読書の時間

2021年9月29日 (水)

カンヌ国際映画祭で脚本賞受賞。村上春樹原作「ドライブ・マイ・カー」〜表題に込められた意味を知っていますか?

評価:A+

『ドライブ・マイ・カー』はカンヌ国際映画祭で脚本賞、国際映画批評家連盟賞など4賞受賞した。公式サイトはこちら

French

上はフランス版ポスター。素敵じゃない?

村上春樹による同名の原作は2014年に刊行された短編小説集『女のいない男たち』に収録されている。さらに同短編集から『シェエラザード』『木野』のエッセンスも加味されている。

本作は人間関係というものの得体の知れなさを描いている。時に人と人は繋がれず、断絶する。それは我々が、新型コロナ禍で痛感していることでもある。

西島秀俊演じる主人公・家福は役者だ。彼が演出することになったチェーホフの戯曲『ワーニャ伯父さん』は日本語、韓国語、北京語、英語、さらには手話まで混ざり合う「多言語演劇」として上演される。これは原作にない設定で、さらに映画の冒頭で彼はベケットの『ゴドーを待ちながら』を演じている。タイトルロールのゴドーが最後まで登場しない不条理演劇だ。僕はアイルランドの演劇集団による英語版を観劇したことがある。

 ・「ゴドーを待ちながら」@京都造形芸術大学 2017.09.12

こういった設定からも分かる通り、映画『ドライブ・マイ・カー』は非常に哲学的作品と言えるだろう。観終わって色々なことを考えさせられた。

くも膜下出血で急逝した妻に対して、(家福から)なされなかった質問と、与えられなかった回答。このことが後々まで彼を苦しめることになる。コミュニケーションの不足。後悔先に立たず。

緑内障で運転することを禁じられた彼の代わりに雇われた三浦透子演じるドライバー・みさきとの車内での対話を通して、絶望からの再生が描かれる。

『ワーニャ伯父さん』の主役に抜擢された岡田将生演じる若手俳優・高槻の台詞を原作小説から引用する。

「でもどれだけ理解し合っているはずの相手であれ、どれだけ愛し合っている相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。そんなことを求めても、自分がつらくなくなるだけです。しかしそれが自分自身の心であれば、努力さえすれば、努力しただけしっかり覗き込むことはできるはずです。ですから結局のところ僕らがやらなくちゃならないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか。本当に他人を見たいと望むなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。僕はそう思います」

つまり、他者とのコミュニケーションを図るということは、自分自身を知ることに直結している。ここで僕が連想したのが心理療法士によるカウンセリングの手法。カウンセラーの基本姿勢は患者の語ることを傾聴することにある。決して自分の意見は挟まない。ひたすら耳を傾ける。それによって患者は自分自身で色々な気付きを得て、心が癒やされていく。

小説では役者の演技について、家福とみさきの間で次のような会話が交わされる。

「別の人格になる」とみさきは言った。
「そのとおり」
「そしてまた元の人格に戻る」
「そのとおり」と家福は言った。「いやでも元に戻る。でも戻ってきたときは、前とは少しだけ立ち位置が違っている。それがルールなんだ。完全に前と同じということはあり得ない」

これは正に哲学者ニーチェが説く〈永劫回帰〉であろう。単なる同じことの繰り返しではない。そこには必ず〈生成変化〉が生じる。演技に限ったことではない。好きな本を読み返す。音楽をくり返し聴く。しかしそこに生まれる感情は決して同じではない。〈生成変化〉が必ずある。これが〈いまを生きる〉ということだ。

我々は常に「物語」を欲している。それを通して「別の人格になる」、「そしてまた元の人格に戻る」のだ。

『ドライブ・マイ・カー』はそもそもビートルズの楽曲で、アルバム『ラバー・ソウル』に収録されている。ここで注目すべきはこのアルバムに、やはり村上春樹の小説のタイトルに借用された『ノルウェーの森』も入っているということ。

歌詞の内容は、女の子に「将来君は何になりたいの?」と尋ねると「わかるでしょ?私は有名になって映画スターになるの。そうしたらあなたを専属運転手として雇ってあげるわ」と言われる。実はポール・マッカートニーによると、"Drive my car"とは古いブルースにおいて、「セックスする」という意味の婉曲表現なのだそう(この証言はちゃんと英語版Wikipediaに書いてある。こちら)。多分マニュアル車でシフトチェンジする時にガチャガチャ前後に動かす行為と、ペニスの出し入れを結びつけた表現なのだろう。つまり自分が大切にしている車を運転させるということは、「他者に心(体)を開く」ことのメタファーなのである。

これってジョン・レノンが作詞・作曲した『ノルウェーの森』にまつわる逸話に類似している。つまり"Norwegian Wood"というのは本当のタイトルではなく、最初は"Knowing She Would"だった。つまり、"Isn't it good, knowing she would?" 彼女が(セックスを)やらせてくれるってわかっているのは素敵だよな、という意味。

 ・ わが心の歌 25選 ⑦ ビートルズ「ノルウェイの森」と村上春樹/ジュ・トゥ・ヴ 

さらに『女のいない男たち』には『イエスタデイ』という短編も収録されており、これもポール・マッカートニーが作詞・作曲したビートルズの楽曲がモチーフになっている。

村上文学は井戸を掘っていくと、地下の深いところで水脈が横に繋がっている。実に面白い。これはフランスの哲学者ジル・ドゥルーズが提唱した〈リゾーム〉という概念にも置換可能だ。〈リゾーム(根茎)〉とは、ハスやタケなどに見られる、横に這って根のように見える茎、地下茎のことである。〈樹木(一本の幹、あるいは中心があるもの ≒ 一冊の小説〉〉と対立する言葉だ。つまり多層的なのだ。

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2021年7月19日 (月)

チベット文学「白い鶴よ、翼を貸しておくれ」に刮目せよ!

2020年11月24日、TBSラジオ『アフター6ジャンクション』OPで、〈アトロク 秋の推薦図書月間〉として元TBSアナウンサー(現在フリー)宇垣美里が入魂の一冊を紹介した。

書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)から出版されているチベットの小説『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』である。

Wings

熱がこもったプレゼンテーションだった。

さらに2021年3月3日、この小説を翻訳した星泉が『アフター6ジャンクション』に登場、その魅力を大いに語った(現在もSpotifyのアーカイブで聴くことが出来る。訳者のインタビュー記事はこちら。宇垣美里のことにも触れられている)。俄然興味を掻き立てられた僕は図書館で借りて読んだ。

1925年にチベットのニャロンという土地に布教目的で入ったアメリカ人宣教師夫婦の話から始まり、間もなく男の子が生まれ、現地の領主(ポンボ)の息子と義兄弟のように成長していく姿を描く。やがて日中戦争が始まり、敗戦の色濃い蒋介石をリーダーとする中国国民党軍が通り過ぎ、1949年には中華人民共和国が成立、翌50年に共産党軍がニャロンにやってくる。「民主改革」と称する伝統文化・宗教の大規模な破壊活動が始まり、共産党の政策に従わない者は思想改造センター送りとなる。そして1963年までこの土地がたどった歴史が紐解かれる。

チベットは本来、仏教が盛んな地域で曼荼羅が有名。曼荼羅はユング心理学で重要なアイテムである。カール・グスタフ・ユングは曼荼羅こそ自己(self)の象徴であり、普遍的(集合的)無意識の中にある元型(グレートマザー、太母)と考えた。

 ・〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その2〉太母・老賢人・子供・アニマ・アニムス・ペルソナ 

チベットの古都ラサには1707年にカプチン・フランシスコ修道会の宣教師が入った。1715年にはイエズス会のデシデリがラサ入りし、やがてカプチン会はラサに伝道所の設立を認められ、1742年に閉鎖されるまで布教活動を続けた。ラサの最も神聖とされるチョカン寺に異教である「カプチン会のテ・デウムの鐘」が吊るされているというエピソードが本文中に2度登場する。

著者のツェワン・イシェ・ペンバ(1932-2011)はチベットに生まれ、9歳からインドにあるヴィクトリア・ボーイズ・スクールで学んだ。同級生は全員イギリス人だったという。そして大学はロンドンで医学を学び、外科医となった。彼はチベット人として初めて西洋医学を修めた人物であり、さらに初めて英語で長編小説を書いた人物でもある。なおチベット語で書かれたものを含めても、ツェリン・ワンギュルの書いた『比類ない王子の物語』(1727)くらいしか先行するチベット文学はない。

まるでNHK大河ドラマを観ているようなスケール感があった。僕が一番近いなと思ったのはボリス・パステルナーク著『ドクトル・ジバゴ』である。第一次世界大戦及びロシア革命に翻弄される主人公ジバゴの生き様がこの小説に重なった。『ドクトル・ジバゴ』は当時の体制=ソビエト連邦に批判的であるとみなされたため1957年にイタリアから出版され、本国では発禁処分となった。解禁となるのはペレストロイカを経た31年後である。一方2017年、『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』が出版されたのはインドであり、今なおチベット本国の人々は読むことが出来ない。この状況も似ている。

 ・スパイ小説「あの本は読まれているか」と「ドクトル・ジバゴ」の想い出

さらにブラッド・ピット主演、ジャン=ジャック・アノー監督の映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』を併せて観れば、より立体的にチベット近代史を味わうことが出来るだろう。

本作で描かれるのは宗教や人種、異文化の衝突である。共産主義というイデオロギーも、信仰の一種であろう。マルクス主義は唯物史観に立脚しており、それは無神論の亜型である。中国共産党にとってマルクスや毛沢東が神みたいなものだとも言える。

ペンバが凄いのは登場人物に対して善悪の判断を作者が下していないことにある。それぞれの立場に言い分があり、正義がある。対話を通して相手の考えへに対する理解を深め、認め合おうとする姿勢が一貫している。ニュートラル、公平無私なのだ。なかなか出来ることではない。

他者・異なる意見に対して寛容であることの難しさについて、色々と思いを馳せる小説である。

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2021年1月29日 (金)

