クラシックの悦楽

バーンスタイン「ミサ曲」と「ジーザス・クライスト・スーパースター」

7月14日(金)フェスティバルホールへ。レナード・バーンスタインのミサを聴く。

Mass

総監督/指揮/演出:井上道義(ミッキー)、ミュージック・パートナー:佐渡 裕、大阪フィルハーモニー交響楽団&合唱団(合唱指揮:福島章恭)、公募による児童合唱、歌手18人、ロックバンド、ダンサーら総勢200人が出演、それに舞台美術も加わる劇場用作品である。1970年に作曲が開始され、翌71年にジョン・F・ケネディ・センター@ワシントンのこけら落とし公演として初演された。ミッキーは1994年に京都市交響楽団を率いてオーチャードホールでこの作品を上演。日本での再演は実に23年ぶりとなる。

一目瞭然なのはアンドリュー・ロイド・ウェバーのロック・ミュージカルジーザス・クライスト・スーパースター」からの影響である。題材も編成も類似している。「ジーザス」のブロードウェイ初演は71年。しかし69年に楽曲"Superstar"がシングルで発売、70年には"Jesus Christ Superstar"と題した2枚組LPレコードがリリースされている(当時ロイド・ウェバー22歳)。間違いなくレニーはこれを聴いている筈。またこの頃の音楽の潮流にも深く関わりがある。それはロックとオーケストラを融合したプログレッシブ・ロックだ。その代表格ピンク・フロイドがアルバム「原子心母」を発表したのは1970年。23分に渡るロック・シンフォニーが展開される。またロックバンド「イエス」も同年に発表した2ndアルバム「時間と言葉」でオーケストラと共演しシンフォニック・ロックを実現している。さらに源流まで遡ると「世界初のコンセプト・アルバム」と呼ばれるビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(1967)に辿り着く。プロデューサー:ジョージ・マーティンの功績が大きい。

ユダヤ人であるレニーはキリスト教に懐疑的・批判的だった。そういう姿勢も「ジーザス」に共通している。彼の祖父は高名なラビ(ユダヤ教聖職者)で、父も信仰心に篤いユダヤ教徒だった。しかしレニーが指揮する音楽の作曲家は殆どキリスト教徒だったわけで(モーツァルトのレクイエム=死者のためのミサとか、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスとか)、大いなる矛盾があった。それはウィーン宮廷歌劇場(現在のウィーン国立歌劇場)第一楽長になるためにユダヤ教からローマ・カトリックに改宗したグスタフ・マーラーの苦渋に重なる。因みにレニーの交響曲第3番「カディッシュ」の意味はユダヤ教徒が唱える「死者のための祈り」である。一方、ミサの定義は「カトリック教会において(キリストの体と血である)パンとぶどう酒を聖別して聖体の秘跡が行われる典礼、祭儀」である。

僕はレニーが指揮し71年に録音されたCDで予習して今回の公演に臨んだのだが、初めて生のパフォーマンスに接し、やはり劇場というのは古代ギリシャの時代から「祝祭空間」だったのだなぁと実感した。ロックありブルースあり、バレエあり、マーチング・バンドありと正にカオスである(冒頭にはジュークボックスが登場)。オーケストラはパンチが効いた演奏でエネルギッシュ、文句なし。ミッキーはMaster of Ceremony(M.C.)としての才能を遺憾なく発揮した。ただミッキーの誤算はソリストの選択にあった。全員が音楽大学出身のクラシック音楽畑の人々で、どうもロックとかブルース、ゴスペルの雰囲気=グルーヴ(groove:高揚感、音楽に乗った状態)が醸し出せていない。レニーのCDにはそれがあった。何人かはロック歌手やミュージカルの役者を起用すべきだったのではないだろうか?具体例を挙げよう。ミュージカル「キャンディード」に出演経験のある中川晃教、「デスノート」の浦井健治、石井一孝、「レ・ミゼラブル」や「天使にラブソングを」に出演した森公美子らである。

