ・コンサートへ行った。神戸文化ホール開館50周年記念事業だそう。

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プログラムは、

 ・ 武満徹:系図 ー若い人たちのための音楽詩ー(岩城宏之編曲・室内管弦楽版)
 ・ 大澤壽人:ベネディクトゥス幻想曲(1944 演奏会として世界初演
 ・ 武満徹:うた より(小さな部屋で/見えないこども/恋のかくれんぼ)
 ・ 神本真理:暁光のタペストリー(委嘱新作・世界初演
 ・ 山本直純:管弦楽と児童合唱のための えんそく
 ・ 信長貴富:未来へ(アンコール・オーケストラ伴奏版初演

演奏者は以下の通り。

山田和樹(指揮)/神戸室内管弦楽団・神戸市混声合唱団・神戸文化ホール50周年記念児童合唱団

ヴァイオリン独奏:高木和弘、アコーディオン:大田智美、語り:宇田琴音(15歳)

武満徹の『系図(Family Tree)』は10代の少女が谷川俊太郎の詩集『はだか』から選ばれた6つの詩を朗読するのだが、僕は今まで初演の遠野凪子をはじめ、上白石萌音、のん(能年玲奈)、山口まゆ、白鳥玉季らの語りで聴いている。音源は残されていないが浜辺美波もステージでやったことがあるそう。

 ・ 武満徹「系図(ファミリー・トゥリー)-若い人たちのための音楽詩-」を初めて生で聴く。(佐渡裕/PACオケ) 2022.01.26

今回の室内楽版は岩城宏之が音楽監督を務めていたオーケストラ・アンサンブル金沢と演奏するために編んだもので僕は初体験。でも全く違和感はなかった。繊細で極上の演奏に大満足。

大澤壽人(おおさわひさと、1906-53)は神戸市出身の作曲家。日本人にも殆ど知られることなく、ピアノ協奏曲 第3番「神風協奏曲」などNAXOSから発売された一連のCDで「再発見」されたと言っても過言ではない。

初演となるベネディクトゥス幻想曲は〈ヴァイオリン独奏と混声合唱と管弦楽〉のための作品でカソリック教会のミサ典礼文から次の2文がひたすら繰り返される。

Benedictus qui venit in nomine Domini. 
神の名のもとに 来られる方に 祝福がありますように

Hosanna in excelsis.
いと高きところに 栄光あれ

自筆譜に書かれた創作の日付は「1944年5月」。第二次世界大戦の最中であり、野坂昭如(著)『火垂るの墓』で描かれた神戸大空襲が1945年なので、その前夜ということになる(神戸は1945年1月3日から終戦までの約8ヶ月間に大小合わせて128回の空襲を受けた)。祈りの中に一瞬の光が垣間見られ、静謐で美しい楽曲だった。天衣無縫のヴァイオリン・ソロも素敵。

神本真理は1975年神戸生まれの作曲家。その新作は正直、心に残るものが何もなかった。

山本直純(1932-2002)は10年間放送されたTBSのTV番組『オーケストラがやって来た』の司会者・指揮者としての印象が強い。今でもよく覚えているのは1978年に『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』を特集した回で、例えば“王座の間とエンド・タイトル”の冒頭部はメンデルスゾーンの結婚行進曲(『夏の夜の夢』)にインスパイアされたのではないかと語り、続く弦楽器の旋律とエルガー『威風堂々』第1番(中間部『希望と栄光の国』Land of Hope and Glory の箇所)との類似性についての指摘がすこぶる面白かった(当時僕は小学生)。『男はつらいよ』シリーズとか、童謡『一年生になったら』『8時だョ!全員集合』の音楽で知られる山本だが、現代音楽作曲家として取り上げられることはなく、近年めっきり演奏されなくなったが、どっこい『えんそく』は小学生の学童が歌う朗らかで可愛らしい楽曲でとっても楽しい!身振り手振りによる表現もあり、山田マエストロもノリノリ。微笑ましく、心がほっこりした。その情景は最近観た、指揮者が主人公の映画『TAR/ター』ラスト・シーンに重なるものがあった。

 ・ クラシック通が読み解く映画「TAR/ター」(帝王カラヤン vs. バーンスタインとか)

アンコールの『未来へ』は谷川俊太郎(詩)・信長貴富(作曲)の同声二部合唱曲が原曲。オケ版初演となった。

プログラム前半の演奏中に、会場の携帯電話の着信音が2回鳴った(多分別の場所)。音響の悪い古いホールだが、ここは電波遮断装置すらないのか!こんな経験は20年ぶりくらいで、せっかく充実した内容だっただけに興ざめだった。帰宅し調べたところ施設の老朽化が著しいため神戸市は三宮駅周辺に新ホールを建設し2025年に移転する計画だという。やれやれ(最後は神戸に縁が深い村上春樹風に)。

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2023年5月27日 (土)

クラシック通が読み解く映画「TAR/ター」(帝王カラヤン vs. バーンスタインとか)

評価:A+

アカデミー賞で作品賞/監督賞/主演女優賞/脚本賞/撮影賞/編集賞の6部門にノミネート。ケイト・ブランシェットがクラシック音楽界の頂点に上り詰めた指揮者を演じる映画『TAR/ター』公式サイトはこちら

