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2021年9月17日 (金)

厳選 序曲・間奏曲・舞曲〜オペラから派生した管弦楽の名曲ベスト30はこれだ!

厳選 管弦楽の名曲ベスト40(+α)はこれだ!」という記事ではオペラの序曲や間奏曲を除外した。しかし後々考えてみると、僕が作成したリストが歯抜けというか物足りない。やはりここは追加記事を書き、穴埋めをするしかないと思い至った。

新たなリストは作曲された年代順に並べている。恒例により1作曲家に付き1作品に絞った。末尾に記載した年号は作品が完成、あるいは初演された年を示す。

・パーセル:「妖精の女王」組曲 1695
・ラモー:「優雅なインドの国々」組曲 1735
・モーツァルト:「フィガロの結婚」序曲 1786
・ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲 第3番 1806
・ロッシーニ:「どろぼうかささぎ」序曲 1817
・ウェーバー:「魔弾の射手」序曲 1821
・グリンカ:「ルスランとリュドミラ」序曲 1842
・オッフェンバック:「天国と地獄」序曲 1858
・ヴェルディ:「運命の力」序曲 1862
・ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死 1865
・スッペ:「軽騎兵」序曲 1866
・ヨハン・シュトラウス:「こうもり」序曲 1874
・ビゼー:「カルメン」第1組曲・第2組曲 1875
・ポンキエッリ:「ラ・ジョコンダ」時の踊り 1876
・チャイコフスキー:「エフゲニー・オネーギン」ポロネーズ & ワルツ 1878
・ムソルグスキー:「ホヴァーンシチナ」モスクワ川の夜明け(前奏曲) & 間奏曲 1886
・マスカーニ:「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲 1890
・ボロディン:「イーゴリ公」だったん人(ポロヴェツ人)の踊り 1890
・プッチーニ:「マノン・レスコー」間奏曲 1893
・マスネ:「タイス」瞑想曲 1894
・リムスキー=コルサコフ:「サルタン皇帝」熊蜂の飛行 1900
・レハール:「メリー・ウィドウ」ワルツ 1905
・ディーリアス:「村のロメオとジュリエット」楽園への道 1910
・ヴォルフ=フェラーリ:「マドンナの宝石」間奏曲 第1番 & 第2番 1911
・フランツ・シュミット「ノートルダム」間奏曲 1914
・ヤナーチェク:「利口な女狐の物語」組曲 1923
・コダーイ:「ハーリ・ヤーノシュ」組曲 1927
・ヴァイル:「マハゴニー市の興亡」組曲 1930
・ベルク:「ルル」組曲 1934
・ブリテン:「ピーター・グライムズ」4つの海の間奏曲 & パッサカリア 1945
・ショスタコーヴィチ「モスクワ・チェリョームシカ」モスクワを疾走 1957

手前味噌だが、ほぼ完璧なリストに仕上がったと自負している。読者の皆様、忌憚のないご意見をコメント欄にお寄せください。

17世紀後半に生きたヘンリー・パーセルはバロック時代のイギリスで最も有名な作曲家。20世紀の作品ベンジャミン・ブリテン『青少年のための管弦楽入門』は副題が『パーセルの主題による変奏曲』であり、パーセルが作曲した劇付随音楽『アブデラザール』の主題に基づいている。パーセル以降、イギリス音楽は不毛の、空白期間が200年続いた。息を吹き返すのは19世紀末、エドワード・エルガーやフレデリック・ディーリアス登場を待たなければならない。

ジャン=フィリップ・ラモーはバロック時代フランスの作曲家。指揮者のサイモン・ラトルがお気に入りで、特に自ら再構成した歌劇『レ・ボレアド』組曲については「ティーンエイジャーの頃、エリオット・ガーディナーの演奏を聴いて感銘を受け、すぐに虜になってしまった。その時からこの曲が私の音楽人生の一部となった」と語っており、ベルリン・フィルの定期演奏会で取り上げている。『優雅なインドの国々』は具体的な国名ではなく、異国の地であるオスマン帝国、ペルー、ペルシャ、北米を意味している。心躍る舞曲だ。

『フィガロの結婚』序曲はドレミファという音階を駆け上がったり駆け下りたりする楽想が如何にもモーツァルトらしい。

『レオノーレ』序曲第3番は歌劇『フィデリオ』の改訂上演(第2稿)のために作曲された。ベートーヴェンは『レオノーレ』というタイトルでの上演をあくまで主張したが、劇場側には受け入れられなかった。第1稿の初演は惨憺たる大失敗で、何度も書き直した。最終稿である『フィデリオ』序曲は魅力に乏しい。

