子供の情景

2021年3月11日 (木)

中二病からの脱出〜映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版」

評価:A+

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テレビ・アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の放送(1995年10月4日-1996年3月27日)から25年、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の公開から14年。漸くこの物語は完結した。特に前作『Q』から8年以上も待たされた。そもそも2020年6月27日公開予定だったのが新型コロナウィルス感染拡大の影響で翌年1月23日に延期となり、さらに緊急事態宣言が発令されたため3月8日(月)に再延期された。緊急事態宣言の期限が3月7日に設定されていたからである。しかし結局、あてが外れて首都圏の1都3県では宣言が更に2週間延長されることになった。

テレビ・アニメ版『エヴァ』を一言で表現するなら「中二病」となるだろう。事実、登場する少年少女たちの年齢は14歳である。

Wikipediaによると「中二病」という言葉は1999年、伊集院光がラジオで発言したことに端を発するという。彼の潜在意識にも当然『エヴァ』のことがあっただろう。また精神科医・斎藤環はシンジを「ひきこもり」、アスカを「境界性パーソナリティ障害」、レイを「アスペルガー症候群」と評している。シンジの父・碇ゲンドウも未熟な精神の持ち主であり、「中二病」「厨房」と断じて差し障りない。

ライムスター宇多丸がパーソナリティを務めるTBSラジオ『アフター6ジャンクション』(アトロク)には現在「新概念提唱型投稿コーナー:イキりゲンドウ」というのがあり、めっぽう面白い。碇ゲンドウへオマージュを捧げているわけだが、実際のところあの男は言動がイキっているだけなんだよね。「人類補完計画」なんて大層なことを言っているけど、実質は死んだ(L.C.L.に溶けた)妻ユイともう一度会いたいだけ。そんな個人的なことに人類全体を巻き込もうってんだから、発想が身勝手で幼稚。〈対人関係が苦手/強いこだわり示す〉といった特徴をもつ発達障害の一つ「自閉スペクトラム症(ASD)」と診断出来るだろう。今にして思えば『エヴァ』という作品は〈ぼく(ゲンドウ)ときみ(ユイ)を中心とした小さな関係性の問題が、中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結している〉という定義にピッタリ当てはまり、セカイ系のはしりだったと言える。

旧劇場版『Air/まごころを、君に』の頃は庵野秀明自身も心が病んでいた。序盤でシンジがアスカの裸を見ながらマスターベーションして精液を飛ばす描写があったり、シンジがアスカの首を絞め、アスカの「気持ち悪い」という台詞で締めくくられたり、ホントどうかしている。実写で映画館の客席に座るアニメ・ヲタクを映す場面なんか、「自分を支えてくれているファンに対して喧嘩売っとんかい!」と怒り心頭に発した。おそらく当時の庵野はヲタクの事を本気で「気持ち悪い」と思っていたのだろう。自分のことは差し置いて。

アニメ+旧劇版は大風呂敷を広げっぱなしのまま何も回収せず無責任に終わったが、新劇場版は序・破・Qで散りばめられた伏線を『シン・エヴァンゲリオン』できれいに回収して風呂敷を畳み、有終の美を飾ったので心底驚いた。『Q』で登場しなかった加持リョウジやトウジ、ケンスケがその後どうなったか、渚カヲルの名前の由来など懇切丁寧な説明があり、アスカが眼帯している理由も分かる。「この四半世紀で庵野秀明も大人になったんだなぁ!」と妙なところで感動した。ちゃんと観客をもてなそう(entertain)という意志がある。そして救いのない旧劇に対して新劇の最後には明るい希望が見える。アニメ版が放送開始になった時、庵野は35歳。人間、何歳からでもやり直せる、成長出来るんだということを彼の生き様から学ばせて貰った。そして『シン・エヴァ』で碇シンジも真の大人になった。

上映時間が2時間35分と聞いたときは「集中力が持つかな?」と些か不安だったが、一瞬たりとも退屈することなく杞憂に過ぎなかった。

庵野の原体験として『宇宙戦艦ヤマト』と『ウルトラマン(特に、帰ってきたウルトラマン)』が作品に多大な影響を与えていることは、つとに有名である。『エヴァ』劇伴のティンパニの使い方は『ウルトラセブン』や『帰ってきたウルトラマン』に触発されているし、日本中の電力を集める「ヤシマ作戦」は『帰ってきたウルトラマン』の第20話「怪獣は宇宙の流れ星」が元ネタ。そもそもエヴァの内部電源5分間という設定はウルトラマンのカラータイマー3分由来であり、エヴァ自身は怪獣(中身)の暴走を制御するため拘束具としての装甲に覆われている。また庵野は『Q』と『シン』製作の合間に、『宇宙戦艦ヤマト2199』オープニングアニメーションの絵コンテを担当し、劇場版『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』では原画を描いている。

で『シン・エヴァンゲリオン』では葛城ミサトが「ヤマト作戦」とか言い出して、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』みたいな展開になるし、シンジとゲンドウが対決する場面はまるでウルトラマンと怪獣が戦う箱庭(特撮現場)のような空間構造になっている。ウルトラセブンとメトロン星人がちゃぶ台を挟んで向かい合う第8話「狙われた街」(実相寺昭雄監督)を彷彿とさせる場面も。

今まで何だかんだやいのやいの悪口も言ったが、『エヴァ』シリーズには長い間、本当に楽しませてもらった。心からありがとう!そして「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」

キネマ旬報ベストテンで第2位に選出された『シン・ゴジラ』も傑作だったし、最近の庵野は絶好調だ。作家としての成熟を感じる。『シン・ウルトラマン』の公開日が待ち遠しい。

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2021年2月26日 (金)

礼真琴、舞空瞳(主演)宝塚星組「ロミオとジュリエット」

2月21日、宝塚大劇場へ。フレンチ・ミュージカル『ロミオとジュリエット』を観劇した。

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ロミオは礼真琴、ジュリエットは舞空瞳が演じた。

舞空は102期生として2016年に宝塚歌劇団に首席入団している。一方の礼真琴も95期生として2009年に首席入団し、2010年『ロミオとジュリエット』初演時@梅田芸術劇場は“愛”を演じた。まぁそんな経歴の二人なので、歌よし、踊りよし、容姿よしと100点満点の出来であった。僕は初演から宝塚版の全キャストを観ているが、ジュリエットの歌唱においては舞空がNo.1であると断言する。ロミオについては、礼と明日海りおが双璧。

その他のキャストには役替りがあり、僕が観た日はティボルト:愛月ひかる、ベンヴォーリオ:瀬央ゆりあ、マーキューシオ:極美慎、ヴェローナ大公:輝咲玲央だった。愛月のティボルトは野性味があるが、歌が雑でいただけない。これで将来トップになれるの?勘弁して欲しい。一方、瀬央のベンヴォーリオは深みのある美しい歌唱で魅了された。

小学校三年生の息子を連れて行ったのだが(ソワレ)、後半は号泣していてその日の夕食が喉を通らないくらいだった。それくらい心に刺さったということだから、これを切っ掛けにミュージカルを好きになってくれると嬉しいのだが……。

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2021年2月15日 (月)

今度は「不織布マスク警察」現る!/新型コロナ禍の心理学

「パニックになった時、人の本性は現れる」と僕は繰り返し書いてきた。イギリスの哲学者バートランド・ラッセルは次のように述べている。

「恐怖心というものが迷信や残虐を生む。恐怖心を克服することが叡智につながる」

新型コロナウィルス禍で人々の間で恐怖心や不安感が蔓延している。2020年4月7日に発令され、5月25日まで続いた第1回目の緊急事態宣言でそれが顕著に出た現象が〈自粛警察〉や〈マスク警察〉だ。

そして2021年1月7日に発令された第2回目の緊急事態宣言下に現れたのが新手の〈不織布(ふしょくふ)マスク警察〉である。朝のテレビ番組で話題となり、このワードは1月28日にツイッターでトレンド入りした。ウレタンマスクは飛沫を防止する機能に劣るというデータが出され、街なかや電車でウレタンマスクを着用している人を叱り、不織布に変えるよう迫る人々が登場したのである。

「その不織布マスク何層?3層?それじゃダメだって4層じゃなきゃ」と説教してくる妖怪に遭遇したという書き込みもSNS上にあった。

アメリカの社会心理学者バーナード・ワイナーが提唱した〈原因帰属理論〉で上記現象を考えてみよう。原因帰属とは成功や失敗などの起こった結果に対し、その要因が何かと考えること。〈内的(自分)〉と〈外的(環境)〉に分類される。テストで成績が良かった時、〈内的〉には「自分は頭が良いからだ(能力)」「一生懸命勉強したからだ(努力)」と考えるタイプ、〈外的〉には「問題が簡単だったかったからだ(課題の難易度)」「ヤマが当たった。運が良かった」と考える4つのタイプに分けられる。

例えば貧乏暮らしをしている30代男性の例を見てみよう。〈内的〉思考として「僕は生まれつき賢くなかったから三流大学にしか入れず、いい就職口がなかった。だから今の境遇は仕方がない(能力)」「高校生の時遊び呆けて全然勉強しなかったから一流大学に入れなかった(努力)」と自省する人もいれば、〈外的〉思考で「ごく一部の富裕層が世界の富を独占している。だから僕は貧乏なんだ。社会が悪い。ブルジョワジーを打倒せよ!」「一攫千金を狙って起業したが世の中が不景気で会社は倒産してしまった。たまたまついていなかっただけ。僕が悪いんじゃない」と責任転嫁する人もいる。

フランス革命やロシア革命が〈外的〉思考の典型例で、いつしかブルジョワジー(富裕層)=悪/プロレタリアート(賃金労働者階級)=善という図式が出来上がった。こうしてフランスのブルジョワは断頭台の露と消え、ロシアのロマノフ家は銃殺刑で皆殺しになった。彼らの蓄えた富は略奪され、分配された。

〈自粛警察/マスク警察〉になるタイプの人は「私はちゃんとやっているのに、コロナが蔓延するのは自粛しない連中が悪い」「不織布マスクをしない連中がコロナをばら撒いている」と〈外的〉に責任を帰属させる。と同時に、「自粛して常に不織布マスクをしていればコロナは収まる」と〈コントロール可能性〉を過大評価する。

