哲学への道

2021年5月20日 (木)

新型コロナウィルスと陰謀論

新型コロナウイルスを巡り、SNS上で「感染拡大はウソ」「世界の黒幕が、ワクチンで人類を管理するのが目的」といった言説が広がっている。彼らは「コロナはただの風邪。世界の資本家が各国の政府を操り、でっち上げている」「ワクチンで人間にマイクロチップを埋め込むのが目的」等と主張している(読売新聞より)。「ワクチンを打てば5年で死ぬ」と話す県議もいる(朝日新聞より)。

いわゆる〈陰謀論〉である。昔から「諸悪の根源は秘密結社フリーメイソン」とする〈陰謀論〉があったし、ナチス・ドイツは〈ユダヤ人陰謀論〉を勢力拡大に利用した。

こういった噂が拡散する根底には漠然と感じている不安や恐怖心があるだろう。イギリスの哲学者バートランド・ラッセルは次のように述べている。

「恐怖心というものが迷信や残虐を生む。恐怖心を克服することが叡智につながる」

関東大震災の時に、「朝鮮人が放火したり、井戸に毒を投下している」という流言飛語が飛び交い、虐殺事件が起こったのも恐怖心が生んだ悪夢の最たる例だろう(事件の詳細はこちら)。私たちは歴史から教訓を得ねばならない。

具体的に新型コロナウィルスのワクチンに関する〈陰謀説〉を検証してみよう、標準的なペット用マイクロチップは、通常、長さ11-13mm、直径2 mmで米粒ほどの大きさがあり、特殊なシリンジを用いて埋め込む。通常筋肉注射で用いられる注射器の針は通らない。そもそもマイクロチップをワクチンから検出した事例はあるのか?その噂は果たして「事実(fact)」か、それとも単なる「想像(imagination)」「推量(guess)」「フェイク」に過ぎないのか?

「コロナはただの風邪」という言説に対しては次の事実を説明してもらいたい。2021年5月18日時点で、アメリカ合衆国のコロナ関連死者数は58万6千人に及んでいる(ジョンズ・ホプキンス大学の報告)。これは第二次世界大戦における米軍の死者数(40万5339人)とベトナム戦争時の死者数(5万8209人)を足した合計よりも上回っている。多分彼らはこのデータが捏造だと主張し、信じないのだろう。一方、インドでは5月3日時点で21万8千人がコロナ感染で死亡している。ではアメリカでデータを捏造し、さらにインドでも捏造している首謀者って誰??

「ワクチンを打てば5年で死ぬ」という主張に対しては5年という数字がどこから来たのかきちっと説明して戴きたい。その根拠は?

あと「ワクチンで人類を管理」するというが、黒幕が陰謀を仕組んだのはファイザー製ワクチン?それともモデルナ?、ジョンソン・エンド・ジョンソン?あるいはアストラゼネカ?エッ、もしかしてすべての製薬会社を巻き込んで??ちなみに前3社はアメリカの製薬会社で、アストラゼネカはイギリスなんですけど。中国製やロシア製もある。

「インターネットに書いてあること」をそのまま信じる人がいるが、それがどういう事実に基づく説なのか、まず検証する必要があるだろう。単なる思い込みではなく、きちっとしたエビデンスはあるか?新聞記者で言うところの「裏を取る」作業が不可欠だ。昔、テレビでみのもんたが「これは健康にいい!」と紹介すると、その商品がまたたく間に店頭から消えることがあった。しかし皆さん、バナナでダイエットできましたか?ココアで健康・長寿が実現できましたか?データを取って、きちっと検証することが大切。

テレビが本当のことを言っているとも限らない。NHK特集まで組まれた佐村河内守は結局、偽作曲家だった。

〈陰謀論〉を信じやすい人々の中には多数の〈妄想性パーソナリティ障害〉罹患者が含まれると推定される。何かにつけて疑い深く、過度に人を信用できない障害のこと。客観的な根拠がなくても他人が自分を利用する、危害を加える、だますであろうと決めてかかる。また、他人が理由もなく自分に陰謀を企て、突然攻撃してくるかも知れないという疑いを持つ。一般人口の0.5〜2%にみられるとされ、決して稀なものではない。臨床症例では、男性に多く診断されている。〈権力者の病〉とも言われ、ローマ皇帝ネロやスターリン、ヒトラーがその典型例である。麻原彰晃も多分そう。統合失調症発病の前兆として現れることもある。〈妄想性パーソナリティ障害〉には明確な診断基準があるので、興味のある方はこちらをご覧あれ。

〈パーソナル障害〉に共通する特徴は「自分に強いこだわりを持っている」ことと、「とても傷つきやすい」こと。他者を信頼したり、愛することの障害であり、対等な人間関係を築けない。中でも特に〈妄想性パーソナリティ障害〉は「父親」との戦いを生涯引きずるという。「父親殺し」のテーマが人生を支配する。そしてその多くは、父親との戦いが権力や迫害者との戦いに置き換えられている。(参考文献:岡田尊司『パーソナリティ障害ーいかに接し、どう克服するか』PHP新書)

もし、あなたの周りに〈陰謀論〉を吹聴する人がいたら、一番良いのは精神科クリニックを受診してもらうことだろう。もしそれが難しいようなら、次のような問いを発してみてはどうだろうか。

「その考え方の根拠は?」
「その考えのもとになった情報は噂や思い込みではなく、確かなものか?」
「可能性ではなく、確かな事実として考えていないか?」
「その判断は事実に基づくというよりも、感情的に決めつけたものではないか?」
「その解釈はあまりに現実から離れすぎていないか?」
「出来事の一側面だけに注目し、その出来事が起こるまでの全体の流れを見落としていないか?」
(参考文献:いとうせいこう、星野概念『ラブという薬』リトル・モア)

一般に人は、因果論にとらわれやすい。「原因があって結果がある」という考え方だ。「どうして人は生きるか?」「生きる意味は何か?」という問いも、何か原因があるから自分がいまここに存在しているんだという〈思い込み〉である。父と母が性交したからだという答えでは納得できない。一回の射精で射出された2~4mlの精液中に約3億個あると言われる精子の一つと、卵子が「たまたま」出会い、受精したという説明をしたら怒り出すかも知れない。「偶然」なんて論外。もっとその先に本当の答え、「真理」がある筈だ。自分の存在は「必然」であって欲しいという強い願いが込められている。こういう思考の結果、人は神を創った。なにか絶対的な存在=「創造主」を設定し、そのお方に何らかの「目的」や「意図」があって人類が誕生したと考えれば「原因」と「結果」の空白が埋まり、安心できるというわけ。つまり宗教を信仰する人々の心理的背景には「存在の不安」がある。また「創造主」の意思で自分が生まれたのだと仮定したら、そこに存在意義が発生する。よって承認欲求が満たされる。

しかし大切な娘を飛行機の墜落とか、急性骨髄性白血病で亡くした人を例に考えてみよう。果たして彼女の早世には神の「目的」とか「意図」があるのだろうか?本人または親が何か罪を犯したために(原因)、罰を受けた(結果)のだろうか?そんな馬鹿げた発想でくよくよ悩むよりは、単なる「偶然」、「たまたま」運が悪かったのだと納得した方が諦めがつくだろう。

〈陰謀論〉を信じる人の心理的メカニズムも宗教のそれと全く同じ構造を持っている。「突如出演した新型コロナウィルスがあれよあれよという間に世界に蔓延し、感染者がバタバタ死んでいく。不安だ」「どうして世界はこんな事になってしまったのか?」「どうしてマスクをしないといけないの?」「どうしてワクチンを接種しなければいけないの?」実際にはパンデミックに至った要因は多数あり(Multi-Factor)、それらが複雑に絡み合って現在に至るわけだが、「原因」と「結果」がはっきりしなければ安心できない。しかしそこで悪の組織とか、黒幕といった〈首謀者〉を設定し、その〈陰謀〉だと解釈すればスッキリする。つまり混沌とした世界を「単純化」し、理解したいという欲望(安全欲求)を満たす作業だったのである。

人の心とは本当に厄介で、面倒くさく、そして面白い。そう思う、今日この頃なのです。

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2021年4月18日 (日)

創作ミュージカル「OGATA浩庵の妻」が凄い!〜大阪桐蔭高等学校吹奏楽部 定期演奏会 2021(今年は保護者以外動画配信のみ)

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大阪桐蔭高等学校吹奏楽部 第16回定期演奏会は新型コロナウィルス感染拡大のため、2020年の第15回定期と同様に会場に一般客を入れず保護者のみ入場可として、動画配信となった。詳しくはこちら

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チケットはチケットぴあで販売中、動画配信プラットホーム「ULIZA(ウリザ)」での視聴となった。

ここで不満点を列挙しておきたい。

1)視聴券1,200円のみならず、システム利用料220円が加えて請求される。18%上乗せである。アホらしい。
2)スマートフォンかパソコンでの視聴となり、ソニーのブラビアやシャープのAQUOS(アクオス)など、スマートテレビに対応していないので不便。
3)音質が悪い。特に低音が貧弱。過去に観たことのある大阪桐蔭定期のDVDやBlu-rayの方が良い。

というわけで、次回から動画配信されるときは別のプラットホームを検討して戴きたい。

この定演の模様は日本テレビ『世界一受けたい授業』でも紹介され、浜辺美波が聴きながら涙ぐんでいた(彼女は学生時代に吹奏楽部でフルートを吹いていたそう)。またスタジオからのリクエストで演奏された『レ・ミゼラブル』〜“民衆の歌”のソロを歌った男子生徒に、ミュージカル・スター城田優が、「君、プロになれるよ」と褒め称えた。生徒さんたちにとって特別な体験となっただろう。

僕が初めて梅田隆司 先生(指揮)/大阪桐蔭高等学校吹奏楽部の演奏を聴いたのは2007年、吹奏楽の甲子園・普門館だった。もう13年以上も前になる。

第55回全日本吹奏楽コンクール高校の部を聴いて 前編 2007.10.25

定期演奏会を初めて聴いたのは10年前だった。

大阪桐蔭高等学校吹奏楽部 定期演奏会 2011!@ザ・シンフォニーホール 2011.02.23

では今年の定演についてレビューしていこう。第1部は創作ミュージカル『OGATA浩庵の妻』から始まった。これが初演。スタッフは作曲:西村友、振付:洋あおい(元OSK日本歌劇団)、台本・演出・指揮:梅田隆司。幕末の医師・緒方洪庵とその妻が主人公(幕末を扱ったミュージカルとして、かつてスティーブン・ソンドハイム『太平洋序曲』という傑作があった)。3分割画面(スプリットスクリーン)というのが凝っているし、写真・動画やアニメーションまで駆使しているのがザッツ・エンターテイメント!台詞や歌詞が字幕表示されるのもありがたい。至れり尽くせりである。

タイトルから誰しも真っ先に連想するのは有吉佐和子の小説『華岡青洲の妻』だろう。1967年に増村保造監督が映画化し、キネマ旬報ベストテンで第5位にランクインした。若尾文子と高峰秀子が演じた嫁と姑の、火花を散らす対立が実にスリリングであった。華岡青洲は世界で初めて全身麻酔手術(乳がん)を成功させた江戸時代の外科医で、欧米で初めて全身麻酔が行われたのは、青洲の手術の成功から約40年後である。彼は地元(現在の和歌山県)に医塾「春林軒(しゅんりんけん)」を開設し、全国から集った1000人を超える門下生を育てた。また後に大坂(「大阪」と漢字表記が変わるのは明治以降)の中之島に分校「合水堂」を開設し、弟に運営を任せた。

