宙組の存亡をめぐって宝塚歌劇団への提言
宙組は1998年1月1日に創設された宝塚歌劇団5番目の組である。大劇場お披露目公演は『エクスカリバー』と『シトラスの風』(NHK BSの放送を観た)。そして同年10月から上演された『エリザベート ー愛と死のロンドー』が僕の宝塚初観劇となった。出演は姿月あさと、花總まり、和央ようか、湖月わたる、朝海ひかる ほか。
・ エリザベートの想い出 2007.06.18
その後何度も大劇場に足を運び、街そのものが気に入って現在は宝塚市に住んでいる。わが家のベランダからは大劇場を望むことが出来る。
・ 宝塚生活始まる。 2013.07.18
最近書いた宙組のレビューは以下。
・ 真風涼帆(主演)宝塚宙組「アナスタシア」と、作品の歴史を紐解く。 2020.12.02
・ 真風涼帆/潤 花(主演)宝塚宙組「カジノ・ロワイヤル ~我が名はボンド~」は駄作!(原作小説/映画版との比較あり) 2023.04.06
2023年9月末、宙組に所属する25歳の劇団員が死亡した問題で歌劇団は11月14日にいじめやパワハラは確認できなかったとする調査報告書の内容を公表した。亡くなった劇団員が上級生からヘアアイロンを押し当てられ火傷を負わされたことについては「日常的にあること」とし、故意だと主張する遺族に対して村上浩爾 ・現理事長が「証拠となるものをお見せいただけるよう」と発言して世間から猛批判を浴びた。余りにも冷酷で、思いやりに欠けた仕打ちである。世の中の企業倫理や社会規範からかけ離れた態度であり、自分たちがなぜ非難されているのか、全く分かっていない。「浮世離れ」と言い換えても良いだろう。組織と、生きている現役劇団員たちを守ることに汲々としている。
特に23年9月7日、ジャニー喜多川による性加害問題で外部の専門家による再発防止のための特別チームが出した調査報告書が画期的内容だっただけに、かえって宝塚歌劇団の事なかれ主義・隠蔽体質が浮き彫りにされる形となった。
僕は座付演出家だった原田諒のケースを思い出した。原田は2022年12月、演出助手にハラスメントをしたとする記事が『週刊文春』に掲載されることを理由に、事実関係を十分調査されないまま歌劇団から何度も退団を迫られ、受け入れざるを得ない状況に追い込まれた。無実を主張する原田は23年4月7日歌劇団に従業員の地位確認を求める訴えを神戸地裁に起こし、さらに同年『文藝春秋』6月号において手記を掲載し反論した。僕はそれを読むまでは演出助手が女性だと勘違いしていたのだが実は男性で、OGの真矢みきから原田が直々に面倒を見てほしいと頼まれたのだそう(以下の発言内容はこちらの記事から引用)。
木場健之(こばけんし)理事長(当時)は2022年12月5日に原田に次のように言った。「A(演出助手)の母親が、あなたを宝塚歌劇団から出さなければ、10日の土曜日に文春に情報を渡すと言ってきた。土曜に情報を渡せば、月曜日には記事にしてもらえるらしい。もう記者ともコンタクトを取っていると言っている。Aの脅しを免れるために、9日付であなたは阪急電鉄の創遊事業本部に異動してもらうことに決定した」「個人的に言わせてもらうなら、自主退職という道もある。(中略)異動はもう決まったことだから。業務命令!」
こうして懲罰委員会が開かれることもなく、原田は退職勧奨を受けた。つまり助手Aが主張するハラスメント行為があったのか事実関係が一切検証・精査されることなく、マスコミにスキャンダルをばら撒くぞ!という脅しに歌劇団は怯え相手の言いなりになり、原田を切り捨てたのである。「組織を守る」ことだけに心をとらわれ視野狭窄に陥り、そのため「臭いものにはフタをしろ!!」というなりふり構わぬ姿勢がにじみ出ており、今回の自死事件でも同じことが繰り返されたと言えるだろう。で、原田を切ったが結局文春にネタは売られたわけで、いい面の皮だ。
今まで観劇した原田演出作品のレビューは以下の通り。
・ 宝塚バウ・ミュージカル「ノクターン -遠い夏の日の記憶-」 2014.06.29
・ 轟悠は宝塚の高倉健である。「ドクトル・ジバゴ」@シアター・ドラマシティ 2018.02.14
・ 彩風咲奈・朝月希和(主演)宝塚雪組「蒼穹の昴」 2022.10.14
