いつか見た大林映画

祝サブスク解禁!!山口百恵の魅力について語り尽くそう。〈後編〉

本記事は、

の続きである。

【プレイバック】1978年5月にリリースされプレイバック Part2」は作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童の夫婦コンビ作。元々はディレクターの発案で「プレイバック」というタイトルが先に決められ、やはり阿木燿子の作詞で馬飼野康二が作曲した「プレイバック Part1」と宇崎が競作し、宇崎の方が採用された。「Part1」は翌月に発売されたベストアルバムに収録されたが、シングルカットはされていない。両者を聴き比べれば優劣は歴然としている。

【秋元康】秋元康が放送作家を経て、作詞家としてデビューしたのは1981年だった。しかしその1年前に山口百恵は引退していた。

作詞家・秋元康は小泉今日子(「なんてったってアイドル」)や美空ひばり(「川の流れのように」)に間に合ったが、山口百恵には間に合わなかった。彼にはずっと「山口百恵に詞を提供したかった」という、くやしい気持ちが付きまとっているような気がして仕方がない。

秋元がAKB48グループを作り、東京、名古屋、大阪、博多、新潟、瀬戸内、海外へと組織を拡大していったのも、「公式ライバル」として乃木坂46や欅坂46など坂道シリーズをプロデュースしたのも、その原動力として「第二の山口百恵を発見し、育て、世に送り出したい」という強烈な欲望があったのではないだろうか?

山口百恵の才能は日本テレビ系列で放送されていたオーディション番組「スター誕生!」で見い出された。しかし「スター誕生!」は1983年9月に幕を閉じ、平成に入ると単体としてのアイドル歌手が全く売れない時代となった。つまり「スター誕生!」の代替として考案されたオーディションおよびアイドル育成システムがAKB48であり、坂道シリーズだったのではないか、と僕は考える。

【「黒い天使」ー山口百恵と前田敦子を結ぶ点と線】AKB48の一期生・前田敦子が東京ドーム公演(の翌日に開催されるAKB48劇場での公演)をもってグループを卒業したのが2012年8月、そのとき彼女は山口百恵が引退した年齢と同じ、21歳だった。シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)である。

AKB48 チームAの劇場公演5th Stage「恋愛禁止条例」において秋元康は「黒い天使」(Spotifyではこちら)という曲を作詞した。3人のユニット曲で、前田敦子がセンターで歌った。

山口百恵のプレイバック Part2」は、真紅(まっか)なポルシェを飛ばしている女が、カーステレオを掛けると、ラジオから「勝手にしやがれ 出ていくんだろ」と流れてくるのでPlay Back (巻き戻して!)と叫ぶ。これは沢田研二が前年(1977)に歌った「勝手にしやがれ」(作詞:阿久悠)に呼応している。その歌詞の中で「やっぱりお前は出ていくんだな」とある。つまり状況として「プレイバック Part2」は男と喧嘩した女が夜中に家を飛び出し、運転する車上で心情を歌っている。一方、「黒い天使」は夜の渋滞する高速道路で男と喧嘩をした女が助手席のドアを開けて車を降り、ヒールを脱いでトボトボと車道を歩いている時のやけっぱちな心情を歌っている。構造が似ていると思いませんか?

今回のサブスク一斉解禁で初めて知り、心底驚いたことがある。1975年8月28日から31日まで開催された新宿コマ劇場における「第1回百恵ちゃん祭り」で、山口百恵はロック・ミュージカル「黒い天使」に取り組んでいたのである(音源はこちら)。このとき彼女はダウン・タウン・ブギウギ・バンドのヒット曲「スモーキン・ブギ」と「カッコマン・ブギ」を歌い、これが切っ掛けで今後歌いたい作曲家として宇崎竜童の名を挙げた。そして翌年に名曲「横須賀ストーリー」が誕生したのである。遂に山口百恵と前田敦子が繋がった!

秋元康は前田敦子に、山口百恵の面影をなんとか重ねようとしていた。しかし、あっちゃんは結局、百恵ちゃんにはならなかった。

また三期生の渡辺麻友が卒業する時に秋元が提供した楽曲「11月のアンクレット」の振付で、渡辺は最後にマイクをステージ中央に置き、後方に去る。言うまでもなく山口百恵さよならコンサート@武道館の再現である。しかし、まゆゆも百恵ちゃんではなかった。

こうして秋元は、まるで玩具に飽きた子供のように、急速にAKB48グループへの関心を喪失していった。

【大林宣彦再登場】AKB48のシングル「So long !」(センターはまゆゆ)ミュージック・ビデオの監督として秋元康は大林宣彦を起用した。ここで大林は自身の映画「この空の花 -長岡花火物語」の続編としてこのMVを仕上がっていたのだからぶっ飛んだ!なんと上映時間64分、破格の長さである。AKBファンは呆れ果てた。しかし秋元は大林の身勝手・大暴走を容認した。多分そこには「山口百恵を育て、見守った監督だから」という畏敬の念があったからではないだろうか?

【平手友梨奈】そんな状況下に、突如として救済の天使が現れた。平手友梨奈である。彼女を見て、誰しも目を見張った。醸し出す雰囲気が山口百恵そっくりだったからである。「山口百恵の再来」「平成の山口百恵」と世間で騒がれた。

Silent

僕は彼女なら、大林監督のライフワーク、福永武彦原作『草の花』のヒロイン、藤木千枝子を演じられるのではないかと思った(以前、尾美としのりと富田靖子主演で企画されていた)。しかし大林監督は既に病魔に侵され、結局『草の花』映画化は実現に至らなかった。

平手をセンターに据えた欅坂46のデビュー曲「サイレントマジョリティー」(動画はこちら)は気合が入っていた。秋元康の最高傑作と評しても過言ではない。またTAKAHIRO(上野隆博)の振付が凄かった。曲の途中で平手を旧約聖書のモーセに見立て、紅海を2つに割り、民を約束の地へ導く場面を描くのである(出エジプト記)。この解釈はTAKAHIROの発言もあり、間違いない。モーセは預言者であり、預言者とは神の言葉を人に伝える仲介者。日本で言えば巫女に相当する。つまり、秋元は平手=巫女と見立てていた。言うまでもなく彼女が仲介する女神とは山口百恵のことである。

実際に平手は巫女みたいな少女で、楽曲に没入するあまりトランス状態となり、ステージから転倒落下することもあった。2017年12月31日のNHK紅白歌合戦で「不協和音」をパフォーマンスしたときも過呼吸で倒れ、照明が暗くなってから他のメンバーに運ばれる事態となった。

平手がソロで歌った「渋谷からPARCOが消えた日」に、山口百恵「横須賀ストーリー」 「プレイバック Part2」「絶体絶命」のイメージが投影されていると感じるのは僕だけではあるまい。

秋元の平手に対する偏愛っぷりは常軌を逸していた。いくら平手以外のメンバーのファンたちから非難を浴びても、決して平手=絶対センターを譲らなかった。共犯者TAKAHIROは「二人セゾン」(動画こちら)の振り付けの最後に、平手以外のメンバー全員を欅の木=オブジェに変えてしまった。最早このグループは〈平手友梨奈と愉快な仲間たち〉状態であった。ファンが怒るのも無理はない。アルフレッド・ヒッチコック映画『めまい』でジェームズ・スチュワートが演じた主人公の狂気を、僕は秋元康の中に見た。彼は山口百恵の亡霊に取り憑かれていた(『めまい』のスコティはある事件がきっかけで高所恐怖症になり、警察を辞めて私立探偵となった。そこへ友人からの依頼で彼の妻マデリンを尾行するが、彼女は鐘楼の頂上から飛び降り自殺する。それからしばらく経ち、自責の念から神経衰弱に陥っていたスコティは街角でマデリンに瓜二つの女性ジュディを見かけ、彼女を追う。やがてふたりは親しくなるが、スコティは次第に正気を失い彼女の洋服、髪型、髪の色をマデリンと同じにしようと画策し始める……)。

2017年6月24日に幕張メッセで行われていた全国握手会ではナイフを持った男による襲撃未遂事件が発生、逮捕された犯人は「殺そうと思った」と供述した(容疑者が挙げた名前について警察は「言えない」としたが、平手が参加したレーンに並んでいた)。

「どうしていつも、てち(平手の愛称)ばかり優遇されて、私はセンターになれないの?」と運営に涙ながら訴えて、辞めていくメンバーもいた。

センターに立つ平手の背中を、他のメンバーの嫉妬に満ちた鋭い視線が射抜く。また前方客席からは「どうしてお前なんだ?」という怒気を帯びた圧が彼女を襲い、四方八方からズタズタに引き裂く。AKB48の絶対センター=前田敦子の心臓は意外と強かったが、満身創痍の平手友梨奈は次第に壊れていった。

