日記・コラム・つぶやき

【考察】LGBTQ+は「種の保存に反する」のか?

まず大前提として、僕の性的嗜好はストレートである。小学生の息子がいるし、同性に惹かれたことは一度もない。そういった気持は理解できないが、だからといって否定もしない。価値観は人それぞれなのだからお互いにその違いを認め合えばいい。他者に対しては寛容でありたい。因みにLGBTQとはL(レズビアン)、G(ゲイ)、B(バイセクシャル)、T(トランスジェンダー)、Q(クエスチョニング:性自認や性的指向が定まっていない/クィア:本来は「奇妙な」という意味の蔑称を自嘲的、開き直りの表現として敢えて使用)を指す。

さて2021年5月21日、自民党の簗和生(やなかずお)元国土交通政務官(42)=衆議院議員栃木3区= が党の会合で、LGBTと呼ばれる性的マイノリティーの人たちをめぐって「生物学上の種の保存に反する」との発言をしたと報じられている。この件について簗氏はNHKの取材に対し「会議は非公開のため、内容や発言について答えるのは控える」とコメントした(出典記事こちら)。一方、共同通信の取材によると「生物学上、種の保存に背く。生物学の根幹にあらがう」という趣旨の発言だったという(出典こちら)。自民党では過去にも杉田水脈・衆院議員が性的少数者のカップルに関し「生産性がない」と月刊誌に寄稿し、非難を浴びた。

彼らの無知に呆れ、笑うしかない。

ヒトに近いサルに同性愛は頻繁に見られるし、特にチンパンジーの仲間であるボノボは非常に多く、過半数を占めている(詳しくはこちら)。他の動物の同性愛についてはウィキペディアがしっかりとまとめてある(こちら)。同性愛は生物学的に自然なことだ。

動物や植物も、すべての生物の目的は種の保存、種の繁栄であると言っても過言ではない。そのための一つの戦略として突然変異がある。遺伝情報DNA(デオキシリボ核酸) を複製する途中に、誤った塩基(A:アデニン、G:グアニン、C:シトシン、T:チミン)が挿入されてしてしまう場合がある。こうして生まれた個体が、周囲の環境に相応しければ生き残るし、そうでなければ自然淘汰される。この繰り返しが進化であり、強い種が生き残る仕組みだ。新型コロナウィルスも同様であり、生き残りをかけた戦略として2021年5月現在、より感染力が強い変異株が大勢を占めようとしている(新型コロナは一本鎖RNAゲノムであるが、やはり自己増殖のために設計図のコピーを作る際、一定の頻度でエラーが発生する)。

種の保存という観点から考えると、子孫を残すことが出来なかった個体は敗者と見なされる。

ライオンは十数頭のメスライオンと、1~数頭ほどのオスライオンで群れを形成することで知られており、この群れは「プライド」と呼ばれる。産まれた仔ライオンが大きくなるとメスは群れに残り、オスはプライドから独立する。こうして放浪生活を送ることになったオスライオンは「ノマド」と呼ばれ、他のプライドを支配するオスに戦いを挑み、群れを統率する権利を勝ち取らなければならない。戦いに勝てばそのプライドに所属するすべてのメスライオンと交尾する権利を得て自分の遺伝子を残せるが、負けたオスライオンは自分の遺伝子を残せない。群れのリーダー(オス)は、数年おきに入れ替わる。 こうしてより強い種が生き残っていく。だから遺伝子を残せないオスは必ず一定数いるし、彼らもちゃんと競い合うという役割を果たしている。「種の保存に反する」わけでも、「生産性がない」わけでもない。

またここで忘れてならないのは、人間は〈自然=動物〉であるだけに留まらず、知性を持ち、〈文化〉を発展させてきたのだということ。フランスの社会人類学者レヴィ=ストロースは神話について次のように述べている。

神話とは自然から文化への移行を語るものであり、神話の目的はただ一つの問題、すなわち連続不連続のあいだの調停である。

つまり「種の保存に反する」「生産性がない」などと主張する輩は自然の中の人間=動物という一面しか見ておらず、大きな比重を占める文化的側面を無視しているのである。子供を育てて巣立たせた老夫婦には最早「生産性がない」から、御役目御免で姥捨山に遺棄すればいいのか?一生独身で通し、子孫を残さなかったベートーヴェンやシューベルト、ショパンは「種の保存に反し」ており無価値なのか?ゲイだったチャイコフスキーは?

人は「種の保存」や「生産性」のみにて生くるものに非ず。

人は医療を発展させ、平均寿命が飛躍的に伸びた。乳児死亡率は減り、子供は滅多に死ななくなった。戦時下(1941年)の「産めよ、増やせよ」政策は21世紀の現在、全く時代遅れの考え方となった。当時の日本の総人口は7350万人であり、2021年は1億2557万人。少子化とはいえこの80年間で5千万人以上(1.7倍)増えている。

平安時代の男女の平均寿命とか、大正時代の乳児死亡率と現在の比較などは下記事に詳しく書いたので、興味のある方はご一読ください。

別に自分の遺伝子を後世に残さない人がいたっていいじゃないか。それが多様性(diversity)である。LGBTQ+のシンボルが虹(レインボーフラッグ)なのは、多様性の表現だ。音楽だと半音階に相当する。

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新型コロナウィルスと陰謀論

新型コロナウイルスを巡り、SNS上で「感染拡大はウソ」「世界の黒幕が、ワクチンで人類を管理するのが目的」といった言説が広がっている。彼らは「コロナはただの風邪。世界の資本家が各国の政府を操り、でっち上げている」「ワクチンで人間にマイクロチップを埋め込むのが目的」等と主張している(読売新聞より)。「ワクチンを打てば5年で死ぬ」と話す県議もいる(朝日新聞より)。

いわゆる〈陰謀論〉である。昔から「諸悪の根源は秘密結社フリーメイソン」とする〈陰謀論〉があったし、ナチス・ドイツは〈ユダヤ人陰謀論〉を勢力拡大に利用した。

こういった噂が拡散する根底には漠然と感じている不安や恐怖心があるだろう。イギリスの哲学者バートランド・ラッセルは次のように述べている。

「恐怖心というものが迷信や残虐を生む。恐怖心を克服することが叡智につながる」

関東大震災の時に、「朝鮮人が放火したり、井戸に毒を投下している」という流言飛語が飛び交い、虐殺事件が起こったのも恐怖心が生んだ悪夢の最たる例だろう(事件の詳細はこちら)。私たちは歴史から教訓を得ねばならない。

具体的に新型コロナウィルスのワクチンに関する〈陰謀説〉を検証してみよう、標準的なペット用マイクロチップは、通常、長さ11-13mm、直径2 mmで米粒ほどの大きさがあり、特殊なシリンジを用いて埋め込む。通常筋肉注射で用いられる注射器の針は通らない。そもそもマイクロチップをワクチンから検出した事例はあるのか?その噂は果たして「事実(fact)」か、それとも単なる「想像(imagination)」「推量(guess)」「フェイク」に過ぎないのか?

「コロナはただの風邪」という言説に対しては次の事実を説明してもらいたい。2021年5月18日時点で、アメリカ合衆国のコロナ関連死者数は58万6千人に及んでいる(ジョンズ・ホプキンス大学の報告)。これは第二次世界大戦における米軍の死者数(40万5339人)とベトナム戦争時の死者数(5万8209人)を足した合計よりも上回っている。多分彼らはこのデータが捏造だと主張し、信じないのだろう。一方、インドでは5月3日時点で21万8千人がコロナ感染で死亡している。ではアメリカでデータを捏造し、さらにインドでも捏造している首謀者って誰??

「ワクチンを打てば5年で死ぬ」という主張に対しては5年という数字がどこから来たのかきちっと説明して戴きたい。その根拠は?

あと「ワクチンで人類を管理」するというが、黒幕が陰謀を仕組んだのはファイザー製ワクチン?それともモデルナ?、ジョンソン・エンド・ジョンソン?あるいはアストラゼネカ?エッ、もしかしてすべての製薬会社を巻き込んで??ちなみに前3社はアメリカの製薬会社で、アストラゼネカはイギリスなんですけど。中国製やロシア製もある。

「インターネットに書いてあること」をそのまま信じる人がいるが、それがどういう事実に基づく説なのか、まず検証する必要があるだろう。単なる思い込みではなく、きちっとしたエビデンスはあるか?新聞記者で言うところの「裏を取る」作業が不可欠だ。昔、テレビでみのもんたが「これは健康にいい!」と紹介すると、その商品がまたたく間に店頭から消えることがあった。しかし皆さん、バナナでダイエットできましたか?ココアで健康・長寿が実現できましたか?データを取って、きちっと検証することが大切。

テレビが本当のことを言っているとも限らない。NHK特集まで組まれた佐村河内守は結局、偽作曲家だった。

〈陰謀論〉を信じやすい人々の中には多数の〈妄想性パーソナリティ障害〉罹患者が含まれると推定される。何かにつけて疑い深く、過度に人を信用できない障害のこと。客観的な根拠がなくても他人が自分を利用する、危害を加える、だますであろうと決めてかかる。また、他人が理由もなく自分に陰謀を企て、突然攻撃してくるかも知れないという疑いを持つ。一般人口の0.5〜2%にみられるとされ、決して稀なものではない。臨床症例では、男性に多く診断されている。〈権力者の病〉とも言われ、ローマ皇帝ネロやスターリン、ヒトラーがその典型例である。麻原彰晃も多分そう。統合失調症発病の前兆として現れることもある。〈妄想性パーソナリティ障害〉には明確な診断基準があるので、興味のある方はこちらをご覧あれ。

〈パーソナル障害〉に共通する特徴は「自分に強いこだわりを持っている」ことと、「とても傷つきやすい」こと。他者を信頼したり、愛することの障害であり、対等な人間関係を築けない。中でも特に〈妄想性パーソナリティ障害〉は「父親」との戦いを生涯引きずるという。「父親殺し」のテーマが人生を支配する。そしてその多くは、父親との戦いが権力や迫害者との戦いに置き換えられている。(参考文献:岡田尊司『パーソナリティ障害ーいかに接し、どう克服するか』PHP新書)

