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〈スピルバーグからブラッドリー・クーパーへ託された想い〉
映画"Maestro"は元々マーティン・スコセッシ監督が企画を温めていたのだが『アイリッシュマン』を先にすることになり、手が回らなくなった。 そこでスティーヴン・スピルバーグに白羽の矢が立った。スピルバーグは当初相当乗り気だったが、ブラッドリー・クーパーが監督・主演した『アリー/スター誕生』を観て考えを改めた。クーパーには傑出した演出の才能があるから彼に任せたらいいだろう、と思ったのである。これはブロードウェイ・ミュージカル『キャバレー』を鑑賞して、その演出家であるサム・メンデスを自分が企画を抱えていた『アメリカン・ビューティ』の監督に迎えたひらめきに似たものがある(それまでメンデスは映画を撮ったことがなかったが初監督作品でアカデミー賞を受賞した)。またスピルバーグ自身、長年温めてきた企画『ウエスト・サイド・ストーリー』再映画化を実現し、やりきったと満足したことも大きいだろう。
・【永久保存版】どれだけ知ってる?「ウエスト・サイド・ストーリー」をめぐる意外な豆知識 ( From Stage to Screen ) 2021.12.01
・ 映画「ウエスト・サイド・ストーリー」(スピルバーグ版) 2022.03.10
こうして本作はスコセッシとスピルバーグが製作に回るという強力な布陣となった。
〈同性愛〉
ブロードウェイ・ミュージカル『ウエストサイド物語』の作曲家で20世紀後半、ヘルベルト・フォン・カラヤンと並び立つ大指揮者でもあったレナード・バーンスタインが同性愛者であることは彼の生前から周知の事実であった。ただ僕がどうしても分からなかったのは、純粋に男だけが好きなゲイだったのか、バイセクシャル(両性愛者)だったのかということ。彼はフェリシアと結婚し子供を3人もうけた訳で、「本当に妻を愛していたのだろうか?、それともチャイコフスキーのように世間を欺くための〈偽装結婚〉に過ぎなかったのか?」というのが長らく関心事であった(チャイコフスキーの結婚生活はわずか6週間で破綻、彼は入水自殺を図る)。レニー(以下バーンスタインをこう呼ぶ)は最後までカミングアウトしなかったから。
評価:A
2023年12月20日からNetflixで配信されているブラッドリー・クーパー脚本・監督・主演の映画『マエストロ:その音楽と愛と』を観て学んだこと。まず夫婦の関係というのは奥深く、本人にしか完全に理解するることが出来ないのだということ(「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」と言うではないか)。本作から真っ先に連想したのはケヴィン・クラインが主演した2004年の映画『五線譜のラブレター』(傑作!)である。ミュージカルの作曲家コール・ポーター(『エニシング・ゴーズ』『ナイト・アンド・デイ』『ビギン・ザ・ビギン』)とその妻リンダの関係を描く作品で、コール・ポーターはゲイだったが、リンダは心底彼のことを愛していた。
学んだことの2点目。ゲイとバイセクシャルの境界は曖昧で、多分それを区別することに余り意味はないということ。両者は虹色のグラデーションのように切れ目なく繋がっていて、だから近年LGBTQ+という概念が生まれたのだろう。ただ困るのは〈LGBT→LGBTQ→LGBTQ+〉と用語が年々変わって(足されて)きて各種メディアでも表記がバラバラなので統一して欲しい。
〈映画の勝因〉
本作がどうして成功したかと言うと、やはり夫婦の関係に焦点を絞ったことにあるのではないだろうか。例えば『ウエストサイド物語』空前の大ヒットという史実をスッポリ飛ばしてしまっているのだが、これを物語に取り込んでしまうとテーマがボケてしまう。偉大な指揮者/作曲家の伝記を目的とする映画ではないのだ。面白いのはレニーとフェリシアの3人の子供たちがこの映画を支持し、ブラッドリー・クーパーに全面協力している点。例えばこちらの記事をご覧あれ。