それでも秋元康はその執着を緩めることなく、どんどん彼女を追い詰めた。次第にグループ内で孤立していく平手の心情を「不協和音」の歌詞に託し、「僕は嫌だ!」と絶叫させた。劇場版『さよなら銀河鉄道999』に登場したキャプテン・ハーロックならさしずめこう呟くだろう。「鬼だな…」

2018年の平手は体調が優れず、コンサートの休演が続き、その年末の紅白歌合戦も不参加。なんとか19年末の紅白には出演したがやはり過呼吸となり、パフォーマンス直後に倒れた。そして2020年1月23日、グループを(卒業ではなく)「脱退」することが電撃的に発表された。もう限界だった。しかし平手がやっぱり何かを「持っているな」と感じたのは、彼女が脱退した直後に新型コロナウィルスが日本を直撃し、「会いに行けるアイドル」というビジネス自体が崩壊してしまったこと。絶妙なタイミングだった。

こうして紫式部『源氏物語』の宇治十帖で、薫から亡くなった大君(おおいきみ)の人形(ひとがた;身代わりの人)として、その面影を重ねられた浮舟が入水自殺を図ったように、アイドル歌手・平手友梨奈は消え去った。しかし2020年秋に映画『さんかく窓の外側は夜』への出演が発表され、彼女は女優・平手友梨奈として再生しようとしている。果たして現代の薫=秋元康は、それでも浮舟=平手を追い求め続けるのか?今後のふたりの行く末を、しっかりと見届けたい。You ain't heard nothin' yet. (お楽しみはこれからだ。)

さて、ここまで書いてきたことを、読者の皆さんはひとりの男の単なる妄想だと失笑されるだろうか?

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わが心の歌〈番外編〉祝サブスク解禁!!山口百恵の魅力について語り尽くそう。

Spotify, Apple Music, Amazon Music Unlimitedなど定額制音楽配信(サブスクリプション)サービスで聴けないアーティストたちが何人(組)かいる。

しかし2018年9月1日に井上陽水が、続いて同年9月24日に松任谷由実(ユーミン)、2019年8月31日に星野源、同年9月18日にPerfume、12月20日からサザン・オールスターズの全楽曲がサブスク解禁になった。僕は「もう残る大物アーティストは中島みゆき、米津玄師、山下達郎、RADWIMPS、そして山口百恵くらいだな」と思った。

ところが新型コロナウィルス蔓延により、多くの人々が自宅待機の生活を余儀なくされたことをきっかけに、まずRADWIMPSが2020年5月15日からサブスクを解禁した。漸く『君の名は。』や『天気の子』のサウンドトラック盤もサブスクで聴けるようになったのである。

そして5月29日に突如、山口百恵の全楽曲600曲以上がサブスクで一斉配信となった!!僕は狂喜乱舞した。彼女の引退から40年、待ちに待ったこの日が遂に来た。こうして今後の懸案事項は米津玄師、中島みゆき、山下達郎だけとなった。

Momo

僕は小学生の頃、百恵ちゃんが大好きだった。彼女一筋だったと言ってもいい。百恵ちゃんの引退とともにすっかり芸能界に興味を失い、代わってクラシック音楽や映画に夢中になるようになった。そして高校生の時、劇場で観た原田知世主演、大林宣彦監督の『時をかける少女』に衝撃を受けたわけだが、後に大林監督と山口百恵が浅からぬ縁だったことを知ることになる。

今の若い人は山口百恵のことなんか全く分からないだろうから、これを機会に彼女の魅力、そして後世にどれだけ甚大な影響を与えたかについて語り尽くそうと思う。彼女の強烈な輝きは、秋元康とか、元・欅坂46の平手友梨奈にまで波及することになる。

【来歴】山口百恵は1959年東京都渋谷区に生まれ、幼少期を神奈川県横須賀市で過ごした。だからホリプロのイメージ戦略上、「横須賀出身」ということになっている。彼女の歌う楽曲に「横須賀ストーリー」「横須賀サンセット・サンライズ」など横須賀を強調しているのはそのためである。また三浦友和との結婚式当日にリリースした32枚めのシングル「一恵」の作詞は横須賀恵となっており、百恵のペンネームである。作曲は「いい日旅立ち」の谷村新司。

彼女が生んだ長男がシンガーソングライターの三浦祐太朗(36)。全曲、山口百恵の楽曲をカヴァーしたアルバム「I'm HOME」をリリースし、レコード大賞企画賞を受賞した。次男は俳優の三浦貴大(34)で、大河ドラマ『いだてん』や、NHK連続テレビ小説『エール』に出演している。

【伝説のアイドル】山口百恵を伝説化している一つの要因として、純愛を貫き一人の男だけを愛し、21歳という若さで華やかなスポットライトから遠ざかって、その後一切老いた自分の姿をマスコミに見せないということもあるだろう(現在61歳)。こうした生き様の前例は女優のグレタ・ガルボと、小津安二郎の死去直後に引退した原節子くらいしかない。みじくも美しく燃え。桜の散り際のような潔さは、日本人の琴線に触れるのだ。

【大林宣彦】1973年5月21日に「としごろ」で歌手デビューしたが、実はその前に彼女はCMディレクターとして活躍していた大林宣彦監督と面会している。14歳だった。同年9月1日に発売された2枚目のシングル「青い果実」はかなりきわどい、アブナイ歌詞になっている。ドキッとする。後に〈青い性路線〉と呼ばれた。それは翌74年6月1日に発売された5枚目のシングル「ひと夏の経験」で頂点に達し、レコード大賞・大衆賞および日本歌謡大賞・放送音楽賞に輝き、その年末に「NHK紅白歌合戦」の紅組トップバッターとして初出場を果たした。なお大林監督が百恵に会ったのは、その当時から構想を練っていた映画『さびしんぼう』のヒロインを探していたのである(12年後に富田靖子主演で実現する)。

74年夏に放送されたグリコプリッツのCMで百恵は三浦友和と初めて出会った。演出したのは大林宣彦であった。ふたりが共演するグリコCMはその後長年続き(動画はこちらこちら)、同時に『伊豆の踊子』『潮騒』『春琴抄』『風立ちぬ』など名作文学の映画化でも百恵・友和は共演し(計12作)、「ゴールデンコンビ」と呼ばれた。ふたりの共演作『泥だらけの純情』で併映されたのが大林監督劇場デビュー作『HOUSE ハウス』(1977)。そして大林が監督した映画『ふりむけば愛』(1978)がリメイクでも原作付きでもない、ふたりにとって初めてのオリジナル作品となった。

ふたりが恋をしていることにはじめて気がついたのは大林監督であり、それはCMの撮影を通してだった(詳細は監督の著書を参照されたい)。そして『ふりむけば愛』のサンフランシスコ・ロケに際して監督は一日だけ撮影のない休暇日を設けて、ふたりに自由な時間を与えた。つまり大林監督こそが恋のキューピットだったのである。そして1979年10月20日、大阪厚生年金会館のコンサートで「私が好きな人は、三浦友和さんです」と百恵は恋人宣言を突如発表し(20歳)、80年10月5日に日本武道館で開催されたファイナルコンサートをもって引退した。歌唱終了後、彼女はマイクをステージの中央に置いたまま、静かに舞台裏へと歩み去った。この仕草がさらなる伝説を作った。さよならコンサートは現在、Blu-rayで鑑賞出来る。

【赤いシリーズ】百恵はTBSのテレビドラマ『赤い疑惑』『赤い運命』『赤い衝撃』『赤い絆』と4作品〈赤いシリーズ〉に主演した。父親役は大方が宇津井健で、『赤い疑惑』『赤い衝撃』では三浦友和と共演した。物語展開が奇想天外(『赤い運命』は伊勢湾台風で家族が生き別れになり、検事の娘と元殺人犯の娘が赤ん坊の時に入れ替わりとなって育てられる。『赤い衝撃』はスプリンターが銃撃により半身不随となる)で、演技が大仰な、いわゆる大映ドラマであり、後に堀ちえみの『スチュワーデス物語』が一世を風靡した(「教官!」「ドジでのろまなカメ」が流行語となった)。特に『赤い衝撃』は演出家として大映映画の増村保造(『妻は告白する』『黒の試走車』『赤い天使』『陸軍中野学校』)が関わっており、大映ドラマの礎を築いたと言えるだろう(『スチュワーデス物語』も増村が演出している)。僕はこの〈赤いシリーズ〉が大好きで、毎週見ていた。また1978年に百恵が主演し、TBSで放送されたテレビドラマ『人はそれをスキャンダルという』は三國連太郎や永島敏行が共演し、大林宣彦が演出を担当した。

