宝塚便り

2023年12月15日 (金)

宙組の存亡をめぐって宝塚歌劇団への提言

宙組は1998年1月1日に創設された宝塚歌劇団5番目の組である。大劇場お披露目公演は『エクスカリバー』と『シトラスの風』(NHK BSの放送を観た)。そして同年10月から上演された『エリザベート ー愛と死のロンドー』が僕の宝塚初観劇となった。出演は姿月あさと、花總まり、和央ようか、湖月わたる、朝海ひかる ほか。

 ・ エリザベートの想い出 2007.06.18

その後何度も大劇場に足を運び、街そのものが気に入って現在は宝塚市に住んでいる。わが家のベランダからは大劇場を望むことが出来る。

 ・ 宝塚生活始まる。 2013.07.18

最近書いた宙組のレビューは以下。

 ・ 真風涼帆(主演)宝塚宙組「アナスタシア」と、作品の歴史を紐解く。 2020.12.02
 ・ 真風涼帆/潤 花(主演)宝塚宙組「カジノ・ロワイヤル ~我が名はボンド~」は駄作!(原作小説/映画版との比較あり) 2023.04.06

2023年9月末、宙組に所属する25歳の劇団員が死亡した問題で歌劇団は11月14日にいじめやパワハラは確認できなかったとする調査報告書の内容を公表した。亡くなった劇団員が上級生からヘアアイロンを押し当てられ火傷を負わされたことについては「日常的にあること」とし、故意だと主張する遺族に対して村上浩爾 ・現理事長が「証拠となるものをお見せいただけるよう」と発言して世間から猛批判を浴びた。余りにも冷酷で、思いやりに欠けた仕打ちである。世の中の企業倫理や社会規範からかけ離れた態度であり、自分たちがなぜ非難されているのか、全く分かっていない。「浮世離れ」と言い換えても良いだろう。組織と、生きている現役劇団員たちを守ることに汲々としている。

特に23年9月7日、ジャニー喜多川による性加害問題で外部の専門家による再発防止のための特別チームが出した調査報告書が画期的内容だっただけに、かえって宝塚歌劇団の事なかれ主義・隠蔽体質が浮き彫りにされる形となった。

僕は座付演出家だった原田諒のケースを思い出した。原田は2022年12月、演出助手にハラスメントをしたとする記事が『週刊文春』に掲載されることを理由に、事実関係を十分調査されないまま歌劇団から何度も退団を迫られ、受け入れざるを得ない状況に追い込まれた。無実を主張する原田は23年4月7日歌劇団に従業員の地位確認を求める訴えを神戸地裁に起こし、さらに同年『文藝春秋』6月号において手記を掲載し反論した。僕はそれを読むまでは演出助手が女性だと勘違いしていたのだが実は男性で、OGの真矢みきから原田が直々に面倒を見てほしいと頼まれたのだそう(以下の発言内容はこちらの記事から引用)。

木場健之(こばけんし)理事長(当時)は2022年12月5日に原田に次のように言った。「A(演出助手)の母親が、あなたを宝塚歌劇団から出さなければ、10日の土曜日に文春に情報を渡すと言ってきた。土曜に情報を渡せば、月曜日には記事にしてもらえるらしい。もう記者ともコンタクトを取っていると言っている。Aの脅しを免れるために、9日付であなたは阪急電鉄の創遊事業本部に異動してもらうことに決定した」「個人的に言わせてもらうなら、自主退職という道もある。(中略)異動はもう決まったことだから。業務命令!」

こうして懲罰委員会が開かれることもなく、原田は退職勧奨を受けた。つまり助手Aが主張するハラスメント行為があったのか事実関係が一切検証・精査されることなく、マスコミにスキャンダルをばら撒くぞ!という脅しに歌劇団は怯え相手の言いなりになり、原田を切り捨てたのである。「組織を守る」ことだけに心をとらわれ視野狭窄に陥り、そのため「臭いものにはフタをしろ!!」というなりふり構わぬ姿勢がにじみ出ており、今回の自死事件でも同じことが繰り返されたと言えるだろう。で、原田を切ったが結局文春にネタは売られたわけで、いい面の皮だ。

今まで観劇した原田演出作品のレビューは以下の通り。

 ・ 宝塚バウ・ミュージカル「ノクターン -遠い夏の日の記憶-」 2014.06.29
 ・ 轟悠は宝塚の高倉健である。「ドクトル・ジバゴ」@シアター・ドラマシティ 2018.02.14
 ・ 
彩風咲奈・朝月希和(主演)宝塚雪組「蒼穹の昴」 2022.10.14

