いつか見た大林映画

2017年7月16日 (日)

【いつか見た大林映画】第5回「新・尾道三部作の方へ」

「ふたり」(1991)から始まる【新・尾道三部作】の話をしよう。

「ふたり」はまず1990年11月9日と16日の2週に渡り、NHK総合「NHK子どもパビリオン」の枠で放送された。前編・後編それぞれ45分、併せて90分。後年劇場公開された映画の尺は155分なので、65分もカットされていたことになる(ヒロイン実加が悪漢に襲われる場面、リレー・マラソン、討ち入り/直談判、竹中直人出演場面など)。僕はリアルタイムで観た。大林映画としては初めてハイビジョンによる合成が試された(黒澤明は90年に公開された「夢」のゴッホが登場するエピソードでハイビジョンを活用している)。これが後のフル・デジタルシネマ「この空の花 ー長岡花火物語」(2012)に繋がってゆく。

赤川次郎(原作)・桂千穂(脚本)・大林宣彦の3人には元々、ひとつの接点があった。女吸血鬼を主人公とする映画「血とバラ」(1960年仏・伊合作、監督:ロジェ・ヴァディム)である。大林監督が16mmフィルムで撮った個人映画「EMOTION 伝説の午後=いつか見たドラキュラ」(67)は「血とバラ」へのオマージュだったし、桂千穂の新人シナリオコンクール入賞作が「血と薔薇は暗闇のうた」で、赤川次郎も「血とバラ 懐かしの名画ミステリー」という短編小説を書いている。そしてこの3者が再びタッグを組むのが「あした」(95)だ(原作「午前0時の忘れもの」)。

「ふたり」の石田ひかり(撮影当時18歳)は素晴らしいが、なにより特筆すべきは久石譲の音楽だろう。正に幸福な結婚(perfectly happy marriage)である。久石とのコラボは「漂流教室」(1987)が最初だが、映画の出来自体がアレだったから……。「ふたり」の主題歌”草の想い”は作詞:大林宣彦、作曲:久石譲。劇中ではミュージカルとして登場し、エンドロールでは前半を大林が、後半を久石が唄う(動画視聴は→こちら)。因みにこのメロディ、久石は後に宮﨑駿「紅の豚」(92)の”帰らざる日々”という曲に転用している。是非聴き比べてみてください。

草の想い”の歌詞には監督のライフワークである檀一雄の小説「筐(はなかたみ)」と福永武彦の「草の花」という言葉が全て詰め込まれている。

時は移ろいゆきて
ものはみな失われ
朧ろに浮かぶ影は
草の想い

ひとり砂に生まれて
ふたり露に暮せば
よろこびとかなしみの
の形見(かたみ

あと殆どの人が気が付いていないであろうことについて触れておこう。”草の想い”が流れ始める直前のラストシーン。海側から実加(石田ひかり)が坂道を登ってくるのをカメラが真正面から捉える。その前を横切り、死亡事故を起こしたトラック・ドライバーが現場に花を供え祈る。と、そこでカメラが切り替わり少女の後ろ姿を捉える。顔は見えないがそれは美加ではなく、事故で死んだ姉の千津子(中嶋朋子)なのだ。ふたりでひとり

旧【尾道三部作】で撮影隊の拠点となっていたジャズ喫茶TOMと監督サイドでどういう経緯があったのかは知らないが、【新尾道三部作】からTOMとの関係は完全に切れた。

「あした」(1995)のエンドロールをご覧頂きたい。

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茶房こもんと、そのオーナー大谷治氏が尾道製作スタッフとしてクレジットされているが、TOMの名前が消えている。TMC (TOM MEMBERS CLUB)の協力もなくなった。

それに替わって監督の個人事務所PSCの肝煎りで1994年11月に大林映画公式ファンクラブOBs Clubが設立され、会報「OBs Club通信」も発行された。そして広島支部、関西支部、東海支部、関東支部などが立ち上がり、活発な活動を開始した。僕は91年に医師国家試験に合格し、ファンクラブ誕生時は広島市民病院に赴任していたので、広島支部に所属した。

世界的に見ても映画監督の公式ファンクラブが結成されるというのは珍しいのではないだろうか?少なくとも日本では聞いたことがない。

95年3月に「あした」の撮影が始まり、撮影終了後、映画公開前にOBs Club主催でロケ地巡りツアーが敢行された。物語の中で「呼子浜」とされた尾道市向島・余崎の砂浜で船の待合室のセットを見学したりした。この建物は現在移築され、バス停留所(@向島兼好)として活用されている。

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そしてやはり映画に登場した「呼子丸」。

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新聞記事によると後に「呼子丸」は尾道市に譲渡され、尾道水道の向島側に5年ほど係留されていたが、老朽化と船底からの浸水のため2000年夏に廃棄処分されたという。

僕が大好きなのは沈没した呼子丸が午前0時に海底から静かに浮かび上がってくるシーン。美しく、幽玄な世界がそこにあった。

旧【尾道三部作】及び【尾道三部作】外伝、そして「ふたり」で美術監督を務めた薩谷和夫(東京都出身)は「水の旅人 侍KIDS」の九州ロケハン中に体調を崩し、尾道まで戻って来て入院するが、1993年1月6日に亡くなった(この時、尾道市民病院に勤務していた僕の同級生が薩谷さんを専門病院に転院搬送する際に、救急車に同乗したそうだ)。そして「さびしんぼう」の舞台となった尾道の西願寺にお墓が建てられた。その翌年に製作された「あした」の美術監督は兄弟子の竹中和雄に代わった。

「あした」の音楽は學草太郎(まなぶそうたろう)。実は大林宣彦のペンネームである。福永武彦原作「廃市」の音楽も監督自身が手がけているが、この時は本名だった。

本作は大林監督としては珍しく群像劇である。明確な主人公がいない。寧ろ主人公と言うべきはかも知れない。数多い登場人物の中でも印象的だったのは「ふたり」で映画デビューを果たした中江有里かな。先日映画を見直してやっぱり綺麗だなと想った。98年の大林映画「風の歌が聴きたい」では主役に抜擢された。彼女は後にNHKの書評番組「週間ブックレビュー」で児玉清のアシスタントを務め、読書家としての鋭い知性を感じさせた(なんと年間300冊以上読むという)。またNHKラジオドラマ脚本懸賞で入選したり(放送もされた)、小説を出版したりと多彩な才能を発揮している。

この頃、東京でOBs Partyもあった。大林監督がピアノの弾き語りで”草の想い”を歌ってくださったり、

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1960−70年代に監督が撮ったCMの数々(長門裕之&南田洋子夫妻による「カルピス」、チャールズ・ブロンソンが出演した「マンダム」、ソフィア・ローレンが「ラッタッタ」の掛け声とともに乗るホンダのオートバイ、上原謙・高峰三枝子共演の国鉄「フルムーン」等)をスクリーンで観たりした。またゲストとして「青春デンデケデケデケ」の林泰文、「ふたり」「はるか、ノスタルジィ」の柴山智加、「麗猫伝説」の風吹ジュンらもパーティ会場に姿を見せた。

【新・尾道三部作】を締めくくる「あの、夏の日 - とんでろ じいちゃん」は尾道市政100年を記念して創られた。原作は「転校生」「さびしんぼう」「はるか、ノスタルジィ」の山中恒。1999年7月3日より東映系で全国公開されたが、5月1日より尾道市内の港に停泊していた船舶《サウンズ・オブ・セト》で先行上映された(新聞記事はこちら)。僕はこの船内シアターで観た。

本作は宮崎あおいの映画デビュー作である。撮影当時12歳、また中学1年生だった。この幼気(いたいけ)な少女を大林監督は素っ裸にしたのだから僕は呆れ果て、怒り心頭に発した。【いつか見た大林映画】第4回にも書いたが、監督が「脱がし屋」であることは重々承知している。しかし、いくら何でもこれは酷い。だから僕が本作を観たのは1回きり。彼女にとっても無かったことにしたい過去だったようで、公式サイトのフィルモグラフィーでも黙殺されている(→こちらに飛び、"FILM"をクリック)。

ここまで読まれた方にはご理解頂けたと想うが、僕は筋金入りの大林映画ファンである。それでも大嫌いな作品はあるわけで、「ねらわれた学園」「漂流教室」そして「あの、夏の日 - とんでろ じいちゃん」の3本がそれに当たる。

ただ「あの、夏の日」に出演したことが宮崎あおいの心的外傷として残ったわけではないようで、その後彼女は「淀川長治物語」(2000)と「理由」(2004)という2本の大林作品に出演している(「理由」には実の兄・宮崎将も出演し、映画の中でも兄妹を演じている)。

