クラシックの悦楽

2021年9月17日 (金)

厳選 序曲・間奏曲・舞曲〜オペラから派生した管弦楽の名曲ベスト30はこれだ!

厳選 管弦楽の名曲ベスト40(+α)はこれだ!」という記事ではオペラの序曲や間奏曲を除外した。しかし後々考えてみると、僕が作成したリストが歯抜けというか物足りない。やはりここは追加記事を書き、穴埋めをするしかないと思い至った。

新たなリストは作曲された年代順に並べている。恒例により1作曲家に付き1作品に絞った。末尾に記載した年号は作品が完成、あるいは初演された年を示す。

・パーセル:「妖精の女王」組曲 1695
・ラモー:「優雅なインドの国々」組曲 1735
・モーツァルト:「フィガロの結婚」序曲 1786
・ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲 第3番 1806
・ロッシーニ:「どろぼうかささぎ」序曲 1817
・ウェーバー:「魔弾の射手」序曲 1821
・グリンカ:「ルスランとリュドミラ」序曲 1842
・オッフェンバック:「天国と地獄」序曲 1858
・ヴェルディ:「運命の力」序曲 1862
・ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死 1865
・スッペ:「軽騎兵」序曲 1866
・ヨハン・シュトラウス:「こうもり」序曲 1874
・ビゼー:「カルメン」第1組曲・第2組曲 1875
・ポンキエッリ:「ラ・ジョコンダ」時の踊り 1876
・チャイコフスキー:「エフゲニー・オネーギン」ポロネーズ & ワルツ 1878
・ムソルグスキー:「ホヴァーンシチナ」モスクワ川の夜明け(前奏曲) & 間奏曲 1886
・マスカーニ:「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲 1890
・ボロディン:「イーゴリ公」だったん人(ポロヴェツ人)の踊り 1890
・プッチーニ:「マノン・レスコー」間奏曲 1893
・マスネ:「タイス」瞑想曲 1894
・リムスキー=コルサコフ:「サルタン皇帝」熊蜂の飛行 1900
・レハール:「メリー・ウィドウ」ワルツ 1905
・ディーリアス:「村のロメオとジュリエット」楽園への道 1910
・ヴォルフ=フェラーリ:「マドンナの宝石」間奏曲 第1番 & 第2番 1911
・フランツ・シュミット「ノートルダム」間奏曲 1914
・ヤナーチェク:「利口な女狐の物語」組曲 1923
・コダーイ:「ハーリ・ヤーノシュ」組曲 1927
・ヴァイル:「マハゴニー市の興亡」組曲 1930
・ベルク:「ルル」組曲 1934
・ブリテン:「ピーター・グライムズ」4つの海の間奏曲 & パッサカリア 1945
・ショスタコーヴィチ「モスクワ・チェリョームシカ」モスクワを疾走 1957

手前味噌だが、ほぼ完璧なリストに仕上がったと自負している。読者の皆様、忌憚のないご意見をコメント欄にお寄せください。

17世紀後半に生きたヘンリー・パーセルはバロック時代のイギリスで最も有名な作曲家。20世紀の作品ベンジャミン・ブリテン『青少年のための管弦楽入門』は副題が『パーセルの主題による変奏曲』であり、パーセルが作曲した劇付随音楽『アブデラザール』の主題に基づいている。パーセル以降、イギリス音楽は不毛の、空白期間が200年続いた。息を吹き返すのは19世紀末、エドワード・エルガーやフレデリック・ディーリアス登場を待たなければならない。

ジャン=フィリップ・ラモーはバロック時代フランスの作曲家。指揮者のサイモン・ラトルがお気に入りで、特に自ら再構成した歌劇『レ・ボレアド』組曲については「ティーンエイジャーの頃、エリオット・ガーディナーの演奏を聴いて感銘を受け、すぐに虜になってしまった。その時からこの曲が私の音楽人生の一部となった」と語っており、ベルリン・フィルの定期演奏会で取り上げている。『優雅なインドの国々』は具体的な国名ではなく、異国の地であるオスマン帝国、ペルー、ペルシャ、北米を意味している。心躍る舞曲だ。

『フィガロの結婚』序曲はドレミファという音階を駆け上がったり駆け下りたりする楽想が如何にもモーツァルトらしい。

『レオノーレ』序曲第3番は歌劇『フィデリオ』の改訂上演(第2稿)のために作曲された。ベートーヴェンは『レオノーレ』というタイトルでの上演をあくまで主張したが、劇場側には受け入れられなかった。第1稿の初演は惨憺たる大失敗で、何度も書き直した。最終稿である『フィデリオ』序曲は魅力に乏しい。

ロッシーニでなんと言っても有名なのは『ウィリアム・テル』序曲だろう。〈1.夜明け 2.嵐 3.静寂 4.スイス軍隊の行進〉という構成。最後の行進曲は北米のテレビ・ドラマ『ローン・レンジャー』のオープニングに使用され、日本では『オレたちひょうきん族』のテーマ曲になった。それ程の知名度はないが、僕は軽妙な『どろぼうかささぎ』も好き。セルジオ・レオーネ監督の遺作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』での使い方が印象深い。

ウェーバーは『魔弾の射手』でドイツ・ロマン派のオペラ様式を完成し、ワーグナーへと流れを導いた。兎に角、浪漫的。

ロシア産『ルスランとリュドミラ』序曲はムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの史上最速、ぶっ飛びの演奏を推薦する。ショスタコーヴィチ:交響曲第6番とカップリングされているディスクだ。腰を抜かすぞ。

『天国と地獄』は原題を直訳すると『地獄のオルフェ』で、特に序曲の第3部『カンカン』が有名。実はオッフェンバックのオリジナル版に序曲はなく、ウィーン初演のためにカール・ビンダーが劇中の曲を編曲して構成した。だから指揮者のミンコフスキーがこの喜歌劇全曲を上演するとき序曲は演奏しない。

ヴェルディのオペラの中から傑作を選ぶとしたら、多分『運命の力』はベストテンに入らない(上位に『ナブッコ』『マクベス』『リゴレット』『イル・トロヴァトーレ』『椿姫』『シモン・ボッカネグラ』『仮面舞踏会』『ドン・カルロ』『アイーダ』『オテロ』『ファルスタッフ』などがあるから)。しかし切れば血が噴き出るような、沸騰する序曲の完成度はピカイチ。他に『シチリア島の夕べの祈り』序曲とか、『アイーダ』シンフォニア(序曲)も良い。これは『アイーダ』前奏曲と別物。

ワーグナーは『トリスタンとイゾルデ』で半音階を駆使しており、それは後のフランス印象派(ドビュッシー、ラヴェル)や十二音技法を生み出した新ウィーン楽派(シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク)への呼び水となった。

スッペの喜歌劇『軽騎兵』は1866年に作曲され、アン・デア・ウィーン劇場で初演された。現在では本編が劇場で上演されることはなく、あらすじも忘れ去られた。黒澤明の映画『影武者』が公開された折、予告編で『軽騎兵』序曲が使用されており、池辺晋一郎の音楽も似たものに仕上がっている。そもそもラッシュ・フィルムにイメージを喚起するために『軽騎兵』がつけられていたという。このように作曲家に監督や製作者が自分たちのイメージを伝えるために、完成前のフィルムに仮(テンポラリー)につけた音楽のことをテンプトラック(Temp track あるいは Temp music)と言う。

喜歌劇『こうもり』は『軽騎兵』同様アン・デア・ウィーン劇場で初演された。現在ウィーン国立歌劇場では毎年年末年始に公演が組まれており、大晦日に『こうもり』を観劇し、その翌日にウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを楽しむというのがこの街の恒例行事になっている。なんとも華やかで、心がウキウキする音楽。新年を迎えるのに相応しい。

ビゼーの『カルメン』は生真面目な男が魔性の女(ファム・ファタール)に誘惑、籠絡されて身を滅ぼすという物語であり、基本構造は『椿姫(ラ・トラヴィアータ)』や『マノン・レスコー』と同じである。オペラ作曲家がこういった素材を好むという現象は心理学的に興味深い。

『時の踊り』はディズニーの『ファンタジア』で取り上げられたことでも有名。歌劇『ラ・ジョコンダ』のバレエ音楽である。原作はヴィクトル・ユーゴーの戯曲で、オペラ用台本を『シモン・ボッカネグラ』(改訂版)『オテロ』『ファルスタッフ』(以上ヴェルディ作曲)『メフィストフェーレ』のアッリーゴ・ボーイトが書いた。

『エフゲニー・オネーギン』はプーシキン原作。交響曲や『くるみ割り人形』の“花のワルツ”もそうなのだが、チャイコフスキーのワルツは絶品だ。

『ホヴァーンシチナ』は他のムソルグスキー作品同様に、友人のリムスキー=コルサコフがアレンジやオーケストレーションを施している。余りにもかけ離れたものに仕上がっているので、原曲に忠実なショスタコーヴィチ版もある。

『カヴァレリア・ルスティカーナ』とは直訳すると『田舎の騎士道』といったかんじ。激しく波打つ胸の内を切々と訴えかけるような間奏曲は文化大革命下の北京を舞台に少年のひと夏の恋を描いた中国・香港の合作映画『太陽の少年』(1994)で印象的に使われていた。

『イーゴリ公』だったん人の踊りは本来、合唱付きである。オーケストラ単独より、やはりそちらの方が迫力がある。

プッチーニの音楽は甘美だ。『カヴァレリア・ルスティカーナ』にも言えることだが、カンタービレ(イタリア語で「歌うように」という意味)の魅力。『マノン・レスコー』と同じ小説を原作とするマスネ作曲『マノン』も優れたオペラである。両者でイタリアとフランス・オペラの違いを味わってみるのも一興だろう。

マスネ『タイス』は瞑想曲ばかりが有名だが、この記事を書くにあたり、初めて歌劇全曲をBlu-rayで視聴してみるとなかなか面白かった。なんとタイスは高級娼婦だった!あのヴァイオリン・ソロが清楚で美しい瞑想曲からは想像だにしていなかった。禁欲を善とする神父が、ファム・ファタールに翻弄されるという意味で『マノン』に近い構造を持った物語である。なお、この瞑想曲は大林宣彦監督の映画『転校生』で使用されている(一夫の幼馴染で病弱な女学生の家を一美が訪問する場面)。

“熊蜂の飛行”は『サルタン皇帝』第3幕で主人公の王子が魔法の力で蜂に姿を変え、誤解から自分と母を流罪にした父の皇帝のもとに海を渡って飛んで行く場面で演奏される。セルゲイ・ラフマニノフやジョルジュ・シフラによるピアノ独奏のための編曲や、ヤッシャ・ハイフェッツによるヴァイオリン独奏用編曲などがあり、他にもギターやトランペット、トロンボーン、チューバなどでも演奏される。指を高速で動かすテクニックをひけらかす、つまりヴィルトゥオーソ(virtuoso)を誇示する目的でしばしば取り上げられる。逆に意外と原曲を聴いたことがある人は少ないのではないだろうか?

レハールのオペレッタに関して、吹奏楽の世界では鈴木英史による『メリー・ウィドウ』セレクションの人気が高い。ワルツはアルフレッド・ヒッチコック監督の映画『疑惑の影』(1943)で繰り返し不気味に鳴り響く。またエルンスト・ルビッチ監督の『メリィ・ウィドウ』(1934)も名作。

上演される機会は滅多にないが僕はディーリアスの歌劇『村のロメオとジュリエット』が大好きだ。マッケラスが指揮した全曲のDVD(LD:レーザー・ディスクも持っていた)を繰り返し観た。“楽園への道”はいわば、近松心中ものにおける「道行(みちゆき)」みたいなもの。つまり死地への旅の道程である。

『マドンナの宝石』でしばしば演奏されるのは第2幕への間奏曲(第1番)だが、興味深いことにヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィルは第3幕への間奏曲(第2番)のみレコーディングしている。

フランツ・シュミットについては下記事もお読みください。

 ・シリーズ《音楽史探訪》ナチズムに翻弄された作曲家ーフランツ・シュミットの場合 2012.06.22

『ノートルダム』はヴィクトル・ユーゴーの『ノートルダム・ド・パリ』を基にした歌劇らしいのだが、少なくとも僕は最近欧米で上演されたという話をとんと聞かない。1956年に日本で初演されているそうなのだが……。カラヤンはこの間奏曲のみを2回スタジオ録音しているが、実演では交響曲やオラトリオ『7つの封印の書』を含め、一切シュミットを取り上げたことがない。カラヤン同様オーストリア出身のカール・ベームも皆無。なお、キリル・ペトレンコはベルリン・フィルと交響曲第4番を取り上げ、そのライヴ録音はCDとしても発売されている。

ヤナーチェク『利口な女狐の物語』は色っぽい。マッケラス/ウィーン・フィルの演奏でどうぞ。あと同作曲家の『死者の家から』組曲もお勧め!原作はドストエフスキー『死の家の記録」。実体験に基づいた獄中記である。

コダーイは同郷のバルトーク同様に、ハンガリー民謡を収集・研究した。『ハーリ・ヤーノシュ』は「くしゃみ」から始まる。民族(打弦)楽器ツィンバロムが使用されているのが特徴的。

『マハゴニー市の興亡』のベルトルト・ブレヒト作、クルト・ヴァイル作曲というコンビは『三文オペラ』でも有名。ドイツでの初演は1930年なので世界大恐慌の直後だ。欲望を全肯定し、なんでも金、金、金という資本主義社会を戯画化している。ヤクザな連中がアメリカの砂漠地帯に都市を築くというお話なので、僕が一番に連想するのはラスベガスである(行ったことがある)。実際にはバグジー(ベンジャミン・シーゲル)がネバダ砂漠の真ん中にフラミンゴホテルを建設しカジノの都を築いたのは1946年なので、未来を予言したと言えるだろう。ナチスが本作に“退廃音楽”の烙印を押し、上演禁止にするのは1933年である。音楽活動の道を閉ざされたヴァイルは同年パリに逃れ、1935年にアメリカ合衆国に移住、ミュージカルの作曲家になった。

歌劇『ルル』はアルバン・ベルク未完の遺作。しかし組曲の方は作曲家自身の手で完成されている。1934年にカルロス・クライバーの父エーリヒの指揮によりベルリンで初演された。しかし33年には既にアドルフ・ヒトラーが首相の座に就いており、エーリヒは『ルル』初演直後に幼い息子を連れてドイツを去り、アルゼンチンに移住した。

『ピーター・グライムズ』の主人公は独身の漁師である。だからうねるような波のモチーフが使用されている。4つの海の間奏曲はレナード・バーンスタインが生涯最後の演奏会で取り上げた。なお、ブリテンもレニーもLGBTQ+である。