そもそも宝塚歌劇団は自らの組織を「学校」として捉えており、劇団員のことを「生徒」と呼び、退団を「卒業」と称する。そこに根本的な欺瞞がある。「生徒」だから「学校」が守ならければならないと信じ、内部の情報が外部に漏れることを極度に恐れる。「生徒」だからいじめやパワハラがある筈がない。「清く正しく美しく」がモットーなのだから。「外部漏らし」はご法度であり家族にも相談出来ない。「校則(おきて)」を守らないものは糾弾され、皆の前で「すみませんでした!」と繰り返し謝罪を強いられる。そしてそれを劇団は「上級生による指導の範疇」と自分たちにとって都合よく解釈する。

ファンは宝塚大劇場を「ムラ」と呼称する。言い得て妙で、この表現は因習にとらわれた劇団の閉鎖性を象徴している。世間から見れば「非常識」「時代錯誤」でも内部にいる人には見えないのだ。

元宝塚男役の七海ひろきはユーチューブに動画を投稿し、宝塚歌劇団は「浮世離れして外の世界から孤立」した場所でこの状況は、時代に合わせて変化出来ないまま109年続いてきた歴史の積み重ねによるものではないか」劇団が誠実に向き合って本気で改革に取り組むことを心から願っています」と語った。彼女の勇気ある発言に心からエールを送りたい。

当初劇団は11月14日の調査報告書公表で幕引きを図り、宙組の東京公演を実施する腹づもりでいた。しかし世論がそれを許さず、11月17日にとりあえず同月25日から12月14日まで公演を中止すると発表した。だからこの時点でもあわよくば後半をやりたいと画策していたわけだ。12月24日の千秋楽まで全日程の中止を決めたのは漸く12月5日である。見通しが甘く、遺族と世間を舐めていると言わざるを得ないのが現状である。

では遺族も世間も納得させる最善の選択肢はなんだろう?まず第一に劇団がパワハラといじめがあった事実を素直に認めること(当たり前だ)。そして亡くなった劇団員を火傷させた上級生と、深夜に彼女を長時間叱責した宙組幹部(組長ら)が遺族に謝罪し、責任を取って退団すること。これは必須だろう。さらに宙組を解体する。以下のような事例からそれが妥当と考える。

1)日本大学はアメリカンフットボール部の違法薬物事件を受けて、廃部の方針を固めた。腐った組織は解体するのが一番スッキりするし、一部の膿を切開排膿することは残りの母体を守ることに繋がる。
2)〈絶対的センター〉の平手友梨奈が脱退し、ガタガタになったアイドルグループ『欅坂46』をソニー・ミュージック・エンターテイメントおよび秋元康は「終わらせる」決断を下し、新たに『櫻坂46』として再編した。

1997年まではそもそも花・月・雪・星の4組しかなかったわけで(劇団員の総数もその後増えていない)、出直しという意味で原点回帰してもよいのではないだろうか?また『欅坂46』が『櫻坂46』に生まれ変わったように(今年のNHK紅白歌合戦出場も決まった)、宙組を一旦終わらせ新たな組を創設する手もあるだろう。活動再開もままならない現状を打破するには思い切った改革が必要だ。

荻田浩一(『パッサージュ -硝子の空の記憶-』)・上田久美子(『翼ある人々 -ブラームスとクララ・シューマン -』)そして原田諒。才能に溢れ、将来を嘱望されていた若手の作・演出家たちが次々と宝塚を離れ、残ったのは藤井大介・植田景子・生田大和といった凡庸な人たちばかり(大御所:小池修一郎は除く)。藤井や植田が演出する演目は詰まらないので、僕はそれらの観劇を避けるようにしている。

11月30日発売の週刊文春は同月中旬、藤井大介が稽古場のある宝塚大劇場内の5階リフレッシュコーナーに酒を持ち込み生徒に勧めた、と報道。歌劇団は「酒類を持ち込んだことは事実」と認めた。 そして12月1日、藤井は理事を辞任した(歌劇団は「個別の理事の退任理由については公表を差し控える」とマスコミの取材に答えた)。 また植田は最近自身のインスタグラムで、亡くなった劇団員や遺族に対して一言もお悔みを述べることなく「報道が真実を見えなくしている」とメディア批判を展開し、物議を醸している。やれやれ……。