あと番外編として「マヌケ先生」(2001)をご紹介しよう。大林監督の少年時代を描く映画で監督は内藤忠司。旧【尾道三部作】で助監督を務めた人だ。三浦友和、竹内力らが出演した。主人公の名前が「馬場鞠男(ばばまりお)」大林監督が「HOUSE ハウス」で劇映画デビューをした時に考えていたペンネームである。イタリアホラー映画の巨匠マリオ・バーヴァ(「血塗られた墓標」「モデル連続殺人!」「呪いの館」)をもじっている。またクリストファー・リー主演「白い肌に狂う鞭」はマリオ・バーヴァがジョン・M・オールドという偽名で監督した映画で、これが大林監督の大のお気に入り。桂千穂の著書の中で大林監督との対談が掲載されており、そのタイトルがズバリ「僕たちは『白い肌に狂う鞭』で第二の映画仲間になった」なのだ。火曜サスペンス劇場で放送された「可愛い悪魔」にも「白い肌に狂う鞭」のオマージュが挿入されている。そして「あした」で學草太郎(=大林)が作曲した音楽は「白い肌に狂う鞭」にそっくり。

「マヌケ先生」はOBs Clubのメンバーが多数エキストラとして参加しており、僕も尾道の撮影現場で衣装を渡され映画初出演を果たした。一応、竹内力との共演??である。エンドロールに名前も出てくるのだが、残念なことに誤字のまま掲載されている。

「町守り」を願う監督の想いとは裏腹に、尾道市では「町おこし」という名の「町壊し」が推し進められていた。「転校生」の〈国鉄〉尾道駅は建て替えられ、映画で繰り返し登場した雁木(船着場における、階段状の構造物)も再開発でなくなってしまった。そして「あの、夏の日」「マヌケ先生」を最後に大林監督は尾道と決別。僕もそれ以降、尾道を訪ねていない。

TO BE CONTINUED...

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2017年6月23日 (金)

【いつか見た大林映画】第4回 ロケ地巡りと【尾道三部作】外伝

大学生になって僕が始めたことは【尾道三部作】のロケ地巡りである。今の言葉で言えば聖地巡礼ということになるだろう。岡山市から何度も足を運んだ。駅の観光案内所に行けば「おのみちロケ地案内図」が無料で貰えた(後に【新尾道三部作】のロケ地案内図も発行された)。

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「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」のロケ地マップが、美術監督である薩谷和夫さんのイラスト付きで紹介されている。因みに「時をかける少女」は尾道市と(広島県)竹原市でロケされており、編集で一つの街のように見せている(原田知世は自宅から学校への通学路でワープしているわけだ)。竹原市にも勿論、訪れた。

大林監督が【尾道三部作】に於いて現地の拠点としていたのが「さびしんぼう」にも登場する、商店街の中にあったジャズ喫茶TOM(監督が愛飲していたのはTOMソーダ)と、「転校生」に出て来るロープウェイ乗り場前にある「茶房こもん」である(ここのワッフルは絶品。監督が推薦する飲み物はサンセットドリンク)。公式サイトはこちら。「こもん」の店主・大谷 治氏が小道具の調達など現地コーディネートを担当しておられた(読売新聞の記事はこちら)。余談だが、あと尾道で僕の大好物は朱華園のラーメン。もし行く機会があれば是非ご賞味あれ。掛け値無しに美味しいから。

さて、「さびしんぼう」のエンドクレジットをご覧頂こう。

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TOMのマスター・須賀 務氏の名前、そして茶房こもんがクレジットされている。

TOMのマスターはTMC(TOM MEMBERS CLUB)を主宰し、いわば私設大林映画のファンクラブみたいなものだった。僕もマスターと親しくなり、TMCに入会した。黒いTシャツもあったな。TOMで大林監督に偶然お会いし、サインを頂いたこともあった(当時監督は煙草をスパスパ吸っておられた)。大林映画「彼のオートバイ、彼女の島」(1986)に登場するピアノバーはTOMの内装をモデルにしている(美術監督は薩谷さんさん)。実はこの作品、原田知世の姉・貴和子のデビュー作であるとともに、竹内力のデビュー作でもあるのだ。それまで九州で三和銀行の社員をしていたが、役者になりたいと一念発起してオートバイで東京に出てきた。「ミナミの帝王」以降の彼しか知らない人にとっては驚くだろうが、当時の竹内は笑うとエクボの出来る爽やかな好青年だった。

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「彼のオートバイ、彼女の島」は「イージー・ライダー」などアメリカン・ニューシネマの精神を受け継ぐ、《心意気の映画》である。その心は「風になりたい」。流麗な編集が鮮やかで、黒白(black and white)とカラーが何の法則性もなく交差する手法はクロード・ルルーシュの「男と女」みたいだった。片岡義男の原作で「彼女の島」は岡山県笠岡市の白石島だが、映画でロケされたのは尾道市の岩子島。同じ年に公開された「野ゆき山ゆき海べゆき」(1986)も尾道市と広島県福山市鞆の浦で撮影された(余談だが宮﨑駿監督が「崖の上のポニョ」の構想を練ったのも鞆の浦の旅館である)。「彼のオートバイ、彼女の島」は原田貴和子が冒頭でいきなりフルヌードで登場することが話題となったが、「野ゆき山ゆき海べゆき」が第一回主演作品となる鷲尾いさ子(前身は全日空水着キャンペーンガール)も裸になっている。そもそも監督の劇場映画デビュー作「HOUSE ハウス」(1997)では池上季実子が、「転校生」では小林聡美、「あした」では高橋かおり、「なごり雪」では宝生舞がバストトップを見せており、大林監督は新人女優の「脱がし屋」という異名をとることになる(「はるか、ノスタルジィ」の石田ひかり、「あの、夏の日-とんでろ じいちゃん」の宮崎あおいについては後日じっくり語ろう)。因みに監督の弁によると、裸は「生まれたままの姿」であり、少女の純潔性を映し出そうとしているのだそうだ(そして三島由紀夫の小説「潮騒」の焚き火の場面『その火を飛び越して来い』を例に挙げる)。監督がAKB46「So long ! 」のミュージック・ビデオを撮った時、唐突にメンバーが水着姿になる場面があり、後にSKE48の松井珠理奈がNHKでの大林監督の対談で「どうしてあそこは水着だったんですか?」と無邪気に質問していて、僕は爆笑した(回答はいつも通り)。珠理奈、監督は実のところ君たちを素っ裸にしたかったんだよ。でも現役アイドルだからそうはいかない。だから仕方なく水着で我慢したんだ。閑話休題。

「野ゆき山ゆき海べゆき」は「転校生」「廃市」同様にATG(日本アート・シアター・ギルド)映画だが、日本テレビも出資している。カラーネガで撮影され、「質実黒白オリジナル版」で劇場公開し、後年テレビでは「豪華総天然色普及版」で放送するよう当初は企画されていた。しかし関係者による0(ゼロ)号試写が不評だったのか途中から計画が変更され、結局東京では「質実黒白オリジナル版」と「豪華総天然色普及版」がそれぞれ単館上映され、大阪では「豪華総天然色普及版」のみ単館上映されるという寂しい興行となった。郷里岡山での上映は当然なかったので、僕はわざわざ新幹線に乗り、大阪で観た。残念な出来だった。原作は佐藤春夫の自伝的小説「わんぱく時代」。明治時代の話だが、映画は日中戦争〜太平洋戦争という時代設定になっている。それなのに下駄を履いた尋常小学校の生徒たちが通学で歩くのがアスファルトの道路で、違和感ありまくり。また「美しい日本語を聴かせたい」という演出意図は解るが、棒読みの台詞回しも辛かった。135分という上映時間が冗長に感じられた。もし最初から「質実黒白オリジナル版」を観ることが出来れば、また印象が違ったかもしれない。結局LD(レーザーディスク)でも「豪華総天然色普及版」のみの発売で、幻の黒白版に出会うにはDVD登場まで待たなければならなかった。カメラは基本的に固定撮影(フィックス)で、小津安二郎のフィルムを彷彿とさせる手法が採用されている。だから逆に、”映像の魔術師”大林宣彦らしさが失われた。電気紙芝居。また子供たちのわんぱく戦争が次第にエスカレートし、本物の戦争にシンクロしてゆくというプロットは鈴木清順監督「けんかえれじい」へのオマージュだ(大林監督は若かりし頃、鈴木清順「肉体の門」の批評をキネマ旬報の読者欄に投稿している)。結局本作は「金曜ロードショー」など日テレのゴールデンタイムに放送されることはなく、公開4年後「野ゆき山ゆき海べゆき テレビバーション1990」がひっそりと日中に放送された。豪華総天然色普及版のワンカットを少しずつ短くし、カット割りの数はそのままに40分も短縮させており、テンポが良くなり寧ろオリジナルより観易くなった。「野ゆき山ゆき海べゆき」の興行的不振が祟ったのかどうかは知らないが、ATGはその後次第に弱体化し、92年にひっそりと幕を閉じた。

さて1986年6月初旬、僕の自宅にTOMのマスターから葉書が届いた。「大林監督が新作を尾道で撮っているから遊びにおいで」という内容だった。早速、TOMを訪ねた。「今日はね、鞆の浦の港あたりでロケしているよ」と教えてもらい、車を福山市まで走らせた。そして撮影隊を見つけたのだった。これが「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群」である。シナリオではタイトルが更に「夕子かなしむ」と続く。

