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2023年10月

2023年10月28日 (土)

木下晴香(主演)ミュージカル「アナスタシア」と、ユヴァル・ノア・ハラリ(著)「サピエンス全史」で提唱された〈認知革命〉について

ミュージカル『アナスタシア』を梅田芸術劇場@大阪市にて観劇した。

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From Screen to Stage ーアニメーション映画から舞台ミュージカルへ。本作が成立した経緯は宝塚歌劇版のレビューで、微に入り細を穿つ解説を書いた。

 ・ 真風涼帆(主演)宝塚宙組「アナスタシア」と、作品の歴史を紐解く。 2020.12.02

今読み返しても情報量は必要十分、我ながら「熱いよね!」(by 宮藤官九郎『あまちゃん』)と思う。

上記事にもある通り、日本初演は木下晴香と葵わかなのダブル・キャストで 2020年3月に幕を開けたのだが、当時猛威を奮っていた新型コロナ・ウィルス禍のため東京公演は度々中断し、挙句の果て大阪は全公演中止になってしまった(その時の告知はこちら)。僕の手元にあったチケットは払い戻しとなり、3年という歳月を経て漸くリベンジを果たした!!歌舞伎や落語『淀五郎』にもなった浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』になぞらえるなら、正に「遅かりし由良之助。待ちかねたァ」。

20世紀フォックスが初めて製作したアニメーション映画『アナスタシア』は1998年9月の公開時(僕は岡山市に住んでいた)テアトル岡山で観ている。その少し前、同じ20世紀フォックスの超大作『タイタニック』は当時としては珍しく日米同時公開で、初日の1997年12月20日にやはりテアトル岡山で観た。音響の悪い古びた映画館で時代の波に呑まれやがて閉館し建物は解体、その跡地は駐車場に成り果てた。まるで映画『ニュー・シネマ・パラダイス』みたいな話だ。2019年に20世紀フォックスはディズニーに吸収合併され「20世紀スタジオ」と名称が変更。今や『アナスタシア』も『タイタニック』もDisney+から配信されている。

 ー夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡ー

『アナスタシア』のスタッフである作詞:リン・アレンス、作曲:ステファン・フラハティ、台本:テレンス・マクナリーはミュージカル『ラグタイム』でも組んでおり、マクナリーは『ラグタイム』を含めトニー賞を4度受賞している。そして『ラグタイム』も遂に今年、日本でお披露目された。

 ・ 石丸幹二・安蘭けい・井上芳雄 /ミュージカル「ラグタイム」待望の日本初演!

快哉を叫びたい心境である。

マクナリーの台本は、そりゃ『ラグタイム』の方が完成度が高いのは確かだが、『アナスタシア』も悪くない。特に過去の名作ミュージカルを彷彿とさせる瞬間がいくつもあり、心がときめいた。例えば二人の詐欺師ディミトリとヴラドが、しがない道路清掃員アーニャを皇女アナスタシアに仕立て上げようと教育する場面で『マイ・フェア・レディ』を想起しない人はいないだろう。ここで歌われる"Learn to Do It"は『マイ・フェア・レディ』でヒギンズ教授とピカリング大佐が歌う“でかしたぞ (You Did It)”に呼応している。つまり"You Did It"が過去の成功について会話しているのに対して、"Learn to Do It"はこれから起こる未来の可能性を語っているのだ。第1幕最後はアカデミー賞の歌曲賞にノミネートされた超名曲"Journey to the Past"をアーニャが歌い上げ感動的に締め括られるが、ヒロインのソロで第1幕が幕を閉じるのは『エリザベート』(私だけに)の記憶が蘇る構成になっている(『エリザベート』も皇室ものだ)。宝塚版が許しがたかったのは、この"Journey to the Past"をディミトリにも歌わせたこと。いくらヅカが男役中心の世界観だからといって、娘役最大の見せ場を横取りしないで欲しい。犯罪にも等しい暴挙である。作・演出の稲葉太地は猛省し、小池修一郎の爪の垢でも煎じて飲め!

幼い頃に聴いた子守唄"Once Upon a December"が主人公の記憶を蘇らせる引き金(trigger)になるという仕掛けはロマンティックで素敵だ。ドヴォルザークが作曲した『我が母の教えたまいし歌 』とか、クリスティーナ・リッチが主演した映画『耳に残るは君の歌声』を思い出させる。