そもそも宝塚歌劇団は自らの組織を「学校」として捉えており、劇団員のことを「生徒」と呼び、退団を「卒業」と称する。そこに根本的な欺瞞がある。「生徒」だから「学校」が守ならければならないと信じ、内部の情報が外部に漏れることを極度に恐れる。「生徒」だからいじめやパワハラがある筈がない。「清く正しく美しく」がモットーなのだから。「外部漏らし」はご法度であり家族にも相談出来ない。「校則(おきて)」を守らないものは糾弾され、皆の前で「すみませんでした!」と繰り返し謝罪を強いられる。そしてそれを劇団は「上級生による指導の範疇」と自分たちにとって都合よく解釈する。
ファンは宝塚大劇場を「ムラ」と呼称する。言い得て妙で、この表現は因習にとらわれた劇団の閉鎖性を象徴している。世間から見れば「非常識」「時代錯誤」でも内部にいる人には見えないのだ。
元宝塚男役の七海ひろきはユーチューブに動画を投稿し、宝塚歌劇団は「浮世離れして外の世界から孤立」した場所で「この状況は、時代に合わせて変化出来ないまま109年続いてきた歴史の積み重ねによるものではないか」「劇団が誠実に向き合って本気で改革に取り組むことを心から願っています」と語った。彼女の勇気ある発言に心からエールを送りたい。
当初劇団は11月14日の調査報告書公表で幕引きを図り、宙組の東京公演を実施する腹づもりでいた。しかし世論がそれを許さず、11月17日にとりあえず同月25日から12月14日まで公演を中止すると発表した。だからこの時点でもあわよくば後半をやりたいと画策していたわけだ。12月24日の千秋楽まで全日程の中止を決めたのは漸く12月5日である。見通しが甘く、遺族と世間を舐めていると言わざるを得ないのが現状である。
では遺族も世間も納得させる最善の選択肢はなんだろう?まず第一に劇団がパワハラといじめがあった事実を素直に認めること(当たり前だ)。そして亡くなった劇団員を火傷させた上級生と、深夜に彼女を長時間叱責した宙組幹部(組長ら)が遺族に謝罪し、責任を取って退団すること。これは必須だろう。さらに宙組を解体する。以下のような事例からそれが妥当と考える。
1)日本大学はアメリカンフットボール部の違法薬物事件を受けて、廃部の方針を固めた。腐った組織は解体するのが一番スッキりするし、一部の膿を切開排膿することは残りの母体を守ることに繋がる。
2)〈絶対的センター〉の平手友梨奈が脱退し、ガタガタになったアイドルグループ『欅坂46』をソニー・ミュージック・エンターテイメントおよび秋元康は「終わらせる」決断を下し、新たに『櫻坂46』として再編した。
1997年まではそもそも花・月・雪・星の4組しかなかったわけで(劇団員の総数もその後増えていない)、出直しという意味で原点回帰してもよいのではないだろうか?また『欅坂46』が『櫻坂46』に生まれ変わったように(今年のNHK紅白歌合戦出場も決まった)、宙組を一旦終わらせ新たな組を創設する手もあるだろう。活動再開もままならない現状を打破するには思い切った改革が必要だ。
荻田浩一(『パッサージュ -硝子の空の記憶-』)・上田久美子(『翼ある人々 -ブラームスとクララ・シューマン -』)そして原田諒。才能に溢れ、将来を嘱望されていた若手の作・演出家たちが次々と宝塚を離れ、残ったのは藤井大介・植田景子・生田大和といった凡庸な人たちばかり(大御所:小池修一郎は除く)。藤井や植田が演出する演目は詰まらないので、僕はそれらの観劇を避けるようにしている。
11月30日発売の週刊文春は同月中旬、藤井大介が稽古場のある宝塚大劇場内の5階リフレッシュコーナーに酒を持ち込み生徒に勧めた、と報道。歌劇団は「酒類を持ち込んだことは事実」と認めた。 そして12月1日、藤井は理事を辞任した(歌劇団は「個別の理事の退任理由については公表を差し控える」とマスコミの取材に答えた)。 また植田は最近自身のインスタグラムで、亡くなった劇団員や遺族に対して一言もお悔みを述べることなく「報道が真実を見えなくしている」とメディア批判を展開し、物議を醸している。やれやれ……。
ずたぼろの宝塚歌劇団だが、原田の名誉が回復され、彼が復帰することを僕は心から待ち望む。パンドラの箱は開かれたが、希望はまだある。そう信じたい。
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