自由に振る舞っている人々に対する嫉妬心・不公平感も根底にあるだろう。「私はこれだけ我慢しているのに、あいつらだけ得してずるい。懲らしめてやろう」

この心理はアドルフ・ヒトラーが台頭した時期のドイツの状況に酷似している。第一次世界大戦の敗戦により、イギリス・フランスなど戦勝国から莫大な戦争賠償金を課せられたドイツ国民は天文学的なインフレーションに苦しむことになる。1918年から23年までの5年間で物価が1兆倍に跳ね上がった。そこでナチス・ドイツはユダヤ人陰謀論を吹聴した。銀行や金融業を経営している多くはユダヤ人である。「奴らが富を独占しているから、我々ゲルマン民族は惨めな暮らしを送らざるを得ない。全てユダヤ人が悪い」という理屈である。〈いけにえの羊(scapegoat)〉だ。〈外的(ユダヤ人)〉に責任を帰属させ、彼らを根絶やしにすればゲルマン民族の暮らしは良くなると〈コントロール可能性〉を過大評価した。 そしてナチスはユダヤ人が蓄えた富を全て略奪した。

ユング心理学には影(シャドウ)という用語があり、カール・グスタフ・ユングは「そうなりたいという願望を抱くことのないもの」と定義した。人格の否定的側面、隠したいと思う不愉快な性質、人間本性に備わる劣等で無価値な原始的側面、自分の中の〈他者〉、自分自身の暗い側面などである。

 集団のの肩代わり現象として、いわゆる、いけにえの羊(scapegoat)の問題が生じてくる。ナチスドイツのユダヤ人に対する仕打ちはあまりにも有名である。すべてはユダヤ人の悪のせいであるとすることによって、自分たちの集団の凝集性を高め、集団内の攻撃を少なくしてしまう。つまり、集団内のをすべていけにえの羊に押しつけてしまい、自分たちはあくまでも正しい人間として行動するのである。家族の中で、学級の中で、会社の中で、いけにえの羊はよく発生する。それは多数のものが、誰かの犠牲の上にたって安易に幸福を手に入れる方法であるからである。(中略)

 ナチスの例に典型的に見られるように、為政者が自分たちに向けられる民衆の攻撃を避けようとして、外部のどこかにの肩代わりをさせることがよくある。ここでもすでに述べたような普遍的な影の投影が始まり、ある国民や、ある文化が悪そのものであるかのような錯覚を抱くようなことになってくる。 

 〈河合隼雄『影の現象学』(講談社学術文庫)より〉

河合が書いた「自分たちはあくまでも正しい人間として行動する」「それは多数のものが、誰かの犠牲の上にたって安易に幸福を手に入れる方法である」というのが正に〈正義中毒〉である。他人に〈正義の制裁〉を加えると脳の快楽中枢が刺激され、〈報酬系〉と呼ばれる神経伝達物質・ドーパミンが放出されて快楽をもたらす。この快楽は強烈で癖になる。〈いじめ〉には中毒性があるのだ。ナチス親衛隊(SS)に組織化される以前、ユダヤ人の商店に投石するなど狼藉を働いていたドイツの自衛団・自警団や、縛り首の縄(noose)を使って黒人をリンチしたアメリカの白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)も自分たちは〈正義〉を実行していると信じ、暴力を振るうときには「気持ちいい」と感じていた。彼らと同様に〈不織布マスク警察〉の人々も、自分は〈正義〉を実行しているという快感に酔い痴れている。それは所詮錯覚に過ぎないのだが。実におぞましい。

新型コロナ禍で欧米諸国ではマスクをする派と、マスクをしない派に分かれた。特にアメリカ合衆国では〈民主党支持者=リベラル=マスク肯定派〉と〈共和党支持者=保守=マスク拒否派〉の真っ二つに分断された。

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その根底には人権を守る、個人の意志・選択の自由を尊重するという明確な姿勢(個人主義)がある。結局欧米ではウィルス蔓延を防ぐため政府が公共交通機関や商店でマスク着用を強制しようとした場合、罰金刑を課すなど法律で取り締まるしかなかった。

しかし羊のようにおとなしい日本人は政府が「お願い」するだけで従順に従った。マスク着用に関して法律で規制する必要はなかった。〈同調圧力〉 により、お互いに監視し合う社会システムが有効に機能したのである。

アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトがその著書『菊と刀』で看破したように、キリスト教を基盤とする西洋の〈罪の文化〉に対して日本は〈恥の文化〉である。日本人は他人(世間様)の目を気にして、別行動を取って目立つのが恥ずかしいと考える。〈場〉の空気を乱さず、〈場〉の均衡を保とうと腐心する。そして皆と同じ行動を取れば安心出来る。「赤信号、皆で渡れば怖くない」(ビートたけしのネタ)のだ。その一方で、同調しないものを排除しようとする制裁行動に出る。〈村八分〉、〈いじめ〉の構造。出る杭は打たれる。日本では個人の意志や権利よりも、集団の規律を守る方が優先され、全体主義的傾向がある。これは1938年に〈国家総動員法〉が制定され、「欲しがりません勝つまでは」と〈国民精神総動員〉が美徳とされていた時代と少しも変わっていない。新型コロナ禍でこの事実を突きつけられて、僕は呆然と立ち尽くした。「叫びを押し殺す 見えない壁ができてた」「ここで同調しなきゃ裏切り者か」「ああ まさか 自由はいけないことか」という欅坂46『不協和音』(作詞:秋元康)の歌詞が深く胸に突き刺さる。

集団から疎外・排除されることは、生存において危険である。もろくて弱い個人は、集団に承認されることで生をつなぐ。その根底には〈安全欲求〉〈社会的欲求〉〈承認欲求〉がある。

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マスクをして出かけている人々の中には「新型コロナに感染するのが怖い」という気持ちよりも、「マスクをせず外出したら、他者からどういう視線を浴びるか怖い」「マスク警察に公衆の面前で叱られるんじゃないか」という感情が優位な人も少なくないのではないだろうか?

新型コロナウィルスに対する不安感・恐怖心は見えないものに対する恐怖である。暗闇で幽霊や妖怪が怖いという感情に近い。江戸時代以前の日本には強力な照明器具がなく、夜は暗かった。蝋燭や行燈で照らされる範囲は限られており、闇の奥に何か得体の知れないものが潜んでいるのではないかという不安・想像力から物の怪は生まれた。しかし電気の登場で夜は隅々まで照らされるようになり、さらに科学的知識が浸透することで今やお化けを信じる人は殆どいなくなった。

見えないものに対する恐怖という心理を最大限に利用したのがスティーヴン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』である。映画後半に至るまでサメを見せない。彼の名を世界に知らしめたテレビ映画『激突!』でも、主人公が運転する車を追うトラック運転手の顔を最後まで見せなかった。

ウィルスを目視することは出来ないが、勉強して知識を増やすことで恐怖心は確実に減る。〈心の目〉で見えるようになるのだ。

第2回目の緊急事態宣言で確実に新型コロナの新規感染者は減少した。ということはウィルス感染で最もリスクが高い状況は酒を提供する飲食店など換気が悪い閉鎖された空間でマスクを外し、2m以内の距離で対面で会話をすること。あるいはカラオケボックスで歌をうたうこと。つまり発声が一番危険なのだ。発声しない満員電車の中、映画館、そして500人以上のキャパがあるコンサートホールで音楽を聴くことに殆どリスクはなかったことが実証された。もしそれらの場所でも感染が起こっているのなら、1回目とは違い映画館もコンサートホールも営業を続けている2回目の緊急事態宣言下で劇的に感染者が減るはずがないからだ。つまり基本的に発語せず対面しない広い空間はリスクが低く、闇雲にマスクを着用することを強要するのは愚の骨頂である。

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2021年1月14日 (木)

アフォリズムを創造する〈決定版〉

現在小学三年生の息子へ。いつか大きくなったら読んで欲しい。また、新成人のみなさんへの餞(はなむけ)の言葉と受け取ってもらっても良いだろう。

「これは、僕と彼女だけが知っている、世界の秘密についての物語だ」……新海誠監督『天気の子』の一節である。世界の秘密を、あなたにそっと教えよう。以下の記事の集大成だ。

「アフォリズム Aphorism」の語源はギリシャ語で、人間についての真理や戒め、恋愛や人間関係についての教訓、人間の愚かしさや可笑しさ、人生の不思議や矛盾などを端的な言葉で表現したものをいう。日本語に訳すと金言、警句、格言、座右の銘といった言葉になる(ロバート・ハリス『アフォリズム』より)。ニーチェの多くの著書(『喜ばしき知恵』『善悪の彼岸』など)はアフォリズム集の形態で書かれている。

〈アフォリズム〉人間性は少なくとも過去2,000年間、全く進歩していない。進化したのは科学技術とシステム(社会制度)だけ。そこを履き違えてはいけない。

1,000年前に書かれた紫式部『源氏物語』を現代人が読んでも、作中人物に共感することが出来る。愛、嫉妬、恨み、悲しみといった感情に変わりはない。それは2,000年以上前に書かれたギリシャ悲劇(『オイディプス王』など)も同じ。

つまり人間性(こころ)に関する限り、人類は何も進歩していない。もし進歩しているというのなら、どうして20世紀にヒトラーやスターリン、ポル・ポトのような人物が現れるのか?説明出来ないだろう。

一方で、人種差別や女性差別は減り、身分制度も多くの国でなくなり、職業選択の自由など基本的人権は尊重されるようになってきた。つまり司法制度や、社会システムは進化し続けている。しかし、それを〈人類の進化〉と勘違いしてはいけない。

〈アフォリズム〉視点をズラす(移動する)ことで、物事の本質が見えてくることがある。

海で夕日を見ている情景を想像してください。〈太陽は下方に移動して水平線に沈む〉。あなたの主観(視点)として、これは正しい。しかし実際は違う。〈地球はあなたの視線とは反対方向(背中側)に自転しているので、見かけ上、太陽が沈むように錯覚している〉。つまり視点(観測地点)を太陽上に移動して、地球ではなく太陽が固定されていると考えれば、真相に近づくことが出来る(さらに太陽は銀河の中心を周回している)。これがコペルニクス的転回である。

高橋みなみがAKB48のメンバーだったとき、総選挙のスピーチで「努力は必ず報われる!」とぶち上げて世間から失笑を買った。確かに彼女の視点から見ると正しい。努力してオーディションに合格し、48グループの総監督にまで上り詰めた。確率100%である。しかし最大限の努力をしてもオーディションに落ちた女の子の視点に立つどどうだろう?「努力は報われなかった」確率0%である。オリンピック選手もよく似たようなことを言うけれど、全ては錯覚に過ぎない。彼らの影には、一生懸命トレーニングを積み重ねたが良い成績が出ず、消えていったアスリートたちがごまんといる。どのポジションから観測するかで話は違ってくる。

〈アフォリズム〉努力しても夢が叶わないことは多々ある。ある程度努力して成果が上げられなかったら、諦めることも肝心だ。

〈アフォリズム〉「人は何故生きるのか」と問うことに意味はない。「この地球に人間(知的生命体)が誕生したことには何か意味があるはずだ、創造主の目的があるはずだ」という考え方は因果論であり、必ずしも正しくない。「全ては偶然、意味なんかない」と考え、淡々と生きた方が楽。