さて10月22日(日)ソワレのキャストは、

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10月24日(火)ソワレのキャストは、

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30年に及ぶ僕のミュージカル観劇歴において、日本人では木下晴香こそNo.1の歌唱力であると断言しても良い。女優で彼女に匹敵するのは、全盛期(宝塚歌劇時代〜『レ・ミゼラブル』コゼット役まで)の純名里沙くらいだろう。いや、日本人に限定しなければディズニー版『アイーダ』ブロードウェイ・オリジナル・キャストのヘザー・ヘッドリー(トニー賞ミュージカル主演女優賞受賞)とかミュージカル『カラー・パープル』のシンシア・エリヴォ(トニー賞ミュージカル主演女優賞受賞) 、『リトル・マーメイド』のシエラ・ボーゲス 、『ミス・サイゴン』のレア・サロンガらの名前が挙げられるが、つまりそのレベルということだ。少なくとも『アナスタシア』ブロードウェイ・オリジナル・キャストであるクリスティ・アルトモアより木下のほうが上。もうその第一声から「なんて美しい歌声なんだろう!」と、ウットリ聴き惚れた。完璧。

 ・ 生田絵梨花(乃木坂46)vs. 新星・木下晴香/ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」 2017.03.04
 ・ 音楽の天使が舞い降りた!!〜ミュージカル「ファントム」 2019.12.12

木下晴香はディズニー映画 実写『アラジン』吹替版でジャスミン姫に起用されたわけだが、神田沙也加亡き後(彼女の死は本当に辛い出来事だった。実現しなかった『マイ・フェア・レディ』大阪公演のチケットは払い戻しした)、『アナと雪の女王 3』吹替版のアナ役は木下に是非やってもらいたい。

他のダブル/トリプル・キャストについて。ディミトリ役は内海啓貴(うつみあきよし)、グレブ役は激しい感情を顕にする海宝直人(かいほうなおと)が良かった。ヴラド役については、流石に石川禅が演技も歌も巧者で感心したが大澄賢也も味わい深く、甲乙付け難い。

ダルコ・トレスニャクは奇をてらわないオーソドックスな演出で、まぁ目を瞠るような斬新な場面はないけれど、安心して観劇出来る感じかな。背景に高精細LED映像を駆使した美術が見応えあり。

僕はイングリット・バーグマンがユル・ブリンナーと共演し、アカデミー主演女優賞を受賞した映画『追想』(原題:Anastasia)の頃からこの物語が大好きなのだが(アルフレッド・ニューマンの音楽も素晴らしい!)、どうしてこれ程迄に惹き付けられるのだろうとよくよく考えてみた。

本作のテーマは「うそを信じる力」であり、それは本質的に「人間とは何か?」という問いに深く関わっているのではないだろうか?ベストセラーになり、バラク・オバマ(アメリカ元大統領)も絶賛したユヴァル・ノア・ハラリの著書『サピエンス全史』で〈認知革命〉という概念が提唱される。古代の地球にはホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)、ホモ・ソロエンシス、ホモ・エレクトス、ホモ・デニソワなど、様々なホモ属が生きていた。しかし最終的にホモ・サピエンスだけが生き残り、他のホモ属は駆逐された。その違いは何だったのか?それが約七万年前サピエンスだけに起こった〈認知革命〉だと著者は言う。それは「虚構(うそ)を共有する能力」のこと。〈認知革命〉以降、神話や物語(フィクション)、噂話が生まれ、人々が団結することに役立った。そしてダンバー数(人々が円滑・安定的に関係を維持することができる人数)=150人を突破出来るようになったというのだ。キリスト教を例に考えてみよう。聖母マリアは男女の交わりなしにイエスを身ごもった(処女懐胎)。イエスは水の上を歩き、十字架にかけられ磔刑3日後に復活する。こういった虚構(フィクション)に基づき宗教は信者を増やし、大きな勢力となっていった。日本の天皇制も天照大御神(あまてらすおおみかみ)の末裔であるという神話(神道)に支えられている。通貨制度もまた、硬貨や紙幣そのものに「価値がある」と信じる虚構(フィクション)に立脚している。つまり〈認知革命〉なくして国家の統一はあり得なかったのだ。

僕たちが映画や芝居を観て感動するのも、そこには「うそを信じる力」が介在している。それこそが「人の人(ホモ・サピエンス)たる所以」なのだ。

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2023年10月20日 (金)

村上春樹「街とその不確かな壁」とユング心理学/「影」とは何か?/「君たちはどう生きるか」との関係

これは下記事の続きである。

 ・  村上春樹「街とその不確かな壁」をめぐる冒険(直子再び/デタッチメント↔コミットメント/新海誠とセカイ系/兵庫県・芦屋市の川と海) 

村上春樹はユング心理学から多大な影響を受けている。そのことはスイスにあるユング研究所で研鑽を積み、日本人として初めてユング派分析家の資格を得た河合隼雄と村上が何度も対談を重ねていることからも伺い知れるだろう(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』『こころの声を聴く―河合隼雄対話集』いずれも新潮文庫)。例えば小説『ねじまき鳥クロニクル』において主人公が井戸の底に下りていって瞑想するという行為は、深層心理の奥底に潜ることを象徴している。そこには集合的無意識があり、他者と繋がることが出来る。それが〈壁抜け〉だ。主人公は時空を超えノモンハン事件当時の満州国に直列接続する。

