子供の情景

平成最後の吉野の桜

4月13日(土)奈良県の吉野山を訪ねた。十数年前に関西に引っ越してきてから毎年春に吉野に行くことが我が家の恒例となっているが、昨年は日程が合わず二年ぶりの再会となった。見事に満開であった。

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桜といえばまず現代人はソメイヨシノ(染井吉野)を思い浮かべるが、あれは江戸時代に園芸用に品種改良されたクローン植物であり、吉野とも一切関係がない(お江戸の植木屋が憧れからつけた名称である)。和歌に登場する「桜」は山桜を指す。

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「古今和歌集」から桜が詠まれた歌を紹介しよう。

桜花咲きにけらしなあしひきの山のかいより見ゆる白雲  貫之
(桜がどうやら咲いたらしいよ。山の谷間から見える白雲は)

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み吉野の山べにさける桜花雪かとのみぞあやまたれける  友則
(吉野の山辺に咲く桜は雪ではないかとつい見違えてしまった)

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ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ  友則
(陽の光がおだやかな春の日に、どうして花はあわただしく散るのだろう)

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吉野を愛した西行の歌に、

願わくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月の頃
(願うことなら、旧暦2月15日-満月の頃、満開の桜の下で死のう)

とある。旧暦2月15日は釈迦入滅の日で、現在の4月初旬頃と考えられる。

武士を捨てた西行は法師となり、吉野の奥千本に今もある西行庵で3年間侘び住まいをしたと伝わる。

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西行にはまた、次のような歌もある。

吉野山昨年(こぞ)の枝折(しをり)の道かへてまだ見ぬ方の花をたづねむ

しをり:木の枝を折って道しるべとすること。

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さらに、

世の中を思へばなべて散る花のわが身をさてもいづちかもせむ
(この世の中について考えると、全ては散る花のように無常で儚い。ならばさて、我が身を一体どこへ向かわせたらよいものか)

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吉野の桜は見る人それぞれに死生観に立ち返らせ、物思いに耽らせる。そんな春の日の、穏やかなひとときであった。

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ワンコイン・プレ・レクチャー〈これが『オン・ザ・タウン』だ!〉 by 佐渡裕

4月4日(木)兵庫県立芸術文化センターへ。レナード・バーンスタインのミュージカル「オン・ザ・タウン」上演を前にしたプレ・レクチャーを聴講する。講師は兵庫芸文の芸術監督でレニーから薫陶を受けた佐渡裕。お代は500円ポッキリ。

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佐渡がレニーに出会ったのは1985年。大阪の旧フェスティバルホールでバーンスタイン/イスラエル・フィルによるマーラー:交響曲第9番の伝説的名演を聴いたのだそう。「自由で創造的だった」と。

87年にはタングルウッドで直接指導を受けた。その時の貴重なビデオ映像も見せてくれた。この時英語が喋れず、劣等感を感じていた佐渡に対してレニーは「君は能を知っているか?」と語りかけてきた。お能のマスクの数の話や「俺は3時間じっくり鑑賞したけれど、普通の西洋人だったら耐えられないはずだ」と言い、「例えば君と握手するとしよう。能だとこんな風にゆっくりした動きになる(と実演)。ここに高いエネルギーが集積する。マーラーのアダージョも同じように振りなさい」

佐渡曰く、レニーは「破天荒な人だった」と。ここで清水華澄(メゾソプラノ)、白石准(ピアノ)の演奏で1942年に作曲された歌曲『私は音楽が嫌い』(I Hate Music)が披露された。10歳の少女が作詞したものだそうで、ユーモラスでチャーミングな楽曲。

バーンスタインの父はウクライナ系のユダヤ人移民で理髪店を営んでいた。両親は音楽と無関係の暮らしをしており、10歳の時に叔母の家でピアノに出会った。父は当然、音楽家の道に進むことに反対した。

1943年、急病で降板したブルーノ・ワルターの代わりにニューヨーク・フィルの指揮台に立ち(ラジオでも放送された)、一大センセーションを巻き起こした。それまでアメリカの主要交響楽団のシェフは皆ヨーロッパ出身者で(クーセヴィツキー・ロジンスキ・トスカニーニ・セル・ストコフスキー・オーマンディ・ライナーなど)、アメリカ人はヨーロッパに対する強いコンプレックスを持っていた。そこに初めて自国生まれのスーパースターが誕生したのである。

