舞台・ミュージカル

2020年2月 1日 (土)

【考察】今世紀最大の問題作・怪作!ミュージカル映画「キャッツ」〜クリエイター達の誤算

2019年12月20日に北米で公開されるやいなや、「グロテスクなデザインと慌ただしい編集で、不気味の谷へと転落していく。ほとんどホラー」(Los Angeles Times)「4回吐いた」「悪夢を見ているよう」「あまりの恐怖に涙が出た」「猫の皮を被ったカルト宗教集団から延々と洗脳され続ける体験」などと酷評され続ける映画「キャッツ」。

現在、IMDb(インターネット・ムービー・データベース)での評価は10点満点中2.8点(2万5千人以上の集計)、なんと!史上最低(B級映画をも下回る)Z級映画と誉れ?高い「死霊の盆踊り」Orgy of the Dead の2.9点より低い。

Bon

因みに「アタック・オブ・ザ・キラー・トマト」が4.6点、エド・ウッド監督「プラン9・フロム・アウタースペース」は4.0点だ。つまりZ級映画の殿堂入り確定、文句なしのカルト映画ということ。

続いて【腐ったトマト(Rotten Tomatoes)】を見てみよう。

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評論家の肯定的評価は20%で〈腐った〉、一般人からは53%の支持しか得ていない。なお北米で公開された新海誠監督「天気の子」(英題:Weathering With You)に対する評論家の肯定的評価は92%〈新鮮〉、一般人は95%となっている。

Cats

僕がこれだけのショック(電気的啓示 electric revelation)を受けたのは橋本忍(脚本・監督)のトンデモ映画「幻の湖」(1982)以来ではなかろうか!?だから40年に1本の珍作・怪作と断言しよう。小説で言えば「ドグラ・マグラ」「虚無への供物」「黒死館殺人事件」など三大奇書レベル。

BとかCとか中途半端な評価は本作に似合わない。AかZの二択だ。僕は存分に愉しんだので謹んでAを進呈する。字幕版だけでは飽き足らず、日本語吹き替え版も立て続けに観た。

公式サイトはこちら

舞台ミュージカル「キャッツ」は1981年にロンドンで開幕。ロンドンで21年、ブロードウェでは17年間のロングランを記録。トニー賞ではミュージカル作品・楽曲・台本・演出賞など7部門を制覇した。

役者が猫を演じ、人間役は一切登場しないという当時としては革新的なミュージカルであり、長らく実写映画化は不可能と言われていた。スティーヴン・スピルバーグの製作会社、アンブリン・エンターテイメントがアニメーション化するという話もあったが、結局立ち消えになった。

普段私達が舞台を観る時は、想像力をフルに働かせて足りないものを補っている。そこに猫の着ぐるみを身にまとった役者がいれば、【人間→猫】に〈見立て〉る 。つまり脳内で〈変換〉作業が行われる。絵の具で描かれた舞台背景=書き割りも、本物の風景が広がっていると〈想像力〉で補完する。その究極の姿が落語であり、座布団の上で演者が上下(かみしも)を切る(顔を左右に向けて話す)ことで、観客は二人の登場人物が会話していると脳内で〈見立て〉る 。小道具となる扇子も、広げて盆に〈見立て〉たり、閉じたまま煙管や筆、箸に〈変換〉して使用される。つまり落語は観客の〈想像力〉を借りなければ成り立たない芸能である。年端のいかない幼い子が見たら「あのおっちゃん、なに一人で喋ってんの?アホちゃう」ということになるだろう。これが芝居・寄席小屋における暗黙の了解である。

ところが、映画というメディアではそうはいかない。リアリティが求められ、〈想像力〉を働かせる必要がない。白黒の無声映画時代なら背景が書き割り(絵)でも許された。しかし音声が付き、カラーになり、画面が大きくなってサラウンド・スピーカー・システムが導入され事情が変わった。現在ではフィルムからデジタル時代になり、さらに細密な描写が必須となった。つまり映画は舞台よりも実生活に近いメディアであり、映画館はヴァーチャル・リアリティ(仮想現実)の場。だから観客は〈見立て〉たり、〈想像力〉を働かせることを止めてしまった。IMAX上映とかアトラクション(体感)型4Dシアターの出現は、その傾向に拍車をかけた。

舞台では日本人がリア王やマクベスを演じても不自然じゃない。ギリシャ悲劇やチェーホフも演る。宝塚歌劇の男役だってそう。しかし映画でそれは許されない。〈見立て〉が成り立たないのだ。つまり「これは花も実もある絵空事ですよ」という約束事が通じる閾値・境界線、仮にそれをReality Lineと呼ぼう、が舞台と映画では明確に違う。

映画「キャッツ」は着ぐるみではなく、最新のCG技術"Digital Fur Technology"を駆使して役者に猫の体毛を生やした。非常にリアルだ。すると観客は【人間→猫】に脳内変換することが不可能になる。人間でもなく、猫でもない化け物(monster)=猫人間の誕生である。「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する猫娘みたいなものだ。しかもおぞましいことに更に小さな、人間の顔をしたゴキブリ、つまりゴキブリ人間も登場し、猫人間がそれを食べてしまう衝撃的な場面が用意されている。ここで大半の人はカニバリズムを連想し、阿鼻叫喚となるだろう。「進撃の巨人」における巨人が人間を喰らう場面に相当、さながら地獄絵図である。

面白いのは映画「キャッツ」批判の中に、〈彼らは性器がついておらず、股間がツルンとしているのは何故?〉というのがあった。舞台版では一度もされたことのない問いである(Catsの着ぐるみに、性器がついていたら気持ち悪くないですか?)。ここでも舞台と映画ではReality Lineが異なることが示されている。映画ではより精密な描写が求められるのだ。この股間問題は、ディズニーの超実写(CG)版「ライオンキング」でも話題になった。アニメ版ではその省略を誰も気にしなかったのに。つまりセル画アニメとCGでも、観客が求めるReality Lineは違う。漫画のアニメ化に成功例は多いが、実写映画化は殆ど失敗しているのもReality Lineの差に原因があるのだろう。

本作を観た多くの人が「不気味だ」「怖い」と感じる。それは危険を察知して回避しようとする動物的な防衛本能である。私達は舞台を観るときにある程度距離をおいて客観視することが出来る。つまり知性で「これは虚構(Fiction)だ」と分かり、現実(Real)と区別している。しかし映画になると知性が吹っ飛び本能が表面に出てきて主観的になる。虚構と現実の境界が曖昧になるのだ。興味深い現象である。だからこそ映画には没入感があり、より一層人の心の深層に潜り込むことが出来る。

