舞台・ミュージカル

明日海りお、千葉雄大(主演)ミュージカル・ゴシック「ポーの一族」

1月12日(火)及び18日(月)に梅田芸術劇場でミュージカル『ポーの一族』を観劇した。観客の男女比は男が5%程度(多く見積もっても10%に満たない)。宝塚大劇場の状況と大差ない。

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キャストは宝塚版に引き続きエドガー:明日海りお、アラン:千葉雄大、シーラ・ポーツネル男爵夫人:夢咲ねね、メリーベル:綺咲愛里、大老ポー:福井晶一、老ハンナ/神智学協会のブラヴァツキー(二役):涼風真世ほか。台本・演出は小池修一郎。初日には原作者の萩尾望都が観劇したそう。

基本的に台本も演出家も作曲家も宝塚版と同じなので、宝塚版と梅田芸術劇場版の印象は大きく異ならなかった。小池修一郎は『エリザベート』の宝塚版と東宝版でがらっと演出・台本を変えてきたし、宝塚歌劇『華麗なるギャツビー』と井上芳雄を主演に迎えた梅芸の『グレート・ギャツビー』では音楽を一新(吉崎憲治・甲斐正人→ブロードウェイで活躍するリチャード・オベラッカー)した人なので、意外だった。構想に33年温めてきたライフワークだけに宝塚で上演した時点で理想の完成形に到達していたということなのだろう。

言うまでもないことだが、明日海りおは鉄板のはまり役なので文句なし。パーフェクト。シーラ役は宝塚版の仙名彩世より、今回の夢咲ねねの方が良かった。物腰がふわっと柔らかくエレガント。メリーベル役は可憐さという点において宝塚版の華優希に軍配を上げる。アランは宝塚版の柚香光がそもそもヴィジュアルは素晴らしいが歌ダメ・(足が上がらず)踊りダメな男役なので、千葉くんはそう見劣りしなかった。音は外さないし、そもそも柚香へのあて書きだからソロもなく歌で頑張る必要がない。容姿が美しかったらそれで良い。背丈もちょうど明日海とバランスが取れており、この組み合わせに違和感はなかった。

それにしても〈永遠の命〉を得られても日陰の身であり、子供を生むことも出来ない。血を吸うことで仲間を増やすだけ。バンパネラは哀しい。僕は〈限られた命〉である人間のほうが断然良いと改めて思った。

ひとが、〈永遠の命〉を得られたとき、それは、ひとにとって、幸福なのだろうか? 不幸なのだろうか?……本作の問いは手塚治虫『火の鳥』に繋がっている(萩尾望都は十七歳の時、手塚の『新撰組』を読んで漫画家になる決意をした。詳しくはこちら)。

『ポーの一族』は和製ミュージカルに於ける一つの到達点である。絶対見逃すな!

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高校演劇から映画へ!〜「アルプススタンドのはしの方」

映画「アルプススタンドのはしの方」の原作は2017年に全国高等学校総合文化祭(総文祭)演劇部門で、最優秀に当たる文部科学大臣賞を受賞した兵庫県立東播磨高等学校演劇部の作品。そこの顧問教諭を務めた籔博晶(現在31歳)が執筆した戯曲である。

2018年に総文祭で文部科学大臣賞を受賞した香川県立丸亀高等学校演劇部の舞台「フートボールの時間」も映画化される予定。丸亀高は女子サッカー発祥の地と言われている。監督は坂本春菜。四国新聞の記事はこちら

いま高校演劇の総文祭が熱いということを知ったのは、本広克行監督、ももいろクローバーZ主演の映画『幕が上がる』だった。先生役が黒木華で、彼女も大阪の追手門学院高等学校で「演劇部のエース」として1年時から3年間主役を務めていたという。

なお、2016年の総文祭では静岡県立伊東高等学校演劇部による『幕が上がらない』という作品が優秀賞に選ばれている。

評価:A+

Stand

映画公式サイトはこちら

原作戯曲では甲子園球場(西宮市)が舞台となるが、映画は神奈川県の平塚球場でロケされている。Wikipediaの情報で知ったのだが、3ヶ月以上粘り強く甲子園球場と交渉したが、撮影許可が降りなかったそうだ。甲子園球場関係者はアホだ。何をお高く留まっているのか。

また原作は正規部員4人のために書かれているが、映画では英語教師(リメイク公演から登場)とか、吹奏楽部部長の女の子とかが台詞のある役として加わり、両者ともいい味出している。(ちょっと鬱陶しい)熱血教師が呟く、"Don't let it bring you down"(へこたれちゃダメだ)が本作のテーマに直結している。

中屋敷法仁(なかやしきのりひと)が高校3年生の時に『贋作マクベス』 を書き、全国高等学校演劇大会・最優秀創作脚本賞受賞を受賞したエピソードなども劇中で語られて胸熱である。

映画は舞台版同様、グラウンドで展開される野球の試合を全く見せない。総てのドラマは観客席のリアクションで描かれる。このストイックな演出を踏襲したのは大正解だ。

本作には「ベンチにいない人間が、スタンドで応援することに何らかの意味はあるのか?」という大きな問いがあり、最終的に明確な答えが用意されている。そして登場人物たちの「頑張れ〜!」という応援は結局、彼ら自身に対するエールになっているという構造が実に見事だ。

頑張ったからといって、その努力が報われるとは限らない。しかし、その過程にこそ価値がある。「しょうがない」と諦めるな。「いま」を生きよう。

 いのち短し 恋せよ乙女
 あかき唇 あせぬ間に
 熱き血潮の 冷えぬ間に
 明日の月日は ないものを
 
 (『ゴンドラの唄』)

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Netflixから配信されたミュージカル映画「ザ・プロム」にぶっ飛んだ!!

2020年12月11日(金)Netflixより映画『ザ・プロム』の配信が開始され、その質の高さと出演者の豪華さに心底驚かされた。ミュージカル映画としては『ラ・ラ・ランド』(2016年)以来、実に4年ぶりの大・大・大傑作!!なんてハッピーな気持ちになれる作品だろう。

評価:A+ 

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公式サイトはこちら。予告編はこちら

まず音楽が圧倒的に素晴らしい。オリジナルなら桁外れの完成度だと思い、調べてみると元々は舞台ミュージカルだったことが判明した。

2018年にブロードウェイで初演され、トニー賞でミュージカル作品賞・演出賞・主演男優賞・主演女優賞(ダブル)・台本賞・楽曲賞と7つノミネートされた(受賞なし)。2021年には地球ゴージャスにより日本初演が予定されている。出演は葵わかな、三吉彩花、岸谷五朗ほか。

「インディアナ州の田舎町で同性の恋人とプロムに行きたい女子高生を応援するために、落ち目のブロードウェイ・スターたちが町に乗り込んでくる」という物語。

本作で描かれるのは〈分断されたアメリカ合衆国〉である。

南北戦争(1861-65)で南北分断の争点となったのは黒人奴隷を開放するか否かだった。そして21世紀の分断で大きな比重を占めるのが同性愛者、LGBTQ(最近ではLGBTQ+に増えたようだ)の人権を認めるか否かということにある。インディアナ州とブロードウェイのあるニューヨーク州との対立はイコール、共和党支持者(保守)と民主党支持者(リベラル)の対立でもある。

ここで〈赤い州青い州〉という概念をWikipediaでご覧頂きたい→こちら民主党支持の青い州は東海岸のニューヨークと西海岸のロサンゼルスを中心とする沿岸部の大都市に多く、共和党支持の赤い州は内陸部の田舎に集中している。今年の大統領選でもニューヨーク州はバイデンが勝ち、インディアナ州はトランプが勝利した。つまり次のような二項対立に整理できる。

◯インディアナ州(田舎/内陸部)⇔ニューヨーク州(都会/沿岸部)
◯労働者階級(poor white/white trash)が多い⇔金持ち・知識階級が多い
共和党支持(保守)⇔民主党支持(リベラル)
◯アメリカ第一主義(ナショナリズム)⇔グローバリズムを信奉する
◯キリスト教原理主義者が多い⇔日曜日に教会に行く人が少ない
◯同性愛者、LGBTQのに対して不寛容⇔寛容
◯人工妊娠中絶を認めない⇔認める
◯銃規制に反対⇔賛成
◯地球温暖化対策に消極的⇔積極的(エコが好き♡)
◯新型コロナウィルス対策としてマスクをしない⇔マスクをする

