ナショナル・ストーリー・プロジェクト

2019年5月11日 (土)

シアター一期一会 《私家版ナショナル・ストーリー・プロジェクト》

あれは忘れもしない1999年の春、地元の映画館「テアトル岡山」にトニー・スコット監督、ウィル・スミス主演の「エネミー・オブ・アメリカ」を観に行った時のことである。館内の客はまばらで、数人しかいなかった。そして映画の上映中、僕の席の前に座っていた男の携帯電話が鳴り始めた。「迷惑だなぁ」と思っていると、何とその男は電話に出て大声で喋り始めたのだ!我が目を疑った。

この頃は全国的にこうしたトラブルが絶えず、1996年10月20日にサントリーホールでクラウディオ・アバド/ベルリン・フィルによるマーラー「復活」交響曲の演奏中に(それも静かなところ)携帯電話が突如けたたましく鳴り響き、2005年には来日したキース・ジャレットのソロ・コンサートでも客席から着信音が流れ、それに切れたキースが演奏を中断し、「ここは禅の国だろう?日本には昔から瞑想(meditation)という習慣があるはずだ」と聴衆に諄々(じゅんじゅん)と説教して、そのまま帰ってしまうという事件が報道されたりもした。

その後コンサートホールには電波遮断装置が設置され、映画館はシネコンが普及し、必ず上映前にマナー講座が上映されるようになった。映画館で携帯に出る男を見たのは「エネミー・オブ・アメリカ」が最初で最後である。啓蒙活動は効果抜群、決して馬鹿に出来ない。

「テアトル岡山」は非常に音響が悪く、「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」や「タイタニック」の大音響でスピーカーがビリビリ鳴るような、時代に取り残された映画館だった。2003年に閉館し、その跡地は駐車場になっている。映画「ニュー・シネマ・パラダイス」を観ると、いつも「テアトル岡山」のことを想い出す。

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2013年9月 5日 (木)

ぎっちょ 《私家版ナショナル・ストーリー・プロジェクト》

僕は左利きだ。しかし世界は右利きに都合良く出来ているので、矯正すべきだという価値観が昭和の日本には根強くあり、幼少期に箸や鉛筆は右手で握るよう親からしつけを受けた。

後にアカデミー作品賞を受賞した映画「英国王のスピーチ」を観て、ジョージ6世は厳格な父から左利きを体罰により矯正され、そのことが原因で吃音になったと知った。

僕は幼い頃から字を書くのが苦手で、いくら習字してもきれいな字が書けず、終いに嫌になった。

30歳を過ぎた頃からだろうか、友人からの勧めで普及し始めたインターネット上にホームページを作成した。そしてミレニアムをまたぎ僕は40歳になり、今度はブログを始めた。

するとどうだろう!すらすらと苦もなく書けるのである。二日に一度は更新している。キーボードのおかげで手書きから開放され、文章を書くことが大好きだという事実をこの歳になって初めて自覚した。そしていつしか右手で文字を書くのを止め、左手に替えた。

僕の息子はいま二歳である。どうやら左利きのようだ。彼には無理強いしまいと心に決めている。

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2013年3月 4日 (月)

Unforgettable 《私家版ナショナル・ストーリー・プロジェクト》

「ねえ、あれN先生じゃない?」夕方NHK岡山のローカルニュースを見ていた母が僕に言った。テレビには瀬戸大橋の建設に反対する人々が映っていた。理由は瀬戸内海の美観を損ねるからだそう。「あ、本当だ!」

ロッキード事件で世間が騒然となり、岡山ー博多間の新幹線が開通した頃の話だ。僕は国立大学の教育学部附属小学校に通っていた。大学生の教育実習があったり、担任が全教科を教えなかったり、通常の公立学校とは異なるカリキュラムだった。N先生は道徳の授業を担当していた。

VHSも無い時代で、先生は学校の業務用ビデオに録画したTVシリーズ「ホロコースト -戦争と家族-」を僕らに観せた。ナチスによるユダヤ人大量虐殺の物語だ。またフランス映画「禁じられた遊び」をビデオ鑑賞後、「禁じられた遊びとは何か?」と問うた。同級生たちが「盗んだ十字架を使った動物の葬式ごっこ」などと答える中、手を上げた僕は「戦争!」と答えて褒められたりもした。

今から考えると先生はかなり思想的に偏っていた人だったのだと思う。「小学生相手にそんなこと教えるのはどうなん?」という疑問もある。しかし少なくとも言えるのは先生は信念の人だったし、子供心に鮮烈な印象を受けたという事実である。

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2012年8月27日 (月)

 * 《私家版ナショナル・ストーリー・プロジェクト》

昭和の時代の話である。現在の大学入試センター試験は僕が受験生だった頃、共通一次試験と呼ばれていた。理系だった僕は数学が得意で、模擬試験でも何度か満点の200点を取っていた。

回答はマークシート方式。例えば解答欄が2桁あり、出た答えが1桁なら余った欄は数字の横にあるアスタリスク(*)、通称「米印」を塗りつぶすルールになっていた。しかし過去に一度も答えと一致しなかった例はなく、先生からは「もし桁数が違っていたら不正解と考えなさい」と教えられていた。