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無茶苦茶面白かったのだけれど、普段クラシック音楽に余り親しんでいない観客にはどう受け止められたのだろう?という気持ちにもなった。ある程度クラシック音楽の知識を持っていた方がさらに数倍楽しめる映画だと思うので、クラオタの視点から本作に新たな光を当てていきたい。

史実におけるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 首席指揮者の変遷は以下の通り。

〈フルトヴェングラー(一時期ルーマニア出身のセルジュ・チェリビダッケ)→カラヤン(オーストリア:ザルツブルク)→クラウディオ・アバド(イタリア)→サイモン・ラトル(イギリス)→キリル・ペトレンコ(ロシア)〉

しかし映画では〈フルトヴェングラー→カラヤン→アバド→アンドリス・デイヴィス→リディア・ター〉という流れのようだ。

アンドリス・デイヴィスという名前が面白く、現在もベルリン・フィルに客演しているアンドリス・ネルソンス(ラトビア)と、アンドルー・デイヴィス(イギリス)あるいはコリン・デイヴィス(イギリス)を掛け合わせたのだろう。

巨匠ヴィルヘルム・フルトヴェングラー亡き後、1955年にベルリン・フィルの首席指揮者として破格の終身契約を結び(この時水面下で交わされた駆け引きが実に面白いのだが、それはまた別の話)、帝王と呼ばれたヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)は、ベルリンでスターは自分一人で十分だと考えていた。故にライバルであるレナード・バーンスタイン(1918-1990)を客演指揮者として一度も定期演奏会に招かなかった。

バーンスタインは生涯に一度だけベルリン・フィルを指揮したことがある。1979年10月4日と5日の演奏会で、曲目はマーラー:交響曲第9番だった。

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正に一期一会、伝説的名演として知られ、1992年に漸く発売されたライヴ音源は日本の「レコード芸術」誌においてレコードアカデミー大賞を受賞した。その演奏会直後の79年11月から翌80年にかけてカラヤンは同曲をベルリン・フィルとセッション録音した。彼はそれまで一度も演奏会でこの曲を指揮したとがなく、ボウイング(弦楽器の運弓法)などバーンスタインがオケを鍛えたノウハウを利用/活用したのではないかという疑惑が囁かれている。実はカラヤンには前科がある。

1949年夏に引き続き1950年8月、フルトヴェングラーはザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルを指揮し、モーツァルトの歌劇『魔笛』を上演した。その年の11月、カラヤンはウィーン・フィルを指揮し『魔笛』をセッション録音した。キャスト(歌手)は、フルトヴェングラーがザルツブルクで指揮した『魔笛』とほぼ同じだった。フルトヴェングラーはこれを知り激怒した。自分が2年間にわたってザルツブルクで練り上げた成果をカラヤンが横取りしたと感じたのだ。まるで自分はカラヤンのリハーサル指揮者ではないか。(参考文献:中川右介 著『カラヤンとフルトヴェングラー』幻冬舎新書)

バーンスタイン(以下愛称のレニーと呼ぶ)がベルリンに登場したのはドイツ連邦政府が主催するベルリン芸術週間であり、カラヤンの管轄外だった。しかしカラヤンはこの歴史的音源が世に出ることを、自分が生きている間は阻止することに成功した

映画の冒頭、ケイト・ブランシェット演じるターが足でカラヤン/ベルリン・フィルの「マーラー:交響曲第9番」(1982年ライヴによる再録音)LPジャケットを足で払いよける場面があるのはそうした経緯がある。彼女はレニーに師事した経歴を持ち、同じ部屋にレニー/ベルリン・フィル「マーラー9番」LPもある。

対談の中でターは、生前のレニーから受けた教えで一番印象に残っているものは何かと問われ、次のヘブライ語を挙げる

精神的な集中を意味する〈カバナ kavanah〉と、(罪を悔い改め神の元へ)回帰することを意味する〈テシュヴァ teshuvah〉である。英語では"intension" and "return"。

レニーと親交が深かった指揮者・大植英次は次のように回想している。

「バーンスタイン先生は、正式に弟子というものを取ったことがなかった。世界に、バーンスタインの弟子、と言って喧伝しているものは少なくないが、セミナーやリハーサルなどで一緒に時間を過ごしただけの者が多い」しかし「もし、一人あげるならば、それはマイケル・ティルソン=トーマス」(山田真一著「指揮者 大植英次」アルファベータ より引用)

  大植英次、佐渡 裕~バーンスタインの弟子たち 2008.02.29

劇中ターがラジオから流れてくるマイケル・ティルソン=トーマス (MTT) 指揮するショスタコーヴィチ:交響曲第5番の終結部を聴き「こんなにテンポを遅くしては駄目」と言う(ショスタコの5番もレニーが得意とした曲)。同じ門下生としての対抗意識が剥き出しにされる場面だ。なおターは同性のパートナーであるベルリン・フィルのコンサートマスター(コンサートミストレスとも言われる)シャロンと暮らし、養女を育てており(ドイツでは2017年10月1日から同性婚が認められた)、MTTはゲイであることをカミングアウトしている。一方、レニーは結婚し子供も生まれたが、ゲイだったことはよく知られている(詳しい事情は今年Netflixから配信される予定のブラッドリー・クーパー監督・主演の映画『マエストロ』をご覧あれ)。またニューヨーク、マンハッタン生まれの女性指揮者マリン・オールソップについて言及されるが、彼女も同性愛者であるとカミングアウトしており、パートナーとの間に息子が一人いる。レニーが提唱し、1990年に始まった若い音楽家のための教育音楽祭PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌)の第1回にマリン・オールソップは参加し、佐渡裕と共に(交代で)指揮台に立った。そしてその3ヶ月後にレニーは亡くなった。彼女がターのモデルであることは間違いないが、この映画に対しては否定的なコメントを表明している。

