「すずめの戸締まり」公開初日鑑賞報告!/【考察】どうして新海誠はセカイ系であり続けるのか?/村上春樹・高橋留美子との接点
11月11日(金)朝9時。大阪エキスポシティにある109シネマズのIMAXレーザーで新海誠監督『すずめの戸締まり』公開初日を観てきた。因みにIMAXの最高品質であるレーザーが導入されている劇場は限られており、例えばTOHOシネマズなら日比谷、新宿、流山おおたかの森、西宮OSの4館しかない。なお僕は『君の名は。』も『天気の子』も公開初日に観ている。
評価:AAA
掛け値なしの傑作。新機軸のロード・ムービーというのも心地よいし、直木賞を受賞した天童荒太の小説『悼む人』を彷彿とさせるプロットも素敵だ。当然「観たくない」という人も現れるであろう、東日本大震災と正面から向き合った姿勢・覚悟も天晴である。涙がとめどなく流れた。地震が多い国・日本に住む僕たちの集合的無意識にグサッと刺さる作品であり、大ヒット間違いなし。
2002年の処女作『ほしのこえ』から新海誠監督は“セカイ系の旗手”と呼ばれてきた。「世界の終わりに通じるような大惨事が、"ぼくときみ"というふたりの男女の恋愛関係に収斂されていく」というセカイ系の定義は『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締まり』という〈天災三部作〉でも一貫している。では何故彼はセカイ系であり続けるのだろう?
ズバリ簡潔に言おう、新海作品の本質は〈和歌の世界〉である。『言の葉の庭』で引用される万葉集は言うに及ばず、『君の名は。』の発想の原点は古今集に収載された小野小町の和歌「思いつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらん夢と知りせば覚めざらましを」だ(そう企画書に書いてある)。また劇中、ユキちゃん先生は授業で「誰そ彼(たれそかれ)とわれをな問ひそ九月(ながつき)の露に濡れつつ君待つわれそ」という万葉集の歌を取り上げている。
つまり『ほしのこえ』における男女のメールのやり取りは、万葉集における相聞歌(そうもんか)の代用なのだ。『君の名は。』の瀧と三葉もスマートフォンで一度も肉声による会話を交わさない。スマホはあくまで交換日記の道具であり、相聞歌だ。つまりセカイ系=相聞歌という式が成立する。
新海作品は『伊勢物語』『とりかへばや物語』など和歌が何度も挿入される王朝文学(歌物語)的であるとも言えるだろう。『源氏物語』もそう。『君の名は。』以降はRADWIMPSが和歌の役割を担っている。『すずめの戸締まり』でRADの歌は少ないのだが、その代わりに昭和の歌謡曲が沢山流れる(それで『魔女の宅急便』との関係も明らかになる)。
さて、11月9日に上げた記事「新海誠監督「すずめの戸締まり」のなりふり構わぬ宣伝戦略/【考察】「すずめ」とは何者か?」で、すずめという名前はアメノウズメが由来ではないか?と書いた。そしたら劇場で配られる「新海誠本」のインタビューで監督があっさりそのことを認めているので拍子抜けした。危ない、危ない、公開前に出しておいてよかった!また自説〈三本足の椅子=八咫烏〉も、本編にカラスが出てきたので確信に変わった。
さらに上記事で過去の新海作品に村上春樹と高橋留美子の影響が見受けられると書いた。
『すずめの戸締まり』で描かれる、常世(あの世)と繋がる扉の近くに刺さり、「ミミズ」と呼ばれる災いを封じる「要石(かなめいし)」は高橋留美子の漫画『MAO』にも登場する。おまけに猫鬼(びょうき)まで出てくる。『MAO』の主人公・黄葉菜花は臨死体験をしたことがある女子中学生で、彼女は異世界への門を超え、関東大震災に直面する。
またすずめは旅の途中で神戸に一泊するのだが、神戸は村上春樹が高校生の時に暮らした街で(京都市伏見区に生まれた村上は幼少期に兵庫県西宮市の夙川に転居した。夙川から神戸三宮まで電車で11分)、彼の処女作『風の歌を聴け』の舞台である。そして村上の連作短編小説『神の子どもたちはみな踊る』は阪神・淡路大震災をテーマにしている。こんなお話だ。
信用金庫に勤める冴えないサラリーマン・片桐の元に、ある日突然巨大な蛙が現れる。地下で気持ちよく眠っていた「みみずくん」が神戸の地震で目を覚まされ、その怒りにまかせて東京に大地震を起こそうとしている、それを阻止できるのは片桐だけだと「かえるくん」は言うのだ。
『すずめの戸締まり』との関係は火を見るより明らかだろう。すずめも東京の大地震を阻止するのだから。
さらに『君の名は。』を観れば、誰もが大林宣彦監督『転校生』の影響を強く感じるだろう。僕は『秒速5センチメートル』における踏切の場面でも『転校生』のことを思い出さずにはいられなかった。そして『君の名は。』終盤、冬の東京で瀧と三葉がすれ違う場面の演出は間違いなく大林映画『時をかける少女』エピローグ・シーンへのオマージュである。で、僕が気になっているのは『すずめの戸締まり』の登場人物・草太という名前。大林監督は映画『あした』以降、自ら作曲をする場合は、ペンネーム「學草太郎(まなぶそうたろう)」を使っているのである。そして映画『ふたり』の主題歌は「草の想い」(作詞:大林宣彦)。果たして関係はあるのだろうか??勿論、トルーマン・カポーティの小説『草の竪琴』が由来である可能性も捨てきれないのだが……。
最後にネタバレで重要なことを指摘しておこう。未見の方は要注意。
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映画終盤、幼少期(4歳)のすずめが出会い自分の母親だと思っていた人が、12年後の自分自身であったことを知る。僕は「どこかで観た覚えのある情景だ」とデジャヴを感じた。帰宅して漸く思い出した。アルフォンソ・キュアロン監督『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』だ。吸魂鬼(ディメンター)に襲われピンチに陥ったときハリーは「守護霊の呪文」を唱え、誰かに助けられる。気を失う直前に見た人を彼は自分の父親だと思う。しかし真相は未来からタイムトラベルして来たハリー自身であった。つまり自分自身の中に、親の精神やDNAは生きているということである。
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