もし、あなたの周りに〈陰謀論〉を吹聴する人がいたら、一番良いのは精神科クリニックを受診してもらうことだろう。もしそれが難しいようなら、次のような問いを発してみてはどうだろうか。

「その考え方の根拠は?」
「その考えのもとになった情報は噂や思い込みではなく、確かなものか?」
「可能性ではなく、確かな事実として考えていないか?」
「その判断は事実に基づくというよりも、感情的に決めつけたものではないか?」
「その解釈はあまりに現実から離れすぎていないか?」
「出来事の一側面だけに注目し、その出来事が起こるまでの全体の流れを見落としていないか?」
(参考文献:いとうせいこう、星野概念『ラブという薬』リトル・モア)

一般に人は、因果論にとらわれやすい。「原因があって結果がある」という考え方だ。「どうして人は生きるか?」「生きる意味は何か?」という問いも、何か原因があるから自分がいまここに存在しているんだという〈思い込み〉である。父と母が性交したからだという答えでは納得できない。一回の射精で射出された2~4mlの精液中に約3億個あると言われる精子の一つと、卵子が「たまたま」出会い、受精したという説明をしたら怒り出すかも知れない。「偶然」なんて論外。もっとその先に本当の答え、「真理」がある筈だ。自分の存在は「必然」であって欲しいという強い願いが込められている。こういう思考の結果、人は神を創った。なにか絶対的な存在=「創造主」を設定し、そのお方に何らかの「目的」や「意図」があって人類が誕生したと考えれば「原因」と「結果」の空白が埋まり、安心できるというわけ。つまり宗教を信仰する人々の心理的背景には「存在の不安」がある。また「創造主」の意思で自分が生まれたのだと仮定したら、そこに存在意義が発生する。よって承認欲求が満たされる。

しかし大切な娘を飛行機の墜落とか、急性骨髄性白血病で亡くした人を例に考えてみよう。果たして彼女の早世には神の「目的」とか「意図」があるのだろうか?本人または親が何か罪を犯したために(原因)、罰を受けた(結果)のだろうか?そんな馬鹿げた発想でくよくよ悩むよりは、単なる「偶然」、「たまたま」運が悪かったのだと納得した方が諦めがつくだろう。

〈陰謀論〉を信じる人の心理的メカニズムも宗教のそれと全く同じ構造を持っている。「突如出演した新型コロナウィルスがあれよあれよという間に世界に蔓延し、感染者がバタバタ死んでいく。不安だ」「どうして世界はこんな事になってしまったのか?」「どうしてマスクをしないといけないの?」「どうしてワクチンを接種しなければいけないの?」実際にはパンデミックに至った要因は多数あり(Multi-Factor)、それらが複雑に絡み合って現在に至るわけだが、「原因」と「結果」がはっきりしなければ安心できない。しかしそこで悪の組織とか、黒幕といった〈首謀者〉を設定し、その〈陰謀〉だと解釈すればスッキリする。つまり混沌とした世界を「単純化」し、理解したいという欲望(安全欲求)を満たす作業だったのである。

人の心とは本当に厄介で、面倒くさく、そして面白い。そう思う、今日この頃なのです。

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新型コロナワクチンを接種しました。

ファイザー製・新型コロナのワクチンを2回、接種し終えた。第1回目が2021年4月21日、第2回目が3週間後の5月12日。

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新型コロナ禍とはすなわち、人類とウィルスの、生き残りをかけた戦いであると以前書いた。その戦火をくぐり抜け、なんとか生き残ることが出来たと胸を撫で下ろしている。

副反応について。第1回目の接種直後はなんの痛みもなく、「本当に薬液が注入されたのだろうか?」と心配になるくらいだった。筋肉注射8時間後くらいして局所の筋肉痛が出現し、症状は3日間くらい続いた。

第2回目の摂取直後も痛みなし。筋肉痛出現はやはり8時間後、1回目より痛みは強かった。翌日ピークに達し、徐々に症状は薄れた。

日本赤十字社和歌山医療センターの調査によると1回目の接種後に全体の1.8%が37.5℃以上の発熱をし、2回目は26.7%が発熱したそう。僕の場合どちらも発熱なし。どうやら発熱・倦怠感・頭痛・アナフィラキシーなどの副反応は女性の方が多いようである。

さて、後々に見るための備忘録として現状を記載しておく。

・2021年5月10日時点、4月12日から始まった65歳以上の高齢者のワクチン優先接種で、1回目の接種を終えた高齢者は依然として全体の1%未満にとどまっている。
・また同じ5月10日、医療従事者などで1回目の接種を終えた人は対象の61%、2回の接種を終えた人は24%ほどである(以上NHKニュースより)。
・3回目の緊急事態宣言が発令されているこんな状況下、未だに日本政府は2ヶ月後に迫った東京オリンピックを開催すると主張し続けている。
・一方、イスラエルでは、5月9日の段階で人口の62%が少なくとも1回目のワクチン接種が完了している。 100万人あたりの新規陽性者の7日間平均は、わずか5.6人(対して大阪は100万人あたり95.1人)。イギリスでは1回目のワクチン接種が50%に達し、アメリカ合衆国では1回接種した人が58.9%、完了した人は45.6%にのぼっている(5月14日NHKニュース)。
・米国疾病対策予防センター(CDC)は5月13日、新型コロナワクチン接種を終えて2週間過ぎた人は、屋外でも屋内でも原則マスクを着用しなくてよいとするガイドラインを発表した。
・ワクチン接種〈後進国〉の日本では菅内閣の支持率がどんどん落ち続けている(NHKの世論調査によると発足当時62%あった支持率が、5月10日に35%となった)。次の総選挙で自由民主党は大敗するだろう。

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差別する心理〜欧米の植民地支配からBlack Lives Matter(BLM)まで

自尊心(pride):『自尊心』とは自分自身を尊重する気持ちであり、『自己肯定感』と言い換えることも出来る。「自分には何かしらの価値がある」という幻想であり、生きる意味を見出すこと。

人は自尊心がなければ生きていけない。「自分には何の価値もない」「生きる意味がない」と感じると自身を大切に出来ず、リストカットなど自傷行為に走ったり、最終的には自殺に至る。その典型が〈境界性パーソナリティ障害〉や〈うつ病〉である。

自尊心は幼少期に育まれる。親から愛され、「あなたは私の宝物」と大切にされ、「よくできました」「賢いね」と褒められたり、存在を肯定されることが大切。子供の頃に家族離散や育児放棄、児童虐待などを経験すると〈愛着障害〉を生じ、自尊心が損なわれる。

差別(discrimination):『自尊心』を持つ手っ取り早い方法は他者との比較である。社会は他者との関係性で成り立っている。「私はあいつよりも賢い(学歴自慢)」「あいつより容姿端麗だ」「ピアノ・コンクールで優勝した(特技自慢)」「財産が沢山ある」「都会に住んでいる」「家柄が良い(出自自慢)」「有名人と顔見知りだ(人脈自慢)」「子供が東大に合格した(家族自慢)」といったことで自信が持てる。後者3つは「人の褌(ふんどし)で相撲を取る」ことに過ぎないのだが……。これらの行為は他者との比較だから、差別意識が生まれる。「無学な奴め」「ブス」「この負け犬(loser)が!」「貧乏人」「田舎者」。世の中には悪口しか言わない人がいる。彼らは他者を貶めることで、相対的に『自尊心』を保っている。自分自身には何も誇れるものがないから。

身分制度:インドなどヒンドゥー教にはカーストという身分制度がある。日本も江戸時代には武士・平人(ひらびと)・賤民という三つの身分層で成り立っていた(昔、小学校で習った『士農工商』という制度があったという説は現在では否定されている)。百姓と町人が平人、穢多(えた)と非人(ひにん)が『人外』として賤民に相当した。ちなみに人口全体に占める割合は百姓が85%、武士7%、町人5%、穢多・非人が1.5%程度だった(残る1.5%は公家・神官・僧侶)。身分の差も『自尊心』の拠り所となる。

植民地支配:ヨーロッパ諸国が嘗て行った植民地支配やアメリカ合衆国の奴隷制度とは、身も蓋のない言い方をすれば他国の資源の搾取である。資源とは土地・鉱物(金やダイヤモンド)・動物(象牙や毛皮)・人材などを指す。その意味で泥棒・バイキング・海賊と何ら変わらない。しかし自分たちが単なる泥棒や海賊だとは思いたくない。それでは『自尊心』が保てない。そこで彼らが心理的に実行したのが現地人の差別である。「アフリカの黒人は家畜と何ら変わらない。だから豚や牛と同等に扱っても構わない」「インディアン(アメリカ先住民)には文化と呼べるものが何もない。彼らは資源を有効活用出来ない。宝の持ち腐れだ。だから私達が奪っても問題ない。野蛮人は殺せ!」

これはナチス・ドイツがユダヤ人を劣等民族と決めつけ虐殺し、彼らの富を奪ったことに似ている。銀行を経営するなど大財閥として栄華を誇ったロスチャイルド家も追放され、全財産は没収された。

日本が東南アジアの国々を植民地にしていたとき、学校を建てて現地の子供達を熱心に教育しようとした。しかし欧米人は決して、アフリカ人やアメリカ先住民を教育しようという発想がなかった。家畜に教育は不要だからである。

黒=邪悪?:欧米人のウエディングドレスは白と決まっている。白は純粋無垢の象徴であり、汚れのない色。人は二項対立で思考するので、対象的な黒色は邪悪とみなされた。忌むべき喪服は黒と決まっている(日本人の喪服が黒になったのは様式慣行が入ってきた明治維新以降。それまでは白だった。切腹の際も白無垢)。