わが心の歌 25選 ⑦ ビートルズ「ノルウェイの森」と村上春樹/ジュ・トゥ・ヴ

今回取り上げるビートルズ『ノルウェイの森』はなんと言っても村上春樹が書いたベストセラー小説のタイトルになったことで有名だ。トラン・アン・ユン監督による映画版でも最後にビートルズの歌が流れる。実はこの小説に関して僕は、村上氏本人とメールを交わしたことがある。1997年のことだ。

Soul

Spotifyでの試聴はこちら

楽曲の静謐さ、喪失感と言ってもいい物悲しさに僕は心を打たれるのだが、特筆すべきはジョージ・ハリスンが演奏するシタールの響き。レコード化されたポップ・ミュージックでシタールが使用されたのはこの曲が初めてだそう。ハリスンは1965年頃に友人の勧めで聴いたラヴィ・シャンカールのレコードでシタールに興味を持ち、ロンドンの店で楽器を購入した。1966年秋にはハリスン自らインドに赴いてシャンカールから直接レッスンを受けている。これがきっかけでハリスンはインドの瞑想に傾倒、他のメンバーも彼から感化され、1968年2月ビートルズの4人は超越瞑想の開祖マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーから直接メディテーションの修行を受けるためインドに滞在した。

では冒頭の歌詞から見ていこう。

I once had a girl
Or should I say she once had me
She showed me her room
Isn't it good, Norwegian wood

ある時、女の子をひっかけた
いや、彼女が僕をひっかけたと言うべきか
彼女は自分の部屋に誘ってくれた
素敵じゃないか、ノルウェイの森だ

ここで最大の問題は"Norwegian wood"とは一体何か?ということ。1966年に日本でアルバム『ラバー・ソウル』が発売されたときから「ノルウェーの森」と訳された。村上春樹の小説が出版された後でも、この邦題はおかしいのではないか?という意見がつきまとった。

朝日新聞御用達のズレてる評論家・内田樹も『ノルウェイの森』というタイトルは誤訳だと、得意げに断言している(こちら)。

一方、村上春樹の『ノルウェイの木をみて森を見ず』というエッセイ(新潮文庫『雑文集』収録)には次のようにある。

 翻訳者のはしくれとして一言いわせてもらえるなら、Norwegian Woodということばの正しい解釈はあくまでも〈Norwegian Wood〉であって、それ以外の解釈はみんな多かれ少なかれ間違っているのではないか。歌詞のコンテクストを検証してみれば、Norwegian Woodということばのアンビギュアスな(規定不能な)響きがこの曲と詞を支配していることは明白だし、それをなにかひとつにはっきりと規定するという行為はいささか無理があるからだ。それは日本語においても英語においても、変わりはない。捕まえようとすれば、逃げてしまう。もちろんそのことばがことば自体として含むイメージのひとつとして、ノルウェイ製の家具=北欧家具、という可能性はある。でもそれがすべてではない。もしそれがすべてだと主張する人がいたら、そういう狭義な決めつけ方は、この曲のアンビギュイティーがリスナーに与えている不思議な奥の深さ(その深さこそがこの曲の生命なのだ)を致命的に損なってしまうのではないだろうか。それこそ「木を見て森を見ず」ではないか。Norwegian Woodは正確には「ノルウェイの森」ではないかもしれない。しかし同様に「ノルウェイ製の家具」でもないというのが僕の個人的見解である。

 この、Norwegian Woodというタイトルに関してはもうひとつ興味深い説がある。ジョージ・ハリスンのマネージメントをしているオフィスに勤めているあるアメリカ人女性から「本人から聞いた話」として、ニューヨークのパーティーで教えてもらった話だ。「Norwegian Woodというのは本当のタイトルじゃなかったの。最初のタイトルは"Knowing She Would"というものだったの。歌詞の前後を考えたら、その意味はわかるわよね?(つまり、"Isn't it good, knowing she would?" 彼女がやらせてくれるってわかっているのは素敵だよな、ということだ)でもね、レコード会社はそんなアンモラルな文句は録音できないってクレームをつけたわけ。ほら、当時はまだそういう規制が厳しかったから。そこでジョン・レノンは即席で、Knowing She Wouldを語呂合わせでNorwegian Woodに変えちゃったわけ。そうしたら何がなんだかかわかんないじゃない。タイトル自体、一種の冗談みたいなものだったわけ」。

なんと、実に面白いではないか!

また、歌詞の最後はこうだ。

And when I awoke I was alone
This bird had flown
So I lit a fire
Isn't it good Norwegian wood?
僕が目を覚ますと、ひとりぼっちだった
小鳥は飛び去った(女の子は消えていた)
だから僕は火を付けた
素敵じゃないか、ノルウェイの森

ここで再び大きな謎が仕組まれている。「僕が火を付けた(I lit a fire)」ものは何か?次のような説がある。

1)煙草 2)ハッパ(大麻) 3)暖炉の薪 4)ノルウェイ産木材で建てられた、女の子が住むログハウス(丸太小屋)

4)丸太小屋(または北欧家具)に火を付けた、というは猟奇的でトンデモ説のように思うでしょ?ところが、これを採用すると村上春樹の初期短編小説『納屋を焼く』に繋がるのだ!女の子が消失するという筋立てもジョン・レノンの歌詞に一致している。

なお、『納屋を焼く』は後に韓国映画『バーニング 劇場版』の原作になっており、これが収められた短編集の一篇『螢』は『ノルウェイの森』の原型となった小説である。

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さて、『ジュ・トゥ・ヴ (Je te veux)』はエリック・サティが1900年に作曲したシャンソン。フランス語で〈je=一人称「私」〉〈tu=親しい人に対する二人称。「あんた」とか「君」といったニュアンス〉〈veux=「〜を欲する」「〜を求める」という意味。原形はvouloir〉。だから日本語では「お前が欲しい」「あなたが大好き」などと訳される。愛らしく、とても美しい歌で、しばしばピアノ独奏曲としても演奏される。パトリシア・プティボンの歌唱がおすすめ。こちら

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2021年1月13日 (水)

スパイ小説「あの本は読まれているか」と「ドクトル・ジバゴ」の想い出

アメリカ探偵作家クラブが授与するエドガー賞の最優秀新人賞にノミネートされた、ラーラ・プレスコットのデビュー作『あの本は読まれているか』(The Secrets We Kept)は2019年にアメリカで出版され、2020年4月に翻訳が出た。〈あの本〉とはロシアの詩人・作家であるボリス・パステルナークが書いた小説『ドクトル・ジバゴ』のことである。1957年にイタリアで出版されたがロシア革命に対して批判的ということでソビエト連邦内では発禁処分となり、58年にノーベル文学賞を受賞するもソ連当局の圧力により辞退を余儀なくされた。結局、ソ連国内で『ドクトル・ジバゴ』ロシア語版が出版されるのはペレストロイカを推進したゴルバチョフ書記長時代の88年である。それから3年後の91年にソ連は呆気なく崩壊した。

2014年に「冷戦中、アメリカのCIAはソ連を崩壊させる手段として『ドクトル・ジバゴ』を使用した」という驚くべき九十九の機密文書が解除された。ワシントンポストのこの記事を父親がラーラ・プレスコットに送ってくれたという。しかしその文書は人物名に手が加えられていたり、一部が黒塗りされたりしていた。

Sevret

パステルナークに、妻とは別にオリガという愛人がいて、彼女が『ドクトル・ジバゴ』のヒロイン、ラーラのモデルだったというのはこの小説を読んで初めて知った。確かにユーリ・ジバゴにはトーニャという正妻がおり、ラーラとは不倫関係だ。なお『あの本は読まれているか』の著者の名前がラーラなのは、母親が映画の大ファンでそれに因んで名付けたという。そしてプレスコットは幼少期にモーリス・ジャールが作曲した〈ラーラのテーマ〉の旋律が流れるオルゴールを聞いて時を過ごした。正に〈運命の子〉と言えるだろう。

僕が『ドクトル・ジバゴ』のことを初めて知ったのは、音楽を通してであった。1978年、小学校5年生のとき映画館で観た『スター・ウォーズ』に衝撃を受け映画音楽が大好きになり、アカデミー作曲賞を受賞した『ドクトル・ジバゴ』(1965)サウンド・トラックLPレコードを買った。中学生だった。まだVHSビデオデッキすら家庭に普及していなかった時代で、レンタルビデオ店もなかった。3時間を超える長い映画なのでテレビ放送も望みなし。だからレコードの解説や写真で想像を膨らませるしかなかった。そこで原作小説に取り組むことにした。

僕が岡山市立図書館から借りて初めて読んだのは時事通信社記者・原子林次郎が訳した版である。しかし当時はロシア語の原典が入手困難で、イタリア語訳版と英訳版を相互に参照しながらの不完全な重訳である旨が訳者あとがきに記されていた。そして1980(昭和55)年、同じ時事通信社から待望の、ロシア文学の専門家である江川卓による原典を底本とする翻訳が出た。僕は上巻1,500円、下巻1,700円のハードカバーが出版されるやいなや、なけなしのお小遣いを叩いて購入した。この江川版は89年に新潮文庫に収められたが、今では絶版になっている。現在入試可能なのは2013年に出版された工藤正廣訳のみで、なんと8,800円もする!気軽に読める小説ではなくなってしまった。むしろDVD,Blu-rayや配信で鑑賞可能なので、映画の方がアクセスしやすいだろう。デヴィッド・リーン監督の名作であり、僕は『戦場にかける橋』や『アラビアのロレンス』よりも好き。ラーラを演じたジュリー・クリスティはイメージそのままで一分の隙もないし、悪徳弁護士コマロフスキー役のロッド・スタイガーも素晴らしい。

夢中になって『あの本は読まれているか』を一気呵成に読んだ。主人公はCIAに勤めるタイピスト兼、女スパイで『ドクトル・ジバゴ』をソ連国内に浸透させる諜報活動に従事する。事実は小説より奇なり。僕のために書かれたのではないか?と錯覚を起こすくらい気に入った。そして改めて自分がどれだけ『ドクトル・ジバゴ』を愛しているかを思い知った。もう、好き、好き、大好き!

