落下の解剖学
評価:A+
カンヌ国際映画祭で最高賞パルム・ドールおよび、犬の演技に対して与えられるパルム・ドッグ賞を受賞(犬のスヌープがけだし名演!これは必見)。米アカデミー賞では作品賞・監督賞(ジュスティーヌ・トリエ)など5部門にノミネートされた。公式サイトはこちら。
この映画は事実と真実、フランス語ではfait(フェ)とvérité(ヴェリテ)がテーマだと僕は解釈した。
事実とは実際に起こったうそ偽りのない事柄のことで、真実は事実に対する偽りのない解釈のこと。つまり事実には人が関与しないが、真実には人が関与する。「真実はいつもひとつ」ではなく、「真実は人の数だけある」。
本作を観て、裁判とはお互いが「真実」だと考えることを巡って相克する場なのだと思った。検察側が信じる「真実」があり、被告である妻と弁護側にも別の「真実」がある。そして11歳の息子は両者が語る「物語」のどちらかを選択するよう迫られる。このことを通して少年の成長が描かれる。考えてみれば我々の人生は「自分の物語を選ぶ」ことの繰り返しで構成されているのだ。
裁判で明かされた録音音声の中で、小説を書けず悩む夫は妻が自分のアイディアを盗んだと攻める。しかしサンドラは元々20ページ程度の草案を自分は300ページの小説として完成させたと主張する。つまりそこに彼女の「解釈」が加わっており、自分の作品だというわけだ。歴史・時代小説を例に取ると分かりやすいだろう。徳川家康の生涯という「事実」があり、そこに作家が「解釈」を加えることにより様々な作品が生まれている。
そもそも、夫が転落死して妻が殺したのではないかと疑われるという『落下の解剖学』のプロットはパク・ヌチャク監督『別れる決心』(2022)や増村保造監督『妻は告白する』(1961)を彷彿とさせる。特に後半で裁判劇となる展開は『妻は告白する』にそっくり。しかし映画を観終えたときの印象はそれぞれ異なる。つまり同じ構造を持っていても「解釈」によって全く別の作品が生まれるということだ。
「真実」とは何か?「物語」とは何か?そういったことどもに思考を巡らせずにはいられなくなる、哲学的示唆に富み、奥深い傑作だと思う。
以下余談。現在進行中のウクライナでの戦争はどうだろう?我々自由主義陣営の目から見ればロシアによる軍事侵攻は帝国主義の発露であり、明らかな国連憲章違反である。しかしプーチンの理屈ではウクライナでファシストが実権を握り、ロシア系住民が弾圧されていることに対して自衛権を行使しているだけだということになる。そしてこの物語を大多数のロシア人たちは「真実」だと信じており、プーチンに対するロシア国内の圧倒的支持率は揺らがない。
中東ガザ地区での戦闘も同様だ。イスラエル側も、イスラム組織ハマス側も自分たちが「正義」だと信じ、それぞれに別の「真実」がある。人は結局、見たいものしか見ないのだろう。
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