偶像 iDOL

祝サブスク解禁!!山口百恵の魅力について語り尽くそう。〈後編〉

本記事は、

の続きである。

【プレイバック】1978年5月にリリースされプレイバック Part2」は作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童の夫婦コンビ作。元々はディレクターの発案で「プレイバック」というタイトルが先に決められ、やはり阿木燿子の作詞で馬飼野康二が作曲した「プレイバック Part1」と宇崎が競作し、宇崎の方が採用された。「Part1」は翌月に発売されたベストアルバムに収録されたが、シングルカットはされていない。両者を聴き比べれば優劣は歴然としている。

【秋元康】秋元康が放送作家を経て、作詞家としてデビューしたのは1981年だった。しかしその1年前に山口百恵は引退していた。

作詞家・秋元康は小泉今日子(「なんてったってアイドル」)や美空ひばり(「川の流れのように」)に間に合ったが、山口百恵には間に合わなかった。彼にはずっと「山口百恵に詞を提供したかった」という、くやしい気持ちが付きまとっているような気がして仕方がない。

秋元がAKB48グループを作り、東京、名古屋、大阪、博多、新潟、瀬戸内、海外へと組織を拡大していったのも、「公式ライバル」として乃木坂46や欅坂46など坂道シリーズをプロデュースしたのも、その原動力として「第二の山口百恵を発見し、育て、世に送り出したい」という強烈な欲望があったのではないだろうか?

山口百恵の才能は日本テレビ系列で放送されていたオーディション番組「スター誕生!」で見い出された。しかし「スター誕生!」は1983年9月に幕を閉じ、平成に入ると単体としてのアイドル歌手が全く売れない時代となった。つまり「スター誕生!」の代替として考案されたオーディションおよびアイドル育成システムがAKB48であり、坂道シリーズだったのではないか、と僕は考える。

【「黒い天使」ー山口百恵と前田敦子を結ぶ点と線】AKB48の一期生・前田敦子が東京ドーム公演(の翌日に開催されるAKB48劇場での公演)をもってグループを卒業したのが2012年8月、そのとき彼女は山口百恵が引退した年齢と同じ、21歳だった。シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)である。

AKB48 チームAの劇場公演5th Stage「恋愛禁止条例」において秋元康は「黒い天使」(Spotifyではこちら)という曲を作詞した。3人のユニット曲で、前田敦子がセンターで歌った。

山口百恵のプレイバック Part2」は、真紅(まっか)なポルシェを飛ばしている女が、カーステレオを掛けると、ラジオから「勝手にしやがれ 出ていくんだろ」と流れてくるのでPlay Back (巻き戻して!)と叫ぶ。これは沢田研二が前年(1977)に歌った「勝手にしやがれ」(作詞:阿久悠)に呼応している。その歌詞の中で「やっぱりお前は出ていくんだな」とある。つまり状況として「プレイバック Part2」は男と喧嘩した女が夜中に家を飛び出し、運転する車上で心情を歌っている。一方、「黒い天使」は夜の渋滞する高速道路で男と喧嘩をした女が助手席のドアを開けて車を降り、ヒールを脱いでトボトボと車道を歩いている時のやけっぱちな心情を歌っている。構造が似ていると思いませんか?

今回のサブスク一斉解禁で初めて知り、心底驚いたことがある。1975年8月28日から31日まで開催された新宿コマ劇場における「第1回百恵ちゃん祭り」で、山口百恵はロック・ミュージカル「黒い天使」に取り組んでいたのである(音源はこちら)。このとき彼女はダウン・タウン・ブギウギ・バンドのヒット曲「スモーキン・ブギ」と「カッコマン・ブギ」を歌い、これが切っ掛けで今後歌いたい作曲家として宇崎竜童の名を挙げた。そして翌年に名曲「横須賀ストーリー」が誕生したのである。遂に山口百恵と前田敦子が繋がった!

秋元康は前田敦子に、山口百恵の面影をなんとか重ねようとしていた。しかし、あっちゃんは結局、百恵ちゃんにはならなかった。

また三期生の渡辺麻友が卒業する時に秋元が提供した楽曲「11月のアンクレット」の振付で、渡辺は最後にマイクをステージ中央に置き、後方に去る。言うまでもなく山口百恵さよならコンサート@武道館の再現である。しかし、まゆゆも百恵ちゃんではなかった。

こうして秋元は、まるで玩具に飽きた子供のように、急速にAKB48グループへの関心を喪失していった。

【大林宣彦再登場】AKB48のシングル「So long !」(センターはまゆゆ)ミュージック・ビデオの監督として秋元康は大林宣彦を起用した。ここで大林は自身の映画「この空の花 -長岡花火物語」の続編としてこのMVを仕上がっていたのだからぶっ飛んだ!なんと上映時間64分、破格の長さである。AKBファンは呆れ果てた。しかし秋元は大林の身勝手・大暴走を容認した。多分そこには「山口百恵を育て、見守った監督だから」という畏敬の念があったからではないだろうか?

【平手友梨奈】そんな状況下に、突如として救済の天使が現れた。平手友梨奈である。彼女を見て、誰しも目を見張った。醸し出す雰囲気が山口百恵そっくりだったからである。「山口百恵の再来」「平成の山口百恵」と世間で騒がれた。

Silent

僕は彼女なら、大林監督のライフワーク、福永武彦原作『草の花』のヒロイン、藤木千枝子を演じられるのではないかと思った(以前、尾美としのりと富田靖子主演で企画されていた)。しかし大林監督は既に病魔に侵され、結局『草の花』映画化は実現に至らなかった。

平手をセンターに据えた欅坂46のデビュー曲「サイレントマジョリティー」(動画はこちら)は気合が入っていた。秋元康の最高傑作と評しても過言ではない。またTAKAHIRO(上野隆博)の振付が凄かった。曲の途中で平手を旧約聖書のモーセに見立て、紅海を2つに割り、民を約束の地へ導く場面を描くのである(出エジプト記)。この解釈はTAKAHIROの発言もあり、間違いない。モーセは預言者であり、預言者とは神の言葉を人に伝える仲介者。日本で言えば巫女に相当する。つまり、秋元は平手=巫女と見立てていた。言うまでもなく彼女が仲介する女神とは山口百恵のことである。

実際に平手は巫女みたいな少女で、楽曲に没入するあまりトランス状態となり、ステージから転倒落下することもあった。2017年12月31日のNHK紅白歌合戦で「不協和音」をパフォーマンスしたときも過呼吸で倒れ、照明が暗くなってから他のメンバーに運ばれる事態となった。

平手がソロで歌った「渋谷からPARCOが消えた日」に、山口百恵「横須賀ストーリー」 「プレイバック Part2」「絶体絶命」のイメージが投影されていると感じるのは僕だけではあるまい。

秋元の平手に対する偏愛っぷりは常軌を逸していた。いくら平手以外のメンバーのファンたちから非難を浴びても、決して平手=絶対センターを譲らなかった。共犯者TAKAHIROは「二人セゾン」(動画こちら)の振り付けの最後に、平手以外のメンバー全員を欅の木=オブジェに変えてしまった。最早このグループは〈平手友梨奈と愉快な仲間たち〉状態であった。ファンが怒るのも無理はない。アルフレッド・ヒッチコック映画『めまい』でジェームズ・スチュワートが演じた主人公の狂気を、僕は秋元康の中に見た。彼は山口百恵の亡霊に取り憑かれていた(『めまい』のスコティはある事件がきっかけで高所恐怖症になり、警察を辞めて私立探偵となった。そこへ友人からの依頼で彼の妻マデリンを尾行するが、彼女は鐘楼の頂上から飛び降り自殺する。それからしばらく経ち、自責の念から神経衰弱に陥っていたスコティは街角でマデリンに瓜二つの女性ジュディを見かけ、彼女を追う。やがてふたりは親しくなるが、スコティは次第に正気を失い彼女の洋服、髪型、髪の色をマデリンと同じにしようと画策し始める……)。

