クラシックの悦楽

2017年9月12日 (火)

漆原朝子のフレンチ・コレクション

9月8日(金)大阪倶楽部へ。

漆原朝子(ヴァイオリン)、鷲宮美幸(ピアノ)で、

  • ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ 遺作
  • フォーレ:ロマンス
  • ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ
  • ショーソン:詩曲
  • サン=サーンス:ヴァイオリン・ソナタ 第1番
  • マスネ:タイスの瞑想曲 (アンコール)
  • フォーレ:夢のあとに (アンコール)
  • ショパン:夜想曲 第2番 (アンコール)

濃密な音の中に意志の強さが感じられる。ただハーモニクス(倍音)奏法が掠れていて、余り綺麗じゃないなと想った。

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2017年9月 1日 (金)

【アフォリズムを創造する】その6「芸術について」

音楽は言葉で表現できないことを語る。つまり夢=無意識に関わる芸術である。一方、文学は言葉で語る。それは意識・自我(ego)に属している。では映画(アニメ含む)はどうか?映画のはじめに言葉ありきーシナリオは言葉で綴られる。しかし同時に映像はイメージであり、音楽も加わりそこに無意識が忍び込む。故に映画は意識+無意識=自己(self)を表現する。

上の式を図で示すと次のようになる。

Mu

図全体が自己(self)だ。これはユング心理学からの引用であるが、ニーチェは次のように語っている。《兄弟よ、君が「精神」と呼んでいる、君の小さな理性も、君のからだの道具なのだ。君の大きな理性の、小さな道具であり、おもちゃなのだ。「私は」と、君は言って、その言葉を自慢に思う。「私は」より大きなものを、君は信じようとしないがー「私は」より大きなものが、君のからだであり、その大きな理性なのだ。大きな理性は、「私は」と言わず、「私は」を実行する。(丘沢静也訳「ツァラトゥストラ」光文社古典新訳文庫より)》つまり「精神」(小さな理性)=自我であり、からだ(大きな理性)=自己と解釈出来る。

以前のアフォリズムで紹介したように、例えばイングマール・ベルイマン監督の映画「仮面/ペルソナ」冒頭に登場するタランチュラはイエス・キリストの、「2001年宇宙の旅」の太陽はツァラトゥストラ=ニーチェのメタファーであり、イメージの世界だ。新海誠監督「君の名は。」も三日月(三葉)、半月(かたわれ)、満月(三葉と瀧の結合)といった具合でイメージの洪水である。

映画は運動を描く。英語でもmotion picture(動く絵)と書く。つまりからだと同義だ。そしてそのイメージは観客の心の深層(魂)に働きかける。

イメージは無意識を探るため、心理学でも利用されている。その代表例がロールシャッハ・テストである。

Rorschach

また心理学者・河合隼雄が日本に紹介した箱庭療法も言語化出来ないイメージを活用している。

Hako

J.S.バッハから古典派(ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン)を経て、ロマン派(ブラームス、ワーグナー、マーラー)に至るまで、作曲家たちは夢=無意識を描く音楽を、小さな理性でコントロールしようとしてきた。その手段が、旋律・調性・和声・拍子・形式である。ストラヴィンスキー、シェーンベルク、ベルク、リゲティら20世紀の作曲家たちが挑戦したのは、その枷(かせ)を取り払い、音楽を混沌(Chaos)に引きずり戻す作業であった。それは「アポロン的」表現から「デュオニュソス的」表現への変換を意味していた。

調性とは長調とか短調のこと。形式とはソナタ形式(主題提示部-展開部-再現部-終結部)・ロンド形式(A-B-A-C-A-D-A)・三部形式(A-B-A')・変奏曲などを指す。ハイドンからマーラーの時代まで約150年間、交響曲やソナタといえば第1楽章がソナタ形式で、中間に緩徐楽章や舞曲(メヌエットまたはスケルツォ、三部形式)を挟み、終楽章は再びソナタ形式かロンド形式とほぼ型(フォーマット)が決まっていたのだから驚くべきことだ。それは音楽という暴れ馬に馬具を装着し、制御するシステムであった。この工夫により聴衆は頭(意識)で全体像を把握し、理解することが出来た。