ずたぼろの宝塚歌劇団だが、原田の名誉が回復され、彼が復帰することを僕は心から待ち望む。パンドラの箱は開かれたが、希望はまだある。そう信じたい。

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2017年5月29日 (月)

《宝塚便り》サヨナラ公演と白装束

5月29日(月)朝6時45分頃、宝塚大劇場正門前の光景である。

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この日は宝塚雪組公演「幕末太陽傳」の千秋楽で、トップスター:早霧せいなと、トップ娘役:咲妃みゆのサヨナラ公演でもある。

白い服(会服)に身を包んでいるのは、スターの私設ファンクラブの人たちだ。デイリースポーツの報道によると、元トップスターの榛名由梨が1988年(昭和63年)12月31日付で卒業した時にはこのような風習はなかったという。つまり白装束一色に染まるようになったのは元号が平成になって以降ということになる。面白いのは上・下お揃いの白を着ているのがトップのファンだけではないということ。2番手・3番手・4番手などの男役のファンも追従している。

正に日本独特の風景であり、良く言えば「協調性がある」、悪く言えば「同調圧力(または仲間集団圧力)」ということになるだろう。すべてを包み込む、あるいは飲み込むという特徴がある母性社会日本に於いては、場の平衡を保つことが重要視される(参考文献:臨床心理学者・河合隼雄著「母性社会日本の病理」)。異端者は排除される。出る杭は打たれるのだ。ヅカファンが大劇場のことを「ムラ」と表現するのはむべなるかな。

公演は13時から。ではどうして皆こんなに朝早くから来ているのかというと、スターの(楽屋への)入り待ちをしているのだ。整列して「今日も1日舞台頑張って、行ってらっしゃい」などと全員で唱和して送り出す儀式が日々行われている。勿論、出待ちもある。

この白装束一色と同様に、日本的だなぁと感じるのはパフォーマーの群舞である。これは宝塚歌劇に限らず劇団四季や東宝もそうなのだが、日本のダンサーたちの群舞はピタッと揃っている。ところがブロードウェイでミュージカルを観たり(例えば「フォッシー」)、英国ロイヤル・バレエ団の公演を観たりすると、これが意外とバラバラなのである。ひとりひとりが個性を出そう、他者を出し抜いて目立とうと必死にもがいている。つまり欧米人はあくまで個人主義なのだ。しかしこれにも例外はあり、ロシアのマリインスキー・バレエの群舞は一糸乱れず完璧に統一されている。お国柄の違いがあって面白い。

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2017年4月 7日 (金)

今年も宝塚市の桜は見事に満開を迎えた。

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寿楽荘付近の桜並木である。

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2016年7月 4日 (月)

《宝塚便り》六甲高山植物園

宝塚市から車で30分で、六甲山山頂まで行ける。現在六甲高山植物園ではニッコウキスゲが見頃である。

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僕にとってニッコウキスゲと言えば尾瀬湿原に群生する風景なのだが、関西には自生地がないそうだ。ここではなんと2,000株の群落があるという。中々見応えがあった。

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また紫陽花や、エーデルワイスも咲いていた。

植物園の近くにはオルゴール館があり、六甲山牧場ではチーズフォンデュやラクレットを味わえる。お薦めです。

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2016年4月11日 (月)

《宝塚便り》桜

宝塚市の桜といえば大劇場前の「花のみち」が有名だろう。

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でも実は「花のみち」以上に桜並木が美しい場所が、阪急宝塚南口駅から山側にしばらく登った寿楽荘にある。

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地元の人しか知らない場所で、観光客もここまで足を伸ばさない。

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この辺りは春になるとウグイスが鳴き、とても気持ちが良い。閑静な住宅街である。

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2016年2月23日 (火)

早霧せいな主演 宝塚雪組「るろうに剣心」+オマケ「新年鏡割り風景」付き

まず2016年元旦に宝塚大劇場ロビーで行われた鏡開きの様子をご覧いただこう。今年は雪組のトップコンビ、早霧せいな咲妃みゆが登場した。

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このコンビはお披露目となった「ルパン三世」および、次の公演「星逢一夜」も宝塚大劇場・東京宝塚劇場ともに全日程満席にした。これは劇場改築後初の快挙だそうである。