2017年6月24日に幕張メッセで行われていた全国握手会ではナイフを持った男による襲撃未遂事件が発生、逮捕された犯人は「殺そうと思った」と供述した(容疑者が挙げた名前について警察は「言えない」としたが、平手が参加したレーンに並んでいた)。

「どうしていつも、てち(平手の愛称)ばかり優遇されて、私はセンターになれないの?」と運営に涙ながら訴えて、辞めていくメンバーもいた。

センターに立つ平手の背中を、他のメンバーの嫉妬に満ちた鋭い視線が射抜く。また前方客席からは「どうしてお前なんだ?」という怒気を帯びた圧が彼女を襲い、四方八方からズタズタに引き裂く。AKB48の絶対センター=前田敦子の心臓は意外と強かったが、満身創痍の平手友梨奈は次第に壊れていった。

それでも秋元康はその執着を緩めることなく、どんどん彼女を追い詰めた。次第にグループ内で孤立していく平手の心情を「不協和音」の歌詞に託し、「僕は嫌だ!」と絶叫させた。劇場版『さよなら銀河鉄道999』に登場したキャプテン・ハーロックならさしずめこう呟くだろう。「鬼だな…」

2018年の平手は体調が優れず、コンサートの休演が続き、その年末の紅白歌合戦も不参加。なんとか19年末の紅白には出演したがやはり過呼吸となり、パフォーマンス直後に倒れた。そして2020年1月23日、グループを(卒業ではなく)「脱退」することが電撃的に発表された。もう限界だった。しかし平手がやっぱり何かを「持っているな」と感じたのは、彼女が脱退した直後に新型コロナウィルスが日本を直撃し、「会いに行けるアイドル」というビジネス自体が崩壊してしまったこと。絶妙なタイミングだった。

こうして紫式部『源氏物語』の宇治十帖で、薫から亡くなった大君(おおいきみ)の人形(ひとがた;身代わりの人)として、その面影を重ねられた浮舟が入水自殺を図ったように、アイドル歌手・平手友梨奈は消え去った。しかし2020年秋に映画『さんかく窓の外側は夜』への出演が発表され、彼女は女優・平手友梨奈として再生しようとしている。果たして現代の薫=秋元康は、それでも浮舟=平手を追い求め続けるのか?今後のふたりの行く末を、しっかりと見届けたい。You ain't heard nothin' yet. (お楽しみはこれからだ。)

さて、ここまで書いてきたことを、読者の皆さんはひとりの男の単なる妄想だと失笑されるだろうか?

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わが心の歌〈番外編〉祝サブスク解禁!!山口百恵の魅力について語り尽くそう。

Spotify, Apple Music, Amazon Music Unlimitedなど定額制音楽配信(サブスクリプション)サービスで聴けないアーティストたちが何人(組)かいる。

しかし2018年9月1日に井上陽水が、続いて同年9月24日に松任谷由実(ユーミン)、2019年8月31日に星野源、同年9月18日にPerfume、12月20日からサザン・オールスターズの全楽曲がサブスク解禁になった。僕は「もう残る大物アーティストは中島みゆき、米津玄師、山下達郎、RADWIMPS、そして山口百恵くらいだな」と思った。

ところが新型コロナウィルス蔓延により、多くの人々が自宅待機の生活を余儀なくされたことをきっかけに、まずRADWIMPSが2020年5月15日からサブスクを解禁した。漸く『君の名は。』や『天気の子』のサウンドトラック盤もサブスクで聴けるようになったのである。

そして5月29日に突如、山口百恵の全楽曲600曲以上がサブスクで一斉配信となった!!僕は狂喜乱舞した。彼女の引退から40年、待ちに待ったこの日が遂に来た。こうして今後の懸案事項は米津玄師、中島みゆき、山下達郎だけとなった。

Momo

僕は小学生の頃、百恵ちゃんが大好きだった。彼女一筋だったと言ってもいい。百恵ちゃんの引退とともにすっかり芸能界に興味を失い、代わってクラシック音楽や映画に夢中になるようになった。そして高校生の時、劇場で観た原田知世主演、大林宣彦監督の『時をかける少女』に衝撃を受けたわけだが、後に大林監督と山口百恵が浅からぬ縁だったことを知ることになる。

今の若い人は山口百恵のことなんか全く分からないだろうから、これを機会に彼女の魅力、そして後世にどれだけ甚大な影響を与えたかについて語り尽くそうと思う。彼女の強烈な輝きは、秋元康とか、元・欅坂46の平手友梨奈にまで波及することになる。

【来歴】山口百恵は1959年東京都渋谷区に生まれ、幼少期を神奈川県横須賀市で過ごした。だからホリプロのイメージ戦略上、「横須賀出身」ということになっている。彼女の歌う楽曲に「横須賀ストーリー」「横須賀サンセット・サンライズ」など横須賀を強調しているのはそのためである。また三浦友和との結婚式当日にリリースした32枚めのシングル「一恵」の作詞は横須賀恵となっており、百恵のペンネームである。作曲は「いい日旅立ち」の谷村新司。

彼女が生んだ長男がシンガーソングライターの三浦祐太朗(36)。全曲、山口百恵の楽曲をカヴァーしたアルバム「I'm HOME」をリリースし、レコード大賞企画賞を受賞した。次男は俳優の三浦貴大(34)で、大河ドラマ『いだてん』や、NHK連続テレビ小説『エール』に出演している。

【伝説のアイドル】山口百恵を伝説化している一つの要因として、純愛を貫き一人の男だけを愛し、21歳という若さで華やかなスポットライトから遠ざかって、その後一切老いた自分の姿をマスコミに見せないということもあるだろう(現在61歳)。こうした生き様の前例は女優のグレタ・ガルボと、小津安二郎の死去直後に引退した原節子くらいしかない。みじくも美しく燃え。桜の散り際のような潔さは、日本人の琴線に触れるのだ。

【大林宣彦】1973年5月21日に「としごろ」で歌手デビューしたが、実はその前に彼女はCMディレクターとして活躍していた大林宣彦監督と面会している。14歳だった。同年9月1日に発売された2枚目のシングル「青い果実」はかなりきわどい、アブナイ歌詞になっている。ドキッとする。後に〈青い性路線〉と呼ばれた。それは翌74年6月1日に発売された5枚目のシングル「ひと夏の経験」で頂点に達し、レコード大賞・大衆賞および日本歌謡大賞・放送音楽賞に輝き、その年末に「NHK紅白歌合戦」の紅組トップバッターとして初出場を果たした。なお大林監督が百恵に会ったのは、その当時から構想を練っていた映画『さびしんぼう』のヒロインを探していたのである(12年後に富田靖子主演で実現する)。

74年夏に放送されたグリコプリッツのCMで百恵は三浦友和と初めて出会った。演出したのは大林宣彦であった。ふたりが共演するグリコCMはその後長年続き(動画はこちらこちら)、同時に『伊豆の踊子』『潮騒』『春琴抄』『風立ちぬ』など名作文学の映画化でも百恵・友和は共演し(計12作)、「ゴールデンコンビ」と呼ばれた。ふたりの共演作『泥だらけの純情』で併映されたのが大林監督劇場デビュー作『HOUSE ハウス』(1977)。そして大林が監督した映画『ふりむけば愛』(1978)がリメイクでも原作付きでもない、ふたりにとって初めてのオリジナル作品となった。

