舞台・ミュージカル

明日海りお主演 宝塚花組「ポーの一族」あるいは、吸血鬼に取り憑かれた男たち。

1月7日(日)宝塚大劇場へ。花組公演「ポーの一族」を観劇。

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主な配役は、エドガー:明日海りお、シーラ・ポーツネル男爵夫人:仙名彩世、アラン:柚香 光、メリーベル:華 優希ほか。  

萩尾望都「ポーの一族」の連載が始まったのは1972年。バンパネラ(吸血鬼)ものであり、【永遠の命】がテーマになっている。今回の観劇で強く感じたのは、これは萩尾版「火の鳥」なんじゃないかということ。手塚治虫「火の鳥」黎明編が発表されたのは1954年。萩尾は高校2年生のときに手塚の「新選組」に強く感銘を受け、本気で漫画家を志した。彼女が手塚漫画について語っている映像はこちら。「火の鳥」についても言及している。「ポーの一族」執筆に際し萩尾が直接影響を受けたのは石森章太郎「きりとばらとほしと」だが、後に手塚も「ドン・ドラキュラ」を書いた(大林宣彦監督がこの映画化を企画したが、実現しなかった)。

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また時を越えて生き続けるという設定はヴァージニア・ウルフの小説「オーランドー」に近いと言えるかも知れない。エドガーは男とも女とも明確な区別がつかない、中性的イメージだしね。そういう意味でも明日海りおにピッタリで、完璧なキャスティングであった。柚香 光のアランも文句なし。ふたりとも漫画から抜け出たような美しさ。

有名な吸血鬼小説といえばシェリダン・レ・ファニュ「吸血鬼カーミラ」(1872年刊行)とブラム・ストーカー「ドラキュラ」(1897年刊行)にとどめを刺す。 どちらもアイルランドの作家という事実が興味深い。映画ならムルナウ監督「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922年独、原作はストーカーのドラキュラ)が原点で、「カーミラ」の映画化としてはロジェ・ヴァディム監督「バラ」(1960)が名作中の名作と誉れ高い。そして日本でこの「バラ」に取り憑かれているのが映画作家・大林宣彦である。

そして和製ドラキュラ役者としては岸田森の右に出る者はいないだろう。「を吸う」3部作が有名だが、大林映画「金田一耕助の冒険」(1979)でもドラキュラを演じた。

宝塚の小池修一郎もまた、バンパネラものを繰り返し手掛けてきた。

バンパネラ(吸血鬼)はキリスト教へのアンチテーゼとして闇の中から生まれた。ドラキュラが十字架や太陽光を忌避するのはそのためである。それは悪魔崇拝と結び付いている。悪魔は神に叛逆した堕天使だ(ミルトンの小説「失楽園」)。永井豪「デビルマン」も悪魔とドラキュラ伝説の密接な関係性について触れている。キリスト教徒は(プロテスタント・聖公会・カトリック・正教会の全てを合わせても)日本人の約1%を占めるに過ぎない。だから我が国はバンパネラを受け入れやすい土壌と言えるのではないだろうか。

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小池が萩尾にミュージカル化を申し入れてから32年。それだけ待った甲斐があったというものだ。明日海りお=エドガーというまたとない逸材を手に入れ、演出家としても円熟の極みにある。今の小池なら音楽を「エリザベート」のリーヴァイや「ロミジュリ」のプレスギュルヴィック、「スカピン」のワイルドホーンらに依頼することも可能だったろう(ワイルドホーンは雪組「ひかりふる路〜革命家、マクシミリアン・ロベスピエール〜」を担当した)。しかし彼は敢えて歌劇団の座付作曲家で臨んだ。これも日本人スタッフだけでやれるという自信の現れだろう。

作曲・編曲:太田 健は「アデュー・マルセイユ」「太王四神記」「カサブランカ」「オーシャンズ11」「銀河英雄伝説」「るろうに剣心」等で小池と組んできたが、今までで最高の出来である。小池の執念が憑依したかのような奇跡の完成度。文句なし!「風と共に去りぬ」「ベルサイユのばら」などを担当した寺田瀧雄と比べると、作曲技法の進化に隔世の感がある。

海外ものなら「エリザベート」「ロミオとジュリエット」「ミー&マイガール」など名作が多数あるが、宝塚歌劇オリジナル作品としては「ポーの一族」が頂点を極めたと断言しよう(レビューの最高峰は「ノバ・ボサ・ノバ」と「パッサージュ」)。なんて耽美な世界なのだろう!