佐渡が師に「今まであなたが指揮したコンサートのうち、一番思い出深いのはどれですか?」と訊ねたことがあった。ウィーン・フィルとのベートーヴェン・チクルスや、1979年10月ベルリン・フィルとの唯一の共演となったマーラーの9番、89年ベルリンの壁崩壊記念コンサート(東西ドイツ・フランス・イギリス・アメリカ・ソ連の6つのオーケストラに所属する混成メンバー)でのベートーヴェン第九などを佐渡は予想していたが、答えは意外にも米CBSでテレビ中継された〈ヤング・ピープルズ・コンサート〉だった。その時点で佐渡は〈ヤング・ピープルズ・コンサート〉を見たことがなかった。現在ではDVDとBlu-rayが発売されており、つい先日我が家にもAmazon.co.jpからVol.1が届いて小学校一年生の息子と一緒に視聴しているところである(内容はため息が出るくらい素晴らしい!ただし日本語字幕が無茶苦茶。例えば「オーケストレーション」が「指揮」と訳されている。だから寧ろ英語字幕を出して見ている)。間もなくVol.2も市場に出る。

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結局その後日本のテレビで始まった音楽番組「オーケストラがやってきた」(山本直純司会)や「題名のない音楽会」(黛敏郎司会)も、〈ヤング・ピープルズ・コンサート〉をお手本にしている。佐渡が「題名のない音楽会」の司会者を引き継いだのも、恩師への深い思いがあったからである。また佐渡時代はテーマ曲としてレニーのミュージカル『キャンディード』序曲が使用された(現在の司会者は元劇団四季の石丸幹二)。

また1985年「広島平和コンサート」で自作の交響曲 第3番『カディッシュ』を振った時、原爆資料館を見たときの衝撃についてリハーサルで若い演奏家たちに熱く語るレニーの姿を捉えた映像も見せてくれた。

『ウエストサイド物語』について。冒頭口笛で奏でられる〈ソードーファ#〉のモティーフ。〈ファ#〉が「居心地が悪い」と。そこに若者たちの「抑えられないエネルギー」があり、これは♪『マリア』や♪『クール』などのナンバーにも登場する。

また『オン・ザ・タウン』の聴きどころについて、佐渡は「Swing」だと。

そして再び清水と白石が現れ、『オン・ザ・タウン』から♪『私は料理も上手よ』(I Can Cook too)が歌われて、お開きとなった。

夏の上演(7月12日-21日)がとても愉しみである。

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小豆島へ

3月22日(金)から25日(月)にかけて淡路島、小豆島、香川県を旅した。

香川では勿論、うどん巡り。最近のお気に入りは「釜あげうどん 長田in香の香」@善通寺市。以前釜あげうどんといえば〈東のわら家、西の長田〉と称される時代があったが(麺通団の書「恐るべきさぬきうどん」全盛期)、今や「香の香」こそが〈釜あげうどんの王者〉であることは論を俟たない。そのやや濃いめの塩味に中毒性がある。あと今回初めて行った「うどん 一福(いっぷく)」@高松市も細麺で旨かったなぁ!土曜日だったが、14時には麺がなくなり営業終了となった。

小豆島のお昼は井上誠耕園直営の カフェレストラン「忠左衛門」でいただいた。下の写真は「忠左衛門」からの眺め。

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オリーブ牛のハンバーグ、パエリア、蒸し牡蠣などが美味しかった。オリーブの風味が絶品で、パンを浸しても、サラダにかけても旨味を増す。

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小豆島の日の出である。

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朝はオリーブ公園へ。

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ここは実写版「魔女の宅急便」(2014年、清水崇監督)ロケ地で、ギリシャ風車がある。

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また〈グーチョキパン屋〉のロケセットが移築され、「雑貨 コリコ」に。

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下写真のような奇妙なオブジェも。

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オリーブ公園から渡し船で二十四の瞳映画村へ。

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小豆島といえば壺井栄原作・木下恵介監督の映画「二十四の瞳」(高峰秀子主演)と、角田光代原作・成島出監督「八日目の蝉」(永作博美・井上真央主演)がなんと言っても有名。そのロケセットがここに保存されている(「二十四の瞳」は田中裕子主演リメイク版の方)。ここからの海の眺めは最高!さすがしっかりしたロケハンがされている。

