偶像 iDOL

2023年6月 2日 (金)

【考察】空耳力が半端ない!YOASOBI「アイドル」英語版/「推しの子」黒川あかねの覚醒

こちら↓も併せてお読みください。

 ・ 【考察】全世界で話題沸騰!「推しの子」とYOASOBI「アイドル」、45510、「レベッカ」、「ゴドーを待ちながら」、そしてユング心理学

ヒットチャートを爆走中のテレビ・アニメ『推しの子』主題歌・YOASOBI『アイドル』英語版“Idol”を聴きながら、テレビ朝日系列の深夜バラエティ番組『タモリ倶楽部』の名物コーナーだった“空耳アワー”を思い出した。多分多くの人が同じ感覚を味わったのではないだろうか?試聴はこちら

Idol

具体例を挙げよう。“that emotion”の箇所が「誰も」にしか聞こえない。また“Damn it !”というスラングがあり、「ちくしょう!」「くそ!」といった意味。これを短縮すると“dammit”になる。『アイドル』の中で “dammit,dammit” と連呼されるのだが、これが「ダメダメ」に聞こえるといった具合。逆に英語版の後に日本語版を聴くと、「誰も」 が“that emotion” に聞こえるという摩訶不思議な体験が味わえる。訳詞を担当したKonnie Aokiは凄腕だ。

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ネタバレ警告!以下、アニメ第七話の内容について触れます。

番組をご覧になった後にお読みください。

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アニメ『推しの子』第七話【バズ】は視聴者から「第一話に匹敵する神回!」と称賛された。僕も最後に黒川あかねが覚醒する姿を観て鳥肌が立った。

あかねは劇団「ララライ」に所属し女優として活動する高校2年生。子役時代は劇団「あじさい」に所属していた。これは間違いなく劇団ひまわりのパロディで、「ひまわり」が8月、太陽の季節なら「あじさい」は6月の雨。しっとり濡れた感じがあかねのイメージに相応しい。

第七話の最後に、ファンの手で殺された星野アイ(自称“歌い踊り舞う私はマリア”)が黒川あかねを依代(よりしろ)に降臨するわけだが、つまりあかねは巫女(日本の東北地方北部ではイタコと呼ばれる)の役割を果たしていると言えるだろう。

あるいは、あかねが憑依型の女優であるという解釈も可能なわけで、僕は美内すずえの漫画 『ガラスの仮面』で泥まんじゅうを食べた北島マヤのことを真っ先に思い出した。ネットの評判の中にも「黒川あかね、おそろしい子」というのがあり大爆笑。往年の大女優・月影千草が、当時中学生だった北島マヤの才能を見出した時の台詞である。ガラ仮面を連想したのが僕だけではなかったと分かり、嬉しかった。

考えてみればアイドル(偶像)とファンの関係って、宗教に似ている。「神曲」とか「布教活動」「お布施」といったオタク用語もそのままズバリだ。アイを刺殺した男も彼女を愛していた訳で、イエス・キリストとユダの関係に置き換えることが出来るだろう。ユダがイエスを裏切った後、絶望し自殺したのも符合する。

死者が生者を支配する世界。『推しの子』はますますダフニ・デュ・モーリエ(著)『レベッカ』の様相を帯びてきた。また男(アクア)の好みに合わせて死んだ女(アイ)を蘇らせるという意味ではアルフレッド・ヒッチコック監督の映画『めまい』も彷彿とさせる。そういえば『レベッカ』もヒッチコックが映画化しており、両者が似通った構造を持っていることを『推しの子』を通じて初めて気付かされた次第である。恐れ入りました、感服です。

今まで有馬かな“推し”だったのだが、黒川あかねに“推し変”しそうな自分が怖い。

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2023年5月20日 (土)

【考察】全世界で話題沸騰!「推しの子」とYOASOBI「アイドル」、45510、「レベッカ」、「ゴドーを待ちながら」、そしてユング心理学

赤坂アカ(原作)横槍メンゴ(作画)による『推しの子』がTVアニメになり、世界を席巻している。

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兎に角、初回放送90分というのが前代未聞で凄まじいインパクトをもたらした。またYOASOBIによる主題歌『アイドル』の破壊力が半端ない。この音楽ユニットは元々、小説を音楽にするプロジェクトから誕生したそうで、『アイドル』の歌詞も赤坂アカが書き下ろし、アニメ放送直前に公開された小説『45510』に基づいている。この短編の完成度の高さが超弩級で舌を巻く。

『アイドル』は配信直後から異次元ヒットを飛ばしており、ストリーミング再生数がダントツの首位、週前半3日間の集計で再生数が1000万回を超えるのはBTSの『Butter』以来、史上2曲目となる快挙だそう 。海外のチャートにも既に多数ランクイン。ビルボードのグローバルチャート「Global200」では14位を獲得したという。

『推しの子』を見始めて最初に気付いたのは、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画化でも名高いイギリスのダフニ・デュ・モーリエが書いた小説『レベッカ』と物語の構造が似ているということ。登場人物の多く(アクア、ルビー、有馬かな、斉藤みやこ etc.)が死んだアイ(アイドルグループ「B小町」のセンター)の面影にいつまでも囚われている。『レベッカ』が描くのも死者に支配された世界だ。タイトルロールのレベッカが全く登場しない構成も凄い。全ては人々の記憶で語られる。

『レベッカ』の着想にインスパイアされたと考えられる作品にノーベル文学賞を受賞したアイルランドの作家サミュエル・ベケットによる20世紀を代表する戯曲『ゴドーを待ちながら』と、直木賞作家・朝井リョウの小説『桐島、部活やめるってよ』(小説すばる新人賞受賞、映画も傑作)が挙げられる。

 ・「ゴドーを待ちながら」@京都造形芸術大学 2017.09.12

登場人物たちがしきりにゴドーや桐島のうわさ話をするが、当の本人は最後まで現れない。ゴドー/桐島=イエス・キリスト(神)と解釈することも可能だ。観客/読者が可視出来る人々はその信者というわけ。『アイドル』の歌詞に「歌い踊り舞う私はマリア」とある。つまりアクアもルビーも聖母マリアを信仰している。

しかしアイは平気で嘘をつき、「嘘は私なりの愛だ」と宣言する。彼女は単なる聖女ではなくサタン・魔女としての側面も持つ。だからゴドーや桐島よりも、腹黒いレベッカの方が性格的に近いと言える。アイは聖母マリアであると同時に、マグダラのマリア(罪深い女)でもあるのだ。その二面性にヲタは惹きつけられる。

YOASOBIの『アイドル』は冒頭に合唱が登場した瞬間から禍々しい黒ミサの様相を帯びてくる。

Oh, my Savior, oh, my saving grace

アカデミー作曲賞を受賞したジェリー・ゴールドスミス作曲、映画『オーメン』の主題歌「アヴェ・サタニ(Ave Satani )」に近い雰囲気がある。アヴェ・マリアをサタンに置き換えたもの。

と同時にMIX(AKB48などのライブにおいて、前奏や間奏にファンが叫ぶ掛け声のこと)が入り、アイドル・ソングとしても完璧。大いに盛り上がり、興奮はMAXに。

そしてBパートで、手記『45510』を書いた(主観「私」)と思しきBさんが登場。全力で悪意を噴出し、あたりかまわず撒き散らす。

さらに曲の後半「愛してるって嘘で積むキャリア」と歌う所でボレロのリズムになるのが悪夢のようでまたいい。断頭台への行進みたい。作詞・作曲のAyaseは天才だ!!

ikuraの歌い方がいつもと違い、声の加工も初音ミクを彷彿とさせるボーカロイド風に仕上がっている。本心を表に見せないアイにぴったりだ。AyaseはボカロPとして活躍していた時代もあり、確信犯だろう。

