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2023年7月

2023年7月28日 (金)

【考察】なぜ「君たちはどう生きるか」は評価が真っ二つなのか?/ユング心理学で宮﨑駿のこころの深層を読み解く

ネタバレ前提で語ります。ご注意ください。また下記も併せてご一読ください。

 ・ 謎に包まれた宮崎駿監督の新作「君たちはどう生きるか」最速レビュー
 ・ 【考察】完全解読「君たちはどう生きるか」は宮﨑駿の「8 1/2」(フェデリコ・フェリーニ監督)だ!!

名字をからに改名した新生・宮﨑駿監督『君たちはどう生きるか』は賛否両論、面白いくらい評価が真っ二つである。公開から一週間後、「Yahoo!映画」で最高の5つ星をつけたユーサーが30%、星1つは36%、5点満点で平均2.9点だった。

これだけ極端に分かれる理由の一つに、主人公の少年が寡黙で、彼の感情の動きが読み取り難いことが挙げられるだろう。特に新しい母となる、夏子と対面してしばらくは、ほぼ無言である。だから彼が自傷行為をして額からおびただしい血を流す場面で観客はギョッとするのだ。想像力を駆使しなければ理解出来ない。そこに描かれないこと、語られない気持ちを頭の中で補わなければならない。

宮さんの前作『風立ちぬ』の主人公・堀越二郎も寡黙な人で、公開当時はやはり賛否両論だった。そのことについて下記事で論じた。

 ・ 想像力についての考察(「風立ちぬ」「桐島」そして「秒速5センチメートル」を巡って) 2013.08.23

自分が書いたものを10年ぶりに読み返し、映画『8 1/2』と結びつけて語っていたことに驚いた。すっかり忘れていたのだが、既に『風立ちぬ』の時点で宮崎駿のフェリーニ化現象に無意識のうちに気付いていたのだ。

『君たちはどう生きるか』を観た若い人が「さっぱり理解出来ない」=「詰まらない」と短絡的に思考する理由が僕にも良く判る。だって高校生のときに『8 1/2』を観た僕も全く同じだったから。だから決して諦めないで。これからも沢山の映画を観たり、小説を読んで学ぶ姿勢を持ち続ければ、いつかきっと君は次のフェーズにたどり着ける筈。それが「生きる」ということ。もし自分を磨かなければ……アホな大人になるだけだ。

『君たちはどう生きるか』の異世界は混沌としている。chaosだ。ユング心理学的に言えば集合的無意識に相当する。夢を見ているようなものだから、支離滅裂で論理的ではない。秩序をもたらすのは人の意識・自我である。

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さらに宮さんは〈集合的無意識≒アートの世界≒今まで自分が携わってきたアニメーション映画の総体〉と見なしている。メタファーに満ちているのでひとつひとつの記号(キャラクター・事物)が何を象徴しているのかじっくり考える必要がある。しかし世の中には見たまま、表面的にしか捉えない人々が少なからずいるので、「わけがわからない」「老いぼれたジジイの戯言だ」「退屈して途中で寝た」という感想になってしまう。そういう意味で、不親切な映画であることは確かだ。アートだから。

集合的無意識は時間や空間を超越する共時的世界だ(↔対義語は「通時的」)。過去・現在・未来が同時にそこにある。フェリーニは次のように語っている。

「我々は記憶において構成されている。我々は幼年期に、青年期に、老年期に、そして壮年期に同時に存在している。」

だから『君たちはどう生きるか』で大伯父が塔に入った時期と、少女時代の母が1年間神隠しにあった時期、そして眞人が入ったタイミングは何十年もかけ離れているのに、3人は共存出来るのだ。オーストラリアの先住民・アボリジニの思想〈ドリームタイム(夢の時)〉も同じこと。

 ・ アボリジニの概念〈ドリームタイム〉と深層心理学/量子力学/武満徹の音楽

面白いのは『ふしぎの国のアリス』同様、主人公は下に落ちて異世界に行く。まさに〈こころの深層に潜っていく〉イメージだ。ユング心理学に強い影響を受けた村上春樹の小説『ねじまき鳥クロニクル』で言えば〈深い井戸の底に下りて瞑想する〉ことに相当する(こちらも鳥だ!)。

『君たちはどう生きるか』の大伯父はユング心理学で言うところの集合的(家族的・文化的)無意識 Collective unconsciousの中にある、元型 Archetype のひとつ、老賢人(The Wise Old Man)である。少女時代の母ヒミや、キリコは太母(The Great Mother)。慈しみ、すべてを優しく包み込む良い母親像。育み、支え、成長と豊穣を促進する。母に似た夏子はアニマ(男性が抱く内なる女性像)と太母が融合した姿(心的複合体 Complex)。松本零士「銀河鉄道999」ではメーテルが相当する。ムッソリーニがモデルのインコ大王とその軍隊は影(シャドウ)、そしてサギ男(=鈴木プロデューサー)はトリックスターだ。

 ・ 〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その2〉太母・老賢人・子供・アニマ・アニムス・ペルソナ 2019.06.06
 ・ 〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その3〉影・トリックスター・ヌミノース 2019.06.07

ヒミとキリコは少量のを巧みに操り生活に役立てる。は文化の象徴であり、ギリシャ神話のトリックスター・プロメテウスが天上のを盗み、人類に与えた。しかし、過ぎたるは及ばざるが如し。大火は災いをもたらす。それは眞人の母を焼き尽くした火事の炎であり、『風の谷のナウシカ』で語られる火の七日間だ。勿論、東京大空襲や広島・長崎に落とされた原爆のメタファーとなっている。ことわざにもあるではないか、「馬鹿と鋏は使いよう」。