一方、緒方洪庵は医師・蘭学者。現在の大阪市中央区北浜に「適塾」を開いた。門下生には一万円札になった福沢諭吉(大坂・堂島出身、慶應義塾を設立)、大村益次郎(長州藩出身。医師のみならず兵学者としても活躍し、戊辰戦争勝利の立役者となった)、橋本左内(幕末の志士。将軍継嗣問題で一橋慶喜を担ぎ井伊直弼の不興を買って、安政の大獄で斬首の刑に処せられた)、手塚良仙(漫画家・手塚治虫の曽祖父。医師として西南戦争に従軍。九州で赤痢に罹り死去)らがいる。「適塾」は大阪大学医学部の前身であり、手塚治虫は漫画稼業の傍ら阪大医学部を卒業し医学博士となった。手塚の漫画『陽だまりの樹』は手塚良仙が主人公である。

『OGATA浩庵の妻』は台本が凝っていて、最初にショパン『英雄ポロネーズ』がピアノで演奏され、「英雄とは誰だ?」という問いが発せられる。その答えとしてまずショパンが生まれた1810年に全盛期だったナポレオンが挙げられ、さらにショパンと同年に生まれた緒方洪庵の話へと移る。ショパンは結核(細菌)で倒れたが、浩庵はやはり感染症である天然痘ウィルス治療に貢献した。ここで「何故、いま浩庵なのか?」という疑問が解ける。彼は天然痘撲滅のために大坂に「除痘館」を開き、種痘(予防接種)を始めた。これは新型コロナウィルス禍に苦しむ現在におけるワクチン接種に相当する。つまり構造が同じなのだ。

冒頭に演奏されるのが2016年全日本吹奏楽コンクール課題曲III:「ある英雄の記憶 」(西村友)。大阪桐蔭はこれで全国大会金賞に輝いた。NHK大河ドラマの音楽みたいで格好いい。

大阪桐蔭高等学校吹奏楽部 サンタコンサート 2016 & 全日本吹奏楽コンクール「ポーギーとベス」の感想 2016.12.21

大阪桐蔭吹奏楽部の高校生がひょんなことから幕末の1857年にタイムスリップする。ここまでは漫画『信長協奏曲』とか『群青戦記』『JIN -仁-』など、よくある設定だ。特に『JIN -仁-』の主人公(医師)は江戸の西洋医学所で緒方洪庵に出会うので関係性が深い。しかし梅田先生が執筆した台本が極めてにユニークなのはここからである。主人公の高校生は何故か30年間の眠りにつき、1886年に目覚める。浩庵の妻・八重が亡くなる年だ。八重が30年間の思い出を語る。「適塾」と「合水堂」門下生の喧嘩、58年安政の大獄と橋本左内の死、60年桜田門外の変、66年薩長同盟締結、67年長州征討と大政奉還、68年江戸城無血開城、そして69年長州藩・大村益次郎暗殺に至る。するとそこから八重の思い出話は再び過去に遡り、49年洪庵が「除痘館」を開設したエピソードへ。そして最後は86年八重の告別式となる(洪庵の亡霊が八重を迎えに来てウィーン・ミュージカル『エリザベート』のフィナーレを彷彿とさせる)。

巨視的な作品である。また大阪の歴史が分かり勉強になるという点で、やはり梅田先生が台本を書かれ大阪桐蔭定演で初演された創作ミュージカル『河内湖』に通じるものがある。

創作ミュージカル「河内湖」初演!〜大阪桐蔭高等学校吹奏楽部 定期演奏会 2015 2015.02.18

歴史は過去→現在→未来という具合に、出来事の起こった順番に〈通時的〉に語られるのが普通である。しかし『OGATA浩庵の妻』の手法は違う。時間は行ったり来たり複雑に錯綜する。これをソシュール(1857−1913)の言語学で〈共時的〉と言う。過去・現在・未来は同時にここにあるのだ。同じことをアンリ・ベルクソン(1859-1941、フランスの哲学者)の逆さ円錐モデルを用いて説明しよう。これをフランスの哲学者ジル・ドゥルーズ(1925-1995)は彼の著書『シネマ』の中で〈結晶(時間)イメージ〉と呼んだ。

B

上図・円錐の全体SABが洪庵の妻・八重の記憶に蓄えられたイマージュの総て(=結晶)。頂点Sが純粋知覚の場、感覚ー運動の現在進行形(ing)であり現動的。つまり目撃者となる高校生の主人公(=観客)の知覚である。平面Pは現在彼がいる世界そのもの。A"B"が幕末期〜明治維新に起こった出来事の記憶、更に遡ったA'B'は洪庵が「除痘館」 で種痘を始めた頃の記憶。過ぎ去り、死に向かう現在(S)と、保存され、生の核を保持する過去(A'B',A"B",A'"B'",……)は絶えず干渉しあい、交差しあう。主人公の少年(平面P)はこの円錐(八重の記憶)の中を自由に過去へと飛翔し、また戻ってくるのである。

この仕組/構造(structure)はフェデリコ・フェリーニ監督の映画『8 1/2』と同じであり、フェリーニの次の言葉がその本質を的確に教えてくれる。

「我々は記憶において構成されている。我々は幼年期に、青年期に、老年期に、そして壮年期に同時に存在している。」

共時的構造を持つ映画はそんなに多くない。非常に珍しいと言って良い。参考までに『8 1/2』以外の代表例を挙げておくと、イングマール・ベルイマン監督『野いちご』、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『メッセージ』(Arrival)、大林宣彦監督『はるか、ノスタルジィ』『さびしんぼう』『異人たちとの夏』『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』などがある。舞台ミュージカルになると更に稀で、スティーブン・ソンドハイムの『メリリー・ウィー・ロール・アロング』と、『8 1/2』を原作とする『NINE』(城田優主演版が現在DVD発売中)、そしてトニー賞で最優秀ミュージカル作品賞を受賞した『ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』くらいか。

『OGATA浩庵の妻』は西村友の楽曲の良さも特筆に値する。僕は彼が劇団ひまわりのために作曲したミュージカル『銀河鉄道の夜』が大好きで(アニメ『進撃の巨人』ミカサ役の声優として知られる石川由依主演)、和製ミュージカルの5大傑作に入ると確信している。

大阪桐蔭高等学校吹奏楽部✕劇団ひまわり/ミュージカル「銀河鉄道の夜」 2017.01.22
大阪桐蔭高等学校吹奏楽部 定演/ミュージカル「銀河鉄道の夜」〜宮沢賢治の深層心理にダイブする。 2017.02.21

因みに僕が考える和製ミュージカル・ベスト5を挙げておこう(順不同)。

・ポーの一族(小池修一郎 作・演出/宝塚歌劇団)
・オケピ!(三谷幸喜 作・演出)
・銀河鉄道の夜(劇団ひまわり)
・キレイ ー神様と待ち合わせした女ー(松尾スズキ 作・演出)
・デスノート THE MUSICAL(フランク・ワイルドホーン 作曲/ジャック・マーフィー 作詞/栗山民也 演出)

本題に戻ろう。創作ミュージカル(幕末明治時代)に続いて、アニメ『鬼滅の刃』メドレー(大正時代)と『松田聖子』メドレー(昭和〜平成時代)が演奏された。『鬼滅の刃』はドラムメジャー(バトン)の生徒さんに注目!無茶苦茶上手い。TV『世界一受けたい授業』によると彼女は普段、コントラバス担当だそう。全日本マーチングコンテストに出場人数制限がかかって以降、梅田先生が参加をやめられたのは本当に残念だ。全員参加を基本理念にされていることは大変素晴らしいことだとは思うのだが……。まぁ結局、理不尽なルールを追加した(2013年度からドラムメジャーを含め81人以内と定めた)全日本吹奏楽連盟側が悪いのだ。

ところで“竈門炭治郎のうた”って、“マルセリーノの歌”(スペイン映画『汚れなき悪戯』主題歌)に似ていると思いません?賛同してくれる人いないかな(試聴はこちら)。それと『鬼滅の刃』の劇伴音楽を担当し、無限列車編の主題歌“炎(ほむら)”の作詞・作曲で日本レコード大賞に輝いた梶浦由記は本当に素晴らしい作曲家で、彼女の最高傑作は『魔法少女まどか☆マギカ』だと信じて疑わない。

「魔法少女まどか☆マギカ」を語ろう! 2012.03.14
反転する物語~「魔法少女まどか☆マギカ」の魅力 2013.11.19

第2部はまずドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』(全楽章ハイライト)とホルストの組曲『惑星』より“木星”が演奏された。『新世界より』は新型コロナウィルス禍で疲弊し、希望の光を求めて彷徨ういまの気分にピッタリ。『君の名は。』『天気の子』のRADWIMPSも2020年に『新世界』という歌を発表し、僕は強い衝撃を受けた。

Shin

なおドヴォルザークは鉄道マニアとして知られており、『新世界より』第4楽章冒頭部の加速は、SL機関車(大陸横断鉄道)の出発を描写しているのではないか、と言われている。更にこの曲は、ジョン・ウィリアムズが作曲した映画『ジョーズ』テーマの元ネタなのではないかと僕は睨んでいる(試聴はこちら。どうです、似ていると思いません?

ホルストの“木星”は平原綾香が歌った"Jupiter"としても有名だ。あと若い人は知らないかも知れないが、1976年に冨田勲のシンセサイザーによるアルバム『惑星』がリリースされ、アメリカのビルボードで1位にランクインするなど一世を風靡した。これも是非一度聴いて欲しい。2011年には再創造された"ULTIMATE EDITION"も出た。

Planets

『16年の歩み(嵐メドレー)』に続き、卒業生を送る曲(『ひまわりの約束』〜『泣き笑いのエピソード』)。この時なんと秦基博からのビデオメッセージが!いやはやなんともびっくりした。大阪桐蔭吹部は天童よしみやDA PUMPと共演したり、2019年に放送された『世界一受けたい授業』では堺正章やミュージカル女優の新妻聖子が彼らの伴奏で歌ったりするなど、生徒さんたちは恵まれている。心底羨ましい。卒業生を送る曲では3年生がひとりひとり、名前とともに1年生の時と現在の姿がスクリーンに映し出される。親御さんたちは感無量であろう。

ここで余談。僕が秦基博で忘れがたいのは新海誠監督のアニメーション映画『言の葉の庭』のクライマックス・シーンで歌った"Rain"。これはシンガーソングライターの彼としては珍しく、作詞・作曲:大江千里のカヴァーである。だからコンサートで歌うことはまずない。大江は関西学院大学(兵庫県西宮市)在学中に軽音部に所属し、神戸や芦屋などのライブハウスに出演していたという。というわけで僕は"Rain"の歌詞で描かれているのは阪急電車・今津線沿線の情景なんじゃないか、と勝手に妄想を膨らませて愉しんでいる。是非機会があれば『言の葉の庭』を観てみてください。