「何故生きるか」と自問するのは人間だけである。それは人が考える動物だからである。猿とかイルカ、カエルが「何故生きるか」と考えたりはしない。故にその問いに意味はない。

〈アフォリズム〉生物は必ずいつか死ぬ。その恐怖心から人は永遠に不変・不滅の存在を設定した。それが神であり、プラトンが説くイデアだ。だが万物は流転する。

〈アフォリズム〉「神は存在するか、否か?」という問いに対して立証責任があるのは「存在する」と主張する側だけである。「悪魔の証明」と同じ。神の不在は証明出来ないが、だからといってそれが神が存在する根拠にはならない。

簡単なことだ。「ツチノコはいない」と証明することは出来ない。AとB、二人の会話に耳を傾けてみよう。

 A「本州や四国、九州をくまなく探したけれどツチノコは見つかりませんでした」
 B「でも無人島に生息しているかも知れない」
 A「地球全土を調べたけどツチノコはいませんでした」
 B「では地中に潜っているのかも知れない」

きりがない。同様に「宇宙人(地球外生命体)はいない」ことを証明することも不可能だ。

 A「銀河系をくまなく探したけれど宇宙人は見つかりませんでした」
 B「ではアンドロメダ星雲にはいるかもしれない」

……果てしなくこの問答は続く。不在の証明は出来ないが、だからといってそれが存在の証明に繋がることもない。

ほとんど不可避的に人々は「それはなぜ起こったのか」という問いを発する。すべての事象がそれに先行する何かによって引き起こされたと想定する。確かにこの種の因果関係が存在することもあるが、そうではないこともある。例えば放射性元素の崩壊は統計学的に予想し、測定できるが、ラジウム原子が崩壊するとき、なぜ他の原子ではなくその特定の原子が崩壊するかという問いに対していかなる因果的な説明もできない。「ただそのようなもの」なのだ。量子力学にも不確定性原理がある。例えばある原子核の周囲に漂う電子(=量子:物質の最小単位)が、ある瞬間にどこの位置に存在するかは不確定であり、確率的にしか予想できない。観測して初めて場所が確定する。つまり電子は確率の雲の中にある。

もし神に意思があるのならば、量子の不確定性原理が説明できない。神がいると仮定すれば、神の意思は揺らいでいることになるからだ。ならば神は人間と同じで、絶対的で全知全能の存在ではなくなる。そんな設定(=神)、必要ですか?いないと考えたほうがすっきりする。

遺伝子の突然変異もそう。突然変異が発生する理由(因果関係)など何もない。単なる偶然だ。コンピューターのバグとか、ダウン症など染色体異常の発生も同じ。確率は計算できるが、理由はない。想像してみてください。貴方にダウン症の子供が生まれたとしよう。果たしてそこに〈神の意志〉はあるだろうか?単に確率のなせる技に過ぎない。

遺伝子の突然変異が発生する。それにより生まれたものが環境に適していれば生き残るし、適さなければ淘汰される。これが〈種の進化〉だ。つまり進化は〈神の意志〉ではなく、〈偶然と自然淘汰(適者生存)〉の繰り返しによる産物なのだ。因果関係など差し挟む余地はない。

「人間(知的生命体)が存在すること自体が奇跡。だから神様はいらっしゃる」という論理も間違い。順番が逆。我々は考える動物である。だから神を想定する。牛や豚は神様のことを知らない。何故ならば彼らは思考しないからである。故に彼らにとって神は存在しない。観測する者がいなければ、観測される者もいない。語られない神は、神たり得ない。神様が先なのではなく、人の存在が先なのだ(コペルニクス的転回)。「人間が神を創造した」が正解。神とはつまるところ、思い入れに過ぎない。

〈アフォリズム〉生きるとは何かが生まれ、成長し、絶えず変化し続けること。idea(着想)然り、skill(訓練によって培われた能力)然り。生成変化しないものに価値はない。

〈生成変化〉とはフランスの哲学者ジル・ドゥルーズが提唱した概念である。フランス語では"devenir"(ドゥヴニール:〜になる、〜に変わる)。ドゥルーズは定住することなく草原を自由に駆けめぐる遊牧民=ノマドのように生きよ、と説く。このことについてもっと深く考えたかったら映画『ノマドランド』(公式サイト)をご覧なさい。

〈アフォリズム〉「いま」しか存在しない。過去を後悔しても仕方がない。過去はあくまで記憶・記録でしかなく、修正出来ない。未来を思い煩うな。未来は予想・推測で、頭の中にしか存在しない。予定通りいかない。番狂わせが面白い。「いま」を楽しめ。

ただし、これは二十歳を過ぎたらという条件がつく。学校を卒業し就職するまでは、十年後の「ありたい自分」「なりたい職業」を想定し、その目標に向かって努力することは必要だろう。学生時代に遊び呆けて大学入試や就活に失敗したら後々生きることに苦労する。学ぶことは怠るな。一生が勉強だ。skillを磨け!!

〈アフォリズム〉執着は捨て置け。荷を下ろし身軽になって、自由な体で翔べ!

「執着」とは「あのとき、ああしておけばよかった」という後悔、「こうあらねばならない」というこだわりを指す。冷静になって考えると、案外くだらないことに人は執着しているものだ。囚われている執着に気付くためには自分から離れて、自分を客観視するskillを身につける必要がある。瞑想が有効な手段となるだろう。詳しくはハーバート・ベンソン(ハーバート大学医学部教授)著『リラクセーション反応』を読むか、Netflixから配信されている『ヘッドスペースの瞑想ガイド』をご覧あれ。

〈アフォリズム〉矛盾を恐れるな。人間は本来、矛盾した存在である。

このことを僕は宮崎駿の生き様から学んだ。具体的には彼のアニメーション映画『風立ちぬ』を観れば分かる。首尾一貫している必要なんかないんだ。気楽に生きようぜ。

〈アフォリズム〉「個」を大切にする欧米人に対して、日本人は「公」を重んじる。個人の内にある倫理観よりも、その行為が「場」の均衡を乱すか否かが重要視される。「場」ではお互いが監視し合い、秩序を乱す者がいれば「制裁」行動が発令される。

日本は未だ「ムラ」社会であり、「いじめ」の構造を内包している。新型コロナ禍でこれが如実に現れた。「自粛警察」や「マスク警察」が典型例。その背景には不安や恐怖心がある。基本的に日本人は臆病者なのだ。まぁこの「監視社会」「忖度」が良い方向に働けば「気配り」「お・も・て・な・し」に繋がるのだが……。

〈アフォリズム〉人間は均一じゃない。能力に差異はあるし、趣味嗜好も異なる。それが個性。平等であるべきなのは力を発揮する「機会」においてのみ。「差別」はいけないが、「区別」は必要だ。

どんな家庭環境に生まれようが(出自に関わらず)、優秀ならば最高の教育を受けるチャンスが与えられるべきだし(学業の自由)、肌の色や人種で職業選択の自由が奪われるべきではない。しかしその人が持つ能力や仕事量で社会的地位や財産に差が出るのは当然である。「差別」と「区別」は違う。

〈アフォリズム〉社会主義/共産主義の誤謬は「平等」を履き違えたことにある。働き者と怠け者が同じ給料なら誰も働かない。

〈アフォリズム〉「他人より良い暮らしがしたい」という欲望が社会を動かす。それを否定すれば社会は衰退する。

自らの欲望を肯定せよ。但し健康を害さず(アルコール依存症/生活習慣病など)、他人に迷惑がかからない範囲において。禁欲したって、人生つまらないじゃない?

〈アフォリズム〉衰退した社会主義/共産主義の隠れ蓑としてグローバリズムが流行った。しかしその限界を露呈したのが新型コロナウィルスである。世界各国はナショナリズムに走り、国境を封鎖した。人類は皆兄弟ではなく、地球は均一ではない。地域の特性を大切にし、互いの違いを尊重しよう。

社会主義と共産主義の違いについて日本共産党が公式見解を示している→こちら。つまり同じ意味である。

〈アフォリズム〉世の中、言ったもん勝ち。

なにか言いたいことがあっても、相手に伝えなければ心に不満が募るばかりである。問題は何も解決されない。言った場合、相手は怒るかも知れないし、軋轢が生じて気まずい雰囲気になるかも知れない。しかし問題が改善される可能性はある。少なくとも吐き出すことで鬱憤は晴れ、身が軽くなるだろう。コミュニケーションを図ることが人間の基本である。それを怠るな。自分ひとりで悩みを抱え込んだら心は病む一方である。

〈アフォリズム〉「なぜ生きるのか?」「生きることの意味は?」その価値を創造するのは、あなた自身である。

アメリカの自動車工場で働いている人 ー仮にA氏としようー が健康であろうが死のうが、日本で生活するあなたに関係ない。しかしA氏の家族や友人にとってはそうではない。A氏の生には意味があり、価値がある。それはA氏が彼の人生の中で、周囲の人々と築いた「関係性」に拠るものだ。つまり「関係性」の中にしか、人が生きる意味や価値は存在しない。村上春樹は読者との「関係性」に於いて価値があり、ベートーヴェンは彼の音楽を聴く鑑賞者との「関係性」に於いて価値がある。村上春樹の小説を読まない人にとって彼の名前はなんの意味も、価値も持たない。

ミクロの世界において量子論を基礎づける三つの考え方は粒性・不確定性・相関性関係性)である。これはマクロの世界に生きる人間にもそのまま当てはまる。

〈アフォリズム〉量子論・多元宇宙論(マルチ・バース)など現代物理学を学ぶことが叡智につながる。つまり、世界の秘密にアクセス出来る。

まずはカルロ・ロヴェッリ 著『すごい物理学講義』(栗原俊秀 訳/河出文庫)と、野村泰紀 著『マルチバース 宇宙入門』(星海社新書)からどうぞ。

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2020年11月13日 (金)

アカデミー長編アニメーション部門のノミネートは確実!「ウルフウォーカー」

アイルランドのアニメーション・スタジオ、カートゥーン・サルーンは今まで『ブレンダンとケルズの秘密』『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』『生きのびるために/ブレッドウィナー』と製作した全ての長編アニメーション映画でアカデミー賞ノミネートを果たしている。『ブレンダン』『ソング・オブ〜』に続くケルト三部作の掉尾を飾る『ウルフウォーカー』もノミネートは確実、そろそろ受賞も夢ではないのではなかろうか?