『モスクワを疾走』の音源はシャイー/フィラデルフィア管の『ショスタコーヴィチ:ダンス・アルバム』を推薦する。風刺的内容で、聴いていて愉快な気分になれる。

以上紹介した楽曲の音源は、基本的にロビン・ステープルトン/ロイヤル・フィルの演奏か、カラヤン/ベルリン・フィルの演奏を推す。

ステープルトンの指揮では『タイスの瞑想曲』『軽騎兵』序曲、『カヴァレリア・ルスティカーナ』間奏曲、『マドンナの宝石』間奏曲 第1番、『時の踊り』が聴ける。Spotifyで“ロビン・ステープルトン”を検索すると、僕が作成したプレイリストが見つかる筈。

一方カラヤンもこういう小品を振らせたら超一級品で、『軽騎兵』序曲、『こうもり』序曲、『カヴァレリア・ルスティカーナ』間奏曲、『マドンナの宝石』間奏曲 第3番、『ノートルダム』間奏曲、『タイス』瞑想曲、『マノン・レスコー』間奏曲、『エフゲニー・オネーギン』ポロネーズ&ワルツ、『天国と地獄』序曲、『メリー・ウィドウ』ワルツ、『魔弾の射手』序曲、『どろぼうかささぎ』序曲、『レオノーレ』序曲 第3番、『運命の力』序曲などを録音している。Spotifyで僕はこれらをプレイリスト“カラヤン珠玉の小曲集”としてまとめた。

ロビン・ステープルトン(Robin Stapleton)はイギリスの指揮者だということくらいしか経歴がよくわからない。僕が小学生の頃、ロンドン・ジョフ・ラブ・オーケストラと組んだ管弦楽名曲集のLPレコードが「レコード芸術」や朝日新聞「母と子の試聴室」で推薦盤になった。

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これは日本のビクター音楽産業による独自企画でロンドンのEMIスタジオで録音され、1979年に発売された。「ロンドン・ジョフ・ラブ」は聞き慣れない名前で、実在のオーケストラが録音契約などの関係で変名を名乗っている「覆面オーケストラ」か、ロンドン・フェスティバル管弦楽団やナショナル・フィルハーモニー管弦楽団など、レコーディング目的で集められた音楽家の団体かも知れない。残念ながら廃盤で入手困難となっている。現在聴くことが出来るのはロイヤル・フィルを指揮したデジタル再録音盤である。

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2021年7月12日 (月)

「バビロン・ベルリン」〜ドイツの光と影@黄金の1920年代

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現在U-NEXTから配信されている『バビロン・ベルリン』を一気呵成に観た。Huluでも視聴出来るらしい。製作費は43億円でドイツのTVドラマ史上最高額が投入されており、現在シーズン3まで放送が終わっている。ヨーロッパ映画賞では「​フィクション連続テレビ映画への貢献賞」を受賞した(ヨーロッパ映画賞におけるTVドラマに対する唯一の賞。この年、作品賞・監督賞を受賞したのは『女王陛下のお気に入り』)。

原作はフォルカー・クッチャーの警察小説【ベルリン警視庁殺人課ゲレオン・ラート警部】シリーズで、2017年に放送されたシーズン1,2が『濡れた魚』、2020年放送のシーズン3が『死者の声なき声』を下敷きにしている。シーズン4の製作も決まっているが、次は『ゴールドスティン』に基づくものになるだろう。脚本・監督はトム・ティクヴァ。映画『ラン・ローラ・ラン』の監督で、『クラウド アトラス』ではウォシャウスキー兄弟(現在は姉妹)と共同監督を務めた。

当初、僕はベルリンをバビロンに結びつけた表題に強く惹かれた。ジャズ・エイジと呼ばれた狂騒の1920年代ニューヨークで活躍した作家スコット・フィッツジェラルドには『バビロンに帰る』という短編小説があり(村上春樹が翻訳している)、彼の遺作『ラスト・タイクーン』から霊感を得た小池修一郎(作・演出)のミュージカル『失われた楽園 ーハリウッド・バビロンー』という宝塚歌劇の演目もあった(小池はフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』もミュージカル化している)。こちらは1930年代のハリウッドを舞台にしている。

『バビロン・ベルリン』で、なんと言っても魅力的なのが1929年という時代設定。「光の中のベルリン」と歌われたワイマール共和国黄金期の終焉が描かれる。ボブ・フォッシー監督のミュージカル映画『キャバレー』は1931年のベルリンが舞台なので、その直前だ。株価が大暴落し世界恐慌が始まる1929年10月24日(暗黒の木曜日)に向けて物語はひた走りに走る。「こういうドラマが観たかったんだ!」と膝を打った。

シーズン3ではベルリンの映画会社ウーファでトーキー映画の撮影が開始されているのだが、マレーネ・ディートリッヒ主演でジョセフ・フォン・スタンバーグが監督した『嘆きの天使』 (1930)がドイツで最初のトーキー作品であり、フリッツ・ラングの『M』(1931)やG・W・パブストの『三文オペラ』(1931)が続いた。ウーファがサイレント映画からトーキーに切り替えるために大改修したのは1929年春だった。またここではビリー・ワイルダーが『人間廃業』(1931)『少年探偵団』(同年)等で脚本家として活躍していた。ユダヤ人だったラングもワイルダーも後にナチス・ドイツの台頭により、ベルリンを離れアメリカ合衆国に渡ることを余儀なくされる。

特に僕が痺れたのがシーズン1 第2話のクライマックス、「モカ・エフティ」のステージ上で男装の麗人が『灰に、塵に(Zu Asche, Zu Staub)』を歌う場面(動画はこちら)。享楽的・退廃的でミュージカル『キャバレー』の世界に通じるものがある。ホールにいる女の子たちがいわゆるフラッパーの格好をしており、フィッツジェラルドが『グレート・ギャツビー』(1925年出版)で描いたニューヨークと、ベルリンは完全に地続きだったんだということに気付かされた。さらに半裸の女性ダンサーたちはアメリカ生まれの黒人ダンサー、ジョセフィン・ベーカーをモデルにしているのだろうと思った。彼女は当時ベルリンやパリのミュージック・ホールで踊っていたという。

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「モカ・エフティ」はベルリンに実際にあった伝説的なナイトクラブ で、2021年2月にベルリン・フィルがここで演奏されたダンス音楽を特集する演奏会〈黄金の20年代:「モカ・エフティ」での夕べ〉を企画しており、デジタル・コンサートホールでその様子を視聴することが出来る(こちら)。

ここで取り上げられているクルト・ヴァイルの『三文オペラ』はジャズのスタンダードナンバー“マック・ザ・ナイフ”として知られており、ミュージカル『キャバレー』の音楽に多大な影響を与えた。そして『バビロン・ベルリン』シーズン2ではなんと『三文オペラ』(1928年8月31日初演)を上演しているシッフバウアーダム劇場でドイツ外相とフランス外相を暗殺しようとする計画が描かれ、まるでヒッチコックの『暗殺者の家』『知りすぎていた男』みたいな展開になる。クルト・ヴァイル はユダヤ人で、後に『三文オペラ』に出演した妻のロッテ・レーニャと共にアメリカ合衆国に亡命、ミュージカルの作曲家になった。そしてヴァイルの作品はナチスから“退廃音楽”の烙印を押され、演奏禁止になる。なおロッテ・レーニャは1966年、ミュージカル『キャバレー』ブロードウェイ初演時に下宿屋の女主人シュナイダーを演じた

また本作を通じて次のような衝撃的事実を知った。第一次世界大戦敗北後ドイツはベルサイユ条約で兵員の数を10万人に制限され、機甲隊や航空隊、潜水艦隊を持つことを禁じられた。そこでドイツ国防軍はソビエト連邦と秘密交渉を行い、モスクワから約400キロメートルの距離にあるリペツクに秘密の航空機訓練基地を建設したという。いやはや驚いた。実に勉強になる。

この物語で描かれるのは、如何にして民主主義がファシズムに屈し、独裁政治の影に覆われていったかということ。それはジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』のプリクエル(エピソード1〜3)で描こうとして、当時の観客から理解されず冷笑された内容にピッタリ重なる。

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2021年7月 9日 (金)

厳選 管弦楽の名曲ベスト40(+α)はこれだ!

記事「厳選 交響曲の名曲ベスト30はこれだ!」も併せてご一読ください。

まず、今回のリストにリヒャルト・シュトラウスが入っていないことについて弁明をしておきたい。彼の管弦楽法が華やかであると認めることにやぶさかではない。しかし聴いていてどうも空疎なのだ。交響詩に情景の表面的描写はある。しかし中身がない。『アルプス交響曲』は主人公が登山をし、頂上の雄大な景色を堪能して嵐に遭いながらも無事下山するまでが描かれており、ゴージャスな響きを堪能できる(小澤征爾/ウィーン・フィル、大植英次/大阪フィルで生演奏を聴いた)。でもそれだけ。心が全く感じられない。僕にとってR.シュトラウスの管弦楽曲は張りぼて、ちんどん屋の音楽だ。けばけばしくて下品。一方、オペラ作曲家としては実に素晴らしい。『ばらの騎士』『サロメ』『エレクトラ』……。どれも一級品だ。こちらのジャンルは高く評価する。

また超有名曲ムソルグスキー『展覧会の絵』を省いたのは、オリジナルがピアノ曲で、モーリス・ラヴェルが編曲しているから。他者によるアレンジは管弦楽曲(オリジナル)と認めないことを原則とした。同様の理由でビゼー『アルルの女』も外した。第2組曲は作曲家の死後、友人のエルネスト・ギローが編曲している。一方、ラヴェルの『クープランの墓』も原曲はピアノ独奏曲だが、ラヴェル自身が後にオーケストラ用に編曲しているので対象とした。

オペラの序曲や間奏曲は除外した。オペラは本来、総体として鑑賞すべきものだから。

 ・厳選!これだけは観て(聴いて)おきたいオペラ・ベスト25(+吹奏楽との関連も)

ちなみに僕がオーケストレーションの魔術師と考える作曲家はラヴェル、リムスキー=コルサコフ、そしてレスピーギである。

それではいってみよう!1作曲家に付き1作品に絞った。曲名の後の西暦は、作曲または初演された年を示しており、年代順に並べてある。

・J.S. バッハ:管弦楽組曲 第2番 1720年頃
・ベートーヴェン:序曲「コリオラン」 1807
・メンデルスゾーン:劇付随音楽「夏の夜の夢」 1843
・ムソルグスキー:禿山の一夜(原典版) 1867
・ワーグナー:ジークフリート牧歌 1870
・チャイコフスキー:幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」 1876
・ブラームス:大学祝典序曲 1880
・ボロディン:交響詩「中央アジアの草原にて」 1880
・スメタナ:連作交響詩「わが祖国」 1882
・シャブリエ:狂詩曲「スペイン」 1883
・リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェヘラザード」 1888
・グリーグ:「ペール・ギュント」第1・第2組曲 1891-93
・イッポリトフ=イヴァノフ:組曲「コーカサスの風景」 1894
・ツェムリンスキー:交響詩「人魚姫」 1903
・シェーンベルク:交響詩「ペレアスとメリザンド」 1903
・ウェーベルン:大管弦楽のための牧歌「夏風の中で」 1904
・ドビュッシー:海 1905
・アイヴズ:宵闇のセントラルパーク 1906
・ディーリアス:幻想曲「夏の庭で」 1908
・ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」 1912
・デュカス:舞踏詩「ラ・ペリ」 1912
・ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」 1913
・ファリャ:バレエ音楽「恋は魔術師」 1915(初稿)/1925(改訂)
・レスピーギ:交響詩「ローマの噴水」 1916
・ホルスト:組曲「惑星」 1917
・イベール:交響組曲「寄港地」 1922
・シベリウス:交響詩「タピオラ」 1925
・ヤナーチェク:シンフォニエッタ 1926
・ガーシュウィン:交響詩「パリのアメリカ人」 1928
・コルンゴルト:赤ちゃんのセレナーデ 1928
・プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」 1938
・ラフマニノフ:交響的舞曲 1940
・バルトーク:管弦楽のための協奏曲 1943
・コープランド:アパラチアの春 1944
・メシアン:異国の鳥たち 1956
・リゲティ:アトモスフェール 1961
・ロータ:バレエ組曲「道」 1965
・アダムズ:ハルモニーレーレ(和声学) 1985
・マルケス:ダンソン 第2番 1994
・武満徹:若い人たちのための音楽詩「系図(ファミリー・トゥリー)」 1995
・ジョン・ウィリアムズ:アメリカン・ジャーニー 1999

番外編として弦楽合奏または、管楽合奏のための音楽ベスト12を挙げる。

・モーツァルト:13楽器のためのセレナード「グラン・パルティータ」 1784
・ドボルザーク:弦楽セレナード 1875
・チャイコフスキー:弦楽セレナード 1881
・グリーグ:ホルベアの時代から 1885
・スーク:弦楽セレナード 1892
・エルガー:序奏とアレグロ 1905
・ヴォーン・ウィリアムズ:トマス・タリスの主題による幻想曲 1910
・ヴァイル:管楽オーケストラのための「小さな三文音楽」 1929
・ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ 第5番 1938
・バルトーク:弦楽のためのディヴェルティメント 1940
・ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガイーヌ」より「ガイーヌ(ガヤネー)のアダージョ」 1942
・ハーマン:弦楽オーケストラのための物語「サイコ」 1968

ここで、バーバー:弦楽のためのアダージョを入れるかどうか、最後まで迷ったことを告白する。ただしこの作品、元々は弦楽四重奏曲 ロ短調の第2楽章をバーバー自身が弦楽合奏用に編曲したものなのだ。他にも、ストラヴィンスキーに絶賛された武満徹:弦楽のためのレクイエムとか、3つの映画音楽(映画『ホゼー・トレス』から「訓練と休息の音楽」/映画『黒い雨』より「葬送の音楽」/映画『他人の顔』よりワルツ)も入れたかったな。

大バッハの管弦楽組曲 第2番は実質的にフルート協奏曲と言っても過言ではない。特に後半、ポロネーズ〜メヌエット〜バディネリのあたりが華麗なるハイライトと言えるだろう。

『コリオラン』は演奏会用序曲で、ベートーヴェンが古代ローマの英雄を主人公にした同名戯曲を観劇した時の感動が作曲の動機となっている。今回のセレクションの中で、最も悲劇的。強いて挙げるならチャイコフスキー『フランチェスカ・ダ・リミニ』が双璧か。また劇付随音楽『エグモント』序曲も甲乙つけがたい。

『夏の夜の夢』はシェイクスピアの芝居のために書かれた付随音楽。1935年のアメリカ映画『真夏の夜の夢』ではエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトがオーケストレーションし直しており、そちらのヴァージョンもCDで聴くことが出来る。本作はコルンゴルトがハリウッドに進出する切っ掛けになった。

