村上春樹「街とその不確かな壁」をめぐる冒険(直子再び/デタッチメント↔コミットメント/新海誠とセカイ系/兵庫県・芦屋市の川と海)
2023年4月13日に村上春樹の新作長編小説『街とその不確かな壁』が出版された当初、余り良い評判を聞かなかった。しかし実際に読んでみると心の奥深く突き刺さった。僕が一番好な村上作品は従来『ノルウェイの森』だったのだが、その感動を上回った。最高傑作だと思う。一応今まで読んだものを挙げておく。
長編小説:『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
短編集:『カンガルー日和』『蛍・納屋を焼く・その他の短編』『神の子どもたちはみな踊る』『女のいない男たち』
随筆・紀行文:『映画をめぐる冒険』『ザ・スコット・ジェラルド・ブック』『ポートレイト・イン・ジャズ』『辺境・近境』
対談:『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』
2013年に出版された『色彩を持たない多崎つくると…』が心底つまらなく、救いようのない駄作だったので「村上春樹は最早オワコンか」と大いに落胆したものだが、杞憂だった。
新作で一番びっくりしたのは『ノルウェイの森』の直子がまたまた登場したことである。なんと彼女の物語はまだ決着がついていなかったのだ!
直子(と思しき女の子)はまず村上春樹の処女作『風の歌を聴け』で次のような記述として現れる。この時点で名前は明かされていない。
僕はこれまでに三人の女の子と寝た。 (中略)
三人目の相手は大学の図書館で知り合った仏文科の女子学生だったが、彼女は翌年の春休みにテニス・コートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で首を吊って死んだ。
続く『1973年のピンボール』(1980年刊行)では直子という名前を与えられ、1969年に大学生の「僕」(20歳)と付き合っている。早稲田大学のキャンパスは折しも学生運動で騒然としていた(この年に東大安田講堂事件があった)。しかしそれから4年経過した73年に直子は既に死んでおり、主人公は彼女が生前語っていた故郷の街に足を運ぶ。
村上春樹は1949年1月12日に京都市に生まれたが、生後すぐ兵庫県西宮市夙川に転居し、ここで小学校を卒業した(国語の教師だった父親が私立甲陽学院中学校に赴任したため)。さらに中学1年生のとき芦屋市に引っ越している(夙川と芦屋は阪神/阪急電車で1駅くらいの距離)。そして兵庫県立神戸高等学校に入学(阪急・芦屋川駅から最寄りの王寺公園駅まで12分)、1968年には早稲田大学第一文学部に合格した。
芦屋市は海岸地区を埋め立てて住宅都市を建設する計画した。村上が上京した翌69年から工事が始まり、74年ごろにほぼ終わった(写真こちら)。78年が舞台となる『羊をめぐる冒険』(1982年刊行)で彼が幼い頃海水浴をしたという芦屋浜は50mの砂浜を残し、すっかり失われてしまっていた。『羊をめぐる冒険』は次のような喪失感に満ちた文章で締めくくられる。
僕は川に沿って河口まで歩き、最後に残された五十メートルの砂浜に腰を下ろし、二時間泣いた。そんなに泣いたのは生まれてはじめてだった。二時間泣いてからやっと立ち上がることができた。どこに行けばいいのかはわからなかったけど、とにかく僕は立ち上がり、ズボンについた細かい砂を払った。
日はすっかり暮れていて、歩き始めると背中に小さな波の音が聞こえた。
その芦屋浜である。
1983年に発表された短編『蛍』で遂に直子の物語が本格的に語られるが、名前は与えられていない。心を病んだ彼女は「大学をとりあえず一年間休学し、京都の山の中にある療養所に落ちつくことにします」という手紙を残し、主人公の元を去る。
