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2023年5月27日 (土)

クラシック通が読み解く映画「TAR/ター」(帝王カラヤン vs. バーンスタインとか)

評価:A+

アカデミー賞で作品賞/監督賞/主演女優賞/脚本賞/撮影賞/編集賞の6部門にノミネート。ケイト・ブランシェットがクラシック音楽界の頂点に上り詰めた指揮者を演じる映画『TAR/ター』公式サイトはこちら

Tar

無茶苦茶面白かったのだけれど、普段クラシック音楽に余り親しんでいない観客にはどう受け止められたのだろう?という気持ちにもなった。ある程度クラシック音楽の知識を持っていた方がさらに数倍楽しめる映画だと思うので、クラオタの視点から本作に新たな光を当てていきたい。

史実におけるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 首席指揮者の変遷は以下の通り。

〈フルトヴェングラー(一時期ルーマニア出身のセルジュ・チェリビダッケ)→カラヤン(オーストリア:ザルツブルク)→クラウディオ・アバド(イタリア)→サイモン・ラトル(イギリス)→キリル・ペトレンコ(ロシア)〉

しかし映画では〈フルトヴェングラー→カラヤン→アバド→アンドリス・デイヴィス→リディア・ター〉という流れのようだ。

アンドリス・デイヴィスという名前が面白く、現在もベルリン・フィルに客演しているアンドリス・ネルソンス(ラトビア)と、アンドルー・デイヴィス(イギリス)あるいはコリン・デイヴィス(イギリス)を掛け合わせたのだろう。

巨匠ヴィルヘルム・フルトヴェングラー亡き後、1955年にベルリン・フィルの首席指揮者として破格の終身契約を結び(この時水面下で交わされた駆け引きが実に面白いのだが、それはまた別の話)、帝王と呼ばれたヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)は、ベルリンでスターは自分一人で十分だと考えていた。故にライバルであるレナード・バーンスタイン(1918-1990)を客演指揮者として一度も定期演奏会に招かなかった。

バーンスタインは生涯に一度だけベルリン・フィルを指揮したことがある。1979年10月4日と5日の演奏会で、曲目はマーラー:交響曲第9番だった。

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正に一期一会、伝説的名演として知られ、1992年に漸く発売されたライヴ音源は日本の「レコード芸術」誌においてレコードアカデミー大賞を受賞した。その演奏会直後の79年11月から翌80年にかけてカラヤンは同曲をベルリン・フィルとセッション録音した。彼はそれまで一度も演奏会でこの曲を指揮したとがなく、ボウイング(弦楽器の運弓法)などバーンスタインがオケを鍛えたノウハウを利用/活用したのではないかという疑惑が囁かれている。実はカラヤンには前科がある。

1949年夏に引き続き1950年8月、フルトヴェングラーはザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルを指揮し、モーツァルトの歌劇『魔笛』を上演した。その年の11月、カラヤンはウィーン・フィルを指揮し『魔笛』をセッション録音した。キャスト(歌手)は、フルトヴェングラーがザルツブルクで指揮した『魔笛』とほぼ同じだった。フルトヴェングラーはこれを知り激怒した。自分が2年間にわたってザルツブルクで練り上げた成果をカラヤンが横取りしたと感じたのだ。まるで自分はカラヤンのリハーサル指揮者ではないか。(参考文献:中川右介 著『カラヤンとフルトヴェングラー』幻冬舎新書)

バーンスタイン(以下愛称のレニーと呼ぶ)がベルリンに登場したのはドイツ連邦政府が主催するベルリン芸術週間であり、カラヤンの管轄外だった。しかしカラヤンはこの歴史的音源が世に出ることを、自分が生きている間は阻止することに成功した

映画の冒頭、ケイト・ブランシェット演じるターが足でカラヤン/ベルリン・フィルの「マーラー:交響曲第9番」(1982年ライヴによる再録音)LPジャケットを足で払いよける場面があるのはそうした経緯がある。彼女はレニーに師事した経歴を持ち、同じ部屋にレニー/ベルリン・フィル「マーラー9番」LPもある。

対談の中でターは、生前のレニーから受けた教えで一番印象に残っているものは何かと問われ、次のヘブライ語を挙げる

精神的な集中を意味する〈カバナ kavanah〉と、(罪を悔い改め神の元へ)回帰することを意味する〈テシュヴァ teshuvah〉である。英語では"intension" and "return"。