それにしても宝塚では男役と娘役トップが恋に落ちるというのが芝居の基本形だが、「ポーの一族」は異色である。エドガーはシーラ・ポーツネル男爵夫人に思慕の念を抱いているが、それはあくまで母親代わりだ。いわば「銀河鉄道999」における哲郎のメーテルに対する気持ちに近い。だから最終的に恋が成就するのはエドガー↔アランなのだ。これは萩尾の漫画「トーマの心臓」に繋がっているし、同性愛という意味で「バラ」的でもある。正に21世紀の宝塚に相応しい題材と言えるだろう。

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幕間にラウンジで公演メニュー「バラのムース」を食べた。 これが無茶苦茶美味しかった!またオリジナルカクテル「バラのエナジー」も○。もう一度観に行く予定だが、また注文してしまいそう。

宝塚歌劇「ポーの一族」は今後の展開として「ベルサイユのばら」みたいに【小鳥の巣】編、【春の夢】編などシリーズ化を熱望する(今回はさしずめ【メリーベルと銀のばら】編)。小池さん、いくらでも思う存分やってください。とことん付き合います。

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大竹しのぶ 主演「欲望という名の電車」

1月6日(土)森ノ宮ピロティホールへ。

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テネシー・ウィリアムズ作「欲望という名の電車」を観劇。

配役はブランチ:大竹しのぶ、スタンリー:北村一輝、ステラ:鈴木杏、ミッチ:藤岡正明 ほか。

演出はイギリス出身のフィリップ・ブリーン。

大竹は本作の演技に対して紀伊國屋演劇賞(個人賞)を受賞した。

「欲望という名の電車」は1947年ブロードウェイで初演され、翌年ピューリツァー賞を受賞。アーサー・ミラー「セールスマンの死」と共に、20世紀のアメリカ演劇を代表する戯曲である。

舞台はニューオリンズ。ジャズ発祥の地として知られ、初演を演出したエリア・カザンが監督を務めた映画版におけるアレックス・ノースの音楽は非常にJAZZYな仕上がりになっている。今回の上演版もジャズ・テイスト満載だ。

同性愛・少年性愛・レイプという、ありとあらゆるタブーがふんだんに盛り込まれているので、第二次世界大戦直後の初演時には衝撃的だったろう。51年の映画版では自主規制(ヘイズ・コード:ハリウッド映画に於ける検閲制度)がかかり、その濃密さが些か薄まった印象がある。ちなみにテネシー・ウィリアムズはゲイだった。

好みかどうかは置いておいて、大いに観応えのある舞台だった。大竹しのぶはまぁ言ってみれば日本のメリル・ストリープなわけで、彼女の演技に文句あろう筈もない。野性味溢れる北村一輝や鈴木杏も見事であった。今度は松尾スズキ演出版も観てみたいな。

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ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」2018年新春大阪公演初日

1月3日(水)梅田芸術劇場へ。ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」日本初演50周年記念公演 大阪初日を観劇。

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主な配役は、テヴィエ : 市村正親、ゴールデ(妻) : 鳳 蘭、ツァイテル(長女) : 実咲凜音、ホーデル(次女) : 神田沙也加、チャヴァ(三女) : 唯月ふうか、モーテル : 入野自由、パーチック : 広瀬友祐、フョートカ : 神田恭兵、ラザール : 今井清隆 ほか。  

この作品の歴史については5年前、2013年の公演時に詳しく書いたので下記事を参考にされたし。

タイトルの由来や、日本人がどうして本作に親しみを感じるのか、また物語の最後に結婚仲介人の老婆イェンテがエルサレムに、三女チャバがポーランドのクラフクへ向かって旅立つ深い意味についても述べてあり、読み返してみると特に付け加えることはない。

初演のテヴィエは森繁久彌だが、市村が引き継いでから既に13年が経過しているという。コミカルな演技で最初観た時は「軽妙過ぎるかな?」とも感じたが、むしろいっぱい笑いがあるからこそ哀しみが深まるのではないだろうか。

実咲凜音は宝塚歌劇トップ娘役時代に幾つか公演を観ている。

歌がそんなに得意でなく、声が良くないのだけれど、ダンスになると俄然他の姉妹より上手くてさすが宝塚出身者と唸った。

鼻っ柱が強い次女を演じた神田沙也加は凛とした佇まいで好演。彼女のイライザ@マイ・フェア・レディが愉しみだ。三女役の唯月ふうかも可愛くて文句なし。ただソロがないのが気の毒だった。ミュージカル「舞妓はレディ」、観に行きます!

神田恭兵はミュージカル「ミス・サイゴン」のトゥイ役(主人公キムの許婚)で何度か観ている。

高い美声に魅了された。テヴィエが、ラザールと長女との結婚の約束を交わす居酒屋の場面で、二人を祝福する第一声を発するロシア人がフョートカだということに、今更ながら初めて気が付いた。

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「4 Stars」ラミン・カリムルー、城田優ら日米英のミュージカルスターが集結!

12月14日(木)梅田芸術劇場で「4 Stars」を鑑賞。

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前回(2013年)のレビューはこちら

今回の出演者は以下の通り。

シンシア・エリヴォ:2016年ミュージカル「カラー・パープル」でトニー賞ミュージカル主演女優賞を受賞。「天使にラブ・ソングを」にも出演。初来日。

シエラ・ボーゲス:ディズニー製作によるブロードウェイ・ミュージカル「リトル・マーメイド」アリエル役オリジナル・キャスト。「オペラ座の怪人」ラスベガス版と25周年記念コンサート、「ラヴ・ネヴァー・ダイズ」ロンドン公演でクリスティーヌを演じた。