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村上に心酔するアニメーション監督・新海誠はこのアイディアを映画『君の名は。』に応用した。夢(=集合的無意識)の中で瀧と三葉は出会い、体が入れ替わるが、ふたりの間には東京と飛騨地方という距離の隔たりと、3年という時間のずれがあった。

 ・ 【考察】神話としての「君の名は。」〜その深層心理にダイブする。 2016.09.10

村上の新作小説『街とその不確かな壁』の主人公(ぼく)は、消息不明になった女の子(≒『ノルウェイの森』の直子)が語っていた、高い壁に囲まれた「街」になんとか辿り着く。「街」は集合的無意識のメタファーだから、その図書館で彼女に再会することになる。主人公に与えられた仕事は〈夢読み〉だ。

「街」の住人には影がない。主人公(ぼく)も「街」に入るために門番の手で影を切り離される。「影」とは何か?二つの解釈が考えられる。

まず第一に、ユング心理学における「影」だ。河合隼雄の著書に『影の現象学』があるので、一読をお勧めしたい。詳しい解説は下記事に書いた。

 ・ 〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その3〉影・トリックスター・ヌミノース 2019.06.07  

「影」はひとの無意識の中にあり、本能に結びついたこころの原初的なイメージ=元型(Archetype)の一つだが、『街とその不確かな壁』第二部に登場する図書館の前館長・子易さんは元型における「老賢人」だし、イエロー・サブマリンの少年は「子供(永遠の少年)」。そしてきみ(直子)は「アニマ」だ。

 ・ 〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その2〉太母・老賢人・子供・アニマ・アニムス・ペルソナ 2019.06.06

「影」のもう一つの解釈として20世紀末ウィーンの文化を代表する作家フーゴ・フォン・ホーフマンスタールが書いた『影のない女』に触れておきたい。リヒャルト・シュトラウスが作曲したオペラの台本だが、小説版もあり、内容は若干異なる。村上春樹は『騎士団長殺し』の中でリヒャルト・シュトラウスの歌劇『ばらの騎士』を登場させており、『ばらの騎士』の台本を執筆したのもホーフマンスタールである。『影のない女』のあらすじはこうだ。

東方の皇帝は狩りの途上でガゼル(羚羊)に変身していた霊界の大王カイコバートの娘を捕らえ、人の姿に戻った彼女を妻にする。しかしカイコバートの呪いにより、結婚から12ヵ月以内に皇后に影が出来なければ皇帝は石の体と化してしまうと宣告される。また影がないと后は子供を産めない。乳母は彼女に「人間の世界に降りてゆくと影が手に入る」と教える。二人は下界に降り、子供を欲しいと思っていない染物師の若い妻から影を得ようと画策する。

つまり「影」は〈子供を生む=自分の遺伝子を転写・複製する〉能力のメタファーになっている。霊界の住人は「影」を持つ必要がない。なぜなら永遠の命を有しているから。一方、人間は命が有限だから次世代に遺伝子をつなぐために「影」が必要なのだ。

フランスの構造人類学者レヴィ=ストロースは「神話論理」四部作の中で次のように語っている。

神話とは自然から文化への移行を語るものであり、神話の目的はただ一つの問題、すなわち連続不連続のあいだの調停である。

この原理はそのまま『影のない女』と『街とその不確かな壁』に当てはまる。人間は「影」を持つが故に不連続(mortal)であり、「影」を切離すことによって連続する(immortal)存在=「街」の住人になれる。人間の寿命を超えて生き続けるドラキュラ(や、ポーの一族)にも「影」はないし、生殖能力もない。

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興味深いことに宮崎駿監督の新作アニメ『君たちはどう生きるか』も『街とその不確かな壁』と似た構造を持っている。主人公の少年・眞人は大伯父が建てた塔がある洋館に入っていくが、ここは「街」と同じく集合的無意識のメタファーであり、塔の中で彼は時空を超えた人物たち(明治時代に生きた大伯父や若き日の母など)と出会うことになる。

 ・ 【考察】完全解読「君たちはどう生きるか」は宮﨑駿の「8 1/2」(フェデリコ・フェリーニ監督)だ!!
 ・ 
【考察】なぜ「君たちはどう生きるか」は評価が真っ二つなのか?/ユング心理学で宮﨑駿のこころの深層を読み解く

村上春樹は若い頃から子供を作らないと決めていた。今までに生み出して来た作品群こそが彼の子供たちと言えるだろう(つまり〈夢読み〉とは小説を書く彼自身のことだ)。ただ『街とその不確かな壁』に登場するイエロー・サブマリンの少年の描写を読んでいると、やっぱり息子が欲しかったんじゃないかな。そんな苦い後悔がちょっぴり滲み出しているように感じるのは、果たして僕だけだろうか?

