いつか見た大林映画

にわかには信じ難い大傑作アニメ「若おかみは小学生!」と大林映画

評価:AA

Waka

映画公式サイトはこちら

大の大人が口にするのも恥ずかしい題名である。そして絵柄(キャラクター・デザイン)がはっきり言って生理的に受け付けられない。「ムリ……」と思った。映画館で予告編を見たが、全く食指が動かなかい。ところが!!である。

いくら耳をふさいでも、あちらこちらで絶賛の嵐が吹き荒れている音が聞こえてくる。その熱量が半端ではない。

大人たちが熱狂している。

これは尋常じゃない。僕は人が勧めるものは素直に従う人間なので(自分の好みに拘泥していては世界が広がらない)、激しい抵抗感を覚えながらも半信半疑でTOHOシネマズ(シネコン)に重い足を運んだ。21時05分開始のレイトショーである。そもそもこんな題名の映画(子供だまし)をレイト上映している事自体、どうかしている。

そして……

涙腺決壊とはこのような映画を指すのだろう。もう、とめどなく涙が流れた。悔しいけれど認めざるを得ない。掛け値なしの大、大傑作。2018年の日本映画(実写含む)を代表する一本である。「この世界の片隅に」を第1位にして、「君の名は。」をランク外としたキネマ旬報ベストテンが本作をどう扱うのか、要注目だ。

高坂希太郎監督は「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」で原画を担当し、「耳をすませば」「もののけ姫(共同)」「千と千尋の神隠し(共同)」「ハウルの動く城(共同)」「風立ちぬ」で作画監督を務めてきた人である。宮崎駿の右腕であり、自然描写など、そのイズムが本作でも透徹している。また次々と出てくる食べ物の美味しそうなこと!

そして最大の功績は吉田玲子の脚本にある。京アニ「リズと青い鳥」のホンも素晴らしかったし、今年の脚本賞は是非彼女にあげたい(でも多分、今年の映画賞で脚本賞を総なめにするのは「カメラを止めるな!」の上田慎一郎だろうなぁ)。

映画の冒頭と締め括りは神楽で(女の子ふたりが舞うのでどうしても「君の名は。」を想い出す)、その間に日本の春夏秋冬が丹念に描かれる。

本作の魅力をズバリ一言で述べるとしたら「共時的」であるということに尽きる。これはスイスの構造主義言語学者ソシュール(1857-1913)の用語で、対義語が「通時的」。関連する複数の現象や体系を、時間の流れや歴史的な変化にそって記述する事を言う。つまり〈過去→現在→未来〉という不可逆的・一方通行の流れ。対して「共時的」とは、過去・現在・未来が同時にそこにあることを示している。フランスの構造人類学者レヴィ=ストロースは「神話は共時的である」と述べている。

映画「若おかみは小学生!」で温泉旅館〈春の屋〉に最初にやってきたお客さん=美少年は主人公おっこ(現在)のメタファーである。〈鏡〉に写った彼女自身と言っても良いし、ユング心理学における〈影〉、あるいは〈ドッペルゲンガー(二重身)〉と言い換えることも出来るだろう。彼女は美少年に対し、「頑張れ自分!」と背中を押す。

次のお客さん、占い師のグローリー・水領さんは未来のおっこ。水領さんは「そんなに気を張って、頑張らなくてもいいんだよ。子供らしくたまにははしゃぎなさい」と現在のおっこをギュッと抱きしめてくれる。

そして三番目のお客さんは、まだ両親がいて、何の心配も要らなかった頃の無邪気/純真な( innocent )おっこ。そんな幼い頃の記憶を現在のおっこがしっかり抱きとめる。

つまり過去・現在・未来のおっこが、そこに同時に存在しているのである。

こうして一年の体験を通して、彼女は意識と無意識を統合し、自己実現を果たす。舌を巻くほどの構成力だ。

本作最大のクライマックスとなる、ある事件を目撃しながら、僕が即座に想い出したのは、赤川次郎原作、大林宣彦監督の映画「ふたり」のラストシーンである。大林宣彦作詞、久石譲作曲の主題歌「草の想い」が流れ始め、石田ひかりがカメラに向かって正面から坂道を登ってくる。カメラが切り替わり、後ろ姿を捉えると、それは交通事故で死去した彼女の姉を演じた中嶋朋子に入れ替わっている(ふたりでひとり=自己実現)。この場面で起こるある出来事が「若おかみは小学生!」と密接に関連しているのである(ネタバレになるので具体的には書きません)。因みに赤川次郎の原作にこのエピソードはない。動画はこちら

考えてみれば死んだ両親の幽霊が主人公の目の前に現れるという設定は山田太一原作、大林宣彦監督「異人たちとの夏」だ。もしかしたら原作者の令丈ヒロ子は大林映画のファンなのではないか?と考え、彼女がなにかそのことに言及していないか調査をはじめた。つまり自分が立てた仮説の〈裏を取る〉作業である。そしたら、あったあった!

公式ツイッターで呟いていた。

大林監督が長年、掘り下げて来たのも「共時的」映画である。「異人たちとの夏」に代表されるように大林映画は生者と死者が共生する世界である。また山中恒原作の「さびしんぼう」では主人公ヒロキの母タツ子と、彼女の少女時代の姿=さびしんぼう(なんだかへんて子)が同時にそこに存在している。同じく山中恒原作の「はるか、ノスタルジィ」では50歳を過ぎて久しぶりに故郷の小樽に帰ってきた小説家・綾瀬慎介(ペンネーム)が、そこで自分の少年時代の姿・佐藤弘(綾瀬の本名)に出会う。これも「共時的」物語である。

そして令丈ヒロ子はこちらのインタビュー記事で、大林映画「転校生」に触れ、原作「おれがあいつであいつがおれで」を書いた山中恒を”師匠”と呼んでいる

大林映画「時をかける少女」の後日談をアニメーション映画に仕上げ、大林監督が〈映画の血を分けた息子〉と呼んでいる細田守監督が今年完成させた「未来のミライ」もまた、「共時的」アニメーションを志した。しかしこちらの方は残念ながら「若おかみは小学生!」程の完成度の高さには至っていない。

余談だが「共時的」映画の元祖はイングマール・ベルイマン監督「野いちご」(1957)である。そしてフェデリコ・フェリーニ監督「8 1/2」(1963)がこのジャンルの代表作と言えるだろう。「ベルイマン生誕100年映画祭」に大林監督が寄せたコメント(こちら)で「野いちご」に触れ、〈ベルイマンの発明〉と述べているのは「共時的」表現法のことである。

「我々は記憶において構成されている。我々は幼年期に、青年期に、老年期に、そして壮年期に同時に存在している。」(フェデリコ・フェリーニ)

劇場版「若おかみは小学生!」の話に戻ろう。僕が心底惚れ込んだのは、主人公のライバルとなる大旅館の跡取り娘”ピンふり”こと真月(声:水樹奈々)だ。何と言ってもキャラが立っている!〈おっこ vs. 真月〉の図式は明白に、美内すずえの漫画「ガラスの仮面」における〈北島マヤ vs. 姫川亜弓〉の変換だろう。特に真月がスティーブ・ジョブズやトルストイの名言を引用する場面にはやられた。そして最後に引用するのがウォルト・ディズニーというのが泣ける。クーッ、カッケー!

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宮古島へ!

8月4日から7日にかけて沖縄県宮古島でヴァカンスを満喫した。

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大学生の頃、サークルの先輩から「宮古島はいいよ」と聞かされていた。しかし中々行く機会が訪れなかった。社会人になり、沖縄本島や石垣島では泳いだが、お世辞にも綺麗な海とは言い難かった(藻が多かった)。そして沖縄の食事は不味かった。最悪だったのは石垣島のヤギ汁。オエーッ!!

宮古島の海はエメラルドグリーンで透明度が高く、本当に美しかった。泊まったのは宮古島東急ホテル&リゾーツである。写真は部屋からの眺め。

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与那覇)前浜ビーチは東洋一とも言われ、Marine Diving Web(マリン ダイビング ウェブ)というサイトでは2017年ビーチ部門で世界一に選出された(今年は第二位)。

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少なくとも僕が泳いだことのあるフィリピンのセブ島より断然良かったし、ニューカレドニアのウベア島やイル・デ・パンの海に匹敵すると思った。因みにウベア島は原田知世主演、大林宣彦監督の映画「天国にいちばん近い島」(1984)のロケ地であり、宮古島は大林映画「風の歌が聴きたい」(1998)のロケ地である。

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「風の歌が聴きたい」でヒロインを演じた中江有里は、どうやら今年7-8月に広島県尾道市及び福山市で撮影された大林監督の新作「海辺の映画館ーキネマの玉手箱(仮題)」に出演しているようだ(他に浅野忠信、南原清隆、常盤貴子、稲垣吾郎、渡辺裕之ら)。閑話休題。

宮古島の気温は同時刻の関西よりも大体3℃くらい低く、地元の人によると真夏でも33℃を超えることはないという。湿度も低く、夜風は涼しく、クーラーなしで寝られると想った。今や沖縄は避暑地なのか!?如何せん日本の気候は狂っている。

ビーチではゴーグルで海底まで見通せて、沢山魚が泳いでいるのが見えた。グラスボートで珊瑚礁まで行くと、クマノミ(ニモ)など熱帯魚が観察出来たし、ウミガメにも遭遇した。夜はホテルの屋上から眺める満天の星空に吸い込まれるような気持ちになった。

またホテルのレストランが美味しかったのには驚かされた。特に海藻。もずくとかプチプチの海ブドウが新鮮で、全く臭みがない。意外にも(失礼!)地元の魚で握った寿司もいけた。舐めていた沖縄料理を見直した。

今後、リゾートに行くなら毎回宮古島でいいやと想った。

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【いつか見た大林映画】第8回「いのちのセミナー」〜大林宣彦、大いに語る。

5月20日(日)、大阪市京橋にある松下IMPホールへ。大林宣彦監督の講演を聴く。

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講演のタイトルは、
「あなたのいのちと私のいのちを考える
   〜あなたと私は人であるから〜 」

【以下、メモより書き起こし】

いま僕は癌という同居人がいます。よく彼と話をします。「おい、がんよ。お前さんは宿子(やどこ)で俺が宿主(やどぬし)だ。もし俺を殺したらお前さん住む場所がなくなっちゃうぞ。だから仲良くしようや」そう言っているうちに気が付いちゃったのね。そうか、地球=宿主、人間=宿子なんだとね。僕たちはオゾン層破壊とか温暖化とかで地球を虐めている。人間も癌だ。欲望の度が過ぎている。もっと我慢しなくちゃいけない。人間は理不尽な生き物でね、もっと他の生物に対して優しい気持ちを持ったほうが良い。

昔の日本人は下駄を履いていました。下駄っていうのは靴と違って踏みつけたアリを8割殺さないのね。「急がば回れ」という言葉があるでしょう?「回れ」というのはその間に「考えなさい」ということ。そうすれば「正気」になれる。

映画「花筐」が唐津でクランクインする前日、2016年8月24日に「肺がん ステージ4 余命3ヶ月」と宣告されました。それから1年半経ちましたが、薬が効いて(注釈:分子標的薬「イレッサ®〘ゲフィチニブ〙」)いまこうして生きています。今年で80歳になりました。あと30年、映画を撮ります。

僕が子供の頃は「人生50年」と言われていました。だから25歳になった時考えたのね。あと残り半分、どう生きようか?

