舞台・ミュージカル

バッティストーニ指揮/血湧き肉躍るヴェルディ「アイーダ」

10月24日(水)兵庫県立芸術文化センターへ。

  • ヴェルティ:オペラ「アイーダ」

を観劇。

Img_1865

国内4つの劇場で上演する共同制作公演で、

アンドレア・バッティストーニ/東京フィルハーモニー交響楽団、兵庫芸術文化センター管弦楽団(バンダ)、二期会合唱団、ひょうごプロデュースオペラ合唱団らによる演奏。バレエは東京シティ・バレエ団。

独唱はモニカ・ザネッティン(アイーダ)、福井敬(ラダメス)、清水華澄(アムネリス)、上江隼人(アモナズロ)、妻屋秀和(ランフィス)、ジョン ハオ(エジプト国王)ほか。演出はジュリオ・チャバッティで大道具・衣装・小道具はローマ歌劇場が製作した。

バッティストーニはイタリア・ヴェローナ生まれの31歳。故郷にあるローマ帝国時代の闘技場(アレーナ)が会場となる野外オペラ祭でも看板演目「アイーダ」を振っている。また現在、ジェノヴァ・カルロ・フェリーチェ歌劇場の首席客演指揮者を務めている。

僕の席は最前列ど真ん中。1.5m先にバッティストーニの頭が見える状態。彼は全て暗譜で振ったので度肝を抜かれた!切ればが吹き出すような熱血指揮ぶりを眺めていると、「若き日のリッカルド・ムーティはこんな感じだったんじゃないか?」と思った。時折、唸り声を発し、〈勝ちて帰れ(Ritorna vincitor) !〉では一緒に歌っていた。

バッティストーニの棒振りスタイルは、フェラーリ、ランボルギーニ、アルファ ロメオなどイタリアのスポーツカーを想起させる。熱き血潮が滾る第2幕フィナーレではアクセルをグイグイ踏む込み、ガンガン加速して、聴衆を興奮の坩堝に叩き込んだ

かと言ってただオケを鳴らすだけではなく、しっかりと弱音の美しさも際立たせ、強弱がくっきりとしたメリハリある音楽づくりが成し遂げられていた。

舞台上だけではなく、オーケストラ・ピット(オケピ)の中で巻き起こるドラマにも目が離せない!こんな体験は、カルロス・クライバーが指揮するヴェルディの「オテロ」や、R.シュトラウスの「ばらの騎士」に近いものがあるのではないだろうか?因みに僕は中学生の時に、カルロスが指揮するミラノ・スカラ座の「ラ・ボエーム」(フランコ・ゼフィレッリ演出)を旧フェスティバルホール@大阪市で観劇している。

モニカ・ザネッティンの体型は細く、美しい人で、声量もあって文句なし。情感あふれる歌いっぷりだった。

福井は時折声が掠れるのが気になったが、及第点。掘り出し物だったのが上江のアモナズロ。美声で迫力があった。アムネリスはX。普段、ジュリエッタ・シミオナート(カラヤン盤)とかエレナ・オブラスツォワ(アバド版)などの名唱を聴き慣れていると、いかんせん物足りない。

美術や衣装はミラノ・スカラ座や新国立劇場で上演されたフランコ・ゼフィレッリ版みたいな絢爛豪華でド派手なものではないが、シックで品があり、まるでルキノ・ヴィスコンティ監督の映画を観ているようであった(因みにゼフィレッリは若い頃、ヴィスコンティの助監督を務めた)。

兎に角、これだけの充実したパフォーマンスを、たった1,2000円で観られるなんて、なんて幸せなことだろう。今回の公演に携わった諸氏に心から感謝したい。

ところで、イタリア・オペラでテノールが演じる役には、ある共通する特徴がある。

  1. 直情径行型:何も考えず直ちに行動する。すぐ激昂する。
  2. コロッと騙されやすい:つまり、おつむが少々足りない。
  3. 嫉妬深い:単純な誤解から女を殺したり、暴力を振るう。

ヴェルディなら、「椿姫」のアルフレードとか「イル・トロヴァトーレ」のマンリーコ、「オテロ」のタイトルロール、そして「アイーダ」のラダメスがその典型だろう。またプッチーニ「トスカ」の主人公は女だけれど、上記特徴にピッタリ当てはまる。逆にドイツ・オペラには、こういう性格の人物は稀だ。

イタリア・オペラの登場人物は〈過剰な人々〉である。理性の欠片もない。しかし久しぶりに今回「アイーダ」を再見して、こういう欲望の赴くままに突っ走る生き方も素敵だなと思った。つまりイタリア・オペラは禁欲とか倫理などを押し付けてくるキリスト教へのアンチテーゼであり、野生の思考が息づいているのだ。カトリック教会が支配的なイタリア社会に於いて、オペラは長年ガス抜きの役割を果たしてきたのだろう。そもそも「アイーダ」で描かれるエジプトは非キリスト教社会だ。「オテロ」はムーア人=異教徒だし、「椿姫」の原題La traviata(ラ・トラヴィアータ)の意味は〈道を踏み外した女〉、つまりアウトローはみ出し者。いずれもキリスト教的価値観からの逸脱束縛からの開放を虎視眈々と狙っている。