日本語でも「無罪か有罪か」のことを「白か黒か」と言うし、「腹黒い」という表現もある。英語では邪悪なことを"black-hearted"という。またblackの縁語であるdarknessは「暗闇」「心の闇」「腹黒さ」「邪悪」を意味する。闇夜は視界が効かないので古代人は幽霊とか怪物を空想した。だから白人が黒人に対してそういう悪いイメージを無意識に付与するのもわからなくはない。

また旧約・新約聖書において、神は白のイメージである。

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逆に悪魔は黒。

Blackdevil

旧約聖書によると神は自分の姿を模して人を創った。つまり人は神の似姿なのだ。ということは、聖書を書いたのは古代イスラエル人・ユダヤ人であり、神は白人ということになる。だから二項対立として黒人=悪魔という先入観を彼らが持っていたとしても何ら不思議はない。実際、ローマ・カトリック教会に反発するサタン崇拝者の儀式を黒ミサ(black mass)と呼ぶ。

ワーグナーのオペラ『ローエングリン』は白鳥が純潔とか無垢の象徴として登場する。一方、チャイコフスキーのバレエ『白鳥の湖』では邪悪の化身として黒鳥(black swan)が登場する。

暗黒大陸と無文字社会:嘗てヨーロッパ人はアフリカのことを『暗黒大陸』と呼んだ。黒人が住んでいるからそう呼称されたと誤解している人がいるが、それは間違い。未開の地であり、鬼が出るか蛇が出るか予測がつかないというニュアンスである。アフリカの地理に関して無知であるという『暗黒』だけではなく、 野蛮なイメージが付加されていた。

ヨーロッパと比較するとアフリカには歴史的建築物はないし、遺跡もない。「ここには文化がない」と彼らは考えた。またアフリカ大陸の中でエジプトなど一部の中東〜北アフリカを除き、サハラ砂漠より南の地域(Sub-Saharan Africa)は一様に無文字社会であった。「読み書きの出来ない者は人間と呼ぶに値しない。だから家畜として扱っても構わない」という意識が白人たちにあったことは間違いない。

やはり文字を持たなかったアメリカ先住民や、オーストラリア先住民アボリジニも同等の扱いを受けた。アボリジニは奴隷にされなかったが、オーストラリアではスポーツハンティングとして日常的に『人間狩り』が行われた。「今日はアボリジニ狩りにいって17匹をやった」と記された日記がサウスウエールズ州の図書館に残されている(詳細はこちら)。これによりアボリジニ人口は90%以上減少した。

文字文化を持っているかどうかが白人の差別意識に強く関与していたことは、例えばインド人の扱いと比較してみればよく理解できるだろう。インドはイギリスの植民地であったが、アフリカ人やアボリジニ、アメリカ先住民ほど酷い仕打ちは受けなかった。彼らは奴隷にもされず、『人間狩り』もなかった。インドには『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』といった叙事詩をはじめ立派な文学があり、タージマハルなどの世界遺産もある。それらの文化に対して欧米人はそれなりの敬意を払ったし、彼らの差別意識が肌の色だけで決めつけていなかったことが伺えるだろう。

優生学:命に優劣をつけ選別する『優生思想』はダーウィンが1859年に著した『種の起源』に影響を受けて、19世紀末に生まれた。人類は文明的な階層によって区分することができると考えられ、北ヨーロッパが文明的に最も優れていて、アボリジニは劣っていると見做された。アングロ・サクソンとスカンジナビア人が最高順位に置かれ、有色人種は下位に格付けされた。

アメリカでは1924年に移民法が成立し、白人と有色人種の結婚を禁ずる法律が正当化された。優生学の目的は「知的に優秀な人間を創造すること」「社会的な人的資源を保護すること」にあった。アメリカでは20世紀まで、「公共の利益のために社会の不適格者を断種する」という優生思想にもとづき、強制不妊手術が32の州で合法的におこなわれていた。被害にあったのは主にアフリカ系アメリカ人たち。手術は本人の合意も子供が産めなくなるという説明もなく行われた。詳しくはこちらの記事をご覧あれ。

ナチス・ドイツも『優生思想』を根拠に精神障害者を約7万人ガス室送りにして殺戮した。これが『T4計画』である。ホロコーストを正当化する理屈も根っこは同じである。

Black Lives Matterと恐怖心(terror)2020年5月25日、アメリカで黒人のジョージ・フロイド氏が白人警察官に首を押さえつけられ、「息ができない(I can't breathe.)」と訴えたにもかかわらず力が緩められることなく、その後死亡する事件が発生した。関与した4人の警官は翌26日に懲戒免職処分となり、フロイド氏を押さえつけていた元警官は29日に逮捕・起訴された。この事件が切っ掛けで暴動が起こり、世界的な抗議運動に発展していった。ブラック・ライヴズ・マター (BLM)である。

#BlackLivesMatter 以前、1960年代の自由公民権運動の頃から白人警官の黒人に対する激しい暴力は問題になっていた。その背景には当然差別意識もあるが、特に最近では恐怖心(terror)も強いのではないだろうか?黒人に対して今までしてきたことの罪の意識。「復讐されるのではないか?」という不安感。それが〈過剰防衛〉としての暴力という形で現れているという側面もあるだろう。

Black Lives Matterを考える上で観ておくべき映画・ドキュメンタリー番組

・『グローリー ー明日への行進ー 』:マーティン・ルーサー・キング・Jrを主人公に、有名な“セルマ大行進”を描く。
・『
あの夜、マイアミで』:マルコムX、モハメド・アリ、ソウル歌手サム・クックらが語り明かした一夜を描く。
・『リマスター:サム・クック』:ドキュメンタリー映画、Netflix配信。
・『マルコムX暗殺の真相』:ドキュメンタリー番組、Netflix配信。
・『私はあなたのニグロではない』:ドキュメンタリー映画。作家ジェームズ・ボールドウィンが語るキング牧師、マルコムX、そして
NAACP(全米黒人地位向上協会)に所属した公民権運動家メドガー・エヴァース。
・『ビール・ストリートの恋人たち』:ジェームズ・ボールドウィンの小説を原作とする劇映画。
・『自由の国アメリカ:闘いと変革の150年』ドキュメンタリー番組、Netflix配信。合衆国憲法修正第14条をめぐる、血と汗の滲む道程。

あと、キング牧師はマハトマ・ガンジーの非暴力非服従運動に強い影響を受けているので、アカデミー賞で作品賞・監督賞・主演男優賞など8部門受賞した映画『ガンジー』を併せて参考資料にされたし。

 

参考文献:①岡田尊司 『パーソナリティ障害 いかに接し、どう克服するか』(PHP新書)
②岡田尊司『境界性パーソナリティ障害』(幻冬舎新書)
③岡田尊司『死に至る病~あなたを蝕む愛着障害の脅威~』(光文社新書)
④上坂昇『キング牧師とマルコムX』(講談社現代新書)
⑤ロバート・ローラー(著)長尾力(訳)「アボリジニの世界ードリームタイムと始まりの日の声」(青土社) 
⑥アドルフ・ヒトラー(著)平野一郎 他(訳)『わが闘争』(角川文庫)

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今度は「不織布マスク警察」現る!/新型コロナ禍の心理学

「パニックになった時、人の本性は現れる」と僕は繰り返し書いてきた。イギリスの哲学者バートランド・ラッセルは次のように述べている。

「恐怖心というものが迷信や残虐を生む。恐怖心を克服することが叡智につながる」

新型コロナウィルス禍で人々の間で恐怖心や不安感が蔓延している。2020年4月7日に発令され、5月25日まで続いた第1回目の緊急事態宣言でそれが顕著に出た現象が〈自粛警察〉や〈マスク警察〉だ。

そして2021年1月7日に発令された第2回目の緊急事態宣言下に現れたのが新手の〈不織布(ふしょくふ)マスク警察〉である。朝のテレビ番組で話題となり、このワードは1月28日にツイッターでトレンド入りした。ウレタンマスクは飛沫を防止する機能に劣るというデータが出され、街なかや電車でウレタンマスクを着用している人を叱り、不織布に変えるよう迫る人々が登場したのである。

「その不織布マスク何層?3層?それじゃダメだって4層じゃなきゃ」と説教してくる妖怪に遭遇したという書き込みもSNS上にあった。

アメリカの社会心理学者バーナード・ワイナーが提唱した〈原因帰属理論〉で上記現象を考えてみよう。原因帰属とは成功や失敗などの起こった結果に対し、その要因が何かと考えること。〈内的(自分)〉と〈外的(環境)〉に分類される。テストで成績が良かった時、〈内的〉には「自分は頭が良いからだ(能力)」「一生懸命勉強したからだ(努力)」と考えるタイプ、〈外的〉には「問題が簡単だったかったからだ(課題の難易度)」「ヤマが当たった。運が良かった」と考える4つのタイプに分けられる。

例えば貧乏暮らしをしている30代男性の例を見てみよう。〈内的〉思考として「僕は生まれつき賢くなかったから三流大学にしか入れず、いい就職口がなかった。だから今の境遇は仕方がない(能力)」「高校生の時遊び呆けて全然勉強しなかったから一流大学に入れなかった(努力)」と自省する人もいれば、〈外的〉思考で「ごく一部の富裕層が世界の富を独占している。だから僕は貧乏なんだ。社会が悪い。ブルジョワジーを打倒せよ!」「一攫千金を狙って起業したが世の中が不景気で会社は倒産してしまった。たまたまついていなかっただけ。僕が悪いんじゃない」と責任転嫁する人もいる。

フランス革命やロシア革命が〈外的〉思考の典型例で、いつしかブルジョワジー(富裕層)=悪/プロレタリアート(賃金労働者階級)=善という図式が出来上がった。こうしてフランスのブルジョワは断頭台の露と消え、ロシアのロマノフ家は銃殺刑で皆殺しになった。彼らの蓄えた富は略奪され、分配された。