『あの本は読まれているか』はLGBTQというテーマも絡んできて、さすが21世紀の小説という感じ。そして何より当時のCIAの人々が〈物語の力〉を信じていたっていう事実が素敵じゃない?正に〈ペンは剣よりも強し〉。超オススメ。こちらも映画化されることを是非期待したい。

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2020年7月22日 (水)

【考察】「源氏物語」で紐解く古代日本人の深層心理と、その生活様式

僕は20歳を過ぎた頃から、折角日本に生まれたのだからいつか紫式部『源氏物語』は読まなければならないと切実に思い、しかしその余りの長大さ(文庫本で10巻)に繰り返し挫折してきた。漫画だったら読めるんじゃないかと考えて大和和紀『あさきゆめみし』にも挑戦したのだが、光源氏が須磨に退去した辺りであえなく音を上げた。次々と登場する女君がみな同じ顔に見えて、途中で混乱してわけがわからなくなってしまったのだ。小説の量が膨大過ぎて歯が立たないという経験はマルセル・プルースト『失われた時を求めて』に似ている。『失われた…』は何度挑戦しても第1巻より先に進まない(しかし未だ、諦めてはいない)。

『源氏物語』現代語訳として与謝野晶子、谷崎潤一郎(生涯に3度)、円地文子、田辺聖子、橋本治、瀬戸内寂聴ら錚々たる文学者が取り組んでいる。今回、僕が愛読している小説『対岸の火事』『八日目の蝉』『紙の月』や『愛が何だ』を書いた角田光代が訳したということで早速手にとってみると、兎に角スラスラ読めて驚いた!約2、3ヶ月で呆気なく通読出来た。女優・美村里江(旧芸名:ミムラ)も高校時代、谷崎潤一郎の現代語訳で挫折したが角田光代訳で漸く読破したとラジオで語った(こちら)。これに気を良くして僕は『あさきゆめみし』にも再度挑み、今度は完走した。さらに光源氏の死後(下巻)の部分は谷崎訳も目を通した。

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藤原俊成は鎌倉初期の建久四年(1193年)に開催された歌合で「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事也」と言った。

平安時代、『古今和歌集』(905年)より後に成立したと考えられる『伊勢物語』は歌物語である。その影響が色濃い『源氏物語』(1010年頃)でも沢山和歌が詠まれており、歌物語的性格がある。特に『古今集』からの引用が非常に多いので、『源氏物語』の前に、高田祐彦(訳注)『古今和歌集』(角川文庫)を読まれておくことをお勧めする。なお新海誠監督(中央大学 文学部文学科国文学専攻)のアニメーション映画『君の名は。』や『天気の子』は沢山の歌が挿入されているが、これは王朝文学の影響と思われる。

また副読本として臨床心理学者・河合隼雄の『源氏物語と日本人 ー紫マンダラ』(岩波現代文庫)と、大野晋(国語学者)×丸谷才一(小説家)の対談本『光る源氏の物語』(中公文庫)上下巻がとても参考になった。当時の風俗を知るという意味で『あさきゆめみし』も十分価値がある。

現代人が『源氏物語』を読むに当たり、まず受け入れがたいのが光源氏の華麗なる女遍歴であろう。精力絶倫と言うか、稀に見るプレイボーイぶりである。

京都大学および国際日本文化研究センター教授を定年退官後(65歳)初めて『源氏物語』を通読したという河合隼雄は『源氏物語と日本人 ー紫マンダラ』で次のように述べている。

 恥ずかしいことであるが、私は長い間『源氏物語』を読んだことがなかった。若いときに、人並みに挑戦ーといっても現代語訳であるがーを試みたが、「須磨」に至るまでに挫折した。青年期にはロマンチックな恋愛に憧れていたので、それとまったく異なる男女関係のあり方が理解できなかったのである。それは端的に言って、「馬鹿くさい」と感じられたほどであった。次から次へと女性と関係をもつ光源氏のあり方には、腹立ちさえ覚えたのである。

僕も20代の頃に、同様な感想を持った。しかし時代背景をしっかり鑑みなければならない。

平安時代の平均寿命は男性33歳、女性27歳ぐらいだったと言われている。出産時に亡くなる女性の割合が高く、また乳児死亡率も高かった。

例えば2017年の日本における乳児死亡率は(1000人比で)1.9。江戸時代の記録はないが、1918年(大正7年)は188.6だった。つまり5人生まれたら1人は死んでいたことになる。因みに大正時代の平均寿命は43歳。それより寿命がもっと短い古代は推して知るべしだろう。江戸時代において生後1年までの死亡率は20-25%と推定されている。

佐藤千春の報告(『栄花物語のお産』日本医事新報)によると、平安時代は経産婦47人中11人、実に23.4%がお産で亡くなっているという。つまり当時、子供を生むのは命懸けだった。実際のところ、光源氏の母・桐壺更衣は出産後に体調が思わしくなく源氏が3歳の時に亡くなり、源氏の正妻・葵の上も夕霧を出産直後に命を落とす。

生物に課せられた使命は「種の保存」である。人工を減らさないためには男女1組あたり、2名の子供を成人になるまで育てなければいけない。ましてや天皇や貴族の場合、跡取りとして健康な男児が必要だった。しかし死亡率などから概算すると、平安時代の男性は1人あたり平均3−4人子作りする必要があった。光源氏が残した子供は3人。①葵の上ー夕霧 ②藤壺の宮ー冷泉帝 ③明石の方ー明石の君 である。決して多くはなく、標準的と言えるだろう。

生来、男に浮気性が多いのは生物学的必然である。種馬の如くせっせと種を植えなければ自分のDNAを後世に残すことが出来ない。しかしその辺の事情は近代医学の進歩で変わってきた。一方、女性の場合は一旦妊娠すると出産を経て産褥期が終わるまで約1年かかるわけで、男と比較して(子供の)生産性が高くない。だから生物学的に浮気をする謂れもない。世界にハーレムとか大奥というシステムが出来たのも上述したような理由からであろう。

平安時代において死因の三大疾患は①結核 54% ②脚気 20% ③皮膚病 10%だった。結核の原因は栄養失調。脚気はビタミンB1の欠乏。古代人は肉を食べなかったので慢性的にタンパク質が不足していた。宇治十帖に登場する大君(おおいきみ)の死因は神経性食欲不振症(摂食障害)と考えられる。皮膚病の原因は不衛生。平安時代の貴族は月に4−5回しか入浴しなかった。それも当時はお湯を沸かして室内を蒸気で満たしたサウナ風呂で、殆ど体を洗わない。入浴日は占いによる吉兆で決めていた。縁起の悪い日に入浴して垢を落とすと、毛穴ら邪気が入り込み命を失うと信じられていたという。裸では入らず「湯帷子」(ゆかたびら)という単衣を着用し、簀の上に敷物を敷いてその上に座る。これがゆかた風呂敷の語源である。裸で湯に浸かるようになったのは江戸時代以降である

また女性が長い髪の全体を洗うのは、多く見積もっても月一回程度だったようだ。『源氏物語』には宇治の中君が洗髪する場面があり、神無月(十月)に洗髪することは禁忌である旨が書かれている。つまり当時、お香が流行ったのは、(西洋の香水と同様に)体臭を消すという目的が大きかったんじゃないかな?因みに全長2mを超える髪を洗って乾かすまでは、朝から日暮れまで一日がかりだったとか。

平安時代の日本人は現在に生きる我々同様、宗教に対して鷹揚だった。『源氏物語』で朱雀帝はまず天皇として登場する。しかし32歳で冷泉帝に譲位し上皇となり、後に出家する(その際に娘である女三宮を光源氏に降嫁させる)。天皇は一応、天照大神(アマテラスオオミカミ)の末裔という設定になっており、神道のトップに立つ存在だ。その人が仏教に帰依するって矛盾してない?考えてみれば天武天皇の発願で奈良の大仏が建立されたというのも、おかしな話である。

また朝顔の姫君は斎院(さいいん)を努めた。斎院とは伊勢の斎宮(さいぐう)と同様に、平安時代から鎌倉時代にかけて京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)に奉仕した未婚の内親王または女王である。しかし彼女も後に出家して尼になる。神に仕える巫女が仏に宗旨変え??皆いいかげん、テキトーである。まぁこのおおらかさが、日本人らしいと言えるだろう。なお当時、女性の出家は坊主にせず、肩口で切りそろえる程度だった。それを「肩そぎ」あるいは「尼削ぎ」と言った。 現在でいうところのセミロング、おかっぱ頭である。

平安朝の人々は「末法(まっぽう)」という終末思想に囚われていた。仏の教えが世間に行き渡らず、衰退してしまうとされる時代のこと(ノストラダムスの大予言みたいなものだ)。 永承七年(1052)に「末法」が到来するというのである。死後への不安から、天皇や貴族も仏教に帰依し、極楽往生を願った。『源氏物語』に登場する女たちの7割方が出家するのもそのためである。光源氏や薫も出家したいと話す。そして末法元年の翌年(1053)に建立されたのが宇治平等院鳳凰堂である。 小説が書かれた時点で平等院はなかった。

六条御息所の面白いのは生霊として人(夕顔/葵の上)を取り殺すところにある。それも無意識にだ。死後もこの世を彷徨い、紫の上や女三宮に取り付く。

平安時代の人々は生きている状態で魂(たましい)が肉体から遊離すると考えていた。これは精神(理性)と欲望(本能=自然に近い状態)との分離を目指した西洋と対照的な観念である。

古今和歌集 九七七番を見てみよう。

身をすてて行きやしにけむ思ふよりほかなるものは心なりけり
(我が身を捨てて心だけは知らないうちにそちらへ行っていたのでしょうか。自分の思いと別にあるものは心だったのです