三島由紀夫をゲイとして描いたポール・シュレイダー脚本・監督、緒形拳主演『Mishima』(1985)が三島家の逆鱗に触れ、日本公開はおろか未だに日本でDVD/Blue-rayを発売する目処も立っていないのとは対照的だ。
・ 幻の映画「Mishima」〜三島由紀夫とは何者だったのか? 2020.03.02
あとフェリシアを演じたキャリー・マリガンが心底素晴らしい!特筆に値する。是非、映画のエンド・クレジットに注目して欲しい。なんとブラッドリー・クーパーより先にキャリー・マリガンの名前が出てくるのだ。クーパーは優しい人だ。
〈レナード・バーンスタインの遺品を貰った日本人〉
レニーの遺品を譲り受けた日本人指揮者がふたりいることをご存知だろうか?まず大植英次がレニー生涯最後のコンサートで使用した指揮棒とジャケットを遺族から譲られており、佐渡裕はベストを貰った。下記事にその写真を掲載している。
・ バーンスタインに捧ぐ~佐渡 裕/PACオケ 定期 2008.11.25
〈最後の来日をめぐる大騒動〉
レニー最後の来日公演が開催された1990年、僕は大学を卒業したばかりで岡山県岡山市に住んでいた。7月20日京都会館での演奏会に行こうかどうしようか最後まで迷っていた。ロンドン交響楽団を指揮してブルックナーの交響曲第9番が予定されていた。しかしマーラーならいざ知らず、ブルックナーはレニーの得意分野ではない。交通費も馬鹿にならない。思慮に思慮を重ねた上で断念した(もしマーラーの9番だったら万難を排してチケットを購入しただろう)。結局レニーは東京公演の途中で体調を崩し、残る予定を全てキャンセルし帰国、京都公演はマイケル・ティルソン・トーマスが振り曲目も変更になった。東京公演ではレニーが指揮する予定だった「ウエス・サイド物語~シンフォニック・ダンス」を“弟子の若い日本人”が代演したため、払い戻しをする・しないで主催者側と聴衆のすったもんだが起こった事が大々的に報じられ、僕は新聞記事でそれを読んだ(後に当時無名の“若い日本人”指揮者が大植英次だったことを知る)。その年の10月14日にレニーは肺癌で亡くなった。映画の中でも描写されている通り、彼はヘビースモーカーだった。
・ 大植英次、佐渡 裕~バーンスタインの弟子たち 2008.02.29
〈ユダヤ人の血〉
レニーの父サムはロシアのウクライナに生まれたユダヤ人で、ユダヤ教のラビ(律法学者)を代々務める一家だった。彼は16歳の年に反ユダヤ主義が高まる祖国を出て単身アメリカに渡った(ウクライナのユダヤ人がどのように迫害されていたかは映画化もされたミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』を参照されたい)。サムは叔父の営む理髪店で働いた後にパーマネントなど美容器具販売業で成功を収めた。母ジェニーもウクライナ生まれで7歳の時にアメリカに移住、12歳から羊毛工場で働いた。ふたりは新大陸で出会い結婚、レニーが生まれた。そんな家庭だったから音楽とは縁がなく、父はレニーが音楽家になることに反対した。クレズマー(中欧や東欧に住むユダヤ人の伝統音楽)を演奏する哀れな辻音楽師(street musician)のイメージを持っていたからである。
レニーがユダヤ人作曲家マーラーの音楽に心酔していた理由や、自作の交響曲第1番『エレミア』でメゾソプラノがヘブライ語で歌うのはこうした背景がある。幼い頃、父親からみっちりタルムード(モーセが伝えた口伝律法)を仕込まれていたのだ。なお、世界で初めてマーラーの交響曲全集をレコーディングしたのは彼である。
〈鮮烈な楽壇登場〉
映画は1943年11月14日から始まる(日付はクレジットされない)。急病でキャンセルしたブルーノ・ワルターの代役としてぶっつけ本番でニューヨーク・フィルの指揮台に立ち、ラジオでも放送されていたこともありセンセーショナルなデビューを果たした。この日のプログラムは以下の通り。
・シューマン:マンフレッド序曲
・ミクロス・ローザ:主題、変奏曲と終曲
・R.シュトラウス:ドン・キホーテ
・ワーグナー:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第一幕への前奏曲