〈自粛警察/マスク警察〉になるタイプの人は「私はちゃんとやっているのに、コロナが蔓延するのは自粛しない連中が悪い」「不織布マスクをしない連中がコロナをばら撒いている」と〈外的〉に責任を帰属させる。と同時に、「自粛して常に不織布マスクをしていればコロナは収まる」と〈コントロール可能性〉を過大評価する。

自由に振る舞っている人々に対する嫉妬心・不公平感も根底にあるだろう。「私はこれだけ我慢しているのに、あいつらだけ得してずるい。懲らしめてやろう」

この心理はアドルフ・ヒトラーが台頭した時期のドイツの状況に酷似している。第一次世界大戦の敗戦により、イギリス・フランスなど戦勝国から莫大な戦争賠償金を課せられたドイツ国民は天文学的なインフレーションに苦しむことになる。1918年から23年までの5年間で物価が1兆倍に跳ね上がった。そこでナチス・ドイツはユダヤ人陰謀論を吹聴した。銀行や金融業を経営している多くはユダヤ人である。「奴らが富を独占しているから、我々ゲルマン民族は惨めな暮らしを送らざるを得ない。全てユダヤ人が悪い」という理屈である。〈いけにえの羊(scapegoat)〉だ。〈外的(ユダヤ人)〉に責任を帰属させ、彼らを根絶やしにすればゲルマン民族の暮らしは良くなると〈コントロール可能性〉を過大評価した。 そしてナチスはユダヤ人が蓄えた富を全て略奪した。

ユング心理学には影(シャドウ)という用語があり、カール・グスタフ・ユングは「そうなりたいという願望を抱くことのないもの」と定義した。人格の否定的側面、隠したいと思う不愉快な性質、人間本性に備わる劣等で無価値な原始的側面、自分の中の〈他者〉、自分自身の暗い側面などである。

 集団のの肩代わり現象として、いわゆる、いけにえの羊(scapegoat)の問題が生じてくる。ナチスドイツのユダヤ人に対する仕打ちはあまりにも有名である。すべてはユダヤ人の悪のせいであるとすることによって、自分たちの集団の凝集性を高め、集団内の攻撃を少なくしてしまう。つまり、集団内のをすべていけにえの羊に押しつけてしまい、自分たちはあくまでも正しい人間として行動するのである。家族の中で、学級の中で、会社の中で、いけにえの羊はよく発生する。それは多数のものが、誰かの犠牲の上にたって安易に幸福を手に入れる方法であるからである。(中略)

 ナチスの例に典型的に見られるように、為政者が自分たちに向けられる民衆の攻撃を避けようとして、外部のどこかにの肩代わりをさせることがよくある。ここでもすでに述べたような普遍的な影の投影が始まり、ある国民や、ある文化が悪そのものであるかのような錯覚を抱くようなことになってくる。 

 〈河合隼雄『影の現象学』(講談社学術文庫)より〉

河合が書いた「自分たちはあくまでも正しい人間として行動する」「それは多数のものが、誰かの犠牲の上にたって安易に幸福を手に入れる方法である」というのが正に〈正義中毒〉である。他人に〈正義の制裁〉を加えると脳の快楽中枢が刺激され、〈報酬系〉と呼ばれる神経伝達物質・ドーパミンが放出されて快楽をもたらす。この快楽は強烈で癖になる。〈いじめ〉には中毒性があるのだ。ナチス親衛隊(SS)に組織化される以前、ユダヤ人の商店に投石するなど狼藉を働いていたドイツの自衛団・自警団や、縛り首の縄(noose)を使って黒人をリンチしたアメリカの白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)も自分たちは〈正義〉を実行していると信じ、暴力を振るうときには「気持ちいい」と感じていた。彼らと同様に〈不織布マスク警察〉の人々も、自分は〈正義〉を実行しているという快感に酔い痴れている。それは所詮錯覚に過ぎないのだが。実におぞましい。

新型コロナ禍で欧米諸国ではマスクをする派と、マスクをしない派に分かれた。特にアメリカ合衆国では〈民主党支持者=リベラル=マスク肯定派〉と〈共和党支持者=保守=マスク拒否派〉の真っ二つに分断された。

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その根底には人権を守る、個人の意志・選択の自由を尊重するという明確な姿勢(個人主義)がある。結局欧米ではウィルス蔓延を防ぐため政府が公共交通機関や商店でマスク着用を強制しようとした場合、罰金刑を課すなど法律で取り締まるしかなかった。

しかし羊のようにおとなしい日本人は政府が「お願い」するだけで従順に従った。マスク着用に関して法律で規制する必要はなかった。〈同調圧力〉 により、お互いに監視し合う社会システムが有効に機能したのである。

アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトがその著書『菊と刀』で看破したように、キリスト教を基盤とする西洋の〈罪の文化〉に対して日本は〈恥の文化〉である。日本人は他人(世間様)の目を気にして、別行動を取って目立つのが恥ずかしいと考える。〈場〉の空気を乱さず、〈場〉の均衡を保とうと腐心する。そして皆と同じ行動を取れば安心出来る。「赤信号、皆で渡れば怖くない」(ビートたけしのネタ)のだ。その一方で、同調しないものを排除しようとする制裁行動に出る。〈村八分〉、〈いじめ〉の構造。出る杭は打たれる。日本では個人の意志や権利よりも、集団の規律を守る方が優先され、全体主義的傾向がある。これは1938年に〈国家総動員法〉が制定され、「欲しがりません勝つまでは」と〈国民精神総動員〉が美徳とされていた時代と少しも変わっていない。新型コロナ禍でこの事実を突きつけられて、僕は呆然と立ち尽くした。「叫びを押し殺す 見えない壁ができてた」「ここで同調しなきゃ裏切り者か」「ああ まさか 自由はいけないことか」という欅坂46『不協和音』(作詞:秋元康)の歌詞が深く胸に突き刺さる。

集団から疎外・排除されることは、生存において危険である。もろくて弱い個人は、集団に承認されることで生をつなぐ。その根底には〈安全欲求〉〈社会的欲求〉〈承認欲求〉がある。

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マスクをして出かけている人々の中には「新型コロナに感染するのが怖い」という気持ちよりも、「マスクをせず外出したら、他者からどういう視線を浴びるか怖い」「マスク警察に公衆の面前で叱られるんじゃないか」という感情が優位な人も少なくないのではないだろうか?

新型コロナウィルスに対する不安感・恐怖心は見えないものに対する恐怖である。暗闇で幽霊や妖怪が怖いという感情に近い。江戸時代以前の日本には強力な照明器具がなく、夜は暗かった。蝋燭や行燈で照らされる範囲は限られており、闇の奥に何か得体の知れないものが潜んでいるのではないかという不安・想像力から物の怪は生まれた。しかし電気の登場で夜は隅々まで照らされるようになり、さらに科学的知識が浸透することで今やお化けを信じる人は殆どいなくなった。

見えないものに対する恐怖という心理を最大限に利用したのがスティーヴン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』である。映画後半に至るまでサメを見せない。彼の名を世界に知らしめたテレビ映画『激突!』でも、主人公が運転する車を追うトラック運転手の顔を最後まで見せなかった。

ウィルスを目視することは出来ないが、勉強して知識を増やすことで恐怖心は確実に減る。〈心の目〉で見えるようになるのだ。

第2回目の緊急事態宣言で確実に新型コロナの新規感染者は減少した。ということはウィルス感染で最もリスクが高い状況は酒を提供する飲食店など換気が悪い閉鎖された空間でマスクを外し、2m以内の距離で対面で会話をすること。あるいはカラオケボックスで歌をうたうこと。つまり発声が一番危険なのだ。発声しない満員電車の中、映画館、そして500人以上のキャパがあるコンサートホールで音楽を聴くことに殆どリスクはなかったことが実証された。もしそれらの場所でも感染が起こっているのなら、1回目とは違い映画館もコンサートホールも営業を続けている2回目の緊急事態宣言下で劇的に感染者が減るはずがないからだ。つまり基本的に発語せず対面しない広い空間はリスクが低く、闇雲にマスクを着用することを強要するのは愚の骨頂である。

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アフォリズムを創造する〈決定版〉

現在小学三年生の息子へ。いつか大きくなったら読んで欲しい。また、新成人のみなさんへの餞(はなむけ)の言葉と受け取ってもらっても良いだろう。

「これは、僕と彼女だけが知っている、世界の秘密についての物語だ」……新海誠監督『天気の子』の一節である。世界の秘密を、あなたにそっと教えよう。以下の記事の集大成だ。

「アフォリズム Aphorism」の語源はギリシャ語で、人間についての真理や戒め、恋愛や人間関係についての教訓、人間の愚かしさや可笑しさ、人生の不思議や矛盾などを端的な言葉で表現したものをいう。日本語に訳すと金言、警句、格言、座右の銘といった言葉になる(ロバート・ハリス『アフォリズム』より)。ニーチェの多くの著書(『喜ばしき知恵』『善悪の彼岸』など)はアフォリズム集の形態で書かれている。

〈アフォリズム〉人間性は少なくとも過去2,000年間、全く進歩していない。進化したのは科学技術とシステム(社会制度)だけ。そこを履き違えてはいけない。

1,000年前に書かれた紫式部『源氏物語』を現代人が読んでも、作中人物に共感することが出来る。愛、嫉妬、恨み、悲しみといった感情に変わりはない。それは2,000年以上前に書かれたギリシャ悲劇(『オイディプス王』など)も同じ。

つまり人間性(こころ)に関する限り、人類は何も進歩していない。もし進歩しているというのなら、どうして20世紀にヒトラーやスターリン、ポル・ポトのような人物が現れるのか?説明出来ないだろう。

一方で、人種差別や女性差別は減り、身分制度も多くの国でなくなり、職業選択の自由など基本的人権は尊重されるようになってきた。つまり司法制度や、社会システムは進化し続けている。しかし、それを〈人類の進化〉と勘違いしてはいけない。