熱心なキリスト教信者が多いと、なぜLGBTQに対して不寛容になるのか?これは中々日本人に理解し辛いところだろう。

キリスト教の本質は禁欲、自己犠牲の精神である。つまり本能的快楽、欲望を否定する。夫婦になって性交するのはあくまで、子供を作る=新たなクリスチャンを増やすことが目的であり、性交中に快楽を感じてはいけないのだ。だから自慰・マスターベーションは罪とされ禁忌である。快楽だけで生産性がないから。同様に同性愛者間に子供は生まれないから生産性がないので容認できないという理屈になる。

イギリスでは19世紀ヴィクトリア朝時代に自慰によってオルガスムが得られることを覚えた女子は医学的に問題のある子(病気)と見做され、陰核(クリトリス)を切り取られたり、焼灼されたりといった「治療」が施された。そして1976年にカトリック教会は自慰行為を「重大な道徳的退廃」とした。

イングランドとウェールズで21歳以上の男性同士の同性愛行為が合法化されたのは漸く1967年のことである。それまでは逮捕され刑務所に収監されるか、同性愛を「治療」するための化学療法を受けるかの選択を強いられた。さらにスコットランドでは1980年、北アイルランドでは1982年になるまで、同性愛は違法だった。

『ザ・プロム』を通して現代アメリカ合衆国の実情が見えてくる。SNSの活用も新しい。

主人公エマを演じたジョー・エレン・ペルマンは調べたところ、これが映画初出演のようだ。ディズニー・プリンセスを演じてもおかしくないくらいの歌声の美しさ、そして透明感。凄い新人が現れた。

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エマの恋人アリッサは当初アリアナ・グランデが演じると報道されたが、スケジュールの都合で降板、代わってアリアナ・デボーズが起用された。デボーズはミュージカル映画『ハミルトン』(2020年7月3日からディズニー・マイナスで配信されているが12月17日現在、未だに日本語字幕が付かず)にアンサンブルとして出演、そしてスティーヴィン・スピルバーグ監督による『ウエスト・サイド・ストーリー』リメイク版ではなんとアニタ役を射止めた!!"America"を彼女が歌い踊るんだ。

Westsidestory

余談だがスピルバーグ版『ウエスト・サイド・ストーリー』 は2020年12月に公開予定だったが、新型コロナ・ウィルス禍のせいで丸々1年延期になった。 

『ザ・プロム』の監督、ライアン・マーフィって知らないなと思って調べたところテレビドラマ『glee グリー』の企画・製作総指揮・原案・脚本・監督を担当した人らしい。私生活では同性愛者であることをカミングアウトしている。彼自身、プロムにボーイフレンドを連れて行くのを許されなかったという経験を持つ。

ミュージカル『ブック・オブ・モルモン』でトニー賞の最優秀演出賞と振付賞を受賞、『ザ・プロム』でも最優秀演出賞にノミネートされたケイシー・ニコロウによる振付が圧巻。キレッキレのダンスに高揚感マックス!!

現在71歳、最年長キャストのメリル・ストリープがなんと最多のダンスシーンをこなしている。メリルが実に楽しそうに演じていて、彼女を見ているだけで笑顔になれる。もう既にアカデミー賞を3度受賞しており、今後はやりたいことをやるんだ、という意志が伝わってくる。なんて自由なんだ!

またニコール・キッドマンのソロ・ナンバー“ザズ(Zazz)”は明らかにミュージカル『シカゴ』"All That Jazz"のパロディ。曲名からして韻を踏んでいるし。ボブ・フォッシーの振付をベースにしているので、元ネタを知っていると爆笑間違いなし。黒ずくめの衣装もフォッシー流。ウテ・レンパーのパフォーマンスでご覧あれ→こちら。なおニコールの役どころはブロードウェイで上演中の『シカゴ』のコーラスで、主役ロキシー・ハートのアンダースタディ。つまり元々の役者に何らかの緊急事態が起こって演じられなくなったときに備えて、その役を稽古して公演期間中待機している俳優のこと。

そしてミュージカル映画『キャッツ』のバストファー・ジョーンズ役でゴールデン・ラズベリー(ラジー)賞の“最低助演男優賞”という不名誉な栄冠に輝いたジェームズ・コーデンが本作で起死回生の大逆転ホームラン!いい味出している。素敵な役に巡り会えて本当に良かった。これで名誉挽回。涙が出た。

Corden

ブロードウェイ上演版の楽曲に2曲、新曲が加わった。エンドクレジットで流れる"Wear Your Crown"とジェームズ・コーデンのソロ"Simply Love"である。"Wear Your Crown"はメリル・ストリープ、ジョー・エレン・ペルマン、アリアナ・デボーズらが歌う。試聴はこちら。通常プロムの最後には生徒の投票でプロムキングとプロムクイーンを決める。 アメフト部の男子とチアリーダー女子が選ばれることが多いそう。つまりcrownはクイーンが頭に乗せる王冠(クラウンティアラ)のことを指している。そしてなんとこの曲でメリルはラップに挑戦している!!ノリノリだ。

Gotta wear your crown

Shout it loud
And let the world know
How your DNA
Is perfectly made

王冠をかぶれ

大声で叫べ
そして世界に知らしめるんだ
如何にあなたの遺伝子が
完璧に出来ているかを

ここで何故DNAの話が出てくるのかというと、LGBTQの人々は今まで「普通ではない」「病気だ」と見なされ、カウンセリングや「治療」が必要と判断されてきた歴史があるから。

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三谷幸喜の舞台「大地」とフェリーニの映画「8 1/2」

この記事は、

と併せてお読みください。

新型コロナ禍の劇場再開第1弾となり、作・演出が三谷幸喜、大泉洋、山本耕史、竜星涼、藤井隆、辻萬長らが出演した舞台『大地』( Social Distancing Version )を観た。公式サイトはこちら

この困難な時代に〈演じる〉ことの価値を改めて問う。そして〈観客〉さえいれば、そこが劇場であろうがなかろうが〈演じる〉ことに意味はあるのだという結論に至る。

ただ三谷の全盛期の芝居(『彦馬がゆく』『12人の優しい日本人』『ショー・マスト・ゴー・オン 幕を降ろすな』『笑の大学』)と比べると、凡庸な作品という感は否めない。

しかしその物足りなさを補って余りあるのが音楽だった。なんと映画史上に燦然と輝くフェデリコ・フェリーニ監督『8 1/2』のためにニーノ・ロータが作曲したサーカス風マーチが全面的に鳴り響いたのである(栗コーダーカルテットによる演奏)。Spotifyでの試聴はこちら

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結局『大地』という凡作は哀愁を帯びたニーノ・ロータの音楽に救われた。この芝居の感動は全てそこに由来する。

劇の最後に出演者全員が1列になって音楽に合わせて行進する場面があるが、これは完全に『8 1/2』の模倣である。

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『大地』を観劇することで、ニーノ・ロータの天才性を改めて思い知った次第である。彼の音楽抜きでは『8 1/2』もこれほどの高評価を得られなかったのではないだろうか?実際のところロータの死後、フェリーニ映画は腑抜けになった。

最後に『8 1/2』の名台詞をご紹介しよう。これは『大地』の主題でもある。

「人生は祭りだ、共に生きよう!」(E' una festa la vita, viviamola insieme! )

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城田優(主演)ミュージカル「NINE」

12月6日(日)梅田芸術劇場へ。ミュージカル『ナイン』を観劇。

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マルチェロ・マストロヤンニ主演、フェデリコ・フェリーニ監督の映画史上に燦然と輝く名作『8 1/2』(1963)を原作とするこのブロードウェイ・ミュージカルは1982年に初演。トニー賞に10部門ノミネートされ、作品賞・楽曲賞・助演女優賞・衣装デザイン賞・演出賞の5部門を受賞した。2009年には『シカゴ』『メリー・ポピンズ・リターンズ』のロブ・マーシャル監督が映画化、ダニエル=デイ・ルイス、マリオン・コティヤール、ペネロペ・クルス、ジュディ・デンチ、ニコール・キッドマン、ソフィア・ローレンといった超豪華キャストだったが、作品の出来はイマイチだった。

『8 1/2』というタイトルはこれがフェリーニ単独では8本目の監督作品であり、さらに共同監督を務めた処女作『寄席の脚光』を半分として足すと『8 1/2』作目になるという意味。主人公である映画監督のグイドはフェリーニの分身であり、妻のルイーズのモデルは自作『道』('54) 『カビリアの夜』('57) で主演した女優ジュリエッタ・マシーナである。