Mid

原曲の方はプレヴィン/ウィーン・フィルの演奏でどうぞ。

『禿山の一夜』(原典版)の正式名称は音詩『聖ヨハネ祭前夜の禿山』。1867年に完成したスコアを見たバラキレフ(指揮者としても活躍)がその粗野なオーケストレーションを批判し修正を求めたが作曲家は拒否、演奏も出版もされぬままお蔵入りとなった。1881年ムソルグスキーの死後、彼の才能を何とかして世に知らしめたいと考えた友人のリムスキー=コルサコフは1886年にオーケストレーションを一新して改訂版を創り上げた。ここで「ロシア5人組」について説明しておこう。バラキレフをリーダーに、キュイ、ムソルグスキー、ボロディン、リムスキー=コルサコフから成る作曲家集団のこと。

リムスキー=コルサコフのアレンジは洗練されており、だから有名になってディズニー映画『ファンタジア』でも取り上げられたわけだが(一見の価値あり!)、原曲の持ち味=土の香り/バーバリズムが失われてしまった。原典版の楽譜が発見され出版されたのが1967年。ロイド=ジョーンズ/ロンドン・フィルにより初めて録音されたのが1971年。80年にアバド/ロンドン交響楽団の録音が出て一躍世間で注目を浴びるようになり、現在ではアバド/ベルリン・フィル、サロネン/ロス・フィル、ドホナーニ/クリーヴランド管、ゲルギエフ/マリインスキー劇場管、ユロフスキ/ロンドン・フィルなどの音源がある。

ワーグナー『ジークフリート牧歌』は妻コジマの誕生日およびクリスマスの贈り物として作曲された。コジマはその前年に息子ジークフリートを生んでいた。この初演の様子はルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『ルートヴィヒ/神々の黄昏』で詳細に描かれているので、是非ご覧あれ。幸福感に満ちた音楽である。カラヤン/ウィーン・フィルあるいはベルリン・フィルの演奏でどうぞ。

チャイコフスキーは当初、バレエ音楽『くるみ割り人形』を選ぼうと考えていた。しかし、幻想序曲『ロメオとジュリエット』も大好きだしなぁ……。この終結部の旋律がバーンスタインのミュージカル『ウエストサイド物語』("Somewhere")に引用されているんだ。そうこう思い巡らしているうちに、魅力的な楽曲ながら演奏される機会が少ない『フランチェスカ・ダ・リミニ』にしたらどうかという考えが思い浮かんだ。幻想曲と銘打たれているが、実質的には交響詩だ。ダンテ『神曲』の地獄篇が題材になっている。妻が弟と不倫している現場を目撃した兄は嫉妬に狂い2人を殺す。彼らは色欲の罪を犯した者として、地獄の業火で焼かれ続ける。

チャイコフスキーはゲイであり、ロシア正教会(キリスト教)において同性愛は罪だった。だからチャイコフスキー自身も死んだら地獄で責め苦を受け続けるという恐怖心があったのではないだろうか?つまり禁断の愛欲に溺れた恋人たちへの共感があった、ということだ。

『大学祝典序曲』はブラームスがポーランドにある大学から名誉博士号を授与された返礼として作曲した。以前ラジオたんぱで放送されていた旺文社『大学受験ラジオ講座』のテーマ曲として使用された。4つの学生歌が引用されている。興味深いことにプロの指揮者からの評価は低く、例えばヘルベルト・フォン・カラヤン、カール・ベーム、カルロ・マリア・ジュリーニといった大指揮者たちがこの曲を録音したことは一度もない。カラヤンは生涯にブラームスの交響曲全集を3回、悲劇的序曲と、ハイドンの主題による変奏曲はそれぞれ4回スタジオ録音しているのだが……。

ボロディンで一番有名なのは、なんてったって躍動感溢れる『だったん人の踊り』だろう。漢字では韃靼人と書く。最近は『ポロヴェツ人の踊リ』と呼ばれることが多い。これはオペラ『イーゴリ公』第2幕で演奏され、本来は合唱を伴う。合唱付きの方がド迫力なのでお勧め。今回紹介したいのは穏やかな『中央アジアの草原にて』。舞台となるのはコーカサス地方。そこでロシアと東方の歌が出会う。こちらは実演に接する機会が滅多にない。なおボロディンは有機化学を専門とする大学教授であり、自らを「日曜作曲家」と称した。

6曲から成る『わが祖国』の中でずば抜けて知名度があるのは第2曲『モルダウ』だ。旋律がイスラエルの国歌『ハティクヴァ(希望)』にそっくりなことは余りにも有名。起源が同じなのだ(17世紀イタリアの歌『ラ・マントヴァーナ』)。スメタナは既存の歌をそのまま自作に取り入れる人だった。例えば第5曲『タボール』と第6曲『ブラニーク』ではフス派教徒の賛美歌『汝ら神の戦士』が引用されている。『わが祖国』は指揮者クーベリックが数々の名演を残したが、1958年ウィーン・フィルとの録音は避けるべき。またチェコ・フィルとのライヴは1990年の「プラハの春」よりも、91年サントリー・ホールの演奏のほうが良い。他にボストン響やバイエルン放送響との録音も素晴らしい。また52年シカゴ交響楽団との録音はモノラルながら、沸騰するような渾身の熱演が展開される。余談だが吹奏楽の超有名曲、カレル・フサ作曲『プラハ1968年のための音楽』でも『汝ら神の戦士』の旋律が登場する。こちらの初演は1969年で、翌年には指揮者ジョージ・セルの委嘱で管弦楽版が初演された。

エマニュエル・シャブリエは40歳近くまで、フランス内務省の役人を務める傍ら作曲活動を行っていた。狂詩曲『スペイン』は退職2年後にスペイン旅行をした際の印象を描写している。明るい色彩感に満ちた楽曲。この人は『楽しい行進曲』も素敵。デュトワ/モントリオール響の録音でどうぞ。

千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)に準拠した『シェヘラザード』は異国情緒溢れ、リムスキー=コルサコフの華麗なオーケストレーションを堪能出来る。あの、全体がうねるような感じが好き。デュトワ/モントリオール響か、ゲルギエフ/キーロフ(現:マリインスキー劇場)管、ストコフスキー/ロンドン響の演奏でどうぞ。

『ペール・ギュント』はイプセンの劇付随音楽として1875年に完成し、その後度重なる改訂を経て組曲として編纂された。第1組曲に入った“オーセの死”はペールの母のことだが、その旋律を聴くと“さくらさくら”を連想するのは僕だけだろうか?バルビローリか、ネーメ・ヤルヴィの指揮で。なおヘルベルト・フォン・カラヤンは第1,第2組曲を生涯3度スタジオ録音しているが、演奏会では1度も取り上げたことがない

イッポリトフ=イヴァノフはロシアの作曲家。『コーカサスの風景』は第1曲『峡谷にて』/第2曲『村にて』/第3曲『モスクにて』/第4曲『酋長の行列』から成る。『村にて』は黒澤明監督の映画『夢』の最後に流れ、印象深い。チェクナヴォリアン/アルメニアン・フィルの演奏で。

ツェムリンスキーはウィーン生まれ。アルマ・マーラーが結婚する前に音楽の先生を務め、彼女に恋焦がれていたことは有名(因みにツェムリンスキーはマーラーより11歳年少)。アルマは後にツェムリンスキーのことを「醜男だった」と語っている。 また彼は自分がユダヤ人で背が低いことにコンプレックスを感じており、歌劇『こびと』にその思いを託している。ロマンティックな『人魚姫』第1楽章は「海底/嵐、人魚姫が王子を救出する」、第2楽章「海の魔女を訪れる人魚姫。王子の結婚」、第3楽章「人魚姫の死と天国への救済」。シャイー/ベルリン放送響で。

シェーンベルクと言えば調性音楽を脱し、十二音技法を生み出した作曲家として知られており、「難解だ」「どう聴いたら良いのか分らない」「耳障りだ」といった印象を持っている人が多いのではないだろうか?ところがどっこい『ペレアスとメリザンド』は彼が無調時代に入る前の作品であり、弦楽六重奏曲『浄夜』同様に大変聴き易い。後期ロマン派の残り香が濃密に立ち込めており、幻想的で耽美な世界を醸し出している。あらすじや、主要なライトモティーフ(示導動機)を知っておけば鑑賞の助けになるので、大阪交響楽団の曲目解説をご覧あれ(こちら)。『ペレアスとメリザンド』の物語構造は基本的に『トリスタンとイゾルデ』とほぼ同じである。だからワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』に魅了された作曲家たちが競い合うように『ペレアス』に殺到した。フォーレとシベリウスは劇付随音楽を書き、ドビュッシーはオペラ化した。それらを聴き比べてみるのも一興だろう。なおピエール・ブーレーズ/グスタフ・マーラー・ユーゲント管がシェーンベルクの『ペレアス』を録音したアルバムには、それに先行してワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』前奏曲が収録されている。宜なるかな。

シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンら新ウィーン学派はクラシック音楽ファンから敬遠されがちで、演奏会で取り上げられることも滅多にない。ウェーベルンはシェーンベルクに師事して以降、十二音技法を突き詰めていくのだが、『夏の風の中で』はその前、ウィーン大学に在学中の1904年夏に作曲された。当時20歳だった。一陣の風が通り抜けるように爽やか。なんて瑞々しいんだろう!シャイー/ロイヤル・コンセルトヘボウ管かドホナーニ/クリーヴランド管の演奏で。なおウェーベルンはナチス・ドイツがオーストリアを併合した後もこの地に留まり終戦を迎えたが、喫煙のため夜間ベランダに出てタバコに火をつけたところオーストリア占領軍の米兵により闇取引の合図と誤解され、その場で射殺された。享年61歳、気の毒な最後である。

 ・シリーズ《音楽史探訪》音楽家の死様(しにざま)

ドビュッシー『海』は武満徹に多大な影響を与えた。武満にもアルトフルートのための『海へ』という作品があり、ピアノとオーケストラのための『夢の引用』では『海』からの大胆な引用がある。定まった形がなく、刻々と生成変化するものへの愛着。ブーレーズ/クリーブランド管、あるいはロト/レ・シエクルで。

保険会社に勤めながら「趣味」として作曲を続けたチャールズ・アイヴズ。『宵闇のセントラルパーク』ではまず、弦楽器が闇に包まれた公園の夜の静けさを描く。ベンチに憩っていると突然、池の向こうのカジノの音、ストリート・ミュージシャンの歌声、パレードや消防馬車が駆け抜ける音などが聴こえてくる。この混沌とした状況がアイヴズの真骨頂と言えるだろう。演奏時間7-8分。またこの曲と対に作曲された『答えのない質問』も哲学的で大変面白い。冒頭の弦楽器は「沈黙を守り祈る司祭たち」。トランペット・ソロが「存在についての問い」ーつまり「私たちはなぜ生きるか?」「神が人間を創造した目的は?」といったようなこと。それに対して木管四重奏があれやこれやと答えるが、正解は得られず最終的にお手上げになり押し黙る。演奏時間5-6分。レナード・バーンスタインか小澤征爾の指揮で。

ディーリアスといえば音詩(Tone Poem)。夏が来るとこの作曲家の音楽を無性に聴きたくなる。『夏の庭で』は幻想曲と銘打たれているが、実質的には音詩と考えて良いだろう。特に曲の中盤、木管楽器の奏でる分散和音と低弦に伴われて現れるヴィオラの旋律(第3主題)が素敵。ジンと来る。他に僕が好きなディーリアスの曲は『夏の歌』と『夏の夕べ』。『春はじめてのカッコウの声を聴いて』や『ブリッグの定期市』、オペラ『村のロミオとジュリエット』から『楽園への道』も勿論良い。『夏の庭で』と『夏の歌』はバルビローリの指揮、『夏の夕べ』はビーチャム/ロイヤル・フィルか、ロイド=ジョーンズ/ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管で。

当初はラヴェルがピアノ独奏曲として1899年に作曲し、1910年に管弦楽用に編曲した『亡き王女のためのパヴァーヌ』を選出しようと考えていた。しかしラヴェルのオーケストラ曲で代表選手といえば『ダフニスとクロエ』だろうと思い直した。ちなみに全日本吹奏楽コンクール(全国大会:中学/高校/大学/職場・一般の部)自由曲として『ダフクロ』が取り上げられたのが2021年現在112回、うち金賞受賞はのべ49回である(吹奏楽コンクールデータベースより)。演奏された回数としてはレスピーギ『ローマの祭り』に次ぐ歴代第2位の記録だ。半音階を駆使した作曲技法が後の十二音技法や無調音楽の誕生に繋がってゆく。クリュイタンス、ブーレーズ、ロト、デュトワいずれかの指揮でどうぞ。

『ラ・ペリ』はバレエ音楽として出版された数年後、前奏用ファンファーレが追加で作曲された。幻想的で大層美しい18分程度の楽曲。デュカスといえば『魔法使いの弟子』の作曲家としてしか認識されていないが、どうしてどうして『ラ・ペリ』も十分魅力的だ。『魔法使いの弟子』については、何はともあれディズニー映画『ファンタジア』を観てください。

ストラヴィンスキーのバレエ音楽『春の祭典』初演時における阿鼻叫喚の大混乱については映画『シャネル&ストラヴィンスキー』で面白おかしく描かれている。ディオニュソス的大地讃頌、本能剥き出しの熱狂。1960年代後半から流行ったプログレッシブ・ロック(ピンク・フロイド/イエス/キング・クリムゾン/エマーソン・レイク・アンド・パーマー)に通じるものがあり、プログレ愛好家にも人気が高い曲。クルレンツィス、ロト、ブーレーズの指揮で。

ファリャはバレエ音楽『三角帽子』も良いのだが、『恋は魔術師』はなんてったって『火祭りの踊り』が素晴らしい。圧巻のフラメンコを堪能出来るカルロス・サウラ監督の同名映画(1986)をご覧になることをお勧めする。

全日本吹奏楽コンクールで最も演奏回数が多いのがレスピーギ『ローマの祭り』で総計115回、うち金賞受賞が47回となっている。これが『ローマの噴水』だと取り上げられたのが25回、金賞受賞は14回と激減する。『ローマの松』は41回演奏され金賞受賞は19回。カラヤンは『ローマの松』と『ローマの噴水』をレコーディングしているが、『ローマの祭り』は演奏会を含めて生涯一度も取り扱わなかった。あの騒音のようなうるささを毛嫌いしていたのではないだろうか?一方『ローマの噴水』はたおやかで繊細な楽曲である。因みにカラヤン/ベルリン・フィルは『ローマの松』を1984年にザ・シンフォニーホール@大阪で演奏しており、そのライヴは映像収録されDVDで発売されている。

『惑星』を一躍有名にしたのは1961年にカラヤン/ウィーン・フィルがスタジオ録音したことが切掛だった。しかしカラヤンというのは不思議な人で、基本的にイギリス音楽に対して冷淡。ブリテン/フランク・ブリッジの主題による変奏曲とヴォーン=ウィリアムズ/トマス・タリスの主題による幻想曲を1950年代にフィルハーモニア管と録音しているが、後のベルリン・フィル時代は皆無。ウォルトンはやはり1940-50年代に演奏会でオラトリオ「ベルシャザールの饗宴」と交響曲第1番を取り上げたが、スタジオ録音なし。また1981年に手兵ベルリン・フィルと『惑星』のデジタル録音を残したが、なんと演奏会では一度も取り上げなかった。エルガーに至っては演奏会・録音どちらも0である(『威風堂々』すらも)。余談だがカラヤンはベルリン・フィルと一度だけ『シェヘラザード』をスタジオ録音したが、演奏会では一度も取り上げていない。『惑星』は冨田勲によるシンセサイザー編曲が余りにも有名。一聴の価値あり。1976年にリリースされビルボード(クラシカル・チャート)で1位になるなど一世風靡し、2011年には冨田自身の手で再創造したULTIMATE EDITIONも出た。