アンコールは言うまでもなく大阪桐蔭の十八番、『銀河鉄道999』。第1部の最後はリモート演奏による〜コロナver.〜、第2部の〆は通常バージョンによるパフォーマンスであった。僕は彼らの演奏を聞いて初めてこの作品に興味を持ち、映画版を観た。そして今年小学校4年生になった息子には映画版とTV版を見せた。音楽の力は偉大である。

松本零士「銀河鉄道999」とエディプス・コンプレックス〜手塚治虫/宮﨑駿との比較論 2016.07.07
「銀河鉄道999」に見る、松本零士の病理 2017.12.18

最後に。梅田先生、いつかミュージカル『OGATA浩庵の妻』を、生(ライヴ)で拝見できる日が来ることを心から希っております。それから来年以降定期演奏会で観たいミュージカルのリクエストをしておきます。

・ロミオとジュリエット(宝塚歌劇団が上演中のフレンチ・ミュージカル。城田優もロミオやティボルトを演じた)〜特に大阪桐蔭が歌って演奏する“エメ Aimer”や、“世界の王”が聴きたい!!
・壁抜け男(劇団四季が上演したミシェル・ルグラン作曲のフレンチ・ミュージカル。ブロードウェイでも上演された。DVD/Blu-ray発売中)

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2021年4月 3日 (土)

今年のアカデミー作品賞・監督賞最有力!映画「ノマドランド」と哲学者ジル・ドゥルーズの思想

評価:A+ 公式サイトはこちら

Nomado

映画『ノマドランド』(中国語タイトル:無依之地)の監督は中国で生まれ、アメリカ合衆国で活躍するクロエ・ジャオ。主人公ファーン役のフランシス・マクドーマンドとデヴィッド役デヴィッド・ストラザーン以外は実際に車上生活を送っている人々が起用され、本名で出演している。この手法はジャオ監督の前作『ザ・ライダー』を踏襲している。

40代のあるときマクドーマンドは夫(映画監督のジョエル・コーエン)に、こんなことを言った。「65歳になったら私は名前をファーンに変えて、ラッキーストライク(煙草)を吸い、ワイルドターキー(バーボン)を飲み、RV車を手に入れて旅に出るわ」これが役名の由来である。そして彼女の人生のエピソードの数々がシナリオに反映されている。ヴァン(VAN)の中にある食器や家具、小物は彼女の私物だ(詳しくはこちら)。

本作の主題をより深く理解するためには、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズ(1925-1995)が打ち立てた〈ノマド〉という概念を知っておくと大いに役に立つだろう。

〈ノマド〉とは遊牧民のこと。ドゥルーズがドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)について論じた『ノマドの思考』から要点を説明しよう。

ニーチェにとって社会とは、法、契約、制度という3つのコード(構成員が共有する暗号/符丁/決まりごと)に従って回る、人間を縛る官僚的構造である。集団行動していくために必要とされているものだが、人が生まれながらにして持っている資質を覆い隠し、触れ合うことを難しくしている。ニーチェはそこからの逃走、〈脱コード化〉を試みる。〈脱コード化〉とは、3つのコードが縦横無尽に走る社会という枠を越えて、「外」と直接接続すること。「外」との関係にこそ、人間の本来あるべき姿があるとニーチェは確信していた。これは〈脱領土化〉とも言い換えられる。

ドゥルーズにとって〈ノマド〉として生きるとは、新たなものを生成し、閉塞からの〈逃走線を描く〉ことを意味する。最も大切なのは〈生成変化〉すること。フランス語では"devenir"(ドゥヴニール:〜になる、〜に変わる)。つまりドゥルーズの思想は、固定的・官僚的な〈縦の秩序〉よりも、流動的・遊牧民的な〈横のつながり〉の方が新たな価値を生むという考え方である。

ここで僕なりの補足をしておくと、ニーチェ哲学の根底には反キリスト教(anti-christ)があった(ユダヤ教と共通する聖典、旧約聖書を含む)。法=ユダヤ教の律法であり、モーセの十戒がその典型。契約とは神との契約であり、制度=教会の組織を意味した。「人間を縛る官僚的構造」とは教会であり、原罪もしかり。人は生まれながらに「罪人(つみびと)」という枷をはめられている。ニーチェは〈神〉とか〈神の国=天国〉、〈真理〉、プラトン哲学が説く〈イデア〉といった永遠に不変・不滅のものを憎んだ。それらに対抗する概念として彼が生み出したのが〈永劫回帰〉である。〈永劫回帰〉は絶えず動き続ける。ドゥルーズが提唱する〈ノマド〉はニーチェの〈永劫回帰〉の言い換えであると断じても、あながち間違ってないだろう。また、唯一の真実の〈神〉への対抗馬としてニーチェが打ち立てたのが、その著書『ツァラトゥストラはかく語りき』で述べられる〈超人〉。つまり人間が〈神〉の代わりを務めればいいじゃん、ということ。スタンリー・キューブリック監督『2001年宇宙の旅』の“スター・チャイルド”であり、押井守監督『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』のラストでインターネットの海に旅立った草薙素子、そして新房昭之監督『魔法少女まどか☆マギカ』における“アルティメットまどか”がそれに該当する。

『ノマドランド』を観ていて、思い出す光景が幾つかある。まずTV『大草原の小さな家』(特に最初のパイロット版『旅立ち』)で描かれたインガルス一家。そしてジョン・スタインベック原作、ヘンリー・フォンダ主演、ジョン・フォード監督の映画『怒りの葡萄』、そしてリチャード・ギア主演、テレンス・マリック監督の映画『天国の日々』の季節労働者たち。アメリカの西部開拓史そのものが〈ノマド〉としての生き様だった。

『ノマドランド』の登場人物たちが車上生活を送るようになったきっかけは2008年に発生した未曾有の経済危機リーマン・ショックである。これは『怒りの葡萄』で描かれる農民一家の放浪が1929年の世界恐慌に端を発するのと同じ構造を持っている。

また『ノマドランド』のファーンは季節ごとに毎年何処で働くかを決めているので(例えばAmazonの倉庫での梱包作業)、『天国の日々』の季節労働者に近い。サイクルがある彼女の行動パターンは〈ノマド〉というよりも、ニーチェが言う〈永劫回帰〉であろう。

『ザ・ライダー』に続き、『ノマドランド』も朝日が昇る時刻や夕刻の〈マジックアワー〉(日の出前や日没後、太陽はないが辺りが薄明かりに包まれる約20分くらいの時間帯) に撮影された場面が多い。そういう意味においてもネストール・アルメンドロスが撮影監督を務めた『天国の日々』を彷彿とさせる。

「私はホームレスじゃない。ハウスレスなの」とファーンは言う。彼女にとってのHomeはキャンピングカーであり、自分の心の中にあるもの。HomeとHouseの違いは何か?それは移動が可能か、否かにある。

観終えて茫洋とした寂寞感に襲われる、深く、ほろ苦い味わいの作品である。ここに人の生の輝き、原石がある。

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2021年1月14日 (木)

アフォリズムを創造する〈決定版〉

現在小学三年生の息子へ。いつか大きくなったら読んで欲しい。また、新成人のみなさんへの餞(はなむけ)の言葉と受け取ってもらっても良いだろう。

「これは、僕と彼女だけが知っている、世界の秘密についての物語だ」……新海誠監督『天気の子』の一節である。世界の秘密を、あなたにそっと教えよう。以下の記事の集大成だ。

「アフォリズム Aphorism」の語源はギリシャ語で、人間についての真理や戒め、恋愛や人間関係についての教訓、人間の愚かしさや可笑しさ、人生の不思議や矛盾などを端的な言葉で表現したものをいう。日本語に訳すと金言、警句、格言、座右の銘といった言葉になる(ロバート・ハリス『アフォリズム』より)。ニーチェの多くの著書(『喜ばしき知恵』『善悪の彼岸』など)はアフォリズム集の形態で書かれている。

〈アフォリズム〉人間性は少なくとも過去2,000年間、全く進歩していない。進化したのは科学技術とシステム(社会制度)だけ。そこを履き違えてはいけない。

1,000年前に書かれた紫式部『源氏物語』を現代人が読んでも、作中人物に共感することが出来る。愛、嫉妬、恨み、悲しみといった感情に変わりはない。それは2,000年以上前に書かれたギリシャ悲劇(『オイディプス王』など)も同じ。

つまり人間性(こころ)に関する限り、人類は何も進歩していない。もし進歩しているというのなら、どうして20世紀にヒトラーやスターリン、ポル・ポトのような人物が現れるのか?説明出来ないだろう。

一方で、人種差別や女性差別は減り、身分制度も多くの国でなくなり、職業選択の自由など基本的人権は尊重されるようになってきた。つまり司法制度や、社会システムは進化し続けている。しかし、それを〈人類の進化〉と勘違いしてはいけない。

〈アフォリズム〉視点をズラす(移動する)ことで、物事の本質が見えてくることがある。

海で夕日を見ている情景を想像してください。〈太陽は下方に移動して水平線に沈む〉。あなたの主観(視点)として、これは正しい。しかし実際は違う。〈地球はあなたの視線とは反対方向(背中側)に自転しているので、見かけ上、太陽が沈むように錯覚している〉。つまり視点(観測地点)を太陽上に移動して、地球ではなく太陽が固定されていると考えれば、真相に近づくことが出来る(さらに太陽は銀河の中心を周回している)。これがコペルニクス的転回である。

高橋みなみがAKB48のメンバーだったとき、総選挙のスピーチで「努力は必ず報われる!」とぶち上げて世間から失笑を買った。確かに彼女の視点から見ると正しい。努力してオーディションに合格し、48グループの総監督にまで上り詰めた。確率100%である。しかし最大限の努力をしてもオーディションに落ちた女の子の視点に立つどどうだろう?「努力は報われなかった」確率0%である。オリンピック選手もよく似たようなことを言うけれど、全ては錯覚に過ぎない。彼らの影には、一生懸命トレーニングを積み重ねたが良い成績が出ず、消えていったアスリートたちがごまんといる。どのポジションから観測するかで話は違ってくる。

〈アフォリズム〉努力しても夢が叶わないことは多々ある。ある程度努力して成果が上げられなかったら、諦めることも肝心だ。

〈アフォリズム〉「人は何故生きるのか」と問うことに意味はない。「この地球に人間(知的生命体)が誕生したことには何か意味があるはずだ、創造主の目的があるはずだ」という考え方は因果論であり、必ずしも正しくない。「全ては偶然、意味なんかない」と考え、淡々と生きた方が楽。

「何故生きるか」と自問するのは人間だけである。それは人が考える動物だからである。猿とかイルカ、カエルが「何故生きるか」と考えたりはしない。故にその問いに意味はない。

〈アフォリズム〉生物は必ずいつか死ぬ。その恐怖心から人は永遠に不変・不滅の存在を設定した。それが神であり、プラトンが説くイデアだ。だが万物は流転する。

〈アフォリズム〉「神は存在するか、否か?」という問いに対して立証責任があるのは「存在する」と主張する側だけである。「悪魔の証明」と同じ。神の不在は証明出来ないが、だからといってそれが神が存在する根拠にはならない。