僕が初めてこのスタジオの作品を観たのはトム・ムーア監督『ソング・オブ・ザ・シー』だった。絵の美しさとケルト神話の世界に魅了された。多神教のケルト神話が日本人にすごく身近に感じられるのは、八百万の神々を想起させるからではないだろうか?また『ソング・オブ〜』は人間とアザラシが結婚して子供が生まれるお話なので、日本昔話『狐女房』に通じる異類婚姻譚だなと思った。

『ソング・オブ・ザ・シー』に登場する狼の描き方は高畑勲監督『太陽の王子ホルスの大冒険』を意識しているのでは?と感じたのだが、『ウルフウォーカー』も『ホルス』は勿論のこと、線描の力強さが『かぐや姫の物語』を彷彿とさせるし、宮崎駿監督『もののけ姫』へのオマージュが鮮明に刻印されている。

評価:A+  公式サイトはこちら

Wolf

本作は城壁に囲まれた中世の街と、その外に広がる森の対立が描かれる。それは文化と自然の対立であり、ひいてはイングランドとアイルランド、さらに一神教であるキリスト教とケルト神話の対立でもある。そして城壁内に暮らす人々のキャラクターデザインや美術は四角形を主体とする角張ったもので、一方の森は円を主体に描かれる。

イングランドからアイルランドにやって来た少女ロビンが森でウルフウォーカーのメーヴと出会うことで、ロビンを取り巻く角張った世界が次第に円形の世界へ吸収され、融合していく。それはとても感動的な情景だった。

ケルト三部作のみならずアフガニスタンを舞台とする『生きのびるために/ブレッドウィナー』も含め、カートゥーン・サルーン作品における円とは、チベット仏教の曼荼羅のように完全性とか、文化と自然の調和を象徴しているのではないかと僕は考えている。

Wolfwalkers

余談だが、主人公のロビンはイングランドの妖精ロビン・グッドフェローに由来する。シェイクスピア『夏の夜の夢』に登場する妖精パックもロビン・グッドフェローと呼ばれる。つまりロビンはトリックスター(境界を超える者)なのだ

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2020年4月26日 (日)

高校生の間に一度は絶対観ておけ、この映画!/ジャンル別ベスト

高校生の三年間でこれだけは是非観ておいてほしい、君たちにとってこれからの人生が変わるかもしれないという映画を厳選した。

【青春映画】

  • ふたり
  • 廃市
  • 青春デンデケデケデケ
  • 幕が上がる
  • ヒポクラテスたち
  • 太陽の少年
  • 冒険者たち
  • ブレックファスト・クラブ
  • ヤング・ゼネレーション
  • スウィングガールズ

いつも青春は時をかけるー大林宣彦監督「時をかける少女」のキャッチコピーである。

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赤川次郎原作「ふたり」は事故死してしまったしっかり者の姉と、姉に頼ってばかりいた妹との、奇妙な共同生活を描いている。表面上は幽霊譚になっているけれど、一人の少女の意識(自我)と無意識(自己)という二面性および、その融合(自己実現)の物語であるとも言える。それを象徴するのがラストシーン。まず丘を登ってくる妹・美加(石田ひかり)をカメラが正面から捉える。次のショットで歩き去ってゆく後ろ姿を捉えるのだが、よくよく観るとそれは姉・千津子(中嶋朋子)なのだ。ふたりでひとり。実は、僕も初めてこの作品に出会ってから10年間くらい全く気が付かなかった。その間、繰り返し観ていたのに。このシーンで流れ出すのが大林宣彦作詞、久石譲作曲の主題歌「草の想い」。名曲中の名曲である。大林監督と久石さん本人が歌う。

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僕にとって我が生涯ベスト・ワンである大林宣彦監督「はるか、ノスタルジィ」も似たような構造を持っている。東京で小説家になった中年の主人公・綾瀬慎介(ペンネーム)は数十年ぶりに故郷・小樽を訪ねる。そこでバンカラ姿の学生・佐藤弘に出会う。それは青年時代の慎介そのものだった(佐藤弘は本名)。これはユング心理学でいうところの無意識に存在する子供元型(The Child Archetype)に遭遇する物語であり、最後に自我(意識)と元型(無意識)は融合され、自己実現に至る。どんなに年令を重ねても、人は変われるのだ。

僕が映画「廃市」と出会ったのは18歳だった。それから原作者・福永武彦の文学にのめり込み、20代の時に全小説を読破した。大林監督がライフワークとしていた福永の小説「草の花」映画化が実現しなかったことが無念で仕方ない。

幕が上がる」は全国高等学校演劇大会という特殊な世界が描かれている。火傷するくらい熱いぞ!

京都府立医科大学を卒業した大森一樹監督「ヒポクラテスたち」は医学生たちの群像劇。僕は高校生の時にこれを観て、「医学部って面白そう」と興味を持ち、進学を決めた。そして現在は医学博士である。やはり医師免許を持つ手塚治虫が映画で小児科教授を演じ(学生のひとりが手塚漫画「ブラック・ジャック」を読んでいたりもする)、怪盗役で映画監督の鈴木清順が登場する。

「太陽の少年」は中国映画の傑作。岩井俊二監督「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」に通じるものがある。

Lesaventuriers

「冒険者たち」はフランスのフィルム・ノワール。でも暗黒ではなくロマンティック。なんと言っても口笛で奏でられる〈レティシアのテーマ〉!→こちら

ジョン・ヒューズ監督「ブレックファスト・クラブ」は恐らく世界で初めてスクール・カーストを描いた映画だと思う。画期的なディスカッションが展開され、ワクワクする。併せて「フェリスはある朝突然に」もどうぞ。映画「デッドプール」の元ネタだ。

「ヤング・ゼネレーション」はアカデミー脚本賞受賞。自転車レースに青春を賭ける若者たちを描く。心に翼を持て。

【恋愛映画】

  • ラ・ラ・ランド
  • 太陽がいっぱい
  • Love Letter(岩井俊二監督)
  • ボヴァリー夫人(ヴィンセント・ミネリ監督)
  • ライアンの娘
  • ある日どこかで
  • フォロー・ミー
  • いつも2人で
  • ピアノ・レッスン
  • めまい

「ラ・ラ・ランド」については以下の記事をご参照あれ。

「太陽がいっぱい」はアラン・ドロンが主演した1960年のフランス映画。パトリシア・ハイスミス原作でミステリとしても大傑作なのだが、ゲイ映画という観点で見直すと全く別の物語が浮かび上がってくるという驚くべき仕掛けが施されている。その構造を世界で最初に見抜いたのがテレビ「日曜洋画劇場」の解説を長年勤め、「サヨナラ」おじさんと呼ばれた映画評論家・淀川長治氏で、彼もゲイだった。パトリシア・ハイスミスも同性愛者で偽名を使って「キャロル」を書き、そちらも映画化された。

アラン・ドロンはロミー・シュナイダーと同棲・婚約したり、ナタリー・ドロンと結婚・離婚するなど華麗な女性遍歴があるので多分ストレート(ノン気)なのだろう。しかしバイセクシャルだったイタリアのルキノ・ヴィスコンティ監督から愛され、その切実な想いは「若者のすべて」や「山猫」といった芸術映画に昇華された。ヴィスコンティがアラン・ドロンとロミー・シュナイダー主演で計画していたマルセル・プルーストの小説「失われた時を求めて」の映画化が頓挫したことは大変惜しまれる。そして、小説「失われた時を求めて」は岩井俊二の映画「Love Letter」で極めて重要な役割を果たす。映画は繋がっている。「Love Letter」の25年後に撮られた姉妹編「ラストレター」も併せてどうぞ。

ヴィンセント・ミネリの「ボヴァリー夫人」については下記事をお読み頂きたい。狂気が疾走する。

そしてデイヴィッド・リーン監督の名作「ライアンの娘」は「ボヴァリー夫人」を下敷きにしている。

「ある日どこかで」については、

「フォロー・ミー」については、

「いつも2人で」の監督は「雨に唄えば」「シャレード」のスタンリー・ドーネン。キネマ旬報社から発行された「私の一本の映画」という本があり、そこに村上春樹がエッセイを書いたのが本作。彼が高校生の時、当時のガールフレンドと神戸の映画館でこれを観たそうだ。主演はオードリー・ヘップバーンとアルバート・フィニー(「オリエント急行殺人事件」のポアロ役)。中年夫婦の危機を描くが、ふたりの12年間を5つの時間軸が交差する形で描く凝った構成になっている。何より僕は"Two for the Road"という原題が好き!味がある。

ホリー・ハンターがアカデミー主演女優賞を受賞し、カンヌ国際映画賞では最高賞のパルム・ドールに輝いたフランス、ニュージーランド、オーストラリアによる合作映画「ピアノ・レッスン」の主人公エイダを一言で評するならば〈女ヒースクリフ〉。本作が描いているのはエミリー・ブロンテの小説「嵐が丘」と同じ、狂恋。不用意に触ると火傷する。だから「嵐が丘 」を事前に読んでおくことは必須。ジェーン・カンピオン監督にはいつか映画「嵐が丘」を撮って貰いたい。

Vertigo

「めまい」はアルフレッド・ヒッチコック監督の最高傑作。過去の女の記憶に囚われて目の前の女を愛すことが出来ず、自分の持つ理想像(ユング心理学におけるアニマ・アニムス)を投影してそれに女を近づけようと画策する男の異常心理を描いている。これは大林宣彦監督「時をかける少女」冒頭に掲げられるテロップと、密接な関係がある。

ひとが、現実よりも、
理想の愛を知ったとき、
それは、ひとにとって、
幸福なのだろうか?
不幸なのだろうか?

【深く人生を考える/哲学的映画】

  • メッセージ
  • 桐島、部活やめるってよ
  • タクシー・ドライバー
  • ブレードランナー
  • 山の音
  • 市民ケーン
  • イヴの総て
  • サンセット大通り
  • カビリアの夜
  • ベニスに死す
  • ピクニック at ハンギング・ロック
  • いまを生きる
  • 生きる(黒澤明監督)
  • ミツバチのささやき/エル・スール
  • ギルバート・グレイプ
  • フィールド・オブ・ドリームス

SF映画「メッセージ」は時間とは何か?を深く考えさせてくれる。そして思考はその人が学んだ言語と密接に結びついているという説が非常に興味深かった。これを〈サピア=ウォーフの仮説(言語相対性仮説)〉という。あと〈非ゼロ和 non zero sum〉!