ふたりが恋をしていることにはじめて気がついたのは大林監督であり、それはCMの撮影を通してだった(詳細は監督の著書を参照されたい)。そして『ふりむけば愛』のサンフランシスコ・ロケに際して監督は一日だけ撮影のない休暇日を設けて、ふたりに自由な時間を与えた。つまり大林監督こそが恋のキューピットだったのである。そして1979年10月20日、大阪厚生年金会館のコンサートで「私が好きな人は、三浦友和さんです」と百恵は恋人宣言を突如発表し(20歳)、80年10月5日に日本武道館で開催されたファイナルコンサートをもって引退した。歌唱終了後、彼女はマイクをステージの中央に置いたまま、静かに舞台裏へと歩み去った。この仕草がさらなる伝説を作った。さよならコンサートは現在、Blu-rayで鑑賞出来る。

【赤いシリーズ】百恵はTBSのテレビドラマ『赤い疑惑』『赤い運命』『赤い衝撃』『赤い絆』と4作品〈赤いシリーズ〉に主演した。父親役は大方が宇津井健で、『赤い疑惑』『赤い衝撃』では三浦友和と共演した。物語展開が奇想天外(『赤い運命』は伊勢湾台風で家族が生き別れになり、検事の娘と元殺人犯の娘が赤ん坊の時に入れ替わりとなって育てられる。『赤い衝撃』はスプリンターが銃撃により半身不随となる)で、演技が大仰な、いわゆる大映ドラマであり、後に堀ちえみの『スチュワーデス物語』が一世を風靡した(「教官!」「ドジでのろまなカメ」が流行語となった)。特に『赤い衝撃』は演出家として大映映画の増村保造(『妻は告白する』『黒の試走車』『赤い天使』『陸軍中野学校』)が関わっており、大映ドラマの礎を築いたと言えるだろう(『スチュワーデス物語』も増村が演出している)。僕はこの〈赤いシリーズ〉が大好きで、毎週見ていた。また1978年に百恵が主演し、TBSで放送されたテレビドラマ『人はそれをスキャンダルという』は三國連太郎や永島敏行が共演し、大林宣彦が演出を担当した。

【阿木燿子/宇崎竜童】歌手として山口百恵が全盛期を築いたのは間違いなく作詞家・阿木燿子、作曲家・宇崎竜童(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)という夫婦によるコンビとの出会いから始まる。1976年の「横須賀ストーリー」を皮切りに、78年「プレイバック Part 2」ではNHK紅白歌合戦で史上最年少となるトリを務めた(日本レコード大賞にノミネートされたが、受賞したのはピンク・レディーの「UFO」)。この頃の百恵の歌唱は、とにかく艶っぽい。しかしマリリン・モンローを代表とするセックス・アピールとは全然方向性が違っていて、強いて言えば〈健康的な色香〉がある。「プレイバック Part 2」でも未だ19歳なのだから恐るべし。こんなに大人びた10代のアイドルを僕は他に知らない。77年リリースの「夢先案内人」はアラビアン・ナイトの世界に迷い込んだような綺羅びやかな色彩感がある。これは原田知世によるカヴァーも良い(こちら)。そして僕がイチオシの歌は「夜へ…」。1979年4月1日に発売されたアルバム「A Face in a Vision」に収録されている。元々はNHK特集『山口百恵 激写/篠山紀信』のために制作されたもので、これはDVDで観ることが出来る。こちらもお勧め!

Gekisha

夜へ…」を愛聴するきっかけになったのは相米慎二監督の映画『ラブホテル』(1985)。公開された年にヨコハマ映画祭で第一位に輝いた。劇画作家・石井隆が脚本を書き、村木と名美という名の男女が登場する一連の作品群の一本。相米作品としては『台風クラブ』や『光る女』の方が優れていると思うが、『ラブホテル』で「夜へ…」が静かに流れる場面はゾクゾクした。Jazzyでノワール。

夜へ…」で阿木燿子の詞は連想ゲームを彷彿とさせる単語の羅列で始まる。まるで呪文のような妖しさが漂う。なんて素敵なんだろう!

【さだまさし/谷村新司】さだまさし作詞・作曲「秋桜」は1977年、谷村新司 作詞・作曲「いい日旅立ち」は78年にリリースされた。いずれも、さだや谷村にとっての最高傑作と言える。そういう曲を贈りたくなる魅力、オーラが山口百恵にはあるのだろう。「いい日旅立ち」は国鉄(現在のJR)の旅行誘致キャンペーン・ソングとしてCMなどに使われた(動画はこちら)。やはり大林監督が手掛けている。「秋桜」も「いい日旅立ち」も陰りのある曲調だ。こういうのが百恵にはよく似合う。しかし決して暗くなり過ぎない。これが中森明菜とか華原朋美だと、病的になる。薬漬けとか自殺未遂まで行くと、洒落にならない。引いてしまう。一方、百恵の場合は〈程よい健康的な陰り〉なのだ。

【菩薩】1979年に評論家の平岡正明は『山口百恵は菩薩である』を著した。後に広末涼子主演の映画『20世紀ノスタルジア』を撮った原将人監督は「広末涼子は女優菩薩である」と絶賛したが、これは平岡の著書を意識したものだろう。また写真家・篠山紀信が1970年代に最も多く撮った女性は百恵であり、彼女を「時代と寝た女」と称した。

【その後の友和】三浦友和は大林監督の劇場デビュー作『HOUSE ハウス』に友情出演し、百恵と結婚後も『彼のオートバイ、彼女の島』『野ゆき山ゆき海べゆき』『日本純情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』『なごり雪』『22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語』など大林映画の常連として活躍した。また大林監督の自伝的映画『マヌケ先生』では本人役(馬場鞠男)を演じた。

【わが心の歌】ここで僕が考える山口百恵の歌、ベスト12を選出しておこう。

長くなったので続きは後編へ。To Be Continued ...

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平成を振り返って

平成という時代が今日、終わろうとしている。

僕は昭和に生まれ、大学生の時に平成を迎えた。どんな時代だったのか、振り返ってみよう。

個人史はさて置き、歴史的側面から平成の10大ニュース/トピックスを選んでみた。基本的に年代順に並べている。

  • バブル景気の終焉(平成3年)
  • ベルリンの壁崩壊(平成3年)
  • 地下鉄サリン事件(平成7年)
  • インターネットの普及(平成10年)からSNSの全盛期へ
  • アメリカ同時多発テロ事件(平成13年)
  • 「千と千尋の神隠し」アカデミー長編アニメ映画賞を受賞(平成15年)
  • 会いに行けるアイドルの時代(平成17年)
  • 東日本大震災(平成23年)
  • 佐村河内守とゴーストライター(平成26年)
  • 厄介な隣人・韓国との関係悪化(平成27年)

〈バブル景気〉時代の日本人は妙に浮かれていた。しかし実体はなかった。その姿を象徴するのがディスコ「ジュリアナ東京」の〈お立ち台〉だろう。キーワードは〈虚ろ〉〈軽薄〉。

〈ベルリンの壁〉は米ソ冷戦の象徴的存在だった。この崩壊はマルクス主義の決定的敗北を意味していた。思えば〈社会主義国家建設〉という野望は20世紀という1世紀をまるまるかけた壮大な実験だった。終焉を迎えた時、実験台の上に載せられた人々の思いはどうだったろう?