イベールはパリ音楽院在学中の1914年に第一次世界大戦が勃発すると、志願して海軍士官になった。その時に地中海を航海した記憶が『寄港地』に結実した。第1曲:ローマーパレルモ(シチリア島)、第2曲:チェニスーネフタ(チュニジア)、第3曲:バレンシア(スペイン)で構成される。異国情緒溢れる傑作。デュトワ/モントリオール響で。

シベリウスの交響詩『タピオラ』が初演されたのが1926年、最後の交響曲第7番の初演が1924年だから、その直後に完成した作品と思われる。交響曲第7番は単一楽章で演奏時間約20分。これは『タピオラ』にも共通する。また『タピオラ』には具体的な物語がない。では交響曲と交響詩を分かつ違いは何か?答えはシンプルである。「作曲家がそう命名したから」ーただそれだけ。静謐で精緻なカラヤン/ベルリン・フィルのデジタル録音でどうぞ。

ヤナーチェクのシンフォニエッタは村上春樹の『1Q84 』に登場して一気に有名になり、CDも飛ぶように売れた。小説内で言及されるのはジョージ・セル/クリーブランド管弦楽団の演奏だ。ただこの作曲家の特徴は色っぽいところにあると僕は考えているので、その雰囲気はシンフォニエッタから味わえない。だから併せて歌劇『利口な女狐の物語』も聴いてみてください。マッケラス/ウィーン・フィルは全曲を録音しているし、管弦楽組曲版もある。シンフォニエッタの演奏もこのコンビに白羽の矢を立てる。

『パリのアメリカ人』は『ラプソディ・イン・ブルー』と並ぶシンフォニック・ジャズの傑作。バーンスタインの『ウエストサイド物語』〜シンフォニック・ダンスもそう。ただ後者はミュージカルを基にシド・ラミンとアーウィン・コスタルが再構成・編曲を手がけているのだが、そのことはあまり知られていない。 この二人は映画版『ウエストサイド物語』のオーケストレーションも担当し、アカデミー賞を受賞している。『パリのアメリカ人』についてはMGM映画『巴里のアメリカ人』のクライマックスでジーン・ケリーとレスリー・キャロンがダイナミックに踊るので、四の五の言わずまずはご覧あれ。全編がガーシュウィンの名曲で彩られている。

ウィーンからハリウッドに渡り映画音楽作曲家として名を馳せ、アカデミー賞を2度受賞したエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトの『ベイビー・セレナーデ』は彼の次男ゲオルクが誕生したことをきっかけにして作曲された。愛らしく軽快な曲で、1.序曲「赤ん坊が登場」2.歌「今日は、良き日」3.スケルツィーノ「なんて素敵なおもちゃ」4.ジャズ「坊やがしゃべるよ」5.エピローグ「そして、坊やは自分に語りかけるように寝てしまう」と副題が付いている。ゲオルク(英語読みでジョージ)・コルンゴルトは長じてレコード・プロデューサーとなり、チャールズ・ゲルハルト指揮でRCAから「クラシック・フィルム・スコア」シリーズをリリース、その中には父親の作品集も含まれていた(超優秀録音!)。また父の歌劇『死の都』や映画音楽『嵐の青春』を新録音盤として世に問うた。

Korn1

Korn2

プロコフィエフ『ロメオとジュリエット』はバレエも全曲鑑賞したことがあるが、実に見応えがある。特に英国ロイヤル・バレエ団が初演したケネス・マクミラン振付版が最高!アメリカン・バレエ・シアターでもこのバージョンが採用されており、映画『センターステージ』に有名なバルコニー・シーンが登場する。

厳選 交響曲の名曲ベスト30はこれだ!」ではラフマニノフの交響曲第2番を入れなかったことについて、様々なご批判を読者から頂いた。その際には「構成力に欠け冗長だから」と突っぱねたのだが、最近キリル・ペトレンコ/ベルリン・フィルの演奏をデジタル・コンサートホールで聴いて、考えを改めた。悪くない。あの時は申し訳ないことをした。演奏によって曲が輝くとは正にこれ。よって罪滅ぼしの意味も込めて今回『交響的舞曲』を選出した。3楽章からなり、終楽章に作曲家お気に入りのグレゴリオ聖歌『怒りの日』の旋律が登場するのはご愛嬌。『怒りの日』をラフマニノフは『パガニーニの主題による狂詩曲』、交響詩『死の島』、交響曲第2番、合唱交響曲『鐘』などでも引用している。

バルトーク『管弦楽のための協奏曲(Concerto for Orchestra)』は『オケコン』という愛称で親しまれている。ハンガリーに生まれたバルトーク・ベーラは第2次世界大戦勃発でナチス・ドイツを忌避してアメリカに逃れる。しかし生活は困窮し極貧生活を送ることになり、さらに白血病を罹患した。当時ボストン交響楽団の音楽監督だったクーセヴィツキーが、バルトークのそんな窮状を見かねて財団から委嘱したのが『オケコン』である。またポーランドの作曲家ルトスワフスキにも『管弦楽のための協奏曲』(1954)があり、やはり優れた作品として知られている。

コープランドといえばバレエ音楽『ロデオ』や『ビリー・ザ・キッド』などで西部劇の音楽を確立した人。エルマー・バーンスタインが作曲した映画『荒野の七人』とか、ジョン・ウィリアムズの『華麗なる週末』『11人のカウボーイ』などは明らかにコープランドの影響を受けている。『アパラチアの春』はコープランドの代表作で、これでピューリッツァー音楽賞を受賞した。レナード・バーンスタインの指揮でどうぞ。

オリヴィエ・メシアンの音楽を象徴するのはカソリック教徒としての〈信仰〉と、〈鳥〉である。その両者が密接に結びついたのが歌劇『アッシジの聖フランチェスコ』だ。『異国の鳥たち』はピアノと小規模編成オーケストラのための作品。オケは管楽器と打楽器のみで、弦楽器はなし。14分程の演奏時間で、47種類の鳥の鳴き声が聴こえてくる。

リゲティ『アトモスフェール』は映画『2001年宇宙の旅』で使用され、有名になった。皮膚の下を何か虫が這いずり回っているような、居心地の悪さを感じさせる曲。また『2001年宇宙の旅』終盤、白い部屋の場面で聴こえてくる異星人の囁き声は、スタンリー・キューブリック監督がリゲティの合唱曲『アヴァンチュール』を無断で編集したもので、後に裁判沙汰となった。

ニーノ・ロータの『道』は元々フェデリコ・フェリーニ監督の同名映画のための音楽だが、バレエ用にアレンジされ、1965年にミラノ・スカラ座で初演された。リッカルド・ムーティ/スカラ座フィルの演奏でどうぞ。またベルリン・フィル・デジタル・コンサートホールのアーカイヴでは、リッカルド・シャイーの指揮で聴くことが出来る。

20世紀の音楽は「ミニマル・ミュージック」を抜きに語れない。ごく短い音型を反復するす手法(minimal:最小限の、極小の)で、独特の浮遊感が漂う。その代表としてアメリカ合衆国の作曲家ジョン・アダムズを選出した。他に是非聴いてほしいミニマリストとしては、フィリップ・グラス(『Mishima』『めぐりあう時間たち』)、スティーヴ・ライヒ(『ディファレント・トレインズ』『クラッピング・ミュージック』)、マイケル・ナイマン(『ピアノ・レッスン』)、久石譲(『風の谷のナウシカ』『ソナチネ』『かぐや姫の物語』)、アルヴォ・ペルト(『フラストレス』『タブラ・ラサ』)がいる。気軽にアダムズを聴くならまず最初に『ショート・ライド・イン・ア・ファスト・マシーン(高速機械で早乗り)』がお勧め。スポーツカーとか、ジェットコースターに乗ったようなぶっ飛んだ疾走感が凄い。しかしたった4分の短い曲なので、演奏時間約40分と聴き応えのある『ハルモニーレーレ(和声学)』の方を挙げた。ミニマル・ミュージックというジャンルが到達した極北、壮大なる最高傑作と言えるだろう。交響曲におけるベートーヴェンの第5番みたいなものだ。3つのパートで構成され、パート2ではマーラー未完の交響曲第10番 第1楽章と密接な関わりがあるので注目!トランペットなど金管楽器による不協和音の絶叫、カタストロフィの場面だ。

『ダンソン 第2番』はアルトゥロ・マルケス(1950- )の代表作。演奏時間約10分で、欧米において最も頻繁に演奏されるメキシコ現代音楽である。これは熱狂のドゥダメル/シモン・ボリバル・ユース・オーケストラの演奏にとどめを刺す。アルバム『フィエスタ!』に収録。

武満徹のオーケストラ曲は『夢の時(Dreamtime)』『ウォーター・ドリーミング』『フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム(直訳すると『私から、あなたが“時”と呼ぶものがあふれ出す』)』が好き。でも中でも一番は?と問われたら、若い人たちのための音楽詩『系図(ファミリー・トゥリー)』を躊躇なく選ぶ。谷川俊太郎の詩集『はだか』から6篇(むかしむかし/おじいちゃん/おばあちゃん/おとうさん/おかあさん/とおく)が朗読される。語り手は12歳から15歳の少女が望ましい、と武満は語っている。 日本初演の語りは遠野凪子。小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラのCDも彼女だが、現在ナクソス・ミュージック・ライブラリーやSpotifyなどサブスクで聴けるのは、残念ながら小澤征良(娘)による英語版だ。他に上白石萌音や、のん(能年玲奈)が語った演奏もCDになっている。なんと浜辺美波もステージでやったことがあるらしい!面白いのは2006年2月18日に岩城宏之が指揮した京都市交響楽団定期演奏会。吉行和子が朗読を担当した。当時70歳。おいおい、「少女」でなくて良いのか!?

映画音楽の大家ジョン・ウィリアムズの"American Journey"はビル・クリントン大統領(当時)の依頼により作曲された。スティーヴン・スピルバーグ監督が手がけた西暦2000年(ミレニアム)を祝うマルチメディア・プレゼンテーション"The Unfinished Journey"(終わりなき旅)の付随音楽である。以下の6曲で構成される。

1)移民と建国 2)南北戦争 3)人気の娯楽 4)芸術とスポーツ 5)公民権運動と女性の活躍 6)空の旅と科学技術

ジョン・ウィリアムズは1984年ロサンゼルス五輪の開会式で演奏された『オリンピック・ファンファーレとテーマ』や1996年アトランタ五輪のための『サモン・ザ・ヒーローズ』も格好よくて最高!胸がスカッとする。ボストン・ポップスの演奏でどうぞ。

モーツァルト『グラン・パルティータ』は管楽器アンサンブルの代表作であり大作。同作曲家の弦楽合奏曲なら『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』を推す。英訳すると『ア・リトル・ナイト・ミュージック』となり、これは巨匠スティーヴン・ソンドハイムが作詞・作曲したミュージカルの題名だ。けだし名作。

ドヴォルザーク『弦楽セレナード』は映画『メッセージ(Arrival)』で印象的に用いられていた。ひたひたと心に沁み渡る曲。

一方で、チャイコフスキー『弦楽セレナード』を支配するのは激情と言っていい。作曲家は「モーツァルトへのオマージュ」と語っているが、例えば冒頭、ドシラソファと音階を駆け下りていくのがモーツァルト的なのだ。

『ホルベアの時代から』の原曲はピアノ独奏曲だが、今日ではグリーグ自身が編曲した弦楽合奏版の方が専ら知られている。やはりピアノ独奏曲である『抒情小曲集』からオーケストレーションされた『抒情組曲』も大変美しい音楽だ。

ヨゼフ・スークはチェコの作曲家でドヴォルザークの娘婿。同名の孫は世界的ヴァイオリニストでスーク・トリオを結成した。ベルリン・フィルの芸術監督キリル・ペトレンコはスークの作品に強い愛着を持っており、既にアスラエル交響曲や交響詩『夏物語』を取り上げ、2022年には交響詩『人生の実り』が定期演奏会のプログラムに組み込まれている。『弦楽セレナード』はフルシャ/プラハ・フィルか、ヤンソンス/バイエルン放送響の音源でどうぞ。

『序奏とアレグロ』はラヴェルにも同名の曲があり、こちらも素敵だ。ラヴェルの方はハープとフルート、クラリネットおよび弦楽四重奏のための七重奏曲で、「室内楽の森へ~厳選!これだけは絶対聴いておきたい80曲」に選出した。エルガーは弦楽合奏と弦楽四重奏のための作品。孤高の美しさ。バルビローリ/シンフォニア・オブ・ロンドンで。

ヴォーン・ウィリアムズ『トマス・タリスの主題による幻想曲』は弦楽合奏曲で、第1群・第2群のアンサンブル及び、弦楽四重奏という編成で演奏される。CDなどの音源ではこの構造が分かり辛いので、ベルリン・フィルのデジタル・コンサートホール(ラトル指揮)など映像で確認されることをお勧めする。

ブレヒト&クルト・ヴァイルによる『三文オペラ』は1928年にベルリンの劇場で初演された。指揮者オットー・クレンペラーはこの作品に夢中になり、演奏会用組曲を作るよう求めた。その結果生まれたのが管楽器及び打楽器という編成の『小さな三文音楽』である。クレンペラーはフィルハーモニア管弦楽団とステレオ録音を残しており、大層名演なのだが、全8曲中なぜか第3曲「“代わりに”の歌」が省かれている。『三文オペラ』の音楽はナチス台頭期のベルリンを舞台とするブロードウェイ・ミュージカル『キャバレー』に繋がっている。

『ブラジル風バッハ』は第9番まであり、それぞれ楽器編成や演奏形態が異なる。第8番はソプラノ独唱と8つのチェロのための楽曲。歌詞の意味を知っていたほうが味わいが深まるので、第1曲アリアのポルトガル語の歌詞を僕なりに訳してみた。

夕暮れ 薔薇色の薄雲がゆっくり流れ 
夢見心地の美しい空に浮かぶ
月が地平線上に甘やかに現れ
夕べを彩る あたかもきれいな娘が
いそいそと夢見がちに着飾るように
美しくなりたいと魂は不安に駆られ
空と大地に向かって万物が叫ぶ!
月の切実な訴えに鳥たちは押し黙り
海の反射はより煌めきを増す
柔らかい光を放つ月は残酷にも悟らせる
笑ったり泣いたりした日々は失われたと
夕暮れ 薔薇色の薄雲がゆっくり流れ 
夢見心地に美しい空に浮かぶ

