深層心理学/構造人類学

2023年10月28日 (土)

木下晴香(主演)ミュージカル「アナスタシア」と、ユヴァル・ノア・ハラリ(著)「サピエンス全史」で提唱された〈認知革命〉について

ミュージカル『アナスタシア』を梅田芸術劇場@大阪市にて観劇した。

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From Screen to Stage ーアニメーション映画から舞台ミュージカルへ。本作が成立した経緯は宝塚歌劇版のレビューで、微に入り細を穿つ解説を書いた。

 ・ 真風涼帆(主演)宝塚宙組「アナスタシア」と、作品の歴史を紐解く。 2020.12.02

今読み返しても情報量は必要十分、我ながら「熱いよね!」(by 宮藤官九郎『あまちゃん』)と思う。

上記事にもある通り、日本初演は木下晴香と葵わかなのダブル・キャストで 2020年3月に幕を開けたのだが、当時猛威を奮っていた新型コロナ・ウィルス禍のため東京公演は度々中断し、挙句の果て大阪は全公演中止になってしまった(その時の告知はこちら)。僕の手元にあったチケットは払い戻しとなり、3年という歳月を経て漸くリベンジを果たした!!歌舞伎や落語『淀五郎』にもなった浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』になぞらえるなら、正に「遅かりし由良之助。待ちかねたァ」。

20世紀フォックスが初めて製作したアニメーション映画『アナスタシア』は1998年9月の公開時(僕は岡山市に住んでいた)テアトル岡山で観ている。その少し前、同じ20世紀フォックスの超大作『タイタニック』は当時としては珍しく日米同時公開で、初日の1997年12月20日にやはりテアトル岡山で観た。音響の悪い古びた映画館で時代の波に呑まれやがて閉館し建物は解体、その跡地は駐車場に成り果てた。まるで映画『ニュー・シネマ・パラダイス』みたいな話だ。2019年に20世紀フォックスはディズニーに吸収合併され「20世紀スタジオ」と名称が変更。今や『アナスタシア』も『タイタニック』もDisney+から配信されている。

 ー夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡ー

『アナスタシア』のスタッフである作詞:リン・アレンス、作曲:ステファン・フラハティ、台本:テレンス・マクナリーはミュージカル『ラグタイム』でも組んでおり、マクナリーは『ラグタイム』を含めトニー賞を4度受賞している。そして『ラグタイム』も遂に今年、日本でお披露目された。

 ・ 石丸幹二・安蘭けい・井上芳雄 /ミュージカル「ラグタイム」待望の日本初演!

快哉を叫びたい心境である。

マクナリーの台本は、そりゃ『ラグタイム』の方が完成度が高いのは確かだが、『アナスタシア』も悪くない。特に過去の名作ミュージカルを彷彿とさせる瞬間がいくつもあり、心がときめいた。例えば二人の詐欺師ディミトリとヴラドが、しがない道路清掃員アーニャを皇女アナスタシアに仕立て上げようと教育する場面で『マイ・フェア・レディ』を想起しない人はいないだろう。ここで歌われる"Learn to Do It"は『マイ・フェア・レディ』でヒギンズ教授とピカリング大佐が歌う“でかしたぞ (You Did It)”に呼応している。つまり"You Did It"が過去の成功について会話しているのに対して、"Learn to Do It"はこれから起こる未来の可能性を語っているのだ。第1幕最後はアカデミー賞の歌曲賞にノミネートされた超名曲"Journey to the Past"をアーニャが歌い上げ感動的に締め括られるが、ヒロインのソロで第1幕が幕を閉じるのは『エリザベート』(私だけに)の記憶が蘇る構成になっている(『エリザベート』も皇室ものだ)。宝塚版が許しがたかったのは、この"Journey to the Past"をディミトリにも歌わせたこと。いくらヅカが男役中心の世界観だからといって、娘役最大の見せ場を横取りしないで欲しい。犯罪にも等しい暴挙である。作・演出の稲葉太地は猛省し、小池修一郎の爪の垢でも煎じて飲め!

幼い頃に聴いた子守唄"Once Upon a December"が主人公の記憶を蘇らせる引き金(trigger)になるという仕掛けはロマンティックで素敵だ。ドヴォルザークが作曲した『我が母の教えたまいし歌 』とか、クリスティーナ・リッチが主演した映画『耳に残るは君の歌声』を思い出させる。

さて10月22日(日)ソワレのキャストは、

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10月24日(火)ソワレのキャストは、

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30年に及ぶ僕のミュージカル観劇歴において、日本人では木下晴香こそNo.1の歌唱力であると断言しても良い。女優で彼女に匹敵するのは、全盛期(宝塚歌劇時代〜『レ・ミゼラブル』コゼット役まで)の純名里沙くらいだろう。いや、日本人に限定しなければディズニー版『アイーダ』ブロードウェイ・オリジナル・キャストのヘザー・ヘッドリー(トニー賞ミュージカル主演女優賞受賞)とかミュージカル『カラー・パープル』のシンシア・エリヴォ(トニー賞ミュージカル主演女優賞受賞) 、『リトル・マーメイド』のシエラ・ボーゲス 、『ミス・サイゴン』のレア・サロンガらの名前が挙げられるが、つまりそのレベルということだ。少なくとも『アナスタシア』ブロードウェイ・オリジナル・キャストであるクリスティ・アルトモアより木下のほうが上。もうその第一声から「なんて美しい歌声なんだろう!」と、ウットリ聴き惚れた。完璧。

 ・ 生田絵梨花(乃木坂46)vs. 新星・木下晴香/ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」 2017.03.04
 ・ 音楽の天使が舞い降りた!!〜ミュージカル「ファントム」 2019.12.12

木下晴香はディズニー映画 実写『アラジン』吹替版でジャスミン姫に起用されたわけだが、神田沙也加亡き後(彼女の死は本当に辛い出来事だった。実現しなかった『マイ・フェア・レディ』大阪公演のチケットは払い戻しした)、『アナと雪の女王 3』吹替版のアナ役は木下に是非やってもらいたい。

他のダブル/トリプル・キャストについて。ディミトリ役は内海啓貴(うつみあきよし)、グレブ役は激しい感情を顕にする海宝直人(かいほうなおと)が良かった。ヴラド役については、流石に石川禅が演技も歌も巧者で感心したが大澄賢也も味わい深く、甲乙付け難い。

ダルコ・トレスニャクは奇をてらわないオーソドックスな演出で、まぁ目を瞠るような斬新な場面はないけれど、安心して観劇出来る感じかな。背景に高精細LED映像を駆使した美術が見応えあり。

僕はイングリット・バーグマンがユル・ブリンナーと共演し、アカデミー主演女優賞を受賞した映画『追想』(原題:Anastasia)の頃からこの物語が大好きなのだが(アルフレッド・ニューマンの音楽も素晴らしい!)、どうしてこれ程迄に惹き付けられるのだろうとよくよく考えてみた。

本作のテーマは「うそを信じる力」であり、それは本質的に「人間とは何か?」という問いに深く関わっているのではないだろうか?ベストセラーになり、バラク・オバマ(アメリカ元大統領)も絶賛したユヴァル・ノア・ハラリの著書『サピエンス全史』で〈認知革命〉という概念が提唱される。古代の地球にはホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)、ホモ・ソロエンシス、ホモ・エレクトス、ホモ・デニソワなど、様々なホモ属が生きていた。しかし最終的にホモ・サピエンスだけが生き残り、他のホモ属は駆逐された。その違いは何だったのか?それが約七万年前サピエンスだけに起こった〈認知革命〉だと著者は言う。それは「虚構(うそ)を共有する能力」のこと。〈認知革命〉以降、神話や物語(フィクション)、噂話が生まれ、人々が団結することに役立った。そしてダンバー数(人々が円滑・安定的に関係を維持することができる人数)=150人を突破出来るようになったというのだ。キリスト教を例に考えてみよう。聖母マリアは男女の交わりなしにイエスを身ごもった(処女懐胎)。イエスは水の上を歩き、十字架にかけられ磔刑3日後に復活する。こういった虚構(フィクション)に基づき宗教は信者を増やし、大きな勢力となっていった。日本の天皇制も天照大御神(あまてらすおおみかみ)の末裔であるという神話(神道)に支えられている。通貨制度もまた、硬貨や紙幣そのものに「価値がある」と信じる虚構(フィクション)に立脚している。つまり〈認知革命〉なくして国家の統一はあり得なかったのだ。

僕たちが映画や芝居を観て感動するのも、そこには「うそを信じる力」が介在している。それこそが「人の人(ホモ・サピエンス)たる所以」なのだ。

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2023年10月20日 (金)

村上春樹「街とその不確かな壁」とユング心理学/「影」とは何か?/「君たちはどう生きるか」との関係

これは下記事の続きである。

 ・  村上春樹「街とその不確かな壁」をめぐる冒険(直子再び/デタッチメント↔コミットメント/新海誠とセカイ系/兵庫県・芦屋市の川と海) 

村上春樹はユング心理学から多大な影響を受けている。そのことはスイスにあるユング研究所で研鑽を積み、日本人として初めてユング派分析家の資格を得た河合隼雄と村上が何度も対談を重ねていることからも伺い知れるだろう(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』『こころの声を聴く―河合隼雄対話集』いずれも新潮文庫)。例えば小説『ねじまき鳥クロニクル』において主人公が井戸の底に下りていって瞑想するという行為は、深層心理の奥底に潜ることを象徴している。そこには集合的無意識があり、他者と繋がることが出来る。それが〈壁抜け〉だ。主人公は時空を超えノモンハン事件当時の満州国に直列接続する。

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村上に心酔するアニメーション監督・新海誠はこのアイディアを映画『君の名は。』に応用した。夢(=集合的無意識)の中で瀧と三葉は出会い、体が入れ替わるが、ふたりの間には東京と飛騨地方という距離の隔たりと、3年という時間のずれがあった。

 ・ 【考察】神話としての「君の名は。」〜その深層心理にダイブする。 2016.09.10

村上の新作小説『街とその不確かな壁』の主人公(ぼく)は、消息不明になった女の子(≒『ノルウェイの森』の直子)が語っていた、高い壁に囲まれた「街」になんとか辿り着く。「街」は集合的無意識のメタファーだから、その図書館で彼女に再会することになる。主人公に与えられた仕事は〈夢読み〉だ。

「街」の住人には影がない。主人公(ぼく)も「街」に入るために門番の手で影を切り離される。「影」とは何か?二つの解釈が考えられる。

まず第一に、ユング心理学における「影」だ。河合隼雄の著書に『影の現象学』があるので、一読をお勧めしたい。詳しい解説は下記事に書いた。

 ・ 〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その3〉影・トリックスター・ヌミノース 2019.06.07  