オウム真理教事件は日本人に様々な爪痕を残した。村上春樹の「アンダーグラウンド」という作品も生まれた。サリンを撒いた実行犯たちが辿った心理的状況を追っていくと、不思議と〈あさま山荘事件〉を起こした連合赤軍の学生たちにどこか似ている(高学歴とか内輪揉めによるリンチ殺人という点を含めて)。つまり新興宗教とマルクス主義には共通点があるということだ。

僕にとってインターネットの普及を象徴する映画は平成10年に公開された「ユー・ガット・メール」である。パソコンのメールを媒体として男女(メグ・ライアンとトム・ハンクス)が出会う。未だ〈出会い系サイト〉などという言葉が生まれる前だった。更に遡ると、平成8年に森田芳光監督の映画「(ハル)」が公開された。これはniftyパソコン通信の映画フォーラムでめぐり逢う男女の物語である。

Haru

インターネットのおかげで今日、このブログもある。ありがたいことである。インターネットは僕たちの生活に劇的変化をもたらした。その最大の効能は①情報伝達の即時性②検索能力 だと僕は思っている。何が疑問があれば図書館に行かずとも、パソコンやスマホでたちどころに調べられる便利な時代が到来した。僕らの脳味噌における〈知識の蓄積〉も圧倒的に加速した。

SNSの素晴らしさは〈つなぐ〉力だ。SNS登場前だったら絶対に出会うことがなかった人々と繋がり、コミュニケーションをとり、情報交換が出来る。

明治維新以降、日本人は欧米文化の影響を多大に受け、徐々に個人主義に移行した。親と別居し核家族化し、町内の祭りとか寄り合いに参加することも稀となり、近所付き合いがなくなってマンションの隣の住人の名前も知らないなんてことが当たり前になった。しかし、近代的自我の最大の病は孤独である。自立したと思っているうちに、実際は孤独だと気付くことになる。それを補完し、孤独な魂と魂を〈つなぐ〉ことで癒やしてくれるのがSNSなのだ。

アメリカの同時多発テロと、それに続くイラクへの侵略戦争は、〈アメリカの正義〉の胡散臭さを白日の下に晒すことになった。詳しいことを知りたかったら映画「バイス」を観てください。さらに9・11は米ソ冷戦からテロリズムとの戦いへの移行を象徴する出来事でもあった。

「千と千尋の神隠し」オスカー受賞(並びにベルリン国際映画祭で金熊賞受賞)は日本のアニメーションが漸く世界で認められたことの証左であった。アメリカ公開に尽力してくれたジョン・ラセターさん、ありがとう!そして今では日本の漫画やゲーム・ソフトがハリウッドで実写映画化されることもちっとも珍しくなくなった(「アリータ:バトル・エンジェル」「進撃の巨人」「バイオハザード」「名探偵ピカチュウ」)。

Miya

平成17年12月8日はAKB48の劇場公演初日である。CDが売れない時代に〈握手券〉〈総選挙の投票用紙〉としてCDの価値を変換するAKB商法は画期的発明だった。そして〈ご当地アイドル〉が隆盛を極めた。それは〈ゆるキャラ〉ブームと相まって〈地方の時代〉の到来でもあった。

しかし、山口真帆に対する暴行事件を巡るNGT48のゴタゴタがAKB商法の限界を指し示し、暗い影を落としている。今年は〈総選挙〉も中止になった。そろそろ賞味期限切れかもね。

僕は完全にCD収集を止め、配信サービス(ナクソス・ミュージック・ライブラリー、Spotify)で音楽を聴くことに移行した。

阪神・淡路大震災が発生した平成7年に僕は仕事の関係で広島に住んでいた。その時の震度は4で早朝に揺れで目が覚めた。5時46分だった。

東日本大震災の時は大阪府堺市にあるホテルの11階にいた。揺れは中々収まらなかった。テレビで見た津波の規模にも唖然としたが、やはりなんと言っても衝撃的だったのは福島原発事故である。

「作曲家」佐村河内守が明らかにしたのは、世の中には音楽の本質(itself)が全く耳に入らず、余剰・おまけに過ぎない(作者が語る)「物語」しか理解が出来ない聴衆が沢山いることだ。天下の NHKはまんまと騙され、慶応義塾大学教授/音楽評論家の許光俊赤っ恥をかいた。

慰安婦問題日韓合意が成されたのは平成27年12月28日である。この時、「慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決を確認した 」筈だったのに、平成28年12月に朴槿恵(パク・クネ)大統領が罷免・逮捕され、文在寅(ムン・ジェイン)が大統領になると、〈合意〉はなかったことにされ、日本からの〈拠出金〉10億円は〈使途不明金〉になってしまった。〈合意〉とは一体何だったんだ!?

条約に調印しても政権が変わると平気で約束を反故にしてしまい、一方的に恨(ハン)を募らせてくる国とは外交が成立しないし、今後一切話し合いに応じることは出来ない。全く困ったものである。

NHKで韓国ドラマ「冬のソナタ」が放送されたのは平成15年から16年にかけて。空前の〈冬ソナ現象〉〈韓流ブーム)を巻き起こしたが、今はすっかり冷え込んで「冬の時代」に成り果ててしまった。

それにしても、いわゆる〈従軍慰安婦問題〉の発端は朝日新聞社による捏造記事(詳細はこちら)なわけで、随分と罪作りな話である。

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夢と狂気のミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」

ミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」(公式サイト→こちら)はゴールデン・グローブ受賞で史上最多の7部門(ミュージカル作品賞・主演男優賞・主演女優賞・監督賞・脚本賞・作曲賞・歌曲賞)を受賞した。アカデミー賞でも作品・監督賞で「ムーンライト」と一騎打ちの模様となっている(作曲・歌曲賞受賞は300%確実)。

Lalalandimax

ミシェル・ルグランが作曲した映画「ロシュフォールの恋人たち」(ジャック・ドゥミ監督)の音楽を彷彿とさせる冒頭のナンバー"Another Day of Sun"(歌詞付き試聴はこちら)にはinsaneという言葉が用いられ、後半の"Audition"(歌詞付き試聴はこちら)ではmadnesscrazyが登場する。これらはすべて日本語で狂気を意味する。ついでながら最高に可笑しかったゴールデン・グローブ賞授賞式オープニングに於ける「ラ・ラ・ランド」のパロディをご紹介しよう→こちら

映画スターを目指してオーディションに落ちまくりながら映画スタジオのカフェで働くミア(エマ・ストーン)は"Audition"で「些かの狂気が新たな色彩を見出すための重要な鍵よ。それは私達をどこへ連れて行ってくれるか判らないけれど、でもだからこそ必要なものなの」と歌う。夢と狂気ーこれが「ラ・ラ・ランド」の肝(きも)である。

そもそもLa La LandのLAはハリウッドのあるロサンゼルス(Los Angeles)のことを指し、【あっちの世界/あの世/我を忘れた陶酔境】を意味する言葉である(こちらのブログを参照のこと)。

"Another Day of Sun"の最後は何かに取り憑かれたように「たとえ(オーディションに落ちて)失望させられたとしても、次の朝には必ずまた日が昇る」と合唱が執拗に繰り返す。正に狂気が疾走するのだ!