また九九二番、

    女ともだちと物語して、別れてのちにつかはしける
飽かざりし袖の中にや入りにけむわが魂のなき心地する
(いくら語り合っても満ち足りない。お別れしても、あなたの袖の中に入ってしまったのでしょうか、私の魂が手元から消え失せたような気持ちがします)

他に離別歌 三七三番、

    あづまの方へまかりける人に、よみてつかはしける
思へども身をしわけねば目に見えぬ心を君にたぐへてぞやる

(あなたのことを思っても、身体を分けてついてゆくことは出来ません。だから目に見えない心をあなたに寄り添わせて遣わします)

恋歌 六一九番、

よるべなみ身をこそ遠くへだてつれ心は君が影となりにき
(あなたのそばに身を寄せるところがないので、身体は遠く離れているけれど、心はあなたの影になって寄り添っていました)

などがある。つまり遊離魂は〈影〉そのものだった。ここに古代日本人の心のあり方が読み取れる。

光源氏、頭の中将、匂宮、薫ら『源氏物語』に登場する男たちはよく泣く。〈男らしさ〉とは一体何なのだろう?僕らはそろそろ、そういった(武家社会時代に形成された)固定概念から開放されるべきだ。

米国の人類学者ルース・ベネディクトは著書『菊と刀』(1946)の中で、西洋は〈罪の文化〉で、日本は〈恥の文化〉だと分類した。〈恥の文化〉とは他者の非難や嘲笑を恐れて自らの行動を律することを指す。

光源氏は〈世間体〉を気にしている。後朝(きぬぎぬ)の別れでも、人目に触れないように女の家から極めて早朝に発ったりする。個人主義(Going my way)ではなく、〈場〉の雰囲気を毀さないよう、〈空気を読む〉ことに腐心している。

また六条の御息所が生霊となり、最後は鬼になるのは〈恥〉をかいたからだ。浮舟とその母も、他人に侮られるとか、物笑いのたねになることをすごく気にしている。

結局、千年経っても人の心のあり方は少しも変わらない。進化したのは社会保障、司法、医療、教育などの〈システム〉や〈科学技術〉であり、人間そのものではない。21世紀に生きる僕たちでもちゃんと『源氏物語』の感情に共感し、寄り添える。薫ー大君ー浮舟の関係性が、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画「めまい」の構造(スコティーマデリンージュディ)と全く同じだと気付いた時には驚いた。

『源氏物語』はマザー・コンプレックスの話であるとも言える。母性社会日本に相応しい(欧米諸国は父性原理で動いている)。光源氏が慕う藤壺の宮は源氏の母・桐壺更衣に生き写しと描写される。つまり母+アニマ(男性が抱く内なる女性像)。一方、源氏が幼少期から育てる紫の上は藤壺の宮の姪で、藤壺に似ている。つまり母+アニマ+娘の役割を果たす。

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河合隼雄『源氏物語と日本人 ー紫マンダラ』より

さて次に『源氏物語』最大の謎に目を向けよう。光源氏とは一体、何者だったのか?

角田光代は中巻の「訳者あとがき」に次のように書いている。

 上巻で、ずっと光君という人を追いながら、私にはどうしてもその顔が見えなかった。神のような、神の子のような、あるいは運命というものの象徴としての存在のような、人間的なものから離れた何かのようにしか思えなかった。

『源氏物語幻想交響絵巻』を作曲した冨田勲(故人)も、「私は源氏物語を読んでいて、光源氏の顔が全く思い浮かばないんです」と語った。

僕が思うに、光源氏とはプラネタリウムの光源(投影機から発する光)のような存在と言えるのではないだろうか。そして天井の曲面スクリーン一杯に写し出される数々の星座が女君たちというわけ。光源氏は様々な女性たちの生き様を浮かび上がらせるための装置であり、実体がない。だから実写映画やテレビドラマで『源氏物語』は成功しない。生身の男優が演じてもリアリティに欠けるのである。むしろ宝塚の男役が相応しい。

河合隼雄はこの仕掛を「マンダラ」と呼んだ。

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河合隼雄『源氏物語と日本人 ー紫マンダラ』より

光源氏の輝きは、太陽(昼)というよりは月(夜)に近い。紫の上が詠んだ歌、

氷閉ぢ石間の水はゆきなやみ空澄む月のかげぞながるる

「石間(いしま)の水」は遣水のこと。上の句は幽閉された自分自身のことを指し、下の句は自由戀愛を謳歌する光源氏のメタファー。つまり「光」=「月光(つきかげ)」なのである。とすると月読命(ツクヨミ)のイメージが重ねられていると解釈することが出来るだろう(天照大神と須佐之男とで三姉弟)。

菅原孝標女が『源氏物語』に夢中だった少女時代を振り返って(平安時代中頃に) 書いた『更級日記』には次のような一文がある。

「われはこのごろわろきぞかし。盛りにならば、かたちも限りなくよく、髪もいみじく長くなりなむ。光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめ。」と思ひける心、まづいとはかなくあさまし。
(「私はいまのところ器量が悪いけれど、女盛りの時期を迎えれば顔貌も限りなく良くなり、髪もとても長く伸びるでしょう。光源氏が愛した夕顔や、薫君が愛した浮舟のようにこそ未来の自分はありたいものだわ」と思っていた心はむなしく、みっともない限りだ)

『源氏物語』の現代語訳をした円地文子は『源氏物語のヒロインたち』という対談本の中で夕顔について次のような所感を述べている。

どこか遊女性がありますね。娼婦性っていうのかしら。そういうものはあると思いますよ。

この小説はさながら、〈平安時代の女性コレクション〉という絢爛豪華なショーを見ているかのようだ。女性図鑑・カタログ・絵巻と言い換えても良い。

角田光代はこちらのインタビューで次のように語っている。

もし紫式部がこれを全部一人で書いたという前提で考えるのならば、私はたぶん作者が意図して自分のコントロール下で書き進められたのは「明石」の帖までだと思うんですよ。「明石」以降はちょっと自分でも思いもよらないほうにいってしまって、物語や登場人物が勝手に歩いていっちゃって、ときどきコントロールするために短い挿話を差し込んでいるんだけど、物語の大きな流れはたぶん作者の手を離れちゃったんじゃないかなという印象があるんですよね。

書き手として私が考えるのは、小説というのはたぶん自分ができるすべての力を注いでつくったとしても、できるのは百パーセントまでで──それすらも難しいんですけども──それ以上は絶対にいかないと思っていたんですね。でも小説が百パーセント以上の力を発揮することがあって、それは作者じゃなくて、小説に宿った力がそうさせることがごく稀にあるとなんとなく考えていたんです。それの超弩級版がまさにこの『源氏物語』じゃないかなって、最近は思っています。

(中略)女たちのほうが勝手に生き生きと息づきはじめてしまったのかもしれない。それも作者の思惑を超えて、のような気がします。 

松尾芭蕉に「紅梅や見ぬ恋作る玉簾」という俳句がある。平安時代の貴族の男女の出会いは〈見ぬ恋〉であった。寝殿造りは御簾(みす)や几帳(きちょう)、屏風で女の姿を隠し、外部から目に触れないようにしていた。だから「どこそこの家の娘は大層別嬪さんらしい」という噂は耳にすれど、実際に垣間見ることはほぼ不可能であった。通い婚だった当時は、初夜に至るまで互いに顔を知らず、しかも逢瀬は真っ暗なので相手の顔も見えず、事が終わってから昇ってきた朝日で漸く容姿が確認出来るというのが通常であった。だから事後に「しまった!こんな筈じゃなかった」と後悔することも当然あるわけで、『源氏物語』第六帳〈末摘花〉でもそんな顛末が面白おかしく書かれている。

20世紀フランスの社会人類学者レヴィ=ストロースは著書『親族の基本構造』の中で、オーストラリアの原住民らを研究し、近親相姦の禁忌と、母方交叉イトコ婚が推奨されるのは何故かを解明した。そこには〈女性の交換〉という原理があった。人間社会の基本はコミュニケーションであり、それは言葉や物(お金を含む)を交換することにある

平安貴族にとっても、娘=交換価値であった。その最高の価値は入内し、中宮として天皇に寵愛され、嫡男を生み、その男児が春宮→天皇という道を進むことであった。藤原道長はそうして摂政となり、一族は栄華を極めた。

つまり、いかにして地位の高い男を婿に迎えるかということが彼らにとって最も重要事項であり、見ぬ恋〉 は 娘=交換価値 を高めるために必要であったと言えるだろう。

最後に。『源氏物語』上巻を読んでいる途中で、「おや?」と引っ掛かった。明らかに欠落部分があると感じたのである。光源氏と藤壺の二回目の秘密の逢瀬が描写されるが、一回目については全く言及されない。また六条御息所が唐突に登場し、源氏との馴れ初めが書かれていない。この疑問は後に、大野晋×丸谷才一の対談本『光る源氏の物語』を読んで解消された。

藤原定家(1162-1241:小倉百人一首撰者)の書いた注釈書のなかに「一説には 巻第二 かゝやく日の宮 このまきもとよりなし」とある。つまり『輝く日の宮』という巻が元々あったが、定家の時代に既に失われていた可能性が示唆される。

丸谷は紫式部のパトロン・藤原道長の意向で削除されたという説を述べており、興味深い。脱落したこの巻を補う丸谷の同名小説も読んだ。また瀬戸内寂聴も同様の趣旨で小説『藤壺』を書いている。

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2020年7月20日 (月)

又吉直樹原作の映画「劇場」と朝井リョウ原作「何者」

評価B+

Gekijo

『劇場』は7月17日(金)に劇場公開されると同時にAmazon Prime Videoで配信(課金なし)された。配給は吉本興業。映画公式サイトはこちら

当初は4月17日に全国280スクリーンで劇場公開が決まっていた。しかし新型コロナウィルス禍で突如4月7日に緊急事態宣言が出たために延期になっていた。そのときAmazon社から独占配信の打診があり、製作費をかなり回収できるほどの配信料が提示された。通常の2次使用配信だったらあり得ない額だったという。話し合いの結果、全国のミニシアター20館で同時公開ということで決着した。さらに世界242カ国で配信されることも決まった。

