雑感「レコード芸術」休刊に寄せて
クラシック音楽CDの専門月間誌「レコード芸術」が、2023年7月号を最後に休刊となると発行元の音楽之友社が発表した。 創刊は1952年3月だから71年の歴史に幕を閉じることになる。奇しくも先日亡くなった坂本龍一と同い年だ。
僕が「レコ芸」を定期購読するようになったのは小学校高学年で、カール・ベームがウィーン・フィルと来日してベートーヴェンの交響曲第5番・第6番を演奏した1977年か、翌78年頃だったと思う。ニコラウス・アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスが77年に録音したヴィヴァルディのLPレコードが《衝撃の四季!》というキャッチコピーとともに紙面に広告掲載されていたことを鮮明に覚えている。正に古楽器による演奏、ピリオド・アプローチの黎明期だった。
当時、新譜の批評は1人で行われていたが1980年1月号から「2人の筆者による合評」が開始され、両者が推薦したレコードが「特選盤」と表記されるようになった。因みに1人が「推薦」、もう1人が「準推薦」なら「準特選」。
1990年に「ビデオディスク」部門が、2010年1月号からは「吹奏楽」部門が新設された。また1996年3月号から新譜の「さわり」を収録した試聴(サンプラー)CDが付録として添付されるようになった。
ただ1978年当時定価は580円(消費税導入前)だったので小学生の小遣いで買えたのだが、最新号の定価は税込み1,430円。いくら何でも高すぎる!新譜でなければCDが優に1枚買える値段だ。定価が1,000円を超えたあたりから次第にバカバカしくなり購読をやめた。図書館の雑誌コーナーで読めば十分だろう。
そもそも1982年に商用音楽CDが登場し、86年にLPレコードの国内生産枚数を追い抜いて以降は「レコード芸術」という雑誌名からして時代遅れとなった。そりゃ無理やりこじつければ「レコード」を「録音する」という動詞と解釈し、CDも「録音物の芸術」だと言い張ることも出来るだろう。しかしそれなら「レコーディング芸術」が正しく、「レコード」はあくまで毎分33回転の30cm LPか17cm シングル、または78回転 SPというモノを指す言葉だ。CDは該当しない。
さらにサブスクリプションなど音楽配信サービスが主流となった現在、CDは売れず発売される新譜の数も激減した。体感として1978年と比較し4分の1程度ではないだろうか。ドイツ・グラモフォン、ソニー・クラシカル(米)、オランダのフィリップスを統合したデッカ・レコード(英)といったクラシック音楽のメジャー・レーベルが積極的にレコーディングをしなくなったため、シカゴ交響楽団やロンドン交響楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ、そして天下のベルリン・フィルでさえも、各オーケストラが個別に自主レーベルを立ち上げざるを得ない状況に追い込まれている。
今にして思えば2008年、早々に映像配信サービス「デジタル・コンサートホール」を開設したベルリン・フィルは先見の明があった。2023年から漸くドイツ・グラモフォンも重い腰を上げ、「ステージプラス」というクラシックの映像&音楽配信サービスを始めた。
はっきり言う。今どきCDを買うやつはどうかしてる。時代遅れも甚だしい。世界的に見てもCDを未だに購入しているのは日本人だけで、海外は完全に配信に移行している。えっ、サブスクよりもCDの方が音が良いって??アホぬかすな!音質にこだわるならハイレゾ音源配信を買え。
どうして日本だけCDが細々と流通しているのか。これは付喪神(つくもがみ)信仰と深い関係があるのではないかと僕は考える。九十九神とも表記され、 長い年月を経た道具などには精霊が宿るとされる。神道においては、古来より森羅万象に八百万(やおよろず)の神が宿るとするアニミズム的世界観(汎神論)が定着していた。付喪神となりうる寄り代も森羅万象であり、道具や建造物の他、動植物や自然の山河などに及ぶ。
CD(モノ)には神が宿る。実体のない配信では覚束ない。それは単なる空間の振動だ。モノが手元にないと安心出来ない……令和になっても性懲りもなくCDを買い続けている日本のクラヲタの深層心理はこのような感じではないか?
・ 【考察】日本人は何故、CDを買い続けるのか? 〜その深層心理に迫る 2019.03.16
さらにクラシック音楽を聴く人は老人が多く、新しい時代のデバイスに順応出来ていないという側面もあるのかも知れない。閑話休題。
1947年に創刊された、ジャズを専門とする月刊音楽雑誌「スイングジャーナル」誌は2010年7月号をもって休刊、63年に及ぶ歴史に幕を閉じた。同誌の取り上げる音楽家やレコードなどの評論には定評があり、「スイングジャーナル・ジャズディスク大賞」なども発表していた。「スイングジャーナル」の訃報を聞いた時、僕は「レコード芸術」終焉も時間の問題だと悟った。すでに命運は尽きていたのである。むしろそれから13年間、よく持ちこたえた方だろう。音楽之友社さんは頑張った。お疲れ様でした、安らかにお眠りください。
一部の愛読者の間から雑誌存続を求める署名活動も始まっているようだ。これを聞いて思い出したのが、橋下徹氏が大阪府知事だった時代に起こった、大阪センチュリー交響楽団(当時)に対する府からの年間4億1千万年の補助金廃止を是とするか否かの論争である。
・ 在阪オケ問題を考える 2007.07.31
・ 在阪オケ問題を考える 2012年版 2012.04.14
補助金継続を求める一派が熱心に署名運動を行った。その時も感じたこと。
署名するなら金を出せ。
「レコード芸術」休刊もそうだが、問題の本質は財政難にある。署名は無料(ただ)だ。お気楽な形で正義を振りかざし悦に入るな。「レコード芸術」存続を希望し署名する者たちは、例えば毎月10万円ずつ音楽之友社に寄付するくらいの覚悟はあるのか?あるいは毎月1人20冊以上購入するとかね。それくらいの気概がなければ経営は成り立たないだろう。現実を直視せよ!
ただ、クラシック音楽の録音物のどれを聴けば良いのかサブスクで選ぶときの指標があると重宝するので、新譜の批評が読めなくなるのは困ったものだ。識者による音楽評や映画評は(盲信しないが)役に立つので、今後も彼らが活躍する場があれば良いなと思う次第である。個人のブログ・SNSには限界があるので。
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