また宿泊した小豆島国際ホテルは海に望む部屋風呂がなんとも心地よく、癒やされた。

小豆島は手延べそうめんも有名。「八日目の蝉」の主人公は逃亡の果てに小豆島にたどり着き、素麺屋で働くのだ。

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アカデミー長編アニメ映画賞&アニー賞受賞「スパイダーマン:スパイダーバース」

アカデミー賞の長編アニメーション映画部門及びアニー賞で作品賞を制覇した「スパイダーマン:スパイダーバース」を小学校1年生の息子と一緒に観た。

評価:A+

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僕は基本的にアメコミ映画が好きじゃない。ヒーローなんて胡散臭い存在だとしか思わない。しかし何故か「スパイダーマン」はサム・ライミ監督の三部作、アンドリュー・ガーフィールドとエマ・ストーンが共演した「アメイジング・スパイダーマン」二部作(監督はハリウッド実写版「君の名は。」の白羽の矢が立ったマーク・ウェブ!)、リブートされた「スパイダーマン:ホームカミング」を全て観ていて(自分でもその理由が判らない)、本作が何と7本目になる。そして「スパイダーバース」がずば抜けて一番面白かった!

マルチバース(multiverse)の話である。宇宙(universe)が1つ(uni)ではなく、多数(multi)である可能性を考慮し、それら数多くのuniverseの集合体を指す言葉だ。この「宇宙」の外に別の「宇宙」があるかも知れないと現在、多くの物理学者たちは考えている。なお「宇宙」の「宇」は「四方上下」(三次元空間全体)、「宙」は「往古来今」(過去・現在・未来の時間全体)を意味し、「宇」は空間的広がり、「宙」は時間的広がりに対応し、英語におけるspace-timeと同義である。

パラレルワールド(平行世界)と言い換えても良いだろう。時空が歪み、様々な「宇宙」からスパイダーマンたちが一箇所に集結するというアイディアが秀逸である。

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そもそも「マーベル・シネマティック・ユニバース」(Marvel Cinematic Universe)という概念もスーパーヒーローが共有する架空の世界(宇宙)を意味しており、我々のいる宇宙や、マーベル・コミックの描く世界とも別物である。

本作が斬新なのは3DCGと2Dの融合である。基本的にはCGアニメーションだが、アクションシーンで突如擬音が吹出しで文字化され、コミックス仕様に一瞬変化するのだ。あと背景が粒立っており、紙面の質感を意識している。その志は高い。2002年に設立されたソニー・ピクチャーズ アニメーションはエポックメイキングな作品を創り出した。

アカデミー長編アニメ映画賞は2012年の「メリンダとおそろしの森」から17年「リメンバー・ミー」まで6年連続でディズニーとピクサーが交代で独占し続けてきた。そこにソニーが風穴を開けたことはデカイ。さぁ、来年は日本から新海誠「天気の子」が殴り込みをかけるゾ!大いに期待したい。

 

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イルミネーション「グリンチ」とディズニー「シュガー・ラッシュ:オンライン」

「グリンチ」

評価:B 公式サイトはこちら

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「怪盗グルー」シリーズで脇役のミニオンが大人気になったように(スピン・オフも製作された)、イルミネーション・エンターテイメント(ユニバーサル・スタジオの子会社)作品の特徴は、精巧に組み立てられたプロットというよりは、寧ろキャラクター重視という色合いが濃い。特に「SING/シング」。

「グリンチ」も例外ではなく、話の面白さよりもキャラが立っているなぁという印象。

ドクター・スースによる原作絵本は2000年にジム・キャリー主演で実写映画化もされている。

本作を観ながら感じたのは、これってディケンズの「クリスマス・キャロル」をベースにしているんじゃないか、ということ。頑固者の初老の男がクリスマス直前にふとしたきっかけで少年時代に引き戻されて、最終的に改心する物語。構造が全く同じだ。

「シュガー・ラッシュ:オンライン」

評価:A 公式サイトはこちら

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前作はアーケードゲーム(業務用ゲーム機)内のお話だったが、今回はラルフとヴァネロペがインターネットの世界に飛び出した!