〈アフォリズム〉視点をズラす(移動する)ことで、物事の本質が見えてくることがある。

海で夕日を見ている情景を想像してください。〈太陽は下方に移動して水平線に沈む〉。あなたの主観(視点)として、これは正しい。しかし実際は違う。〈地球はあなたの視線とは反対方向(背中側)に自転しているので、見かけ上、太陽が沈むように錯覚している〉。つまり視点(観測地点)を太陽上に移動して、地球ではなく太陽が固定されていると考えれば、真相に近づくことが出来る(さらに太陽は銀河の中心を周回している)。これがコペルニクス的転回である。

高橋みなみがAKB48のメンバーだったとき、総選挙のスピーチで「努力は必ず報われる!」とぶち上げて世間から失笑を買った。確かに彼女の視点から見ると正しい。努力してオーディションに合格し、48グループの総監督にまで上り詰めた。確率100%である。しかし最大限の努力をしてもオーディションに落ちた女の子の視点に立つどどうだろう?「努力は報われなかった」確率0%である。オリンピック選手もよく似たようなことを言うけれど、全ては錯覚に過ぎない。彼らの影には、一生懸命トレーニングを積み重ねたが良い成績が出ず、消えていったアスリートたちがごまんといる。どのポジションから観測するかで話は違ってくる。

〈アフォリズム〉努力しても夢が叶わないことは多々ある。ある程度努力して成果が上げられなかったら、諦めることも肝心だ。

〈アフォリズム〉「人は何故生きるのか」と問うことに意味はない。「この地球に人間(知的生命体)が誕生したことには何か意味があるはずだ、創造主の目的があるはずだ」という考え方は因果論であり、必ずしも正しくない。「全ては偶然、意味なんかない」と考え、淡々と生きた方が楽。

「何故生きるか」と自問するのは人間だけである。それは人が考える動物だからである。猿とかイルカ、カエルが「何故生きるか」と考えたりはしない。故にその問いに意味はない。

〈アフォリズム〉生物は必ずいつか死ぬ。その恐怖心から人は永遠に不変・不滅の存在を設定した。それが神であり、プラトンが説くイデアだ。だが万物は流転する。

〈アフォリズム〉「神は存在するか、否か?」という問いに対して立証責任があるのは「存在する」と主張する側だけである。「悪魔の証明」と同じ。神の不在は証明出来ないが、だからといってそれが神が存在する根拠にはならない。

簡単なことだ。「ツチノコはいない」と証明することは出来ない。AとB、二人の会話に耳を傾けてみよう。

 A「本州や四国、九州をくまなく探したけれどツチノコは見つかりませんでした」
 B「でも無人島に生息しているかも知れない」
 A「地球全土を調べたけどツチノコはいませんでした」
 B「では地中に潜っているのかも知れない」

きりがない。同様に「宇宙人(地球外生命体)はいない」ことを証明することも不可能だ。

 A「銀河系をくまなく探したけれど宇宙人は見つかりませんでした」
 B「ではアンドロメダ星雲にはいるかもしれない」

……果てしなくこの問答は続く。不在の証明は出来ないが、だからといってそれが存在の証明に繋がることもない。

ほとんど不可避的に人々は「それはなぜ起こったのか」という問いを発する。すべての事象がそれに先行する何かによって引き起こされたと想定する。確かにこの種の因果関係が存在することもあるが、そうではないこともある。例えば放射性元素の崩壊は統計学的に予想し、測定できるが、ラジウム原子が崩壊するとき、なぜ他の原子ではなくその特定の原子が崩壊するかという問いに対していかなる因果的な説明もできない。「ただそのようなもの」なのだ。量子力学にも不確定性原理がある。例えばある原子核の周囲に漂う電子(=量子:物質の最小単位)が、ある瞬間にどこの位置に存在するかは不確定であり、確率的にしか予想できない。観測して初めて場所が確定する。つまり電子は確率の雲の中にある。

もし神に意思があるのならば、量子の不確定性原理が説明できない。神がいると仮定すれば、神の意思は揺らいでいることになるからだ。ならば神は人間と同じで、絶対的で全知全能の存在ではなくなる。そんな設定(=神)、必要ですか?いないと考えたほうがすっきりする。

遺伝子の突然変異もそう。突然変異が発生する理由(因果関係)など何もない。単なる偶然だ。コンピューターのバグとか、ダウン症など染色体異常の発生も同じ。確率は計算できるが、理由はない。想像してみてください。貴方にダウン症の子供が生まれたとしよう。果たしてそこに〈神の意志〉はあるだろうか?単に確率のなせる技に過ぎない。

遺伝子の突然変異が発生する。それにより生まれたものが環境に適していれば生き残るし、適さなければ淘汰される。これが〈種の進化〉だ。つまり進化は〈神の意志〉ではなく、〈偶然と自然淘汰(適者生存)〉の繰り返しによる産物なのだ。因果関係など差し挟む余地はない。

「人間(知的生命体)が存在すること自体が奇跡。だから神様はいらっしゃる」という論理も間違い。順番が逆。我々は考える動物である。だから神を想定する。牛や豚は神様のことを知らない。何故ならば彼らは思考しないからである。故に彼らにとって神は存在しない。観測する者がいなければ、観測される者もいない。語られない神は、神たり得ない。神様が先なのではなく、人の存在が先なのだ(コペルニクス的転回)。「人間が神を創造した」が正解。神とはつまるところ、思い入れに過ぎない。

〈アフォリズム〉生きるとは何かが生まれ、成長し、絶えず変化し続けること。idea(着想)然り、skill(訓練によって培われた能力)然り。生成変化しないものに価値はない。

〈生成変化〉とはフランスの哲学者ジル・ドゥルーズが提唱した概念である。フランス語では"devenir"(ドゥヴニール:〜になる、〜に変わる)。ドゥルーズは定住することなく草原を自由に駆けめぐる遊牧民=ノマドのように生きよ、と説く。このことについてもっと深く考えたかったら映画『ノマドランド』(公式サイト)をご覧なさい。

〈アフォリズム〉「いま」しか存在しない。過去を後悔しても仕方がない。過去はあくまで記憶・記録でしかなく、修正出来ない。未来を思い煩うな。未来は予想・推測で、頭の中にしか存在しない。予定通りいかない。番狂わせが面白い。「いま」を楽しめ。

ただし、これは二十歳を過ぎたらという条件がつく。学校を卒業し就職するまでは、十年後の「ありたい自分」「なりたい職業」を想定し、その目標に向かって努力することは必要だろう。学生時代に遊び呆けて大学入試や就活に失敗したら後々生きることに苦労する。学ぶことは怠るな。一生が勉強だ。skillを磨け!!

〈アフォリズム〉執着は捨て置け。荷を下ろし身軽になって、自由な体で翔べ!

「執着」とは「あのとき、ああしておけばよかった」という後悔、「こうあらねばならない」というこだわりを指す。冷静になって考えると、案外くだらないことに人は執着しているものだ。囚われている執着に気付くためには自分から離れて、自分を客観視するskillを身につける必要がある。瞑想が有効な手段となるだろう。詳しくはハーバート・ベンソン(ハーバート大学医学部教授)著『リラクセーション反応』を読むか、Netflixから配信されている『ヘッドスペースの瞑想ガイド』をご覧あれ。

〈アフォリズム〉矛盾を恐れるな。人間は本来、矛盾した存在である。

このことを僕は宮崎駿の生き様から学んだ。具体的には彼のアニメーション映画『風立ちぬ』を観れば分かる。首尾一貫している必要なんかないんだ。気楽に生きようぜ。

〈アフォリズム〉「個」を大切にする欧米人に対して、日本人は「公」を重んじる。個人の内にある倫理観よりも、その行為が「場」の均衡を乱すか否かが重要視される。「場」ではお互いが監視し合い、秩序を乱す者がいれば「制裁」行動が発令される。

日本は未だ「ムラ」社会であり、「いじめ」の構造を内包している。新型コロナ禍でこれが如実に現れた。「自粛警察」や「マスク警察」が典型例。その背景には不安や恐怖心がある。基本的に日本人は臆病者なのだ。まぁこの「監視社会」「忖度」が良い方向に働けば「気配り」「お・も・て・な・し」に繋がるのだが……。

〈アフォリズム〉人間は均一じゃない。能力に差異はあるし、趣味嗜好も異なる。それが個性。平等であるべきなのは力を発揮する「機会」においてのみ。「差別」はいけないが、「区別」は必要だ。

どんな家庭環境に生まれようが(出自に関わらず)、優秀ならば最高の教育を受けるチャンスが与えられるべきだし(学業の自由)、肌の色や人種で職業選択の自由が奪われるべきではない。しかしその人が持つ能力や仕事量で社会的地位や財産に差が出るのは当然である。「差別」と「区別」は違う。

〈アフォリズム〉社会主義/共産主義の誤謬は「平等」を履き違えたことにある。働き者と怠け者が同じ給料なら誰も働かない。

〈アフォリズム〉「他人より良い暮らしがしたい」という欲望が社会を動かす。それを否定すれば社会は衰退する。

自らの欲望を肯定せよ。但し健康を害さず(アルコール依存症/生活習慣病など)、他人に迷惑がかからない範囲において。禁欲したって、人生つまらないじゃない?