フェリーニがジュリエッタ・マシーナと結婚するのが1943年、23歳の時。二人は『魂のジュリエッタ』('66)撮影中に別居し、イタリアの民法が改正され離婚が自由になった1971年に離婚した。 カトリックの国イタリアでは1970年まで離婚は罪と考えられており、認められていなかった。当然、中絶も禁止されていた。

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フェリーニは子供の頃、厳格な神学校に入れられたが、9歳のある日、脱出してサーカス小屋に入り込み、一夜を過ごした事があった。やがて連れ戻されたが、このサーカス団のイメージは『道』やその後年の諸作品に繰り返し出て来る。そして子供の頃の思い出は『8 1/2』や『アマルコルド』に投影されている。

『NINE』の台本=アーサー・コピット、作詞・作曲=モーリー・イェストンというコンビは他にミュージカル『ファントム』がある。またイェストンはミュージカル『タイタニック』や『グランドホテル』の作曲家でもある。

何故NINEなのかというと、劇中に9歳時のグイドが登場すること、胎児が母親のお腹にいるのが9ヶ月であること、さらに『8 1/2』に歌と踊りという1/2が加味されたことなどが挙げられる。

僕は2005年5月にシアター BRAVA!で『ナイン THE MUSICAL』としてデヴィッド・ルヴォー演出版を観ている。出演者は別所哲也・大浦みずき・池田有希子・純名りさ・髙橋桂・井料瑠美ほか。水の都ヴェニスのイメージそのままに、巨大壁画や床面から本物の水が吹き出してくる演出が印象深かった。宝塚歌劇娘役時代の純名里沙は圧倒的歌唱力で僕を魅了したが、『ナイン THE MUSICAL』の頃は声がかすれ、衰えが顕著だった。大浦みずきはダンスに切れがなく、精彩を欠いた(2009年に肺がんで死去、享年53歳)。グイドを演じた別所哲也は誠実・実直な役者だが、如何せん〈男の色気〉がない。伊達男マストロヤンニとはかけ離れた印象だった。

今回の出演は城田優・咲妃みゆ・すみれ・屋比久知奈・春野寿美礼・前田美波里ほか。

城田は日本人とスペイン人の間に生まれたハーフであり、別所に欠けていた〈男の色気〉があった。ラテン系の顔立ちということもあり、ブロードウェイのリヴァイヴァル版『NINE』で主演したアントニオ・バンデラスに近い雰囲気。前田はフォリー・ベルジェールの場面などさすがの風格だし、他のキャストも適材適所、文句なし!

ミュージカル『ジャージー・ボーイズ』で読売演劇大賞 優秀演出家賞及び菊田一夫演劇賞を受賞した藤田俊太郎の演出は悪くないのだが、日本語で歌ったり、英語で歌ったり、ときにイタリア語で喋ったりと脈絡がない。この物語は主人公の脳内世界を描いており、現実・記憶・幻想が入り乱れるその混乱(カオス)を浮き彫りにしようという戦略なのだろうが、なんだかなぁ~ピンとこなかった。冒頭部では〈城田=グイド目線〉でスクリーンに映される日本語字幕が逆さまに写ったりと確かに凝っているが、Too Much !!(やりすぎ)という感も。作品を愛していることは分かるが、“才子(さいし)才(さい)に倒れる”というか、熱意の空回り。演出に関して僕はデヴィッド・ルヴォーに軍配を上げる。

とは言え大好きな作品なのでDVDを予約注文した。12月13日(日)の千穐楽にはライブ配信も予定されている。詳細はこちら

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真風涼帆(主演)宝塚宙組「アナスタシア」と、作品の歴史を紐解く。

11月23日(祝)宝塚大劇場で『アナスタシア』を観劇した。

1997年に公開されたアニメーション映画『アナスタシア』に着想を得たミュージカルで、2017年4月24日にブロードウェイで開幕。以降、2019年3月まで2年間に及ぶロングラン上演となった。日本では2020年3月にヒロイン・アーニャ(アナスタシア)を木下晴香と葵わかなのダブル・キャストで東京公演が行われたが新型コロナウィルス禍の影響で度々中断され、4月に梅田芸術劇場で予定されていた大阪公演は全て中止となった。僕は購入していたチケットの払い戻しをする羽目になった。また当初6〜7月に予定されていた宝塚歌劇版も延期となり、漸く11月7日に幕が開いた。

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1990年代初頭、ウォルト・ディズニー・スタジオは『アラジン』(1992)、『ライオンキング』(1994)などの大ヒットで第二次黄金期を迎えていた。 映画『アナスタシア』はフォックス・アニメーション・スタジオの第1回長編作品で、アカデミー賞の作曲賞と歌曲賞にノミネートされた。

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ミュージカル仕立てを基本とするディズニー・アニメのスタイルを踏襲した本作はちゃんとヒットしたが、次作のSFアニメ『タイタンA.E.』が7500万ドルの製作費に対し、たった2200万ドルの収入で大赤字となり、2000年にはスタジオが閉鎖された。 一方ワーナー・ブラザースはブラッド・バードを監督に迎え1999年に『アイアン・ジャイアント』を製作したが、こちらも興行的に振るわず、ワーナーはアニメーション部門を凍結、ブラッド・バードはピクサーに移籍し『Mr.インクレディブル』『レミーのおいしいレストラン』でアカデミー賞を受賞することになる。こうしてセル画による2Dアニメーション映画の相次ぐ失敗を受け、ハリウッドの各スタジオは3DCG(3次元コンピューターグラフィックス)への完全移行を余儀なくされた。

なお20世紀フォックスという映画会社そのものが2019年にディズニーに買収され消滅したため、現在映画『アナスタシア』はDisney+から配信されている(こちら)。

ブロードウェイ・ミュージカル版はアニメから引き続き作詞:リン・アレンス、作曲:ステファン・フラハティが担当した。このコンビはブロードウェイ・ミュージカル『ラグタイム』でトニー賞の楽曲賞を受賞している。他にドクター・スースの絵本を原作とするミュージカル『スーシカル(Seussical)』がある。僕は『ラグタイム』の音楽が大好きなのだが、1998年のトニー賞に12部門ノミネートされながら、台本賞・楽曲賞・助演女優賞(オードラ・マクドナルド)・オーケストレーション賞しか受賞出来なかった。実はこの年の対抗馬がディズニー製作のミュージカル『ライオンキング』で、ミュージカル作品賞・演出賞をはじめ話題を全てそちらに持っていかれてしまったのである。WASP/ユダヤ人/アフリカ系アメリカ人(黒人)の対立を描くという題材の難しさもあって、日本での『ラグタイム』上演は未だ実現していない。

また舞台版『アナスタシア』の台本を書いたテレンス・マクナリーは「愛!勇気!同情!」や「マスター・クラス」などでトニー賞を4回受賞した劇作家で、2020年新型コロナ感染症で亡くなった。彼はアニメ版に関わっていない。

アニメ版から舞台版への移行で最も大きな変更点は敵側の設定である。アニメ版ではロシアの怪僧ラスプーチンの亡霊(本人はロシア帝政末期1916年に暗殺された)がアーニャの前に立ちはだかった。しかし舞台版でラスプーチンは一切登場せず、ボリシェヴィキの警視副総監グレブ・ヴァガノフが新たに設定された。正直このグレブという新キャラクターに全く魅力がなく、彼抜きでも物語は成立するのでは?という気がする。ただグレブを省くと、大本のネタであるイングリット・バーグマン、ユル・ブリンナー主演の映画『追想(原題はAnastasia)』(1956年、20世紀フォックス)と全く瓜二つになってしまう。苦しいところである。僕は元々バーグマンが2度目のアカデミー主演女優賞を受賞した『追想』も大好きで、アルフレッド・ニューマンの音楽も素敵だ。このロマンティックな物語には何か強く惹かれるものがある。

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僕はアニメ版『アナスタシア』を1997年12月の日本公開時に映画館で観ているし、音楽が大いに気に入ってサントラCDも購入した。だから待望の舞台版である。

プロローグの"Once upon a December"(昔々、ある12月に)や、アカデミー歌曲賞にノミネートされた"Journey to the Past"(過去への旅)は舞台版にも流用された。一方で当然ながらラスプーチンの歌はことごとく廃棄され、沢山の新曲が加わった。

ロマノフ王朝の末裔、皇女アナスタシアがロシア革命時の処刑から難を逃れて生きているという伝説は実際に根強くあった。しかし結局2007年までに皇帝一家全員の遺骨が発掘され、遂に生存者なしと確認された。

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偽アナスタシアの中でも有名なのがアンナ・アンダーソン。彼女の死後10年が経過した1994年にDNA鑑定が実施され、漸く偽者(僭称者)であることが判明した。

さて、宝塚歌劇版の出演は真風涼帆、星風まどか、芹香斗亜ほか。グレブ・ヴァガノフを演じた芹香は影が薄かった。華がない。果たしてこれで将来、トップになれるのか?