ラミン・カリムルー:「オペラ座の怪人」の続編「ラヴ・ネヴァー・ダイズ」ファントム役オリジナル・キャスト。また「オペラ座の怪人」25周年記念コンサートでもファントムに抜擢された。その後「レ・ミゼラブル」ロンドン/ブロードウェイ公演でジャン・バルジャン役を務めトニー賞ミュージカル主演男優賞にノミネート。また「レ・ミゼラブル」25周年記念コンサートではアンジョルラスを演じた。

城田優:宮本亜門演出「スウィーニー・トッド」で水夫アンソニー役に起用される。小池修一郎演出ウィーン・ミュージカル「エリザベート」でトート、フレンチ・ミュージカル「ロミオとジュリエット」でロミオを演じ人気が爆発。映画「亜人」にも出演。

今回のセット・リスト(順不同)は、

  • アナザー・デイ・オブ・サン♪「ラ・ラ・ランド」(シエラ・城田)
  • マリア♪スペイン語「ウエストサイド物語」(城田)
  • 美女と野獣♪「美女と野獣」(シンシア・城田)
  • 愛の芽生え♪「美女と野獣」(シエラ・城田)
  • 闇が広がる♪日本語「エリザベート」(ラミン・城田)
  • 私だけに♪日本語「エリザベート」(シエラ)
  • カフェ・ソング♪「レ・ミゼラブル」(ラミン)
  • We Kiss in a Shadow♪「王様と私」(シエラ・ラミン)
  • Hello, Young Lovers♪「王様と私」(シンシア)
  • 君住む街で♪「マイ・フェア・レディ」(ラミン)
  • 踊り明かそう♪「マイ・フェア・レディ」(全員)
  • カラー・パープル♪「カラー・パープル」(全員)
  • 僕は怖い♪日本語「ロミオ&ジュリエット」(城田)
  • エメ(愛)♪フランス語「ロミオ&ジュリエット」(シエラ・城田)
  • 蜘蛛女のキス♪「蜘蛛女のキス」(城田)
  • Losing My Mind/Not a Day Goes By♪「ソンドハイム・オン・ソンドハイム」(シンシア/シエラ)
  • マディ・ウォーター♪「ビッグ・リバー」(ラミン・城田)
  • 私のお気に入り♪「サウンド・オブ・ミュージック」(シンシア・城田)
  • 僕こそ音楽♪日本語「モーツァルト!」(城田)
  • ネバーランド♪「ファインディング・ネバーランド」(ラミン)
  • Part of Your World♪「リトル・マーメイド」(シエラ)
  • 天国へ行かせて♪「天使にラブ・ソングを」(シンシア)
  • Colors of the Wind♪「ポカホンタス」(シエラ)
  • アルゼンチンよ、泣かないで♪「エビータ」(シンシア)
  • The Music of the Night♪「オペラ座の怪人」(ラミン)
  • 墓場にて♪「オペラ座の怪人」(シエラ)
  • 彼を返して♪「レ・ミゼラブル」(ラミン)
  • Home(私の夢が叶う場所)♪「ファントム」(シエラ)
  • アイム・ヒア♪「カラー・パープル」(シンシア)
  • Easy As Life♪「アイーダ」(シンシア)
  • アンセム♪「チェス」(歌い出しラミン→全員)
  • Were Did the Rock Go♪「スクール・オブ・ロック」(シエラ)

いやもう、シンシア・エリヴォの「カラー・パープル」が生で聴けただけでも感無量!ソウルフルな絶唱だった。2001年にブロードウェイで観劇したディズニー版「アイーダ」のヘザー・ヘッドリー(お相手ラダメス役はアダム・パスカルだった)に匹敵する喉の持ち主だ。圧倒された。

ラミン・カリムルーの「オペラ座の怪人」も現役としては世界一の歌唱力じゃないかな?どこまでも伸びるいい声だ。おまけに「レ・ミゼ」のジャン・バルジャンだけではなく、マリウスの歌まで聴けたのも最高。また「エリザベート」闇が広がる♪を日本語で歌ってくれたのは嬉しかった。しかも発音が完璧!度々来日しているマテ・カマラス(ハンガリー)よりも上手かったのには驚かされた。そして「チェス」アンセム♪の朗々とした歌声に聴き惚れた。

シエラ・ボーゲスの歌声の魅力は透明感。ディズニーの「リトル・マーメイド」や「ポカホンタス」はパーフェクトだった。「エリザベート」は似合っていなかったけれど、フランス語で歌った「ロミジュリ」エメ♪の美しさには陶然となった。

城田の「ロミジュリ」は6年前に生の舞台を観ているのだけれど、メキメキ歌が上達している。

あと「モーツァルト!」も素晴らしかった。ただ舞台で演じるには彼は背が高すぎるんだよね。検死報告によるとヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは身長163cmだったそうな(城田は190cm)。イメージが違いすぎる。城田は日本人とスペイン人のハーフだが、スペイン語で歌った「ウエストサイド」マリア♪が余りにもハマりすぎていて唖然とした。は争えないね。

「4 Stars」は2013年の公演より明らかに進化しており、観客も大興奮だった。必聴!

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ミュージカル「レディ・ベス」大阪公演初日!