結局、「英国王のスピーチ」でアカデミー作品賞・監督賞を受賞したトム・フーパーら「キャッツ」のクリエイターたちは、舞台と映画の本質的違いをよく分かっていなかったのだろう。そこに彼らの大いなる誤算があった。結局、アニメーション化したほうが無難だった。

ミュージカル「キャッツ」は基本的に歌と踊りを主体としたショー=レビューである。一匹ずつ、自分がどういう猫かを語ってゆく。だから基本的に物語らしい物語はない。それを期待するだけ無駄である。過去の映画で一番近いのは「ロッキー・ホラー・ショー」かな?だからこれから映画版を観る人は、一夜のパーティに参加するノリで足を運んだら良いだろう。いずれ「ロッキー・ホラー・ショー」同様に、猫のコスプレしてスクリーンに向かって野次やツッコミを入れる観客参加型上映が定着するのではないだろうか。

映画版のオールド・デュトロノミー役:ジュディ・デンチは1981年のウエスト・エンド公演でグリザベラを演じる予定だったが、稽古中の怪我で止むなくエレイン・ペイジと交代した。粋な配役である。因みに舞台版のオールド・デュトロノミーは男優が演じる。

あと映画版のグリザベラ(ジェニファー・ハドソン)はシャンデリアに乗って上昇し、天上界へと向かう(舞台版ではタイヤが浮き上がる)。これは同じロイド・ウェバーのミュージカル「オペラ座の怪人」第1幕のクライマックスでシャンデリアが落下することと、きれいに対称を成している。このあたり、トム・フーパーの演出は冴えに冴えている。

ブロードウェイ・ミュージカル「ハミルトン」「イン・ザ・ハイツ」 などでトニー賞の振付賞を3度受賞しているアンディ・ブランケンビューラーによる振付がヒップホップを取り入れるなど斬新でダイナミック。

また日本語吹き替え版は山崎育三郎、大竹しのぶ、山寺宏一、宝田明らが素晴らしく、聴き応えあり。

映画という概念を変える、画期的・革新的エンターテイメントの出現である。四の五の言わず、直ちに劇場で体感せよ!!

〈追伸〉本作にガッカリしたという貴方、トム・フーパー監督を見限らないであげて。2月にAmazon Prime Video他から配信される「ダーク・マテリアルズ/黄金の羅針盤」は絶対に面白いから!なんと、「ゲーム・オブ・スローンズ」の米HBOと「シャーロック」の英BBC共同制作による超大作だ。こちらからどうぞ。

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2020年1月31日 (金)

望海風斗(主演)宝塚雪組「ONCE UPON A TIME IN AMERICA (ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ)」

故セルジオ・レオーネ監督には次のようなタイトルの映画がある。

  • Once Upon a Time in the West(ウエスタン)
  • Once Upon a Time in America 遺作

そして2019年にクエンティン・タランティーノ監督の、

  • Once Upon a Time in Hollywood

が公開され、これで3部作が完結した。タランティーノは心からレオーネを敬愛しており、"Once Upon a Time in the West"について「この映画を観て映画監督になろうと思った」と熱く語っている(詳細はこちら)。タラちゃんがエンニオ・モリコーネの音楽を偏愛するのもレオーネの影響だろう。だから自作「ヘイトフル・エイト」でモリコーネを起用し、彼にとって初めてのアカデミー作曲賞をもたらした。これもある意味、レオーネとモリコーネへの感謝の気持ちの表明、恩返しであると言えるだろう。

ここで僕が考えるエンニオ・モリコーネのベスト5を挙げておこう。

  1. ニュー・シネマ・パラダイス
  2. Once Upon a Time in the West(ウエスタン)
  3. ミッション
  4. The Good, the Bad and the Ugly(続・夕陽のガンマン)
  5. Once Upon a Time in America

次点は「死刑台のメロディ」(Sacco e Vanzetti:サッコとヴァンゼッティ)かな?「天国の日々」もいいしな……。

"Once Upon a Time in America"はなんと言っても〈デボラのテーマ〉が素晴らしい!胸に染み入る美しさを湛える。

その"Once Upon a Time in America"を小池修一郎の作・演出で宝塚歌劇が上映すると聞いたときには心底驚いた。そして「大丈夫かな……」と不安になった。

華やかさとは程遠いノワール(マフィアもの)だし、宝塚に向いていると思えない。特に主人公のヌードルス(ロバート・デ・ニーロ)がキャデラックの車内で幼馴染のデボラ(エリザベス・マクガヴァン)をレイプする場面(衝撃的だった)とか、チャイニーズ・タウンの阿片窟でヌードルスがヘロヘロになり、虚ろな目でニヤッとする(そこでストップモーションがかかる)あの絶望的なラストシーンを一体全体どう処理するんだ!?と気が気じゃなかった。「清く正しく美しく」という、すみれコードに明らかに抵触する。

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1月12日(日)宝塚大劇場で観劇。結局、僕の心配は杞憂に終わった。さすが歌劇団のエース・小池修一郎、手練れである。小池が書いた台本の最高傑作は文句なしに「ポーの一族」だが、「ONCE UPON A TIME IN AMERICA 」はその次に挙げてもいいんじゃないかな?そう思った。

因みに僕が過去に観たことがある小池のオリジナル作品(海外ミュージカルを除く)は他に「ヴァレンチノ」「PUCK」「ロスト・エンジェル」「失われた楽園」「ブルースワン」「JFK」「イコンの誘惑」「エクスカリバー」「タンゴ・アルゼンチーノ」「LUNA -月の遺言-」「カステル・ミラージュ-消えない蜃気楼-」「薔薇の封印 -ヴァンパイア・レクイエム- 」「NEVER SAY GOODBYE -ある愛の軌跡- 」「アデュー・マルセイユ」 「グレート・ギャツビー」「オーシャンズ11」「カサブランカ」「銀河英雄伝説」「眠らない男・ナポレオン」「るろうに剣心」「ALL FOR ONE 〜ダルタニアンと太陽王〜」といったところ。

さて本題に入ろう。幕が開くと早速、ギャングに扮した黒燕尾の男役達による群舞から始まるのに胸が高鳴った。カッケー、最高!