しかしシェーンベルクは十二音技法を生み出すことで調性を破壊し、音楽は協和音から不協和音が支配する世界に突入した。旋律や形式も木っ端微塵に打ち砕かれた。

「アポロン的」と「デュオニュソス的」対立軸はニーチェがその著書「悲劇の誕生」(1872年出版)でギリシャ悲劇を引き合いに出して創造した概念である。ギリシャ神話に於けるアポロン神は理知的で、情念(混沌)に形(フォルム)を与え、高尚な芸術へと昇華させる力を象徴している。一方、デュオニュソス神はバッカスとも呼ばれ、豊穣とブドウ酒、酩酊の神である。祝祭における我を忘れた狂騒や陶酔を象徴する。つまり秩序化された世界を、もう一度根源的なカオスに解体する力を司るのだ。アポロンは英知と理性であり、デュオニュソスは泥臭い人間の業(ごう)、欲深い本性であるとも言える。

確かにダンス・ミュージックであるベートーヴェンの交響曲第7番はある意味ディオニュソス的である。しかし知性(旋律・調性・和声・拍子・形式)でコントロールされている。手綱はしっかりアポロンが握っているのだ。

こうして見ると、1913年にパリで初演され、大騒動となったバレエ音楽「春の祭典」が果たした役割が理解出来るだろう(パニックの顛末は映画「シャネル&ストラヴィンスキー 」に描かれている)。それまでの音楽は知的で上品であり、調和に満ちていた。ストラヴィンスキーはそこにデュオニュソス的な、原始的で荒々しいどんちゃん騒ぎを持ち込んで建築物をぶっ潰し、混沌(土)に戻したのである。ベルクやバルトーク、リゲティ、武満徹らが成し遂げたことも、同じ方向性であった(武満の音楽は流動的な「水」や「夢」をテーマにしたものが多い)。

20世紀美術も音楽と同様な流れを辿った。ピカソが「私の唯一の師」と讃えるセザンヌを経てキュビズム(立体派)が完成され、やがてフォルムが解体されて抽象絵画に突き進んだ。人物/静物の輪郭=実際に目に見えるもの(意識)であり、それが失われるとイメージや無意識(魂)が残った。

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2017年8月17日 (木)

萩原麻未のラヴェル:ピアノ協奏曲

8月13日(日)兵庫県立芸術文化センターへ。

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萩原麻未(ピアノ)、パスカル・ロフェ/兵庫芸術文化センター管弦楽団で、

  • ラヴェル:組曲「クープランの墓」
  • ラヴェル:ピアノ協奏曲
  • ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」

「クープランの墓」は流れるような演奏で、軽妙洒脱。繊細で柔らかい響きが魅力的だった。

萩原は2010年にジュネーヴ国際コンクール(ピアノ部門)で日本人として初めて優勝。そのファイナルで弾いたのがラヴェルのピアノ協奏曲であり、指揮もパスカル・ロフェだった。ピアノには靄がかかったような幻想性があり、「これが聴きたかったんだ!」と大満足。

ソリストのアンコールは彼女が日仏を飛ぶエア・フランスに乗っていた時に聴いたという、Relaxation Musicを即興演奏で。弱音の美しさが際立っていた。

「展覧会の絵」は1990年4月17日(火)に倉敷市民会館で聴いた、ゲオルグ・ショルティ/シカゴ交響楽団(他にベートーヴェン:交響曲第5番)の演奏があまりにも鮮烈で、その後何度もこの曲を生で聴いたが、どれももの足りない。今回もどうしても27年前の衝撃と比べてしまい、全く愉しめなかった。最高のものを知っていることはある意味不幸である。

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2017年8月 4日 (金)

「超絶のコンチェルト -めくるめく競演-」いずみシンフォニエッタ大阪 定期

7月15日(土)いずみホールへ。

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ロビー・コンサートを経て下野竜也/いずみシンフォニエッタ大阪で、

  • 尹 伊桑(イサン・ユン):クラリネット協奏曲
    独奏 上田希
  • 松本直祐樹:トロンボーン協奏曲 (初演)
    独奏 呉信一
  • ジョン・ウィリアムズ:オーボエ協奏曲
    独奏 古部賢一
  • HK・グルーバー:フランケンシュタイン!!【室内合奏版】
    シャンソニエ(バリトン) 宮本益光