〈アフォリズム〉衰退した社会主義/共産主義の隠れ蓑としてグローバリズムが流行った。しかしその限界を露呈したのが新型コロナウィルスである。世界各国はナショナリズムに走り、国境を封鎖した。人類は皆兄弟ではなく、地球は均一ではない。地域の特性を大切にし、互いの違いを尊重しよう。

社会主義と共産主義の違いについて日本共産党が公式見解を示している→こちら。つまり同じ意味である。

〈アフォリズム〉世の中、言ったもん勝ち。

なにか言いたいことがあっても、相手に伝えなければ心に不満が募るばかりである。問題は何も解決されない。言った場合、相手は怒るかも知れないし、軋轢が生じて気まずい雰囲気になるかも知れない。しかし問題が改善される可能性はある。少なくとも吐き出すことで鬱憤は晴れ、身が軽くなるだろう。コミュニケーションを図ることが人間の基本である。それを怠るな。自分ひとりで悩みを抱え込んだら心は病む一方である。

〈アフォリズム〉「なぜ生きるのか?」「生きることの意味は?」その価値を創造するのは、あなた自身である。

アメリカの自動車工場で働いている人 ー仮にA氏としようー が健康であろうが死のうが、日本で生活するあなたに関係ない。しかしA氏の家族や友人にとってはそうではない。A氏の生には意味があり、価値がある。それはA氏が彼の人生の中で、周囲の人々と築いた「関係性」に拠るものだ。つまり「関係性」の中にしか、人が生きる意味や価値は存在しない。村上春樹は読者との「関係性」に於いて価値があり、ベートーヴェンは彼の音楽を聴く鑑賞者との「関係性」に於いて価値がある。村上春樹の小説を読まない人にとって彼の名前はなんの意味も、価値も持たない。

ミクロの世界において量子論を基礎づける三つの考え方は粒性・不確定性・相関性関係性)である。これはマクロの世界に生きる人間にもそのまま当てはまる。

〈アフォリズム〉量子論・多元宇宙論(マルチ・バース)など現代物理学を学ぶことが叡智につながる。つまり、世界の秘密にアクセス出来る。

まずはカルロ・ロヴェッリ 著『すごい物理学講義』(栗原俊秀 訳/河出文庫)と、野村泰紀 著『マルチバース 宇宙入門』(星海社新書)からどうぞ。

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2020年、今年抱いた感情を漢字一字で表すと……

毎年恒例となる、今年の世相を表す漢字一字が「密」と京都・清水寺で発表された。

僕の個人的な想いとしては、今年を象徴する漢字一字は「怒」だった。

行く予定だったコンサートや観劇がことごとく中止となり、10件以上の払い戻し手続きをした。一年中翻弄され続けた新型コロナウィルスに対する怒り、そして「自粛警察」「マスク警察」など、同調することを強要しようとする世間への怒りと苛立ち。

2020年は徹底的に「人間の醜さ」を見せつけられた一年だった。しかし逆に言えば恐怖心によって人々の被るペルソナ(仮面)が剥がされ、今まで見えなかったものが顕在化し、またとない貴重な体験を得られた一年でもあった。本質的に今の日本には個人の意見や、他者との違いが尊重される「自由」なんてないことが痛いほどよく分かった。大変勉強になった。

そして今年僕の心に一番刺さった歌は、秋元康が作詞した欅坂46の『不協和音』だ。「僕は嫌だ」と、閉塞社会に対して僕も一緒に叫んだ。ある意味、この曲に救われた。今更だが秋元はやっぱり天才だった。なんてったって香港の民主活動家の胸にまで届いたのだから。

2020年の明るいニュースって、劇場版『鬼滅の刃』無限列車編が19年ぶりに『千と千尋の神隠し』が持つ記録を塗り替え、映画興行収入歴代1位に躍り出たことくらいしかなかったんじゃないだろうか?

しかし12月に入り、ようやく希望の光が見えてきた。アメリカのファイザー社とモデルナ社が開発したワクチン投与がいよいよ世界各地で始まり、2021年1月4日からはイギリスのアストラゼネカ社が開発したワクチン投与も開始されるという。新型コロナウィルスよ、首を洗って待っていろ。「人類の反撃」はこれからだ!

2021年の漢字こそは、「歓」や「笑」でありますように。読者の皆さん、良いお年を!

〈追伸〉大晦日にもブログ記事は更新します。毎年恒例の企画です。乞うご期待。

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「隠れ左翼」の見抜き方

「左翼」はWikipediaで次のように定義されている。

「左翼」という用語は通常、「より平等な社会を目指すための社会変革を支持する層」を指し、革命運動、社会主義、共産主義、社会民主主義、アナキズムなどを支持する層を指すことが多い。

社会主義と共産主義の違いについて日本共産党が公式見解を示している→こちら。つまり同じ意味である。

20世紀は社会主義国家建設という壮大な「実験」が行われたが、ことごとく失敗した。1989年にベルリンの壁が取り払われ、91年にソビエト連邦も呆気なく崩壊。浦山桐郎監督の映画『キューポラのある街』(1962)は在日朝鮮人の北朝鮮帰還運動を肯定的に捉えられており、朝日新聞も帰国事業に加担したが、その末路が惨憺たるものだったことはご承知の通りである。エッ、中国はどうかって?今の香港やチベット自治区、ウイグル自治区で何が行われているか、とくとご覧あれ。人民の意志が尊重されているとは到底言い難い。インターネットやSNSは中国政府により検閲され、Netflixの配信サービスも始められない状況である。

日本の左翼運動は1960年代に安保闘争や東大安田講堂事件などで大いに盛り上がったが、1972年、連合赤軍が起こした〈あさま山荘事件〉で一気に世間からの支持を失い、急速に萎んでいった。

故に現在の日本ではおおっぴらに自分たちが社会主義・共産主義を支持していると言いづらい状況になっている。若い人たちから馬鹿にされるのが落ちだ。そこで彼らは自分の本心を隠すこと(カモフラージュ)に奔走するはめになった。

学生運動華やかなりし頃、活動の中心を担ったのは東大生や京大生ら、エリートだった。彼らが大人になり、現在では日本ペンクラブに所属する作家や、弁護士、大学教授(文系)、知識人たちに左翼思想を持つ者が多い。

そこで日本の「隠れ左翼」を可視化/あぶり出すためのバロメーター、診断基準を考案した。

1) 日本学術会議が新会員として推薦した105人中6人を菅首相が任命しなかったことに関して、「学問の自由」を侵害したなどと連日書き立て、世の中を扇動している。また「反教養」「反知性主義」といった表現を好む。
2) モリカケ(森友・加計学園)や桜を見る会の問題について、あたかも重大犯罪であるかのように執拗に書き立てた(しかし結局、起訴されなかった)。
3) ドナルド・トランプや小池百合子が大嫌い。特に「アメリカ・ファースト」とか「都民ファースト」といった発想、ナショナリズムを憎んでいる。そのくせ「ヘイトを許すな!」というフレーズがお気に入り(自己矛盾)。「人類は皆兄弟」だと思っている。
4) 安倍晋三・元総理や菅義偉・総理、橋下徹・元大阪市長をヒトラーに喩えたり、ファシスト/ポピュリスト呼ばわりした。当然、大阪維新の会のことを苦々しく思っているから「大阪都構想」に断固反対。
5) 自称「リベラル」。「格差社会」という言葉に激しいアレルギー反応(アナフィラキシー)を示し、アメリカ民主党に親近感を抱いている。オバマ大統領の頃は良かったと昔を懐かしみ、美化している。
6) 自分たちが気に入らない勢力に対して「ネトウヨ」というレッテルを貼りたがる。
7) グローバリズムを信奉している。故に新型コロナウィルスが世界に蔓延したことの一因がグローバリズムにあることを決して認めない。
8) 「国会前のデモに何万人集まった」とかといったくだらないことを大々的に報道する。
9) あいちトリエンナーレ『表現の不自由展』の騒動について開催継続を主張し、芸術監督・津田大介を擁護した。また今でも津田にコラムを書かせたり、意見を求めたりするなど親しくしている。
10) 嘗て韓国の「いわゆる」従軍慰安婦問題を書き立てて、「反日」感情を煽った。しかし全てはでっち上げ、フェイク・ニュースであり、日本軍が慰安婦を強制的に連行したという証拠は一切見つかっていない。
11) 日本国憲法の改正に反対。「護憲派」を自任する。
12) 自らを「市民」と名乗る。あるいは「市民団体」をヨイショする。

◎この12項目のうち、2項目が当てはまれば極めて濃厚、3項目以上なら確実と言えるだろう。

以下、幾つかの項に関して解説を加える。

1)そもそも日本学術会議の問題は既得権益や、悪しき前例を見直そうという話であり、「学問の自由」とは一切関係がない。ナンセンス!首相が任命しないからといってその人が「学問の自由」を奪われるわけではない。美味しい汁を吸えなくなるというだけ。全く馬鹿げた論点のすり替えである。

2)モリカケや桜を見る会について確かに一部の人が得したり、接待を受けたのかも知れない。しかしそれが国会を止めるほどの重大事か?ロッキードとか贈収賄事件とはわけが違う。細部にとらわれすぎて全体に注意を向けず、物事を疎かにしている。「木を見て森を見ず」は正にこのこと。

4)日本学術会議のメンバーとして任命を拒否された立命館大学院・松宮孝明教授は「菅総理大臣は現行憲法を読み替えて自分がヒトラーのような独裁者になろうとしているのか」と批判した。僕は「またか!」と爆笑した。安倍元総理も何度となく「ヒトラー」呼ばわりされた。左翼のいつもの手口だ。しかし不思議と彼らはスターリンとかポル・ポト、中国の文化大革命を指導した四人組など共産主義国家の独裁者に喩えたりしない。では松宮教授に尋ねるが、一体菅首相が誰を殺したというのか?共産党を禁止にしたり、共産党員を強制収容所送りにしたか?あなたがヒトラーやナチス・ドイツが行った残虐行為を正しく理解しているとは到底言えない。学者の風上にも置けない。承認されなくて大正解だ。

ポピュリズムとは大衆に迎合して人気をあおる政治姿勢のこと。左翼知識人がポピュリズムという言葉を好むのは、基本的に「大衆は愚かだ」と決めつけているから。自分たちはエリートであり、少数精鋭の自分たちこそ正しく、知性の欠けた大衆を啓蒙し、導かなければならないと考えている(諸説あります)。

上の立憲民主党のツィートが「大阪のオバチャンを馬鹿にしている」と物議を醸した。「わからないなら反対を」とか、完全に大阪府民を舐めている。ここに左翼の特徴がよく表れている。