デボラに対するレイプは未遂に終わり、深紅のバラの花でいっぱいの宝塚らしい場面に差し替えられていたし、阿片窟は出てくるけれど新たに別のラストシーンが用意されていて、納得の幕切れだった。

デボラがブロードウェイで成功するエピソードでは華やかなレビューが展開され、まるで「ジーグフェルド ・フォリーズ」だったし、それとは対照的に、禁酒法時代に“スピークイージー”と呼ばれたもぐり酒場でのいかがわしい退廃的ショーはボブ・フォッシー振付の「シカゴ」とか「キャバレー」を彷彿とさせた(以前小池は「キャバレー」を演出している)。「三文オペラ」のクルト・ヴァイル的とも言える。

また仲間の一人ジミーの人物造形が、全米トラック運転手組合の委員長を務めたジミー・ホッファをモデルにしていることに今回初めて気が付いた。マーティン・スコセッシが監督した映画「アイリッシュマン」(2019)ではジミー・ホッファをアル・パチーノが演じ、映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」に出演したデ・ニーロやジョー・ペシも「アイリッシュマン」で共演している。

あとデボラが将来、ハリウッド・スターになってヨーロッパの王族に見初められ、王妃になるんだと夢見ている設定は、モナコ公国の公妃になったグレース・ケリーの人生を踏まえているのだろうなと思った。

モリコーネの音楽は一切使用されず、太田健の作曲した楽曲も悪くなかった。あと望海風斗と真彩希帆が歌えるトップ二人なので、安心して作品世界に浸ることが出来た。お勧め!

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ラミン・カリムルー、サマンサ・バークス in "CHESS THE MUSICAL" @梅芸

1月26日(日)梅田芸術劇場へ。CHESS THE MUSICALを観劇。

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出演はラミン・カリムルー、サマンサ・バークス、ルーク・ウォルシュ、佐藤隆紀(LE VELVETS)、エリアンナほか。演出・振付はニック・ウィンストン。公式サイトはこちら

ラミンの生歌を聴くのはこれが5回目、チェス盤上での米ソ冷戦を描く風変わりなミュージカル「チェス」は4回目になる。

ロンドンの「レ・ミゼラブル 25周年記念コンサート」でアンジョルラスを、「オペラ座の怪人 25周年記念コンサート」でファントムを演じたラミンの素晴らしさを今更ここで力説する必要もないだろう。ブロードウェイではジャン・バルジャンを演じ、トニー賞にノミネートされた。なお、佐藤隆紀も2019年からバルジャン役に抜擢されている。

第1幕フィナーレでラミンの歌う〈アンセム〉は万感の思いが込められており、圧巻。彼は1978年9月にイランのテヘランに生まれたが、当時はイラン革命(1978年1月ー1979年2月)の最中であり、国に留まっていては殺されるということで家族でカナダに移住、そしてさらに現在はイギリスに拠点を移しており、「それでも僕の心はイランにある」とアフタートークで語った。ラミンの半生が彼の演じるロシア人アナトリーに重なる。初めてミュージカルのオーディションを受けたときも〈アンセム〉しか知らず、これを歌ったという。

今回が初来日のサマンサ・バークスは「レ・ミゼラブル 25周年記念コンサート」でエポニーヌを歌い、それが高く評価されトム・フーパー監督による映画版「レ・ミゼラブル」も同役に抜擢された。僕は正直彼女のエポをそんなに好きじゃないのだけれど、生歌を聴いて度肝を抜かれた。いや、ハートを射抜かれた。ぜんぜん違う!とんでもない歌唱力で全身に鳥肌が立った。ウエスト・エンドの役者の実力、恐るべし。

ルーク・ウォルシュは高音がどこまでも伸び、魅了された。

大変充実した公演だったのだが、全編英語で字幕スーパー付き。アンサンブルが歌って踊る時も字幕を見ると踊りに集中出来ず、せめて日本人アンサンブルだけでも日本語で歌って欲しかったな。

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2019年12月19日 (木)

アカデミー作品賞、主演女優賞、助演女優賞、主演男優賞、脚本賞ノミネート確実!Netflix映画「マリッジ・ストーリー」を観る前に知っておくべきこと。

評価:A

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公式サイトはこちら

本作のアカデミー作品賞/主演女優賞(スカーレット・ヨハンソン)/助演女優賞(ローラ・ダーン)/主演男優賞(アダム・ドライヴァー)/脚本賞ノミネートはほぼ確実。ただしノア・バームバックの監督賞はビミョ〜。以下に挙げる有力候補がいるからである。

  1. マーティン・スコセッシ「アイリッシュマン」
  2. クエンティン・タランティーノ「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」
  3. ポン・ジュノ「パラサイト」
  4. サム・メンデス「1917 命をかけた伝令」
  5. グレタ・ガーウィグ「ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語」
  6. タイカ・ワイティティ「ジョジョ・ラビット」

1−4は当確で、残るひとつの席を巡って三つ巴のつばぜり合いといったところか。

「マリッジ・ストーリー」はノア・バームバックのオリジナル脚本で、彼自身が2005年に女優のジェニファー・ジェイソン・リーと結婚し、長男をもうけ、8年後の2013年に離婚した経験をもとに書かれている。

バームバックはニューヨーク市のブルックリン生まれで、それがそのままアダム・ドライヴァー演じる舞台演出家チャーリーに生かされている。スカーレット・ヨハンソン演じる妻のニコールは元ハリウッド女優であり(結婚後NYの舞台に立つ)、こちらの設定も実生活のまんまだ。

ニューヨークとロサンゼルスを行き来してお話は進むので、「二都物語」と言ってもいいだろう。アメリカの東海岸と西海岸を代表する大都会の違いが浮かび上がってくる(NYは地下鉄を駆使して歩く街、LAは車なしで移動出来ない街)。

本作の前に是非観ておきたい映画がある。アカデミー作品賞/監督賞/脚色賞/主演男優賞(ダスティン・ホフマン)/助演女優賞(メリル・ストリープ)を受賞した「クレイマー、クレイマー」(1979)である。こちらも現在、Netflixで配信中。

夫婦が離婚し、長男の養育権を巡って裁判沙汰になるという構造が同じ。「クレイマー、クレイマー」の舞台はニューヨーク・マンハッタンで、一旦子供を置いて出ていった妻ジョアンナは不在の1年半の間カリフォルニア州で働いていたと夫テッドに語る。ロサンゼルスもカリフォルニア州である。そしてジョアンナはニューヨークでの裁判に勝つために、NYに家を借りる。これは「マリッジ・ストーリー」でNYを拠点に活躍するチャーリーがLAでの裁判に勝つために、現地の家を購入することと対になっている。

両者を見比べると、この40年間でアメリカ社会がどう変わってきたかが手に取るようによく分かる。「クレイマー、クレイマー」を踏まえておけば、「マリッジ・ストーリー」が少なく見積もっても5倍は面白くなるだろう。

「マリッジ・ストーリー」の終盤、ニコールはLAのホーム・パーティにおいて母と姉の三人組でブロードウェイ・ミュージカル「カンパニー」の楽曲"You Could Drive a Person Crazy"を楽しげに歌う。その直後に、今度はNYのバーでテッドが悲壮感を漂わせながら同じく「カンパニー」フィナーレの楽曲"Being Alive"を歌う。観客の涙を誘う場面である(ここのテッドが愛おしい)。