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真風は鷹揚としたトップで、存在感があってセンターがよく似合う。星風はきりりとして逞しく、芯が強いアーニャにピッタリ!このふたりは文句なし。

潤色・演出の稲葉太地は場面転換がスピーディで「盆(回り舞台)」の使い方が抜群に上手い!背景を彩る映像とのコンビネーションも手練れの技で、特に雪景色の中を疾走する列車の場面は絶品だ。

待ちに待った公演であり大満足、2021年2月11日にBlu-rayが発売されたら必ず購入するつもりなのだが、最後に一言だけ文句を言わせてください。

第一幕フィナーレで名曲中の名曲、"Journey to the Past"(過去への旅)を男役の真風が歌い始めたときにはずっこけた。これ、アニメ版もブロードウェイ版もアーニャ(アナスタシア)のソロ・ナンバーなんですけど!?途中から星風が加わりデュエットとなるのだが、『エリザベート』同様、タイトルロールである娘役最大の見せ場を男役が奪わないでほしいと切に願う。いや、事情は分かるよ。宝塚歌劇というのは現代日本において唯一〈男尊女卑〉が正々堂々とまかり通る世界であり、娘役より圧倒的に男役ファンの方が多い。そりゃ、第一幕の幕切れを「所詮添え物にすぎない」娘役のソロというわけにはいかないだろうさ。でもね、それでも……。もし潤色・演出が小池修一郎だったら、こんな酷い扱いはしなかっただろうと僕は信じる。稲葉よ、再演の際はこのシーンをもう一度考え直してほしい。頼みます。

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市村正親主演ミュージカル「生きる」と医学の進歩について。

11月13日(金)兵庫県立芸術文化センターで宮本亜門演出によるミュージカル『生きる』を観劇した。

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1952年に公開された黒澤明監督の名作を原作として、映画で志村喬が演じた主人公を演じるのは市村正親と鹿賀丈史のダブル・キャスト。僕は鹿賀が嫌いなので、迷うことなく市村を選んだ。鹿賀の、下からすくい上げて音程を合わせてくる演歌調の歌い方には虫酸が走る。

生の舞台に接するのは1月12日に観劇した宝塚歌劇『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』以来だった。実に10ヶ月ぶりである。その間に東宝『エリザベート』『アナスタシア』『ミス・サイゴン』『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド ~汚れなき瞳~』『四月は君の嘘』など、チケットを購入していたミュージカルが次々と公演中止になり、払い戻しをした。特にロイド・ウェバーの『ホイッスル〜』は生の三浦春馬を見る、最初で最後のチャンスだっただけに惜しまれる。ホリプロ主催『生きる』は前後左右1席ずつ間隔を空ける販売方式だった。

今回観劇してつくづく感じたのは医学の進歩である。映画公開当時と現在では隔世の感がある。

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上のグラフは部位別がんの〈人口10万対〉死亡率の推移だが(縦軸は対数表示)、胃がんは1955年に100だったのが2015年には25前後にまで下がっているので、四分の一に減ったことがわかる。

病人ではなく健康に関心のある人に対していわゆる人間ドック(短期入院身体総合精密検査)が始まったのが1954年、ファイバースコープ付胃カメラが開発されたのが1964年(日本のオリンパス社が胃カメラを開発したのは1950年だが当時は白黒フィルムで臨床的に十分使えるものではなかった)、バリウムによる胃がん検診が導入されたのが1983年。『生きる』の主人公は進行がんが発見され手遅れとなるが、現在では早期がんで発見されることが多く、5年生存率が飛躍的に改善した。

また胃がんに罹患する人の大半がヘリコバクターピロリ菌の感染者であり、その細菌に感染していない人が胃がんになることは殆どないということが2001年に判明した(上村直実先生がThe New England Journal of Medicineに発表)。さらに除菌治療をすると、胃がん発生を抑制出来ることも分かって来たので、日本では2013年からヘリコバクター・ピロリ感染胃炎に対する除菌治療が保険適応になった(世界初)。つまり慢性B型/C型肝炎同様、胃がんは感染症だったのである。

また「生きる」の医者は主人公が胃がんであることを本人にも家族にも告知しない。昔はそれが普通だったが、現在ではあり得ないことだ。

1969年、医師のエリザベス・キューブラー=ロスが執筆した「死ぬ瞬間」(On Death and Dying)が出版され、世界的に話題を席巻した。死を告知された患者200人が、どのような心理課程を経るのかを面談し研究したものである(否認→怒り→取引→抑うつ→受容)。この本により、残された時間をどう過ごすか(Quality of Life)が重要であると広く認識されるようになり、さらにinformed consent(医師が患者に対して病状の十分な情報を伝えた上で治療方針の合意を得る)の必要性が叫ばれるようになったため、余程の事情がない限りがん告知が行われないことは殆どなくなった。

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ミュージカルの公式サイトはこちら

音楽を担当したジェイソン・ハウランドはブロードウェイ・ミュージカル『Little Women-若草物語- 』の作曲家であり、またシンガーソングライター、キャロル・キングの生涯を綴るミュージカル『ビューティフル』では音楽スーパーヴァイザーを務めている。だから楽曲の完成度が高く、十分日本以外の国でも上演できるレベルに達している。特に自分ががんに罹患していると知った主人公が自暴自棄になってダンスホールやストリップショーを彷徨う場面では、ジョン・カンダー(作曲)&フレッド・エブ(作詞)コンビによるミュージカル『シカゴ』『キャバレー』などを彷彿とさせるジャジーで退廃的ムードが漂う。

宮本亜門の演出はスピーディーな場面転換が鮮やか。ただ物足りなかったのはラストシーン。映画と同様に完成した公園で楽しそうに遊ぶ子どもたちの姿を見たかった。まぁ予算の関係でここだけ子役を雇えないという事情はわかるんだけどね。労働基準法により、子役が労働できる時間も制限があるし(原則20時まで、厚生労働大臣が必要と許可した場合は21時まで)。

ミュージカル版で狂言回しの役割を果たすのは小説家。映画版でも案内役の彼はメフィストフェレスを名乗る。つまりメフィストに導かれる主人公・渡辺勘治はゲーテの小説におけるファウストだ。

メフィストフェレスはトリックスターである。ミュージカルでトリックスターが狂言回しを担うのは常套手段で、他に『ジーザス・クライスト・スーパースター』のユダ、『エビータ』のチェ・ゲバラ、『エリザベート』の暗殺者ルイジ・ルキーニ、『キャバレー』のM.C.などといった前例がある。

市役所に勤める渡辺の部下、小田切とよは〈無垢で純粋な魂=innocence〉の象徴として登場する。『ファウスト』におけるマルガレーテ(グレートヒェン)であり、〈永遠に女性的なるもの〉。黒澤映画にはしばしば登場するキャラクターで、例えば『酔いどれ天使』の女学生(久我美子)や、『赤ひげ』のおとよ(二木てるみ)。そして極めつけは黒沢が映画化したドストエフスキー原作『白痴』のムイシュキン公爵(森雅之)だろう。しかし、実際にはこんな酸いも甘いも噛み分けていない、赤ちゃんの魂のまま成長した大人なんて存在しないわけで、ここが黒澤明の限界でもあるだろう。黒澤映画が女性に人気がないのは、描かれる女性像のリアリティの無さに一因があるのではないかと僕は考える。

『生きる』という作品はカルペ・ディエム Carpe Diemというラテン語と深く結びついている。「その日を摘め」「一日の花を摘め」という意味で、劇中に登場する『ゴンドラの唄』もその精神を唄ったものだ。詳しくは下記事に書いた。

ミュージカル『生きる』は2020年11月29日(日)と30日(月)に大千穐楽ライブ配信が決定している。詳しくはこちら

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わが心の歌 25選 ⑥ ミュージカル「回転木馬」と、サッカーとの摩訶不思議な関係/メグ・ライアンの想い出