脚本が練りに練られている。YouTubeとかeBayをネタにしたギャグが最高に可笑しい。またディズニー・プリンセス総出演が壮観だし、〈王子様依存型ヒロイン〉という過去の自社路線を徹底的にからかい、セルフパロディにしてしまう潔さには感服する。ディズニーもすっかり変わった。

ウォルト・ディズニーが生きていた時代を第一次黄金期とすると、ジェフリー・カッツェンバーグが築いた第二次黄金期(「リトル・マーメイド」から「ライオンキング」まで)を経て、「アナと雪の女王」「ベイマックス」など第三次黄金期をもたらした立役者は間違いなく(低迷期に解雇され後に復帰した)ジョン・ラセターである。本作でもエグゼクティブ・プロデューサーとして名を連ねている。

しかし #MeToo 運動の余波で〈ハメられて〉、CCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)だったラセターは放逐された。ディズニー&ピクサーの前途には今、もくもくと暗雲が立ち込めている。

失脚したラセターは既にスカイダンス・アニメーションのトップに就任することが決まっており、それと前後して「トイ・ストーリー3」「リメンバー・ミー」のリー・アンクリッチ監督がピクサーを退社すると表明した。アメリカのアニメーション・スタジオの勢力地図は間もなく、すっかり塗り替えられることになるだろう。「面白くなってきやがった!」(宮崎駿「ルパン三世 カリオストロの城」より)

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紅ゆずる主演 宝塚星組「霧深きエルベのほとり」ほか

2月27日(日)宝塚大劇場へ。宝塚星組「霧深きエルベのほとり」「ESTRELLAS(エストレージャス) ~星たち~」を鑑賞した。

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「霧深きエルベのほとり」は菊田一夫が台本を書き、1963年に星組が初演した。菊田一夫と言えばラジオドラマ「君の名は」が有名で、その放送時間帯は「銭湯が空になる」という伝説を残した。またペテン師2人が繰り広げる珍騒動を描いた戯曲「花咲く港」は1943年に映画化され、木下惠介監督のデビュー作となった。

彼の名前を冠する菊田一夫演劇賞は大変権威のある賞で、東宝「エリザベート」におけるタイトルロールの演技に対して花總まりが演劇大賞を受賞したことは記憶に新しい。

流石に半世紀以上前の作品なので、古臭さを感じなかったと言えば嘘になる。しかし、そこそこ面白く悪くなかった。今まで散々、死ぬほど詰まらないたオリジナル作品を宝塚大劇場で観てきたので。例えば同じ港町を舞台にした作品で小池修一郎(作・演出)の「アデュー・マルセイユ」(春野寿美礼サヨナラ公演)があるが、あれなんかより本作の方がよっぽどマシ。

水夫カールを演じた紅ゆずるは滑舌が悪く、歌も余り上手くないので精彩を欠く。この人のベストは「ガイズ&ドールズ」のネイサン・デトロイト。あの公演は神がかったキャストだった。

ヒロイン・マルギット役の綺咲愛里は美人だし、文句なし。

圧巻だったのが男役二番手の礼真琴。歌が絶品で"That's Takarazuka !"と快哉を叫びたくなったし、彼女のダンスには色気がある。素晴らしいトップになるだろう。

上田久美子の演出は舞台奥行きの使い方が抜群に上手い。例えば前方で主演のふたりが芝居をしていると、奥で別の〈何か〉が進行しているといった具合。あと「ビール祭りの ビールの泡から 二人は浮かび出た♪」という歌の場面で、ふたりがせり上がってくる趣向が愉しい。オープニングに大階段を登場させたのも華やかで、大変結構。

中村暁演出によるショーは可もなく不可もなし。そもそも、星組だから星をテーマにするという発想が安直過ぎる。

小学校1年生の息子の初宝塚体験となったが、退屈だったみたいで、幕間に「もう帰りたい」と言い出して宥めすかすのに大変苦労した。因みに彼のお気に入りは劇団四季の「キャッツ」。インドネシアの影絵などを取り入れた「ライオンキング」はちょっと高尚過ぎたみたい。

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再び法師温泉へ!