アイのモデルは誰だろう?真っ先に思い浮かぶのが九州・福岡県のアイドルグループRev. from DVLの絶対的センターだった橋本環奈。ファンが撮った「奇跡の一枚」と呼ばれる写真が全国的人気に押し上げるが、グループ解散まで彼女が原点を見捨てることはなかった。ハシカンは赤坂アカの『かぐや様は告らせたい』実写映画で主演を努めており、原作者が彼女のことを念頭に置かなかった筈はない。次にAKB48初の東京ドームコンサートで卒業した前田敦子、当時20歳。あっちゃんのボブの髪型は“重曹を舐める天才子役”有馬かなに゙継承されている。そして『欅坂46』孤高のセンター・平手友梨奈。巫女の役割も果たした“てち”には握手会での襲撃未遂事件があった(2017年6月24日@幕張メッセ)。アイドルがファンに襲われた事件としてAKB48川栄李奈と入山杏奈のケースもある(2014年5月25日の握手会@岩手県滝沢市)。

アイは「誰かに愛されたことも誰かのこと愛したこともない」と言う。これは施設で育った彼女の〈愛着障害〉を示している。親に愛されなかった子供は自己肯定感が低く、自分すら愛すことが出来ずリストカットなど自傷行為に及ぶことがある。「痛み」によって初めて「生の実感」を得るのだ。

「嘘=愛」はユング心理学においてペルソナ(仮面)と表現される。人は幾つもの仮面を持っている。家庭で見せる顔と、職場で見せる顔が違うのは当たり前。「どれが本物?」と問われても、誰も答えることは出来ないだろう。嘘はこの過酷な世界を生き抜くための盾・防壁だ。『アイドル』のMVでアイがウサギの着ぐるみを脱ぐ場面がある。あれはペルソナ(仮面)を外すことと同義と言えるだろう。

 ・〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その2〉太母・老賢人・子供・アニマ・アニムス・ペルソナ 2019.06.06

またアニメの第6話『エゴサーチ』において、「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」というニーチェの著書『善悪の彼岸』からの引用も深いなと思った。

まだまだ回収されていない伏線は多い。どうして産婦人科医ゴローの死体は発見されていないに彼の葬式は執り行われたのか?そもそも入院患者をほっぽらかして主治医が失踪したら捜索願いが出されるだろうし、警察が病院近くの崖から転落した可能性を考えない筈はない。山狩りは必ず行われるだろう。それにスマホの電源が生きていれば大まかな位置情報を特定出来る。仮に獣が死体を運んだとしても血痕は残る。どう考えても不自然だ。これらの謎が解明される日を楽しみに待とう。

余談だが梅田隆司(総監督)/大阪桐蔭高等学校吹奏楽部の演奏する『アイドル』が素晴らしい(動画はこちら)。特にサイリュームの使い方!!この楽団はYOASOBIの『ラブレター』(オフィシャルMVはこちら)に参加していて、けだし名曲。誰に対する手紙か判明したとき、心打たれない者はいないだろう。梅田先生、今年は甲子園でも『アイドル』を絶対聴かせてくださいね。

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2021年10月 4日 (月)

サマーフィルムにのって

評価:F (不可)

Summer

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評判が良かったから観に行ったのだが、久々に地雷を踏んだ。お粗末。

映画讃歌をテーマとする作品は少なくないが、しばしばハマりやすい落とし穴は「映画が大好きな俺って、イケてるでしょ?」という自画自賛、自己肯定感丸出しの、まるで他人のマスターベーションを強制的に見せられているような不快感である。本作はその典型で、ほとほとうんざりした。これだけの悪印象を抱いたのは原田眞人監督のデビュー作『さらば映画の友よ インディアンサマー』(1979)以来である(原田さんは今ではちゃんと立派な大人になった)。つまり「サマーフィルムにのって」は青臭いのだ。みっともなくて目を覆いたくなる。反吐が出そう。あと、しょーもない『時をかける少女』の引用にも腹が立った。これは筒井康隆に対する冒涜である。

同ジャンルのスタンリー・ドーネン監督『雨に唄えば』とか、フランソワ・トリュフォー監督『アメリカの夜』、あるいはジュゼッペ・トルナトーレ監督『ニュー・シネマ・パラダイス』の域に達するのは、並大抵のことじゃないと改めて思い知った。

本作の主人公である女子高生は勝新太郎が主演する『座頭市』などの時代劇が大好きで、同級生の友人(女)三人が集う河川敷の秘密基地(小屋)には工藤栄一監督『十三人の刺客』のポスターが貼ってあり、市川雷蔵の『大菩薩峠』や三船敏郎の『椿三十郎』が話題になったりとするわけだが、これは明らかに男の映画マニアの発想であり、女子高生の会話としてはあまりにも不自然。鼻白んでしまった。実際のところ本作は監督・脚本:松本壮史、共同脚本:三浦直之と、男ばかりで書いている。僕は今までに三千本以上の映画を観ており相当なマニアだと自認しているし、岡山映画鑑賞会とか、OBs Club(大林宣彦公認ファンクラブ)といったディープな会に参加してファン同士で語り合ったりもしてきたが、そもそも日本の時代劇が大好きな女性なんか1人として出会ったことがないぞ。黒澤映画に心酔するのも男だけだ。それに、男も含め今どきの高校生に勝新とか雷蔵ファンがいるとも思えない。全くリアリティがない。

主役の伊藤万理華は撮影当時24歳だが、ちゃんと高校生に見えた。彼女は乃木坂46の第1期生で、僕はTVの冠バラエティ番組『乃木坂って、どこ?』をグループのCDデビュー(『ぐるぐるカーテン』)前から見ていたから、彼女のことを知ったのは多分2011年である。グループの中では割と地味な存在で、シングルの選抜に選ばれずアンダーメンバーに甘んじることが多かったように記憶している。ただしアンダー(16−17名)の楽曲で3度、センターに選出されている。万理華(まりっか)が演技するのは初めて見たが、悪くない。新人女優として中々有望だと思う。乃木坂46の卒業生といえば『愛がなんだ』の深川麻衣も良かったし、西野七瀬がスナックのママを演じ好評の『孤狼の血 LEVEL2』も近いうちに是非観たい。彼女たちの未来に幸あれ!

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2021年3月 5日 (金)

【考察】映画「あの頃。」の登場人物たちはどうしてこんなに気色が悪いのか?

評価:F

Ano

原作はベーシストで神聖かまってちゃんのマネージャーだったこともある劔樹人(つるぎみきと)のエッセイ。大学生卒業後就職も出来ずに、もやもやしていた主人公(松坂桃李)が松浦亜弥のミュージック・ビデオを見て「ハロー!プロジェクト」のアイドルに夢中になり、イベントで知り合ったネット弁慶のコズミン(仲野太賀、原作ではコツリン)らと青春の日々を謳歌するという物語。公式サイトはこちら

小林よしのり、中森明夫、宇野常寛らの座談会を本にした『AKB48白熱論争』(幻冬舎新書)第1部は〈人はみな誰かを推すために生きている〉と銘打たれている。全く同感である。僕自身、〈誰か〉に限らず、〈何か〉を“推す”ためにこのブログを10年以上書き続けている。それは大好きな音楽だったり、映画だったり、舞台ミュージカルだったりする。自分が愛する〈誰か〉や〈何か〉を語ることは愉しい。嘗て大林宣彦監督の公式ファンクラブ、OBs club広島支部に入っていたこともあり、そこで仲間が出来た。