小劇場が多い下北沢が舞台となる。人を傷つけてしまっても演劇を続けようとする主人公の永田(山崎賢人)。彼は誰からも認められていないのに自尊心だけ高く、他者を激しく攻撃する。同棲する紗希(松岡茉優)がディズニーランドに行きたいとせがんだときも「だから、俺はディズニーと勝負しているわけなんよね」と言い放つ。クリント・イーストウッドのことを褒めても不機嫌になる。救いようのないダメ男である。彼の自己愛は無限に増大している。しかし実際のところ、〈何者〉でもない。結果を何も出せていない。

僕は観ている途中で、物語の構造が佐藤健主演で映画化された朝井リョウの『何者』そっくりだなと思った。『何者』の主人公も『劇場』の永田同様に、大学の演劇サークルで台本を書いていた。『何者』で有村架純が演じた瑞月と、『劇場』における紗希が果たす役割も非常に似ている。また『何者』の監督・三浦大輔は元々演劇界において作・演出で名を馳せる人。そういう意味においても『劇場』と共通点がある。

ただ作劇術としては『何者』の方が一枚上手、ひとひねりが効いている。上述したプロットにSNSというガジェットを加味したことによって、そのスパイスが劇的効果を生んだ。

これは芥川賞作家(又吉)と直木賞作家(浅井)の実力差なのかも知れないな、とふと思った。エンターテイメント路線の直木賞は手練のベテラン作家が受賞することが多い。今年の馳星周(55歳)なんか正にそう。処女作『不夜城』で受賞していてもおかしくなかった。一方、純文学系の芥川賞は〈ポッと出の〉新人が受賞することも多く、感性とか勢いだけで過大評価されがち。だから引き出しが直ぐ空になって、後が続かない。感性だけで技術が伴わないから。芥川賞がどれだけ多くの〈一発屋〉を生んできたかはこちらの一覧表をご覧あれ。あなたが知っている作家、何人いますか?

イケメンの山崎賢人が「そこまで汚い格好しなくても……」というくらいに頑張っている。そういえば一時期のブラッド・ピットやレオナルド・ディカプリオも「顔じゃなく、演技を認めてくれ!」とやさぐれた役を演じて藻掻いていたな、と懐かしく思い出した。その甲斐あって、ふたりとも中年になってアカデミー賞を受賞出来た。めでたしめでたし。

松岡茉優は鉄板の演技力で、安定の上手さだった。

最後に。本作で少し気になったのは同棲しているのに永田と紗希の性生活について全く描かれていないということ。匂わすことすらしていないのはとても不自然。リアリティに欠ける。まさかセックスレスの関係だったとか!?あり得ないだろう。

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2020年5月25日 (月)

ドキュメンタリー映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」

評価:A

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公式サイトはこちら。伝説となった討論会の様子が生き生きと伝わってくる秀逸なドキュメンタリー映画である。討論の場にいた人たちの50年後のインタビューも挿入されるので、多角的に味わうことが出来る。当時の政治的状況もニュース映像を交えて紹介され、痒いところに手が届く構成になっており、至れり尽くせりだ。

民兵組織「楯の会」を率いる三島由紀夫といえば右翼の象徴的存在であり、一方の全共闘は言わずと知れた極思想の学生たち。水と油の両極端が竜虎相搏つ(りゅうこあいうつ)のだから、面白くなかろう筈はない。

先鋭で攻撃的な左翼学生に対し、三島は終始冷静沈着で大人の対応。むしろ学生たちに対して共感(sympathy)を持って、ときにユーモアを交えて彼らを説得しにかかっているのだから実に愉快だ。そこに彼の文学者として「言霊(ことだま)」をあくまで信じる姿勢がひしひしと伝わってくる。それにしても生命の危険すらあるこの集会に単身乗り込んだ、肝っ玉の座った三島の度量は大したものである。事前に警視庁から警護の申し出があったが、断った。しかし会場では隠密に私服の刑事が事態の推移を見守っていたという。

立場がかけ離れていて全く議論が噛み合わない筈なのに、終盤に至ると両者に和やかな感情が芽生えてきて、共犯関係になっていく姿は、まるで三谷幸喜の二人芝居『笑の大学』を観ているような摩訶不思議な心地になった。結局、当時の政治的状況・国の有り様を憂い、暴力を持ってしてでも革命を起こさなければならないという切羽詰まった心情は両者で共通していたのである。そのベクトルの目指す方向は真逆だったとしても。

中盤からかなり難解なやり取りになるが、かたや東大生であり、三島自身も東大法学部を卒業し大蔵省に勤めていたという知の巨人であるから、ちゃんと相手の主張を理解し、討論が成立しているのには目を見張った。さすが日本最高の頭脳が集結しただけのことはある。

東大教養学部教室でこの討論会が開催されたのが1969年5月13日、三島が自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げるのがその1年半後の70年11月25日。間違いなく彼は討論会の時点で近い将来自決することを決めていた。少なくとも68年に「楯の会」を結成した頃から計画は既に開始されていたのである。市ヶ谷で自衛隊員に決起を促す説得に失敗したから自決したと考えている人たちもいるようだが、明らかに間違い。あれは単なるポーズ、全ては三島のシナリオ通りに。彼は自分が信じる美学を全うしたのだ。そもそも1961年に発表した小説『憂国』の主人公は最後に割腹自殺し、その4年後に三島自身が監督・主演を務めこれを映画化している。討論会でも彼は切腹について触れる。

瀬戸内寂聴が女子学生みたいに目を輝かせながら、まるで崇拝するアイドルを語るが如く、喜々として三島についてインタビューに答えているのが微笑ましかった。

本ドキュメンタリーの製作者は実に意地悪だ。元東大全共闘で、アンダーグラウンド(地下)演劇の劇作家・演出家でもある芥正彦に対して、革命を志した学生運動は挫折したと思うか?と問う。それに対する芥の回答が秀逸で、僕は劇場で腹を抱えて笑った。結果は火を見るより明らかなのに、彼らは決して自分の「負け」を認めない。懲りない人たちだ。まぁ人間という生き物は自尊心(自己肯定感)を失っては生きていけない存在だから仕方がない。負け惜しみが実にみっともないけれど、ある意味愛おしくもある。宮崎駿の『の豚』を思い出した。因みに映画の主題歌・挿入歌を歌った加藤登紀子は反帝全学連の闘志・藤本敏夫と獄中結婚したという筋金入りの左翼である。その学生運動の思い出を歌ったのが『の豚』エンディングに流れる「時には昔の話を」(Spotifyではこちら)。

小説家・三島由紀夫という人は生涯〈ペルソナ(仮面)〉をかぶり続けたので、なかなかその本性は計り知れない。そもそも彼が愛して止まなかった『源氏物語』や『古今和歌集』は平安時代の貴族社会に生まれた王朝文学である。一方、彼がこだわった切腹は武家社会の作法(武士道)であって、本来両者は相容れないものだ。もうこの時点で完全に自己矛盾を生じている(宮崎駿に似ている)。こうした内面の複雑怪奇さ、混沌(Chaos)こそ、三島文学の魅力であるとも言えるだろう。

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2020年3月 2日 (月)

幻の映画「Mishima」〜三島由紀夫とは何者だったのか?

1985年の映画「Mishima」を漸く北米版Blu-rayで観ることが出来た。製作総指揮がフランシス・フォード・コッポラとジョージ・ルーカス、監督がポール・シュレイダー。「タクシー・ドライバー」の脚本家である。配給はワーナー・ブラザース。カンヌ国際映画祭で本作は芸術貢献賞を受賞したが、その対象となったのは作曲家フィリップ・グラス、撮影監督ジョン・ベイリー、そして美術を担当した石岡瑛子の3人だった。当初日本でも公開される予定だったが、同性愛描写を不服として瑤子未亡人が反対し、結局中止となった。その後も日本でのテレビ放送、ビデオ/DVD化も一切されず、30年以上幻の作品になっていた。遂に念願が叶った!

Mishima

三島由紀夫(1925-70)を演じるのは緒形拳。他に沢田研二、佐藤浩市、永島敏行、三上博史、笠智衆、平田満、大谷直子、加藤治子、萬田久子ら豪華出演陣である。

三島が自決する日を朝の起床から追う「1970年11月25日」と、フラッシュバックによる回想のシークエンスを軸に、三島の小説「金閣寺」「鏡子の家」「奔馬(「豊饒の海」第二巻)」のダイジェストが挿入されるという構成。この石岡瑛子が手掛けた舞台装置が抽象的で様式化されており、才気煥発している。またフィリップ・グラスが手掛けたミニマル・ミュージックが滅法美しい。なおシュレイダーは当初、「鏡子の家」の代わりに男色小説「禁色」を希望していたが、遺族側の承諾が得られずに断念した。

これを観てつくづく感じたのは、三島由紀夫とは矛盾に満ちた男であったということだ。そういう意味において宮崎駿に似たところがある。

三島は19歳の時に徴兵され、軍の入隊検査を受けるが軍医から「肺浸潤」と診断され即日帰郷となった。彼が入るはずだった部隊の兵士たちはフィリピンに派遣され、戦闘でほぼ全滅した。これは軍医の誤診だったとも、仮病を使って兵役逃れをしたとも言われている。何れにせよここで三島は死ではなく、生き延びることを選んだわけだ。しかし後に彼は自衛隊に体験入隊したりした挙句の果て、自ら組織した民兵組織「楯の会」隊員4名と自衛隊市ヶ谷駐屯地に立てこもり、割腹自殺を遂げる。享年45歳だった。