僕は医者の家に生まれました。医院には看護師さんらが50人位働いていた。戦争中でしたけれど女たちは僕の頭を撫でながら口々に「君死にたまふことなかれ」と与謝野晶子の詩を諳んずるんです。そこに彼女たちの想いが込められていた。おおっぴらに「戦争反対」を公言できる時代ではありませんでした(注釈:敗戦時、大林監督は7歳だった)。子供の頃、僕は「戦争に負けたら殺される」と死ぬ覚悟をしていました。

皆さんに言いたいのは「子供を舐めちゃいかんぞ」ということ。子供とは「未来を生きる大人」なんです。僕は「敗戦少年世代」です。僕たちは「戦後派」になれなかった。大人=写し絵。大人は信じられない、裏切られたという想いを抱えて生きて来た。戦後しばらく経って判ったのですが、従軍した日本兵の9割は餓死や特攻などで日本人に殺された。やがて朝鮮戦争が勃発し、日本はその経済効果で潤った。当時家庭の食卓にビーフステーキが出てきてびっくりしたものです。嘗て青筋を立てて「鬼畜米英!」と叫んでいたことなんかコロッと忘れて、大人たちは高度経済成長に浮かれた。彼らには規範がなかった。

戦後まもなく、寺山修司が夜の海辺でタバコを吸いながら詠んだ短歌があります。

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

落語家・立川談志も僕と同じ世代(2歳年上)で、生き残ったことの贖罪を感じていた。敗戦後「これからオレたちはどうやって生きたら良いんだ?」と途方に暮れたと生前僕に語ってくれました。

「火垂るの墓」の高畑勲監督は「映画で平和を作る」という意志が明快だった。それは僕が黒澤明監督から次のような言葉で託されたことでもあります。

大林くん、人間というものは愚かなものだ。戦争はすぐに始められるけど、平和にたどり着くには少なくとも400年はかかる。俺があと400年生きて映画を作り続ければ、俺の映画できっと世界中を平和にしてみせるけれど、人生がもう足りない。だが俺が80年かけて学んだことを、君なら60年で出来るだろう。そうすると20年は俺より先に行けるぞ。君が無理だったら君の子供、さらにそれがダメなら君の孫たちが少しずつ俺の先を行って、きっと世界から戦争をなくせる。それが映画の力だ。

黒澤明監督は「絵描きじゃ食えんから」と映画会社・東宝の社員になりました。そして会社をクビになり、黒沢プロダクションを立ち上げた。アマチュアとなってプライベート・フィルム「夢」を撮った。そこで初めて原発事故を描いたんです。

先日、山形県の森林道をタクシーで通っていたら、妻の恭子さんが「ここって『おもひでぽろぽろ』の場所じゃない?」と言ったんです。見たことがあるような風景が広がっていた。すると運転手さんが「その通りです。ここでロケハンされました」と教えてくれました。実写映画ではこういう体験があったけれど、アニメーションでは初めてでした。「火垂るの墓」もそうですが、高畑勲監督は庶民の暮らしをつぶさに描いている。「かぐや姫の物語」では最後に月からお迎えがきますが、天人には感情がない。そして、かぐや姫は人間の感情に絶望して月に帰る。

僕が幼い頃親しんでいた漫画「のらくろ」の主人公は真っ黒の野良犬で、上官は白犬でした。軍隊は居心地がいい場所として描かれていた。僕らは大日本帝国の「正義」のために戦って死のうと覚悟した人間でした。しかし、敵(連合国側)も自分たちの「正義」を信じて戦った。結局、勝った国の「正義」が正しいということになった。なんだ、戦争とはそういうものか。だから僕は「正義」なんか信じない。その代りに「正気」でものを言う。

プラカードは担がない。映画監督は「表現者」であって「政治家=権力者」じゃない。芸術には平和を手繰り寄せる力があり、庶民の願いが込められているのです。

花火が打ち上げられて爆発することを「散開」と言います。何の役にも立ちません。しかし上空から投下され地上で「散開」すると爆弾となり、経済効果を生む。

「この空の花 長岡花火物語」を撮った長岡のお年寄りは花火の音を聞くと空襲の記憶が甦る。だから花火が見られない。忘れたい。でも「語り部」になることが責任だと考えておられる。

人は忘れる。でも映画は忘れない。映画は”風化しないジャーナリズム”なんです。

3・11東日本大震災の日、僕は以前「なごり雪」を撮った九州の大分県臼杵市にいました。周りの人から「監督、ついていましたね」と言われた。震源地から離れているから。嘗て「敗戦少年」だった僕は、とんでもない、逃げるは恥だと思った。でも説得されて直ちに現地に行くのは思い留まりました。後に親しくしているフジテレビの記者から被災地の様子を聞きくと、現地ではトイレも大行列だから彼は遠慮してオムツを履いて取材したそうです。津波に流された学校の先生が一人の子供を助けて漂流物に捕まって浮かんでいた。海中からお年寄りが助けを求めて彼の足にしがみついてきた。しかしお年寄りまで助けようとしたら全員沈んでしまう。だから先生は無我夢中で足で蹴って引き離し、お年寄りは沈んでいった。その時の目が忘れられない。人間が人間を信じられない。「私はこれからどう生きたら良いのでしょう?」と先生は記者に泣きながら語ったそうです。結局このエピソードは放送されなかった。何でも表現すればいいというものではありません。映画作りは現実よりも想像力を働かさなければいけない。

カタルシスという言葉があります。お芝居を見て、泣いて笑って、鬱屈した気持ちが浄化される事を言います。僕は戦争映画でカタルシスを描いてはいけないと思っています。映画にはそもそも、気持ちがいいというカタルシスが濃厚にあるんです。だから危険。反戦映画を撮っているつもりでも、結果的には好戦映画になってしまう恐れがあります。

敗戦後しばらくはGHQの占領政策に基づき、公開される外国映画が選別されていました。1939年に製作された「風と共に去りぬ」が日本で公開されたのはサンフランシスコ講和条約が発効され日本が主権を回復した52年。その理由は奴隷制度が描かれていたからです。「正しい」民主主義の国アメリカの恥部を見せるわけにはいかなかった。

ハリウッド映画というのは実はヨーロッパの人々、戦争難民が作ったものです。「カサブランカ」のマイケル・カーティスはハンガリー・ブタペスト出身でハンガリー名はケルテース・ミハーイ。ゲーリー・クーパー演じる保安官が妻や街の住人からも見放され、1人きりで4人の殺し屋に立ち向かう西部劇「真昼の決闘 High Noon」を撮ったフレッド・ジンネマンはオーストラリア・ウイーンで生まれたユダヤ人アルフレート・ツィンネマン。彼の両親はホロコーストで殺されました。そして"High Noon"を観て「こんな開拓者魂の欠片もない代物は西部劇じゃない」と怒った生粋のアメリカ人ハワード・ホークスはそのアンチテーゼとして「リオ・ブラボー」を撮った。

ヒトラーが愛人のエヴァ・ブラウンを撮った16mmのプレイベート・フィルムがあります。これが美しんです。だから怖い。パートナーの大林恭子さんは東京大空襲を経験していますが、「映画で戦争は描けない」と言っています。

【以下、聴衆からのQ & A へ】

「10歳の娘が将来、良い大人になりたい。と言っています。どうすればいいでしょうか?」という母親の質問に対し、

【監督の回答】映画を観なさい(会場から笑い)。良い子供、つまりベテランの子供であり続けなさい。

映画「プラトーン」の監督であり、ジャーナリストでもあるアメリカのオリバー・ストーンがロシアのプーチン大統領に1年半に渡ってインタビューしたドキュメンタリー番組がBSで放送されました。それを観ると、プーチンさん、素敵なおじさんです。ニュース・報道から受ける強面の印象(イメージ)とは違った素顔が見えてくる。

キューブリック監督「博士の異常な愛情」は核戦争の恐怖を描いた良い映画です。でも僕と考え方は違う。映画とは観客それぞれの哲学(フィロソフィー)を生み出すものであり、自分自身を確立する(自分が自分になる)手段なんです。正直に私でありたい。

平和ってヒョイッと生まれるんです。先日開催された平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック。アマチュア=庶民の祭典。そこから南北朝鮮の対話が始まった。

戦争が恐ろしいのは、被害者(被爆者)になるからだけではなく、加害者(真珠湾攻撃)にもなるからです。大切なことは「あなた」を「わたし」のように見ること。

少年時代に「人類が16歳になるとこの世から消滅する」というSF小説を読んだことがあります。それに共感して僕は16歳以上になるのはやめて、ベテランの16歳になろうと決意しました。決して16歳の自分を裏切ってはいけないぞ、「僕が16歳だったらどうするか?」を基準に生きてきました。

25歳で歩き方を変えました。(散策するのではなく、真っ直ぐ)行って帰ってくる。気持ちを変えると同じ景色も違って見えてくる。振り向くことが大切なんです。同じ人でも違って見えてくる。

最近は「ゆるキャラ」がブームですね。実はゆるキャラの第一号は映画なんです。日本は戦争に負けてしまって、「映画でメッセージを言うのはもうやめよう。映画は時間つぶしの愉しい娯楽であればいい」となってしまった。アメリカ映画も昔は「ネバーギブアップ」という精神がありましたが、ベトナムの敗戦で無力になってしまい、ニュー・シネマ以降は「ネバーギブアップ」がない映画になった。今の若い人たちに言いたいのは「ゆるキャラになるな、濃いキャラになれ」ということです。

ピースサイン、知ってますよね?あれを始めたのはイギリスのチャーチル首相です(注釈:映画「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」にこのエピソードが登場する)。指で「V」の形を作り、Victory(勝利)を意味します。勝利による平和。つまり平和になったのは広島・長崎に落とした原爆のおかげというわけです。だから敗戦国の日本人が"V for Victory"サインをするのは妙な話ですね。

原爆投下から数年後、広島には「よく効く頭痛薬・ピカドン」なるものがありました。東京から読売ジャイアンツが来広するとなると、「巨人の原爆打線来る!」と新聞がはしゃいだ。大人たちは敗戦から何も学ばず、そのまま来てしまった。

情報は「他人事」です。でも映画には「他人事」を「自分事」に取り戻す力がある。

手話は国によって違います。「世界共通にすればいいのに」という意見があります。しかし唯一、世界共通のサインがある。それが"I LOVE YOU"。共通語として作られたのがエスペラント語。これは「文明」なんです。それに対して手話は「文化」です。

映画のストーリーが今まで何を語ってきたかを一言で言えば、「人は傷つきあって、許しあって、愛を覚える」ということです。 価値観がそれぞれ違うんだから、必ず傷つけ合う。傷つけあうんだけど、お互いのことを語り合って理解していけば、あなたのようにまったく違う人と一緒にいることで、私は幸せだなぁと想うようになる、これが愛というものなんですよ。 (手話とともに)  "I LOVE YOU"。

【こうして熱のこもった講演は予定時間を30分超過して終わった。監督はまだまだ喋り足りなそうだった。】

そして7月2日、尾道では実に20年ぶりとなる新作映画「海辺の映画館ーキネマの玉手箱(仮題)」がクランクインした。広島への原爆投下までを描く。プロデューサーは奥山和由。なんと浅野忠信が、久しぶりに大林映画に復帰するという!「青春デンデケデケデケ」(1992)以来である。

登場人物の名前に馬場毬男(ばばまりお←マリオ・バーヴァ)、鳥井鳳助(とりいほうすけ←フランソワ・トリュフォー)、団茂(だんしげる←ドン・シゲール)。全て大林監督が劇場用映画デビュー当時に考えていたペンネームである(怪奇映画/恋愛映画/アクション映画で使い分ける)。そして《瀬戸内キネマ》が物語の舞台となる。《瀬戸内キネマ》は「麗猫伝説」(撮影所として)と「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群」(映画館として/最後に炎上)にも登場、これが3回目となる。

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【いつか見た大林映画】第7回「恋人よわれに帰れ LOVER COMEBACK TO ME」と尾道映画祭

2月24日(土)から泊りがけで約20年ぶりに尾道を訪れた。

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上の写真は千光寺公園近くから眺めた尾道水道の風景。大林映画「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群」ではこの岩にピアノが置かれ、右手の小指がないドジなヤクザ・永島敏行が「エリーゼのために」を弾く。

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泊まったのは料亭旅館「魚信」。大林映画「ふたり」では石田ひかり演じるヒロインの親友・真子(柴山智加)の実家として登場し、「あした」や「マヌケ先生」もここでロケされた。