映画の最初の方でターが受け取った、送り主不明の本はイギリスの女性作家ヴィタ・サックヴィル=ウェストの小説『Challenge』初版本。日本語訳はない。ヴィタはヴァージニア・ウルフの恋人で、名作『オーランドー』のモデル。同性愛は当時のイギリスで非合法だった。

マリン・オールソップと共に代表的な女性指揮者として劇中で名前が挙げられるナディア・ブーランジェ(1887-1979)について。フランスの作曲家・指揮者・ピアニスト・教育者で、詳細は不明だがレニーも彼女の門下生だそうだ(Wikipediaに記載されている)。映画『シェルブールの雨傘』や『ロシュフォールの恋人たち』『華麗なる賭け』の作曲で知られるミシェル・ルグランもパリ国立高等音楽院で彼女の薫陶を受けた。また何と言っても面白いのはタンゴの革命児アストル・ピアソラの逸話だろう。1954年、33歳の時、タンゴに限界を感じたピアソラは渡仏しパリでナディア・ブーランジェに師事する。ピアソラが提出した〈クラシック音楽〉の楽譜に首を傾げた彼女は「アルゼンチンではどんな音楽をやっていたの?」と訊ねた。渋々自作のタンゴを彼女に見せると「これが本物のピアソラよ。この音楽を決して捨ててはいけない」と励ましたという。 新生ピアソラ (Nuevo tango) が誕生した瞬間である。

カラヤンがベルリン・フィルとマーラーの交響曲第5番を初めて演奏したのは1973年。2月13日から16日にかけドイツ・グラモフォンにセッション録音し、翌17日に定期演奏会で聴衆に初披露した。レコーディングだとたっぷりリハーサルに時間をかけられるので(経費はレコード会社が全て負担)、レコーディング→演奏会本番というパターンを彼はしばしば行った。シンフォニーの第4楽章 アダージェットが有名になるきっかけとなったルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』が公開されたのが1971年だから、商売上手なカラヤンはその人気に便乗したのではないかと僕は疑っている(カラヤンの死後コンピレーション・アルバム『アダージョ・カラヤン』が発売されヨーロッパや日本で驚異的な大ヒット、全世界で500万枚以上売れた。その冒頭にアダージェットは収録されている)。ターがリハーサルでアダージェットを指揮する場面があり、ヴィスコンティに言及する。

 ・  ヴィスコンティ映画「ベニスに死す」の謎

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映画の後半、彼女が「私が所有するマーラー5番のスコアを盗まれた!」と騒ぎ立てる場面があるが、スコアには様々な書き込みをしている筈であり、つまり自分のアイディア・解釈を盗まれたと言っているのだ。これはレニーとカラヤンの確執を彷彿とさせる仕掛けになっている。

カリスマ的天才指揮者カルロス・クライバー(1930-2004)はレパートリーが非常に少ないことでも知られている。実は彼が指揮した曲の殆どは偉大な父エーリッヒ・クライバー(1890-1956)が生前指揮したものであり、カルロスは父が残したスコアへの書き込みなど資料をふんだんに活用し、メモがないものに対しては自信がなかったのではないかと推測される。とてもセンシティブな人だった。ちなみに僕は中学生の時に彼が指揮するミラノ・スカラ座引っ越し公演プッチーニの歌劇『ラ・ボエーム』を大阪・旧フェスティバールで鑑賞している。

 ・ シリーズ《音楽史探訪》音楽家の死様(しにざま) 2014.04.21

映画でマーク・ストロング演じる投資銀行家で、アマチュア・オーケストラの指揮者としても活動するエリオット・カプランのモデルはギルバート・カプラン(1941−2016)だろう。アメリカの実業家でアマチュアながらゲオルグ・ショルティに師事。大好きなマーラー:交響曲第2番「復活」のみを専門にする指揮者として自費を投じコンサートを世界各地で開き、最終的にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を振ったCDを天下のドイツ・グラモフォンから発売するまでに至った。

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ターはアバド/ベルリン・フィルが1993年に録音したマーラー:交響曲第5番のLPジャケットを選び出し、それを模した写真を取ろうとする。彼女は常に『自分はどう見られているか』を意識しており、性格的にカラヤンに最も近い人物像となっている。

カラヤンはセルフ・プロデュース力に長け、常に自分が最も美しく写真に撮られることを心がけた。彼はおびただしい数のコンサート映像を残したが、映像演出にも口を出した(オペラ演出もした)。基本的に指揮する彼の顔は正面よりも横顔が映し出される方が多い。自分の横顔が美しいことを彼はよく知っていたのだ。そしてカメラはオーケストラの楽器を大写しにするが、奏者の顔は写さない。つまりあくまでスターはカラヤンただ一人であり、オケは彼の楽器でしかないことを示している。1960年代まではリヒテルやロストロポーヴィチと共演することもあったが、70年代以降は協奏曲で巨匠と呼ばれるソリストと組むことはなくなった。スターは彼一人だけ。カラヤン/ベルリン・フィルがアンネ=ゾフィー・ムターとモーツァルトを録音したときムターは15歳。エフゲニー・キーシンがカラヤンとチャイコフスキーを録音したときキーシンは17歳。晩年若手と組むことを好んだのは、その方がカラヤンが全体を支配し易いからだと僕は考えている。