そして『蛍』を拡張した物語が『ノルウェイの森』だ。因みにドビュッシーのピアノ曲集『版画』の中の一曲「雨の庭」(Jardins sous la pluie)に由来する『雨の中の庭』というタイトルで書き始められたが、原稿を版元に渡す直前に妻の意見を受け入れ『ノルウェイの森』に改められた。ところで新海誠監督のアニメーション映画『言の葉の庭』って『雨の中の庭』を意識していると思いません?雨の新宿御苑が舞台となっているし、2箇所の『の』の位置も同じ。そして劇中雨でずぶ濡れになったユキノの「わたしたち、泳いで川を渡ってきたみたいね」という台詞は『ノルウェイの森』からの引用である(“「ねえ、私たちなんだか川を泳いで渡ってきたみたいよ」と緑が笑いながら言った”)。なお新海の『秒速5センチメートル』ではヒロイン・明里が駅のプラットホームで村上の『蛍・納屋を焼く・その他の短編』を読んでいる。
・ 時は来た(This Is the Moment)!今こそ語り尽くそう〜新海誠「秒速5センチメートル」超マニアック講座
『街とその不確かな壁』で、十七歳の「ぼく」と十六歳の「きみ」は高校生エッセイ・コンクールの表彰式で出会う。離れた街に住む二人は手紙を幾つも交換し、やがてデートするようになる。その様子が次のように書かれている。
その夏の夕方、ぼくらは甘い草の匂いを嗅ぎながら、川の上流へと遡っていった。流砂止めの小さな滝を何度か越え、時折立ち止まって、溜まりを泳ぐ細い銀色の魚たちを眺めた。二人ともしばらく前から素足になっていた。澄んだ水がひやりと踝(くるぶし)を洗い、川底の細かい砂地が二人の足を包んだー夢の中の柔らかな雲のように。ぼくは十七歳で、きみはひとつ年下だった。
川にかかるいくつかの橋の下をくぐり、流れの浅いところを辿って歩き続けた。そのあいだ誰ともすれ違わなかった。途中で目にしたのは何匹かの小ぶりな蛙たちと、石の上にじっとたたずんでいる一羽の白鷺だけだ。その鳥は一本足で立ったまま身動きひとつせず、怠りなく川面を監視していた。
これは紛れもなく、芦屋川の描写だろう。その河口に芦屋浜がある。
芦屋川にはアユやウナギ、モクズガニなどが生息しているそう。また6月上旬には上流でゲンジホタルを見られるという。
小説の描写どおり白鷺がいた。
『街とその不確かな壁』の「きみ」はやがていなくなり、音信不通となる(恐らく首を吊って自殺したのだろう)。「きみ」が以前語っていた、夢の中に出てくる高い壁に囲まれた「街」に「ぼく」は行きたいと願い、そして遂にたどり着く。そこの図書館で本当の「きみ」が働いている(十六歳の「きみ」は「ぼく」に、今ここにいるのは本当のわたしの「身代わり」であって、「ただの移ろう影のようなもの」だと言った)。その「街」にある図書館は第一部で次のように描写される。
これという特徴のない石造りの古い建物だ。(中略)入り口には何の表示も掲げられておらず、知らない人にはそれが図書館だとはわからないようになっていた。「16」という数字が刻まれた真鍮のプレートが、素っ気なく打ち付けられているだけだ。プレートは変色し、字は読みづらかった。
重い木製の扉は深く軋みながら内側に開き、奥には薄暗い正方形の部屋があった。(中略)縦長の窓が二つあり、家具はひとつも置かれていない。
これは学生時代に村上がよく利用したという芦屋市立図書館打出分室がモデルと思われる。残念ながら現在改修工事中で、中に入ることは出来ない。
石造りの外壁が蔦で覆われ、とても素敵な雰囲気だ。
写真では分かり辛いが入り口に「真鍮のプレート」が掲げられており、「縦長の窓が二つ」ある。在りし日の姿はこちら。小川洋子の小説『ミーナの行進』にも登場する。
村上のデビュー作『風の歌を聴け』で「猿の檻(おり)のある公園」として登場する打出公園はこの図書館に隣接する場所にある。「僕」と「鼠」の出会いの場面だ。打出公園も工事中で猿の檻は2023年に取り壊された。
航空写真で見てみよう。
写真上方「旧松山家住宅松濤(しょうとう)館」と書かれた建物が図書館だ。床が「正方形」になっている。
また写真下方(図書館の南側)に打出公園があり、撤去前の猿の檻も見える。
公園がリニューアルされた後、猿の檻があった場所に記念碑が建てられる予定らしい。なお『街とその不確かな壁』第二部で現実世界に戻った主人公が、館長として赴任する図書館は福島県南会津町図書館だと特定されている(記事はこちら)。
