舞台・ミュージカル

珠城りょう主演 宝塚月組「All for One 〜ダルタニアンと太陽王〜」

7月17日(祝)宝塚大劇場へ。月組公演「All for One 〜ダルタニアンと太陽王〜」を観劇。

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台本・演出は小池修一郎。アレクサンドル・デュマの小説「三銃士」はルイ13世時代の物語だが、小池版は「太陽王」ルイ14世の時代に置き換え、そこに〈双子の男女の取替〉という、シェイクスピア「十二夜」の設定を取り込んでいる。なおダルタニアンは同名の実在の貴族をモデルにしているという。また敵役マザラン枢機卿も実在の人物で、彼の死の翌日に摂政の廃止が宣言され、ルイ14世の親政が始まった。

主な配役はダルタニアン:珠城りょう、ルイ14世:愛希れいか、アラミス(三銃士のひとり):美弥るりか、ベルナルド(マザラン枢機卿の甥):月城かなと    ほか。

上記事にも書いたが、月城かなとは長身で美形の男役なので、今回も目立っていた。男役がダメダメだった月組も組替えで漸く充実してきた印象。

美貌の娘役・愛希れいかのことは昔から大好きなのだが、嘗て男役だった彼女のキャリアを活かして、男から女へのメタモルフォーゼ(変身)が愉しめる。さすが「当て書き」の妙である。

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子どもの取替などアホっぽいミュージカルだが、すこぶる面白かった!特に「壁ドン」ギャグには爆笑。小池作品の系譜としては1998年宙組「エクスカリバー」に近いかな?かなり出来がいい方。

小池作「薔薇の封印 -ヴァンパイア・レクイエム-」(2003年月組)にもルイ14世が出てくるが、アレは酷かった。アレに比べると今回は本が相当練られている。お勧め!

最後に。劇中【0ne for All, All for One(一人は皆のために、皆は一人のために)】が出て来るが、本作はフランスが舞台でありデュマの「三銃士」もフランスの小説。何で英語なの!?

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バーンスタイン「ミサ曲」と「ジーザス・クライスト・スーパースター」

7月14日(金)フェスティバルホールへ。レナード・バーンスタインのミサを聴く。

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総監督/指揮/演出:井上道義(ミッキー)、ミュージック・パートナー:佐渡 裕、大阪フィルハーモニー交響楽団&合唱団(合唱指揮:福島章恭)、公募による児童合唱、歌手18人、ロックバンド、ダンサーら総勢200人が出演、それに舞台美術も加わる劇場用作品である。1970年に作曲が開始され、翌71年にジョン・F・ケネディ・センター@ワシントンのこけら落とし公演として初演された。ミッキーは1994年に京都市交響楽団を率いてオーチャードホールでこの作品を上演。日本での再演は実に23年ぶりとなる。

一目瞭然なのはアンドリュー・ロイド・ウェバーのロック・ミュージカルジーザス・クライスト・スーパースター」からの影響である。題材も編成も類似している。「ジーザス」のブロードウェイ初演は71年。しかし69年に楽曲"Superstar"がシングルで発売、70年には"Jesus Christ Superstar"と題した2枚組LPレコードがリリースされている(当時ロイド・ウェバー22歳)。間違いなくレニーはこれを聴いている筈。またこの頃の音楽の潮流にも深く関わりがある。それはロックとオーケストラを融合したプログレッシブ・ロックだ。その代表格ピンク・フロイドがアルバム「原子心母」を発表したのは1970年。23分に渡るロック・シンフォニーが展開される。またロックバンド「イエス」も同年に発表した2ndアルバム「時間と言葉」でオーケストラと共演しシンフォニック・ロックを実現している。さらに源流まで遡ると「世界初のコンセプト・アルバム」と呼ばれるビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(1967)に辿り着く。プロデューサー:ジョージ・マーティンの功績が大きい。

ユダヤ人であるレニーはキリスト教に懐疑的・批判的だった。そういう姿勢も「ジーザス」に共通している。彼の祖父は高名なラビ(ユダヤ教聖職者)で、父も信仰心に篤いユダヤ教徒だった。しかしレニーが指揮する音楽の作曲家は殆どキリスト教徒だったわけで(モーツァルトのレクイエム=死者のためのミサとか、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスとか)、大いなる矛盾があった。それはウィーン宮廷歌劇場(現在のウィーン国立歌劇場)第一楽長になるためにユダヤ教からローマ・カトリックに改宗したグスタフ・マーラーの苦渋に重なる。因みにレニーの交響曲第3番「カディッシュ」の意味はユダヤ教徒が唱える「死者のための祈り」である。一方、ミサの定義は「カトリック教会において(キリストの体と血である)パンとぶどう酒を聖別して聖体の秘跡が行われる典礼、祭儀」である。