「カンパニー」はスティーヴン・ソンドハイムが作詞・作曲し、1970年に初演された。演出は「キャバレー」「オペラ座の怪人」「スウィーニー・トッド」のハロルド・プリンス。その後繰り返しリバイバル上演されている。僕は1999年の日本初演をシアター・ドラマシティで観劇している。訳詞・演出が小池修一郎。出演は山口祐一郎、鳳蘭、シルビア・クラブ、石川禅ほか。多分、僕が知る限り日本では再演されていない筈。

「カンパニー」の舞台はニューヨーク。35歳の誕生日を迎えた独身の主人公ロバートと、彼を取り巻く知人たちとの交流が描かれる。詳しい物語はこちらをご参照あれ。

"You Could Drive a Person Crazy"は(独身生活を謳歌するロバートが現在付き合っている)女たち三人が歌う。うち一人は航空会社のCA:客室乗務員。タイトルを逐語訳すれば「あなたは人を夢中にさせる」だが、「彼は本当に困った人。まともじゃないの(クレイジーよ)」と歌われる。

一方、ロバートのソロ・ナンバー"Being Alive"の内容はこうだ。誰かと親密になり一緒に暮らし始めると、傷つけられたり、眠りを妨げられたりする。時には地獄に突き落とされるような経験もする。でも、そうやって他者から干渉されることが「生きている(Being Alive ) 」ってことなんだ。一人でいること(alone) は生きていると言えない(not alive)。

今回改めてアダム・ドライヴァーの歌唱で聴いて、この曲が言いたいことは、〈ヤマアラシのジレンマ〉に繋がっているなと思った。ヤマアラシのオスとメスが愛し合うために互いに寄り添おうとすると、自分の針毛で相手を傷つけてしまうため近づけないことを指す。庵野秀明がアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」で引用し、有名になった(庵野は「タッチ」の浅倉南役で知られる声優の日高のりこにプロポーズし、にべもなく断られて痛い目にあっている)。英語ではHedgehog's dilemma〈ハリネズミのジレンマ〉と言い、動物が変わる。哲学者ショーペンハウアーが創作した寓話に由来する。 つまり夫婦を続けるという営みは互いを傷付け合うことに等しいのだが、でもその痛みにこそ〈生の実感〉があるというわけだーけだし名曲である。

よく言われることだが、付き合っていた男女が別れたら、女の方は元カレをけろっと忘れてしまい、思い出の品とかを一切合切処分しても平気で新たな一歩を踏み出せるのだが、男の方は未練たっぷりで、元カノの想い出を捨て切れずにウジウジと引き摺ってしまう。それが病的になるとストーカーに変貌する(一方、女のストーカーは有名人の熱狂的ファンが多い)。そうした男と女の決定的違いを"You Could Drive a Person Crazy"と"Being Alive"の二曲で鮮やかに描き分ける演出は冴えに冴えている。

驚くべきことに2018年にロンドン、2019年にブロードウェイでリバイバル上演された「カンパニー」は男女逆転バージョン!"Being Alive" を女性の主人公が歌い、"You Could Drive a Person Crazy" は男性三人が歌う。演出は「戦争の馬」と「夜の犬の奇妙な事件」でトニー賞を受賞したマリアンヌ・エリオット。正に #MeToo 運動を経た今の時代に相応しいものになっている。

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というわけでミュージカル「カンパニー」を抑えておけば、「マリッジ・ストーリー」を更に5倍面白く観ることが出来るだろう。

ソンドハイムのミュージカルは今やアメリカの知識層にとって、知っていて当たり前の教養になっている。イギリス人にとってのシェイクスピア劇みたいなものだ。映画「ジョーカー」でもホアキン・フェニックスが地下鉄でボコボコにされる場面で、加害者の酔っ払った会社員たちはソンドハイムの「リトル・ナイト・ミュージック」より、"Send in the Clowns"を歌う。

またグレタ・ガーウィグが脚本・監督した「レディ・バード」ではシアーシャ・ローナン演じる高校生が、学校でミュージカルを上演する場面があるのだが、これがスティーヴン・ソンドハイム作詞・作曲の「メリリー・ウィー・ロール・アロング」といった具合。

なおノア・バームバックは現在グレタ・ガーウィグと交際し、2019年に二人の間に子どもが生まれたばかり。何度か一緒に共同脚本も執筆している。

余談だが、「メリリー・ウィー・ロール・アロング」をリチャード・リンクレイター監督が映画化することが既に決まっており、なんと20年を費やして撮影するらしい!!報道資料はこちら。最後まで関係者が誰も死なないことを祈る。

話をもとに戻そう。「マリッジ・ストーリー」はスカヨハとアダム・ドライヴァーの演技が文句なしに素晴らしいのだが、更に強烈なインパクトを与えるのが弁護士役のローラ・ダーン。クソビッチ(Fucking bitch)で最高!ビロウな表現で恐縮です。

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2019年12月13日 (金)

三谷幸喜「愛と哀しみのシャーロック・ホームズ」と「虹のかけら〜もうひとりのジュディ」

三谷幸喜作品で、僕が今まで生の舞台を観たものを以下列挙してみよう。「君となら(再演・再々演)」「笑の大学(初演・再演)」「ヴァンプショウ」「アパッチ砦の攻防」「温水夫妻」「オケピ!(初演・再演)」「竜馬の妻とその夫と愛人」「彦馬がゆく」「You Are The Top/今宵の君」「なにわバタフライ」「12人の優しい日本人」「コンフィダント・絆」「グッドナイト スリイプタイト」「ろくでなし啄木」「国民の映画」「90ミニッツ」「ホロヴィッツとの対話」「酒と涙とジキルとハイド」「其礼成心中」「紫式部ダイヤリー」「日本の歴史」の21作品。

テレビ放送、DVDなどで観たものは「天国から北へ3キロ」「ショー・マスト・ゴー・オン」「巌流島」「バイ・マイセルフ」「マトリョーシカ」「バッド・ニュース☆グッド・タイミング」「東京サンシャインボーイズ returns」「ベッジ・パードン」の8作。合わせて29作品。これが僕の観劇歴である。

10月3日(木)森ノ宮ピロティホールへ。

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「愛と哀しみのシャーロック・ホームズ」の主な出演者は柿澤勇人、佐藤二朗、広瀬アリス。

正直言って、もう三谷の舞台作品は観なくていいかな、と思った。映画の方は(「清須会議」以降)とっくに見限っている。

最近の三谷は語るべきテーマを完全に見失っている。東京サンシャインボーイズ時代は良かった。ひとりひとりだと、ちょっと足りない人物たちが集まり、チームとして一丸となれば何かを達成出来るという明確なビジョンがあった。その頂点に立つのがテレビドラマ「王様のレストラン」である。つまり〈仲間が一番〉〜バディものとしての特性がピクサー・アニメーション・スタジオ的で、だから三谷のお気に入りの映画が「トイ・ストーリー(第一作)」や「がんばれ!ベアーズ」なわけだ。しかしその路線は既に語り尽くされてしまい、もはや三谷の引き出しは空っぽになってしまった。何を描きたいのか、さっぱり分からない。多分、本人も同様なのだろう。