【阿木燿子/宇崎竜童】歌手として山口百恵が全盛期を築いたのは間違いなく作詞家・阿木燿子、作曲家・宇崎竜童(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)という夫婦によるコンビとの出会いから始まる。1976年の「横須賀ストーリー」を皮切りに、78年「プレイバック Part 2」ではNHK紅白歌合戦で史上最年少となるトリを務めた(日本レコード大賞にノミネートされたが、受賞したのはピンク・レディーの「UFO」)。この頃の百恵の歌唱は、とにかく艶っぽい。しかしマリリン・モンローを代表とするセックス・アピールとは全然方向性が違っていて、強いて言えば〈健康的な色香〉がある。「プレイバック Part 2」でも未だ19歳なのだから恐るべし。こんなに大人びた10代のアイドルを僕は他に知らない。77年リリースの「夢先案内人」はアラビアン・ナイトの世界に迷い込んだような綺羅びやかな色彩感がある。これは原田知世によるカヴァーも良い(こちら)。そして僕がイチオシの歌は「夜へ…」。1979年4月1日に発売されたアルバム「A Face in a Vision」に収録されている。元々はNHK特集『山口百恵 激写/篠山紀信』のために制作されたもので、これはDVDで観ることが出来る。こちらもお勧め!

Gekisha

夜へ…」を愛聴するきっかけになったのは相米慎二監督の映画『ラブホテル』(1985)。公開された年にヨコハマ映画祭で第一位に輝いた。劇画作家・石井隆が脚本を書き、村木と名美という名の男女が登場する一連の作品群の一本。相米作品としては『台風クラブ』や『光る女』の方が優れていると思うが、『ラブホテル』で「夜へ…」が静かに流れる場面はゾクゾクした。Jazzyでノワール。

夜へ…」で阿木燿子の詞は連想ゲームを彷彿とさせる単語の羅列で始まる。まるで呪文のような妖しさが漂う。なんて素敵なんだろう!

【さだまさし/谷村新司】さだまさし作詞・作曲「秋桜」は1977年、谷村新司 作詞・作曲「いい日旅立ち」は78年にリリースされた。いずれも、さだや谷村にとっての最高傑作と言える。そういう曲を贈りたくなる魅力、オーラが山口百恵にはあるのだろう。「いい日旅立ち」は国鉄(現在のJR)の旅行誘致キャンペーン・ソングとしてCMなどに使われた(動画はこちら)。やはり大林監督が手掛けている。「秋桜」も「いい日旅立ち」も陰りのある曲調だ。こういうのが百恵にはよく似合う。しかし決して暗くなり過ぎない。これが中森明菜とか華原朋美だと、病的になる。薬漬けとか自殺未遂まで行くと、洒落にならない。引いてしまう。一方、百恵の場合は〈程よい健康的な陰り〉なのだ。

【菩薩】1979年に評論家の平岡正明は『山口百恵は菩薩である』を著した。後に広末涼子主演の映画『20世紀ノスタルジア』を撮った原将人監督は「広末涼子は女優菩薩である」と絶賛したが、これは平岡の著書を意識したものだろう。また写真家・篠山紀信が1970年代に最も多く撮った女性は百恵であり、彼女を「時代と寝た女」と称した。

【その後の友和】三浦友和は大林監督の劇場デビュー作『HOUSE ハウス』に友情出演し、百恵と結婚後も『彼のオートバイ、彼女の島』『野ゆき山ゆき海べゆき』『日本純情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』『なごり雪』『22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語』など大林映画の常連として活躍した。また大林監督の自伝的映画『マヌケ先生』では本人役(馬場鞠男)を演じた。

【わが心の歌】ここで僕が考える山口百恵の歌、ベスト12を選出しておこう。

長くなったので続きは後編へ。To Be Continued ...

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TBSラジオ「アフター6ジャンクション」追悼特別企画への投稿:大林宣彦監督の思い出

僕と大林映画の出会いは、高校二年生だった1983年5月4日、日本テレビ「水曜ロードショー」で放送された「転校生 」でした。大林宣彦自ら再編集したもので、当時の大林映画では冒頭部に必ず「A MOVIE」と表示されていましたが、本作の冒頭は「A TELEVISION」と銘打たれていました。劇場版にはない音楽(臨海学校にバスで向かう場面でシベリウス「カレリア」組曲〜行進曲)が追加されたりもしました。「この監督の映画はすごく面白い」と思い、同年7月16日から上映された「時をかける少女」を満員の映画館に観に行って、打ちのめされました。白黒で始まり、次第に画面中央から色づき始め、タイトルが登場する場面でフルカラーに。この時点で僕は滂沱の涙を流しており、「この監督を信じて生きていこう」と決意していました。

「さびしんぼう」が公開された年に大学に入学し、ロケ地巡りをするために尾道に何度も行きました。今考えれば「聖地巡礼」の走りですね。当時、大林組の拠点になっていたジャズ喫茶TOMで大林監督ご本人にお会いして「いつか見た映画、いつか見た夢。」と走り書きされたサインを頂いたり、TOMのマスターから連絡を貰い、福山市・鞆の浦で撮影中だった「日本純情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群れ」のロケを見学する機会を得たりもしました。

また大林監督の「廃市」を観て、原作者・福永武彦の大ファンになり、20代は福永文学を読み耽りました。福永の息子が芥川賞作家・池澤夏樹で、そのお嬢さんが声優の池澤春菜さん、最近何度もアトロクに出演されていますね。

その後、公式ファンクラブ「OBs Club」が組織され入会、大林監督の自伝的映画「マヌケ先生」では尾道でエキストラとして出演したりもしました(まもなく解散)。宇多丸さんも御存知の通り、「マヌケ先生」の映像は遺作「海辺の映画館 キネマの玉手箱 」に引用されています。

大林監督に最後にお会いしたのは昨年11月24日、広島国際映画祭2019で「海辺の映画館」が上映された時でした。車椅子姿でかなり体力が衰えていらっしゃいましたが、しっかり握手をしてくださいました。

「時をかける少女」から37年。大林映画と出会っていなかったら僕の人生は随分と色あせたものになっていたでしょう。大林監督、本当にありがとうございました。ただ心底残念に思うのは、監督のライフワークだった檀一雄の小説「花筐」の映画化は実現しましたが、もうひとつの念願だった福永武彦の小説「草の花」映画化が叶わなかったことです(一時期、尾美としのり・富田靖子主演で企画されました)。しかし大林チルドレンと呼ばれる監督たち(細田守・岩井俊二・手塚眞・犬童一心ら)の誰かが、その想いを継いでくれるのではないだろうか、と秘かに期待しています。

なぜなら、大林監督の劇場映画デビュー作「HOUSE ハウス」最後のモノローグにこうあるのです。

ーたとえ肉体が滅んでも、人はいつまでも誰かの心の中に、その人への想いとともに生き続けている。だから愛の物語はいつまでも語り継がれていかなければいけない。愛する人の命を永遠に生きながらえさせるために。ー

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以上、(ラップグループ)RHYMSTER 宇多丸がパーソナリティーを務めるTBSラジオ「アフター6ジャンクション」(通称:アトロク)、【さよなら大林監督。追悼特別企画<第1回 大林宣彦映画 総選挙>】へ僕が投稿したメールの内容である。

総選挙の順位は上記事に書いた通り。僕個人の密やかなベストテンも挙げておこう。

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  1. はるか、ノスタルジィ
  2. 日本純情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群れ
  3. 時をかける少女
  4. 廃市
  5. 野のなななのか
  6. なごり雪
  7. EMOTION 伝説の午後=いつか見たドラキュラ(1967年 16mmフィルム)
  8. HOUSE ハウス
  9. 麗猫伝説(1983年 TV用映画)
  10. 彼のオートバイ、彼女の島

断腸の想いで次点を新・尾道三部作の第1作「ふたり」とする。同じ赤川次郎原作「あした」も是非観てください。

「転校生」(1982年版)と「さびしんぼう」を入れなかったのは、追悼記事で旧・尾道三部作のことばかり取り上げられるから。その後も沢山の傑作を撮っておられるのです。TV用映画「可愛い悪魔」「恋人よわれに帰れ LOVER COMEBACK TO ME」も忘れ難い。

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TBSラジオ「アフター6ジャンクション」presents:さよなら大林監督。追悼特別企画<第1回 大林宣彦映画 総選挙>