僕はレニーが指揮し71年に録音されたCDで予習して今回の公演に臨んだのだが、初めて生のパフォーマンスに接し、やはり劇場というのは古代ギリシャの時代から「祝祭空間」だったのだなぁと実感した。ロックありブルースあり、バレエあり、マーチング・バンドありと正にカオスである(冒頭にはジュークボックスが登場)。オーケストラはパンチが効いた演奏でエネルギッシュ、文句なし。ミッキーはMaster of Ceremony(M.C.)としての才能を遺憾なく発揮した。ただミッキーの誤算はソリストの選択にあった。全員が音楽大学出身のクラシック音楽畑の人々で、どうもロックとかブルース、ゴスペルの雰囲気=グルーヴ(groove:高揚感、音楽に乗った状態)が醸し出せていない。レニーのCDにはそれがあった。何人かはロック歌手やミュージカルの役者を起用すべきだったのではないだろうか?具体例を挙げよう。ミュージカル「キャンディード」に出演経験のある中川晃教、「デスノート」の浦井健治、石井一孝、「レ・ミゼラブル」や「天使にラブソングを」に出演した森公美子らである。

というわけで不満もあったが、日本でこの作品に直に接せられるチャンスはもう2度とないかも知れないので、ミッキーには大いに感謝したい。

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井上芳雄 主演/ミュージカル「グレート・ギャツビー」

7月4日、梅田芸術劇場へ。台本・演出:小池修一郎、井上芳雄主演のミュージカル「グレート・ギャツビー」を観劇。他に出演者は夢咲ねね、田代万里生、広瀬友祐、畠中 洋、蒼乃夕妃、AKANE LIV ら。

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小池修一郎には2つのライフワークがある。ひとつは言うまでもなく萩尾望都の漫画「ポーの一族」である。

もうひとつがF・スコット・フィッツジェラルドの書いた小説「グレート・ギャツビー」だ。今から26年前の1991年に杜けあき、鮎ゆうき主演で宝塚雪組が「華麗なるギャツビー」を上演した。世界初のミュージカル化であり、これで高い評価を得た小池は菊田一夫演劇賞を受賞。2008年には瀬奈じゅん主演で月組が再演している。今回は台本・演出・音楽のすべてを完全リニューアルした公演となった。

僕が原作小説とどう関わってきたかは下記事に詳しく述べた。

最初はさっぱり面白くなかったのだが、小説を繰り返し読み、また村上春樹のエッセイなどを踏まえて漸く分かってきたことは、主人公ジェイ・ギャツビーは薄っぺら見栄っ張りということである。そして彼は絶対に手が届かないもの……デイジー、教養(culture/education)、社会的地位・身分(status)、世間からの賞賛・敬意(applause/respect)といったもの……に憧れ続けている。それを象徴するのがウエスト・エッグに自分が建てた豪邸の桟橋から対岸(イースト・エッグ)にある「緑色の灯火」を宵の口から明け方までじっと見つめている場面である。そして最も美しい文章、この小説の肝(きも)は最後のセンテンスに集約されている。

Gatsby believed in the green light, the orgastic future that year by year recedes before us. It eluded us then, but that’s no matter ― tomorrow we will run faster, stretch out our arms farther. . . . And one fine morning ――

So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.

 ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。……そうすればある晴れた朝に――
 だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。(村上春樹訳)

何とも切なく、虚しい。狂騒のJazz Age、「失われた世代(Lost Generation)」の真骨頂である。しかしこれをミュージカルの中で活かすことが叶わない(歌にならない)のが辛いところだ。バズ・ラーマン監督はよく分かっていて、ちゃんと映画の中に入れていた。

ヒロイン・デイジーの人物像を把握するのにも長い時間を要した。彼女は周囲の意向に流される女である。しっかりした自分の意志というものを持っていない。若い頃には母親の言うことに逆らえず、現在は高圧的で浮気性の夫トム・ブキャナンの言いなりだ。依存心が強く、誰かの庇護のもとでしか生きられない。身体の中に一本通った芯=骨が欠落したクラゲのような女なのだ。ただ波間に漂っているだけ。掴もうとすると、指の間隙からスルリと抜け出してしまう。宝塚版&東宝版を観て感じたのは、小池はそのところが分かっていないんじゃないか?ということである。夢咲ねねは宝塚時代から大好きな娘役だが、どうも彼女のデイジーは健康的でしっかりしていそうなのだ。僕の抱くイメージとかけ離れている。以前、小池が演出したミュージカル「キャバレー」にも同様の違和感を覚えた。サリー・ボウルズ(藤原紀香)が自堕落じゃない。作品の持つ退廃・デカダンスが描けていない。嘗てジュリー・アンドリュースのファンクラブ会長を努めていたこともある小池の精神は余りにも健全で(清く正しく)、デイジーという女の何たるかを掴めていないように僕には想われる。その点、バズ・ラーマン版の映画に出演したキャリー・マリガンはデイジーそのものだった。