作詞:オスカー・ハマースタイン2世、作曲:リチャード・ロジャースという、『オクラホマ!』や『王様と私』で知られるコンビによるミュージカル『回転木馬 Carousel 』は1945年にブロードウェイで初演された。1993年にはキャメロン・マッキントッシュ製作、『ミス・サイゴン』のニコラス・ハイトナー演出で再演され、トニー賞を5部門受賞(ミュージカル・リバイバル作品賞/ミュージカル演出賞/振付賞/装置デザイン賞/ミュージカル助演女優賞:オードラ・マクドナルド)。因みに初演時はトニー賞創設前であった(初回授賞式は1947年)。56年には20世紀フォックスで映画化された。主演はシャーリー・ジョーンズとゴードン・マクレー。また2006年ごろにヒュー・ジャックマン主演で映画のリメイク企画があったのだが、立ち消えになっている(記事こちら)。

日本では69年に宝塚雪組が初演した(宝塚大劇場)。84年に宝塚星組が宝塚バウホールで再演し、95年に東宝が帝国劇場他で上演。僕は1996年7月9日~8月27日 大阪・劇場飛天(現在の梅田芸術劇場)における上演を観た。演出:ニコラス・ハイトナー、振付:サー・ケネス・マクミラン、訳詞は『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』の岩谷時子。涼風真世、石川禅、吉岡小鼓音、市村正親らが出演した。このプロダクションはこれっきりで、2009年に東京の銀河劇場でロバート・マックイーン演出、笹本玲奈・浦井健治 主演で再演されたようだが、関西には来なかった。

一番好きなナンバーは、なんといっても"You'll Never Walk Alone"である。映画版ではオペラ歌手(コントラルト)クララメイ・ターナーが歌った。

これは現在サッカーのサポーター・ソングとして、英国のリヴァプールFCやJリーグのFC東京のファンの間で愛唱されている。

 

L

 

上はリバプールFCのエンブレムだが、ここにも "You'll Never Walk Alone"の文字が刻まれている。

世界でなんと、20以上のサッカー・チームのサポーター達がこれを歌い継いでいるのである!次のような歌詞だ。

When you walk through a storm
Hold your head up high
And don't be afraid of the dark

嵐の中を歩くとき
顔を上げ、しっかり前を向きなさい
暗闇を恐れないで

At the end of the storm
There's a golden sky
And the sweet silver song of a lark

嵐の向こうには
光り輝く空が広がっている
そして雲雀の優しく澄んだ歌声が聴こえる

Walk on through the wind
Walk on through the rain
Though your dreams be tossed and blown

風の中を歩きなさい
雨の中を歩きなさい
たとえ夢が吹き飛ばされたとしても

Walk on, walk on
With hope in your heart
And you'll never walk alone

歩いて、歩き続けなさい
希望を胸に抱いて
独りぼっちじゃないよ

And you'll never walk alone

あなたは独りぼっちじゃない

まずフランク・シナトラの歌唱で聴いてみてください。こちら!あと歌なしのフランク・チャックスフィールド&オーケストラの演奏もどうぞ。こちら

同じハマースタイン2世&ロジャースのコンビ作『サウンド・オブ・ミュージック』で修道院長が歌う「すべての山に登れ(Climb Every Mountain)」は内容的にこの歌に非常に近い(映画版の動画はこちら)。僕は中学生の時に初めて「すべての山に登れ」を聴いて、心を打たれた。からだの奥底からじわじわと勇気が湧いてくる気がした。

ミュージカル『回転木馬 (Carousel)』の主人公ビリーはすぐに妻や娘に手を上げる暴力夫であり、#MeToo 運動が盛んな現代には受け入れ難いかも知れない。しかしどの楽曲も極上の出来であり、オーケストラだけで演奏されるカルーセル・ワルツも僕は大好き。こちら!物語後半のビリーは悔い改めているので、どうか許してやってください。

原作は1909年にハンガリー・ブタペストで初演された戯曲『リリオム』。1934年にフリッツ・ラングが監督したフランス映画『リリオム』も傑作。ユダヤ人のラングはこの時ちょうどアドルフ・ヒトラー政権を逃れてドイツからフランスに亡命していたのだが、ドイツ軍がフランスに侵攻したため、さらにアメリカ合衆国に渡ることになる。

『回転木馬』を鑑賞するには映画版を観るのも良し、もっとお勧めなのがリンカーンセンターで開催された公演を収録したDVD。

Carousel

ただし、北米のリージョン1対応DVDなので、日本国内の(リージョン2)プレイヤーでは観ることが出来ない。

ところが!コロナ禍のおかげ(?)で2020年7月10日よりミュージカル全編がYouTubeで無料配信されているのを発見した!!!こちら画面右下あたりのスイッチをクリックすれば、英語字幕を呼び出す機能も。

ヒロイン=ジュリーを演じるのはケリー・オハラ。渡辺謙と『王様と私』で共演し、トニー賞ミュージカル主演女優賞を受賞した。その友人キャリー役は『ビューティフル − キャロル・キング・ミュージカル』でトニー賞ミュージカル主演女優賞を受賞したジェシー・ミューラー。ビリー役はメトロポリタン・オペラにしばしば出演しているバリトンのネイサン・ガン。また「6月は一斉に花開く(June Is Bustin' Out All Over)」や、"You'll Never Walk Alone"を歌うステファニー・ブライスもメトで活躍するメゾ・ソプラノ。これ以上望みようのない超豪華キャストである。オーケストラはニューヨーク・フィル。至れり尽くせりだ。

劇中clambakeという言葉が出てくるのだが、これは海浜で焼け石を使ってハマグリなどを焼いて食べるピクニックのことを指す。日本人には馴染みがない習慣なのでピンとこない。あと「6月は一斉に花開く」は名曲だが、日本で6月といえば梅雨の季節なので、やはりどうもイメージが湧かない。余談だがこの歌詞中に"March went out like a lion"(3月はライオンのように過ぎ去っていった)とあり、な、なんと羽海野チカの漫画『3月のライオン』に繋がっている!

Whenharrymetsally

「It Had To Be You」(ハリー・コニック Jr.) はメグ・ライアン主演、ロブ・ライナー監督『恋人たちの予感』(When Harry Met Sally...)で使用された楽曲。試聴はこちら。脚本を書いたノーラ・エフロン(1941-2012)は後に監督業に進出し、メグ・ライアン主演で『めぐり逢えたら』『ユー・ガット・メール』とロマンティック・コメディ三部作を仕上げた。なおノーラはウォーターゲート事件の真相を暴いた記者、ワシントン・ポスト紙のカール・バーンスタインと結婚していた時期があり、映画『大統領の陰謀』シナリオの手直しにも関わっていたらしい(アカデミー脚色賞受賞)。だからスティーヴン・スピルバーグが監督し、ワシントン・ポスト社が舞台となる『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』のエンドロールに「ノーラ・エフロンに捧ぐ」とクレジットされている(ラストシーンは『大統領の陰謀』冒頭部に直接繋がっている)。

「もしあなただったら」と訳されたりもする "It Had to Be You"は1924年に発表された。アイシャム・ジョーンズが作曲し、カス・カーンが作詞した。ハリー・コニック Jr.のパフォーマンスはフランク・シナトラを彷彿とさせ、「ビッグ・バンド・スタイル」の再来と評された。マーク・シャイマンによるゴージャスなアレンジの功績が大きい。シャイマンは後にブロードウェイ・ミュージカル『ヘアスプレー』や『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』『チャーリーとチョコレート工場』を作曲した。

"It Had to Be You"はメグのお相手役だったビリー・クリスタルのテーマ曲となり、彼がアカデミー賞授賞式司会者に起用された際、登場場面で必ずこの曲が演奏された(計9回担当)。

『恋人たちの予感』はメグ・ライアン絶頂期の作品で彼女が最高にキュート、掛け値なしに名作なのだが、公開当時劇場で観たときから僕にはどうしても納得がいかないことがあった。映画冒頭で〈セックス抜きで男女の友情は成立するのか?〉と問題提起されるのだが、最後にハリーとサリーは性交してしまう。つまり〈セックス抜きで男女の友情は成立しない〉と結論を下しているのである。そんなのあり??僕は憤った。許し難い背信行為である。