ここで留意したいのは真珠湾攻撃の後、第二次世界大戦最中の出来事だったということ。ドイツ・ベルリンに生まれたワルターはユダヤ人でウィーン国立歌劇場やウィーン・フィルでフルトヴェングラーと人気を争うほど活躍していたが、ナチス・ドイツの台頭でスイス経由でアメリカに亡命を余儀なくされた。ウィーンを去る直前の1938年に録音されたウィーン・フィルとのマーラー:交響曲第9番のライヴ録音は歴史的名演としてよく知られている。
またミクロス・ローザ(ロージャ・ミクローシュ)はハンガリー・ブタペストに生まれた。両親はユダヤ系の血筋で1939年ドイツに併合された祖国を離れ、ハリウッドで映画音楽作曲家になった。アルフレッド・ヒッチコック監督『白い恐怖』やウィリアム・ワイラー監督『ベン・ハー』などで3度アカデミー作曲賞を受賞。余談だがバレエ音楽『中国の不思議な役人』や『管弦楽のための協奏曲』で有名なバルトーク・ベーラもハンガリーに生まれた大作曲家で、第二次世界大戦が勃発しヒトラーを憎む彼は祖国を離れ渡米、貧困に喘ぎながら白血病に罹りニューヨーク州ブルックリンで亡くなった。そういう時代だった。閑話休題。
レニーはこのデビューをきっかけに1958年、アメリカ生まれの指揮者として史上初めてニューヨーク・フィルの音楽監督に就任することになる。それまではジョージ・セル(ハンガリー)やフリッツ・ライナー(ハンガリー)、ユージン・オーマンディ(ハンガリー)、アルトゥーロ・トスカニーニ(イタリア)、レオポルド・ストコフスキー(イギリス)といったヨーロッパ出身の指揮者たちがアメリカのクラシック音楽界を牛耳っていたのだ。
〈映画『波止場』とエリア・カザン〉
冒頭でティンパニの連打が高鳴る音楽はマーロン・ブランド主演、エリア・カザン監督の『波止場』。レニーが作曲した唯一の映画音楽(劇伴)である。どうしてこれしか携わらなかったのか?大植英次によると「勝手にミキサーで音量を調整されて自分が意図したものとは違う仕上がりになり、嫌気が差したんだ」と語っていたそう。赤狩りの最中、かつて共産党員だったカザンは「ハリウッド・テン」の仲間たちを売った“裏切り者”なので、レニーが当時何を考えていたのか興味深いところである。
・ 宮崎駿「風立ちぬ」とエリア・カザン~ピラミッドのある世界とない世界の選択について 2013.08.28
〈『ファンシー・フリー』から『オン・ザ・タウン』→『ウエスト・サイド物語』へ〉
続く新作の稽古場面。レニーが「ジェリー」と呼んでいるのは振付師ジエローム・ロビンスのこと。ここで制作進行しているのがバレエ『ファンシー・フリー』。1944年ニューヨーク・シティ・バレエ団が初演した。3人組の水兵が休暇で船を降りニューヨークを散策するという内容で、このプロットを発展させたのがブロードウェイ・ミュージカル『オン・ザ・タウン』である。そしてレニーとジエローム・ロビンスのコンビは後に『ウエスト・サイド物語』を生み出すことになる。
映画冒頭からレニーの恋人として登場するデイビッド・オッペンハイムは有名なクラリネット奏者で画家のエレン・アドラー(スタニスラフスキー・システムを継承する演技指導者ステラ・アドラーの娘)と結婚した。エレンが主催するホーム・パーティでレニーとフェリシアは出会う。その会場で「ベティとアドルフ」と呼ばれているのはベティ・コムデンとアドルフ・グリーンという作詞・脚本家のコンビ。『オン・ザ・タウン』の仕事がMGMの大プロデューサーであるアーサー・フリードの目に止まり、ハリウッドの招かれミュージカル映画『踊る大紐育』『雨に唄えば』『バンド・ワゴン』といった傑作群で共同脚本を執筆した。二人がパーティで歌っている"Carried Away"は『オン・ザ・タウン』のナンバー。なおアドルフ・グリーンは1989年、バーンスタインがロンドン交響楽団を指揮した演奏会形式のミュージカル『キャンディード』(全曲)上演にパングロス博士として出演しており、その様子はDVDで鑑賞することが出来る。
〈白黒から総天然色へ〉