村上春樹はその創作活動の前半、〈デタッチメントの作家〉と呼ばれた。登場人物たちは概ね、社会と関わろうとしなかった。『ノルウェイの森』の主人公が、学生運動から距離をとっていた(detach:切り離す)ように。
しかし彼は1995年にその姿勢を大きく変更した。この年の1月17日に阪神淡路大震災が発生し、3月20日にオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした。村上は地下鉄サリン事件の関係者62人にインタビューを重ねノンフィクション『アンダーグラウンド』を上梓し、連作短編小説集『神の子どもたちはみな踊る』では阪神淡路大震災をテーマに取り上げた(新興宗教の話もある)。〈コミットメントの作家〉への転換である(commit:責任感を持って取り組む)。
新海誠は村上春樹の小説に多大な影響を受けたアニメーション作家である。2002年の処女作『ほしのこえ』から彼は“セカイ系の旗手”と呼ばれてきた。「世界の終わりに通じるような大惨事が、"ぼくときみ"というふたりの男女の恋愛関係に収斂されていく」というのがセカイ系の定義だ。これはそのまま〈デタッチメントの作家〉村上春樹の前期作品に当てはまる。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』なんてタイトルからして“セカイ系”そのものである。
『街とその不確かな壁』第一部は1980年に文芸雑誌「文學界」9月号に掲載された中編小説『街と、その不確かな壁』に基づいている(村上は「あれは失敗」として、彼の意向で単行本や全集にも一切収録されていない)。つまり『1973年のピンボール』に続く作品であり、それを拡張した今回の新作は村上が〈コミットメント〉から〈デタッチメントの作家〉に返り咲いた(原点回帰した)とも言えるだろう。だから僕はこれを読みながら「新海誠のアニメにそっくりだ!」と感じたので、なんだか可笑しかった(本当は順序が逆なのに)。それも初期作品『雲のむこう、約束の場所』とか『秒速5センチメートル』の雰囲気にすごく近い。新海も川村元気プロデューサーと出会うことによって〈デタッチメント〉から〈コミットメントの作家〉に大きく舵を切ったのである(『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締まり』)。また東日本大震災の体験も大きかっただろう。
・「君の名は。」劇場用パンフレット第2弾登場!〜新海監督が質問に答えてくださいました。 2016.12.13
・「天気の子」劇場用パンフレット第2弾登場!〜新海誠監督が質問に答えてくださいました。 2019.09.17
・「すずめの戸締まり」公開初日鑑賞報告!/【考察】どうして新海誠はセカイ系であり続けるのか?/村上春樹・高橋留美子との接点
『街とその不確かな壁』にはイエロー・サブマリンのヨットパーカーを着た、痩せた小柄な少年が登場する。金属縁の丸い眼鏡をかけている。間違いなくジョン・レノンのイメージだ。
そしてジョンが作詞・作曲したビートルズの『ノルウェイの森』に繋がっている。
村上の小説『ノルウェイの森』の主人公は、直子の自殺によって絶望を味わうのだが、彼の魂を救うのが大学で出会った緑だ。作者は否定しているが緑のモデルが陽子夫人であることは論をまたない。ふたりは早稲田大学で知り合い、村上が22歳のときに学生結婚をした。そして親から借金をしてジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開店する。
しかし『街とその不確かな壁』に緑に相当する人物は登場しない。陽子夫人はこの小説を読んで、どう思っただろう?
さて本当は村上春樹と河合隼雄、さらにはユング心理学との関係にも触れたかったのだが余りにも長くなってしまった。続きはこちら ↓ の記事で。
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