試験当日となった。解答欄は3桁。しかし出た答えは2桁。「あれっ、間違えた!」もう一度計算する。同じ答え。「変だなぁ……ま、いいか。これは後まわしにして次の問題に行こう」しばらく先に進むとまた不一致にぶち当たる。「??」飛ばす。さらに米印。何度計算しても導き出される数字は同じ。時計を見る。焦る。汗でじっとり濡れた手の中で鉛筆がすべる。「カリカリ」周囲からはマークシートを擦る静かな音。目の前が真っ白になり心臓がドックンドックン鼓動を打つ。あと10分!覚悟を決め、自分の計算を信じて猛スピードで米印を次々と塗り潰してゆく。しかし時既に遅く、未回答の問題を沢山残したまま無情にも終了のベルが鳴った。

帰宅し母の顔を見ると「全然駄目だった!」と泣き崩れ、布団の中にもぐりこんだ。そのまま消えてしまいたかった。翌日には2日目の試験があったが、今年は到底無理だからよほど行くのを止めようかとすら考えた。しかし親にも説得され、沈んだ気持ちのまま再び会場へ。

全てが終了後、新聞の朝刊に掲載された模範解答で自己採点した。なんと数学は*印がズラッと並んでいるではないか。僕の計算は正しかったのだ!蓋を開けてみると150点あった。

夜のNHKニュースで、前例のない*印が突然登場し多くの受験生たちが混乱したこと、教育現場から非難の声が上がっていることなどが報道された。結局、数学の平均点は例年より数十点下がった。そして僕は無事に志望校に合格した。

この年の事件は誰とはなしに「共通一次の米騒動」と呼ばれるようになった。

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密やかな調べ 《私家版ナショナル・ストーリー・プロジェクト》

モンポウの「秘密」が好きだ。

「内なる印象」というピアノ曲集のひとつ。演奏時間2分くらいの、ささやかな音楽である。

この小品を教えてもらったのは僕が20代の頃。高校吹奏楽部時代からの親友に紹介された。それまではフェデリコ・モンポウというスペインの作曲家の名前すら知らなかった。

「この曲を聴くとね、寂しい気持ちになるんだ」と彼は言った。

その友人は僕らが30歳のとき急性骨髄性白血病に罹り、あっという間に別の世界へ旅立ってしまった。

「秘密」の囁きに耳を傾けながら、僕はそっと彼のことを想う。

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2012年8月12日 (日)

日米それぞれのナショナル・ストーリー・プロジェクト

僕は「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」こそ、21世紀に生まれたアメリカ文学の最高峰だと確信している。

これはアメリカのラジオ局NPR (National Public Radio) の企画で、作家のポール・オースターが全米のリスナーに向けて「実際にあった、あなた自身の物語を送って欲しい」と呼びかけ、寄せられた作品を番組の中で朗読するというもの。そして4000通を超えた掌の小説の中から厳選された179編を収めたアンソロジーが2001年9月13日に出版された。9・11同時多発テロの直後である。日本語訳は新潮文庫に収められ、アメリカ文学の翻訳で名高い柴田元幸らが担当した。

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戦争があり、家族の死(AIDSなど病死や、時には犯罪の犠牲者)があり、幼い頃の想い出があり、喜びや悲しみがある。内容は多岐に渡り、この小説を読むとアメリカの国土がいかに広大で、そこに住む人々の人種や生活様式がいかに多様であるかが分かる。つまり鮮やかにアメリカが見えてくるのだ。

中でも特に印象に残ったのは、茫洋とした虚無感に包まれた「隔離」と、漠然とした未来への不安感が尾を引く「アリゾナ州プレスコットのホームレス」である。

「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」は多くの日本の作家たちにも多大な反響を与えた。例えば芥川賞作家で、「博士の愛した数式」が第1回本屋大賞を受賞した小川洋子の小説「人質の朗読会」は「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」をフィクションで試みた作品である。→小川洋子がそのことを語ったインタビュー記事へ

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またamazon.co.jp《文学・評論》サイト内にあるWeb文芸誌マトグロッソにおいて、日本人による「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」も始動した。選者は内田樹(「私家版・ユダヤ文化論」で小林秀雄賞を受賞)と高橋源一郎(小説「優雅で感傷的な日本野球」で三島由紀夫賞を受賞)。こちらも出版されている。

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日本版「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」を読むと、本家本元のアメリカ版と全く別物なので面食らう。まず地域性・多様性がない。たとえば一つの物語を読んだだけではそれがどこの出来事なのか、著者が東北の人なのか九州の人か、文章から全く判別出来ない。「日本人って生活水準に落差がなく、どこでも似たような暮らしをしている均一な民族なんだなぁ」という感慨を抱いた。昭和後期によく使われた「一億総中流」とは、見事に言い当てた表現である。

ただここで注意しておかなければならないのは、ラジオで幅広く原稿を募ったアメリカ版に対し、日本版はインターネットでの公募という点である。この条件により、投稿する層が限定されたという側面は否定出来ないだろう。

それからアメリカ版と比べ、日本版の方は深刻で過酷なエピソードが少ない。なんだかほのぼのしていて、最後に落ちがある「落語的噺」が多いなと想った。軽いのだ。こうして考えてみると、落語という芸能はやはり日本で生まれるべくして生まれたんだなぁと痛感した。

つまりアメリカ版を読むと「こんな(ハードな)人生を送っている人たちがいるのか!」と驚嘆し、対して日本版では「嗚呼、こういうこと、日常であるある」と共感する。そういう決定的相違がある。

このようにアメリカ人と日本人の気質や文化の違いを理解する上でも、このプロジェクトは意義深い。是非併せて一読されることをお勧めしたい。

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