「影」はひとの無意識の中にあり、本能に結びついたこころの原初的なイメージ=元型(Archetype)の一つだが、『街とその不確かな壁』第二部に登場する図書館の前館長・子易さんは元型における「老賢人」だし、イエロー・サブマリンの少年は「子供(永遠の少年)」。そしてきみ(直子)は「アニマ」だ。

 ・ 〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その2〉太母・老賢人・子供・アニマ・アニムス・ペルソナ 2019.06.06

「影」のもう一つの解釈として20世紀末ウィーンの文化を代表する作家フーゴ・フォン・ホーフマンスタールが書いた『影のない女』に触れておきたい。リヒャルト・シュトラウスが作曲したオペラの台本だが、小説版もあり、内容は若干異なる。村上春樹は『騎士団長殺し』の中でリヒャルト・シュトラウスの歌劇『ばらの騎士』を登場させており、『ばらの騎士』の台本を執筆したのもホーフマンスタールである。『影のない女』のあらすじはこうだ。

東方の皇帝は狩りの途上でガゼル(羚羊)に変身していた霊界の大王カイコバートの娘を捕らえ、人の姿に戻った彼女を妻にする。しかしカイコバートの呪いにより、結婚から12ヵ月以内に皇后に影が出来なければ皇帝は石の体と化してしまうと宣告される。また影がないと后は子供を産めない。乳母は彼女に「人間の世界に降りてゆくと影が手に入る」と教える。二人は下界に降り、子供を欲しいと思っていない染物師の若い妻から影を得ようと画策する。

つまり「影」は〈子供を生む=自分の遺伝子を転写・複製する〉能力のメタファーになっている。霊界の住人は「影」を持つ必要がない。なぜなら永遠の命を有しているから。一方、人間は命が有限だから次世代に遺伝子をつなぐために「影」が必要なのだ。

フランスの構造人類学者レヴィ=ストロースは「神話論理」四部作の中で次のように語っている。

神話とは自然から文化への移行を語るものであり、神話の目的はただ一つの問題、すなわち連続不連続のあいだの調停である。

この原理はそのまま『影のない女』と『街とその不確かな壁』に当てはまる。人間は「影」を持つが故に不連続(mortal)であり、「影」を切離すことによって連続する(immortal)存在=「街」の住人になれる。人間の寿命を超えて生き続けるドラキュラ(や、ポーの一族)にも「影」はないし、生殖能力もない。

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興味深いことに宮崎駿監督の新作アニメ『君たちはどう生きるか』も『街とその不確かな壁』と似た構造を持っている。主人公の少年・眞人は大伯父が建てた塔がある洋館に入っていくが、ここは「街」と同じく集合的無意識のメタファーであり、塔の中で彼は時空を超えた人物たち(明治時代に生きた大伯父や若き日の母など)と出会うことになる。

 ・ 【考察】完全解読「君たちはどう生きるか」は宮﨑駿の「8 1/2」(フェデリコ・フェリーニ監督)だ!!
 ・ 
【考察】なぜ「君たちはどう生きるか」は評価が真っ二つなのか?/ユング心理学で宮﨑駿のこころの深層を読み解く

村上春樹は若い頃から子供を作らないと決めていた。今までに生み出して来た作品群こそが彼の子供たちと言えるだろう(つまり〈夢読み〉とは小説を書く彼自身のことだ)。ただ『街とその不確かな壁』に登場するイエロー・サブマリンの少年の描写を読んでいると、やっぱり息子が欲しかったんじゃないかな。そんな苦い後悔がちょっぴり滲み出しているように感じるのは、果たして僕だけだろうか?

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2023年7月28日 (金)

【考察】なぜ「君たちはどう生きるか」は評価が真っ二つなのか?/ユング心理学で宮﨑駿のこころの深層を読み解く

ネタバレ前提で語ります。ご注意ください。また下記も併せてご一読ください。

 ・ 謎に包まれた宮崎駿監督の新作「君たちはどう生きるか」最速レビュー
 ・ 【考察】完全解読「君たちはどう生きるか」は宮﨑駿の「8 1/2」(フェデリコ・フェリーニ監督)だ!!

名字をからに改名した新生・宮﨑駿監督『君たちはどう生きるか』は賛否両論、面白いくらい評価が真っ二つである。公開から一週間後、「Yahoo!映画」で最高の5つ星をつけたユーサーが30%、星1つは36%、5点満点で平均2.9点だった。

これだけ極端に分かれる理由の一つに、主人公の少年が寡黙で、彼の感情の動きが読み取り難いことが挙げられるだろう。特に新しい母となる、夏子と対面してしばらくは、ほぼ無言である。だから彼が自傷行為をして額からおびただしい血を流す場面で観客はギョッとするのだ。想像力を駆使しなければ理解出来ない。そこに描かれないこと、語られない気持ちを頭の中で補わなければならない。

宮さんの前作『風立ちぬ』の主人公・堀越二郎も寡黙な人で、公開当時はやはり賛否両論だった。そのことについて下記事で論じた。

 ・ 想像力についての考察(「風立ちぬ」「桐島」そして「秒速5センチメートル」を巡って) 2013.08.23

自分が書いたものを10年ぶりに読み返し、映画『8 1/2』と結びつけて語っていたことに驚いた。すっかり忘れていたのだが、既に『風立ちぬ』の時点で宮崎駿のフェリーニ化現象に無意識のうちに気付いていたのだ。

『君たちはどう生きるか』を観た若い人が「さっぱり理解出来ない」=「詰まらない」と短絡的に思考する理由が僕にも良く判る。だって高校生のときに『8 1/2』を観た僕も全く同じだったから。だから決して諦めないで。これからも沢山の映画を観たり、小説を読んで学ぶ姿勢を持ち続ければ、いつかきっと君は次のフェーズにたどり着ける筈。それが「生きる」ということ。もし自分を磨かなければ……アホな大人になるだけだ。

『君たちはどう生きるか』の異世界は混沌としている。chaosだ。ユング心理学的に言えば集合的無意識に相当する。夢を見ているようなものだから、支離滅裂で論理的ではない。秩序をもたらすのは人の意識・自我である。

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さらに宮さんは〈集合的無意識≒アートの世界≒今まで自分が携わってきたアニメーション映画の総体〉と見なしている。メタファーに満ちているのでひとつひとつの記号(キャラクター・事物)が何を象徴しているのかじっくり考える必要がある。しかし世の中には見たまま、表面的にしか捉えない人々が少なからずいるので、「わけがわからない」「老いぼれたジジイの戯言だ」「退屈して途中で寝た」という感想になってしまう。そういう意味で、不親切な映画であることは確かだ。アートだから。

集合的無意識は時間や空間を超越する共時的世界だ(↔対義語は「通時的」)。過去・現在・未来が同時にそこにある。フェリーニは次のように語っている。

「我々は記憶において構成されている。我々は幼年期に、青年期に、老年期に、そして壮年期に同時に存在している。」

だから『君たちはどう生きるか』で大伯父が塔に入った時期と、少女時代の母が1年間神隠しにあった時期、そして眞人が入ったタイミングは何十年もかけ離れているのに、3人は共存出来るのだ。オーストラリアの先住民・アボリジニの思想〈ドリームタイム(夢の時)〉も同じこと。

 ・ アボリジニの概念〈ドリームタイム〉と深層心理学/量子力学/武満徹の音楽

面白いのは『ふしぎの国のアリス』同様、主人公は下に落ちて異世界に行く。まさに〈こころの深層に潜っていく〉イメージだ。ユング心理学に強い影響を受けた村上春樹の小説『ねじまき鳥クロニクル』で言えば〈深い井戸の底に下りて瞑想する〉ことに相当する(こちらも鳥だ!)。

『君たちはどう生きるか』の大伯父はユング心理学で言うところの集合的(家族的・文化的)無意識 Collective unconsciousの中にある、元型 Archetype のひとつ、老賢人(The Wise Old Man)である。少女時代の母ヒミや、キリコは太母(The Great Mother)。慈しみ、すべてを優しく包み込む良い母親像。育み、支え、成長と豊穣を促進する。母に似た夏子はアニマ(男性が抱く内なる女性像)と太母が融合した姿(心的複合体 Complex)。松本零士「銀河鉄道999」ではメーテルが相当する。ムッソリーニがモデルのインコ大王とその軍隊は影(シャドウ)、そしてサギ男(=鈴木プロデューサー)はトリックスターだ。

 ・ 〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その2〉太母・老賢人・子供・アニマ・アニムス・ペルソナ 2019.06.06
 ・ 〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その3〉影・トリックスター・ヌミノース 2019.06.07

ヒミとキリコは少量のを巧みに操り生活に役立てる。は文化の象徴であり、ギリシャ神話のトリックスター・プロメテウスが天上のを盗み、人類に与えた。しかし、過ぎたるは及ばざるが如し。大火は災いをもたらす。それは眞人の母を焼き尽くした火事の炎であり、『風の谷のナウシカ』で語られる火の七日間だ。勿論、東京大空襲や広島・長崎に落とされた原爆のメタファーとなっている。ことわざにもあるではないか、「馬鹿と鋏は使いよう」。

こうやって腑分けしていけば、そんなに難解な作品ではないでしょう?イマジネーションが溢れ出る、真っ当な傑作だと僕は思う。

人生は祭りだ、共に生きよう!」(E' una festa la vita, viviamola insieme! )  〜映画『8 1/2』より

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2023年7月22日 (土)

【考察】完全解読「君たちはどう生きるか」は宮﨑駿の「8 1/2」(フェデリコ・フェリーニ監督)だ!!