カラヤンが陶酔したように目をつむり指揮するのも、その方がフォトジェニック(映える)からだからだろう。そもそも目を閉じたら奏者とアイコンタクトが取れない。つまり合理的ではない。カラヤン以前も以後も、こんなことをする指揮者は誰もいない。彼は徹底したナルシストだった。

ターはロシア出身の新人チェリスト・オルガにのめり込んでいく。同郷の偉大なチェリスト、ロストロポーヴィチが好きなのか?とオルガに尋ねるとイギリスのジャクリーヌ・デュ・プレ(愛称ジャッキー)がお気に入りだという。切っ掛けとなったのはYouTubeで見たエルガー:チェロ協奏曲の演奏。ここでターが少し失望したような表情を浮かべる。映像が残っているのはダニエル・バレンボイム/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団との共演。音楽好きなら誰でも知っている。みじかくも美しく燃えた稀代のチェリスト、デュ・プレ究極の名盤はバルビローリ/ロンドン交響楽団との共演盤であることを。そもそもYouTubeの音質はCDより遥かに劣る。つまりこのエピソードはオルガが俗物で、大したセンスの持ち主ではないことを端的に示しているのだ。

ジャッキーは21歳の時アルゼンチン出身のユダヤ人、バレンボイムとイスラエルのエルサレムで結婚した(バレンボイムの祖父母はそれぞれベラルーシとウクライナ出身で、ユダヤ人排斥運動を逃れてアルゼンチンに移住した)。その時彼女は家族の猛反対を押し切りユダヤ教に改宗している。しかしジャッキーは26歳の時に指先の感覚が鈍くなってきたことに気付き、後に多発性硬化症と診断され引退を余儀なくされる。病床の彼女を捨てバレンボイムはパリで別の女性と同棲し2人の子をもうけた。1987年にジャッキーが42歳で亡くなるのを待ち、翌88年バレンボイムとエレーナ夫人の正式な再婚が成立した。

ターが強引にオルガをエルガーのソリストに起用しようとするエピソードはクラシック音楽界の常識では到底考えられないことだ。定期演奏会で演奏される協奏曲において外部から有名アーティストを招かない場合、そのオケの首席奏者がソロを弾くのが当たり前。だからターと楽員との間に溝が深まるのは当然のことである。またマーラーとエルガーを組み合わせるプログラム編成にも違和感しかない。そもそもヨーロッパ大陸ではイギリスの作曲家(ヴォーン・ウィリアムズ、ホルスト、ウォルトンら)が見下されており、フルトヴェングラーやカラヤン、アバドがエルガーを振ることは一度もなかった。

オルガ起用については1982年にカラヤンとベルリン・フィル団員との間で勃発したザビーネ・マイヤー事件彷彿とさせる。当時このオケの楽員は全員男性だった。そこにカラヤンが女性クラリネット奏者ザビーネ・マイヤーを強硬に入団させようとしたのだが、団員投票で入団反対が決議され、それに従うべきだとするオケ側とで確執が生じた。その後、カラヤンは険悪な仲となったベルリン・フィルを避けるようになり、チャイコフスキーの後期交響曲(第4−6番)などはウィーン・フィルとレコーディングした。アバド時代になると漸く女性の楽員が少しずつ増え始め、2023年2月にオーケストラ140年の歴史で初の女性コンサートマスターが誕生した(アルテミス弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者だったヴィネタ・サレイカ=フォルクナー)。一方、ウィーン・フィルに女性奏者の正会員採用が始まったのは1997年のことである。世界のオーケストラの中で最も遅かった。それまで様々な人権団体から散々非難され、ニューヨークのカーネギーホールがウィーン・フィルに対して1998年までに女性奏者がいなければ舞台に立たせないとする最後通牒を突きつけたため、ようやく重い腰を上げたというわけ。1965年にショパン国際ピアノコンクールで優勝した名ピアニスト、マルタ・アルゲリッチがウィーン・フィルと初めて共演したのは2017年。どうして長い間ウィーン・デビューが実現しなかったのか?「これまで演奏しなかったのは、女性がひとりもいないオケだったからです」彼女はインタビューにきっぱりと答えた。

フルトヴェングラーは第二次世界大戦後、連合国による「非ナチ化」裁判を経てドイツでの活動が認められるようになるまで、約2年を要した。アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツ政権下でもベルリンに留まり、ヒトラーの誕生日には御前でベルリン・フィルを指揮しベートーヴェンの第九を演奏したりしていたからである。ムッソリーニ政権のファシズムを嫌悪しアメリカに亡命したイタリアの大指揮者トスカニーニは徹底的にフルヴェンを非難した。またカラヤンはナチスに入党した前歴があり、戦後やはり問題視された。戦時下においてドイツではナチス党員にならないとオーケストラの主要ポストには就けなかったのである。

