子供の情景

2017年4月 5日 (水)

「レゴバッドマン ザ・ムービー」と「デッドプール」

「レゴバッドマン ザ・ムービー」 評価:B

Lgobm


巷で評判が高い「レゴバッドマン ザ・ムービー」を5歳の息子を連れて観に行った。バットマンは言わずと知れた、スーパーマンと並ぶDCコミックスのヒーローである。

「デッドプール」 評価:B

昨年公開された「デッドプール」はマーベルのX-MENシリーズのスピンオフ作品。全米製作者組合協会賞(Producers Guild Awards)のノミネート10作品の中にも「ムーンライト」「ラ・ラ・ランド」「マンチェスター・バイ・ザ・シー」と並んで選ばれた。こちらはBlu-rayで鑑賞。

いや、確かにどちらも出来は良いと想うよ。ただ、今回悟ったのはやっぱり僕はアメコミが好みじゃないということ。観ていて途中で飽いてしまう。夢中になれて、心底傑作だと認められるのはクリストファー・ノーラン監督の「ダークナイト」だけかな。

僕には勧善懲悪が信じられない。Heroなんて胡散臭い。アメコミはキリスト教社会だからこそ生み出された文化だと想う。光と影、天と地、天使と悪魔、正義(Hero)と悪(Villain)。単純な二元論。物事を分類するのが父性原理(キリスト教)の特徴であり、コンピューターも0と1の二進法で解析・表示する。たしかに便利ではあるが、世の中そんなに単純に割り切れるものではない。こういう単細胞的思考は時にアーリア人(ゲルマン民族)を最も優れた英雄とし、ユダヤ人を不倶戴天の敵・ペストと見做すヒトラーの思想(著書「我が闘争」)や、サダム・フセインを「大量破壊兵器」を持つ悪の枢軸と断じ、イラクを侵略したジョージ・W・ブッシュのような人物を生み出すことになる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2016年12月26日 (月)

ピートと秘密の友達

評価:B+

Petes_dragon

ディズニー映画「ピートとドラゴン」(1977年、日本未公開)のリメイクである。実写とアニメを融合した映画で、ドラゴンのみアニメだったという。

Pete

「ピートとドラゴン」が北米で公開されたのは「スター・ウォーズ」「未知との遭遇」と同じ年で、ディズニー・スタジオはどん底の状態だった。ジョン・ラセターがディズニーに入社するのは1979年、同じ頃、ブラッド・バード(アイアン・ジャイアント、Mr.インクレディブル、レミーのおいしいレストラン)も入社するが、程なくボスと対立して去り、やがてラセターも解雇される。

一般的にドラゴンは爬虫類であり、肌はつるつるというイメージだが(オリジナルのセル画もそう)、「ピートと秘密の友達」のドラゴンは体中に毛が生えたもふもふ系(英語で表現すればfurry)で、僕は「ネバー・エンディング・ストーリー」を想い出した。

Neverendingstory

プロットとしてはスピルバーグの「E.T.」やバードの「アイアン・ジャイアント」と似通っていて新鮮味がないが、人間ドラマが充実しており(ロバート・レッドフォードも登場)、質が高い作品に仕上がっている。CGの出来は悪くないが、実写版「ジャングル・ブック」の後だから分が悪い。

僕は5歳の息子と鑑賞したが、子供向き映画として推薦したい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2016年12月21日 (水)

大阪桐蔭高等学校吹奏楽部 サンタコンサート 2016 & 全日本吹奏楽コンクール「ポーギーとベス」の感想

12月17日(土)、5歳の息子を連れて大阪ビジネスパーク TWIN21アトリウムへ。大阪桐蔭高等学校吹奏楽部のサンタコンサートを聴く。指揮は梅田隆司先生。

Img_0882

まず最初にマーチングのパフォーマンスあり。

  • 歌劇「アイーダ」凱旋行進曲
  • 映画「スター・ウォーズ」メドレー
  • ミュージカル「キャッツ」メドレー

Img_0885

Img_0888

続いて座奏に移り、子ども向けのコンサートが始まる。

  • ジングル・ベル
  • 映画「ライオンキング」メドレー
  • 映画「となりのトトロ」さんぽ、となりのトトロ
  • 映画「ハウルの動く城」世界の約束
  • 魔法使いプリキュア!
  • 動物戦隊ジュウオウジャー
  • 赤鼻のトナカイ

Img_0892

すでに息子には大阪四季劇場でミュージカル「ライオンキング」と「キャッツ」を観せているので、今回はすごく興味を持って目をキラキラさせながら聴いていた。この日は他にキッズプラザ大阪(コーイチシェフのスイーツ工房に参加)とか公園にも行ったのだが、「みんな愉しかった!」とご機嫌だった。

さて、大阪桐蔭は今年、全日本吹奏楽コンクールで5年ぶりに金賞に輝いた(前回は2011年、自由曲はワーグナーの楽劇「ワルキューレ」)。僕は2016年度の金賞団体を集めたBlu-ray Discで鑑賞した。心が震えるくらい素晴らしかった!