ネタバレ前提で語ります。ご注意ください。

 ・ 謎に包まれた宮崎駿監督の新作「君たちはどう生きるか」最速レビュー 2023.07.14

〈タイトルに込められた思い〉

本作は宮﨑駿(以下「宮さん」と呼ぶ)の「俺はこう生きた。君たちはどうするんだ」という我々観客、あるいは庵野秀明・細田守・新海誠ら後進のアニメーション作家に対する問いなのだろう。『君たちはどう生きるか』は1937年に刊行された吉野源三郎の小説で、映画の主人公・眞人がこの本を読み涙する場面はあるが、内容的にはほとんど関係がないと言って差し支えない(鈴木敏夫プロデューサーもそう断言している)。タイトルを拝借しただけ。むしろ筋書きは宮さんが帯に推薦文を書いたジョン・コナリー著『失われたものたちの本』(田内志文訳、創元推理文庫)に寄り添っている。鈴木プロデューサーは次のように語った。

「宮さんが一冊の本をぼくに提示した。『読んでみて下さい』。アイルランド人が書いた児童文学だった」(『スタジオジブリ物語』)

そして宮さんは『失われたものたちの本』に自分の体験を重ねた。彼は1941年東京生まれ。一族が経営する宮崎航空機製作所は数千人の従業員を擁したそう。太平洋戦争が始まり製作所が移転したために幼児期に家族で宇都宮に疎開し、小学校3年生まで暮らした。父の会社は零戦の風防(キャノピー:航空機の操縦席を覆う窓のこと)を作っていた。「戦争中なのに裕福だった」という。また彼が6歳のときから母は脊椎カリエス(結核菌が脊椎へ感染した病気)を患い、寝たきりの生活を送っていた。そんなある日「おかあさん、おんぶして」とねだると、「それは出来ないのよ」 と断られてしまう。そして次第に「本当に自分は母親に愛されているんだろうか」「自分は生まれてこなければ良かったんだじゃないか」と思い詰めるようになる。これらのエピソードが今回の映画に投影されている。つまり本作の主人公・眞人は少年時代の宮さんの分身である。

と同時に眞人の大伯父も現在の年老いた自己の分身と言える。映画に登場する異世界は大伯父が空から降ってきた飛行石と契約を結び(ハウルとカルシファーの関係を想起させる)創ったものという設定だ。異世界=大伯父の無意識・夢・願望の産物。そこに眞人やヒミ(眞人の母親の少女時代)、夏子(ヒミの妹/眞人の新しい母親)が現実逃避するための避難所・安全地帯という意味合いも重ねられ、心的複合体(complex)になっている。

〈『8 1/2』と宮﨑駿〉

〈大伯父=アーティスト=宮﨑駿〉と見立てれば、〈異世界=アート(imaginationの総体)=宮さんがこれまでに仲間たちと創造したアニメーション作品群〉となるだろう。つまり本作は宮﨑駿版『8 1/2』なのだ。

フェデリコ・フェリーニ監督『8 1/2』は1963年のイタリア映画。米アカデミー賞の外国語映画賞(現在の名称は国際長編映画賞)を受賞し、日本ではキネマ旬報ベストテンで外国語映画第1位に選出された。後世に多大な影響を与えた作品で、カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いたボブ・フォッシー監督『オール・ザット・ジャズ』や北野武『監督・ばんざい!』、ウディ・アレン『地球は女で回っている』も『8 1/2』の明白なパスティーシュである。こんな話だ。フェリーニの分身である映画監督グイドが主人公。新作映画を撮ろうとするグイドの混乱と焦燥、幻想、少年期の追想などが混沌とした状態で描かれる。8 1/2とは、本作がフェリーニが単独で監督した長編映画8作目であり、さらに処女作『寄席の脚光』がアルベルト・ラットゥアーダと共同監督だったため半分(1/2)とカウントしている。『8 1/2』は後にブロードウェイ・ミュージカル『NINE』に生まれ変わり、アカデミー作品賞を受賞した『シカゴ』や実写版『リトル・マーメイド』のロブ・マーシャル監督が映画化した。どうして半分(1/2)増えたかといえば、歌と踊りが加わったからである。

 ・ 城田優(主演)ミュージカル「NINE」 2020.12.10
 ・ ミュージカル映画「NINE」と冬季オリンピック 2010.03.22

2023年6月18日に放送されたTOKYO FM『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』〜「日本テレビとジブリ」についての座談会(その2)で、鈴木プロデューサーは宮﨑駿に『8 1/2』『魂のジュリエッタ』などフェリーニの映画を3本紹介したと語った。宮さんは最初から最後まで瞬き一つせず全部観た。そして観終わった瞬間「これ誰?俺と同じこと考えている奴がいる」と言った。

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大伯父が積む13個の積木は宮﨑駿が今までに監督したアニメーション映画のメタファーだというのが既に『君たちはどう生きるか』を観たレビュアーたちの一致した意見(consensus)だ。しかし『ルパン三世 カリオストロの城』から『君たちはどう生きるか』まで長編映画が12本。残る1本は?という点で意見が割れている。高畑勲が監督し宮さんが原作・脚本・画面設定を担当した『パンダコパンダ』を挙げる人、宮さんが監督した短編映画『On Your Mark』(上映時間6分48秒/『耳をすませば』と併映)、あるいは近藤喜文が監督し宮さんが製作・脚本・絵コンテ・主題歌『カントリー・ロード』の補作詞まで手掛けた『耳をすませば』だと言う人もいる。僕の見解を述べれば『8 1/2』的に数えると『On Your Mark』単独だと1/2〜1/10くらいにしかならないので、『On Your Mark』+『耳をすませば』で1本(あるいは脚本などで宮さんが関わった『借りぐらしのアリエッティ』や『コクリコ坂から』を加えても良いだろう)といった具合に、合わせ技・複合体(complex)としてカウントしているのではないだろうか?

〈サギ男とは何者か?〉

青鷺火(あおさぎび)という言葉がある。サギの体が夜間、青白く発光するという怪現象のことだ。つまりサギは人をあやかす存在である。

本作に於けるサギ男(青サギ)は現世と異世界を行き来するトリックスターの役割を果たす。いたずら者のトリックスターは境界に存在する。シェイクスピア『夏の夜の夢』の妖精パック、『ふしぎの国のアリス』の白うさぎ、『ピーターパン』のティンカーベル、『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラム、『古事記』『日本書紀』のスサノオ(須佐之男命)、ゲーテ『ファウスト』のメフィストフェレスなどが該当する。詳しくは下記事に書いた。

 ・ 〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その3〉影・トリックスター・ヌミノース 2019.06.07

サギ男とは、ズバリ鈴木敏夫プロデューサーのメタファーだろう。〈サギ=詐欺〉というダブルミーニングも含まれており、「俺は鈴木さんに騙されてこんな世界に飛び込んでしまった!」という思いもあるだろう。また大きな鼻は〈手塚治虫=その分身である『火の鳥』の猿田=お茶の水博士〉を連想させ、幼い頃強い影響を受けた手塚も多少入っているかも知れない(アニメーション作家としての手塚を宮さんは決して認めないが、先達であるという事実からは逃れられない)。

〈母の死因は空襲?それとも戦争と無関係な火事?〉

僕は劇中の会話に出てくる通り眞人の母は火事で死んだのだと思っていたのだが、映画のレビューに「空襲で死んだ」と書いている人が沢山いるので驚いた。上空を飛ぶ戦闘機なんか全く描かれていないし!

引越し先で眞人の父親がサイパン陥落の話をしているからその終結が1944年7月9日。東京都が空襲を受けるのは1944年11月24日から45年8月15日まで計106回。だから時期が合わない。故に空襲による火災ではないだろう。

〈ダンテ『神曲』再び〉

眞人は大伯父が残した塔に入り、そこが異世界に繋がっているのだが、塔の入り口に"FECEMI LA DIVINA POTESTATE"と文字が刻まれている。これはダンテ『神曲』の地獄の門に書かれた碑文の一部であり、"LA SOMMA SAPIENZA E 'L PRIMO AMORE."と続く。〈聖なる威力(神威)、比類なき叡智、そして原初の愛は、わたしを創った〉という意味。映画に登場する文だけ抜き取ると〈聖なる威力はわたしを創った〉となる。物語上、聖なる威力とは飛行石のことである。しかし、この世界には愛が欠けている

ダンテの『神曲』は宮さんが引退詐欺をしでかした『風立ちぬ』でも引用されている。『神曲』は地獄篇・煉獄篇・天国篇の3部から成る。煉獄とは地獄と天国の間にある世界。『風立ちぬ』のラストシーンで堀越二郎(=ダンテ)はカプローニ(=詩人ウェルギリウス)と一緒に煉獄にいる。そこに天国から菜穂子(=ベアトリーチェ)が現れる。絵コンテで彼女は「来て」と言うが、鈴木プロデューサーと庵野秀明の意見を聞き入れ最終的に「生きて」に変わった。

『君たちはどう生きるか』の異世界も地獄から始まり、眞人は大伯父のいる天国まで上って行く。案内役のサギ男=ウェルギウスであり、若き日の母ヒミ=ベアトリーチェだ。

〈薔薇が象徴するもの〉

眞人が幽霊塔に入ると最上階に大伯父が現れ、一輪の薔薇の花が落ちてきて砕け散る。『美女と野獣』のように薔薇は魔法を象徴し、魔法の効力が尽きようとしていると読み解くことが出来る。こちらは凡庸な解釈

もうひとつの可能性は不朽の名作オーソン・ウェルズ監督『市民ケーン』の主人公が死に際に呟く言葉“薔薇の蕾”(Rose Bud)だ。映画のラストシーンでRose Budとはケーンが幼少期に遊んでいた雪橇(そり)に書かれていた絵であることが明らかにされる。それはかけがいのない大切な思い出(彼はその後無理矢理両親から引き離される)。宮さんの記憶に直結している。

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〈「我を学ぶものは死す」の意味〉

異世界にある墓の門には「我を学ぶものは死す」と書かれている。絵手紙の創始者・小池邦夫が、師匠の洋画家・中川一政(かずまさ)(1893~1991)から貰った言葉。俺の言う通りにしていたら「亜流・中川」で終わるぞという警鐘だ。息子・宮崎吾朗の初監督作品『ゲド戦記』の試写を観終えた宮さんは鈴木プロデューサーにそっと、こうぼやいた。「(俺の)真似するんなら、元が分かんないようにやれ」

〈インコ大王〉

異世界の恐らく煉獄に相当する場所に、人を食うインコの集団が生活している。そのリーダーがインコ大王(声:國村隼)だ。インコの群衆は「DUCH」と書かれたプラカードを掲げ、大王を讃える。イタリア読みをすれば「ドゥーク」(CHは[k]の音/カ行の子音)。恐らく〈インコの軍隊=ファシスト党〉〈インコ大王=ムッソリーニ〉のメタファーだろう。イタリアの独裁者ムッソリーニは「DUCE(ドゥーチェ)」と呼ばれた。日本語では「統帥(とうすい)/総統/国家指導者」と訳される。

Duce

宮さんの『の豚』の主人公ポルコ・ロッソはイタリア共産党員として描かれており(だからなのだ)、アドリア海を舞台に、敵対するファシスト党との攻防戦が展開される。ダンテ − ムッソリーニ − フェリーニ。イタリア繋がりだ。ついでに言えば『風立ちぬ』に登場するジョヴァンニ・バッティスタ・カプローニもイタリアの航空技術者。