(ラップグループ)RHYMSTER 宇多丸がパーソナリティーを務めるTBSラジオ「アフター6ジャンクション」(通称アトロク)で【さよなら大林監督。追悼特別企画<第1回 大林宣彦映画 総選挙>】という番組があり、有効投票総数148通で以下の順位が発表された。

  1. 時をかける少女
  2. さびしんぼう
  3. 青春デンデケデケデケ
  4. ふたり
  5. 転校生 (1982年版)
  6. この空の花 長岡花火物語
  7. HOUSE ハウス
  8. 異人たちとの夏
  9. はるか、ノスタルジィ
  10. 花筐/HANAGATAMI

僕は「はるか、ノスタルジィ」に1票を投じた。

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以下、アトロクに投稿したメール内容である。

僕のオールタイム・ベストワンは大林宣彦監督「はるか、ノスタルジィ」です。北海道・小樽市には数回ロケ地巡り(今で言う「聖地巡礼」)に行きました。劇中、重要な場面となる「はるかの丘」も発見しました。物語はこうです。

東京で小説家になった中年の主人公・綾瀬慎介(ペンネーム)は数十年ぶりに故郷・小樽を訪ねる。そこで「はるか」という少女と、バンカラ姿の学生・佐藤弘に出会う。それは青年時代の綾瀬自身だった(佐藤弘は本名)。

これはユング心理学でいうところの無意識に存在する子供元型(The Child Archetype)に遭遇する物語であり、最後に自我(意識)と元型(無意識)は融合され、自己実現に至ります。本作にはどんなに年令を重ねても、人は変われるというメッセージが込められています。

大林監督は常々、「僕はベテランの18歳」と仰っており、監督の心の中には純粋無垢な少年時代の自分、つまり子供元型が生きているということなのですね。

画面には50歳の自分と、学生時代の自分が同時に存在しています。つまり本作は時間の流れに即した「通時的」映画ではなく、「共時的」映画です(フェリーニ「8 1/2」、ベルイマン「野いちご」のように)。過去と現在、そして未来が同時に「ここ」にある。他の大林映画、例えば「さびしんぼう」でも認められる特徴です。

ヒロイン「はるか」は、どうやら綾瀬が昔恋していた三好遥子(みよしようこ)の娘ではないかということが次第に明らかにされていきます。

そして綾瀬は「はるか」の髪型を「遥子」に似せようと画策し始めます。これが、宇多丸さんが大林監督との対談で指摘されたようにヒッチコックの「めまい」そっくりなんですね。宇多丸さんの発言でハッと気がついたのですが、オープニング・クレジットで「はるか」がクルクル回転するのも「めまい」へのオマージュになっています。

物語の最後に綾瀬は「はるか」と結ばれますが、彼女が綾瀬の娘であった可能性も残されている。なんと仄暗く、罪深い映画でしょうか!宇多丸さんの仮説、「時をかける少女」における深町くん昏倒レイプ犯説に通じるものがあります。故に「めまい」同様の異常心理を含めて、「はるか、ノスタルジィ」は大林監督の本質に迫る作品だと僕は思うのです。

さらに詳しいことは下記事に書いた。

番組内で宇多丸は「はるか、ノスタルジィ」について〈背徳的な〉〈世間的な良識から言うとなかなかなタブーに触れる〉〈ちょっと妖しい、危うい〉〈結構危険な、ヤバイ話〉とコメントした。全く同感である。ジークムント・フロイトの提唱する〈エディプス・コンプレックス〉とは、身も蓋もない言い方をすれば〈お母ちゃんとセックスをしたい〉願望、潜在意識を指すが(コンプレックス=心的複合体)、本作は〈娘コンプレックス〉を描いていると解釈出来る。危険な誘惑だ。なお、大林監督は手塚治虫について、〈シスター・コンプレックス〉の作家と評している。その典型例が初期作「ロスト・ワールド」だ。

ただ、今僕が考えているのは、「はるか」は綾瀬にとって、ユング心理学における〈アニマ〉なのではないか?という解釈である。それは自分の無意識に存在する元型・魂の一部であり、ゲーテが言うところの〈永遠に女性的なるもの〉を指す。「ファウスト」におけるグレートヒェンであり、ダンテ「神曲」におけるベアトリーチェだ(さらに言えば宮崎駿「風立ちぬ」の菜穂子)。

つまり映画「はるか、ノスタルジィ」の最後に主人公・綾瀬慎介(=大林宣彦)の自我(ego)は、それまで忘却の彼方にあった子供元型(プエル・エテルヌス:永遠の少年)と融合し、さらに「はるか」=アニマ(魂)とも結合を果たし、自己実現を成し遂げた。実に美しい、ハッピー・エンドではないだろうか?

思えばこれこそが、あなたが永遠に願った真実の恋の勝利というものではなかっただろうか?さびしんぼうよ、いつまでも。
おーい、さびしんぼう。  

(映画「さびしんぼう」より)

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大林宣彦監督「海辺の映画館ーキネマの玉手箱 Labyrinth of Cinema」

11月24日(日)広島国際映画祭2019で大林宣彦監督「海辺の映画館 キネマの玉手箱」を鑑賞。

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評価:A-

上映時間179分、ほぼ3時間。途中、休憩(Intermission)が挟まれる仕様になっているのだが、映画祭では一気に上映された。

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英題は"Labyrinth of Cinema"。

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元々、英題は"Arabesque"にしようと監督は考えておられたようだが、〈アラベスク〉だとイスラム文化を連想させるので、現在の米国と中東諸国のギクシャクした関係を考慮するなら望ましくないと渉外担当者から意見されたそう(赤川次郎×大林宣彦  対談「三十年後の“ふたり”」小説新潮11月号より)。

尾道の映画館〈瀬戸内キネマ〉 で戦争映画のオールナイト興行を観ていた若者3人が銀幕の中にさまよい込み、戊辰戦争・日中戦争・沖縄戦・広島への原爆投下を体験するという物語。

〈瀬戸内キネマ〉が登場するのは大林監督がテレビ〈火曜サスペンス劇場〉枠で撮った「麗猫伝説」(1983)、「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群」(1988)に続き、3作目である。 「麗猫伝説」では撮影所の名称だったが、「おかしなふたり」から映画館の名前になった。映画は通常1巻が10−15分程度のフィルムを2台の映写機で切り替えながら上映する。しかし〈瀬戸内キネマ〉には1台の映写機しかなく、「流し込み上映」をする。詳しくはこちら。これはアカデミー外国語映画賞を受賞したイタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」も同様である。

〈大林映画はピアノ映画である〉と看破したのは映画評論家の故・石上三登志氏である(「野ゆき山ゆき海べゆき」「彼のオートバイ、彼女の島」でナレーションを担当)。僕はそれに〈大林映画は海の映画である〉を加えたい。監督の古里・尾道でロケされた一連の作品は勿論のこと、京都で撮られた「姉妹坂」にも、九州で撮られた「なごり雪」「22才の別れ」「花筐/HANAGATAMI」にも海は登場する。

若者3人の名前は馬場鞠男、鳥井鳳助 、団茂 。馬場毬男(ばばまりお)は大林監督が大好きなイタリア映画ホラー界の巨匠マリオ・バーヴァ(血塗られた墓標、白い肌に狂う鞭、モデル殺人事件!)のもじりであり、鳥井鳳助 (とりいほうすけ)↔フランス・ヌーベルバーグのフランソワ・トリュフォー(大人は判ってくれない、恋のエチュード)、団茂(だんしげる)↔アメリカのドン・シーゲル(ダーティハリー、ラスト・シューティスト)といった具合。「HOUSE ハウス」(1977)で劇場用映画デビューする際に、「ホラー映画を撮る時は馬場鞠男、恋愛映画なら鳥井鳳助 、アクション映画なら団茂というペンネームを用いよう」という計画が当初あったそうだ。大林宣彦少年をモデルにした内藤忠司監督の映画「マヌケ先生」(2001)で厚木拓郎くんが演じた役名が馬場毬男で、今回も厚木くんが同役で出演している。

「海辺の映画館 キネマの玉手箱」の回想シーンとしてふんだんに「マヌケ先生」の映像が引用されていたので驚いた。毬男少年は尾道でジョン・フォード(駅馬車、黄色いリボン)によく似た映画監督に出会うのだが、その謎めいたアメリカ人を大林監督が怪演している。また「海辺の映画館」でも怪しいピアニストとして即興的にショパン「別れの曲」などを弾く。大林監督がヒッチコックみたいに自身の映画に出演するのはYMOの高橋幸宏主演「四月の魚(Poisson d'avril /ポアソン・ダブリル)」(1986)以来かな?高橋幸宏も久しぶりに「海辺の映画館」に登場。「異人たちとの夏」(1988)の友情出演が最後だから、もう30年以上経っている。