イタリア人の多くが「ドイツ・オペラは退屈だ」と思う気持ちがよく理解出来た。我を忘れた熱狂陶酔はイタリア・オペラにしかない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

神田沙也加主演 ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の〈正体〉

10月20日梅田芸術劇場へ。ミュージカル「マイ・フェア・レディ」舞台版を人生初観劇した。

この作品との最初の出会いは高校生の時、1980年代である。「雨に唄えば」「サウンド・オブ・ミュージック」などミュージカル映画が大好きになった僕は「マイ・フェア・レディ」のサウンド・トラックLPレコードを購入し、歌詞対訳を見ながら繰り返し聴いた。「スペインの雨」"The Rain In Spain"とか「踊り明かそう」"I Could Have Danced All Night"は英語歌詞を丸暗記した(今でもそらで歌える)。DVDはおろか、レンタルビデオとかレーザーディスク(LD)すらなかった時代である。映画自体を見ることが出来たのは、大学生になってからだった。正直冗長で退屈だった。ロバート・ワイズ監督のような映画的飛躍(編集のキレ)がなく、まるごとセット撮影(ロケ一切なし)で、まるで舞台を観ているかのようだった。

ジョージ・キューカー監督の映画「マイ・フェア・レディ」(1964)にオードリー・ヘップバーンが出演したのは35歳だった。はっきり言って年を取りすぎ、そして痩せすぎ。全く魅力がないヒロインだった。おまけに歌はマーニ・ニクソンによる吹替えである(マーニは「王様と私」のデボラ・カー、「ウエストサイド物語」のナタリー・ウッドの吹替えもしている)。ちなみに1956年にジュリー・アンドリュースがブロードウェイの舞台でイライザを演じたのは20歳の時。製作者ジャック・L・ワーナーは大馬鹿者である(彼はヒギンズ教授役をケーリー・グラントに打診し、けんもほろろに断られている)。

映画「マイ・フェア・レディ」は結局、作品賞・監督賞・主演男優賞(レックス・ハリソン)などアカデミー賞で8部門受賞したが、オードリーはノミネートすらされず、代わって主演女優賞を征したのは「メリー・ポピンズ」のジュリー・アンドリュースだった。ぶっちゃけジュリーの演技は大したことないので、同情票が集まったものと見られる。

この主演女優をめぐる大騒動の結果、後に創られるハリウッド製ミュージカル映画で主演級の俳優の歌に吹替えを使うのは一切なくなった。逆に映画で本人が実際に歌えば、アカデミー賞が受賞し易いという状況が生まれている(「ファニー・ガール」のバーブラ・ストライサンド、「キャバレー」のライザ・ミネリ、「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」のリース・ウィザースプーン、「シカゴ」のキャサリン・ゼタ・ジョーンズ、「ドリームガールズ」のジェニファー・ハドソン、「レ・ミゼラブル」のアン・ハサウェイ)。

映画「マイ・フェア・レディ」にジュリーが出演出来なかったのは痛恨の極みなのだが、もし彼女が役を掴んでいれば逆にスケジュール的に「メリー・ポピンズ」に出演することもなかっただろう。どちらが幸いだったのか、難しいところである。因みに僕は現在、彼女が歌うブロードウェイ・オリジナル・キャスト版とロンドン・キャスト版のCDを所有している。

原作はバーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」。題名はギリシャ神話に基づく。こちらを1938年にレスリー・ハワード主演で映画化したバージョンの方が出来は良い。ちなみにレスリー・ハワードは翌年「風と共に去りぬ」にアシュレー役で出演。43年に彼が乗っていた旅客機をチャーチル首相搭乗機と勘違したドイツ空軍が誤爆し、非業の死を遂げた。

2009年にはキーラ・ナイトレイ主演で映画「マイ・フェア・レディ」のリメイク企画が持ち上がった(記事はこちら)。ヒギンズ教授役はリヴァイヴァルの舞台でも演じたジョナサン・プライスが適役なのでは?と思っていたのだが、結局立ち消えになった。そして2014年、周防正行監督の映画「舞妓はレディ」は極めて質の高い「マイ・フェア・レディ」のパスティーシュであった。

以前から舞台版を是非観たいと希っていたのだが、大地真央が花売り娘イライザ役を長年牛耳っていたので、全く行く気になれなかった。彼女が演じ始めたのが34歳の時で、結局54歳まで続けた。言語道断である。恐らくギネスブックに申請すれば世界最年長記録であろう。ババアのイライザなんか絶対嫌だ。