桐島、部活やめるってよ」はキネマ旬報ベストテンで第2位、ヨコハマ映画祭では作品賞・監督賞など4冠を獲得した。高校生ではちょっと難しいかも知れない。ある意味フェデリコ・フェリーニ監督「甘い生活」に似たところがある。正直僕も高校生の時に「甘い生活」に歯が立たなかったからね。真の傑作だと漸く理解出来たのは40歳くらい。まぁ挑戦してみて。時には背伸びしてみることも必要、当たって砕けろ!だ。

「タクシー・ドライバー」はベトナム帰りの元兵士が主人公なので、社会派ジャンルとも言える。

「ブレードランナー」(1982)は近未来都市のヴィジュアル造形が秀逸。ただ映画の設定は2019年11月なので、既に現実が追い越しているのだけれど。本作には、レプリカント(人造人間/人工知能)は人の心を持てるのか?という問いがある。主人公デッカードが人なのか、レプリカントなのか?ということもしっかり考えてみてください。「メッセージ」のドゥニ・ヴィルヌーブ監督が撮った続編「ブレードランナー 2049」も傑作。

川端康成原作「山の音」は鎌倉を舞台に初老の男(山村聡)が息子の嫁(原節子)に対して抱く、淡い恋心を繊細に描いている。死への恐怖、そして色恋沙汰に進展するかどうかの境界で揺れ動く心理描写が絶妙。大人の世界を垣間見よう。

「市民ケーン」といえば〈バラのつぼみ Rosebud〉。これは隠れキリシタンをテーマとする遠藤周作原作、マーティン・スコセッシ監督「沈黙 -サイレンス-」のラストシーンにも引用されている。

アカデミー作品賞・監督賞・脚本賞などを受賞した「イヴの総て」は食うか食われるかという、芸能界における生存競争の苛烈さを、鮮やかに描いている。これを下敷きにしたのがポール・バーホーベン監督「ショーガール」で、こちらの方は最低の映画を選ぶラジー(ゴールデン・ラズベリー)賞で7部門を制覇した。

ビリー・ワイルダー監督「サンセット大通り」は後世の映画に多大な影響を与えた。例えばロバート・アルドリッチ監督「何がジェーンに起ったか?」とか、デヴィッド・リンチ監督「マルホランド・ドライブ」は、完全に「サンセット大通り」のヴァリエーションである(そもそもマルホランド・ドライブとサンセット・ブルーバードはどちらもロサンゼルスを走る道路の名称)。また死者が語り始めるという手法はサム・メンデス監督「アメリカン・ビューティ」(アカデミー作品賞・監督賞受賞)に引き継がれた。

「ベニスに死す」については、次のようなことを書いた。

「ピクニック at ハンギング・ロック」については下記。

「いまを生きる」はこちら。

黒澤明「生きる」は進行がん患者への病名告知やquality of lifeの問題をテーマとしている。

「ミツバチのささやき/エル・スール」については、

「ギルバート・グレイプ」は当時未だ10代だったレオナルド・デカプリオの演技に注目!時には束縛にもなる家族から解き放たれて、主人公(ジョニー・デップ)が旅立つ物語。

「フィールド・オブ・ドリームス」に登場する作家テレンス・マン(ダース・ベイダーの声で有名なジェームズ・アール・ジョーンズが演じる)は原作小説で「ライ麦畑でつかまえて」のサリンジャーであることは重要。だから映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」と併せて観ると、より理解が深まるだろう。

【歴史を知る映画】

  • 大いなる西部
  • 死刑執行人もまた死す
  • 大いなる幻影
  • 灰とダイヤモンド
  • 無防備都市
  • 第三の男
  • アンネの日記
  • アラビアのロレンス
  • ドクトル・ジバゴ
  • 僕の村は戦場だった
  • ひとりぼっちの青春
  • さらばわが愛/覇王別姫
  • 善き人のためのソナタ

イタリア映画「無防備都市」はネオレアリズモの代表選手。大きな歴史のうねりとしてネオレアリズモ(イタリア)の精神は→ヌーヴェル・ヴァーグ(フランス)→アメリカン・ニューシネマと伝播した。共通する志は〈既成の価値観・体制の破壊〉である。ハリウッドで「無防備都市」を観て感激したイングリッド・バーグマンは直ちにロベルト・ロッセリーニ監督にファン・レターを書き、夫や娘を捨ててローマに旅立った。一大スキャンダルになったことは言うまでもない。イングリッドとロベルトの間に生まれたのがイザベラ・ロッセリーニで、長じて女優となり「ブルーベルベット」や「フィアレス」などに出演した。イングリットも〈既成の価値観の破壊者〉であった。

「第三の男」は第二次世界大戦後、敗戦国オーストリア(首都:ウィーン)が勝者である連合国ーアメリカ、ソ連、イギリス、フランスの4国によって分割統治されていた時代のお話。白黒映像美の極致。

「アンネの日記」は1959年にジョージ・スティーヴンスが監督・製作したもの。アンネを演じたミリー・パーキンスが素晴らしい!1995年に日本が製作したアニメーション版もあるが、こちらはイマイチ。但し、マイケル・ナイマンによる音楽は◯。

「ひとりぼっちの青春」の原題は"They Shoot Horses, Don't They?"つまり「彼らは廃馬を撃つ」。1932年、大恐慌時代の悲惨を描くアメリカン・ニューシネマの傑作。ここでアメリカン・ニューシネマについて説明しておこう。1960年代後半から1970年代前半までのムーブメントで、ベトナム戦争に対する反戦運動や、ヒッピー文化と連動している。反抗的な若者が体制に敢然と闘いを挑むのだが、最後は大人・社会に圧殺されるなど、悲劇的な結末で幕を閉じる。基本的に挫折する物語だ。「俺たちに明日はない」「明日に向って撃て!」「イージー・ライダー」が代表格。

カンヌ国際映画祭でパルム・ドールに輝いた「さらばわが愛/覇王別姫」が描くのは中国・文化大革命の悪夢。コン・リーとレスリー・チャン最高。また、僕たちが知らない京劇の世界を垣間見ることができる。

ドイツ映画「善き人のためのソナタ」はアカデミー外国語映画賞を受賞。冷戦時代の東ドイツが舞台で、監視社会の実像に迫る。

【コメディ/ブラック・ユーモア】

  • 雨に唄えば
  • プロデューサーズ
  • 博士の異常な愛情
  • まぼろしの市街戦
  • チャップリンの独裁者
  • 恋はデジャ・ブ
  • 生きるべきか死ぬべきか

フランス映画「まぼろしの市街戦」(1966)は第一次世界大戦末期、フランスの田舎町が舞台。人々が町から逃亡し、取り残された精神病院の患者たちと、町を取り巻く軍隊の人間と、どちらが〈狂気〉でどちらが〈正気〉なのかという問いが本作にはある。

「恋はデジャ・ブ」(1993)の原題はGroundhog Day。Groundhogはウッドチャックを意味し、2月2日に開催される春の訪れを予想する占い行事のこと。 ある一日をエンドレスに繰り返す男の話である。ビル・マーレイがすっとぼけた、いい味を出している。同じネタで押井守監督「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」(1984)という先達があり、こちらも傑作。さらに派生作品として京アニ「涼宮ハルヒの憂鬱」のエンドレスエイト(第12-19話)や、「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ【新編】叛逆の物語」がある。こうしたループものとして、ケン・グリムウッドのSF小説「リプレイ」が有名だが、1987年の出版であり、やはり「ビューティフル・ドリーマー」が元祖と言えるだろう。

【社会を知る映画】

  • 真昼の暗黒
  • 橋のない川 
  • バトル・ロワイアル
  • ブラッド・ダイヤモンド
  • シティ・オブ・ゴッド
  • 風の丘を越えて/西便制
  • トランボ ハリウッドに最も嫌われた男
  • 殺人の追憶
  • パラサイト 半地下の家族

「真昼の暗黒」(1956)は冤罪事件を扱う。橋本忍のシナリオが秀逸。

部落差別を扱う「橋のない川」は1969-70年の今井正監督版(第一部・第二部)と、1992年東陽一監督版がある。どちらも見応えあり。

「バトル・ロワイアル」(2000)は劇薬だ。中学生どうしが国家命令により殺し合いをするという衝撃的な内容で、R-15指定のため中学生は劇場で観ることが出来なかった。公開当時、この映画に対する政府の見解を求める質疑が国会で行われるなど物議を醸した。そもそも高見広春が書いた原作自体、日本ホラー小説大賞の最終候補まで残るが、選考委員から猛烈な非難を浴び落選した。その後高見は一切作品を発表していない。深作欣二監督は太平洋戦争中、学徒動員に駆り出されたときの「国家への不信」「大人への憎しみ」といった自分の想いを本作に託した。

レオナルド・ディカプリオ主演「ブラッド・ダイヤモンド」を観れば、アフリカは地獄だ、と思い知るだろう。

「シティ・オブ・ゴッド」はブラジルに住むストリートチルドレンたちの抗争を描く。

韓国映画「風の丘を越えて/西便制」では朝鮮文化における恨(ハン)という感情について学ぼう。

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」は赤狩りの勉強として。本作の後でダルトン・トランボがシナリオを書いた「ローマの休日」や「パピヨン」(1973年版)を鑑賞しよう。隠された寓意が見えてくる。

アカデミー作品賞・監督賞・国際長編映画賞を受賞した韓国映画「パラサイト 半地下の家族」が光を当てるのは格差社会である。

【アニメーション映画】

「秒速5センチメートル」については以下を参照されたし。

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2020年4月14日 (火)

【2020年最新版】選定!中学生に観せたい映画・アニメ

選定!中学生に観せたい映画」という記事を書いたのが2013年。あれから7年経過した。些か内容が古びた感があるので、ここでアップデートすることにした。新型コロナウィルスで非常事態宣言が発令され、遊びに出ることもままならない子どもたちを持て余している親御さんも少なくないだろう。何かの参考になれば幸いである。

新しい作品を優先して選んだが、「これだけは絶対に落とせない!」という古典的名作も残している。なお、過去にレビューを書いている作品は、タイトルをクリックすると該当記事に飛ぶようにしている。気に入るかどうかに性差があると思われる作品には男の子向け/女の子向けを明記した。

まずは基本中の基本、実写部門BEST 10。

ここで紹介している「ちはやふる」は広瀬すず主演の実写映画だが、テレビ・アニメ(シリーズ)版も良い。競技かるたと百人一首(和歌)の世界を垣間見よう。

蜜蜂と遠雷」は音楽映画の傑作中の傑作。恩田陸の原作小説も併せて読みたい。

Oct

「遠い空の向こうに」の原題はOctober Skyで、アルファベットの順番を入れ替えると原作小説のタイトルRocket Boysになる。アナグラムだ。NASAの技術者になったホーマー・ヒッカムの自伝である。

「リトル・ダンサー」(原題:ビリー・エリオット Billy Elliot)は後に舞台化され、トニー賞でミュージカル作品賞・演出賞など10部門を独占した。「ビリー・エリオット ミュージカルライブ/リトル・ダンサー」というタイトルでBlu-ray/DVDが発売されている。男らしさ/女らしさ って、一体何?という問いが本作にはある。映画の最後に名ダンサー、アダム・クーパーが踊るのにも注目!