大のおとながアイドルを好きになる気持ちも分かると思っていた。僕は今までにAKB48、乃木坂46、欅坂46の握手会に各々一回ずつ行ったことがある。握手したのは柏木由紀、渡辺麻友、島崎遥香、川栄李奈、西野七瀬、齋藤飛鳥、平手友梨奈、長濱ねる、といった面々。また学会出張で博多に行ったときはHKT48の劇場公演(2回)、新潟に出張したときはNGT48の劇場公演を観た。ヲタクの生態も多少なりとは理解しているつもりだった。

だから『あの頃。』に登場する「恋愛研究会。」のメンバーにも共感出来るのではないかという期待を持って映画館に足を運んだ。ところが!僕が感じたのはホモ・ソーシャルな関係性の6人に対する嫌悪感だけだった。駄目だ、生理的に全く受け付けない。そんな自分に些かショックを受けた。な、なんなんだ、この感情は?同族嫌悪??いや、違う。僕は動揺した。そして数日間真剣に考えて、悩み、漸く結論に達した。

「恋愛研究会。」のメンバーがキモいのは、彼らに社会性が欠けているからだ。アルバイト程度の仕事をしている人はいるが、殆どが無職。家庭も持っていない。つまり現実社会において他者に真剣に向き合っていない。「恋愛研究会。」という名称にしたって恋愛は互いの気持ちが通じ合って成立するものだ。彼らがしていることは自分の一方的な“好き”をぐだぐだと語っているだけ。ストーカーと何ら変わらない。生産性がない。メンバーがモーニング娘。の『恋ING』を演奏し、熱唱する場面があるが、あまりにも音痴で聞くに堪えない。結局、自分たちが“愉しい”に終始しており、目の前にいる聴衆をもてなそう(entertain)という意志のかけらもない。つまりここでも社会性が欠如しており、マスターベーションを見世物にしているようなものだ。しかも『恋ING』を歌う場面はたっぷり2回も登場する。勘弁して〜。今泉力哉監督、「あんたバカぁ!?」(惣流・アスカ・ラングレー風に)。

“クズ”ミン、もとい、コズミンが女性を性欲処理の対象としてしか見做していないのも実に不愉快であった。 メンバーの彼女にちょっかいを出す場面でも、相手とコミュニケーションを取りたいという意思は全く無く、オッパイを揉むことしか頭にない。最低の男である。だから彼の興味関心が生身の(面倒くさい)人間から次第に離れて、アニメのフィギュアに終結していくのも、むべなるかなと思った。

結論。アイドルは明日を生きるための“希望”である。“好き”になって“推す”のは好い。しかしバランス感覚が大切。趣味仲間以外の社会との関係性(commitment)を喪失したら、人間終了である。

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2020年9月18日 (金)

僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46

「拘束されているときに『不協和音』の歌詞がずっと頭の中で浮かんでいました」

香港の民主活動家で、香港国家安全維持法違反の疑いで逮捕された周庭(アグネス・チョウ)氏は保釈後にこう発言し、アイドルグループ欅坂46が再び脚光を浴びた。秋元康が生み出した楽曲はこうして国境を軽々と超えた。

センターの平手友梨奈が「僕は嫌だ!」と絶叫する『不協和音』を彼女たちは2017年の第68回紅白歌合戦で歌い、パフォーマンス直後にメンバー3人が過呼吸で倒れた。2019年の紅白でも『不協和音』に挑戦し、ふたたび平手が倒れ周りのメンバーに抱きかかえられ舞台袖まで搬送された。

年が明けて2020年1月23日、平手はグループ脱退を発表し、世間に衝撃を与えた。結局紅白での『不協和音』が彼女にとって、欅坂46としての最後のパフォーマンスとなった。

評価:A+

Keyaki

映画公式サイトはこちら

大傑作である。元々予感はあった。不朽の名作『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら夢を見る』の高橋栄樹監督だったからだ。僕は2012年に公開された映画の年間ベストワンに『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら夢を見る』を選んだし、【2000年以降の映画ベスト60!】にも入れた。2011年東日本大震災についてのドキュメンタリーであり、〈戦争映画〉でもあった。

“平成の山口百恵”こと、平手友梨奈については今までも折に触れて言及してきた。

結局、欅坂46は“平手友梨奈と愉快な仲間たち”と表現しても過言ではないグループだった。総合プロデューサーの秋元康も、振付師のTAKAHIRO(上野隆博)も平手にぞっこん惚れ込んでおり、他のメンバーは単なる背景に過ぎなかった。そのことを象徴する楽曲が『二人セゾン』であり、最後に平手以外は全員、欅の木と化す。デビュー作『サイレントマジョリティー』の振付では平手を旧約聖書のモーセ(預言者)に見立て、出エジプト記が表現される。平手以外のメンバーは真っ二つに割れる紅海(=オブジェ)だ。

そのアイドルグループとしての歪さと、他のメンバーたちの苦悩や葛藤が本作では赤裸々に描かれている。単体で見ると皆、可愛い子たちばかりで、気の毒としか言いようがない。しかし一方で平手という〈カリスマ=巫女=預言者〉抜きではこれだけ世間の注目を集めなかっただろうということも真実であり、複雑な気持ちになる。秋元康も罪な男よのう……。劇場版「さよなら銀河鉄道999 〜アンドロメダ終着駅〜」でキャプテン・ハーロックが黒騎士ファウストに言う台詞「鬼だな」を思い出した。

本編中に高橋監督がTAKAHIROに対して、子どもたちに対する大人の責任を問う。その意地悪な質問に戸惑い、後ろめたさを漂わせながら訥々と答えるTAKAHIROが最高に可笑しい!

またドキュメンタリー部分だけではなく、ライブでのパフォーマンスがいい音でたっぷりと堪能できるよう仕上げられており、抜かりがない。

2019年秋に予定されていた9thシングル発売延期について、ミュージック・ビデオ撮影現場に平手が姿を現さなかったことが原因であったことが明らかにされる。

2020年9月8日に放送されたTOKYO FMの『TOKYO SPEAKEASY』に平手友梨奈とRADWIMPSの野田洋次郎が登場し、大いに語り合った。その対談の中で平手は、つい数日前に秋元康と食事をしたこと、欅坂46に入り秋元と連絡先を交換した際、「毎日交換日記をしよう」と秋元から提案され、今でも続いていることを明かした。つまりそれは平手が9thシングルMVの撮影現場に行かないことを秋元は事前に知っており承認していたこと、平手の脱退についても全く感情を害していないことを意味している。いやはや!

秋元と彼のミューズ(Angel of Music)平手が今後、どのような作品を生み出していくのか、目が離せない。

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2020年6月 6日 (土)

祝サブスク解禁!!山口百恵の魅力について語り尽くそう。〈後編〉

本記事は、

の続きである。

【プレイバック】1978年5月にリリースされプレイバック Part2」は作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童の夫婦コンビ作。元々はディレクターの発案で「プレイバック」というタイトルが先に決められ、やはり阿木燿子の作詞で馬飼野康二が作曲した「プレイバック Part1」と宇崎が競作し、宇崎の方が採用された。「Part1」は翌月に発売されたベストアルバムに収録されたが、シングルカットはされていない。両者を聴き比べれば優劣は歴然としている。

【秋元康】秋元康が放送作家を経て、作詞家としてデビューしたのは1981年だった。しかしその1年前に山口百恵は引退していた。

作詞家・秋元康は小泉今日子(「なんてったってアイドル」)や美空ひばり(「川の流れのように」)に間に合ったが、山口百恵には間に合わなかった。彼にはずっと「山口百恵に詞を提供したかった」という、くやしい気持ちが付きまとっているような気がして仕方がない。

秋元がAKB48グループを作り、東京、名古屋、大阪、博多、新潟、瀬戸内、海外へと組織を拡大していったのも、「公式ライバル」として乃木坂46や欅坂46など坂道シリーズをプロデュースしたのも、その原動力として「第二の山口百恵を発見し、育て、世に送り出したい」という強烈な欲望があったのではないだろうか?