というわけで不満もあったが、日本でこの作品に直に接せられるチャンスはもう2度とないかも知れないので、ミッキーには大いに感謝したい。

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上森祥平/ブリテン:無伴奏チェロ組曲全曲演奏会

7月11日(火)大阪倶楽部へ。上森祥平のチェロを聴く。

  • J.ダウランド:ラクリメ「涙」
  • ブリテン:無伴奏チェロ組曲 第1番
  • R.スマート:ああ、私にひどいことしないで
  • ブリテン:無伴奏チェロ組曲 第2番
  • T.ヒューム:愛よさらば
  • ブリテン:無伴奏チェロ組曲 第3番

ブリテンの無伴奏チェロ組曲はムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(愛称スラヴァ)の依頼で作曲された(第1,2番はレコーディングされたが、第3番は残されていない。他にチェロ交響曲がスラヴァに献呈された)。この曲を聴いていると、ショスタコーヴィチのヴィオラ&ヴァイオリン・ソナタとの親和性を強く感じる。両者の共通項は社会的重圧に対する抵抗、苛立ち、疲弊感である。社会的重圧とはショスタコの場合ソビエト共産党政府(ジダーノフ批判など)であり、ブリテンにとってはゲイ差別であった。

ブリテン生涯のパートナーは自作のオペラ初演を数多く歌ったテノール歌手ピーター・ピアーズ。ふたりは同棲生活を送り、現在彼らの墓はオールドバラの教会墓地に仲良く並んで置かれている。イギリスに於いて1967年まで「反自然的性交」は犯罪であり、1952年に「著しい猥褻行為」(gross indecency;つまり同性愛行為)で逮捕された数学者のアラン・チューリングは投獄か、同性愛を治療するための化学療法を受けるか二者択一を余儀なくされた(詳細はアカデミー作品賞・監督賞にノミネートされた映画「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」を参考にされたし)。因みに無伴奏チェロ組曲の初演は第1番:64年、第2番:67年、第3番:72年である。

ブリテンは1913年生まれ、ショスタコは1906年生まれで7歳違い。ほぼ同世代と言えるだろう。ふたりには接点があったに違いないと調べてみると案の定、交流があり、互いを尊敬していたようだ。ショスタコの交響曲第14番「死者の歌」はブリテンに献呈され、イギリス初演はブリテンが指揮した。また逆にブリテンは歌劇「放蕩息子」をショスタコに献呈している。

プレ/アフター・トークがあったが、ブリテンの無伴奏全曲が関西で演奏されるのはおそらく今回が初めてだろうと。東京では10年前に堤剛がサントリー(小)ホールで演ったきりだそう。

上森の見解によると組曲第1番は歌劇「ピータ・グライムズ」に似ている。Canto(歌)が4回挿入されるが、これは前奏曲/間奏曲に相当する。第2番は終曲がシャコンヌであることから判る通り、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番への対抗心が剥き出した。女性的な大バッハに対し、ブリテンのそれは男性的で海の男を思わせる。第3番は4つのロシア民謡が引用された「告別の歌」。オーソン・ウェルズ監督の映画「市民ケーン」を想起させると。

上森の演奏は力強く雄弁。特に第2番は低音が朗々と響いた。僕は「市民ケーン」を何度も観ているが、上森とは違い第3番との関連性を感じることはなかった。寧ろ虚無感、諸行無常の響きがあり、に近いと想った。特にイントロのピチカートは小鼓を打つ音を連想させる。ブリテンは56年に来日し、「隅田川」に深い感銘を受け滞在中に2度鑑賞した。そして「隅田川」を基に、舞台を中世のイギリスに置き換えた歌劇「カーリュー・リヴァー」を作曲した。その体験が第3番に反映されているのではないだろうか?

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パスカル・ロジェ ピアノ・リサイタル/全部ドビュッシー!