レニーと親交が深かった指揮者・大植英次は次のように回想している。

「バーンスタイン先生は、正式に弟子というものを取ったことがなかった。世界に、バーンスタインの弟子、と言って喧伝しているものは少なくないが、セミナーやリハーサルなどで一緒に時間を過ごしただけの者が多い」しかし「もし、一人あげるならば、それはマイケル・ティルソン=トーマス」(山田真一著「指揮者 大植英次」アルファベータ より引用)

  大植英次、佐渡 裕~バーンスタインの弟子たち 2008.02.29

劇中ターがラジオから流れてくるマイケル・ティルソン=トーマス (MTT) 指揮するショスタコーヴィチ:交響曲第5番の終結部を聴き「こんなにテンポを遅くしては駄目」と言う(ショスタコの5番もレニーが得意とした曲)。同じ門下生としての対抗意識が剥き出しにされる場面だ。なおターは同性のパートナーであるベルリン・フィルのコンサートマスター(コンサートミストレスとも言われる)シャロンと暮らし、養女を育てており(ドイツでは2017年10月1日から同性婚が認められた)、MTTはゲイであることをカミングアウトしている。一方、レニーは結婚し子供も生まれたが、ゲイだったことはよく知られている(詳しい事情は今年Netflixから配信される予定のブラッドリー・クーパー監督・主演の映画『マエストロ』をご覧あれ)。またニューヨーク、マンハッタン生まれの女性指揮者マリン・オールソップについて言及されるが、彼女も同性愛者であるとカミングアウトしており、パートナーとの間に息子が一人いる。レニーが提唱し、1990年に始まった若い音楽家のための教育音楽祭PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌)の第1回にマリン・オールソップは参加し、佐渡裕と共に(交代で)指揮台に立った。そしてその3ヶ月後にレニーは亡くなった。彼女がターのモデルであることは間違いないが、この映画に対しては否定的なコメントを表明している。

映画の最初の方でターが受け取った、送り主不明の本はイギリスの女性作家ヴィタ・サックヴィル=ウェストの小説『Challenge』初版本。日本語訳はない。ヴィタはヴァージニア・ウルフの恋人で、名作『オーランドー』のモデル。同性愛は当時のイギリスで非合法だった。

マリン・オールソップと共に代表的な女性指揮者として劇中で名前が挙げられるナディア・ブーランジェ(1887-1979)について。フランスの作曲家・指揮者・ピアニスト・教育者で、詳細は不明だがレニーも彼女の門下生だそうだ(Wikipediaに記載されている)。映画『シェルブールの雨傘』や『ロシュフォールの恋人たち』『華麗なる賭け』の作曲で知られるミシェル・ルグランもパリ国立高等音楽院で彼女の薫陶を受けた。また何と言っても面白いのはタンゴの革命児アストル・ピアソラの逸話だろう。1954年、33歳の時、タンゴに限界を感じたピアソラは渡仏しパリでナディア・ブーランジェに師事する。ピアソラが提出した〈クラシック音楽〉の楽譜に首を傾げた彼女は「アルゼンチンではどんな音楽をやっていたの?」と訊ねた。渋々自作のタンゴを彼女に見せると「これが本物のピアソラよ。この音楽を決して捨ててはいけない」と励ましたという。 新生ピアソラ (Nuevo tango) が誕生した瞬間である。

カラヤンがベルリン・フィルとマーラーの交響曲第5番を初めて演奏したのは1973年。2月13日から16日にかけドイツ・グラモフォンにセッション録音し、翌17日に定期演奏会で聴衆に初披露した。レコーディングだとたっぷりリハーサルに時間をかけられるので(経費はレコード会社が全て負担)、レコーディング→演奏会本番というパターンを彼はしばしば行った。シンフォニーの第4楽章 アダージェットが有名になるきっかけとなったルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』が公開されたのが1971年だから、商売上手なカラヤンはその人気に便乗したのではないかと僕は疑っている(カラヤンの死後コンピレーション・アルバム『アダージョ・カラヤン』が発売されヨーロッパや日本で驚異的な大ヒット、全世界で500万枚以上売れた。その冒頭にアダージェットは収録されている)。ターがリハーサルでアダージェットを指揮する場面があり、ヴィスコンティに言及する。