「また行きたい!」という小学校1年生の息子のたっての希望もあり、年末年始は2年連続、群馬県の法師温泉で4泊5日を過ごした。

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前回も書いたが、僕が法師温泉のことを初めて知ったのは1986年4月26日に公開された角川映画「彼のオートバイ、彼女の島」(大林宣彦監督)を劇場で観た時だった。原田知世の姉・貴和子と竹内力のデビュー作である。

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訪れて初めて知ったのだが、やはり大林監督が演出し高峰三枝子、上原謙が出演した国鉄のCM「フルムーン」(1981年放送)や、映画「テルマエ・ロマエ II」もここでロケされた。

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今冬は全国的に雪不足で、法師温泉も12月28日まで全く積もっていなかったという。しかし寒波の到来で僕らが宿に着いた29日にはすっかり白銀の世界に変貌していた。近くにある赤沢スキー場は翌30日から営業を開始した。

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上写真の法師乃湯だけではなく、野趣あふれる露天風呂の玉城之湯もある。雪が深々と降りしきる中、笠をかぶり入る湯は格別の味わいがある。朝6時頃入浴すると、湯船から有明の月が見えた。

朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪
(百人一首 より;坂上是則)

ごうごうと森が鳴る音も聴こえた。

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スキー場には2回訪れた。柔らかい新雪が降り積もる30日に息子の乗るソリはあまり滑らなかったが、根雪でアイスバーンとなった元旦には滑走距離がぐんぐん伸びた。

愉しそうにソリで滑る息子を眺めながら、中学生くらいになって彼に映画「市民ケーン」を観せたら、薔薇のつぼみ(Rosebud)の真相が明らかになる場面で「主人公の気持ち、僕よく分かるわぁ」と言うんじゃないかな、と思った。

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スキー場から宿に戻ると、温めのお湯で悴む手足を癒やした。

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(みそぎ)の感覚。僕は日本の神話(古事記)でイザナギが黄泉の国から地上に戻ってきた際の逸話を思い出した。彼が左の目を洗った時に生まれたのが天照大御神(アマテラスオオミカミ)で、右の目からは月読命(ツクヨミノミノミコト)、鼻からは須佐之男命(スサノオノノミコト)が生まれたという。

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【総括】20世紀の芸術(現代美術・現代音楽)とは一体、何だったのか?

僕は20世紀後半(昭和40年代〜平成)を生きてきた。小学校4年生くらいからクラシック音楽を聴くようになったが、当初から不思議に思っていたことがある。

コンサートで演奏されるのは大体19世紀の作曲家(リスト/ワーグナー/ブルックナー/マーラー)までで、20世紀以降の現代音楽は殆ど取り上げられない。強いて言えばストラヴィンスキー「春の祭典」やバルトーク「管弦楽のための協奏曲」など数曲あるが、それでもせいぜい20世紀前半止まりだ。

結局、シェーンベルク/ヴェーベルン/ベルクら新ウィーン楽派、ブーレーズ/ノーノ/シュトックハウゼンらセリー音楽トータル・セリエリズム)といった無調音楽は一般聴衆から拒絶され、コンサートのメイン・プログラムに入れると全く集客出来ず、閑古鳥が鳴くという状況が現在も続いている。

20世紀の聴衆が現代音楽に対して嫌悪感を抱き、そっぽを向いてしまった主な理由として〈シェーンベルクによる十二音技法の発明無調音楽への完全移行〉という流れが挙げられる。はっきり言って、聴いていて心地よくない。不快だ。我々の耳は依然として調性音楽を求めている。では何故、〈作曲家の意志↔聴衆の嗜好〉に埋めようのない乖離が起こってしまったのか?そこにはヨーロッパ人が根強く持つ進歩思想、つまり【芸術は、新しい形式が古いそれに続くという、進歩の状態に絶えずある】と見なす思想が横たわっている。

進歩思想は生物の進化論と深く関わっている。ここで多くの人が持つ誤解を解いておきたいのだが、チャールズ・ダーウィンは進化(evolution)という言葉を使っていない。彼の著書「種の起源」に登場するterm(用語)はmodification(変更・修正・調整)である。種の保存(遺伝)、自然選択(淘汰)、存在し続けるための努力(生存競争)がその理論の根幹を成す。つまりダーウィンは〈遺伝子の突然変異→環境に適応したものが生き残る〉ことを主張しているのであって、その変化は必ずしも進化を意味しない。例えば人間の足の指を考えればいいだろう。使わないから退化している。手指の変化と真逆の関係にあるのだ。