こうやって腑分けしていけば、そんなに難解な作品ではないでしょう?イマジネーションが溢れ出る、真っ当な傑作だと僕は思う。

人生は祭りだ、共に生きよう!」(E' una festa la vita, viviamola insieme! )  〜映画『8 1/2』より

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2023年7月27日 (木)

大竹しのぶ(主演)ミュージカル「GYPSY ジプシー」

5月4日大阪・森ノ宮ピロティホールで大竹しのぶ主演のミュージカル「GYPSY ジプシー」を観劇した。

共演は生田絵梨花、今井清隆、佐々木大光(7 MEN 侍/ジャニーズJr.) ほか。

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作詞:スティーヴン・ソンドハイム
作曲:ジュール・スタイン
脚本:アーサー・ローレンツ
演出:クリストファー・ラスコム

考えてみればソンドハイムとローレンツは『ウエストサイド物語』でも一緒に仕事をしている。

実在のストリッパー、ジプシー・ローズ・リーの回顧録を元に、“究極のショー・ビジネス・マザー”の代名詞となった母ローズに焦点を当てた作品である。兎に角このローズの個性が強烈で、1959年のブロードウェイ初演で主役を張ったエセル・マーマンも、BS放送で観た1993年製作テレビ映画版のベット・ミドラーもごっつかった。英語で表現するなら、a vivid impression/striking/too much !!といった感じか。

ステージ・ママ(stage mother)の代表として美空ひばりの母・加藤喜美枝、宮沢りえの母・宮沢光子、世界的ヴァイオリニストである五嶋みどりの母・五嶋節などが連想される。

大竹しのぶは想像以上に凄かった。圧巻だった。また元・乃木坂46の生田絵梨花だが、ミュージカル『ロミオ&ジュリエット』の頃の演技は硬かったというか、歌は上手いが台詞はほとんど棒読みだったけれど、なんだか最近どんどん上達してきた。大女優との共演も大いに刺激になったのでは?

先日、読売演劇大賞の中間選考結果発表があり、大竹しのぶが上半期の女優賞ベスト5に選ばれた。ぶっちゃけ最終選考で彼女が受賞するんじゃないかな?それだけのインパクトがあった。

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柿澤勇人(主演)ミュージカル「ジキル&ハイド」

4月20日(木)梅田芸術劇場へ。ミュージカル「ジキル&ハイド」を観劇。

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過去の感想は下記。

 ・ 石丸幹二 主演/ブロードウェイ・ミュージカル「ジキル&ハイド」 2016.03.30
 ・ 
石丸幹二 主演/ミュージカル「ジキル&ハイド」に認める反キリスト(Anti-Christ)思想 2018.04.05

本作の日本初演は2001年で鹿賀丈史が主演した。鹿賀は同役で2005年菊田一夫演劇賞の大賞を受賞している。僕は鹿賀のジキル&ハイドが大嫌いだった。年を取り過ぎ。あの演歌調の、下からすくい上げて音程を合わす歌い方にも虫唾が走る。そもそも菊田一夫演劇賞は東宝が創設したものなので東宝演劇部が製作したプロダクションや宝塚歌劇の演目が受賞する確率が高く、選考にあからさまな忖度があり、余り信用出来ない。芥川賞・直木賞の受賞作が圧倒的に文藝春秋が出版している小説に偏っていることに似ている(だから芥川賞・直木賞が欲しい作家は文藝春秋社から新刊を出す)。

主演が石丸幹二に代わり、漸くマシになった。初めて作品の面白さが理解出来た。そして今回、柿澤勇人(かっきー)の登場である。最高だった!ついでに言うが三谷幸喜が脚本を書いたNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でかっきーが演じた三代将軍・源実朝も素晴らしかった。劇団四季時代、『春のめざめ』のメルヒオール役を観て惚れ込んだ男は本物のスターだった。彼には色気とオーラがある。

 ・ 「春のめざめ」と現代ブロードウェイ・ミュージカル論 2009.09.10

かっきーは現在35歳。やっと『ジキル&ハイド』の主人公の年齢に近づいた。ただ友人のジョン・アンダーソンを演じる石井一孝が55歳で、20歳の年の差は苦しいなと思った。いや、かずさん歌上手いし年齢以外では何の支障もないんだけどね。ルーシー役の笹本玲奈については文句なし。

かっきーはナイーブな人物像を見事に演じ切り、彼の代表作になるのではないだろうか?先日、読売演劇大賞の中間選考結果発表があり、『ジキル&ハイド』のかっきーが上半期の男優賞ベスト5に選ばれた。菊田一夫演劇賞と違って、読売演劇大賞は本物だ。おめでとう!