三島はリルケ(当時はオーストリア=ハンガリー帝国領だったチェコ・プラハに生まれた)の影響を受け、次のようなことをインタビューで語っている。

リルケが書いておりますが、現代人というのは、もうドラマティックな死ができなくなってしまった。病院の一室で一つの細胞の中の蜂が死ぬように死んでいく、という様な事をどっかで書いていたように記憶しますが、いま現代の死は病気にしろ、あるいは交通事故にしろ、なんらのドラマがない。英雄的な死というものの無い時代に我々は生きております。

さらにフランスの詩人で小説家のラディゲと、そのパートナーだったコクトオ(つまり同性愛)に魅せられて「ラディゲの死」という短編を書いている。そしてランボオやバルザック、スタンダールらフランス文学を愛した。また彼の自宅はヴィクトリア調コロニアル様式の洋館で、庭にはアポロン像が立っていた。

その一方で天皇を崇拝し、古今和歌集や能などに傾倒した。三島は「日本文学小史」の中で次のように述べている。

 われわれの文学史は、古今和歌集にいたつて、日本語といふものの完熟を成就した。文化の時計はそのやうにして、 あきらかな亭午(ていご:真昼)を斥す(=指す)のだ。ここにあるのは、すべて白昼、未熟も頽廃(たいはい)も知らぬ完全な均衡の勝利である。 日本語といふ悍馬(かんば:あばれうま)は制せられて、だく足も並足も思ひのままの、自在で優美な馬になつた。調教されつくしたものの美しさが、なほ力としての美しさを内包してゐるとき、それをわれわれは本当の意味の古典美と呼ぶことができる。 制御された力は芸術においては実に稀にしか見られない。

戦争で死に損ない、そのことを恥じていた三島は〈美しい死〉〈英雄的な死〉に魅せられていた。彼は若い頃から(老化で体が醜くなる直前の)45歳で死ぬと周囲の人に公言しており、割腹自殺は長年に渡る綿密な計画に基づいていた。「豊饒の海」4部作を書き上げた日に自決しているのがその証である。また31歳(1956年)からボディービルディングに勤しんだのも〈完璧な肉体〉を希求していたことを示している。1960年には映画「からっ風野郎」に主演した。

映画監督の大島渚は「政治オンチ克服の軌跡=三島由紀夫」という文章で次のように述べている。

 ……この最も俳優に不向きな体質、ということは精神状態も含んで言うのだが、そういう体質の人のなかにどうしても俳優になりたいという人間がいるのである。そういう俳優志望者に私なども時々襲われるのであるが、この人たちは全く始末が悪い。とにかく思い込んでしまってきかないのである。三島さんもそういう思い込んでしまう人間のように私には見えた。私は、そんな三島さんを主役の俳優として使わなければならなかった『空っ風野郎』の監督増村保造氏のことを思って同情を禁じえなかった。と同時に、私は三島さんという人はなかなかこの世の中に適応しえない人間なのであろう、しかもそれを適応すべくすごい努力をしていらっしゃるというふうに一種同情の目で見たのであった。
 三島さんは何故、いわゆる体位向上を心掛けられたのだろうか。いわゆる肉体についてのコンプレックスならば、私なども同様である。青春時代は骨ばかりだったし、ちょっと肉がついていい感じと思っていたら一足飛びに百キロになんなんとするデブになってしまった。今は少し節制してやややせたが見て格好のいい形態ではない。しかしもう諦めている。三島さんはなぜ体型を根本的にまで変えられたのか。自分の文学が貧弱な肉体或いは異常な肉体の産物だというふうに見られるが厭だったのか。とすれば、健康な肉体或いは正常な肉体の産物である文学でも、対応関係としては等価ではないか。或いは、自分の肉体が貧弱から健康へ、異常から正常へ変わっても、自分の文学は変わらぬということが言いたかったのか。それだったら、もう一回、貧弱な肉体、異常な肉体へ帰ってみたほうがもっと面白かったではないか。私はヨボヨボの三島さん、デブデブの三島さんを見たかった。しかし、三島さんは、それを断乎拒否して死んでゆかれた。だから、そこにはやはり三島さんの美意識の問題があったのだろう。
 私は文学の評論家ではないから、三島さんの文学の美の問題については深入りしたくないが、私の考えでは三島さんの美意識は私などの美意識と決定的にちがっていた、と言える。というより、私などの創作過程における美意識の置きかたと三島さんのそれは決定的にちがっていたと思う。対談の時に三島さんは私の『無理心中・日本の夏』をわからないと言われた。それは無理もない。三島さん的な美意識からは絶対にわかる筈はないからである。そして三島さんは何故美男美女を使わないのかと言われた。このあたりが三島さんの美意識の限界なのである。つまり三島さんの美意識は大変通俗的なものだったのだ。そしてそれだけならよかったのだが、三島さんは一方で極めて頭のよい人だったから、おのれの美意識が通俗的なものだということに或る程度自覚的だったのである。そこから三島さんの偽物礼讃、つくられたもの礼讃が生まれたのだった。そして自分自身をもつくり上げて行ったあげく、死に到達してしまったのである。

大島渚は三島由紀夫との対談で「美しい星」や「鏡子の家」を映画化したいと発言している。大島は京都大学法学部で学んでいた当時、京都府学生自治会連合の委員長として学生運動に携わった。これは日本共産党の強い影響下にあった全学連の下部組織であり、つまり彼は筋金入りの左翼だった。また1960年に日米安保闘争をテーマにした映画「日本の夜と霧」を発表。同作は公開から4日後、松竹によって大島に無断で上映を打ち切られた。大島はこれに猛抗議し、翌年退社した。ゴリゴリの左翼・大島が右翼の三島に深い理解(同情・憐れみ)を示しているのは非常に興味深い。本来なら水と油の関係である筈なのに。

大島が阿部定事件を題材に1976年に撮った「愛のコリーダ」を観ながら、映画の製作動機は1970年の三島自決事件の衝撃にあったのではないかという気がして仕方がなかった。藤竜也演じる吉蔵は半ば自殺したようなものであり、《エクスタシーの絶頂で、若い肉体のまま死にたい》という願望が垣間見られるからである。死の直後に第三者の手で肉体の一部が切断されるという点でも両者は共通している(三島は切腹後、介錯人の手で首を切り落とされた)。

三島由紀夫は完全主義者だった。そして究極の美を追い求めた。しかしそれはあくまでも仮面(ペルソナ)であって、その裏には繊細で傷付きやすい脆い魂と肉体(=自己 self)が潜んでいた。

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2020年3月20日にドキュメンタリー映画三島由紀夫 vs 東大全共闘50年目の真実」が公開される。ナレーターはあの東出昌大!公式サイトはこちら

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2019年11月18日 (月)

【増補改訂版】時間は存在しない/現実は目に映る姿とは異なる〜現代物理学を読む

SNSで大評判だったので、カルロ・ロヴェッリ(著)富永星(訳)「時間は存在しない」(NHK出版)を読んだら、すこぶる面白かった。タイム誌の「ベスト10ノンフィクション(2018年)」に選出されている。

現代の物理学は、相対性理論と量子論という2大理論を土台にしている。時空の理論である一般相対性理論は、主にマクロ(巨視的)な世界を扱い、量子論は原子や素粒子(原子をさらに分解した最小単位)など、ミクロな世界を支配する法則についての理論である。ミクロな時空では、一般相対性理論が役立たない。そこでこの2大理論を融合し、両立させるために有力な候補とされるのが、「ループ量子重力理論」と「超ひも(超弦)理論」の2つ。ループ理論は時空(時間と空間)にそれ以上の分割不可能な最小単位(量子)が存在することを記述し、時間の消失という概念上の帰結を示す。

カルロ・ロヴェッリはイタリアの物理学者で、「ループ量子重力理論」の第一人者である。

「時間は存在しない」の英題は"The Order of Time"なので、「時間の順序」という意味になる。数式がほとんど出てこないので、文系の人でも十分理解出来るだろう。以下備忘録も兼ねて、どういった内容かご紹介しよう。

アリストテレスは「時間とはなんぞや」という問いに対し、時間とは変化を計測した数であるという結論に達した。何も変わらなければ、時間は存在しない。なぜなら時間は、わたしたちが事物の変化に対して己を位置づけるための方法なのだから。目を閉じていても時間が存在するのは、わたしたちの思考に変化があるからである。

アインシュタインは空間と時間が時空間の持つ二つの様相であり、エネルギーと質量もまた同じ実体がもつ二つの面にすぎないと考えた。だからエネルギーが質量に変わったり、質量がエネルギーに変わったりする過程が、かならず存在するはずである。そこからE=mc2という有名な公式が導き出された(E:エネルギー、m:質量、c:光速度)。そして質量をエネルギーに変換することで、核兵器や原子力発電の開発に繋がった。

世界は何からできているか?ニュートンは〈空間/時間/粒子〉と考えた。電磁場の基礎理論を確立したファラデーとマクスウェルはさらに〈粒子〉を〈場/粒子〉に分けた。アインシュタインは1905年の特殊相対性理論で〈時空間/場/粒子〉とし、1915年の一般相対性理論で〈場/粒子〉にまとめた。時空間と重力場は、同じものである

時空間は曲がる」。これが、一般相対性理論を支えている発想である。地球が太陽の周りを回るのは、太陽の周りの時空間が太陽の質量により屈曲しているからである。地球は傾いた空間を真っ直ぐに進んでいるのであって、その姿は漏斗(ろうと)の内側で回転する小さな玉によく似ている。

Nasa

上図はNASAの人工衛星が観測した、地球の質量による時空間(=重力場の歪み。この周囲(蟻地獄・すり鉢状になった内側部分)を、慣性の法則に従い月が直進している

ある場所に存在する物質の量が多ければ多いほど、その場所における時空間の歪みは大きくなる。

曲がるのは空間だけではなく、時間もまた重力の影響を受けて屈曲する(映画「インターステラー」で描かれた)。アインシュタインは地球上で標高が高い場所(地球の中心部から遠い位置)では時間が速く過ぎ、低い場所では遅く過ぎると予見した。それは後に精度の高い時計を用いて証明される。