7月1日ザ・フェニックスホールへ。

Roge

フランス・パリ生まれのピアニスト、パスカル・ロジェが弾くオール・ドビュッシー・プログラムを聴く。満席。

  • アラベスク 第1番
  • 雨の庭〜「版画」より
  • 水の反映〜「映像 第1集」より
  • 金色の魚〜「映像 第2集」より
  • 沈める寺〜「前奏曲集 第1集」より
  • 「子供の領分」
    • グラドゥス・アド・パルナッスム博士
    • 象の子守歌
    • 人形のセレナード
    • 雪は踊る
    • 小さな羊飼い
    • ゴリウォーグのケークウォーク
  • 〈休憩〉

  • ベルガマスク組曲
    • 前奏曲
    • メヌエット
    • 月の光
    • パスピエ
  • そして月は廃寺に落ちる〜「映像 第2集」より
  • 花火〜「前奏曲集 第2集」より
  • 月の光が降り注ぐテラス〜「前奏曲集 第2集」より
  • 亜麻色の髪の乙女〜「前奏曲集 第1集」より
  • グラナダの夕べ〜「版画」より
  • 喜びの島
  • 塔〜「版画」より (アンコール)
  • ミンストレル〜「前奏曲集 第1集」より (アンコール)

  • フランス音楽らしく幻想性が豊かで、(特に低音域が)力強く演奏に切れがあった。
  • プログラム前半は水のイメージで統一され、後半は月明かりや仄暗い情景(花火、夕景)など。月の光が皓々と冴え渡る情景が幻視された。
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    ハーゲン弦楽四重奏団@いずみホール

    6月29日(金)いずみホールへ。ハーゲン弦楽四重奏団を聴く。

    Hagen

    • ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲 第3番 ヘ長調
    • ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調
    • ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲 第14番 嬰へ長調 
    • ハイドン:弦楽四重奏曲 第78番「日の出」より
      第3楽章 メヌエット(アンコール)

    ベートーヴェン最後のカルテットを挟み、滅多に聴く機会がないショスタコを2曲。ヴィブラートを抑えた柔らかい音色が不穏に響く。第二次世界大戦直後、交響曲第8番と同時期に作曲されたSQ 第3番は軽やかだが、ねちっこい。第14番の第1楽章からはショスタコの怨嗟、はけ口のない憤怒、苦渋、辛酸といった諸々の感情がドロドロしたマグマのように湧き上がってくる。第2楽章は絶望と諦念、そして虚無。空恐ろしい孤独。そして終楽章で作曲家は静かに発狂し、灰になる。終結部は魂の救済、やっと訪れた平安。

    ベートーヴェンの16番は重量級の13〜15番と比べると「軽い」「呆気ない」印象を今まで持っていたのだが、どうしてどうして、ハーゲンの演奏を聴くとショスタコ同様不気味で謎めいた楽曲に聴こえてきて驚いた。

    アンコールのハイドンは甘くない。でも馥郁たる香りが立ちこめ、さすがオーストリア・ザルツブルク生まれのハーゲン兄弟だなと感じ入った。

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    神戸国際フルートコンクール審査員によるガラ・コンサート

    6月2日(金)神戸文化ホールへ。

    第9回神戸国際フルートコンクール審査員によるガラ・コンサートを聴いた。2009年(第7回)の感想はこちら。この時、審査員だったウィーン・フィルのヴォルフガング・シュルツは2013年に亡くなった。

    第9回に至るまでには紆余曲折があった。「市民への浸透度が低い」として神戸市が補助金を打ち切ったのである。しかし久元喜造市長が東奔西走し、スポンサーを見つけ、なんとか開催にこぎつけたのだった。ちなみに市長の妻は国立音楽大学准教授でピアニストの久元祐子である。

    今回の演奏家は以下の通り。

    アンドラーシュ・アドリヤン(元ミュンヘン国立音楽大学教授)
    フィリップ・ベルノルド(パリ国立高等音楽院教授)
    エミリー・バイノン(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団首席奏者)
    ヴァリー・ハーゼ(フランツ・リスト・ヴァイマル音楽大学教授)
    神田寛明(NHK交響楽団首席奏者)
    ミヒャエル・マルティン・コフラー(ミュンヘン・フィル首席奏者)
    工藤重典(パリ・エコール・ノルマル教授/水戸室内管首席奏者)
    酒井秀明(日本フルート協会副会長)
    尹慧利(ソウル国立大学教授)

    神戸国際フルートコンクールの過去の入賞者には第2回で優勝したエマニュエル・パユ(現ベルリン・フィル首席奏者)や、第4回で第2位となったマチュー・デュフォーシカゴ交響楽団→現ベルリン・フィル首席奏者)がいる。エミリー・バイノンは第3回の第3位。

