ネタバレ前提で語ります。ご注意ください。
・ 謎に包まれた宮崎駿監督の新作「君たちはどう生きるか」最速レビュー 2023.07.14
〈タイトルに込められた思い〉
本作は宮﨑駿(以下「宮さん」と呼ぶ)の「俺はこう生きた。君たちはどうするんだ」という我々観客、あるいは庵野秀明・細田守・新海誠ら後進のアニメーション作家に対する問いなのだろう。『君たちはどう生きるか』は1937年に刊行された吉野源三郎の小説で、映画の主人公・眞人がこの本を読み涙する場面はあるが、内容的にはほとんど関係がないと言って差し支えない(鈴木敏夫プロデューサーもそう断言している)。タイトルを拝借しただけ。むしろ筋書きは宮さんが帯に推薦文を書いたジョン・コナリー著『失われたものたちの本』(田内志文訳、創元推理文庫)に寄り添っている。鈴木プロデューサーは次のように語った。
「宮さんが一冊の本をぼくに提示した。『読んでみて下さい』。アイルランド人が書いた児童文学だった」(『スタジオジブリ物語』)
そして宮さんは『失われたものたちの本』に自分の体験を重ねた。彼は1941年東京生まれ。一族が経営する宮崎航空機製作所は数千人の従業員を擁したそう。太平洋戦争が始まり製作所が移転したために幼児期に家族で宇都宮に疎開し、小学校3年生まで暮らした。父の会社は零戦の風防(キャノピー:航空機の操縦席を覆う窓のこと)を作っていた。「戦争中なのに裕福だった」という。また彼が6歳のときから母は脊椎カリエス(結核菌が脊椎へ感染した病気)を患い、寝たきりの生活を送っていた。そんなある日「おかあさん、おんぶして」とねだると、「それは出来ないのよ」 と断られてしまう。そして次第に「本当に自分は母親に愛されているんだろうか」「自分は生まれてこなければ良かったんだじゃないか」と思い詰めるようになる。これらのエピソードが今回の映画に投影されている。つまり本作の主人公・眞人は少年時代の宮さんの分身である。
と同時に眞人の大伯父も現在の年老いた自己の分身と言える。映画に登場する異世界は大伯父が空から降ってきた飛行石と契約を結び(ハウルとカルシファーの関係を想起させる)創ったものという設定だ。異世界=大伯父の無意識・夢・願望の産物。そこに眞人やヒミ(眞人の母親の少女時代)、夏子(ヒミの妹/眞人の新しい母親)が現実逃避するための避難所・安全地帯という意味合いも重ねられ、心的複合体(complex)になっている。
〈『8 1/2』と宮﨑駿〉
〈大伯父=アーティスト=宮﨑駿〉と見立てれば、〈異世界=アート(imaginationの総体)=宮さんがこれまでに仲間たちと創造したアニメーション作品群〉となるだろう。つまり本作は宮﨑駿版『8 1/2』なのだ。
フェデリコ・フェリーニ監督『8 1/2』は1963年のイタリア映画。米アカデミー賞の外国語映画賞(現在の名称は国際長編映画賞)を受賞し、日本ではキネマ旬報ベストテンで外国語映画第1位に選出された。後世に多大な影響を与えた作品で、カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いたボブ・フォッシー監督『オール・ザット・ジャズ』や北野武『監督・ばんざい!』、ウディ・アレン『地球は女で回っている』も『8 1/2』の明白なパスティーシュである。こんな話だ。フェリーニの分身である映画監督グイドが主人公。新作映画を撮ろうとするグイドの混乱と焦燥、幻想、少年期の追想などが混沌とした状態で描かれる。8 1/2とは、本作がフェリーニが単独で監督した長編映画8作目であり、さらに処女作『寄席の脚光』がアルベルト・ラットゥアーダと共同監督だったため半分(1/2)とカウントしている。『8 1/2』は後にブロードウェイ・ミュージカル『NINE』に生まれ変わり、アカデミー作品賞を受賞した『シカゴ』や実写版『リトル・マーメイド』のロブ・マーシャル監督が映画化した。どうして半分(1/2)増えたかといえば、歌と踊りが加わったからである。
・ 城田優(主演)ミュージカル「NINE」 2020.12.10
・ ミュージカル映画「NINE」と冬季オリンピック 2010.03.22
2023年6月18日に放送されたTOKYO FM『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』〜「日本テレビとジブリ」についての座談会(その2)で、鈴木プロデューサーは宮﨑駿に『8 1/2』『魂のジュリエッタ』などフェリーニの映画を3本紹介したと語った。宮さんは最初から最後まで瞬き一つせず全部観た。そして観終わった瞬間「これ誰?俺と同じこと考えている奴がいる」と言った。
大伯父が積む13個の積木は宮﨑駿が今までに監督したアニメーション映画のメタファーだというのが既に『君たちはどう生きるか』を観たレビュアーたちの一致した意見(consensus)だ。しかし『ルパン三世 カリオストロの城』から『君たちはどう生きるか』まで長編映画が12本。残る1本は?という点で意見が割れている。高畑勲が監督し宮さんが原作・脚本・画面設定を担当した『パンダコパンダ』を挙げる人、宮さんが監督した短編映画『On Your Mark』(上映時間6分48秒/『耳をすませば』と併映)、あるいは近藤喜文が監督し宮さんが製作・脚本・絵コンテ・主題歌『カントリー・ロード』の補作詞まで手掛けた『耳をすませば』だと言う人もいる。僕の見解を述べれば『8 1/2』的に数えると『On Your Mark』単独だと1/2〜1/10くらいにしかならないので、『On Your Mark』+『耳をすませば』で1本(あるいは脚本などで宮さんが関わった『借りぐらしのアリエッティ』や『コクリコ坂から』を加えても良いだろう)といった具合に、合わせ技・複合体(complex)としてカウントしているのではないだろうか?