大地真央の次に抜擢されたのは霧矢大夢真飛聖。どちらも宝塚男役トップスター出身であり、やはり年を取りすぎていた。

僕は待ち続けた。そして神田沙也加出演の報を聞き、漸く「時は来た!」と快哉を叫んだのであった。

Kanda

翻訳/訳詞/演出:G2

出演は神田沙也加、別所哲也、相島一之、今井清隆、平方元基、前田美波里ほか。

僕は神田沙也加が初舞台を踏んだミュージカル「INTO THE WOODS」(宮本亜門演出)を2004年6月に東京の新国立劇場中劇場で観ている。赤ずきんちゃん役で、未だ17歳だった。

彼女のイライザは素晴らしかった!すっごく可愛いし、はっきり言ってオードリー・ヘップバーンより断然いい。歌も、映画吹替えのマーニ・ニクソンを上回っていた。「踊り明かそう」のナンバーは柔らかくしっとり歌い上げ、イライザのレディとしての覚醒を見事に表現していた。パーフェクトである。長年待った甲斐があった。また今井清隆のドゥーリトルははまり役だったし、歌わない前田美波里も気品と威厳があって素敵だった。

ポスターでも分かる通り、衣装はブロードウェイ版及び、映画で美術・衣装デザインを担当したセシル・ビートン(アカデミー賞ダブル受賞)のデザインを踏襲している。例えばアスコット競馬場の場面は全員の衣装が白黒のモノトーンで統一されているといった具合。

実は、映画「マイ・フェア・レディ」を初めて観たときから、僕はモヤモヤとした違和感、腑に落ちない〈何か〉が気にかかっていた。この居心地の悪さの正体は、一体……?

本作はしばしば世間で〈ロマンティック・コメディ〉と称されるが、それは果たして本当だろうか?そもそもイライザとヒギンズは恋愛関係なの??劇の終盤、戻ってきたイライザに対してヒギンズは"Where the devil are my slippers?"(私のスリッパは一体どこにある?)と言うのだが、それって〈愛の告白〉ですか???少なくとも〈将来の妻〉に対して言う台詞ではないだろう。

30年以上抱えていた問いに対して、明快な解(かい)を見出したのは、つい最近のことである。

この物語の中で非常に不可解なのはピッカリング大佐の存在である。ヒギンズとピッカリングは共に〈独身主義者 bachelor〉であり、意気投合したふたりは一緒に暮らし始める……。そうか!彼らはゲイカップルで、最後にイライザを養女として迎え入れる。そう解釈すればすべての謎が氷解する。つまりミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」と同じ構造なのだ。娘に「スリッパはどこだ?」と訊ねるのなら、不自然じゃない。

そして映画版の監督ジョージ・キューカーとセシル・ビートンはゲイだった。成る程、繋がっている。

最後に。今後イライザとして観たい日本のミュージカル女優たちの名を挙げておこう。

  • 昆夏美
  • 木下晴香
  • 高畑充希
  • 上白石萌歌

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

神話としての「タイタニック」〜トム・サザーランド演出ブロードウェイ・ミュージカル再演

10月17日(水)梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティへ。ミュージカル「タイタニック」大阪公演初日を観劇。

Titanic

トム・サザーランド演出版・初演のレビューは下記。

今回の配役は、アンドリュース(設計士):加藤和樹、イスメイ(オーナー):石川禅、機関士:藤岡正明、一等客の客室係:戸井勝海、ジム・ファレル(三等客):古渡辺大輔、通信士:上口耕平、アリス・ビーン(二等客):霧矢大夢、アイダ・ストラウス(一等客):安寿ミラ、イシドール・ストラウス:佐山陽規、ケイト・マーフィー(三等客):屋比久知奈、船長:鈴木壮麻ほか。

それにしても芥川英司(劇団四季時代)→鈴木綜馬→鈴木壮麻と芸名をよく変える人だなぁ(本名は鈴木孝次)。でも初演の船長役:光枝明彦より良かった。傲慢で身勝手なオーナーを演じた石川禅もはまり役。概して役者陣のアンサンブルはお見事!

3年前のレビューにも書いたが、トム・サザーランドの演出は舞台装置が余りにも簡素で、不満が残る。例えば、タイタニックが氷山に衝突し、沈没しかかった場面で装置が傾くわけでもなく、救命ボートを海面に降ろす場面でもボートそのものが存在しないので、「あとは観客の皆さんの想像力で補ってください」と言われても限界があるだろう。抽象的描写で、状況が分かり辛い場面が多々あった。

だからといってブロードウェイのオリジナル・プロダクションのように大掛かりな装置を組むとツアーのための運搬が困難になり、大阪公演は実現不可能だったろう(演出変更になる前の「ミス・サイゴン」のように)。痛し痒しである。