11月28日(火)梅田芸術劇場へ。ミュージカル「レディ・ベス」を観劇。

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東宝が「エリザベート」の作詞・作曲家コンビであるミヒャエル・クンツェとシルヴェスター・リーヴァイに新作ミュージカルの製作を依頼したもので、2014年に初演された。花總まりで観た時のレビューは下記。

再演で2つの新曲が追加されたが、初演版からカットされた曲もある。

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今回観た配役はレディ・ベス:平野綾、ロビン・ブレイク:山崎育三郎、メアリー・チューダー:吉沢梨絵、フェリペ:古川雄大、ロジャー・アスカム(エリザベスの家庭教師):山口祐一郎。他に石川 禅、吉野圭吾、和音美桜、涼風真世らが出演した。

それにしても贅沢なキャストだ。実写版ディズニー映画「美女と野獣」の日本語吹き替え版で野獣役を歌い、今や《ミュージカル界のプリンス》の名をほしいままにする山崎と古川は2018年ミュージカル「モーツァルト!」タイトルロールのダブル・キャストである。また涼風と山口は2018年日本初演されるミュージカル「マディソン郡の橋」(作詞作曲:ジェイソン・ロバート・ブラウン)で主演を務める。

あと圧倒されたのは平野綾の歌唱力。美しく堂々として、そこに間違いなくThe Virgin Queen=エリザベス1世がいた!驚いたことに花總まりよりも良かった(僕は大の花ちゃんファンなのだが……)。小池修一郎さん、次回東宝で「エリザベート」を再演するときには是非彼女をタイトルロールに抜擢してください。お願いします。

終演後の舞台挨拶で平野の喋る声のトーンが一段高くなったのが可笑しかった。正にアニメ声。彼女は声優としてアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」ハルヒ役で一世を風靡した。

余談だがもうすぐ12月。舞台に立つ涼風の姿を観ながら、「嗚呼、久しぶりにまたミュージカル『シー・ラヴズ・ミー』が観たい!」と強く想った。クリスマスを巡る心温まる逸品で、メグ・ライアン、トム・ハンクス主演の映画「ユー・ガット・メール」の元ネタにもなっている(脚本・監督のノーラ・エフロンは幼少期に両親に連れられてこのミュージカルを何回も観に行ったそうだ)。

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トロイ戦争は起こらない@兵庫芸文

10月26日(木)兵庫県立芸術文化センターにて「トロイ戦争は起こらない」を観劇。

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作:ジャン・ジロドゥ/演出:栗山民也/出演:鈴木亮平、一路真輝、鈴木杏、谷田歩ほか。新国立劇場のプロダクションである。

ジロドゥ(1882-1944)は劇作家であると同時にフランスの外交官でもあった。1939年に第二次世界大戦が勃発した時にはダラディエ首相に請われ情報局長となり、ラジオ放送でナチスと対峙。しかし40年にドイツ軍が侵入し、内閣の退陣とともに辞職した。その後はレジスタンスに身を投じた。

「トロイ戦争は起こらない」は1935年に初演。日本では浅利慶太演出で57年に劇団四季が初演している。ちなみに劇団四季が初演したジロドゥの戯曲は「オンディーヌ」「テッサ」など9作品に及ぶ。アドルフ・ヒトラーが首相に任命されるのは33年。同年に早速、ドイツでナチ党以外の政党の存続・結成が禁止された。ベルリン・オリンピックが36年。風雲急を告げる時代に本作は産声をあげた。

上演時間2時間25分。一瞬たりとも退屈することなく、夢中になって目を凝らした。テーマは〈果たして戦争は回避できるのか?〉という問いに集約される。そこに劇の背景にあるファシズムの台頭、外交官としてのジロドゥの苦悩が滲み込む。この二重構造は薬師丸ひろ子が舞台の新人女優を演じた映画「Wの悲劇」(演出家役で蜷川幸雄が出演している)に重なるところがある。

ミュージカル「デスノート」と本作で栗山民也の演出にほとほと感心したので、ジャン・アヌイ作、蒼井優・生瀬勝久 主演の「アンチゴーヌ」をロームシアター京都に観に行くことに決めた!ちなみち「アンチゴーヌ」も劇団四季が上演している。

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【増補改訂版】近・現代芸術を理解するための必読書 その2

これは、過去に書いた記事

の続編となる。今回まず、お薦めしたいのは臨床心理学者・河合隼雄による一連の著作である。

そもそも河合の名前を初めて知ったのは2016年夏に兵庫芸文で上演されたブリテンのオペラ「夏の夜の夢」について勉強している時だった。ことの詳細は下記に書いた。

河合と翻訳家・松岡和子との対談、「快読シェイクスピア」(ちくま文庫)は目から鱗の連続だった。特に「夏の夜の夢」が意識↔無意識の4層構造になっているという解釈はまるでクリストファー・ノーラン監督の映画「インセプション」みたいで新鮮だった。調べてみると河合は、村上春樹や小川洋子、遠藤周作、安部公房ら小説家、ノンフィクション作家・柳田邦男、詩人・谷川俊太郎、宗教学者・中沢新一、脳科学者・茂木健一郎ら錚々たるメンツと対談本を上梓していることが判明した。その後夢中になって彼の著作を読み漁った。

僕は生まれてこの方、2,700本以上の映画を観てきた。膨大な数だ。どうしてこれほどまでにフィクションに魅了されるのか、自分でも不思議だった。過去には次のような記事も書いた。