 ・  ヴィスコンティ映画「ベニスに死す」の謎

Karajan

映画の後半、彼女が「私が所有するマーラー5番のスコアを盗まれた!」と騒ぎ立てる場面があるが、スコアには様々な書き込みをしている筈であり、つまり自分のアイディア・解釈を盗まれたと言っているのだ。これはレニーとカラヤンの確執を彷彿とさせる仕掛けになっている。

カリスマ的天才指揮者カルロス・クライバー(1930-2004)はレパートリーが非常に少ないことでも知られている。実は彼が指揮した曲の殆どは偉大な父エーリッヒ・クライバー(1890-1956)が生前指揮したものであり、カルロスは父が残したスコアへの書き込みなど資料をふんだんに活用し、メモがないものに対しては自信がなかったのではないかと推測される。とてもセンシティブな人だった。ちなみに僕は中学生の時に彼が指揮するミラノ・スカラ座引っ越し公演プッチーニの歌劇『ラ・ボエーム』を大阪・旧フェスティバールで鑑賞している。

 ・ シリーズ《音楽史探訪》音楽家の死様(しにざま) 2014.04.21

映画でマーク・ストロング演じる投資銀行家で、アマチュア・オーケストラの指揮者としても活動するエリオット・カプランのモデルはギルバート・カプラン(1941−2016)だろう。アメリカの実業家でアマチュアながらゲオルグ・ショルティに師事。大好きなマーラー:交響曲第2番「復活」のみを専門にする指揮者として自費を投じコンサートを世界各地で開き、最終的にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を振ったCDを天下のドイツ・グラモフォンから発売するまでに至った。

Kaplan

ターはアバド/ベルリン・フィルが1993年に録音したマーラー:交響曲第5番のLPジャケットを選び出し、それを模した写真を取ろうとする。彼女は常に『自分はどう見られているか』を意識しており、性格的にカラヤンに最も近い人物像となっている。

カラヤンはセルフ・プロデュース力に長け、常に自分が最も美しく写真に撮られることを心がけた。彼はおびただしい数のコンサート映像を残したが、映像演出にも口を出した(オペラ演出もした)。基本的に指揮する彼の顔は正面よりも横顔が映し出される方が多い。自分の横顔が美しいことを彼はよく知っていたのだ。そしてカメラはオーケストラの楽器を大写しにするが、奏者の顔は写さない。つまりあくまでスターはカラヤンただ一人であり、オケは彼の楽器でしかないことを示している。1960年代まではリヒテルやロストロポーヴィチと共演することもあったが、70年代以降は協奏曲で巨匠と呼ばれるソリストと組むことはなくなった。スターは彼一人だけ。カラヤン/ベルリン・フィルがアンネ=ゾフィー・ムターとモーツァルトを録音したときムターは15歳。エフゲニー・キーシンがカラヤンとチャイコフスキーを録音したときキーシンは17歳。晩年若手と組むことを好んだのは、その方がカラヤンが全体を支配し易いからだと僕は考えている。

カラヤンが陶酔したように目をつむり指揮するのも、その方がフォトジェニック(映える)からだからだろう。そもそも目を閉じたら奏者とアイコンタクトが取れない。つまり合理的ではない。カラヤン以前も以後も、こんなことをする指揮者は誰もいない。彼は徹底したナルシストだった。

ターはロシア出身の新人チェリスト・オルガにのめり込んでいく。同郷の偉大なチェリスト、ロストロポーヴィチが好きなのか?とオルガに尋ねるとイギリスのジャクリーヌ・デュ・プレ(愛称ジャッキー)がお気に入りだという。切っ掛けとなったのはYouTubeで見たエルガー:チェロ協奏曲の演奏。ここでターが少し失望したような表情を浮かべる。映像が残っているのはダニエル・バレンボイム/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団との共演。音楽好きなら誰でも知っている。みじかくも美しく燃えた稀代のチェリスト、デュ・プレ究極の名盤はバルビローリ/ロンドン交響楽団との共演盤であることを。そもそもYouTubeの音質はCDより遥かに劣る。つまりこのエピソードはオルガが俗物で、大したセンスの持ち主ではないことを端的に示しているのだ。

