僕は「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」こそ、21世紀に生まれたアメリカ文学の最高峰だと確信している。
これはアメリカのラジオ局NPR (National Public Radio)
の企画で、作家のポール・オースターが全米のリスナーに向けて「実際にあった、あなた自身の物語を送って欲しい」と呼びかけ、寄せられた作品を番組の中で朗読するというもの。そして4000通を超えた掌の小説の中から厳選された179編を収めたアンソロジーが2001年9月13日に出版された。9・11同時多発テロの直後である。日本語訳は新潮文庫に収められ、アメリカ文学の翻訳で名高い柴田元幸らが担当した。
戦争があり、家族の死(AIDSなど病死や、時には犯罪の犠牲者)があり、幼い頃の想い出があり、喜びや悲しみがある。内容は多岐に渡り、この小説を読むとアメリカの国土がいかに広大で、そこに住む人々の人種や生活様式がいかに多様であるかが分かる。つまり鮮やかにアメリカが見えてくるのだ。
中でも特に印象に残ったのは、茫洋とした虚無感に包まれた「隔離」と、漠然とした未来への不安感が尾を引く「アリゾナ州プレスコットのホームレス」である。
「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」は多くの日本の作家たちにも多大な反響を与えた。例えば芥川賞作家で、「博士の愛した数式」が第1回本屋大賞を受賞した小川洋子の小説「人質の朗読会」は「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」をフィクションで試みた作品である。→小川洋子がそのことを語ったインタビュー記事へ
またamazon.co.jp《文学・評論》サイト内にあるWeb文芸誌マトグロッソにおいて、日本人による「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」も始動した。選者は内田樹(「私家版・ユダヤ文化論」で小林秀雄賞を受賞)と高橋源一郎(小説「優雅で感傷的な日本野球」で三島由紀夫賞を受賞)。こちらも出版されている。
日本版「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」を読むと、本家本元のアメリカ版と全く別物なので面食らう。まず地域性・多様性がない。たとえば一つの物語を読んだだけではそれがどこの出来事なのか、著者が東北の人なのか九州の人か、文章から全く判別出来ない。「日本人って生活水準に落差がなく、どこでも似たような暮らしをしている均一な民族なんだなぁ」という感慨を抱いた。昭和後期によく使われた「一億総中流」とは、見事に言い当てた表現である。
ただここで注意しておかなければならないのは、ラジオで幅広く原稿を募ったアメリカ版に対し、日本版はインターネットでの公募という点である。この条件により、投稿する層が限定されたという側面は否定出来ないだろう。
それからアメリカ版と比べ、日本版の方は深刻で過酷なエピソードが少ない。なんだかほのぼのしていて、最後に落ちがある「落語的噺」が多いなと想った。軽いのだ。こうして考えてみると、落語という芸能はやはり日本で生まれるべくして生まれたんだなぁと痛感した。
つまりアメリカ版を読むと「こんな(ハードな)人生を送っている人たちがいるのか!」と驚嘆し、対して日本版では「嗚呼、こういうこと、日常であるある」と共感する。そういう決定的相違がある。
このようにアメリカ人と日本人の気質や文化の違いを理解する上でも、このプロジェクトは意義深い。是非併せて一読されることをお勧めしたい。
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