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2023年10月15日 (日)

石丸幹二・安蘭けい・井上芳雄 /ミュージカル「ラグタイム」待望の日本初演!

10月5日(木)および7日(土)に梅田芸術劇場でミュージカル『ラグライム』を観劇した。待望の日本初演である。実に25年待った甲斐があった。

出演は石丸幹二(ターテ)、安蘭けい(マザー)、井上芳雄(コールハウス・ウォーカー・Jr)、遥海(サラ)、綺咲愛里(イヴリン・ネズビット)、EXILE NESMITH (ブッカー・T・ワシントン)ほか。

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このミュージカルは1996年にまずトロントで幕を上げ、ブロードウェイ初演が98年。本作にとって実に不運だったのは同じ年に初演されたディズニーの『ライオンキング』と競合してしまったこと。トニー賞では13部門にノミネートされたが、受賞出来たのはミュージカル脚本賞・オリジナル楽曲賞・助演女優賞(オードラ・マクドナルド)・編曲賞の4部門にとどまった。一方で『ライオンキング』は作品賞・演出賞・振付賞など主要6部門を攫った。結局『ライオンキング』の凄まじい人気に気圧され、2年間の興行で閉幕してしまう(トニー賞において作品賞を受賞出来るかどうかでブロードウェイの興行は大きく左右される)。もし初演の年が違っていたらミュージカル作品賞を受賞出来た筈だ。

脚本はテレンス・マクナリー。ミュージカル『蜘蛛女のキス』やストレート・プレイ『マスター・クラス』などで4回トニー賞を受賞している。また作詞:リン・アレンズ/作曲:スティーヴン・フラハティはミュージカル『アナスタシア』や『スーシカル』(ドクター・スースが描いた絵本が原作)でもコンビを組んでいる。今回の演出は藤田俊太郎。ミュージカル『ジャージー・ボーイズ』や『NINE』『VIOLET』の演出で読売演劇大賞の最優秀作品賞・最優秀演出賞、菊田一夫演劇賞などを受賞した俊英である。

本作に出会ったのは1998年6月7日に開催されたトニー賞授賞式のパフォーマンスである(動画はこちら)。その日僕は大阪・近鉄劇場で上演されていた『蜘蛛女のキス』(演出:ハロルド・プリンス、出演:市村正親・麻実れい・宮川浩)と、劇団四季の『ドリーミング』@MBS劇場を観に来ていて(当時は岡山県・岡山市に住んでいた)、宿泊していた梅田OSホテル(2021年12月31日に廃業)でテレビ中継を観た(近鉄劇場もMBS劇場も今はない)。オリジナル・キャスト版のCDも買って繰り返し聴いた。特にサラを演じたオードラ・マクドナルドとコールハウス・ウォーカー・Jr役のブライアン・ストークス・ミッチェルの歌唱が圧巻だった(動画はこちら)。

オードラ・マクドナルドは現在までにトニー賞を6回(!)受賞している。ミュージカルだけではなくストレート・プレイも含まれるのだから何ともはやである。言うまでもなく史上最多受賞者だ。彼女の演技を見たかったら現在Disney+から配信されている『アニー』(1999年ディズニーが製作したテレビ映画)がお勧め。ウォーバックス氏の秘書を演じている。ブライアン・ストークス・ミッチェルは『キス・ミー・ケイト』などでトニー賞2回受賞。『ラグタイム』もミュージカル主演男優賞にノミネートされたが、この時は相手が悪かった。結局勝利を手にしたのは『キャバレー』でM.C.を演じたアラン・カミングだった(動画はこちら)。なおアラン・カミングも1999年版『アニー』に出演している。

当時僕は、劇団四季の演出家:浅利慶太が『ラグタイム』の日本での上演を検討しているという噂を耳にしていた。四季に所属していた石丸幹二がブロードウェイ初演を観ているのも、恐らく視察目的で劇団から派遣されたのだろう。しかし結局、浅利は断念したと風の便りに聞いた(海外視察はしたが劇団四季が上演しなかった他の作品にロイド・ウェバーの『サンセット大通り』や1999年ベルリン初演版『ノートルダムの鐘』などがある。ディズニーの『ノートルダムの鐘』は後に大幅に改訂されたヴァージョンがアメリカで上演され、こちらが日本で採用された)。