僕はこの歌を聴きながら、あるアイドルの発言を想い出した。

高橋みなみはAKB48選抜総選挙のスピーチで「努力は必ず報われる。私の人生を持って証明してみせます!」と言い、物議を醸した。

AKB48のオープニングメンバーオーディションの応募総数は7924名、最終合格者は20名だった。競争倍率は396倍。つまり高橋みなみにとって「努力は必ず報われる」は真実であったが、彼女1人に対してその影で395人が涙をのんだことになり、この金言が当てはまるのはたった0.25%に過ぎない。さらに最終合格者のうち、シングルの選抜メンバーに選ばれたのはごく一握りであり、「努力が報われた」女の子はさらにさらに少なくなる。

オリンピックの金メダリストも同じようなことを言ったりするが、それこそオリンピックで金メダルを受賞できる確率は天文学的に少ないだろう。では日本代表に選ばれなかったアスリートたちは努力を怠っていたのか?そんな筈はない。

つまり「努力は必ず報われる」のは勝者の理論であり、生まれ持った資質や運を持たぬ我々大半の人間にとって、決して真理ではないのである。

脚本家・山田太一がいいことを言っている→「頑張れば夢はかなう」というのは幻想、傲慢(日経ビジネス アソシエ)

を持つことは自由であり、誰しも有する権利である。しかしの実現に向けてその光(Stars)を追い続けるには狂気が必要であり、凡人は諦めが肝心だ。そのことを「ラ・ラ・ランド」は私たちに語りかけてくるのである。

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【増補改訂版】「君の名は希望」〜作詞家・秋元康を再評価する

秋元康は今や億万長者(「グローバルウェルス・レポート 2015」によると資産50億円〜100億円未満)であり、日本で最も成功した音楽プロデューサーである。だからやっかみ半分、彼のことを「守銭奴」と罵り、その体型から「秋豚」呼ばわりする者たちも世間には少なからずいる。もともと彼の本業は「放送作家」「作詞家」であるが、その側面は忘れられがちである。

2014年の段階で彼が作詞したのは4000曲以上、AKB48グループだけに限っても1000曲を超えている。その事実を知っている人は恐らく少ないのではないか?CDシングルだけではなくカップリング曲、劇場公演曲(アンコールまで含めると1公演につき16曲)も全て秋元康が作詞しているのである。一体、この情熱は何処から来るのか?少なくとも「金儲け」のためだけなら、こんな芸当が出来る筈もない。ある程度は他者に任せればいいわけだから。

そこで「作詞家」秋元康を正当に評価してあげようよ、というのが今回の企画である。

僕の考える秋元康による作詞ベスト12を挙げてみよう。各々のタイトルをクリックすれば歌詞に飛べるよう仕組んである。

  1. サイレントマジョリティー(欅坂46)
  2. 君の名は希望(乃木坂46)
  3. 鈴懸の木の道で「君の微笑みを夢に見る」と言ってしまったら僕たちの関係はどう変わってしまうのか、僕なりに何日か考えた上でのやや気恥ずかしい結論のようなもの(AKB48)
  4. 世界には愛しかない(欅坂46)
  5. キレイゴトでもいいじゃないか?(HKT48研究生)
  6. てもでもの涙(AKB48 チームB 3rd Stage「パジャマドライブ」)
  7. バレッタ(乃木坂46)
  8. 風は吹いている(AKB48)
  9. 前のめり(SKE48)
  10. 夕陽を見ているか?(AKB48)
  11. キリギリス人(ノースリーブス)
  12. 森へ行こう(AKB48 ひまわり組 2nd Stage「夢を死なせるわけにいかない」)

サイレントマジョリティー」については下記記事をお読みください。

2015年大晦日、NHK紅白歌合戦に初出場した乃木坂46が歌ったのは「君の名は希望」だった。2013年3月に発売されたシングル曲。秋元本人もよほどこれを気に入っているのだろう、NHKで土曜の夜に放送されている「AKB48 SHOW !」の番外編として「乃木坂46 SHOW !」というのが時たま不定期に放送されるのだが、その第1回目と第2回めに続けてこの曲が歌われたのである。他に紹介されていないシングル曲が幾つもあるのに。……一人称の「僕」は自分に閉じこもりがちな教室で孤立した少年である。そんな彼が学校のグラウンドで「君」と出会い、その瞬間陽の光が差し込む。秋元が冴えているときは歌詞の情景をきちんと絵として思い浮かべる事が出来る。そういう意味で「君の名は希望」は紛うことなき最高傑作、神曲である。「僕」=オタク、「君」=アイドルと読み替えることも出来る。奥が深い。

情景(絵)が見えるという意味では「てもでもの涙」もそう。《降り始めた細い雨が/銀色の緞帳を/下ろすように/幕を閉じた/それが私の初恋》《声も掛けられないまま/下を向いたら/紫陽花も泣いていた》とか素敵じゃない?季節感があり、美しい日本語だ。「てもでも」という語感もリズムがあって良い。歌を聴いたらその意味が判る仕掛けになっている。2009年「AKB48リクエストアワー セットリスト ベスト100」(以下「リクアワ」と略す)第3位。また「君の名は希望」も「てもでもの涙」も歌詞の中に英語を用いず、日本語だけで勝負していることも特筆に値するだろう。現在日本のアイドル・ソング、ポップ・ミュージックの中では希少である。

鈴懸なんちゃら」(2015年「リクアワ」第1位)についてはまずタイトルの長さが尋常じゃない。気合い入りまくり。じゃんけん大会で優勝した松井珠理奈に対する秋元の愛情が溢れ、常軌を逸している。また珠理奈をデビューさせた「大声ダイヤモンド」と「鈴懸」を続けて聴くとキモさ倍増、鳥肌(さぶいぼ)が立つ。でもそこがいい。谷崎潤一郎や江戸川乱歩の小説を読めば分かるが、変態的性格から芸術が生まれることはあるのだ。それが作家性である。ベルリオーズ作曲「幻想交響曲」なんかもそう。内容は完全なストーカーである。「鈴懸なんちゃら」と「バレッタ」の変態性については下の記事で詳しく論じたのでそちらをお読みください。

世界には愛しかない」は2016年8月10日に発売される欅坂46の2nd シングルである。まずポエトリー・リーディングという斬新な手法に度肝を抜かれた!秋元康の本気を感じる。歌詞中の「僕」=秋元、「君」=欅坂のセンター・平手友梨奈と置き換えて眺めれば、その本質が見えてくるだろう。つまりこれは秋元の、紛れもない愛の告白である。そういう意味で「鈴懸なんちゃら」に近い作品と言えるだろう。僕は《もう少ししたら/夕立が来る》というフレーズにグッと来た。過去を振り返る傾向が強い日本の歌謡曲の中で、珍しい未来志向の楽曲である。躍動感に溢れ、瑞々しい。

個人的な話になるが、前の職場でどうしても納得出来ないことがあり、上司に対して「それは間違っている」と徹底的にNOを突きつけた。そしてそこを辞め、今の仕事に就いた。揉めている時に「キレイゴトでもいいじゃないか ?」(2014年「リクアワ」第8位)を繰り返し聴き、大いに勇気付けられた。《恥をかくために/生きている》という言葉が心に刺さる。アイドルって人々に勇気や希望を与えるのが本来与えられた役割なんじゃないかな?そういう意味で秋元康には本当に感謝している。僕はいま、幸せである。むしろあの時、自分が正しいと思うことを言っていなければ後悔しただろう。