ただヒロイン像以外については申し分のない出来であった。井上芳雄は"That's Gatsby !"だったし、ギャツビーが自宅のプールサイドで撃ち殺される場面を冒頭に持ってきた工夫は良かった。ロイド=ウェバーが舞台ミュージカル化したビリー・ワイルダー監督「サンセット大通り」との類似性が浮き彫りにされた。

また特筆すべきは作曲家のリチャード・オベラッカーである。"BANDSTAND"というミュージカルで2017年3月にブロードウェイ・デビューを果たした。スウィング・ジャズあり、ブルース、チャールストン、タンゴなど多彩な音楽に彩られている。しっとりと歌われる「夜明けの約束」も美しい。なお、歌の中に「アイス・キャッスル」という言葉が出てくるが、これはフィッツジェラルドの短編小説「氷の宮殿(Ice Palace)」を意識しているのだろう。

不満も述べたが、総体としては満足度が高く、再演があれば是非また観たい作品である。

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石丸幹二&堀内敬子(久々の)共演、そして衝撃的傑作!〜ミュージカル「パレード」

6月8日(木)最近はテレビ朝日「題名のない音楽会」で司会を務める石丸幹二と、堀内敬子が出演する舞台「パレード」を梅田芸術劇場で観劇した。

ふたりの共演を観るのは1999年5月〜7月に四季劇場[秋]@東京で上演されたロイド=ウェバーのミュージカル「アスペクツ・オブ・ラブ」以来。この時の主な出演者は石丸幹二(アレックス)、保坂知寿(ローズ)、光枝明彦(ジョージ)、井料瑠美(ジュリエッタ)、堀内敬子(ジェニー)だった。考えてみればこの5人は全員、既に劇団四季を退団している。

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ミュージカル「パレード」は1913年アメリカ南部のアトランタを舞台にユダヤ人差別を背景にした冤罪事件(実話)を描いているが、非常に似た話で映画「死刑台のメロディ」(1971)がある。これは1920年アメリカ北部マサチューセッツ州で実際に起こったイタリア移民サッコとヴァンゼッティ冤罪事件を扱っている。

救いのない、陰惨な物語で、よくぞこれをミュージカルにしたな!と。トニー賞で最優秀台本賞、楽曲(作詞・作曲)賞を受賞したのが1999年だから、日本初演までに18年も掛かったんだね。石丸幹二は以前より、本作への出演を熱望していたという。

楽曲のほうは2015年12月「プリンス・オブ・ブロードウェイ」で既に聴いていて、素敵だなと想っていた。

ブロードウェイの公演は12月17日に開幕し、翌年2月28日に公演終了となっているので、2ヶ月半。決してヒットしたとは言えないだろう。

演出は新進気鋭の森新太郎40歳、若い。ミュージカルを手がけるのは初めてだそうだが、盆(回転舞台)を駆使し、スピード感ある演出で舌を巻いた。ボタボタと塊で落ちてくる紙吹雪の量も半端ない(暴力的とすら言える)。コイツは天才だ!冒頭と最後は真っ赤な夕日を背景に一本の木が聳え立っているのだが、夕日は血の色であり、木はビリー・ホリデイの歌で有名な「奇妙な果実」(木にぶら下がる黒人の死体のこと/集団リンチ殺人・私刑)を彷彿とさせる。その象徴性が上手いなと感心した。ちょっと「風と共に去りぬ」的でもある(やはり舞台はアトランタ)。

ジェイソン・ロバート・ブラウンの音楽は喋るように歌うのがスティーヴン・ソンドハイムに似ている(調べてみると初演を演出したハロルド・プリンスは当初、ソンドハイムにこの企画を持ち込んだが、断られたそう)。他に有名なのは映画化もされた「ラスト5イヤーズ」だろう。でも「パレード」の方が断然良かった。ディキシーランド・ジャズやブルースなどのエッセンスも加味されている。

ブロードウェイの新作でこれだけインパクトがあり、鳥肌が立ったのは「春のめざめ」以来かも知れない。

再演があれば是非また観たい。

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That's 少女漫画!〜ミュージカル「王家の紋章」

5月29日(月)梅田芸術劇場へ。ミュージカル「王家の紋章」を観劇。

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出演は浦井健治(メンフィス:エジプト王)、新妻聖子(キャロル)、平方元基(イズミル:エジプトと敵対するヒッタイト国の王子)、伊礼彼方(ライアン:キャロルの兄)、愛加あゆ(ミタムン:イズミルの妹)、濱田めぐみ(アイシス:メンフィスの異母姉)、山口祐一郎(イムホテップ:エジプトの宰相。賢人)ほか。