〈サギ男とは何者か?〉
青鷺火(あおさぎび)という言葉がある。サギの体が夜間、青白く発光するという怪現象のことだ。つまりサギは人をあやかす存在である。
本作に於けるサギ男(青サギ)は現世と異世界を行き来するトリックスターの役割を果たす。いたずら者のトリックスターは境界に存在する。シェイクスピア『夏の夜の夢』の妖精パック、『ふしぎの国のアリス』の白うさぎ、『ピーターパン』のティンカーベル、『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラム、『古事記』『日本書紀』のスサノオ(須佐之男命)、ゲーテ『ファウスト』のメフィストフェレスなどが該当する。詳しくは下記事に書いた。
・ 〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その3〉影・トリックスター・ヌミノース 2019.06.07
サギ男とは、ズバリ鈴木敏夫プロデューサーのメタファーだろう。〈サギ=詐欺〉というダブルミーニングも含まれており、「俺は鈴木さんに騙されてこんな世界に飛び込んでしまった!」という思いもあるだろう。また大きな鼻は〈手塚治虫=その分身である『火の鳥』の猿田=お茶の水博士〉を連想させ、幼い頃強い影響を受けた手塚も多少入っているかも知れない(アニメーション作家としての手塚を宮さんは決して認めないが、先達であるという事実からは逃れられない)。
〈母の死因は空襲?それとも戦争と無関係な火事?〉
僕は劇中の会話に出てくる通り眞人の母は火事で死んだのだと思っていたのだが、映画のレビューに「空襲で死んだ」と書いている人が沢山いるので驚いた。上空を飛ぶ戦闘機なんか全く描かれていないし!
引越し先で眞人の父親がサイパン陥落の話をしているからその終結が1944年7月9日。東京都が空襲を受けるのは1944年11月24日から45年8月15日まで計106回。だから時期が合わない。故に空襲による火災ではないだろう。
〈ダンテ『神曲』再び〉
眞人は大伯父が残した塔に入り、そこが異世界に繋がっているのだが、塔の入り口に"FECEMI LA DIVINA POTESTATE"と文字が刻まれている。これはダンテ『神曲』の地獄の門に書かれた碑文の一部であり、"LA SOMMA SAPIENZA E 'L PRIMO AMORE."と続く。〈聖なる威力(神威)、比類なき叡智、そして原初の愛は、わたしを創った〉という意味。映画に登場する文だけ抜き取ると〈聖なる威力はわたしを創った〉となる。物語上、聖なる威力とは飛行石のことである。しかし、この世界には愛が欠けている。
ダンテの『神曲』は宮さんが引退詐欺をしでかした『風立ちぬ』でも引用されている。『神曲』は地獄篇・煉獄篇・天国篇の3部から成る。煉獄とは地獄と天国の間にある世界。『風立ちぬ』のラストシーンで堀越二郎(=ダンテ)はカプローニ(=詩人ウェルギリウス)と一緒に煉獄にいる。そこに天国から菜穂子(=ベアトリーチェ)が現れる。絵コンテで彼女は「来て」と言うが、鈴木プロデューサーと庵野秀明の意見を聞き入れ最終的に「生きて」に変わった。
『君たちはどう生きるか』の異世界も地獄から始まり、眞人は大伯父のいる天国まで上って行く。案内役のサギ男=ウェルギウスであり、若き日の母ヒミ=ベアトリーチェだ。
〈薔薇が象徴するもの〉
眞人が幽霊塔に入ると最上階に大伯父が現れ、一輪の薔薇の花が落ちてきて砕け散る。『美女と野獣』のように薔薇は魔法を象徴し、魔法の効力が尽きようとしていると読み解くことが出来る。こちらは凡庸な解釈。