アメリカ大統領選でドナルド・トランプが勝ったときも、反トランプのマス・メディア(ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、CNNなど)やハリウッドのセレブたちの主な反応はトランプを支持するブルー・カラーの労働者たちを馬鹿にしたものだった。つまり彼らの論調は「大衆は物事の本質を分かっていない」。民主党を支持する自分たちこそ賢く正しいというわけである。一方的にトランプは悪だと決めつけているので、どうして彼を支持する層が多いいのかについて冷静に分析出来ない。「トランプ支持者はアホだ」で思考停止している。

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6)朝日新聞・東京新聞など左翼ジャーナリズムが「ネトウヨ」という用語を好むことは5年前に一度論じた。

7)グローバリズムとは、地球を一つの共同体と見なして、世界の一体化(globalization)を進める思想である。 これって実はジョン・レノンが『イマジン』で歌った、アナーキズム無政府主義)の変形に過ぎない。アナーキズムとは国家を望ましくなく不必要で有害なものであると考える思想であり、国家の廃止を呼びかけるもの。マルクスが唱えた国家社会主義と対立する思想ではあるが、共産主義の分派である。

グローバリズムを信奉するマス・メディアはイギリスのEU離脱に異議を唱えた。何故ならば、EUも国境を取り払いヨーロッパを緩やかな共同体(commune)にしようとする意図を持っているからである。

9)『あいちトリエンナーレ』問題については下記事で詳細に分析した。

この問題と「表現の自由」は一切関係がない。論点のすり替えである。そういう点で日本学術会議の会員任命問題について「学問の自由」を持ち出してくる手口と全く同じ。ワンパターン。

10)東京新聞や朝日新聞は「国会前デモ」の記事が大好き(こちらこちら)。しかし、たとえ国会前に10万人集まろうが、それが民意を反映しているとは言えない。現政権が気に入らなければ選挙で落とせばいいだけのことである。日本は民主主義の国なんだから。革新派の人たちは自己主張が激しいから、声が大きく目立つだけ。一方、大勢を占める保守派は必死に意見を述べる必要がないので黙っている。それをサイレント・マジョリティーという。

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しかし左翼の人々は「大衆はアホだ」と見下しているので、選挙結果(多数決)を冷静に受け入れることが出来ない。「少数派(オレたち)の意見に耳を傾けろ」と声高に主張する。じゃあ、どうやって意思決定するの??

結局彼らの本音としては一部のエリート(オレたち)が愚衆を手取り足取り導く国家が望ましく、普通選挙という制度(=愚衆政治)そのものが気に入らないのだろう(諸説あります)。

また〈デモ参加者=正義〉という幻想・錯覚は1960年代の安保闘争の時、自分たちが国会前で暴れたことへの郷愁(ノスタルジア)でもあるだろう。

忘れてならないこと。デモとは対象に心理的圧力を加えることにより自分たちの主張や要求を実現しようとする示威運動であり、国家に対するデモ(対企業は別)が有効なのは帝政時代のロシアとか現在の中国など、普通選挙が実施されていない地域においてのみである。アメリカ合衆国ではキング牧師らの公民権運動(1963年ワシントン大行進など)のおかげで、1965年に投票時の人種差別を禁じた投票権法が漸く成立した。

11)本来、革新派である筈の左翼が「護憲派」というのは世界にも類がないだろう。完全に矛盾しており、ねじれ現象が起こっている。僕が「奇形左翼」と呼ぶ所以である。そもそも現行の日本国憲法はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が英語の草案を作り、それを翻訳したものだから、左翼が大嫌いなアメリカから押し付けられたものである。1946年11月3日に公布されて以降、一度も国民投票にかけられたこともなく、総意を得ていると言い難い。しかし左翼ジャーナリズムは国民投票にまで持っていかないように必死でキャンペーンを張っている。何が民主主義・主権在民だ。滑稽としか言いようがない。どうしてこんなねじれが起こったか?それは大日本帝国憲法時代、1925年に制定された治安維持法などにより、日本の左翼が辛酸を嘗めたことに起因している。例えば『蟹工船』を書いた小林多喜二は1933年に特高警察により逮捕、拷問され獄中死している。だから悪夢の大日本帝国憲法よりは、戦勝国のアメリカさまから屈辱的に押し付けられた新憲法の方がマシというわけ。左翼は憲法改正=9条改正という短絡的思考しか出来ず、すぐに新聞紙上で「軍国主義の足音が聞こえる」とかいった表現が踊ることとなる。彼らは悪夢の再現に怯えている。

これは1950年代に共和党のジョセフ・マッカーシー議員によって行われた赤狩り(マッカーシズム)で痛い目に遭ったハリウッドの映画人たちが共和党を憎み、民主党を熱狂的に支持している構造に似ている(共和党を支持するクリント・イーストウッドやアーノルド・シュワルツェネッガーなど例外はあるが少数派)。

12)大方「市民団体」「平和団体」と名乗るものは怪しい(例外もあります)。常に疑いの目で見ることを心がけよう。

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岡本喜八(監督)「激動の昭和史 沖縄決戦」と、佐木隆三(著)「証言記録 沖縄住民虐殺」

大林宣彦監督の遺作『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』を観ていると、1945年の沖縄戦における日本軍による沖縄住民虐殺のエピソードが出てきて、寝耳に水だった。「これは果たして史実なのだろうか?」と疑問を抱いたので、調べてみることにした。

こういう時に当たる資料で重要なのは信憑性である。イデオロギー的に偏った人が書いたものは信頼できない。プロパガンダ的色彩が強くなるからである。その典型例が朝日新聞社による韓国のいわゆる従軍慰安婦に関する一連の捏造記事であろう。最初の報道から32年も経って漸く新聞社が全面的に誤報を認め、謝罪した。また系列会社が出版する週刊朝日が掲載した橋下徹大阪市長(当時)に関する記事『ハシシタ 奴の本性』も酷かった。こうした左翼ジャーナリズムは自分たちの主張を通すために何をしでかすか分かったもんじゃない。目的のためには手段を選ばない。クワバラ、クワバラ。虚偽報道(フェイクニュース)の罠に掛からないよう十分注意が必要である。

調査を開始すると早速、沖縄県の公式ホームベージに日本軍による「住民虐殺」についての県の見解が公表されているのを発見した。こちら。また『復讐するは我にあり』で直木賞を受賞した佐木隆三(著)『証言記録 沖縄住民虐殺―日兵逆殺と米軍犯罪』(新人物往来社/後に徳間文庫)も図書館から借りて読んだ。

『復讐するは我にあり』は今村昌平監督で映画化され、キネマ旬報ベストテンで第1位に輝いたが、他に黒木和雄、深作欣二、藤田敏八が映画化を申し入れていたという。

また僕は8月15日の終戦(敗戦)記念日の前後に岡本喜八監督による東宝映画『激動の昭和史 沖縄決戦』と、玉音放送をめぐる攻防・クーデター未遂を描く『日本のいちばん長い日』もAmazonプライムで観た。

Okinawa

『ヱヴァンゲリヲン』の庵野秀明は岡本喜八監督の大ファンで、両者の対談において「『沖縄決戦』は、僕が生涯で一番何度も観た映画なんです。のべ100回以上観てますね」と発言している。『沖縄決戦』と『日本のいちばん長い日』は『シン・ゴジラ』に多大な影響を与え、岡本喜八の遺影が使用されている(株式会社カラーのコメント)。

佐木隆三は1971年から73年まで2年間沖縄のコザ市(現在の沖縄市)に住み、多数の証言を採集し『沖縄住民虐殺』を執筆、初出は『週刊アサヒ芸能』である。引用される文献も沖縄タイムス社刊『沖縄の証言』『鉄の暴風』、読売新聞社刊『秘録・沖縄戦記』、『琉球新報』社説・投稿欄など多岐にわたる。信じるに足る、しっかりしたルポルタージュである。

県外疎開で沖縄本島から九州に移った人々を除き、沖縄決戦のとき戦場に残っていた住民は49万人と推定される。そして人口の三分の一以上になる、約18万人が死んだ。日本軍(沖縄出身者を除く)の死者は約6万6千人、捕虜になったのが約7,400人だから生き残ったものはわずか1割に過ぎない。まさに玉砕戦である。そして軍人よりも一般住民の犠牲者の方が遥かに多かった。未成年者も師範学校および中学上級生は学徒隊を編成し、“鉄血勤皇隊”として戦線に投入され、師範学校女子部と第一高女は“ひめゆり看護隊”、第二高女は“白菊看護隊”として衛生兵同様に扱われた。

久米島における海軍兵曹長・鹿山正による久米島の敗戦後住民虐殺は衝撃的だ。犠牲者は二十人に及ぶ。1972年に「サンデー毎日」が大々的に報じ、ウィキペディアにも掲載されている。こちら。恐ろしいことにスパイ容疑で妻子(乳児含む)まで一家を皆殺しにするという犯行は1945年8月15日の玉音放送(ポツダム宣言受託発表)後の8月20日まで続けられた。スパイ容疑といっても米軍の捕虜になり、久米島攻略に際して軍に同行し、山中でうろたえている住民に「米軍は良民に危害を加えないから、抵抗せずに、安心して山を下りるように」と呼びかけた島出身の青年(25歳)を妻子ともども斬殺したり、朝鮮人だから怪しいとか、行商の品物が米軍の供与ではないかといった、確かな証拠もない噂レベルのはなしばかりである。当然軍事裁判もなく、問答無用の斬り捨て御免。鹿山兵曹長は「スパイの罪は六親等に及ぶ」と言い放った。彼は住民に対して「退山するものは、米軍に通ずる者として殺害する」と布告した。そして鹿島が戦後、このことに関して罪を問われることはなかった。