ジャッキーは21歳の時アルゼンチン出身のユダヤ人、バレンボイムとイスラエルのエルサレムで結婚した(バレンボイムの祖父母はそれぞれベラルーシとウクライナ出身で、ユダヤ人排斥運動を逃れてアルゼンチンに移住した)。その時彼女は家族の猛反対を押し切りユダヤ教に改宗している。しかしジャッキーは26歳の時に指先の感覚が鈍くなってきたことに気付き、後に多発性硬化症と診断され引退を余儀なくされる。病床の彼女を捨てバレンボイムはパリで別の女性と同棲し2人の子をもうけた。1987年にジャッキーが42歳で亡くなるのを待ち、翌88年バレンボイムとエレーナ夫人の正式な再婚が成立した。

ターが強引にオルガをエルガーのソリストに起用しようとするエピソードはクラシック音楽界の常識では到底考えられないことだ。定期演奏会で演奏される協奏曲において外部から有名アーティストを招かない場合、そのオケの首席奏者がソロを弾くのが当たり前。だからターと楽員との間に溝が深まるのは当然のことである。またマーラーとエルガーを組み合わせるプログラム編成にも違和感しかない。そもそもヨーロッパ大陸ではイギリスの作曲家(ヴォーン・ウィリアムズ、ホルスト、ウォルトンら)が見下されており、フルトヴェングラーやカラヤン、アバドがエルガーを振ることは一度もなかった。

オルガ起用については1982年にカラヤンとベルリン・フィル団員との間で勃発したザビーネ・マイヤー事件彷彿とさせる。当時このオケの楽員は全員男性だった。そこにカラヤンが女性クラリネット奏者ザビーネ・マイヤーを強硬に入団させようとしたのだが、団員投票で入団反対が決議され、それに従うべきだとするオケ側とで確執が生じた。その後、カラヤンは険悪な仲となったベルリン・フィルを避けるようになり、チャイコフスキーの後期交響曲(第4−6番)などはウィーン・フィルとレコーディングした。アバド時代になると漸く女性の楽員が少しずつ増え始め、2023年2月にオーケストラ140年の歴史で初の女性コンサートマスターが誕生した(アルテミス弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者だったヴィネタ・サレイカ=フォルクナー)。一方、ウィーン・フィルに女性奏者の正会員採用が始まったのは1997年のことである。世界のオーケストラの中で最も遅かった。それまで様々な人権団体から散々非難され、ニューヨークのカーネギーホールがウィーン・フィルに対して1998年までに女性奏者がいなければ舞台に立たせないとする最後通牒を突きつけたため、ようやく重い腰を上げたというわけ。1965年にショパン国際ピアノコンクールで優勝した名ピアニスト、マルタ・アルゲリッチがウィーン・フィルと初めて共演したのは2017年。どうして長い間ウィーン・デビューが実現しなかったのか?「これまで演奏しなかったのは、女性がひとりもいないオケだったからです」彼女はインタビューにきっぱりと答えた。

フルトヴェングラーは第二次世界大戦後、連合国による「非ナチ化」裁判を経てドイツでの活動が認められるようになるまで、約2年を要した。アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツ政権下でもベルリンに留まり、ヒトラーの誕生日には御前でベルリン・フィルを指揮しベートーヴェンの第九を演奏したりしていたからである。ムッソリーニ政権のファシズムを嫌悪しアメリカに亡命したイタリアの大指揮者トスカニーニは徹底的にフルヴェンを非難した。またカラヤンはナチスに入党した前歴があり、戦後やはり問題視された。戦時下においてドイツではナチス党員にならないとオーケストラの主要ポストには就けなかったのである。

映画『TAR/ター』には芸術家(アーティスト)の作品と、その人の人間性・Political Correctnessを関連付けて考えるべきか、切り離して評価すべきかという議論が出てくるが、これはフルトヴェングラーやカラヤンの実績を評価するか否かの問題と密接にリンクしている。端的に言えば「あなたは殺人者の芸術を認めますか?」という問いだ。ドイツの哲学者ショーペンハウアーが俎上に載せられる。年配の裁縫婦が彼のアパートの扉の前で友達とペチャクチャ喋っているのをうるさく思い、階段から突き落として大怪我を負わせたのだ。その女は裁判に勝ち、ショーペンハウアーは終身扶養の義務を負わされることになる。

宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』でカプローニが言う「君はピラミッドのある世界と、ピラミッドのない世界とどちらが好きかね?」も同義である。

 ・ 宮崎駿「風立ちぬ」とエリア・カザン~ピラミッドのある世界とない世界の選択について 2013.08.28

なおクロード・ルルーシュ監督の映画『愛と哀しみのボレロ(Les Uns et les Autres)』ではカラヤンをモデルにした指揮者が登場し、ナチスとの関係が描かれていて実に面白い。特にカーネギー・ホールでブラームス:交響曲第1番のタクトを振る場面は必見。

レニーはユダヤ人であり、祖父母はウクライナからの移民。そういう意味でも元・ナチス党員のカラヤンと水と油であった。またマーラーもユダヤ人。フルトヴェングラーやカラヤンがナチス政権下でマーラーの楽曲を指揮することは一度もなかったし、戦後フルヴェンは『さすらう若人の歌』をザルツブルク音楽祭で取り上げたが(独唱はディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ)、交響曲を指揮することは生涯なかった。

ロシアがウクライナを蹂躙する現在、ウラジーミル・プーチンと親しく、彼を批判しないロシアの指揮者ヴァレリー・ゲルギエフがヨーロッパから追放される憂き目にあった。ミュンヘン・フィルは首席指揮者だった彼を解雇。再び政治的立場と芸術を結びつけるべきなのかどうかが議論の的となっている。

映画の話に戻ろう。ジュリアード音楽院での講義でパンセクシャル(Pansexual、全性愛)の学生がJ.S. バッハについて、生涯に20人もの子供をもうけ男性優位的思考の持ち主だから人間として絶対に認められない、バッハの音楽もまともに聴いたことがないと言ったのに対し、ターはその人となりと生み出した作品は分けて考えるべきだと主張し、彼を徹底的に論破し恥をかかせる実に痛快な場面がある。 「すべての道はバッハに通ず」と言われるくらいで、大バッハを勉強せずしてこの業界で優れた楽曲を書ける筈がない。

スキャンダルに巻き込まれ追い落とされたターはニューヨーク市のスタテンアイランドにある実家に帰り、兄のトニーと再会する。二人の会話からターの本名がリンダであり、ヨーロッパで受けの良いリディアに改名したことが判明する。スタテンアイランドは下町で、彼女が労働者階級(ブルーカラー)の出身だということが明らかになる。

昔、神奈川フィルの常任指揮者やオーケストラ・アンサンブル金沢のアーティスティック・パートナーを歴任した金 聖響(きむせいきょう)という在日韓国人3世の指揮者がいたが、実は芸名だった。映画『この胸いっぱいの愛を』で共演した女優のミムラ(美村里江)と2006年結婚し2010年に離婚。その後2億円の借金トラブルを抱えていることが週刊文春で報道され、現在は雲隠れしている。彼は佐村河内守『交響曲1番HIROSHIMA』全国ツアーにも関わっていた。

 ・ 稀代の詐欺師・自称「作曲家」佐村河内守について 2014.02.12

佐村河内守の経歴詐称騒動も、作曲家の人生とその作品を結びつけて考えるべきか否かという問いを我々に突きつけてくる。

ターの実家のクローゼットには録画した日付と『YPC』という文字が背表紙に書かれたVHSビデオが数十本ズラッと並んでいる。レナード・バーンスタインが企画・指揮・司会を務めニューヨーク・フィルが演奏するYoung People's Concerts (ヤング・ピープルズ・コンサート)のことだ。子供のための音楽教育番組で53公演がCBSによりテレビで中継された。放送開始は1958年、最終回が72年。日本のテレビ番組『オーケストラがやってきた』や『題名のない音楽会』も本コンサートを手本として企画されている。ターはその第1回「音楽って何? (What Does Music Mean?)」でレニーが語り、チャイコフスキー:交響曲第5番 第4楽章を指揮する場面を観ながら涙を流す。これが彼女が音楽家を志す原点だった。番組の冒頭、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲を振り終えたレニーが振り返り、客席を埋め尽くす子供たちに問う。「この曲を知っているかい?」子供たちが元気に叫ぶ、「ローン・レンジャー!」(当時大人気だったテレビ西部劇、後に映画化された)。