細部でのくすぐり、クスクス笑いはあるが、それが全体のドッカンに繋がらない。あくまで刹那的だ。コメディの質としては吉本新喜劇レベル。

三谷幸喜はコメディの名手ビリー・ワイルダーに憧れて、彼に会うために渡米もしている。しかし結局〈日本のビリー・ワイルダー〉にはなれなかった。ユダヤ人だったワイルダーはベルリンで新聞記者をしていたが、アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツの台頭を目の当たりにしてフランスを経由してアメリカに亡命した。オーストリア・ウィーンに残してきた母親や祖母は強制収容所送りになり、殺された。だからワイルダーのコメディ映画の根底には人間に対する〈不信〉と〈絶望〉があり、それが作品に深みをもたらしている。コメディじゃないが「サンセット大通り」なんて、ゾッとするほど恐ろしい映画だ。一方、おぼっちゃんとして大切に育てられた三谷は日本大学藝術学部在学中に劇団「東京サンシャインボーイズ」を旗揚げし、順風満帆な演劇人生を歩んできた。だから彼の作品にはワイルダーの持つ〈影〉や〈闇〉、〈業の深さ〉が欠けている。薄っぺらいのだ。

12月3日(火)サンケイホールブリーゼへ。「虹のかけら〜もうひとりのジュディ」を観劇。

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「なにわバタフライ」同様、戸田恵子の一人芝居。他に女性ミュージシャン3名が舞台上で生演奏する。

こちらも三谷幸喜が何を描きたいんだかさっぱり理解出来なかった。しかも上映時間80分ー短っ!稀代のミュージカル女優ジュディ・ガーランドの人生を描く作品として物足りない。

そもそも、彼女の付き人として、専属の代役として、長年に渡って影のように寄り添った一人の女性、ジュディ・シルバーマンという架空の人物を設定する意図が不明。第三者の視点が全く効果を上げていない。はっきり言う。作劇術として完全に失敗している。がっかりした。仕方ないから来年公開されるレネー・ゼルウィガー主演の映画「ジュディ」(アカデミー主演女優賞確実!)に期待する。

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ただ芝居としてはお粗末だったけれど、ジュディ・ガーランドが歌った名曲の数々を聴けたので「愛と哀しみのシャーロック・ホームズ」ほどは腹が立たなかった。

さようなら、三谷幸喜。これで終わりだ。

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2019年12月12日 (木)

音楽の天使が舞い降りた!!〜ミュージカル「ファントム」

梅田芸術劇場でミュージカル「ファントム」を観劇。

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演出は城田優。ダブルキャストで12月7日(土)マチネと12月9日(月)ソワレの配役は以下の通り。

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キャリエール(旧劇場支配人/エリックの父)役は岡田浩暉。

僕は同じガストン・ルルーの小説を原作とする、アンドルー・ロイド・ウェバー作曲「オペラ座の怪人」も、モーリー・イェストン作詞・作曲「ファントム」も大好きだ。ロイド・ウェバー版はロンドン(ウエストエンド)、ニューヨーク(ブロードウェイ)、ラスベガス(既に公演終了)でも観劇している。

一方、モーリー・イェストン版「ファントム」は以下の公演を観ている。

  • 2004年 宝塚宙組 和央ようか、花總まり、樹里咲穂(日本初演)
  • 2006年 宝塚花組 春野寿美礼、桜乃彩音、彩吹真央
  • 2011年 宝塚花組 蘭寿とむ、蘭乃はな、壮一帆
  • 2018年 宝塚雪組 望海風斗、真彩希帆、彩風咲奈
    (以上、潤色・演出は中村一徳)
  • 2008年 大沢たかお、徳永えり、伊藤ヨタロウ(演出:鈴木勝秀)
  • 2014年 城田優、山下リオ、吉田栄作(演出:ダニエル・カトナー)

    城田優 主演/ミュージカル「ファントム」 2014.10.11

正直言って、城田優の演出は凡庸でいただけない。ただ最悪だったのは鈴木勝秀で、下から2番めといったところ。一番感銘を受けたのは2014年のダニエル・カトナー版である。

まず衣装の色彩が気に入らない。赤系と青系がごちゃまぜで、カラフルと表現すれば聞こえはいいが、僕は「統一感に欠け、品がない」と思った。カオスだ。城田はアフタートークショーで「パリの雰囲気を出したかった」と説明していたが、君は実物のパリに行ったことがあるのか?あんなに色彩過多じゃないぞ。MGMミュージカル映画「巴里のアメリカ人」や「恋の手ほどき」(ヴィンセント・ミネリ監督)などでもっと勉強したほうがいい。「恋の手ほどき」(Gigi)の衣装デザイナーは「マイ・フィア・レディ」のセシル・ビートンだしね。

それからコメディ・リリーフのカルロッタや新支配人アラン・ショレへの演技指導がお粗末。大仰でわざとらしく、ちっとも笑えない。2回目の観劇で気が付いたのだが、城田が出演したミュージカル「ブロードウェイと銃弾」やWOWOWのバラエティ番組「グリーン&ブラックス」(井上芳雄主演)を演出している福田雄一の影響を受けているのではないだろうか?僕は福田の〈笑いのセンス〉が嫌いじゃないが、「ファントム」の世界観には合わないだろう。

なんだか「ファントム」がユニバーサル・スタジオが製作した安っぽいモンスター映画に貶められたような気がして、がっかりした。ただロン・チェイニーが主演したユニバーサル映画「オペラ座の怪人」(1925年)が出発点なわけだから、〈原点回帰〉ではあるのかも知れないが……。

ハロルド・プリンスが演出した格調高い舞台「オペラ座の怪人」が2004年にジョエル・シュマッカー監督で映画化され、薄っぺらいB級ホラーに成り下がった先例を思い出した。

それとファントム(エリック)のキャラクター造形が歴代の演出の中で、一番幼く感じられた。まるで駄々っ子みたい。

ただ役者としての城田は素晴らしかった。最後は号泣していて、あまりの入魂の演技でアフタートークショーでは放心状態で抜け殻のようになっていた。悪いこと言わないから、もう演出からは手を引いたほうがいいよ。

圧巻だったのは木下晴香の歌声である。透明感があってロイド・ウェバーが言う〈音楽の天使 Angel of Music〉とは彼女のことに違いないと思った。正に〈君は音楽 You Are Music〉だ!!断言しよう、ロイド・ウェバー版「オペラ座の怪人」を含め、僕が聴いた中で生涯最高のクリスティーヌだった。体が震えた。