「エリザベート」や「モーツァルト!」などのミュージカルを手掛けたハンガリーの作曲家シルヴェスター・リーヴァイが音楽を、元宝塚歌劇団に所属していた荻田浩一が台本・作詞・演出を担当した。

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物語の前半はヴェルディのオペラ「アイーダ」を下敷きにしているなと感じた。つまり、メンフィス=ラダメス(エジプト軍の指揮官)、キャロル=アイーダ、イズミル=アモナズロ(エチオピア王)、アイシス=アムネリス(エジプト王女、ラダメスを愛している)、イムホテップ=ラムフィス(祭司長、ラダメスこそ司令官に相応しいとの神託を得る)という関係性である。

そして後半、キャロルを巡ってエジプト王国とヒッタイト王国が戦争になるのは、美女ヘレネがトロイアの王子パリスによって略奪されたことが切っ掛けで勃発するトロイア戦争だ。

前半は中々話に乗れなかった。そもそもアメリカ人のキャロルとメンフィスは何語で会話しているんだ!?という所から気になって仕方なかった。キャロルは古エジプト語を勉強していて話せるという設定なの??

本作を観て直ぐ様感じたのはThat's 少女漫画!ということ。まず逆ハーレムだ。キャロルはモテモテで、メンフィス、イズミルのみならず実のお兄ちゃん(ライアン)からも溺愛されている。そして自分を巡って2国間で戦争が勃発するなんて、正に少女の甘き夢、妄想だよね。読んでいてさぞやウットリ、心地良いことだろう。僕は男なので全く感情移入出来なかったが、可笑しくてニヤニヤしながら観劇した。そして「リーヴァイさん、こんなしょーもない話に世界的な名声を誇る貴方が立派な音楽を付けてくださってありがとう。恐縮です」と内心で呟いた。しかし何だかんだ言っても面白かったから、もう一回観てもいいな。

出演者は実力者揃い。新妻聖子は堂々とした貫禄があり、歌もうまいのだけれど、キャロルを演じるにはちょっと年をとりすぎているかな?と感じた。もう36歳だからね。そういう意味でミス・キャストだろう。高畑充希(25)、唯月ふうか(20)、生田絵梨花(20)、木下晴香(18)あたりが妥当なのでは?

オギー(荻田浩一)の演出は可もなく不可もなし。彼の最高傑作は未だに「パッサージュ -硝子の空の記憶-」(2001年宝塚雪組公演)だと想う。あれは洗練されていた。それとミュージカル「王家の紋章」は、このまま宝塚でも上演出来るんじゃないかな?

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《宝塚便り》サヨナラ公演と白装束

5月29日(月)朝6時45分頃、宝塚大劇場正門前の光景である。

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この日は宝塚雪組公演「幕末太陽傳」の千秋楽で、トップスター:早霧せいなと、トップ娘役:咲妃みゆのサヨナラ公演でもある。

白い服(会服)に身を包んでいるのは、スターの私設ファンクラブの人たちだ。デイリースポーツの報道によると、元トップスターの榛名由梨が1988年(昭和63年)12月31日付で卒業した時にはこのような風習はなかったという。つまり白装束一色に染まるようになったのは元号が平成になって以降ということになる。面白いのは上・下お揃いの白を着ているのがトップのファンだけではないということ。2番手・3番手・4番手などの男役のファンも追従している。

正に日本独特の風景であり、良く言えば「協調性がある」、悪く言えば「同調圧力(または仲間集団圧力)」ということになるだろう。すべてを包み込む、あるいは飲み込むという特徴がある母性社会日本に於いては、場の平衡を保つことが重要視される(参考文献:臨床心理学者・河合隼雄著「母性社会日本の病理」)。異端者は排除される。出る杭は打たれるのだ。ヅカファンが大劇場のことを「ムラ」と表現するのはむべなるかな。

公演は13時から。ではどうして皆こんなに朝早くから来ているのかというと、スターの(楽屋への)入り待ちをしているのだ。整列して「今日も1日舞台頑張って、行ってらっしゃい」などと全員で唱和して送り出す儀式が日々行われている。勿論、出待ちもある。

この白装束一色と同様に、日本的だなぁと感じるのはパフォーマーの群舞である。これは宝塚歌劇に限らず劇団四季や東宝もそうなのだが、日本のダンサーたちの群舞はピタッと揃っている。ところがブロードウェイでミュージカルを観たり(例えば「フォッシー」)、英国ロイヤル・バレエ団の公演を観たりすると、これが意外とバラバラなのである。ひとりひとりが個性を出そう、他者を出し抜いて目立とうと必死にもがいている。つまり欧米人はあくまで個人主義なのだ。しかしこれにも例外はあり、ロシアのマリインスキー・バレエの群舞は一糸乱れず完璧に統一されている。お国柄の違いがあって面白い。