進歩思想の深層にはキリスト教(およびユダヤ教)が潜んでいる。旧約聖書の創世記によると、最初の男アダムは神に似せて造られた。つまり人間は神の似姿であり、成長とともに父親(理想像)に近づかなければならないという強迫観念妄執に彼らは囚われている。これを父性原理という。

1970年代くらいまで欧米人(と西洋かぶれの日本の知識人・エリート大学生)は本気で進歩史観を信じていた。【歴史とは人間社会のある最終形態へ向けての発展の過程である】と見なす歴史観である。イギリスにおけるホイッグ史観がその代表例で、【歴史とは人類が理性によって現状を克服し、精神の自由を実現させていく過程である】とするドイツのヘーゲル史観や、カール・マルクスによる唯物史観も同様。マルクスにとっての最終形態は共産主義社会の到来であり、その実現(=正義)のためには暴力革命も肯定される。その成れの果ての姿が連合赤軍によるあさま山荘事件であり、(テルアビブ空港乱射やダッカ日航機ハイジャックなど)日本赤軍事件であった。

音楽における進歩思想は【無調音楽という新しい進歩の段階に入ったのだから、いまさら調性音楽という前の段階には逆行出来ない】ということになるだろう。故に20世紀に調性音楽を守ろうとした作曲家たちは「時代遅れ」「ナンセンス!」という烙印を押され、映画音楽やミュージカルなどのジャンルに散っていった。その代表例がエリック・ウォルフガング・コルンゴルト、ジョン・ウィリアムズ、ニーノ・ロータ、クルト・ワイル、レナード・バーンスタイン、スティーヴン・ソンドハイム、アンドリュー・ロイド・ウェバー、久石譲らである。

映画音楽に使用したモティーフを流用したコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲は1947年に初演されて以降、半世紀に渡って馬鹿にされ、蔑まれ、無視され続けてきた。しかし21世紀に入り漸く調性音楽の復権が進み、日本でもオーケストラの定期演奏会でしばしば取り上げられるようになった。

現代美術においてもは進歩思想が跋扈した。つまり具象を否定し、抽象絵画に走ったのである。そして鑑賞者の共感と支持を完全に失った。このように20世紀における現代音楽と現代美術、そして共産主義国家建設という壮大な実験(と失敗)は完全にリンクしていた

僕に言わせれば芸術における進歩思想は愚の骨頂であり、殆ど狂気の沙汰である。文学や演劇を例に取れば分かり易いだろう。ここで読者に2つ質問をしよう。

  • あなたは紫式部「源氏物語」よりも、村上春樹の小説の方が進歩(進化)していると思いますか?
  • あなたは古代ギリシャ悲劇「オイディプス王」「エレクトラ」やシェイクスピアの作品よりも、現代演劇の方が進歩(進化)していると思いますか?

全くナンセンスな問いだ。それぞれの時代に様式(style)の変化はあるだろう。しかしそれは進歩ではない。そしていつの時代にも優れた作品と、そうでないものがある。それだけのことだ。同時代の人間にはその真価を見抜けず、時の洗礼を経なければ判らないこともある(例えばマーラーやコルンゴルトの音楽)。それが自然淘汰である。

また進歩史観の間違い・迷妄も次の2つの問いにより簡単に証明出来る。

  • あなたは19世紀ドイツの首相ビスマルクよりも20世紀に普通選挙で首相に就任したアドルフ・ヒトラーの方が優れた政治家だと思いますか?
  • あなたはエイブラハム・リンカーンよりもジョージ・W・ブッシュの方が優れたアメリカ大統領だと思いますか?