風は吹いている」も人々に希望を与える歌だ。東日本大震災の年に創られた復興支援ソング。この歌詞は熱い。《この変わり果てた/大地の空白に/言葉を失って/立ち尽くしていた》《前を塞いでる/瓦礫をどかして/いまを生きる》こんな内容、アイドルが歌う範疇を遥かに超越している。衝撃的であった。

AKB48グループは2011年の震災直後から被災地訪問活動を行っている。6名のメンバーが交代交代に毎月一回足を運び、現地で無料のミニ・コンサートをする。しかも前田敦子(卒)・大島優子(卒)・渡辺麻友・柏木由紀といった人気メンバーも参加して。このプロジェクトは5年経過した現在も継続されている。考えてみて欲しい。2016年までずーっと無償の訪問活動を行っているアイドル・グループ、ミュージシャンが他にいる?継続は力なり。カネ目当てとか売名行為なんかじゃ決してない。僕はそこに秋元康の強い使命感を見る。

前のめり」は2015年8月にSKE48を卒業した松井玲奈への餞として書かれたシングル曲。「かすみ草」を自称する玲奈に対して、「い や、君はひまわりだよ」と言ってあげるところに秋元の優しさを感じる。非常にpositive thinkingな内容だ。人生、いくらでもやり直せるという気持ちになれる。

夕陽を見ているか?」は2007年のシングル。これを書いた時、秋元は「絶対売れる!」と確信していたという。しかしその自信とは裏腹に全く売れなかった。しみじみとしたバラードで、長年ファンから愛され続けている心がほっこりする名曲だ。

キリギリス人」に僕が深く共感するのは、結局カルペ・ディエムCarpe Diem(=「その日を摘め」「一日の花を摘め」)について語っているからである。つまり「将来に備えやせ我慢して蓄えよう」なんてくだらないことを考えず、「今を生きろ」ということ。これはメメント・モリMemento Mori(=「死を想え」「死を記憶せよ」)に繋がる。詳しくは下の記事で論じた(図説付き)。

森へ行こう」は国民的アイドルになってしまった今のAKB48に対して絶対書けない曲。ダークな世界観で、「本当は恐ろしいグリム童話」とかミュージカル「イントゥ・ザ・ウッズ」、ティム・バートンの映画を彷彿とさせるものがある。秋元康ってこういう一面があったんだ!と新たな発見がきっとある筈。

たかがアイドル、されどアイドル、なんてったってアイドルである。

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秋元康プロデュース・欅坂46「サイレントマジョリティー」を讃えて(あるいは、アメリカの闇)

先日、欅坂46のデビュー・シングル「サイレントマジョリティー」をフルコーラスで聴いてガツンと来た!これは紛れもなく「君の名は希望」に並ぶ、作詞家・秋元康の最高傑作だ。歌詞はこちら。因みに、発売前の仮タイトルは「僕らの革命」だったという。

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先行く人が振り返り
列を乱すなと
ルールを説くけど
その目は死んでいる

「その目は死んでいる」という歌詞がドキッとする。これぞ秋元の真骨頂、意外性がある。

夢を見ることは時には孤独にもなるよ
誰もいない道を進むんだ
この世界は群れていても始まらない
YESでいいのか
サイレントマジョリティー

歌っている内容そのものは秋元がHKT48のために書いた「キレイゴトでもいいじゃないか?」の延長上にある。それがさらに洗練された形だ。

そもそも「サイレント・マジョリティ(silent majority)」とはベトナム戦争に対する反戦運動が高まる中、1969年にニクソン大統領が「グレート・サイレント・マジョリティ」と言う言葉を演説で使ったのが事の始まりである。「過激な反戦運動や声高な発言をしない大多数のアメリカ国民は、ベトナム戦争に決して反対していない」という、いわば【異議なきは同意とみなす】詭弁である。共和党のこうした体質は9・11のどさくさに紛れて、何の関係もないイラクに対して侵略戦争を仕掛けたジョージ・W・ブッシュまで脈々と受け継がれてきている。この危険性・危うさを端的に表しているのが現在予備選挙で快進撃を続けるドナルド・トランプ氏だろう。アメリカの闇(病)は今に始まったことではない。

どこかの国の大統領が
言っていた(曲解して)
声をあげない者たちは
賛成していると…

選べることが大事なんだ 
人に任せるな
行動をしなければ
NOと伝わらない

アイドル・ソングにこのような深いメッセージを忍ばせる匠(たくみ)のしたたかさ。

また世界に活躍の場を広げ、アメリカの週刊誌ニューズウィークが「世界が尊敬する日本人100」に選んだTAKAHIRO(上野隆博)の振付けが素晴らしい。2番の歌詞(どこかの国の大統領……)で踊りは軍隊行進の様相を呈し、続いてマリオネット(操り人形)の動作に移行する。ヒトラーやムッソリーニに通じる全体主義・ファシズムの恐怖。心が震えた。アイドルは可愛いくなくてはいけないという従来の既成概念をかなぐり捨て、徹頭徹尾力強く、格好いい。

前田敦子卒業以降、AKB48に提供する楽曲はどれもこれも腑抜けだった秋元康の本気を久々に見た!これは彼に霊感を与えるミューズの出現が大きいだろう。勿論、欅坂46のセンターを務める平手友梨奈(14)のことである。ミュージカル「オペラ座の怪人」の作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバーと、舞台でクリスティーヌを演じたサラ・ブライトマンの関係を髣髴とさせる(ウェバーはサラのことを"My Angel of Music"と呼んでいる)。平手は既に山口百恵の再来とも言われており、50年にひとりの逸材と言える。因みに百恵の歌手デビューは1973年、彼女も14歳だった。

欅坂46は4月22日(金)の「ミュージックステーション」に出演するが、これは史上最速である。姉分の乃木坂46が「ミュージックステーション」に初出演したのは「気づいたら片思い」。なんと8作目のシングルである。ちなみにAKB48のMステ初出演は2006年6月9日の「スカートひらり」で、インディーズ2作目のシングルだった。

僕は今まで秋元がどうしてアイドルグループを次から次へと新設していくのか理解出来なかった(国内ではAKB48 → SKE48 → NMB48 → 乃木坂46 → HKT48 → NGT48 → 欅坂46)。しかし漸く判った。彼は飽きっぽい。立ち止まると吹いていた風が凪ぎ、創作意欲も失ってしまう。だから常に新しいことを仕掛け、自分を鼓舞するしかない。そして長年待ち続けたものに遂にめぐり逢った。山口百恵(的な存在)を自らプロデュースするという、甘美な欲望はこうして叶ったのである。秋元康はいま、燃えている。これから先、欅坂46(というか平手友梨奈)がどのように坂を駆け上って行くのか、大いに注目したい。

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尾崎支配人が泣いた夜 DOCUMENTARY of HKT48/道頓堀よ、泣かせてくれ! DOCUMENTARY of NMB48

「尾崎支配人が泣いた夜  DOCUMENTARY of HKT48」の評価はB+。映画公式サイトはこちら

「道頓堀よ、泣かせてくれ! DOCUMENTARY of NMB48」の評価はB。映画公式サイトはこちら

僕は今までにAKB48のドキュメンタリーを4種類、他にSKE48と乃木坂46のドキュメンタリーを観ている。よって今回で8作品に達したということになる。

なかんずく突出して傑作だと想うのは高橋栄樹監督「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら夢を見る」である(2016年2月12日(金)25:50~ NHK BSプレミアムで放送予定)。アイドル映画を観に行ったら戦争映画だった!という驚天動地、コペルニクス的転回の作品であり、僕はこの年の映画ベスト1に選出した。東日本大震災の年という特殊性が効いた。逆に最低・最悪だったのが「悲しみの忘れ方DOCUMENTARY of乃木坂46」。監督の丸山健志は万死に値する。絶対に許せない。詳しくはレビューを読んでください。