簡単なことだ。「ツチノコはいない」と証明することは出来ない。AとB、二人の会話に耳を傾けてみよう。

 A「本州や四国、九州をくまなく探したけれどツチノコは見つかりませんでした」
 B「でも無人島に生息しているかも知れない」
 A「地球全土を調べたけどツチノコはいませんでした」
 B「では地中に潜っているのかも知れない」

きりがない。同様に「宇宙人(地球外生命体)はいない」ことを証明することも不可能だ。

 A「銀河系をくまなく探したけれど宇宙人は見つかりませんでした」
 B「ではアンドロメダ星雲にはいるかもしれない」

……果てしなくこの問答は続く。不在の証明は出来ないが、だからといってそれが存在の証明に繋がることもない。

ほとんど不可避的に人々は「それはなぜ起こったのか」という問いを発する。すべての事象がそれに先行する何かによって引き起こされたと想定する。確かにこの種の因果関係が存在することもあるが、そうではないこともある。例えば放射性元素の崩壊は統計学的に予想し、測定できるが、ラジウム原子が崩壊するとき、なぜ他の原子ではなくその特定の原子が崩壊するかという問いに対していかなる因果的な説明もできない。「ただそのようなもの」なのだ。量子力学にも不確定性原理がある。例えばある原子核の周囲に漂う電子(=量子:物質の最小単位)が、ある瞬間にどこの位置に存在するかは不確定であり、確率的にしか予想できない。観測して初めて場所が確定する。つまり電子は確率の雲の中にある。

もし神に意思があるのならば、量子の不確定性原理が説明できない。神がいると仮定すれば、神の意思は揺らいでいることになるからだ。ならば神は人間と同じで、絶対的で全知全能の存在ではなくなる。そんな設定(=神)、必要ですか?いないと考えたほうがすっきりする。

遺伝子の突然変異もそう。突然変異が発生する理由(因果関係)など何もない。単なる偶然だ。コンピューターのバグとか、ダウン症など染色体異常の発生も同じ。確率は計算できるが、理由はない。想像してみてください。貴方にダウン症の子供が生まれたとしよう。果たしてそこに〈神の意志〉はあるだろうか?単に確率のなせる技に過ぎない。

遺伝子の突然変異が発生する。それにより生まれたものが環境に適していれば生き残るし、適さなければ淘汰される。これが〈種の進化〉だ。つまり進化は〈神の意志〉ではなく、〈偶然と自然淘汰(適者生存)〉の繰り返しによる産物なのだ。因果関係など差し挟む余地はない。

「人間(知的生命体)が存在すること自体が奇跡。だから神様はいらっしゃる」という論理も間違い。順番が逆。我々は考える動物である。だから神を想定する。牛や豚は神様のことを知らない。何故ならば彼らは思考しないからである。故に彼らにとって神は存在しない。観測する者がいなければ、観測される者もいない。語られない神は、神たり得ない。神様が先なのではなく、人の存在が先なのだ(コペルニクス的転回)。「人間が神を創造した」が正解。神とはつまるところ、思い入れに過ぎない。

〈アフォリズム〉生きるとは何かが生まれ、成長し、絶えず変化し続けること。idea(着想)然り、skill(訓練によって培われた能力)然り。生成変化しないものに価値はない。

〈生成変化〉とはフランスの哲学者ジル・ドゥルーズが提唱した概念である。フランス語では"devenir"(ドゥヴニール:〜になる、〜に変わる)。ドゥルーズは定住することなく草原を自由に駆けめぐる遊牧民=ノマドのように生きよ、と説く。このことについてもっと深く考えたかったら映画『ノマドランド』(公式サイト)をご覧なさい。

〈アフォリズム〉「いま」しか存在しない。過去を後悔しても仕方がない。過去はあくまで記憶・記録でしかなく、修正出来ない。未来を思い煩うな。未来は予想・推測で、頭の中にしか存在しない。予定通りいかない。番狂わせが面白い。「いま」を楽しめ。

ただし、これは二十歳を過ぎたらという条件がつく。学校を卒業し就職するまでは、十年後の「ありたい自分」「なりたい職業」を想定し、その目標に向かって努力することは必要だろう。学生時代に遊び呆けて大学入試や就活に失敗したら後々生きることに苦労する。学ぶことは怠るな。一生が勉強だ。skillを磨け!!

〈アフォリズム〉執着は捨て置け。荷を下ろし身軽になって、自由な体で翔べ!

「執着」とは「あのとき、ああしておけばよかった」という後悔、「こうあらねばならない」というこだわりを指す。冷静になって考えると、案外くだらないことに人は執着しているものだ。囚われている執着に気付くためには自分から離れて、自分を客観視するskillを身につける必要がある。瞑想が有効な手段となるだろう。詳しくはハーバート・ベンソン(ハーバート大学医学部教授)著『リラクセーション反応』を読むか、Netflixから配信されている『ヘッドスペースの瞑想ガイド』をご覧あれ。

〈アフォリズム〉矛盾を恐れるな。人間は本来、矛盾した存在である。

このことを僕は宮崎駿の生き様から学んだ。具体的には彼のアニメーション映画『風立ちぬ』を観れば分かる。首尾一貫している必要なんかないんだ。気楽に生きようぜ。

〈アフォリズム〉「個」を大切にする欧米人に対して、日本人は「公」を重んじる。個人の内にある倫理観よりも、その行為が「場」の均衡を乱すか否かが重要視される。「場」ではお互いが監視し合い、秩序を乱す者がいれば「制裁」行動が発令される。

日本は未だ「ムラ」社会であり、「いじめ」の構造を内包している。新型コロナ禍でこれが如実に現れた。「自粛警察」や「マスク警察」が典型例。その背景には不安や恐怖心がある。基本的に日本人は臆病者なのだ。まぁこの「監視社会」「忖度」が良い方向に働けば「気配り」「お・も・て・な・し」に繋がるのだが……。

〈アフォリズム〉人間は均一じゃない。能力に差異はあるし、趣味嗜好も異なる。それが個性。平等であるべきなのは力を発揮する「機会」においてのみ。「差別」はいけないが、「区別」は必要だ。

どんな家庭環境に生まれようが(出自に関わらず)、優秀ならば最高の教育を受けるチャンスが与えられるべきだし(学業の自由)、肌の色や人種で職業選択の自由が奪われるべきではない。しかしその人が持つ能力や仕事量で社会的地位や財産に差が出るのは当然である。「差別」と「区別」は違う。

〈アフォリズム〉社会主義/共産主義の誤謬は「平等」を履き違えたことにある。働き者と怠け者が同じ給料なら誰も働かない。

〈アフォリズム〉「他人より良い暮らしがしたい」という欲望が社会を動かす。それを否定すれば社会は衰退する。

自らの欲望を肯定せよ。但し健康を害さず(アルコール依存症/生活習慣病など)、他人に迷惑がかからない範囲において。禁欲したって、人生つまらないじゃない?

〈アフォリズム〉衰退した社会主義/共産主義の隠れ蓑としてグローバリズムが流行った。しかしその限界を露呈したのが新型コロナウィルスである。世界各国はナショナリズムに走り、国境を封鎖した。人類は皆兄弟ではなく、地球は均一ではない。地域の特性を大切にし、互いの違いを尊重しよう。

社会主義と共産主義の違いについて日本共産党が公式見解を示している→こちら。つまり同じ意味である。

〈アフォリズム〉世の中、言ったもん勝ち。

なにか言いたいことがあっても、相手に伝えなければ心に不満が募るばかりである。問題は何も解決されない。言った場合、相手は怒るかも知れないし、軋轢が生じて気まずい雰囲気になるかも知れない。しかし問題が改善される可能性はある。少なくとも吐き出すことで鬱憤は晴れ、身が軽くなるだろう。コミュニケーションを図ることが人間の基本である。それを怠るな。自分ひとりで悩みを抱え込んだら心は病む一方である。

〈アフォリズム〉「なぜ生きるのか?」「生きることの意味は?」その価値を創造するのは、あなた自身である。

アメリカの自動車工場で働いている人 ー仮にA氏としようー が健康であろうが死のうが、日本で生活するあなたに関係ない。しかしA氏の家族や友人にとってはそうではない。A氏の生には意味があり、価値がある。それはA氏が彼の人生の中で、周囲の人々と築いた「関係性」に拠るものだ。つまり「関係性」の中にしか、人が生きる意味や価値は存在しない。村上春樹は読者との「関係性」に於いて価値があり、ベートーヴェンは彼の音楽を聴く鑑賞者との「関係性」に於いて価値がある。村上春樹の小説を読まない人にとって彼の名前はなんの意味も、価値も持たない。

ミクロの世界において量子論を基礎づける三つの考え方は粒性・不確定性・相関性関係性)である。これはマクロの世界に生きる人間にもそのまま当てはまる。

〈アフォリズム〉量子論・多元宇宙論(マルチ・バース)など現代物理学を学ぶことが叡智につながる。つまり、世界の秘密にアクセス出来る。

まずはカルロ・ロヴェッリ 著『すごい物理学講義』(栗原俊秀 訳/河出文庫)と、野村泰紀 著『マルチバース 宇宙入門』(星海社新書)からどうぞ。

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2020年10月31日 (土)

【いつか見た大林映画】第9回〜未発表短編「海外特派員 ある映像作家の場合」と、ボードレールの詩「人と海と」

2020年4月10日に亡くなった、大林宣彦監督の未発表白黒短編『海外特派員 ある映像作家の場合』が事務所倉庫の棚にあった謎の段ボール箱から発見され、京都国際映画祭でオンライン上映されたのを鑑賞した。公式サイトはこちら

大林監督が30歳頃(1968年前後)に製作した作品(16mmフィルム)だと思われるとのこと。上映時間13分。監督本人や妻でプロデューサーの恭子さん、娘の千茱萸さん、監督の仲間らが登場する。憧れを持って来日した北欧のデザイナーの青年が日本の現状に一度は失望するが、海でCM撮影中の大林監督らと出会い、希望を取り戻すという物語。

「大林映画はピアノ映画だ!」と看破したのは映画評論家の故・石上三登志だった(『彼のオートバイ、彼女の島』や『野ゆき山ゆき海べゆき』でナレーション担当)。僕はそれに「大林映画は海の映画だ!」を付け加えたい。自主映画時代の『EMOTION=伝説の午後 いつか見たドラキュラ』(1967)の頃から、尾道三部作・新三部作は言うに及ばず、遺作『海辺の映画館 キネマの玉手箱』まで終始一貫して認められる特徴である。

『海外特派員 ある映像作家の場合』では、ボードレールの『悪の華』から詩『人と海と』が引用される。

自由な人よ、常に君は海を愛するだろう!
海は君の鏡、逆巻き返す怒涛のうちに
君が眺めるもの、あれは君の魂 

この朗読に続き、ナレーションが「私は心の疲れを感じる時、海に来ます。海はそんな人達でいっぱいでした」と語る。

そして最後「私がこの夏、海で知り合った大林宣彦とその愉快な仲間たち。彼らが教えてくれたこと。それは、どんなときでも人は自分の自由な心を捨てない勇気を持つことだということです。もし心が疲れたら、あなたも海に行かれるといい。あなたはそこで、あなた自身の大林宣彦に出会うことでしょう」というナレーションで締め括られる。

本作を観て僕がはっきりと理解したのは、大林監督は海を〈自由な心〉の象徴と見做していたのだな、ということ。

このボードレールの詩を福永武彦の訳(『悪の華』初版)でも見てみよう。大林は福永の小説『草の花』映画化をライフワークとしていたが、実現には至らなかった。恭子プロデューサーは監督の死後、「できることならあと2作撮らせてあげたかった。思い入れのあった福永武彦の『草の花』と檀一雄の『リツ子その愛・その死』。それができなくなってしまったのは残念です」と語った。『草の花』もまた、船で海を渡る場面がある。

『人と海と』

自由人よ、君は常に海を愛するだろう!
海は君の鏡、波の無限に揺れやまない
繰返しに、君は自分の魂を映すだろう、
そして君の精神も、そのにがさは深淵に劣ることはない。

君は自分の面影に進んで身を沈めよう、
君はこの面影を瞳に腕に抱きしめる、そして胸に
苦しげに燃え上がる想いさえ、ふと紛れよう、
野獣のように人馴れぬ波の哀歌に。

暗い心の持主で、君等の口は共にかたい。
人よ、誰が君の深淵の奥底までを知るだろう、(再版:奥底までを測っただろう、)
海よ、君のひそかに隠す財産を知る者はない、
それほど一途(いちず)に、君等は自分の秘密を守るだろう!