    曲目は、

    • 林光:「花」変奏曲〜滝廉太郎の主題による(神田)
    • アミロフ:フルートのための6つの作品より(バイノン)
    • W.F.バッハ:フルート2重奏 第3番(ハーゼ、コフラー)
    • ベートーヴェン:ロマンス 第2番(工藤)
    • タファネル:アンダンテ・パストラールとスケルツェッティーノ
      (ベルノルド)
    • メシアン:黒つぐみ(酒井)
    • ドップラー:グランド・ファンタジー(アドリアン)
    • カステレード:笛吹きの休日(神田、酒井、尹)
    • ショパン:ロッシーニの主題による変奏曲(コフラー)
    • M. マレ:スペインのフォリア(ハーゼ)
    • モーツァルト:ソナタ K.448 第2楽章(アドリアン、工藤)
    • 尹 伊桑:エチュード 第5番(
    • ドップラー:華麗なワルツ(ベルノルド、バイノン)

    神田の音は柔らかく、羽根のように軽い。

    バイノンは子守唄での弱音が美しく、舞曲は切れがあってすばしっこい。強靭なバネで跳ねる。

    大バッハ(ヨハン・セバスチャン)の長男、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの曲ではヴィブラートが抑えられ、飾らない簡潔な響きが心地よい。整った美が感じられた。またフーガの掛け合いがスリリング。

    工藤のベートーヴェンは太い音が特徴。またタファネルの楽曲は華麗だった。

    「笛吹きの休日」はキュートでお洒落。

    コフラーの吹く「ロッシーニの主題による変奏曲」は正確無比、律儀な開始から超絶技巧へ。最後は「熊蜂の飛行」みたい。

    ハーゼの奏でるマリン・マレ(1656-1728、仏)は凛として気高い。

    尹 伊桑(ユン・イサン)の楽曲は龍笛や尺八を彷彿とさせる雰囲気があり。調べてみると彼は大阪音楽学院や東京で作曲を学んでいる。

    最後のドップラーは「お花畑でパーティ!」といった感じだった。

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    関西弦楽四重奏団✕豊嶋泰嗣/ブルックナー:弦楽五重奏曲

    6月5日(月)大阪倶楽部へ。関西弦楽四重奏団✕豊嶋泰嗣(新日本フィル・コンサートマスター)で、

    • モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのためのデュオ K.424
      (ヴァイオリン:林 七奈/ヴィオラ:豊嶋泰嗣)
    • モーツァルト:弦楽四重奏曲 第19番「不協和音」
    • ブルックナー:弦楽五重奏曲

    林 七奈(大阪交響楽団コンサートマスター)と豊嶋は夫婦。だからモーツァルトのデュオは夫唱婦随というか、夫のほうが低音を担当しているから婦唱夫随かな。

    豊嶋のヴィオラは初めて聴いたが、豊かな太い音色で味わい深かった。低音部がどっしりと支えているので音のピラミッドが美しく構築され、耳に心地よい。ヴィオラの秀演と言えば僕は今までに今井信子、清水直子(ベルリン・フィル首席ヴィオラ奏者)、アントワン・タメスティ(ミュンヘン国際音楽コンクール優勝)などを生で聴いてきたが、豊嶋の演奏は全く遜色なかった。ヴァイオリンの名手はヴィオラもいけるんだね(逆に今井信子のヴァイオリンは下手だった)。

    モーツァルトのカルテットは潤いがあって瑞々しく、ピチピチしてた。ただ事ではない躍動感で満ちていた。

    ブルックナーのクインテットを生で聴くのは初めて。日本では滅多に演奏される機会がない曲。いぶし銀の音色で開始され、分厚いハーモニーでド迫力だった。ブルックナーが描く宇宙がそこには感じられた。特に第3楽章アダージョは白眉で、教会の螺旋階段をじわじわと上(天)に向かって登っていくような高揚感があった。今までこの曲をCDなどの音源で聴いてきた印象は「ミニチュアの交響曲」だった。つまりブルックナーは交響曲だけで十分で、クインテットは不要。その考えを改めさせるだけの説得力が関西弦楽四重奏団(✕豊嶋泰嗣)にはあった。