銀賞に終わった2014年の自由曲「キャンディード」や2015年の「蝶々夫人」を聴いたときは「何か違う」と喉に骨が引っかかったような想いを最後まで払拭出来なかった。硬いというか萎縮しているというか……。僕は原曲であるミュージカル「キャンディード」やオペラ「蝶々夫人」の舞台を観ているのだが、桐蔭の演奏から元々の歌("Make Our Garden Grow"や”ある晴れた日に”)を残念ながら連想出来なかった。曲(アレンジ)が吹奏楽に合っていなかったというのもあるだろう。

しかし今年の自由曲ガーシュウィンの歌劇「ポーギーとベス」(建部知弘・森田拓夢 編)は水を得た魚という表現がピッタリで、見違えるようだった。まずサウンドが垢抜けている(英語で言えばsophisticated)。スポーンと抜けるような青空が眼前に広がるのだ。また”サマータイム”のフリューゲルホルンや、”いつもそうとは限らない(It Ain't Necessarily So)”のトロンボーン・ソロはアンニュイな(気怠い)感じが凄く出ていて、「これぞブルース!」と快哉を叫びたくなった。そこには伸びやかな歌があった(実際に練習時に歌ったのでは?)。現在の桐蔭はストコフスキーやオーマンディ時代の「フィラデルフィア・サウンド」に一番近いのではないかとすら感じられた。これだけ洗練されたジャズの音が出せるのなら、ミシェル・ルグランが作曲したミュージカル映画「ロシュフォールの恋人たち」の音楽(特に”キャラバンの到着”!)なんか、最高に似合っているんじゃないだろうか?(視聴はこちら)因みにこの曲は宮川彬良の卓越した吹奏楽アレンジがある。また今度のアカデミー賞で歌曲賞と作曲賞を受賞するのは100%間違いない、ミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」の音楽(作曲は「セッション」のジャスティン・フルビッツ)も将来是非、大阪桐蔭の演奏で聴いてみたいと、ここで熱くリクエストしておく(公式サイトはこちら、お洒落なこちらのミュージック・クリップもどうぞ)。イントロを聴いた瞬間に判る、「ロシュフォールの恋人たち」への鮮烈なオマージュだ(でも、ちっとも模倣じゃない)。閑話休題。

コンクールの話題に戻るが、桐蔭が選んだ課題曲はIII:「ある英雄の記憶 」(西村友)。ゲーム(RPG)とか大河ドラマの音楽を彷彿とさせる。こちらも非常に物語性が感じられる充実した演奏だった。

2月に開催される定期演奏会で「ポーギーとベス」が演奏される筈なので、生で聴けるのが今からもの凄く愉しみだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2016年12月11日 (日)

Film Musicへの扉を開いてくれたスタンリー・ブラックのことを語ろう。

僕が映画音楽に目覚めたのは小学校5年生の頃。ズービン・メータ/ロサンゼルス・フィルの演奏する「スター・ウォーズ」組曲をFMで聴いた時だった。第一作「エピソード4」公開前の話である。

高校生の頃購入したLPレコードに「フィルム・スペクタキュラー(FILM SPECTACULAR)」シリーズがあった。廉価版で確か1枚1,500円くらいだったと記憶している。

F

Film_spectacular

スタンリー・ブラック/ロンドン祝祭管弦楽団・合唱団(London Festival Orchestra & Chorus)の演奏で、効果音も入り、なにより録音が抜群に良かった。

【フェイズ(phase)4】という1963年にデッカ・アメリカが開発した録音方式で、20チャンネルのマルチ・マイク・システムで収録した音を特別なミキサーを通してアンペックスの4トラック・レコーダーで録音、2チャンネルのステレオにミックスダウンするというものだった。ストコフスキーの一連の録音(シェエラザード、チャイコフスキー5番、J.S.バッハ編曲集)やバーナード・ハーマンの自作自演(北北西に進路を取れ、サイコ、めまい)、フィードラー/ボストン・ポップスのアルバムなどに採用されている。