もうひとつの可能性は不朽の名作オーソン・ウェルズ監督『市民ケーン』の主人公が死に際に呟く言葉“薔薇の蕾”(Rose Bud)だ。映画のラストシーンでRose Budとはケーンが幼少期に遊んでいた雪橇(そり)に書かれていた絵であることが明らかにされる。それはかけがいのない大切な思い出(彼はその後無理矢理両親から引き離される)。宮さんの記憶に直結している。
〈「我を学ぶものは死す」の意味〉
異世界にある墓の門には「我を学ぶものは死す」と書かれている。絵手紙の創始者・小池邦夫が、師匠の洋画家・中川一政(かずまさ)(1893~1991)から貰った言葉。俺の言う通りにしていたら「亜流・中川」で終わるぞという警鐘だ。息子・宮崎吾朗の初監督作品『ゲド戦記』の試写を観終えた宮さんは鈴木プロデューサーにそっと、こうぼやいた。「(俺の)真似するんなら、元が分かんないようにやれ」
〈インコ大王〉
異世界の恐らく煉獄に相当する場所に、人を食うインコの集団が生活している。そのリーダーがインコ大王(声:國村隼)だ。インコの群衆は「DUCH」と書かれたプラカードを掲げ、大王を讃える。イタリア読みをすれば「ドゥーク」(CHは[k]の音/カ行の子音)。恐らく〈インコの軍隊=ファシスト党〉〈インコ大王=ムッソリーニ〉のメタファーだろう。イタリアの独裁者ムッソリーニは「DUCE(ドゥーチェ)」と呼ばれた。日本語では「統帥(とうすい)/総統/国家指導者」と訳される。
宮さんの『紅の豚』の主人公ポルコ・ロッソはイタリア共産党員として描かれており(だから赤なのだ)、アドリア海を舞台に、敵対するファシスト党との攻防戦が展開される。ダンテ − ムッソリーニ − フェリーニ。イタリア繋がりだ。ついでに言えば『風立ちぬ』に登場するジョヴァンニ・バッティスタ・カプローニもイタリアの航空技術者。
〈死んだ妻の妹と再婚するのは変か?〉
本作を観た観客の多くがこのことに違和感を覚えているようだ。
「出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」によると1940年の見合い結婚率は69.0%、恋愛結婚率は13.4%だった。それが2015年には見合い結婚率が5.5%、恋愛結婚率が87.7%になった(詳しくはこちら)。つまり現在と異なり、戦時下では恋愛結婚のほうが珍しかった。男と女は「家(一族)」を守るために婚姻を結んだ。例えば夫が戦死したために、未亡人がその弟と再婚させられることはしばしばあった。いわば政略結婚である。
〈キリコのモデル〉
異世界で喧嘩ばかりしていた眞人とサギ男はキリコの仲介で和解する。キリコのモデルは『太陽の王子 ホルスの大冒険』から『風立ちぬ』まで宮崎駿を支えた、色彩設定の保田道世(1939-2016)だと鈴木プロデューサーはラジオで明言している。宮さんは彼女のことを「戦友」と評した。またキリコという名前は『失われたものたちの本』で主人公を助ける“木こり”のアナグラムになっている。
〈生まれ変わり〉
〈ワラワラ〉が子どもとして生まれるために昇天する様子を見ながらキリコは「いっぱい食べさてやれて良かった」と言い、涙を流す。僕が想像するに、〈ワラワラ〉の前世はひもじくて餓死した子どもたちだったのではないだろうか?『火垂るの墓』の節子のように。
キリコの着物の柄は輪廻転生を象徴している。アニメ『魔法少女まどかマギカ』における円環の理(ことわり)ね。
なお『君たちはどう生きるか』から宮さんは名字の宮崎を崎から﨑に改名している。つまり「俺は〈ワラワラ〉みたいに生まれ変わった。まだまだやるぞ~」という決意表明だ。もう既に次回作の企画書を鈴木プロデューサーに提出したらしい。終わらない人 宮﨑駿。
・ 【考察】なぜ「君たちはどう生きるか」は評価が真っ二つなのか?/ユング心理学で宮﨑駿のこころの深層を読み解く
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