モーリー・イェストンの音楽は文句なしに素晴らしい。特に第一幕 終盤(氷山にぶつかるまで)。ワルツが続き、優雅でありながら何処か物悲しさが漂う。

初演の感想で「グランド・ホテル形式の台本が古臭くてイマイチ」と書いたのだが、今回考えを改めた。

1912年に発生したタイタニックの悲劇は最早、20世紀の神話と言えるだろう。1931年頃に書かれたと推定される宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に於いて既にタイタニック号の乗客が登場する。

南北アメリカ大陸の先住民の神話を詳細に研究したフランスの構造人類学者レヴィ=ストロースは「神話論理」四部作で次のように説く。

神話とは自然から文化への移行を語るものであり、神話の目的はただ一つの問題、すなわち連続不連続のあいだの調停である。

本作の場合、調停不可能根源的(二項)対立とは、言うまでもなく生と死である。どうして人は死ななければならないのか?納得出来る答えはない。だから我々は普段、そのことを忘れて(忘れようと努力して)生きている。しかし「タイタニック」の物語は、遅かれ早かれ誰にでも(一等客であろうと三等客であろうと)分け隔てなく、死が訪れるのだ(生者必滅)ということを思い出させてくれる。だったら、残された人生を一日一日、精一杯生きるしかない。メメント・モリ(自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな)、カルペ・ディエムseize the day:その日の果実を摘め/その日をつかめ)。そう僕は得心がいった。正に神話による調停作用、カタルシス(精神の浄化作用)である。そして勿論、小説「銀河鉄道の夜」にもこのカタルシスがある。

またミュージカル「タイタニック」には欧米が築いた近代合理主義・科学技術文明の終焉レクイエム)が描かれているのだ、と感じられた。オーナーのイスメイが「タイタニックは不沈。この船そのものが救命ボートだ(だからボートが足りなくても大丈夫)」と豪語する場面があるのだが、この万能感は正に「人間は神になり代われる存在なのだ」という幻影を示している。彼の発言の根底にはキリスト教徒が持つアントロポモルフィズム(人間形態主義/人神同形論)つまり、神を人間と同じような姿で想像するという基本理念がある(神は最初の男アダムを、神に似せて創造したー「創世記」)。また「ノアの箱舟」のイメージを重ねてもいるのだろう。しかしイスメイの誇大妄想野望は、氷山という自然との遭遇で呆気なく打ち砕かれるのである(文化⇔自然の二項対立)。

〈時間というのは過去→現在→未来という不可逆的・一方通行の流れであり、その中で人類は着実に「進歩」して来た。そしていつの日にか神に近づくことが出来るであろう〉これが欧米人が一般的に抱いて来た歴史観である。しかし、それは果たして本当だろうか?だったらどうして20世紀にアドルフ・ヒトラーやポル・ポトのような為政者が誕生したのだろう?「進歩」の果てに中国の文化大革命が成立したのか?アメリカ大統領について言えば、イラク戦争を引き起こしたジョージ・W・ブッシュはエイブラハム・リンカーンよりも「進歩」しているのだろうか?疑問符ばかりである。

〈人類の歴史は「進歩」の歴史〉という、通時的歴史観は崩壊した。これからはもっと共時的に思考する姿勢が求められている。そう、20世紀の神話「タイタニック」は我々に語りかけているように僕には思われるのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ブロードウェイ・ミュージカル「シティ・オブ・エンジェルズ」

9月27日(木)新歌舞伎座@大阪市へ。

City_2

ミュージカル「シティ・オブ・エンジェルズ」は1989年12月から1992年1月までブロードウェイで上演され、トニー賞で最優秀作品賞・台本賞・楽曲賞・美術賞・主演男優賞・助演女優賞の6部門を受賞した。また94年のロンドン公演ではローレンス・オリヴィエ賞で最優秀ミュージカル作品賞を受賞している。

City2

日本初演は92年。主な出演者は中村雅俊、桑名正博、麻実れい、久野綾希子、尾藤イサオらだったそう。

久々の再演となる今回の演出・上演台本を担当したのは福田雄一。出演:山田孝之、柿澤勇人、渡辺麻友、瀬奈じゅん、木南晴夏、 山田優 ほか。

作曲はミュージカル「スウィート・チャリティ」のサイ・コールマン。スウィンギーでジャジー。都会的で、いかしてる。

福田のコメディ演出は軽やかで巧み。結構アドリブを許容しているが、芯はブレない。木南晴夏という女優は全く知らなかったが、つい先日玉木宏と結婚したんだね。「彼女はカンタービレ方面の指揮者が好きだから」という台詞が飛び出して、客席から「おめでとう!」の掛け声が。あと、まゆゆの下着姿にドキッとした。

柿澤勇人は安定の上手さで、心配した山田孝之や山田優の歌唱も全く問題なし。や〜、華やかで愉しかった!

映画のシナリオライターが生きる現実世界と、彼が書く探偵物のフィクションが交差する、入れ子構造の台本が何と言っても素晴らしい。再々演を切望する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

珠城りょう・愛希れいか主演:宝塚月組「エリザベート」とオールタイム・ベスト(ワースト)・キャスト選考!