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その時、三浦友和と撮った写真。

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竹内力と。

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南果歩&子役の浅川奈月と。

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皆さん、気さくに記念写真に応じてくださった。

この頃、アイドル歌手・岡田有希子が投身自殺をして、彼女との関係を取り沙汰されていた俳優・峰岸徹が「おかしなふたり」に出演しており、尾道に向かおうとする彼を東京駅でレポーターが捕まえて、インタビューする光景がテレビに映し出されていた。

どこか病弱で、憂いに満ちた映画。松尾芭蕉の句「おもしろうてやがてかなしき鵜舟(うぶね)かな」を想い起こさせる。商業映画としては珍しくヨーロッパの企業アグファ(Agfa:創業者は作曲家フェリックス・メンデルスゾーンの息子パウル)カラーで撮影されており、の原色を強調した鮮やかな色彩が特徴的である。「ひとりとひとりはさびしくて ふたりになればくるほしい」通常は1秒間に24コマで回すフィルムを12コマ/16コマ/18コマというコマ落としで映画全編が撮られている。だから人物の動きがカクカクしていて、何処か非現実的で、独特な表現が生まれた。「廃市」に続き、大林監督自らがナレーションを担当している。ひとには勧められないけど僕は大好きだ。まぁ、究極のカルト映画だね。特に1分52秒に及ぶ、南果歩をクローズ・アップした長回しは彼女が神々しいまでに光り輝いている。また終盤、永島敏行と三浦友和が尾道市・(岡山県)笠岡市・鞆の浦と場所を変えながら延々と殴り合いのけんかを展開していく場面はジョン・フォード監督「静かなる男」へのオマージュだ(大林監督はジョン・ウェインの大ファンである)。そして竹内力の潜水服姿はジョン・ウェイン&ゲイル・ラッセル主演「怒涛の果て」。作曲は未だ有名になる前のKAN。シンセサイザーによる切なくて美しい旋律が胸を打つ。彼の大ヒット曲「愛は勝つ」がリリースされるのが1990年9月1日、レコード大賞を受賞するのが翌91年で、紅白歌合戦にも出場した。大林監督はKANの2ndシングル「BRACKET」(1987)のミュージック・ビデオを撮っており、大連・尾道友港博覧会(87年10月)で上映されたショートフィルム「夢の花・大連幻視行」(出演:原田貴和子、浅野愛子)や瀬戸大橋博(88)のイベント映像として大林監督が撮った「モモとタローのかくれんぼ 」の音楽もKANが担当している。昔話・桃太郎を下敷きにした「モモとタローのかくれんぼ 」の原作はSF作家の豊田有恒。これは観客参加型で途中2回、AかBの物語を選べて、スイッチを押した人数の多い方の映像に進む仕組みになっている。つまり4パターンあるわけだ。僕は繰り返しパビリオンに入場し、全ての映像を体験した。

この頃は日本全国が博覧会ブームに湧いており、大林監督は85年つくば科学万博の政府館展示映像「多様な国土」を70mmフィルムで撮り(音楽は冨田勲)、90年大阪市鶴見緑地で開催された国際花と緑の博覧会(花博)では世界初の全天球映像(プラネタリウムみたいな感じ)「花地球夢旅行183日」を製作している。因みに花博の音楽は「さびしんぼう」「姉妹坂」の宮崎尚志だった(12チャンネル立体音響)。正にバブル景気(86-91)の時代だった。

映画「おかしなふたり」は完成後も長らく公開が決まらずお蔵入りし、1987年10月30日〜11月1日の3日間、尾道市公会堂に行われたA MOVIE FESTIVAL ONOMICHI '87で先行上映された(僕はその時に観た)。結局東京で単館上映されたのは1988年になってからだった。

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A MOVIE FESTIVAL ONOMICHI '87では「おかしなふたり」上映以外にも淀川長治・おすぎ・永六輔・高橋幸宏(元YMO、大林映画「四月の魚」主演)・内藤陳(日本冒険小説協会会長、「おかしなふたり」出演)を招いて大林監督を交えてのトークショーや、

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「漂流教室」(87)でヒロインを務めた浅野愛子をモデルにした撮影会、大林映画の新ヒロインを選ぶコンテストなどがあった。しかしそこで優勝した女の子は結局、劇映画で主演することが叶わず、「モモとタローのかくれんぼ 」で林泰文と共演するに留まった。

もう一本、尾道で撮られた大林映画をご紹介しよう。1983年8月30日に火曜サスペンス劇場で放送された「麗猫伝説」である。98年には劇場公開もされた。主演は入江たか子・入江若葉の母子。入江たか子が過去に出演した数々の化け猫映画へのオマージュである。【瀬戸内キネマ】という架空の撮影所が出てくるが、「おかしなふたり」にも【瀬戸内キネマ】という映画館が登場する。で「おかしなふたり」の最後は【瀬戸内キネマ】が炎上するのだが、そのシーンはアカデミー外国語映画賞を受賞したイタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」にどこか似ている。通常2台使用する映写機を1台で【流し込み】上映するのも同じ。因みに「ニュー・シネマ・パラダイス」の公開は88年なので「おかしなふたり」の方が先である。「麗猫伝説」の脚本は「花筐」「HOUSE ハウス」「ふたり」の桂千穂。ビリー・ワイルダー監督「サンセット大通り」のプロットを土台にしている。風吹ジュンが可愛かったなぁ。話が横道に逸れるが、那須真知子脚本/大林宣彦監督/秋吉久美子主演の火曜サスペンス劇場「可愛い悪魔」(82年放送)はマーヴィン・ルロイが監督したハリウッド映画「悪い種子」の翻案である。

さて、公式には【尾道三部作】が「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」、【新尾道三部作】が「ふたり」「あした」「あの、夏の日-とんでろ じいちゃん」ということになるが、その間に創られた「麗猫伝説」「彼のオートバイ、彼女の島」「野ゆき山ゆき海べゆき」「おかしなふたり」は【尾道三部作 外伝】ということになるだろう(「彼のオートバイ、彼女の島」「野ゆき山ゆき海べゆき」「おかしなふたり」の三本にはいずれも竹内力と三浦友和が出演している)。愛おしいはぐれ鬼。そして「おかしなふたり」以降、大林映画冒頭に必ず登場したA MOVIEという表記が長らく封印されることになる。

TOMのマスターはその後店を畳み、離れた場所にある奥さんが経営するブティック奥に引っ越したが、現在は板前修業をした息子がそこで居酒屋をやっているそうだ。

時は移ろいゆきて、2010年テレビ東京でドラマ「モテキ」が放送された。脚本・監督は大根仁。その第2話で森山未來と満島ひかりが岩井俊二監督「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」のロケ地巡りをする。ロケ地の千葉県飯岡町まで行きキャメラを持ちはしゃぐ満島を見ながら僕は腹を抱えて笑い転げ、「君は僕だ!」と画面に向かって叫んだ。尾道での自分自身の姿が彼女に重なったのである。この回を見たスタッフから岩井監督に話が伝わり、後に岩井監督と大根監督の対談が実現。ふたりは意気投合し、「打ち上げ花火」アニメーション化の企画が持ち上がった時に岩井監督はシナリオライターとして大根仁を指名した。そのアニメ版は今年8月18日に公開される予定。公式サイトはこちら

TO BE CONTINUED...

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2017年6月12日 (月)

【いつか見た大林映画】第3回「廃市」そして福永文学との出会い(家庭用VHSビデオとLDの時代)

福永武彦(息子は芥川賞作家の池澤夏樹。幼いころ両親が離婚したため、池澤は実父について高校時代まで知らなかったという)の書いた小説が映画化されるのは大林宣彦監督「廃市」が初めてである(後に「風のかたみ」が高山由紀子監督で映画化された:1996年)。16mmフィルムを使用し(通常の劇場映画は35mm。「ベン・ハー」や「アラビアのロレンス」などの大作は65mmネガフィルムで撮影され、70mmプリントに焼いて上映された)、福岡県柳川市で全篇オールロケされた。映画の公開は1983年12月、つまり「時をかける少女」の次の作品である。

僕は大学の合格祝いにVHSビデオデッキとLDプレーヤーを買ってもらった。因みに若い人は知らないだろうから解説しておくと、当時家庭用ビデオデッキ市場ではソニーのBETACAM(ベータカム)と、ビクター&松下電器(現パナソニック)を中心に開発されたVHSがその覇権を賭けてしのぎを削っていた。結局ソフトの数で圧倒したVHSが勝利する。ビデオディスクの方はビクターが開発したVHD(Virtual Hard Disk)とパイオニアから発売されたLD(LaserDisc)があり、最終的にLDが生き残った。DVDを経て第3世代光ディスクにも東芝が開発したHD DVDがあったが、ソフト数でBlu-ray Disc陣営に大きく引き離され、淘汰された。

【尾道三部作】「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」などのLDは発売されたが、「廃市」は出なかった。初期の大林映画「HOUSE ハウス」「瞳の中の訪問者」はLDを購入し、出会うこととなる。