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2023年7月26日 (水)

坂本昌行(主演)ミュージカル「ザ・ミュージック・マン」

5月13日(土)梅田芸術劇場へ。ミュージカル『ザ・ミュージック・マン』を観劇。

出演は坂本昌行(V6の元リーダー)、花乃まりあ、森 公美子、六角精児 ほか。坂本は『THE BOY FROM OZ』のピーター・アレン役などが評価され、今年の菊田一夫演劇賞を受賞している。

『ザ・ミュージック・マン』は1957年にブロードウェイで初演された。作詞・作曲はメレディス・ウィルソン。同年の『ウエストサイド物語』を押し退けてトニー賞最優秀ミュージカル作品賞、ミュージカル演出賞、ミュージカル主演男優賞(ロバート・プレストン)など5部門を制覇。一方、『ウエストサイド物語』は装置デザイン賞と振付賞の2部門にとどまった。

2022年にはヒュー・ジャックマン(ハロルド・ヒル教授)、サットン・フォスター(マリアン)でブロードウェイ・リバイバル上演が実現している。今回の演出は『ゴッドスペル』ブロードウェイ・リバイバルも手がけたダニエル・ゴールドスタイン、振付はエミリー・モルトビー。

僕は初演のロバート・プレストンが出演した1962年の映画版を観ている。監督は舞台版を演出したモートン・ダコスタ。マリアン役は映画『オクラホマ!』『回転木馬』のシャーリー・ジョーンズ。またウィンスロップという少年役でロン・ハワード(後に『ビューティフル・マインド』でアカデミー監督賞を受賞)が出演している。日本未公開。

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そして2001年8月末にブロードウェイでリバイバル上演を観た。ハロルド・ヒル教授役はクレイグ・ビアーコ。マリアンの本役はレベッカ・ルーカーだが、水曜日のマチネだったので代役(アンダースタディ)だったと記憶している。振付・演出はスーザン・ストローマンで、同時期に彼女が振付・演出した『プロデューサーズ』も公演中。後者はミュージカル作品賞・演出賞・振付賞などトニー賞を12部門受賞し、当時話題をさらった。

僕はネイサン・レイン、マシュー・ブロデリック、ゲイリー・ビーチらオリジナル・キャスト総出演で『プロデューサーズ』を観て抱腹絶倒、大満足だったのだが、正直『ザ・ミュージック・マン』の方は詰まらなかった。演出や振付に冴えを感じなかった。実は『ザ・ミュージック・マン』のチケットは公演当日、タイムズ・スクエアのど真ん中にあり割引で買えるブース・TKTS(チケッツ)で手に入れたのだが、その際にオフ・ブロードウィの『ファンタスティックス』とどちらにするか最後まで迷っていた。『ファンタスティックス』は1960年の初演以降、40年以上に渡り世界最長のロングランを続けているミュージカルだし、次回観ればいいかと高をくくってしまった。しかしその年の9月11日にニューヨークを同時多発テロが襲いブロードウェイに足を運ぶ観光客は激減、『ファンタスティックス』の公演はあえなく翌年の2002年1月13日に閉幕してしまった。後悔先に立たず。僕は選択を誤った。

 ・ これぞミュージカルの原点!「ファンタスティックス」あれこれ(亜門版も)

さて今回のバージョン。すこぶる愉しい作品に仕上がっていた。古臭さも感じなかったし、高揚感に包まれた。坂本昌行は歌唱力に定評があり、「ジャニーズで最も歌がうまい」との呼び声が高いそうなのだが、評判に違わぬパフォーマンスで、人柄(雰囲気)も好感度大だった。ロバート・プレストンと比べても遜色ない。朝海ひかるはいい人と結婚した、と思った。 再演があればまた是非観たい。

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2023年7月22日 (土)

【考察】完全解読「君たちはどう生きるか」は宮﨑駿の「8 1/2」(フェデリコ・フェリーニ監督)だ!!

ネタバレ前提で語ります。ご注意ください。

 ・ 謎に包まれた宮崎駿監督の新作「君たちはどう生きるか」最速レビュー 2023.07.14

〈タイトルに込められた思い〉

本作は宮﨑駿(以下「宮さん」と呼ぶ)の「俺はこう生きた。君たちはどうするんだ」という我々観客、あるいは庵野秀明・細田守・新海誠ら後進のアニメーション作家に対する問いなのだろう。『君たちはどう生きるか』は1937年に刊行された吉野源三郎の小説で、映画の主人公・眞人がこの本を読み涙する場面はあるが、内容的にはほとんど関係がないと言って差し支えない(鈴木敏夫プロデューサーもそう断言している)。タイトルを拝借しただけ。むしろ筋書きは宮さんが帯に推薦文を書いたジョン・コナリー著『失われたものたちの本』(田内志文訳、創元推理文庫)に寄り添っている。鈴木プロデューサーは次のように語った。

「宮さんが一冊の本をぼくに提示した。『読んでみて下さい』。アイルランド人が書いた児童文学だった」(『スタジオジブリ物語』)

そして宮さんは『失われたものたちの本』に自分の体験を重ねた。彼は1941年東京生まれ。一族が経営する宮崎航空機製作所は数千人の従業員を擁したそう。太平洋戦争が始まり製作所が移転したために幼児期に家族で宇都宮に疎開し、小学校3年生まで暮らした。父の会社は零戦の風防(キャノピー:航空機の操縦席を覆う窓のこと)を作っていた。「戦争中なのに裕福だった」という。また彼が6歳のときから母は脊椎カリエス(結核菌が脊椎へ感染した病気)を患い、寝たきりの生活を送っていた。そんなある日「おかあさん、おんぶして」とねだると、「それは出来ないのよ」 と断られてしまう。そして次第に「本当に自分は母親に愛されているんだろうか」「自分は生まれてこなければ良かったんだじゃないか」と思い詰めるようになる。これらのエピソードが今回の映画に投影されている。つまり本作の主人公・眞人は少年時代の宮さんの分身である。