オーストリアがナチス・ドイツに併合されたのは1938年。バルトーク:弦楽のためのディヴェルティメントはその翌年にスイスの山小屋で完成した。そして1940年にバルトークは妻と共にアメリカ合衆国に移住した。風雲急を告げる時代だった。

『ガイーヌ(ガヤネー)のアダージョ』は第1組曲に含まれるが、しばしば省略されて録音されたりしているので注意が必要。『2001年宇宙の旅』で木星探査宇宙船ディスカバリー号の船内でクルーが運動不足解消のためにジョギングしている場面で使用された。

『サイコ』は1960年に公開されたアルフレッド・ヒッチコック監督の同名映画のために作曲された。弦楽オーケストラのための物語は1968年にバーナード・ハーマンが新たに書いたコンサート用作品である。自作自演もあるし、サロネン/ロサンゼルス・フィルのアルバムがお勧め。あとベルリン・フィル・デジタル・コンサートホールではラトルの指揮で聴くことが出来る。

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2021年4月 6日 (火)

決定版!フルートの名曲・名盤 20選

僕は中学生の頃からフルートを吹いていた。高校まで吹奏楽部に入部していたし、社会人吹奏楽団にも数年間所属していた。だからある程度この楽器には精通しているつもりである。

フルートは木管楽器とされる。いや、でもちょっと待って!モダン・フルートの素材は金・銀・プラチナなどである(値段によって異なる)。実質的に現在は金管楽器なのだ。しかし歴史を遡ると、フラウト・トラヴェルソと呼ばれていた時代は正真正銘木製だった。1831年から1847年の間にドイツ人テオバルト・ベームにより開発されたベーム式楽器の登場で金属製に変わったのである。それはフルートの機械化であり、「サイボーグ化」と評した日本の某バロック・チェロ奏者もいる。フラウト・トラヴェルソ(バロック・フルート)時代は音階を作るために開けられた穴を(リコーダーのように)指で直接塞いでいたが、ベーム式では穴が大きくなり、可動式の蓋で覆うカバードキーが主流になった(詳しくはこちら)。この改良により、楽器の音が大きくなった。つまり教会や王宮の間、サロンといった小さな空間から、数千人を収容できるコンサートホールでの演奏が可能になったのである。ベーム式が生まれていなければ、軍楽隊やマーチングバンドなど屋外でフルートが活躍することは難しかっただろう。

フラウト・トラヴェルソは「横笛」を意味する。〈トラヴェルソ=横〉であり、英語ではtraverse。縦笛のリコーダーと対立する概念であり、フラウト・トラヴェルソ時代の音色はリコーダーにかなり近かった。だからバロック期のフルートのための楽曲は、しばしばリコーダーでも演奏される。例えばフランス・ブリュッヘンによる『ヴィヴァルディ:フルート協奏曲集』の録音はリコーダーによるもの。しかしリコーダーは大きな音が出ないので、ハイドンやモーツァルトなど古典派の時代以降衰退した。その過渡期を象徴する名曲が『テレマン:リコーダーとフルートのための協奏曲 ホ短調 TWV 52:e1』である。リコーダーの黄昏と、新しい楽器フルートの台頭が音楽の中でせめぎ合っている。

20世紀前半、フラウト・トラヴェルソ奏者はとっくに絶滅していた。フランス・ブリュッヘン、アンナー・ビルスマ(チェロ)らが古楽器を用いてピリオド・アプローチ(時代奏法)に取り組み始めたのは1960年代のことである。その復興運動にクイケン三兄弟(長男ヴィーラント:ヴィオラ・ダ・ガンバ、次男シギスヴァルト:ヴァイオリン、三男バルトルド:フルート)が加わり、1972年にラ・プティット・バンドを結成した。

ブリュッヘンは当初リコーダー奏者としてキャリアをスタートさせ、途中からフラウト・トラヴェルソ奏者としての腕を磨いた。しかし1981年に18世紀オーケストラを結成し指揮者に転向して以降はフラウト・トラヴェルソを吹くことがなくなり、彼が所有していた楽器の殆どを有田正広に譲渡した。バルトルド・クイケンはハーグ音楽院でフランツ・ヴェスターにフラウト・トラヴェルソを、ブリュッヘンにリコーダーを学んだ。 有田正広は1973年にオランダに留学し、フラウト・トラヴェルソをバルトルド・クイケンに師事した。ただし有田とバルトルドはどちらも1949年生まれ、同い年である。そして有田の教え子がバッハ・コレギウム・ジャパンの前田りり子や菅きよみ。つまりバロック・フルート奏者の第1世代がブリュッヘン、第2世代が有田とバルトルド、第3世代が前田や菅ということになる。

さて、これから紹介する楽曲の音源の良し悪しを見定める方法を指南しよう。バロック時代からモーツァルトまではモダン・フルートではなく、フラウト・トラヴェルソによる演奏をお勧めする。有田正広かバルトルド・クイケンが吹いているものは間違いなし。太鼓判を押せる。但し、モダン楽器でもベルリン・フィル首席奏者エマニュエル・パユの演奏なら文句なく素晴らしい。彼は古楽をノン・ヴィブラートで吹くなどピリオド(時代)・アプローチに長けている。また協奏曲では古楽器オーケストラと共演している。

ロマン派(ライネッケ)以降の作品ならエマニュエル・パユ、マチュー・デュフォー、シャロン・べザリー、オーレル・ニコレ、ジャン=ピエール・ランパル、パトリック・ガロワ、工藤重典らの演奏を推す。

パユの凄さは弱音の美しさにある。彼は吹く息を100%音に変換出来る類稀な能力を持っている。何はさておき彼の演奏を聴いて欲しい。

マチュー・デュフォーはかつてシカゴ交響楽団の首席奏者としてブイブイ言わせていた。2009年にグスターヴォ・ドゥダメルがロサンゼルス・フィルの音楽監督に就任するとデュダメルに懇願されロス・フィル首席奏者を兼任。2015年9月からはベルリン・フィル首席としてパユと共に活躍している。

シャロン・べザリーはイスラエル生まれのフルート奏者。彼女は12歳のときからムラマツのフルートを愛用しており、現在はムラマツ特製24Kゴールドを吹いている(詳しくはこちら)。

なお、僕は有田正広、バルトルド・クイケン、エマニュエル・パユ、マチュー・デュフォー、工藤重典の生演奏をコンサートホールで聴いたことがある。

まず手始めに、有田正広の『パンの笛〜フルート、その音楽と楽器の400年の旅』(2CD)からどうぞ。音楽配信サービスSpotifyでも聴けます。

Arita

ルネサンス期から現代音楽まで、作曲された時代に合った13本にのぼるフルートで演奏している。こんな芸当が出来るのは世界広しといえど、有田ただ一人ろう。伴奏楽器もイタリアンとフレンチのチェンバロ、フォルテピアノ、ピアノ(エラール)と使い分けている。特にF.クープラン作曲『恋のうぐいす』に注目!古(いにしえ)よりフラウト・トラヴェルソは鳥の声を模す楽器として使われた。その伝統はベートーヴェンの交響曲第6番『田園』第2楽章や、20世紀にプロコフィエフが作曲した交響的物語『ピーターと狼』にも引き継がれている。

ではフルートの名曲ベスト20を、ほぼ作曲された年代順に挙げていこう。

オトテール:(フルート・トランヴェルシェールとバッソ・コンティヌオのための)組曲第3番 ト長調 作品2の3 
・F.クープラン:王宮のコンセール第4番 
・J.S.バッハ:フルート・ソナタ ロ短調 BWV 1030 
・ルクレール:フルート・ソナタ ホ短調 Op.2 No.1 
・ヴィヴァルディ:フルート協奏曲「夜」「ごしきひわ」 
・ブラヴェ:フルート・ソナタ ニ短調 Op.2 No.2「ラ・ヴィブレ」
・テレマン:(無伴奏フルートのための)12のファンタジア 
・ラモー:コンセール用クラヴサン曲集からコンセール第5番 
・C.P.E.バッハ:フルート協奏曲 ニ短調 Wq.22
・モーツァルト:フルート四重奏曲 第1番
・ライネッケ:フルート・ソナタ「ウンディーネ」
・ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲 
・フォーレ:劇付随音楽「ペリアスとメリザンド」よりシシリエンヌ 
・ラヴェル:序奏とアレグロ 
・イベール:フルート協奏曲
・ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲(ジャン=ピエール・ランパル編)
・プロコフィエフ:フルート・ソナタ 
・プーランク:フルート・ソナタ
・ピアソラ:タンゴの歴史 
・武満徹:ウォーター・ドリーミング

バロック期のイタリアの作曲家、ヴィヴァルディやコレッリ、タルティーニはヴァイオリンを主体とする楽曲が多い。その一方、フランスの作曲家は相対的にフルートを使った楽曲が目立つ。イタリアは昔からヴァイオリン製作の伝統があり、ストラディバリ父子、グァルネリ一族、アマティ一族といった優秀な楽器製作者たちを輩出した。一方、有名なフルート奏者は大抵がフランス人かスイス人(フランス語圏)である。エマニュエル・パユとオーレル・ニコレ、ペーター=ルーカス・グラーフはスイス出身、マチュー・デュフォー、ジャン=ピエール・ランパル、パトリック・ガロワ、マクサンス・ラリューらはフランス人である。

ジャック・オトテールはフランス盛期バロック音楽の作曲家でありフルート奏者。管楽器職人の家庭に生まれた生粋のパリジャンである。彼は沢山のフルートのための音楽を作曲し、フラウト・トラヴェルソ(楽器)の改良にも貢献した。1708年に出版された組曲 第3番は6曲から成り、〈サン・クルーの滝/ラ・ギモン/無関心な人/嘆き/かわいい子/イタリア女〉という副題が付いている。

フランソワ・クープランはオルガニスト、クラヴサン奏者としてルイ14世に仕えた。フランス印象派のモーリス・ラヴェルが作曲した『クープランの墓』(ピアノ独奏曲、後に管弦楽版に編曲された)はクープランが活躍した時代に思いを馳せた作品である。『王宮のコンセール』に楽器の指定はない。様々な種類の楽器を組み合わせた編成で録音されている。例えばオーボエ、チェンバロ、ヴィオラ・ダ・ガンバ。あるいはオーボエ、チェンバロ、ファゴット。チェンバロとヴィオラ・ダ・ガンバのみというのもある。1714-15年にヴェルサイユ宮殿で日曜に行われていた演奏会ではクープラン自身がチェンバロを弾いて、他にヴァイオリン、オーボエ、フルートといった面々で演奏された。因みにコンセールとはバロック音楽におけるフランス式の管弦楽組曲を指す。お勧めの音源はサヴァール/コンセール・ド・ナシオン。工藤重典(フルート)とリチャード・シゲール(チェンバロ)の演奏も好い。

ヨハン・ゼバスティアン・バッハのロ短調ソナタは1717年から1723年、ケーテンの宮廷楽長だった頃の作品だろうと言われている。大バッハの音楽にはゴシック建築のような堅固さ、数学的緻密さがある。そして音符が規則正しく動く楽譜自体が美しい。まるで幾何学模様だ。凛とした佇まいの楽曲。

ルクレールのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ集

    第Ⅰ巻:作品1(12曲) 第Ⅱ巻:作品2(12曲) 第Ⅲ巻:作品5(12曲) 第Ⅳ巻:作品9(12曲) 

のうち、9曲が楽譜に「フルートでも演奏可能」と指示されており、フルート・ソナタとして知られている。雅(みやび)で上品、そして、そこはかとなく哀しい。ルクレールはルイ15世より王室付き音楽教師に任命されるが、地位をめぐる内部抗争で辞任、ハーグの宮廷楽長となった。しかし晩年は貧民街に隠れ住むようになり、惨殺死体となって発見されるという劇的最後を遂げる。犯人は未だ不明。なんともミステリアスだ。

「疾風怒濤」といえばドイツ語のSturm und Drang(シュトルム・ウント・ドラング)の訳語で、十八世紀後半のドイツの文学運動を指す。だから「疾風怒濤の音楽」といえばハイドンの中期交響曲(26番-59番)やC.P.E.バッハの独壇場なのだが、僕はイタリアの作曲家ヴィヴァルディの音楽も疾風怒濤という表現が当てはまるように思う。フルート協奏曲『海の嵐』『ごしきひわ』『夜』等にもその感じが良く出ている。『ごしきひわ』はタイトル通り、鳥の鳴き声を模倣している。

ミシェル・ブラヴェはルイ15世時代に宮廷などで活躍したフルート奏者・作曲家。1732年に出版された作品2のソナタ集はフランス様式とイタリア様式を融合させるという考えの基に作曲された。Op.2,No.2 "La Vibray"はフランス語で振動や声や音の反響や、心の震え・揺さぶりなどを表す。快活で清涼。爽やかな一陣の風が吹き抜けるよう。愁いを湛えたOp.2,No.4『ルマーニュ』や、1740年に出版された作品3の第2番、第3番、第6番も好い。“ギャラント”(華麗な、優美な)様式が押し進められ、楽章数が少なくなり、より近代的になっている。

テレマンのファンタジー(幻想曲)は12の異なる調性が用いられており、無伴奏というのが野心的で、遊び心がある作品。J.S.バッハのイ短調パルティータ、次男C.P.E.バッハのイ短調ソナタと並んで、18世紀の無伴奏フルート独奏曲三大傑作の一つ。ある意味宇宙的広がりを感じさせる。

ラモーの『コンセールによるクラヴサン曲集』はヴァイオリン+ヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)+クラヴサン(チェンバロ)あるいは、フルート+ヴァイオリン+ヴィオラ・ダ・ガンバ+クラヴサンという編成による合奏曲集。クラヴサンのパートを伴奏(通奏低音)としてではなく、独立した声部として扱った最初期の作品のひとつとされる。ルイ15世(1715-74在位)時代ののロココ趣味を反映した華やかな世界を堪能されたし。有田正広のCDが代表盤だが、バルトルド・クイケンやランパルの録音もある。なおクラヴサンはフランス語で、ドイツ語とイタリア語がチェンバロ、英語ではハープシコードとなる。

C.P.E.バッハはJ.S.バッハの次男。先に書いたように彼の音楽的特徴は「疾風怒濤」であり、その資質はハイドンに受け継がれた。無伴奏ソナタも傑作なのだが、ここは荒れ狂い躍動感に満ち溢れたニ短調の協奏曲を推す。独奏者とオーケストラの丁々発止のやりとりを堪能して頂きたい。

天衣無縫の作曲家モーツァルト。フルートとハープのための協奏曲も好いのだが、ここは意外と知られていない名曲、フルート四重奏曲 第1番を推す。清涼感があり、癒やされる。

ライネッケはドイツ・ロマン派の作曲家。1824年生まれなのでブラームスより9歳年長である。フルート・ソナタ『ウンディーネ』は1881年の作品。ウンディーネは水の精霊。事前にフリードリヒ・フーケの同名小説か、ジロドゥの戯曲『オンディーヌ』を読まれておくと、曲を聴きながらイメージが湧くだろう。そしてこの幻想的雰囲気は『ペレアスとメリザンド』に継承されていく。

