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2021年10月

DUNE/デューン 砂の惑星

評価:保留

IMAXで鑑賞。映画公式サイトはこちら

Dune

評価を「保留」にしたのにはそれなりの理由がある。そもそも映画冒頭でPart Oneと出てくるので、つまりPart Twoがあるわけ。アメリカで公開され、大ヒットしたため、ようやく続編製作にゴーサインが出た。北米では2023年10月20日と発表された。

映画の宣伝では「パート 1」であることを隠しているので「騙された!」と思う人もいるだろう。そうでなくとも上映時間2時間35分と長尺だし、続きものだと事前に知っていたら二の足を踏む人も少なくなかろう、と想像に難くない。丁度『ロード・オブ・ザ・リング』の第一作目を観た感じに近い。物語は始まったばかりだし、現時点ではなんとも言えない。

美術や撮影、特撮、音響効果は優れているし、今のところなんの不満もない。パート 2が愉しみだ。

しかし“ハリウッドの王子”と呼ばれるティモシー・シャラメとゼンデイヤというカップルは眼福だね。 

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最後の決闘裁判

評価:A

Lastduel

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『グッド・ウィル・ハンティング』(1997)でアカデミー賞/オリジナル脚本賞を受賞したベン・アフレックとマット・デイモンが久しぶりに共同脚本を手がけ、出演した。ただし今回はノンフィクションの原作がある。また女性目線で描く第三部は女性脚本家ニコール・ホロフセナーが加わった。

振り返ればリドリー・スコット監督の長編映画デビュー作は無意味な決闘を繰り返す主人公を描く『デュエリスト/決闘者』(1977)だったわけで、原点回帰と言えるのではないだろうか?本作を観ながら「自分の誇りや名誉を守るために殺し合いをするなんで実に馬鹿げているし、そもそも勝者が正義で、敗者が悪だと決着がつくわけでもない。虚しい」と思った。考えてみればそれは戦争も同じだ。歴史書というのは常に勝者の視点から書かれて来たが、『最後の決闘裁判』で描かれたように敗者側など複数の視点から観察すれば、もっと別の物語が見えてくる気がする。そういった奥行きを持った深い作品である。

リドリー・スコット監督の映画に登場する女性たちは昔から強かった。『エイリアン』のリプリーは言うに及ばず、『テルマ&ルイーズ』の主人公ふたりは女を性処理の道具くらいにしか考えていない男たちをぶっ飛ばして、空高く飛翔して行った。そして本作のヒロイン・マルグリットも当初は父親が決めた政略結婚に従うおとなしい娘のように見えるが、徐々に彼女の芯の強さが浮かび上がってくる構成になっている。

裁判の場面ではレイプ被害者なのに「お前が誘ったんだろう」的なことを言われたり、「セックスで絶頂に達したか?」と無神経なことを男たちから言われたりと、観ていていたたまれない気持ちになった。そして告発者が裁判で再び人間の尊厳を奪われるような屈辱的な目(=セカンドレイプ)に遭うという状況は、現代でも十分起こり得ることだなと空恐ろしくなった。

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007/ノー・タイム・トゥ・ダイ

評価:A

Notime

ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンド役に起用されてから、本シリーズは大きく舵を切った。特にサム・メンデス監督が登板した『スカイフォール』ではボンドの幼少期に遡る旅が描かれ、次の『スペクター』では犯罪組織のボス・ブロフェルドがボンドと因縁の関係であることが明らかに。キャリー・ジョージ・フクナガ監督がバトンを受けた本作でもその路線は継承され、今回は殺し屋ミスター・ホワイトの娘マドレーヌ・スワンが少女時代に体験したトラウマが蘇る。そしてイタリア南部の街マテーラの祭りでは「紙切れに火をつけて燃やすみたいに、辛かった記憶を消し去ることは出来るのか?」という問いが発せられるが、(悪役も含め)登場人物たちは追いかけて来る過去の影から逃れることが出来ない。

マドレーヌの回想では雪に閉ざされた森の中の一軒家が登場するが、森というのは暗い過去・深層心理のメタファーなのだろう。その奥底へと我々観客も深く潜っていく。

そしてこの体験はキャリー・フクナガがプロジェクトの途中で監督から降板し、脚本のみにクレジットが残ったスティーヴン・キング原作『IT/イット』をも彷彿とさせる仕掛けになっており、ピエロの代わりに本作では能面の男が登場する。