映画『TAR/ター』には芸術家(アーティスト)の作品と、その人の人間性・Political Correctnessを関連付けて考えるべきか、切り離して評価すべきかという議論が出てくるが、これはフルトヴェングラーやカラヤンの実績を評価するか否かの問題と密接にリンクしている。端的に言えば「あなたは殺人者の芸術を認めますか?」という問いだ。ドイツの哲学者ショーペンハウアーが俎上に載せられる。年配の裁縫婦が彼のアパートの扉の前で友達とペチャクチャ喋っているのをうるさく思い、階段から突き落として大怪我を負わせたのだ。その女は裁判に勝ち、ショーペンハウアーは終身扶養の義務を負わされることになる。

宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』でカプローニが言う「君はピラミッドのある世界と、ピラミッドのない世界とどちらが好きかね?」も同義である。

 ・ 宮崎駿「風立ちぬ」とエリア・カザン~ピラミッドのある世界とない世界の選択について 2013.08.28

なおクロード・ルルーシュ監督の映画『愛と哀しみのボレロ(Les Uns et les Autres)』ではカラヤンをモデルにした指揮者が登場し、ナチスとの関係が描かれていて実に面白い。特にカーネギー・ホールでブラームス:交響曲第1番のタクトを振る場面は必見。

レニーはユダヤ人であり、祖父母はウクライナからの移民。そういう意味でも元・ナチス党員のカラヤンと水と油であった。またマーラーもユダヤ人。フルトヴェングラーやカラヤンがナチス政権下でマーラーの楽曲を指揮することは一度もなかったし、戦後フルヴェンは『さすらう若人の歌』をザルツブルク音楽祭で取り上げたが(独唱はディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ)、交響曲を指揮することは生涯なかった。

ロシアがウクライナを蹂躙する現在、ウラジーミル・プーチンと親しく、彼を批判しないロシアの指揮者ヴァレリー・ゲルギエフがヨーロッパから追放される憂き目にあった。ミュンヘン・フィルは首席指揮者だった彼を解雇。再び政治的立場と芸術を結びつけるべきなのかどうかが議論の的となっている。

映画の話に戻ろう。ジュリアード音楽院での講義でパンセクシャル(Pansexual、全性愛)の学生がJ.S. バッハについて、生涯に20人もの子供をもうけ男性優位的思考の持ち主だから人間として絶対に認められない、バッハの音楽もまともに聴いたことがないと言ったのに対し、ターはその人となりと生み出した作品は分けて考えるべきだと主張し、彼を徹底的に論破し恥をかかせる実に痛快な場面がある。 「すべての道はバッハに通ず」と言われるくらいで、大バッハを勉強せずしてこの業界で優れた楽曲を書ける筈がない。

スキャンダルに巻き込まれ追い落とされたターはニューヨーク市のスタテンアイランドにある実家に帰り、兄のトニーと再会する。二人の会話からターの本名がリンダであり、ヨーロッパで受けの良いリディアに改名したことが判明する。スタテンアイランドは下町で、彼女が労働者階級(ブルーカラー)の出身だということが明らかになる。

昔、神奈川フィルの常任指揮者やオーケストラ・アンサンブル金沢のアーティスティック・パートナーを歴任した金 聖響(きむせいきょう)という在日韓国人3世の指揮者がいたが、実は芸名だった。映画『この胸いっぱいの愛を』で共演した女優のミムラ(美村里江)と2006年結婚し2010年に離婚。その後2億円の借金トラブルを抱えていることが週刊文春で報道され、現在は雲隠れしている。彼は佐村河内守『交響曲1番HIROSHIMA』全国ツアーにも関わっていた。

 ・ 稀代の詐欺師・自称「作曲家」佐村河内守について 2014.02.12

佐村河内守の経歴詐称騒動も、作曲家の人生とその作品を結びつけて考えるべきか否かという問いを我々に突きつけてくる。

ターの実家のクローゼットには録画した日付と『YPC』という文字が背表紙に書かれたVHSビデオが数十本ズラッと並んでいる。レナード・バーンスタインが企画・指揮・司会を務めニューヨーク・フィルが演奏するYoung People's Concerts (ヤング・ピープルズ・コンサート)のことだ。子供のための音楽教育番組で53公演がCBSによりテレビで中継された。放送開始は1958年、最終回が72年。日本のテレビ番組『オーケストラがやってきた』や『題名のない音楽会』も本コンサートを手本として企画されている。ターはその第1回「音楽って何? (What Does Music Mean?)」でレニーが語り、チャイコフスキー:交響曲第5番 第4楽章を指揮する場面を観ながら涙を流す。これが彼女が音楽家を志す原点だった。番組の冒頭、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲を振り終えたレニーが振り返り、客席を埋め尽くす子供たちに問う。「この曲を知っているかい?」子供たちが元気に叫ぶ、「ローン・レンジャー!」(当時大人気だったテレビ西部劇、後に映画化された)。

劇中、#MeeToo 運動が盛り上がりを見せる中、名前を挙げられた2人の指揮者について。2017年に女性オペラ歌手3人と女性音楽家1人が、1985年から2010年の間に米国でシャルル・デュトワからセクハラを受けたと訴えた。女性らによると、デュトワは女性たちに無理やりキスをし、口の中に舌を入れたとされる。本人は疑惑を否定。女性らに対する法的措置を講じたが、芸術監督・首席指揮者を務めていた英ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団から解雇された。それ以降、名誉音楽監督だったNHK交響楽団を指揮することはなくなり、大阪フィルハーモニー交響楽団を指揮するという「都落ち」を体験した。また香港フィルハーモニー管弦楽団やシドニー交響楽団@オーストラリアなど非欧米圏を中心に活躍するようになる。しかし新型コロナ禍の3年間を経て、現在漸く名誉を回復しつつあるようだ。