ロンドン・フェスティバル管弦楽団は録音のために特別編成されたオーケストラらしい(似た例としてコロンビア交響楽団やRCAビクター交響楽団がある)。実力は折り紙付きで、ロンドン交響楽団やロンドン・フィルと同等。恐らくそれら楽員たちが参加していたのだと想われる。少なくともハレ管弦楽団、フルハーモニア管弦楽団より上。

編曲も見事で、格調高いシンフォニックな映画音楽を堪能した。

特に鮮烈な印象を受けたのがエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトが作曲した「シー・ホーク」組曲。兎に角冒頭トランペット・ソロが勇壮で格好いい!「スター・ウォーズ」の作曲に際し、ジョン・ウィリアムズがコルンゴルトの多大な影響を受けていることをそれで知った(後に聴いたコルンゴルト「嵐の青春(King's Row)」のテーマは「スター・ウォーズ」と瓜二つだった)。

他にフィルム・スペクタキュラー・シリーズで大のお気に入りになった映画音楽は、

  • ハインツ・プロヴォスト:「間奏曲」←独奏ヴァイオリンとピアノのみ。
    I・バーグマン主演のスウェーデン映画及びハリウッド・リメイク版「別離」に流れた。
  • マックス・スタイナー:「風と共に去りぬ」「カサブランカ」
  • ウィリアム・ウォルトン:「スピットファイア」〜前奏曲とフーガ
  • アーネスト・ゴールド:「栄光への脱出」
  • ジェローム・モロス:「大いなる西部」
  • ディミトリー・ティオムキン:「アラモ」←合唱が素晴らしい!
  • ロン・グッドウィン:「633爆撃隊 」←スカッとする!

このフィルム・スペクタキュラー・シリーズのごく一部は現在、ナクソス・ミュージック・ライブラリー NML でも聴くことが出来る。→こちら

大学生になりCD時代となり、そこで出会ったのがRCAレコードからリリースされていたチャールズ・ゲルハルト/ナショナル・フィルハーモニック管弦楽団の"Classic Film Scores"シリーズである。ナショナル・フィルも録音専用の臨時編成で、ロンドン5大オーケストラの首席奏者らが集められた。こちらの録音も優れものだった(ドルビー・サラウンド)。

Film

衝撃的だったのがエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト作品集(「シー・ホーク」含む)。プロデューサーはジョージ・コルンゴルトで1928年ウィーン生まれ。言うまでもなくエーリヒの息子である。ジョージは晩年にジョン・ウィリアムズ/ボストン・ポップス・オーケストラの録音プロデューサーも務めている。

スタンリー・ブラックもチャールズ・ゲルハルトも棒捌きが巧みで、いずれもスマートでシャープ。洗練されている。彼ら以上の解釈に今までお目にかかったことはない。またゲルハルト/ナショナル・フィルにはハワード・ハンソン:交響曲第2番「ロマンティック」の超名演もある。是非機会があれば彼らの演奏を耳にして頂きたいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2016年12月 8日 (木)

ミュージカル「キャッツ」(劇団四季)

11月26日(土)大阪四季劇場へ。ミュージカル「キャッツ」17:30の回を観劇。

出演はグリザベラ:早水小夜子、オールドデュトロノミー/バストファージョーンズ:橋元聖地、ミストフェリーズ:一色龍次郎 ほか。一色のキレのあるダンスが良かった。

僕は黒いテントを張って上演された1985-86年の大阪公演(キャッツ・シアター)から観ている。グリザベラは久野綾希子。また1995-96年のキャッツ・シアター@品川も観た。仮設劇場では客席前方部が舞台とともに180度回転した。シアター・イン・シアター(常設劇場)に移ってから、この演出はなくなった。

5歳の息子を連れて観劇。「キャッツ」といえば冒頭、真っ暗な中に目が光った猫達が客席に現れて、子どもたちがギャーギャー泣き叫ぶのが定番なのだが、夜公演だったためか、それはなかった。猫は何回か客席に降りてきてくれて、カーテンコールではしっかり握手もした。息子はちょっと恥ずかしそうだった。

幕間では舞台に上って見学することも許可された。一方通行で、息子は3回行った。ゴミ溜めという設定なのだが、たまごっちや通天閣のレプリカとかが転がっていて面白かった。

