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2021年12月15日 (水)

巨星墜つ〜追悼・丸谷明夫が日本の吹奏楽に残した功罪

「丸ちゃん」の愛称で親しまれた淀川工科高等学校吹奏楽部顧問・丸谷明夫先生が2021年12月7日にお亡くなりになった。享年76歳、死因は膵頭部がん。定年退職後、淀工での肩書は「名誉教諭」となっているが、実質的には無給で吹奏楽部の指導をされていた(確か月刊誌「Wedge/ウエッジ」の記事で読んだ)。

淀工退職後は大阪音楽大学で吹奏楽の特任教授を経て客員教授となった。また2013年5月から21年5月まで全日本吹奏楽連盟の理事長を務めた。

DVD「淀工吹奏楽日記 スペシャルエディション 丸ちゃんと愉快な仲間たち」には1999年頃に乳がんの手術をして退院した時の様子が記録されている。

丸ちゃんは大阪工業大学を卒業し教員免許を取得、淀工では電気科の授業を担当。つまり専門的音楽教育は受けていない。

全日本吹奏楽コンクールに41回出場、32回金賞受賞。いずれも史上最多記録である。

僕は丸ちゃんのことを吹奏楽指導者として、そして指揮者として深い尊敬の念を抱いている。しかし一方で、「それってどうなの!?」と苦々しく思う側面もあった。だから一時期は淀工のグリーンコンサート(3年生卒業コンサート)に毎年通い、サマーコンサートや普門館での全国大会の演奏も聴いたし、丸ちゃんを慕うプロのオーケストラ楽員が年に1回集う「なにわ《オーケストラル》ウィンズ」の演奏会にも毎年足を運んだのだが、全日吹連・理事長就任以降は距離をおいていた。

一般に日本では「死者の悪口は言ってはいけない」とされている。しかし「丸谷先生は本当に偉大な人でした」と褒め称えるだけなのも違うと思うのだ。人を愛するとは、その人の長所も欠点も全部ひっくるめて受け止めること。だから僕は良いことも悪いことも、包み隠さず書きたい。今まで秘めていた想いをぶちまけよう。それこそが真の追悼だと信じる。

丸ちゃんの基本的行動原理は「淀工の生徒に絶対悲しい思いをさせたくない。彼らが幸せだったらそれで良い」であると見受けられる。それは教師として正しかったろう。だが全日本吹奏楽連盟の理事長時代(2013-20年度)に断行されたルールの改定には首を傾げざるを得ない。はっきり言う。日本の吹奏楽にとっては明らかな後退だった。

まずマーチングコンテスト。2013年度から全国大会での演奏人数は、先導役のドラムメジャーを含めて81人以内と改定された。それまでは人数制限がなく、100人以上出場する学校も沢山あったが、運営上何の問題もなかった(僕は何度も大阪城ホールで大会を観ている)。どうして制限を設ける必要があるのか、正当な理由などない。それまで金賞の常連校だった大阪桐蔭高等学校吹奏楽部の梅田隆司先生は「全員でやることに意味がある」と考える方なので、これを契機にコンテスト出場を止めてしまった。

また全日本吹奏楽コンクールには嘗て「三出休み」という制度があった。全国大会に3年連続出場した団体は、翌年お休み(コンクールに出られない)という仕組みである。これにより、同じ団体ばかり毎年出場するという事態を阻止し、他の団体にもチャンスが与えられた。意外にも強豪校がお休みの年に棚ぼたで全国大会に出場した学校が、金賞の栄冠に輝くこともあった。しかし1994~2012年の間 あった「三出制度」も2013年度から廃止された。その結果、淀工は2011年から19年まで9年連続で全国大会に出場し続けることになる(2020年は新型コロナ禍でコンクール自体が中止となった)。「三出制度」がなくなってから全国大会高校の部の出場校は毎年同じような顔ぶればかりになり、詰まらないものに成り下がった(中学の部は先生の転勤があるので、常連校というのは稀)。

丸ちゃんは若い頃、コンクールの自由曲でイベールの『寄港地』やヴェルディの『シチリア島の夕べの祈り』などを取り上げ銀賞に終わることもあったが、1995年からラヴェル『ダフニスとクロエ』第2組曲→スペイン狂詩曲→大栗裕『大阪俗謡による幻想曲』という鉄壁の3曲ローテーションを開始以降、21大会連続金賞受賞という破竹の快進撃を続けた。なお2005年以降はスペイン狂詩曲も外れて2曲ローテーションになった。

確かにこのやり方なら、安定して高評価を得られるだろう。しかし他の団体も皆真似し始めたらどうなる?コンクールは同じ曲の繰り返しで明け暮れ、新曲がお披露目される機会もなくなり、吹奏楽の発展は閉ざされてしまう。それは即ち「吹奏楽の死」を意味する。実際に丸ちゃんの手法を真似する指導者がちらほら現れ始めている。そこで提案なのだが、「同一団体が同じ自由曲で出場するのは5年間禁止」とかいった新たなルールを設けたらどうだろうか?