〈死んだ妻の妹と再婚するのは変か?〉

本作を観た観客の多くがこのことに違和感を覚えているようだ。

「出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」によると1940年の見合い結婚率は69.0%、恋愛結婚率は13.4%だった。それが2015年には見合い結婚率が5.5%、恋愛結婚率が87.7%になった(詳しくはこちら)。つまり現在と異なり、戦時下では恋愛結婚のほうが珍しかった。男と女は「家(一族)」を守るために婚姻を結んだ。例えば夫が戦死したために、未亡人がその弟と再婚させられることはしばしばあった。いわば政略結婚である。

〈キリコのモデル〉

異世界で喧嘩ばかりしていた眞人とサギ男はキリコの仲介で和解する。キリコのモデルは『太陽の王子 ホルスの大冒険』から『風立ちぬ』まで宮崎駿を支えた、色彩設定の保田道世(1939-2016)だと鈴木プロデューサーはラジオで明言している。宮さんは彼女のことを「戦友」と評した。またキリコという名前は『失われたものたちの本』で主人公を助ける“木こり”のアナグラムになっている。

〈生まれ変わり〉

〈ワラワラ〉が子どもとして生まれるために昇天する様子を見ながらキリコは「いっぱい食べさてやれて良かった」と言い、涙を流す。僕が想像するに、〈ワラワラ〉の前世はひもじくて餓死した子どもたちだったのではないだろうか?『火垂るの墓』の節子のように。

キリコの着物の柄は輪廻転生を象徴している。アニメ『魔法少女まどかマギカ』における円環の理(ことわり)ね。

なお『君たちはどう生きるか』から宮さんは名字の宮崎をからに改名している。つまり「俺は〈ワラワラ〉みたいに生まれ変わった。まだまだやるぞ~」という決意表明だ。もう既に次回作の企画書を鈴木プロデューサーに提出したらしい。終わらない人 宮﨑駿。

  【考察】なぜ「君たちはどう生きるか」は評価が真っ二つなのか?/ユング心理学で宮﨑駿のこころの深層を読み解く

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2023年5月20日 (土)

【考察】全世界で話題沸騰!「推しの子」とYOASOBI「アイドル」、45510、「レベッカ」、「ゴドーを待ちながら」、そしてユング心理学

赤坂アカ(原作)横槍メンゴ(作画)による『推しの子』がTVアニメになり、世界を席巻している。

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兎に角、初回放送90分というのが前代未聞で凄まじいインパクトをもたらした。またYOASOBIによる主題歌『アイドル』の破壊力が半端ない。この音楽ユニットは元々、小説を音楽にするプロジェクトから誕生したそうで、『アイドル』の歌詞も赤坂アカが書き下ろし、アニメ放送直前に公開された小説『45510』に基づいている。この短編の完成度の高さが超弩級で舌を巻く。

『アイドル』は配信直後から異次元ヒットを飛ばしており、ストリーミング再生数がダントツの首位、週前半3日間の集計で再生数が1000万回を超えるのはBTSの『Butter』以来、史上2曲目となる快挙だそう 。海外のチャートにも既に多数ランクイン。ビルボードのグローバルチャート「Global200」では14位を獲得したという。

『推しの子』を見始めて最初に気付いたのは、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画化でも名高いイギリスのダフニ・デュ・モーリエが書いた小説『レベッカ』と物語の構造が似ているということ。登場人物の多く(アクア、ルビー、有馬かな、斉藤みやこ etc.)が死んだアイ(アイドルグループ「B小町」のセンター)の面影にいつまでも囚われている。『レベッカ』が描くのも死者に支配された世界だ。タイトルロールのレベッカが全く登場しない構成も凄い。全ては人々の記憶で語られる。

『レベッカ』の着想にインスパイアされたと考えられる作品にノーベル文学賞を受賞したアイルランドの作家サミュエル・ベケットによる20世紀を代表する戯曲『ゴドーを待ちながら』と、直木賞作家・朝井リョウの小説『桐島、部活やめるってよ』(小説すばる新人賞受賞、映画も傑作)が挙げられる。

 ・「ゴドーを待ちながら」@京都造形芸術大学 2017.09.12

登場人物たちがしきりにゴドーや桐島のうわさ話をするが、当の本人は最後まで現れない。ゴドー/桐島=イエス・キリスト(神)と解釈することも可能だ。観客/読者が可視出来る人々はその信者というわけ。『アイドル』の歌詞に「歌い踊り舞う私はマリア」とある。つまりアクアもルビーも聖母マリアを信仰している。

しかしアイは平気で嘘をつき、「嘘は私なりの愛だ」と宣言する。彼女は単なる聖女ではなくサタン・魔女としての側面も持つ。だからゴドーや桐島よりも、腹黒いレベッカの方が性格的に近いと言える。アイは聖母マリアであると同時に、マグダラのマリア(罪深い女)でもあるのだ。その二面性にヲタは惹きつけられる。

YOASOBIの『アイドル』は冒頭に合唱が登場した瞬間から禍々しい黒ミサの様相を帯びてくる。

Oh, my Savior, oh, my saving grace

アカデミー作曲賞を受賞したジェリー・ゴールドスミス作曲、映画『オーメン』の主題歌「アヴェ・サタニ(Ave Satani )」に近い雰囲気がある。アヴェ・マリアをサタンに置き換えたもの。

と同時にMIX(AKB48などのライブにおいて、前奏や間奏にファンが叫ぶ掛け声のこと)が入り、アイドル・ソングとしても完璧。大いに盛り上がり、興奮はMAXに。

そしてBパートで、手記『45510』を書いた(主観「私」)と思しきBさんが登場。全力で悪意を噴出し、あたりかまわず撒き散らす。

さらに曲の後半「愛してるって嘘で積むキャリア」と歌う所でボレロのリズムになるのが悪夢のようでまたいい。断頭台への行進みたい。作詞・作曲のAyaseは天才だ!!

ikuraの歌い方がいつもと違い、声の加工も初音ミクを彷彿とさせるボーカロイド風に仕上がっている。本心を表に見せないアイにぴったりだ。AyaseはボカロPとして活躍していた時代もあり、確信犯だろう。

アイのモデルは誰だろう?真っ先に思い浮かぶのが九州・福岡県のアイドルグループRev. from DVLの絶対的センターだった橋本環奈。ファンが撮った「奇跡の一枚」と呼ばれる写真が全国的人気に押し上げるが、グループ解散まで彼女が原点を見捨てることはなかった。ハシカンは赤坂アカの『かぐや様は告らせたい』実写映画で主演を努めており、原作者が彼女のことを念頭に置かなかった筈はない。次にAKB48初の東京ドームコンサートで卒業した前田敦子、当時20歳。あっちゃんのボブの髪型は“重曹を舐める天才子役”有馬かなに゙継承されている。そして『欅坂46』孤高のセンター・平手友梨奈。巫女の役割も果たした“てち”には握手会での襲撃未遂事件があった(2017年6月24日@幕張メッセ)。アイドルがファンに襲われた事件としてAKB48川栄李奈と入山杏奈のケースもある(2014年5月25日の握手会@岩手県滝沢市)。

アイは「誰かに愛されたことも誰かのこと愛したこともない」と言う。これは施設で育った彼女の〈愛着障害〉を示している。親に愛されなかった子供は自己肯定感が低く、自分すら愛すことが出来ずリストカットなど自傷行為に及ぶことがある。「痛み」によって初めて「生の実感」を得るのだ。

「嘘=愛」はユング心理学においてペルソナ(仮面)と表現される。人は幾つもの仮面を持っている。家庭で見せる顔と、職場で見せる顔が違うのは当たり前。「どれが本物?」と問われても、誰も答えることは出来ないだろう。嘘はこの過酷な世界を生き抜くための盾・防壁だ。『アイドル』のMVでアイがウサギの着ぐるみを脱ぐ場面がある。あれはペルソナ(仮面)を外すことと同義と言えるだろう。

 ・〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その2〉太母・老賢人・子供・アニマ・アニムス・ペルソナ 2019.06.06

またアニメの第6話『エゴサーチ』において、「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」というニーチェの著書『善悪の彼岸』からの引用も深いなと思った。

まだまだ回収されていない伏線は多い。どうして産婦人科医ゴローの死体は発見されていないに彼の葬式は執り行われたのか?そもそも入院患者をほっぽらかして主治医が失踪したら捜索願いが出されるだろうし、警察が病院近くの崖から転落した可能性を考えない筈はない。山狩りは必ず行われるだろう。それにスマホの電源が生きていれば大まかな位置情報を特定出来る。仮に獣が死体を運んだとしても血痕は残る。どう考えても不自然だ。これらの謎が解明される日を楽しみに待とう。

余談だが梅田隆司(総監督)/大阪桐蔭高等学校吹奏楽部の演奏する『アイドル』が素晴らしい(動画はこちら)。特にサイリュームの使い方!!この楽団はYOASOBIの『ラブレター』(オフィシャルMVはこちら)に参加していて、けだし名曲。誰に対する手紙か判明したとき、心打たれない者はいないだろう。梅田先生、今年は甲子園でも『アイドル』を絶対聴かせてくださいね。

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2022年11月30日 (水)

【考察】文化人類学者レヴィ=ストロース的視座(構造)から見た新海誠監督「すずめの戸締まり」

フランスの文化人類学者レヴィ=ストロースは「神話通時的であると同時に、共時的に読める」と述べている。共時的とは、〈過去・現在・未来は同時にここにある〉とする考え方だ。

さらに著書〈神話論理〉四部作の中で彼は「神話とは自然から文化への移行を語るものであり、神話の目的はただ一つの問題、すなわち連続不連続のあいだの調停である」と説く。

「すずめの戸締まり」には次のような二項対立がある。

 〈常世(とこよ):死者の世界〉↔〈現世(うつしよ):生者の世界〉

これぞ正に

 連続 ↔ 不連続

の対立である。人は死ぬ。人生は無常であり、『平家物語』で言うところの生者必滅の理(しょうじゃひつめつのことわり)だ。

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〈現世(うつしよ)〉は平安時代に〈浮世(うきよ)〉と言った。〈常世(とこよ)〉は永遠に変わらない恒常的世界であり、〈浮世〉は水の流れや波のまにまにふわふわ漂い、常に変化する世の中という意味。万物は流転する。仏教的厭世感から、〈憂(う)き世〉という表記が本来の形で、「つらいことが多い世の中」のこと。地震の多い現在の日本も〈憂き世〉だし、それは平安時代の人々が抱いていた末法思想にも繋がっている。末法元年である1052年に創建されたのが宇治平等院だ。詳しくは下記事をお読み頂きたい。