賭けてもいい。少なくとも過去2,000年間、人間性(humanity)は一切進化していない。もし人類が進化していると思うのなら、それは単なる錯覚である。代わって間違いなく進化していると言えるのは科学技術であり、富の再分配など社会(補償)制度、つまりsystemだ。

確かに人類の知識(知恵)は増えている。でもそれは進化じゃない。文字という媒体(現代ではコンピューター)により知識の蓄積が可能となり、それを幼少期から効率よく脳に詰め込むための教育制度(system)が発達したのだ。履き違えてはいけない。

故に人の心(意識+無意識=自己)を表現する芸術に、進化などあろう筈がないのである。

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【解説】「ペンギン・ハイウェイ」〜〈海〉と〈お姉さん〉に関する考察

森見登美彦の小説は以前から大好きで、今までに「太陽の塔」「四畳半神話大系」「夜は短し歩けよ乙女」「【新釈】走れメロス他四篇」「有頂天家族」「宵山万華鏡」「夜行」を読んでいる。しかし日本SF大賞を受賞した「ペンギン・ハイウェイ」は未読であり、映画版が余りにも素晴らしすぎたので、これを機会に一気呵成に読み通した。

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上記事で〈海〉とは〈ワームホール〉みたいなものだろうと僕の考えを書いたのだが、なんのことはない、小説の中で何度もワームホールについて言及されていた。

本作はポーランドの作家スタニスワフ・レムが執筆したSF小説「ソラリス(ソラリスの陽のもとに)」に触発されている。歯科医院で小学校4年生の主人公アオヤマくんがいじめっ子のスズキくんに対し、歯の中にばい菌がいっぱいになって、歯をぜんぶ抜かないと治らない〈スタニスワフ症候群〉という嘘の病気について語るエピソードがある。

「ソラリス」は2度映画化されている。アンドレイ・タルコフスキー監督の1972年「惑星ソラリス」@ソ連と、ジェームズ・キャメロン製作、スティーブン・ソダーバーグ監督の2002年「ソラリス」@アメリカ合衆国である。1965年に出版された原作小説の日本における最初の翻訳「ソラリスの陽のもとに」はロシア語からの重訳であり、さらにソ連に於ける検閲を考慮し四百字詰め原稿用紙四十枚分に及ぶ削除箇所があった。その後、「ソラリスの陽のもとに」を高校生の時に読んで魅了され、ポーランド語を学んだという沼野充義によるポーランド語原典からの完全翻訳版が2015年にハヤカワ文庫SFより刊行された。

これはソラリスの〈海〉が、その上空にある惑星観測ステーションに勤める研究者の記憶をもとにコピー人間(似姿)を造る、つまり死者を実体化(擬態)する物語である。

海は地球上の生命のすべての起源であり、なるものである。「ペンギン・ハイウェイ」ではそれを〈お姉さん〉のおっぱいが象徴している。そしてペンギンは〈お姉さん〉=が生む子供たちだ。また海は命を与える存在であると同時に、命を奪う者でもある。それは3・11東日本大震災で我々の多くが実感したことだ。

映画「ペンギン・ハイウェイ」には出てこないが、原作小説には〈お姉さん〉が日曜日に教会に通っていることが言及されている。ここで〈お姉さん〉に聖母マリア像が重ねられていることが分かる。キリスト教におけるマリアは古来、海の星の聖母(Stella Maris)と呼ばれていた。希望の印、導きの星であり、船乗りにとってステラ・マリスとは航海の目印となる北極星を指すとか、宵の明星=金星のことだとする説もある。つまり〈海〉=〈お姉さん〉=聖母マリアという三位一体が成り立ち、さらにマリア→海の星→宇宙へと繋がっているのである。

〈お姉さん〉は〈海〉の創造物である。これは間違いない。では〈お姉さん〉の原型(prototype)は何か?つまり〈海〉は何に基づいて似姿を創ったのだろう?小説に次のような記述がある。

 彼女(お姉さん)の顔を観察しているうちに、なぜこの人の顔はこういうかたちにできあがったのだろう、だれが決めたのだろうという疑問がぼくの頭に浮かんだ。(中略)そして、ぼくがうれしく思うお姉さんの顔がなぜ遺伝子によって何もかも完璧に作られて今そこにあるのだろう、ということがぼくは知りたかったのである。