劇中、#MeeToo 運動が盛り上がりを見せる中、名前を挙げられた2人の指揮者について。2017年に女性オペラ歌手3人と女性音楽家1人が、1985年から2010年の間に米国でシャルル・デュトワからセクハラを受けたと訴えた。女性らによると、デュトワは女性たちに無理やりキスをし、口の中に舌を入れたとされる。本人は疑惑を否定。女性らに対する法的措置を講じたが、芸術監督・首席指揮者を務めていた英ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団から解雇された。それ以降、名誉音楽監督だったNHK交響楽団を指揮することはなくなり、大阪フィルハーモニー交響楽団を指揮するという「都落ち」を体験した。また香港フィルハーモニー管弦楽団やシドニー交響楽団@オーストラリアなど非欧米圏を中心に活躍するようになる。しかし新型コロナ禍の3年間を経て、現在漸く名誉を回復しつつあるようだ。

また2017年12月2日、40代男性が15歳だった1985年から数年間にわたり、ジェームズ・ レヴァインより性器を触られたり目前で裸になり自慰行為を強要されるなどの性的虐待を受けたため自殺を考えるまでに思いつめていたとニューヨーク・ポストが報じた。彼が名誉音楽監督を務めるニューヨークのメトロポリタン歌劇場(MET)は調査の結果、性的虐待疑惑の「信頼できる証拠」が出たとしてレヴァインを解雇、失意のうちに彼は2021年に亡くなった。

映画で言及されなかったが、ダニエレ・ガッティは一部メディアに報じられた過去のセクハラ疑惑によりロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者を2018年8月に解任された。しかし本人は疑惑を否定、同年12月にはローマ歌劇場の音楽監督に就任し、2021年1月にはベルリン・フィルに客演している。

ターと彼女の教え子クリスタ、アシスタントのフランチェスカはアマゾン先住民、シピボ=コニボ族を研究するため彼らが暮らすペルーの熱帯雨林を流れるウカヤリ川中流地域でフィールドワークを行った。その際ターがフィールド・レコーディングしたシピボ族のシャーマンが歌うイカロ(治療歌)が映画冒頭のクレジットで流れる。劇中何度か登場する迷路のような幾何学模様「Kené(クヌー)」はシピボ族特有の文化で、シピボ族の創生神話によるとこの世界は銀河に誕生した天の川、母なるアナコンダ「Ani Ronin」が自分の肌に描かれたKené(クヌー)を歌ったときに始まったとされる。Kené(クヌー)とは「振動を生む宇宙エネルギーの構成図」で、シピボ族はすべての生物が独自のKené(クヌー)を持つと考える。

これはオーストラリアの先住民アボリジニの神話〈ドリームタイム〉と〈虹蛇〉の関係によく似ている。正にユング心理学における〈集合的無意識〉の産物と言えるだろう。

 ・ アボリジニの概念〈ドリームタイム〉と深層心理学/量子力学/武満徹の音楽

朝日新聞の記者・小原篤氏は『TAR/ター』について次のような感想を書いている。

「アジア」や「モンスターハンター」を「零落」や「屈辱」のダシに使うんですか? ふーん。

僕は全く違う印象を受けた。

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ネタバレ警告!以下本作の結末について触れます。

心の準備はよろしいか?

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ヨーロッパの楽壇から放逐されたターがフィリピンでボートに乗り川を遡る場面で、マーロン・ブランドの映画のせいで未だにワニが生息していると言われる場面がある。これはフランシス・フォード・コッポラの映画『地獄の黙示録』のことでブランド演じるカーツ大佐は密林の中で王国を築く。カーツのイメージにターが重ねられているのだ。また 『地獄の黙示録』 では第一騎兵師団がワーグナーの『ワルキューレの騎行』をヘリコプターに据え付けられたスピーカーから大音量で流しながらベトコンの村を襲う場面があるが、これは楽劇『ニーベルングの指環』の楽曲で、ワーグナーはアドルフ・ヒトラーがこよなく愛した作曲家。プロパガンダとしても当時ドイツで盛んに利用された。『ニーベルングの指環』を毎年上演するバイロイト祝祭劇場を運営するのはワーグナー家であり、ナチス政権とベッタリ相思相愛の関係にあった。ユダヤ人にとってはそのトラウマもあり、現在でもイスラエルでワーグナーの楽曲が演奏されることは殆どない(そのタブーを破ったのがバレンボイム)。つまり 『地獄の黙示録』 は西洋文化の暴力性を象徴する映画であり、進み過ぎた文明の行き着く果てを示している。フルトヴェングラーもカラヤンもワーグナーを得意とした指揮者であった。因みに映画の原題はApocalypse Now(現代の黙示録)で黙示録にはこの世の終末や最後の審判などについて記載されている。