山口百恵の才能は日本テレビ系列で放送されていたオーディション番組「スター誕生!」で見い出された。しかし「スター誕生!」は1983年9月に幕を閉じ、平成に入ると単体としてのアイドル歌手が全く売れない時代となった。つまり「スター誕生!」の代替として考案されたオーディションおよびアイドル育成システムがAKB48であり、坂道シリーズだったのではないか、と僕は考える。

【「黒い天使」ー山口百恵と前田敦子を結ぶ点と線】AKB48の一期生・前田敦子が東京ドーム公演(の翌日に開催されるAKB48劇場での公演)をもってグループを卒業したのが2012年8月、そのとき彼女は山口百恵が引退した年齢と同じ、21歳だった。シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)である。

AKB48 チームAの劇場公演5th Stage「恋愛禁止条例」において秋元康は「黒い天使」(Spotifyではこちら)という曲を作詞した。3人のユニット曲で、前田敦子がセンターで歌った。

山口百恵のプレイバック Part2」は、真紅(まっか)なポルシェを飛ばしている女が、カーステレオを掛けると、ラジオから「勝手にしやがれ 出ていくんだろ」と流れてくるのでPlay Back (巻き戻して!)と叫ぶ。これは沢田研二が前年(1977)に歌った「勝手にしやがれ」(作詞:阿久悠)に呼応している。その歌詞の中で「やっぱりお前は出ていくんだな」とある。つまり状況として「プレイバック Part2」は男と喧嘩した女が夜中に家を飛び出し、運転する車上で心情を歌っている。一方、「黒い天使」は夜の渋滞する高速道路で男と喧嘩をした女が助手席のドアを開けて車を降り、ヒールを脱いでトボトボと車道を歩いている時のやけっぱちな心情を歌っている。構造が似ていると思いませんか?

今回のサブスク一斉解禁で初めて知り、心底驚いたことがある。1975年8月28日から31日まで開催された新宿コマ劇場における「第1回百恵ちゃん祭り」で、山口百恵はロック・ミュージカル「黒い天使」に取り組んでいたのである(音源はこちら)。このとき彼女はダウン・タウン・ブギウギ・バンドのヒット曲「スモーキン・ブギ」と「カッコマン・ブギ」を歌い、これが切っ掛けで今後歌いたい作曲家として宇崎竜童の名を挙げた。そして翌年に名曲「横須賀ストーリー」が誕生したのである。遂に山口百恵と前田敦子が繋がった!

秋元康は前田敦子に、山口百恵の面影をなんとか重ねようとしていた。しかし、あっちゃんは結局、百恵ちゃんにはならなかった。

また三期生の渡辺麻友が卒業する時に秋元が提供した楽曲「11月のアンクレット」の振付で、渡辺は最後にマイクをステージ中央に置き、後方に去る。言うまでもなく山口百恵さよならコンサート@武道館の再現である。しかし、まゆゆも百恵ちゃんではなかった。

こうして秋元は、まるで玩具に飽きた子供のように、急速にAKB48グループへの関心を喪失していった。

【大林宣彦再登場】AKB48のシングル「So long !」(センターはまゆゆ)ミュージック・ビデオの監督として秋元康は大林宣彦を起用した。ここで大林は自身の映画「この空の花 -長岡花火物語」の続編としてこのMVを仕上がっていたのだからぶっ飛んだ!なんと上映時間64分、破格の長さである。AKBファンは呆れ果てた。しかし秋元は大林の身勝手・大暴走を容認した。多分そこには「山口百恵を育て、見守った監督だから」という畏敬の念があったからではないだろうか?

【平手友梨奈】そんな状況下に、突如として救済の天使が現れた。平手友梨奈である。彼女を見て、誰しも目を見張った。醸し出す雰囲気が山口百恵そっくりだったからである。「山口百恵の再来」「平成の山口百恵」と世間で騒がれた。

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僕は彼女なら、大林監督のライフワーク、福永武彦原作『草の花』のヒロイン、藤木千枝子を演じられるのではないかと思った(以前、尾美としのりと富田靖子主演で企画されていた)。しかし大林監督は既に病魔に侵され、結局『草の花』映画化は実現に至らなかった。

平手をセンターに据えた欅坂46のデビュー曲「サイレントマジョリティー」(動画はこちら)は気合が入っていた。秋元康の最高傑作と評しても過言ではない。またTAKAHIRO(上野隆博)の振付が凄かった。曲の途中で平手を旧約聖書のモーセに見立て、紅海を2つに割り、民を約束の地へ導く場面を描くのである(出エジプト記)。この解釈はTAKAHIROの発言もあり、間違いない。モーセは預言者であり、預言者とは神の言葉を人に伝える仲介者。日本で言えば巫女に相当する。つまり、秋元は平手=巫女と見立てていた。言うまでもなく彼女が仲介する女神とは山口百恵のことである。

実際に平手は巫女みたいな少女で、楽曲に没入するあまりトランス状態となり、ステージから転倒落下することもあった。2017年12月31日のNHK紅白歌合戦で「不協和音」をパフォーマンスしたときも過呼吸で倒れ、照明が暗くなってから他のメンバーに運ばれる事態となった。

平手がソロで歌った「渋谷からPARCOが消えた日」に、山口百恵「横須賀ストーリー」 「プレイバック Part2」「絶体絶命」のイメージが投影されていると感じるのは僕だけではあるまい。

秋元の平手に対する偏愛っぷりは常軌を逸していた。いくら平手以外のメンバーのファンたちから非難を浴びても、決して平手=絶対センターを譲らなかった。共犯者TAKAHIROは「二人セゾン」(動画こちら)の振り付けの最後に、平手以外のメンバー全員を欅の木=オブジェに変えてしまった。最早このグループは〈平手友梨奈と愉快な仲間たち〉状態であった。ファンが怒るのも無理はない。アルフレッド・ヒッチコック映画『めまい』でジェームズ・スチュワートが演じた主人公の狂気を、僕は秋元康の中に見た。彼は山口百恵の亡霊に取り憑かれていた(『めまい』のスコティはある事件がきっかけで高所恐怖症になり、警察を辞めて私立探偵となった。そこへ友人からの依頼で彼の妻マデリンを尾行するが、彼女は鐘楼の頂上から飛び降り自殺する。それからしばらく経ち、自責の念から神経衰弱に陥っていたスコティは街角でマデリンに瓜二つの女性ジュディを見かけ、彼女を追う。やがてふたりは親しくなるが、スコティは次第に正気を失い彼女の洋服、髪型、髪の色をマデリンと同じにしようと画策し始める……)。

2017年6月24日に幕張メッセで行われていた全国握手会ではナイフを持った男による襲撃未遂事件が発生、逮捕された犯人は「殺そうと思った」と供述した(容疑者が挙げた名前について警察は「言えない」としたが、平手が参加したレーンに並んでいた)。

「どうしていつも、てち(平手の愛称)ばかり優遇されて、私はセンターになれないの?」と運営に涙ながら訴えて、辞めていくメンバーもいた。

センターに立つ平手の背中を、他のメンバーの嫉妬に満ちた鋭い視線が射抜く。また前方客席からは「どうしてお前なんだ?」という怒気を帯びた圧が彼女を襲い、四方八方からズタズタに引き裂く。AKB48の絶対センター=前田敦子の心臓は意外と強かったが、満身創痍の平手友梨奈は次第に壊れていった。