と同時に眞人の大伯父も現在の年老いた自己の分身と言える。映画に登場する異世界は大伯父が空から降ってきた飛行石と契約を結び(ハウルとカルシファーの関係を想起させる)創ったものという設定だ。異世界=大伯父の無意識・夢・願望の産物。そこに眞人やヒミ(眞人の母親の少女時代)、夏子(ヒミの妹/眞人の新しい母親)が現実逃避するための避難所・安全地帯という意味合いも重ねられ、心的複合体(complex)になっている。

〈『8 1/2』と宮﨑駿〉

〈大伯父=アーティスト=宮﨑駿〉と見立てれば、〈異世界=アート(imaginationの総体)=宮さんがこれまでに仲間たちと創造したアニメーション作品群〉となるだろう。つまり本作は宮﨑駿版『8 1/2』なのだ。

フェデリコ・フェリーニ監督『8 1/2』は1963年のイタリア映画。米アカデミー賞の外国語映画賞(現在の名称は国際長編映画賞)を受賞し、日本ではキネマ旬報ベストテンで外国語映画第1位に選出された。後世に多大な影響を与えた作品で、カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いたボブ・フォッシー監督『オール・ザット・ジャズ』や北野武『監督・ばんざい!』、ウディ・アレン『地球は女で回っている』も『8 1/2』の明白なパスティーシュである。こんな話だ。フェリーニの分身である映画監督グイドが主人公。新作映画を撮ろうとするグイドの混乱と焦燥、幻想、少年期の追想などが混沌とした状態で描かれる。8 1/2とは、本作がフェリーニが単独で監督した長編映画8作目であり、さらに処女作『寄席の脚光』がアルベルト・ラットゥアーダと共同監督だったため半分(1/2)とカウントしている。『8 1/2』は後にブロードウェイ・ミュージカル『NINE』に生まれ変わり、アカデミー作品賞を受賞した『シカゴ』や実写版『リトル・マーメイド』のロブ・マーシャル監督が映画化した。どうして半分(1/2)増えたかといえば、歌と踊りが加わったからである。

 ・ 城田優(主演)ミュージカル「NINE」 2020.12.10
 ・ ミュージカル映画「NINE」と冬季オリンピック 2010.03.22

2023年6月18日に放送されたTOKYO FM『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』〜「日本テレビとジブリ」についての座談会(その2)で、鈴木プロデューサーは宮﨑駿に『8 1/2』『魂のジュリエッタ』などフェリーニの映画を3本紹介したと語った。宮さんは最初から最後まで瞬き一つせず全部観た。そして観終わった瞬間「これ誰?俺と同じこと考えている奴がいる」と言った。

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大伯父が積む13個の積木は宮﨑駿が今までに監督したアニメーション映画のメタファーだというのが既に『君たちはどう生きるか』を観たレビュアーたちの一致した意見(consensus)だ。しかし『ルパン三世 カリオストロの城』から『君たちはどう生きるか』まで長編映画が12本。残る1本は?という点で意見が割れている。高畑勲が監督し宮さんが原作・脚本・画面設定を担当した『パンダコパンダ』を挙げる人、宮さんが監督した短編映画『On Your Mark』(上映時間6分48秒/『耳をすませば』と併映)、あるいは近藤喜文が監督し宮さんが製作・脚本・絵コンテ・主題歌『カントリー・ロード』の補作詞まで手掛けた『耳をすませば』だと言う人もいる。僕の見解を述べれば『8 1/2』的に数えると『On Your Mark』単独だと1/2〜1/10くらいにしかならないので、『On Your Mark』+『耳をすませば』で1本(あるいは脚本などで宮さんが関わった『借りぐらしのアリエッティ』や『コクリコ坂から』を加えても良いだろう)といった具合に、合わせ技・複合体(complex)としてカウントしているのではないだろうか?

〈サギ男とは何者か?〉

青鷺火(あおさぎび)という言葉がある。サギの体が夜間、青白く発光するという怪現象のことだ。つまりサギは人をあやかす存在である。

本作に於けるサギ男(青サギ)は現世と異世界を行き来するトリックスターの役割を果たす。いたずら者のトリックスターは境界に存在する。シェイクスピア『夏の夜の夢』の妖精パック、『ふしぎの国のアリス』の白うさぎ、『ピーターパン』のティンカーベル、『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラム、『古事記』『日本書紀』のスサノオ(須佐之男命)、ゲーテ『ファウスト』のメフィストフェレスなどが該当する。詳しくは下記事に書いた。

 ・ 〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その3〉影・トリックスター・ヌミノース 2019.06.07

サギ男とは、ズバリ鈴木敏夫プロデューサーのメタファーだろう。〈サギ=詐欺〉というダブルミーニングも含まれており、「俺は鈴木さんに騙されてこんな世界に飛び込んでしまった!」という思いもあるだろう。また大きな鼻は〈手塚治虫=その分身である『火の鳥』の猿田=お茶の水博士〉を連想させ、幼い頃強い影響を受けた手塚も多少入っているかも知れない(アニメーション作家としての手塚を宮さんは決して認めないが、先達であるという事実からは逃れられない)。

〈母の死因は空襲?それとも戦争と無関係な火事?〉

僕は劇中の会話に出てくる通り眞人の母は火事で死んだのだと思っていたのだが、映画のレビューに「空襲で死んだ」と書いている人が沢山いるので驚いた。上空を飛ぶ戦闘機なんか全く描かれていないし!