とにかくぶっ飛んでる。クレイジーだ。そういう意味で劇場デビュー作「HOUSE ハウス」や、16mmの自主映画「EMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ 」(1966)への原点回帰を感じさせる。 「海辺の映画館」には中原中也の詩が多数引用されるのだが、

お太鼓叩(たた)いて 笛吹いて
あどけない子が 日曜日
畳の上で 遊びます

という詩「六月の雨」は「いつか見たドラキュラ」にも登場する。

主人公が武士の時代にタイムスリップしたり、はたまた最後は宇宙船まで登場するという奇想天外な構成は、橋本忍(原作・脚本・監督)の「幻の湖」(1982)を彷彿とさせる。

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東宝創立50周年記念作品でありながら、主人公がトルコ嬢(現在のソープランド嬢)だったり、戦国時代に飛んで織田信長に会ったり、最後はスペースシャトルが出てきたりといった内容に観客が全くついて行けず、公開から2週間と5日(東京地区)で打ち切られることとなり長い間本当に「幻の作品」になった曰く付きのトンデモ映画である。しかし1996年にニッチな雑誌「映画秘宝」(2020年に休刊が決まった)で取り上げられてからはむしろカルトになり、今では容易に観ることが出来る(Amazon Prime Videoでも有料配信中)。「海辺の映画館」は間違いなく「幻の湖」に似ている。ただし誤解のないよう強調しておきたいのだが、僕は「幻の湖」が嫌いじゃない。ゲラゲラ笑いながら愉しく鑑賞した。

大林映画は〈共時的〉である。過去も現在も未来も、〈いま・ここ〉にある。

「我々は記憶において構成されている。我々は幼年期に、青年期に、老年期に、そして壮年期に同時に存在している。」(by フェデリコ・フェリーニ)

詳しくは下記事で論じた。

映画鑑賞前に、せっかく広島に来たのだからと映画にも登場する〈桜隊〉慰霊碑にお参りした。

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広島で被爆したこの移動劇団に所属していたのが園井恵子。岩手県出身で宝塚歌劇団では男役として活躍した。退団後に映画「無法松の一生」で吉岡夫人を演じた。その後東京で苦楽座に参加、苦楽座は解散後〈桜隊〉に再編された。新藤兼人監督(広島市出身)「さくら隊散る」という映画もある。関係者の証言と劇映画パートが渾然一体となっており、どちらかというとドキュメンタリー・パートの方に比重が大きい(2:1くらい)。「海辺の映画館」の前に「さくら隊散る」を観ておけば、より立体的に作品を味わうことが出来るだろう。「海辺の映画館」で園井を演じた常盤貴子も同じ日の朝、この慰霊碑を訪ねたそう(トークショーの模様はこちらをご覧ください)。

そもそも「海辺の映画館」の出発点に新藤兼人の遺稿シナリオ「ヒロシマ」がある。「(原爆投下の瞬間)一秒、二秒、三秒の間に何がおこったかをわたしは描きたい。五分後、十分後に何がおこったか描きたい。それを二時間の長さで描きたい。一個の原爆でどんなことがおこるか」と新藤は書き残している。「ピカ、ドンの二秒間に人々の物語がある」と大林監督。

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上の写真は平和記念公園にて。真ん中に原爆ドームが写っているの、分かりますか?

「僕たちは歴史の過去を変えることは決して出来ないが、映画で歴史の未来を変えることは出来るかも知れない。映画を見た人、一人一人が一人一人の努力でもって平和を導いてけば、きっと世界の平和をたぐり寄せることが出来る。きっと平和な世の中を実現することが出来る。これが僕の考えるハッピーエンド」大林監督の言葉である。その信念と執念が、異常なほどの熱量を孕み、「海辺の映画館」に満ち溢れ、煮えたぎっている。

ただ映画の中で描かれる、沖縄戦で日本軍の兵隊が沖縄の住民を虐殺するエピソードが引っ掛った。初めて耳にする話だが、これは果たして根拠のある事実なのだろうか?大林監督「この空の花 長岡花火物語」での、韓国のいわゆる従軍慰安婦に対する言及同様の違和感を覚えた(彼女たちについて気の毒だとは思うが、日本軍が強制連行したという証拠は一切見つかっていないわけで、日本人が謝罪する必要はないだろうというのが僕の意見である。朝鮮戦争やベトナム戦争において韓国軍も慰安所を公認していたわけだし)。歴史的見解の相違だ。

上映当日、大林監督に「ヒロシマ平和映画賞」が授与されたのだが、「ハウス HOUSE」で映画デビューした女優の松原愛さんが花束を手渡した。後で松原さんのお話を伺うことが出来たのだが、彼女は「ハウス HOUSE」映画版で(7人の少女のうち)ガリ役だったが、その前にプロモーション(メディアミックス)として放送されたラジオドラマ版ではマック役だったと。詳しくはこちら

「海辺の映画館ーキネマの玉手箱」はアスミック・エースの配給で2020年4月に劇場公開が予定されている。

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TBSラジオ「アフター6ジャンクション」に投稿したメールが読まれました。お題はNetflix映画『ROMA/ローマ』

ヒップホップグループ、RHYMESTER 宇多丸がパーソナリティを務めるTBSラジオ「アフター6ジャンクション」 #アトロク #utamaru の〈週間映画時評 ムービーウォッチメン〉で映画『ROMA/ローマ』について書いた僕の投稿が読まれた。

いや〜聴いていて本当に嬉しかった。宇多丸さん、構成作家の古川耕さん、そして関係者の皆様、ありがとうございました!

以下、送ったメールの原文ママ。

遂にNetflix配信の映画がアカデミー外国語映画賞・撮影賞・監督賞の3部門を獲ってしまいました。作品賞という最後の牙城は崩せませんでしたが「映画は映画館で観る時代」の終わりの始まりを告げる出来事のように僕には思われます。それだけの力を持った、グーの音も出ない傑作でした。

僕が本作を観ながら強く感じたのは「これはキュアロン版『フェリーニのアマルコルド』だな」ということでした。〈アマルコルド〉とはフェリーニの故郷である北部イタリアのリミニ地方の言葉で〈私は覚えている〉という意味。監督の幼少期を描いていることが共通していますし、そもそもフェリーニにも『ローマ』という作品があります。『ROMA/ローマ』のヒロイン、家政婦クレオの人物像はフェリーニが監督しジュリエッタ・マシーナが演じた『道』のジェルソミーナや『カビリアの夜』のカビリアを彷彿とさせます。決して清純とは言えないけれど、身勝手な男を許してしまう、慈悲深く全てを包み込むような存在。更にそのイメージは「新約聖書」に登場するマグダラのマリアに繋がっています。そして映画中盤、年越しホームパーティの場面でターンテーブルに1970年にリリースされたロイド=ウェバーのロック・オペラ『ジーザス・クライスト・スーパースター』LPレコードが置かれ、そこから流れるのがマグダラのマリアの歌 "I Don't Know How To Love Him"(私はイエスがわからない)であるということが、キュアロンの意図を明白に指し示しています。

また家族でアメリカ映画『宇宙からの脱出』を映画館で観る場面は「うゎ!『ゼロ・グラビティ』の原点はこの体験にあったんだ」と気付かせる仕掛けになっていて、そういう意味では『ニュー・シネマ・パラダイス』的であったりもします。

これが一部割愛され、紹介された。実際に放送された番組公式書き起こしはこちら。音声でも聴ける。

氏の映画評はキュアロンが〈水の作家〉であるとか、映画冒頭で〈天と地〉が対比され、ラストで家政婦クレオが階段を登っていく(垂直方向への移動)とか、「なるほどな〜」という気付きが色々あった。

そして『ROMA/ローマ』は3月9日(土)より全国48館のイオンシネマで上映されることが決まった。

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僕が最初、宇多丸氏に注目した切っ掛けは、彼が〈オールタイム・ベスト・テン〉で大林宣彦監督『時をかける少女』を10位に選出したことだった(1位はメル・ギブソン監督「アポカリプト」)。

大林映画を愛する人に悪い人はいない」というのが僕の信念である。大林監督と宇多丸氏はラジオで2回対談しているし(「ザ・シネマハスラー」「ウィークエンドシャッフル」)、『時をかける少女』について彼の〈深町くん昏睡レイプ犯説〉は青天の霹靂だったが、一理あるなと感心もした。

KIRINJIの「The Great Journey feat. RHYMESTER」(試聴はこちら)という曲で、宇多丸氏がラップするパートには〈目指すは二人きりの実験室さ〉という歌詞があり、キエるマキュウというアーティストに宇多丸氏が提供した楽曲のタイトルはそのものズバリ〈土曜日の実験室〉。『時をかける少女』のファンなら当然、何のことか判るよね?

