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以下ネタバレ前提で書いたので、『すずめの戸締まり』を未見の方は要注意。
1) 主題歌「すずめ」解題
(作詞・作曲)野田洋次郎「すずめ feat.十明」歌詞の冒頭部はそんなに難しくない。
君の中にある 赤と青き線
それらが結ばれるのは 心の臓
赤と青き線は言うまでもなく動脈と静脈のこと。ここで『君の名は。』のテーマである「結び」が登場する。肺静脈血は心臓を経て大動脈血に、大静脈血は肺動脈血になる。問題はこの後だ。
時はまくらぎ 風はにきはだ 星はうぶすな 人はかげろう
「にきはだ(和肌/柔膚)」は柔らかい肌のこと。フランソワ・トリュフォー監督に同名の映画があり、フランス語で"La Peau douce"という。
「うぶすな(産土)」は①その人の生まれた土地。②「産土神(うぶすながみ)」の略。「産土神」とは、その人が生まれた土地の守護神を指す。
「星はうぶすな」という歌詞は〈パンスペルミア説〉に由来する。『君の名は。』は間違いなく五十嵐大介の漫画『海獣の子供』の影響を受けているのだが、『海獣の子供』も〈パンペルミア説〉に基づいている。地球の生命の起源は地球ではなく、他の天体で発生した微生物の芽胞が(隕石と共に)地球に到達したものとする仮説。ギリシャ語でパン=汎(すべて)+スペールノ(種をまく)を意味し、〈胚種広布説〉とも邦訳される。紀元前5世紀に活躍した古代ギリシャの自然哲学者アナクサゴラスの提唱した概念、スペルマタ(種子:最も微小な物質の構成要素)にその起源を辿ることが出来る。『君の名は。』のティアマト彗星は1,200年周期で地球のそばを通過し、その度に分裂して地球に片割れを残していくわけだが、我々人類の種もそれにくっついてこの星にやって来たのかも知れない。
なお、庵野秀明『新世紀エヴァンゲリオン』も〈パンスペルミア説〉に立脚しており、黒き月に乗ってリリスが地球にやって来てファースト・インパクトを引き起し、リリスからリリン=人間が生まれた。
「まくらぎ(枕木)」は鉄道のレールの下に横に敷き並べる部材。古くは木材が用いられた。僕はこの歌詞から大村陽子(1956- )の歌集『砂がこぼれて』に収載されている、ある短歌を想い出した。
枕木の数ほどの日を生きてきて愛する人に出会はぬ不思議
つまり作者の視点・主観は走る電車上(乗客)にある。眼の前を、枕木がどんどん通過していく。「時はまくらぎ」とは、〈通り過ぎてゆく枕木ひとつひとつ=一瞬の時間〉ということだ。〈枕木一つ=プランク時間〉と考えても良いだろう。プランク時間とは量子力学における時間の最小単位のこと。時間は連続的に流れるのではなく、非常に短い「静止した時間」(=プランク時間)がパラパラ漫画のように次々と現れていることを意味する。
2) 蝶々結びとブレスレット
『君の名は。』の三葉は繰り返し蝶々結びをする。すずめの制服のひもリボンも蝶々結びだ。Radwimpsの野田洋次郎がAimerに楽曲提供した「蝶々結び」という歌があり、元々『君の名は。』のために用意されていた楽曲ではないかと僕は推定している。
また『君の名は。』の瀧は組紐のブレスレットをしている。すずめも左手に赤と黄色のブレスレット(ミサンガ?)をしている。これはポスターでも確認出来る。
3) 二匹の蝶
冒頭、夢から覚めたすずめに二匹の蝶がまとわりついていた。そして常世(とこよ)にて幼少期の自分自身と出会ったラストでも、そばに二匹の蝶がピッタリ寄り添っている。
僕にはこの蝶は静謐な常世(死後の世界)の象徴のように思える。中原中也の詩『一つのメルヘン』のように。あるいは〈胡蝶の夢〉という故事があり、夢と現実の区別がつかない状態をいう。すずめも常世と現世(うつしよ)を行き来することが出来る。
なお、新海監督の作品には二羽(つがい)で飛ぶ鳥が繰り返し出てくる。『秒速5センチメートル』しかり、『君の名は。』しかり。『すずめの戸締まり」冒頭、すずめと草太の出会いの場面でも上空を二羽の鳶が飛んでいた。一人っきりで飛ぶのはあんまり寂しいもの。
二匹の蝶は死んだ父親と母親なのではないかという説が巷で出回っているが僕は同意しかねる。本作において父親は重要ではない。四歳のすずめと十七歳のすずめを表しているのかも知れないし、すずめのなかに母が生きている(ふたりでひとり)と解釈することも可能だろう。
4) 他者の夢の中へ入っていく