渡嘉敷島では329人、座間味島では53人の島民が日本軍の命令で集団自決を強要された。方法は手榴弾。隊長だった海軍の赤松大尉は「持久戦は必至である、軍としては最後の一兵まで戦いたい、まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、われわれ軍人は食料を確保して、持久態勢をととのえ、上陸軍と一戦を交えねばならぬ。事態はこの島に住むすべての人間に死を要求している」と主張した。そして住民は死に、大尉とその部下たちは生き残った。

また本島では天皇陛下の「御真影」を抱いて逃げまどっていた国民学校長がスパイ容疑で日本兵に銃殺される出来事があった。このエピソードは映画『激動の昭和史 沖縄決戦』にも登場する。

  • 軍人の証言から当時の日本軍は沖縄を植民地と考え、住民を見下していたことがわかる。沖縄人は朝鮮人と同様に差別されていた。
  • 「今後、沖縄語で会話する者は、すべてスパイとみなし、厳重処分に処す」という軍回報が発布された。
  • 村長など集落の有力者を狙ってスパイの嫌疑をかけ処刑し、食料を奪うこともあった。
  • 戦火を逃れ住民が壕や亀甲墓(中が家のようになっている)に隠れていると友軍(日本軍)が来て「出て行け」と命令し、彼らが代わりに入る。一緒に身を潜めた場合も、ひもじくて泣いている赤ん坊を「敵に見つかる、静かにしろ!」と兵士が殺すこともしばしばあったという。また便意を催し壕の外に出て用を達して帰ってきたら、艦砲が近くなる。すると「おまえ便所するふりしてスパイしたな」と兵隊に怒鳴られたという。

これらの心理的背景には極限状態にまで追い詰められた者の恐怖心と、保身(安全欲求)があった。住民が何を会話しているのか分からない恐怖。情報が敵に漏れて、自分たちの潜伏先を特定されるのではないかという恐怖。アメリカの哲学者ラルフ・ワルド・エマーソン(1803-1882)はこう言った。「恐怖は常に無知から生まれる (Fear always springs from ignorance. )」。またイギリスの哲学者バートランド・ラッセル(1872-1970)は「恐怖心というものが迷信や残虐を生む。恐怖心を克服することが叡智につながる」と述べている。

総攻撃が失敗し第三十二軍は司令部のあった首里から本島南部に撤退を余儀なくされる。南端に追い詰められ牛島司令官(映画では小林桂樹が演じた)と長参謀長(丹波哲郎)は1945年6月23日に切腹して果てた。しかしここからが問題で、牛島は各部隊に次のような命令を出した。

「いまや戦線錯綜し、通信また途絶し、予の指揮は不可能となれり。自今諸子は、各々陣地に拠り、所在上級者の指揮に従い、祖国のため最後まで敢闘せよ。さらば、この命令が最後なり。諸子よ、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」

つまり私は武士道に則りお先に死ぬが、お前たちは直属の上官に従い最後まで戦え。決して降伏することなく玉砕せよ、というのである。人命を尊重しない、全く無責任な話である。結果的にこれが8月15日の終戦(敗戦)まで、しっかりした指揮系統もないまま多くの日本兵や沖縄県民を縛り、悲劇を増幅させた。

〈生きて虜囚の辱めを受くることなく〉という箇所に、恥の文化にがんじがらめになった当時の日本人の問題点、というか欠陥が浮き彫りにされる。個よりも公(他人の目)が優先される。死を前提にした特攻という行為が許されたのも、この価値観が支配的だったからだ。そもそも切腹は決して美しい行為ではない。内臓は飛び出すし、介錯で頸動脈を斬ればあたり一面血の海だ。醜い死である。

神風特別攻撃隊に似た行為で沖縄で実行されたのが爆雷による肉弾攻撃。重箱くらいの大きさの箱に、火薬を詰める。タコツボに隠れて、敵戦車が来るとこの爆雷を抱いて飛び込む捨て身の戦法。やらされたのは兵隊ではなく、現地で動員された義勇隊だった。義勇隊と言っても名ばかりで半ば強制、疎開を許されなかった17歳から45歳までの男子が掻き集められた。この〈一人十殺一戦車〉の自殺戦法も『激動の昭和史 沖縄決戦』で描かれている。

日本兵は住民に鬼畜米英と教え込み、アメリカ兵につかまったら女は片っ端から強姦される、クロンボは赤ん坊を食いたがっている、などと言って脅した。だから怯えた住民は米軍に投降することが出来ず、青酸カリを飲んだり崖から投身自殺したりした。このあたりの詳しい事情は『沖縄決戦』や今井正監督の『ひめゆりの塔』をご覧あれ。

沖縄戦の実態は想像を絶する、悲惨な姿だった。これを学ぶ切っ掛けを作ってくれた故・大林宣彦監督に心から感謝したい。本当にありがとうございました。

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【考察】日本人と比較して、なぜ欧米人はマスクを嫌がるのか?〜文化的側面からその謎に迫る!

世界を席巻した新型コロナウィルス禍ではっきりしたことがある。日本人はなんの抵抗もなく自主的にマスクをするが(2020年7月末現在、通勤電車での装着率ほぼ100%)、ヨーロッパやアメリカ合衆国の人々はマスクをとても嫌がる。

2020年6月20日トランプ大統領がオクラホマ州で行った6,000人を超える大規模集会において、会場ではマスクが入場者に配布されたものの、実際に着用している人はほとんどいなかった。こちらの記事の動画をご覧頂きたい。この時、スタッフの数名がコロナに感染していたことが後に判明し、同規模の集会を開くことは二度と不可能になった。

感染が拡大する一方のフランスでは中々国民がマスクをしようとしないので、5月11日から国内全土で11歳以上の乗客に対し,公共交通機関利用時のマスク着用が義務付けられた。同義務違反は135ユーロ、日本円でおよそ1万6600円の罰金対象となっている。

イギリスでは7月24日からロンドンなどの都市でマスク着用を義務化する対象を公共交通機関に加え、店舗やスーパーを利用する際にも拡大する方針を明らかにした。着用しなかった場合は最大で100ポンド、日本円でおよそ1万3500円の罰金を支払わなければならない。あちらでは法律で取り締まり、多額の罰金を科さなければ埒が明かないのだ。彼らにとってコロナが流行る前は、マスクをするのは病人か医療従事者に限られると考えられていた。市中感染を予防するためにするという発想は皆無だったのである。次のような記事が参考になるだろう。

しかし日本では以前より、花粉が飛散する時期にマスクをする人は多かった。昔の暴走族やヤンキーも〈ファッションとして〉マスクをしていた

お隣の韓国でも日本と同様の風習があり、KPOPアイドルたちが〈ファッションとして〉マスクをしていた(詳細こちら)。

西洋と東洋のこの文化的価値観の違いは一体、何に由来するのであろうか?

日本のことわざ、慣用句には次のようなものがある。

以心伝心(元々は禅宗の語)

目は口ほどに物を言う

口は災いの元

いずれもコミュニケーションにおける目の優位性(>口)を表現している。

これに対して新約聖書「ヨハネによる福音書」の冒頭はこう記されている。

はじめに言葉ありき

欧米人にとって言葉によるコミュニケーションは何よりも重要で、契約書を重視する。旧約聖書に記されたモーセの十戒も石版に書かれた神との契約書(取り決め)である。一方、「日本人は契約という概念がない」「態度がはっきりしない」「何を考えているかわからない」と彼らから非難されることになる。

欧米人は幼少期から論理的に相手を言い負かすことを学ぶ。その典型例がアメリカ合衆国では高校の授業でも行われるディスカッションやディベート(Debate)である(詳細こちら)。兎に角、自分の意見を主張することが重要。ところが日本はそうじゃない。言外のニュアンスを大切にする。

日本独自の文化、和歌や俳句にもその特徴がよく出ている。31文字(和歌)や17文字(俳句)という短い言葉に凝縮して、気持ち・心を伝えようとする。一方、ヨーロッパの定型詩ソネットは14行から成り、長い。

日本の少女漫画の主人公は、やたらと瞳が大きい。極端な場合、顔の長径の1/4くらいあったりする(例えばこちら)。アメコミ(アメリカン・コミックス)や、フランスの漫画〈バンド・デシネ〉と比べれば、その違いは歴然としている。日本人にとって目は感情を表現する武器なのである。だから欧米と比較すると、日本ではサングラスが普及しない。サングラスをすると「人相が悪くなる」(ヤクザとか悪徳警官みたい)というイメージを持たれるから。目がコミュニケーションをとる主な手段となっている。

Jin
映画『仁義なき戦い』より

Alita

上の写真はジェームズ・キャメロンが製作・脚本を担当したした映画『アリータ:バトル・エンジェル』の一場面である。原作は木城ゆきとの漫画『銃夢』。原作に敬意を払い目が大きいままにしたため、リアルなCG映像だとどうしても違和感がつきまとうことになった。

欧米人は相手の口元を見てコミュニケーションを図るので、マスクが邪魔になる。しかし日本人は相手の目を見るのでマスクが妨げとならないという根本的な違いがあるのだ。

"Watch your mouth !"という慣用句がある。「言葉遣いに注意しろ、口のきき方に気をつけろ!」という意味である。しかしマスクをしていたら口をwatch出来ない。

Jul Ann

上の写真はジュリア・ロバーツとアン・ハサウェイである。ギョッとするくらい口が大きい。キャメロン・ディアスもそう。つまりアメリカでは口が大きいことが美人の条件になっている。では日本で、これだけ大口の女優が果たしているだろうか?僕は全く思いつかない。強いて言えば今井美樹だが、彼女は歌手活動が中心であり、映画女優として出演したのは『犬死にせしもの』など3作品しかない。

Uki

江戸時代の口紅は、主に紅花(べにばな)から作られていた。最も有名だったのは〈小町紅〉。 紅は大変高価なものだったので、唇いっぱいに塗るのではなく、小さく塗るのが一般的だった。口を小さく見せたいという意図もあっただろう。当時は〈おちょぼ口〉が美人の必須条件だった。

日本人は口を重視しない。だからマスクで覆い隠しても問題ないのである。

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