また2017年12月2日、40代男性が15歳だった1985年から数年間にわたり、ジェームズ・ レヴァインより性器を触られたり目前で裸になり自慰行為を強要されるなどの性的虐待を受けたため自殺を考えるまでに思いつめていたとニューヨーク・ポストが報じた。彼が名誉音楽監督を務めるニューヨークのメトロポリタン歌劇場(MET)は調査の結果、性的虐待疑惑の「信頼できる証拠」が出たとしてレヴァインを解雇、失意のうちに彼は2021年に亡くなった。

映画で言及されなかったが、ダニエレ・ガッティは一部メディアに報じられた過去のセクハラ疑惑によりロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者を2018年8月に解任された。しかし本人は疑惑を否定、同年12月にはローマ歌劇場の音楽監督に就任し、2021年1月にはベルリン・フィルに客演している。

ターと彼女の教え子クリスタ、アシスタントのフランチェスカはアマゾン先住民、シピボ=コニボ族を研究するため彼らが暮らすペルーの熱帯雨林を流れるウカヤリ川中流地域でフィールドワークを行った。その際ターがフィールド・レコーディングしたシピボ族のシャーマンが歌うイカロ(治療歌)が映画冒頭のクレジットで流れる。劇中何度か登場する迷路のような幾何学模様「Kené(クヌー)」はシピボ族特有の文化で、シピボ族の創生神話によるとこの世界は銀河に誕生した天の川、母なるアナコンダ「Ani Ronin」が自分の肌に描かれたKené(クヌー)を歌ったときに始まったとされる。Kené(クヌー)とは「振動を生む宇宙エネルギーの構成図」で、シピボ族はすべての生物が独自のKené(クヌー)を持つと考える。

これはオーストラリアの先住民アボリジニの神話〈ドリームタイム〉と〈虹蛇〉の関係によく似ている。正にユング心理学における〈集合的無意識〉の産物と言えるだろう。

 ・ アボリジニの概念〈ドリームタイム〉と深層心理学/量子力学/武満徹の音楽

朝日新聞の記者・小原篤氏は『TAR/ター』について次のような感想を書いている。

「アジア」や「モンスターハンター」を「零落」や「屈辱」のダシに使うんですか? ふーん。

僕は全く違う印象を受けた。

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ネタバレ警告!以下本作の結末について触れます。

心の準備はよろしいか?

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ヨーロッパの楽壇から放逐されたターがフィリピンでボートに乗り川を遡る場面で、マーロン・ブランドの映画のせいで未だにワニが生息していると言われる場面がある。これはフランシス・フォード・コッポラの映画『地獄の黙示録』のことでブランド演じるカーツ大佐は密林の中で王国を築く。カーツのイメージにターが重ねられているのだ。また 『地獄の黙示録』 では第一騎兵師団がワーグナーの『ワルキューレの騎行』をヘリコプターに据え付けられたスピーカーから大音量で流しながらベトコンの村を襲う場面があるが、これは楽劇『ニーベルングの指環』の楽曲で、ワーグナーはアドルフ・ヒトラーがこよなく愛した作曲家。プロパガンダとしても当時ドイツで盛んに利用された。『ニーベルングの指環』を毎年上演するバイロイト祝祭劇場を運営するのはワーグナー家であり、ナチス政権とベッタリ相思相愛の関係にあった。ユダヤ人にとってはそのトラウマもあり、現在でもイスラエルでワーグナーの楽曲が演奏されることは殆どない(そのタブーを破ったのがバレンボイム)。つまり 『地獄の黙示録』 は西洋文化の暴力性を象徴する映画であり、進み過ぎた文明の行き着く果てを示している。フルトヴェングラーもカラヤンもワーグナーを得意とした指揮者であった。因みに映画の原題はApocalypse Now(現代の黙示録)で黙示録にはこの世の終末や最後の審判などについて記載されている。

ターは宿泊地近くのマッサージ店で、透明なガラス越しに座るたくさんの女性たちの中からひとり選ぶように言わる。それはオーケストラの配列によく似ている。胸にNo.5をつけた女性がターを見つめ、彼女は店を飛び出して嘔吐する。ここは売春宿で、その女性の位置はオーケストラにおけるオルガのポジションに相当し、No.5はマーラーの交響曲を想起させる。ヴィスコンティ映画『ベニスに死す』にも老作曲家グスタフ・フォン・アッシェンバッハの回想の中で、娼館で少女娼婦を買う場面がある。少女はベートーヴェンの『エリーゼのために』を弾く。そのイメージは、疫病が蔓延するベニスでアッシェンバッハが出会う美少年タッジオに繋がっている。

『TAR/ター』最後の場面はスクリーンに映し出される映像を背景にオーケストラが演奏する『モンスターハンター:ワールド』コンサート(曲は“友との出会い Meeting a Friend”)。聴衆は皆コスプレしている。日本では『狩猟音楽祭』と呼ばれる。

『モンスターハンター』は4人で協力し巨大なモンスターを狩るゲームであり、本作においては〈モンスター=ター〉、〈狩人=SNSで彼女に対する敵意・悪意をばら撒く人々〉という図式が成り立つ。