映画は前半モノクローム映像だが半ばでカラーに切り替わる。その転換点で10年以上の歳月が一気に経過しているという構成だ。白黒の最後らへんに『ウエストサイド物語』(1957年8月初演)制作発表記者会見みたいな場面があるので恐らく1956年頃。総天然色になってすぐ、レニーの伝記を書こうとしている作家との対談で、「テレビ出演を始めてから15年、ニューヨーク・フィルの音楽監督になって10年」と言っている。最初のTV番組が「オムニバス(OMNIBUS)」で放送開始が1954年(有名な「ヤング・ピープルズ・コンサート」より前)、音楽監督就任が58年なので時代設定は1968−9年と推定される。この時レニーが作曲しているのは歌手、演奏者、ダンサーのためのシアター・ピース『ミサ曲』で1971年ワシントンのケネディ・センターで初演された。
・ バーンスタイン「ミサ曲」と「ジーザス・クライスト・スーパースター」 2017.07.15
〈マーラー:交響曲第5番〜アダージェットと『ベニスに死す』〉
モノクロームからカラーに切り替わる場面でレニーが指揮しているのがマーラー:交響曲第5番 第4楽章 アダージェット。言わずと知れた、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』(1971)で一躍有名になった音楽だ。
『ベニスに死す』の主人公である作曲家グスタフ・アッシェンバッハはゲイとして描かれており、だから『マエストロ』でも、レニーの弟子(架空の人物)をケイト・ブランシェットが演じる映画『TAR/ター』でもアダージェットが引用されている。
・ クラシック通が読み解く映画「TAR/ター」(帝王カラヤン vs. バーンスタインとか) 2023.05.27
ただしグスタフ・マーラー自身はゲイではなく、アダージェットは愛する妻アルマに捧げられた楽曲である。ではクラシック音楽に造詣が深いヴィスコンティは何故主人公をゲイに設定したのか?実は別の明確なモデルがいたのだ。詳しくは下記事に書いた。
・ ヴィスコンティ映画「ベニスに死す」の謎 2011.10.18
〈レニーと大植英次の出会い〉
フェリシア・モンテアレグレ・コーン・バーンスタインが亡くなったのが1978年6月16日。大植英次がタングルウッド音楽祭でレニーと出会ったのが1978年の夏(フェスティバル開催期間は例年6月〜7月)。ほぼ同時期である。このとき彼は21歳だった。タングルウッドで大植がピアノを弾いている時に横からやたらと話しかけてくる初老の男がいて、うるさいからと手で追い払おうとしたらその人物がバーンスタイン本人であった、というのが初対面だった。このエピソードは大阪市で開催された演奏会で大植自身が語るのを僕は生で聞いた。
〈マーラー『復活』映画で演奏される該当部分の日本語私訳〉
映画の後半でマーラーの交響曲第2番『復活(Auferstehung)』第5楽章フィナーレが演奏される。これは本人がロンドン交響楽団を指揮した映像が残されており、1973年9月にイギリス、ケンブリッジの近くにあるイーリー大聖堂で収録された。イーリー市はロンドンから電車で1時間半、102kmくらいのところにある。ちょうど東京ー熱海間(関西で言えば京都ー舞鶴間)の距離に相当する。僕はDVDを持っており、ドイツ・グラモフォンが2023年に開始した映像配信サービス「ステージプラス」では現在無料配信されている。音楽をすることの歓びを爆発させた、圧巻のパフォーマンスだ。
なお、大植英次が亡くなった朝比奈隆の後任として2003年4月から大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任し、その披露定期演奏会として選んだのがやはりマーラーの『復活』だった。
ブラッドリー・クーパーに指揮の指導をしたメトロポリタン・オペラの音楽監督ネゼ=セガンは同性愛者であることを公表している。パートナーはヴィオラ奏者のピエール・トゥールヴィル。彼が同性愛をカミングアウトする意義についてはこちらの記事が詳しい。レニーのことについても触れられている。