9月24日(月)宝塚大劇場へ。ウィーン・ミュージカル「エリザベート」を観劇。

Img_1844

トート:珠城りょう、エリザベート:愛希れいか

そして当初予定されていた配役は以下の通り(ルドルフは役替り)。

Img_1845 

ところが、9月22日から2番手でフランツ・ヨーゼフ役の美弥るりかが体調不良で休演。暗殺者ルキーニ役だった月城かなとが繰り上がり、新人公演でルキーニを好演した風間柚乃が同役を演じた。

Img_1846

僕が初めて宝塚大劇場を訪れて観たのが1998年の宙組「エリザベート」(姿月あさと・花總まり)だった(当時は岡山市在住)。それ以降のエリザは全組生で観ている。96年雪組と星組はDVDで鑑賞。また初演キャストはスペシャル・ガラ・コンサートで拝見した。

そして僕は現在、宝塚に住んでいる。

では今回の感想を、オール・タイム・ベスト(ワースト)を交えながら書いていこう。

【エリザベート】:娘役がタイトルロールを演じるのは男役中心の宝塚では異例。だからこれを花道に退団する生徒が多い。白城あやか大鳥れい蘭乃はな、そして愛希れいかである。愛希は美貌が冴え渡り、歌も上手かった。強い意志が感じられ、一本筋が通ったものがあった。オール・タイム・ベストは花總まり(雪'96・宙'98)が不動だが、愛希は次点に推したい。ワーストは瀬奈じゅん(月'05)。歌は下手くそだし、ドレスの裾さばきや所作がなってない。

【トート】:正直、珠城りょうは「おばさん顔」で好きじゃない。男役としての凛々しさが欠けている。雰囲気的に麻路さきに近いかな?しかしトートは意外といけた。優しい包容力があった。オール・タイム・ベストはダントツで明日海りお(花'14)、ワーストは見た目しか取り柄のない彩輝直(月'05)。

【フランツ・ヨーゼフ】:月城かなとは歴代で最も美形の皇帝であった。彫りの深い顔はまるでギリシャ彫刻のよう。素晴らしい!ただ急遽の代役なので、

フランツ「プレゼント あげよう。愛の証なんだ」
シシィ「勿体ない」
フランツ「着けてご覧」
シシィ「とても重い」

の場面で、なかなかポケットからネックレスが出てこず「間に合うのか!?」とハラハラした。案の定、ネックレスを首に巻く前に愛希が「とても重い」と言う羽目に。まぁ、こういうハプニングも生の舞台だからこそ。大いに愉しんだ。

オール・タイム・ベストは、歌唱と演技に関する限り北翔海莉(花'14)が抜きん出ている。これぞ芸。That's TAKARAZUKA !ヴィジュアルを加味すると稔幸(星'96)も忘れ難い。

【ルキーニ】:風間柚乃は研5(入団5年目)ながら大健闘。特に瑕疵は見当たらない。オール・タイム・ベストは天下無双の轟悠(雪'96)。圧巻。次点は霧矢大夢(月'05)。

【ルドルフ(大人)】暁千星は精彩を欠く。オール・タイム・ベストは朝海ひかる(宙'98)。

【ルドルフ(子供)】のオール・タイム・ベストは月影瞳星'96)で、彼女以外の印象は薄い。パレード(フィナーレ)のエトワールも月影の歌声が一番美しかった。

【ゾフィー】今回の憧花ゆりのは歴代ワーストかも。品格が欠けている。オール・タイム・ベストは出雲綾星'96・宙'98)。意地悪さが最高。

【エルマー】和央ようか(雪'96)がやっぱり一番かな。彼女に当て書きされた役というのが大きい。

【ヴィンディッシュ嬢】これはもう陵あきの(星'96・宙'98)の独擅場。彼女以上にこの役の狂気を余すところなく演じきった役者はいない。その衝撃が大きすぎて他の誰も物足りない。

総合的に今回の公演は気に入ったので、発売されたらBlu-rayを購入したいと考えている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ジャンヌ・ダルクに魅せられた女優〜イングリッド・バーグマンとマリオン・コティヤール

アカデミー監督賞・主演女優賞を受賞したミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」のヒロイン、ミア(エマ・ストーン)の部屋には巨大なイングリッド・バーグマン(Ingrid Bergman)のポスターが張ってあった。ミアは映画「カサブランカ」(1942)の彼女に憧れているという設定である。

Lala

スウェーデンからハリウッドに渡った大女優イングリッド・バーグマン(「ガス燈」「追想」でアカデミー主演女優賞を2度受賞、「オリエント急行殺人事件」で助演女優賞を受賞)はジャンヌ・ダルクに囚われていた。「白い恐怖」「汚名」「山羊座のもとに」と3本のヒッチコック映画に出演した時も、撮影の合間にヒッチにジャンヌを演りたいと熱心に語っていたという。そして彼女はブロードウェイで「ロレーヌとジャンヌ」という戯曲に出演し、その映画化「ジャンヌ・ダーク」(1948)でも主演の座を射止めた(アカデミー主演女優賞にノミネート)。監督は「風と共に去りぬ」「オズの魔法使い」のヴィクター・フレミング。彼は映画公開直後に心筋梗塞で亡くなったのでこれが遺作となった。