新海誠監督の作品の大きな特徴は「他者の夢の中に入っていく」という描写があること。『君の名は。』もそうだし、『すずめの戸締まり』のすずめも映画後半で草太の夢の中に入っていく。これは稀有なことであり、他の日本の映画監督の作品では滅多にお目にかかれない。
『君の名は。』の企画の原点には小野小町が詠んだ和歌にあった。
思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを
平安時代の人々は「夢に人が現れるのは、その人が自分の事を思っているからだ」と解釈した。現代のフロイト的深層心理学の考え方と真逆である。つまり「真剣にある人のことを思えば、その人の夢の中に入っていける」というのが新海的思考なのである。今回の新作では井上陽水の歌う『夢の中へ』が流れるのが象徴的だ。最初に「探しものは何ですか?」と君に問いかけ、「それより僕と踊りませんか?」と夢の中へ誘う。これが「僕の夢」であろうと「君の夢」であろうと、必ずどちらかは「他者の夢」の中で踊ることになる。あるいは「夢の通い路」で繋がった共通の夢なのかも知れない。
はかなしや枕さだめぬうたゝねにほのかにまよふ夢のかよひぢ(式子内親王)
「他者の夢の中に入っていく」という観念に執着した映画監督としてMGMミュージカル映画『巴里のアメリカ人』で有名なヴィンセント・ミネリがいる。詳しくはフランスの哲学者ジル・ドゥルーズの著作『シネマ』を参照にされたし。
・ジル・ドゥルーズ「シネマ」〜哲学者が映画を思考する。 2017.12.07
またミネリから多大な影響を受けたデイミアン・チャゼル監督『セッション』『ラ・ラ・ランド』『ファースト・マン』も「他者の夢の中に入っていく」物語だ。チャゼルがしばしば「セカイ系」と揶揄されるのも、おそらくこれが原因だろう。
5) 公開時期の意味
昭和から平成前期の時代、アニメ映画興行の稼ぎ時は小中学生の春休みと夏休み、そして冬(正月)休みだった。子供が映画館に行くには保護者に付き添ってもらわないといけないし。東映まんがまつり、東宝チャンピオンまつりなどがそう。スタジオジブリ・宮崎駿監督の『となりのトトロ』『魔女の宅急便』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』なども夏休み興行だった。休みが一番長いから儲かるわけだ。
しかし2016年(平成28年)に公開された『君の名は。』の頃からこのセオリーは崩れ始める。この年、東宝は夏休み興行の目玉として『シン・ゴジラ』で勝負した。公開日は7月29日。そのため余り期待されていなかった『君の名は。』は8月26日に追いやられた。ことろが!蓋を開けてみると『シン・ゴジラ』の興行収入は82.5億円で『君の名は。』は250.3億円。後者の圧勝だった。理由は主に2つ挙げられる。
まず『君の名は。』のターゲットが小中学生でなかったこと。高校生から大学生、10代後半〜20代の若者に刺さる映画を目指した。彼らは親の付添が不要だから学校帰りに映画館に立ち寄れるわけだ。
第2に、公開時期のおかげで直ぐに学校が始まり、教室で「『君の名は。』良かったよー」と口コミで映画の評判が伝播した。またSNSが普及し、観た人の感想が拡散されたことも功を奏した。つまりバズったのだ。結果、その波は中高年にまで広がった。「アニメは子供が観るもの」という昭和の常識は、とっくに遠い過去のものとなっていたのである。
そして長い間歴代興行成績ランキングのトップに君臨していた『千と千尋の神隠し』の記録を破った『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』の公開日は2020年10月16日だった。昭和の常識で言えば閑散期の興行である。しかし逆に、この時期だとライバルとなる作品が少ない。しかも映画館の多くはシネコンになっている。故に『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』はスクリーンを独占することが可能になり、稼ぎまくった。
つまり『すずめの戸締まり』の公開日11月11日も『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』のひそみに倣ったのである。たとえば公開初日、TOHOシネマズ渋谷で『すずめの戸締まり』の上映回数は30回だった。また『君の名は。』『天気の子』と違って『すずめの戸締まり』は初日からIMAXでの上映も同時に始まった。IMAXは入場料の単価が高いので、興行収入の上乗せが出来る。