僕が知る限り郷里岡山で「廃市」は上映されなかった。だから観ることが出来たのは大学1年生の1985年にビデオを購入したからである。なんと定価は23,000円もした!(映画「廃市」は現在、Blu-rayとDVDで容易に入手可能である。Amazon.co.jpだと、どちらも4,500円以下で)

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日本で消費税が初めて導入されたのは1989年(税率3%)なので、それより前ということになる。因みにこの頃発売されていたビデオソフトの標準的価格は、「風の谷のナウシカ」が14,800円だった。ビデオをレンタルするにも1本1,000円した時代である(入会金が2,000円くらい)。後日、自主製作16mmフィルム時代の大林監督作品「EMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ」(1967)もVHSビデオで購入した。

「廃市」ビデオケースの裏面には以下のような大林監督のエッセイが掲載されている。

 福永武彦さんの小説が映画になる。その素敵な事件に、当事者の監督として立ち会えたなんて、ぼくは何という果報者だろう。
 18歳、郷里尾道での最後の夏休みに出会った1冊の書物、「草の花」。ぼくはそれを、ぼく自身のために書かれた物語だと信じ、それから20代のまるまるを、福永さんの世界と共に暮らして来た。その頃既に映画少年でもあったぼくは、いつかこの〈ぼく自身の物語〉を、映画にしたいものだと夢見ていた。(中略)
 今回機会を得て「廃市」を映画化することになった時、ぼくはこれを16ミリで撮影・上映しようと考えた。常に少数者のための文学を標榜してきた福永作品の初の映画化には、この小さな映画の形式がいちばん似合うだろうと信じたから。(中略)
 今回のビデオによる出版は多くの福永ファンに悦んで貰えることと思う。所謂大当たり大衆娯楽映画の廉価普及版ではなく、豪華特製限定出版という趣向が、これまた福永さんらしくて、とても嬉しい。
 そして、大林映画を愛してくれる人びとには、最高の贈り物だ。なにしろこれは、ぼくの夢の結晶なのだから。

本作で大林監督は初めて自らナレーションを担当。その声が味わい深いと評判になった。また監督が作曲した美しい弦楽四重奏曲が全編に流れる(編曲は「さびしんぼう」の宮崎尚志)。キネマ旬報ベスト・テンでは日本映画の第9位に選出された。

僕は「廃市」の叙情性に心打たれ、原作を読み福永武彦の世界に魅了された。勿論「草の花」も繰り返し読み、〈ぼく自身の物語〉となった。結局、20代で福永が書いた全小説を読破した。大学卒業を控えた1990年8月には医師国家試験の準備として、小説「草の花」の舞台となった信濃追分で一週間過ごした。福永武彦は既に亡くなっていたが、彼の別荘が僕が宿泊した民宿の近くに残っていた。堀辰雄や、福永の朋友・中村真一郎がしばしば滞在した旅館・油屋もあった(福永と中村は映画「モスラ」の原作者でもある)。

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そして僕自身も大林監督のライフワーク映画「草の花」を夢見るようになった。

劇場映画第2作「瞳の中の訪問者」(1977)は手塚治虫の漫画「ブラック・ジャック」のエピソード『春一番』の映画化である。しかしクライマックスで登場するハニー・レーヌの台詞は福永の「草の花」からの引用だ。また映画「ふたり」(1991)の主題歌『草の想い』(作詞:大林宣彦、作曲:久石譲)の歌詞には「草の花」と、檀一雄の小説「花筐(はなかたみ)」という言葉が秘かに忍ばせてある。「ふたり」のラストシーン、石田ひかりの部屋と「異人たちとの夏」(1988)の風間杜夫のマンションの本棚には「草の花」と「花筐」が仲良く並べて置かれていた。そして僕が最も愛する大林映画「はるか、ノスタルジィ」(1993)では「草の花」で重要な役割を果たすショパン:ピアノ協奏曲第1番が流れた。一時期、富田靖子と尾美としのり主演で「草の花」映画化が企画されたが、実現はしなかった。

それから長い年月を経て、映画「花筐」は遂に今年完成した(12月公開予定)。

大林監督、映画「草の花」には、まだ間に合いますか?

TO BE CONTINUED...

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2017年6月 7日 (水)

【いつか見た大林映画】第2回「ひとがひとを恋うるとき、ひとは誰でもさびしんぼうになるー」(山口百恵から富田靖子へ)

【尾道三部作】の第二作「時をかける少女」を映画館で観て心酔したのが1983年、僕が高校2年生の時だった。

実家は岡山大学医学部の近隣にあり、秋の大学祭(鹿田祭)で大森一樹監督の「ヒポクラテスたち」が上映された。これは大森監督が京都府立医大在学中に脚本を執筆し、母校で撮った映画で、医大生の青春群像を描いていた。大阪大学医学部を卒業し、医学博士でもあった漫画家・手塚治虫(学位を取得した論文は「異型精子細胞における膜構造の電子顕微鏡的研究」)が小児科の教授役で出演していた。大森監督自身も大学祭に現れ、ティーチイン(学内討論集会)が行われた。映画の中で伊藤蘭が自殺するのだが、「僕が大学に入った時のクラスメートが自殺し、その後留年した下の学年でも自殺者が出た」という監督の言葉が印象的だった。そして僕は「ヒポクラテスたち」を観て、「医学部って面白そうだな。よしここに入ろう!」と決めた。

後に知ったのだが、大林映画「転校生」はキャストが決まり撮影2週間前という時点でスポンサー(サンリオ)が「こんな破廉恥な内容はわが社の社風に合わない」と突然降りてしまった。これを聞きつけた大森監督がレイ・ブラッドベリ原作の映画化企画を東京で打ち合わせていたATG(日本アート・シアター・ギルド)代表の佐々木史郎プロデューサーに相談を持ちかけ、自らの企画を引き下げて大林監督に譲ったそうである。こうして「転校生」はATG映画として完成した。映画「さびしんぼう」に大森一樹監督が妻と娘3人でカメオ出演している(ヒロインが商店街を自転車で飛ばすシーン)のもこういう経緯があったのだ。

僕が高校3年生になった1984年、「アイコ十六歳」という映画が公開された。これは全て名古屋市内で撮影された作品で、127,000人の応募者の中から当時中学3年生だった富田靖子がオーディションで選ばれた。

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受験生として僕は1年間、大好きな映画を一切観ない「映画断ち」をしようと決心していた。しかし新聞広告で富田靖子の写真を見て、心がときめいた。結局誘惑に負け、映画館に足を運んだ。これだけは唯一の例外だった。併映の秋吉久美子主演「チーちゃんごめんね」は興味なかったのでパス。「アイコ十六歳」の監督はそれまで自主制作で8mm映画を撮っていた今関あきよしで、製作総指揮に(保証人として)名を連ねたのが大林宣彦監督だった。この映画の富田靖子は生き生きとして本当に素晴らしく、何時の日にか大林映画に彼女が出演すればいいなぁと僕は夢見た。

その年の12月末、地元紙・山陽新聞夕刊に大林監督の「さびしんぼう」が現在尾道で撮影中と記事が出た。主演は、な、な、なんと富田靖子!僕は文字通り飛び上がり、狂喜乱舞した。直ちにその記事を切り抜いて勉強机の前に貼り「必ず大学に合格して、この映画を絶対観に行くぞ!」と固く心に誓ったのだった。

年が明け僕が無事岡山大学医学部に合格した春、1985年4月13日に「さびしんぼう」は公開された。同時上映は松田聖子、神田正輝が共演した「カリブ・愛のシンフォニー」。松田聖子は大嫌いなので「カリブ・愛のシンフォニー」は観なかった。「さびしんぼう」はその年、キネマ旬報ベスト・テンで第5位、読者選出ベスト・テンでは第1位となった。映画評論家・淀川長治に絶賛され、黒澤明監督からも愛される作品となった。これが切っ掛けで黒澤明は大林演出の、洋酒のCMに出演し(キャッチコピーは「夢にわがままです」)、映画「夢」のメイキング・ドキュメンタリーも大林に委ねた(「映画の肖像 黒澤明 大林宣彦 映画的対話」僕はレーザー・ディスクで所有)。

大林監督は長年「さびしんぼう」という映画を撮りたいと構想を温めていた。1967年にはデビュー前のハニー・レーヌ(当時15歳)を第一候補に挙げていた(その10年後の77年にハニー・レーヌは大林映画「瞳の中の訪問者」に、遅すぎた出演を果たす)。福永武彦原作「廃市」を「さびしんぼう」という題名にしようとしたこともあった。新進気鋭のCMディレクターだった1973年、未だ中学生だった山口百恵に会ったときも、彼女を主演に「さびしんぼう」を撮ろうと考えていたという。結局その企画も流れ、翌74年から百恵・友和でグリコ・チョコレートのCMを撮った→動画はこちら。つまり大林監督のフィルムの中でふたりは出会ったのである。結婚前の餞として大林監督はサンフランシスコで百恵・友和主演の映画「ふりむけば愛」(1978)を撮る。百恵の「私が好きな人は、三浦友和さんです」という恋人宣言は翌79年である。