Jeanne

映画は興行的に大失敗で、製作費を回収することすら出来なかった。しかしジャンヌに取り憑かれているイングリッドがこれで満足する筈もなかった。

1949年、イングリッドはネオレアリズモ(イタリアン・リアリズム)の「無防備都市」をハリウッドで観て感激した。彼女は自分がいかにこの映画を賞賛しているか、いかにロッセリーニ監督作品への出演を望んでいるという内容の手紙をロッセリーニに送った。この縁で彼女はイタリアに飛び、1950年「ストロンボリ/神の土地」に出演した。二人はたちまち恋に落ち、彼女はロッセリーニの子を身籠った。実はイングリットは既に37年に歯科医と結婚しており、娘もいた。つまり不倫の関係だったのである。これは大スキャンダルとなり、アメリカ上院議会でも取り上げられた。そして彼女はハリウッドから完全に追放された。

イタリアでイングリットはさらにジャンヌ・ダルクに挑む。前夫と離婚が成立しロッセリーニと再婚を果たした彼女は、夫の演出でフランスの作曲家オネゲルの劇的オラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」をヨーロッパ各地で演じた後、1954年に映画化・主演している。凄まじい執念だ。正にジャンヌ・ダルクになろうとした女と言えるだろう。

Stoll

なおこの後、イングリッドはロッセリーニと破局し、「追想」(56)で劇的なハリウッド復帰を遂げることになる。アカデミー賞授賞式では彼女の友人であるケーリー・グラントが代理でオスカー像を受け取った。また娘のイザベラ・ロッセリーニも女優となり、映画「ブルーベルベット」「複製された男」等に出演している。

さて、現代のジャンヌ・ダルクといえば、「エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜」でアカデミー主演女優賞を受賞したフランスの女優マリオン・コティヤールにとどめを刺す。彼女は2015年3月4日、5日にフィルハーモニー・ド・パリで山田和樹/パリ管弦楽団とオネゲルの「火刑台上のジャンヌ・ダルク」を演じ、続く6月10日〜13日の4日間、ニューヨークのエイブリー・フィッシャー劇場でアラン・ギルバート/ニューヨーク・フィルと共に同オラトリオに出演した。また2012年スペインのバルセロナにおける彼女のパフォーマンスはDVDになっている。

Cotillard

美しく、入魂の演技で、完璧に彼女はジャンヌ・ダルクになり切っている。Bravissimo !!!

なお、このDVDを購入されたい方はこちらからどうぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ウルフギャング・ステーキハウス 大阪店へ

7月20日(金)ウルフギャング・ステーキハウス 大阪店(Wolfgang's Steakhouse Osaka)で食事をした。

Img_1805

ここはブルックリン@NYにある名門ステーキハウス「ピーター・ルーガー」で40年以上活躍したウルフギャング・ズウィナーが独立し、2004年にマンハッタンで創業した。その後ワイキキ、マイアミ、ビバリーヒルズに支店が出来、日本国内の第1号店である六本木店はアメリカ国外初出店となった。

僕は2001年8月末に1週間ニューヨークのマンハッタンに滞在し、数多くのブロードウェイ・ミュージカルを観た。9・11同時多発テロの2週間前のことである。具体的には「オペラ座の怪人」、「プロデューサーズ」(ネイサン・レイン、マシュー・ブロデリック主演、スーザン・ストローマン演出)、「ザ・ミュージック・マン」(スーザン・ストローマン演出)、「キャバレー」(ブルック・シールズ主演、映画「007 スカイフォール/スペクター」を監督したサム・メンデスと映画「シカゴ」「メリー・ポピンズ・リターンズ」を監督したロブ・マーシャルが共同演出)、「42nd Street」を観劇した。実はワールドトレードセンター( WTC )ビル最上階にあったレストランにディナーの予約をしていたのだが、その当日マチネで観た「キャバレー」の劇場(キット・カット・クラブ)の空調がとても寒く、ホテルに戻ると発熱し寝込んでしまったので電話でキャンセルした。結局9・11でWTC自体が消滅してしまったので、訪れる機会は2度となかった。

ニューヨーク滞在中に「ピーター・ルーガー」に行った。18年間(当時)ザガット・サーベイのステーキハウス部門でトップの座に君臨し続けていた店である。宿泊していたマリオット・マーキスからタクシーに乗ろうとすると、5台連続で乗車拒否された。マンハッタン島より外に位置するブルックリンの治安が悪く、運転手に尻込みされたのである。因みにバーブラ・ストライサンドはこの街に生まれ育った。