彼女は今年、ディズニー実写映画版「アラジン」日本語吹き替え版でジャスミン姫に抜擢され、年末のNHK紅白歌合戦でもその美声を披露する。さらに来年は舞台ミュージカル「アナスタシア」主演が控えており、もう待ち遠しくて仕方がない。

ダブルキャストの愛希れいかは宝塚歌劇団のトップ娘役時代から大好きなのだが、今回はどうしても圧倒的歌唱力の木下と比べられるので分が悪い。つくづく感じたのは「美人は15分見ていたら飽きる」ということ。ただし彼女は元々“ダンサー”なので、2幕冒頭の踊りは木下を上回っていた。だから来年の「フラッシュダンス」主演は彼女にぴったりなのではないだろうか?「ファントム」や「エリザベート」よりも本領を発揮出来るだろう。

加藤和樹は高音が苦しく、オクターブ下げて歌う場面もちらほら。アフタートークによると、主演・演出兼任で食事もろくに取らず準備に没頭し、どんどん痩せていく城田を見るに見かねて、ある日彼が弁当をこしらえて来てくれたのだそう。ぼそっと「よかったら、どうぞ」と。いいヤツだなぁ!

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2019年10月11日 (金)

映画「ジョーカー」とチャップリン、ソンドハイムのミュージカル、トリックスター

評価:A-

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ヴェネツィア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞。2017年に同賞に輝いた「シェイプ・オブ・ウォーター」はアカデミー作品賞も攫っている。公式サイトはこちら

映画の中で2回流れる曲が2つある。ひとつはチャールズ・チャップリンが作曲した"Smile"(初出は映画「モダン・タイムズ」)。〈デカッ鼻〉のコメディアンでミュージカル映画にも出演したジミー・デュランテが歌う。

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もうひとつはスティーヴン・ソンドハイムのミュージカル「リトル・ナイト・ミュージック(ドイツ語だとアイネ・クライネ・ナハトムジーク)」にある名曲中の名曲、"Send in the Clowns"。このタイトルは、日本語に訳すのがとても難しい。「悲しみのクラウン」と呼ばれたりするけれど、どうもピンとこない。エリザベス・テイラー、グレン・クローズ、ジュディ・デンチ(動画はこちら)、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ(動画はこちら)、越路吹雪、大竹しのぶら大女優が歌い継いで来た。さらに韓国のフィギュアスケート選手キム・ヨナはショートプログラムでこの曲を採用したことがある(動画はこちら)。「ジョーカー」のエンド・クレジットで流れるのはフランク・シナトラが歌うバージョン。

ここでいう"clowns"とはサーカスのピエロではなく、お笑い芸人(fools)のことを指す。"send in"は〈出場させる〉。ソンドハイムはこの曲について、「サーカスは想定していない。演劇でよく言われる〈ショーが上手く進行しなくなったら、道化者を出せ〉 (If the show isn't going well, let's send in the clowns)、つまり〈ジョークにして誤魔化せ〉(Let's do the jokes.)に因んでいる」「要するにデジレ(ミュージカルの主人公で舞台女優)はフレデリック(元夫で中年弁護士、18歳の新妻がいる)に対して『私たちって愚かね』(Aren't we fools?)と歌っているんだ」と後年インタビュー記事で語っている。結局のところこんな説明が必要になるくらいだから、英語のネイティブ・スピーカーたちも歌詞の意味がよく判っていなかったということだ。余談だが、演劇用語で極めつけに判り辛いのはメル・ブルックスのブロードウェイ・ミュージカル「プロデューサーズ」に登場する"Break a leg !"ー説明はこちら。これはおったまげたね。

で「ジョーカー」では酔っ払ったサラリーマン3人組が地下鉄で、この美しい"Send in the Clowns"を歌いながら主人公である大道芸人アーサーに殴る蹴るの暴行を加える。めっちゃ恐ろしい場面だ。映画館から帰宅して想い出したのだが、これって間違いなくスタンリー・キューブリック監督「時計じかけのオレンジ」(1971)へのオマージュだね。ほら、アレックスと愉快な仲間たちがジーン・ケリーの「雨に唄えば」を歌いながら作家をボコボコにし、彼の妻を輪姦する有名な場面。更に辿れば黒澤明監督「野良犬」(1949)に行き着く。つまり描かれている映像と、そこに流れる音楽の激しいギャップ=対位法だ。

さて、では次にどうして「モダン・タイムズ」の"Smile"なのかについて説明しよう。喜劇王チャップリンには次のような名言がある。

人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である。
( Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot. )

これと全く同じ意味の台詞を「ジョーカー」のアーサーは言うのだ。そしてイタリア・オペラ、ヴェルディ「リゴレット」やレオンカヴァッロ「道化師(Pagliacci) 」の主人公についてもすっぽり当てはまる。

あと面白いのはマーティン・スコセッシが当初、プロデューサーとして「ジョーカー」(DCコミックス原作)に参加する話があったのだそうだ。スコセッシはつい最近、マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)作品に対して「あれは映画ではない。最も近いと感じるのはテーマパークだ」と発言し、物議を醸している。で、「ジョーカー」にロバート・デ・ニーロが出演している。彼の役はテレビのトークショーの司会者なのだけれど、これって明らかにスコセッシが監督し、デ・ニーロが主演した「キング・オブ・コメディ」の立場を逆転(変換)しているんだよね。そしてやはりデ・ニーロ×スコセッシがタッグを組んだ「タクシー・ドライバー」を彷彿とさせる場面も多々ある。

心理学的に見てジョーカーは正真正銘トリックスターだ。

トリックスターは人間の劣等な性格特徴を集約した、集合的なの形姿である。悪賢い冗談や、ひどい悪戯を好み、姿を変える力がある。二重の性質(半獣、半神)や、困難や責め苦に身を晒す絶え間ない衝動を持っている。負の英雄だが、その愚かさによって他の者が一生懸命努力しても達成出来なかったことを軽々と成し遂げてしまう。

チャップリンが言うように、アーサーが悲劇の渦中に巻き込まれながら、喜劇を演じる二重の性格トリックスターそのものだ。彼は笑いながら(Smile)、人を殺す。スティーヴン・キングの小説「IT」に登場するピエロや、「時計じかけのオレンジ」のアレックスと同じ。道化師が着る、だんだら縞の衣装は反転の換喩である。トリックスターは価値を転倒させる

錬金術において、互いに似ていない物質の結合コニウンクチオという。これを人格化したのがメルクリウス(マーキュリー)で、トリックスターメルクリウスによく似ている(喜劇×悲劇)。