「博士の愛した数式」で有名な小説家・小川洋子は二十代半ばでデビューした当時、「なぜ小説を書くのですか」とインタビューで問われる度に明確な回答が出来ず、その質問が苦痛でならなかったという。しかし河合隼雄の著作を読み、物語というものの解釈に出会って彼女の目の前に立ち込めていた霧が晴れた。河合と小川の共著「生きるとは、自分の物語をつくること」(新潮文庫)に小川が書いたあとがきから引用する。

物語を持つことによって初めて人間は、身体と精神、外界と内界、意識と無意識を結びつけ、自分を一つに統合できる。(中略)内面の深いところにある混沌は理論的な言語では表現できない。それを表出させ、表層の意識とつなげて心を一つの全体とし、更に他人ともつながってゆく、そのために必要なのが物語である。物語に託せば、言葉にできない混沌を言葉にする、という不条理が可能になる。生きるとは、自分にふさわしい、自分の物語を作り上げてゆくことに他ならない。

まさにこれこそが、河合隼雄から僕が学んだことである。

現在までに彼の著書を30冊読んだが、お勧めのベスト5を挙げておく。

  • 無意識の構造(中公新書)
  • 母性社会日本の病理(講談社+@文庫)
  • 昔話と日本人の心(岩波現代文庫)
  • 快読シェイクスピア 増補版(ちくま文庫)
  • 神話と日本人の心(岩波現代文庫)

「母性社会日本の病理」や「昔話と日本人の心」を読み、如何に自分がイザナギ・イザナミ・アマテラス・ツクヨミ・スサノオなど日本の神話のことを知らないかを思い知らされた。理由のひとつには学校教育で教わらないということもあるだろう。第2次世界大戦において、日本の神話は軍部に利用された。それへの反省もあり、また日本神話は天皇制に結びつくということもあって、日教組から徹底的に嫌悪され教育現場から排除された。河合がスイスのユング研究所での留学を終えて帰国してからも暫くの間、神話の話など持ち出そうものなら「この右翼め!」と袋叩きに合いそうな雰囲気だったので、口を閉ざしていたという(1960年代は安保闘争や学生運動が花盛りだった)。

しかしキリスト教を知らなければ欧米人のものの考え方を理解出来ないように、日本の神話や昔話を知らずして、日本人の深層心理、無意識の在り方に到達することなど到底不可能なのではないだろうか?「君の名は。」の新海誠監督も日本の昔話や神話、万葉集、古今和歌集などを読み、創作の参考にしていると語っている→こちら

ユング心理学を応用すれば、こんな解釈も可能だということを示したのが以下の記事である。

深層心理学は自然科学とは異なり、客観性よりも主観が大切である(故に「科学じゃない」という批判もある)。それは自己(self)の問題であり、物語の読解に実に役立つのである。

もう一つ挙げたいのはニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」だ。

フロイトやユングの打ち立てた心理学はニーチェ哲学を土台にしているし、「ツァラトゥストラ」を通して、映画「2001年宇宙の旅」「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」「攻殻機動隊」「魔法少女まどか☆マギカ」「風の谷のナウシカ」「崖の上のポニョ」「プロメテウス」「エイリアン:コヴェナント」などが何を物語ろうとしているのか、一層深く読み取れるだろう。

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「ゴドーを待ちながら」@京都造形芸術大学

9月10日(日)京都造形芸術大学内にある京都芸術劇場 春秋座へ。

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サミュエル・ベケット作「ゴドーを待ちながら」を観劇。

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芝居の前に大学キャンパス内にあるお洒落なカフェ・ヴェルディでランチをいただく。すると隣りに座った女子大生の会話が聞こえてきた。

「先日、古墳を見に行ったの」「私は車で神社に立ち寄った」「(天空の城)竹田城跡にひとりで行ったら、ガイドさんから『エッ、ひとりで来たの!?』と驚かれたわ」

といった内容で、ここは異世界だな!と感じ入った。因みにこの大学は、女優・黒木華(ドラマ「重版出来!」、映画「小さいおうち」、「幕が上がる」、「リップヴァンウィンクルの花嫁」)の出身校でもある。

また芝居の幕間に僕が「ゴドーを待ちながら」の台本を読んでいると、隣りに座った70−80歳代の老夫婦から声をかけられた。

「わたしたち学生時代にこれに出演したんですよ。懐かしくてみんなで観に来ました」

これにも心底驚かされた。

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アイルランドに生まれフランスに渡り、ナチス・ドイツ占領下のパリでレジスタンスに身を投じた経験を持つベケットは1969年にノーベル文学賞を受賞。しかしもし彼が、1952年に出版され翌年パリで初演された「ゴドーを待ちながら」を書いていなかったら、受賞はあり得なかっただろう。20世紀演劇界最大の問題作であり、最高傑作と称賛されている。この一作が世界演劇の流れを変えたとさえ言われる。オリジナルはフランス語だが、作者自身による英語版もあり、一部台詞が異なっている。アメリカ初演は惨憺たるもので、初日に最後まで残っていた観客はテネシー・ウィリアムズほか数名だけだったという。フランス語版は初演のままだが、ベケットは英語版を3回(ベルリン公演で2回+ロンドン公演で1回)改訂している。