しかしこのラストは果たしてターの「零落」や「屈辱」なのだろうか?僕はそう思わない。全然。むしろ「開放」だろう。それは楽しかったペルーでのフィールドワークへの「原点回帰」とも言えるし、彼女はこの熱帯でカーツ大佐のように「王国」を築くのかも知れない。

ベルリン時代、ターはミソフォニア(misophonia 音嫌悪症)に悩まされていた。稀に診断される医学的な障害で、特定の音に対して否定的な感情(怒り、嫌悪、逃避反応)が引き起こされる。指揮者に多い。また彼女は過度の潔癖症でもあった。これらは文明の病と言える。

さらに彼女は欧米社会で指揮者としてのキャリアを築くために「覇権的男性性(hegemonic masculinity)」を鎧として身にまとわなければならなかった。「父の娘」であったとも言える。これはユング派の女性分析家によって1980年代に提出された概念で、個人的な親子関係を越えて「父なるもの(父権制/家父長制 )」の強い影響下にある女性を意味する。

しかしフィリピンでのターは不潔でも気にせず、周囲の騒音に悩まされている様子もなくリラックスしているように見える。

そもそもゲーム音楽がクラシック音楽よりも劣ってる、堕落だという発想が根本的に間違っている。つい50年前までは映画音楽も同様の扱いだった。ウィーンのオペラ作曲家からハリウッドの映画音楽作曲家になったエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトは「大衆文化に身を売った男娼」と楽壇から徹底的に蔑まれ、カラヤンやアバドの時代にベルリン・フィルが映画音楽を演奏することなど考えられなかった。

 ・ シリーズ《音楽史探訪》Between Two Worlds ~コルンゴルトとその時代(「スター・ウォーズ」誕生までの軌跡) 2014.01.17

しかし今はどうだ?ジョン・ウィリアムズはウィーン・フィルおよびベルリン・フィルの指揮台に経ち『スター・ウォーズ』や『E.T.』『ハリー・ポッター』を演奏したし、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲はオーケストラの重要なレパートリーとなり大人気だ。キリル・ペトレンコ/ベルリン・フィルは先日初めてコルンゴルトの交響曲を定期演奏会で取り上げた。そして今年、ドイツ・グラモフォンは久石 譲/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団による映画音楽集を発売する。10年前にはあり得なかったことだ。

『TAR/ター』の行き着いた先を肯定的に捉えるか、否かであなたの人間性が試される。そういうリトマス試験紙になっている。なんとも恐ろしい映画だ。

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2023年4月27日 (木)

雑感「レコード芸術」休刊に寄せて

クラシック音楽CDの専門月間誌「レコード芸術」が、2023年7月号を最後に休刊となると発行元の音楽之友社が発表した。 創刊は1952年3月だから71年の歴史に幕を閉じることになる。奇しくも先日亡くなった坂本龍一と同い年だ。

僕が「レコ芸」を定期購読するようになったのは小学校高学年で、カール・ベームがウィーン・フィルと来日してベートーヴェンの交響曲第5番・第6番を演奏した1977年か、翌78年頃だったと思う。ニコラウス・アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスが77年に録音したヴィヴァルディのLPレコードが《衝撃の四季!》というキャッチコピーとともに紙面に広告掲載されていたことを鮮明に覚えている。正に古楽器による演奏、ピリオド・アプローチの黎明期だった。

当時、新譜の批評は1人で行われていたが1980年1月号から「2人の筆者による合評」が開始され、両者が推薦したレコードが「特選盤」と表記されるようになった。因みに1人が「推薦」、もう1人が「準推薦」なら「準特選」。

1990年に「ビデオディスク」部門が、2010年1月号からは「吹奏楽」部門が新設された。また1996年3月号から新譜の「さわり」を収録した試聴(サンプラー)CDが付録として添付されるようになった。

ただ1978年当時定価は580円(消費税導入前)だったので小学生の小遣いで買えたのだが、最新号の定価は税込み1,430円。いくら何でも高すぎる!新譜でなければCDが優に1枚買える値段だ。定価が1,000円を超えたあたりから次第にバカバカしくなり購読をやめた。図書館の雑誌コーナーで読めば十分だろう。

そもそも1982年に商用音楽CDが登場し、86年にLPレコードの国内生産枚数を追い抜いて以降は「レコード芸術」という雑誌名からして時代遅れとなった。そりゃ無理やりこじつければ「レコード」を「録音する」という動詞と解釈し、CDも「録音物の芸術」だと言い張ることも出来るだろう。しかしそれなら「レコーディング芸術」が正しく、「レコード」はあくまで毎分33回転の30cm LPか17cm シングル、または78回転 SPというモノを指す言葉だ。CDは該当しない。

さらにサブスクリプションなど音楽配信サービスが主流となった現在、CDは売れず発売される新譜の数も激減した。体感として1978年と比較し4分の1程度ではないだろうか。ドイツ・グラモフォン、ソニー・クラシカル(米)、オランダのフィリップスを統合したデッカ・レコード(英)といったクラシック音楽のメジャー・レーベルが積極的にレコーディングをしなくなったため、シカゴ交響楽団やロンドン交響楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ、そして天下のベルリン・フィルでさえも、各オーケストラが個別に自主レーベルを立ち上げざるを得ない状況に追い込まれている。