ドビュッシーは無伴奏フルート作品『シランクス』を取り上げるべきかも知れない。元々は劇の付随音楽で当初『パンの笛』と名付けられていた。で管弦楽曲『牧神の午後への前奏曲』の牧神=パンであり、やはりフルート・ソロがパンの笛の役割を果たしている。幻想的で美しい曲だ。

フォーレの有名なシシリエンヌはメーテルリンクが書いた戯曲『ペレアスとメリザンド』の付随音楽である。劇は1893年にパリで初演された。フォーレの楽曲は1898年のロンドン公演(英語上演)で初披露となった。『ペレアスとメリザンド』はシベリウスも劇付随音楽を作曲しており、ドビュッシーによるオペラ版、シェーンベルクによる交響詩もあるので、聴き比べてみるのも一興だろう。

ラヴェル『序奏とアレグロ』はハープとフルート、クラリネットおよび弦楽四重奏のための七重奏曲。エラール社のダブル・アクション方式ペダルつきハープの普及のために同社より依嘱された作品なので、言わずもがなハープが大活躍する。しかしフルートも大変印象的な、珠玉の室内楽曲である。

イベールのフルート協奏曲は1934年に初演された。20世紀に生み出されたこのジャンルの最高傑作である。一言で評すなら軽妙洒脱。

ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲は1940年にダヴィッド・オイストラフの独奏で初演された。後にジャン=ピエール・ランパルがハチャトゥリアンにフルート協奏曲の作曲を依頼したところ高齢のため(当時65歳)新作は断ったものの、ヴァイオリン協奏曲の編曲を提案した。そこでランパルはフルートで吹くのは不可能な部分(低音や重音)を直して1968年に初演した。だからオリジナル作品ではないが、作曲家の「お墨付き」を得たアレンジである。英語では"edited by Jean-Pierre Rampal"と表記されている場合もあるので、「ランパル編集」の方が相応しいかも知れない。実は以前企画した記事〈決定版!ヴァイオリンの名曲・名盤 20選〉に大好きなこの曲を入れ損なったので、この機会に罪滅ぼしをしたい。ハチャトゥリアンはアルメニア人。バレエ音楽『ガイーヌ』の“剣の舞”や、浅田真央がフィギュアスケートのショート・プログラムで使用した劇音楽『仮面舞踏会』の“ワルツ”が有名。地方色豊かな作曲家である。

プロコフィエフのフルート・ソナタは第二次世界大戦中、独ソ戦のため作曲家がモスクワを離れて疎開していた時期に書かれ、1943年に完成した。初演を聴いたダヴィッド・オイストラフがプロコフィエフにヴァイオリン・ソナタに改作するよう熱心に勧め、翌44年にヴァイオリン・ソナタ第2番としてオイストラフとオボーリンが初演した。

有史以来、数あるフルート・ソナタの中でエスプリの効いたプーランクのソナタこそ紛れもない最高傑作だと信じて疑わない。宝石の輝き。1957年に完成し、ジャン=ピエール・ランパルのフルート、作曲家自身のピアノで初演された。コンサートホールで行われるフルート・リサイタルで現在一番人気の曲である。村上春樹の著書によると、プーランクは「私の音楽は、私がホモ・セクシュアルであることを抜きにしては成立しない」と語っていたそうだ。

アルゼンチン・タンゴの作曲家としてのみならず、バンドネオン奏者としても超一流だったアストル・ピアソラ。『タンゴの歴史』は1982年にベルギーで開催されたリエージュ国際ギターフェスティバルにおいて初演されたフルートとギターのための二重奏曲である。第1楽章“売春宿 1900”はブエノスアイレスの場末。第2楽章“カフェ 1930”の舞台は多分パリじゃないかな。ピアソラはこの花の都に留学し、ナディア・ブーランジェに師事した。そして第3楽章が“ナイトクラブ 1960”。1960年はピアソラがそれまで活躍の拠点としてたニューヨークからブエノスアイレスに帰国し、初めてキンテートを結成した年なので、どちらかの都市のナイトクラブを想定していると思われる。この年に作曲されたのが名曲『アディオス・ノニーノ』。タンゴ・ヌーヴォの誕生である。第4楽章“現代のコンサート”で時代は(作曲された時点では近未来の)1990年に飛び、タンゴは現代音楽と入り交じる。フルートは無調と調性音楽の間を曖昧模糊として揺蕩(たゆた)い、メロディ・ラインは消失する。本作は工藤重典のフルート、福田進一のギターで1984年に東京/音楽之友社ホールで日本初演された。その会場に武満徹も聴きに来ていたという。

武満徹『ウォーター・ドリーミング』はフルートとオーケストラのための10分程度の作品で、1987年に初演された。詳しい解説は下記事に書いた(イメージを喚起する写真付き)。

作曲法を独学で物にした武満はドビュッシーから多大な影響を受けている。だから『夢見る雨』『雨の樹』『雨の庭』『雨ぞふる』『海へ』『From me flows what you call time(私から”夢”と呼ばれるものが流れ出す)』等々、水をテーマにした作品が非常に多い(一方のドビュッシーには『海』『雨の庭』『水の反映』『水の精』『小舟にて』『沈める寺』といった作品がある)。 形が定まらない曖昧な存在、ゆらぎへの親近感こそ、武満の音楽の本質であると言えるだろう。またオーレル・ニコレのために作曲された無伴奏フルート独奏曲『声(ヴォイス)』『エア』といった作品もあり、特に1995年の『エア』は遺作となった。

エマニュエル・パユがテレマン『12の幻想曲』を順に並べ、間に20世紀以降の作品を挟み込んでいくという大変ユニークなソロ・アルバムを作成しており、武満の『声』『エア』も収録されている。これ、オススメ。

Solo

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2021年3月10日 (水)

鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン「ヨハネ受難曲」@いずみホール

2月20日(土)いずみホールでJ.S. バッハ作曲『ヨハネ受難曲』を聴いた。

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演奏は鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン。独唱は松井亜希(ソプラノ)、久保法之(アルト)、櫻田 亮(エヴァンゲリスト)、谷口洋介(テノール)、加耒 徹(バス)。

当初は外国人の独唱者が4人来日する予定だったが、新型コロナウィルス感染拡大の影響で不可能となり、全員が日本人となった。クオリティの低下が危惧されたが、特に問題なく杞憂に終わった。

諦念と憂愁に彩られた『マタイ受難曲』に対して、『ヨハネ受難曲』は激しい怒りに満ちていて熱い。火の玉のようだ。そして鈴木雅明の資質にはそんな『ヨハネ』の方が似合っているのではないか、と改めて思った。なお僕は鈴木/BCJの演奏する同曲を2007年4月7日(土)に神戸松蔭女子学院大学チャペルで聴いている。

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2020年5月21日 (木)

わが心の歌 25選 ③シャンソン「聞かせてよ愛の言葉を」と武満徹「小さな空」の関係

「聞かせてよ愛の言葉を( Parlez-moi d'amour )」は1930年に生まれたシャンソン。リュシエンヌ・ボワイエ( Lucienne Boyer ) が歌った。

20世紀の日本を代表する作曲家・武満徹は第二次世界大戦中の1945年8月初め、学徒動員で招集された陸軍食糧基地でこの歌に出会った。見習士官の一人が、手持ちの蓄音機を使ってこっそり内緒で敵国のレコードをかけたのである。中学生(14歳)の出来事だった。 その時のことを彼は次のように回想している。

それは、当時、私たちが接していた音楽というものと、まるで違うものだったのです。そのころ私たちはほとんど軍歌ばかり歌わされていたし、それに音楽も、敵性音楽といった欧米のほとんどの音楽は禁止されていました。その時、見習士官が私たちに聴かせてくれたのが、いま思えばフランスのシャンソンで、『パルレ・モア・ダアムール』(聞かせてよ、愛のことば)という歌でした。それは私にとっては初めて知った、軍歌とはまるで違う別の、しかも甘美な音楽でありました。それを聴いて、こんな素晴らしい音楽がこの世にあったのかと思いました。そのことが終戦になってからも忘れられなくて、音楽に自分の関心が集中してきました。

武満徹「私の受けた音楽教育」

Spotifyで聴くにはこちら。他のサブスクで検索する場合は日本語でなく、"Parlez"や"boyer"といったキーワードを入力するほうが確実に見つけられるだろう。

こんな歌詞だ。

聞かせてよ、愛の言葉を
優しく囁いて
あなたの美しいお話
聞き飽きたりなんかしない
何度でも繰り返して
その至福の言葉を
愛してると

知っているでしょ
私が心の底では信じてないのを
それでもまだ聞きたいの
愛撫するあなたの声で
私の大好きな言葉を
私は美しいお話に動揺し
心ならずもそれを信じたくなる

聞かせてよ、愛の言葉を
優しく囁いて
あなたの美しいお話
聞き飽きたりなんかしない
何度でも繰り返して
その至福の言葉を
愛してると

甘いささやきが、私の心をときめかす
空想上の生き物(シメール)を信じなかったら
ときに人生はつらいもの
でも安心させてくれる誓いの言葉を聞けば
悲しみは薄らぎ
口づけで心の傷は癒やされる

(第一節 繰り返し)

優しく慰撫するような歌声である。僕は終戦間近の日本の夏の日に、額に汗を浮かべながら陶然として78回転SPレコードに聴き入る武満少年の姿を幻視する。これが彼にとって音楽人生の出発点となった。

詩人・塚本邦雄はこのボワイエの歌唱を次のように評している(文中に出てくるメレとはスペインの女性歌手ラケル・メレのこと)。

......エメラルドとオパールが花影で觸れ合ひ煌めき合ふやうな美しい曲は、彼女がこの世に獻じた不壊の供物である。(中略)ジャン・ルノワールの曲もほとんど完璧であり、ボワイエの技巧も間然とするところがない。メレが蜜の甘さならボワイエは良質の冰糖の甘さ、その甘さに混るのは仄かな苦みである。

塚本邦雄「銀色のリラ リュシエンヌ・ボワイエ論」

武満徹(1930-1996)はストラヴィンスキーに認められ、ニューヨーク・フィルが初演した「ノヴェンバー・ステップス」など日本を代表する現代音楽作曲家として世界に名を轟かせたが、同時に「うた」の世界も忘れなかった。武満の「うた」は基本的に調性音楽で、大変聴き易い。中でも僕が一番大好きなのが「小さな空」。作詞も武満が手がけた。山田和樹/東京混声合唱団の演奏でどうぞ(こちら)。独唱バージョンもまた違った味わいがある(こちら)。他にも、混声合唱のための「うた」に収められた色々な曲を聴いてみてください。また、あまり知られていないが五木寛之(原作)小林正樹(監督)の映画「燃える秋」主題歌も哀愁が漂っていて良い(こちら)。ハイ・ファイ・セットが歌い、アレンジは別人の手による。

一方、武満のオーケストラ曲なら「夢の時(ドリームタイム)」と「系図ー若い人のための音楽詩」(谷川俊太郎が手がけた詩の朗読あり)の収録されたこちらのアルバムとか、「ウォーター・ドリーミング」の入ったこちらをお勧めする。

最後に、僕が推すシャンソンの名曲をいくつかご紹介しておく。

  • シャルル・トレネ Charles Trenet が歌う「ラ・メール ( La mer ) 」←「海」のこと。
  • エディット・ピアフが歌う「ばら色の人生 ( La Vie en rose )」「水に流して ( Non, je ne regrette rien )」「群衆 ( La Foule )」「パダム・パダム ( Padam padam )」
  • イヴ・モンタンが歌う「枯葉 ( Les Feuilles mortes )」「パリの空の下 ( Sous le ciel de Paris )」
  • ミレイユ・マチュー Mireille Mathieu が歌う「パリは燃えているか ( Paris en colère )」←同名映画の主題曲に歌詞を付けたもの。直訳すると「怒れるパリ」。Spotifyではこちら
  • 加藤登紀子が歌う「さくらんぼの実る頃」←パリ・コミューン時代の流行歌。宮崎駿監督『紅の豚』で使用された(こちら)。
  • ジャン・アヌイ(詞)フランシス・プーランク(曲)「愛の小径( Les chemins de l'amour )」ジェシー・ノーマンの歌唱でどうぞ(こちら)。

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2020年5月 2日 (土)

新型コロナウィルスにより、変わりゆく世界の中で

新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐため、安倍晋三首相が全国すべての小中高校に3月2日から臨時休校することを求めたのが2020年2月27日。この時点で各地コンサートホールでの演奏会や演劇の公演が次々と中止になった。

コンサートを開催できない状況が続く中、僕が生演奏を聴いたこともある(@びわ湖ホール)、ヴァイオリニストの成田達輝が次のようなツィートを投稿した。

ここには記事〈新型コロナウィルスと”浮草稼業"〉に書いた、落語家・桂米團治(先代)が弟子の米朝に諭した言葉 ー好きな芸をやって生きているのだから、末路哀れになっても仕方がないー という覚悟・諦念がある。実に立派だと思う。たかだか劇場が1,2ヶ月閉鎖されただけで「演劇の死」などと大げさなことをほざく野田秀樹には彼の爪の垢を煎じて飲んでもらいたい。

ベルリン・フィル第1コンサートマスターを務める樫本大進はNHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」緊急企画(4月28日放送)の中でこう述べた。

コロナになる前は、音楽なしでは生きていけないと思っていました。本当に。社会的にも、僕自身だけじゃなく、音楽なしでは地球が回らなくなると思っていました。それを信じていましたから。でもそうではないんだなって、この1ヶ月ですごく分かって。自分でもそうじゃないんだなって、それよりもっと大事なものがいくらでもあるんだと。自分の健康から、家族の健康から、周りの人たちの健康から。ここまで自分の存在が使えないもの、必要ないもの、存在がないって感じたのは今回が初めてですし、3月の終わりの方ぐらいにすごく悩んだことでもありますし、「この仕事でいいのかな」とか反対に思っちゃいますし。

しかし一方で、自宅待機の生活が長く続く間にこういう感情も芽生えたという。

自分が弾きたくなったという気持ちがあって。今まで常に弾いているから、練習しなきゃではなく、コンサートしなきゃではなく、本当にただ自分のために弾きたいなっていう気持ちは、そこまで今まで味わったことがなかったので。僕でも必要と思っているということは、もっと必要と思ってくれている人がいっぱい外にはいるんだと考え始めました。(中略)文化を必要としているのは社会だと思う。心を失ったら社会は死んでしまうので、その心を生き残らせるために上からのサポートが必要というのは、ひとりひとりが叫ばなきゃだめだと思います。本当は今一番音楽っていうのが必要なものだと僕は思っています。一番生活に必要なくて、一番生活に必要なものだと、僕は信じています。