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「さびしんぼう」で富田靖子は一人二役をこなしている(ラストシーンを含めると四役)。右の横顔しか見せない橘百合子、そしてなんだかへんて子=さびしんぼう。百合子は恋われる対象であり、さびしんぼうは恋する主体。さびしんぼうは少女の左側の顔を象徴する存在であり、ふたりあわせてひとつの人格と言えるだろう。百合子が自転車でフェリーに乗り、通学するという設定がたまらなく素敵だ。

ショパンの「別れの曲」が映画で重要な役割を果たす。映画評論家・石上三登志は「大林映画はピアノ映画だ!」と看破した。劇場デビュー作「HOUSE ハウス」は少女がピアノに食べられてしまい、「漂流教室」では怪獣がピアノを弾く。「転校生」はシューマンのトロイメライがテーマ曲となり、「時をかける少女」の学校の廊下では何処からともなくリストの「愛の夢 第3番」が聴こえてくる。「ふたり」で石田ひかりはシューマンの「ノヴェレッテ 第1番」を弾き、「彼のオートバイ、彼女の島」の竹内力は自室でショパンの「12の練習曲 作品25−1」を聴く。「姉妹坂」ではリストの「ため息(3つの演奏会用練習曲)」がテーマ曲となり、「おかしなふたり」ではヤクザを演じる永島敏行が小指のない右手でベートーヴェンの「エリーゼのために」を爪弾くのだ。

後に大林監督は主人公・井上ヒロキ役に宇野重吉をキャスティングし、「さびしんぼう2」を撮ろうと考えていた。年老いたヒロキが久々に尾道に帰郷すると、さびしんぼうに再会するというプロットだった。しかし宇野の死(1988)でその企画は白紙撤回となった。このアイディアは結局、同じ山中恒原作「はるか、ノスタルジィ」(1993)に継承されることになる。

TO BE CONTINUED...

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2017年5月26日 (金)

大林宣彦(著)「いつか見た映画館」

大林宣彦監督が古(いにしえ)のハリウッド映画や日本映画のことを縦横無尽に語り下ろした「いつか見た映画館」(2016/11/01出版)を一気呵成に読破した。

Obs

上下2巻で総重量2Kg、1240ページを超える超大作。定価はな、な、なんと1万8千円+税!!辞書かっ!?

読者のみなさんは御存知の通り、僕は筋金入りの大林映画ファンである。

そんな僕でもこの値段にはおいそれと手を出せなかった。そこで図書館から借りるという戦術に転じた。しかし僕の住んでいる兵庫県宝塚市の図書館で蔵書検索をしても該当が見つからない。お隣の西宮市立図書館も×。それでも諦めず調査を続行し、漸く神戸市立図書館に入っていることを突き止めた!

冒頭の寄せ書きに応援メッセージを寄せたのが山田洋次監督(「男はつらいよ」シリーズ、「たそがれ清兵衛」)、高畑勲監督(「火垂るの墓」「かぐや姫の物語」)、岩井俊二監督(「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」「リップヴァンウィンクルの花嫁」)、犬童一心監督(「ジョゼと虎と魚たち」「メゾン・ド・ヒミコ」)、園子温監督(「愛のむきだし」「冷たい熱帯魚」「新宿スワン」)といった錚々たるメンツで圧巻だ。

本篇は松竹系の衛星劇場で放送されている映画解説をまとめたもの。主題となっているのが太平洋戦争(第2次世界大戦)であり、紹介される映画も戦前・戦中・戦後直ぐ(アメリカン・ニューシネマ台頭前まで)が中心となっている。ただ下巻の終盤では話題が「原点としての無声映画」に移ってゆくのだが。

かつて映画の語り部として「日曜洋画劇場」の淀川長治がいた。しかし彼が亡くなり、ポジションがぽっかり空いてしまった。その穴を埋めるべく白羽の矢を立てられたのが大林監督だった。考えるに現代の映画の語り部といえば大林宣彦か、WOWOWの「町山智浩の映画塾!」やTBSラジオ「たまむすび」で《アメリカ流れ者》のコーナーを担当する町山智浩くらいしかいないだろう。

作品選択が実にユニーク。特にゲイリー・クーパーやジョン・ウェインが主演した西部劇が多数取り上げられているのだが、敢えて「西部の男」「真昼の決闘」「駅馬車」「捜索者」「赤い河」「リオ・ブラボー」といった有名どころは外されており、代わりに「ダラス」「北西騎馬警官隊」「コレヒドール戦記」「拳銃無宿」「マクリントック」などマニアックな作品ばかり選ばれている。フレッド・アステアも「トップ・ハット」「有頂天時代」「イースター・パレード」「バンド・ワゴン」ではなく、「スイング・ホテル」「ブロードウェイのバークレー夫妻」「土曜は貴方に」「晴れて今宵は」といった具合。8割は未見だったが、それでもすこぶる面白く読んだ。

ジョン・ウェイン(1907-1979)が生涯、密やかに愛した映画女優ゲイル・ラッセル。デュークは3度結婚したが、遂にラッセルと結ばれることはなかった。その晩年、病床の彼は彼女と共演した「怒涛の果て」(1948)のビデオを毎夜繰り返し見続けていたという(ラッセルはアルコール依存症となり、1961年、デュークより先に亡くなった。享年36歳)。何だか切ないね。

Angel

「イヴの総て」に出演したジョージ・サンダース(1906-1072)は友人のデイヴィッド・ニーブンによると、1937年(31歳)の時点で「僕は65歳になったら自殺するよ」と予告していたそうである。そして実際に65歳で睡眠薬自殺をした。遺書にはこう書き残されていたという。

Dear World, I am leaving because I am bored. I feel I have lived long enough. I am leaving you with your worries in this sweet cesspool. Good luck.
世界よ、退屈したからオサラバするよ。もう十分生きた。この素敵な糞溜めの中で、君たちが不安に頭を抱えたままにしておくよ。幸運を祈る。

かっけー!惚れた。

また「カサブランカ」のマイケル・カーティス監督がハンガリー・ブタペスト出身で、ハンガリー名がケルテース・ミハーイだということも全く知らなかった。彼は左翼思想を持つユダヤ人で、1918年には共産党のプロパガンダ映画を撮っている。しかし翌19年にハンガリーにおける共産主義革命が失敗したため、ドイツに亡命。後に米国に渡った。カーサ(casa)・ブランカ(blanc)=白い家。亡命を希望する様々な人種が集まるこの場所はハリウッドのメタファーでもあったのだ。それが「ラ・ラ・ランド」に繋がっていく。

伊福部昭が音楽を担当し、柳家金語楼が主演したサラリーマン映画「社長と女店員」(1948)で既に「ゴジラ」(1954)のテーマが使用されているという話も初めて本書で知った(動画はこちら)。またこの旋律はサスペンス映画「蜘蛛の街」(1950)でも用いられており、何度も使いまわした挙句、「ゴジラ」で漸く有名になったというのが実情のようだ。因みにこのテーマの原点は1948年6月(1月説もあり)に初演された「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲」である。「社長と女店員」の公開日が1948年12月20日だから、ほんの少し後ということになる。

エロール・フリンが主演した映画「フォーサイト家の女」(1949)のラストシーンで視線が噛み合わない男女の別れが描かれるが、大林監督はこれを「時をかける少女」のエピローグ(深町との別れから11年後、大学の廊下での邂逅)に引用したと告白する。それがさらに2016年、新海誠監督「君の名は。」で再現されているわけだ(糸守町へ隕石が衝突してから8年後、雪の降る東京)。映画は繋がっている。尚、「君の名は。」については本書で言及されているわけではなく、僕自身の考察である。

2012年、ニューヨーク近代美術館MoMAでの大林監督の個人映画(8mm、16mmフィルム)上映後のティーチインで監督は集った若い観客たちに「君たちは映画に、何を求めますか?」と問うたという。2つの答えが帰ってきた。1つ目は【Never Give Up】……夢や希望を信じ、諦めない。2つ目は【Make Philosophy】……映画でことを考える。哲理を得る。正に「いつか見た映画館」はそういう本であり、改めて映画とは人生の教科書であり、知恵の宝庫だなぁと感じ入った次第である。

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2017年5月14日 (日)

【いつか見た大林映画】第1回「発端」(最新作「花筐」から「転校生」「時をかける少女」へタイムリープ)

今年4月、大林宣彦監督(79歳)のライフワークである檀一雄原作の映画「花筐(はなかたみ)」が完成し、都内で0号試写(スタッフ、キャストを中心とした内輪のみの上映)が行われた。2人のフィルムメーカーのツィートをご紹介しよう。

その関連記事を読んで初めて知ったのだが、2016年8月末、佐賀県唐津市での「花筐」のクランクイン直前に大林監督は「肺癌で余命3ヶ月」と宣告されたという。ところが病院から処方された新薬が劇的な効果をもたらし、ガンの進行は阻止され、撮影・編集を経て映画は無事仕上がった。また大林監督は2010年に突然の心臓発作で倒れ、左胸に「ペースメーカー」の埋め込み手術を受け、九死に一生を得ている。