沈黙 -サイレンス-」は遠藤周作原作。篠田正浩監督版もあるが、マーティン・スコセッシ監督版の方が俄然出来が良い。キリシタン弾圧の歴史を学ぼう。

おくりびと」では死と向き合うことで、生についてしっかり考えよう。

舟を編む」は辞書編纂という作業を通して、日本語について学べる。

ドリーム」は邦題が酷い。原題は"Hidden Figures"つまり「隠された姿」という意味で、NASAでアポロ計画に先立つマーキュリー(有人宇宙飛行)計画に携わった3人の黒人女性にスポットライトを当てる。「ライト・スタッフ」と併せて観ることで、より深く味わうことが出来るだろう。

英国王のスピーチ」はアカデミー作品賞・監督賞を受賞。人前で上手に話すコツが詰まっている。そして、吃音の原因として幼児虐待があることを教えてくれる。

ゼロ・グラビティ」は宇宙を舞台にしているが、物語構造は受精卵→胎児→誕生のメタファーとなっており、同時に海洋生物が陸に上がり、直立歩行するまでの人の進化についても語っている(人間の胎児は進化の過程を繰り返すー反復説)。

続いてBEST 20まで。

シン・ゴジラ」はダイアログの洪水。繰り返し観て社会勉強をしよう。

Otona

「大人は判ってくれない」の切実さを理解するのは中学生には難しいかも知れない。しかし将来きっと判る日が来る。諦めないで。

IT/イット “それ”が見えたら、終わり。 」と「スタンド・バイ・ミー」は精神的に繋がっている。原作者が同じスティーヴン・キングだしね。そしてNetflixのドラマ「ストレンジャー・シングス 未知の世界」も、J・J・エイブラムス監督「SUPER 8/スーパーエイト」も「スタンド・バイ・ミー」なくして生まれなかった。

アカデミー賞を受賞したドキュメンタリー映画「ボーリング・フォー・コロンバイン」は銃社会アメリカについて考えさせられる。

ファースト・マン」はアポロ11号の船長ニール・アームストロングを主人公とする実話。トム・ハンクスが主演した「アポロ13」も併せて観よう。

ソロモンの偽証」は宮部みゆき原作のミステリ。中学生たちが主人公で、学校内裁判を開廷するという展開がユニーク。

Ganba

「がんばっていきまっしょい」は愛媛県松山市の高校を舞台に、ボート部の活動に打ち込む5人の女子高校生たちの姿を描いた物語。テレビドラマにもなった(放送途中で内博貴が不祥事を起こし降板、第4話から役者が変わった)。これに似た青春映画として「幕が上がる」とか「青春デンデケデケデケ」「ヤング・ゼネレーション」も取り上げたかったのだが、どちらかといえば高校生向きかなと思い直した。特に高校演劇を扱う「幕が上がる」なんか、ニッチでディープだからね。

尾道三部作「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」は言わずと知れた大林宣彦監督の名作中の名作。まずは黙って観ろ!後悔なんてさせないから。

Senjo

1917 命をかけた伝令」と「戦場の小さな天使たち」は、戦争とは何か?について学ぶテキストとして最適。残酷描写もないしね。

さらにBEST30。

グローリー ー明日への行進ー」を観て、マーティン・ルーサー・キング牧師のことを知ろう。その際、是非キング牧師の歴史的なスピーチ"I Have A Dream"も勉強しよう。動画はこちら!併せてアカデミー作品賞・監督賞を受賞した「ガンジー」も観ておきたい。

「インファナル・アフェア」は香港映画の金字塔。フィルム・ノワールの大傑作で後にハリウッドでリメイクされた。→マーティン・スコセッシ監督「ディパーテッド」

「不都合な真実」は地球温暖化について学べるドキュメンタリー映画。アカデミー賞受賞。

北野武監督の「キッズ・リターン」はラストの決め台詞に痺れろ!中学生たちよ、大志を抱け。

あと古典的名作として、

  • 風と共に去りぬ
  • 嵐が丘(1939年版)
  • カサブランカ (男の子)
  • ローマの休日 (女の子)
  • 赤い靴 (女の子)
  • 七人の侍 (男の子)
  • アラバマ物語
  • シベールの日曜日
  • まぼろしの市街戦
  • 屋根の上のバイオリン弾き
  • ハロルドとモード/少年は虹を渡る
  • ゴッドファーザー/ゴッドファーザー PART Ⅱ
  • 砂の器
  • ジョーズ
  • 未知との遭遇
  • ロッキー
  • ポセイドン・アドベンチャー
  • タワーリング・インフェルノ
  • バックドラフト
  • アマデウス
  • ショーシャンクの空に
  • 櫻の園(1990年版) (女の子)
  • ターミネーター/ターミネーター2 (男の子)
  • リング/仄暗い水の底から

を推しておく。

「櫻の園」は1990年版と2008年版があるので要注意。中島ひろ子やつみきみほが出演している方。キネマ旬報ベスト・ワンに輝いた。

エミリー・ブロンテの小説「嵐が丘」は繰り返し映画化されており、松田優作主演で舞台を鎌倉時代の日本に置き換えたバージョンまである。僕の一押しはウィリアム・ワイラー監督版。これをハリウッドで撮っていたローレンス・オリヴィエを追っかけてヴィヴィアン・リーが英国から渡米。その時なかなか決まらなかった「風と共に去りぬ」スカーレット・オハラ役をオーディションで勝ち取るという伝説を生んだ。

フランス映画「まぼろしの市街戦」(1966)は第一次世界大戦末期、フランスの田舎町が舞台。人々が町から逃亡し、取り残された精神病院の患者たちと、町を取り巻く軍隊の人間と、どちらが〈狂気〉でどちらが〈正気〉なのかという問いが本作にはある。

「ジョーズ」は当初小学生向けにお勧めしようかと考えたのだが、これを観て水恐怖症になったという人の話を聞き対象年齢を上げた。本多猪四郎監督「マタンゴ」を幼少期に観てキノコが食べられなくなったという人もいて、正にトラウマ映画だね。

「未知との遭遇」については下記事をお読みください。

「ポセイドン・アドベンチャー」「タワーリング・インフェルノ」はパニック映画(Disaster Movies)の代表作。他に「大空港」がある。

そして長編アニメーション映画部門。

テレビ・アニメ(シリーズ)

「君の名は。」については過去に当ブログで語り尽くした。

「天気の子」は以下の通り。

「風立ちぬ」については下記。

〈大切なことは言葉にならない〉〜「海獣の子供」の名台詞。

Maimai

マイマイ新子と千年の魔法」は「この世界の片隅に」の片渕須直監督作品。高校生になったら「この世界の片隅に」も観よう。

響け!ユーフォニアム」2nd seasonは既視(マンネリ)感が強いので、1st seasonのみで十分だろう。続いてスピンオフ「リズと青い鳥」を観よう。

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2020年4月11日 (土)

【2020年最新版】選定!小学生に観せたい映画・アニメ

選定!小学生に観せたい映画」という記事を書いたのが2013年。あれから7年経過した。些か内容が古びた感があるので、ここでアップデートすることにした。新型コロナウィルスで非常事態宣言が発令され、遊びに出ることもままならない子どもたちを持て余している親御さんも少なくなかろう。何かの参考になれば幸いである。

近日中に「【2020年最新版】選定!中学生に観せたい映画・アニメ」も上げる予定なので、乞うご期待。

新しい作品を優先して選んだが、「これだけは絶対に落とせない!」という古典的名作も残している。なお、過去にレビューを書いている作品は、タイトルをクリックすると該当記事に飛ぶようにしている。気に入るかどうかに性差があると思われる作品には男の子向け/女の子向けを明記した。

まずは基本中の基本、実写部門BEST 10。

  • オズの魔法使い
  • やかまし村の子どもたち/やかまし村の春夏秋冬
  • スター・ウォーズ エピソード4-6 (男の子)
  • E.T.
  • リトル・プリンセス (女の子)
  • ハリー・ポッター(シリーズ)
  • サウンド・オブ・ミュージック (3・4年生以上)
  • パディントン/パディントン2
  • 美女と野獣
  • シンデレラ (女の子)

ハーマイオニーこと、エマ・ワトソンが主演したディズニー映画「美女と野獣」(2017)と、絶世の美女リリー・ジェームズが主演した「シンデレラ」(2015)は勿論アニメ版もあるが、こちらは実写版。また「美女と野獣」アニメ版(1991)はアニメーション映画史上初めてアカデミー作品賞にノミネートされた名作中の名作(これを契機に長編アニメーション部門が新設された)。

Oz

ジュディ・ガーランド主演「オズの魔法使い」はスティーブン・スピルバーグ監督が新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために自宅隔離している人々に向けて、お勧めの一本として選んだ作品。詳細はこちら。キーとなる台詞は"There's no place like home."(わが家にまさるところなし)。

「やかまし村」二部作はスウェーデンのラッセ・ハルストレム監督で、原作は児童文学作家アストリッド・リンドグレーン。「長く下のピッピ」が有名。実は高畑勲と宮崎駿は「長くつ下のピッピ」のアニメーション映画化を準備していたが原作者からの許可が降りず、いくつかの設定を流用して製作したのが「パンダコパンダ/パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻」なのだ。

「リトル・プリンセス」のアルフォンソ・キュアロンは後に「ゼロ・グラビティ」と「ローマ」で2度アカデミー監督賞を受賞。撮影監督のエマニュエル・ルベツキは3年連続でアカデミー撮影賞を受賞した。緑が美しい。「女の子はみんな、プリンセスなのよ」

「ハリー・ポッター」は第一作「賢者の石」から第三作「アズカバンの囚人」まで観れば十分だろう。「アズカバンの囚人」はキュアロンが監督している。

続いて実写BEST 20に入るのは、

さらに白黒映画だが、チャップリンの「モダン・タイムズ」や、心温まるクリスマス物語「素晴らしき哉、人生!」も是非観ておきたい名作である。そして特撮もので忘れてはいけないのが平成ガメラ三部作(「ガメラ 大怪獣空中決戦」「ガメラ2 レギオン襲来」「ガメラ3 邪神覚醒」)。

「禁じられた遊び」は子どもたちに、戦争とは何か?を教える教材として極めて重要。

「赤い風船」と「白い馬」はフランスのアルベール・ラモリスが監督したファンタジー映画の秀作。「素晴らしい風船旅行」という素敵な作品もある。

イギリス映画「小さな恋のメロディ」(1971)は既に欧米ですっかり忘れ去られているが、日本でだけ大ヒットして未だに愛されているという不思議な映画。トレイシー・ハイドとマーク・レスターが大変魅力的。あとビー・ジーズの音楽!

