評価:A+
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いやー、参った!1回目の鑑賞ではさっぱり理解不能だった。しかし曲者クリストファー・ノーランの映画だから、そんなことは想定内。賭けても良いが、何が起こっているか初見で100%解読出来る人は皆無だろう。帰宅後一生懸命勉強して知識を叩き込み、2回目に挑戦。今度は九割方、物語のタイムラインが呑み込めた。それでも完璧ではないので、近日中にIMAXで3回目の鑑賞に臨む予定である。
【前半戦(鑑賞前にお読みください)】
1)回文/パズル
本作のタイトルは「信条」「信念」といった意味で、ラテン語による回文
SATOR
AREPO
TENET
OPERA
ROTAS
に基づいている。左上から縦読み/横読みしても、右下から逆方向に縦読み/横読みしても同じ。「農夫のアレポ氏は馬鋤きを曳いて仕事をする」という意味だが、SATORを農耕神サトゥルヌス、AREPOを「大地の産物」を解釈することも可能。一世紀頃には完成していたと考えられ、イギリス、イタリア、シリアなどの遺跡から発見されている。「セイター」「アレポ」「テネット」「オペラ」「ロータス」という5つの単語はすべて本編中に登場する。
そして映画全体が回文になっている。冒頭、キエフのオペラハウスでのテロとクライマックス、地図にない土地スタルスク12での戦闘は同じ日に起こっている。つまり映画の半ばで主人公は時間をUターンし、『ふりだしに戻る』(ジャック・フィニイによるSF小説のタイトル)。途中、順行したり逆行したり「時間の矢」は目まぐるしく向きを変えるが、歴史(運命)は変わらない。ある意味、パズルみたいだ。
またTENETは【左→右】に読んだTEN(10分)と、【左←右】に読んだTEN(10分)の時間挟撃作戦も意味している。
2)順行と逆行
映画は時間を順行する人物と、逆行する人物が入り乱れ、時に互いが格闘をして混乱する仕掛けになっている。整理しよう。本編に登場する「時間反転装置(回転ドア)」には「赤の部屋」と「青の部屋」があり、赤が順行、青が逆行を示す。最後の作戦では時間を順行する主人公たちのチームが赤、逆行するニールたちのチームが青の腕章をつけている。逆行時に肺は外気を取り込めないため、酸素マスクが必要。但し逆行者は「青の部屋」内でマスク不要。また主人公とニールが逆行しながら船に乗っている場面ではビニールカーテンで覆われた簡易無菌室(clean room)のような空間内にいて、中には酸素が供給されているものと思われる。そして順行者は逆行者の言葉を理解出来ない(カセットテープの逆回転のような音声だから)。
「時間反転装置」はタイムマシーンと違い、例えば10日前に一息でジャンプ(時間跳躍)出来ない。逆行するだけだから10日前に行くには10日かかる。
また冒頭に登場するワーナーブラザースのロゴマークが赤色で、エンディングのロゴのは青色なのにも注目!
赤と青の色分けはドップラー効果に由来するのではないか、というのが僕が立てた仮説。観察者に対して近づいてくる物体(現在←未来)は青っぽく見え(波長が短く、周波数が高い)、遠ざかる物体(現在→未来)は赤みを帯びて見える(波長が長く、周波数が低くなる)。音の場合は近づく方が高音、遠ざかると低音になる。救急車のサイレンで経験があるだろう。
3)バックパックのストラップ
1回目は完全に見逃していたのだが、穴の空いた硬貨にオレンジ色の紐を通したストラップをバックパックに結んでいる兵士が3回出てくる。これ重要。
4)順行する人物が逆行する銃弾に撃たれると致命傷を追う
理由は逆行を可能にしている放射性物質の影響だそう。だから逆行弾の傷を癒やすためには、被弾者も逆行しなければならない。
5)時間反転装置(回転ドア)のある場所
①オスロ空港 ②エストニアの港 ③旧ソ連のスタルスク12 ④挟撃作戦におけるTENET側の拠点・砕氷船マグネ・ヴァイキング(Magne Viking)号内部(時間をさかのぼり逆行してきたレッドチームが順行に戻る/ブルーチームは現状維持)
6)自由意志 vs. 決定論
哲学における〈自由意志〉とは人間が自己の判断に対するコントロールを行うことが出来るという仮説である。その対義語が〈決定論(因果論)〉であり、予め運命は決まっており、〈自由意志〉など存在しないという考え方だ。
つまりAかBの選択を求められたとき、どちらに決めるか本人に〈自由意志〉があるという考え方と、その人がどちらを選ぶかは既に決まっており、選択の余地はないという考え方がある。