グリザベラは娼婦猫なので幼稚園児には到底理解出来ないだろうし、敢えて僕も何の説明もしなかった。しかし全体として概ね愉しんでくれたようでホッとしている。途中「ねぇ、もう帰ろう」と言い出したけれど、最後まで何とか持ち堪えた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2016年10月14日 (金)

近・現代芸術を理解するための必読書 その2

これは、過去に書いた記事

の続編となる。今回おすすめしたいのは臨床心理学者・河合隼雄による一連の著作である。

そもそも河合の名前を初めて知ったのは今年になってからで、この夏に兵庫芸文で上演されたブリテンのオペラ「夏の夜の夢」について勉強している時だった。ことの詳細は下記に書いた。

河合と翻訳家・松岡和子との対談、「快読シェイクスピア」(ちくま文庫)は目から鱗の連続だった。特に「夏の夜の夢」が意識↔無意識の4層構造になっているという解釈はまるでクリストファー・ノーラン監督の映画「インセプション」みたいで新鮮だった。調べてみると河合は、村上春樹や小川洋子、遠藤周作、安部公房ら小説家、ノンフィクション作家・柳田邦男、詩人・谷川俊太郎、宗教学者・中沢新一、脳科学者・茂木健一郎ら錚々たるメンツと対談本を上梓していることが判明した。その後夢中になって彼の著作を読み漁った。

僕は生まれてこの方、2,500本以上の映画を観てきた。膨大な数だ。どうしてこれほどまでにフィクションに魅了されるのか、自分でも不思議だった。だから過去に次のような記事も書いた。

「博士の愛した数式」で有名な小説家・小川洋子は二十代半ばでデビューした当時、「なぜ小説を書くのですか」とインタビューで問われる度に明確な回答が出来ず、その質問が苦痛でならなかったという。しかし河合隼雄の著作を読み、物語というものの解釈に出会って彼女の目の前に立ち込めていた霧が晴れた。河合と小川の共著「生きるとは、自分の物語をつくること」(新潮文庫)に小川が書いたあとがきから引用する。

物語を持つことによって初めて人間は、身体と精神、外界と内界、意識と無意識を結びつけ、自分を一つに統合できる。(中略)内面の深いところにある混沌は理論的な言語では表現できない。それを表出させ、表層の意識とつなげて心を一つの全体とし、更に他人ともつながってゆく、そのために必要なのが物語である。物語に託せば、言葉にできない混沌を言葉にする、という不条理が可能になる。生きるとは、自分にふさわしい、自分の物語を作り上げてゆくことに他ならない。

まさにこれこそが、河合隼雄の著書から僕が学んだことである。

現在までに20冊読んだが、お勧めのベスト5を挙げておく。

  • 無意識の構造(中公新書)
  • 母性社会日本の病理(講談社+@文庫)
  • 昔話と日本人の心(岩波現代文庫)
  • 快読シェイクスピア 増補版(ちくま文庫)
  • 神話と日本人の心(岩波現代文庫)

「母性社会日本の病理」や「昔話と日本人の心」を読み、如何に自分がイザナギ・イザナミ・アマテラス・ツクヨミ・スサノオなど日本の神話のことを知らないかを思い知らされた。理由のひとつには学校教育で教わらないということもあるだろう。第2次世界大戦において、日本の神話は軍部に利用された。それへの反省もあり、また日本神話は天皇制に結びつくということもあって、日教組から徹底的に嫌悪され教育現場から排除された。河合がスイスのユング研究所での留学を終えて帰国してからも暫くの間、神話の話など持ち出そうものなら「この右翼め!」と袋叩きに合いそうな雰囲気だったので、口を閉ざしていたという(1960年代は安保闘争や学生運動が花盛りだった)。

しかしキリスト教を知らなければ欧米人のものの考え方を理解出来ないように、日本の神話や昔話を知らずして、日本人の深層心理、無意識の在り方に到達することなど到底不可能なのではないだろうか?「君の名は。」の新海誠監督も日本の昔話や神話、万葉集、古今和歌集などを読み、創作の参考にしていると語っている→こちら

ユング心理学を応用すれば、こんな解釈も可能だということを示したのが以下の記事である。

深層心理学は自然科学とは異なり、客観性よりも主観が大切である(故に「科学じゃない」という批判もある)。それは自己(self)の問題であり、物語の読解に実に役立つのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2016年9月27日 (火)