尹 伊桑(1917-95)は日本統治下の朝鮮生まれ。父に音楽家になることを反対されたため、17歳の時に大阪市にある商業学校に入学した。その後、大阪音楽大学で作曲や音楽理論を学び、さらに東京で池内友次郎に対位法や作曲を師事した。帰国後、独立運動に身を投じ1944年には2ヶ月間投獄された。終戦後は北朝鮮に近づき、1967年に西ベルリンでKCIA(大韓民国中央情報部)により拉致されソウルに送還、スパイ容疑で死刑を宣告された。69年に大統領特赦で釈放されるも、韓国国内で尹の音楽は演奏を禁止された。苛烈な生涯である。彼のクラリネット協奏曲は重苦しい抑圧に対する叫びが込められていて、力強く不屈の闘志が感じられる。クラリネットの音だけではなく、奏者の声も活用される。個(ソロ)と社会(オーケストラ)の峻厳な対峙があり、苦悶や恐怖が描かれるが、やがてそれが限界突破し、笑いに転じる。不謹慎ではあるが僕は「面白い!」と気に入った。

松本直祐樹の曲で僕が連想したのは映画「砂の器」で哀しいお遍路の旅をする父子の姿であり、あるいは寺山修司が描く恐山の荒涼とした風景(例えば「田園に死す」)と、どこからともなく聞こえてくる鈴の音であった。

ジョン・ウィリアムズの協奏曲はオケが弦楽合奏のみ。第1楽章プレリュードはコープランドの楽曲やジョンが手掛けた映画「華麗なる週末(The Reivers)」を彷彿とさせ、第2楽章パストラーレはまるでトルーマン・カポーティの小説「草の竪琴(The Grass Harp)」を描写したみたい。あるいはジョンの楽曲で言えばスピルバーグの劇映画デビュー作「続・激突!カージャック(The Sugarland Express)」に近いかも。そして第3楽章「コメディア」は明らかに「E.T.」のハロウィンの場面や自転車での逃亡劇に繋がっている。穏やかで、どこか懐かしい、新世界の夢。いいねぇ。

「フランケンシュタイン!!」は歌付きの愉快な曲。ドラキュラ、フランケンシュタイン、スーパーマン、バットマン、狼男、ジョン・ウェインなどが飛び出す支離滅裂な言葉遊び。ティム・バートンの「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」とか、ピクサーの「トイ・ストーリー」を想い出した。あと挽肉パイが出てくるところは「スウィーニー・トッド」ね。グルーバーはオーストリアの作曲家だがアメリカ音楽のようでもあり、ラヴェルのオペラ「子供と魔法」のようでもあった。各奏者は10種類以上、30を超えるおもちゃ楽器を持ち替え、シャンソン歌手に対しては「鬱陶しいくらい」指示が楽譜に書き込まれているという。

ところでクリスマス・キャロル「きよしこの夜」はオーストリアで生まれた歌で作曲は小学校教師/教会オルガン奏者のフランツ・クサーヴァー・グルーバーなのだが、「フランケンシュタイン!!」の作曲家はもしかしてその子孫??

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2017年7月28日 (金)

インバル/大フィルのマーラー交響曲第6番「悲劇的」とダンテ「神曲」

7月27日(木)フェスティバルホールへ。

エリアフ・インバル/大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏で、

  • マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

を聴く。インバルによる同曲の演奏は1989年11月12日(日曜日)に手兵フランクフルトフランクフルト放送交響楽団との来日公演で聴いている。場所はザ・シンフォニーホール。あれから28年経った。僕が第6番の実演に接するのはこれが5回目。内訳はインバル2回、佐渡裕、大植英次、サロネンである。

まずは下記事をお読み頂きたい。

しばしば第2楽章、第3楽章の曲順が問題になるのだが、インバルは従来通りスケルツォ→アンダンテを採用。終楽章のハンマーは2回振り下ろされた。

今回聴きながら強く感じたのは、この曲にはダンテが書いた「神曲」の影響があるのではないか?ということ。第4楽章はどう考えても「地獄篇Inferno」だろう。その序奏(アレグロ・モデラート)は世界が天国と地獄に分離される前の混沌chaosのようにも聴こえるし、「神曲」に即すなら小説の冒頭、地獄の門をくぐる前の暗い森とも言える。因みに西洋の物語における森とは無意識(夢)のメタファーだ。