そして最後に視聴者へのメッセージ。

コロナっていう手ごわい相手に全員で戦っている状況です。みんなが闘っているということは、全世界がひとつになれるチャンスだと。気持ちを、みんなでひとつになれるような状況を作って、コロナを倒したあともっともっとすごい世界になれるように頑張りたいと思います。

精神科医・医学博士である高橋和巳が著書「人は変われる」(ちくま文庫)で書いたように、新型コロナ禍という絶望を経験することで自分を客観視できるようになり、現実をあきらめることで「新しい解釈」が生まれ、古い自分を乗り越えて新しい行動を取り始める姿がここに写し出されている(記事〈新型コロナウィルスという災厄の中から生まれるもの〉を参照されたし)。

日本では「自粛疲れ」が蔓延し、ウィルスに対する不安や恐怖心に押し潰され、世界中のサッカー選手にうつ病が急増したり、パニック/ヒステリー状態に陥った人々も少なくない。なんだか世間全体がピリピリしている。

  • 2月18日、福岡市の地下鉄でマスクを着用せずにせきをしていた乗客がいたことを理由に隣の乗客と口論となり、非常通報ボタンが押され列車が停止した。
  • 2月25日、横浜市のドラッグストア「マツモトキヨシ」に開店前からマスク買うために並んでいた列に割り込みがあり、殴り合いの喧嘩になった(その動画がマスコミで報道された)。
  • 大阪府警に「飲食店でくしゃみをしたことが発端でもめた」などの通報が相次いでいる。(4月26日サンケイスポーツより)
  • 4月28日、ブラジルのスーパーで男性客が店員にマスクをしていないことをとがめられて激高。店員を殴り倒した。止めに入った警備員にも殴り掛かり、警備員が拳銃を発砲、居合わせた女性店員の首に弾が命中し死亡した(この日州法で、公の場でのマスク着用が義務付けられた)。

しかし、悪いことばかりではない。

  • インド北部のパンジャブ州では新型コロナウイルス対策のロックダウン(都市封鎖)で全土の大気汚染が大幅に改善し、200キロ近く離れたヒマラヤ山脈が数十年ぶりに見晴らせるようになった。
  • 国際エネルギー機関(IEA、本部パリ)は4月30日、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受け、2020年のエネルギー関連の二酸化炭素(CO2)排出量が前年比約8%減少するとの見通しを公表した。米スタンフォード大学のロブ・ジャクソン教授は、この50年間でこれだけの効果を上げた危機は他にはなかったと語った。もしかしたら、地球温暖化の速度が緩むかも知れない。
  • 日本で各種学校の休校が長期化する中、 全国知事会でこの際9月入学に移行するべきだという意見が多く出された。僕は従来どおり、桜が咲く4月入学の方が情緒的には相応しいと考えるが、世界的標準に合わせた9月入学だと海外留学がしやすくなるなどメリットも見過ごせず、新型コロナ禍なくしてこういった議論も有り得なかったわけで、大変有意義なことだと思う。
  • 今回の騒動がきっかけで、オンライン授業やテレワークなどシステム環境の整備が一気に加速した。この経験は業務や学業が通常通り再開された後も、決して無駄にはならないだろう。

5月1日、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は当初イスラエルの都市テル・アヴィヴで予定されていたヨーロッパ・コンサートを新型コロナウィルスの蔓延により断念し、急遽会場を本拠地フィルハーモニーに移して無観客で実施、全世界に無料中継された。指揮はキリル・ペトレンコ、樫本大進がコンサートマスターを務めた。僕はリアルタイムで鑑賞。前半はアルヴォ・ペルト「フラストレス」、サミュエル・バーバー「弦楽のためのアダージョ」など弦楽合奏曲で、15人の奏者が間隔を2mくらい取り、十分なSocial Distance(社会的距離)を保って演奏した。真摯な祈りの気持ちがこもった、大変美しく感動的なパフォーマンスだった。プログラム後半、マーラーの交響曲第4番はエルヴィン・シュタインによる室内オーケストラ版。なんと独唱者(クリスティアーネ・カルク)を除いてたった14人!第1/第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスが1名ずつ、金管なし、木管がオーボエ、フルート、クラリネット各1名、そしてピアノ2名、ハルモニウム、打楽器という編成。〈音楽の力〉の凄みを、まざまざと見せつけられた!ただただ脱帽である。

コロナ禍の影響で倒産するホテル・飲食業・スポーツジム・ライブハウス・ミニシアター(映画館)は少なからずあるだろう。東京や大阪のオーケストラ、劇団で存続が困難になることろも出てくるだろう。仕方がない、あきらめるしかない。しかし、全部潰れるわけではない。気の毒だけれど、僕はダーウィンの進化論が言うところの「自然選択/自然淘汰」だと思う(ウィルス=自然)。優れたものだけが生き残るのだ。ミニシアターがなくなろうが、動画配信サービスがその代わりを担ってくれるだろう。4つある在阪オーケストラは統合して数を減らせば良い。その方が質も向上する。これが「新しい解釈」だ。

僕たちは今、世界恐慌や第二次世界大戦、あるいは「黒死病」と呼ばれるペスト(エボラ出血熱、マールブルグ病などウイルス性出血熱という説もあり)が大流行した中世ヨーロッパに匹敵する大きな困難に直面している。出口はなかなか見えてこない。しかし物事には暗い側面と、明るい側面がある。ピンチはチャンスだ。映画「風の谷のナウシカ」のラストシーンで描かれたように、絶望の中からも必ず希望の芽は生えてくる。僕はこの先、どんな新しい世界が広がっていくのか、とても胸を躍らせている。だから、(世界が生まれ変わる)その日が来るまでおとなしく"Stay Home"を守り、なんとか生き延びようではないか!

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2020年4月 8日 (水)

新型コロナウィルスという災厄の中から生まれるもの

新型コロナウィルスが世界中で蔓延し、遂に日本でも緊急事態宣言が発令されるに至った。

僕が小学生だった頃(昭和)、学校(岡山大学教育学部附属小学校)で「戦争を知らない子供たち」(作詞:北山修/作曲:杉田二郎)を歌わされた。こんな歌詞だ。

戦争が終わって 僕らは生まれた
戦争を知らずに 僕らは育った
おとなになって 歩きはじめる
平和の歌を くちずさみながら

如何にも日教組の教員が好みそうな内容だ。

しかし僕は今思う。2020年に僕らは戦争を体験した。現在世界は戦時下にある。

日々犠牲者が増加し、外出も制限され、多くの人が仕事もままならない。ほぼ戦争状態と変わらない。緊急事態宣言≒戒厳令であり、敵は目に見えないウィルスだ。

演奏会が中止になったオーケストラの楽員が「僕たちは不要不急。要らないって、言われているみたいで悲しい」と発言している様子がテレビで報道された。

ようやく気がついたか。音楽とか演劇がなくても人は生きていける。今回のような生命に関わる非常事態を迎え、扱いが二の次になることは当たり前だ。生演奏の代替品として今はCDやSpotify,Amazon Musicなど定額制音楽配信(サブスクリプション)サービスがあるしね。

芸術は心の豊かさをもたらしてくれる。しかしそれには大前提があって、「生活や心に余裕がある時」に限られる。3・11東日本大震災の際、東北の人々を励ますために芸術家たちが訪れたのも直後ではなかった。落語や漫才で人々が朗らかに笑えるようになるにも時間が掛かる。

上記事で「パニックになった時、人の本性は現れる」と僕は常々思っていると書いた。2020年3月以降、20−30歳代の若者たちの無軌道ぶりが目に余る。1月以降に大学から海外渡航を控えるよう注意喚起されていたにもかかわらず卒業旅行としてヨーロッパに行き、新型コロナウィルスを日本に持ち帰り、症状があったのに卒業式や祝賀会に出席してウィルスをばら撒いた県立広島大学や京都産業大学の4年生たち。小池百合子・東京都知事が緊急会見で外出自粛を要請した翌日の3月26日に約40人が都内のダイニングバーで「お疲れ様会」なる懇親会を開催。会は三次会まで続き、最後はカラオケだったという慶応病院の研修医たち(18人が集団感染した)。同じ3月26日にナイトクラブを訪れて感染した岐阜大学の医師3人(30代2人、20代1人)。おかげで岐阜大学附属病院は4月19日まで約30あるすべての診療科の外来診療を休止することになった。

彼らは心の内にある欲望が外部に溢れ出ることを制御出来ない。遊びたくて仕方がないー本能の命ずるまま生きている。自分さえ良ければ満ち足りるのだ。他者のことは一切考えない。そして「自分は絶対大丈夫」という変な自信、万能感を持っている。これが若さの本質であり、愚かしさ、未熟さなのだ。

僕が思うに新型コロナウィルスとの戦いに勝ち抜いた暁に、世界は大きく変わっているのではないだろうか?今回の事態は間違いなく、1929年の世界大恐慌や、1939年に勃発した第二次世界大戦に匹敵する危機的状況である。第二次世界大戦の前後で、特にドイツと日本は劇的な変化を遂げた。それも良い意味において。ピンチはチャンスだと考えたい。

精神科医・医学博士である高橋和巳はその著書「人は変われる」(ちくま文庫)の中で、心には三つの能力がある、と記している。

第一の能力は、自分から離れることができる(自分を客観視できる)能力。第二の能力は、絶望することができる能力。そして第三は、純粋性を感じることのできる能力。現在の解釈を越えてより深い「新しい解釈」を生み出すことで、人は古い自分を乗り越えていく。

人が絶望的状況に直面した時、対処するためのキーワードは「どうしようもない」と「あきらめました」。この言葉を呟くことで頭の中に配置の転換が起こる。現実をあきらめることで、自分に対する自信を取り戻す。そして新しい行動を取り始めるのだ。

文庫本の解説を書いた女優・中江有里は「あきらめました」を、大きな嵐をやり過ごすための魔法の言葉だ、と述べている。

第三の純粋性を感じる能力とは、思い込みや過去の自分の常識に縛られないで、新しい心の動きを感じることができることを指す。

多くの人々は現在、新型コロナウィルスに対して絶望的な気持ちを抱えている。しかしこの苦境を乗り越えることできっと「新しい解釈」「新しい自分」を見出すだろう。僕らはまだまだやれる。決してへこたれない。

北米では殆どの映画館が閉鎖になっている。そして再開されても以前のように観客は戻ってこないと予想されている。「映画は映画館で観るもの」という固定概念・過去の常識がここで一気に雲散霧消する。日本でもライブハウス同様、多くのミニシアターが閉館に追い込まれるだろう。仕方がない、あきらめた。動画配信時代の到来である。

また、新日本フィルハーモニー交響楽団が新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から演奏会の中止・延期を余儀なくされており、楽団存続の危機に立たされている(緊急支援のお願いページへ)。大阪府にある4つのオーケストラ(大阪フィル、関西フィル、大阪交響楽団、日本センチュリー交響楽団)も似たような状況だろう。どこかが経営難で解散に追い込まれても不思議じゃない。仕方がない、あきらめた。そもそも下手くそなオケが大阪に4つもあるなんて無駄、不経済なのである。1つや2つなくなったって文化の火は消えないし、今こそ発想の転換を図るべき時なのだ。新型コロナウィルスで野田秀樹氏が言うような「演劇の死」は訪れないし、クラシック音楽だって死なない。どっこい生きている。

お荷物になっている在阪オケをどうするかという問題については随分昔から俎上に載せられてきた。2006年に関西経済連合会の秋山喜久会長(当時)が「大阪に4つもあるのはどうか」と語ったことに端を発する。

さらに橋下徹氏が大阪府知事・大阪市長を努めた時代に、大阪センチュリー交響楽団に対して大阪フィルと統合するよう促したが、両楽団が突っぱねて見送られたという経緯がある。そうして大阪センチュリーは日本センチュリー交響楽団に改名した。

しかし悪あがきはもうおしまいだ。 火急の事態が逼迫しており、即座の対応が求められる。あなた達は「不要不急」の存在なのだから、経営の合理化を目指して前向きに統合についての話し合いを進めてもらいたい。今こそ生まれ変われ!

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2020年3月25日 (水)

ベルリン・フィルのメンバーによる室内楽 〜ピアノ四重奏の夕べ〜(東京は無観客ライブ・ストリーミング配信/大阪は公演決行!)

3月16日(月)大阪のザ・フェニックスホールへ。

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実はその前日15日(日)に東京・春・音楽祭でも同じプログラムでコンサートが予定されていたが、新型コロナウィルス感染拡大のため公演中止となり、東京文化会館 小ホールから【無観客ライブ・ストリーミング配信】された。大阪では幸運にも実演が聴けたというわけ。

曲目は、

  • モーツァルト:ピアノ四重奏曲第1番
  • フォーレ:ピアノ四重奏曲第1番
  • ドヴォルザーク:ピアノ四重奏曲第2番

メンバーはヴァイオリン:ガイ・ブラウンシュタイン(元ベルリン・フィル第1コンサートマスター、イスラエル生まれ)、ヴィオラ:アミハイ・グロス(ベルリン・フィル首席奏者、イスラエル生まれ)、チェロ:オラフ・マニンガー(ベルリン・フィル ソロ・チェロ奏者、ドイツ生まれ)、ビアノ:オハッド・ベン=アリ(イスラエル生まれ)。

ベルリン・フィル|デジタル・コンサートホールで見慣れた面々である。

しかしこうしてプロフィールを眺めると、ベルリン・フィルの弦楽器奏者はユダヤ人が多いのだなということに気付かされる。現在、第1コンサートマスターを務める樫本大進や首席ビオラ奏者・清水直子をはじめとして日本人奏者も沢山いて、ユダヤ人+日本人がヴァイオリン・ヴィオラのセクションに占める割合は相当高いのではないだろうか?さすが〈弦の国〉だ。

ところが一方、面白いことにベルリン・フィルの低弦:つまりチェロとコントラバス奏者に日本人は一人もいない。ヴァイオリン・ヴィオラは得意だけれど、低弦は苦手という現象は一体全体どういうわけ??誰か事情にお詳しい方、ご教示頂ければ幸いである。閑話休題。

ウィーンの音楽家たちによる角が取れ、馥郁たる香り漂う演奏と異なり、重厚で厳格なモーツァルトだった。こういうのも悪くない。

フォーレは水を得た魚のようにピチピチと跳ねる。第一楽章は靄がかかった中から音楽が立ち現れ、第二楽章のスケルツォは鋭い。

全体を通して改めて感じたのは、室内楽とは対話なのだなということ。耳を澄ませてお互いの声をよく聴き、邪魔しない。その〈親密さ Intimacy〉こそ最大の魅力である。

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2020年3月13日 (金)

クラシック音楽をどう聴くか?〜初心者のための鑑賞の手引き

クラシック音楽に興味があるけれど、どう聴いたら良いのサッパリかわからない、途方に暮れるという若い方、特に中学生・高校生に向けてこれを書いてみようと思う。勿論、大人の初心者の方も大歓迎だ。出来る限りわかり易く、奥深い森への道案内をしたい。