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宝塚歌劇団演出家のエース、小池修一郎のライフワーク「ポーの一族」遂に始動!(主演:明日海りお)

2008年、僕は「蒼いくちづけ」と小池修一郎論の中で、こう書いた。

小池さんのドラキュラへの偏愛は今回よく分かった。是非お次は、萩尾望都の漫画「ポーの一族」をミュージカル化してください。

そしてその願いは遂に叶ったのである!宝塚歌劇団は2018年1月に花組で、小池修一郎作・演出によるミュージカル「ポーの一族」を上演すると発表した。

小池は以前より吸血鬼ものに並々ならぬ執着を示していた。バウホールの「蒼いくちづけ」、大劇場の「薔薇の封印」、そして「ローン・ウルフ」@バウは狼男の物語であり、そのバリエーションと言える。

今回の一連の報道で初めて知ったのだが、小池が萩尾望都に「ポーの一族」舞台化を初めて持ちかけたのは1985年だったという。彼の演出家デビュー作「ヴァレンチノ 〜愛の彷徨〜」バウ初演が1986年。つまりデビュー前から執念を燃やしていたことになる。いや、そりゃあ全く実績がなく、海の物とも山の物ともつかぬ若造から「ポーの一族」を手がけたいと言われても萩尾が断るのは当然だよな。それでも小池は諦めなかった。しつこく32年間も交渉を続けたのである。

漫画「ポーの一族」(小学館文庫)第1巻のあとがきを小池が書いていて(「バンパネラの封印」)、次のような一文から始まる。

私を宝塚歌劇団に送り込んだのは萩尾望都である。

激烈である。そして胸熱だ。しかし考えてみれば確かにヨーロッパを舞台にした「ポーの一族」を脚色・演出するチャンスがあるのは宝塚歌劇団しかない。劇団四季や大人計画では無理。正に彼のライフワークと言えるだろう。

僕が日本の漫画史上に燦然と輝く不朽の名作「ポーの一族」を読む切っ掛けを作ってくれたのは金子修介監督(平成ガメラシリーズ、「デスノート」)の「1999年の夏休み」だった。

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1988年に公開された映画で、深津絵里のデビュー作である(当時は水原里絵と名乗っていた)。山と森に囲まれ、世間から隔絶された全寮制の学校を舞台に、14、15歳の少年たちが織りなす愛憎劇。その4人の少年を少女が演じるというコンセプトが宝塚的であった。「1999年の夏休み」の原案が萩尾望都の「トーマの心臓」(映画にはクレジットされていない)。これで興味を持ち「トーマの心臓」を読んだらすこぶる面白かったので、続けて「ポーの一族」や「半神」に手を伸ばし、打ちのめされた

萩尾は今まで「ポーの一族」舞台化を拒んできたわけだが、「トーマの心臓」は劇団スタジオライフが繰り返し上演している(1996年初演)。「半神」は萩尾と劇作家・野田秀樹が台本を書き、夢の遊眠社が1986年に初演。劇団解散後、99年野田地図(NODA MAP)公演では深津絵里が出演している。2014年には韓国人キャストでも上演された。また宝塚歌劇団は萩尾の漫画「アメリカン・パイ」を原作に、バウ・ミュージカルとして上演している。

「ポーの一族」については粘り強い交渉の結果、遂に萩尾が折れたわけだが、それだけ待った甲斐はあった。小池は演出家として成熟し、エドガー役に明日海りおという、これ以上ない理想のキャスティングを得た。あとは肝心要の音楽だけだ(未発表)。もうここまで来たら世界を目指すしかない。その為にも僕の希望を述べておく。

  1. ジェラール・プレスギュルヴィック:小池演出「ロミオとジュリエット」の作曲家。宝塚歌劇オリジナル作品として小池の台本・演出「眠らない男 ナポレオン」も手掛けている。フランスの作曲家らしく、どんどん転調していく作風が耽美な「ポーの一族」の雰囲気にピッタリ。一押し!
  2. シルヴェスター・リーヴァイ:ハンガリーの作曲家。泣く子も黙る「エリザベート」「モーツァルト!」で余りにも有名。日本発のミュージカルでは遠藤周作原作「マリー・アントワネット M.A.」や「王家の紋章」を作曲。「マリー・アントワネット」はドイツのブレーメン、韓国、ハンガリーのブタペストでも上演された。
  3. フランク・ワイルドホーン:ブロードウェイ・ミュージカル「ジキル&ハイド」「スカーレット・ピンパーネル」で知られる。小池の台本・演出で「NEVER SAY GOODBY」「MITSUKO 〜愛は国境を超えて〜」を作曲。「NEVER SAY GOODBY」で出会った和央ようかと結婚。「デスノート THE MUSICAL」も傑作。
  4. リチャード・オベラッカー:小池台本・演出「グレート・ギャツビー」リニューアル版を作曲。"BANDSTAND"というミュージカルでブロードウェイ・デビューを果たした。