引越し先で眞人の父親がサイパン陥落の話をしているからその終結が1944年7月9日。東京都が空襲を受けるのは1944年11月24日から45年8月15日まで計106回。だから時期が合わない。故に空襲による火災ではないだろう。

〈ダンテ『神曲』再び〉

眞人は大伯父が残した塔に入り、そこが異世界に繋がっているのだが、塔の入り口に"FECEMI LA DIVINA POTESTATE"と文字が刻まれている。これはダンテ『神曲』の地獄の門に書かれた碑文の一部であり、"LA SOMMA SAPIENZA E 'L PRIMO AMORE."と続く。〈聖なる威力(神威)、比類なき叡智、そして原初の愛は、わたしを創った〉という意味。映画に登場する文だけ抜き取ると〈聖なる威力はわたしを創った〉となる。物語上、聖なる威力とは飛行石のことである。しかし、この世界には愛が欠けている

ダンテの『神曲』は宮さんが引退詐欺をしでかした『風立ちぬ』でも引用されている。『神曲』は地獄篇・煉獄篇・天国篇の3部から成る。煉獄とは地獄と天国の間にある世界。『風立ちぬ』のラストシーンで堀越二郎(=ダンテ)はカプローニ(=詩人ウェルギリウス)と一緒に煉獄にいる。そこに天国から菜穂子(=ベアトリーチェ)が現れる。絵コンテで彼女は「来て」と言うが、鈴木プロデューサーと庵野秀明の意見を聞き入れ最終的に「生きて」に変わった。

『君たちはどう生きるか』の異世界も地獄から始まり、眞人は大伯父のいる天国まで上って行く。案内役のサギ男=ウェルギウスであり、若き日の母ヒミ=ベアトリーチェだ。

〈薔薇が象徴するもの〉

眞人が幽霊塔に入ると最上階に大伯父が現れ、一輪の薔薇の花が落ちてきて砕け散る。『美女と野獣』のように薔薇は魔法を象徴し、魔法の効力が尽きようとしていると読み解くことが出来る。こちらは凡庸な解釈

もうひとつの可能性は不朽の名作オーソン・ウェルズ監督『市民ケーン』の主人公が死に際に呟く言葉“薔薇の蕾”(Rose Bud)だ。映画のラストシーンでRose Budとはケーンが幼少期に遊んでいた雪橇(そり)に書かれていた絵であることが明らかにされる。それはかけがいのない大切な思い出(彼はその後無理矢理両親から引き離される)。宮さんの記憶に直結している。

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〈「我を学ぶものは死す」の意味〉

異世界にある墓の門には「我を学ぶものは死す」と書かれている。絵手紙の創始者・小池邦夫が、師匠の洋画家・中川一政(かずまさ)(1893~1991)から貰った言葉。俺の言う通りにしていたら「亜流・中川」で終わるぞという警鐘だ。息子・宮崎吾朗の初監督作品『ゲド戦記』の試写を観終えた宮さんは鈴木プロデューサーにそっと、こうぼやいた。「(俺の)真似するんなら、元が分かんないようにやれ」

〈インコ大王〉

異世界の恐らく煉獄に相当する場所に、人を食うインコの集団が生活している。そのリーダーがインコ大王(声:國村隼)だ。インコの群衆は「DUCH」と書かれたプラカードを掲げ、大王を讃える。イタリア読みをすれば「ドゥーク」(CHは[k]の音/カ行の子音)。恐らく〈インコの軍隊=ファシスト党〉〈インコ大王=ムッソリーニ〉のメタファーだろう。イタリアの独裁者ムッソリーニは「DUCE(ドゥーチェ)」と呼ばれた。日本語では「統帥(とうすい)/総統/国家指導者」と訳される。

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宮さんの『の豚』の主人公ポルコ・ロッソはイタリア共産党員として描かれており(だからなのだ)、アドリア海を舞台に、敵対するファシスト党との攻防戦が展開される。ダンテ − ムッソリーニ − フェリーニ。イタリア繋がりだ。ついでに言えば『風立ちぬ』に登場するジョヴァンニ・バッティスタ・カプローニもイタリアの航空技術者。

〈死んだ妻の妹と再婚するのは変か?〉

本作を観た観客の多くがこのことに違和感を覚えているようだ。

「出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」によると1940年の見合い結婚率は69.0%、恋愛結婚率は13.4%だった。それが2015年には見合い結婚率が5.5%、恋愛結婚率が87.7%になった(詳しくはこちら)。つまり現在と異なり、戦時下では恋愛結婚のほうが珍しかった。男と女は「家(一族)」を守るために婚姻を結んだ。例えば夫が戦死したために、未亡人がその弟と再婚させられることはしばしばあった。いわば政略結婚である。

〈キリコのモデル〉

異世界で喧嘩ばかりしていた眞人とサギ男はキリコの仲介で和解する。キリコのモデルは『太陽の王子 ホルスの大冒険』から『風立ちぬ』まで宮崎駿を支えた、色彩設定の保田道世(1939-2016)だと鈴木プロデューサーはラジオで明言している。宮さんは彼女のことを「戦友」と評した。またキリコという名前は『失われたものたちの本』で主人公を助ける“木こり”のアナグラムになっている。