日本とアイルランドの【結び】〜映画「ソング・オブ・ザ・シー 海の歌」

評価:A+

Songofthesea

本作は第87回アカデミー賞で長編アニメーション映画賞にノミネートされた(「かぐや姫の物語」がノミネートされた年。受賞したのは「ベイマックス」)。僕は「アナ雪」に匹敵する大傑作だと想った。公式サイトはこちら

大変珍しいアイルランドのアニメーションである。主人公の女の子の名前がシアーシャで、映画「ブルックリン」でアカデミー主演女優賞にノミネートされたシアーシャ・ローナンのことを想い出した。彼女もアイルランド出身。アイルランド・ゲール語で「自由」を意味するそう。

僕は以前からアイルランドという国に親近感を抱いていた。「ダニーボーイ」「ロンドンデリーの歌」「サリーガーデン」「庭の千草(夏の名残のバラ)」……恐らく多くの日本人がアイルランド民謡に懐かしさを感じている筈である。郷愁と言い換えてもいい。どうしてなんだろう?長年抱いてきた疑問が、この映画を観て氷解した。

「ソング・オブ・ザ・シー」はアイルランド(ケルト)神話に基いている。今でこそアイルランドはカソリック教徒(キリスト教=一神教)が多いが、ケルト人は多神教の神話を持っていた。「ソング・オブ・ザ・シー」にも沢山の妖精たちが登場する。そしてシアーシャとベンのお母さんはアザラシの妖精という設定。つまり人間とアザラシの間に出来た子供なのだ。

ヨーロッパなどキリスト教の国の昔話には一切、人間と動物が結婚する話がない。「美女と野獣」の野獣は元々王子さまであり、人間の姿に戻ってヒロインと結ばれる。グリム童話「カエルの王様」もカエルが王の姿に戻って王女と結婚する。アンデルセンの「人魚姫」は王子と結婚することが叶わず、泡と消える。つまりキリスト教徒にとって人間は神に模して創造された生き物であり、他の動物・物の怪は下等なのである。だから両者が結合するなどおぞましく、あり得ないことなのだ。

一方、日本人は八百万の神を信仰し、「鶴の恩返し(鶴女房)」とか狐女房(上方落語「天神山」)など異類婚姻譚が沢山ある。やはりアイルランドと日本は繋がっている。「君の名は。」で言うところの【結び】だ。

あと本作からは宮﨑駿作品の影響を強く感じた。トム・ムーア監督も「僕は長い間、日本のアニメーションのファンで、それは僕の仕事に何年もの間、インスピレーションを与えてくれました」と語っている。フクロウの魔女マカはまるで「千と千尋の神隠し」の湯婆婆だし、「太陽の王子ホルスの大冒険」の銀色狼そっくりのキャラクターも登場する。

Gin

なんだかとっても嬉しくなった。

参考文献:河合隼雄「昔話の深層」「昔話と日本人の心」「母性社会日本の病理」「おはなしの知恵」

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2016年9月19日 (月)

スピルバーグの新作「The BFG」と「E.T.」

評価:C

Thebfg_2

The BFGとはBig Friendly Giantの略である。誰しもThe Extra-Terrestrial =E.T.のことを思い浮かべるであろう。

34年前の不朽の名作「E.T.」(1982)をスピルバーグが強く意識していたことは間違いなく、脚本も同じメリッサ・マシスンが書いている。「The BFG」が彼女の遺作となった。異星人と少年の交流が、異界の人(巨人)と少女の関係に置き換わっている。最後にサヨナラするのも同じ。

僕は本作を観ながら、スピルバーグやメリッサの創造力の衰え・老いを感じた。

問題の解決にイギリス女王陛下の軍隊出動を要請するのは如何なものか?と想った。ファンタジーとして、それは禁じ手でしょう。鼻白んだ。こりゃ公開4週目の「君の名は。」に週末興行成績で完敗するのも宜なるかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2016年7月17日 (日)

祝!ウルトラマン放送開始50年

初代「ウルトラマン」の放送がTBSで始まったのは1966年(昭和41年)7月17日のことだった。つまり今日でちょうど50年である。

僕は「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」(1967)、「帰ってきたウルトラマン」(1971)、「ウルトラマンタロウ」(1973)の主題歌を歌えるのだが、話の内容は全く覚えていない。怪獣の名前も言えない。年齢的にリアルタイムで体験しているとは考え難く、恐らく幼年期に夕方の再放送を観ていたのだと思われる。