 ・【考察】映画「天気の子」を超ディープに味わうための、7つの事項(新海誠と村上春樹) 2019.07.19

また〈うつしよ〉は〈写し世〉のダブル・ミーニングとも解釈可能だろう。影のようなものだから実体がなく、定まらずゆらいでいる。

江戸川乱歩はしばしば色紙に「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」と書いた。我々が生きている時空間は〈高次元世界=常世〉の投影に過ぎず、夢を見ているときこそが本当の世界、うつつというわけだ。

〈常世〉について『すずめの戸締まり』の草太は「すべての時間が同時にある場所」と説明する。正に〈過去・現在・未来が同時に存在する〉共時的時空間ということだ。

一方で〈現世〉は過去→現在→未来と直線的に時間が進む通時的世界であり、ドイツの哲学者ヘーゲルは歴史を振り返ると世界や人間は弁証法的なやり方で日々成長・発展していると説いた。それを受けて20世紀フランスの哲学者サルトルは「ヘーゲルは正しい。合理的精神・理性を持って、進歩し続ける歴史に積極的に参加(engagement アンガージュマン)すれば、我々は素晴らしい世界に到達出来る」と主張した。

サルトルに対して、それはあくまで西洋中心主義的価値観(啓蒙思想)に基づく主観的で傲慢な物言いであり、単なる幻想に過ぎないと徹底批判したのがレヴィ=ストロースの著書『野生の思考』(1962年刊)である(そもそも歴史が人類の進歩の記録なのであれば、20世紀にアドルフ・ヒトラーやヨシフ・スターリン、21世紀にドナルド・トランプやウラジーミル・プーチンのような人物が現れ、彼らを支持する人々が少なくないという事実は完全に矛盾しているではないか!閑話休題)。

 ・レヴィ=ストロース「野生の思考」と神話の構造分析 2018.03.24

庵野秀明(企画・脚本)の映画『シン・ウルトラマン』で、神永(=ウルトラマン)が『野生の思考』を読んでいる場面が登場するのはご存知の通り(特報でも確認出来る)。

新海誠(著)『小説 すずめの戸締まり』で草太の祖父は次のように言う。「常世は見る人によってその姿を変える。人の魂の数だけ常世は在り、同時に、それらは全てひとつのもの」

これはユング心理学で言うところの〈個人的無意識〉と〈集合的無意識〉に相当するだろう。

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レヴィ=ストロースに話を戻そう。『すずめの戸締まり』において、

 連続 ↔ 不連続

の境界を超え循環(行き来)し、調停するトリックスターの役割を果たすのはダイジンである。

トリックスターは悪賢い冗談や、ひどい悪戯を好み、姿を変える力がある。完全に負の英雄だが、その愚かさによって、他の者が一生懸命努力しても達成出来なかったことを軽々と成し遂げてしまう。トリックスター・イメージの活性化は、惨禍が生じたこと、もしくは危険な状況が生じていることを意味する。

 ・〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その3〉影・トリックスター・ヌミノース 

また『すずめの戸締まり』には次のような二項対立もある。

 〈環は4歳のすずめに「うちの子になろう」と言う(親族の肯定)〉↔〈17歳のすずめは叔母を「環さん」とよそよそしく呼び、「おばさん弁当」を口にしない(親族の否定)〉

 〈すずめはやせ細った猫に「うちの子になる?」と言う(親族の肯定)〉↔〈ダイジンは草太に「おまえはじゃま」と言い、3本足の椅子に閉じ込める(親族/仲間意識の否定)〉

 〈要石は氷のように冷たい〉↔〈ミミズは火のように熱い〉

 〈草太は暴れるミミズを要石で鎮める(怪物退治ー英雄ー過大評価)〉↔〈草太は3本脚の椅子に閉じ込められ上手く走れない(不具ー過小評価)〉

さて、主人公の名前・岩戸鈴芽(いわとすずめ)は『古事記』『日本書紀』に登場する天の岩戸(あまのいわと)伝説のアメノウズメ由来であることは既に下記事に書いた。

 ・新海誠監督「すずめの戸締まり」のなりふり構わぬ宣伝戦略/【考察】「すずめ」とは何者か?

繰り返しになるが伝説の内容はこうだ。弟・須佐之男(スサノオ)の狼藉にショックを受けた天照大御神(アマテラスオオミカミ)は天岩戸に引き篭った。天照=太陽神が隠れたために高天原(たかまがはら=天上界)も葦原中国(あしはらのなかつくに=地上の人間が住む世界)も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した。そこで天照を引張り出そうと天宇受売命/天鈿女命(アメノウズメ)が胸をさらけ出して踊ったところ、八百万の神が一斉に笑った。これを聞いた天照は訝しんで天岩戸の扉を少し開け、 隠れていた天手力男神がその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。

この神話には次にような二項対立がある。

 〈岩戸が開く:世界が太陽で照らされ平和な状態〉↔〈岩戸が閉じる:世界が闇に閉ざされ禍(まが)が発生する〉

一方、『すずめの戸締まり』の場合はこうだ。

 〈扉が閉じる:世界が平和な状態〉↔〈扉が開く:中から災厄(ミミズ)が飛び出し地震が発生する〉

つまり〈扉を開く〉↔〈閉じる〉という行為は反転しているが、二項対立間(左右)の関係性は同じであり、これを「同じ構造を持っている」と言う。そしてレヴィ=ストロースは〈開く〉↔〈閉じる〉の反転を「変換」と表現している。お判りいただけただろうか?

 ・【考察】超マニアック講座! 新海誠監督「すずめの戸締まり」をめぐる12の事項

新海誠のディープな世界へようこそ。

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2022年11月26日 (土)

【考察】超マニアック講座! 新海誠監督「すずめの戸締まり」をめぐる12の事項

こちらも合わせてお読みください。

 ・新海誠監督「すずめの戸締まり」のなりふり構わぬ宣伝戦略/【考察】「すずめ」とは何者か?

 ・「すずめの戸締まり」公開初日鑑賞報告!/【考察】どうして新海誠はセカイ系であり続けるのか?/村上春樹・高橋留美子との接点

以下ネタバレ前提で書いたので、『すずめの戸締まり』を未見の方は要注意。

1) 主題歌「すずめ」解題

(作詞・作曲)野田洋次郎すずめ feat.十明」歌詞の冒頭部はそんなに難しくない。

君の中にある 赤と青き線
それらが結ばれるのは 心の臓

き線は言うまでもなく動脈静脈のこと。ここで『君の名は。』のテーマである「結び」が登場する。肺静脈血は心臓を経て大動脈血に、大静脈血は肺動脈血になる。問題はこの後だ。

時はまくらぎ 風はにきはだ 星はうぶすな 人はかげろう

「にきはだ(和肌/柔膚)」は柔らかい肌のこと。フランソワ・トリュフォー監督に同名の映画があり、フランス語で"La Peau douce"という。

「うぶすな(産土)」は①その人の生まれた土地。②「産土神(うぶすながみ)」の略。「産土神」とは、その人が生まれた土地の守護神を指す。

「星はうぶすな」という歌詞は〈パンスペルミア説〉に由来する。『君の名は。』は間違いなく五十嵐大介の漫画『海獣の子供』の影響を受けているのだが、『海獣の子供』も〈パンペルミア説〉に基づいている。地球の生命の起源は地球ではなく、他の天体で発生した微生物の芽胞が(隕石と共に)地球に到達したものとする仮説。ギリシャ語でパン=汎(すべて)+スペールノ(種をまく)を意味し、〈胚種広布説〉とも邦訳される。紀元前5世紀に活躍した古代ギリシャの自然哲学者アナクサゴラスの提唱した概念、スペルマタ(種子:最も微小な物質の構成要素)にその起源を辿ることが出来る。『君の名は。』のティアマト彗星は1,200年周期で地球のそばを通過し、その度に分裂して地球に片割れを残していくわけだが、我々人類の種もそれにくっついてこの星にやって来たのかも知れない。

なお、庵野秀明『新世紀エヴァンゲリオン』も〈パンスペルミア説〉に立脚しており、黒き月に乗ってリリスが地球にやって来てファースト・インパクトを引き起し、リリスからリリン=人間が生まれた。

「まくらぎ(枕木)」は鉄道のレールの下に横に敷き並べる部材。古くは木材が用いられた。僕はこの歌詞から大村陽子(1956- )の歌集『砂がこぼれて』に収載されている、ある短歌を想い出した。

枕木の数ほどの日を生きてきて愛する人に出会はぬ不思議

つまり作者の視点・主観は走る電車上(乗客)にある。眼の前を、枕木がどんどん通過していく。「時はまくらぎ」とは、〈通り過ぎてゆく枕木ひとつひとつ=一瞬の時間〉ということだ。〈枕木一つ=プランク時間〉と考えても良いだろう。プランク時間とは量子力学における時間の最小単位のこと。時間は連続的に流れるのではなく、非常に短い「静止した時間」(=プランク時間)がパラパラ漫画のように次々と現れていることを意味する。

2) 蝶々結びとブレスレット

『君の名は。』の三葉は繰り返し蝶々結びをする。すずめの制服のひもリボンも蝶々結びだ。Radwimpsの野田洋次郎がAimerに楽曲提供した「蝶々結び」という歌があり、元々『君の名は。』のために用意されていた楽曲ではないかと僕は推定している。

また『君の名は。』の瀧は組紐のブレスレットをしている。すずめも左手に赤と黄色のブレスレット(ミサンガ?)をしている。これはポスターでも確認出来る。

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3) 二匹の蝶

冒頭、夢から覚めたすずめに二匹の蝶がまとわりついていた。そして常世(とこよ)にて幼少期の自分自身と出会ったラストでも、そばに二匹の蝶がピッタリ寄り添っている。

僕にはこの蝶は静謐な常世(死後の世界)の象徴のように思える。中原中也の詩『一つのメルヘン』のように。あるいは〈胡蝶の夢〉という故事があり、夢と現実の区別がつかない状態をいう。すずめも常世と現世(うつしよ)を行き来することが出来る。

なお、新海監督の作品には二羽(つがい)で飛ぶ鳥が繰り返し出てくる。『秒速5センチメートル』しかり、『君の名は。』しかり。『すずめの戸締まり」冒頭、すずめと草太の出会いの場面でも上空を二羽の鳶が飛んでいた。一人っきりで飛ぶのはあんまり寂しいもの。