今回はベケット作品を演るためにアイルランド・ダブリンで結成された演劇集団マウス・オン・ファイヤが、晩年にベケットが残した演出ノートに基づき上演した。演出はカハル・クイン。配役は、

  • エストラゴン:ドンチャ・クロウリー(アイルランド・コーク出身
  • ウラジーミル:デイビッド・オマーラ(ダブリン出身)
  • ポッツォ:マイケル・ジャッド(ダブリン出身)
  • ラッキー:シャダーン・フェルフェリ(インド出身)
  • 少年:下宮真周

日本語字幕は背景のスクリーンに映し出された。

本作は不条理演劇の代表作とされる。浮浪者ふたりが木の下でゴドーを待っているが、最後まで彼は現れない。Godotという名前にはGodが内包されており、「神の不在」がテーマとなっている。

僕が今回本作をどうしても観たいと想ったのは、映画「桐島、部活やめるってよ」がすこぶる面白かったからだ。

内容は哲学的である。デカルトは「方法論序説」の中で《我思う、故に我あり》と説いたが、ベケットは《いま思っている我(われ)って、誰(だれ)?》とその実存に疑問を投げかける。存在の不確かさ、生きるということへの茫漠とした不安(死への誘惑)。我々は何処から来て、何処へ行くのか?そして記憶の曖昧さ、あてにならなさ。押井守のアニメ「機動警察パトレイバー the Movie」とか「迷宮物件」などはゴドーから多大な影響を受けているように想われる。

登場人物たちは《救済》とか《希望》、《夢の実現》を待ち続けている。でも実際のところ何も起こらない。手持ち無沙汰、宙ぶらりんな状態。人生ってこういう日々の繰り返しなんじゃない?とベケットが語りかけてくるように僕には想われた。

かつて「ゴドーを待ちながら」は何を表現しているのか?と問われたベケットは「共生だよ」と答えたという。エストラゴンとウラジーミルの関係は「友愛(腐れ縁)」であり、途中から登場する金持ちのポッツォとその奴隷・ラッキーは「主従」ー抑圧する者とされる者を表現している。またポッツォが何度もゴドーと間違えられる場面があり、イエス・キリストのイメージが重ねられているとも解釈可能だ。今回の演出でも3人が地面に倒れる場面はポッツォが中央、エストラゴンとウラジーミルがその両脇に配され、全員が両手を真横に伸ばし、足を交差する姿勢をとっていた。つまり十字架にかけられたイエスと2人の悪党を象徴させていたのである。舞台にポツンと立つ柳の木も十字架の形だった。

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ベケット自身、本作が刑務所で上演されるのを支援し、囚人たちがこの劇に描かれた「待つこと」や抑圧、無力に共感する姿を目の当たりにしたという。そしてマウス・オン・ファイヤもアイルランドの幾つかの刑務所で上演している。

芝居がはねた後、大学の教室に場所を移し、ポスト・パフォーマンス・トークが開催された。カハル・クインと、東京大学名誉教授でフランス文学者、そして演出家でもある渡邊守章がパネリストを務めた。

渡邉がフランスに留学したのが1956年。船旅で本来なら30−31日でつく筈が、折り悪く10月29日から第二次中東戦争が勃発、スエズ運河が閉鎖になった。よって航路が迂回されたため、53日かかった。だからその時はベケットどころではなく、結局パリで観ることが出来たのは1960年代後半(68年の五月革命前夜)だったという。

またかつて蜷川幸雄が1994年に銀座セゾン劇場で市原悦子・緑魔子らにより《女相撲版》「ゴドーを待ちながら」を上演したことがあり、後に無許可だったことがバレて版権元から大目玉を食らったそう。生前にベケットは女性が演じることを決して認めなかった。

クインはまず本作がtragicomedy(悲喜劇)であり、悲劇と喜劇のどちらか一方に偏るべきではないという見解を述べた。スラップスティック(どたばたギャグ)という側面もあれば、悲しみとか痛みに浸る場面もある。登場人物たちが喋っている場面は沈没するボートの水を一生懸命掻き出している状況であり、繰り返される間・沈黙は悲劇であったり死を意味している。そして彼はベケットが愛読していたというショーペンハウアー(ドイツの哲学者)の著書「意志と表象としての世界」から次のようなアフォリズムを引用した。

人生は、全体を眺め最も重要な特徴のみを強調するなら正しく悲劇だが、仔細に見れば喜劇的性格を帯びている。

またウラジーミルは月とか柳の木とか上を見る動作が多いので声のトーンが高い役者を起用し、エストドラゴンは足元とか地面を見ることが多く、トーンが低い役者にしたと。さらに第1幕最後は背景の空を赤く、満月を青くして「繰り返し」を示し、第2幕最後は空を青、月を赤くして日食や世界の終末を示唆したそう。

いや〜刺激に満ちた貴重な体験だった。

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朝夏まなと主演/宝塚宙組「神々の土地 〜ロマノフたちの黄昏〜」「クラシカル ビジュー」

9月2日(土)宝塚大劇場へ。

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「神々の土地 〜ロマノフたちの黄昏〜」の作・演出は上田久美子。

