Spotify, Apple Music, Amazon Music Unlimitedなど定額制音楽配信(サブスクリプション)サービスで聴けないアーティストたちが何人(組)かいる。
しかし2018年9月1日に井上陽水が、続いて同年9月24日に松任谷由実(ユーミン)、2019年8月31日に星野源、同年9月18日にPerfume、12月20日からサザン・オールスターズの全楽曲がサブスク解禁になった。僕は「もう残る大物アーティストは中島みゆき、米津玄師、山下達郎、RADWIMPS、そして山口百恵くらいだな」と思った。
ところが新型コロナウィルス蔓延により、多くの人々が自宅待機の生活を余儀なくされたことをきっかけに、まずRADWIMPSが2020年5月15日からサブスクを解禁した。漸く『君の名は。』や『天気の子』のサウンドトラック盤もサブスクで聴けるようになったのである。
そして5月29日に突如、山口百恵の全楽曲600曲以上がサブスクで一斉配信となった!!僕は狂喜乱舞した。彼女の引退から40年、待ちに待ったこの日が遂に来た。こうして今後の懸案事項は米津玄師、中島みゆき、山下達郎だけとなった。
僕は小学生の頃、百恵ちゃんが大好きだった。彼女一筋だったと言ってもいい。百恵ちゃんの引退とともにすっかり芸能界に興味を失い、代わってクラシック音楽や映画に夢中になるようになった。そして高校生の時、劇場で観た原田知世主演、大林宣彦監督の『時をかける少女』に衝撃を受けたわけだが、後に大林監督と山口百恵が浅からぬ縁だったことを知ることになる。
今の若い人は山口百恵のことなんか全く分からないだろうから、これを機会に彼女の魅力、そして後世にどれだけ甚大な影響を与えたかについて語り尽くそうと思う。彼女の強烈な輝きは、秋元康とか、元・欅坂46の平手友梨奈にまで波及することになる。
【来歴】山口百恵は1959年東京都渋谷区に生まれ、幼少期を神奈川県横須賀市で過ごした。だからホリプロのイメージ戦略上、「横須賀出身」ということになっている。彼女の歌う楽曲に「横須賀ストーリー」「横須賀サンセット・サンライズ」など横須賀を強調しているのはそのためである。また三浦友和との結婚式当日にリリースした32枚めのシングル「一恵」の作詞は横須賀恵となっており、百恵のペンネームである。作曲は「いい日旅立ち」の谷村新司。
彼女が生んだ長男がシンガーソングライターの三浦祐太朗(36)。全曲、山口百恵の楽曲をカヴァーしたアルバム「I'm HOME」をリリースし、レコード大賞企画賞を受賞した。次男は俳優の三浦貴大(34)で、大河ドラマ『いだてん』や、NHK連続テレビ小説『エール』に出演している。
【伝説のアイドル】山口百恵を伝説化している一つの要因として、純愛を貫き一人の男だけを愛し、21歳という若さで華やかなスポットライトから遠ざかって、その後一切老いた自分の姿をマスコミに見せないということもあるだろう(現在61歳)。こうした生き様の前例は女優のグレタ・ガルボと、小津安二郎の死去直後に引退した原節子くらいしかない。みじくも美しく燃え。桜の散り際のような潔さは、日本人の琴線に触れるのだ。
【大林宣彦】1973年5月21日に「としごろ」で歌手デビューしたが、実はその前に彼女はCMディレクターとして活躍していた大林宣彦監督と面会している。14歳だった。同年9月1日に発売された2枚目のシングル「青い果実」はかなりきわどい、アブナイ歌詞になっている。ドキッとする。後に〈青い性路線〉と呼ばれた。それは翌74年6月1日に発売された5枚目のシングル「ひと夏の経験」で頂点に達し、レコード大賞・大衆賞および日本歌謡大賞・放送音楽賞に輝き、その年末に「NHK紅白歌合戦」の紅組トップバッターとして初出場を果たした。なお大林監督が百恵に会ったのは、その当時から構想を練っていた映画『さびしんぼう』のヒロインを探していたのである(12年後に富田靖子主演で実現する)。
74年夏に放送されたグリコプリッツのCMで百恵は三浦友和と初めて出会った。演出したのは大林宣彦であった。ふたりが共演するグリコCMはその後長年続き(動画はこちらやこちら)、同時に『伊豆の踊子』『潮騒』『春琴抄』『風立ちぬ』など名作文学の映画化でも百恵・友和は共演し(計12作)、「ゴールデンコンビ」と呼ばれた。ふたりの共演作『泥だらけの純情』で併映されたのが大林監督劇場デビュー作『HOUSE ハウス』(1977)。そして大林が監督した映画『ふりむけば愛』(1978)がリメイクでも原作付きでもない、ふたりにとって初めてのオリジナル作品となった。
ふたりが恋をしていることにはじめて気がついたのは大林監督であり、それはCMの撮影を通してだった(詳細は監督の著書を参照されたい)。そして『ふりむけば愛』のサンフランシスコ・ロケに際して監督は一日だけ撮影のない休暇日を設けて、ふたりに自由な時間を与えた。つまり大林監督こそが恋のキューピットだったのである。そして1979年10月20日、大阪厚生年金会館のコンサートで「私が好きな人は、三浦友和さんです」と百恵は恋人宣言を突如発表し(20歳)、80年10月5日に日本武道館で開催されたファイナルコンサートをもって引退した。歌唱終了後、彼女はマイクをステージの中央に置いたまま、静かに舞台裏へと歩み去った。この仕草がさらなる伝説を作った。さよならコンサートは現在、Blu-rayで鑑賞出来る。