例えば超大質量を持つブラックホール近くまで宇宙船で旅をして、そこに数日留まり、地球に戻ったら地上の人たちが自分よりも早く年老い、顔見知りが誰もいなくなっている、なんて浦島太郎みたいなことが実際に起こり得るのである。

また特殊相対性理論によると、光速に近いスピードで移動する乗り物の中にいる人は地球上で静止している人と比較し、ゆっくりと時間が過ぎる(ウラシマ効果という)。この仮説も後に高精度な時計で実証された。

私たちはゼリー状の時空間に浸かっている、と想像してみて欲しい(アインシュタインはクラゲなど無脊椎動物をイメージした)。時空間は押し潰されたり、引き伸ばされたり、折り曲げられたりする。時間は相対的なものであり、絶対的に流れる時間は存在しない。

一般相対性理論はさらに、空間が海の波のように振動することを予見した。そして2015年に初めてブラックホールから放出された重力波が地球上の検出器で直接に観測され、その功績が讃えられ2017年にキップ・ソーン(映画「コンタクト」「インターステラー」でアドバイザーを務めた)ら3人がノーベル物理学賞を受賞した。

時間の最小単位はプランク時間であり、これ以上分割出来ない。その値に満たないところでは、時間の概念は存在しない。ミクロな世界で時間は「量子化」される。「量子」とは基本的な粒のことであって、あらゆる現象に「最小の規模」が存在する。時間は連続的ではなく、粒状である。一様に流れるのではなく、いわばカンガルーのようにぴょんぴょんと、一つの値から別の値に飛ぶものとして捉えるべきなのだ。なお余談だが、音を量子化したもの(最小単位の粒)を「フォノン(音響量子・音子)」という。

この世界は「物」(物質、存在する何か、ずっと続くもの)ではなく、「出来事」(絶えず変化するもの、恒久ではないもの)によって構成されている。出来事、過程の集まりと見れば、世界をよりよく把握し、理解し、記述することが可能になる。「物」と「出来事」の違い、それは前者が時間をどこまでも貫くのに対して、後者は継続時間に限りがあるという点にある。世界は硬い石ではなく、束の間の音や海面を進む波でできている。私たちは「出来事」が織りなすネットワークの只中で暮らしている、と考えればうまくいく。

とても分り易かったので、さらに量子論のことを知りたくてロヴェッリ が「時間は存在しない」より前に書いた「すごい物理学講義」(原題は『現実は目に映る姿とは異なる』/英題"Reality Is Not What It Seems")を続けて一気に読破した(栗原俊秀 訳/河出書房新社)。彼は本書で「メルク・セローノ文学賞」「ガリレオ文学賞」を受賞している。僕はオーストラリアの先住民・アボリジニの神話〈ドリームタイム〉について色々勉強しているうちに、〈ドリームタイム〉が量子論に極めて類似することに気が付き、以前から興味を持っていたのだ。

「すごい物理学講義」はデモクリトスの原子論にはじまり、アルキメデス『砂粒を数えるもの』や、地球が球体であることを明確に指摘した現存する最古の文章、プラトンの『パイドン』について言及され、さらにアインシュタインの「三次元球面」がダンテ『神曲』の描く宇宙像に一致しているという議論に発展し、ワクワクした。

量子論を基礎づける三つの考え方は粒性・不確定性・相関性(関係性)である。エネルギーは有限な寸法をもつ「小箱」から成り立っている。量子とはエネルギーの入った「小箱」のことであり、それが持つエネルギーはE=hvで表せる(E:エネルギー、h:プランク定数、v:振動数)。

自然の奥底には「粒性」という性質があり、物質と光の「粒性」が、量子力学の核心を成す。その粒子は急に消えたり現れたりする(不確定性)。情報(=ある現象の中で生じうる、たがいに区別可能な状態)の総量には「限界」がある。

粒状の量子が間断なく引き起こす事象(相互作用)は散発的であり、それぞれたがいに独立している。量子たちは、いつ、どこに現れるのか?未来は誰にも予見できない。そこには根源的な不確定性がある。事物の運動は絶えず偶然に左右され、あらゆる変数はつねに「振動」している。極小のスケールにあっては、すべてがつねに震えており、世界には「ゆらぎ」が偏在する。静止した石も原子は絶え間なく振動している。世界とは絶え間ない「ゆらぎ」である。しかし我々人間は、その余りにも小さ過ぎる「ゆらぎ」を知覚出来ない。自然の根底には、確率の法則が潜んでいる。ひとたび相互作用を終えるなり、粒子は「確率の雲」のなかへ溶け込んでゆく。(本には書かれていない喩え話をしよう。量子は”モグラたたき”のモグラみたいなものと言えるのではないだろうか。次にどこに現れるか予想がつかない。ただし、モグラは常に一匹しか出てこない。出没する範囲は決まっていて、出現頻度=確率が高い場所もある。)

自然界のあらゆる事象は相互作用である。ある系における全事象は、別の系との関係のもとに発生する(相関性)。速度とは「ほかの物体と比較したときの」ある物体の運動の性質である。わたしたちに知覚できるのは「相対的な」速度だけであり、速度とは、一個の物体が単独で所有できる性質ではない。量子力学が記述する世界では、複数の物理的な「系」のあいだの関係を抜きにしては、現実は存在しない。関係が「事物」という概念に根拠を与えている。事物が存在するのは、ある相互作用から別の相互作用跳躍するときだけである(量子跳躍)。現実とは相互作用でしかない。(”モグラたたき”の喩えで言えば、ボード上以外にモグラは現れない。ボードという場がなければ、モグラは存在しない。ボードとモグラには相関性がある。)

原子や光をはじめ、宇宙に存在するあらゆる事物は、量子場によって形づくられている。量子場は、電子や光子(←何れも素粒子)のように、粒状の形態をとって現れる。または、電磁波のように、の形で現れることもある。テレビの映像や、太陽の光や、星の輝きをわたしたちに伝えているのは、電磁波である。

光は光子という粒(素粒子)で出来ている。同時に波の性質も持つ。波長の違いで我々は「色」を認識する。波長が短ければ「青色」に見え、波長が長ければ「赤色」に見える。更に波長が長くなると「赤外線」に、もっともっと長くなるとラジオやテレビの電波になる。逆に波長が短くなると、「紫外線」→「X線(レントゲン)」→「γ(ガンマ)線」となる。これらは全て電磁波の仲間である。音も波であり、波長が長い(周波数が低い)と低音に、短い(周波数が高い)と高音に聞こえる。なお、周波数とは単位時間あたりの振動数である。詳しくは下のリンク先をご参照あれ。図もあって分かり易い。

素粒子」と「量子(quantum)」は同じものを指し示している。「素粒子」は粒子的な側面が強調されており、「量子」は粒子の両方の性質を言い表している。

ループ理論によると空間もまた粒状である。この世には最小の体積が存在し、それより小さな空間は、存在しない。つまりプランク時間と同様に、体積を形づくる最小の「量子」が存在する。それは最小の長さ=プランク長で表される。

最小の「量子」は密接にくっついて「時空間の泡(スピンフォーム)」を形成する。石鹸の泡に似た構造だ。

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Quantrum

上図 b のように、1)空間の最小単位(図 a )をで表す。2)多面体(最小の量子)の面を、それを垂直方向に貫くで表す。3)空間の最小単位が集まった構造を点と線のネットワーク(スピンネットワーク)として表す。すると下図のようになる。

Spin

空間とはスピンの網である。そこでは「節(結び目)」が基礎的な粒子を、「リンク(結び目と結び目をつなぐ線)」が近接に存在する粒子たちの関係性を表している。スピンの網が、ある状態から別の状態へと変化する過程(量子跳躍)によって、時空間が形成される。スピンの網の結び目は、ほどけたり合わさったりして、刻々と姿を変える。

世界は何からできているのか?答えは単純である。粒子とは量子場量子である。空間とは場のことにほかならず、空間もまた量子的な存在である。この場が展開する過程によって、時間が生まれる。要約するなら、世界はすべて、量子場からできている。時空間が生み出される場のことを「共変的量子場」と呼ぶ。この世界を構成するすべてのもの、つまり、粒子も、エネルギーも、空間も時間も、たった一種類の実態(=共変的量子場)が表出した結果に過ぎない。

量子力学の世界には静止している事物は存在せず、そこでは「すべて」が震えている。いかなるものも、ひとつの場所に、完全かつ継続的に静止していることはできない。これが、量子力学の核心である。

情報とは「起こりうる選択肢の数」である。サイコロを投げてある目が出た場合、「起こりうる選択肢」の数は六であるから「N=6」の情報を得たことになる。友達から誕生日を教えてもらえば、三百六十五通りの答えがあるから「N=365」の情報を得たことになる。そして「情報はひとりでに増えない」。熱い紅茶は冷める。熱とは、分子による微視的かつ偶発的な運動である。紅茶が熱ければ熱いほど、紅茶を構成している分子は速く動いている。つまり「情報が多い」。では、紅茶はなぜ冷めるのか?それは「熱い紅茶と(それに接する)冷たい空気」に一致する分子の並び方の総数(=情報)が、「冷たい紅茶と少しだけ温められた空気」に一致する分子の並び方の総数(=情報)より多いからである。速く動く分子は周囲のゆっくり動く分子を押しのけて混ざり、拡散する。紅茶がひとりでに温まることがないのは、情報がひとりでに増大することが決してないからである。熱力学におけるエントロピー(物体や熱の混合度合いのこと。「乱雑さ」とも呼ばれる)とは「欠けている情報」であり、ボルツマンの原理によるとエントロピーの総量は増大することしかしない(熱力学第二法則)。なぜなら情報の総量は減少することしかないからである。エントロピーは「ぼやけの量」(わたしたちに関わるもの)を測っている。