『ラグタイム』が日本で上演困難だった最大の理由は民族の衝突をテーマにしているからだ。冒頭のナンバーではWASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント)、ラトビアなど北欧や東欧から舶来したユダヤ系移民、そして黒人(アフリカ系アメリカ人)の3つのグループに分かれてアンサンブル(重唱)が展開される。これを日本人だけで表現するにはかなり無理がある。

同じ問題を抱えているのが『ウエストサイド物語』だ。こちらはポーランド系アメリカ人で構成される「ジェット団」とプエルトリコ系「シャーク団」の抗争が描かれる。僕は1999年宝塚星組公演(稔幸・星奈優里・絵麻緒ゆう・彩輝直)を観たのだが、見分けをつけるために「シャーク団」は黒塗りのメイクで、かなり違和感を覚えた。宝塚版『ハウ・トゥー・サクシード』の社長秘書ミス・ジョーンズ(黒人)の扮装も、まるでミンストレル・ショー(顔を黒く塗った白人によって演じられた踊りや音楽)でいただけない。気持ちが萎えた。

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 ・【永久保存版】どれだけ知ってる?「ウエスト・サイド・ストーリー」をめぐる意外な豆知識 ( From Stage to Screen ) 2021.12.01

同様に、多様性(diversity)がテーマであるミュージカル『RENT』も山本耕史が主演した日本初演を観たが、やはり日本人だけで作品に込められた想いを表現するのは到底不可能だという結論に達した。これ、ファイナル・アンサー。

 ・ 映画「チック、チック…ブーン!」を語る前に、ミュージカル「RENT/レント」について触れない訳にはいかない。 2021.12.23

しかし鬼才・藤田俊太郎は『ラグタイム』が我々に投げかける高度な難問に見事な正解を出した。井上芳雄ら黒人役のメイクはドーランを塗っているが黒塗りではないという程度に抑えられている。肌の色ではなく衣装で3グループのコントラストを鮮やかに際立たせた。「あっぱれ!」と、僕は快哉を叫びたくなった。

ブッカー・T・ワシントン(黒人運動指導者・教育家)やイヴリン・ネズビット(建築家スタンリー・ホワイトの愛人)、エマ・ゴールドマン(リトアニア生まれのアナキスト)、ハリー・フーディーニ(奇術師)、ヘンリー・フォード(自動車王)、J.P.モルガン(金融王)といった20世紀初頭に実在した有名人が登場するのも楽しい。なお『ラグタイム』の原作小説は『カッコーの巣の上で』『アマデウス』で2回アカデミー監督賞を受賞した、チェコ出身のミロシュ・フォアマン監督が映画化しているのだが、DVDやBlue-rayは未発売で、Amazonプライムから一瞬配信されたのだが現在は観れなくなっているのがとても残念だ。

EXILE NESMITHは父がアメリカ人で母が日本人。遥海(はるみ)は父が日本人で母がフィリピン人。彼女は幼少期から教会でゴスペルを歌っていたという。オードラ・マクドナルドの凄まじい歌声が耳に残っているだけに誰がサラを演じてもそれを凌駕することは出来ないだろうと高を括っていたのだが、遥海の歌唱は遜色なくて度肝を抜かれた。彼女は『RENT』でミミを演じたそうでそれも聴いてみたいし、『ミス・サイゴン』のキム役もピッタリじゃないかな。ちなみにキムのオリジナル・キャスト(ロンドン及びブロードウェイ)、レア・サロンガはフィリピン出身である。

井上芳雄はさすがにブライアン・ストークス・ミッチェルに及ばないが、それでもかなり健闘していた。◯。実力派が揃った他のキャストも文句なし。素晴らしい日本初演になった。『ムーラン・ルージュ』という強力なライバルが居るが、本作が読売演劇大賞か菊田一夫演劇賞を受賞することを切に願う。再演も絶対観るからね!日本で上演してくれて本当にありがとう。

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2023年10月11日 (水)

柳家喬太郎 なにわ独演会 2023

9月23日(祝)ドーンセンターホール@大阪市へ。柳家喬太郎の落語を聴く。

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昼の部

 ・柳家喬太郎:転宅
 ・三増紋之助:江戸曲独楽
 ・柳家喬太郎:残酷なまんじゅうこわい

夜の部

 ・柳家喬太郎:品川心中
 ・三増紋之助:江戸曲独楽
 ・柳家喬太郎:明日に架ける橋

『残酷なまんじゅうこわい』は古典落語のパスティーシュ。そういう意味ではウルトラマン落語『抜けガヴァドン』(作:喬太郎)に近い。途中までは『まんじゅうこわい』のまんま噺が進行するのだが、次第に『バトル・ロワイヤル』の様相を呈してきて、最後は『そして誰もいなくなった』。傑作。