劇場用映画デビュー作「HOUSE ハウス」(1977)より前に桂千穂による「花筐」のシナリオは既に完成しており、大林監督が最初からこれと、福永武彦の小説「草の花」を映画化したいと想い続けているという話はファンの間では有名で、僕も四半世紀以上前から知っていた。例えば映画「異人たちとの夏」(1988)の風間杜夫が住むマンションや、「ふたり」(1991)の石田ひかりの部屋の本棚には、密やかに「花筐」と「草の花」が並べて置かれていた(DVDでしっかり確認出来る)。

構想から40年という歳月を経て漸く大林映画「花筐」は実現した。しかし、これが遺作になる可能性が十分ある。覚悟はしておかなければならない。夢にまで見た大林映画「草の花」には、まだ間に合いますか?いや、もしかしたらもう無理かも知れない……。

居ても立ってもいられない気持ちになった。そして今こそ「僕の物語」を語っておかなければという切羽詰まった衝動に駆られたのである。

この不定期連載【いつか見た大林映画】が完結するまでどれくらい時間を要するか現時点では判らない。きっとライフワークになるだろう。僕はについて語ろうと想う。

たとえ肉体が滅んでも 人はいつまでも誰かの心の中に
その人への想いとともに 生き続けている
だから の物語は いつまでも語り続けなければならない
(映画「HOUSE ハウス」より)

僕と大林映画の出会いは、忘れもしない今から34年前ー1983年5月4日、日本テレビ「水曜ロードショー」で放送された「転校生 」だった。解説は”シベ超”(映画「シベリア超特急」)のマイク・ミズノこと、水野晴郎。大林宣彦自ら再編集し、タイトルにも「TV版」と付記して放送された。当時の大林監督の劇場用映画では冒頭部に必ず「A MOVIE」と表示されたが、本作の冒頭は「A TELEVISION」と銘打たれていた。また臨海学校に行く場面で、劇場版にはない音楽(シベリウス「カレリア」組曲〜行進曲)が追加されていたりもした。僕はこの時16歳、岡山県岡山市に住む高校2年生。遊びに行っていた祖母の家で観た。

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その頃は「駅馬車」「風と共に去りぬ」「嵐が丘(ウィリアム・ワイラー監督)」「北北西に進路を取れ」「第三の男」「赤い靴」「道」「太陽がいっぱい」「禁じられた遊び」「サウンド・オブ・ミュージック」など欧米の映画ばかり観ていた。しかし「転校生」のお陰で「日本の監督にも面白い映画を撮る人がいるんだな」と見直した。

初めて見るのに、何だか懐かしい広島県尾道市の風景。【尾道三部作】のスタートであり、【古里(ふるさと)映画】の原点でもある(「花筐」のシナリオも【唐津古里映画】と銘打たれている)。映画冒頭部と終結部は黒白(black and white)で、男女の入れ替わりが起こると総天然色(color)になる。これがMGM「オズの魔法使い」のひそみに倣ったということは後年知ることになる。因みに「時をかける少女」の原田知世の部屋には「オズの魔法使い」のジュディ・ガーランドのポスターが貼ってある。また「転校生」の主人公・一夫(尾美としのり)の家の塀には「駅馬車」のポスターが貼られており、これが時間の経過とともに「アパッチ砦」→「ラスト・シューティスト」と替わってゆく。3作ともジョン・ウエイン主演であり、「駅馬車」が出世作、「ラスト・シューティスト」が遺作になる。あと病弱で足の悪い少女を演じた柿崎澄子が何だか心に残った。柿崎は後に大林映画「さびしんぼう」や「姉妹坂」に出演し、「野ゆき山ゆき海べゆき」で芸能界を引退した。

この年の7月16日から角川映画「時をかける少女」が上映された。併映は薬師丸ひろ子、松田優作主演「探偵物語」。「転校生」がオン・エアされた時点で既に「時かけ」の予告編がばんばん巷に流布していたので「これは絶対観に行かねば」と心に決めた。【尾道三部作】の第二作になるとはゆめゆめ知らずに。

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夏休み、僕は天満屋バスステーション斜め向かいジョリービル地下にあった映画館「岡山セントラル」で「時かけ」を観た。ここは1991年9月27日に閉館した。

映画は「転校生」同様に黒白(black and white)で開始され、雪国の”不思議な星空”に流れ星が流れる。スキー合宿を終えた生徒たちは列車に乗り帰途に就く。すると車窓の菜の花畑が次第に色づきフルカラーとなってメイン・タイトル「時をかける少女」が出現、そこに原田知世のシルエットが浮かび上がる!もうここまで観た時点で、人いきれでむせ返る満席の映画館で僕は滂沱の涙を流していた。「青春デンデケデケデケ」で言うところの【電気的啓示(electric revelation)】を受けたのである。そして胸に誓った「この監督に僕は一生ついていこう」と。その少年の日の約束は34年を経たいまも守られている。

主題歌の作詞・作曲はユーミンこと松任谷由実、本編の音楽は旦那の松任谷正隆。実はこの劇伴、映画「ある日どこかで」のジョン・バリーの音楽にそっくりなのである。大林監督は事前に参考資料として「ある日どこかで」を正隆に観せていた。

「時をかける少女」は世紀の傑作であり、後の映画作家たちに多大な影響を与えた。例えば細田守監督の同名アニメーション映画は明白な大林版の続編である。原田知世演じる芳山和子は細田版で”魔女おばさん”として登場。細田は原田知世にその声をオファーしたのだが、断られている。そして大林は細田のことを「映画の血を分けた息子」と言っている。

ミュージカル仕立ての「時かけ」カーテンコールは正に至福の時と言えるだろう。ももいろクローバーZが主演し本広克行が監督した映画「幕が上がる」(2015) のエンドロールは完璧にそのオマージュに仕上がっている。ももクロのメンバーがフィックス(固定)されたカメラに向かって走ってきて微笑むラストシーンも「時かけ」の原田知世そっくりという念の入れようだ。

「時かけ」の最後、原田知世と高柳良一は11年後に再会するが、記憶が消去されており、互いに認識知ることが出来ない。大学の廊下ですれ違ってふと何かを感じるが、噛み合わない視線。それがそっくりそのまま新海誠監督「君の名は。」で再現されている。糸森町に隕石が衝突して8年後、雪の降る東京の場面である。そもそも「君の名は。」の男女入れ替わりは「転校生」を彷彿とさせるし、新海監督「秒速5センチメートル」の踏切のシーンも明らかに「転校生」の影響を受けている。

そうそう、この「時かけ」の11年後の場面で、逆ズームという撮影法が印象的に用いられている。これはスピルバーグが「ジョーズ」や「E.T.」でもやっているが、もともとはアルフレッド・ヒッチコック監督が「めまい」で生み出したもの(撮影監督はロバート・バークス)。日本で初めて試み、逆ズームと命名したのは大林監督である。

また大根仁監督「モテキ(TV版)」にも「時かけ」のパロディがあることを最後に付け加えておこう。

TO BE CONTINUED...

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2016年9月14日 (水)

大林宣彦監督とその【映画の血を分けた息子たち】

檀一雄原作、大林宣彦監督の映画「花筐(はなかたみ)」が佐賀県唐津市で現在、撮影中である。

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これは監督のライフワークであり、桂千穂と共同執筆したシナリオは既に40年前に完成していた。当初出演者は全員ファッションモデル、台詞は声優による吹替、という企画だった。16mm自主映画(アンダーグラウンド・ムービー)の旗手、CMディレクターとして華々しく活躍していた監督が劇場映画デビュー作として考えていたものだった。しかし純文学の映画化という地味な企画は中々進捗せず、結局「HOUSE ハウス」(1977)が第1作となる。

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「HOUSE ハウス」に檀一雄の娘・檀ふみが友情出演しているのは「花筐」の縁である。

大林監督にはもうひとつライフワークがある。福永武彦の小説「草の花」の映画化である。「さびしんぼう」の後、尾美としのりと富田靖子の主演で企画されたが、こちらも頓挫した。

僕は18歳の時に大林映画「廃市」(1983)を観て、その原作者・福永武彦を知った。20代は福永の小説を読んで過ごした(全小説を読破した)。そして「草の花」の舞台となった東京都大森駅近くの暗闇坂、清瀬市にある国立療養所東京病院、信濃追分、伊豆西海岸の戸田などを訪ね歩いた。正に新海監督「君の名は。」でいうところの聖地巡礼である。その詳細は「福永文学と草の花」としてWebに上げている。

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映画「ふたり」のラスト、原稿を書いている石田ひかりの部屋の本棚にはひそやかに「花筐」と「草の花」が置かれていた。その主題歌「草の想い」(作詞:大林宣彦、作曲:久石譲)の歌詞には「花の形見」という言葉があって、「草の想い」と併せると「くさのはな」「はなかたみ」という言葉が全て隠されている。それから記憶が定かではないが、確か「異人たちの夏」の風間杜夫の部屋にも「花筐」と「草の花」があった筈。