さらに私たちは007シリーズそのものの過去作にも旅することになる。現役を退いたボンドはジャマイカで悠々自適の日々を過ごしているが、ここは第1作『ドクター・ノオ』物語発端の地でもある。極めつけは映画冒頭ボンドとマドレーヌがランデブーを満喫している場面で『女王陛下の007』挿入歌「愛はすべてを越えて」の旋律が聞こえてきて、エンド・クレジットでは同曲をサッチモ(ルイ・アームストロング)がしゃがれ声で味わい深く歌う。『女王陛下の007』はボンドがシリーズで唯一結婚する異色作であり、『インセプション』『TENET テネット』のクリストファー・ノーラン監督が一番のお気に入りと宣言するほど多くのファンから愛されている作品。そして『ノー・タイム・トゥ・ダイ』のプロットと見事に対にもなっている。鮮やかで、懐かしくもあり、胸が熱くなる幕切れだった。ダニエル・クレイグ、そしてフクナガ監督、本当にありがとう!!

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アカデミー賞にノミネートされたボスニア映画「アイダよ、何処へ?」

『アイダよ、何処へ?』は2020年度の米アカデミー賞で国際長編映画賞にノミネートされた(受賞したのはデンマーク代表『アナザーラウンド』)。監督はヤスミラ・ジュバニッチ、女性である。1995年に起こったスレブレニツァの虐殺が扱われている。公式サイトはこちら

本作を正しく理解するためには、きちっと歴史背景を踏まえておく方が望ましいだろう。

第二次世界大戦後に成立し、冷戦時代ソビエト連邦を中心とする東側陣営の一翼を担ったユーゴスラビア社会主義連邦共和国は、「七つの国境、六つの共和国(スロヴェニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、モンテネグロ、マケドニア)、五つの民族(スロヴェニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、マケドニア人)、四つの言語(スロヴェニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語)、三つの宗教(ギリシア正教、カトリック教、イスラム教)、二つの文字(ラテン文字、キリル文字)、一つの国家」という表現に示される複雑な国家であった。加えて1971年に初めて「民族」として認められたムスリム人もいた。

そのユーゴから1991年にスロヴェニアとクロアチアが分離独立を果たし、同年ソ連は崩壊した。このあたりの地域=バルカン半島は元々「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれ、第一次世界大戦の火蓋を切った場所でもある。社会主義体制が瓦解すると同時に、それまで燻ぶっていた民族問題が大爆発を起こした。

1992年3月に独立宣言したボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦は東がセルビア、西がクロアチアに挟まれている。そして映画の舞台となるスレブレニツァはボスニア東部の街でセルビアとの国境近くにある。

またボスニア・ヘルツェゴヴィナの人口構成はボシュニャク人(ユーゴ時代にムスリム人と呼ばれたイスラム教徒、人口比約44%)、セルビア人(セルビア正教徒、人口比約31%)、クロアチア人(カトリック教徒、人口比約17%)となっている。

評価:A

Aida

タイトルのラテン語「Quo Vadis」は聖書の中でキリスト教徒が迫害される場面で使われる言葉であり、聖ペテロがキリストに対して問うた「(主よ、)何処に行かれるのですか?」という意味。『クオ・ヴァディス』というハリウッド映画もある。

セルビア人がボシュニャク人を大量虐殺する場面(直截的な描写は避けられている)ではナチス・ドイツがユダヤ人たちを(アウシュヴィッツなど)絶滅収容所に送るために貨物列車に乗せる口実であるとか、「シャワーを浴びさせてやるから服を脱げ」とガス室に連れて行く場面を思い出した。歴史は繰り返す。容赦なく。

最後にアイダが下した決断には胸を打たれた。結局、人はどんな辛い目に遭おうとも、「希望」を持ち続けなければ生きていけないのだ。掛け値なしの傑作。僕がアカデミー会員だったら、『アナザーラウンド』ではなく、こちらに投票しただろう。

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サマーフィルムにのって

評価:F (不可)

Summer

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評判が良かったから観に行ったのだが、久々に地雷を踏んだ。お粗末。

映画讃歌をテーマとする作品は少なくないが、しばしばハマりやすい落とし穴は「映画が大好きな俺って、イケてるでしょ?」という自画自賛、自己肯定感丸出しの、まるで他人のマスターベーションを強制的に見せられているような不快感である。本作はその典型で、ほとほとうんざりした。これだけの悪印象を抱いたのは原田眞人監督のデビュー作『さらば映画の友よ インディアンサマー』(1979)以来である(原田さんは今ではちゃんと立派な大人になった)。つまり「サマーフィルムにのって」は青臭いのだ。みっともなくて目を覆いたくなる。反吐が出そう。あと、しょーもない『時をかける少女』の引用にも腹が立った。これは筒井康隆に対する冒涜である。