〈生まれ変わり〉

〈ワラワラ〉が子どもとして生まれるために昇天する様子を見ながらキリコは「いっぱい食べさてやれて良かった」と言い、涙を流す。僕が想像するに、〈ワラワラ〉の前世はひもじくて餓死した子どもたちだったのではないだろうか?『火垂るの墓』の節子のように。

キリコの着物の柄は輪廻転生を象徴している。アニメ『魔法少女まどかマギカ』における円環の理(ことわり)ね。

なお『君たちはどう生きるか』から宮さんは名字の宮崎をからに改名している。つまり「俺は〈ワラワラ〉みたいに生まれ変わった。まだまだやるぞ~」という決意表明だ。もう既に次回作の企画書を鈴木プロデューサーに提出したらしい。終わらない人 宮﨑駿。

  【考察】なぜ「君たちはどう生きるか」は評価が真っ二つなのか?/ユング心理学で宮﨑駿のこころの深層を読み解く

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2023年7月14日 (金)

謎に包まれた宮崎駿監督の新作「君たちはどう生きるか」最速レビュー

7月14日(金)宮崎駿監督「君たちはどう生きるか」が遂に公開された。引退詐欺の「風立ちぬ」公開が2013年7月20日だから10年ぶりの新作である。

 ・ 宮崎駿監督「風立ちぬ」批判に徹底反論する(堀辰雄「菜穂子」を通して) 2013.08.19
 ・ 宮崎駿「風立ちぬ」とモネの「日傘を差す女」 2013.08.21
 ・ 
想像力についての考察(「風立ちぬ」「桐島」そして「秒速5センチメートル」を巡って) 2013.08.23
 ・ 
宮崎駿「風立ちぬ」とエリア・カザン~ピラミッドのある世界とない世界の選択について 2013.08.28

評価:A+

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公開前宣伝一切なし。予告編なし。ポスターの絵一枚だけ。どんな物語かすら分からない。異例ずくめである。公開後も当面パンフレットを売らないそうで、徹底した秘密主義が貫かれている(パンフレットに写真を載せないわけにはいかないし、そこからネット上に拡散されるのを防ぐ狙いだろう)。

これまでのスタジオジブリ作品で採られていた複数の企業が出資する映画製作委員会方式(例えば「千と千尋の神隠し」では徳間書店・スタジオジブリ・日本テレビ・電通・ディズニー・東北新社・三菱商事が組んだ)ではなく、 ジブリの単独出資で製作されている。大胆な賭けに出たリスクは全てスタジオが負い、自己責任を果たすいうことだ。

作画監督はこれまで「千年女優」や「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」を手掛けてきた本田雄(ほんだたけし)。当初本田は「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の作画監督に内定していたが、鈴木敏夫プロデューサーが庵野秀明監督に直談判しジブリに引っ張ってきたらしい。三鷹の森ジブリ美術館の「土星座」で上映された宮崎監督の短編「毛虫のボロ」でも作画監督を務めた。

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以下、あらすじを含め何を語ってもネタバレになる。

 

心の準備はよろしいか?

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冒頭、主人公の少年の着ている衣服が「風立ちぬ」に近かったので面食らう。やがて設定が第二次世界大戦中の日本だと分かってきて、ありゃりゃ、零戦の設計者・堀越二郎が生きた時代じゃないかと思った。疎開先のお屋敷に零戦の操縦席に取り付ける防風ガラスと思しきものが運び込まれる場面もある(宮崎駿の父親は零戦を製作していた中島飛行機に部品を納入していた)。鈴木プロデューサーの話では“冒険活劇ファンタジー”だった筈では??と疑問符がグルグル頭を回り始める。そこから急転直下、事態は大きく動いた。

主人公が異世界に行き、戻ってくるので物語の基本構造は「千と千尋の神隠し」に似ている。そこに「天空の城ラピュタ」の飛行石みたいな物体が出てきて、ヒロインの少女は火を操るので「ハウルの動く城」の悪魔カルシファーだし、彼女の格好はまるで「不思議の国のアリス」(アリス同様、主人公は落ちて異世界に行く)。そして主人公を食べようとするインコの集団はアリスに飛びかかるトランプみたい。可愛らしい生き物〈ワラワラ〉は「もののけ姫」の〈こだま(木霊)〉で、死者が船を漕ぐ場面は「崖の上のポニョ」。「ハウルの動く城」に出てくるそれぞれ別の空間につながる扉みたいなものもある。「眠れる森の美女」がいて、七人の老婆は「白雪姫」を見守る小人たちだ(ビリー・ワイルダーが脚本を書いたハワード・ホークス監督「教授と美女」を思い出した)。さらに宮崎駿が愛してやまない江戸川乱歩の「幽霊塔」やフランスのアニメーション映画「王と鳥(やぶにらみの暴君)」(アンデルセン原作/ポール・グリモー監督)スイス出身の画家アルノルト・ベックリンの代表作「死の島」もぶち込まれている。

Ghost

Tori

Death

あとポスターで描かれた鳥人間はハウルであり、「千と千尋の神隠し」で湯婆婆に仕えている湯バード(身体はカラスで顔が湯婆婆)ね。それと都会に住んでいた父と子が田舎に引っ越してくるのと、木のトンネルをくぐり抜けるのは「となりのトトロ」。

これは間違いなく宮崎アニメの集大成であり、かつ様々なファンタジー作品のガジェットがてんこ盛りにされている。

イマジネーションの飛翔、迸るイメージの奔流に圧倒された。掛け値なしの傑作。

ただ映画の上映が終わり場内が明るくなると「難しかったね」「もう1回観ないとよくわからない」というカップルの声が聞こえてきた。そういう感想も少なくないのかも知れない。