大林監督は現在78歳。果たして映画「草の花」は実現するだろうか?第二次世界大戦中の東京が舞台となるので、もし忠実に再現するならオープンセットに膨大なお金が掛かるだろう。大ヒットも期待出来ない。なかなか難しいところである。

さて、「バケモノの子」の細田守監督は大学生の時に学園祭で「大林宣彦ピアノ・コンサート」を企画したという過去があり、大林監督は彼のことを【映画の血を分けた息子】と言っている。細田版「時をかける少女」(アニメ)は事実上、大林版「時をかける少女」の後日談であり、大林版のヒロイン芳山和子は細田版で「魔女おばさん」として登場する。細田はその声優として大林版と同じ原田知世を希望したが、断られたそう。

新海誠監督のアニメに大林映画「転校生」「時をかける少女」が与えた影響については既に書いた。

高橋栄樹監督が撮ったAKB48のミュージック・ビデオ(MV)「永遠プレッシャー」(島崎遥香センター)は「HOUSE ハウス」へのラブ・レターである。また大林監督がAKB48「So long !」MVを撮った時、高橋監督は手弁当で撮影現場に馳せ参じ、手伝ったという。

「踊る大捜査線」「サマータイムマシン・ブルース」の本広克行監督はももいろクローバーZ主演の映画「幕が上がる」を撮るにあたり、大林宣彦と山田洋次が若手の監督を呼んで語り合う「渋谷シネマ会」に参加し、アイドル映画を撮る極意について指南を仰いだ(詳細はこちら)。大林監督からの助言は「(被写体を)愛すればいいんだよ」だったという。そして「幕が上がる」のミュージカル仕立てのカーテンコールは「時をかける少女」へのオマージュになっている。

現在映画「青空エール」が公開中の三木孝浩監督も熱狂的な大林映画ファンだ。高校生の時に大林監督の「ふたり」をどうしても観たくて修学旅行先の東京で集団行動から抜けだし映画館に行ったそう。また尾道三部作への愛も告白している→こちら。三木監督の「陽だまりの彼女」は「HOUSE ハウス」にインスパイアされているし(化け猫映画)、「ホットロード」は三木版「彼のオートバイ、彼女の島」であり、「くちびるに歌を」には「ふたり」「はるか、ノスタルジィ」の石田ひかりが登場し、オルガンを弾く。また彼は「敬愛する大林宣彦監督のように、いずれ古里(徳島)を舞台にした映画を撮影したい」と語っている→徳島新聞の記事へ。

僕は長年、大林監督が映画「草の花」を撮る日を待ち続けてきた。でも、もし監督がその想いを果たせなかっとしても、今では沢山の立派な【映画の血を分けた息子たち】が第一線で活躍しているので、彼等のうちの誰かがきっと実現してくれるだろうと信じる。アニメーションによる「草の花」も観てみたい気がするな。

たとえ肉体が滅んでも、人はいつまでも誰かの心の中に、その人への想いと共に生き続けている。だから、愛の物語はいつまでも語り継がれていかなければならない。 愛する人の命を永久に生きながらえさせるために。永久の命、失われることのない人の想い、たったひとつの約束、それは愛。(映画「HOUSE ハウス」より)

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2014年5月21日 (水)

大林宣彦監督「野のなななのか」

評価:A+

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5月17日(土)映画公開初日に鑑賞。公式サイトはこちら

この空の花 ー長岡花火物語」と、その続編ともいうべきアイドル・グループAKB48のために大林監督が撮ったMV「So long ! 」、そして本作は3部作と言えるだろう。共通するテーマは3・11、福島原発事故、そして先の戦争(大東亜戦争/太平洋戦争/第二次世界大戦)。3・11の衝撃を経て、大林監督が若い世代にどうしても伝えておきたいこと、言い残したいことを吐露した、いわば遺言であり「老人映画」でもある。

品川徹演じる主人公は3月11日14時46分に他界する。言うまでもなく東日本大震災が発生した日、その時刻である。時計は14時46分で止まっているが、映画の終盤に動き始める。この演出は大林監督の「廃市」(1983、原作:福永武彦)でもあった。また絵が燃える場面は「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群れ」(1988)で映画館の看板が燃える場面を、常盤貴子が電車に乗る場面は「廃市」や「おかしなふたり」を、安達祐実が死ぬ間際の姿は「はるか、ノスタルジィ」(1993)の石田ひかりを、またパスカルズ演じる野の楽師たちが楽器を演奏しながら練り歩く情景は「おかしなふたり」のチンドン屋を想起させた。これは黒澤明監督「夢」の最後のエピソード「水車のある村」にも繋がっている。ちなみに大林監督は「夢」のメイキングを撮っている(僕はレーザーディスクを所有)。さらに「野のなななのか」で斉藤とも子が演じる住職の妻の名前は橘百合子。な、なんと「さびしんぼう」で富田靖子が演じた少女の役名ではないか!!「さびしんぼう」のラストシーンで富田靖子は住職となった尾美としのりの妻として、その傍らに座っている。つまり文字通り本作は大林映画の集大成なのである。ちなみに斉藤とも子は「金田一耕助の冒険」以来、実に35年ぶりの大林映画出演となった。

現在32歳の安達祐実が16歳の役を演じるという驚天動地。ちょうど半分だぜ!?それでもちゃんと16歳に見えるのだから唖然とした。彼女のデビュー映画は「REX 恐竜物語」(1993)。これは角川春樹が監督を務めたが、そもそも大林監督は「金田一耕助の冒険」「ねらわれた学園」「時をかける少女」「少年ケニア」「天国にいちばん近い島」「彼のオートバイ、彼女の島」と6本の角川映画を撮っている。だから彼女が主演する映画を撮っていても全然不思議ではなかったわけで、ニアミスだったのだ。

僕は今まで常盤貴子が大嫌いだったのだが、本作の彼女は妖しく美しかった。まさに大林マジック。恐れ入った。

北海道の芦別を舞台に、炭鉱の過去と現在、原発などエネルギー問題、カナディアンワールドという寂れたテーマパーク(北海道に赤毛のアンの家!?)に象徴される日本の「まちおこし」ならぬ「まち壊し」、大都市一極集中の一方で過疎化する地方の問題、1945年8月15日(終戦記念日)以降も続いていた樺太での戦争(対ソ連)などが重層的多角的に語られる。前作「この空の花」ではそれがカオス(混沌)を形成していたのだが、本作ではむしろ静謐にまとまっている。ジャーナリスティックなシネマ・エッセイに留まらず、輪廻転生や芸術論まで交わされ作品は無限の広がりを見せるのだ。

過去と現在、生者と死者が同居するワンダーランド=シネマ・ゲルニカ。これぞ大林映画の真骨頂である。

最後に、大林監督はこれが遺作でも構わないと考えておられるフシがあるが、ファンは未だ映画「草の花」(原作:福永武彦)を諦めておりませんよ、と申し添えておく。

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2013年11月27日 (水)

大林映画の子供たち~細田守、高橋栄樹、そして三木孝浩「陽だまりの彼女」

アニメーション映画「おおかみこどもの雨と雪」の細田守監督(1967年生まれ)は大学生の時に学園祭で「大林宣彦ピアノ・コンサート」を企画したという過去があり、大林監督は細田監督のことを「映画の血を分けた息子」と言っている。細田版「時をかける少女」(アニメ)は事実上、大林版「時をかける少女」の後日談となっている。

AKB48のミュージック・ビデオ(MV)を最も多く撮っている高橋栄樹監督(1965年生まれ)は今年10/29のツィートで次のように書いている。

僕が思うAKB48最高のMVは、大林宣彦監督の「So long!」(全長版)。

高橋監督は「So long !」撮影現場に、手弁当で手伝いに馳せ参じたそうだ(これはツイッターで監督から直接伺った)。高橋監督作品であるAKB48「永遠プレッシャー」MVは明らかに大林映画へのオマージュである。冒頭、ぱるる(島崎遥香)が吊り橋を渡って登場するのは大林監督の劇場映画デビュー作「HOUSE ハウス」だし、アニメーションとの合成、眼が光ったりするのは「ねらわれた学園」、そしてサイレント映画風字幕挿入、円形でワイプする編集も大林映画を連想させる。

さて、「陽だまりの彼女」だ。

評価:B+ 映画公式サイトはこちら

三木孝浩監督(1974年生まれ)も熱狂的な大林映画ファンのようである。高校生の時に大林監督の「ふたり」をどうしても観たくて修学旅行先の東京で集団行動から抜けだし映画館に行ったそうだ(記事は→こちら)。また尾道三部作への愛も告白している→こちら