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兎に角、新鮮な魚が美味しかった!部屋からの眺めも最高。

翌25日は尾道映画祭@尾道商業会議所記念館へ(会場の定員は50名)。最新作「花筐」上映後、大林宣彦監督、映画出演者である常盤貴子、満島真之介、原雄次郎らが登壇し、早稲田大学名誉教授で映像作家でもある安藤紘平の司会でティーチインが行われた。招待された(監督の母校)尾道市立土堂小学校児童からの質問に答える形式である。

そもそも「花筐」は上映時間2時間49分もあり、年齢制限がPG-12(12歳未満は、保護者の助言・指導が必要)だ。レイプシーンもあるしね。小学生に観せて大丈夫!?と危惧の念を抱いた。案の定、上映途中にトイレに行く生徒が数名いた。

満島真之介は小学生からの質問にも真剣に答えるnice guyだった。現在、園子温監督の映画に参加しているということで、2日前に園監督を尾道に連れてきて大林監督に引き合わせたそう(園は大林監督の著書「いつか見た映画館」にも応援メッセージを寄せている)。また大林監督を評して《海と山と一体になった人》と。「花筐」ロケ地・唐津の海(日本海)で泳いだときは怖かった。外から襲って来る感じ。一方で尾道(瀬戸内)の海は内側に何かいる気配を感じたと。また彼は沖縄出身で、地元の人は海で泳ぐのに水着に着替えないそう。Tシャツ・短パンといった普段着のまま海に入り、家に帰ったらそのまま服を脱がず入浴し塩を洗い流すのだと語った。

実は僕、常盤貴子があまり好きじゃなかったのだけれど、実物を目の前にするとさすがに綺麗だし、気さくで気配りができる素敵な女性だった。彼女は映画終盤のパーティー・シーンで盆の上に乗り、助監督が手動でそれを回している状態でダンスしたというエピソードを披露し、大変興味深く聴いた。 

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続いて「恋人よわれに帰れ LOVER COMEBACK TO ME」を初めて鑑賞。1983年9月23日にフジテレビで放送されたテレビドラマであり、ビデオ化・DVD化が一度もされず幻の作品となっていた。なお火曜サスペンス劇場で放送された「可愛い悪魔」と「麗猫伝説」は16mmフィルムで撮影されたが、「恋人よ」はビデオ撮りである。

出演は沢田研二、大竹しのぶ、泉谷しげる、小川真由美ほか。進駐軍兵士役で登場したトロイ・ドナヒューは後に大林映画「漂流教室」にも出演している。脚本は「夢千代日記」の早坂暁。「転校生」同様、J.S.バッハ”G線上のアリア”が使用さた。大竹しのぶが広島の被爆者で、弟が包帯で顔までぐるぐる巻きになり死んでいくのだが、その姿を見てハッとした。「アッ、雪子だ!」と。大分県臼杵市で2001年(同時多発テロの年)にロケされた大林映画「なごり雪」で須藤温子演じるヒロインが交通事故に合い、同じような姿になるのである。そうか、あの場面にも監督の戦争への想いが込められていたんだ……。

朝鮮戦争への兵役を拒否した日系二世役のジュリーは追っ手から逃れ、大竹しのぶとともに広島港から瀬戸内の無人島に渡る。まるで幽霊のようにボートで迎えに来るのが小川真理子。その立ち姿を見た瞬間、「うぉぉカロンの艀(はしけ)じゃないか!!」と思わず叫びそうになった。カロンとは死者を「死の島」に導く水先案内人であり、「花筐」と共に大林監督の(未だ実現していない)ライフワークである「草の花」を執筆した福永武彦最後の小説「死の島」(題名はベックリンの絵に由来)で言及される。そして「死の島」には広島で被爆した画家・萌木素子が登場する。なんと「恋人よわれに帰れ」は大林版「死の島」だったのだ。そして劇中、原爆は2度炸裂した。

Die_toteninsel

椹木野衣(美術評論家)氏を迎えた《車座シンポジウム》で大林監督は次のように語った。

常識は世間と表現者では違う。表現者は作品と対話する。通常、悲しい時には悲しい音楽が、楽しい時には明るい音楽が流れる(劇伴)が、黒澤明監督は逆に付けた。つまり悲しい時に明るい音楽を流したのである。これが対位法だ。

表現者は世の中をより良くするために命がけで生きている。第二次世界大戦中、小津安二郎監督は「目の前にあることは、受け入れざるを得ないではないか」と言って軍報道部映画班としてシンガポールに行った。しかしフィルムは1秒たりとも回さなかった。それが彼の覚悟だった。敗戦後直ちに引揚船には乗らず、しばらく現地で捕虜生活を送った(半年を経て帰国)。

映画は理解するものではなく、フィロソフィー(哲学/哲理)を描く。そして戦争や災害など大きな出来事に遭遇し、Panic(わけの分からない恐怖、恐慌)をきたしたときはそれを解きほぐす効用を持つ。

英語にthe film artistという言葉があるが、僕は20歳の時に「映画作家」になった。自ら「映画監督」と名乗ったことはない。

ここで安藤教授から木下惠介監督が第二次世界大戦中(1944年)に陸軍省の後援で撮った国策映画「陸軍」の紹介があり、いかにしてその中に反戦の意志を忍び込ませたかが解説された(結果として木下は情報局から睨まれ、敗戦の日まで仕事が出来なくなった。この辺の事情は原恵一監督の映画「はじまりのみち」に詳しく描かれている)。

安藤教授は若い頃、寺山修司の劇団=演劇実験室「天井桟敷」に在籍し、寺山とパリに行った時、彼の勧めで16mmカメラを購入し映像を撮るようになったという。コロンビアの作家ガルシア=マルケスの小説「百年の孤独」を映画化した彼の遺作「さらば箱舟」に触れ(完成後原作者と係争となって公開できず、改題および原作クレジットの削除などの条件を受諾して2年後に公開された)、寺山の言葉「百年たったら、帰っておいで」を紹介した。

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映画は”風化しないジャーナリズム”だと大林監督は語る。だから今すぐに理解されなくても良い。百年後に見えてくるものもある。

大林監督は寺山と親交があり、「大林さんの映画は僕の作品に似ている」「いや、君のが僕のに似ているんだよ」と言い合う間柄だったという。

椹木氏は大林映画「この空の花 長岡花火物語」を巨大な壁画に喩えた。額縁のない絵の中に彷徨いこんだような。時間(の感覚)がおかしくなると。また「転校生」とか「はるか、ノスタルジィ」の物語はまるで輪廻転生のようだとも。

「映画は記録ではなく記憶を描くんです。過去も未来もない。混沌とするから記憶になるんです」と大林監督。またヴィジュアリスト・手塚眞(手塚治虫の息子で大林映画「ねらわれた学園」に出演)から「花筐」の登場人物ミナの名前はブラム・ストーカーの「ドラキュラ」から採ったんですか?と訊かれた。言われるまで全く気が付かなかった、でも「(原作者の)檀一雄さんはきっとブラム・ストーカーを読んでいたんじゃないかな」と。

大林映画「HOUSE ハウス」「恋人よわれに帰れ」「野ゆき山ゆき海べゆき」「花筐」などに原爆が登場するが、大林監督はスタッフに敢えて「美しく描いてくれ」と言う。「美しいからこそ怖いんだよ。天使が悪魔の顔をしている」戦争映画を白黒で撮ると《過去のカタルシス》になってしまう。だから色鮮やかに描く。

次回作は原爆をテーマにしようと考えており、新藤兼人監督の遺稿シナリオ「ヒロシマ」について触れた。「(原爆投下の瞬間)一秒、二秒、三秒の間に何がおこったかをわたしは描きたい。五分後、十分後に何がおこったか描きたい。それを二時間の長さで描きたい。一個の原爆でどんなことがおこるか」と新藤は書き残している。「ピカ、ドンの二秒間に人々の物語がある」と大林監督。

「宇宙に真っ白いものはないんです。真っ白なスクリーン、その不自然な空間に何を描くのか?それは我々にとって原稿用紙であり、(油絵の)キャンバスなんです。映画が今まで何を語ってきたのかを一言で言えば、人は傷つきあって、許しあって、愛を覚える、ということです。 手話っていうのは国によって違います。どうして世界共通語ではないのか?つまり違いを楽しむということなんです。そうか、僕はこうするけど、君はそうするんだね。そこに好意とか共感が生まれるのです」

こうして含蓄のある2時間はあっという間に過ぎ去っていった。

予告:次回の【いつか見た大林映画】は大阪市内で開催された講演会「いのちのセミナー」で大林監督が語ったことについて詳細にご報告します。乞うご期待!

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【いつか見た大林映画・番外編その3】オールタイム・ベスト・ワン「はるか、ノスタルジィ」と時間イメージ

1993年に大林宣彦監督「はるか、ノスタルジィ」を映画館(大阪での単館上映)で観て以来、ず〜っと僕は本作をオールタイム・ベスト・ワンだと言い続けてきた。

2016年に新海誠監督「君の名は。」が現れて、そろそろ第1位の座を譲り渡しても良いんじゃないかと思い始めた。しかしつい先日、大林宣彦映画祭@シネ・ヌーヴォ(大阪市九条)で実に25年ぶりにスクリーンで「はるか」に再会し、やっぱり正真正銘これこそが僕のベスト・ワンだと確信した。プリントの状態がすこぶるよく、特に青色が美しかった。

実は今まで「はるか」のどこが凄くて何に魅了されたのか、明言を避けてきたという後ろめたさを感じていた。いくら熱く語ったってどうせ観ている人は殆どいないんだしという諦念があり、僕自身秩序立てて述べるskill(腕前・技量)もなかった。しかし今は違う。「はるか」のことを僕以上に愛している人は世界中どこを探したっていないという絶対の自信がある(←大林監督はこういう思考を”好意的誤解”と呼んだ)。「もう逃げないでください」と言うはるか(石田ひかり)の声が聞えてくる。出会ってから25年。遂に彼女と対峙すべき時が来た。覚悟は決めた。僕は「おかしなふたり」の成田(永島敏行)の台詞を自分に言い聞かせる。「自分の人生にだけは乗り遅れちゃいけねぇ。まだ間に合うぜ、まだ間に合うぜ」……

大林映画「野のなななのか」(2014)の劇中にパスカルズ演じる【野の音楽隊】が一列になって演奏しながら練り歩く場面が何度も登場する。因みにパスカルズでパーカッションを担当しているのはバンド「たま」のランニング姿が印象的だった石川浩司。「この空の花ー長岡花火物語」(2012)では画家・山下清を演じている。

Nono

これを観て僕が想起したのがフェデリコ・フェリーニ監督の名作「8 1/2」(1963)の大団円である。道化師たちの楽隊がニーノ・ロータ作曲の行進曲を吹きならマーチングするのだ。

812

この場面で映画監督のグイド(マルチェロ・マストロヤンニ)は「人生は祭りだ!一緒に過ごそう。(È una festa la vita, viviamola insieme !)」 という名台詞を吐く。

大林映画はどこかフェリーニの映画に似ている。そのことに初めて気付かされた瞬間だった(「はるか、ノスタルジィ」にも高校生のマーチングバンドと主人公たちがすれ違う場面がある)。

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「はるか、ノスタルジィ」のあらすじはこうだ。

小樽を舞台とした少女小説で人気の作家・綾瀬慎介(勝野洋)は、少年時代の痛ましい記憶を胸の奥深く閉じこめていた。しかし小説の挿絵を描いていた紀宮(ベンガル)の突然の死をきっかけに、久しぶりに古里の小樽を訪ねる。そこで彼は記憶の中の少女・三好遙子(石田ひかり)にそっくりな、「はるか」という名の少女と出会い、封印した筈の記憶が蘇る。そんな時、綾瀬の前に佐藤弘(松田洋治)という少年が現れる。それは彼の本名であった。綾瀬慎介はペンネーム。彼は本名で勝負することを捨てた。