音楽が久石譲で主題歌が米津玄師という組み合わせはアニメーション映画「海獣の子供」と同じ座組だ。ただ米津に白羽の矢が当たったのは宮崎駿がたまたまラジオで「パプリカ」を聴いて気に入ったかららしい。

 ・ 大切なことは言葉にならない〜【考察】映画「海獣の子供」をどう読むか? 2019.06.22

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2023年7月13日 (木)

カンヌ国際映画祭で2冠!是枝裕和監督「怪物」と黒澤明監督「羅生門」

評価:A+

『怪物』は今年のカンヌ国際映画祭で脚本賞(坂元裕二)とクィア・パルム賞を受賞。公式サイトはこちら

Monster

クィア・パルム受賞という情報そのものが既にネタバレじゃないかと鼻白んだのだが、その前知識は鑑賞の妨げ/noiseにならなかった。

向田邦子賞受賞歴もある坂元裕二だが、正直僕はTBSのドラマ『カルテット』を観ても、映画『花束みたいな恋をした』にせよ、彼の才能にピンと来なかった。日テレのドラマ『初恋の悪魔』に至ってはくだらなさに呆れ果て、数回で視聴を止めてしまった。ところが!『怪物』は掛け値なしに傑出した作品だった。坂元はNetflixと今後5年間の専属契約を結んだらしい。

3つの視点で1つの事象を描くというのは黒澤明監督と脚本家の橋本忍が映画『羅生門』で発明した手法である。リドリー・スコット監督『最後の決闘裁判』でも踏襲されており、(数々のパニック映画や三谷幸喜の『The 有頂天ホテル』でも活用された)「グランド・ホテル形式」同様、今や「羅生門形式」と命名しても差し障りないのではなかろうか?

『怪物』は「羅生門形式」に立脚しながらも、そこに宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の要素を導入したのがミソ。幾原邦彦監督の大傑作TVアニメ『輪るピングドラム』もそうなのだが、『銀河鉄道の夜』ネタに僕は弱いんだよな〜。しびれるねぇ(『ピンドラ』渡瀬眞悧 の台詞)。

これは控えめに言って是枝裕和監督の最高傑作ではないだろうか?少なくとも僕はカンヌでパルムドール獲った『万引き家族』より好き。『誰も知らない』の頃からそうなのだが、子供に対する演出が相変わらず上手いんだ。

つい先日他界した坂本龍一の音楽も心に沁みる。彼は映画全体のスコアを完成させるだけの体力が残っておらず、書き下ろしたのは「Monster 1」「Monster 2」の2曲のみ。他は今年発売されたオリジナル・アルバム『12』から「20220207」、「20220302」など既存曲が選ばれた。僕は「坂本龍一とは何者だったのか?」というテーマで後日新しい記事を書き上げる予定で、現在着々と準備を進めているところである。

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2023年7月12日 (水)

原田慶太楼(指揮)/関西フィル:ファジル・サイ「ハーレムの千一夜」と吉松隆の交響曲第3番

6月16日(金)ザ・シンフォニーホールへ。

原田慶太楼/関西フィルハーモニー管弦楽団で

 ・ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲
 ・ファジル・サイ:ヴァイオリン協奏曲「ハーレムの千一夜」
 ・吉松隆:交響曲第3番

ヴァイオリン独奏は服部百音。原田も服部もこれが関西フィル定期デビューだ。

Kan2

原田慶太楼といえば10年間、作曲家で自作の指揮もするジョン・ウィリアムズのアシスタントを務め、ジョンからの信頼が厚いことで有名である。今年も大スクリーンで映画を上映しながら生演奏する「スター・ウォーズ」シネマ・コンサートを東京・大阪で振るらしい。

服部百音は現在23歳。テレビドラマ「王様のレストラン」「新選組!」「真田丸」「半沢直樹」や舞台ミュージカル「オケピ!」で有名な作曲家・服部隆之の娘。すなわち「音楽畑」シリーズを作曲した服部克久の孫にあたる。超名門の音楽一家だ。お母さんの服部エリもヴァイオリニストだそう。現在は桐朋学園大学音楽学部大学院に在学中で、スイスのザハール・ブロン・アカデミーにも在籍している。因みにザハール・ブロンの門下生には樫本大進(ベルリン・フィル第1コンサートマスター)、庄司紗矢香、神尾真由子、木嶋真優らがいる。

「運命の力」序曲は緊張感に満ち、切れのある演奏。原田は激しくテンポを揺らす。全身全霊を傾けた圧巻のパフォーマンス。あまりに体の動きが凄まじいので、将来【むち打ち/頸椎損傷/頸椎ヘルニア/頸椎靭帯骨化症】といった指揮者特有の職業病になるんじゃないかと心配になった。

トルコのピアニスト/作曲家ファジル・サイのコンチェルトは打楽器が大活躍する。トルコの太鼓クドゥムがステージ前方に配置され、指揮台の両サイドでヴァイオリンと丁々発止のやりとりを展開する。打楽器の使い方がフランスの作曲家モーリス・ジャールに近いなと思った。ジャールがアカデミー作曲賞を受賞した映画「アラビアのロレンス」で主人公が戦うのはトルコの前身・オスマン帝国である。