以下ネタバレあり。

映画の冒頭、大きなワイドスクリーンの中に小さな4:3サイズの画面が現れ、8mm映像が映し出される。僕は「いきなり『転校生』かよ!」と嬉しくなった。大林映画を愛する「同志」にめぐりあった気分。そして猫が登場。猫は尾道三部作にも出てくるし、大林映画の重要なアイテムだ。大林監督は「HOUSE ハウス」や「麗猫伝説」といった化猫映画も撮っている。 ……といういわけで、僕はかなり早い段階から「彼女」の秘密の真相に気が付いた。つまり「陽だまりの彼女」は「時をかける少女」を化猫映画のスタイルで撮った作品だったのである。

主人公が幼少時に負った手の傷跡(=絆)を大切な想い出としている点で「陽だまりの彼女」と「時をかける少女」は共通している。しかもご丁寧なことに傷の位置まで全く同じなのだ。また「彼女」が立ち去る時、彼女に関わった人間全ての記憶が消えるという設定、エピローグで別の人間として再びめぐりあうというのも一緒。「彼女」は水族館で泳ぐ魚を見て「美味しそう」と言うが、同じ台詞を「HOUSE ハウス」のおばちゃま(南田洋子)が集まった娘たちを見て呟く。また、ふたりが高い丘の上から海を見下ろす場面は映画「ふたり」や「はるか、ノスタルジィ」を彷彿とさせる。映画終盤には「さびしんぼう」の重要なガジェット(小道具)・自転車も登場。つまり本作は徹頭徹尾、大林宣彦へのラブレターとなっているのだ。恐れ入った。

松本潤や上野樹里といった旬の(”トレンディ”は死語?)役者を使い、”お洒落な恋愛映画”を偽装しつつ、その実「大林映画万歳!」という化猫映画を撮ってしまった三木監督はしたたかだ。アッパレなり。

大林映画との決定的違いはキス・シーンが多いことかな?大林ヒロインは滅多なことではキスしない。ストイックなのだ。

ミステリアスなヒロインを演じた上野樹里が素晴らしい。彼女の代表作といえるだろう。「虹の女神」も良かったが、本作ではそれを上回る魅力を放っている(彼女は常に、背後から陽の光を浴びて逆光で現れる)。上野が身につけるファッションもお洒落で○。また大倉孝二、谷村美月ら脇役も好演。

それにしても細田監督「おおかみこどもの雨と雪」と三木監督「陽だまりの彼女」が”獣(けもの)の変化(へんげ)と人間の恋”を描くというテーマで一致しているのは興味深い。

三木孝浩監督の次回作は能年玲奈主演の「ホットロード」。きっと三木版「彼のオートバイ、彼女の島」になるだろうと期待する。

大林映画の遺伝子を継ぐ”息子”たちが現在第一線で活躍するようになった。頼もしい限りである。デビュー当時から大林監督が映画化を希い、未だ実現していない福永武彦の小説「草の花」。現在75歳の大林監督には残された持ち時間が少なくなって来た。仮に大林監督が無理だったとしても、”息子”たちがその意志を継いでくれるかも知れないなと、僕は「陽だまりの彼女」を観ながら将来に希望を持った。

たとえ肉体が滅んでも 人はいつまでも誰かの心の中に
その人への想いとともに 生き続けている
だから 愛の物語は いつまでも語り続けなければならない
(映画「HOUSE ハウス」より)

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2013年3月 2日 (土)

再びAKB48「So long ! 」MVについて/大林宣彦 擁護論

この記事は下記を補完するものである。

予想された通り、「So long !」発売後、ミュージック・ビデオ(MV)の内容を廻り、賛否両論熱いバトルが展開されている。意外だったのは肯定派が多かったこと。僕は3:7くらいで否定的意見が大勢を占めるのかと想像していたのだが、蓋を開けてみると概ね〈50/50 フィフティ・フィフティ〉かな?Amazonレビューを見ても気持ちいいくらい意見が割れている。

しかし考えてみると、これだけの論争を巻き起こす作品って最近では劇場公開映画でも滅多にお目にかかれないのではないだろうか?「話題になってこそナンボ」だ。無難な凡作に価値はない。この異形の問題作を世に出すと決めた秋元康プロデューサーの勝利と言えるだろう。

AKBヲタの代表として、漫画家・小林よしのり氏の意見をご紹介しよう→こちら! ちなみによしりん先生は元々、大島優子推しだったが、最近は市川美織(みおりん)や渡辺美優紀(みるきー)に傾いているみたい。ご本人はDD(誰でも大好き)と仰っているけれど。

「こんなクソMV撮りやがって。大林宣彦を絶対許せない!」と怒り、嫌悪しているヲタたちの意見をざっと読んでみると、彼らの非難は概ね以下に要約できるのではないだろうか。

  • 合成(特撮)がチープ
  • 内容が説教臭く、ウザい
  • 画面が暗く、メンバーたちの顔がよく見えない

全く仰る通り、ごもっともだ。アイドルMVの役割は彼女たちをより可愛らしく、魅力的に描くことであり、彼女たちがはち切れんばかりの笑顔で飛び跳ねている姿を見て「萌え~」っとなることだと定義するなら、「So long ! 」は余りにもかけ離れた存在であり、そういう意味では明らかに失格だろう。

しかし古くからの大林映画フリークの立場から観ると、これは立派な64分の映画(A MOVIE)である。大林監督は16mm個人映画「EMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ」(1967)を撮った頃からちっとも変わっておらず、アヴァンギャルド(前衛芸術)精神を貫いているなぁと嬉しくなる。勿論、それをアイドル相手にしていいことなのか?俺たちには関係ねーよ、と言われたら返す言葉はない。つまり「So long ! 」MVは本来存在してはならない、禁断の果実なのだ(←ヲタにとっては”腐った果実”だろう)。

それでは各項目について擁護を始めよう。

「合成がチープ」 : 好き嫌いは別にして、これは映像作家・大林宣彦のスタイルである。商業映画デビュー作「ハウス HOUSE」から、「ねらわれた学園」「漂流教室」「水の旅人」「この空の花 -長岡花火物語」もみなそう。要するにわざとなのだ。「映画とは花も実もある絵空事」であり、電気紙芝居なんだよというメッセージである。それが嫌という人がいるのは当然だろう。元々縁がなかったんだね、と諦めて貰うしかない。前田敦子には沢山のファンがいたけれど、それに匹敵するだけアンチがいた。それと同じ事。アンチを産まないものは大したことないのである。

「内容が説教臭く、ウザい」 : 「So long !」という作品は「この空の花」の続編であり、前作のエッセンスを凝縮し、戦争・爆弾・花火・大震災・原発事故を結ぶ教育映画なのだ。「何でアイドル使ってそんなことするんだ?」って疑問に想うのは当たり前だろう。「花がれき」とか、長岡市が震災がれきを受け入れた意義とか、いまどうしても伝えたいことが沢山あった。そうした要素が詰め込まれた密度の濃い作品に仕上がっている。AKB48も被災地の復興をテーマにした「風は吹いている」を歌い、支援するミニ・コンサートをこの2年間、毎月現地で行なってきた。中々出来る事じゃない。そんなアイドル、他にいる?つまり大林監督とAKB48両者の被災地復興への願い、”未来”への”夢”がひとつに結びついたのが本作なのだ。その想いこそ、僕はしっかりと受け止めたい。

「画面が暗く、メンバーたちの顔がよく見えない」 : 原田知世主演「時をかける少女」とか石田ひかり主演「ふたり」の時代、大林映画の照明はしっかり当たっていた。しかし確かに「So long !」の照明は不十分で、例えば「天国の日々」「ツリー・オブ・ライフ」のテレンス・マリック監督みたいに、レフ板を使用せず自然光だけで撮っているんじゃないかと想われる場面もある。どうしてなんだろう?と僕はしばし考えた。

大林監督は生者と死者が同居する映画を撮り続けてきた。「ふたり」「あした」「異人たちとの夏」「この空の花」などがそれに該当する。監督は2010年に心臓を患い、手術を受けた。僕が推測するに生死を彷徨ったその体験以降、作風はより一層、死者の側に引き寄せられたのではないか?こうして画面は沈んでいった。本作は棺桶に片足を突っ込んだ老人(75歳)が、若者に託した遺言みたいなものだ。死んだ妻を取り戻すために冥府に入ったギリシャ神話のオルフェウスとか、監督が愛してやまない福永武彦最後の小説「死の島」で喩えるなら、現世と「死の島」を行き来するカロンの艀(はしけ)に乗った情景を想像してみて欲しい。あの感覚だ。あっ!そういえば小説「死の島」は広島で被爆した女性がヒロインだった。「この空の花」「So long !」に繋がっている。

Tod2

「So long !」は生者と死者だけではなく、過去と現在、フィクションとドキュメンタリーも同居している。つまりメタフィクション (Metafiction)でもある。この混沌(Chaos)こそ、本作の真髄と言えるだろう。そこには暴走老人の狂気すら感じられるのである。

だから「So long !」を観た、健康な若い人たちが「意味が分からない」「得体が知れない」「不気味だ」と戸惑うのはごく自然な反応である。それでいいんだ。

大林宣彦、空恐ろしいアーティストである。

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