私たちはしばしば過去を振り返り、「あの時、AではなくBを選んでおけばよかった」と後悔する。『If もしも....』。そういう想いを叶えるのが時間SF(タイム・トラベルもの)であり、主人公は過去に戻って自分の、あるいは地球規模の運命を変えようとする。そのミッションに成功すれば現在(過去にとっての未来)は変わる。枝分かれが発生し、主人公はパラレルワールド(平行世界)に入っていく。映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』や『ターミネーター2』『恋はデジャ・ブ』『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』『魔法少女まどか☆マギカ』『君の名は。』がそうだ。
ここで〈親殺しのパラドックス〉が問題となる。英語ではGrandfather paradox(祖父のパラドックス)という。「ある人が時間を遡って、血の繋がった祖父を祖母に出会う前に殺してしまったらどうなるか」というもの。その場合、両親のどちらかが生まれてこないことになり、結果として本人も生まれてこないことになる。従って、存在しない者が祖父を殺すこは出来ない。
〈決定論〉において、その人がBでなくAを選ぶことは〈自由意志〉でなく、それまでの経験則(生まれてから脳内に蓄えたデータ)により無意識のうちに決まっていたと考える。
『TENET テネット』でニールは「起こったことは起こったことだ(What happened, happened.)」と言う。つまり、結果は決まっている、運命は変えられない。地球滅亡を阻止するというミッションは予め成功することが決まっていた。これはクリストファー・ノーラン監督自身の思想でもある。
ノーランの主張は〈ブロック宇宙論〉に基づいている。ブロック宇宙論とは、全ての時間と空間が一つなぎのブロックのように存在し、過去・現在・未来が同時に存在している、というもの。宇宙は流れではなく、一つの構造物であり、我々はその一つの空間(断面)にいて観測・体験しているだけで、時間というものは錯覚に過ぎないという考え方だ。
上図、観測者がいる【現在】の平面は下から上に移動し、既成の歴史を目撃・体験する。
更に詳しいことをお知りになりたければ、イタリアの理論物理学者カルロ・ロヴェッリ(著)富永星(訳)「時間は存在しない」(NHK出版)を読まれることをお勧めする。
アインシュタインの特殊相対性理論によると、現在は過去だけでなく未来からも影響を受けており、これを〈逆因果律(後方因果関係)〉という。最終的な運命は決まっているものの、どのようにそこに至るかは正確には決まっていないと考える物理学者もいる。つまり〈自由意志〉はあるが、あくまで限定的であるというわけ。
もし自由意志がないとしたら、人間はニヒリズム(虚無主義)に陥ってしまう危険がある。「どうせ俺の運命は決まっているんだ。頑張っても仕方がない」となる。だからたとえ幻想であろうと〈自由意志〉があると信じて、人生に価値を見出していくことが大切だ。つまりTENET(信念)を持てというわけ。
7)エントロピー増大の法則(熱力学第二法則)
エントロピーとは「乱雑さの度合い」のこと。エントロピーの低い状態は「秩序ある状態」、エントロピーの高い状態を「無秩序な状態」と言い表せる。全ての事物は、「それを自然のままにほっておくと、エントロピーは常に増大し続け、外から故意に仕事を加えてやらない限り、そのエントロピーを減らすことはできない」ということ。
例えば薪が燃える状況を想像して欲しい。熱エネルギーが生じ、周囲の空気を温め、運動が激しくなった酸素・窒素・二酸化炭素などの分子は拡散していく(乱雑さを増す)。また煙が上空に登り、立ち去っていく。そして一本の薪は灰になり、バラバラに砕け散る(無秩序な状態になる/ゴミが発生する)。これがエントロピーの増大だ。不可逆性の変化であり、灰や煙や熱(分子運動)が一本の薪に戻ることは出来ない。つまり時間を逆行させるためにはエントロピー(乱雑さ/ゴミ)が減少する仕組みを構築しなければならない。
8)時間が逆行する仕組み・理論
『テネット』で言及される未来の科学者は反電子(陽電子)を利用して、特定空間の物質だけエントロピーが小さくなる(「時間の矢」の向きを反転させる)技術を作った。ここで「対生成(ついせいせい)」について説明する。対生成とは素粒子(物質の最も小さい単位)の反応で、素粒子とその反粒子が同時に生成される現象。例えば光子から(マイナスの電荷を帯びた)電子と(プラスの電荷を帯びた)陽電子(または「反電子」と呼ぶ)が生成される。電子は「過去から未来に進む」普通の電子であり、反電子とは数学的に「未来から過去に進む」電子である、と解釈可能だ(正の電荷を持ち、時間を順行する陽電子=負の電荷を持ち、時間を逆行する電子)。つまり【陽電子は時間を逆行する】 。すべての物質には電荷が反対の「反物質」が存在している。映画に登場する「反転装置」はつまり、物質⇔反物質に転換する装置なのである。
そして電子と反電子が衝突すれば「対消滅(ついしょうめつ)」が起きて光子に変換される。『TENET テネット』に於ける「防護スーツを着ずに過去の自分と直に接触してはいけない。量子の対消滅が起きる」というルールはここから来ている。電子=素粒子=量子と考えて差し支えない。