結局この問題に決着をつけてくれたのがアイルランド出身ジョン・カーニー監督の『ONCE ダブリンの片隅で』(2007)と『はじまりのうた』(2013)。漸く我が意を得たりと溜飲を下げることが出来た。またジョン・カーニーが監督したAmazon プライム・ビデオのドラマシリーズ『モダン・ラブ ~今日もNYの街角で~』第1話“私の特別なドアマン”も同趣旨の大傑作である。こちらからどうぞ。

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#MeeToo 運動とウディ・アレン「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」

かつて〈ニューヨーク派〉と呼ばれる映画監督たちがいた。映画の都ハリウッド@ロサンゼルス(西海岸)よりも、ニューヨーク(東海岸)でロケすることを好む人々。古くはシドニー・ルメット、ジョン・カサヴェテスなど。現役ではマーティン・スコセッシやウディ・アレンが代表格。1989年のオムニバス映画『ニューヨーク・ストーリー』ではスコセッシとアレン、そしてフランシス・コッポラが監督を務めた。『イカとクジラ』『フランシス・ハ』『マイヤーウィッツ家の人々(改訂版)』のノア・バームバックもニューヨーク派と言えるだろう。最新作『マリッジ・ストーリー』はNYとLAの二都物語になっている。

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ウディ・アレン脚本・監督の『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』は2017年に撮影されたが同年、映画プロデューサーであるハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ問題が大々的に報じられ、社会的な #MeToo 運動に発展していった。アレンは1992年に交際していたミア・ファローの養女に対して性的虐待を行った容疑で訴えられ捜査の結果、証拠不十分で不起訴となっていたが、#MeToo の余波でこの件が蒸し返された。ディラン・ファローは7歳の時に性的虐待を受けたと繰り返し主張し、アマゾン・スタジオは本作を含め4本の映画契約を破棄、アメリカでの公開を見送った。アレンはこれを不服として、2018年2月に同スタジオを契約不履行で訴えた。そして『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』の出演者たちは軒並み本作に出演したことを後悔する声明を発表、ティモシー・シャラメはギャラを全額寄付した。

シャラメは2018年に『君の名前で僕を呼んで』でアカデミー主演男優賞にノミネートされており、アレンは「ティモシーと彼のエージェントは、私を非難すれば授賞する可能性が高くなると思った。だからそうしたんだ」とコメントしている。

これはアレンが気の毒である。ワインスタインの犯罪については100人を超える女性たちの証言があり間違いないが(現在服役中)、ディラン・ファローについては本人の主張だけで証拠が全くない。彼女は裁判でも敗訴しているわけで、今更アレンの罪を社会的に問うのは絶対におかしい。狂っている。「疑わしきは罰せず」が大原則だろう。アマゾン・スタジオだって契約時にディラン・ファローとの揉め事は把握していたわけで、#MeToo 運動が盛り上がったからといって約束を反故にするのは後出しジャンケンで卑怯だ。

『ローズマリーの赤ちゃん』『テス」のロマン・ポランスキー監督は1977年にジャック・ニコルソン邸で当時13歳の子役モデルに淫行した容疑で逮捕され、仮釈放中に米国から海外逃亡した。#MeToo が切っ掛けとなって、この一件を理由に2018年5月に彼は映画芸術アカデミーから除名されたのだが、全くもって変な話である。何故なら2002年にポランスキーは『戦場のピアニスト』でアカデミー監督賞を受賞しているのだ(アメリカに入国したら逮捕されるので代理人が受け取った)。当然この時点でアカデミー会員は全員、淫行事件のことを知っていたし、僕も知っていた。1977年の件で資格を剥奪されたのなら、『戦場のピアニスト』の受賞も無効になる筈だ。滑稽・茶番と言わざるを得ない。因みに『戦場のピアニスト』はカンヌ国際映画祭でパルム・ドール(最高賞)を受賞している。閑話休題。

評価:A

公式サイトはこちら

ペンシルベニア州のヤードレー大学に通うカップルが週末をNYで過ごすことが決まり、生粋のニューヨーカーであるティモシー・シャラメがはしゃいで「父親のコネでミュージカル『ハミルトン』のチケットを取ってもらうよ!」と言う場面でグッと来た。現在は新型コロナウィルス蔓延のためブロードウェイの劇場は全て閉鎖されており、『ハミルトン』を生で観劇することは2021年まで叶わない。そういえばアレンがイギリスで撮った『マッチポイント』(2005)ではデートでアンドリュー・ロイド・ウェバーの新作ミュージカル『ウーマン・イン・ホワイト』を観に行ってたよなぁと懐かしく思い出した。

奇しくも本作が日本で公開された7月3日(金)からDisney+で映画『ハミルトン』が世界同時配信された。これは初演キャストによる劇場公演を2016年に映像収録したもので、当初は2021年に劇場公開が予定されていた。しかしコロナ禍の煽りを食い、急遽配信に切り替えられたのだ。ところが配信までに日本語字幕が間に合わなかった。何やってんだDisney+、ふざけんな!Netflixの爪の垢でも煎じて飲め。閑話休題 Part 2。

シャラメの役名がギャツビーなのは間違いなくスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を意識している。小説の舞台もニューヨークであり、アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』にはスコット&ゼルダ・フィッツジェラルド夫妻が登場する。

スコット・フィッツジェラルドはジャズ・エイジと呼ばれる狂騒の20年代の作家であり、アレンはこの時代の音楽が大好き。劇中シャラメがピアノを弾き語りする"Everything Happens To Me"は1940年の曲。ジャズのスタンダードとしてセロニアス・モンク、ビル・エヴァンス、キース・ジャレットらがレコーディングしている。ウディ・アレンの映画には度々ジョージ・ガーシュウィン、アービング・バーリン、ジェローム・カーン、リチャード・ロジャース、ハロルド・アーレンらが1920-50年代に作曲した“グレイト・アメリカン・ソングブック”の楽曲が登場する(詳細こちら)。

ギャッビーは言う。「僕はスカイ・マスターソンみたいになりたい」字幕ではギャンブラーとだけ説明されていたが、スカイはNYを舞台とするブロードウェイ・ミュージカル『野郎どもと女たち(ガイズ & ドールズ)』の主人公で、映画ではマーロン・ブランドが演じた。また『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』でクラップ・ゲームの話題が出てくるが、「クラップしようぜ」というのが『ガイズ&ドールズ』の登場人物ビッグ・ジュールの口癖なのだ。

さらに1958年のMGMミュージカル映画『恋の手ほどき(GIGI)」(監督はヴィンセント・ミネリ)について言及され、後にバーのピアニストが"GIGI"を奏でたりもする。粋だね!

エル・ファニング演じるアシュレーはアリゾナ出身のお嬢さんで、セレーナ・ゴメス演じるNYガールのチャン(ギャツビーの幼馴染)は「アリゾナの人って休日には何するの?サボテンでも眺めるとか?」と馬鹿にする。因みにアリゾナ州はハリウッドのあるカリフォルニア州のお隣で、メキシコにも接している。

これで思い出したのがブロードウェイ・ミュージカル"42nd Street"。主人公ペギー・ソーヤーはペンシルベニア州アレンタウンからミュージカルのオーディションを受けるためにニューヨークにやって来た田舎娘で、演出家のジュリアン・マーシュに「アレンタウンだと!」と吐き捨てるように言われる場面がある。この田舎者を揶揄する感じって、いかにもニューヨーカーらしいんだよね(ビリー・ジョエルの楽曲に「アレンタウン」があり、歌詞で町の雰囲気が分かるだろう)。

また本作に登場する映画監督について、「彼が落ち込んだときにはノーマ・デズモンドみたいに酒に酔いつぶれるのさ」と評されるのだが、これはビリー・ワイルダー監督『サンセット大通り』に準拠している。

撮影監督は『地獄の黙示録』『レッズ』『ラストエンペラー』で3度アカデミー賞を受賞したヴィットリオ・ストラーロ。室内撮影がオレンジ色の光線で、まるでヨーロッパ映画のよう。ベルナルド・ベルトルッチ監督『ラスト・タンゴ・イン・パリ』を思い出した。

僕は『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』を観て、ウディ・アレンのニューヨークに対する愛に心打たれた。あっけらかんと明るいアシュレーは(ハリウッドを含む)西海岸の象徴であり、憂いを帯びたチャンは天気の悪い東海岸(ニューヨーク)の象徴。その両者の間でギャツビーが揺れ動くという構造になっている。また神経質で情けないギャツビーのナレーションで映画全体が彩られるという趣向は、アレンが主演・ナレーションを兼任しアカデミー作品賞・監督賞を受賞した『アニー・ホール』(1977)を彷彿とさせる。これもニューヨークが舞台である。

しかし"I ♡ NY"(アイ・ラブ・ニューヨーク)の精神に溢れた本作がアメリカ本国での公開が決まっていないというのは、返す返すも残念なことである。

I-ny

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【考察】我が国の新型コロナウィルス感染予防対策は果たして正しいか(日本人とは何者か)?