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鏡開きの後、酒は来場者に振る舞われた。

また元旦には拝賀式に出席するため、正装の袴で楽屋入りする生徒さんの姿も見ることが出来る。

さて、宝塚雪組「るろうに剣心」のチケット入手は困難を極めた。仕事の都合で土日しか行けないので、元々状況としては不利であった。友の会先行一次・二次、チケぴ、e+の先行、貸切公演など申し込んではことごとく落選。9連敗という惨状であった。

そこで当日券は気合を入れて一番乗りを果たした。11時公演、15時公演の座席券は50枚ずつ出た(超過すると立ち見券に)。午前6時30分で当日券の並びが11時公演:20人、15時公演:5人。7時10分には11時公演:50人、15時公演:15人。8時30分には11時公演:150人、15時公演:50人に膨れ上がった。最終的に発売開始の9時30分には合わせて300人近くに達した。僕は幸運にも1階10列目の席を確保!

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宝塚歌劇の芝居には大きく分けて2つの分野があり、1つが和物、もう1つがコスチューム・プレイを主体とする洋物である。「るろうに剣心」は作・演出・小池修一郎初の和物ということで話題になったが(外部作品では「MITSUKO」がある)、後半でパリ・オペラ座を模した洋館が舞台となり、そこで舞踏会シーンがあってヒロインの薫(咲妃みゆ)が豪華なドレスを着るので、和洋折衷ー1粒で2度美味しい作品に仕上がっている。

元新撰組隊士・加納惣三郎(望海風斗)という新キャラクターが登場するが、惣三郎はアヘンを密造し、儲けた金で洋館を建てる。そして薫を略取し、十字架に縛り付けたりする。……途中で気が付いた。彼の役回りは明らかに「オペラ座の怪人」じゃないか!ファントムはパリ・オペラ座の地下湖に棲んでいるし、大きな十字架も出てくる。惣三郎が嘗て恋い焦がれていた太夫(←花魁じゃないよ)の面影を薫に追い求める設定も、モーリー・イェストンのミュージカル「ファントム」でエリック(ファントム)がクリスティーヌに死んだ母の姿を重ねるのに似ている。

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組子が客席に降りてきてのチャンバラもあり、とにかくアクション・シーン満載の痛快娯楽大作である。すこぶる面白い!剣心がアヘンを盛られて幻想を見、過去の自分(殺人者)と対峙する場面も素晴らしい(ある意味これは「ジキルとハイド」だな)。見事な脚色である。紛うことなき小池修一郎の最高傑作であろう。牛鍋店「赤べこ」の場面や京都の花街・嶋原の「太夫道中」(練り歩き)などちゃんと娘役の見せ場も作り、さすが手練、抜かりがない。

実写映画版「るろうに剣心」は3部作である。佐藤健がはまり役で、前田敦子が彼に惚れた気持ちもよく判る。薫を演じた武井咲は可憐だった。大友啓史監督の演出も見事なのだが、香港で修行を積んだアクション監督:谷垣健治がとにかく凄い。殺陣(たて)の革命であった。

この長大な物語を休憩時間を除くと2時間半という尺に収めた小池の手腕は只事ではない。宝塚歌劇の新な代表作の登場に快哉を叫びたい。賭けてもいい、再演は必ずある。原作のエピソードはまだまだあるわけだから、「ベルばら」の《オスカル編》《フェルゼンとマリー・アントワネット編》《オスカルとアンドレ編》みたいに、シリーズ化しても良いのではないか?

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キャストについて。映画の佐藤健もはまり役なのだが、早霧せいなはその優しさと誠実さが滲み出ていて、剣心そのものであった。天晴!

咲妃みゆが登場した時、化粧の濃さにびっくりした。せっかく地が可愛いのに、メイクで損していると想った。「星逢一夜」ではもっと薄化粧だったのに……。でその疑問は第2幕で氷解した。洋館でのコスチューム・プレイに備えての事だったのだ。それは正に「伯爵令嬢」そのものであり、まるで西洋人形みたいだった。

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望海風斗は悪役の魅力を放散。ピカレスク・ロマンの香り。歌も上手い。

斎藤一(映画:江口洋介)を演じた彩風咲奈は格好良かった。立ち姿が素敵。

高荷恵(映画:蒼井優)役の大湖せしるは背が高いなぁと想って観ていたのだが(167cm)、元々男役だったんだね。本作が退団公演となる。凛とした美しさがあった。

四乃森蒼紫(映画:伊勢谷友介)役の月城かなとは長身(172cm)で美形の男役。耽美(ちょっと病んでいて退廃的)な雰囲気があり、いっぺんに魅了された。彼女にばかりオペラグラスを向けている観客もあり、こりゃぁ人気が出るわ。歌もいける。