それでも秋元康はその執着を緩めることなく、どんどん彼女を追い詰めた。次第にグループ内で孤立していく平手の心情を「不協和音」の歌詞に託し、「僕は嫌だ!」と絶叫させた。劇場版『さよなら銀河鉄道999』に登場したキャプテン・ハーロックならさしずめこう呟くだろう。「鬼だな…」

2018年の平手は体調が優れず、コンサートの休演が続き、その年末の紅白歌合戦も不参加。なんとか19年末の紅白には出演したがやはり過呼吸となり、パフォーマンス直後に倒れた。そして2020年1月23日、グループを(卒業ではなく)「脱退」することが電撃的に発表された。もう限界だった。しかし平手がやっぱり何かを「持っているな」と感じたのは、彼女が脱退した直後に新型コロナウィルスが日本を直撃し、「会いに行けるアイドル」というビジネス自体が崩壊してしまったこと。絶妙なタイミングだった。

こうして紫式部『源氏物語』の宇治十帖で、薫から亡くなった大君(おおいきみ)の人形(ひとがた;身代わりの人)として、その面影を重ねられた浮舟が入水自殺を図ったように、アイドル歌手・平手友梨奈は消え去った。しかし2020年秋に映画『さんかく窓の外側は夜』への出演が発表され、彼女は女優・平手友梨奈として再生しようとしている。果たして現代の薫=秋元康は、それでも浮舟=平手を追い求め続けるのか?今後のふたりの行く末を、しっかりと見届けたい。You ain't heard nothin' yet. (お楽しみはこれからだ。)

さて、ここまで書いてきたことを、読者の皆さんはひとりの男の単なる妄想だと失笑されるだろうか?

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2020年6月 2日 (火)

わが心の歌〈番外編〉祝サブスク解禁!!山口百恵の魅力について語り尽くそう。

Spotify, Apple Music, Amazon Music Unlimitedなど定額制音楽配信(サブスクリプション)サービスで聴けないアーティストたちが何人(組)かいる。

しかし2018年9月1日に井上陽水が、続いて同年9月24日に松任谷由実(ユーミン)、2019年8月31日に星野源、同年9月18日にPerfume、12月20日からサザン・オールスターズの全楽曲がサブスク解禁になった。僕は「もう残る大物アーティストは中島みゆき、米津玄師、山下達郎、RADWIMPS、そして山口百恵くらいだな」と思った。

ところが新型コロナウィルス蔓延により、多くの人々が自宅待機の生活を余儀なくされたことをきっかけに、まずRADWIMPSが2020年5月15日からサブスクを解禁した。漸く『君の名は。』や『天気の子』のサウンドトラック盤もサブスクで聴けるようになったのである。

そして5月29日に突如、山口百恵の全楽曲600曲以上がサブスクで一斉配信となった!!僕は狂喜乱舞した。彼女の引退から40年、待ちに待ったこの日が遂に来た。こうして今後の懸案事項は米津玄師、中島みゆき、山下達郎だけとなった。

Momo

僕は小学生の頃、百恵ちゃんが大好きだった。彼女一筋だったと言ってもいい。百恵ちゃんの引退とともにすっかり芸能界に興味を失い、代わってクラシック音楽や映画に夢中になるようになった。そして高校生の時、劇場で観た原田知世主演、大林宣彦監督の『時をかける少女』に衝撃を受けたわけだが、後に大林監督と山口百恵が浅からぬ縁だったことを知ることになる。

今の若い人は山口百恵のことなんか全く分からないだろうから、これを機会に彼女の魅力、そして後世にどれだけ甚大な影響を与えたかについて語り尽くそうと思う。彼女の強烈な輝きは、秋元康とか、元・欅坂46の平手友梨奈にまで波及することになる。

【来歴】山口百恵は1959年東京都渋谷区に生まれ、幼少期を神奈川県横須賀市で過ごした。だからホリプロのイメージ戦略上、「横須賀出身」ということになっている。彼女の歌う楽曲に「横須賀ストーリー」「横須賀サンセット・サンライズ」など横須賀を強調しているのはそのためである。また三浦友和との結婚式当日にリリースした32枚めのシングル「一恵」の作詞は横須賀恵となっており、百恵のペンネームである。作曲は「いい日旅立ち」の谷村新司。

彼女が生んだ長男がシンガーソングライターの三浦祐太朗(36)。全曲、山口百恵の楽曲をカヴァーしたアルバム「I'm HOME」をリリースし、レコード大賞企画賞を受賞した。次男は俳優の三浦貴大(34)で、大河ドラマ『いだてん』や、NHK連続テレビ小説『エール』に出演している。

【伝説のアイドル】山口百恵を伝説化している一つの要因として、純愛を貫き一人の男だけを愛し、21歳という若さで華やかなスポットライトから遠ざかって、その後一切老いた自分の姿をマスコミに見せないということもあるだろう(現在61歳)。こうした生き様の前例は女優のグレタ・ガルボと、小津安二郎の死去直後に引退した原節子くらいしかない。みじくも美しく燃え。桜の散り際のような潔さは、日本人の琴線に触れるのだ。

【大林宣彦】1973年5月21日に「としごろ」で歌手デビューしたが、実はその前に彼女はCMディレクターとして活躍していた大林宣彦監督と面会している。14歳だった。同年9月1日に発売された2枚目のシングル「青い果実」はかなりきわどい、アブナイ歌詞になっている。ドキッとする。後に〈青い性路線〉と呼ばれた。それは翌74年6月1日に発売された5枚目のシングル「ひと夏の経験」で頂点に達し、レコード大賞・大衆賞および日本歌謡大賞・放送音楽賞に輝き、その年末に「NHK紅白歌合戦」の紅組トップバッターとして初出場を果たした。なお大林監督が百恵に会ったのは、その当時から構想を練っていた映画『さびしんぼう』のヒロインを探していたのである(12年後に富田靖子主演で実現する)。

74年夏に放送されたグリコプリッツのCMで百恵は三浦友和と初めて出会った。演出したのは大林宣彦であった。ふたりが共演するグリコCMはその後長年続き(動画はこちらこちら)、同時に『伊豆の踊子』『潮騒』『春琴抄』『風立ちぬ』など名作文学の映画化でも百恵・友和は共演し(計12作)、「ゴールデンコンビ」と呼ばれた。ふたりの共演作『泥だらけの純情』で併映されたのが大林監督劇場デビュー作『HOUSE ハウス』(1977)。そして大林が監督した映画『ふりむけば愛』(1978)がリメイクでも原作付きでもない、ふたりにとって初めてのオリジナル作品となった。

ふたりが恋をしていることにはじめて気がついたのは大林監督であり、それはCMの撮影を通してだった(詳細は監督の著書を参照されたい)。そして『ふりむけば愛』のサンフランシスコ・ロケに際して監督は一日だけ撮影のない休暇日を設けて、ふたりに自由な時間を与えた。つまり大林監督こそが恋のキューピットだったのである。そして1979年10月20日、大阪厚生年金会館のコンサートで「私が好きな人は、三浦友和さんです」と百恵は恋人宣言を突如発表し(20歳)、80年10月5日に日本武道館で開催されたファイナルコンサートをもって引退した。歌唱終了後、彼女はマイクをステージの中央に置いたまま、静かに舞台裏へと歩み去った。この仕草がさらなる伝説を作った。さよならコンサートは現在、Blu-rayで鑑賞出来る。