    ロータス・カルテットやクァルテット・エクセルシオなど日本人による常設弦楽四重奏団に対しては失望(否、絶望)しかなかったので(東京クヮルテットは良かったけれど解散してしまった)、彼らの存在は救いである。今年11月からフェニックスホールで始まるベートーヴェンの弦楽四重奏曲 全曲ツィクルスには大いに期待したい。

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    タリス・スコラーズ@兵庫芸文 2017

    6月3日(土)兵庫県立芸術文化センターへ。

    Tallis

    ピーター・フィリップス指揮タリス・スコラーズ(10名によるア・カペラ)で、

    • タリス:ミサ曲「われわれに幼子が生まれた」
    • バード:アヴェ・ヴェルム・コルプス
    • 同:正しき者の魂は神の御手に
    • 同:聖所にて至高なる主を賛美もて祝え
    • アレグリ:ミゼレーレ
    • モンテヴェルディ:無伴奏による4声のミサ曲
    • パレストリーナ:主の僕たちよ、主をほめたたえよ
    • モンテヴェルディ:カンターテ・ドミノ (アンコール)
    • トレンテス:ヌンク・ディミッティス
      「今こそ主よ、僕を去らせたまわん」(アンコール)

    生で彼らを聴くのはこれが3回目である。

    彼らのレパートリーには現代の作曲家ペルトの作品もあるのだが、今回はルネサンス〜バロック期の教会音楽のみ。毎回、アレグリの「ミゼレーレ」は歌われており、彼らの代名詞と言えるだろう。楽譜はシスティーナ礼拝堂から門外不出だったが、これを聴いた14歳のモーツァルト少年が記憶だけを頼りにまるまる採譜したというエピソードは余りにも有名。

    澄み切った、心洗われる響きに魅了された。

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    ポスト・クラシカルの作曲家マックス・リヒターと映画「メッセージ」

    作曲家マックス・リヒターをご存知だろうか?1966年1月21日ドイツ・ハーメルン生まれの51歳。イングランド・ベッドフォードで育ち、イタリア・フィレンツェでルチアーノ・ベリオに作曲を師事した。彼の書くジャンルはポスト・クラシカルと呼ばれており、ミニマル・ミュージックの影響が色濃い。つまり〈調性音楽〉であり、〈反復音楽〉なのだ。オバマ前アメリカ大統領が来日した際、安倍総理と会食した鮨屋「すきやばし次郎」の店主・小野二郎を追ったドキュメンタリー映画「二郎は鮨の夢を見る」や、Netflixが配信するドキュメンタリー・シリーズ「シェフのテーブル」でデヴィッド・ゲルブ監督はマックス・リヒターの音楽をふんだんに使用している。ちなみに彼の父親はニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の総裁ピーター・ゲルブである。

    Jiro

    ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作「メッセージ」の冒頭と最後にマックス・リヒターが作曲した"On the Nature of Daylight"がとても印象的に使用されている(「二郎は鮨の夢を見る」にも登場)。2004年にドイツ・グラモフォンから発表されたアルバム「ザ・ブルー・ノートブックス」収録曲で、ナクソス・ミュージック・ライブラリー(NML)でも聴くことが出来る。こちらのエッセイも参考になるだろう。

    Blue

    映画「メッセージ」の評価はA+。アカデミー賞では作品賞・監督賞・脚色賞・美術賞・撮影賞・編集賞・録音賞・音響編集賞の8部門にノミネートされ、音響編集賞で受賞した。公式サイトはこちら。瞑想的で哲学的な作品である。

    Arrival

    ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督はあるインタビューに答え「私にとって最良のSF映画を挙げろといわれれば3つで事足りる」と述べ、「2001年宇宙の旅」、「未知との遭遇」、そして「ブレードランナー」を挙げている。

    「ブレードランナー」についてはヴィルヌーヴ監督が手掛けた続編「ブレードランナー 2049」が2017年10月に公開を控えている。そして異星人とのファースト・コンタクトをモティーフにした「2001年宇宙の旅」と「未知との遭遇」の流れを汲むのが「メッセージ」だ。

    原作はテッド・チャン(著)「あなたの人生の物語」。チャンの国籍はアメリカだが、両親が中国からの移民である。映画の原題は"Arrival"なのだが、邦題でそれをわざわざ別のカタカナ単語にする必要があったのかな?映画を最後まで観るとArrival(到着)には複数の意味が込められていたことに気づく仕掛けになっているのだが……。