小学校3-4年生の頃にはすっかり卒業して、その後は無縁の暮らしをしていた。再び興味を持ったのは10年前に関西に引っ越してきて、落語を聴くようになってからである。噺家の桂文三が熱烈なウルトラマン・ファンで、マクラでよくその話をした。東京から来演した柳家喬太郎も出囃子で「ウルトラQ」を使ったり、ウルトラマンの怪獣を登場させる「抜けガヴァドン」(古典「抜け雀」のパスティーシュ)を高座に掛けたりした。この噺を初めて聴いたのが2015年だが、その時はガヴァドンという名前すら知らなかった。

僕の息子は現在5歳だが、3歳頃から恐竜やウルトラマンの怪獣が好きになりフィギュアを集め始めた(僕自身は親に買って貰ったことがない)。そこでTSUTAYA DISCUSでDVDをレンタルし、「ウルトラマン」全39話と「ウルトラセブン」全49話を息子と一緒に観た(ただし佐々木守脚本、実相寺昭雄監督のセブン第12話「遊星より愛をこめて」はある事情により欠番になっている。画質は悪いが幾つかの動画サイトで試聴可能)。現在は「帰ってきたウルトラマン」を途中まで観ているところである。

元祖「ウルトラマン」のシリーズ中、突出して面白いのは佐々木守脚本、実相寺昭雄監督の回である。ファン投票でトップの人気を誇る「故郷は地球」や、ガヴァドンが登場する「恐怖の宇宙線」もそう。このコンビによる「怪奇大作戦 京都買います」はテレビドラマ史上最高傑作だと信じて疑わないのだが、どうしてなかなかウルトラマンも負けてはいない。

佐々木脚本が傑出しているのは価値観の反転を行っていることにある。ガヴァドンは子どもたちの描いた画が宇宙線を浴びて実体化した怪獣であり、彼等はウルトラマンに「ガヴァドンを殺さないで!」と懇願する。つまりウルトラマン&科学特捜隊は【子どもたちの想像力を踏みにじる大人たち】に成り下がり、どちらが正義でどちらが悪かこんがらがってくるのである。父性原理で「断ち切る」性質を持つ欧米人(キリスト教徒&ユダヤ教徒)の思想は光と闇、天国と地獄、天使と悪魔に分ける二元論がその根幹を成している。しかし「世界はそんな単純な二元論で割り切れるものではない」という立場に立つのが我々日本人なのだ。考えてみればゴジラ(Godzilla)も人間にとっての敵であると同時に、台風や津波、地震など自然災害にも似た「荒ぶる」であり、水爆実験による「被害者」でもある。その多義性に魅力の本質がある。

「故郷は地球」(2016年8月21日午後5時よりNHK BSプレミアムで放送予定)に登場するジャミラも宇宙にひとりぼっちで取り残された宇宙飛行士の成れの果ての姿だ(映画「オデッセイ」のマット・デイモンと同じ)。彼は本当に退治すべき「悪」なのだろうか?それとも……。

「怪獣墓場」では科学特捜隊が今まで倒した怪獣たちを弔うために戒名をつけ、坊さんを呼んでお経を唱える怪獣供養が行われる。そのユニークな発想にびっくりした。そして怪獣墓場から落っこちてくる亡霊怪獣シーボーズ(←坊主?)は空を見上げて泣き叫ぶばかりで破壊行動もせず、もののあはれを感じさせる。余談だが怪獣墓場をもじった怪獣酒場が神奈川県川崎市にあり、大阪・難波にも元祖怪獣酒場があった。後者は惜しまれつつ閉店したのだが。

実相寺監督独特の凝りに凝った構図も見どころのひとつである。

また第一期を企画立案し、メインの脚本家として活躍したのが金城哲夫(きんじょうてつお)。沖縄県出身である。「ウルトラセブン」や「帰ってきたウルトラマン」の多くを執筆した上原正三も沖縄県出身である。彼等は幼少期に凄絶な沖縄戦を体験し、その後アメリカ合衆国に統治された故郷を憂えた。沖縄が返還されたのは1972年、「帰ってきたウルトラマン」放送終了後のことである。そもそも琉球王国は1609年に薩摩藩に征服され付庸国となり、明治維新の時に沖縄県として再編された。つまり彼等にとっては日本人も侵略者なのである。そういう屈折した複雑な想いがシリーズに込められている。