さらにクーパーは2022年2月26日にグスターヴォ・ドゥダメルがベルリン・フィルとマーラーの『復活』を演奏する際にもベルリンに同行し、勉強した。
『復活』のドイツ語歌詞は『マエストロ』の物語と密接にリンクしているのだが、残念ながらNetflixの配信では翻訳されていない。だから参考までに該当部分の対訳を以下添付する(無断転載禁止)。
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合唱・アルト:
Hör’ auf zu beben! 震えるのはやめよ!
Bereite dich zu leben! 生きることに備えよ!
ソプラノ、アルト独唱:
O Schmerz! Du Alldurchdringer! おお苦悩よ!全てを貫くもの!
Dir bin ich entrungen. お前から私は身を振りほどいた
O Tod! Du Allbezwinger! おお死よ!全てを征服するもの!
Nun bist du bezwungen! いまお前は(私に)征服された!
Mit Flügeln, die ich mir errungen, 私が手に入れたこの翼(=“死”)で
In heißem Liebesstreben 熱く愛を希求しながら
Werd’ ich entschweben 私は飛び立とう
Zum Licht, zu dem kein Aug' gedrungen!誰の目にも届かぬ光に向かって
合唱:
Mit Flügeln, die ich mir errungen, 私が手に入れたこの翼(=“死”)で
Werde ich entschweben! 私は飛び立とう
Sterben werd' ich, um zu leben! 私は死のう、生きるために!
Aufersteh'n, ja aufersteh'n wirst du, 復活する、そうだお前は蘇るのだ
Mein Herz, in einem Nu! 私の心、たちどころに!
Was du geschlagen, お前が打倒したもの(=“死”)が
Zu Gott wird es dich tragen! お前を神のもとに導くだろう
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ここで問題となるのが最後から2行目の動詞geschlagenの解釈である。これはschlagen(打ち倒す/打ち負かす/〜に勝つ)の過去分詞。ところが、schlagenには(鼓動する/脈を打つ)という意味もあるので、ほとんどの日本語訳はこちらを採用している。多分、その前の行にHerz(心臓)という単語があるので、それに引きずられているのだろう。しかしこれは絶対におかしい。意味を成さない。なぜならこの動詞の主語はdu(君、お前)であり、これは1格。3格のdir(君に)でも4格のdich(君を)でもない。「鼓動する」という意味の場合、次のような例文になる。
Der Puls schlägt unregelmäßig.\脈が不規則に打つ
Mein Herz schlägt heftig.\私の心臓がどきどきしている
つまりPuls(脈)やHerz(心臓)が主語(1格)になっても、duが主語になる筈がない(「私」は脈打たない)。ゆえに「お前がschlagen(打倒す)もの」=「お前がbezwingen(征服する)もの」=「Tod(死)」と読み取れば、全体の意味が通じるのである。
〈カズ・ヒロのメイクに注目!〉
ブラッドリー・クーパーをレナード・バーンスタインに見事に変身させたメイクアップアーティストはカズ・ヒロ(辻一弘)。アカデミー賞で2度メイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞している。特にゲイリー・オールドマンを担当した映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』のメイクは凄かった!
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