【赤いシリーズ】百恵はTBSのテレビドラマ『赤い疑惑』『赤い運命』『赤い衝撃』『赤い絆』と4作品〈赤いシリーズ〉に主演した。父親役は大方が宇津井健で、『赤い疑惑』『赤い衝撃』では三浦友和と共演した。物語展開が奇想天外(『赤い運命』は伊勢湾台風で家族が生き別れになり、検事の娘と元殺人犯の娘が赤ん坊の時に入れ替わりとなって育てられる。『赤い衝撃』はスプリンターが銃撃により半身不随となる)で、演技が大仰な、いわゆる大映ドラマであり、後に堀ちえみの『スチュワーデス物語』が一世を風靡した(「教官!」「ドジでのろまなカメ」が流行語となった)。特に『赤い衝撃』は演出家として大映映画の増村保造(『妻は告白する』『黒の試走車』『赤い天使』『陸軍中野学校』)が関わっており、大映ドラマの礎を築いたと言えるだろう(『スチュワーデス物語』も増村が演出している)。僕はこの〈赤いシリーズ〉が大好きで、毎週見ていた。また1978年に百恵が主演し、TBSで放送されたテレビドラマ『人はそれをスキャンダルという』は三國連太郎や永島敏行が共演し、大林宣彦が演出を担当した。

【阿木燿子/宇崎竜童】歌手として山口百恵が全盛期を築いたのは間違いなく作詞家・阿木燿子、作曲家・宇崎竜童(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)という夫婦によるコンビとの出会いから始まる。1976年の「横須賀ストーリー」を皮切りに、78年「プレイバック Part 2」ではNHK紅白歌合戦で史上最年少となるトリを務めた(日本レコード大賞にノミネートされたが、受賞したのはピンク・レディーの「UFO」)。この頃の百恵の歌唱は、とにかく艶っぽい。しかしマリリン・モンローを代表とするセックス・アピールとは全然方向性が違っていて、強いて言えば〈健康的な色香〉がある。「プレイバック Part 2」でも未だ19歳なのだから恐るべし。こんなに大人びた10代のアイドルを僕は他に知らない。77年リリースの「夢先案内人」はアラビアン・ナイトの世界に迷い込んだような綺羅びやかな色彩感がある。これは原田知世によるカヴァーも良い(こちら)。そして僕がイチオシの歌は「夜へ…」。1979年4月1日に発売されたアルバム「A Face in a Vision」に収録されている。元々はNHK特集『山口百恵 激写/篠山紀信』のために制作されたもので、これはDVDで観ることが出来る。こちらもお勧め!

Gekisha

夜へ…」を愛聴するきっかけになったのは相米慎二監督の映画『ラブホテル』(1985)。公開された年にヨコハマ映画祭で第一位に輝いた。劇画作家・石井隆が脚本を書き、村木と名美という名の男女が登場する一連の作品群の一本。相米作品としては『台風クラブ』や『光る女』の方が優れていると思うが、『ラブホテル』で「夜へ…」が静かに流れる場面はゾクゾクした。Jazzyでノワール。

夜へ…」で阿木燿子の詞は連想ゲームを彷彿とさせる単語の羅列で始まる。まるで呪文のような妖しさが漂う。なんて素敵なんだろう!

【さだまさし/谷村新司】さだまさし作詞・作曲「秋桜」は1977年、谷村新司 作詞・作曲「いい日旅立ち」は78年にリリースされた。いずれも、さだや谷村にとっての最高傑作と言える。そういう曲を贈りたくなる魅力、オーラが山口百恵にはあるのだろう。「いい日旅立ち」は国鉄(現在のJR)の旅行誘致キャンペーン・ソングとしてCMなどに使われた(動画はこちら)。やはり大林監督が手掛けている。「秋桜」も「いい日旅立ち」も陰りのある曲調だ。こういうのが百恵にはよく似合う。しかし決して暗くなり過ぎない。これが中森明菜とか華原朋美だと、病的になる。薬漬けとか自殺未遂まで行くと、洒落にならない。引いてしまう。一方、百恵の場合は〈程よい健康的な陰り〉なのだ。

【菩薩】1979年に評論家の平岡正明は『山口百恵は菩薩である』を著した。後に広末涼子主演の映画『20世紀ノスタルジア』を撮った原将人監督は「広末涼子は女優菩薩である」と絶賛したが、これは平岡の著書を意識したものだろう。また写真家・篠山紀信が1970年代に最も多く撮った女性は百恵であり、彼女を「時代と寝た女」と称した。

【その後の友和】三浦友和は大林監督の劇場デビュー作『HOUSE ハウス』に友情出演し、百恵と結婚後も『彼のオートバイ、彼女の島』『野ゆき山ゆき海べゆき』『日本純情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』『なごり雪』『22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語』など大林映画の常連として活躍した。また大林監督の自伝的映画『マヌケ先生』では本人役(馬場鞠男)を演じた。

【わが心の歌】ここで僕が考える山口百恵の歌、ベスト12を選出しておこう。

長くなったので続きは後編へ。To Be Continued ...

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2019年4月30日 (火)

平成を振り返って

平成という時代が今日、終わろうとしている。

僕は昭和に生まれ、大学生の時に平成を迎えた。どんな時代だったのか、振り返ってみよう。

個人史はさて置き、歴史的側面から平成の10大ニュース/トピックスを選んでみた。基本的に年代順に並べている。

  • バブル景気の終焉(平成3年)
  • ベルリンの壁崩壊(平成3年)
  • 地下鉄サリン事件(平成7年)
  • インターネットの普及(平成10年)からSNSの全盛期へ
  • アメリカ同時多発テロ事件(平成13年)
  • 「千と千尋の神隠し」アカデミー長編アニメ映画賞を受賞(平成15年)
  • 会いに行けるアイドルの時代(平成17年)
  • 東日本大震災(平成23年)
  • 佐村河内守とゴーストライター(平成26年)
  • 厄介な隣人・韓国との関係悪化(平成27年)

〈バブル景気〉時代の日本人は妙に浮かれていた。しかし実体はなかった。その姿を象徴するのがディスコ「ジュリアナ東京」の〈お立ち台〉だろう。キーワードは〈虚ろ〉〈軽薄〉。

〈ベルリンの壁〉は米ソ冷戦の象徴的存在だった。この崩壊はマルクス主義の決定的敗北を意味していた。思えば〈社会主義国家建設〉という野望は20世紀という1世紀をまるまるかけた壮大な実験だった。終焉を迎えた時、実験台の上に載せられた人々の思いはどうだったろう?

オウム真理教事件は日本人に様々な爪痕を残した。村上春樹の「アンダーグラウンド」という作品も生まれた。サリンを撒いた実行犯たちが辿った心理的状況を追っていくと、不思議と〈あさま山荘事件〉を起こした連合赤軍の学生たちにどこか似ている(高学歴とか内輪揉めによるリンチ殺人という点を含めて)。つまり新興宗教とマルクス主義には共通点があるということだ。

僕にとってインターネットの普及を象徴する映画は平成10年に公開された「ユー・ガット・メール」である。パソコンのメールを媒体として男女(メグ・ライアンとトム・ハンクス)が出会う。未だ〈出会い系サイト〉などという言葉が生まれる前だった。更に遡ると、平成8年に森田芳光監督の映画「(ハル)」が公開された。これはniftyパソコン通信の映画フォーラムでめぐり逢う男女の物語である。

Haru

インターネットのおかげで今日、このブログもある。ありがたいことである。インターネットは僕たちの生活に劇的変化をもたらした。その最大の効能は①情報伝達の即時性②検索能力 だと僕は思っている。何が疑問があれば図書館に行かずとも、パソコンやスマホでたちどころに調べられる便利な時代が到来した。僕らの脳味噌における〈知識の蓄積〉も圧倒的に加速した。