さて8作品出揃ったところで、質が高い上位4作品を挙げてみよう。

  1. DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら夢を見る
  2. アイドルの涙 DOCUMENTARY of SKE46
  3. 尾崎支配人が泣いた夜  DOCUMENTARY of HKT48
  4. 道頓堀よ、泣かせてくれ! DOCUMENTARY of NMB48

アイドルの涙 DOCUMENTARY of SKE46」は石原 真監督のSKE愛が炸裂している。特に唖然としたのは後にDVD/Blu-rayで発売されたディレクターズ・カット版。4時間あって、しかも映像が本篇と全く重複していない!両者合わせると現役メンバー全員のインタビューを詰め込んでいる。しかも編集が巧みなので観ている者を飽きさせない。ただ卒業メンバーのうち、向田茉夏からインタビューを取れなかったのは痛恨の極みなのだが……。閑話休題。

さて、HKTのドキュメンタリーは指原莉乃が監督をしている。現役の、しかも総選挙で2年連続1位になったトップ・アイドルが監督をすると一体どうなるのだろう?と全く想像がつかなかったのだが、これが意外にも良かった。今までの中で最も「生々しい」ドキュメンタリーとなった。彼女は選抜メンバーに選ばれない女の子の気持ちも、逆に「撰ばれてあることの恍惚と不安」もどちらもよく判っているので、そういった光と影の交差を巧みに捉えている。またHKT48劇場支配人として各メンバーへの目配りも怠りなく、結局テロップで全員の名前が出てきたんじゃないかな?映画の冒頭がさしこ(指原)と坂口理子が餃子を食べている場面から始まるのも意表を突いていて面白かった。あと本作の白眉はシングルの選抜メンバーを選ぶ会議にカメラを潜入させたことである。”なこみく”の矢吹奈子が最近、精神的に疲れているので一度選抜から外して休ませたほうがいいのではないか?というさしこからの提言が、秋元康の「でもユニバーサル(・ミュージック・ジャパン)さんとしては”なこみく”が欠かせないよね?」という一言で却下となり、逆に秋元の「そろそろ田中菜津美を入れても面白いんじゃない?」という発言も誰からも取り合われず、あっさりスルーされた。トップダウンで決定されるのではなく、割とみんなの意見を聞き、合議制で決めるんだなと興味深かった。あとメンバーの親を登場させたのが村重杏奈ただ一人というのが慧眼である。何故なら村重の母親はロシア人であり、さしこは《ファンが一番見たいものは何か》を熟知しているなと感心した。

今回のHTKとNMBのドキュメンタリーで新機軸だなと感じたのはファン=ヲタに焦点を当てたことである。HKT坂口理子が初めて選抜メンバーに選ばれた瞬間のおっさんの号泣、NMBでライヴァルとして切磋琢磨している白間美瑠の握手会のレーンの方が列が長いと、危機感を抱いてその場で緊急会議を始める矢倉楓子のファンの人たち(ふたりは10thシングル「らしくない」でダブルセンターを務めた)。何か微笑ましいというか、愛おしかった。またある日の握手会で山本彩が3千人以上と握手し、総計9時間に及んだというナレーションには度肝を抜かれた。それでも「楽しかった」と屈託のない笑顔で会場を後にするさや姉。さすがプロだね。

NMBの方は大阪府出身で東京大学教養学部卒業後ニューヨークで映画を学んだ舩橋淳が監督を務めた。大阪らしい、「コテコテ」で「泥臭い」ドキュメンタリー映画に仕上がっている。これだけ地方色を鮮明に打ち出した作品はこれまで無かった。特に淀川から道頓堀川に至る河川を下る船の上で、第1回ドラフト会議で指名されNMBに入った須藤凛々花(12thシングル「ドリアン少年」センター)が、ニーチェやジョン・スチュアート・ミルらの言葉を朗読する場面は正に異空間で、個性的なその絵(映像)に惹きつけられた。リドリー・スコット監督の「ブレードランナー」とか、高倉健・松田優作が出演した「ブラック・レイン」(大阪が舞台)のことを想い出した。

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悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46

評価:D

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アイドルのドキュメンタリー映画を観るのはこれで6作品目である。AKB48が4本、そしてSKE48が1本。AKBの第1作(監督:寒竹ゆり)は凡庸な駄作だったが、高橋栄樹監督に交代してから後の3作品は見違えるような完成度となり、特に第2作は「戦争映画」と評しても過言ではない位の凄まじい傑作であった(レビューはこちら)。また石原 真が監督した「アイドルの涙 DOCUMENTARY of SKE48」もすこぶる面白かった。

で乃木坂46の登場だ。僕はバナナマンが司会するテレビ番組「乃木坂って、どこ?」を2011年10月の第1回放送から見ている。彼女たちの1stシングル「ぐるぐるカーテン」発売よりもずっと前の話だ。「乃木坂って、どこ?」の映像は今回のドキュメンタリーでも多々引用されている。

映画は死ぬほど詰まらなかった。生駒里奈、橋本奈々未、白石麻衣、西野七瀬、生田絵梨花らの幼少期の写真とか母親の手記が流れるんだけれど、そんな情報はいらねぇーんだよ!生駒が小学生の時に虐められていて、両親には黙っていたとか、白石が中学生の時に不登校になったとか、どーでもいい。僕らが興味が有るのは彼女たちの現在であって、過去ではない。生駒が秋田県の出身中学校を訪ねて、古巣ブラスバンド部の後輩が彼女に歌(合唱)をプレゼントする場面を(一曲丸ごと)延々聴かせられたのには閉口した。これは一体、誰のための映画なのか??取材で集めた母親たちの言葉が全て西田尚美のナレーションで語られるのも意味不明。親の出る幕ではない。七福神経験者など、ごく限られたメンバーにしかスポットライトが当たらないのも考えものだ。作り方としてAKBドキュメンタリー第1作の駄目なやり方を愚かにも踏襲している。一方、「アイドルの涙 DOCUMENTARY of SKE48」の場合は卒業生を含めて40人以上にインタビューを敢行している。そういうやり方でないと大局が見えない。井の中の蛙大海を知らず。乃木坂の2期生は完全無視。最後に申し訳程度に堀未央奈の名前が出てくるが、「バレッタ」で新センターに抜擢されて以降、ポジションが落ちる一方とナレーションで片付けられて、インタビューすらなし。これでは余りにも2期生たちが可哀想だ。松村沙友理のスキャンダルの扱いも生ぬる過ぎて煮え切らない。そもそも松村を解雇せずして、今年こそ紅白に出場できると運営陣は本気で考えているのだろうか?甘すぎる。

最低最悪、素材を生かし切れず、こんな代物を世に問うた監督の丸山健志は万死に値する。おととい来やがれ!