 ・ シリーズ《映画音楽の巨匠たち》第3回/モーリス・ジャール 篇

「ハーレムの千一夜」は「アラビアン・ナイト」をモチーフにした作品であり、リムスキー=コルサコフの交響詩「シェヘラザード」と密接に繋がっている。ミニマル・ミュージックの旗手ジョン・アダムスにもヴァイオリンと管弦楽のための「シェヘラザード2」という作品があり、3つを聴き比べるのも一興であろう。

服部百音はまるで「アラビアン・ナイト」 に出てきそうな衣装で登場。とても美しく素敵だった。ヴァイオリンの線は細いがパッションがあり、聴き応え十分。トルコの有名な歌による変奏曲の第3楽章は官能的だった。

吉松隆の音楽といえば「朱鷺によせる哀歌」とかピアノ曲「プレイアデス舞曲集」など静謐なイメージが強い。シベリウスと宮沢賢治が大好きな人だし(こんなエッセイも書いている)。

ところが!交響曲第3番はその印象を見事に覆す作品で、barbarism(野蛮/未開)と抒情の複合体(complex)。相反する感情がぶつかり合う。第1楽章アレグロで噴出するマグマは手塚治虫の「火の鳥 黎明編」を想起させる。一転、ジャズやロックがごった煮の第2楽章スケルツォは都会の喧騒。「鉄腕アトム」で描かれた“来たるべき世界”が僕の目の前に広がる。第3楽章アダージョを経て、第4楽章フィナーレでは太陽の光が燦々と降り注ぎ、太陽に突っ込んでいく「鉄腕アトム」最終話を思い出す(元ネタはギリシャ神話イカロスの翼だろう)。この熱狂はエマーソン・レイク&パーマーの「タルカス」やレナード・バーンスタイン「ウエスト・サイド・ストーリー」の“マンボ”に通じるものがあると感じられた。

コンサート会場に吉松隆本人も来ており、終演後ステージに。演奏に大満足したのだろう、満面の笑みだった。

どうして僕はこのシンフォニーから「鉄腕アトム」を連想したんだろう??帰宅して調べてみるとビンゴ!吉松はTVアニメ「アストロボーイ・鉄腕アトム」の音楽を担当していたことが判明した(知らなかった)。「アトム・ハーツ・クラブ」という作品もある。

鮮烈な印象を残した原田慶太楼の関西フィル・デビュー。次回は定期演奏会のプログラムにジョン・ウィリアムズをぶち込んで欲しい。そして才能豊かな彼は近い将来ベルリン・フィルの指揮台に立つ日が来るだろうと今から予想する。その時は是非、吉松隆をお願いします。

 ・ シベリウスと吉松隆、そして宮沢賢治〜関西フィル定期 2015.11.01
 ・ 
吉松隆/交響曲第6番初演と、天使に関する考察~いずみシンフォニエッタ大阪 定期 2013.07.18

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2023年7月 7日 (金)

藤岡幸夫(指揮)ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番 再び

4月29日(祝)ザ・シンフォニーホールへ。

藤岡幸夫/関西フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、

 ・田中カレン:ローズ・アブソリュート
 ・田中カレン:アーバン・プレイヤー(都会の祈り)〜チェロとオーケストラのための
 ・ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番

チェロ独奏は長谷川陽子。客席は7割程度の寂しい入り。

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田中カレンという作曲家は今まで全く知らなかった。1曲目は「Annick Goutal」という香水店の「Rose Absolue」という香水からインスピレーションを受けたそう。静謐で繊細。エストニア生まれのアルヴォ・ペルトの楽曲を連想した。

2曲目"Urban Prayer"は色彩豊か。3楽章形式で第2楽章は竹林を渡る風が目に浮かんだ。アン・リー監督『グリーン・デスティニー』(中国・香港・台湾・米国の合作映画 )の雰囲気。中々素敵な音楽で気に入った。

ヴォーン・ウィリアムズの交響曲第5番は同じコンビで2017年にも聴いている。

 ・ ヴォーン・ウィリアムズの交響曲第5番とロンドン大空襲(The Blitz)〜藤岡幸夫/関西フィル定期 2017.05.18

第2次世界大戦中ナチス・ドイツによる空襲に見舞われる中、1943年に初演されたこのシンフォニーは優しさと祈りで聴衆を包み込むような作品だ。ヴォーン・ウィリアムズが古の教会音楽を研究した成果もはっきりと見て取れる。

第1楽章 プレリュードはゆっくり、慈しむように進行する。事前に僕はアンドルー・マンゼ/ロイヤル・リヴァプール・フィルと、ブライデン・トムソン/ロンドン交響楽団の音源(Spotify)で予習して臨んだのだが、藤岡のテンポはより遅く設定されていた。これはこれで良い。

第2楽章 スケルツォは闇の世界。作曲家が師事したモーリス・ラヴェルの影響が色濃く影を落とす。

第3楽章 ロマンツァはひたすら美しく、首席ヴィオラ奏者と首席チェロ奏者のソロが心に沁みる。

第4楽章 パッサカリアの主題と、第3楽章でコーラングレが奏でる旋律は歌劇『天路歴程 (The pilgrim's progress)』第1幕 第2場「美しい家(The House Beautiful)」から採られているらしい。暗い時代に、教会のステンドグラスから「希望」という名の一条の光が差し込むよう。

プーチンのロシアに蹂躙されるウクライナに思いを馳せながらコンサートを堪能した。

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