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シリーズ《映画音楽の巨匠たち》第6回/ミシェル・ルグラン篇(+大阪桐蔭高校吹部「キャラバンの到着」)

過去のシリーズは以下。

まずは昨年全日本吹奏楽コンクールで金賞を受賞し、全国の頂点に立った大阪桐蔭高等学校吹奏楽部が精緻華麗にマーチング演奏する「キャラバンの到着」をお聴きください→こちら(本当はこのフラワーコンサートに行く筈だったのだが、連れていく予定だった息子が当日朝に発熱し、断念した)。ミシェル・ルグランが作曲し、ジャック・ドゥミが監督した港町三部作のひとつ「ロシュフォールの恋人たち」冒頭のナンバーで、三菱ランサー・エボリューションのCMでもお馴染みだろう。

僕は映画「ラ・ラ・ランド」を観る前にまずiTuneでサントラをダウンロードした。そして最初の"Another Day of Sun"のイントロを聴いた瞬間に「アッ、キャラバンの到着だ!」と思わず叫んだ(映画の動画はこちら)。実際に若者たちが遠方から町にやって来て、車を降りるやいなや踊りだすというシュチュエーションも両者で完全に一致している。さて、ジャズが大好きな「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼル監督(音楽学校でプロを目指しジャズ・ドラムを学ぶが、才能の欠如を感じ諦めたという)と、この作品でアカデミー歌曲賞及び作曲賞を受賞したジャスティン・ハーウィッツがこよなく敬愛するフランスの作曲家ミシェル・ルグラン(1932ー 、パリ生まれ)とは一体何者なのか?

ルグランの出発点は1958年(26歳)に新婚旅行でニューヨークに渡航した際に録音されたアルバム「ルグラン・ジャズ」である。

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参加しているミュージシャンが凄い。ジョン・コルトレーン(Sax)、ビル・エヴァンス(Pf)、そしてマイルス・デイヴィス(Tp)!!ジャズ・ジャイアンツが一堂に会するという壮観さ。ルグランは卓越したアレンジャーとしての才能を開花させた。これ必聴。

そして彼は丁度その頃、台頭してきたフランス・ヌーベルバーグ(新しい波)の映画作家たちと深く関わるようになる。

ではルグランが作曲した映画音楽ベスト10を選んでみよう。

  1. ロシュフォールの恋人たち (1967)
  2. 恋 The Go-Between (1971)
  3. 愛のイエントル Yentl (1983)
  4. シェルブールの雨傘 (1963)
  5. 華麗なる賭け (1968)
  6. 天使の入江 (1963)
  7. おもいでの夏 (1971)
  8. エヴァの匂い (1962)
  9. 愛と哀しみのボレロ (1981)
  10. ベルサイユのばら (1979)

多分、誰もが知っいるのは「シェルブールの雨傘」だろうが、真のルグラン・ファンなら10人中10人が「ロシュフォールの恋人たち」を真っ先に推すだろう。唯一無二。彼のエッセンスがギュウギュウに詰まっている。

ピアノの音がキラキラ煌めき、そして切ない協奏曲仕立ての「 (The Go-Between)」の音楽はこちら。映画のクライマックスではフーガも登場し、クラシカルなルグラン音楽の代表作である。

アカデミー賞で編曲・歌曲賞を受賞した「愛のイエントル」の白眉"Papa, Can You Hear Me?"の試聴はこちら。星空の下、死んだ父に対して謝り、でもこの生き方しかないの、分かってと訴える歌。バーブラ・ストライサンドが製作・監督・脚本・主演した、けったいな【ひとりミュージカル】映画である。最初から最後までバーブラがひとりで歌いまくる。ブロードウェイ・ミュージカルに主演したこともあるマンディ・パティンキンが相手役なのに、彼には一切歌わせない。最初観た時は開いた口が塞がらなかったが、次第にバーブラの人となりが判ってきて、好きになった。20世紀初頭ポーランドのユダヤ人コミュニティ。女は学問をすることが許されず、それに抗ったイエントルは男装して神学校(イェシーバー)に入学する。そして自分のついた嘘を貫き通すために女性と結婚までする。"It is written."がこの物語のキーワードとなる。女は書物を読まなくていい。男に従属するのが女の幸せ。そう「旧約聖書(またはユダヤ教の律法)に書いてある」。イエントルはこの「常識」に対して徹底的に反抗する。「予め定められた運命(It is written.)」なんてない。自らの手で書くのだ。彼女の生き様は後にディズニーの「アナと雪の女王」の"Let It Go"に流れ込み、国連の親善大使として活躍するエマ・ワトソン(「ハリー・ポッター」シリーズ、「美女と野獣」)へと継承されてゆく。映画のフィナーレで歌われる感動的な"A Piece of Sky"はこちら。イエントルは移民船に乗り込み、新大陸を目指す。コンサートでこの名曲をFilm上の自分自身と気持ちよくデュエットする愛すべきバーブラの姿はこちら(1分30秒あたりから)。どれだけ自分のことが好きやねん!!ここには写っていないけれど、実はコンサート会場にスティーヴン・スピルバーグも来ています(「イエントル」に出演しアカデミー賞にノミネートされたエイミー・アーヴィングは元スピルバーグ夫人で89年に離婚)。