【後半戦(鑑賞後に)】
では次に、既に映画をご覧になった方のための抑えておくべきポイントについて書こう。
1)本作のテーマ
セイターはアルゴリズムを稼働させ、地球の全てのエントロピーを逆行させようとした。つまり彼は「過去に戻って祖父を殺すこと」は可能であると信じていた。何故ならもしも彼の計画が成功すれば、アルゴリズムを稼働させた後の未来は存在せず、アルゴリズムや「反転装置」は発明されなかったことになる。完全に矛盾している。
一方、ニールらTENETのメンバー(そしてノーラン)は過去を改変出来ないこと(What happened, happened.) を知っていた。つまり本作は〈自由意志〉派と〈決定論〉派とのガチンコ対決を描いていることになる。どちらが勝ったかは言うまでもない。
過去を後悔するな。やり直すことは絶対に不可能なのだから。それよりも「いまを生きる」ことが大切。
2)スタルスク12におけるニールの複雑な行動
ブルーチームに参加し、逆行する→主人公とアイブスが入ったトンネル入口に爆弾が仕掛けられるのを見て敵の回転ドアを利用して順行に戻る→装甲車で丘に登り、地下核実験場に空けられた天井の穴からロープを地下に投げ入れ、アルゴリズムを奪った主人公とアイブスを実験場爆発と同時にロープで地下から引き上げる。→再び(今度は砕氷船マグネ・ヴァイキング号の)回転ドアに入り逆行、空いた鉄格子の扉から中に入り鍵を閉め、敵に撃たれて死ぬ。
ここでニールが鍵を開けたと錯覚している人が多いのだが、それは順行視点であり、ニールの主観でみると閉じるが正解。逆行ニールが地下実験場に侵入するタイミングは主人公とアイブズがロープで脱出する様子の逆回転を見届けた直後。なぜならその前だと爆発に巻き込まれ低体温症になるから。塞がれたトンネルの入口を開放する道具が必要。ニールと一緒にアイブズも逆行して手伝ったのかも知れない(ニールの侵入を外で見届けてアイブズは順行に戻る)。
3)ニールの正体
キャットの息子マックスはMaximilien(マクシミリアン)の愛称。後ろから読む(逆行する)とNeil(ニール)。本作で描かれる時から10-15年後に、同じ時間をかけ逆行して戻ってきた。推定年齢30-40歳。彼がバックパックに結んでいるのは、どうやらベトナムのお守りらしい→こちら!母との楽しかった思い出があるのだろう。ニールとセイターがエストニア語を話せることも根拠の一つ。
4)ニールは自分がスタルスク12で死ぬ運命であることを事前に知っていたか?
間違いなくYes.根拠は3つある。
A)主人公と別れ際、"I think this is the end of a beautiful friendship."(これが僕たちの美しい友情の最後だと思うよ)と言う。この台詞は映画『カサブランカ』ラストシーンにおけるハンフリー・ボガートの名台詞"I think this is the beginning of a beautiful friendship." の引用である。また"this is the end"はフランシス・コッポラの『地獄の黙示録』も意識しているかも知れない(ドアーズの『ジ・エンド』が映画冒頭と最後に流れる)。
B)映画冒頭で主人公は「信念(TENET)のために死ぬことが出来るか?」を問われる。そして最後にニールはTENETのために死ぬ。美しい円環構造だ。
C)本作においてニールは全てを知っている神のような存在だから。言い換えるなら、シナリオ(歴史)を読み込んだ映画監督の立場である。主人公=主役(The Protagonist)のオーディション・シーン(キエフのテロ直後の拷問場面)もある!
5)TENET(信条)
理屈に合わなくても人は何かを信じなければ生きていけない。take a leap of faith (運命に身を任せて飛び込む/清水の舞台から飛び降りる)ことが大切。その、古来からある代表例が宗教だろう。
心理学に〈承認欲求〉という用語がある。「他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という欲求であり、幼少期に親から「あなたは生きていていい。愛している」と〈承認〉される欲求が満たされないと、〈愛着障害〉に陥る。つまりたとえ幻想でも構わないから「自分には何らかの価値がある」と信じられなければ、生きていけないのである。その典型例が〈境界性パーソナリティ障害〉であり、〈愛着障害〉を発端として「自分には何の価値もない」「生きる意味がない」「虚しい」と考え、リストカットなど自傷行為や、自殺企図を繰り返すことになる。
「自尊心・矜持(pride)を持て」と、クリストファー・ノーランは映画で繰り返し語っている。『インセプション』も、そういう話だ。
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