つまり映画の一画面の中に、主人公の現在と、少年時代の彼が同時に存在する。そして「はるか」は突然、三好瑤子に入れ替わったりもする。

これは20世紀フランスの哲学者ジル・ドゥルーズがその著書「シネマ」で論じた結晶(時間)イメージに該当する。

ベルクソン(同じくフランスの哲学者)の逆さ円錐モデルで説明しよう。

B

円錐の全体SABが綾瀬慎介の記憶に蓄えられたイマージュの総て(=結晶)。頂点Sが純粋知覚の場、感覚ー運動の現在進行形(ing)であり現動的。つまり綾瀬の知覚である。Pは現在彼がいる世界(小樽)そのもの。「はるか」もそこに生きている。A"B"が紀宮と出会った頃の大学生の綾瀬であり、更に遡ったA'B'が少年時代の佐藤弘と三好遙子が存在する場所。過ぎ去り、死に向かう現在(S)と、保存され、生の核を保持する過去(A'B',A"B",A'"B'",……)は絶えず干渉しあい、交差しあう。綾瀬はこの円錐(記憶)の中を自由に過去へと飛翔し、また戻ってくるのである。

この仕組/構造(structure)はフェリーニの「8 1/2」と全く同じであり、フェリーニの次の言葉がその本質を的確に教えてくれる。

「我々は記憶において構成されている。我々は幼年期に、青年期に、老年期に、そして壮年期に同時に存在している。」

類似した構造(structure)は大林監督の「さびしんぼう」や「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群 夕子悲しむ」、イングマール・ベルイマン監督「野いちご」にも認められる。「野いちご」の老いた主人公は自分が生まれ育った家を訪ねて、そこに兄弟や許嫁が昔のままの姿で現れるので「はるか、ノスタルジィ」のプロットに近い。また「さびしんぼう」で主人公のヒロキ(尾美としのり)が紛れ込むのは、母(藤田弓子)の記憶に蓄えられた結晶=逆さ円錐SABである。その過去A'B'から、さびしんぼう(なんだかへんて子)が現れる。そして母の記憶の結晶とヒロキの間で触媒の働きをするのは、風に飛ばされお寺の境内中を舞う1枚の写真である(一方、「はるか、ノスタルジィ」において綾瀬とはるかの間で触媒となるのは壊れた写真機)。

大林映画で流れる時間は神話的時間であり、フランスの言語学者ソシュールの用語を借りるなら、その文法(語り口)は通時的(関連する複数の現象や体系を、時間の流れや歴史的な変化にそって記述するさま)であると同時に、共時的(現象が継時的変化としてではなく、一定時の静止した構造としてあるさま。また、時間的・歴史的な変化の相を考慮に入れずに、ある対象の一時点における構造を体系的に記述しようとするさま)であることを理解しておかなければならない。「野生の思考」を書いたフランスの構造人類学者レヴィ=ストロース神話的時間が「可逆的かつ不可逆的で、共時的でも通時的でもある」と、その二重性を強調した。構造人類学が共時態を重視するのは、地層の断面(≒ベルクソンの逆さ円錐モデル/記憶の結晶)におけるように、〈いま・ここ〉のただなかに過去が共時的に現れていることを重要視しているのである(参考文献:小田亮「レヴィ=ストロース入門」ちくま新書)。

「はるか、ノスタルジィ」の時間は循環し、【三好遥子→はるか→遥子】というサイクルが最後に発生する。ドイツの哲学者ニーチェが言うところの永劫回帰の層に入ってゆくのである。この循環は「さびしんぼう」のエピローグでも認められる(原作はどちらも山中恒)。

ちなみにニーチェ「ツァラトゥストラはかく語りき」に基づく音楽が冒頭から流れるスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」ではボーマン船長が最後に赤ん坊(スター・チャイルド)に回帰する。スター・チャイルドとは、ニーチェが語った超人と同義である。また永劫回帰が描かれた作品として押井守「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」やルイス・ブニュエル「皆殺しの天使」も挙げておこう。

大林映画の中で時間は停止し(「廃市」「麗猫伝説」「野のなななのか」に登場する止まった時計)、逆戻りしたりもする(「時をかける少女」)。「時をかける少女」では次のような会話が交わされる。

「だって、もう時間がないわ。どうして時間は過ぎてゆくの?」
「過ぎて行くもんじゃない。時間は、やって来るもんなんだ」

さらに生者と死者が同居する世界が描かれる(「異人たちとの夏」「その日のまえに」「この空の花―長岡花火物語」「野のなななのか」)。そこには生と死の境界線がない現在と過去の間にもないように。

人は常に誰かの代わりに生まれ、ー
誰かの代わりに死んでゆく。
だから、人の生き死には、ー
常に誰か別の人の生き死にに、
繋がっている。
(「野のなななのか」より)

人は循環し、輪廻転生を繰り返す。まるで手塚治虫が漫画「火の鳥」で描いたように。

そしてー

「ものくるほしくも、いつか見た夢、いつか見た映画。わたしは影でございます。スクリーンが燃えてなくなるとき、わたしの命もまた、ともに終わらねばなりません。あれが青春ならば、あれが愛ならば、わたしは単なる思い出。古い思い出に捕らわれて、わたしらはみんな、生きながら死んでいるのでございます。」
(「おかしなふたり」より)

となる。

大林監督がラジオ番組「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」に出演した際、ラッパーでDJの宇多丸が「時をかける少女」に関して、「尾美としのりの役回りはヒッチコック『めまい』のミッジではないですか?」と問い、監督が「おっ、鋭いね」と返す場面があった。これを聴いて僕はハッとした。そうか!堀川吾朗(尾美としのり)は芳山和子(原田知世)の幼馴染で、彼女のことが好きだけれど、和子は未来から来た深町一夫(高柳良一)のことしか見ていない。これはヒッチコック「めまい」に於けるミッジ(バーバラ・ベル・ゲデス)→スコティ(ジェームズ・スチュアート)→マデリン/ジュディ(キム・ノヴァク)の関係と一緒だ。そしてヒッチと撮影監督ロバート・バークスが開発した、床が落ちるような「めまいショット」を大林監督は「逆ズーム」と命名し、「時をかける少女」のラストシーン(大学の薬学部・廊下)で用いている。

さらに驚きべきことに気が付いた!よくよく考えてみれば「はるか、ノスタルジィ」の仕組/構造(structure)は「めまい」にも一致している。「めまい」のスコティは嘗て愛した女マデリンが自分のせいで死んだと信じ落ち込む。そんなある日、街角でマデリンに瓜二つの女性を発見し追う。彼女はジュディと名乗った。スコティはジュディにマデリンと同じ服を着せ、髪型も似せようとする。それとそっくりな行為を「はるか、ノスタルジィ」の綾瀬は、はるかに対してするのである。そして本作における尾美としのりは再びミッジの役回りを演じている。また映画のオープニング・クレジットで石田ひかりは回転している(右回転)。これも「めまい」でソール・バスがデザインしたタイトルバック(左回転する渦巻)を彷彿とさせる。ひかりの時計回転は時間イメージでもあるし、回帰する物語であることの宣言でもあるだろう。「この空の花ー長岡花火物語」に登場する、回転運動をする一輪車の少女のように。

大林宣彦ほど豊穣な時間イメージを持つ映画作家は他にいない。僕はそう断言する。

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大林宣彦監督最新作「花筐」を12のキーワードで読み解く!

大林宣彦監督「花筐/HANAGATAMI」の原作は「火宅の人」で有名な檀一雄。シナリオは1977年「HOUSE ハウス」で劇場用映画デビューする前に既に完成しており、晩年の原作者も映画化を了承していた。構想40数年におよぶライフワークである。キネマ旬報ベストテンで第2位&日本映画監督賞、毎日映画コンクールで日本映画大賞に輝いた。

過去キネ旬ベストテンに入選した大林映画を列挙しよう。

  • 1982年「転校生」第3位
  • 1984年「廃市」第9位
  • 1985年「さびしんぼう」第5位
  • 1986年「野ゆき山ゆき海べゆき」次点(第11位)
  • 1988年「異人たちとの夏」第3位
  • 1989年「北京的西瓜」第6位
  • 1991年「ふたり」第5位
  • 1992年「青春デンデケデケデケ」第2位
  • 2004年「理由」第6位
  • 2012年「この空の花―長岡花火物語」次点(第11位)
  • 2014年「野のなななのか」第4位

また「さびしんぼう」で読者選出日本映画監督賞を受賞しているが、評論家の選ぶ監督賞は今回初となる。

この最新作を2月25日(日)尾道映画祭にて初鑑賞。

評価:A+ 公式サイトはこちら

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上映後、大林監督、映画出演者である常盤貴子、満島真之介、原雄次郎らが登壇し、早稲田大学名誉教授で映像作家でもある安藤紘平の司会でティーチインが行われたのだが(映画を観た尾道市立土堂小学校児童からの質問に答える形式)、詳しいことは後日【いつか見た大林映画】に書きたいと考えている。

さて、まず発音問題から語っていこう。本作は当初「花かたみ」というタイトルが予定されていた。

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大林監督があとがきを書いている光文社文庫版も「はなかたみ」とルビが振られており、製作発表当時、監督も清音で発音されていた。ところが公開版では濁音に変わった。どういう事情なのか娘の大林千茱萸さんにTwitterで質問をしてみた。その回答が下の通りである。

また「良い映画を作れば、難しい漢字でも皆読めるようになるわよ」という大林恭子プロデューサーの助言により、ひらがなは用いず原作通り「花筐」となった次第である。

1)ドラキュラ映画:「花筐」は正真正銘のドラキュラ映画である。を吸う場面が何度も繰り返される。大林監督のアヴァンギャルドな16mm実験個人映画「EMOTION 伝説の午後=いつか見たドラキュラ」(1967)はロジェ・ヴァディム監督「バラ」(1960)へのオマージュだ。これは女吸鬼の物語である。そして「花筐」ではバラに転化(メタモルフォーゼ)し、またバラに戻る場面が登場する。

ヒロイン・美那は太陽光を嫌がる。何故なら彼女は吸鬼だからである。そしてブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ」(1897年刊)に登場するヒロインの名前もミナ。大林監督は映画完成後、(ヴィジュアリストで「ねらわれた学園」に出演した)手塚眞にそのことを指摘されるまで全く気が付いていなかったという(原作通りの名前だから)。しかし、もしかしたら檀一雄はブラム・ストーカーの小説を知っていたのではないかと、尾道映画祭で語られた。正に映画とは、辻褄が合った夢である。

「金田一耕助の冒険」では岸田森がドラキュラを演じた。また実現はしなかったが大林監督は手塚治虫の漫画「ドン・ドラキュラ」を映画化しようと企画し、「花筐」を手掛けた桂千穂によるシナリオも完成していた。そして「HOUSE ハウス」にもバラが描かれている。

)化け猫映画:本作に出演している年老いた入江若葉を見ながら、大林監督の「麗猫伝説」に出演した頃の彼女の母・入江たか子にそっくりになったなと驚愕した。調べてみると化け猫映画「麗猫伝説」出演当時たか子72歳、「花筐」の若葉は73歳であった。「HOUSE ハウス」も化け猫映画だ。「花筐」で常盤貴子が演じる”おばさま”こと江馬圭子は「HOUSE ハウス」で南田洋子が演じた”おばちゃま”と同一人物である。許婚が戦死したという設定も同じ。また「HOUSE ハウス」で鰐淵晴子が演じた、オシャレの父の再婚相手の名前は江馬涼子。40数年前の企画で鰐淵は江馬圭子を演じる予定だったという。