『明日に架ける橋』は2007年9月24日に安田生命ホールで行なわれたSWAの“朝の夕焼け”をテーマにした公演で生まれた新作。春風亭昇太が口演したりもしているらしい。1996年にフジテレビで放送された長瀬智也・酒井美紀主演のドラマ『白線流し』が引用されている。なんだか懐かしかった。

長瀬くんは本当に素晴らしい役者だった。2021年ジャニーズ事務所を退所後は「裏方になる」と宣言し事実上芸能界引退状態だが、現在ジャニーズは機能不全に陥っているし、今後干渉されることもないだろうから是非現役復帰して欲しい。才能が惜しいよ(特にクドカンと組んだTVドラマ『タイガー&ドラゴン』と『うぬぼれ刑事』が好き♡前者は落語家が主人公で、後者は向田邦子賞を受賞した)。

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山崎育三郎(主演)ミュージカル「ファインディング・ネバーランド」

6月9日(金)梅田芸術劇場へ。『ファインディング・ネバーランド』を観劇。主な出演者は山崎育三郎、濱田めぐみ、武田真治、夢咲ねね、杜けあき。

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『ピーターパン』の作者である劇作家ジェームズ・バリが主人公。彼と、ある母子との交流が『ピーターパン』誕生秘話に絡めて描かれる。アラン・ニーの戯曲『The Man Who Was Peter Pan 』を原作とし、2004年(日本では2005年)に公開されたマーク・フォースター監督、ジョニー・デップ、ケイト・ウィンスレット主演による同名の映画(邦題『ネバーランド』)を元に創られた舞台ミュージカル。

映画は公開当時劇場で観たが、正直退屈な作品だった。しかしミュージカル版は意外に良かった。やはり音楽の力なのだろう。

山崎育三郎はようやく、代表作を手にしたのではないだろうか?だって『モーツァルト!』も『ロミオ&ジュリエット』も『エリザベート』も、基本ダブルあるいはトリプル・キャストであり、「育三郎の」作品とは言えないから。堂々たる座長ぶりだった。

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2023年10月 6日 (金)

村上春樹「街とその不確かな壁」をめぐる冒険(直子再び/デタッチメント↔コミットメント/新海誠とセカイ系/兵庫県・芦屋市の川と海)

2023年4月13日に村上春樹の新作長編小説『街とその不確かな壁』が出版された当初、余り良い評判を聞かなかった。しかし実際に読んでみると心の奥深く突き刺さった。僕が一番好な村上作品は従来『ノルウェイの森』だったのだが、その感動を上回った。最高傑作だと思う。一応今まで読んだものを挙げておく。

長編小説:『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

短編集:『カンガルー日和』『蛍・納屋を焼く・その他の短編』『神の子どもたちはみな踊る』『女のいない男たち』

随筆・紀行文:『映画をめぐる冒険』『ザ・スコット・ジェラルド・ブック』『ポートレイト・イン・ジャズ』『辺境・近境』

対談:『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』

2013年に出版された『色彩を持たない多崎つくると…』が心底つまらなく、救いようのない駄作だったので「村上春樹は最早オワコンか」と大いに落胆したものだが、杞憂だった。

新作で一番びっくりしたのは『ノルウェイの森』の直子がまたまた登場したことである。なんと彼女の物語はまだ決着がついていなかったのだ!

直子(と思しき女の子)はまず村上春樹の処女作『風の歌を聴け』で次のような記述として現れる。この時点で名前は明かされていない。

 僕はこれまでに三人の女の子と寝た。 (中略)
 三人目の相手は大学の図書館で知り合った仏文科の女子学生だったが、彼女は翌年の春休みにテニス・コートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で首を吊って死んだ。

続く『1973年のピンボール』(1980年刊行)では直子という名前を与えられ、1969年に大学生の「僕」(20歳)と付き合っている。早稲田大学のキャンパスは折しも学生運動で騒然としていた(この年に東大安田講堂事件があった)。しかしそれから4年経過した73年に直子は既に死んでおり、主人公は彼女が生前語っていた故郷の街に足を運ぶ。

村上春樹は1949年1月12日に京都市に生まれたが、生後すぐ兵庫県西宮市夙川に転居し、ここで小学校を卒業した(国語の教師だった父親が私立甲陽学院中学校に赴任したため)。さらに中学1年生のとき芦屋市に引っ越している(夙川と芦屋は阪神/阪急電車で1駅くらいの距離)。そして兵庫県立神戸高等学校に入学(阪急・芦屋川駅から最寄りの王寺公園駅まで12分)、1968年には早稲田大学第一文学部に合格した。

芦屋市は海岸地区を埋め立てて住宅都市を建設する計画した。村上が上京した翌69年から工事が始まり、74年ごろにほぼ終わった(写真こちら)。78年が舞台となる『羊をめぐる冒険』(1982年刊行)で彼が幼い頃海水浴をしたという芦屋浜は50mの砂浜を残し、すっかり失われてしまっていた。『羊をめぐる冒険』は次のような喪失感に満ちた文章で締めくくられる。