ジョーカー役のホアキン・フェニックスの演技は確かに凄くて、アカデミー主演男優賞に値する。ただねぇ、駆け出しの芸人としては年を取り過ぎじゃない?だってもう44歳だぜ!?普通そこまで売れなかったら、芸能プロダクションからとっくに契約を打ち切られているだろう。そこが引っかかった。

映画全編が悪夢の中を彷徨っているような雰囲気なのだが、もうアーサーは最初から頭がおかしくて、余り劇的な変化を感じなかった。つまり物語に起伏がない。僕はどちらかと言えばクリストファー・ノーラン監督「ダークナイト」でヒース・レジャーが演じたジョーカーの方が好き(死後にアカデミー助演男優賞を受賞)。あちらはトリックスターというよりは混沌(カオス)虚無の象徴として描かれており、何考えているか全く判らないからより一層不気味だった。

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2019年8月30日 (金)

トゥーランドット@びわ湖ホール

7月28日(日)びわ湖ホールでプッチーニのオペラ「トゥーランドット」を鑑賞した。

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その前に「熟豚」でランチ。絶品だった!!とんかつ部門で間違いなく生涯ベスト。

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東京文化会館・新国立劇場・札幌文化芸術劇場との提携公演である。演出はバルセロナ生まれのアレックス・オリエ。

大野和士/バルセロナ交響楽団で、びわ湖ホール声楽アンサンブル+新国立劇場合唱団+藤原歌劇団合唱部の演奏。

主な配役はトゥーランドット:ジェニファー・ウィルソン、カラフ:デヴィッド・ポメロイ、リュー:砂川涼子 ほか。

なんと前日27日に周辺地域が停電し、公演が約1時間中断したそう。舞台機構も故障し、一部演出を修正して上演された。

やはり大野はオペラ指揮者だなと甚く感心した。オーケストラが実に雄弁だった。ただ、実力としては東京のオケのほうが上かな。管楽器とか、大阪フィルとどっこいどっこいだと感じた。

本作はプッチーニの遺作であり、第3幕途中で未完のうちに作曲家は死去した。プッチーニのスケッチを基にフランコ・アルファーノが補筆完成した。

中国の皇女トゥーランドットは求婚者に三つの謎掛けをする。それが解けぬと首を刎ねる。しかしタタールの王子カラフはすべて正解し、彼女と結ばれて幕となる。

今回の演出では結末を変更し、トゥーランドットがナイフで首を切り自害する。確かに冷酷で誇り高いお姫様が愛に目覚めて転向するのは不自然だし、こういう新解釈も「蝶々夫人」みたいで、ありかなと思う。しかし全般的に暗く地味で、あまり好きにはなれない。特に三人の大臣〈ピン・ポン・パン〉が顔を泥だらけにして、乞食みたいな格好で登場したのには「それはないだろう」と引いた。「貧乏くさい。レ・ミゼラブルか!」

このオペラにはもっと〈華(はな)〉が欲しい。

「ド派手でけばけばしい」と批判もあるが、僕はフランコ・ゼッフィレッリが演出した絢爛豪華なメト版や、チャン・イーモウ(映画「紅いコーリャン」「初恋のきた道」「HERO」を監督、北京オリンピック開会式チーフディレクター)が演出し、紫禁城で上演されたフィレンツェ歌劇場のプロダクション(ズービン・メータ指揮)の方が断然好きだなぁ。余談だが浅利慶太がミラノ・スカラ座で演出した「トゥーランドット」(ジョルジュ・プレートル指揮)は酷かった。びわ湖ホール版といい勝負(どんぐりの背比べ)だ。

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2019年8月 2日 (金)

ミュージカル「オン・ザ・タウン」宝塚月組版 vs. 兵庫芸文版 対決!

7月29日(月)梅田芸術劇場へ。宝塚月組でレナード・バーンスタインが作曲したミュージカル「ON THE TOWN (オン・ザ・タウン)」を観劇した(ソワレ)。

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僕は1階席3列目中央ブロックで観たのだが、何とこの日、花組トップスター・明日海りお様がご観劇で、トップ娘役と一緒に僕のすぐ3席横にお座りになられたのである!超緊張した……。そういえば宝塚大劇場で雪組「ファントム」を観たのも、みりお様ご観劇日だった。みりお様は着席前に周囲の人々に会釈された。なんて感じが良い人なんだ!

実は宝塚版上演前の7月20日(土)に兵庫県立芸術文化センターで〈佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2019〉の「オン・ザ・タウン」も鑑賞していた。

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演出はイギリスのアントニー・マクドナルド。上品で洗練されており、兵庫芸文でのブリテン「夏の夜の夢」も素晴らしかった。

歌や踊りのキャストはロンドンでオーディションが行われ、ウエストエンドの精鋭たちが集められた。特にダンサーのレベルは圧巻。

「オン・ザ・タウン」は1944年にブロードウェイで初演された。何とアメリカと日本が戦争の最中である。その後2度リバイバル上演されている。

1949年にはMGMで映画化され、日本では「踊る大紐育」という邦題で知られている。ジーン・ケリー、フランク・シナトラ、アン・ミラーらが出演した。監督は「雨に唄えば」のスタンリー・ドーネン。ただし、レナード・バーンスタインの音楽はばっさりカットされ、多くは他人が書いた楽曲に差し替えられてしまった("New York,New York"は残ったが、名曲"Lonely Town"は排除された)。はっきり言って原曲の方が断然魅力的なので、プロデューサー;アーサー・フリードの判断は未だに納得出来ない。結局、レニーの音楽が最先端(modern)過ぎたということなのだろう。

現代の視点で見るとクレアの婚約者ピットキン判事ってゲイ(LGBT)なんじゃないかな?と思った。レナード・バーンスタイン自身がバイセクシャルであり、偽装結婚だったと言われている。

そういえば「アリー/スター誕生」のブラッドリー・クーパーが現在、映画"Bernstein"を監督/主演する予定で準備中とのこと。バイセクシャルという性癖について描かれるのかどうか、興味津々だ(遺族の意向でお蔵入りになる可能性もある。三島由紀夫最後の日を描くポール・シュレイダー監督、緒形拳主演"Mishima"みたいに)。余談だが作曲家レニーの代表作ミュージカル「ウエスト・サイド物語」の再映画化は現在、スティーヴン・スピルバーグ監督により撮影中である。指揮はなんとあのグスターボ・ドゥダメルが務める。これは愉しみ!

「オン・ザ・タウン」も「踊る大紐育」も、以前からどうも物語に魅力がないなと思っていたのだが、今回漸くその正体が見えて来た。

ニューヨークに24時間だけ上陸許可を得た3人の水兵が、それぞれ恋人を見つけるお話である。「そんなん、どうでもええわ!!」という気がしませんか?結局3人とも一目惚れだし、そんな状況で生涯の伴侶が得られる筈もない。何でアメリカ人はこれを面白いと感じるのだろう??