SNSの素晴らしさは〈つなぐ〉力だ。SNS登場前だったら絶対に出会うことがなかった人々と繋がり、コミュニケーションをとり、情報交換が出来る。

明治維新以降、日本人は欧米文化の影響を多大に受け、徐々に個人主義に移行した。親と別居し核家族化し、町内の祭りとか寄り合いに参加することも稀となり、近所付き合いがなくなってマンションの隣の住人の名前も知らないなんてことが当たり前になった。しかし、近代的自我の最大の病は孤独である。自立したと思っているうちに、実際は孤独だと気付くことになる。それを補完し、孤独な魂と魂を〈つなぐ〉ことで癒やしてくれるのがSNSなのだ。

アメリカの同時多発テロと、それに続くイラクへの侵略戦争は、〈アメリカの正義〉の胡散臭さを白日の下に晒すことになった。詳しいことを知りたかったら映画「バイス」を観てください。さらに9・11は米ソ冷戦からテロリズムとの戦いへの移行を象徴する出来事でもあった。

「千と千尋の神隠し」オスカー受賞(並びにベルリン国際映画祭で金熊賞受賞)は日本のアニメーションが漸く世界で認められたことの証左であった。アメリカ公開に尽力してくれたジョン・ラセターさん、ありがとう!そして今では日本の漫画やゲーム・ソフトがハリウッドで実写映画化されることもちっとも珍しくなくなった(「アリータ:バトル・エンジェル」「進撃の巨人」「バイオハザード」「名探偵ピカチュウ」)。

Miya

平成17年12月8日はAKB48の劇場公演初日である。CDが売れない時代に〈握手券〉〈総選挙の投票用紙〉としてCDの価値を変換するAKB商法は画期的発明だった。そして〈ご当地アイドル〉が隆盛を極めた。それは〈ゆるキャラ〉ブームと相まって〈地方の時代〉の到来でもあった。

しかし、山口真帆に対する暴行事件を巡るNGT48のゴタゴタがAKB商法の限界を指し示し、暗い影を落としている。今年は〈総選挙〉も中止になった。そろそろ賞味期限切れかもね。

僕は完全にCD収集を止め、配信サービス(ナクソス・ミュージック・ライブラリー、Spotify)で音楽を聴くことに移行した。

阪神・淡路大震災が発生した平成7年に僕は仕事の関係で広島に住んでいた。その時の震度は4で早朝に揺れで目が覚めた。5時46分だった。

東日本大震災の時は大阪府堺市にあるホテルの11階にいた。揺れは中々収まらなかった。テレビで見た津波の規模にも唖然としたが、やはりなんと言っても衝撃的だったのは福島原発事故である。

「作曲家」佐村河内守が明らかにしたのは、世の中には音楽の本質(itself)が全く耳に入らず、余剰・おまけに過ぎない(作者が語る)「物語」しか理解が出来ない聴衆が沢山いることだ。天下の NHKはまんまと騙され、慶応義塾大学教授/音楽評論家の許光俊赤っ恥をかいた。

慰安婦問題日韓合意が成されたのは平成27年12月28日である。この時、「慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決を確認した 」筈だったのに、平成28年12月に朴槿恵(パク・クネ)大統領が罷免・逮捕され、文在寅(ムン・ジェイン)が大統領になると、〈合意〉はなかったことにされ、日本からの〈拠出金〉10億円は〈使途不明金〉になってしまった。〈合意〉とは一体何だったんだ!?

条約に調印しても政権が変わると平気で約束を反故にしてしまい、一方的に恨(ハン)を募らせてくる国とは外交が成立しないし、今後一切話し合いに応じることは出来ない。全く困ったものである。

NHKで韓国ドラマ「冬のソナタ」が放送されたのは平成15年から16年にかけて。空前の〈冬ソナ現象〉〈韓流ブーム)を巻き起こしたが、今はすっかり冷え込んで「冬の時代」に成り果ててしまった。

それにしても、いわゆる〈従軍慰安婦問題〉の発端は朝日新聞社による捏造記事(詳細はこちら)なわけで、随分と罪作りな話である。

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2017年1月11日 (水)

夢と狂気のミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」

ミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」(公式サイト→こちら)はゴールデン・グローブ受賞で史上最多の7部門(ミュージカル作品賞・主演男優賞・主演女優賞・監督賞・脚本賞・作曲賞・歌曲賞)を受賞した。アカデミー賞でも作品・監督賞で「ムーンライト」と一騎打ちの模様となっている(作曲・歌曲賞受賞は300%確実)。

Lalalandimax

ミシェル・ルグランが作曲した映画「ロシュフォールの恋人たち」(ジャック・ドゥミ監督)の音楽を彷彿とさせる冒頭のナンバー"Another Day of Sun"(歌詞付き試聴はこちら)にはinsaneという言葉が用いられ、後半の"Audition"(歌詞付き試聴はこちら)ではmadnesscrazyが登場する。これらはすべて日本語で狂気を意味する。ついでながら最高に可笑しかったゴールデン・グローブ賞授賞式オープニングに於ける「ラ・ラ・ランド」のパロディをご紹介しよう→こちら

映画スターを目指してオーディションに落ちまくりながら映画スタジオのカフェで働くミア(エマ・ストーン)は"Audition"で「些かの狂気が新たな色彩を見出すための重要な鍵よ。それは私達をどこへ連れて行ってくれるか判らないけれど、でもだからこそ必要なものなの」と歌う。夢と狂気ーこれが「ラ・ラ・ランド」の肝(きも)である。

そもそもLa La LandのLAはハリウッドのあるロサンゼルス(Los Angeles)のことを指し、【あっちの世界/あの世/我を忘れた陶酔境】を意味する言葉である(こちらのブログを参照のこと)。

"Another Day of Sun"の最後は何かに取り憑かれたように「たとえ(オーディションに落ちて)失望させられたとしても、次の朝には必ずまた日が昇る」と合唱が執拗に繰り返す。正に狂気が疾走するのだ!

僕はこの歌を聴きながら、あるアイドルの発言を想い出した。

高橋みなみはAKB48選抜総選挙のスピーチで「努力は必ず報われる。私の人生を持って証明してみせます!」と言い、物議を醸した。

AKB48のオープニングメンバーオーディションの応募総数は7924名、最終合格者は20名だった。競争倍率は396倍。つまり高橋みなみにとって「努力は必ず報われる」は真実であったが、彼女1人に対してその影で395人が涙をのんだことになり、この金言が当てはまるのはたった0.25%に過ぎない。さらに最終合格者のうち、シングルの選抜メンバーに選ばれたのはごく一握りであり、「努力が報われた」女の子はさらにさらに少なくなる。

オリンピックの金メダリストも同じようなことを言ったりするが、それこそオリンピックで金メダルを受賞できる確率は天文学的に少ないだろう。では日本代表に選ばれなかったアスリートたちは努力を怠っていたのか?そんな筈はない。

つまり「努力は必ず報われる」のは勝者の理論であり、生まれ持った資質や運を持たぬ我々大半の人間にとって、決して真理ではないのである。

脚本家・山田太一がいいことを言っている→「頑張れば夢はかなう」というのは幻想、傲慢(日経ビジネス アソシエ)

を持つことは自由であり、誰しも有する権利である。しかしの実現に向けてその光(Stars)を追い続けるには狂気が必要であり、凡人は諦めが肝心だ。そのことを「ラ・ラ・ランド」は私たちに語りかけてくるのである。

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2016年7月 7日 (木)

【増補改訂版】「君の名は希望」〜作詞家・秋元康を再評価する

秋元康は今や億万長者(「グローバルウェルス・レポート 2015」によると資産50億円〜100億円未満)であり、日本で最も成功した音楽プロデューサーである。だからやっかみ半分、彼のことを「守銭奴」と罵り、その体型から「秋豚」呼ばわりする者たちも世間には少なからずいる。もともと彼の本業は「放送作家」「作詞家」であるが、その側面は忘れられがちである。