同ジャンルのスタンリー・ドーネン監督『雨に唄えば』とか、フランソワ・トリュフォー監督『アメリカの夜』、あるいはジュゼッペ・トルナトーレ監督『ニュー・シネマ・パラダイス』の域に達するのは、並大抵のことじゃないと改めて思い知った。

本作の主人公である女子高生は勝新太郎が主演する『座頭市』などの時代劇が大好きで、同級生の友人(女)三人が集う河川敷の秘密基地(小屋)には工藤栄一監督『十三人の刺客』のポスターが貼ってあり、市川雷蔵の『大菩薩峠』や三船敏郎の『椿三十郎』が話題になったりとするわけだが、これは明らかに男の映画マニアの発想であり、女子高生の会話としてはあまりにも不自然。鼻白んでしまった。実際のところ本作は監督・脚本:松本壮史、共同脚本:三浦直之と、男ばかりで書いている。僕は今までに三千本以上の映画を観ており相当なマニアだと自認しているし、岡山映画鑑賞会とか、OBs Club(大林宣彦公認ファンクラブ)といったディープな会に参加してファン同士で語り合ったりもしてきたが、そもそも日本の時代劇が大好きな女性なんか1人として出会ったことがないぞ。黒澤映画に心酔するのも男だけだ。それに、男も含め今どきの高校生に勝新とか雷蔵ファンがいるとも思えない。全くリアリティがない。

主役の伊藤万理華は撮影当時24歳だが、ちゃんと高校生に見えた。彼女は乃木坂46の第1期生で、僕はTVの冠バラエティ番組『乃木坂って、どこ?』をグループのCDデビュー(『ぐるぐるカーテン』)前から見ていたから、彼女のことを知ったのは多分2011年である。グループの中では割と地味な存在で、シングルの選抜に選ばれずアンダーメンバーに甘んじることが多かったように記憶している。ただしアンダー(16−17名)の楽曲で3度、センターに選出されている。万理華(まりっか)が演技するのは初めて見たが、悪くない。新人女優として中々有望だと思う。乃木坂46の卒業生といえば『愛がなんだ』の深川麻衣も良かったし、西野七瀬がスナックのママを演じ好評の『孤狼の血 LEVEL2』も近いうちに是非観たい。彼女たちの未来に幸あれ!

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柳家喬太郎 なにわ独演会 2021

9月23日(祝)ドーンセンターホール@大阪市へ。

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昼の部

・柳家喬太郎:紙入れ
翁家和助:太神楽曲芸
・柳家喬太郎:任侠流山動物園(三遊亭白鳥 作)

夜の部

・柳家喬太郎:花筏
翁家和助:太神楽曲芸
・柳家喬太郎:真景累ヶ淵 宗悦殺し(三遊亭圓朝 作)

『紙入れ』は「昔から“親子は一世、夫婦は二世、主従は三世、間男は止せ(四世)”と申します」というマクラから始まった。親子の関係は一世、夫婦の関係は二世にわたり、主従関係は三世にわたるほど深いものであるということ。如何にも江戸時代・封建制度らしい発想である。

また盗むという意味の「ぎる」という言葉が出てきたが、後で調べてみると「握る」の省略形のようだ。

『任侠流山動物園』のマクラで喬太郎は「今一番観たい映画は『ゴジラ vs コング』と『シン・ウルトラマン』なんです」と。小学生の頃、東映まんがまつりや東宝チャンピオンまつりで仮面ライダーやゴジラ映画を観たことを語り、また自身が主演した映画『浜の朝日の嘘つきどもと』で共演した高畑充希から劇中「ジジイ」と呼ばれ「もう、一生言われたい」と。「それから充希ちゃん、本当に顔が小さいんです!」

夜の部は開口一番「まず本日の演目をご案内します。『黄金の大黒』『がまの油』そして中入りを挟みまして『鼠穴』」これに場内大爆笑。

同日、春風亭一之輔が大阪で独演会をしていたらしく(昼公演のみ)、喬太郎は一之輔に電話して何を高座にかけたか確認したらしい。実際に一之輔の独演会終了後、こちらの会場にはしごした客が多数いた模様。

明るい相撲噺『花筏』に対して、『真景累ヶ淵』の語り口には凄みがあった。凄惨でありながら、聴衆の目と耳を惹きつけて離さない。喬太郎の圓朝は絶品である。

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