記事全体の構成をご紹介しよう。①「まず、何から手を付けたら良いの?」……取っ掛かりに最適の曲をご紹介する。②映画を大いに活用しよう!……ぼんやり観ているだけで良いので即効性があり、とっても効果的だ。③「演奏時間が30分以上もある交響曲とかソナタを、どう受け止めれば理解出来るの?」……そのコツを伝授する。意外と簡単。

では早速始めよう。

①「まず、何から手を付けたら良いの?」

僕の経験からお話しよう。最初にクラシック音楽って楽しい!と開眼したのは小学校4,5年生の頃。切っ掛けはヴィヴァルディの「四季」だった。

初心者にとって長大なクラシック音楽は雲を掴むようで覚束なく、聴いていると眠くなってしまう。抽象的で、具体的な絵とか形(目に見えるもの-vision)や物語がないからである。しかしヴィヴァルディの「四季」は標題音楽であり、物語がある。それを読みながら聴けば、情景が目に浮かんでくる。CDの解説書を読めば良いのだが、最近はSpotify,Amazon Musicなど定額制音楽配信(サブスクリプション)サービスを利用している方も多いだろう。そういう場合に便利なのがWikipediaである。「四季」の解説はこちら。【ヴィヴァルディ】【四季】でgoogle検索すれば、直ぐ見つけられる(キーワードに【wiki】 を加えても、加えなくても良い)。おすすめの演奏は◎ビオンディ/エウローパ・ガランテ、◯スタンデイジ/ピノック/ イングリッシュ・コンサート、◯カルミニョーラ/ヴェニス・バロック・オーケストラといったところ。

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ヴィヴァルディ「四季」に似た趣向の作品としてベートーヴェン:交響曲第6番「田園」が挙げられる(【ベートーヴェン】【田園】でググる=google検索)。お勧めの演奏は◎ベーム/ウィーン・フィルか、◯ネルソンス/ウィーン・フィル、◯パーヴォ・ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィル。同じベートーヴェン:交響曲第5番「運命」は苦難(第1楽章 ハ短調)を乗り越えて歓喜(第4楽章 ハ長調)へ!という明快なコンセプトがあるのでこれも判り易い。◎クライバー/ウィーン・フィルか、◯アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス 、◯クルレンツィス/ムジカエテルナあたりで。この「運命」のコンセプトに追随したのがチャイコフスキー/交響曲第5番、マーラー/交響曲第5番、ショスタコーヴィッチ/交響曲第5番。ただしショスタコの場合は屈折しており、一筋縄ではいかない。

本題に戻ろう。他に標題音楽としてホルスト:組曲「惑星」(カラヤン/ベルリン・フィル)、リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェヘラザード」(デュトワ/モントリオール交響楽団)、ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」(ショルティ/シカゴ交響楽団)、チャイコフスキー:組曲「くるみ割り人形」(カラヤン/ベルリン・フィル)、サン=サーンス:組曲「動物の謝肉祭」(アルゲリッチ、マイスキー、クレーメルほか)、プロコフィエフ:交響的物語「ピーターと狼」、グリーグ:劇付随音楽「ペール・ギュント」組曲(カラヤン/ベルリン・フィル)、メンデルスゾーン:劇付随音楽「夏の夜の夢」(プレヴィン/ウィーン・フィル)、ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲、交響詩「海」(ブーレーズ/クリーヴランド管)、レスピーギ:交響詩「ローマの松/祭り/噴水」(ローマ三部作) などが挙げられる。ローマ三部作は◎ムーティ/フィラデルフィア管か、◯バッティストーニ指揮/東京フィルハーモニー交響楽団で。

ロックが好きな人にはストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」がピッタリ。ピンク・フロイドの「原子心母」とか、エマーソン・レイク・アンド・パーマーの「タルカス」、イエス(バンド)などプログレッシブ・ロックに近い。◎クルレンツィス/ムジカエテルナか、◎ロト/レ・シエクル、◯ブーレーズ/クリーヴランド管で。

標題音楽じゃないけれど、ジャズ好きにはガーシュウィン:「ラプソディ・イン・ブルー」や「パリのアメリカ人」がお勧め。指揮&ピアノはバーンスタインかプレヴィン、レヴァインで。

またベルリオーズ:幻想交響曲は失恋のショックで悶々とし、アヘンを吸いながら作曲された狂気の音楽(サイケデリック・ミュージック)だ。すこぶる面白い!◎アバド/シカゴ交響楽団や◯ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊、◯ロト/レ・シエクルの演奏でどうぞ。

小品ではデュカス:交響詩「魔法使いの弟子」、スメタナ:交響詩「モルダウ」、ムソルグスキー(リムスキー=コルサコフ編):交響詩「禿山の一夜」、ボロディン:交響詩「中央アジアの草原にて」、シベリウス:交響詩「フィンランディア」「トゥオネラの白鳥」、ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」「春の声」「ウィーンの森の物語」「トリッチ・トラッチ・ポルカ」、イヴァノヴィッチ:ワルツ「ドナウ川のさざなみ」、ワルトトイフェル:スケーターズ・ワルツ、メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」、マスネ:タイスの瞑想曲、ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲、スッペ:オペレッタ「軽騎兵」序曲、ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」序曲、ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死、歌劇「ローエングリン」第三幕への前奏曲、マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲あたり。シュトラウス一家のワルツ・ポルカならウィーン・フィルの演奏で。指揮者はカルロス・クライバー、ボスコフスキー、ティーレマン、ネルソンスあたり。その他の小品は◯カラヤン/ベルリン・フィルか、◯ロビン・ステープルトン/ロイヤル・フィルで。Spotifyで【ステープルトン】と入力し、検索すれば僕が作成したプレイリストが出てくる。

女性の場合はオーケストラ曲よりもピアノ曲のほうが馴染みやすいかも知れない。モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲付き」、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」、第17番「テンペスト」、第23番「熱情」、エリーゼのために、ドビュッシー:月の光(ベルガマスク組曲)、夢、アラベスク第1番、亜麻色の髪の乙女、ショパン:革命、雨だれ、エオリアン・ハープ、英雄ポロネーズ、子犬のワルツ、シューマン:トロイメライ(子供の情景)、ノヴェレッテ第1番、リスト:愛の夢第3番、ため息(3つの演奏会用練習曲)、ラ・カンパネッラ(パガニーニ大練習曲)、グリーグ:ノクターン(抒情小曲集)といったところか。ピアニストとしてはピリス(モーツァルト)、内田光子(モーツァルト)、河村尚子(ベートーヴェン、ショパン)、ポリーニ(ベートーヴェン、ショパン)、アルゲリッチ(ショパン、シューマン)、フランソワ(ドビュッシー)、メジューエワ(ベートーヴェン、シューマン、ショパン)、ボレット(リスト)、アムラン(リスト)、ギレリス(ベートーヴェン、グリーグ)なら間違いなし。

②映画を大いに活用しよう!

映画は得体の知れないクラシック音楽を、明確なvision(視覚)に結びつける力がある。一番のお勧めはディズニーの「ファンタジア」(1940)。「ファンタジア 2000」もある。①でご紹介した小品がいくつも登場する。次に恩田陸原作の日本映画「蜜蜂と遠雷」。浜松国際ピアノコンクールがモデルになっている。またウディ・アレンの「マンハッタン」を観ればガーシュウィンの曲が大好きになるだろう。そしてMGMミュージカルの最高傑作「巴里のアメリカ人」。劇団四季が上演している舞台版を観てもいいい。あとクロード・ルルーシュ監督「愛と哀しみのボレロ」、アカデミー作品賞・監督賞に輝いた「アマデウス」。〈春の祭典〉初演時に於ける阿鼻叫喚の大混乱を活写した「シャネル&ストラヴィンスキー」や、ブラームスとクララの関係を描く「クララ・シューマン 愛の協奏曲」も面白い。また古い白黒映画だが今井正監督「ここに泉あり」と、大指揮者ストコフスキーも出演するディアナ・ダービン主演「オーケストラの少女」は名作中の名作。ジェニファー・ジョーンズ主演の美しい幻想映画「ジェニーの肖像」は全編にドビュッシーの名曲が散りばめられている。

あと大林宣彦監督「さびしんぼう」ではショパンの〈別れの曲〉、「ふたり」ではシューマンの〈ノヴェレッテ第1番〉とベートーヴェンの第九、「転校生」では〈トロイメライ〉〈タイスの瞑想曲〉〈アンダンテ・カンタービレ〉、細田守監督のアニメ版「時をかける少女」ではJ.S.バッハの〈ゴルトベルク変奏曲〉、ルキノ・ヴィスコンティ監督「ベニスに死す」ではマーラーの交響曲第5番が好きになるだろう。おっと、ヴィスコンティの「ルートヴィヒ」も忘れちゃいけない。〈ジークフリート牧歌〉〈子供の情景〉が印象的。タイムトラベルもの「ある日どこかで」はラフマニノフの〈パガニーニの主題による狂詩曲〉、中国映画「太陽の少年」は〈カヴァレリア・ルスティカーナ〉間奏曲がフィーチャーされている。またスタンリー・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」を観る前には是非、ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」を読んでおきたい。貴方がさらにディープな世界を体験したければ、ケン・ラッセル監督「マーラー」、「エルガー 〜ある作曲家の肖像〜 Elgar : Portrait of a Composer」、そしてディーリアスの晩年を描く「夏の歌 Song of Summer」をご覧あれ。

③「演奏時間が30分以上もある交響曲とかソナタを、どう受け止めれば理解出来るの?」

長大な交響曲や、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、フルートなど独奏楽器のためのソナタは、基本的に同じ構造を持っている。その共通項さえ把握しておけば、比較的聴き易くなるだろう。

古典派のハイドンからロマン派のシューマン、ブラームスあたりまで、交響曲や協奏曲、ソナタの大半は3楽章か4楽章で構成される(5楽章の「田園」など例外はあるが、ごく僅か)。全3楽章の場合は第2楽章、全4楽章の場合は第2,3楽章のことを【中間楽章】と呼ぶ。そして速度(tempo)は【開始楽章ー中間楽章ー終楽章】が、【急(fast)ー緩(slow)ー急(fast)】となっている。全4楽章の場合、【中間楽章】は【緩徐(slow)楽章】と【舞踏(dance)楽章】で構成される。ハイドンとモーツァルトの時代、【舞踏楽章】は基本にメヌエットだったが、ベートーヴェンがそれをスケルツォに変えた。イタリア語で「冗談」を意味し、語源的にはふざけた、諧謔(かいぎゃく)的音楽を指す。道化的と言い換えても良い。チャイコフスキーの場合、スケルツォの代わりにワルツを置いた。またブルックナーのスケルツォはホルンが活躍する「狩り」の音楽だ。【緩徐楽章】と【舞踏楽章】の順番はまちまち。マーラー:交響曲第6番みたいに、指揮者の解釈によって入れ替わる場合もある。

【開始(第1)楽章】は大半がソナタ形式である。【提示部ー展開部ー再現部ー結尾部(Coda)】で構成される。時に冒頭に【序奏】が置かれることがある。開始楽章は前述したようにテンポが速いが、【序奏】は対照的にゆったりしている。代表的なものにモーツァルト:交響曲第39番、ベートーヴェン:交響曲第7番、ブラームス:交響曲第1番がある。

【提示部】では主題(テーマ)が提示される。ハイドン、モーツァルトからブラームスあたりまで基本的に第二主題まで。ブルックナーの交響曲は第三主題がある。肥大化したマーラーの交響曲はもっと複雑で、第3番なんか第四主題まである。第一主題が長調の場合、第二主題は属調、第一主題が短調なら第二主題は平行調となる。例えば第一主題がハ長調(ドレミファソラシ)なら第二主題はト長調(ソラシドレミファ#)、半音階で七つ上(完全五度)。第一主題がイ短調(ラシドレミファソ)なら第二主題はハ長調(ドレミファソラシ)となる。つまり転調することで第二主題の開始が分かる。交響曲の場合、第一主題(動)は弦楽器、第二主題(静)は木管楽器が主体となる。基本的に【提示部】の終わりには繰り返し記号がある(最初に戻る)。聴衆に主題を覚えてもらうためだ。しかし指揮者によっては繰り返しを無視してサッサと次に移る人もいる。古楽器系オーケストラを振る指揮者は大抵、律儀に繰り返しを実行する(アーノンクール、ブリュッヘン、ノリントン、コープマン、ホグウッド、延原武春、鈴木秀美、ガーディナー、インマゼール、ラトル、パーヴォ・ヤルヴィ、ミンコフスキ、ロト、クルレンツィスら)。

【展開部】提示部で示された主題を様々に変奏、料理する。第一主題だけ扱われることが多い。

【再現部】提示部の主題が元の形で再現される。第二主題→第一主題の順番になることがしばしば。

【終楽章】はソナタ形式か、ロンド形式。特に協奏曲はロンド形式が圧倒的に多い。ロンド形式とは異なる主題をはさみながら、同じ旋律(ロンド主題)を何度も繰り返す。図式化すると、

A-B-A-C-A-D-...-A

つまり、常にAに戻ってくる。フランス語でrond(ロン)/ronde(ロンド)は「丸い」という意味で、英語ではround(ラウンド)となる。日本語で輪舞曲というのはそのため。

【舞踏楽章(メヌエット/スケルツォ/ワルツ)】は、ほぼ三部形式(A-B-A)だと考えて間違いない。Aを主部、Bを中間部(トリオ)という。トリオが2回登場するA-B-A-B-Aという特殊形もある(ベートーヴェン:交響曲第7番)。また複合三部形式というのもあり、主部や中間部がさらに細かくa-b-a/c-d-cで構成される。

【緩徐楽章】は一番バラエティに富む。ソナタ形式だったり、展開部を欠くソナタ形式(A-B-A-B)だったり(ベートーヴェン:交響曲第4番)、 ロンド形式だったり(ベートーヴェン「英雄」)、主題と変奏曲だったり(ベートーヴェン「運命」)する。

今まで述べてきた形式が基本形だが、時にフーガが登場することもある。代表例がモーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」やベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番、サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付き」、ブルックナー:交響曲第5番の終楽章。ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番は終楽章が後に独立し「大フーガ」となり、続く弦楽四重奏曲第14番は第1楽章がフーガ。

ブラームス:交響曲第4番は特殊で、第4楽章がシャコンヌ(またはパッサカリアとも言う)。たった8小節のシャコンヌ主題に、30もの変奏及びコーダが続く。これはJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番の終曲シャコンヌと併せて聴きたい。バッハのシャコンヌはストコフスキーや斎藤秀雄の編曲による管弦楽版もある。

いかがでしたか?例外もあるが、概ね基本構造はどれも同じ。何も難しいことはない。だから「ここまでが提示部(第一主題/第二主題)、この先が展開部…」といった具合に構造を意識して聴こう。これから聴く曲がどういう形式になっているか、予め解説書かWikipediaに目を通せば良い。Wikiには大抵の曲が載っているから。便利な時代になったものである。

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