二匹の蝶は死んだ父親と母親なのではないかという説が巷で出回っているが僕は同意しかねる。本作において父親は重要ではない。四歳のすずめと十七歳のすずめを表しているのかも知れないし、すずめのなかに母が生きている(ふたりでひとり)と解釈することも可能だろう。

4) 他者の夢の中へ入っていく

新海誠監督の作品の大きな特徴は「他者の夢の中に入っていく」という描写があること。『君の名は。』もそうだし、『すずめの戸締まり』のすずめも映画後半で草太の夢の中に入っていく。これは稀有なことであり、他の日本の映画監督の作品では滅多にお目にかかれない。

『君の名は。』の企画の原点には小野小町が詠んだ和歌にあった。

思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを

平安時代の人々は夢に人が現れるのは、その人が自分の事を思っているからだ」と解釈した。現代のフロイト的深層心理学の考え方と真逆である。つまり「真剣にある人のことを思えば、その人の夢の中に入っていける」というのが新海的思考なのである。今回の新作では井上陽水の歌う『夢の中へ』が流れるのが象徴的だ。最初に「探しものは何ですか?」と君に問いかけ、「それより僕と踊りませんか?」と夢の中へ誘う。これが「僕の夢」であろうと「君の夢」であろうと、必ずどちらかは「他者の夢」の中で踊ることになる。あるいは「夢の通い路」で繋がった共通の夢なのかも知れない。

はかなしや枕さだめぬうたゝねにほのかにまよふ夢のかよひぢ(式子内親王)

「他者の夢の中に入っていく」という観念に執着した映画監督としてMGMミュージカル映画『巴里のアメリカ人』で有名なヴィンセント・ミネリがいる。詳しくはフランスの哲学者ジル・ドゥルーズの著作『シネマ』を参照にされたし。

 ・ジル・ドゥルーズ「シネマ」〜哲学者が映画を思考する。 2017.12.07

またミネリから多大な影響を受けたデイミアン・チャゼル監督『セッション』『ラ・ラ・ランド』『ファースト・マン』も「他者の夢の中に入っていく」物語だ。チャゼルがしばしば「セカイ系」と揶揄されるのも、おそらくこれが原因だろう。

5) 公開時期の意味

昭和から平成前期の時代、アニメ映画興行の稼ぎ時は小中学生の春休みと夏休み、そして冬(正月)休みだった。子供が映画館に行くには保護者に付き添ってもらわないといけないし。東映まんがまつり、東宝チャンピオンまつりなどがそう。スタジオジブリ・宮崎駿監督の『となりのトトロ』『魔女の宅急便』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』なども夏休み興行だった。休みが一番長いから儲かるわけだ。

しかし2016年(平成28年)に公開された『君の名は。』の頃からこのセオリーは崩れ始める。この年、東宝は夏休み興行の目玉として『シン・ゴジラ』で勝負した。公開日は7月29日。そのため余り期待されていなかった『君の名は。』は8月26日に追いやられた。ことろが!蓋を開けてみると『シン・ゴジラ』の興行収入は82.5億円で『君の名は。』は250.3億円。後者の圧勝だった。理由は主に2つ挙げられる。

まず『君の名は。』のターゲットが小中学生でなかったこと。高校生から大学生、10代後半〜20代の若者に刺さる映画を目指した。彼らは親の付添が不要だから学校帰りに映画館に立ち寄れるわけだ。

第2に、公開時期のおかげで直ぐに学校が始まり、教室で「『君の名は。』良かったよー」と口コミで映画の評判が伝播した。またSNSが普及し、観た人の感想が拡散されたことも功を奏した。つまりバズったのだ。結果、その波は中高年にまで広がった。「アニメは子供が観るもの」という昭和の常識は、とっくに遠い過去のものとなっていたのである。

そして長い間歴代興行成績ランキングのトップに君臨していた『千と千尋の神隠し』の記録を破った『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』の公開日は2020年10月16日だった。昭和の常識で言えば閑散期の興行である。しかし逆に、この時期だとライバルとなる作品が少ない。しかも映画館の多くはシネコンになっている。故に『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』はスクリーンを独占することが可能になり、稼ぎまくった。

つまり『すずめの戸締まり』の公開日11月11日も『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』のひそみに倣ったのである。たとえば公開初日、TOHOシネマズ渋谷で『すずめの戸締まり』の上映回数は30回だった。また『君の名は。』『天気の子』と違って『すずめの戸締まり』は初日からIMAXでの上映も同時に始まった。IMAXは入場料の単価が高いので、興行収入の上乗せが出来る。

6) 東京の地下空洞(後ろ戸のある場所)

山田太一(原作)・市川森一(脚色)・大林宣彦(監督)の『異人たちとの夏』には東京の誰もいない地下鉄のゴースト・ステーションが登場する。たしかこの場面は原作小説にはない、映画オリジナルだった筈だ。

『君の名は。』は明らかに大林映画『転校生』と『時をかける少女』の影響を受けている作品なので、新海監督が『異人たちとの夏』を参考にしている可能性も0ではないだろう。

7) 年上の女性への憧れ・恋

『言の葉の庭』『君の名は。』そして『すずめの戸締まり』における岩戸環と岡部稔の関係も、新海作品には繰り返し年上の女性への恋心というテーマが登場する。

村上春樹の小説『ノルウェイの森』のレイコさんの印象も重なっていると思うが(『君の名は。』の奥寺先輩は「幸せになりなさい」と、レイコさんと同じ言葉を残す)僕は高橋留美子の漫画『めぞん一刻』の影響が強いと考える。

週刊ビッグコミックスピリッツのインタビューで、新海監督は次のように語っている。

『めぞん一刻』とか、高校大学くらいの時に読んで、「五代くんみたいに生きられたらなあ」って思いましたから。(中略)「年上の女性ってきっと知的なんだろうなあ」って思ったり。

 ・【考察】高橋留美子「めぞん一刻」はラブコメの元祖?(新海誠「天気の子」との関係も) 

なお新海監督自身は4つ年下の女性と結婚している(ふたりの間に生まれた娘が新津ちせ。映画『3月のライオン』『喜劇 愛妻物語』や朝ドラ『エール』『カムカムエブリバディ』などに出演)。

8) ダイジンとサダイジン

猫のダイジンとサダイジンという名称については、巷で沢山の憶測が渦巻いている。ダイジンは『平家物語』で幼くして入水する安徳天皇ではないかだの、サダイジンは日本三大怨霊の平将門ではないかというトンデモ説も飛び出した。

僕はここで、ダイジンはすずめが幼い頃から持っていた箱に書かれた「すずめのだいじ」に由来するのではないか、という説を提唱する。すずめは冒頭、やせ細った猫を見て「うちの子になる?」と言う。そこで猫は「すずめは僕のことが好き、〈すずめのだいじ〉なんだ」と思う。次に東京でダイジンは「すずめは僕のことを好きじゃなかったんだ」と知り、一気にやせ細り喋らなくなる(ここは『魔女の宅急便』のキキの振る舞いへのオマージュでもある)。

さらに左大臣と右大臣は天皇の臣下の最高位である。だから安徳天皇である筈もないし、官位が低かった平将門でもない(将門は検非違使にもなれず天皇の護衛をする〈滝口の武士〉に過ぎなかった)

では『すずめの戸締まり』でダイジンとサダイジンは誰に仕えているのか?草太の台詞で「気まぐれは神の本質だからな」とあるので八百万の神のひとりであることは間違いない。で、その頂点に立つのは太陽神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)である。こう考えるとヒロインの名前・岩戸鈴芽(いわとすずめ)が天岩戸(あまのいわと)伝説と関連があり、アメノウズメとしての役割を果たしていることと合致する。つまり天照の命を受け、臣下のダイジンとサダイジンは要石の役割を担ってきたのだと考えられる。

古代中国に「天子は南面し 臣下は北面す」という言葉がある。故に京都御所で天皇は南を向いて座す。一方、左大臣・右大臣は天皇の補佐役として、左大臣は天皇から見て左側、つまり東側に立つ。日が昇る方角(東、つまり左手側)の方が位が高い。だからミミズの頭と尻尾を抑えるとき、サダイジン(の要石)は東の東京に、ダイジンは西の宮崎に置かれた。

9) 父親殺しから父親不在へ

新海誠監督の前作『天気の子』ではギリシャ悲劇『エディプス王』的“父親殺し”がテーマになっていた。主人公の家出少年・帆高(ほだか)は顔に怪我をしていることから、父親に殴られたことを示唆しており、フェリーで知り合ったライターの須賀が父親代わりとなるが、最終的に帆高は須賀に拳銃を向け、発砲する。これは心理的な〈父親殺し〉を表現している。

新海監督は長野県小海町の建設会社新津組社長の息子として生まれた。父は息子に家業を継がせるつもりだったと、あるインタビューで語っている。しかし結局家業を継がずアニメーション作家になった。建設会社を営む父と、その息子の葛藤は『君の名は。』のテッシーのエピソードとしても描かれている。

恐らく父に対する罪悪感、エディプスコンプレックスは〈父親殺し〉という通過儀礼を経て吹っ切れたのだろう、『すずめの戸締まり』は〈父親不在〉の物語になった。すずめに父の記憶はないし、草太に両親はなく、祖父に育てられた。また旅の途中で出会う神戸のスナックのママ・二ノ宮ルミは女手一つで幼い双子を育てている。父親が消えた代わりに本作で描かれるのは女同士の連帯・共感だ。このシフトは恐らく、東日本大震災の前年に新海監督に娘が生まれて、その成長を見守ってきたことと無関係ではないだろう。

10) 二ノ宮ルミ

前項でも書いたが女手一つで幼い双子を育てる神戸のスナックのママ、二ノ宮ルミという女性が登場する。神戸には実際、二宮商店街がある。そして阪神淡路大震災以降、鎮魂と追悼、そして街の復興を祈念し電飾による光の祭典「神戸ルミナリエ」が毎年12月に行われてきた(新型コロナ禍で中止に)。 イタリア語luminarieはluminaria(イルミネーション)の複数形。またフランス語でlumière(ルミエール)は「光」という意味。つまり震災のショックから立ち直り、明るく生きている二ノ宮ルミはすずめにとって「光」のような存在ということなのだろう。

ここで新海誠が愛してやまない作家・村上春樹が翻訳したスコット・フィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』の最後を引用しよう。

Gatsby believed in the green light, the orgastic future that year by year recedes before us. It eluded us then, but that’s no matter ― tomorrow we will run faster, stretch out our arms farther. . . . And one fine morning ――

So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.

 ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。……そうすればある晴れた朝に――
 だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。
      (村上春樹 訳)

つまり『グレイト・ギャツビー』における緑の灯火=『すずめの戸締まり』の二ノ宮ルミなのだ。そして忘れてはならないのは神戸は村上春樹が青春時代を過ごした街であり、初期三部作『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』に登場するジェイズ・バーのモデルになったジャズバー「レフトアローン」は神戸市の隣・芦屋市にあった。

11) NTTドコモ代々木ビル(ドコモタワー)

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『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』『君の名は。』『天気の子』で描かれるドコモタワーは勿論、『すずめの戸締まり』にも登場する。これはフランソワ・トリュフォー監督におけるエッフェル塔と同じ役割を果たしている。詳しくは下記事をお読みください。

 ・ 時は来た(This Is the Moment)!今こそ語り尽くそう〜新海誠「秒速5センチメートル」超マニアック講座 

12) 常世(とこよ)と現世(うつしよ)

この項目については、レヴィ=ストロースによる構造人類学と、ユング心理学の手法を用いて詳しく語る必要があるので、後日追加記事を書くことにしたい。乞うご期待!

エピローグ)

僕は公開初日に大阪エキスポシティで日本最大のスクリーンIMAXレーザー/GTで観たのだが、その後、兵庫県西宮市にあるTOHOシネマズのIMAXレーザーで鑑賞し、驚愕した。スクリーンが余りにも小さいのである!!エキスポシティは横39席。スクリーン幅26m 高さ18m。西宮OSは横が31席。スクリーンサイズは公表されておらず、IMAXに改装される前のスクリーンは幅14m 高さ5.8mだった。調べてみると実際に公表されているものでキャナルシティ博多のIMAXレーザー・スクリーンは幅が15.1m 高さ8.4mしかない。面積比で考えるとエキスポのスクリーンは3.7倍だ。最高品質を自慢するIMAXでもピンキリだなと思った。

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2022年11月12日 (土)

「すずめの戸締まり」公開初日鑑賞報告!/【考察】どうして新海誠はセカイ系であり続けるのか?/村上春樹・高橋留美子との接点

11月11日(金)朝9時。大阪エキスポシティにある109シネマズのIMAXレーザーで新海誠監督『すずめの戸締まり』公開初日を観てきた。因みにIMAXの最高品質であるレーザーが導入されている劇場は限られており、例えばTOHOシネマズなら日比谷、新宿、流山おおたかの森、西宮OSの4館しかない。なお僕は『君の名は。』も『天気の子』も公開初日に観ている。

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評価:AAA

掛け値なしの傑作。新機軸のロード・ムービーというのも心地よいし、直木賞を受賞した天童荒太の小説『悼む人』を彷彿とさせるプロットも素敵だ。当然「観たくない」という人も現れるであろう、東日本大震災と正面から向き合った姿勢・覚悟も天晴である。涙がとめどなく流れた。地震が多い国・日本に住む僕たちの集合的無意識にグサッと刺さる作品であり、大ヒット間違いなし。

2002年の処女作『ほしのこえ』から新海誠監督は“セカイ系の旗手”と呼ばれてきた。「世界の終わりに通じるような大惨事が、"ぼくときみ"というふたりの男女の恋愛関係に収斂されていく」というセカイ系の定義は『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締まり』という〈天災三部作〉でも一貫している。では何故彼はセカイ系であり続けるのだろう?

ズバリ簡潔に言おう、新海作品の本質は〈和歌の世界〉である。『言の葉の庭』で引用される万葉集は言うに及ばず、『君の名は。』の発想の原点は古今集に収載された小野小町の和歌「思いつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらん夢と知りせば覚めざらましを」だ(そう企画書に書いてある)。また劇中、ユキちゃん先生は授業で「誰そ彼(たれそかれ)とわれをな問ひそ九月(ながつき)の露に濡れつつ君待つわれそ」という万葉集の歌を取り上げている。

つまり『ほしのこえ』における男女のメールのやり取りは、万葉集における相聞歌(そうもんか)の代用なのだ。『君の名は。』の瀧と三葉もスマートフォンで一度も肉声による会話を交わさない。スマホはあくまで交換日記の道具であり、相聞歌だ。つまりセカイ系=相聞歌という式が成立する。

新海作品は『伊勢物語』『とりかへばや物語』など和歌が何度も挿入される王朝文学(歌物語)的であるとも言えるだろう。『源氏物語』もそう。『君の名は。』以降はRADWIMPSが和歌の役割を担っている。『すずめの戸締まり』でRADの歌は少ないのだが、その代わりに昭和の歌謡曲が沢山流れる(それで『魔女の宅急便』との関係も明らかになる)。

さて、11月9日に上げた記事「新海誠監督「すずめの戸締まり」のなりふり構わぬ宣伝戦略/【考察】「すずめ」とは何者か?」で、すずめという名前はアメノウズメが由来ではないか?と書いた。そしたら劇場で配られる「新海誠本」のインタビューで監督があっさりそのことを認めているので拍子抜けした。危ない、危ない、公開前に出しておいてよかった!また自説〈三本足の椅子=八咫烏〉も、本編にカラスが出てきたので確信に変わった。

さらに上記事で過去の新海作品に村上春樹と高橋留美子の影響が見受けられると書いた。

『すずめの戸締まり』で描かれる、常世(あの世)と繋がる扉の近くに刺さり、「ミミズ」と呼ばれる災いを封じる「要石(かなめいし)」は高橋留美子の漫画『MAO』にも登場する。おまけに猫鬼(びょうき)まで出てくる。『MAO』の主人公・黄葉菜花は臨死体験をしたことがある女子中学生で、彼女は異世界への門を超え、関東大震災に直面する

またすずめは旅の途中で神戸に一泊するのだが、神戸は村上春樹が高校生の時に暮らした街で(京都市伏見区に生まれた村上は幼少期に兵庫県西宮市の夙川に転居した。夙川から神戸三宮まで電車で11分)、彼の処女作『風の歌を聴け』の舞台である。そして村上の連作短編小説『神の子どもたちはみな踊る』は阪神・淡路大震災をテーマにしている。こんなお話だ。

信用金庫に勤める冴えないサラリーマン・片桐の元に、ある日突然巨大な蛙が現れる。地下で気持ちよく眠っていた「みみずくん」が神戸の地震で目を覚まされ、その怒りにまかせて東京に大地震を起こそうとしている、それを阻止できるのは片桐だけだと「かえるくん」は言うのだ。

『すずめの戸締まり』との関係は火を見るより明らかだろう。すずめも東京の大地震を阻止するのだから。

さらに『君の名は。』を観れば、誰もが大林宣彦監督『転校生』の影響を強く感じるだろう。僕は『秒速5センチメートル』における踏切の場面でも『転校生』のことを思い出さずにはいられなかった。そして『君の名は。』終盤、冬の東京で瀧と三葉がすれ違う場面の演出は間違いなく大林映画『時をかける少女』エピローグ・シーンへのオマージュである。で、僕が気になっているのは『すずめの戸締まり』の登場人物・草太という名前。大林監督は映画『あした』以降、自ら作曲をする場合は、ペンネーム「學草太郎(まなぶそうたろう)」を使っているのである。そして映画『ふたり』の主題歌は「草の想い」(作詞:大林宣彦)。果たして関係はあるのだろうか??勿論、トルーマン・カポーティの小説『草の竪琴』が由来である可能性も捨てきれないのだが……。

最後にネタバレで重要なことを指摘しておこう。未見の方は要注意。

 

 

いいですか?

 

映画終盤、幼少期(4歳)のすずめが出会い自分の母親だと思っていた人が、12年後の自分自身であったことを知る。僕は「どこかで観た覚えのある情景だ」とデジャヴを感じた。帰宅して漸く思い出した。アルフォンソ・キュアロン監督『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』だ。吸魂鬼(ディメンター)に襲われピンチに陥ったときハリーは「守護霊の呪文」を唱え、誰かに助けられる。気を失う直前に見た人を彼は自分の父親だと思う。しかし真相は未来からタイムトラベルして来たハリー自身であった。つまり自分自身の中に、親の精神やDNAは生きているということである。

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2022年11月 9日 (水)

新海誠監督「すずめの戸締まり」のなりふり構わぬ宣伝戦略/【考察】「すずめ」とは何者か?

新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』の公開日11月11日(金)が刻々と近づいている。面白いなと思うのは前作『天気の子』(2019)宣伝戦略からの180°の大転換である。

日本での興行収入が250億円を超え、『千と千尋の神隠し』『タイタニック』『アナと雪の女王』に次ぐ歴代4位となった2016年公開『君の名は。』(後に『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』に抜かれる)空前のヒットを受け、『天気の子』公開前は「(予告編以外)中身を一切見せない」「媚を売らない/自分を安く売らない」という“徹底した秘密主義” かつ“高嶺の花”戦略に出た。つまり一般観客のみならず業界関係者も含め試写会を行わず、前売り券の発売すらしなかった。正規の当日料金を払えということだ。入場者特典もなかった。

ところが『すずめの戸締まり』は特典付き前売券(ムビチケ)は売るし、バンバン試写会をするし、テレビや配信で映画冒頭12分を惜しげもなく見せるし、全国のIMAXスクリーンで先行上映するし、入場者特典(全国で300万名様!)は付くし、なりふり構わぬ大攻勢を仕掛けてくる。

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おまけに公開直前になってNetflixやAmazonプライムビデオなど各プラットホームで『君の名は。』『天気の子』の見放題配信も開始、SNSで「バズる」のを狙っている。

おそらくこの戦略は庵野秀明(総監督)の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』に倣ったものだろう。『シン・エヴァ』はとっかえ引っ掛け入場者特典を投入し、劇場公開前に冒頭12分の映像をAmazonプライムビデオで独占配信した。その甲斐あってシリーズ初となる興行収入100億円超えを達成したのである。

『天気の子』と『すずめの戸締まり』の宣伝戦略の違いは何故か?やはり、この3年間で世界中を席巻した新型コロナ禍の影響は無視出来ないだろう。どうにか劇場に観客が戻ってきてほしいという願いが込められている。

さて次に、タイトルを含めいくつか考察をしておこう。

『風立ちぬ』の前まで、宮崎駿が監督したアニメーション映画のタイトルに必ず『の』が入っていることはよく知られている。『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『紅の豚』『ハウルの動く城』『崖の上のポニョ』といった具合。これで『の』があるアニメ映画は大ヒットするというジンクスが生まれた。そのひそみに倣ったのが細田守監督。『おおかみこどもの雨と雪』以降、『バケモノの子』『未来のミライ』『竜とそばかすの姫』と4回連続で『の』を入れた。新海監督も『言の葉の庭』で東宝と組んで以降、『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締まり』と、『の』の釣瓶撃ちだ。