ロッシーニでなんと言っても有名なのは『ウィリアム・テル』序曲だろう。〈1.夜明け 2.嵐 3.静寂 4.スイス軍隊の行進〉という構成。最後の行進曲は北米のテレビ・ドラマ『ローン・レンジャー』のオープニングに使用され、日本では『オレたちひょうきん族』のテーマ曲になった。それ程の知名度はないが、僕は軽妙な『どろぼうかささぎ』も好き。セルジオ・レオーネ監督の遺作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』での使い方が印象深い。

ウェーバーは『魔弾の射手』でドイツ・ロマン派のオペラ様式を完成し、ワーグナーへと流れを導いた。兎に角、浪漫的。

ロシア産『ルスランとリュドミラ』序曲はムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの史上最速、ぶっ飛びの演奏を推薦する。ショスタコーヴィチ:交響曲第6番とカップリングされているディスクだ。腰を抜かすぞ。

『天国と地獄』は原題を直訳すると『地獄のオルフェ』で、特に序曲の第3部『カンカン』が有名。実はオッフェンバックのオリジナル版に序曲はなく、ウィーン初演のためにカール・ビンダーが劇中の曲を編曲して構成した。だから指揮者のミンコフスキーがこの喜歌劇全曲を上演するとき序曲は演奏しない。

ヴェルディのオペラの中から傑作を選ぶとしたら、多分『運命の力』はベストテンに入らない(上位に『ナブッコ』『マクベス』『リゴレット』『イル・トロヴァトーレ』『椿姫』『シモン・ボッカネグラ』『仮面舞踏会』『ドン・カルロ』『アイーダ』『オテロ』『ファルスタッフ』などがあるから)。しかし切れば血が噴き出るような、沸騰する序曲の完成度はピカイチ。他に『シチリア島の夕べの祈り』序曲とか、『アイーダ』シンフォニア(序曲)も良い。これは『アイーダ』前奏曲と別物。

ワーグナーは『トリスタンとイゾルデ』で半音階を駆使しており、それは後のフランス印象派(ドビュッシー、ラヴェル)や十二音技法を生み出した新ウィーン楽派(シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク)への呼び水となった。

スッペの喜歌劇『軽騎兵』は1866年に作曲され、アン・デア・ウィーン劇場で初演された。現在では本編が劇場で上演されることはなく、あらすじも忘れ去られた。黒澤明の映画『影武者』が公開された折、予告編で『軽騎兵』序曲が使用されており、池辺晋一郎の音楽も似たものに仕上がっている。そもそもラッシュ・フィルムにイメージを喚起するために『軽騎兵』がつけられていたという。このように作曲家に監督や製作者が自分たちのイメージを伝えるために、完成前のフィルムに仮(テンポラリー)につけた音楽のことをテンプトラック(Temp track あるいは Temp music)と言う。

喜歌劇『こうもり』は『軽騎兵』同様アン・デア・ウィーン劇場で初演された。現在ウィーン国立歌劇場では毎年年末年始に公演が組まれており、大晦日に『こうもり』を観劇し、その翌日にウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを楽しむというのがこの街の恒例行事になっている。なんとも華やかで、心がウキウキする音楽。新年を迎えるのに相応しい。

ビゼーの『カルメン』は生真面目な男が魔性の女(ファム・ファタール)に誘惑、籠絡されて身を滅ぼすという物語であり、基本構造は『椿姫(ラ・トラヴィアータ)』や『マノン・レスコー』と同じである。オペラ作曲家がこういった素材を好むという現象は心理学的に興味深い。

『時の踊り』はディズニーの『ファンタジア』で取り上げられたことでも有名。歌劇『ラ・ジョコンダ』のバレエ音楽である。原作はヴィクトル・ユーゴーの戯曲で、オペラ用台本を『シモン・ボッカネグラ』(改訂版)『オテロ』『ファルスタッフ』(以上ヴェルディ作曲)『メフィストフェーレ』のアッリーゴ・ボーイトが書いた。

『エフゲニー・オネーギン』はプーシキン原作。交響曲や『くるみ割り人形』の“花のワルツ”もそうなのだが、チャイコフスキーのワルツは絶品だ。

『ホヴァーンシチナ』は他のムソルグスキー作品同様に、友人のリムスキー=コルサコフがアレンジやオーケストレーションを施している。余りにもかけ離れたものに仕上がっているので、原曲に忠実なショスタコーヴィチ版もある。