マイライフ・アズ・ア・ドッグ」はラッセ・ハルストレムがスウェーデン時代に撮った名作で、人工衛星に乗せられて地球最初の宇宙旅行生物になったライカ犬の話が出てくる。ハルストレムは相当な犬好きらしく、ハリウッドに進出してからも「HACHI 約束の犬」とか「僕のワンダフル・ライフ」を撮っている。

打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」は後にアニメ版が制作されたが、こちらは岩井俊二が監督したオリジナル実写版。僕は奥菜恵に胸を射抜かれた。

「GODZILLA ゴジラ」はギャレス・エドワーズが監督した2014年ハリウッド版。ローランド・エメリッヒが監督した1998年版は救いようのない駄作なので絶対に間違わないで!!本来なら本多猪四郎(監督)・円谷英二(特技監督)の1954年オリジナル版を観て欲しいところだが、古い白黒映画だからねぇ……。

「パシフィッ・リム」も怪獣映画。ギレルモ・デル・トロ監督は後に半魚人を主人公とする「シェイプ・オブ・ウォーター」でアカデミー作品賞・監督賞受賞という快挙を成し遂げた。

レディ・プレーヤー1」はゲーム感覚で楽しめるが、出来れば事前にスタンリー・キューブリック監督「シャイニング」をご覧になっておかれることをお勧めする。

他にも色々あるので旧版「選定!小学生に観せたい映画」も併せてご覧頂きたい。

では、長編アニメーション部門に移ろう。まずBEST 10。

ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」はアイルランドのスタジオ、カートゥーン・サルーンの作品。ケルト神話を題材にしているのがとっても素敵。後で紹介するテレビ・シリーズ「ウーナとババの島」(Netflix)もここが手掛けた。

ティム・バートンのダーク・ファンタジー「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」と併せて、「フランケンウィニー」も是非どうぞ。

怪盗グルー(シリーズ)」の魅力はなんと言ってもサブキャラのミニオンズだろう。

続いてBEST 20は、

さらにBEST30。

「メトロポリス」は手塚治虫原作で、監督が「銀河鉄道999」のりんたろう、脚本が「AKIRA」の大友克洋という強力な布陣。全米で最も影響力のある映画評論家といわれたロジャー・イーバートは満点評価である4つ星を与え、アニメ史上最高の作品の一つであると称えた。

ここまでに入り切らなかった古い名作を下にまとめた。

  • 太陽の王子ホルスの大冒険
  • 空飛ぶゆうれい船
  • パンダコパンダ/パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻
  • ふしぎの国のアリス
  • ダンボ
  • くまのプーさん (1977年完全保存版/2011年版)
  • ルパン三世カリオストロの城
  • 機動警察パトレイバー the movie 1・2
  • アラジン
  • ライオンキング
  • アイアン・ジャイアント
  • ウォレスとグルミット 短編三部作

クレイアニメ「ウォレスとグルミット」短編三部作とは「チーズ・ホリデー」「ペンギンに気をつけろ!」「危機一発!」を指す。長編の「野菜畑で大ピンチ!」は詰まらない。

パンダコパンダ/パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻」は「となりのトトロ」の原点であり、街が水没する設定は「崖の上のポニョ」に流用されている。

最後にテレビ・アニメ(シリーズ)もいくつかご紹介しておこう。

宇宙よりも遠い場所」はニューヨーク・タイムズの「ベストTV 2018 インターナショナル部門」(The Best International Shows)に選出、激賞された。Netflixで配信中。京アニの「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」もNetflixで観れます。

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2020年3月13日 (金)

クラシック音楽をどう聴くか?〜初心者のための鑑賞の手引き

クラシック音楽に興味があるけれど、どう聴いたら良いのサッパリかわからない、途方に暮れるという若い方、特に中学生・高校生に向けてこれを書いてみようと思う。勿論、大人の初心者の方も大歓迎だ。出来る限りわかり易く、奥深い森への道案内をしたい。

記事全体の構成をご紹介しよう。①「まず、何から手を付けたら良いの?」……取っ掛かりに最適の曲をご紹介する。②映画を大いに活用しよう!……ぼんやり観ているだけで良いので即効性があり、とっても効果的だ。③「演奏時間が30分以上もある交響曲とかソナタを、どう受け止めれば理解出来るの?」……そのコツを伝授する。意外と簡単。

では早速始めよう。

①「まず、何から手を付けたら良いの?」

僕の経験からお話しよう。最初にクラシック音楽って楽しい!と開眼したのは小学校4,5年生の頃。切っ掛けはヴィヴァルディの「四季」だった。

初心者にとって長大なクラシック音楽は雲を掴むようで覚束なく、聴いていると眠くなってしまう。抽象的で、具体的な絵とか形(目に見えるもの-vision)や物語がないからである。しかしヴィヴァルディの「四季」は標題音楽であり、物語がある。それを読みながら聴けば、情景が目に浮かんでくる。CDの解説書を読めば良いのだが、最近はSpotify,Amazon Musicなど定額制音楽配信(サブスクリプション)サービスを利用している方も多いだろう。そういう場合に便利なのがWikipediaである。「四季」の解説はこちら。【ヴィヴァルディ】【四季】でgoogle検索すれば、直ぐ見つけられる(キーワードに【wiki】 を加えても、加えなくても良い)。おすすめの演奏は◎ビオンディ/エウローパ・ガランテ、◯スタンデイジ/ピノック/ イングリッシュ・コンサート、◯カルミニョーラ/ヴェニス・バロック・オーケストラといったところ。

Siki

ヴィヴァルディ「四季」に似た趣向の作品としてベートーヴェン:交響曲第6番「田園」が挙げられる(【ベートーヴェン】【田園】でググる=google検索)。お勧めの演奏は◎ベーム/ウィーン・フィルか、◯ネルソンス/ウィーン・フィル、◯パーヴォ・ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィル。同じベートーヴェン:交響曲第5番「運命」は苦難(第1楽章 ハ短調)を乗り越えて歓喜(第4楽章 ハ長調)へ!という明快なコンセプトがあるのでこれも判り易い。◎クライバー/ウィーン・フィルか、◯アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス 、◯クルレンツィス/ムジカエテルナあたりで。この「運命」のコンセプトに追随したのがチャイコフスキー/交響曲第5番、マーラー/交響曲第5番、ショスタコーヴィッチ/交響曲第5番。ただしショスタコの場合は屈折しており、一筋縄ではいかない。

本題に戻ろう。他に標題音楽としてホルスト:組曲「惑星」(カラヤン/ベルリン・フィル)、リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェヘラザード」(デュトワ/モントリオール交響楽団)、ムソルグスキー(ラヴェル編):組曲「展覧会の絵」(ショルティ/シカゴ交響楽団)、チャイコフスキー:組曲「くるみ割り人形」(カラヤン/ベルリン・フィル)、サン=サーンス:組曲「動物の謝肉祭」(アルゲリッチ、マイスキー、クレーメルほか)、プロコフィエフ:交響的物語「ピーターと狼」、グリーグ:劇付随音楽「ペール・ギュント」組曲(カラヤン/ベルリン・フィル)、メンデルスゾーン:劇付随音楽「夏の夜の夢」(プレヴィン/ウィーン・フィル)、ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲、交響詩「海」(ブーレーズ/クリーヴランド管)、レスピーギ:交響詩「ローマの松/祭り/噴水」(ローマ三部作) などが挙げられる。ローマ三部作は◎ムーティ/フィラデルフィア管か、◯バッティストーニ指揮/東京フィルハーモニー交響楽団で。

ロックが好きな人にはストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」がピッタリ。ピンク・フロイドの「原子心母」とか、エマーソン・レイク・アンド・パーマーの「タルカス」、イエス(バンド)などプログレッシブ・ロックに近い。◎クルレンツィス/ムジカエテルナか、◎ロト/レ・シエクル、◯ブーレーズ/クリーヴランド管で。

標題音楽じゃないけれど、ジャズ好きにはガーシュウィン:「ラプソディ・イン・ブルー」や「パリのアメリカ人」がお勧め。指揮&ピアノはバーンスタインかプレヴィン、レヴァインで。

またベルリオーズ:幻想交響曲は失恋のショックで悶々とし、アヘンを吸いながら作曲された狂気の音楽(サイケデリック・ミュージック)だ。すこぶる面白い!◎アバド/シカゴ交響楽団や◯ミンコフスキ/ルーヴル宮音楽隊、◯ロト/レ・シエクルの演奏でどうぞ。

小品ではデュカス:交響詩「魔法使いの弟子」、スメタナ:交響詩「モルダウ」、ムソルグスキー(リムスキー=コルサコフ編):交響詩「禿山の一夜」、ボロディン:交響詩「中央アジアの草原にて」、シベリウス:交響詩「フィンランディア」「トゥオネラの白鳥」、ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」「春の声」「ウィーンの森の物語」「トリッチ・トラッチ・ポルカ」、イヴァノヴィッチ:ワルツ「ドナウ川のさざなみ」、ワルトトイフェル:スケーターズ・ワルツ、メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」、マスネ:タイスの瞑想曲、ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲、スッペ:オペレッタ「軽騎兵」序曲、ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」序曲、ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死、歌劇「ローエングリン」第三幕への前奏曲、マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲あたり。シュトラウス一家のワルツ・ポルカならウィーン・フィルの演奏で。指揮者はカルロス・クライバー、ボスコフスキー、ティーレマン、ネルソンスあたり。その他の小品は◯カラヤン/ベルリン・フィルか、◯ロビン・ステープルトン/ロイヤル・フィルで。Spotifyで【ステープルトン】と入力し、検索すれば僕が作成したプレイリストが出てくる。

女性の場合はオーケストラ曲よりもピアノ曲のほうが馴染みやすいかも知れない。モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲付き」、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」、第17番「テンペスト」、第23番「熱情」、エリーゼのために、ドビュッシー:月の光(ベルガマスク組曲)、夢、アラベスク第1番、亜麻色の髪の乙女、ショパン:革命、雨だれ、エオリアン・ハープ、英雄ポロネーズ、子犬のワルツ、シューマン:トロイメライ(子供の情景)、ノヴェレッテ第1番、リスト:愛の夢第3番、ため息(3つの演奏会用練習曲)、ラ・カンパネッラ(パガニーニ大練習曲)、グリーグ:ノクターン(抒情小曲集)といったところか。ピアニストとしてはピリス(モーツァルト)、内田光子(モーツァルト)、河村尚子(ベートーヴェン、ショパン)、ポリーニ(ベートーヴェン、ショパン)、アルゲリッチ(ショパン、シューマン)、フランソワ(ドビュッシー)、メジューエワ(ベートーヴェン、シューマン、ショパン)、ボレット(リスト)、アムラン(リスト)、ギレリス(ベートーヴェン、グリーグ)なら間違いなし。

②映画を大いに活用しよう!