本記事はNHKスペシャルの新型コロナ特集や、ノーベル医学賞を受賞した山中伸弥による新型コロナウィルス情報発信サイトに掲載された論文を参照した上で、執筆したものである。

【国別死亡率に大きな差異がある理由は?】わが国の新型コロナ感染症(COVID-19)の感染率・死亡率が低い理由として、

  • 日本人特有の生活習慣(挨拶で握手とかハグをしたりせず、距離を取る)
  • 日本人は清潔好きで家庭内では靴を脱ぐ
  • マスク率の高さ
  • 医療体制の充実

などが挙げられている。しかし果たして本当だろうか?

こちらの日経メディカルの記事をご覧いただきたい。COVID-19について人口100万人当たりの死者数が国別に表になっている。抜粋しよう。

  • スペイン:580
  • 英国:558
  • イタリア:557
  • スウェーデン:452
  • フランス:445
  • アメリカ合衆国:333
  • ポルトガル:143
  • ドイツ:104
  • イラン:96
  • 中国(湖北省):78
  • イラク:7
  • 日本:7
  • 韓国:5
  • マレーシア:4
  • オーストラリア:4
  • 台湾:0.3
  • タイ:0.2

ここで僕が「感染者数」を指標としなかったのには理由がある。韓国のように徹底的にPCR検査をした国と、我が国のようにPCR検査数が極端に少ない国の感染者数を単純比較することは出来ない。日本のやり方では無症状の(不顕性)感染者の拾い上げが出来ないからである。菅官房長官は6月24日の記者会見で、その日東京都で新型コロナウイルスの感染者が新たに55人報告されたことに関し「同一のホストクラブ関係者などに積極的に検査をした結果」と述べた。つまり検査を積極的にするか消極的にするかで感染者数は恣意的に操作出来るということだ。しかし死者に対しては嘘をつけない。死亡率は真の感染率を反映していると見なせる。

こうしてみると日本だけではなく、中国以外のアジア諸国の感染率がおしなべて低いことがわかるだろう。またオーストラリアの感染予防対策は日本より優秀だ。

さて、日本とイラクの死亡率(≒感染率)はほぼ同等。ではイラク人のマスク装着率は日本人に匹敵するのだろうか?あるいはイラクの医療水準が日本と同等なのか?ナンセンスである。台湾やタイの死亡率が日本の20分の1以下なのも上述した説明では全く納得がいかない。

つまり国別の死亡率(≒感染率)の差異の理由は必ず他にある筈だ。BCG接種の有無と、BCG株の違いは間違いなくその有力候補だろう。特に隣同士の国、スペイン vs. ポルトガルや、フランス vs. ドイツの死亡率に、どうしてこんなに差(4対1)があるのかは注目すべきポイントである。

【疫学調査の手法】結局、マスク着用が感染予防に有効なのか?とか、手洗いなど衛生面が有効なのかといった評価は〈多変量解析〉(解説こちら)をしなければ分からない。複数の独立変数(説明変数)があるからである。喫煙率とかGDP(国内総生産)、大気汚染(PM2.5)、肥満度(BMI)なども加味する必要がある。ちなみに中国やイランはPM2.5の濃度が高く、米国国内では低所得者である黒人の死亡率が高く、ブラジルでは富裕層より貧困層の死亡率が高い。〈多変量解析〉により死亡率が高い群(スペイン、イタリア、フランス、米国)と低い群(日本、韓国、台湾、タイ)の二群間で、明らかに統計学的有意差(P値が0.05以下)がある変数が見つかれば、その対策が効果的だったと評価出来る。これが公衆衛生学における疫学調査の基本である。

【マスクは新型コロナ感染予防に有効か?】ドイツ・マインツ大学などの研究チームは、同国でのマスクの義務化が新型コロナウイルスの感染者を「大幅に減少させた」とする研究結果を発表した(記事はこちら)。結論に異議はない。ただこの研究の問題点は〈感染者がマスクをした場合、拡大防止に有効か?〉と、〈非感染者がマスクをした場合、感染を予防出来るか?〉という問いを分けていないことである。一緒くたにしてしまっている。All or Nothingでは問題の本質を見失ってしまう。特にドイツの死亡率(≒感染率)は日本の十数倍である。(北海道と東京以外で)新規感染者が殆どなくなった日本で、健常者がマスクをすることに果たして意味があるのだろうか?

【感染者がマスクをする意義】感染者がマスクをすればウィルスの飛散を予防出来る。鼻や口からしぶきとして飛び出し、空中を漂う〈マイクロ飛沫〉の拡散を防止することが重要。これは間違いない。多数の実験がされており、論文発表もある。確かなエビデンスがあると僕も認める。

【非感染者がマスクをすることで予防出来るか?】この問いに対しては僕の知る限りエビデンスがない。もし明らかな反証があれば後学のために是非ご一報頂きたい。そもそも日本でも多数の医療機関でクラスターが発生し、医療従事者が感染している。彼らは当然マスクをしている筈であり、つまり感染予防に効果がないことを示唆している。いちばん重要なのは感染者と濃厚接触をしないことだ。SARS騒動のときも用いられたN95マスクをしていた救急隊員も感染したと報道されている。つまり僕は症状のない健常者がマスクをしても全く意味がないと考える。EBS(Evidence-Based Safety:根拠に基づく安全理論)と言えない。過剰反応だろう。

【クラスターが発生する条件】今までの経験で、どういう場所がクラスター(新型コロナ感染が異常に高い発生率である集団)になり易いかが判明している。

  • ライブハウス
  • ナイトクラブ、ホストクラブ、ゲイバーなど接待を伴う飲食店
  • カラオケ店(特に最近は北海道の昼カラオケ)
  • コールセンター(電話オペレーター)
  • スポーツジム
  • プロ野球、テニスなどスポーツ選手(特にロッカールームは閉鎖空間で危険)
  • 病院、デイサービス、ショートステイ、福祉事務所(医療/介護従事者、入院患者)
  • 合唱団の練習場
  • 中国から来た旅行者を乗せた観光バスや、クルーズ船乗客を乗せたタクシー

共通する特徴は明白である。「換気の悪い密閉空間で感染者と濃厚接触すること(3密)」「特に2m以内に近接し、感染者が発声することがハイリスク」「喋らなくても運動をしてハァハァ激しく呼吸をすることも危険」。

しかし僕が知る限りミュージカル・演劇を上演する劇場や、クラシック音楽のコンサート・ホールでクラスターが発生したという報告はない。これは日本だけでなく欧米諸国など世界に目を向けても同じだ。ではライブハウスとコンサート・ホールの違いは何か?

  • コンサート・ホールの方が空間が広い。
  • ライブハウスでは観客が歓声を上げたり、コール&レスポンス(演奏者の呼びかけに対して観客が応えること)したり、踊って息をハァハァしたりする。テーブルが設置され飲食可能な場合もある。一方、コンサートホールで観客は黙って音楽を聴くだけであり、同じ方向を向いている(感染者と向かい合わない)。またライブハウスは基本スタンディングなので、着席して大人しく聴くコンサート・ホールより密になる。

満員電車でクラスターが発生していないのも同じ理屈である。窓を開けて換気し、会話さえしなければ危険じゃない。それに対して観光バスでは長時間乗り、隣どうしてペチャクチャお喋りをする。補助席のない大型バスでは窓が開かない場合も多い。

映画館でのクラスターも皆無だが、法令により換気がしっかりしていること、観客が黙って同じ方向を向いていることにその理由があるだろう。

合唱団やロックバンド(グループ魂の宮藤官九郎ら)でクラスターが発生しているのに、オーケストラや吹奏楽団など楽器演奏家に事例が見当たらないのも発声の有無に問題の核心があることを示している。