華麗なる賭け」は「風のささやき」がアカデミー歌曲賞を受賞。スティーブ・マックィーンとフェイ・ダナウェイが格好いい。この歌が流れ、マックィーンが黄色いグライダーを操縦するシーンには痺れる→こちら!別のシーンだけれど、スプリットスクリーンもお洒落。

ジャック・ドゥミとの「天使の入江」は何かに急き立てられるかのような疾走感・焦燥感がある。試聴は→こちら。ギャンブルに明け暮れる男女の茫漠とした満たされない想い、空虚さが胸を打つ。

ルグランがアカデミー作曲賞を受賞した「おもいでの夏」はこちら

愛と哀しみのボレロ」は長年フランシス・レイとコンビを組んできたクロード・ルルーシュ監督(「男と女」)の大作で、なんと音楽はレイ×ルグランという豪華版。そしてルグランの曲では”世紀末の香り”にとどめを刺す!!→こちら。これはオーケストラバージョンだけれど、本編では歌バージョンあり。僕は本作を祖母と一緒に映画館(SY松竹文化@岡山市、2005年に閉館)で観た。中学3年生の時だった。そして初めて20世紀を代表する振付家モーリス・ベジャールと稀代のダンサー、ジョルジュ・ドンの名を知った。その御蔭で1985年3月4日に岡山市民会館でジョルジュ・ドン&東京バレエ団で「ボレロ」を観たのも鮮烈な体験だった。忘れもしない、大学入試の合格発表があった夜だった。その後ドンは1992年にAIDSで亡くなった。享年45歳。またルグランの朋友ジャック・ドゥミもAIDSで90年に命を落とした。そういう時代だった。

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池田理代子(漫画)原作「ベルサイユのばら」(実写版)はジャック・ドゥミが監督しているが、作品自体は惨憺たる出来であった。もう泣きたくなった。ドゥミは「金のために撮った」と赤裸々に告白している。身も蓋もない。プロデューサーは山本又一朗、総製作費10億円を投じ、ベルサイユ宮殿でロケされた。資生堂がタイアップし、こんなCMもTVで放送された。原題が何故か"Lady Oscar"で、ダイアログも英語。意味不明。しかしルグランの音楽は掛け値なしの傑作だと僕は今でも確信している。是非聴いてみて→こちら!演奏はロンドン交響楽団。この佳曲を人知れず埋もれさせてしまうなんて勿体なさ過ぎる。Jazz Version(こちら)とか、対位法で作曲された雄大なフィナーレもどうぞ→こちら

番外編として手塚治虫原作、市川崑監督「火の鳥」実写版(1978)の音楽も素晴らしい。こちら!演奏はやはりロンドン交響楽団。ルグランはメイン・テーマのみ作曲している。

また彼はリナ・ホーン、キリ・テ・カナワ、ジェシー・ノーマンら一流歌手たちと組んでソング・アルバムをレコーディングしている。中でも一押しなのがナタリー・デセイとのアルバム。

Nat

デセイは「魔笛」「椿姫」などに出演する本格的オペラ歌手だが、ルグランの曲ではちゃんと柔らかいシャンソンの歌い方に切り替えている。キリ・テ・カナワやジェシー・ノーマンはオペラティック過ぎる(ヴィブラートがキツイ)のだ。

最後にルグランの舞台ミュージカルをご紹介しよう。劇団四季が上演した「壁抜け男」である。

Kabe

地味だけど愛すべき逸品。劇伴の奏者は3人だけ。後に拡大したオーケストレーション版でブロードウェイ上演もされた。

Amour

壁抜け男」は1999年に博多の福岡シティ劇場で日本初演された(ここは現在、劇団四季の専用劇場ではなくなりキャナルシティ劇場に名を変えた)。僕はこの初日に観ている。主演のデュティユルは現在、テレビ朝日「題名のない音楽会」で司会を務める石丸幹二。他に井料留美、光枝明彦、丹靖子ら。この4人は全員、既に四季を退団している。同メンバーでVHSビデオも出ていたのだけれど、現在Amazon.co.jpで購入出来るDVD/Blu-ray (23% OFF)は2012年の再演版で別キャストである。