    和子「だってもう時間がないわ…!どうして時間は過ぎていくの?」
    深町「過ぎていくんじゃない。時間はやってくるものなんだ」
    (大林宣彦監督「時をかける少女」より)

    本作に登場する異星人ヘプタポッド(七本脚)が用いる文字は円環構造だ。これは表意文字(文字1つ1つに意味がある漢字など)や表音文字(1語が発音を表すアルファベット、ひらがな、カタカナ)ではなく、表義文字だという。その定義は「それ自体で意味を有し、他の表義文字との組み合わせによって無限の叙述をかたちづくることができる」とのこと。

    Words

    まるで禅宗における書画「円相」のようだ。

    Ensou

    円相は悟りや真理、宇宙を表していると言われている。始まりもなく終わりもない時間であり、circle of lifeーヒンドゥー教や仏教における輪廻転生にも繋がっている。エイミー・アダムス演じるルイーズの娘ハンナHannahの名前は前から読んでも後ろから読んでも同じ。これも始まりもなく終わりもないことを示している。

    ヘプタポッドには時間の観念がないのだが、欧米の発想ではなく、東洋的思想だなと想った。西洋近代は合理主義による自然科学が母体となり発展してきた。神が(自分に似せて)人間を創られた。原因があって結果がある。世界は演繹法で説明可能だ。ーこの考え方を真っ向から否定しているのが本作であると言えるだろう。過去も現在も未来も等価なのである。それを象徴するのが文字の円環構造であり、前も後ろもないヘプタポッドの体であり、マックス・リヒターの音楽(ミニマル・ミュージック)なのだ。

    劇中に登場する「非ゼロ和(non zero sum)」という言葉が重要な意味を持つ。複数の人が相互に影響しあう状況の中で、ある1人の利益が、必ずしも他の誰かの損失にならないことを言う。例えば通常のボード・ゲーム〜オセロ・将棋・チェスなどは勝ち負けが必ず生まれる。戦争だったそうだ。それとは全く異なる価値観である。非ゼロ和になるには対話(communication)が必要。相手(相互の違い)を知ろうとすること。どちらが正義(勝者)でどちらが悪(敗者)という切断はしない。戦争の武器は殺戮兵器だが、非ゼロ和における武器は言葉である。キリスト教は天国と地獄、天使と悪魔、善と悪という分類切断をする。だから非ゼロ和ではない。むしろその考え方は仏教や神道に近い。欧米人は今、アジアの思想(宗教)も取り込み、徐々に変わろうとしている。

    追伸:映画の冒頭、ルイーズは赤ん坊のハンナに向かって"Come back to me."と繰り返す。「エッ、まるで『ある日どこかで』(Somewhere in Time)みたいだな」と戸惑った。おまけに場所は湖畔だし。まさにデジャヴ(既視感)。そして最後まで観て納得した。本作は「ある日どこかで」と間違いなく繋がっている。

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    クァルテット・エクセルシオのクインテット@いずみホール

    5月19日いずみホールへ。

    クァルテット・エクセルシオとミシェル・ルティエク(クラリネット)、堤剛(チェロ)で、

    • モーツァルト:クラリネット五重奏曲
    • シューベルト:弦楽五重奏曲
    • ギヨーム・コヌソン:ディスコ=トッカータ
      (クラリネット&チェロ 編) アンコール

    ルティエクのクラリネットはふわっと柔らかい響きで優しい。心地良かった。

    シューベルトのクインテットは村上春樹がシエスタ(昼寝)のお供として聴いていることで有名。彼の愛聴盤はヨーヨー・マとクリーブランド弦楽四重奏団によるCDだという。僕が普段よく聴いているのは①ベルリン・ブランディス弦楽四重奏団+ウェンシン・ヤン②アルバン・ベルク四重奏団+ハインリッヒ・シフ③ラルキブデッリ(バロック・チェロ奏者アンナー・ビルスマ率いるガット弦による弦楽アンサンブル)。特にベルリン・フィルのコンサートマスターだったトーマス・ブランディスを中心とする①がお気に入り。