映画「花筐」における英語の授業で使用されるテキストはエドガー・アラン・ポーの「黒猫」。原作では(「ドリアン・グレイの肖像」「サロメ」で知られる)オスカー・ワイルドとなっている。大林監督はポー原作の怪奇映画(「アッシャー家の惨劇」「赤死病の仮面」「恐怖の振り子」など)を撮ったロジャー・コーマンの大ファンを公言しており(石上三登志との対談「ロジャー・コーマンは映画に対して根源的な存在だ」がキネマ旬報に掲載された)、その中に「黒猫」を原作とするヴィンセント・プライス主演「黒猫の怨霊」(1962)がある。このシナリオを書いたのが「アイ・アム・レジェンド」「縮みゆく人間」「奇蹟の輝き」などで知られるSF作家リチャード・マシスン。でマシスンが原作・脚本を担当した映画「ある日どこかで」(1980)を大林監督はこよなく愛し、「時をかける少女」(1983)の参考資料として作曲家の松任谷正隆(ユーミンの旦那)に見せている。だから「時かけ」の音楽とジョン・バリーが作曲した「ある日どこかで」の雰囲気はよく似ているのだ。

3)集大成:「花筐」はまずモノクロームの映像で始まり、そこに舞い込む桜の花びらだけが桃色に染まる。そして一気に総天然色へ。正しく「時をかける少女」の導入部が繰り返される。そして障子に浮かび上がる少女のシルエット。これも「時かけ」と同じだ。崖から海に飛び込む場面は「時かけ」の深町くん。井戸は「HOUSE ハウス」で、素っ裸で海を泳ぐ鵜飼(満島真之介)は「おかしなふたり」の竹内力を彷彿とさせる。”わんぱく戦争”(戦争ごっこ)で倒れた子供たちが「お母さん!」と泣き叫ぶのは「野ゆき山ゆき海べゆき」の再現。また男3人と女4人が集う場面ではお互いの視線が錯綜とし、誰が誰を愛しているのか観客を眩惑させる。「廃市」と「姉妹坂」で試みられた手法である。原作にはない蛍が乱れ飛ぶ場面は「廃市」。そして原作には出てこない自転車は「転校生」「さびしんぼう」「麗猫伝説」「あした」であり、医師の登場は「野ゆき山ゆき海べゆき」「マヌケ先生」だ。「HOUSE ハウス」の主人公オシャレ(池上季実子)のお祖父さんも医院を開業している。これは岡山医科大学(現在の岡山大学医学部)を卒業後、軍医として出征した父・大林義彦への想いに繋がっている。

4)回転・円(circle):「花筐」はおびただしいまでの「回転」や「円」のイメージで埋め尽くされている。回るレコード、常盤貴子と矢作穂香は口づけを交わしながら回転する。また常盤貴子によると終盤のダンス・パーティでは盆の上に乗せられて、助監督が床を回転させている状態で踊ったという。

劇中何度も写し出される月は常に満月だ。不自然極まりない。新海誠「君の名は。」の月が半月・三日月・満月と変化したことと対照的である。そしてどちらも大きな意味がある

「花筐」の満月は日の丸に変化し、井戸は丸い。

大林監督の娘婿・森泉岳士が描いたポスターをご覧頂きたい。

Hanagatami

チベット仏教・曼荼羅のイメージである。これも円だ。曼荼羅はユング心理学で重要なアイテムである。ユングは曼荼羅こそ自己(self)の象徴であり、普遍的(集合的)無意識の中にある元型(グレートマザー、太母)と考えた。それは「未知との遭遇」に登場するマザーシップに繋がっている。

「はるか、ノスタルジィ」のオープニング・クレジットで石田ひかりは回転している。「この空の花 長岡花火物語」の花火は円だ(3次元的には球だが、映画は2次元なので)。そして「この空の花」に登場する一輪車に乗る少女は回転運動をする。回転についてはアルフレッド・ヒッチコック監督の名作「めまい」(1958)へのオマージュという側面もあるだろう。「はるか、ノスタルジィ」の物語の骨格は「めまい」を踏襲している。

それだけではなく回転は時間イメージであり、ニーチェが言うところの永劫回帰、生まれ変わる=輪廻転生のイメージでもあるだろう。「はるか、ノスタルジィ」にも【三好遥子→はるか→遥子】という転生・繰り返しがある。それは「さびしんぼう」も同じ。

「時をかける少女」の芳山和子(原田知世)と深町一夫(高柳良一)は次のような会話を交わす。

「だって、もう時間がないわ。どうして時間は過ぎてゆくの?」
「過ぎて行くもんじゃない。時間は、やって来るもんなんだ」

これは明らかに時計の針の動きによる時間イメージであり、やがて回帰することを示唆している。

大林宣彦も「花筐」で「HOUSE ハウス」に回帰した。スター・チャイルド(@2001年宇宙の旅)の誕生である。それにしても可笑しいのは「HOUSE ハウス」が「こんなの映画じゃない!」と評論家たちから罵倒され、キネ旬ベストテンで完全に無視されたのに、「花筐」はすこぶる高い評価を受けたことである。それだけこの40年間で日本映画をめぐる状況は目覚ましい変化を遂げたということなのだろう。考えてみれば昨年、キネ旬ベストテンの第2位が「シン・ゴジラ」で、脚本賞が庵野秀明だもんね。ちょっと前だったら絶対あり得なかったことだ。嘗てサブカルチャーだったものが、いつの間にかカルチャーのど真ん中に立っていた。

5)両性愛と三島由紀夫:「花筐」の鵜飼は美しい肉体の持ち主だ。榊山はそんな彼に憧憬の念を抱く。鵜飼が素っ裸になり海で泳ぐ場面を小説はこう描写している。

ブロンズのように美事な姿態が、月下の砂丘を弾丸のように走りはじめた。

また榊山と鵜飼がお茶を飲みながら会話する場面はこうだ。

黙ったまま二人ともニッと笑った。それは何にたとえられぬほどはげしくお互いの愛情を語るのである。

ここで友情ではなく愛情と表現されていることが重要だろう。

若き日の三島由紀夫はこの小説を愛し、「檀一雄『花筐』―覚書」を執筆している。そこに次のような一節がある。

少年がすることの出来る――そしてひとり少年のみがすることのできる世界的事業は、おもふに恋愛と不良化の二つであらう。

三島は男色家だった。そして後年ボディビルで体を鍛えた彼の姿は、あたかも鵜飼に憧れていたかのようだ。

しかし榊山と鵜飼の間に肉体関係はなく、あくまでプラトニックなものだ。「ブロンズ」とか「大理石のよう」という表現でも判る通り、それはギリシャ彫刻のように肉体美を愛でるような感触。ふたりとも女性にも興味があるわけで、それは思春期特有の両性愛的嗜好なのだろう。

人にはみな生まれつきバイセクシュアルの傾向があり、同性愛は異性愛へと発達する途上のひとつの段階として現われうる。成人になってからの同性愛は、心理的性的発達が「停滞」したことによって生じる、とフロイトは主張している。ゲイは「未熟」だと言っているわけだから異論もあろうが、そういう説もあるということだ。

大林監督が「花筐」と同様に、いつの日にか、と映画化を望んでいる福永武彦の小説「草の花」は【 ①冬②第一の手帳③第二の手帳④春 】という4部構成になっている。「第一の手帳」では主人公・汐見茂思の藤木忍(旧制高等学校弓道部の後輩)への一方的な愛が描かれ(忍は19歳で死ぬ)、「第二の手帳」では汐見と藤木忍の妹・千枝子の恋が描かれる。しかし結局、千枝子は「あなたは私を愛しているのではなく、私を通して死んだ兄の姿を見ているのでしょう」と言い、汐見のもとを去る。これも同性愛→異性愛という両性愛的物語であり、肉欲を伴わないという点でも「花筐」に近い作品と言えるだろう。

余談だが大林映画「あした」では三島由紀夫「潮騒」の焚火の場面が再現されている。

「初江!」
と若者が叫んだ。
「その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら」
少女は息せいてはいるが、清らかな弾んだ声で言った。裸の若者は躊躇しなかった。爪先に弾みをつけて、彼の炎に映えた体は、火の中へまっしぐらに飛び込んだ。
(三島由紀夫「潮騒」)

6)寺山修司:大林監督は歌人、劇作家、そして映画監督でもあった寺山修司と交流があった。尾道映画祭で語ったところによると、寺山から「大林さんの映画は僕の作品に似ている」と言われ、「いや、君のが僕のに似ているんだよ」とやり返したそう。

「花筐」には顔を真っ白に塗った兵士が登場する。これは「野ゆき山ゆき海べゆき」や「おかしなふたり」でも行われた演出だ。そして寺山の撮った自伝的映画「田園に死す」(1974)に繋がっている。

Tera

7)「ポールとヴィルジニー」と海:大林監督が少年時代からこよなく愛し、ジョルジュ・サンドの「愛の妖精」と共に尾道の海の見える丘で読み耽った小説、ベルナルダン・ド・サン=ピエールの「ポールとヴィルジニー」については下記事で触れた。

いやはや、まさか「花筐」でこの小説が前面に押し出されてくるとは夢にも思わなかった!監督の著書では繰り返し言及されてきたが、映画に名前が出てくるのは初めてである。原作には勿論、記載がない。吉良とその従姉妹・千歳が小さな島出身という設定にされたのも「ポールとヴィルジニー」を踏まえてのものだろう。長らく絶版だったが、現在は幸いなことに光文社古典新訳文庫で読むことが出来る。

「ポールとヴィルジニー」は絶海の孤島で展開される物語であり、「花筐」も海のイメージに満ち溢れている。

8)結核:「花筐」の美那は結核を患い、喀血する。肺病を患う美少女は大林映画が繰り返し描いてきたモティーフ(Motif)だ。「マヌケ先生」の有坂来瞳しかり、「あの、夏の日」の宮崎あおいしかり。「おかしなふたり」の竹内力もしきりと咳をし、肺が弱かった。福永武彦の小説「草の花」の汐見茂思は結核でサナトリウムに入院し、術中死する。福永本人も結核で闘病生活を送った(つまり汐見茂思は福永の分身である)。

大林監督の叔父は結核に倒れ、自宅で療養した。折しも日本は戦争中であり、「非国民!」となじられた。「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」と中原中也の詩を口ずさむ叔父にたかいたかいをされ、近づいては遠ざかる天井の木目模様を見たのが最も古い記憶だという。

9)原爆:「HOUSE ハウス」の前半部、結婚式の記念写真で炊いたフラッシュが原爆のキノコ雲に変わる。そして夢のように美しい(←対位法)キノコ雲(原子雲)は「恋人よわれに帰れ」(しかも2回!動画はこちら)や、「野ゆき山ゆき海べゆき」にも登場する。また「マヌケ先生」では原爆が投下された1945年8月6日午前8時15分の広島市が描かれるが、爆発した瞬間に画面は真っ白になる。そして「花筐」では……。

10)はぐれ鬼:映画「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群 夕子悲しむ」の最後に大林監督が自らナレーターとして語る言葉をご紹介しよう。

ひとは、今日もまた
恋にはぐれて
くるほしくー

胸、張り裂けながら
ただ、耐えて耐えて
生くるのみかー

夕子、ー
君を忘れない

「おかしなふたり」の竹内力や永島敏行は【恋にはぐれた鬼】である。「HOUSE ハウス」のおばちゃまや、「時をかける少女」の尾美としのりの役回りも【はぐれ鬼】。その原点はヒッチコック「めまい」のミッジ(バーバラ・ベル・ゲデス)に遡る。彼女はジェームス・スチュアート演じる元刑事の主人公を愛しているのに、振り向いてもらえない。この作品でヒッチと撮影監督ロバート・バークスが開発した、床が落ちるような「めまいショット」を日本で最初に試みたのが大林監督であり、「逆ズーム」の命名者でもある。そして「時をかける少女」のラストシーン(大学の薬学部・廊下)でも逆ズームが用いられている。ちなみにスピルバーグも「ジョーズ」や「E.T.」など好んで逆ズームを使っている。

では「花筐」の【はぐれ鬼】は誰?言うまでもなく、あきね(山崎紘菜)である。千歳(門脇麦)もそうかもね。あんなの「愛」じゃないし。

11)デジタル・シネマ:シネマ・ゲルニカであり、"A MOVIE ESSAY"の「この空の花 長岡花火物語」から大林宣彦はフィルムを棄て、デジタル撮影に移行した。そしてデジタル・シネマは「野のなななのか」「花筐」と続いた(これらを一括りにして戦争三部作という)。どうしてフィルム撮りを止めたのか?監督は2010年に心臓病で倒れ、体内にペースメーカーの埋め込み手術を受け九死に一生を得た。「デジタルに命を助けられなのだから、その恩に報いなきゃいけないだろう」ということなのだそう。「花筐」は相変わらずハメコミ合成が(過剰なまでに)多いのだが、最新デジタル技術のお陰で「HOUSE ハウス」や「ねらわれた学園」の頃と比べると違和感がなくなった。なんかね、合成がしっくり馴染んでいるんだ。

12)チェロ:「大林作品はピアノ映画だ!」と看破したのは映画評論家の故・石上三登志(「HOUSE ハウス」に出演、「彼のオートバイ、彼女の島」「野ゆき山ゆき海べゆき」ではナレーションを担当)である。「花筐」の音楽にも確かにピアノの音色が響いているのだが、寧ろ中心主題となっているのはJ.S.バッハ作曲「無伴奏チェロ組曲 第1番」の前奏曲である。大林映画では前例のない異常事態だ。何故チェロなのか?