主人公のドミトリー大公(朝夏まなと)は実在の人物でロシア最後の皇帝ニコライ2世の従弟。ラスプーチン暗殺後、皇后の怒りを買い、ペルシャ戦線に派遣されたというのも史実。この処置のお陰で、却って命拾いしたのだから数奇な運命だ。

伶美うららが演じた大公妃イリナは創作だが、皇后アレクサンドラの姉エリザヴェータ・フョードロヴナ(エラ)がモデルになっている。ドミトリーとの年齢差は27歳あるのでそれでは恋愛の対象にならないから調整したのだろう(皇后の妹に変更されている)。夫が暗殺された後、エラは修道院を創立し奉仕活動に没頭するが、イリナは戦争が始まると従軍看護婦として戦地に赴く。この改変は恐らく「ドクトル・ジバゴ」のヒロイン・ラーラを参考にしたに違いない。上手い脚色である。また年上の未亡人に対する叶わない恋慕は「翼ある人びと ーブラームスとクララ・シューマン」の延長上にあるテーマである。キャストも朝夏&伶美のコンビで共通しているしね。

美貌に恵まれた伶美は結局、トップ娘役になれずに気の毒だったが、まぁ、あの歌唱力では仕方がない。しかし最後にいい役を貰った。「神々の土地」では一切歌う場面がなく、ウエクミの優しい配慮だろう。伶美池田泉州銀行のイメージガールを務めたが、ここ最近は月影瞳→陽月華→野々すみ花と3代連続でトップ娘役に就任しているので、久しぶりのハズレとなった。

ドミトリーの旧友フェリックス・ユスポフを演じるのは真風涼帆。格好いいが、レヴューのダンスを観ると、些か身体(からだ)が硬んじゃないか?と想った(朝夏のダンスが上手いだけに、一層目立った)。

次期トップ娘役が決まっている星風まどかは皇女オリガを演じたが、余り存在感がなかった。何かね、地味で華がないんだ。レヴューでは初エトワールを務めたが、歌唱力はまあまあかな。

ウエクミは女性の劇作家・演出家として、日本でNo.1だと確信している。「翼ある人びと」と「星逢一夜」(読売演劇大賞 優秀演出家賞受賞)の完成度の高さは凄まじかった。唖然とした。しかし「金色の砂漠」は頂けなかった。完全な失敗作。「ウエクミ、大丈夫か!?」と心配したのだが、今回は見事に復調した。冒頭が嵐の場面で始まるのもいいし、特に感心したのはロマ(ジプシー)がたむろする居酒屋。ロシア貴族たちをテーブルの上に乗せ、その周囲をロマたちがグルグルと周る。やがて革命へと繋がる民衆の途轍もないパワー・怒り・不満がそこに満ち溢れ、渦巻いていた。また最後の最後に登場人物全員を舞台に上げ、彼・彼女らが走馬灯のように過ぎ去っていく情景もなんだか哀感があって、グッと来た。パーフェクト!

あと舞踏会の場面ではチャイコフスキー「くるみ割り人形」の花のワルツや「白鳥の湖」のワルツが使用され、その選曲もニクいね。          

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さて休憩を挟み、宝石をモチーフにしたレヴューロマン「クラシカル ビジュー」の作・演出は稲葉太地。華やかでセンスがあるなと想った。特にリムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」をアレンジした場面や、ホルストの組曲「惑星」のメドレーがシンフォニックなサウンドで矢継ぎ早に出て来る場面(ここでは生演奏が中断され、大編成オーケストラによる録音が使用される)は鮮烈だった。銀河……そして二十億光年の孤独。

お芝居も○、ショーも○。宝塚でこういう組み合わせは滅多にないことなので、是非ご覧になることをお勧めしたい。ゆめゆめ見逃すな!

それから最後に歌劇団に切実なお願いがあります。ウエクミの演出家デビュー作、月組バウホール公演「月雲の皇子」のDVDを是非是非発売してください。後生ですから。

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劇団四季×ディズニー・ミュージカル「ノートルダムの鐘」〜ヴィクトル・ユーゴーの深層に迫る!

8月19日(土)京都劇場へ。劇団四季「ノートルダムの鐘」を観劇。

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1996年に公開されたディズニー・アニメーション「ノートルダムの鐘」の音楽はアラン・メンケンの最高傑作だと今でも信じて疑わない。

上記事で僕が書いたコメントを再録しておく。

アラン・メンケンには名曲が多い。「リトル・マーメイド」「美女と野獣」「アラジン」「魔法にかけられて」…。何れの作品と置き換えても構わない。しかし「ノートルダムの鐘」こそ最も荘厳で、劇的な音楽だと想う。

ヴィクトル・ユーゴーの原作は日本で「ノートルダムのせむし男」として親しまれてきた。しかし近年、「傴僂(せむし)」が差別用語に当たるとして、この名称は使われなくなった。ディズニー・アニメの原題は"The Hunchback of Notre Dame"で、直訳すれば「ノートルダムのせむし男」になる。それではまずいので日本で配給したブエナ・ビスタ・ピクチャーズは「ノートルダムの鐘」に邦題を決定、ご丁寧なことに英語のタイトルもわざわざ"The Bells of Notre Dame"に変更した。これは日本国内で発売されているDVD/Blu-rayも同様である。