シリーズ《映画音楽の巨匠たち》次回はバーナード・ハーマン(「めまい」「北北西に進路を取れ」「サイコ」「タクシー・ドライバー」)か、「スター・ウォーズ」の生みの親エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト辺りを考えている。どちらかもし、ご希望があればコメントをお寄せください。

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ミュージカル「紳士のための愛と殺人の手引」と変装の名人について

5月6日(土)梅田芸術劇場で「紳士のための愛と殺人の手引」を観劇した。

Gentleman

2014年にトニー賞で作品賞・台本賞・演出賞・衣装デザイン賞と4部門を受賞したミュージカルの日本初演。殺される8役を全て市村正親が演じている。他に出演者は柿澤勇人、シルビア・グラブ、宮沢エマ(母方の祖父は元内閣総理大臣・宮沢喜一)、春風ひとみ 他。

シルビア・グラブは芝居も歌も大変うまい役者さんだが、如何せん42歳であり、年をとり過ぎている。柿澤勇人が29歳だからその恋人役にはちょっと……。まぁフランスのマクロン大統領みたいに25歳年上の女性と結婚する人もいるけどさ。

エドワード朝時代のイギリスが舞台になっており、ユーモアのセンスがアガサ・クリスティの推理小説みたい。あと連想したのが映画「毒薬と老嬢」(1948)とか「マダムと泥棒」(1955)など。イギリス映画「マダムと泥棒」にはアレック・ギネス(「戦場にかける橋」でアカデミー主演男優賞受賞。「スター・ウォーズ」のオビ=ワン・ケノービ役で有名)やピーター・セラーズ(「ピンク・パンサー」「博士の異常な愛情」)が出演してるが、ふたりは変装の名人として名声を轟かせていた。現在の変装の名人といえば、ティルダ・スウィントン(「オルランド」「グランド・ブタペスト・ホテル」「ドクター・ストレンジ」)にとどめを刺す。全員英国人。これはもう、国民性というか習性だね。

今回のいっちゃん(市村)の変装はゲイあり、女性あり。「ラ・カージュ・オ・フォール」のザザを長年演じているわけだし、こんなのお茶の子さいさい。

ミュージカルとしてはオーソドックスと言うか古めかしかった。あまり繰り返し観たいと想わない。振り返ると過去にトニー賞を受賞した「ライオン・キング」とか「春のめざめ」とかは革新性( innovation)があった。それがこの作品には欠けている。

そういえば柿澤勇人の「春のめざめ」は素晴らしかった。ぶっ飛んだ。また彼で観たいが、劇団四季を退団したからなぁ……。

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高畑充希 主演/ギリシャ悲劇「エレクトラ」

4月29日(土)兵庫県立芸術文化センター 中ホールへ。

Elekt

アイスキュロス/ソポクレス/エウリピデス作の「エレクトラ」を観劇。

出演は高畑充希(エレクトラ)、中嶋朋子(イピゲネイア)、麿 赤兒(アガメムノン)、白石加代子(クリュタイメストラ)、村上虹郎(オレステス)、横田栄司(アイギストス)、仁村紗和(クリュソテミス)。演出は鵜山仁。

高畑充希の舞台は一度、2013年に観ている。

役柄のせいだろうが、その時の印象は全く残っていない。今回は大変な熱演で、若い頃の大竹しのぶを彷彿とさせた。素晴らしい。彼女が10代の時に主演したミュージカル「ピーターパン」を観なかったことが今更ながら悔やまれる。観客へのサービスなのか、少し歌う場面も。

中嶋朋子は4歳の時から劇団ひまわりに所属し、5歳からテレビドラマの子役として活躍している。”蛍ちゃん”として、「北の国から」デビューは10歳。舞台歴40年の大ベテランだから風格が漂う。

ギリシャ悲劇「エレクトラ」はエディプス・コンプレックスに対してエレクトラ・コンプレックスという言葉を生み出した。ユングの提唱による。20世紀にはR.シュトラウスの歌劇になり、テオ・アンゲロプロス監督によるギリシャ映画「旅芸人の記録」(1979年度キネマ旬報外国語映画ベスト・テン:第1位)の骨格を成している。

アイスキュロスが書いた戯曲がアテネで上演されたのが紀元前458年だから、なんと2,475年も昔!全然古びてないのが凄い。文明や文化がいくら発達しても、人間の本質は不変なのだということを改めて思い知らされた。今回気が付いたのはシェイクスピアの「ハムレット」が明らかに本作を下敷きにしていること。叔父と母の密通及び父親の謀殺。悩む主人公、そして彼らへの復讐。全く同じだ。

ギリシャ悲劇は面白いし、色々考えさせられる。また是非足を運びたい。

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