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再び法師温泉へ!

「また行きたい!」という小学校1年生の息子のたっての希望もあり、年末年始は2年連続、群馬県の法師温泉で4泊5日を過ごした。

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前回も書いたが、僕が法師温泉のことを初めて知ったのは1986年4月26日に公開された角川映画「彼のオートバイ、彼女の島」(大林宣彦監督)を劇場で観た時だった。原田知世の姉・貴和子と竹内力のデビュー作である。

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訪れて初めて知ったのだが、やはり大林監督が演出し高峰三枝子、上原謙が出演した国鉄のCM「フルムーン」(1981年放送)や、映画「テルマエ・ロマエ II」もここでロケされた。

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今冬は全国的に雪不足で、法師温泉も12月28日まで全く積もっていなかったという。しかし寒波の到来で僕らが宿に着いた29日にはすっかり白銀の世界に変貌していた。近くにある赤沢スキー場は翌30日から営業を開始した。

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上写真の法師乃湯だけではなく、野趣あふれる露天風呂の玉城之湯もある。雪が深々と降りしきる中、笠をかぶり入る湯は格別の味わいがある。朝6時頃入浴すると、湯船から有明の月が見えた。

朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪
(百人一首 より;坂上是則)

ごうごうと森が鳴る音も聴こえた。

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スキー場には2回訪れた。柔らかい新雪が降り積もる30日に息子の乗るソリはあまり滑らなかったが、根雪でアイスバーンとなった元旦には滑走距離がぐんぐん伸びた。

愉しそうにソリで滑る息子を眺めながら、中学生くらいになって彼に映画「市民ケーン」を観せたら、薔薇のつぼみ(Rosebud)の真相が明らかになる場面で「主人公の気持ち、僕よく分かるわぁ」と言うんじゃないかな、と思った。

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スキー場から宿に戻ると、温めのお湯で悴む手足を癒やした。

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(みそぎ)の感覚。僕は日本の神話(古事記)でイザナギが黄泉の国から地上に戻ってきた際の逸話を思い出した。彼が左の目を洗った時に生まれたのが天照大御神(アマテラスオオミカミ)で、右の目からは月読命(ツクヨミノミノミコト)、鼻からは須佐之男命(スサノオノノミコト)が生まれたという。

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にわかには信じ難い大傑作アニメ「若おかみは小学生!」と大林映画

評価:AA

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映画公式サイトはこちら

大の大人が口にするのも恥ずかしい題名である。そして絵柄(キャラクター・デザイン)がはっきり言って生理的に受け付けられない。「ムリ……」と思った。映画館で予告編を見たが、全く食指が動かなかい。ところが!!である。

いくら耳をふさいでも、あちらこちらで絶賛の嵐が吹き荒れている音が聞こえてくる。その熱量が半端ではない。

大人たちが熱狂している。

これは尋常じゃない。僕は人が勧めるものは素直に従う人間なので(自分の好みに拘泥していては世界が広がらない)、激しい抵抗感を覚えながらも半信半疑でTOHOシネマズ(シネコン)に重い足を運んだ。21時05分開始のレイトショーである。そもそもこんな題名の映画(子供だまし)をレイト上映している事自体、どうかしている。

そして……

涙腺決壊とはこのような映画を指すのだろう。もう、とめどなく涙が流れた。悔しいけれど認めざるを得ない。掛け値なしの大、大傑作。2018年の日本映画(実写含む)を代表する一本である。「この世界の片隅に」を第1位にして、「君の名は。」をランク外としたキネマ旬報ベストテンが本作をどう扱うのか、要注目だ。

高坂希太郎監督は「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」で原画を担当し、「耳をすませば」「もののけ姫(共同)」「千と千尋の神隠し(共同)」「ハウルの動く城(共同)」「風立ちぬ」で作画監督を務めてきた人である。宮崎駿の右腕であり、自然描写など、そのイズムが本作でも透徹している。また次々と出てくる食べ物の美味しそうなこと!

そして最大の功績は吉田玲子の脚本にある。京アニ「リズと青い鳥」のホンも素晴らしかったし、今年の脚本賞は是非彼女にあげたい(でも多分、今年の映画賞で脚本賞を総なめにするのは「カメラを止めるな!」の上田慎一郎だろうなぁ)。

映画の冒頭と締め括りは神楽で(女の子ふたりが舞うのでどうしても「君の名は。」を想い出す)、その間に日本の春夏秋冬が丹念に描かれる。

本作の魅力をズバリ一言で述べるとしたら「共時的」であるということに尽きる。これはスイスの構造主義言語学者ソシュール(1857-1913)の用語で、対義語が「通時的」。関連する複数の現象や体系を、時間の流れや歴史的な変化にそって記述する事を言う。つまり〈過去→現在→未来〉という不可逆的・一方通行の流れ。対して「共時的」とは、過去・現在・未来が同時にそこにあることを示している。フランスの構造人類学者レヴィ=ストロースは「神話は共時的である」と述べている。

映画「若おかみは小学生!」で温泉旅館〈春の屋〉に最初にやってきたお客さん=美少年は主人公おっこ(現在)のメタファーである。〈鏡〉に写った彼女自身と言っても良いし、ユング心理学における〈影〉、あるいは〈ドッペルゲンガー(二重身)〉と言い換えることも出来るだろう。彼女は美少年に対し、「頑張れ自分!」と背中を押す。

次のお客さん、占い師のグローリー・水領さんは未来のおっこ。水領さんは「そんなに気を張って、頑張らなくてもいいんだよ。子供らしくたまにははしゃぎなさい」と現在のおっこをギュッと抱きしめてくれる。

そして三番目のお客さんは、まだ両親がいて、何の心配も要らなかった頃の無邪気/純真な( innocent )おっこ。そんな幼い頃の記憶を現在のおっこがしっかり抱きとめる。

つまり過去・現在・未来のおっこが、そこに同時に存在しているのである。

こうして一年の体験を通して、彼女は意識と無意識を統合し、自己実現を果たす。舌を巻くほどの構成力だ。

本作最大のクライマックスとなる、ある事件を目撃しながら、僕が即座に想い出したのは、赤川次郎原作、大林宣彦監督の映画「ふたり」のラストシーンである。大林宣彦作詞、久石譲作曲の主題歌「草の想い」が流れ始め、石田ひかりがカメラに向かって正面から坂道を登ってくる。カメラが切り替わり、後ろ姿を捉えると、それは交通事故で死去した彼女の姉を演じた中嶋朋子に入れ替わっている(ふたりでひとり=自己実現)。この場面で起こるある出来事が「若おかみは小学生!」と密接に関連しているのである(ネタバレになるので具体的には書きません)。因みに赤川次郎の原作にこのエピソードはない。動画はこちら

考えてみれば死んだ両親の幽霊が主人公の目の前に現れるという設定は山田太一原作、大林宣彦監督「異人たちとの夏」だ。もしかしたら原作者の令丈ヒロ子は大林映画のファンなのではないか?と考え、彼女がなにかそのことに言及していないか調査をはじめた。つまり自分が立てた仮説の〈裏を取る〉作業である。そしたら、あったあった!

公式ツイッターで呟いていた。

大林監督が長年、掘り下げて来たのも「共時的」映画である。「異人たちとの夏」に代表されるように大林映画は生者と死者が共生する世界である。また山中恒原作の「さびしんぼう」では主人公ヒロキの母タツ子と、彼女の少女時代の姿=さびしんぼう(なんだかへんて子)が同時にそこに存在している。同じく山中恒原作の「はるか、ノスタルジィ」では50歳を過ぎて久しぶりに故郷の小樽に帰ってきた小説家・綾瀬慎介(ペンネーム)が、そこで自分の少年時代の姿・佐藤弘(綾瀬の本名)に出会う。これも「共時的」物語である。

そして令丈ヒロ子はこちらのインタビュー記事で、大林映画「転校生」に触れ、原作「おれがあいつであいつがおれで」を書いた山中恒を”師匠”と呼んでいる

大林映画「時をかける少女」の後日談をアニメーション映画に仕上げ、大林監督が〈映画の血を分けた息子〉と呼んでいる細田守監督が今年完成させた「未来のミライ」もまた、「共時的」アニメーションを志した。しかしこちらの方は残念ながら「若おかみは小学生!」程の完成度の高さには至っていない。

余談だが「共時的」映画の元祖はイングマール・ベルイマン監督「野いちご」(1957)である。そしてフェデリコ・フェリーニ監督「8 1/2」(1963)がこのジャンルの代表作と言えるだろう。「ベルイマン生誕100年映画祭」に大林監督が寄せたコメント(こちら)で「野いちご」に触れ、〈ベルイマンの発明〉と述べているのは「共時的」表現法のことである。

「我々は記憶において構成されている。我々は幼年期に、青年期に、老年期に、そして壮年期に同時に存在している。」(フェデリコ・フェリーニ)

劇場版「若おかみは小学生!」の話に戻ろう。僕が心底惚れ込んだのは、主人公のライバルとなる大旅館の跡取り娘”ピンふり”こと真月(声:水樹奈々)だ。何と言ってもキャラが立っている!〈おっこ vs. 真月〉の図式は明白に、美内すずえの漫画「ガラスの仮面」における〈北島マヤ vs. 姫川亜弓〉の変換だろう。特に真月がスティーブ・ジョブズやトルストイの名言を引用する場面にはやられた。そして最後に引用するのがウォルト・ディズニーというのが泣ける。クーッ、カッケー!