    今回のシューベルトは兎に角クァルテット・エクセルシオがいただけない。音が弱々しく、頼りない。慎重すぎて守りに入り、覇気がない。もっと大胆さが欲しい。第2楽章アダージョは弱音で開始される主部と、中間部の激しさにコントラストが足りない。第3楽章スケルツォはテンポが遅く、ぬるま湯につかっているよう。緊張感に欠け、寝ぼけた音楽に成り果てている。総評としてガットが弛んでボールを打ち返す力を失ったテニスラケットのような演奏で、ゲストの堤剛が浮いていた。彼らのコンサートに足を運ぶことはもう二度とないだろう。

    結局、最も生き生きして聴き応えがあったのはクァルテット抜きのアンコールという情けなさ。なお、帰宅して調べてみるとギヨーム・コヌソン(Guillaume Connesson, 1970 - ) はフランスの現代作曲家らしい。愉しくて気に入った。

    僕が今まで聴いた日本人による弦楽四重奏団で、最高だったのはモルゴーア・クァルテット。次点が関西弦楽四重奏団。でかなり落ちてクァルテット・ベルリン・トウキョウ、ロータス・カルテット、最低がクァルテット・エクセルシオ。そんな感じかな(解散した東京クヮルテットは除く)。

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    ヴォーン・ウィリアムズの交響曲第5番とロンドン大空襲(The Blitz)〜藤岡幸夫/関西フィル定期

    5月17日(水)ザ・シンフォニーホールへ。

    藤岡幸夫/関西フィル管弦楽団シプリアン・カツァリス(ピアノ)で、

    • ラヴェル:ラ・ヴァルス
    • ラヴェル:ピアノ協奏曲
    • ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番

    を聴いた。

    プレ・トークで藤岡が語ったことによると、ラヴェルのコンチェルトは史上最速だそうだ。カツァリスのピアノはファンタジーとポエムに溢れている。第1楽章は無邪気な子供のようで、そこにラヴェルのスペイン(バスク地方)の血や、アメリカで会ったガーシュウィンからの影響が混ざる。第2楽章アダージョは子供部屋で赤ん坊がすやすやと眠っている情景。夢見る音楽。第3楽章プレストに至るとヴィルトゥオーソが炸裂!おもちゃ箱をひっくり返したような大騒ぎで、そこにゴジラのテーマも紛れ込む。超高速であっという間に終わった。

    ソリストのアンコールはフランス風即興曲ラ・マルセイエーズ(リスト/カツァリス編)に始まり、枯葉〜男と女〜シェルブールの雨傘〜バラ色の人生などがメドレーで奏でられる。お洒落!万雷の拍手の中、カツァリスはオケの楽員や観客に投げキスを振る舞った。この模様は後日、藤岡がナビゲータを務めるBSジャパン「エンター・ザ・ミュージック」で放送される予定。

    さて、イギリスの作曲家レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(RWV)の交響曲第5番を初めて聴いたのは確か僕が大学生くらいの頃だった。テラーク(TELARC)というレーベルから出ていたプレヴィン/ロイヤル・フィルのCD(1988年デジタル録音)を購入したのである。ここは録音が優秀なことで知られていたが、2005年にコンコード・ミュージック・グループに買収され、名録音チームも雲散霧消してしまった。

    当時の感想は「メリハリ(起伏)が乏しく、掴みどころがない退屈な曲」だった。CDを1,2回聴いただけで放置してしまった。近代アメリカ音楽の祖アーロン・コープランド(「市民のためのファンファーレ」「ロデオ」「アパラチアの春」)は次のような言葉を残している。

    ヴォーン・ウイリアムズの交響曲第5番を聴くことは、雌牛を45分間眺めるようなものだ。 (Listening to the fifth symphony of Ralph Vaughan Williams is like staring at a cow for 45 minutes.)