アニメの日本語吹き替え版は全面的に劇団四季が担当した(DVD/Blu-rayに収録されている)。

  • カジモド:石丸幹二
  • エスメラルダ:保坂知寿
  • フィーバス:芥川英司(現:鈴木綜馬)
  • クロパン:光枝明彦
  • フロロー:村俊英

この中で現在も四季に残っているのは村俊英だけである。

今回のキャストは、

  • カジモド:田中彰孝
  • エスメラルダ:岡村美南
  • フィーバス:清水大星
  • クロパン:阿部よしつぐ
  • フロロー:芝 清道

劇団四季が上演するのは2014年に米国カリフォルニア州サンディエゴのラ・ホイヤ劇場で初演されたプロダクションで、作詞・作曲は映画と同じくスティーヴン・シュワルツ(「ウィキッド」)&アラン・メンケン(「美女と野獣」「アラジン」)のコンビ。演出はスコット・シュワルツ。

実はディズニーによる舞台ミュージカル「ノートルダムの鐘」にはもうひとつ、1999年6月5日にドイツのベルリンで初演を迎えたバージョンがあった。演出はジェイムズ・レパイン(「イントゥ・ザ・ウッズ」「パッション」「日曜日にジョージと公園で」)。劇団四季もそのプレミア上演に幹部や役者たち数名が出席したのだが、どうも不出来だったのか日本での上演には至らなかった。その後内容がさらに練られ、満を持しての日本お披露目に至ったわけである。ただし現時点でブロードウェイでの上演は実現していない。

僕は今回、余りの完成度の高さに息を呑んだ。凄い、凄すぎる!「オペラ座の怪人」や「ミス・サイゴン」を初めて観た時の感銘に匹敵する。

アニメ版で不満だったのは、アンデルセンの「人魚姫」を「リトル・マーメイド」にした時と同様、ヴィクトル・ユーゴーの原作を無理やりハッピー・エンドに変更したことである。カジモドはフロローを殺さないし、最後にカジモドもエスメラルダも死なない。子供向けとは言え、いくら何でもあんまりだ。しかし舞台版はほぼ原作に忠実で、一層残酷でダークになった。

キリスト教は父性が強い宗教である。三位一体とは父と子(イエス)と精霊を指し、そこに女性は一切関わらない。父性の特徴は「切断」にあり、世界を二分する。天国と地獄、天使と悪魔(善と悪)、光と闇。そして人間と「怪物」。「神」とか「天国」といった仮想の超越的な価値、理想郷を設定したために、キリスト教徒は現世や自分自身の生を一段低いものとして貶める価値観を見出した。それが「原罪」であり「最後の審判」である。ローマ帝国に対するルサンチマン(強者=支配者への怨恨、嫉妬)から育まれた攻撃性が自分自身に向かい、禁欲自己犠牲を美徳とする考え方が生まれた。この世は仮の住まいであり、欲望を抑えて隣人愛に徹すれば来世で幸福になれると信じたのである(以上の考察はニーチェの哲学とユング心理学に基づいている)。

聖職者のフロローは禁欲に生きている。一方、エスメラルダや流浪の民ジプシー(ロマ)たちはキリスト教の神を信じず、(善と悪の)境界に生きる者たちである。二分法の世界に生きるキリスト者には彼らのことが理解出来ない。得体の知れない「怪物」だ。自分たちはあらゆる欲望を我慢して生きているのにジプシー(ロマ)は歌って踊り、自由恋愛を愉しみ、生を謳歌している。彼らに対する嫉妬の感情もある。故にエスメラルダは「魔女」と断罪され、火あぶりの刑に処されるのだ。フロローも禁欲の末、歪んだ妄想・倒錯した欲情をエスメラルダに抱く。フロローはカジモドのことを「怪物」と呼ぶが、本当の「怪物」はどちらなのか?そして「怪物」を産んだのはキリストの教えなのではないか?ユーゴーが本作で語りたかったのは、そのことではなかったのかと僕は想った。

「ノートルダムの鐘」でユニークな存在はクロパンである。彼は道化であり、道化はトリックスターだ。トリックスターとは神話や伝説の中で活躍するいたずら者で、 その狡猾さと行動力において比類ない。善であり悪であり、壊すものであり作り出すものだ(scrap and build)。変幻自在で神出鬼没、全くとらえどころがない。単なるいたずら好きの破壊者で終始することもあれば、時として英雄にも成り得る(例えば人類に火をもたらしたギリシャ神話のプロメテウス)。境界を超えて出没するところに特徴がある。トリックスターは既存の秩序を解体し、(本作ではキリスト教の)価値観を転倒する。シェイクスピアの「マクベス」に登場する魔女3人の台詞「きれいはきたない、きたないはきれい」に呼応する。正に「ノートルダムの鐘」のラストでフロローとカジモドの立場は逆転するのである。

演出に関しては天井から降りてくる7つの鐘が強烈な印象を与えた。またクワイヤ(聖歌隊)の存在が、古代ギリシャ劇におけるコロス(合唱隊)を連想させ、鮮やかだなと舌を巻いた。

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