「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」

そして第3楽章(アンダンテ・モデラート)は「天国篇Paradiso」。マーラーにとってのベアトリーチェ(永遠の淑女)は言うまでもなく妻アルマのことである。余談だが宮﨑駿監督のアニメーション映画「風立ちぬ」の物語も「神曲」に基づいている。ラストシーンで堀越二郎(=ダンテ)とカプローニ(=案内人・古代ローマの詩人ウェルギリウス)が立っているのは煉獄であり、そこに亡くなった菜穂子(=ベアトリーチェ)が天国から迎えに来る。

閑話休題。ここでどうして「神曲」を持ち出したかというと、ちゃんと根拠がある。マーラー未完の交響曲第10番 第3楽章のスケッチには「煉獄Purgatorio(または地獄Inferno)」と書かれており、(または地獄Inferno)の部分に消された跡があるのだ。

さて、インバル/大フィルの演奏について語ろう。第1楽章は指揮者の冷徹な眼差しが光る。行進曲のリズムは明快で、低弦は殺伐とした雰囲気があり、目の前のものをバッサバッサと容赦なく切断しながら前進する。第2主題(アルマのテーマ)は決して甘美にならず、決然と鳴り響く。空恐ろしい世界。第2楽章スケルツォも力強く律動し、鋭いアクセントで誇張された音楽。第3楽章アンダンテ・モデラートは速めのテンポで流れ、決して粘らない。そしてやって来ました終楽章の地獄篇。僕は円谷プロが制作しTBSで放送された「怪奇大作戦」(1968-9)の主題歌「恐怖の町」(作詞:金城哲夫、作曲:山本直純)の歌詞を想い出した。

闇をひきさく あやしい悲鳴
誰だ 誰だ 誰だ
悪魔が 今夜もさわぐのか

迫力満点、聴き応えたっぷりのコンサートだった。

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2017年7月15日 (土)

バーンスタイン「ミサ曲」と「ジーザス・クライスト・スーパースター」

7月14日(金)フェスティバルホールへ。レナード・バーンスタインのミサを聴く。

Mass

総監督/指揮/演出:井上道義(ミッキー)、ミュージック・パートナー:佐渡 裕、大阪フィルハーモニー交響楽団&合唱団(合唱指揮:福島章恭)、公募による児童合唱、歌手18人、ロックバンド、ダンサーら総勢200人が出演、それに舞台美術も加わる劇場用作品である。1970年に作曲が開始され、翌71年にジョン・F・ケネディ・センター@ワシントンのこけら落とし公演として初演された。ミッキーは1994年に京都市交響楽団を率いてオーチャードホールでこの作品を上演。日本での再演は実に23年ぶりとなる。

一目瞭然なのはアンドリュー・ロイド・ウェバーのロック・ミュージカルジーザス・クライスト・スーパースター」からの影響である。題材も編成も類似している。「ジーザス」のブロードウェイ初演は71年。しかし69年に楽曲"Superstar"がシングルで発売、70年には"Jesus Christ Superstar"と題した2枚組LPレコードがリリースされている(当時ロイド・ウェバー22歳)。間違いなくレニーはこれを聴いている筈。またこの頃の音楽の潮流にも深く関わりがある。それはロックとオーケストラを融合したプログレッシブ・ロックだ。その代表格ピンク・フロイドがアルバム「原子心母」を発表したのは1970年。23分に渡るロック・シンフォニーが展開される。またロックバンド「イエス」も同年に発表した2ndアルバム「時間と言葉」でオーケストラと共演しシンフォニック・ロックを実現している。さらに源流まで遡ると「世界初のコンセプト・アルバム」と呼ばれるビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(1967)に辿り着く。プロデューサー:ジョージ・マーティンの功績が大きい。