    なかなか強烈である。藤岡もプレ・トークで「この曲の魅力は絶対に実演を聴かないと判りません。僕もCDだと寝ちゃう」と語っていた。「一歩間違うとお客さんが寝ちゃうから、今日は気合を入れて頑張ります」

    アメリカやヨーロッパ大陸でイギリス音楽が演奏されることは滅多にない(唯一の例外がホルストの組曲「惑星」)。最近でこそウィーン・フィルやベルリン・フィルがエルガーの交響曲やエニグマ変奏曲を取り上げるようになったが、ディーリアス、アーノルド、ウォルトン、ヴォーン・ウィリアムズになるとほぼ皆無に等しい(ブリテンなら「ピーター・グライムズ」〜4つの海の間奏曲くらいか)。例えばパリ管やロイヤル・コンセルトヘボウ管、バイエルン放送響、シカゴ響がヴォーン・ウィリアムズの交響曲を演奏したって話を聞いたことあります?それだけ偏見が根強いのだ。寧ろ武満徹の方が取り上げられる機会が多いだろう。

    アメリカやヨーロッパ大陸の人々と同様、若い頃の僕は愚かで無知だった(エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトの価値がヨーロッパで理解されるまでに50年もかかったのは彼らに見る目がないからだ)

    そんな僕の目を開かせてくれたのが藤岡幸夫の指揮で聴いたRWVの交響曲第3番だった。

    第一次世界大戦の時、41歳のRWVは義勇兵として従軍し、砲火の爆音に晒された為に難聴になった。彼の友人だった作曲家ジョージ・バターワースはフランスのソンムの戦いで狙撃され、戦死した。その哀しみ、心の痛みが第3シンフォニーを産んだ。

    一方、第5番は第二次世界大戦中の1943年6月24日にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにて、作曲家自身の指揮/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で初演された。

    1940年9月7日から1941年5月10日までナチス・ドイツはロンドン大空襲を実行した。ドイツ語でBlitz(ブリッツ)、「稲妻」という。連続57日間に及ぶ夜間空襲があり民間人の犠牲者は4万3千人に及び、100万以上の家屋が損害を受けた。地下鉄の駅の構内がロンドン市民の避難所となった(映画「007 スカイフォール」に出てくる。また興味のある方はジョン・ブアマン監督「戦場の小さな天使たち」をご覧になることをお勧めしたい)。そんな焼け野原の中でこのシンフォニーは産声を上げたのである。この時、RVWの胸に去来したのものは何だったろう?

    静謐な第5番を聴きながら、僕は「無念」だったのではないかという気がする。第1楽章は祈りの音楽と言えるだろう。このシンフォニーは優しい。傷ついた人々の心を慰め、癒そうとする強靭な意思を感じる。暴力的な音は微塵もない。そして終楽章には「希望」という名の光が差し込んでくる。

    RVWは3ヶ月間、ラヴェルに師事したという。ふたりには第一次大戦に従軍したという共通点もある。そして第5番はシベリウスに献呈された。この時シベリウスは既に交響曲第7番まで書き上げ、悠々自適の隠遁生活を送っていた。だからこのシンフォニーにはシベリウスの、特に第4番以降の交響曲からの影響が色濃い。

    藤岡/関西フィルは「イギリスの自然を描いた」という第1楽章(前奏曲)冒頭からゆったり、じっくりと歌い上げる。「ピアニッシモの凄み、才気だったスケルツォ」と藤岡が語る第2楽章は俊敏で、ネズミがちょこまか這い回っているよう。弱音器を付けた弦楽合奏で始まる第3楽章ロマンツァは清浄で、心が洗われる。ここは天界。そしてコールアングレのソロが登場すると、誰もいなくなった古戦場に侘びしく風が吹きすさぶ様子が目に浮かんだ。諸行無常の響きあり。第4楽章パッサカリアはまるで教会のステンドグラスから朝日が差し込むよう。そして音楽は消え入るように終わった。文句なし、パーフェクト。

    藤岡/関西フィルは現在、シベリウスの交響曲全集をレコーディング中であり、また同時にRVWに真摯に取り組んでいる。この姿勢は名もなき地方都市のオーケストラであるハレ管弦楽団と指揮者ジョン・バルビローリの関係を彷彿とさせる。シベリウスとRVWのふたりを愛してやまない指揮者って、実はいそうでいないんだよね。因みにRVWの交響曲第8番はバルビローリ/ハレ管が初演した。藤岡はハレ管の定期演奏会でデビューした時、何と大胆にもシベリウスの交響曲第1番を選んだそうである。

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