ここで僕が考えたのは、〈海〉はアオヤマくんの心の中にある女性の理想像、ユング心理学で言うところのアニマ(元型 archetype)を実体化したのではないか?という仮説である。ゲーテの言葉で言い換えるなら「永遠に女性的なるもの」。しかしそうするとアオヤマくんが〈お姉さん〉の生まれ故郷、海が見える坂の街の場所を知らなかったという矛盾が生じる。彼はそもそも本物の海を見たことがない。

「もし私が人間でないとして、海辺の街の記憶はなんだろう?」
 お姉さんは路地を歩きながら言った。「私だってお父さんやお母さんのことを憶えているし、自分が今まで生きてきた思い出があるよ。それもぜんぶ作りもの?」
「ぼくにはわかりません」

ということは、彼女は何らかの理由で早逝し、〈海〉が残された両親の記憶から似姿を創ったのかも知れない。

次に〈お姉さん〉の言う海辺の街はどこだろう?と想像してみる。真っ先に連想したのは森見が書いた「夜行」の舞台となった尾道市である。しかし海辺の街の坂の上には教会があるという記述があるので当てはまらない。大林映画でも分かる通り、尾道は寺と神社の町なのだ。ならば海+坂道+教会といえば長崎市や神戸市が候補に挙げられる。もし長崎ならば〈お姉さん〉は原爆投下で命を落としたのかも知れない。その時〈海〉は長崎に出現していて、〈海〉自身が〈お姉さん〉を記憶していたのだろう(両親も同時刻に亡くなった筈なので)。

物語の最後に〈お姉さん〉は消失する。言い換えるなら〈海〉に還る。この場面で僕が想い出したのは、押井守監督のアニメーション映画「攻殻機動隊」である。主人公の草薙素子はインターネットという〈海〉に溶けて〈神〉になる。何だか似ていませんか?未来のアオヤマくんは素子を探し続けるバトーになるわけだ。

そこで僕は森見登美彦が押井守について言及した記事がないか探した。つまり、自分が立てた説の裏を取ろうと考えたのである。そして……あった、あった!

森見は大森望(書評家)との、「夜は短し歩けよ乙女」を巡っての対談で次のように語っている。

大森 つげ義春の『ねじ式』とか、あるいは押井守を連想したんですが。
森見 押井守さんも好きなので、入ってるだろうと思います。ボーッとしてると、押井守と宮崎駿が自動的に出てくるんです。
大森 たしかに、『千と千尋の神隠し』っぽいところもあるし。

             (「本の旅人」2006年12月号より)

また朋友・明石氏(現在は弁護士)との対談で、次のような発言もある。

明石 なぜか、いきなり盛り上がったなあ。夕方になって日が傾いた頃に、突然森見君が「押井守を知ってるか」って言い出して(笑)。「短篇集のレーザーディスクとか一式持ってるから、今から俺の下宿に観に来るか」って。
森見 それはね、高校の時には、誰とも押井守の話とかできなかったんですよ、まったくまわりに通じなくて。そしたら明石君が押井守の名前を知ってたから、「この人なら!」と思ったんでしょうね(笑)。
明石 たまたま『攻殻機動隊』が好きだっただけなんですけどね。後日森見君の家に泊まったら、押井守のレーザーディスクをかたっぱしから見せられた(笑)。

       (「文藝」2011年5月号 【森見登美彦】特集より)

最後に。「ペンギン・ハイウェイ」に登場するジャバウォックとチェスゲームはルイス・キャロル「鏡の国のアリス」からの引用である。そして「ソラリス」もまた、に映る自己(self)についての物語なのだ。

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インクレディブル・ファミリー

評価:A

Incredibles2

公式サイトはこちら。前作「Mr.インクレディブル」も2004年公開時に映画館で観ているのだが、何しろ14年前の話なので当ブログも未だ開設していなかった。更に遡って当時書いた拙レビューを発見した。こちら

ブラッド・バード監督は安定の面白さ。ただ実写への進出作(「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル 」「トゥモローランド」)がイマイチだったので、アニメの世界の戻ってきてくれて本当に嬉しい。ド派手なアクションのてんこ盛りで、息もつかせぬとは正にこのこと。

007シリーズのジョン・バリーを彷彿とさせるマイケル・ジアッキーノのJazzyな音楽も乗りに乗っている。エンド・クレジットでMr.インクレディブル、イラスティガール、フロゾン各々のテーマソングが流れるのがご機嫌だ。

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