 僕は川に沿って河口まで歩き、最後に残された五十メートルの砂浜に腰を下ろし、二時間泣いた。そんなに泣いたのは生まれてはじめてだった。二時間泣いてからやっと立ち上がることができた。どこに行けばいいのかはわからなかったけど、とにかく僕は立ち上がり、ズボンについた細かい砂を払った。 
 日はすっかり暮れていて、歩き始めると背中に小さな波の音が聞こえた。

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その芦屋浜である。

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1983年に発表された短編『蛍』で遂に直子の物語が本格的に語られるが、名前は与えられていない。心を病んだ彼女は「大学をとりあえず一年間休学し、京都の山の中にある療養所に落ちつくことにします」という手紙を残し、主人公の元を去る。

そして『蛍』を拡張した物語が『ノルウェイの森』だ。因みにドビュッシーのピアノ曲集『版画』の中の一曲「雨の庭」(Jardins sous la pluie)に由来する『雨の中の庭』というタイトルで書き始められたが、原稿を版元に渡す直前に妻の意見を受け入れ『ノルウェイの森』に改められた。ところで新海誠監督のアニメーション映画『言の葉の庭』って『雨の中の庭』を意識していると思いません?雨の新宿御苑が舞台となっているし、2箇所の『の』の位置も同じ。そして劇中雨でずぶ濡れになったユキノの「わたしたち、泳いで川を渡ってきたみたいね」という台詞は『ノルウェイの森』からの引用である(“「ねえ、私たちなんだか川を泳いで渡ってきたみたいよ」と緑が笑いながら言った”)。なお新海の『秒速5センチメートル』ではヒロイン・明里が駅のプラットホームで村上の『蛍・納屋を焼く・その他の短編』を読んでいる。

 ・ 時は来た(This Is the Moment)!今こそ語り尽くそう〜新海誠「秒速5センチメートル」超マニアック講座 

『街とその不確かな壁』で、十七歳の「ぼく」と十六歳の「きみ」は高校生エッセイ・コンクールの表彰式で出会う。離れた街に住む二人は手紙を幾つも交換し、やがてデートするようになる。その様子が次のように書かれている。

 その夏の夕方、ぼくらは甘い草の匂いを嗅ぎながら、川の上流へと遡っていった。流砂止めの小さな滝を何度か越え、時折立ち止まって、溜まりを泳ぐ細い銀色の魚たちを眺めた。二人ともしばらく前から素足になっていた。澄んだ水がひやりと踝(くるぶし)を洗い、川底の細かい砂地が二人の足を包んだー夢の中の柔らかな雲のように。ぼくは十七歳で、きみはひとつ年下だった。

 川にかかるいくつかの橋の下をくぐり、流れの浅いところを辿って歩き続けた。そのあいだ誰ともすれ違わなかった。途中で目にしたのは何匹かの小ぶりな蛙たちと、石の上にじっとたたずんでいる一羽の白鷺だけだ。その鳥は一本足で立ったまま身動きひとつせず、怠りなく川面を監視していた。

これは紛れもなく、芦屋川の描写だろう。その河口に芦屋浜がある。

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芦屋川にはアユやウナギ、モクズガニなどが生息しているそう。また6月上旬には上流でゲンジホタルを見られるという。

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小説の描写どおり白鷺がいた。

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『街とその不確かな壁』の「きみ」はやがていなくなり、音信不通となる(恐らく首を吊って自殺したのだろう)。「きみ」が以前語っていた、夢の中に出てくる高い壁に囲まれた「街」に「ぼく」は行きたいと願い、そして遂にたどり着く。そこの図書館で本当の「きみ」が働いている(十六歳の「きみ」は「ぼく」に、今ここにいるのは本当のわたしの「身代わり」であって、「ただの移ろう影のようなもの」だと言った)。その「街」にある図書館は第一部で次のように描写される。

 これという特徴のない石造りの古い建物だ。(中略)入り口には何の表示も掲げられておらず、知らない人にはそれが図書館だとはわからないようになっていた。「16」という数字が刻まれた真鍮のプレートが、素っ気なく打ち付けられているだけだ。プレートは変色し、字は読みづらかった。
 重い木製の扉は深く軋みながら内側に開き、奥には薄暗い正方形の部屋があった。(中略)縦長の窓が二つあり、家具はひとつも置かれていない。