しかも君等は悔(くい)も感じず、憐れみもなく、
力の限り闘い合った、劫初(ごうしょ)の遠い昔から、
死と殺戮とにそれほど君等の血は乾く、
おお永遠の闘争者、憎しみとけぬこの同胞(はらから)!

【出典:福永武彦編集「ボードレール全集 I」1963年 人文書院刊】

大林監督の遺作『海辺の映画館 キネマの玉手箱』では中原中也の詩が沢山引用され、ランボーの詩『永遠』も登場する。中原中也の訳では以下の通り。

『永遠』

また見付かつた。
何がだ? 永遠。
去(い)つてしまつた海のことさあ
太陽もろとも去(い)つてしまつた。

【出典:「中原中也全訳詩集」講談社文芸文庫】

有名な小林秀雄の訳は、

また見つかった、
何が、永遠が、
海と溶け合う太陽が。

【出典:ランボオ「地獄の季節」岩波文庫】

このランボーの詩は、ジャン=リュック・ゴダールの映画『気狂いピエロ』でも引用されている。

ここでランボーが言う「永遠」とは、「神」とかプラトンが説いた「イデア」とかいった不変不動のものじゃない。太陽は水平線の彼方にゆっくりと沈み、波も絶えず詩人の方に押し寄せる。つまり「永遠」とは永久機関のように動き続けるものなのだ。

命は海からやってきた。胎児は羊水の中で時を過ごす。羊水の塩分濃度はほぼ海水に等しく、人間の子供は母の内なる海から生まれてくると言える。人が海に向き合う時、彼は原初の自分をそこに見るのだろう。

物質の最小単位は「素粒子」であり、「量子(quantum)」ともいう。「量子」は粒子の両方の性質を持っている。光は光子という(素粒子)で出来ている。同時にの性質も持つ。波長の違いで我々は「色」を認識する。波長が短ければ「青色」に見え、波長が長ければ「赤色」に見える。 音もであり、波長が長い(周波数が低い)と低音に、短い(周波数が高い)と高音に聞こえる。なお、周波数とは単位時間あたりの振動数である。つまり海を見つめることは、根源的な量子論に思いを馳せることでもある。そこには生の本質がある。大林監督はそれを〈自由な心〉と表現した。フランスの哲学者ジル・ドゥルーズが言うところの〈生成変化〉である。

『日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』の登場人物、山倉(竹内力)と室田(三浦友和)が初めて出会うのは広島県福山市鞆の浦にある港で、次のような会話を交わす。

山倉「初めて見る海はいいもんだ」
室田「毎日眺めてもいいもんだ」
山倉「……ということは、あなたはこの街の方で」
室田「……ということは、お前さん旅の人だね」

また映画の最後に、大林監督のナレーションが入る。

確かに僕は海を見た。
ひとりぼっちで見た。
あのさびしい海は
本当に海だったのだろうか?
しかし、たとえそれが嘘の海であり
この物語が空想の物語であったにしろ
それはそれで良いのだろう。
たとえ物語が絵空事であるにせよ
この恋の想いだけは
確かに僕のものなのだから。

海は心の鏡であり、人はそこに恋の想いを映し出す。

また今年の京都国際映画祭で久しぶりに大林映画『四月の魚』に再会した。主演&音楽は元YMOの高橋幸宏。高橋は『海辺の映画館 キネマの玉手箱』にも“ファンタ爺”役で出演している。四月の魚ーポワソン・ダブリル(Poisson d’Avril)とはサバのことである。やはり海が関わっている。

『四月の魚』の主人公は「汚れっちまった悲しみに」と口ずさみ、中原中也の詩『一つのメルヘン』を暗唱する。

秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。

陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄(いままで)流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……

光子は水滴に変換され、「さらさら」とになって流動する。ここに大林映画の真髄がある。

僕の現在の職場からは瀬戸内の海が見える。多分、無意識のうちに導かれて、ここに辿り着いたのだろう。そして毎朝、海辺に来ての音に耳を傾ける。それは正に、大林宣彦とのひそかなる対話なのである。

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2020年9月25日 (金)

【考察】映画「TENET テネット」を観る前/後に知っておくべき幾つかの事項と、その哲学(自由意志 vs. 決定論)、さらにブロック宇宙論!

評価:A+

Tenet

公式サイトはこちら

いやー、参った!1回目の鑑賞ではさっぱり理解不能だった。しかし曲者クリストファー・ノーランの映画だから、そんなことは想定内。賭けても良いが、何が起こっているか初見で100%解読出来る人は皆無だろう。帰宅後一生懸命勉強して知識を叩き込み、2回目に挑戦。今度は九割方、物語のタイムラインが呑み込めた。それでも完璧ではないので、近日中にIMAXで3回目の鑑賞に臨む予定である。

【前半戦(鑑賞前にお読みください)】

1)回文/パズル

本作のタイトルは「信条」「信念」といった意味で、ラテン語による回文

SATOR
AREPO
TENET
OPERA
ROTAS

に基づいている。左上から縦読み/横読みしても、右下から逆方向に縦読み/横読みしても同じ。「農夫のアレポ氏は馬鋤きを曳いて仕事をする」という意味だが、SATORを農耕神サトゥルヌス、AREPOを「大地の産物」を解釈することも可能。一世紀頃には完成していたと考えられ、イギリス、イタリア、シリアなどの遺跡から発見されている。「セイター」「アレポ」「テネット」「オペラ」「ロータス」という5つの単語はすべて本編中に登場する。

そして映画全体が回文になっている。冒頭、キエフのオペラハウスでのテロとクライマックス、地図にない土地スタルスク12での戦闘は同じ日に起こっている。つまり映画の半ばで主人公は時間をUターンし、『ふりだしに戻る』(ジャック・フィニイによるSF小説のタイトル)。途中、順行したり逆行したり「時間の矢」は目まぐるしく向きを変えるが、歴史(運命)は変わらない。ある意味、パズルみたいだ。

またTENETは【左→右】に読んだTEN(10分)と、【左←右】に読んだTEN(10分)の時間挟撃作戦も意味している。

2)順行と逆行

映画は時間を順行する人物と、逆行する人物が入り乱れ、時に互いが格闘をして混乱する仕掛けになっている。整理しよう。本編に登場する「時間反転装置(回転ドア)」には「の部屋」と「の部屋」があり、が順行、が逆行を示す。最後の作戦では時間を順行する主人公たちのチームが、逆行するニールたちのチームがの腕章をつけている。逆行時に肺は外気を取り込めないため、酸素マスクが必要。但し逆行者は「の部屋」内でマスク不要。また主人公とニールが逆行しながら船に乗っている場面ではビニールカーテンで覆われた簡易無菌室(clean room)のような空間内にいて、中には酸素が供給されているものと思われる。そして順行者は逆行者の言葉を理解出来ない(カセットテープの逆回転のような音声だから)。

「時間反転装置」はタイムマシーンと違い、例えば10日前に一息でジャンプ(時間跳躍)出来ない。逆行するだけだから10日前に行くには10日かかる。

また冒頭に登場するワーナーブラザースのロゴマークが赤色で、エンディングのロゴのは青色なのにも注目!

の色分けはドップラー効果に由来するのではないか、というのが僕が立てた仮説。観察者に対して近づいてくる物体(現在←未来)はっぽく見え(波長が短く、周波数が高い)、遠ざかる物体(現在→未来)はみを帯びて見える(波長が長く、周波数が低くなる)。音の場合は近づく方が高音、遠ざかると低音になる。救急車のサイレンで経験があるだろう。

3)バックパックのストラップ

1回目は完全に見逃していたのだが、穴の空いた硬貨にオレンジ色の紐を通したストラップをバックパックに結んでいる兵士が3回出てくる。これ重要。

4)順行する人物が逆行する銃弾に撃たれると致命傷を追う

理由は逆行を可能にしている放射性物質の影響だそう。だから逆行弾の傷を癒やすためには、被弾者も逆行しなければならない

5)時間反転装置(回転ドア)のある場所

①オスロ空港 ②エストニアの港 ③旧ソ連のスタルスク12 ④挟撃作戦におけるTENET側の拠点・砕氷船マグネ・ヴァイキング(Magne Viking)号内部(時間をさかのぼり逆行してきたレッドチームが順行に戻る/ブルーチームは現状維持)

6)自由意志 vs. 決定論

哲学における〈自由意志〉とは人間が自己の判断に対するコントロールを行うことが出来るという仮説である。その対義語が〈決定論(因果論)〉であり、予め運命は決まっており、〈自由意志〉など存在しないという考え方だ。

つまりAかBの選択を求められたとき、どちらに決めるか本人に〈自由意志〉があるという考え方と、その人がどちらを選ぶかは既に決まっており、選択の余地はないという考え方がある。

私たちはしばしば過去を振り返り、「あの時、AではなくBを選んでおけばよかった」と後悔する。『If もしも....』。そういう想いを叶えるのが時間SF(タイム・トラベルもの)であり、主人公は過去に戻って自分の、あるいは地球規模の運命を変えようとする。そのミッションに成功すれば現在(過去にとっての未来)は変わる。枝分かれが発生し、主人公はパラレルワールド(平行世界)に入っていく。映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』や『ターミネーター2』『恋はデジャ・ブ』『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』『魔法少女まどか☆マギカ』『君の名は。』がそうだ。

ここで〈親殺しのパラドックス〉が問題となる。英語ではGrandfather paradox(祖父のパラドックス)という。「ある人が時間を遡って、血の繋がった祖父を祖母に出会う前に殺してしまったらどうなるか」というもの。その場合、両親のどちらかが生まれてこないことになり、結果として本人も生まれてこないことになる。従って、存在しない者が祖父を殺すこは出来ない。

〈決定論〉において、その人がBでなくAを選ぶことは〈自由意志〉でなく、それまでの経験則(生まれてから脳内に蓄えたデータ)により無意識のうちに決まっていたと考える。