6) 東京の地下空洞(後ろ戸のある場所)
山田太一(原作)・市川森一(脚色)・大林宣彦(監督)の『異人たちとの夏』には東京の誰もいない地下鉄のゴースト・ステーションが登場する。たしかこの場面は原作小説にはない、映画オリジナルだった筈だ。
『君の名は。』は明らかに大林映画『転校生』と『時をかける少女』の影響を受けている作品なので、新海監督が『異人たちとの夏』を参考にしている可能性も0ではないだろう。
7) 年上の女性への憧れ・恋
『言の葉の庭』『君の名は。』そして『すずめの戸締まり』における岩戸環と岡部稔の関係も、新海作品には繰り返し年上の女性への恋心というテーマが登場する。
村上春樹の小説『ノルウェイの森』のレイコさんの印象も重なっていると思うが(『君の名は。』の奥寺先輩は「幸せになりなさい」と、レイコさんと同じ言葉を残す)僕は高橋留美子の漫画『めぞん一刻』の影響が強いと考える。
週刊ビッグコミックスピリッツのインタビューで、新海監督は次のように語っている。
『めぞん一刻』とか、高校大学くらいの時に読んで、「五代くんみたいに生きられたらなあ」って思いましたから。(中略)「年上の女性ってきっと知的なんだろうなあ」って思ったり。
・【考察】高橋留美子「めぞん一刻」はラブコメの元祖?(新海誠「天気の子」との関係も)
なお新海監督自身は4つ年下の女性と結婚している(ふたりの間に生まれた娘が新津ちせ。映画『3月のライオン』『喜劇 愛妻物語』や朝ドラ『エール』『カムカムエブリバディ』などに出演)。
8) ダイジンとサダイジン
猫のダイジンとサダイジンという名称については、巷で沢山の憶測が渦巻いている。ダイジンは『平家物語』で幼くして入水する安徳天皇ではないかだの、サダイジンは日本三大怨霊の平将門ではないかというトンデモ説も飛び出した。
僕はここで、ダイジンはすずめが幼い頃から持っていた箱に書かれた「すずめのだいじ」に由来するのではないか、という説を提唱する。すずめは冒頭、やせ細った猫を見て「うちの子になる?」と言う。そこで猫は「すずめは僕のことが好き、〈すずめのだいじ〉なんだ」と思う。次に東京でダイジンは「すずめは僕のことを好きじゃなかったんだ」と知り、一気にやせ細り喋らなくなる(ここは『魔女の宅急便』のキキの振る舞いへのオマージュでもある)。
さらに左大臣と右大臣は天皇の臣下の最高位である。だから安徳天皇である筈もないし、官位が低かった平将門でもない(将門は検非違使にもなれず天皇の護衛をする〈滝口の武士〉に過ぎなかった)。
では『すずめの戸締まり』でダイジンとサダイジンは誰に仕えているのか?草太の台詞で「気まぐれは神の本質だからな」とあるので八百万の神のひとりであることは間違いない。で、その頂点に立つのは太陽神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)である。こう考えるとヒロインの名前・岩戸鈴芽(いわとすずめ)が天岩戸(あまのいわと)伝説と関連があり、アメノウズメとしての役割を果たしていることと合致する。つまり天照の命を受け、臣下のダイジンとサダイジンは要石の役割を担ってきたのだと考えられる。
古代中国に「天子は南面し 臣下は北面す」という言葉がある。故に京都御所で天皇は南を向いて座す。一方、左大臣・右大臣は天皇の補佐役として、左大臣は天皇から見て左側、つまり東側に立つ。日が昇る方角(東、つまり左手側)の方が位が高い。だからミミズの頭と尻尾を抑えるとき、サダイジン(の要石)は東の東京に、ダイジンは西の宮崎に置かれた。
9) 父親殺しから父親不在へ
新海誠監督の前作『天気の子』ではギリシャ悲劇『エディプス王』的“父親殺し”がテーマになっていた。主人公の家出少年・帆高(ほだか)は顔に怪我をしていることから、父親に殴られたことを示唆しており、フェリーで知り合ったライターの須賀が父親代わりとなるが、最終的に帆高は須賀に拳銃を向け、発砲する。これは心理的な〈父親殺し〉を表現している。
新海監督は長野県小海町の建設会社新津組社長の息子として生まれた。父は息子に家業を継がせるつもりだったと、あるインタビューで語っている。しかし結局家業を継がずアニメーション作家になった。建設会社を営む父と、その息子の葛藤は『君の名は。』のテッシーのエピソードとしても描かれている。