今にして思えば2008年、早々に映像配信サービス「デジタル・コンサートホール」を開設したベルリン・フィルは先見の明があった。2023年から漸くドイツ・グラモフォンも重い腰を上げ、「ステージプラス」というクラシックの映像&音楽配信サービスを始めた。

はっきり言う。今どきCDを買うやつはどうかしてる。時代遅れも甚だしい。世界的に見てもCDを未だに購入しているのは日本人だけで、海外は完全に配信に移行している。えっ、サブスクよりもCDの方が音が良いって??アホぬかすな!音質にこだわるならハイレゾ音源配信を買え。

どうして日本だけCDが細々と流通しているのか。これは付喪神(つくもがみ)信仰と深い関係があるのではないかと僕は考える。九十九神とも表記され、 長い年月を経た道具などには精霊が宿るとされる。神道においては、古来より森羅万象に八百万(やおよろず)の神が宿るとするアニミズム的世界観(汎神論)が定着していた。付喪神となりうる寄り代も森羅万象であり、道具や建造物の他、動植物や自然の山河などに及ぶ。

CD(モノ)には神が宿る。実体のない配信では覚束ない。それは単なる空間の振動だ。モノが手元にないと安心出来ない……令和になっても性懲りもなくCDを買い続けている日本のクラヲタの深層心理はこのような感じではないか?

 ・ 【考察】日本人は何故、CDを買い続けるのか? 〜その深層心理に迫る 2019.03.16

さらにクラシック音楽を聴く人は老人が多く、新しい時代のデバイスに順応出来ていないという側面もあるのかも知れない。閑話休題。

1947年に創刊された、ジャズを専門とする月刊音楽雑誌「スイングジャーナル」誌は2010年7月号をもって休刊、63年に及ぶ歴史に幕を閉じた。同誌の取り上げる音楽家やレコードなどの評論には定評があり、「スイングジャーナル・ジャズディスク大賞」なども発表していた。「スイングジャーナル」の訃報を聞いた時、僕は「レコード芸術」終焉も時間の問題だと悟った。すでに命運は尽きていたのである。むしろそれから13年間、よく持ちこたえた方だろう。音楽之友社さんは頑張った。お疲れ様でした、安らかにお眠りください。

一部の愛読者の間から雑誌存続を求める署名活動も始まっているようだ。これを聞いて思い出したのが、橋下徹氏が大阪府知事だった時代に起こった、大阪センチュリー交響楽団(当時)に対する府からの年間4億1千万年の補助金廃止を是とするか否かの論争である。

 ・ 在阪オケ問題を考える 2007.07.31
 ・ 
在阪オケ問題を考える 2012年版 2012.04.14

補助金継続を求める一派が熱心に署名運動を行った。その時も感じたこと。

署名するなら金を出せ。

「レコード芸術」休刊もそうだが、問題の本質は財政難にある。署名は無料(ただ)だ。お気楽な形で正義を振りかざし悦に入るな。「レコード芸術」存続を希望し署名する者たちは、例えば毎月10万円ずつ音楽之友社に寄付するくらいの覚悟はあるのか?あるいは毎月1人20冊以上購入するとかね。それくらいの気概がなければ経営は成り立たないだろう。現実を直視せよ!

ただ、クラシック音楽の録音物のどれを聴けば良いのかサブスクで選ぶときの指標があると重宝するので、新譜の批評が読めなくなるのは困ったものだ。識者による音楽評や映画評は(盲信しないが)役に立つので、今後も彼らが活躍する場があれば良いなと思う次第である。個人のブログ・SNSには限界があるので。

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2023年4月25日 (火)

ベルリン・フィルのメンバーによる室内楽(ピアノ四重奏曲)@フェニックスホール

3月17日(金)フェニックスホール@大阪市へ。

ヴァイオリン:樫本大進(ベルリン・フィル第1コンサートマスター)、ヴィオラ:アミハイ・グロス(ベルリン・フィル首席奏者)、チェロ:オラフ・マニンガー(ベルリン・フィル首席奏者)、ピアノ:オハッド・ベン=アリで、

 ・ベートーヴェン:ピアノ四重奏曲 WoO.36-1
 ・フォーレ:ピアノ四重奏曲 第2番
 ・ブラームス:ピアノ四重奏曲 第2番

Ber_20230425082201

実は同ホール・同メンバー・同じプログラムで2022年3月16日に公演が予定されていたのだが、新型コロナウイルス感染症拡大に係る、日本政府による水際対策の影響により中止に追い込まれてしまった。僕はチケットを購入していたが払い戻しになった。そのリターン・マッチである。

ベートーヴェンのピアノ四重奏曲は15歳の若書き。たおやかで平和。ベートーヴェン「らしからぬ」楽曲だった。

フォーレは美しく幻想的。樫本はソロで聴くと物足りないのだが、室内楽、特にフランスものはいい。

ブラームスのピアノ四重奏曲は第1番のほうがよく演奏される。第4楽章「ジプシー風ロンド」が愉快で盛り上がるし、シェーンベルクが編曲した管弦楽版が有名になったことも一因だろう。僕もこの管弦楽版を生演奏で何度か聴いたことがある。しかし作曲家の生前は3曲のピアノ四重奏曲の中で第2番が最も人気のある作品だったという。今まで熱心なリスナーではなかったが、じっくり向かい合ってみると、実はなかなかに魅力的な作品だと初めて気がついた。

室内楽の悦楽を満喫した一夜だった。

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