ここで僕が連想するのは宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」である。2008年に公開された大林映画「その日のまえに」は宮沢賢治のモティーフ(Motif)がふんだんに投入されている。重松清の原作小説には一切、賢治について言及されていないにも関わらず。永作博美が演じたヒロインの名前も、わざわざ「とし子」に変更されている。これは賢治の妹の名前であり、詩「永訣の朝」に登場する。そして彼女も結核で早世した。「その日のまえに」に”くらむぼん”という謎のチェロ弾きが現れるが、これは賢治の童話「やまなし」に出てくる言葉。つまり「花筐」でチェロを弾く、江馬圭子の戦死した夫・良=宮沢賢治と解釈しても良いだろう。妹(美那)が結核という状況も賢治と完全に一致する(宮沢賢治記念館には賢治が実際に使用していたチェロが展示されている)。

なお、「花筐」パンフレットの対談に登場する岩井俊二監督の映画「リップヴァンウィンクルの花嫁」で黒木華演じる主人公がSNSで用いるハンドル名はクラムボンで、後にカンパネルラに改める。カンパネルラは言うまでもなく「銀河鉄道の夜」の登場人物である。

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ここまで12のキーワードで大林映画「花筐」を解きほぐして来た。12時は時計の一回りであり、十二支、十二辰(古代中国天文学における天球分割法)でもある。本評論も円環の理(えんかんのことわり)をもって、ここで終わりとしよう。

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【いつか見た大林映画・番外編その2】「麗猫伝説」を読み解く/The Positive Thinker !

最新作「花筐(はながたみ)」撮影開始直前に大林宣彦監督は肺がん(ステージ4)で余命3ヶ月と告知され、撮影に並行して内服治療が始まった。幸いなことに処方された新しい分子標的薬「イレッサ®(ゲフィチニブ)」が劇的に奏効し、腫瘍はみるみる縮小。脳への転移も見つかったが放射線療法でそちらも制御出来た。「花筐」クランクイン@唐津が2016年8月25日だったので、それから約1年半が経過するも監督は大阪での舞台挨拶でお元気な姿を見せてくださった。

「あと30年は映画を撮る」と意気盛んで、原爆をテーマにした次回作の構想もあるという。

「時をかける少女」で映画デビューした原田知世は2017年11月28日、50歳の誕生日にBunkamuraオーチャードホールで “音楽と私“ ツアー・ライヴ千秋楽を迎えた。そこに大林監督がビデオ・メッセージを寄せ、最後に「また一緒に映画をやりましょう」と語りかけた。

末期がんの宣告を受けた時、監督の感想は「すごくうれしかった」。「花筐」映画化の許可を得るため、九州の能古島で「火宅の人」を仕上げようとしていた檀一雄に会ったときの情景が蘇ってきた。「ああ、檀さんと同じだと思った。(肺がんで体力が衰え)口述筆記で書いている檀さんの姿がパーンと浮かんで、これで映画を作れる、同じ痛みをもてたと思った」そして今の心境は「がんのおかげ、をもっと生かしてやらないとね」と(発言を引用した元記事はこちら)。

僕が敬愛してやまない大林宣彦という男子(おのこ)の本質は、こういうPositive Thinking にあったのだと初めて気付かされ、感服した。

現在シネ・ヌーヴォ@大阪市西区九条では国内最大規模の大林宣彦映画祭が開催中で、元OBs関西(OBsの説明はこちら)・M氏の協力により大変珍しいポスターが数多く展示されている。また2月23−25日には尾道映画祭が開催され、大林映画特集が組まれる(公式サイト)。その実行委員のひとりである元OBs広島・H氏からお誘いを受けたので、僕も18年ぶりに尾道を訪れることになった。

大林宣彦映画祭@シネ・ヌーヴォで「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群 夕子悲しむ」を観ながら気が付いたことがある。

映画の冒頭で竹内力と三浦友和は次のような会話を交わす(@広島県福山市鞆の浦)。

「初めて見る海はいいもんだ」
「毎日眺めてもいいもんだ」

そして劇中に流れる昭和歌謡曲「上海帰りのリル」の歌詞は、

船を見つめていた
ハマのキャバレーにいた
風のうわさはリル
上海帰りのリル リル

「大林作品はピアノ映画だ!」と看破したのは映画評論家・石上三登志だが、大林作品は同時に海の映画でもあった。9割以上の作品にが登場するのだ。

監督がこのなく愛する小説、檀一雄「花筐」も、福永武彦「草の花」でもは重要な役割を果たす。また少年の日、尾道の小高い丘で読み耽った小説として挙げているベルナルダン・ド・サン=ピエール「ポールとヴィルジニー」の舞台となるのは絶海の孤島。そして物語の最後にヴィルジニーはに呑み込まれる。余談だが「ポールとヴィルジニー」のことを大林監督の著書で知り、探し始めたのが今から30年前。しかし既に絶版で、旺文社文庫として最後に出版されたのが1970年であった。図書館で蔵書検索をしても見つからず、漸く2014年になって光文社古典新訳文庫の仲間入りをして、読むことが叶ったのである。

後に映画のタイトルにもなった、大林監督が愛誦する佐藤春夫の「少年の日」はこんな詩だ。

野ゆき山ゆき海辺ゆき
真ひるの丘べ花を敷き
つぶら瞳の君ゆえに
うれいは青し空よりも。

ここにもが出てくる。

現在僕の職場は神戸港に面しており、部屋の窓から燦めく瀬戸内のが見える。就職先を転々としてきたが最終的にここに落ち着いた。多分無意識のうちに瀬戸内海に引き寄せられて来たのだろう。そのことを今回「おかしなふたり」を再見しながら悟った。

続いてシネ・ヌーヴォで「麗猫伝説」も鑑賞。

16mmフィルムで撮られた「麗猫伝説」は日本テレビ「火曜サスペンス劇場」100回記念作品として製作され、1983年8月30日にオンエアされた。88年に公開された「おかしなふたり」とは姉妹編とも言うべき関係にあり、大泉滉、坊屋三郎、内藤陳、大前均、峰岸徹など共通する出演者も多い(あと美術監督の薩谷和夫が「麗猫伝説」では引退した映画監督として、「おかしなふたり」では風呂屋の親父として出演し、台詞もある)。両者を決定的に結びつけているのは瀬戸内キネマの存在である。「麗猫伝説」では撮影所として登場し、「おかしなふたり」では寂れた映画館の姿に変わり、最後は炎上する。この2作品以外に瀬戸内キネマは出てこない

「時をかける少女」の公開が83年7月16日であり、入江たか子・若葉の母娘は「時かけ」「麗猫伝説」の両者に出演している。

一般に「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」が《尾道三部作》、「ふたり」「あした」「あの、夏の日」が《尾道新三部作》と呼ばれており(監督公認ではない)、「麗猫伝説」「彼のオートバイ、彼女の島」「おかしなふたり」は《外伝》になる。言い換えるなら《はぐれた鬼》であり、《ものくるほしき映画の群》である。

兎に角、麦わら帽子を被った風吹ジュンが最高に可愛い!恋にはぐれた彼女が、尾道(向島)の坂道で自転車をこぐ場面は大林監督の真骨頂である(後の「さびしんぼう」に繋がっている)。当時の彼女は向田邦子の「阿修羅のごとく」「家族熱」や、山田太一の「岸辺のアルバム」などテレビドラマ黄金期の傑作群に出演し、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

風吹演じるスクリプターが住む居間には「オズの魔法使い」やチャップリン主演「キッド」のポスターが張ってある(「オズの魔法使い」は「時をかける少女」で原田知世の寝室に飾ってあったのと同じもの)。またスクリプターの寝室には「カサブランカ」のポスターも。

彼女が持つ時計は止まっている。「廃市」の主人公と同じ状況である。そして「おかしなふたり」も。つまり「麗猫伝説」の登場人物たちは生きながら死んでいるのである。

「麗猫伝説」の物語の骨格はビリー・ワイルダー監督「サンセット大通り」に基づいている。途中、食事の場面で入江若葉がグロリア・スワンソン、バスター・キートン、セシル・B・デミル監督、ヘッダ・ホッパー女史(ゴシップ・コラムニスト)の名を挙げるが、彼らは全員「サンセット大通り」の出演者である。そこに入江たか子が主演した化け猫映画の要素が加味されている(引用される映像は「怪猫有馬御殿」)。

入江の父は子爵だったが、父の死後生活に困窮し、映画界に入った。1932年に入江ぷろだくしょんを設立し、溝口健二監督による無声映画「滝の白糸」(33)が代表作となった(溝口はこの時、入江の方が自分より立場が上だったことを根に持っていた)。戦後主役が減り、バセドウ病を患ったりして大映に移籍し、化け猫映画に出た。1955年、溝口健二監督「楊貴妃」に出演した折、溝口から執拗なダメ出しをされた挙句、「そんな演技だから化け猫映画にしか出られないんだよ」とスタッフ一同の面前で口汚く罵られ、女優業を引退した。

そういった伝説を背負い、入江たか子は再びドラキュラのように蘇ったのである。柄本明演じる脚本家は赤いバラを持って伝説の大女優が棲む島を訪れる。ここでロジェ・ヴァディム監督の吸血鬼映画「血とバラ」のモティーフが繰り返される。劇中スクリプターが自分の恋人である脚本家の過去作を読む場面があるが、そこで引用されるのが1967年の大林監督の実験個人映画「EMOTION 伝説の午後=いつか見たドラキュラ」のシナリオ。これも「血とバラ」へのオマージュだ。なお最新作「花筐」に出演している柄本時生は言うまでもなく柄本明の息子であり、「花筐」にも血とバラが出てくる。さらに言えば「おかしなふたり」エンド・クレジットでは唐突に赤いバラが爆発する。

「麗猫伝説」では風吹ジュンが大泉滉演じる引退した映画監督にムチで打たれる強烈なSMシーンがあるのだが、クリストファー・リーが主演した映画「白い肌に狂う鞭」へのオマージュになっている。監督のジョン・M・オールドはマリオ・バーヴァのペンネーム。大林監督は劇場デビュー作「HOUSE ハウス 」で馬場毬男(ばばまりお)というペンネームを名乗ることを考えていた。これはマリオ・バーヴァのもじりであり、結局監督の少年時代を描いた映画「マヌケ先生」の主人公の名前として用いられた(三浦友和が演じた)。また映画「あした」で學草太郎(=大林宣彦)が作曲した音楽の旋律は「白い肌に狂う鞭」とそっくりであることを申し添えておく。

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【いつか見た大林映画・番外編】監督来阪!自作を語る。〜大林宣彦映画祭@シネ・ヌーヴォ

実は【いつか見た大林映画】第7回として9・11同時多発テロの年に大分県臼杵市で撮影された「なごり雪」から始まる21世紀の作品群を語る準備をしていたのだが、急遽事態が大きく動いたので番外編をお送りすることになった。