恐らく父に対する罪悪感、エディプスコンプレックスは〈父親殺し〉という通過儀礼を経て吹っ切れたのだろう、『すずめの戸締まり』は〈父親不在〉の物語になった。すずめに父の記憶はないし、草太に両親はなく、祖父に育てられた。また旅の途中で出会う神戸のスナックのママ・二ノ宮ルミは女手一つで幼い双子を育てている。父親が消えた代わりに本作で描かれるのは女同士の連帯・共感だ。このシフトは恐らく、東日本大震災の前年に新海監督に娘が生まれて、その成長を見守ってきたことと無関係ではないだろう。
10) 二ノ宮ルミ
前項でも書いたが女手一つで幼い双子を育てる神戸のスナックのママ、二ノ宮ルミという女性が登場する。神戸には実際、二宮商店街がある。そして阪神淡路大震災以降、鎮魂と追悼、そして街の復興を祈念し電飾による光の祭典「神戸ルミナリエ」が毎年12月に行われてきた(新型コロナ禍で中止に)。 イタリア語luminarieはluminaria(イルミネーション)の複数形。またフランス語でlumière(ルミエール)は「光」という意味。つまり震災のショックから立ち直り、明るく生きている二ノ宮ルミはすずめにとって「光」のような存在ということなのだろう。
ここで新海誠が愛してやまない作家・村上春樹が翻訳したスコット・フィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』の最後を引用しよう。
Gatsby believed in the green light, the orgastic future that year by year recedes before us. It eluded us then, but that’s no matter ― tomorrow we will run faster, stretch out our arms farther. . . . And one fine morning ――
So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.
ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。……そうすればある晴れた朝に――
だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。
(村上春樹 訳)
つまり『グレイト・ギャツビー』における緑の灯火=『すずめの戸締まり』の二ノ宮ルミなのだ。そして忘れてはならないのは神戸は村上春樹が青春時代を過ごした街であり、初期三部作『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』に登場するジェイズ・バーのモデルになったジャズバー「レフトアローン」は神戸市の隣・芦屋市にあった。
11) NTTドコモ代々木ビル(ドコモタワー)
『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』『君の名は。』『天気の子』で描かれるドコモタワーは勿論、『すずめの戸締まり』にも登場する。これはフランソワ・トリュフォー監督におけるエッフェル塔と同じ役割を果たしている。詳しくは下記事をお読みください。
・ 時は来た(This Is the Moment)!今こそ語り尽くそう〜新海誠「秒速5センチメートル」超マニアック講座
12) 常世(とこよ)と現世(うつしよ)
この項目については、レヴィ=ストロースによる構造人類学と、ユング心理学の手法を用いて詳しく語る必要があるので、後日追加記事を書くことにしたい。乞うご期待!
エピローグ)
僕は公開初日に大阪エキスポシティで日本最大のスクリーンIMAXレーザー/GTで観たのだが、その後、兵庫県西宮市にあるTOHOシネマズのIMAXレーザーで鑑賞し、驚愕した。スクリーンが余りにも小さいのである!!エキスポシティは横39席。スクリーン幅26m 高さ18m。西宮OSは横が31席。スクリーンサイズは公表されておらず、IMAXに改装される前のスクリーンは幅14m 高さ5.8mだった。調べてみると実際に公表されているものでキャナルシティ博多のIMAXレーザー・スクリーンは幅が15.1m 高さ8.4mしかない。面積比で考えるとエキスポのスクリーンは3.7倍だ。最高品質を自慢するIMAXでもピンキリだなと思った。
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