宝塚雪組の快進撃はまだまだ続きそうだ。

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2015年5月22日 (金)

《宝塚便り》手塚治虫の足跡/未完の大作「森の伝説」

宝塚大劇場のすぐ近くに手塚治虫記念館がある。「リボンの騎士」が幼少期における宝塚歌劇体験から生まれたことは余りにも有名であり(=少女漫画の誕生。それが「ベルサイユのばら」へと繋がってゆく。共通項は男装の麗人)、治虫が宝塚生まれだと思っている人は多いかも知れない。実は彼が生まれたのは現在の大阪府豊中市で、宝塚に引っ越してきたのは5歳の時である。当時は未だ宝塚市ではなく、兵庫県川辺郡小浜村だった(昨年宝塚歌劇は100周年で、宝塚市は市政60周年、手塚治虫記念館は20周年だった)。その後、治虫は宝塚で約20年間過ごした。父は宝塚ホテル(阪急宝塚南口駅前)内に作られた宝塚倶楽部の会員であり、ときどき父に連れられてホテルのレストランで食事をし、クリスマス・パーティも毎年行ったという。また治虫の結婚式も宝塚ホテルで行われた。

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JR宝塚駅北口を出て御殿山側へ7−8分歩いた所に千吉神社(猫神社)がある。

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ここは治虫が当時住んでいた家から歩いて直ぐの場所にあり、アゲハチョウやノコギリクワガタを採集していたという。

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現在は有志の手で「手塚治虫 昆虫採集の森」という碑が立てられている。

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森閑として素敵な雰囲気なので僕は大いに気に入り、しばしば散歩で訪れる。

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森のなかで鳥の鳴き声に耳を傾けながら静かに佇み、虫網とカゴを持って駆ける治虫少年の姿をそっと想像してみる。

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晩年の大傑作「アドルフに告ぐ」の冒頭で、芸者・絹子の殺害現場が「兵庫県川辺郡小浜村の御殿山」となっており、この辺りが舞台となっている。

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旧・手塚邸にはいまでも大きなクスノキがそびえ立っている。これは手塚作品「新・聊斎志異 女郎蜘蛛」(講談社版手塚治虫漫画全集『タイガーブックス4』に収録)に登場する。

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また旧・手塚邸から、さらに坂を登った所にある蛇神社は手塚漫画「モンモン山が泣いてるよ」に登場する。この祠は阪神淡路大震災の時に倒壊したが、その後再建された。しかし鳥居(写真左)は倒れたままの姿である。

今年2月に手塚治虫記念館の映像ホール(アトムビジョン)で「森の伝説」を観た。チャイコフスキー:交響曲第4番の音楽に乗せて描くアニメーション作品である。第1楽章と第4楽章のみ完成し、1988年に上映されたが、手塚の死で未完に終わった。その後息子の手塚眞が第2楽章を完成させ、そのお披露目上映だったのである。

クラシック音楽を使用し台詞のないアニメーションといえば、そのコンセプトがディズニーの「ファンタジア」へのオマージュであることは明白である。ただ完成度は「ファンタジア」に遠く及ばない。手塚が天才であり「漫画の神様」であることは論をまたないが、アニメーション作家としては2流だったというのが僕の見解だ。多くの雑誌連載を抱え、片手間にアニメーションをしていたのだから詮無いことである。宮﨑駿みたいに絵コンテを手がけ、原画チェックまで全てこなすということは物理的に不可能だ。

「森の伝説」第1楽章は静止画の連続(紙芝居風)に始まり、次第に絵が動き出し、さらに白黒が途中からカラーになって……というアニメーションの歴史を辿る旅になっており、アイディアとしては面白い。第4楽章ははっきり言って退屈。テレビ用のリミテッド・アニメで描かれた森の破壊者たち(ヒトラー登場)が、ディズニー風フル・アニメで描かれた森の妖精たちを追い散らして行く、という物語。説教臭くて鼻につくし、そもそもリミテッド・アニメは「鉄腕アトム」で虫プロが毎週のテレビ局への納期に間に合わせるために生み出した手法なのだから、自虐ギャクみたいなものだ。全く評価出来ない。一方、新作の第2楽章は先端技術であるCGの手法も盛り込まれ、非常に丁寧に美しく仕上げられている。親子共作という趣向も一見の価値があるだろう。第3楽章の完成が待ち遠しい。