【映画館・劇場対策に意味はあるのか?】2020年6月末現在、映画館や一部劇場が再開されたが、座席は前後左右1席ずつ開けるとか、マスク着用が必須とか条件付きである。ほとんどの商業演劇・ミュージカルでは客席数を半分以下に減らされると採算が取れない。オーケストラの演奏会だってそう。無茶な話である。ブロードウェイでは9月6日まで劇場閉鎖が決まっており、さらに延長される可能性も高い。「キャッツ」や「レ・ミゼラブル」、「オペラ座の怪人」といったミュージカル作品を手がけてきた著名な演劇プロデューサーで劇場オーナーでもあるサー・キャメロン・マッキントッシュは、ソーシャル・ディスタンシング措置のため来年までロンドンの劇場を再開出来ないと明言している。また経営難に陥った劇団四季はクラウドファンディングを開始した(こちら)。世界中のエンターテイメント業界は危機的状況にある。

ここで大いに疑問に思うのは、劇場に今までどおり客を入れた場合よりも、前後左右1席ずつ開けた方が感染リスクを統計学的有意差をもって低減出来るというエビデンス(根拠となるデータ)は本当にあるのだろうか?そういう実験をどこかでしたという話を僕は一切聞いたことがない。〈相手と2mの距離を取る〉というのは向かい合って、会話するという条件から生まれてきた指針である。喋らず、同方向を向いている状況で、ソーシャル・ディスタンシングを保つべき距離は自ずと変わってくる筈だ。発声を控えればマスクだって不要だろう。

京都大学ウイルス・再生医科学研究所の宮沢孝幸准教授は次のように述べている(出典こちら)。

「緊急事態宣言の発令後、映画館やパチンコ店など、ほとんど話をしない場所への自粛も呼びかけられ、駅の利用状況も問題視されましたが、唾液が飛ばないところで自粛しても意味がありません」

【恐怖心】アメリカの哲学者ラルフ・ワルド・エマーソン(1803-1882)はこう言った。「恐怖は常に無知から生まれる (Fear always springs from ignorance. )」知識を得ることは恐怖の解毒剤である。妖怪とか幽霊といった類は正にこれであろう。特に電気のない時代、蝋燭とか灯台(火皿に油を注ぎ灯芯を浸したもの)で照らす夜は暗く、見えないことの恐怖が彼らを生んだ。ウィルスも目に見えない。見えない敵と戦うことは恐怖心や不安感を増幅させる。

20世紀で最も著名なイギリスの論理学者で哲学者バートランド・ラッセル(1872-1970)は「恐怖心というものが迷信や残虐を生む。恐怖心を克服することが叡智につながる」と述べている。新型コロナウィルス流行で脚光を浴びたのがアマビエという妖怪である。僕は今まで全く知らなかった。

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疫病除けでこういうのが流行るのも迷信のひとつだろう。そもそも宗教そのものが死の恐怖、人の命が有限であることの恐怖から生まれたと言える(↔永遠の命を有する神)。

また新型コロナに対する恐怖心から生まれた残虐が〈自粛警察〉であり、マスクをしていない人を公衆の面前で怒鳴りつける〈マスク警察〉だ。欧米では「コロナが感染拡大したのはおまえらのせいだ」とアジア人に対する差別や暴行事件が蔓延している。被害に遭っているのは中国系だけではなく、インドネシア人、ビルマ人、シンガポール人、韓国人、日本人と多岐にわたる(新聞記事こちら)。

ラッセルは「人間は信じやすい動物だから、何かを信じたくなる。信ずるに足る何かを見出だせない場合は、信ずるに足らないことでも満足してしまう」とも言っている。今回の場合は〈マスクによる感染予防効果〉がそれに当たるだろう。神社のお守り・お札みたいなものだ。

【新型コロナ恐るるに足らず】2020年6月26日現在、新型コロナウィルスによる日本の死者数は総計970人である。一方厚労省によると、通常の季節性インフルエンザによる年間死亡者数は日本で約1万人と推計されている(資料こちら)。世間の人々は神経質になり過ぎではないだろうか。

【アメリカ人はマスクをしない】2020年6月20日トランプ大統領が行った6,000人を超える大規模集会において、会場ではマスクが入場者に配布されたものの、実際に着用している人はほとんどいなかった。こちらの記事の動画をご覧頂きたい。ソーシャル・ディスタンシングなんか全く考慮しない、密の状態だということがお分かり頂けるだろう。

【日本人の生真面目さ】2020年4月7日に「緊急事態宣言」が発令され、5月25日に解除されるまで僕は無意味だと思いつつ、政府の方針に従って電車の中ではマスクを着用して通勤した。解除後も更に1ヶ月、我慢した。僕が住む兵庫県では1ヶ月以上、新型コロナウィルスの新規感染者は0だった。しかし6月末現在、阪急電車におけるマスク着用率は未だに100%である。どうして皆、そんなにお上に対して素直に従うんだ!?何故自分自身の頭で考えて、何が正しいかを判断しない?これはもう、一種の思考停止だ。感心を通り越して呆れてしまう。結局、軍国主義に走って暴走した政府に誰も異を唱えなかった第2次世界大戦時と日本人のあり方は少しも変わっていない。「欲しがりません勝つまでは」今も昔も羊のように従順な国民性だったのである。悪く言えば未だに〈個が確立されていない〉。しかし一方で、アメリカ人やフランス人みたいに個人主義が徹底しすぎても、良いことばかりではないのも確かだ。アメリカ人の離婚率の高さは悲惨だし、フランス人が一般に冷淡なのは、赤ちゃんのときから親が別室で寝る習慣が災いしているのではないかと僕は考える。つまり国民全体が〈愛着障害〉なのだ。

言い換えよう。日本人は昔から〈個よりも公を重んじる〉国民性なのだろう。出る杭は打たれ、和を以て貴しとなす(聖徳太子「十七条憲法」第一条)。それが良い場合もあれば、悪い場合もある。個か公か?何事も極端に走らず、程々が肝要である。

【同調圧力】そもそも外出時にマスクを付けなさいとかいうのは政府の〈要請〉であり〈強制〉ではない。罰則規定はないし、従わないからといって罪に問われるわけではない。米ニューヨーク州では行政命令でマスク着用が義務化された。アメリカ人は全然、人の言うことを聞かないからだ。パリでもメトロでマスクが義務化され、違反者には罰金1万6千円(135€ )が課せられる。じゃあ日本でも罰則規定を設ければいいじゃないかって?感染率がぜんぜん違う。フランスは日本の50倍以上だ。あちらでの義務化は感染者からの拡散を防ぐことに狙いがある。なお厚労省の調査で、東京都民の新型コロナウィルス抗体保有率は0.1%と判明した。一方、ニューヨーク州が実施した検査の抗体保有率は12.3%、スウェーデンのストックホルムは7.3%に達している。桁が違う。

しかし日本でマスクを着用せず街を歩いているとひしひしと同調圧力を感じる。汚物でも見るように、あからさまに嫌な顔をされ避けられたりする。ムラの発想だ。マスクをしない者は村八分。息苦しく、住みにくい世の中になったものだ。しかし僕はへこたれない。今の風潮は明らかに間違っている。誰になんと非難されようが「王様は裸だ!」とこれからも言い続ける。

【新しい生活様式のあるべき姿】以上述べてきた根拠に基づき、僕が考える〈新しい生活様式〉を提案したい。日本人は従順な国民だから、政府がしっかりとメッセージを発信すれば、きちんと実践出来る筈。

①以下のどれかに当てはまる人は必ず外出時、あるいは対面で会話をするときは必ずマスクを着用することとする。

  • 過去に新型コロナウィルスに感染した既往歴がある。
  • 直近2週間以内に新型コロナウィルスに感染した人と接触した可能性がある。
  • 37.5℃以上の発熱がある。
  • 咽頭痛や違和感・咳・頭痛・味覚/臭覚異常(味や臭いが分からない)・倦怠感などの症状がある。

これらに当てはまらない人はマスクは不要。勿論、不安があれば着用すればいいが熱中症に十分注意して適宜水分補給をする。

②映画館や劇場(ライブハウスを除く)で客席のソーシャル・ディスタンシングは不要。マスクも義務化しないが着席後の発声は慎む。また入場時の検温は実施する。

③舞台に立つ役者や演奏家には全員、新型コロナウィルスのPCR検査、またはLAMP法、抗原検査を実施する。感染初期には陽性化しない抗体検査はダメ。6月5日、 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が3ヶ月ぶりに公演を再開した際、楽員全員がPCR検査を受けた。

【最後に】読者の皆さんに切に訴えたい。「マスクを捨てよ、町へ出よう」

本物の日常を取り戻そう。

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