「ピーター・ルーガー」で食べたミディアムレアの肉は表面がカリカリ、中がジューシーで絶品だった。生涯食べたステーキの中で文句なし、ぶっちぎりNo.1。正直、神戸牛とかはサシ(脂肪)が多すぎて、食べている途中に気分が悪くなる。そんなことが一切なかった。

だから「ウルフギャング・ステーキハウス」には大いに期待して行った。肉の味は「ピーター・ルーガー」を上回るとは言わないが、ほぼ互角。日本国内でこれだけのものが食べられるのなら何の文句もない。それに加え、ここ独自の魅力はロブスターにある(「ピーター・ルーガー」のメニューにはない)。直前まで生きていた海老をスチームするので新鮮、全く臭みがない。極上!故に総合評価で「ウルフギャング」に軍配を上げる。オリジナル・カクテルもみな美味しかった。

近い内に是非、再訪したい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

石丸幹二、花總まり/ミュージカル「シークレット・ガーデン」@兵庫芸文

小学校の頃、推理小説をよく読んでいた。一番お気に入りだったのはイギリスの”ミステリーの女王”アガサ・クリスティ。特にエルキュール・ポアロものは全て読破した。

いま好きなイギリスの三大小説(シェイクスピアなど戯曲を除く)を問われたら、僕は躊躇なくブロンテ姉妹の「嵐ヶ丘」「ジェーン・エア」と、フランシス・ホジソン・バーネットの「秘密の花園」を挙げる。いずれも女性が書いたことと、ヒースが生い茂るムーア(荒野)が舞台になっている点が共通している。なおバーネットはイギリスのマンチェスターに生まれ育ったが、55歳の時にアメリカの市民権を取得しているので厳密に言えば英国人と言えないのかも知れない。しかしそんなことは些事であろう。

それにしてもイギリスはヨーロッパの中でも抜きん出て著名な女性作家が多い。児童文学を見渡しても「ハリー・ポッター」シリーズのJ・K・ローリング、「ハウルの動く城」のダイアナ・ウィン・ジョーンズ、「メアリー・ポピンズ」のパメラ・L・トラヴァース、「床下の小人たち(借りぐらしのアリエッティ)」のメアリー・ノートン、「思い出のマーニー」のジョーン・G・ロビンソンなど枚挙に暇がない。その一方、フランス・ドイツ・イタリアの女性作家って直ぐに名前が出てこないでしょう?日本も清少納言・紫式部の時代から卓越した女性作家をあまた輩出してきたわけだから事情がどこか似ている。どちらも島国だから??閑話休題。

というわけで「秘密の花園」のミュージカル版には大いに期待していた。

7月24日(火)兵庫県立芸術文化センターへ。ミュージカル「シークレット・ガーデン」を観劇。カナダのスタフォード・アリマが演出を手がけた。

Se

この作品は1991年4月25日にブロードウェイのセント・ジェームズ劇場(現在は「アナと雪の女王」を上演中)で開幕し、709公演を経て、93年1月に閉幕した。1年8ヶ月、そこそこのヒットである。

作曲を担当したルーシー・サイモンは、シンガーソングライターで映画「ワーキング・ガール」の主題歌"Let the River Run"によりアカデミー歌曲賞を受賞したカーリー・サイモンの姉。ルーシーはこの後、ミュージカル「ドクトル・ジバゴ」の音楽を手掛けるが、2015年にブロードウェイに進出するも、4月21日に開幕し、5月10日に閉幕。プレビュー公演が26回で本公演がたった23回という惨憺たる失敗作に終わった。

正直、このミュージカル・ヴァージョンは期待外れだった。特に台本が酷い。幽霊(死者)が登場する場面が多すぎ。こんなの「秘密の花園」じゃない!寧ろヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」に近い。ほぼ怪談だ。

少年コリン(大東リッキー)の死んだ母リリー(花總まり)が現れるのはまだ許容出来る。しかし、少女メアリー(上垣ひなた)の両親とかその使用人(全員インドでコレラに罹患し、死亡)とか要らんだろ?それに〈苦行僧〉って一体何者!?幽霊が出てくる度に「ウザっ!!」とイライラした。音楽も魅力に乏しく、記憶に残る旋律が皆無。僕が今までに観たブロードウェイ・ミュージカルの中でも最低の部類であった。オフ・ブロードウェイ「ファンタスティックス」くらいの小規模なミュージカル化の方が「秘密の花園」という作品には相応しかったのではないだろうか?