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宮古島へ!

8月4日から7日にかけて沖縄県宮古島でヴァカンスを満喫した。

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大学生の頃、サークルの先輩から「宮古島はいいよ」と聞かされていた。しかし中々行く機会が訪れなかった。社会人になり、沖縄本島や石垣島では泳いだが、お世辞にも綺麗な海とは言い難かった(藻が多かった)。そして沖縄の食事は不味かった。最悪だったのは石垣島のヤギ汁。オエーッ!!

宮古島の海はエメラルドグリーンで透明度が高く、本当に美しかった。泊まったのは宮古島東急ホテル&リゾーツである。写真は部屋からの眺め。

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与那覇)前浜ビーチは東洋一とも言われ、Marine Diving Web(マリン ダイビング ウェブ)というサイトでは2017年ビーチ部門で世界一に選出された(今年は第二位)。

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少なくとも僕が泳いだことのあるフィリピンのセブ島より断然良かったし、ニューカレドニアのウベア島やイル・デ・パンの海に匹敵すると思った。因みにウベア島は原田知世主演、大林宣彦監督の映画「天国にいちばん近い島」(1984)のロケ地であり、宮古島は大林映画「風の歌が聴きたい」(1998)のロケ地である。

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「風の歌が聴きたい」でヒロインを演じた中江有里は、どうやら今年7-8月に広島県尾道市及び福山市で撮影された大林監督の新作「海辺の映画館ーキネマの玉手箱(仮題)」に出演しているようだ(他に浅野忠信、南原清隆、常盤貴子、稲垣吾郎、渡辺裕之ら)。閑話休題。

宮古島の気温は同時刻の関西よりも大体3℃くらい低く、地元の人によると真夏でも33℃を超えることはないという。湿度も低く、夜風は涼しく、クーラーなしで寝られると想った。今や沖縄は避暑地なのか!?如何せん日本の気候は狂っている。

ビーチではゴーグルで海底まで見通せて、沢山魚が泳いでいるのが見えた。グラスボートで珊瑚礁まで行くと、クマノミ(ニモ)など熱帯魚が観察出来たし、ウミガメにも遭遇した。夜はホテルの屋上から眺める満天の星空に吸い込まれるような気持ちになった。

またホテルのレストランが美味しかったのには驚かされた。特に海藻。もずくとかプチプチの海ブドウが新鮮で、全く臭みがない。意外にも(失礼!)地元の魚で握った寿司もいけた。舐めていた沖縄料理を見直した。

今後、リゾートに行くなら毎回宮古島でいいやと想った。

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【いつか見た大林映画】第8回「いのちのセミナー」〜大林宣彦、大いに語る。

5月20日(日)、大阪市京橋にある松下IMPホールへ。大林宣彦監督の講演を聴く。

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講演のタイトルは、
「あなたのいのちと私のいのちを考える
   〜あなたと私は人であるから〜 」

【以下、メモより書き起こし】

いま僕は癌という同居人がいます。よく彼と話をします。「おい、がんよ。お前さんは宿子(やどこ)で俺が宿主(やどぬし)だ。もし俺を殺したらお前さん住む場所がなくなっちゃうぞ。だから仲良くしようや」そう言っているうちに気が付いちゃったのね。そうか、地球=宿主、人間=宿子なんだとね。僕たちはオゾン層破壊とか温暖化とかで地球を虐めている。人間も癌だ。欲望の度が過ぎている。もっと我慢しなくちゃいけない。人間は理不尽な生き物でね、もっと他の生物に対して優しい気持ちを持ったほうが良い。

昔の日本人は下駄を履いていました。下駄っていうのは靴と違って踏みつけたアリを8割殺さないのね。「急がば回れ」という言葉があるでしょう?「回れ」というのはその間に「考えなさい」ということ。そうすれば「正気」になれる。

映画「花筐」が唐津でクランクインする前日、2016年8月24日に「肺がん ステージ4 余命3ヶ月」と宣告されました。それから1年半経ちましたが、薬が効いて(注釈:分子標的薬「イレッサ®〘ゲフィチニブ〙」)いまこうして生きています。今年で80歳になりました。あと30年、映画を撮ります。

僕が子供の頃は「人生50年」と言われていました。だから25歳になった時考えたのね。あと残り半分、どう生きようか?

僕は医者の家に生まれました。医院には看護師さんらが50人位働いていた。戦争中でしたけれど女たちは僕の頭を撫でながら口々に「君死にたまふことなかれ」と与謝野晶子の詩を諳んずるんです。そこに彼女たちの想いが込められていた。おおっぴらに「戦争反対」を公言できる時代ではありませんでした(注釈:敗戦時、大林監督は7歳だった)。子供の頃、僕は「戦争に負けたら殺される」と死ぬ覚悟をしていました。

皆さんに言いたいのは「子供を舐めちゃいかんぞ」ということ。子供とは「未来を生きる大人」なんです。僕は「敗戦少年世代」です。僕たちは「戦後派」になれなかった。大人=写し絵。大人は信じられない、裏切られたという想いを抱えて生きて来た。戦後しばらく経って判ったのですが、従軍した日本兵の9割は餓死や特攻などで日本人に殺された。やがて朝鮮戦争が勃発し、日本はその経済効果で潤った。当時家庭の食卓にビーフステーキが出てきてびっくりしたものです。嘗て青筋を立てて「鬼畜米英!」と叫んでいたことなんかコロッと忘れて、大人たちは高度経済成長に浮かれた。彼らには規範がなかった。

戦後まもなく、寺山修司が夜の海辺でタバコを吸いながら詠んだ短歌があります。

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

落語家・立川談志も僕と同じ世代(2歳年上)で、生き残ったことの贖罪を感じていた。敗戦後「これからオレたちはどうやって生きたら良いんだ?」と途方に暮れたと生前僕に語ってくれました。

「火垂るの墓」の高畑勲監督は「映画で平和を作る」という意志が明快だった。それは僕が黒澤明監督から次のような言葉で託されたことでもあります。

大林くん、人間というものは愚かなものだ。戦争はすぐに始められるけど、平和にたどり着くには少なくとも400年はかかる。俺があと400年生きて映画を作り続ければ、俺の映画できっと世界中を平和にしてみせるけれど、人生がもう足りない。だが俺が80年かけて学んだことを、君なら60年で出来るだろう。そうすると20年は俺より先に行けるぞ。君が無理だったら君の子供、さらにそれがダメなら君の孫たちが少しずつ俺の先を行って、きっと世界から戦争をなくせる。それが映画の力だ。

黒澤明監督は「絵描きじゃ食えんから」と映画会社・東宝の社員になりました。そして会社をクビになり、黒沢プロダクションを立ち上げた。アマチュアとなってプライベート・フィルム「夢」を撮った。そこで初めて原発事故を描いたんです。

先日、山形県の森林道をタクシーで通っていたら、妻の恭子さんが「ここって『おもひでぽろぽろ』の場所じゃない?」と言ったんです。見たことがあるような風景が広がっていた。すると運転手さんが「その通りです。ここでロケハンされました」と教えてくれました。実写映画ではこういう体験があったけれど、アニメーションでは初めてでした。「火垂るの墓」もそうですが、高畑勲監督は庶民の暮らしをつぶさに描いている。「かぐや姫の物語」では最後に月からお迎えがきますが、天人には感情がない。そして、かぐや姫は人間の感情に絶望して月に帰る。