ターは宿泊地近くのマッサージ店で、透明なガラス越しに座るたくさんの女性たちの中からひとり選ぶように言わる。それはオーケストラの配列によく似ている。胸にNo.5をつけた女性がターを見つめ、彼女は店を飛び出して嘔吐する。ここは売春宿で、その女性の位置はオーケストラにおけるオルガのポジションに相当し、No.5はマーラーの交響曲を想起させる。ヴィスコンティ映画『ベニスに死す』にも老作曲家グスタフ・フォン・アッシェンバッハの回想の中で、娼館で少女娼婦を買う場面がある。少女はベートーヴェンの『エリーゼのために』を弾く。そのイメージは、疫病が蔓延するベニスでアッシェンバッハが出会う美少年タッジオに繋がっている。

『TAR/ター』最後の場面はスクリーンに映し出される映像を背景にオーケストラが演奏する『モンスターハンター:ワールド』コンサート(曲は“友との出会い Meeting a Friend”)。聴衆は皆コスプレしている。日本では『狩猟音楽祭』と呼ばれる。

『モンスターハンター』は4人で協力し巨大なモンスターを狩るゲームであり、本作においては〈モンスター=ター〉、〈狩人=SNSで彼女に対する敵意・悪意をばら撒く人々〉という図式が成り立つ。

しかしこのラストは果たしてターの「零落」や「屈辱」なのだろうか?僕はそう思わない。全然。むしろ「開放」だろう。それは楽しかったペルーでのフィールドワークへの「原点回帰」とも言えるし、彼女はこの熱帯でカーツ大佐のように「王国」を築くのかも知れない。

ベルリン時代、ターはミソフォニア(misophonia 音嫌悪症)に悩まされていた。稀に診断される医学的な障害で、特定の音に対して否定的な感情(怒り、嫌悪、逃避反応)が引き起こされる。指揮者に多い。また彼女は過度の潔癖症でもあった。これらは文明の病と言える。

さらに彼女は欧米社会で指揮者としてのキャリアを築くために「覇権的男性性(hegemonic masculinity)」を鎧として身にまとわなければならなかった。「父の娘」であったとも言える。これはユング派の女性分析家によって1980年代に提出された概念で、個人的な親子関係を越えて「父なるもの(父権制/家父長制 )」の強い影響下にある女性を意味する。

しかしフィリピンでのターは不潔でも気にせず、周囲の騒音に悩まされている様子もなくリラックスしているように見える。

そもそもゲーム音楽がクラシック音楽よりも劣ってる、堕落だという発想が根本的に間違っている。つい50年前までは映画音楽も同様の扱いだった。ウィーンのオペラ作曲家からハリウッドの映画音楽作曲家になったエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトは「大衆文化に身を売った男娼」と楽壇から徹底的に蔑まれ、カラヤンやアバドの時代にベルリン・フィルが映画音楽を演奏することなど考えられなかった。

 ・ シリーズ《音楽史探訪》Between Two Worlds ~コルンゴルトとその時代(「スター・ウォーズ」誕生までの軌跡) 2014.01.17

しかし今はどうだ?ジョン・ウィリアムズはウィーン・フィルおよびベルリン・フィルの指揮台に経ち『スター・ウォーズ』や『E.T.』『ハリー・ポッター』を演奏したし、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲はオーケストラの重要なレパートリーとなり大人気だ。キリル・ペトレンコ/ベルリン・フィルは先日初めてコルンゴルトの交響曲を定期演奏会で取り上げた。そして今年、ドイツ・グラモフォンは久石 譲/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団による映画音楽集を発売する。10年前にはあり得なかったことだ。

『TAR/ター』の行き着いた先を肯定的に捉えるか、否かであなたの人間性が試される。そういうリトマス試験紙になっている。なんとも恐ろしい映画だ。

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