なお、僕が一番好きな手塚のアニメーション作品は短編「人魚」(1964)である。ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲に乗せて描かれる哀しい物語。手塚のペシミズム、ここに極まれり!と胸を打たれる。

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2014年12月18日 (木)

《宝塚便り》武田尾温泉の紅葉

宝塚駅からJRで8分、車だと約30分で行ける場所に武田尾温泉がある。あまり喧伝されてはいないが、静かで鄙びた隠れ家である。

11月20日頃に訪れた時の写真をお見せしよう。

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紅葉も美しいが、地元では桜の名所としても知られている。

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温泉は紅葉館 別邸「あざれ」に入った。源泉掛け流しで無色透明な泉質。入浴後はポッカポッカに温まり、中々冷めなかった。また無料の足湯もある。

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ここで神田川敏郎プロデュースのランチ2,500円を食べたのだが、これが意外にも(失礼!)美味しかった。コスト・パフォーマンス的にも悪くない。

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福知山線廃線跡がハイキング・コースになっているのだが、真っ暗なトンネルを幾つかくぐり面白かった。懐中電灯を持参した方がいいだろう。

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2014年4月 7日 (月)

《宝塚便り》花のみち

宝塚大劇場前に「花のみち」はある。

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僕が宝塚を初めて訪れたのは忘れもしない1998年宙組「エリザベート」だった。それから数十回観劇に来たが、4月初旬はなかった。

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昨年8月にこちらに移り住んで初めての春を迎えたのだが、こんなに桜のトンネルが見事だとは驚いた。圧巻である。

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道端にはちょうど菫の花も咲いており、正に春爛漫。周辺にはいい匂いが漂っている。

余談だが宝塚歌劇でしばしば歌われる「すみれの花咲く頃」を作曲したのはドイツ軍楽隊のカペルマイスター(隊長)で作曲家のフランツ・デーレ。発表されたのは1928年で後にシャンソン化され、それをパリで耳にした歌劇団の演出家・白井鐵造(てつぞう)が1930年に上演された「パリ・ゼット」の主題歌として使った。

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2014年3月30日 (日)

《宝塚便り》宝塚音楽学校

宝塚大劇場前の「花のみち」も桜が咲きはじめた。

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3月29日(土)に宝塚音楽学校の合格発表があった。

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報道によると1065人が受験し、40人が合格。競争率は26倍だったそうだ。しかも全員が必ずしも卒業できるわけではない。厳しい世界だ。

東京都や新潟県と宛先が書かれた封筒を握りしめ、緊張の面持ちで発表の時を待つ受験生。自分の受験番号を見つけ、歓喜を父母や祖母、妹と分かち合う娘たち。その一方で真っ赤に泣きはらした瞳で母の胸元に泣き崩れる者もいる。悲喜こもごもである。

宝塚音楽学校は予科・本科合わせて2年制である。生徒の大半はいわゆる「すみれ寮」で生活する。

僕は現在宝塚市内に住んでいるので、通勤時に音楽学校の生徒さんが通学するのとよく一緒になる。

グレーの制服に赤いリボンタイ。デザインは森英恵による。10月1日から衣替えで、帽子を着用。これがまた可愛い。

予科生は5−6人からなる小隊を組み、2列縦隊で整然と行進しながら登校する。女性としてはかなり早足である。途中に上級生と出会うと「おはようございます!」と声を揃えて挨拶する。また大体30秒に1度くらい最後尾の生徒が振り返って(危険が接近していないか)後方確認をする。Wikipediaによると1989年より毎年、全校生徒が陸上自衛隊伊丹駐屯地で基本訓練の研修を受けているそうだ。

興味深いのは途中、武庫川に掛かる宝塚大橋を渡るのだが、彼女たちはわざわざ音楽学校に行くには遠回りとなる橋の右側を歩く。つまりあくまで右側通行を順守しているのだ。

予科生が持つバッグは黒〜グレーに統一されている。雨の日は傘も黒一色。しかし本科生になると規則が緩くなるらしく、バッグや傘は色とりどりになる。予科生は平靴を履いているが、本科生はヒールが許されているようだ。また本科生は小隊を組むことなく個人個人で登校している。たった1年で全然規則が違うのだから面白い。

というわけで普段音楽学校の生徒さんを見かけたら、僕は瞬時に予科か本科か見分けることが出来るようになった。

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