キネマ旬報ベストテンで第2位&日本映画監督賞、さらに毎日映画コンクールで日本映画大賞に輝いた最新作「花筐」が1月27日(土)に大阪・ステーションシネマ@JR大阪駅で初日を迎えた。公開日に合わせて大林監督が来阪し、舞台挨拶を行った。その様子は新聞記事になっている→こちら

舞台挨拶後監督はタクシーに乗り、九条にある映画館シネ・ヌーヴォ(69席のミニシアター)に駆け付けた。ここで20日から「大林宣彦映画祭」が日本最大規模で開催されているのである。上映されるのは16mmフィルムの個人映画時代やテレビ映画を含め38作品に及ぶ(昨年9月東京・新文芸坐で開催された映画祭では30本だった)。

監督は「ねらわれた学園」上映終了後に挨拶されたのだが、僕はその次の上映「可愛い悪魔」を観ようとロビーで待っていた。そこへ監督御一行が到着。

ロビーにはコレクターから提供された大林映画の珍しいポスターなどが展示されており、「うちにないのがあるわ」と大林恭子プロデューサー。

また壁には所狭しと数々の映画監督によるサインが書き込まれており、館主が「是非、高林陽一監督の隣にサインをお願いします」とリクエスト。

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ちなみに高林陽一(2012年没)は1960年代、大林監督も参加した実験(個人)映画製作上映グループ「フィルム・アンデパンダン」の仲間である。そして高林監督が1970年に撮った35mmドキュメンタリー映画「すばらしい蒸気機関車」や、1975年のATG映画「本陣殺人事件」の音楽は大林宣彦が担当している(映画「あした」以降に登場する作曲家・學草太郎は大林監督のペンネームである)。

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映画館には元・OBs関西(←説明はこちら)のメンバーも駆けつけており、また大阪・ステーションシネマの舞台挨拶を聞いてから、こちらにハシゴした強者も。

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今年1月9日に80歳の誕生日を迎えられたので観客は「ハッピー・バースデイ」を歌い、監督を迎えた。司会者が高林監督のとなりにサインして貰ったと紹介すると、「いやぁ、嬉しかったねぇ」と。そして館内を見渡して「ここはいい映画館ですね。天井が高くて。ちゃんとスタンダード・サイズが上映出来るそうで、いま日本には殆どなくなっちゃんたんじゃないかな。フィルムの上下をカットされたんじゃ悲しいよね」(スタンダードは横縦比4:3、現在の標準はビスタサイズであり、ハイビジョン画面16:9はヨーロッパビスタとアメリカンビスタの中間)

「ねらわれた学園」については「当時僕の作品は『こんなの映画じゃない!』と映画評論家の人たちから散々非難を浴びましてね。だったら『これならどうだ!』と挑発的な気持ちで撮ったのがこの作品です。思えばあの頃の僕は悪ガキでしたね」

「劇場デビュー作『HOUSE ハウス』はいまや、世界中の映画祭から引っ張りだこでね、招待されて行ってみると観客がハウス・コスプレを着て迎えてくれるんです」

「『HOUSE ハウス』を製作する前から『花筐』のシナリオは書き上げていて、それから40年経って漸く映画が完成したのだけれど、中身は『HOUSE ハウス』の頃とちっとも変わっていなかったねぇ」

「僕は昔から『映画作家(フィルムメーカー)』と名乗っていて、一度も『映画監督』と自称したことはないのだけれど、それは(東宝・松竹・東映など)権力・体制に対して一生アマチュアを貫くぞという覚悟だったんです。いわば第二次世界大戦中の軍部に対する庶民の心意気だったんですね」

「黒澤明監督は生前僕に、『大林くん、僕は東宝の社員として会社を儲けさせることを常に考えないといけなかったが、会社をクビになって漸くアマチュアになれた。いま僕は自由だ!』と仰って映画「夢」を撮られた。そこには戦死した軍人の亡霊や、原子力発電所の爆発が描かれていました。そして現在はスタジオ・システムが完全に崩壊して、映画監督はみなアマチュアになった」

「僕は今80歳というジジイですが、志半ばに倒れても、40代の《大林チルドレン》と呼ばれる若い監督たちが第一線で活躍しているから、彼らがやり残した仕事を引き継いでくれるでしょう」

「そして僕自身も新藤兼人監督の遺志を継いで、まだ誰も撮らなかった原爆のメカニズムを解明する映画を創りたいと思います」

新藤兼人は広島市出身。原爆をテーマにした映画「原爆の子」「さくら隊散る」を撮っている。また「第5福竜丸」は水爆実験の被害者を描く。さらにテレビ用に製作されたドキュメンタリー番組「8・6」では広島へ原爆を投下したエノラ・ゲイ号の機長だったポール・ティベッツに、新藤自ら会いに出向いた。そして「ヒロシマ」というシナリオが残されたが、これは映像化が叶わなかった。「(原爆投下の瞬間)一秒、二秒、三秒の間に何がおこったかをわたしは描きたい。五分後、十分後に何がおこったか描きたい。それを二時間の長さで描きたい。一個の原爆でどんなことがおこるか」と新藤は書いている。

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さて秋吉久美子主演「可愛い悪魔」(1982)は「麗猫伝説」(83)同様、火曜サスペンス劇場で放送されたテレビ映画である。大林監督は他にテレビ用として、斉藤由貴主演「私の心はパパのもの」(88)、石田ゆり子主演で「彼女が結婚しない理由」(90)、陣内孝則×葉月里緒奈で「三毛猫ホームズの推理」(96)、陣内孝則×宮沢りえで「三毛猫ホームズの黄昏ホテル」(98)を撮っている(全て視聴済)。

市販された本作のVHSビデオは持っているが、スクリーンで観るのは初めて。なお2月2日に待望のDVDが発売される。「麗猫伝説」はビリー・ワイルダー監督「サンセット大通り」のプロットを下敷きにしており、「可愛い悪魔」の元ネタはマーヴィン・ルロイ監督「悪い種子」(1956)だ。「悪い種子」のことは映画評論家・町山智浩(著)「トラウマ映画館」で知った(「可愛い悪魔」については一切触れられていない)。

Badseed

はっきり言ってオリジナルより「可愛い悪魔」の方が面白い。ミステリーというよりもホラーに近く、「HOUSE ハウス」の姉妹編という表現が相応しいだろう。転落した人物の身体がポキっと不自然に折り曲がったり、火だるまになったり、結構残酷描写がある。20年ぶりくらいの鑑賞だったが、2階から落とされた金魚鉢が赤座美代子の顔にスポッと嵌まる場面は強烈に覚えており、ここで映画館も爆笑となった。「嗚呼、笑っていいんだ」と僕もホッとした。また監督本人と「HOUSE ハウス」の音楽を担当した小林亜星、そして秋川リサの特別出演シーンがとっても愉快だ。あとエンドロールに和製ドラキュラ役者・岸田森の名前を見つけて驚いた。エエッ!、出てたっけ??帰宅後、調査したところ「ミリタリー風の変な制服姿の別荘の番人」役だったと判明。途轍もない怪演で、全然気が付かなかった。因みに岸田は大林映画「金田一耕助の冒険」にもドラキュラ役で特別出演している。そして「可愛い悪魔」の放送から半年も経たないうちに亡くなった。

「可愛い悪魔」は音楽の使い方が抜群に上手い。物語の冒頭、屋外の結婚式で流れるのがシューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」第2楽章。これがレコードで、強風に煽られて音飛びする演出が絶妙なのだ。またアルビノーニのアダージョとか、パッヘルベルのカノンなどが印象的。

「可愛い悪魔」の魅力はそれが内包する狂気である。これほど狂った大林映画を僕は他に知らない(「麗猫伝説」のSMシーン《白い肌に狂う鞭》も相当凄いけどね)。

1月30日(火)。今度はシネ・ヌーヴォで尾道三部作・外伝「日本純情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群 夕子悲しむ」を観た。

Futari

劇場公開は1988年だが、ぼくは一足お先にA MOVIE FESTIVAL ONOMICHI '87のプレミア上映を観ている。また広島県福山市鞆の浦でのロケ見学もしていて、南果歩・三浦友和・竹内力と一緒に写真を撮ってもらった(→こちら)。その後レーザーディスク(LD)やDVDで繰り返し鑑賞しているが、スクリーンで再見するのは映画祭以来、実に31年ぶり。

いろいろなことどもが脳裏に蘇ってきた。例えば時折登場するちんどん屋を演じるのは尾道商店街の中にあったジャズ喫茶TOM(監督が愛飲していたのはTOMソーダ)のマスターとその夫人。「今日は鞆の浦で撮影しているよ」と僕に教えてくれたのもTOMのマスターだった。

「麗猫伝説」には瀬戸内キネマ撮影所が登場。そして「おかしなふたり」で瀬戸内キネマは寂れた映画館に生まれ変わっている。

大林監督には「いつか見たジョン・ウェイン」という著書がある。

Itsuka

「おかしなふたり」で竹内力が着る潜水服はジョン・ウェインの映画「絶海の嵐」(ウェインが最後に巨大イカと格闘)と「怒涛の果て」(ウェインが巨大タコと格闘。そして全編ゲイル・ラッセルを熱く見つめ続ける)へのオマージュ。そして終盤延々と続く三浦友和&永島敏行の殴り合いはジョン・フォード監督が故郷アイルランドでウェインを撮った「静かなる男」への讃歌だ(スピルバーグ監督の「E.T.」で地球外生命体が酔っ払いながらテレビで観るのも「静かなる男」)。

それにしても本作において南果歩は女優として絶頂期だったなと改めて想う。特に1分52秒に及ぶ、物干し台に立つ彼女をクローズ・アップで捉えた長回しは奇跡のように美しい!この後、辻仁成、渡辺謙と相次いで結婚。2016年には乳がんの手術を受けた。色々あったけど、彼女には幸せになってもらいたいとスクリーンを見つめながら祈るような気持ちになった。

今回初めて気がついた事が幾つかあった。「ふたり」「あした」「異人たちとの夏」や、特に近年の作品で顕著だが、大林映画は生者と死者が当たり前のように同居している作品が多い。「おかしなふたり」の場合、現在と過去が渾然一体となっている。それは登場人物が過去を回想するフラッシュバックというよりは寧ろ、同時にそこにある。まるでフェリーニの「8 1/2」みたいに。

我々は記憶において構成されている。我々は幼年期に、青年期に、老年期に、そして壮年期に同時に存在している。(フェデリコ・フェリーニ)

20世紀フランスを代表する哲学者ジル・ドゥルーズは、その著書「シネマ」の中で、「8 1/2」やアラン・レネの「去年マリエンバートで」を論じ、それらを(チャップリン、キートン、ヒッチコックなど運動イメージを表す古典的映画に対して)時間イメージと名付けた。

そして正(まさ)しく「おかしなふたり」や「時をかける少女」も、時間イメージの映画であった(過去と現在が同時にそこにある時間イメージは、「転校生」の男女入れ替わりという設定をミックスさせ、新海誠監督「君の名は。」に継承されることになる。新海誠も紛れもなく《大林チルドレン》だ)。

「おかしなふたり」の室田夫婦(三浦友和・南果歩)とその娘は、ちっぽけなとある港町に閉じ込められている。そこでは時間が永劫回帰(by ニーチェ)している(ルイス・ブニュエル「皆殺しの天使」のように)。しかし、それって考えてみれば「時をかける少女」に於ける芳山和子(原田知世)の状況と同じだよね!「おかしなふたり」の最後、室田一家はボートを漕いで町(閉鎖空間)からの脱出に成功する。漸く時間は未来に向かって動きはじめる。このラストは大林映画「廃市」とそっくりだ(止まっていた主人公の懐中時計は水郷・柳川を離れると再び動き出す)。うわ〜っ、みんな繋がっていた!!