『TENET テネット』でニールは「起こったことは起こったことだ(What happened, happened.)」と言う。つまり、結果は決まっている、運命は変えられない。地球滅亡を阻止するというミッションは予め成功することが決まっていた。これはクリストファー・ノーラン監督自身の思想でもある。

ノーランの主張は〈ブロック宇宙論〉に基づいている。ブロック宇宙論とは、全ての時間と空間が一つなぎのブロックのように存在し、過去・現在・未来が同時に存在している、というもの。宇宙は流れではなく、一つの構造物であり、我々はその一つの空間(断面)にいて観測・体験しているだけで、時間というものは錯覚に過ぎないという考え方だ。

Time

上図、観測者がいる【現在】の平面は下から上に移動し、既成の歴史を目撃・体験する。

更に詳しいことをお知りになりたければ、イタリアの理論物理学者カルロ・ロヴェッリ(著)富永星(訳)「時間は存在しない」(NHK出版)を読まれることをお勧めする。

アインシュタインの特殊相対性理論によると、現在は過去だけでなく未来からも影響を受けており、これを〈逆因果律(後方因果関係)〉という。最終的な運命は決まっているものの、どのようにそこに至るかは正確には決まっていないと考える物理学者もいる。つまり〈自由意志〉はあるが、あくまで限定的であるというわけ。

もし自由意志がないとしたら、人間はニヒリズム(虚無主義)に陥ってしまう危険がある。「どうせ俺の運命は決まっているんだ。頑張っても仕方がない」となる。だからたとえ幻想であろうと〈自由意志〉があると信じて、人生に価値を見出していくことが大切だ。つまりTENET(信念)を持てというわけ。

7)エントロピー増大の法則(熱力学第二法則)

エントロピーとは「乱雑さの度合い」のこと。エントロピーの低い状態は「秩序ある状態」、エントロピーの高い状態を「無秩序な状態」と言い表せる。全ての事物は、「それを自然のままにほっておくと、エントロピーは常に増大し続け、外から故意に仕事を加えてやらない限り、そのエントロピーを減らすことはできない」ということ。

例えば薪が燃える状況を想像して欲しい。熱エネルギーが生じ、周囲の空気を温め、運動が激しくなった酸素・窒素・二酸化炭素などの分子は拡散していく(乱雑さを増す)。また煙が上空に登り、立ち去っていく。そして一本の薪は灰になり、バラバラに砕け散る(無秩序な状態になる/ゴミが発生する)。これがエントロピーの増大だ。不可逆性の変化であり、灰や煙や熱(分子運動)が一本の薪に戻ることは出来ない。つまり時間を逆行させるためにはエントロピー(乱雑さ/ゴミ)が減少する仕組みを構築しなければならない

8)時間が逆行する仕組み・理論

『テネット』で言及される未来の科学者は反電子(陽電子)を利用して、特定空間の物質だけエントロピーが小さくなる(「時間の矢」の向きを反転させる)技術を作った。ここで「対生成(ついせいせい)」について説明する。対生成とは素粒子(物質の最も小さい単位)の反応で、素粒子とその反粒子が同時に生成される現象。例えば光子から(マイナスの電荷を帯びた)電子と(プラスの電荷を帯びた)陽電子(または「反電子」と呼ぶ)が生成される。電子は「過去から未来に進む」普通の電子であり、反電子とは数学的に「未来から過去に進む」電子である、と解釈可能だ(正の電荷を持ち、時間を順行する陽電子=負の電荷を持ち、時間を逆行する電子)。つまり【陽電子は時間を逆行する】 。すべての物質には電荷が反対の「反物質」が存在している。映画に登場する「反転装置」はつまり、物質⇔反物質に転換する装置なのである。

そして電子と反電子が衝突すれば「対消滅(ついしょうめつ)」が起きて光子に変換される。『TENET テネット』に於ける「防護スーツを着ずに過去の自分と直に接触してはいけない。量子の対消滅が起きる」というルールはここから来ている。電子=素粒子=量子と考えて差し支えない。

【後半戦(鑑賞後に)】

では次に、既に映画をご覧になった方のための抑えておくべきポイントについて書こう。

1)本作のテーマ

セイターはアルゴリズムを稼働させ、地球の全てのエントロピーを逆行させようとした。つまり彼は「過去に戻って祖父を殺すこと」は可能であると信じていた。何故ならもしも彼の計画が成功すれば、アルゴリズムを稼働させた後の未来は存在せず、アルゴリズムや「反転装置」は発明されなかったことになる。完全に矛盾している。

一方、ニールらTENETのメンバー(そしてノーラン)は過去を改変出来ないこと(What happened, happened.) を知っていた。つまり本作は〈自由意志〉派と〈決定論〉派とのガチンコ対決を描いていることになる。どちらが勝ったかは言うまでもない。

過去を後悔するな。やり直すことは絶対に不可能なのだから。それよりも「いまを生きる」ことが大切。

2)スタルスク12におけるニールの複雑な行動

ブルーチームに参加し、逆行する→主人公とアイブスが入ったトンネル入口に爆弾が仕掛けられるのを見て敵の回転ドアを利用して順行に戻る→装甲車で丘に登り、地下核実験場に空けられた天井の穴からロープを地下に投げ入れ、アルゴリズムを奪った主人公とアイブスを実験場爆発と同時にロープで地下から引き上げる。→再び(今度は砕氷船マグネ・ヴァイキング号の)回転ドアに入り逆行、空いた鉄格子の扉から中に入り鍵を閉め、敵に撃たれて死ぬ。

ここでニールが鍵を開けたと錯覚している人が多いのだが、それは順行視点であり、ニールの主観でみると閉じるが正解。逆行ニールが地下実験場に侵入するタイミングは主人公とアイブズがロープで脱出する様子の逆回転を見届けた直後。なぜならその前だと爆発に巻き込まれ低体温症になるから。塞がれたトンネルの入口を開放する道具が必要。ニールと一緒にアイブズも逆行して手伝ったのかも知れない(ニールの侵入を外で見届けてアイブズは順行に戻る)。

3)ニールの正体

キャットの息子マックスはMaximilien(マクシミリアン)の愛称。後ろから読む(逆行する)とNeil(ニール)。本作で描かれる時から10-15年後に、同じ時間をかけ逆行して戻ってきた。推定年齢30-40歳。彼がバックパックに結んでいるのは、どうやらベトナムのお守りらしい→こちら!母との楽しかった思い出があるのだろう。ニールとセイターがエストニア語を話せることも根拠の一つ。

4)ニールは自分がスタルスク12で死ぬ運命であることを事前に知っていたか?

間違いなくYes.根拠は3つある。

A)主人公と別れ際、"I think this is the end of a beautiful friendship."(これが僕たちの美しい友情の最後だと思うよ)と言う。この台詞は映画『カサブランカ』ラストシーンにおけるハンフリー・ボガートの名台詞"I think this is the beginning of a beautiful friendship." の引用である。また"this is the end"はフランシス・コッポラの『地獄の黙示録』も意識しているかも知れない(ドアーズの『ジ・エンド』が映画冒頭と最後に流れる)。

B)映画冒頭で主人公は「信念(TENET)のために死ぬことが出来るか?」を問われる。そして最後にニールはTENETのために死ぬ。美しい円環構造だ。

C)本作においてニールは全てを知っている神のような存在だから。言い換えるなら、シナリオ(歴史)を読み込んだ映画監督の立場である。主人公=主役(The Protagonist)のオーディション・シーン(キエフのテロ直後の拷問場面)もある!

5)TENET(信条)

理屈に合わなくても人は何かを信じなければ生きていけない。take a leap of faith (運命に身を任せて飛び込む/清水の舞台から飛び降りる)ことが大切。その、古来からある代表例が宗教だろう。

心理学に〈承認欲求〉という用語がある。「他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という欲求であり、幼少期に親から「あなたは生きていていい。愛している」と〈承認〉される欲求が満たされないと、〈愛着障害〉に陥る。つまりたとえ幻想でも構わないから「自分には何らかの価値がある」と信じられなければ、生きていけないのである。その典型例が〈境界性パーソナリティ障害〉であり、〈愛着障害〉を発端として「自分には何の価値もない」「生きる意味がない」「虚しい」と考え、リストカットなど自傷行為や、自殺企図を繰り返すことになる。

「自尊心・矜持(pride)を持て」と、クリストファー・ノーランは映画で繰り返し語っている。『インセプション』も、そういう話だ。

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2020年7月21日 (火)

映画「のぼる小寺さん」とシーシュポスの神話

評価:A

Noboru

公開後、大評判なので何の予備知識もなく観に行った。主演の工藤遥が元モーニング娘。ということは、現在このブログを書いている時点で資料に当たり、初めて知った。原作は漫画なのだそう。全4巻。公式サイトはこちら

古厩智之監督作品は16mmフィルム『灼熱のドッジボール』(15分)がぴあフィルムフェスティバル(PFF)でグランプリを受賞して、そのスカラシップで撮った初の劇場映画『この窓は君のもの』(1995、日本映画監督協会新人賞受賞)と、長澤まさみ主演『ロボコン』(2003)を観ている。どちらも瑞々しい青春映画で大好きだった。それ以来、実に17年ぶりの再会である。

シナリオを書いた吉田玲子はアニメーション映画『リズと青い鳥』と『若おかみは小学生!』の脚色の上手さが際立っていた。今回の仕事も文句なし。

『ロボコン』は高専のロボットコンテストを題材にしていたが、今回は高校のボルダリング部。目新しい。僕の学生時代にはそんな部活動は存在しなかった。調べてみると、全国高等学校選抜スポーツクライミング選手権大会が初めて開催されたのは2010年だという。

本作には〈何故、小寺さんは壁を登り続けるのか?〉という大きな問いがある。それは〈何故、人は生きるのか?〉という哲学的な問いに等しい。

〈何故、人は生きるのか?〉生物学的に言えば、答えは単純明快である。〈子孫を残し、繁栄させるため〉〈命をつなぐため〉ーそれしかない。それは新型コロナウィルスも同じ(宿主の人間が死んでしまったら体内のウィルスも死滅するで元も子もないのだけれど、そこまでは脳のないコロナは予想出来ない。だから闇雲に増殖しようとする。がん細胞もまた然り)。しかし医学の進歩で人間の寿命は伸び、子供が成人になっても僕らは生き続けることになった。子供をもうけない人も天寿を全うする。その目的は?どうせ皆、最後は死ぬのに……。結局、この問いを突き詰めていくと〈たまたまこの世に生を受けたから〉という答えしか残らないのではないだろうか?

ギリシャ神話に『シシュポス(シーシュポス)の岩』というエピソードがある。小説『異邦人』で有名なアルベール・カミュの随筆『シーシュポスの神話』冒頭部を引用してみよう。

神々がシーシュポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂にまで達すると、岩はそれ自体の重さでいつもころがり落ちてしまうのであった。

無益で希望のない労働ほど怖しい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。

正にカミュが得意とするところの〈不条理である。しかし考えてみれば、人生とはこの〈不条理の繰り返しなのだ。一生懸命働いて財産を築く。銀行に沢山貯金をする。そして死ぬ。結局、残ったお金は本人にとって無意味となる(勿論、子孫のためにはなるけれど)。

〈何故、小寺さんは壁を登り続けるのか?〉その答えはシーシュポスが岩を繰り返し山頂まで運び上げる行為と同じだろう。イギリスの登山家ジョージ・マロリーは「なぜ、あなたはエベレストに登りたいのか?」と記者から問われて、「そこに(山が)あるからさ(Because it's there. )」と答えた。〈何故、人は生きるのか?〉結局この答えも、"Because it's there."に集約されるだろう。

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2020年7月 5日 (日)

【考察】「パラサイト」のポン・ジュノが絶賛した映画「哭声/コクソン」を構造分析し、事件の真相(深層)に迫る!