また、全日本マーチングコンテストにいたっては、淀工が演奏する曲目は毎年同じ。コンテ(マーチングの動きを記したもの)も寸分違わず、毎年金賞を受賞していた。そのことを吹奏楽掲示板等で非難されると、擁護派は「曲は同じでも演奏する生徒は毎年変わるのです」という定型文を常時書き込んだ。

さて、後半は丸ちゃんの功績を讃えよう。

まずは指導者・指揮者としての素晴らしさ。「マーチの丸谷」と呼ばれ、行進曲を振らせたら彼の右に出るものはプロの指揮者を含め、世界中探してもいなかった。唯一無二。

丸ちゃんが引き締まったテンポで振るマーチは躍動感とワクワク感に満ちている。行進曲の構成は基本的にA-B-A'の三部形式が多い。比較的静かな中間部Bを経てA'パートが戻った時、丸ちゃんは最初よりも少しだけテンポを速める。この微調整が聴き手に興奮をもたらす。ちなみに2005年以降、コンクールの課題曲はすべてマーチを選択している。

全日本吹奏楽コンクールにおける淀工の『大阪俗謡による幻想曲』と『ダフニスとクロエ』は、やはり絶品だった。キレッキレのリズム、一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、研ぎ澄まされ、洗練された音色。幅広いダイナミックス(強弱法)、そして弱音ppの美しさ!プロも真っ青である。神業と言っていい、至高のレベルに達していた。

あと忘れ得ぬ名演としてアルフレッド・リード作曲『アルメニアン・ダンス Part 1』とパーシー・グレインジャー作曲『リンカンシャーの花束』を挙げておきたい。

『アルメニアン・ダンス』について丸ちゃんは「吹奏楽にとっての、ベートーヴェン『第九』のような存在にしたい」という夢を常々語っていた。つまり、一般人の誰もが知っている名曲という意味である。僕は一般公募により丸ちゃんの指揮、大阪城ホールで、この曲を演奏したことがある。かけがえのない大切な想い出だ。

コンクールの「三出制度」があった時代、出場出来ない年にまる1年掛けて丸ちゃんが1音1音慈しむように練り上げた楽曲が『リンカンシャーの花束』。2月に開催される3年生の卒業演奏会「グリーンコンサート(通称グリコン)」でお披露目された。素朴でどこか懐かしく、しみじみと心に響く音楽。そしてちょっぴり寂しい。僕は丸ちゃんの指揮で初めて生で聴き、大好きになった。難易度は決して高くないので、吹奏楽コンクールでは一度も演奏しなかった。しかし丸ちゃんが心から愛した珠玉の作品だ。

丸ちゃんが指揮する『アルメニアン・ダンス Part 1』と『リンカンシャーの花束』のCDなら、なにわ《オーケストラル》ウィンズか、東京佼成ウインドオーケストラの演奏をお勧めしたい。後者のアルバム「マルタニズム」はSpotifyなど定額制音楽配信サービスで聴くことが出来るし、映像付きBlu-rayも発売されている。

Marutani

あと丸ちゃんの功績として絶対に忘れてはならないのが日雇い労働者の街、あいりん地区(大阪市)で毎年開催してきた「たそがれコンサート」のことである。これをDVD「淀工吹奏楽日記 丸ちゃんと愉快な仲間たち」で知ったときは衝撃を受けた。そして僕も実際に現地に足を運んでレポート記事を書いた。

教育者としての真髄、ここにあり。

丸谷先生、本当に色々有難うございました。どうぞ安らかにお眠りください。

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コメント

 丸谷先生がアルメニアンダンスパートⅠを、ベートヴェンの「第九」のように・・・とおっしゃっていた、と記憶していますが。

投稿: 水島龍太郎 | 2022年2月12日 (土) 11時16分

ご指摘の通りです。修正しました。

投稿: 雅哉 | 2022年2月13日 (日) 08時07分

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