あとボートで目覚めた三浦友和が涙を流していることを新たに発見した。これも新海誠「君の名は。」みたいだ。

福永武彦の小説「廃市」で直之は「僕」にこう語る。

「いずれ地震か火事が起るか、そうすればこんな町は完全に廃市になってしまいますよ。この町は今でももう死んでいるんです。」

そして映画「おかしなふたり」で往年の映画スター・水城龍太郎は次のような台詞を喋る。

「ものくるほしくも、いつか見た夢、いつか見た映画。わたしは影でございます。スクリーンが燃えてなくなるとき、わたしの命もまた、ともに終わらねばなりません。あれが青春ならば、あれが愛ならば、わたしは単なる思い出。古い思い出に捕らわれて、わたしらはみんな、生きながら死んでいるのでございます。」

全く同じことを言っている。

瀬戸内キネマ炎上シーンは、後年公開されアカデミー外国語映画賞を受賞したイタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」と奇しくも似ている。そして1台しかない映写機で「流し込み上映」をする点でも両者は一致している(詳しい解説はこちら)。

今年の正月に元・OBs広島のH氏から久しぶりに連絡を貰い、2月23-25日に開催される尾道映画祭に行くことになった(公式サイトはこちら)。H氏に会うのも、尾道を訪ねるのも、映画「マヌケ先生」エキストラ出演以来だから約20年ぶり。まるで「はるか、ノスタルジィ」の綾瀬慎介(勝野洋)になったような、摩訶不思議な感じだ。というわけで映画「花筐」は尾道で観ます。

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音楽を愛するすべての人へ!〜【本屋大賞】宮下奈都「羊と鋼の森」と大林映画「ふりむけば愛」

 森の匂いがした。秋の、夜に近い時間の森。風が木々を揺らし、ざわざわと葉の鳴る音がする。夜になりかける時間の、森の匂い。

最初の一文から一気に心を鷲掴みにされた。そしてこれは僕のために書かれた小説なのだという強い確信を持った。

宮下奈都(みやしたなつ)著「羊と鋼の森」は2016年に本屋大賞に選ばれた。また紀伊國屋書店のスタッフが全力で推すキノベス!でも堂々第1位に輝いた。現在東宝で映画化が進行中で、公開日は2018年6月8日を予定している。主演は山崎賢人。

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本屋大賞を受賞した時からずっと読みたいと思っていたのだが、1,620円もする単行本にはおいそれと手を出せなかった。漸く図書館で予約した順番が回ってきたので、いそいそと借りに行ったという次第。本を開くやいなやページをめくる手が止まらなくなった。なお文庫本(702円)は2018年2月9日に発売予定。

調律師の物語である。「羊と鋼の森」とは言うまでなくピアノの暗喩だ。「鋼」は弦(ピアノ線)のことであり、「羊」はハンマーヘッドを包む羊毛で出来たフェルトを指す。ハンマーが弦を叩くことで音が鳴る。つまりピアノは弦楽器であり、かつ打楽器なのだ。

主人公は高校の体育館で板鳥という調律師の仕事を間近に見て、そこに「森」を感じる。僕は頻繁にクラシック音楽の演奏会に足を運んでいるが、正直今までピアノの響きに「森」の気配を察知したことはない。しかしコンサートでしばしば「森」の中で彷徨している気分に浸る体験はあって、それは特にバロック・ヴァイオリンやバロック・チェロの音色に対してである。これら古楽器に張られているガット弦には羊の腸が使われている。また胴体(函)は木製だ。過去に僕が「森」について言及した記事を下に挙げておく。

音楽とは「森」である。臨床心理学者・河合隼雄はグリム童話などに登場する森は無意識のメタファーだと論じている。音楽もまた、無意識を表現する芸術だ。

調律師が主人公の小説ってすごく珍しい。他に思い浮かばない。よくよく考えて、一本の映画を想い出した。ジェームズ三木(脚本)、大林宣彦(監督)の「ふりむけば愛」(1978、東宝)だ。主演は山口百恵と三浦友和のゴールデンコンビ。

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「大林作品はピアノ映画だ!」と看破したのは映画評論家・石上三登志だが、本作で百恵はピアノ調律師を演じた。実は百恵・友和の出会いそのものが大林が演出したグリコCMだった。映画の題名は大林が「このふたりは、僕と5年近くコマーシャルをやっているうちに、幼なじみだったのがいつの間にか気がついたら恋人になっていたんだよな、フッと振り向いたらそこに恋人がいたんだよ」と言ったら、三木が「ああ、ふりむけば愛ですね、それで行きましょう」という会話から生まれた。サンフランシスコ・ロケの際に大林は早々と必要なカットを撮り終え、ふたりが自由に過ごせる日を丸一日設けてあげた。百恵が大阪厚生年金会館でのリサイタル中に「私が好きな人は、三浦友和さんです」とファンの前で恋人宣言するのは翌1979年である。

そしてな、な、何と、東宝映画「羊と鋼の森」で調律師・板鳥を演じるのは三浦友和なのである!!こんな偶然ってあり得る!?いやいや、これは必然に違いない。

予告編は公式サイトの"trailer"からどうぞ→こちら!大変美しい映像に仕上がっている。

物語の舞台となるのは北海道で、映画は旭川市でロケされた。小説執筆当時、宮下は家族と大雪山国立公園内にある富村牛(トムラウシ)集落@十勝管内新得町で1年間暮らしていたという(山村留学)。だから主人公の名前が外村(とむら)なのだ。

外村は仕事先の家庭でふたごの高校生姉妹と出会う。彼女たちの名前は「和音(かずね)」と「由仁(ゆに)」。和音(わおん)は言うまでもなくハーモニーであり、由仁はユニゾンだ。ハーモニーもユニゾンも一人で奏でることが出来ないところがミソ。ふたりでひとり。このふたごを映画では上白石萌音・萌歌の姉妹が演じる。萌音も萌歌も音楽に纏わる名前。何だか出来過ぎている。

小説の中で原民喜(はらたみき)が、こんな文体に憧れていると書いた一節が引用される。

明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体

板鳥はそんな音をつくり出すことを目指している。その想いは作者本人にも繋がっているだろう。

僕はこのブログで沢山のコンサートレビューを書いてきたが、つくづく音楽を文章で表現することの難しさを感じている。困難というよりも、殆ど不可能な作業である。そもそも作曲家というのは言葉に出来ない自分の想いを音符に託しているわけだから、土台無理なのだ。時には絶望的な気持ちにすらなる。宮下は本書でその不可能性に果敢に挑み、格闘し(藻掻い)ている。それが堪らなく愛おしい。

外村はドイツから来日した巨匠とも魔術師とも称されるピアニストを聴くために町のコンサートホールに行く。そのピアニストは板鳥に全幅の信頼を寄せている。板鳥が調律するのを眺めながら、彼は次のように述懐する。

 自分が迷子で、神様を求めてさまよっていたのだとわかる。迷子だったことにも気づかなかった。神様というのか、目印というのか。この音を求めていたのだ、と思う。この音があれば生きていける、とさえ思う。

僕もコンサートを聴いている最中に「音楽の神様がホールに舞い降りた」と直感する瞬間がある。しかしそれは数年に一度であり、滅多にあることではない。

コンサートの帰り道、外村は勤め先の楽器店の社長と次のような会話を交わす。

「こんな小さな町にいるよりも、もっと大きな場所で、たくさんの人の耳に触れるピアノを調律したほうが板鳥さんの腕を活かせるんじゃないでしょうか」
「ほんとにそう思うのかい。(中略)ここに素晴らしい音楽がある。辺鄙な町の人間にも、それを楽しむことはできるんだよ。むしろ、都会の人間が飛行機に乗って板鳥くんのピアノを聴きに来ればいい、くらいに私は思っているんだがね」

ここには地方に住む人間の挟持、気概がある。僕は確信した。宮下は東京に住んでいないと。調べてみると案の定、彼女は福井県福井市在住だった。

日本は今やクラシック音楽大国である。世界中の著名な音楽家が我が国に殺到し、飽食状態である。しかしそれは東京一極集中型であり、美味しい想いをしているのは関東の人々だけというのが実情だ。例えば昨年のベルリン・フィル来日公演もそうだったけれど、関東にだけ来てそのまま帰国する音楽家たちのなんと多いことか!大阪にすら来てくれない。東京都には9つのプロ・オーケストラがあるが、大阪府は4つ、京都府・兵庫県が1つ、滋賀県・奈良県・和歌山県は0である。日本の文化的「豊かさ」って一体、何なんだろう?とつくづく考えさせられる今日このごろである。

そんなこんなで共感することの多い小説だった。音楽を愛する全ての人々にお勧めしたい。特にピアノを習っていたり、吹奏楽部に所属する中学・高校生は是非読んでみて!

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法師温泉への旅と、「彼のオートバイ、彼女の島」

年末から年始にかけ、群馬県の法師温泉へ3泊4日の旅をした。

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宿泊した長寿館の公式サイトはこちら

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法師温泉のことを初めて知ったのは1986年4月26日に公開された、大林宣彦監督による角川映画「彼のオートバイ、彼女の島」を劇場で観た時だった。原田知世の姉・貴和子と竹内力のデビュー作となった。それから31年という時を経て、漸く行ってみたいという想いを叶えることが出来たのである。

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「彼のオートバイ、彼女の島」は一旦105分の作品として完成したが、併映の角川春樹監督「キャバレー」の尺が長くなったため「もっと短くなりませんか」とプロデューサーから要請され、15分カットし90分の作品として完成した、監督曰く【心意気の映画】である。

当時、「月刊シナリオ」に掲載された関本郁夫によるシナリオを読んだが、ヒロイン・美代子(ミーヨ)は最後に交通事故に遭って死ぬ。功(コウ)が泣き叫びながらバイクで駆ける場面がラストシーンとなっていた。しかし完成版で事故はコウの想像に過ぎず、ミーヨは無事でふたりで記念写真を撮る場面で終わる。

法師温泉は旅先で出会ったコウとミーヨが、再会する場所として登場。原田貴和子のフルヌードに当時の観客は度肝を抜かれた。

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大林監督はこのシーンの演出意図について川端康成の小説「伊豆の踊子」で、共同浴場から素っ裸で飛び出してきた踊り子が主人公に何かを叫ぶ場面、

子供なんだ。私たちを見つけた喜びでまっ裸のまま日の光の中に飛びし、爪先きで背いっぱいに伸び上がるほどに子供なんだ。私は朗らかな喜びでことこと笑い続けた。

や、三島由紀夫「潮騒」で新治と初江が真っ裸で焚き火を挟んで向かい合う場面、

「初江!」
と若者が叫んだ。
「その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら」
少女は息せいてはいるが、清らかな弾んだ声で言った。裸の若者は躊躇しなかった。爪先に弾みをつけて、彼の炎に映えた体は、火の中へまっしぐらに飛び込んだ。

などを引用し、少女の純潔性(innocence)を表現したかったのだと語った。なお余談だが、この「潮騒」の場面は後の新・尾道三部作「あした」で高橋かおりと林泰文が再現することになる。

長寿館に泊まって初めて気が付いたのは、ここは国鉄「フルムーン」CMのロケ地でもあったこと。上原謙、高峰三枝子が出演し、放送当時(1981年)大変話題になった。

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動画で観たい方は→こちら! 実はこの作品のディレクターは、誰あろう大林宣彦なのである(音楽はラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 終楽章)。上原謙は後に原田知世主演「時をかける少女」(1983)にもゲスト出演している。また最近では映画「テルマエ・ロマエ II」もここで撮影されたとか。

法師の湯はこんな感じ。

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入って分かったのは、湯船は実際には4つしかない。その真中を丸太が仕切っている(丸太の下はいけいけになっている)。 また各々で水温が違い、写真左奥(窓側)の湯船が一番ヌルい。6歳になる息子を連れて行ったのだが、この一番ヌルい湯がお気に入りになり、ここばかり入っていた(1日5回×30分ずつ!)。因みに法師の湯は基本的に混浴。午後8時−10時のみ女性専用になる。

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近くにある赤沢スキー場でソリ遊びもして、息子も冬休みを満喫していた。また近い将来、是非再訪したい。

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