しかし出演者は超豪華で、文句のつけようがない。

兄弟を演じた石丸幹二と石井一孝は息がピッタリで、「スカーレット・ピンパーネル」パーシーとショーヴランのコンビを思い出した。

今回最前列で観劇したのだが、花ちゃん(花總まり)は僕が初めて宝塚歌劇を観た1998年の宙組「エリザベート」の頃から、ちっとも変わらない。こういう表現が適切かどうかわからないが今でも「可愛い」。20年経っても年を取らないって驚異的だ。

マーサ(メイド)役の昆ちゃん(昆夏美)も相変わらず歌が絶品。さすがディズニー映画(実写版)「美女と野獣」日本語吹替版に抜擢されただけのことはある。

あと特筆すべきは子役の上垣ひなた、14歳。「ライオンキング」大阪公演でヤングナラを演じていたらしい。演技も歌も◎だった。今後の活躍を期待する。

というわけで作品の質はサイテー、パフォーマンスは極上という、けったいな公演だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

古川雄大・生田絵梨花主演 ミュージカル「モーツァルト!」とドッペルゲンガー

 7月7日(土)梅田芸術劇場へ。

ウィーン発のミュージカル「モーツァルト!」を観劇。

Img_1798

Img_1794

出演はヴォルフガング:古川雄大、コンスタンツェ:生田絵梨花(乃木坂46)、ヴァルトシュテッテン男爵夫人:香寿たつき、コンスタンツェ(モーツァルトの姉):和音美桜、コロレド大司教:山口祐一郎、レオポルト(モーツァルトの父):市村正親 ほか。

僕は2002年の日本初演@シアター・ドラマシティから観ている。その時は中川晃教・井上芳雄のダブル・キャストで、アッキー(中川)の歌唱が圧巻だった。

演出家は小池修一郎のままなのだが、今回の目玉は新演出である。美術装置が一新された。

舞台上には巨大なグランドピアノが置かれ、それが回転する。鍵盤の裏側に階段が設置され、ピアノの大屋根が場面によって開閉し、垂直起立時にはそこにプロジェクションマッピングで背景画が映し出されたりもする。旧版より断然良い。

僕が最初にこのミュージカルを観た時にはモーツァルトという一つの人格をヴォルフガングと、子役が演じるアマデに分けることに対する違和感がどうしても拭い去れなかった。アマデが一言も発しないことも釈然としなかった。しかし次第に慣れてきて、今ではアマデという存在はドッペルゲンガー(二重身)なのだと解釈している。特に映画「仮面/ペルソナ」を観たことが大きかった。

ミヒャエル・クンツェ(台本)は間違いなくこの映画の影響を受けている。また、他にドッペルゲンガーを扱った映画としてブラッド・ピット主演「ファイト・クラブ」と、ジェイク・ギレンホール主演「複製された男」を挙げておく。

これをユング心理学で言い換えるならヴォルフガングは意識の中の「自我 ego仮面)」で、アマデは無意識に潜む「影 shadow元型)」といったところだろう。だから「影を逃れて」というナンバーがあるわけだ。そしてアマデが大切にしている小箱は「魂」のようなものではないだろうか。

古川雄大(ふるかわゆうた)は2.5次元ミュージカル「テニスの王子様」出身の長身イケメン。本作で初めて帝国劇場の舞台を踏んだ。歌もそこそこ良いが、山崎育三郎には一歩及ばず。僕が好きなヴォルフガングは順に①アッキー②育三郎③雄大④芳雄かな。

生田絵梨花は乃木坂46のフロント・メンバーで(センター経験もあり)、当然可愛いし歌も絶対音程を外さないので安心して聴けるのだが、演技については……まだまだ伸びしろありという感じかな。トリプルキャストのうち木下晴香のコンスタンツェを観ていないので、次回は必ず彼女でチケットを確保するつもりだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

映画「レディ・バード」と舞台ミュージカル

評価:A

Lady
アカデミー賞で作品賞、監督賞(グレタ・ガーウィグ)、オリジナル脚本賞(グレタ・ガーウィグ)、主演女優賞(シアーシャ・ローナン)、助演女優賞(ローリー・メトカーフ)の5部門にノミネートされた。女性監督としてのノミネートは史上5人目である(「ハート・ロッカー」のキャスリン・ビグローが唯一の受賞者)。公式サイトはこちら

母親や学校の先生に対して「私のことをレディ・バードと呼んで」と言う、イタイ女子高生の物語であり、グレタ・ガーウィグの自伝的作品だそう。映画の舞台となるのも彼女の出身地・カリフォルニア州サクラメントである。

ヒロインはこじらせ女子というか、17歳のくせに中二病かよ!と言いたくもなる。でも観ているうちに彼女のことが段々愛おしくなり、いつの間にか応援している。そんな映画である。

映画「ブルックリン」の主人公も最後、「彼女に幸あれ!」という気持ちにさせられたし、これはシアーシャの人徳なのだろう。うん、そうに違いない。

余談だが、本作の中盤に高校でミュージカルを上演する場面がある。これがスティーヴン・ソンドハイム作詞・作曲の「メリリー・ウィー・ロール・アロング」。そして生徒がオーディションで歌うのがやはりソンドハイムの「カンパニー」や「イントゥ・ザ・ウッズ」だったりするので嬉しくなった。ミュージカル・ファンは必見!

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|

より以前の記事一覧