新海誠監督の作品を深く理解するために欠かせない項目を列挙するとー「日本神話」「万葉集・古今集などの和歌」「『とりかへばや物語』などの王朝文学」「村上春樹の小説(翻訳含む)」「倉本聰脚本のテレビドラマ『北の国から』特に『'87初恋』」「大林宣彦監督の映画『転校生』『時をかける少女』など尾道三部作」「岩井俊二監督の映画『Love Letter』『四月物語』」「宮崎駿監督のアニメーション映画」「高橋留美子の漫画『めぞん一刻』『らんま1/2』」ーこれらの要素が渾然一体になっている。詳しくは下記事で論じた。

 ・【考察】神話としての「君の名は。」〜その深層心理にダイブする。 2016.09.10
 ・3回目の鑑賞で気付いたこと。〜「君の名は。」超マニアック講座 2016.09.13
 ・「君の名は。」劇場用パンフレット第2弾登場!〜新海監督が質問に答えてくださいました。 2016.12.13
 ・ギリシャ神話(オルフェウス)と日本神話、そして新海誠「君の名は。」の構造分析 2018.04.18
 ・百人一首と新海誠「君の名は。」 2018.12.24
 ・新海誠と、和歌&王朝文学〜「君の名は。」から「天気の子」へ 2019.06.27
 ・
【考察】映画「天気の子」を超ディープに味わうための、7つの事項(新海誠と村上春樹) 2019.07.19
 ・
「天気の子」劇場用パンフレット第2弾登場!〜新海誠監督が質問に答えてくださいました。 2019.09.17
 ・【考察】高橋留美子「めぞん一刻」はラブコメの元祖?(新海誠「天気の子」との関係も)2021.01.08

『すずめの戸締まり』冒頭・夢の場面で、新海作品に繰り返し出てくる草原のイメージが登場するが、これは村上春樹が大好きなトルーマン・カポーティの小説『草の竪琴』の影響が色濃いと僕は考える。実は新海監督『秒速5センチメートル』には、ヒロインの明里が駅のプラットホームでこの小説(新潮文庫版)を読んでいる場面があるのだ。余談だが明里は村上春樹『螢・納屋を焼く・その他の短編』(新潮文庫)も読む。

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なお村上春樹はカポーティの短編を沢山翻訳しているが、『草の竪琴』は未だである。

また新海監督は『すずめの戸締まり』に宮崎駿監督『魔女の宅急便』からインスパイアされた部分があると述べているが、冒頭12分を観る限りむしろ『千と千尋の神隠し』へのオマージュを感じる。見捨てられた廃墟のイメージ。また災厄が野に放たれる映像は『もののけ姫』のデイダラボッチ(ダイダラボッチとも言う)を彷彿とさせる。

今回のヒロインの名前は岩戸鈴芽(いわとすずめ)。これは『古事記』『日本書紀』に登場する天の岩戸(あまのいわと)伝説を連想させる。岩で出来た洞窟だ。弟・須佐之男(スサノオ)の狼藉にショックを受けた天照大御神(あまてらすおおみかみ)は天岩戸に引き篭った。天照=太陽神が隠れたために高天原(たかまがはら=天上界)も葦原中国(あしはらのなかつくに=地上の人間が住む世界)も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した。そこで天照を引張り出そうと天宇受売命/天鈿女命(アメノウズメ)が胸をさらけ出して踊ったところ、八百万の神が一斉に笑った。これを聞いた天照は訝しんで天岩戸の扉を少し開け、 隠れていた天手力男神がその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。

つまり天岩戸伝説では洞窟の扉が閉じたために災いが発生するが、『すずめの戸締まり』はドアを開けたために災いが吹き出してくる。ここにフランスの構造人類学者レヴィ=ストロースが言うところの〈変換〉が行われている。

 ・レヴィ=ストロース「野生の思考」と神話の構造分析 2018.03.24

またまた余談だが庵野秀明(企画・脚本)『シン・ウルトラマン』で、神永(=ウルトラマン)は熱心にレヴィ=ストロース(著)『野生の思考』を読んでいる。閑話休題。

だから「すずめ」という名前の由来は多分、アメノウズメなのだろう。これは『君の名は。』のヒロイン「三葉」という名前の由来が日本神話に登場するミヅハメ、水の女神から来ているとことに呼応している。『古事記』では弥都波能売神(みづはのめのかみ)、『日本書紀』では罔象女神(みつはのめのかみ)と表記する。

このドアは古代ギリシャ神話で語られる『パンドラの箱』も想起させる。箱から様々な災厄が出てくるが、最後にエルピス(Elpis)が残る。エルピスとは「希望」あるいは「災い」の兆候のことである。『すずめの戸締まり』の場合、最後に残るのはどっちだろう?

また『すずめの戸締まり』の三本足の椅子は、八咫烏(やたがらす)のメタファーだろう。日本神話に登場するカラスで太陽の化身、導きの神。三本の足がある。

さて僕は公開初日11月11日に有給休暇を取得し、109シネマズ@大阪エキスポシティでIMAXレーザーGT上映を朝9時から鑑賞する(席は確保済み)。当日中にレビューをアップする予定なので、乞うご期待!!

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2021年5月25日 (火)

【考察】LGBTQ+は「種の保存に反する」のか?

まず大前提として、僕の性的嗜好はストレートである。小学生の息子がいるし、同性に惹かれたことは一度もない。そういった気持は理解できないが、だからといって否定もしない。価値観は人それぞれなのだからお互いにその違いを認め合えばいい。他者に対しては寛容でありたい。因みにLGBTQとはL(レズビアン)、G(ゲイ)、B(バイセクシャル)、T(トランスジェンダー)、Q(クエスチョニング:性自認や性的指向が定まっていない/クィア:本来は「奇妙な」という意味の蔑称を自嘲的、開き直りの表現として敢えて使用)を指す。

さて2021年5月21日、自民党の簗和生(やなかずお)元国土交通政務官(42)=衆議院議員栃木3区= が党の会合で、LGBTと呼ばれる性的マイノリティーの人たちをめぐって「生物学上の種の保存に反する」との発言をしたと報じられている。この件について簗氏はNHKの取材に対し「会議は非公開のため、内容や発言について答えるのは控える」とコメントした(出典記事こちら)。一方、共同通信の取材によると「生物学上、種の保存に背く。生物学の根幹にあらがう」という趣旨の発言だったという(出典こちら)。自民党では過去にも杉田水脈・衆院議員が性的少数者のカップルに関し「生産性がない」と月刊誌に寄稿し、非難を浴びた。

彼らの無知に呆れ、笑うしかない。

ヒトに近いサルに同性愛は頻繁に見られるし、特にチンパンジーの仲間であるボノボは非常に多く、過半数を占めている(詳しくはこちら)。他の動物の同性愛についてはウィキペディアがしっかりとまとめてある(こちら)。同性愛は生物学的に自然なことだ。

動物や植物も、すべての生物の目的は種の保存、種の繁栄であると言っても過言ではない。そのための一つの戦略として突然変異がある。遺伝情報DNA(デオキシリボ核酸) を複製する途中に、誤った塩基(A:アデニン、G:グアニン、C:シトシン、T:チミン)が挿入されてしてしまう場合がある。こうして生まれた個体が、周囲の環境に相応しければ生き残るし、そうでなければ自然淘汰される。この繰り返しが進化であり、強い種が生き残る仕組みだ。新型コロナウィルスも同様であり、生き残りをかけた戦略として2021年5月現在、より感染力が強い変異株が大勢を占めようとしている(新型コロナは一本鎖RNAゲノムであるが、やはり自己増殖のために設計図のコピーを作る際、一定の頻度でエラーが発生する)。

種の保存という観点から考えると、子孫を残すことが出来なかった個体は敗者と見なされる。

ライオンは十数頭のメスライオンと、1~数頭ほどのオスライオンで群れを形成することで知られており、この群れは「プライド」と呼ばれる。産まれた仔ライオンが大きくなるとメスは群れに残り、オスはプライドから独立する。こうして放浪生活を送ることになったオスライオンは「ノマド」と呼ばれ、他のプライドを支配するオスに戦いを挑み、群れを統率する権利を勝ち取らなければならない。戦いに勝てばそのプライドに所属するすべてのメスライオンと交尾する権利を得て自分の遺伝子を残せるが、負けたオスライオンは自分の遺伝子を残せない。群れのリーダー(オス)は、数年おきに入れ替わる。 こうしてより強い種が生き残っていく。だから遺伝子を残せないオスは必ず一定数いるし、彼らもちゃんと競い合うという役割を果たしている。「種の保存に反する」わけでも、「生産性がない」わけでもない。

またここで忘れてならないのは、人間は〈自然=動物〉であるだけに留まらず、知性を持ち、〈文化〉を発展させてきたのだということ。フランスの社会人類学者レヴィ=ストロースは神話について次のように述べている。

神話とは自然から文化への移行を語るものであり、神話の目的はただ一つの問題、すなわち連続不連続のあいだの調停である。

つまり「種の保存に反する」「生産性がない」などと主張する輩は自然の中の人間=動物という一面しか見ておらず、大きな比重を占める文化的側面を無視しているのである。子供を育てて巣立たせた老夫婦には最早「生産性がない」から、御役目御免で姥捨山に遺棄すればいいのか?一生独身で通し、子孫を残さなかったベートーヴェンやシューベルト、ショパンは「種の保存に反し」ており無価値なのか?ゲイだったチャイコフスキーは?

人は「種の保存」や「生産性」のみにて生くるものに非ず。

人は医療を発展させ、平均寿命が飛躍的に伸びた。乳児死亡率は減り、子供は滅多に死ななくなった。戦時下(1941年)の「産めよ、増やせよ」政策は21世紀の現在、全く時代遅れの考え方となった。当時の日本の総人口は7350万人であり、2021年は1億2557万人。少子化とはいえこの80年間で5千万人以上(1.7倍)増えている。

平安時代の男女の平均寿命とか、大正時代の乳児死亡率と現在の比較などは下記事に詳しく書いたので、興味のある方はご一読ください。

別に自分の遺伝子を後世に残さない人がいたっていいじゃないか。それが多様性(diversity)である。LGBTQ+のシンボルが虹(レインボーフラッグ)なのは、多様性の表現だ。音楽だと半音階に相当する。

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