【赤いシリーズ】百恵はTBSのテレビドラマ『赤い疑惑』『赤い運命』『赤い衝撃』『赤い絆』と4作品〈赤いシリーズ〉に主演した。父親役は大方が宇津井健で、『赤い疑惑』『赤い衝撃』では三浦友和と共演した。物語展開が奇想天外(『赤い運命』は伊勢湾台風で家族が生き別れになり、検事の娘と元殺人犯の娘が赤ん坊の時に入れ替わりとなって育てられる。『赤い衝撃』はスプリンターが銃撃により半身不随となる)で、演技が大仰な、いわゆる大映ドラマであり、後に堀ちえみの『スチュワーデス物語』が一世を風靡した(「教官!」「ドジでのろまなカメ」が流行語となった)。特に『赤い衝撃』は演出家として大映映画の増村保造(『妻は告白する』『黒の試走車』『赤い天使』『陸軍中野学校』)が関わっており、大映ドラマの礎を築いたと言えるだろう(『スチュワーデス物語』も増村が演出している)。僕はこの〈赤いシリーズ〉が大好きで、毎週見ていた。また1978年に百恵が主演し、TBSで放送されたテレビドラマ『人はそれをスキャンダルという』は三國連太郎や永島敏行が共演し、大林宣彦が演出を担当した。
【阿木燿子/宇崎竜童】歌手として山口百恵が全盛期を築いたのは間違いなく作詞家・阿木燿子、作曲家・宇崎竜童(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)という夫婦によるコンビとの出会いから始まる。1976年の「横須賀ストーリー」を皮切りに、78年「プレイバック Part 2」ではNHK紅白歌合戦で史上最年少となるトリを務めた(日本レコード大賞にノミネートされたが、受賞したのはピンク・レディーの「UFO」)。この頃の百恵の歌唱は、とにかく艶っぽい。しかしマリリン・モンローを代表とするセックス・アピールとは全然方向性が違っていて、強いて言えば〈健康的な色香〉がある。「プレイバック Part 2」でも未だ19歳なのだから恐るべし。こんなに大人びた10代のアイドルを僕は他に知らない。77年リリースの「夢先案内人」はアラビアン・ナイトの世界に迷い込んだような綺羅びやかな色彩感がある。これは原田知世によるカヴァーも良い(こちら)。そして僕がイチオシの歌は「夜へ…」。1979年4月1日に発売されたアルバム「A Face in a Vision」に収録されている。元々はNHK特集『山口百恵 激写/篠山紀信』のために制作されたもので、これはDVDで観ることが出来る。こちらもお勧め!
「夜へ…」を愛聴するきっかけになったのは相米慎二監督の映画『ラブホテル』(1985)。公開された年にヨコハマ映画祭で第一位に輝いた。劇画作家・石井隆が脚本を書き、村木と名美という名の男女が登場する一連の作品群の一本。相米作品としては『台風クラブ』や『光る女』の方が優れていると思うが、『ラブホテル』で「夜へ…」が静かに流れる場面はゾクゾクした。Jazzyでノワール。
「夜へ…」で阿木燿子の詞は連想ゲームを彷彿とさせる単語の羅列で始まる。まるで呪文のような妖しさが漂う。なんて素敵なんだろう!
【さだまさし/谷村新司】さだまさし作詞・作曲「秋桜」は1977年、谷村新司 作詞・作曲「いい日旅立ち」は78年にリリースされた。いずれも、さだや谷村にとっての最高傑作と言える。そういう曲を贈りたくなる魅力、オーラが山口百恵にはあるのだろう。「いい日旅立ち」は国鉄(現在のJR)の旅行誘致キャンペーン・ソングとしてCMなどに使われた(動画はこちら)。やはり大林監督が手掛けている。「秋桜」も「いい日旅立ち」も陰りのある曲調だ。こういうのが百恵にはよく似合う。しかし決して暗くなり過ぎない。これが中森明菜とか華原朋美だと、病的になる。薬漬けとか自殺未遂まで行くと、洒落にならない。引いてしまう。一方、百恵の場合は〈程よい健康的な陰り〉なのだ。
【菩薩】1979年に評論家の平岡正明は『山口百恵は菩薩である』を著した。後に広末涼子主演の映画『20世紀ノスタルジア』を撮った原将人監督は「広末涼子は女優菩薩である」と絶賛したが、これは平岡の著書を意識したものだろう。また写真家・篠山紀信が1970年代に最も多く撮った女性は百恵であり、彼女を「時代と寝た女」と称した。
【その後の友和】三浦友和は大林監督の劇場デビュー作『HOUSE ハウス』に友情出演し、百恵と結婚後も『彼のオートバイ、彼女の島』『野ゆき山ゆき海べゆき』『日本純情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』『なごり雪』『22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語』など大林映画の常連として活躍した。また大林監督の自伝的映画『マヌケ先生』では本人役(馬場鞠男)を演じた。
【わが心の歌】ここで僕が考える山口百恵の歌、ベスト12を選出しておこう。
長くなったので続きは後編へ。To Be Continued ...
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