映画は得体の知れないクラシック音楽を、明確なvision(視覚)に結びつける力がある。一番のお勧めはディズニーの「ファンタジア」(1940)。「ファンタジア 2000」もある。①でご紹介した小品がいくつも登場する。次に恩田陸原作の日本映画「蜜蜂と遠雷」。浜松国際ピアノコンクールがモデルになっている。またウディ・アレンの「マンハッタン」を観ればガーシュウィンの曲が大好きになるだろう。そしてMGMミュージカルの最高傑作「巴里のアメリカ人」。劇団四季が上演している舞台版を観てもいいい。あとクロード・ルルーシュ監督「愛と哀しみのボレロ」、アカデミー作品賞・監督賞に輝いた「アマデウス」。〈春の祭典〉初演時に於ける阿鼻叫喚の大混乱を活写した「シャネル&ストラヴィンスキー」や、ブラームスとクララの関係を描く「クララ・シューマン 愛の協奏曲」も面白い。また古い白黒映画だが今井正監督「ここに泉あり」と、大指揮者ストコフスキーも出演するディアナ・ダービン主演「オーケストラの少女」は名作中の名作。ジェニファー・ジョーンズ主演の美しい幻想映画「ジェニーの肖像」は全編にドビュッシーの名曲が散りばめられている。

あと大林宣彦監督「さびしんぼう」ではショパンの〈別れの曲〉、「ふたり」ではシューマンの〈ノヴェレッテ第1番〉とベートーヴェンの第九、「転校生」では〈トロイメライ〉〈タイスの瞑想曲〉〈アンダンテ・カンタービレ〉、細田守監督のアニメ版「時をかける少女」ではJ.S.バッハの〈ゴルトベルク変奏曲〉、ルキノ・ヴィスコンティ監督「ベニスに死す」ではマーラーの交響曲第5番が好きになるだろう。おっと、ヴィスコンティの「ルートヴィヒ」も忘れちゃいけない。〈ジークフリート牧歌〉〈子供の情景〉が印象的。タイムトラベルもの「ある日どこかで」はラフマニノフの〈パガニーニの主題による狂詩曲〉、中国映画「太陽の少年」は〈カヴァレリア・ルスティカーナ〉間奏曲がフィーチャーされている。またスタンリー・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」を観る前には是非、ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」を読んでおきたい。貴方がさらにディープな世界を体験したければ、ケン・ラッセル監督「マーラー」、「エルガー 〜ある作曲家の肖像〜 Elgar : Portrait of a Composer」、そしてディーリアスの晩年を描く「夏の歌 Song of Summer」をご覧あれ。

③「演奏時間が30分以上もある交響曲とかソナタを、どう受け止めれば理解出来るの?」

長大な交響曲や、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、フルートなど独奏楽器のためのソナタは、基本的に同じ構造を持っている。その共通項さえ把握しておけば、比較的聴き易くなるだろう。

古典派のハイドンからロマン派のシューマン、ブラームスあたりまで、交響曲や協奏曲、ソナタの大半は3楽章か4楽章で構成される(5楽章の「田園」など例外はあるが、ごく僅か)。全3楽章の場合は第2楽章、全4楽章の場合は第2,3楽章のことを【中間楽章】と呼ぶ。そして速度(tempo)は【開始楽章ー中間楽章ー終楽章】が、【急(fast)ー緩(slow)ー急(fast)】となっている。全4楽章の場合、【中間楽章】は【緩徐(slow)楽章】と【舞踏(dance)楽章】で構成される。ハイドンとモーツァルトの時代、【舞踏楽章】は基本にメヌエットだったが、ベートーヴェンがそれをスケルツォに変えた。イタリア語で「冗談」を意味し、語源的にはふざけた、諧謔(かいぎゃく)的音楽を指す。道化的と言い換えても良い。チャイコフスキーの場合、スケルツォの代わりにワルツを置いた。またブルックナーのスケルツォはホルンが活躍する「狩り」の音楽だ。【緩徐楽章】と【舞踏楽章】の順番はまちまち。マーラー:交響曲第6番みたいに、指揮者の解釈によって入れ替わる場合もある。

【開始(第1)楽章】は大半がソナタ形式である。【提示部ー展開部ー再現部ー結尾部(Coda)】で構成される。時に冒頭に【序奏】が置かれることがある。開始楽章は前述したようにテンポが速いが、【序奏】は対照的にゆったりしている。代表的なものにモーツァルト:交響曲第39番、ベートーヴェン:交響曲第7番、ブラームス:交響曲第1番がある。

【提示部】では主題(テーマ)が提示される。ハイドン、モーツァルトからブラームスあたりまで基本的に第二主題まで。ブルックナーの交響曲は第三主題がある。肥大化したマーラーの交響曲はもっと複雑で、第3番なんか第四主題まである。第一主題が長調の場合、第二主題は属調、第一主題が短調なら第二主題は平行調となる。例えば第一主題がハ長調(ドレミファソラシ)なら第二主題はト長調(ソラシドレミファ#)、半音階で七つ上(完全五度)。第一主題がイ短調(ラシドレミファソ)なら第二主題はハ長調(ドレミファソラシ)となる。つまり転調することで第二主題の開始が分かる。交響曲の場合、第一主題(動)は弦楽器、第二主題(静)は木管楽器が主体となる。基本的に【提示部】の終わりには繰り返し記号がある(最初に戻る)。聴衆に主題を覚えてもらうためだ。しかし指揮者によっては繰り返しを無視してサッサと次に移る人もいる。古楽器系オーケストラを振る指揮者は大抵、律儀に繰り返しを実行する(アーノンクール、ブリュッヘン、ノリントン、コープマン、ホグウッド、延原武春、鈴木秀美、ガーディナー、インマゼール、ラトル、パーヴォ・ヤルヴィ、ミンコフスキ、ロト、クルレンツィスら)。

【展開部】提示部で示された主題を様々に変奏、料理する。第一主題だけ扱われることが多い。

【再現部】提示部の主題が元の形で再現される。第二主題→第一主題の順番になることがしばしば。

【終楽章】はソナタ形式か、ロンド形式。特に協奏曲はロンド形式が圧倒的に多い。ロンド形式とは異なる主題をはさみながら、同じ旋律(ロンド主題)を何度も繰り返す。図式化すると、

A-B-A-C-A-D-...-A

つまり、常にAに戻ってくる。フランス語でrond(ロン)/ronde(ロンド)は「丸い」という意味で、英語ではround(ラウンド)となる。日本語で輪舞曲というのはそのため。

【舞踏楽章(メヌエット/スケルツォ/ワルツ)】は、ほぼ三部形式(A-B-A)だと考えて間違いない。Aを主部、Bを中間部(トリオ)という。トリオが2回登場するA-B-A-B-Aという特殊形もある(ベートーヴェン:交響曲第7番)。また複合三部形式というのもあり、主部や中間部がさらに細かくa-b-a/c-d-cで構成される。

【緩徐楽章】は一番バラエティに富む。ソナタ形式だったり、展開部を欠くソナタ形式(A-B-A-B)だったり(ベートーヴェン:交響曲第4番)、 ロンド形式だったり(ベートーヴェン「英雄」)、主題と変奏曲だったり(ベートーヴェン「運命」)する。

今まで述べてきた形式が基本形だが、時にフーガが登場することもある。代表例がモーツァルト:交響曲第41番「ジュピター」やベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番、サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付き」、ブルックナー:交響曲第5番の終楽章。ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番は終楽章が後に独立し「大フーガ」となり、続く弦楽四重奏曲第14番は第1楽章がフーガ。

ブラームス:交響曲第4番は特殊で、第4楽章がシャコンヌ(またはパッサカリアとも言う)。たった8小節のシャコンヌ主題に、30もの変奏及びコーダが続く。これはJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番の終曲シャコンヌと併せて聴きたい。バッハのシャコンヌはストコフスキーや斎藤秀雄の編曲による管弦楽版もある。

いかがでしたか?例外もあるが、概ね基本構造はどれも同じ。何も難しいことはない。だから「ここまでが提示部(第一主題/第二主題)、この先が展開部…」といった具合に構造を意識して聴こう。これから聴く曲がどういう形式になっているか、予め解説書かWikipediaに目を通せば良い。Wikiには大抵の曲が載っているから。便利な時代になったものである。

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2019年12月25日 (水)

「ターミネーター:ニュー・フェイト」のにおける抹殺計画の杜撰さ

評価:B

Termi

公式サイトはこちら

製作・ストーリーとしてジェームズ・キャメロンが復帰、「ターミネーター2」の正式な続編である。リンダ・ハミルトンも戻ってきた。

悪くない。ティム・ミラー監督のアクション演出も冴えている。ただ正直言って、「ターミネーター」はシリーズ化に向いていない素材だなとつくづく思った。物語はT2で完結しており、続きは要らない。

未来の英雄(人間)を倒すために、殺人ロボットが過去に送り込まれ、ヒーローが生まれる前の母親、あるいは幼少期の彼自身を襲撃しようとする。その計画を阻止すべくヒーロー側も守護者(人またはロボット)を派遣する。ーというプロットの繰り返し。T1→T2の時はアーノルド・シュワルツェネッガーが敵(attacker)→味方(defender)に反転することに新鮮味があった。しかし柳の下に三匹目のどじょうはいない

あと今回気になったのは抹殺計画の杜撰さである。まずターゲットを確実に仕留めようと思えば、ターミネーターを単独に送り込むのではなく、10体一気にタイムスリップさせればよい。チーム・プレイだ。アメリカの特殊部隊SWATみたいに。それと映画「ゼロ・ダーク・サーティ」で描かれていたビン・ラディン暗殺のように、襲撃するのは深夜が基本である。相手の寝込みを襲う。夜ならアジトにいる可能性が高い。そして電源をシャットダウンすれば、暗闇で俊敏に動けず、退路を断つことが出来る。狙撃手は暗視装置があるから問題ない。

だから今回の敵がマヌケなのは昼にターゲットの家を訪ねていることに尽きる。外出している可能性が高いじゃん?すると次はどこに出かけているかを探り、追わねばならなくなる。全くもって労力の無駄である。未来のコンピューター・システムは経験値が低いのか、それとも単なる馬鹿なのか?

それとシュワちゃんはロボットなのに、年老いていることについての説明が一切なかった。何で??

小学校2年生の息子と鑑賞。観終わって「面白かった!」と興奮していた。

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