2014年の段階で彼が作詞したのは4000曲以上、AKB48グループだけに限っても1000曲を超えている。その事実を知っている人は恐らく少ないのではないか?CDシングルだけではなくカップリング曲、劇場公演曲(アンコールまで含めると1公演につき16曲)も全て秋元康が作詞しているのである。一体、この情熱は何処から来るのか?少なくとも「金儲け」のためだけなら、こんな芸当が出来る筈もない。ある程度は他者に任せればいいわけだから。

そこで「作詞家」秋元康を正当に評価してあげようよ、というのが今回の企画である。

僕の考える秋元康による作詞ベスト12を挙げてみよう。各々のタイトルをクリックすれば歌詞に飛べるよう仕組んである。

  1. サイレントマジョリティー(欅坂46)
  2. 君の名は希望(乃木坂46)
  3. 鈴懸の木の道で「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの(AKB48)
  4. 世界には愛しかない(欅坂46)
  5. キレイゴトでもいいじゃないか?(HKT48研究生)
  6. てもでもの涙(AKB48 チームB 3rd Stage「パジャマドライブ」)
  7. バレッタ(乃木坂46)
  8. 風は吹いている(AKB48)
  9. 前のめり(SKE48)
  10. 夕陽を見ているか?(AKB48)
  11. キリギリス人(ノースリーブス)
  12. 森へ行こう(AKB48 ひまわり組 2nd Stage「夢を死なせるわけにいかない」)

サイレントマジョリティー」については下記記事をお読みください。

2015年大晦日、NHK紅白歌合戦に初出場した乃木坂46が歌ったのは「君の名は希望」だった。2013年3月に発売されたシングル曲。秋元本人もよほどこれを気に入っているのだろう、NHKで土曜の夜に放送されている「AKB48 SHOW !」の番外編として「乃木坂46 SHOW !」というのが時たま不定期に放送されるのだが、その第1回目と第2回めに続けてこの曲が歌われたのである。他に紹介されていないシングル曲が幾つもあるのに。……一人称の「僕」は自分に閉じこもりがちな教室で孤立した少年である。そんな彼が学校のグラウンドで「君」と出会い、その瞬間陽の光が差し込む。秋元が冴えているときは歌詞の情景をきちんと絵として思い浮かべる事が出来る。そういう意味で「君の名は希望」は紛うことなき最高傑作、神曲である。「僕」=オタク、「君」=アイドルと読み替えることも出来る。奥が深い。

情景(絵)が見えるという意味では「てもでもの涙」もそう。《降り始めた細い雨が/銀色の緞帳を/下ろすように/幕を閉じた/それが私の初恋》《声も掛けられないまま/下を向いたら/紫陽花も泣いていた》とか素敵じゃない?季節感があり、美しい日本語だ。「てもでも」という語感もリズムがあって良い。歌を聴いたらその意味が判る仕掛けになっている。2009年「AKB48リクエストアワー セットリスト ベスト100」(以下「リクアワ」と略す)第3位。また「君の名は希望」も「てもでもの涙」も歌詞の中に英語を用いず、日本語だけで勝負していることも特筆に値するだろう。現在日本のアイドル・ソング、ポップ・ミュージックの中では希少である。

鈴懸なんちゃら」(2015年「リクアワ」第1位)についてはまずタイトルの長さが尋常じゃない。気合い入りまくり。じゃんけん大会で優勝した松井珠理奈に対する秋元の愛情が溢れ、常軌を逸している。また珠理奈をデビューさせた「大声ダイヤモンド」と「鈴懸」を続けて聴くとキモさ倍増、鳥肌(さぶいぼ)が立つ。でもそこがいい。谷崎潤一郎や江戸川乱歩の小説を読めば分かるが、変態的性格から芸術が生まれることはあるのだ。それが作家性である。ベルリオーズ作曲「幻想交響曲」なんかもそう。内容は完全なストーカーである。「鈴懸なんちゃら」と「バレッタ」の変態性については下の記事で詳しく論じたのでそちらをお読みください。

世界には愛しかない」は2016年8月10日に発売される欅坂46の2nd シングルである。まずポエトリー・リーディングという斬新な手法に度肝を抜かれた!秋元康の本気を感じる。歌詞中の「僕」=秋元、「君」=欅坂のセンター・平手友梨奈と置き換えて眺めれば、その本質が見えてくるだろう。つまりこれは秋元の、紛れもない愛の告白である。そういう意味で「鈴懸なんちゃら」に近い作品と言えるだろう。僕は《もう少ししたら/夕立が来る》というフレーズにグッと来た。過去を振り返る傾向が強い日本の歌謡曲の中で、珍しい未来志向の楽曲である。躍動感に溢れ、瑞々しい。

個人的な話になるが、前の職場でどうしても納得出来ないことがあり、上司に対して「それは間違っている」と徹底的にNOを突きつけた。そしてそこを辞め、今の仕事に就いた。揉めている時に「キレイゴトでもいいじゃないか ?」(2014年「リクアワ」第8位)を繰り返し聴き、大いに勇気付けられた。《恥をかくために/生きている》という言葉が心に刺さる。アイドルって人々に勇気や希望を与えるのが本来与えられた役割なんじゃないかな?そういう意味で秋元康には本当に感謝している。僕はいま、幸せである。むしろあの時、自分が正しいと思うことを言っていなければ後悔しただろう。

風は吹いている」も人々に希望を与える歌だ。東日本大震災の年に創られた復興支援ソング。この歌詞は熱い。《この変わり果てた/大地の空白に/言葉を失って/立ち尽くしていた》《前を塞いでる/瓦礫をどかして/いまを生きる》こんな内容、アイドルが歌う範疇を遥かに超越している。衝撃的であった。

AKB48グループは2011年の震災直後から被災地訪問活動を行っている。6名のメンバーが交代交代に毎月一回足を運び、現地で無料のミニ・コンサートをする。しかも前田敦子(卒)・大島優子(卒)・渡辺麻友・柏木由紀といった人気メンバーも参加して。このプロジェクトは5年経過した現在も継続されている。考えてみて欲しい。2016年までずーっと無償の訪問活動を行っているアイドル・グループ、ミュージシャンが他にいる?継続は力なり。カネ目当てとか売名行為なんかじゃ決してない。僕はそこに秋元康の強い使命感を見る。

前のめり」は2015年8月にSKE48を卒業した松井玲奈への餞として書かれたシングル曲。「かすみ草」を自称する玲奈に対して、「い や、君はひまわりだよ」と言ってあげるところに秋元の優しさを感じる。非常にpositive thinkingな内容だ。人生、いくらでもやり直せるという気持ちになれる。

夕陽を見ているか?」は2007年のシングル。これを書いた時、秋元は「絶対売れる!」と確信していたという。しかしその自信とは裏腹に全く売れなかった。しみじみとしたバラードで、長年ファンから愛され続けている心がほっこりする名曲だ。

キリギリス人」に僕が深く共感するのは、結局カルペ・ディエムCarpe Diem(=「その日を摘め」「一日の花を摘め」)について語っているからである。つまり「将来に備えやせ我慢して蓄えよう」なんてくだらないことを考えず、「今を生きろ」ということ。これはメメント・モリMemento Mori(=「死を想え」「死を記憶せよ」)に繋がる。詳しくは下の記事で論じた(図説付き)。

森へ行こう」は国民的アイドルになってしまった今のAKB48に対して絶対書けない曲。ダークな世界観で、「本当は恐ろしいグリム童話」とかミュージカル「イントゥ・ザ・ウッズ」、ティム・バートンの映画を彷彿とさせるものがある。秋元康ってこういう一面があったんだ!と新たな発見がきっとある筈。

たかがアイドル、されどアイドル、なんてったってアイドルである。

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