今回初めて「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」の明確なコンセプトの違いを知った。マンが戦う相手は怪獣だが、セブンの敵は宇宙人。つまり後者はSF要素が色濃い。セブンにはウルトラホーク1号から3号までのメカの魅力も加味され、ウルトラ警備隊の専用車「ポインター」のデザインも格好いい。また主人公がマンに変身すると必ず巨大化するが、セブンは①人間と等身大のまま、②巨大化するという2段階のプロセスが有る。

「ウルトラセブン」になると佐々木守が2本しか執筆していないのが哀しい。しかもうち1本(「遊星より愛をこめて」)は永久欠番だし。セブンの最高傑作は金城哲夫脚本、実相寺昭雄監督「狙われた街」(2016年8月28日午後5時よりNHK BSプレミアムで放送予定)であることは論を俟たないだろう。卓袱台を挟んでウルトラマンとメトロン星人が対峙するのは史上屈指の名場面である(これぞ昭和!)。また上原正三脚本、実相寺明雄監督「第四惑星の悪夢」は後の映像作家たちに多大な影響を与えた。例えばアニメ「宇宙戦艦ヤマト 2199」の第14話「魔女はささやく」は「第四惑星の悪夢」への熱烈なラヴ・レターである。

セブンに参加した新しい才能で特筆すべきは「快獣ブースカ」で脚本家デビューを果たした市川森一である。「盗まれたウルトラ・アイ」は詩的かつ叙情的な逸品だ。市川は後にTBSの金曜ドラマ「淋しいのはお前だけじゃない」で第1回向田邦子賞を受賞する。また市川が執筆したNHK大河ドラマ「黄金の日日」は三谷幸喜のお気に入りで、松本幸四郎演じる主人公・呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)は本日放送される「真田丸」にも特別出演する運びとなった。

あとセブンで注目すべきはアンヌ隊員(菱見百合子)のエロさである。この役は映画出演決定を理由に降板した豊浦美子の代役として急遽決まったため、コスチュームのサイズが合わず体にぴったりとフィットしたものになったという。市川森一や評論家・森永卓郎らが「アンヌは初恋の人」と告白している。また落語家・立川談志も写真集「アンヌへの手紙」に寄稿している。

An

「ウルトラセブン」はモロボシ・ダンとアンヌの悲恋物語として観ることも出来る。最終話(2016年9月11日午後5時よりNHK BSプレミアムで放送予定)でシューマンのピアノ協奏曲が流れる趣向はとてもロマンティックで、胸がキュン!とする。一方、「ウルトラマン」の紅一点、フジ・アキコ隊員(桜井浩子)はお色気ゼロだ。

金城哲夫は1969年に円谷プロを退社し沖縄に帰った。「帰ってきたウルトラマン」では第11話のみ脚本を執筆している。佐々木守は完全に撤退し、実相寺昭雄は第28話のみ監督した。その代わり初代「ゴジラ」の名匠・本多猪四郎が第1話・最終話など全5話を監督していることが「帰ってきた」の白眉である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2016年5月11日 (水)

ズートピア

評価:A-

Zootopia

ジョン・ラセター(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)復帰後のディズニーは破竹の勢いで、快進撃は止まるところを知らない。その秘訣は企画段階から多人数で繰り返される会議による合議制=ピクサー方式の導入に負うところが大きい。本作も【ズートピア=多民族国家アメリカ合衆国のメタファー】を舞台に、練りに練り上げた物語が展開される。監督が3人、Story(原案)が7人という寄ってたかっての人海戦術である。その根っこは1960年代まであった南部の人種差別政策からキング牧師による公民権運動、そして現在のアメリカが抱える課題、理想郷(ユートピア)作りの困難さまで踏まえている。ミステリー(探偵小説)の要素もあり、エンターテイメント性もバッチリ。パーフェクトである。

しかしながら村上春樹が言うように、人は誰しも「100%の女の子」に恋するとは限らない。完璧な女性と一緒にいると時として息苦しくなることもある。あばたもえくぼ。だからラセター製作総指揮の(無個性な)作品群は商品として文句の付けようがないくらい素晴らしいのだけれど、時には宮﨑駿や押井守、庵野秀明、新海誠が監督した、歪で不完全な(作家性の強い)日本のアニメでお口直しをしたくもなるのである。要するに一文の隙もない「ズートピア」は可愛げがないのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|