僕が幼い頃親しんでいた漫画「のらくろ」の主人公は真っ黒の野良犬で、上官は白犬でした。軍隊は居心地がいい場所として描かれていた。僕らは大日本帝国の「正義」のために戦って死のうと覚悟した人間でした。しかし、敵(連合国側)も自分たちの「正義」を信じて戦った。結局、勝った国の「正義」が正しいということになった。なんだ、戦争とはそういうものか。だから僕は「正義」なんか信じない。その代りに「正気」でものを言う。

プラカードは担がない。映画監督は「表現者」であって「政治家=権力者」じゃない。芸術には平和を手繰り寄せる力があり、庶民の願いが込められているのです。

花火が打ち上げられて爆発することを「散開」と言います。何の役にも立ちません。しかし上空から投下され地上で「散開」すると爆弾となり、経済効果を生む。

「この空の花 長岡花火物語」を撮った長岡のお年寄りは花火の音を聞くと空襲の記憶が甦る。だから花火が見られない。忘れたい。でも「語り部」になることが責任だと考えておられる。

人は忘れる。でも映画は忘れない。映画は”風化しないジャーナリズム”なんです。

3・11東日本大震災の日、僕は以前「なごり雪」を撮った九州の大分県臼杵市にいました。周りの人から「監督、ついていましたね」と言われた。震源地から離れているから。嘗て「敗戦少年」だった僕は、とんでもない、逃げるは恥だと思った。でも説得されて直ちに現地に行くのは思い留まりました。後に親しくしているフジテレビの記者から被災地の様子を聞きくと、現地ではトイレも大行列だから彼は遠慮してオムツを履いて取材したそうです。津波に流された学校の先生が一人の子供を助けて漂流物に捕まって浮かんでいた。海中からお年寄りが助けを求めて彼の足にしがみついてきた。しかしお年寄りまで助けようとしたら全員沈んでしまう。だから先生は無我夢中で足で蹴って引き離し、お年寄りは沈んでいった。その時の目が忘れられない。人間が人間を信じられない。「私はこれからどう生きたら良いのでしょう?」と先生は記者に泣きながら語ったそうです。結局このエピソードは放送されなかった。何でも表現すればいいというものではありません。映画作りは現実よりも想像力を働かさなければいけない。

カタルシスという言葉があります。お芝居を見て、泣いて笑って、鬱屈した気持ちが浄化される事を言います。僕は戦争映画でカタルシスを描いてはいけないと思っています。映画にはそもそも、気持ちがいいというカタルシスが濃厚にあるんです。だから危険。反戦映画を撮っているつもりでも、結果的には好戦映画になってしまう恐れがあります。

敗戦後しばらくはGHQの占領政策に基づき、公開される外国映画が選別されていました。1939年に製作された「風と共に去りぬ」が日本で公開されたのはサンフランシスコ講和条約が発効され日本が主権を回復した52年。その理由は奴隷制度が描かれていたからです。「正しい」民主主義の国アメリカの恥部を見せるわけにはいかなかった。

ハリウッド映画というのは実はヨーロッパの人々、戦争難民が作ったものです。「カサブランカ」のマイケル・カーティスはハンガリー・ブタペスト出身でハンガリー名はケルテース・ミハーイ。ゲーリー・クーパー演じる保安官が妻や街の住人からも見放され、1人きりで4人の殺し屋に立ち向かう西部劇「真昼の決闘 High Noon」を撮ったフレッド・ジンネマンはオーストラリア・ウイーンで生まれたユダヤ人アルフレート・ツィンネマン。彼の両親はホロコーストで殺されました。そして"High Noon"を観て「こんな開拓者魂の欠片もない代物は西部劇じゃない」と怒った生粋のアメリカ人ハワード・ホークスはそのアンチテーゼとして「リオ・ブラボー」を撮った。

ヒトラーが愛人のエヴァ・ブラウンを撮った16mmのプレイベート・フィルムがあります。これが美しんです。だから怖い。パートナーの大林恭子さんは東京大空襲を経験していますが、「映画で戦争は描けない」と言っています。

【以下、聴衆からのQ & A へ】

「10歳の娘が将来、良い大人になりたい。と言っています。どうすればいいでしょうか?」という母親の質問に対し、

【監督の回答】映画を観なさい(会場から笑い)。良い子供、つまりベテランの子供であり続けなさい。

映画「プラトーン」の監督であり、ジャーナリストでもあるアメリカのオリバー・ストーンがロシアのプーチン大統領に1年半に渡ってインタビューしたドキュメンタリー番組がBSで放送されました。それを観ると、プーチンさん、素敵なおじさんです。ニュース・報道から受ける強面の印象(イメージ)とは違った素顔が見えてくる。

キューブリック監督「博士の異常な愛情」は核戦争の恐怖を描いた良い映画です。でも僕と考え方は違う。映画とは観客それぞれの哲学(フィロソフィー)を生み出すものであり、自分自身を確立する(自分が自分になる)手段なんです。正直に私でありたい。

平和ってヒョイッと生まれるんです。先日開催された平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック。アマチュア=庶民の祭典。そこから南北朝鮮の対話が始まった。

戦争が恐ろしいのは、被害者(被爆者)になるからだけではなく、加害者(真珠湾攻撃)にもなるからです。大切なことは「あなた」を「わたし」のように見ること。

少年時代に「人類が16歳になるとこの世から消滅する」というSF小説を読んだことがあります。それに共感して僕は16歳以上になるのはやめて、ベテランの16歳になろうと決意しました。決して16歳の自分を裏切ってはいけないぞ、「僕が16歳だったらどうするか?」を基準に生きてきました。

25歳で歩き方を変えました。(散策するのではなく、真っ直ぐ)行って帰ってくる。気持ちを変えると同じ景色も違って見えてくる。振り向くことが大切なんです。同じ人でも違って見えてくる。

最近は「ゆるキャラ」がブームですね。実はゆるキャラの第一号は映画なんです。日本は戦争に負けてしまって、「映画でメッセージを言うのはもうやめよう。映画は時間つぶしの愉しい娯楽であればいい」となってしまった。アメリカ映画も昔は「ネバーギブアップ」という精神がありましたが、ベトナムの敗戦で無力になってしまい、ニュー・シネマ以降は「ネバーギブアップ」がない映画になった。今の若い人たちに言いたいのは「ゆるキャラになるな、濃いキャラになれ」ということです。

ピースサイン、知ってますよね?あれを始めたのはイギリスのチャーチル首相です(注釈:映画「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」にこのエピソードが登場する)。指で「V」の形を作り、Victory(勝利)を意味します。勝利による平和。つまり平和になったのは広島・長崎に落とした原爆のおかげというわけです。だから敗戦国の日本人が"V for Victory"サインをするのは妙な話ですね。

原爆投下から数年後、広島には「よく効く頭痛薬・ピカドン」なるものがありました。東京から読売ジャイアンツが来広するとなると、「巨人の原爆打線来る!」と新聞がはしゃいだ。大人たちは敗戦から何も学ばず、そのまま来てしまった。

情報は「他人事」です。でも映画には「他人事」を「自分事」に取り戻す力がある。

手話は国によって違います。「世界共通にすればいいのに」という意見があります。しかし唯一、世界共通のサインがある。それが"I LOVE YOU"。共通語として作られたのがエスペラント語。これは「文明」なんです。それに対して手話は「文化」です。

映画のストーリーが今まで何を語ってきたかを一言で言えば、「人は傷つきあって、許しあって、愛を覚える」ということです。 価値観がそれぞれ違うんだから、必ず傷つけ合う。傷つけあうんだけど、お互いのことを語り合って理解していけば、あなたのようにまったく違う人と一緒にいることで、私は幸せだなぁと想うようになる、これが愛というものなんですよ。 (手話とともに)  "I LOVE YOU"。

【こうして熱のこもった講演は予定時間を30分超過して終わった。監督はまだまだ喋り足りなそうだった。】

そして7月2日、尾道では実に20年ぶりとなる新作映画「海辺の映画館ーキネマの玉手箱(仮題)」がクランクインした。広島への原爆投下までを描く。プロデューサーは奥山和由。なんと浅野忠信が、久しぶりに大林映画に復帰するという!「青春デンデケデケデケ」(1992)以来である。

登場人物の名前に馬場毬男(ばばまりお←マリオ・バーヴァ)、鳥井鳳助(とりいほうすけ←フランソワ・トリュフォー)、団茂(だんしげる←ドン・シゲール)。全て大林監督が劇場用映画デビュー当時に考えていたペンネームである(怪奇映画/恋愛映画/アクション映画で使い分ける)。そして《瀬戸内キネマ》が物語の舞台となる。《瀬戸内キネマ》は「麗猫伝説」(撮影所として)と「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群」(映画館として/最後に炎上)にも登場、これが3回目となる。

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