量子力学を形づくる全体の枠組みは次の公理で示される。

公理1 あらゆる物理的な系において、有意な情報の量は有限である。
公理2 ある物理的な系からは、つねに新しい情報を得ることが可能である。

公理1は、量子力学の「粒性」を特徴づけている。これは、実現する可能性がある選択の総数は有限であるという公理である。公理2は、量子力学の「不確定性」を特徴づけている。量子の世界では、つねに予見不可能な事態が発生するため、わたしたちはそこから新たな情報を引き出すことができる。

ビッグバンを起点に膨張し続ける宇宙は有限であり、逆に空間の最小単位も有限である。本当に「無限」なものなど存在しない。自分には理解できないものを、ひとは「無限」と呼ぶ。もし「無限」なものがあるとしたら、それはわたしたちの「無知」だけである。

この2冊の本を通じて、20世紀以降の現代物理学を知ることは、間違いなく哲学的思考に繋がっていると思った。「世界は何で成り立っているのか」「神は存在するか」「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」……物理学と哲学は不可分である。

なお、すべては「ひも」でできている!とする「超ひも(超弦)理論」を学びたい方は、Newtonライト『超ひも理論』(ニュートンムック)をお勧めしたい。ページ数が少なく(たった64ページ)、イラストが多く、たいそう簡便な本である。

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日本人の物理学者の大半は「超ひも理論」を支持している。2008年にノーベル物理学賞を受賞した故・南部陽一郎博士のアイディアに端を発するからだろう。しかし今回「ループ量子重力理論」のことを初めて知り、明らかに後者の方に分があるなと僕は直感した。理由は以下の通り。

1)ひも理論は「固定された背景(時空間)の中を動くもの」であること。つまり時間や空間は、素粒子(=ひも)が運動するためのバックグラウンドとしてあらかじめ前提される。しかし、「万物は流転する」のではないだろうか?それに、もし連続した時間があるのだとしたら、量子の「不確定性」をどう説明する?むしろ時間を、パラパラ漫画やアニメーション、映画のフィルムのように断続的なものとして捉えた、ループ理論の方が理に適っている。つまり時間が連続的に流れていると私たちが知覚しているのは錯覚であると。

2)ひも理論を成り立たせるには、ひも状の素粒子が振動する「9次元空間」を想定しなければならない。しかし9次元の存在って証明出来るの??コンパクト化され、かくれた「6個の余剰次元」とか、無理があるでしょう。荒唐無稽だ。

3)ひも理論を証明するためには超対称性粒子の存在を見つけなければならない。しかし、すべての素粒子が未発見であり、ヨーロッパ原子核研究機構(セルン CERN)の加速器「LHC」による観測でも、多くの科学者の期待にもかかわらず、CERNは超対称性粒子を捕捉しなかった。素粒子に質量を与えるヒッグス粒子は1964年に予言されたとおり発見されたのだが(それによりピーター・ヒッグスは2013年にノーベル物理学賞を受賞した)。

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2019年10月25日 (金)

森見登美彦@むこじょ

10月19日(土)武庫川女子大学(むこじょ)へ。

「作家と語る:森見登美彦さんをお迎えして」を聴講した。

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今回は第6回目。過去登壇した作家は、

  1. あさのあつこ
  2. 髙田郁
  3. 小川洋子
  4. 桐野夏生
  5. 森絵都

武庫川女子大学・短期大学部の学生1万人を対象にした「読書に関わるアンケート調査」の結果を受けて招聘する作家を決めているそう。

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公江記念講堂には1,800人の聴衆が集った。森絵都の時は500人程度だったらしい。

来場者への観覧申込時のアンケート「私が一番好きな森見作品とその理由」の集計結果は以下の通り。

 1.夜は短し歩けよ乙女 128票
 2.四畳半神話大系 66
 3.有頂天家族 62
 4.恋文の技術 51
 5.ペンギン・ハイウェイ 33
 6.宵山万華鏡 19
 6.(同点)太陽の塔 19
 8.新釈 走れメロス 18
 9.きつねのはなし 15
 9.(同点)熱帯 15

21世紀に出版された小説のうち(全世界の、すべての作家を対象とする)「夜は短し歩けよ乙女」よりも面白い作品を僕は知らない。今回のアンケートでもダントツの1位だった。

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トークセッションには武庫女の現役生・OGの計8名が登壇した。

基調講演とかはなく、参加者が一人ずつ自分が好きな森見作品を語り、著者に質問をぶつけるという形式で進行された。約1時間半。

「太陽の塔」日本ファンタジーノベル大賞を受賞した処女作。森見が得意とする腐れ(大学生)具合が詰まっているから大好きと。〈質問〉「うごうご」「ふはふは」などの珍しいオノマトペが多用されているのはなぜですか?〈回答〉文章がゴツゴツ濃いので、こわばりを抜くために入れている。そのギャップを楽しんでもらいたい。表現は意外とテキトーです。

「四畳半神話大系」四畳半に拘るのは時代錯誤で古めかしいから。京都大学に入学したとき、父親が勝手に下宿を決めてきた(森見は奈良県出身)。自分の原点。大学時代はライフル射撃部で、男友達の明石君と四畳半でくすぶっているだけだった。全然モテなかったのに、ネットで(作家になった今の自分を投影して)「森見は大学生の時モテた」とか書かれると激しい怒りを覚え、「ちがうんだ」とブログ〈この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ〉で全否定した。小説のことだったらどんな悪口を書かれても腹を立てたりはしないのだけれど。ある意味、自分の弱点をさらけ出している感じかな。

明石 夕方になって日が傾いた頃に、突然森見君が「押井守を知ってるか」って言い出して(笑)「短篇集のレーザーディスクとか一式持ってるから、今から俺の下宿に観に来るか」って。
森見 それはね、高校の時には、誰とも押井守の話とかできなかったんですよ、まったくまわりに通じなくて。そしたら明石君が押井守の名前を知ってたから、「この人なら!」と思ったんでしょうね(笑)。
明石 たまたま『攻殻機動隊』が好きだっただけなんですけどね。後日森見君の家に泊まったら、押井守のレーザーディスクをかたっぱしから見せられた(笑)
            文藝 2011年05月号【森見登美彦】特集より

「きつねのはなし」僕自身に怖い経験はない。幽霊とかは信じていない。こういった怪談話で心がけていることは文章のテンションを上げないこと。小説が読者に与える印象は主人公のエネルギーで決まる。元気ならば楽しい話になる。この小説は登場人物たちがやられていく。答えがない、解決しない話が好き。真相は読者が決めればいい。

「夜は短し歩けよ乙女」山本周五郎賞受賞。一番儲かった、親孝行な娘。この小説で食っているようなもの。語り手のキャラクター、語り口で〈京都をどう見るか〉が決まる。先に〈京都をどう描きたいか〉があるわけではない。ヒロインである黒髪の乙女のパーツにはモデルがいるが、トータルでは自分の内なる〈乙女的なもの〉が投影されている。彼女の創作により、灰色だった大学生活が虹色に変わった。

「新釈 走れメロス」最初に「山月記」を現代京都を舞台に転生させたいという動機があった。他の四篇(藪の中、走れメロス、桜の森の満開の下、百物語)は編集者と相談しながら決めた。

「有頂天家族」阿呆の話が書きたかった。〈面白きことは良きことなり!〉が許される世界。普段言い切れないことを語って開放されたかった。

「恋文の技術」〈質問〉おっぱいという言葉がいっぱい出てくるのはどうしてですか?〈回答〉ピカソに「青の時代」があるように、「おっぱいの時代」だったのです。理由はよく判らないな。「ペンギン・ハイウェイ」もそうでしょう?

「ペンギン・ハイウェイ」日本SF大賞受賞。少年はヒーローである。アオヤマくんは将来、腐れ大学生にならないと思う。むしろウチダくんの方が危ないかな。アオヤマくんは僕がモデルではなく、こうしたかったという心のヒーロー。彼の父親はアオヤマくんをモデルに発想した。だからスマートで人間味がない。僕の親父が「これって私のことだろ?」と訊いてきたが、全然違う。ウチダくんの方が少年時代の僕に近いかな。アオヤマくんは賢いけれど、時に幼い面ものぞかせて、その落差で読者をガクンとさせようと考えた。

現在は新刊「シャーロック・ホームズの凱旋」を準備している。語り部はワトソン。

浪人して京都大学に入学、留年して4回生の頃に1年休学し、大学院にも行ったので京大で足掛け7年間過ごし、しゃぶり尽くした。その間にやっていたこと=伏線は全て小説で回収した。決して無駄にはならなかった。でも今はもっと勉強しておけばよかったと、少し後悔している。

〈質問〉女子大についてどういうイメージをお持ちですか?〈回答〉大学生の時に、寿司屋の配達のアルバイトをしていた。京都ノートルダム女子大学に行ったときは、捕まるんじゃないかとドキドキした。

好きな食べ物について。今は王将の餃子にはまっている。天理スタミナラーメンばかり食べていた時期もあった。食にこだわりがある方ではなく、たまたま好きになった。

〈質問〉森見さんが幸せだと感じるのは何時ですか?〈回答〉日課の繰り返し。朝起きてベーコンエッグを食べる。9時くらいから原稿用紙に向かって書く。お昼になったら歩いて王将に向かう。ああ、いい天気だな。金木犀の匂いがする。そんなとき。毎日のコツコツが大切。

後で自分の小説を読み返してみて、「よくこんなの書けたな」と文才に惚れ惚れすることがある。神がかっていたというか、自分が書いたものじゃない気がする。

編集者について。いつも自分が書き上げるのを楽しみにしてくれる、喜んでくれると嬉しいな、と思う。

〈質問〉語彙を増やすにはどうすればいいですか?〈回答〉辞書を読んだりすることは無駄なことだ。語彙があればいいというものではない。自分でも腐れ大学生のうんちくを書いていて「ウザ」と思うことがある。

大変意義深い催しだった。来年は「蜜蜂と遠雷」で話題沸騰の恩田陸を希望する!!

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