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アイドルの涙 DOCUMENTARY of SKE48

評価:B+

Ske

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兵庫県西宮市のTOHOシネマズで平日18時からの上映を鑑賞。なんと客が僕を含めて3人しかいなかった!大丈夫か、SKE48?続いて連チャンで20時半から「くちびるに歌を」を観たのだが、そちらは4人。ヲイヲイ、ガッキーに負けてるぞ。因みに別の日に同館のレイトショーで観た「幕が上がる」は12人いた。結論ーももクロの完勝。本編前に「DOCUMENTARY of 乃木坂46」予告編があった。

今回の監督は石原 真。NHKエンターブライズ所属のエグゼクティブ・プロデューサーで、NHKで放送されている「MUSIC JAPAN」や「AKB 48 SHOW !」の制作統括を務めている。48グループを熟知している人だから、実に内容が充実していた。

ドキュメンタリーは2014年2月2日、ナゴヤドームがオレンジ(SKEのチームカラー)のサイリウム一色に染まったSKE決起集会。「箱で推せ!」の様子から始まる。

続いて2014年末に発売されたシングル曲「12月のカンガルー」で北川綾巴(6期生)と宮前杏実(5期生)が、それまで選抜メンバーを牽引してきた松井珠理奈、松井玲奈の”ダブル松井”(共に1期生)に代わり、ダブルセンターに起用された瞬間をカメラが捉える。何が起こったか理解出来ずキョトンとしているふたりが可笑しい。そして一気に時は6年半前、1期生のオーディションに遡る。最後にはまたナゴヤドームと新センターの話に戻ってくるという、非常に巧みな構成だ。

40人以上のインタビューが核となっており、1期生の卒業生なんか殆ど登場するんじゃないかな?桑原みずきとか出口陽 、平松可奈子など懐かしかった。矢神久美には取材を何度も断られたそうだ。彼女はアイドル時代よりずっと綺麗になっていたし、ファッショナブルな大人の女性に成長していた。また小木曽汐莉(3期・卒業生)が恥じらいながらポロポーズされたことを告白する場面も素敵だった。膨大な数だが各々程よく短めに編集されており、観ていてダレない。

振付を担当している牧野アンナのシゴキっぷりが凄い。SKE結成から1ヶ月後、日比谷野外音楽堂でデビューした時に披露した”PARTYがはじまるよ”は人々から「あんなにハードなPARTYは見たことない」と言われたそう。

チームSの劇場公演3rd Stage「制服の芽」初日直前、”ピノキオ軍”を練習中に松井玲奈が「痛いっ!」と腰を押さえて倒れこんだ。しかし何もなかったようにレッスンは続行される。牧野は玲奈を無視して檄を飛ばす。The Show Must Go On. また他のメンバーがレッスン中に過呼吸に至る様子も映し出される。まるで鬼軍曹が新米の兵士をシゴイているようで、「愛と青春の旅だち」のルイス・ゴセット・ジュニア(アカデミー助演男優賞受賞)とか、「フルメタル・ジャケット」のロナルド・リー・アーメイ、間もなく公開される「セッション」で厳格な音楽教師を演じたJ・K・シモンズ(アカデミー助演男優賞受賞)などを想い出した。エキサイティングなシーンだった。

須田亜香里(3期)が、「『センターが変わります』とアナウンスされた瞬間、『あ、私だ!』と思いました」とニコニコしながら言い、古畑奈和(5期)は「センターになる約束をしている」と語る(あるインタビュー記事によると、卒業した同期の菅なな子と「一緒にセンターを取ろうね」と言っていていたそう)。東李苑(6期)は「(北川と宮前がセンターに選ばれたことについて)そりゃぁ悔しいですよ。でももしそういう気持ちがなかったら、私はSKEを辞めてます」とキッパリ断言する。彼女たちは強い。生存競争は過酷だ。タフでなければアイドルとして生きていくことは出来ないのだろう。

ただ本作で唯一残念だったのは向田茉夏(2期・卒業生)のインタビューが取れていないことである。2ndシングル「青空片想い」から選抜メンバーを務め、当初から長らくチームKIIのセンターを張っていた彼女の不在は痛い。多分取材を断られたんだろうな……。

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21世紀に誕生した青春映画の金字塔「幕が上がる」

評価:A+

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僕はももいろクローバーZに全く興味がない。メンバーの名前も誰一人知らないし、彼女たちの歌も一切聴いたことがない。それでもどうしてもこの映画を観たいと想った。その理由はキネマ旬報誌で大林宣彦監督が本作を絶賛していたからである。

またAKB48のMVやドキュメンタリー映画を撮っている高橋栄樹監督も次のようにツィートされている。

ここまで言われたらもう、観るしかないでしょう。他の選択肢はない。

本広克行監督は大林監督との対談で本作を順撮り(シナリオ通りの順番で撮影すること)したと語っている。正にその効果が覿面(テキメン)で、当初は芝居に対してズブの素人だったももクロたちが、次第に演技に目覚めどんどん輝いていく姿がまるでドキュメンタリーのように捉えられ、フィルムに封じ込められている。彼女たちは原作者であり劇作家・演出家でもある平田オリザのワークショップに参加したそうだが、その功績も大いにあっただろう。

本広監督は元々演劇に対する関心が深い人だ。監督の故郷・香川県で撮られ、僕が大好きな映画「サマータイムマシーン・ブルース」は劇団ヨーロッパ企画の代表作であり、舞台の台本を書いた上田誠が映画のシナリオも執筆している。そして「幕が上がる」の冒頭で演劇部の部員が焼却する台本が何と、「ウィンタータイムマシーン・ブルース」なのである!

で「幕が上がる」の誰が凄いって、ももクロじゃない。美術教師役の黒木 華(くろき はる)、彼女に尽きる。何なんだ、あの強烈な存在感は!彼女が登場した途端に画面がキュッと引き締まる。そして突然の不在にも残り香が薫るのだ。間違いなく今年の助演女優賞は彼女が総なめするだろう。黒木 華演じる教師はかつて「学生演劇の女王」と呼ばれたという役どころだが、彼女自身も(大阪府の進学校)追手門学院高等学校演劇部時代に1年生の時から主役を務めていたそうで、大学時代に野田秀樹の演劇ワークショップに参加し、オーディションに合格してNODA・MAPの公演「ザ・キャラクター」でデビューしたという経歴を持つ。

本作の「発明」は未だ映画で一度も描かれたことがなかった高校演劇の世界をテーマにしたことにある。全国高等学校演劇大会の様子もダイジェストで登場するのだが、何と熱い空間だろう!驚きの連続であり、背筋が伸びる想いがした。アイドルと演劇の世界の融合という点では、恐らく薬師丸ひろ子主演、澤井信一郎・荒井晴彦脚色による映画「Wの悲劇」を参考にした側面もあるのではないか?「幕が上がる」の主人公が見る悪夢の中で演劇部の顧問から罵倒され灰皿を投げつけられる場面があるが、あれは蜷川幸雄がモデルであり、「Wの悲劇」にも蜷川幸雄が演出家役として登場するのである。

そして特筆すべきは「幕は上がる」のカーテンコール。ミュージカル仕立て、そしてメイキング映像も織り込むという手法は明らかに大林宣彦監督「時をかける少女」(1983)へのオマージュである。おまけにラストはももクロのメンバーがフィックス(固定)されたカメラに向かって走ってきて微笑むというカットなのだが、これも「時かけ」の原田知世とそっくりに仕上げているという念の入れよう。恐れ入った。

本広監督は本作を撮るにあたり、大林宣彦と山田洋次が若手の監督を呼んで語り合う「渋谷シネマ会」に参加し、アイドル映画を撮る極意について指南を仰いだそうである(詳細はこちら)。大林監督からの助言は「(被写体を)愛すればいいんだよ」だったという。そしてそれが結実したのが「幕が上がる」なのである。

本作は紛れもなく「桐島、部活やめるってよ」に拮抗する、21世紀に生まれた青春映画の金字塔である。読者諸君、直ちに映画館に駆けつけ、この世紀の大傑作を目撃せよ!

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