『哭声/コクソン』は2016年に製作された韓国映画で、日本では17年に公開された。「哭声」とは「泣き叫ぶ」という意味で、コクソンという音声は舞台となる地名「谷城」も表している。つまりタイトルそのものがdouble meaningになっている。レーティングはR15+。

ナ・ホンジン監督のデビュー作は過去に論評している。

そもそもホラー映画はあまり好みではないので、本作は見逃していた。他に、話題となった『新感染 ファイナル・エクスプレス』『アイアムアヒーロー』『ミッドサマー』も未見。どうも食指が動かない。

しかし今更ながらAmazon prime videoで観ようと思った切っ掛けは、『パラサイト 半地下の家族』で米アカデミー作品賞・監督賞・脚本賞など6部門を受賞したポン・ジュノが〈2010年代の映画5本〉に黒沢清監督『散歩する侵略者』やウエス・アンダーソン監督『ファンタスティック Mr.Fox』と並んで、『哭声/コクソン』を挙げていたからである(詳細こちら)。

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評価:B+

兎に角、國村隼が最高!彼のベスト・パフォーマンスではないだろうか?韓国で最も権威がある青龍映画賞で助演男優賞と人気スター賞をダブル受賞したのも頷ける。なんとこれが映画賞初受賞だそうである。因みに彼は本編で日本語しか喋らない。

ナ・ホンジンはクリスチャンだそうで、映画冒頭にルカ伝(新約聖書)からの引用がある。「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」死後三日目に復活したイエスの言葉である。

外務省の大韓民国基礎データによると、韓国は宗教人口比率53.1%(うち仏教:42.9%,プロテスタント:34.5%,カトリック:20.6%)だそうで、つまりプロテスタントとカトリックを合わせてキリスト教信者は29.3%ということになる。日本人全体のクリスチャンの割合は1%前後なので、えらい違いだ。

物語前半は寒村に起きる猟奇的連続殺人事件という意味で、横溝正史の『八ツ墓村』を彷彿とさせる、ところが後半に入ると、少女に取り憑いた悪魔祓いの話になり、明らかに『エクソシスト』を意識した展開になってくる。さらに観客の予想を裏切る展開が待ち構えている。

ナ・ホンジンは『哭声/コクソン』のテーマを“混沌、混乱、疑惑”だと語る。本作を観て、「なんじゃこりゃあ〜!」(by ジーパン刑事「太陽にほえろ!」)とか、「全く意味がわからなかった……」と戸惑う声が多数あると聞く。以下ネタバレ全開で完全解説する。心の準備はよろしいか?

 

 

ーーーーーーーーーーーーネタバレ注意!ーーーーーーーーーーーー

 

 

【イエス・キリスト】コクソンの村人たちがユダヤ教時代のエルサレムの住人、國村隼演じる山の男(よそ者)をイエス・キリストと見立てることが出来る。國村はインタビュー記事の中で自分の役を「あの男は別に人ですらない」と語っている。彼は役作りで人間としてのイメージを捨てて、抽象的な「存在」であろうとしたという。

山の男(よそ者)は悪魔のようであり、時には救世主のようでもある。

映画の終盤、助祭(神父見習い)イサムが洞窟に入っていくと、死んだはずの謎の日本人を目撃する。男の掌には聖痕がある。イエスが十字架に磔刑された際、身動き出来ないよう釘を手に打ち込まれた傷穴だ。間違いなく男は救世主なのだが、イサムは彼を信じることが出来ず、イエスは悪魔に変化(メタモルフォーゼ)する。つまり信仰があるかないかで「存在」の解釈は二項対立(両極)のどちらにも転び得ることを表現している。

【カメラアイ(Camera-Eye)とdouble meaning】本作の小道具として登場するカメラや沢山の写真は「存在」を象徴している。つまり「ただ、そこにある」。それは映画自身のカメラアイ(視線)も同じ。「ただ、そこにある」ものを映している。その「存在」に「意味」を与えるのは観客だ。つまり見る者の意識・主観が「存在」をどう評価するかで、意味が変わってくる。これがdouble meaningだ。観客の意識を誘導する仕掛けがプロット・物語・台詞であり、映画の編集ということになる。とても哲学的な映画論が展開されていると言える。

【天使と悪魔】また事件の目撃者ムミョンは謎の女として描かれるが、彼女も日本人と同じ立ち位置と考えれば良い。天使か悪魔か?白い服はやはり天使のイメージだろう。そして悪魔=堕天使。double meaningとしての「存在」。それは空っぽの「器」と言い換えても良い。「器」に何を盛るかは観客次第。解釈によって中身は変化する。彼女が主人公の警官ジョングに石を投げることから、マグダラのマリア説もある。ただしマグダラのマリアは石を投げられる側なので、ベクトルは反対方向となる。マグダラのマリアもdouble meaningだ。「罪深い女」であると同時に、イエスが十字架に磔にされ、埋葬されるのを見送った聖人。復活したイエスを最初に目撃するのも彼女だ。元・娼婦と考えられているが、異論もある。清浄⇔不浄。「きれいは汚い、汚いはきれい」(シェイクスピア『マクベス』三人の魔女の台詞)。

映画終盤にムミョンがジョングの前に立ちはだかり、彼の自宅に悪霊除けの結界として金魚草の呪い封じを付けてきたことと、鶏が3回鳴くまで決して帰宅してはいけないと警告する。最後の晩餐の時にイエス=キリストがペトロに「あなたは鶏が鳴く前に3度、私を知らないというだろう」と予言し、ペトロは「絶対にありえない」と否定するが、結局イエスの予言通りになるエピソードに則っている。つまりここでジョングは信仰心を試された。しかし彼は信じ抜くことが出来ず、悲劇を招くことになる。

【聖パウロ】祈祷師は聖パウロである。この正解はただひとつだけ。パウロ(ユダヤ名でサウロとも呼ばれる)は初め、熱心なユダヤ教徒としてイエスの信徒を迫害してきたが、ダマスコ(シリアの首都;ダマスカス)に向かう途上において、「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と天からの光とともにイエスの声を聞き、その後目が見えなくなった。アナニアというキリスト教徒がサウロのために祈ると彼の目から鱗のようなものが落ち、目が見えるようになった。こうして回心した彼はキリスト教徒となった。

祈祷師がソウル(韓国の首都)に逃げ帰ろうとした時、何か(オオシロカゲロウの大量発生)が車のフロントガラスにぶつかり、視界を奪われて停車する。その時彼は謎の男が悪霊でないことを悟る。「サウロの回心」がそっくりそのまま再現されていることがお分かり頂けるだろう。

本編から削除された別エンディングをご覧いただきたい→こちら!復活したイエスに寄り添うパウロ(サウロ)。去っていくふたり(救世主と使徒)を見送るマグダラのマリアという構造が描かれている。

【事件の真相】猟奇殺人の原因は、毒キノコを食べたことによる精神錯乱。犯人の血液から幻覚性キノコの成分が大量に検出され、家からキノコも大量に見つかった。またキノコは小さな胞子をつくって空気中に飛ばし、 これを吸い込んでキノコが体に入り込む。ジョングら警官たちが次第におかしくなっていくのもキノコの胞子が原因と考えられる。謎の日本人が住む家の近くに毒キノコが群生していたのであろう。この解釈では、謎の日本人と白い服の女ムミョンも幻覚ということになる。例えばジョングの妻や義母はふたりを見ていない。毒キノコ中毒になっていないからである。

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2020年5月27日 (水)

【考察】噴出する「テラスハウス」問題と、ネットで叩く者たちの心理学

22歳の女子プロレスラー・木村花さんが亡くなったことに関して、出演してた番組「テラスハウス」(ネットフリックス/フジテレビ)における彼女の言動を巡って、SNSに非難が書き込まれたことが原因ではないかと取り沙汰されている。

番組における彼女の役割はヒール(Heel)だったのではないだろうか?プロレス興行のギミック上、悪役として振舞うプロレスラーのことを指す。つまり観客(視聴者)を愉しませるための偽装だ。実際には仲がよいプロレスラーでも、リングの上では憎しみ合っているように振る舞う。あくまでも演技だ。ファンはそのことを承知の上で野次を飛ばし、悪役が繰り広げる反則技にブーイングし、試合会場は興奮の坩堝と化す。彼らは内面のモヤモヤ(ユング心理学では影 shadowと呼ばれる)を吐き出し、ヒールに投影し、叩くことによって日頃の鬱憤を晴らす。そこには暗黙の了解が成立している。プロレスはスポーツと言うよりもあくまで「興行」だから、試合結果がTVニュースで報道されることはない。もっと詳しく内部事情を知りたいのなら、ミッキー・ロークが主演し、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した「レスラー」(2008)をご覧になることをお勧めする。

バラエティ番組に登場する「おバカキャラ」も同じ構造である。知識が欠けているのも事実だろうが、クイズの答えが判っていても、わざと外して番組を盛り上げることも彼らの重要な役割だ。つまりキャラクターを際だたせるために話を「盛る」のだ。漫才のボケと一緒。実際に痴呆なわけではないし、大方の観客だってそのことは知っている。これも暗黙の了解だ。

しかしテレビの視聴者の中にはこの暗黙の了解が通じない人達が少なからずいる。リアル(現実)とフィクション(虚構)の見分けがつかない。彼らはテレビが嘘を付くはずがないと信じ込んでいる。「リアリティー番組」という呼び方や、「台本がない」を売り文句にしている点も誤解を生む原因だろう。

ある海外メディアは「リアリティーTV 」出演者のうち、過去に38人が自ら死を選んだと報じた。アメリカだけでも過去10年で21人が命を絶ったというデータもある。

嘗て山口百恵や小泉今日子といった昭和のアイドルは雲の上の存在だった。しかし21世紀に入り、AKB48など「会いに行けるアイドル」が登場し、手が届く対象になった。その他の芸能人も、SNSの普及に伴い身近な存在になった。ツイッターやインスタグラムにコメントを書き込めば(マネージャーや事務所の検閲なしに)直接本人が読んでくれたり、コメント返しをくれる可能性まで生まれた。しかし便利なコミュニケーション・ツール(accessibility)は諸刃の剣であり、リスクも増大した。芸能人が身体的、精神的に傷つけられる事象もしばしば報道されるようになったのだ。

【集団の形成】「地球上すべての生物は遺伝子(自己複製子)の乗り物に過ぎず、生物の様々な形質や、利他的な行為を含めた行動のすべては、自然選択による遺伝子中心の進化によって説明できる」とリチャード・ドーキンスは著書『利己的な遺伝子』の中で述べている。人は遺伝子を運ぶ舟である。我々の祖先が木から降りてサバンナで生活を始めたとき、集団生活を始めた。その方が種の保存のために好都合だからである。ライオンやジャッカルといった外敵から身を守ることが出来るし、仕事の役割分担することで食料の確保も容易になる。「人間は社会的動物である」と言われる所以だ。やはり外敵から身を守るために群れをなすイワシとか(希釈効果)、V字編隊になって飛ぶ雁の群れに似ている。

