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2022年11月30日 (水)

【考察】文化人類学者レヴィ=ストロース的視座(構造)から見た新海誠監督「すずめの戸締まり」

フランスの文化人類学者レヴィ=ストロースは「神話通時的であると同時に、共時的に読める」と述べている。共時的とは、〈過去・現在・未来は同時にここにある〉とする考え方だ。

さらに著書〈神話論理〉四部作の中で彼は「神話とは自然から文化への移行を語るものであり、神話の目的はただ一つの問題、すなわち連続不連続のあいだの調停である」と説く。

「すずめの戸締まり」には次のような二項対立がある。

 〈常世(とこよ):死者の世界〉↔〈現世(うつしよ):生者の世界〉

これぞ正に

 連続 ↔ 不連続

の対立である。人は死ぬ。人生は無常であり、『平家物語』で言うところの生者必滅の理(しょうじゃひつめつのことわり)だ。

Utsu

〈現世(うつしよ)〉は平安時代に〈浮世(うきよ)〉と言った。〈常世(とこよ)〉は永遠に変わらない恒常的世界であり、〈浮世〉は水の流れや波のまにまにふわふわ漂い、常に変化する世の中という意味。万物は流転する。仏教的厭世感から、〈憂(う)き世〉という表記が本来の形で、「つらいことが多い世の中」のこと。地震の多い現在の日本も〈憂き世〉だし、それは平安時代の人々が抱いていた末法思想にも繋がっている。末法元年である1052年に創建されたのが宇治平等院だ。詳しくは下記事をお読み頂きたい。

 ・【考察】映画「天気の子」を超ディープに味わうための、7つの事項(新海誠と村上春樹) 2019.07.19

また〈うつしよ〉は〈写し世〉のダブル・ミーニングとも解釈可能だろう。影のようなものだから実体がなく、定まらずゆらいでいる。

江戸川乱歩はしばしば色紙に「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」と書いた。我々が生きている時空間は〈高次元世界=常世〉の投影に過ぎず、夢を見ているときこそが本当の世界、うつつというわけだ。

〈常世〉について『すずめの戸締まり』の草太は「すべての時間が同時にある場所」と説明する。正に〈過去・現在・未来が同時に存在する〉共時的時空間ということだ。

一方で〈現世〉は過去→現在→未来と直線的に時間が進む通時的世界であり、ドイツの哲学者ヘーゲルは歴史を振り返ると世界や人間は弁証法的なやり方で日々成長・発展していると説いた。それを受けて20世紀フランスの哲学者サルトルは「ヘーゲルは正しい。合理的精神・理性を持って、進歩し続ける歴史に積極的に参加(engagement アンガージュマン)すれば、我々は素晴らしい世界に到達出来る」と主張した。

サルトルに対して、それはあくまで西洋中心主義的価値観(啓蒙思想)に基づく主観的で傲慢な物言いであり、単なる幻想に過ぎないと徹底批判したのがレヴィ=ストロースの著書『野生の思考』(1962年刊)である(そもそも歴史が人類の進歩の記録なのであれば、20世紀にアドルフ・ヒトラーやヨシフ・スターリン、21世紀にドナルド・トランプやウラジーミル・プーチンのような人物が現れ、彼らを支持する人々が少なくないという事実は完全に矛盾しているではないか!閑話休題)。

 ・レヴィ=ストロース「野生の思考」と神話の構造分析 2018.03.24

庵野秀明(企画・脚本)の映画『シン・ウルトラマン』で、神永(=ウルトラマン)が『野生の思考』を読んでいる場面が登場するのはご存知の通り(特報でも確認出来る)。

新海誠(著)『小説 すずめの戸締まり』で草太の祖父は次のように言う。「常世は見る人によってその姿を変える。人の魂の数だけ常世は在り、同時に、それらは全てひとつのもの」

これはユング心理学で言うところの〈個人的無意識〉と〈集合的無意識〉に相当するだろう。

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レヴィ=ストロースに話を戻そう。『すずめの戸締まり』において、

 連続 ↔ 不連続

の境界を超え循環(行き来)し、調停するトリックスターの役割を果たすのはダイジンである。

トリックスターは悪賢い冗談や、ひどい悪戯を好み、姿を変える力がある。完全に負の英雄だが、その愚かさによって、他の者が一生懸命努力しても達成出来なかったことを軽々と成し遂げてしまう。トリックスター・イメージの活性化は、惨禍が生じたこと、もしくは危険な状況が生じていることを意味する。

 ・〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その3〉影・トリックスター・ヌミノース 

また『すずめの戸締まり』には次のような二項対立もある。

 〈環は4歳のすずめに「うちの子になろう」と言う(親族の肯定)〉↔〈17歳のすずめは叔母を「環さん」とよそよそしく呼び、「おばさん弁当」を口にしない(親族の否定)〉

 〈すずめはやせ細った猫に「うちの子になる?」と言う(親族の肯定)〉↔〈ダイジンは草太に「おまえはじゃま」と言い、3本足の椅子に閉じ込める(親族/仲間意識の否定)〉

 〈要石は氷のように冷たい〉↔〈ミミズは火のように熱い〉

 〈草太は暴れるミミズを要石で鎮める(怪物退治ー英雄ー過大評価)〉↔〈草太は3本脚の椅子に閉じ込められ上手く走れない(不具ー過小評価)〉

さて、主人公の名前・岩戸鈴芽(いわとすずめ)は『古事記』『日本書紀』に登場する天の岩戸(あまのいわと)伝説のアメノウズメ由来であることは既に下記事に書いた。

 ・新海誠監督「すずめの戸締まり」のなりふり構わぬ宣伝戦略/【考察】「すずめ」とは何者か?

繰り返しになるが伝説の内容はこうだ。弟・須佐之男(スサノオ)の狼藉にショックを受けた天照大御神(アマテラスオオミカミ)は天岩戸に引き篭った。天照=太陽神が隠れたために高天原(たかまがはら=天上界)も葦原中国(あしはらのなかつくに=地上の人間が住む世界)も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した。そこで天照を引張り出そうと天宇受売命/天鈿女命(アメノウズメ)が胸をさらけ出して踊ったところ、八百万の神が一斉に笑った。これを聞いた天照は訝しんで天岩戸の扉を少し開け、 隠れていた天手力男神がその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。

この神話には次にような二項対立がある。

 〈岩戸が開く:世界が太陽で照らされ平和な状態〉↔〈岩戸が閉じる:世界が闇に閉ざされ禍(まが)が発生する〉

一方、『すずめの戸締まり』の場合はこうだ。

 〈扉が閉じる:世界が平和な状態〉↔〈扉が開く:中から災厄(ミミズ)が飛び出し地震が発生する〉

つまり〈扉を開く〉↔〈閉じる〉という行為は反転しているが、二項対立間(左右)の関係性は同じであり、これを「同じ構造を持っている」と言う。そしてレヴィ=ストロースは〈開く〉↔〈閉じる〉の反転を「変換」と表現している。お判りいただけただろうか?

 ・【考察】超マニアック講座! 新海誠監督「すずめの戸締まり」をめぐる12の事項

新海誠のディープな世界へようこそ。

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