これは学生時代に村上がよく利用したという芦屋市立図書館打出分室がモデルと思われる。残念ながら現在改修工事中で、中に入ることは出来ない。

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石造りの外壁が蔦で覆われ、とても素敵な雰囲気だ。

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写真では分かり辛いが入り口に「真鍮のプレート」が掲げられており、「縦長の窓が二つ」ある。在りし日の姿はこちら。小川洋子の小説『ミーナの行進』にも登場する。

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村上のデビュー作『風の歌を聴け』で「猿の檻(おり)のある公園」として登場する打出公園はこの図書館に隣接する場所にある。「僕」と「鼠」の出会いの場面だ。打出公園も工事中で猿の檻は2023年に取り壊された。

航空写真で見てみよう。

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写真上方「旧松山家住宅松濤(しょうとう)館」と書かれた建物が図書館だ。床が「正方形」になっている

また写真下方(図書館の南側)に打出公園があり、撤去前の猿の檻も見える。

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公園がリニューアルされた後、猿の檻があった場所に記念碑が建てられる予定らしい。なお『街とその不確かな壁』第二部で現実世界に戻った主人公が、館長として赴任する図書館は福島県南会津町図書館だと特定されている(記事はこちら)。

村上春樹はその創作活動の前半、〈デタッチメントの作家〉と呼ばれた。登場人物たちは概ね、社会と関わろうとしなかった。『ノルウェイの森』の主人公が、学生運動から距離をとっていた(detach:切り離す)ように。

しかし彼は1995年にその姿勢を大きく変更した。この年の1月17日に阪神淡路大震災が発生し、3月20日にオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こした。村上は地下鉄サリン事件の関係者62人にインタビューを重ねノンフィクション『アンダーグラウンド』を上梓し、連作短編小説集『神の子どもたちはみな踊る』では阪神淡路大震災をテーマに取り上げた(新興宗教の話もある)。〈コミットメントの作家〉への転換である(commit:責任感を持って取り組む)。

新海誠は村上春樹の小説に多大な影響を受けたアニメーション作家である。2002年の処女作『ほしのこえ』から彼は“セカイ系の旗手”と呼ばれてきた。「世界の終わりに通じるような大惨事が、"ぼくときみ"というふたりの男女の恋愛関係に収斂されていく」というのがセカイ系の定義だ。これはそのまま〈デタッチメントの作家〉村上春樹の前期作品に当てはまる。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』なんてタイトルからして“セカイ系”そのものである。

『街とその不確かな壁』第一部は1980年に文芸雑誌「文學界」9月号に掲載された中編小説『街と、その不確かな壁』に基づいている(村上は「あれは失敗」として、彼の意向で単行本や全集にも一切収録されていない)。つまり『1973年のピンボール』に続く作品であり、それを拡張した今回の新作は村上が〈コミットメント〉から〈デタッチメントの作家〉に返り咲いた(原点回帰した)とも言えるだろう。だから僕はこれを読みながら「新海誠のアニメにそっくりだ!」と感じたので、なんだか可笑しかった(本当は順序が逆なのに)。それも初期作品『雲のむこう、約束の場所』とか『秒速5センチメートル』の雰囲気にすごく近い。新海も川村元気プロデューサーと出会うことによって〈デタッチメント〉から〈コミットメントの作家〉に大きく舵を切ったのである(『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締まり』)。また東日本大震災の体験も大きかっただろう。

 ・「君の名は。」劇場用パンフレット第2弾登場!〜新海監督が質問に答えてくださいました。 2016.12.13
 ・「天気の子」劇場用パンフレット第2弾登場!〜新海誠監督が質問に答えてくださいました。 2019.09.17
 ・「すずめの戸締まり」公開初日鑑賞報告!/【考察】どうして新海誠はセカイ系であり続けるのか?/村上春樹・高橋留美子との接点

『街とその不確かな壁』にはイエロー・サブマリンのヨットパーカーを着た、痩せた小柄な少年が登場する。金属縁の丸い眼鏡をかけている。間違いなくジョン・レノンのイメージだ。

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そしてジョンが作詞・作曲したビートルズの『ノルウェイの森』に繋がっている。

村上の小説『ノルウェイの森』の主人公は、直子の自殺によって絶望を味わうのだが、彼の魂を救うのが大学で出会った緑だ。作者は否定しているが緑のモデルが陽子夫人であることは論をまたない。ふたりは早稲田大学で知り合い、村上が22歳のときに学生結婚をした。そして親から借金をしてジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開店する。

しかし『街とその不確かな壁』に緑に相当する人物は登場しない。陽子夫人はこの小説を読んで、どう思っただろう?

さて本当は村上春樹と河合隼雄、さらにはユング心理学との関係にも触れたかったのだが余りにも長くなってしまった。続きはこちら ↓ の記事で。

  ・ 村上春樹「街とその不確かな壁」とユング心理学/「影」とは何か?/「君たちはどう生きるか」との関係

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