Iwashi

【安全欲求/制裁行動】集団の形成で人は安心して暮らせるようになった。家族や仲間を守ろうとするとき、脳の下垂体後葉からオキシトシンと呼ばれるホルモンが分泌され、安らぎに満ちた喜びが湧き起こる。これが愛着の仕組みである。しかし和を乱す者、逸脱する者が現れると安全欲求が脅かされ、邪魔になりそうな人に対して制裁行動 sanctionを起こす。「いじめ」や「自粛警察」「ネットリンチ」の根底にはこの構造が潜んでいる。「同調圧力」あるいは「出る杭は打たれる」とも言う。

【ルサンチマン】有名人に対するバッシングには、彼らの成功に対する嫉妬心も原動力となっている。フランス革命やロシア革命におけるプロレタリアート(労働者階級)の、ブルジョアジー(富裕層)に対する感情に似ている。攻撃する者たちは心理的な価値の転倒、一発逆転を狙っている。哲学者ニーチェが言うところのルサンチマンだ。あるインターネット評論家は誹謗中傷のコメントをするネット民の属性を、(1)20代、(2)ニート・フリーター、(3)独身、(4)童貞だと述べている(出典こちら)。要約すれば「収入が少なく、モテない、寂しいヲタク」ということになるだろう。

【正義中毒】いじめは快感に直結する。制裁行動 sanctionが発動すると、中枢神経に存在するドーパミンという神経伝達物質が放出され、喜びを感じる。承認欲求達成欲求が満たされ、いじめ/バッシングは過激化する。これを「過剰な制裁」という。ドーパミンは本来、困難な目的を達成したときに生じ、「報酬系」と呼ばれる。しかし麻薬・飲酒・賭博・いじめなどでも短絡的放出を引き起こし、快楽をもたらす。バッシングする人は「自分は正義を行っている」という実感(勘違い)があり、やめられない。「正義中毒」である。アルコール中毒や薬物中毒と同じ。ドーパミン分泌という「報酬」を、飽くことなく求め続けるのだ。児童虐待する親の心理もそう。彼らにとっての「正義」は「しつけ」と言い換えられる。2019年に千葉県野田市で小学校4年生(当時)の栗原心愛さんが自宅浴室で死亡した虐待事件で、父親である勇一郎被告は娘が号泣する動画を蒐集(collect)していた。それが彼にとっての「報酬」であった。

【高低差=社会的欲求】「自分は正義を行っている」という感覚は、アメコミのヒーロー(スーパーマン、バットマン)とか、大岡越前といったお奉行さまになったような気分に近い(仮想現実)。高みからお白州に畏まる悪党を見下す快感。それは米アカデミー作品賞・監督賞を受賞した韓国映画「パラサイト」に描かれたように、丘の上の高台に住む富裕層が、半地下に住む貧困層を睥睨する気分に等しい。上から目線ーその高低差により優越感に浸れ、社会的欲求が満たされる。たとえ幻想でしかないとしても。

Maslow

【人の心】アドルフ・ヒトラーとナチス・ドイツの悪夢。結局、地球上で一番恐ろしいのは津波とかウィルスではなく、人の心なのである。心がモンスターを生む。マリー・アントワネットをギロチンの刑に処し「共和国万歳!」と叫んだフランス市民の正義、ロマノフ家を全員銃殺したロシア労働者階級の血みどろの正義、日本の市民活動家の正義、そして韓国の元慰安婦支援団体である「正義連」……。もう、うんざりた。自らを「正義」とか「市民」と名乗る者を徹底的に疑え!

 

参考文献:① 河合隼雄(著)「影の現象学」講談社学術文庫
② リチャード・ドーキンス(著) 日高敏隆ほか(訳)「利己的な遺伝子」 紀伊國屋書店
③ 岡田尊司(著)「死に至る病 あなたを蝕む愛着障害」光文社新書 
④ 岡田尊司(著)「あなたの中の異常心理」幻冬舎新書
⑤ フリードリヒ・ニーチェ(著)中山元(訳)「道徳の系譜学」光文社古典新訳文庫
⑥A.H.マズロー(著)小口忠彦(訳)「人間性の心理学」産能大出版部

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2020年5月12日 (火)

「自粛警察」「コロナうつ」の心理学

5月9日のNHKニュース(出典こちら)より一部引用。

新型コロナウイルスの感染拡大に伴う外出の自粛や休業の要請に応じていないとSNSなどで指摘する行為はインターネット上で、「自粛警察」や「自粛ポリス」などと呼ばれています。専門家は「こうした行為は自分を守ろうという防衛本能のあらわれだが、社会に分断を生み出している」として冷静な行動を呼びかけています。

東京・杉並区では先月26日、営業を休止しているライブバーが無観客で行ったライブをインターネットで配信したところ何者かに通常の営業だと誤解され「自粛してください。次発見すれば、警察を呼びます」などと書かれた張り紙を貼り付けられました。

また東京都内在住の20代の女性が、感染が判明した後に帰省先の山梨県から高速バスで都内に戻ったケースでは、インターネットの掲示板に女性の名前や住所を特定する動きが加熱し、ネット・リンチ(私刑)だと話題になった。犯人探しというゲーム感覚でもあるのだろう。専門家らは「軽率な行動だったとしても個人情報をさらすのは行き過ぎだ」と警鐘を鳴らしている。

こうした動きの背景には”見えない敵”、新型コロナウィルスに対する不安や恐怖がある。昔の人が暗闇を恐れ、妖怪や幽霊を創造(空想)したのと同じ。「自粛警察」は自警団みたいのもので、恐怖に押しつぶされた彼らはその場にありもしない怪物(モンスター)に怯えている。過剰防衛と言えるだろう。

「恐怖心というものが迷信や残虐を生む。恐怖心を克服することが叡智につながる」(バートランド・ラッセル:英国の哲学者。ノーベル文学賞受賞)

不安な日々が続き、自粛疲れもあって僕たちは多大なストレス・心の闇を貯めている。行動を抑制されていることへの不満もある。そうしたモヤモヤした感情のはけ口として、自分の〈影 shadow〉を他者に投影しているという側面もあるだろう。第一次世界大戦後、敗戦国として多額の賠償金を請求され天文学的なインフレーションに苦しんだドイツにおいて、ナチス・ドイツがユダヤ人を憎悪の標的にした構造に似ている。生贄の羊(scapegoat)だ。

「自粛警察」は、いじめの構造を内包している。それは児童虐待にも通じる。なぜいじめるか?彼らにとって、いじめは楽しいのである。その行為の最中に脳内で〈報酬系〉と呼ばれる神経伝達物質ドーパミンが放出され、快感を覚える。本来ドーパミンは困難な目的・課題を達成した時に生じるが、麻薬・飲酒・ギャンブル・いじめでも短絡的放出をもたらす。ただし短絡的な充足は耐性を生じ、更に強い刺激を求めるようになる。飢餓感は癒やされず、際限のない自己刺激行為に陥る。いじめは非常に中毒性が高いのだ。

2019年に千葉県野田市で小学校4年生(当時)の栗原心愛さんが自宅浴室で死亡した虐待事件で、父親である勇一郎被告に対して懲役16年の判決が言い渡された。裁判の過程で娘が号泣する動画を勇一郎被告がデジタルカメラや携帯電話に残していることが明らかになった。つまり彼は後でそのコレクション(報酬)を見て楽しんでいたのである。絶滅収容所でナチスがユダヤ人から掻き集めた金歯・腕時計・指輪・髪の毛(鬘に使った)に相当する。常人には理解できない鬼畜の所業である。

「自粛警察」の匿名性も深く関わっているだろう。素性のばれない安全地帯から他人を非難するのは気持ちが良い。私刑はなんだか自分がアメコミのヒーロー(スーパーマン/バットマン/スパイダーマン)とか、大岡越前みたいな名奉行になって悪党を裁くような錯覚・達成感を与えてくれる。あくまでもそれは幻想に過ぎないのだが。彼らは「正義」の仮面(スパイダーマスク)をかぶり、「公事場(くじば)」と呼ばれる高みから「お白州(しらす)」という砂砂利に敷かれた筵(むしろ)に座る被告人を見下す。その優越感は、まるで酒に酔ったような夢心地だ。これが「正義中毒」である。いじめの構造にも「自分たちは正義を実行している」という感触(思い込み)がある。ユダヤ人絶滅収容所の看守たちも、第二次世界大戦後のパリ開放時に「ドイツ兵と寝た女」たちの頭を公衆の面前で丸刈りにするリンチを実行した者たちも、 中国の文化大革命で文化人に対し自己批判を強要した紅衛兵たちも、連合赤軍(新左翼運動)における総括も、同じ穴の狢である。また「モンスターペアレンツ」の所業にも似ている。彼らは“保護者”という安全地帯から学校や幼稚園の教職員を断罪する。そりゃ快感だろう。“保護者” に対して教師は下手に出るしかないのだから。「自粛警察」 もやはり、新型コロナウィルスへの恐怖が生み出した怪物(モンスター)だ。おぞましい。

「自粛警察」を自認する「社会正義の戦士」たちはロシア革命におけるプロレタリアートである。普段から社会にルサンチマン(恨み)を抱えて生きている(流行語大賞トップ10入り「保育園落ちた日本死ね!!!」)。ルサンチマンとは哲学者ニーチェが好んだ用語で、主に弱者が強者に対して、「憤り・怨恨・憎悪・非難」の感情を持つことをいう。だから他者を断罪することで心理的な価値の転倒、下剋上、一発逆転を狙っているのだ。それが多少の憂さ晴らしにはなるのだろう。なお、上述した栗原勇一郎被告は、観光業の派遣社員だった。

ルサンチマンは劣等感の裏返しであり、妬みでもあるだろう。「自分はしっかり自粛をしていろいろと我慢しているのに、どうしてあいつらだけ勝手気ままに振る舞っているのか!」という怒り、嫉妬心である。ここには日本人的な「私」より「公」を重んじる同調圧力(「武士は食わねど高楊枝」という滅私奉公の精神/清貧の思想)があると同時に、多少「羨ましい」という気分、自由への渇望がないとも言い切れまい。

「パニックになった時、人の本性は現れる」と僕は以前書いた。今回の件で改めて思い知ったのは「自然(ウィルス)もりも、もっともっと恐ろしいのは怪物を生む人の心である」ということだ。ぼっけえ、きょうてえ!

参考文献:① 岡田尊司(著)「あなたの中の異常心理」幻冬舎新書
② 岡田尊司(著)「死に至る病 あなたを蝕む愛着障害」光文社新書 
③ 河合隼雄(著)「影の現象学」講談社学術文庫
④アドルフ・ヒトラー(著)平野一郎 他(訳)「我が闘争」角川文庫
⑤フリードリヒ・ニーチェ(著)中山元(訳)「道徳の系譜学」光文社古典新訳文庫
⑥岩井志麻子(著)「ぼっけえ、きょうてえ」角川ホラー文庫

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