そもそも、水兵を主人公にした小説はヨーロッパでは皆無と言っても過言ではない。小説家は大抵、貴族とか牧師の家に生まれたとか(ブロンテ姉妹)教養の高い人達であり、水兵の実態なんか興味もなければ何にも知らないのである。

ポパイもそうだけれど、水兵は肉体労働者であり筋肉隆々としている。つまりアメリカ人がこういうものを好むのは、そこに彼ら特有のマッチョ礼賛・筋肉信仰があるのではないだろうか?これはほとんど宗教である。根底にはアメリカの歴史(西部開拓史)が深く関わっている。詳しくは下記事で論じた。

ハリウッド映画で言えば、20世紀半ばには西部劇が量産されジョン・ウェインがヒーローになった。現在のマーベルを中心としたアメコミ・ブームも結局はマッチョマンの話だ。シルベスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガー、スティーヴン・セガールらがスターになれたのも、アメリカならでは。シュワちゃんはオーストリア出身だが(オーストリアではありません) 、ヨーロッパ映画で主役を張れるとは到底思えない。

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さて、宝塚月組版だ。

主な配役は海軍水兵三人組(ゲイビー/オジー/チップ)を珠城りょう/鳳月杏 /暁千星 。(ミス地下鉄)アイヴィ・スミス:美園さくら 、(タクシー運転手)ヒルディ:白雪さち花、(人類学者)クレア:夢奈瑠音(男役)、(ヒルディのルームメイト)ルーシー:海乃美月、(クレアの婚約者)ピットキン:英真なおき 。なおヒルディ/クレア/ルーシーは役替りである。

演出は野口幸作、音楽監督・指揮は「エリザベート」のアレンジなどで知られる甲斐正人。舞台前面にオーケストラ・ピットが設置され、生演奏だったのが嬉しかった。宝塚歌劇が梅芸やドラマシティで上演する時はカラオケのことも多いのだ。

演奏については宝塚歌劇に軍配を上げる。どうも佐渡裕の指揮ってリズムが鈍重でモッサリしているんだよね。甲斐正人の方がJazzyでSwingy,そしてGroovyなんだ。イイ感じ。

ダンス力ではウエストエンド(ロンドン)のパフォーマーに到底敵わないが、演技力としては宝塚の方が上かな。特にヒルディ役の白雪さち花はがさつな感じがよく出ていてコメディエンヌとして秀逸、歌も上手い。クレア役の夢奈瑠音は気品があって、シュッとした立ち姿が美しい。オジー役の鳳月杏は野性味があり、チップ役の暁千星は愛嬌がある。トップスター・珠城りょうを「エリザベート」で観た時はおばさん顔だし歌も上手くなく、「一体どこに魅力があるんだ??」と頭の中が疑問符でいっぱいになったのだが、本公演を観て「ああ、この人はダンサーなんだな」と得心が行った。

宝塚版は最後にショーもついており、レニーの名曲の数々をメドレーで堪能出来、兵庫芸文版より一層感動した。これ、DVD/Blu-rayで発売されないかな?因みに「ウエスト・サイド・ストーリー」は版権問題が非常に難しく、宝塚版がテレビで放送されたり、ビデオ・DVDなど映像が市場に出たことは一度もない。

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2019年7月16日 (火)

令和元年のミュージカル「レ・ミゼラブル」ニュー・キャスト!

7月10日(水)梅田芸術劇場へ。ミュージカル「レ・ミゼラブル」を観劇した。

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初めて観るキャストが何人かいた。

ジャン・バルジャン:佐藤隆紀(Le Velvets -男性ヴォーカル・グループ) 、エポニーヌ:唯月ふうか、コゼット:生田絵梨花(乃木坂46-アイドル・グループ)、ファンテーヌ:濱田めぐみ、ジャベール:上原理生(今までアンジョルラス役だったが、今年からジャベールに)

以前、こんな記事を書いた。

僕が初めてレミゼを観たのが1994年の正月。梅芸がまだ「劇場飛天」と呼ばれていた時代だ。なんとあれから25年も経ってしまった!唯月ふうかとか、生ちゃんとか、まだ生まれてないよね。

「こんな暗くて貧乏くさいミュージカルなんか嫌いだ」とか、「イデオロギー的に真っ赤っ赤」とか散々文句を言いながら、いつの間にか観劇回数は十回を超えた。元祖ジャン・バルジャン、コルム・ウィルキンソンの生ライヴまで足を運んだ。

四半世紀を経てつくづく感じるのは、日本ミュージカル界の実力向上だ。歌い手たちの歌唱力もぐんぐん上がっているし、何よりも東宝のオーケストラが格段に上手くなった。レミゼ@劇場飛天の頃はホルンがしょっちゅう音を外していたし、金管が危なっかしくて仕方なかった。それが今では安心して聴ける。隔世の感がある。

佐藤隆紀は美声で、25周年記念コンサートでバルジャン役に抜擢されたアルフィー・ボーに雰囲気が近い感じがした。

エポニーヌといえば何と言っても「国際キャスト・レコーディング」に選抜され、エリザベス女王の御前でも英語で歌った島田歌穂の存在感が圧倒的である。今回の唯月はちょっと蓮っ葉で、でも健気なエポを情感豊かに演じ、歌も素晴らしく、文句なしだった。初めて島田エポと互角に勝負出来る役者が現れた。彼女の地声は高く、ちょっとアニメの声優っぽいのだが、舞台では低く落とし、違和感はない。余談だが、僕が初めて彼女の演技を観たのは「ピーターパン」だった。大きな事故があり、公演中止になったときも梅芸に来ていた。

濱田めぐみは昔から嫌いだった。特に印象を悪くしたのは劇団四季時代の「アイーダ」。ソロの楽曲の最後、最高音を出すべきところを1オクターブ下げて歌ったので、怒髪、天を衝いた。特にこの演目はブロードウェイでオリジナル・キャストのヘザー・ヘッドリーを観ていただけに、余計許せなかった。しかし意外や意外、ファンテーヌの濱めぐは悪くなかった。朗々と歌うよりは寧ろ、しっかりした芝居の積み重ねで観客を納得させるアプローチ。

生田絵梨花は演技力に難があるのだが、コゼットの場合は可愛ければ良い”お人形さん”みたいな存在なので、ドンピシャはまり役だった。生ちゃんは可憐で、決して音程を外さない(ピッチ・パーフェクト)。コゼットの歌に魅了されたのは純名里沙(1997年のキャスト)以来である。

そんなこんなで、見応え/聴き応えのある公演だった。

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