ユダヤ人であるレニーはキリスト教に懐疑的・批判的だった。そういう姿勢も「ジーザス」に共通している。彼の祖父は高名なラビ(ユダヤ教聖職者)で、父も信仰心に篤いユダヤ教徒だった。しかしレニーが指揮する音楽の作曲家は殆どキリスト教徒だったわけで(モーツァルトのレクイエム=死者のためのミサとか、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスとか)、大いなる矛盾があった。それはウィーン宮廷歌劇場(現在のウィーン国立歌劇場)第一楽長になるためにユダヤ教からローマ・カトリックに改宗したグスタフ・マーラーの苦渋に重なる。因みにレニーの交響曲第3番「カディッシュ」の意味はユダヤ教徒が唱える「死者のための祈り」である。一方、ミサの定義は「カトリック教会において(キリストの体と血である)パンとぶどう酒を聖別して聖体の秘跡が行われる典礼、祭儀」である。

僕はレニーが指揮し71年に録音されたCDで予習して今回の公演に臨んだのだが、初めて生のパフォーマンスに接し、やはり劇場というのは古代ギリシャの時代から「祝祭空間」だったのだなぁと実感した。ロックありブルースあり、バレエあり、マーチング・バンドありと正にカオスである(冒頭にはジュークボックスが登場)。オーケストラはパンチが効いた演奏でエネルギッシュ、文句なし。ミッキーはMaster of Ceremony(M.C.)としての才能を遺憾なく発揮した。ただミッキーの誤算はソリストの選択にあった。全員が音楽大学出身のクラシック音楽畑の人々で、どうもロックとかブルース、ゴスペルの雰囲気=グルーヴ(groove:高揚感、音楽に乗った状態)が醸し出せていない。レニーのCDにはそれがあった。何人かはロック歌手やミュージカルの役者を起用すべきだったのではないだろうか?具体例を挙げよう。ミュージカル「キャンディード」に出演経験のある中川晃教、「デスノート」の浦井健治、石井一孝、「レ・ミゼラブル」や「天使にラブソングを」に出演した森公美子らである。

というわけで不満もあったが、日本でこの作品に直に接せられるチャンスはもう2度とないかも知れないので、ミッキーには大いに感謝したい。

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2017年7月12日 (水)

上森祥平/ブリテン:無伴奏チェロ組曲全曲演奏会

7月11日(火)大阪倶楽部へ。上森祥平のチェロを聴く。

  • J.ダウランド:ラクリメ「涙」
  • ブリテン:無伴奏チェロ組曲 第1番
  • R.スマート:ああ、私にひどいことしないで
  • ブリテン:無伴奏チェロ組曲 第2番
  • T.ヒューム:愛よさらば
  • ブリテン:無伴奏チェロ組曲 第3番

ブリテンの無伴奏チェロ組曲はムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(愛称スラヴァ)の依頼で作曲された(第1,2番はレコーディングされたが、第3番は残されていない。他にチェロ交響曲がスラヴァに献呈された)。この曲を聴いていると、ショスタコーヴィチのヴィオラ&ヴァイオリン・ソナタとの親和性を強く感じる。両者の共通項は社会的重圧に対する抵抗、苛立ち、疲弊感である。社会的重圧とはショスタコの場合ソビエト共産党政府(ジダーノフ批判など)であり、ブリテンにとってはゲイ差別であった。

ブリテン生涯のパートナーは自作のオペラ初演を数多く歌ったテノール歌手ピーター・ピアーズ。ふたりは同棲生活を送り、現在彼らの墓はオールドバラの教会墓地に仲良く並んで置かれている。イギリスに於いて1967年まで「反自然的性交」は犯罪であり、1952年に「著しい猥褻行為」(gross indecency;つまり同性愛行為)で逮捕された数学者のアラン・チューリングは投獄か、同性愛を治療するための化学療法を受けるか二者択一を余儀なくされた(詳細はアカデミー作品賞・監督賞にノミネートされた映画「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」を参考にされたし)。因みに無伴奏チェロ組曲の初演は第1番:64年、第2番:67年、第3番:72年である。

ブリテンは1913年生まれ、ショスタコは1906年生まれで7歳違い。ほぼ同世代と言えるだろう。ふたりには接点があったに違いないと調べてみると案の定、交流があり、互いを尊敬していたようだ。ショスタコの交響曲第14番「死者の歌」はブリテンに献呈され、イギリス初演はブリテンが指揮した。また逆にブリテンは歌劇「放蕩息子」をショスタコに献呈している。

プレ/アフター・トークがあったが、ブリテンの無伴奏全曲が関西で演奏されるのはおそらく今回が初めてだろうと。東京では10年前に堤剛がサントリー(小)ホールで演ったきりだそう。

上森の見解によると組曲第1番は歌劇「ピータ・グライムズ」に似ている。Canto(歌)が4回挿入されるが、これは前奏曲/間奏曲に相当する。第2番は終曲がシャコンヌであることから判る通り、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番への対抗心が剥き出した。女性的な大バッハに対し、ブリテンのそれは男性的で海の男を思わせる。第3番は4つのロシア民謡が引用された「告別の歌」。オーソン・ウェルズ監督の映画「市民ケーン」を想起させると。

上森の演奏は力強く雄弁。特に第2番は低音が朗々と響いた。僕は「市民ケーン」を何度も観ているが、上森とは違い第3番との関連性を感じることはなかった。寧ろ虚無感、諸行無常の響きがあり、に近いと想った。特にイントロのピチカートは小鼓を打つ音を連想させる。ブリテンは56年に来日し、「隅田川」に深い感銘を受け滞在中に2度鑑賞した。そして「隅田川」を基に、舞台を中世のイギリスに置き換えた歌劇「カーリュー・リヴァー」を作曲した。その体験が第3番に反映されているのではないだろうか?

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2017年7月 3日 (月)

パスカル・ロジェ ピアノ・リサイタル/全部ドビュッシー!

7月1日ザ・フェニックスホールへ。

Roge

フランス・パリ生まれのピアニスト、パスカル・ロジェが弾くオール・ドビュッシー・プログラムを聴く。満席。

  • アラベスク 第1番
  • 雨の庭〜「版画」より
  • 水の反映〜「映像 第1集」より
  • 金色の魚〜「映像 第2集」より
  • 沈める寺〜「前奏曲集 第1集」より
  • 「子供の領分」
    • グラドゥス・アド・パルナッスム博士
    • 象の子守歌
    • 人形のセレナード
    • 雪は踊る
    • 小さな羊飼い
    • ゴリウォーグのケークウォーク
  • 〈休憩〉

  • ベルガマスク組曲
    • 前奏曲
    • メヌエット
    • 月の光
    • パスピエ
  • そして月は廃寺に落ちる〜「映像 第2集」より
  • 花火〜「前奏曲集 第2集」より
  • 月の光が降り注ぐテラス〜「前奏曲集 第2集」より
  • 亜麻色の髪の乙女〜「前奏曲集 第1集」より
  • グラナダの夕べ〜「版画」より
  • 喜びの島
  • 塔〜「版画」より (アンコール)
  • ミンストレル〜「前奏曲集 第1集」より (アンコール)

  • フランス音楽らしく幻想性が豊かで、(特に低音域が)力強く演奏に切れがあった。
  • プログラム前半は水のイメージで統一され、後半は月明かりや仄暗い情景(花火、夕景)など。月の光が皓々と冴え渡る情景が幻視された。
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    2017年6月30日 (金)

    ハーゲン弦楽四重奏団@いずみホール

    6月29日(金)いずみホールへ。ハーゲン弦楽四重奏団を聴く。

    Hagen

    • ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲 第3番 ヘ長調
    • ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調
    • ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲 第14番 嬰へ長調 
    • ハイドン:弦楽四重奏曲 第78番「日の出」より
      第3楽章 メヌエット(アンコール)

    ベートーヴェン最後のカルテットを挟み、滅多に聴く機会がないショスタコを2曲。ヴィブラートを抑えた柔らかい音色が不穏に響く。第二次世界大戦直後、交響曲第8番と同時期に作曲されたSQ 第3番は軽やかだが、ねちっこい。第14番の第1楽章からはショスタコの怨嗟、はけ口のない憤怒、苦渋、辛酸といった諸々の感情がドロドロしたマグマのように湧き上がってくる。第2楽章は絶望と諦念、そして虚無。空恐ろしい孤独。そして終楽章で作曲家は静かに発狂し、灰になる。終結部は魂の救済、やっと訪れた平安。

    ベートーヴェンの16番は重量級の13〜15番と比べると「軽い」「呆気ない」印象を今まで持っていたのだが、どうしてどうして、ハーゲンの演奏を聴くとショスタコ同様不気味で謎めいた楽曲に聴こえてきて驚いた。

    アンコールのハイドンは甘くない。でも馥郁たる香りが立ちこめ、さすがオーストリア・ザルツブルク生まれのハーゲン兄弟だなと感じ入った。

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    2017年6月14日 (水)

    神戸国際フルートコンクール審査員によるガラ・コンサート

    6月2日(金)神戸文化ホールへ。

    第9回神戸国際フルートコンクール審査員によるガラ・コンサートを聴いた。2009年(第7回)の感想はこちら。この時、審査員だったウィーン・フィルのヴォルフガング・シュルツは2013年に亡くなった。

    第9回に至るまでには紆余曲折があった。「市民への浸透度が低い」として神戸市が補助金を打ち切ったのである。しかし久元喜造市長が東奔西走し、スポンサーを見つけ、なんとか開催にこぎつけたのだった。ちなみに市長の妻は国立音楽大学准教授でピアニストの久元祐子である。

    今回の演奏家は以下の通り。

    アンドラーシュ・アドリヤン(元ミュンヘン国立音楽大学教授)
    フィリップ・ベルノルド(パリ国立高等音楽院教授)
    エミリー・バイノン(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団首席奏者)
    ヴァリー・ハーゼ(フランツ・リスト・ヴァイマル音楽大学教授)
    神田寛明(NHK交響楽団首席奏者)
    ミヒャエル・マルティン・コフラー(ミュンヘン・フィル首席奏者)
    工藤重典(パリ・エコール・ノルマル教授/水戸室内管首席奏者)
    酒井秀明(日本フルート協会副会長)
    尹慧利(ソウル国立大学教授)

    神戸国際フルートコンクールの過去の入賞者には第2回で優勝したエマニュエル・パユ(現ベルリン・フィル首席奏者)や、第4回で第2位となったマチュー・デュフォーシカゴ交響楽団→現ベルリン・フィル首席奏者)がいる。エミリー・バイノンは第3回の第3位。

    曲目は、

    • 林光:「花」変奏曲〜滝廉太郎の主題による(神田)
    • アミロフ:フルートのための6つの作品より(バイノン)
    • W.F.バッハ:フルート2重奏 第3番(ハーゼ、コフラー)
    • ベートーヴェン:ロマンス 第2番(工藤)
    • タファネル:アンダンテ・パストラールとスケルツェッティーノ
      (ベルノルド)
    • メシアン:黒つぐみ(酒井)
    • ドップラー:グランド・ファンタジー(アドリアン)
    • カステレード:笛吹きの休日(神田、酒井、尹)
    • ショパン:ロッシーニの主題による変奏曲(コフラー)
    • M. マレ:スペインのフォリア(ハーゼ)
    • モーツァルト:ソナタ K.448 第2楽章(アドリアン、工藤)
    • 尹 伊桑:エチュード 第5番(
    • ドップラー:華麗なワルツ(ベルノルド、バイノン)

    神田の音は柔らかく、羽根のように軽い。

    バイノンは子守唄での弱音が美しく、舞曲は切れがあってすばしっこい。強靭なバネで跳ねる。

    大バッハ(ヨハン・セバスチャン)の長男、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの曲ではヴィブラートが抑えられ、飾らない簡潔な響きが心地よい。整った美が感じられた。またフーガの掛け合いがスリリング。

    工藤のベートーヴェンは太い音が特徴。またタファネルの楽曲は華麗だった。

    「笛吹きの休日」はキュートでお洒落。

    コフラーの吹く「ロッシーニの主題による変奏曲」は正確無比、律儀な開始から超絶技巧へ。最後は「熊蜂の飛行」みたい。

    ハーゼの奏でるマリン・マレ(1656-1728、仏)は凛として気高い。

    尹 伊桑(ユン・イサン)の楽曲は龍笛や尺八を彷彿とさせる雰囲気があり。調べてみると彼は大阪音楽学院や東京で作曲を学んでいる。

    最後のドップラーは「お花畑でパーティ!」といった感じだった。

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