『カヴァレリア・ルスティカーナ』とは直訳すると『田舎の騎士道』といったかんじ。激しく波打つ胸の内を切々と訴えかけるような間奏曲は文化大革命下の北京を舞台に少年のひと夏の恋を描いた中国・香港の合作映画『太陽の少年』(1994)で印象的に使われていた。

『イーゴリ公』だったん人の踊りは本来、合唱付きである。オーケストラ単独より、やはりそちらの方が迫力がある。

プッチーニの音楽は甘美だ。『カヴァレリア・ルスティカーナ』にも言えることだが、カンタービレ(イタリア語で「歌うように」という意味)の魅力。『マノン・レスコー』と同じ小説を原作とするマスネ作曲『マノン』も優れたオペラである。両者でイタリアとフランス・オペラの違いを味わってみるのも一興だろう。

マスネ『タイス』は瞑想曲ばかりが有名だが、この記事を書くにあたり、初めて歌劇全曲をBlu-rayで視聴してみるとなかなか面白かった。なんとタイスは高級娼婦だった!あのヴァイオリン・ソロが清楚で美しい瞑想曲からは想像だにしていなかった。禁欲を善とする神父が、ファム・ファタールに翻弄されるという意味で『マノン』に近い構造を持った物語である。なお、この瞑想曲は大林宣彦監督の映画『転校生』で使用されている(一夫の幼馴染で病弱な女学生の家を一美が訪問する場面)。

“熊蜂の飛行”は『サルタン皇帝』第3幕で主人公の王子が魔法の力で蜂に姿を変え、誤解から自分と母を流罪にした父の皇帝のもとに海を渡って飛んで行く場面で演奏される。セルゲイ・ラフマニノフやジョルジュ・シフラによるピアノ独奏のための編曲や、ヤッシャ・ハイフェッツによるヴァイオリン独奏用編曲などがあり、他にもギターやトランペット、トロンボーン、チューバなどでも演奏される。指を高速で動かすテクニックをひけらかす、つまりヴィルトゥオーソ(virtuoso)を誇示する目的でしばしば取り上げられる。逆に意外と原曲を聴いたことがある人は少ないのではないだろうか?

レハールのオペレッタに関して、吹奏楽の世界では鈴木英史による『メリー・ウィドウ』セレクションの人気が高い。ワルツはアルフレッド・ヒッチコック監督の映画『疑惑の影』(1943)で繰り返し不気味に鳴り響く。またエルンスト・ルビッチ監督の『メリィ・ウィドウ』(1934)も名作。

上演される機会は滅多にないが僕はディーリアスの歌劇『村のロメオとジュリエット』が大好きだ。マッケラスが指揮した全曲のDVD(LD:レーザー・ディスクも持っていた)を繰り返し観た。“楽園への道”はいわば、近松心中ものにおける「道行(みちゆき)」みたいなもの。つまり死地への旅の道程である。

『マドンナの宝石』でしばしば演奏されるのは第2幕への間奏曲(第1番)だが、興味深いことにヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィルは第3幕への間奏曲(第2番)のみレコーディングしている。

フランツ・シュミットについては下記事もお読みください。

 ・シリーズ《音楽史探訪》ナチズムに翻弄された作曲家ーフランツ・シュミットの場合 2012.06.22

『ノートルダム』はヴィクトル・ユーゴーの『ノートルダム・ド・パリ』を基にした歌劇らしいのだが、少なくとも僕は最近欧米で上演されたという話をとんと聞かない。1956年に日本で初演されているそうなのだが……。カラヤンはこの間奏曲のみを2回スタジオ録音しているが、実演では交響曲やオラトリオ『7つの封印の書』を含め、一切シュミットを取り上げたことがない。カラヤン同様オーストリア出身のカール・ベームも皆無。なお、キリル・ペトレンコはベルリン・フィルと交響曲第4番を取り上げ、そのライヴ録音はCDとしても発売されている。

ヤナーチェク『利口な女狐の物語』は色っぽい。マッケラス/ウィーン・フィルの演奏でどうぞ。あと同作曲家の『死者の家から』組曲もお勧め!原作はドストエフスキー『死の家の記録」。実体験に基づいた獄中記である。

コダーイは同郷のバルトーク同様に、ハンガリー民謡を収集・研究した。『ハーリ・ヤーノシュ』は「くしゃみ」から始まる。民族(打弦)楽器ツィンバロムが使用されているのが特徴的。

『マハゴニー市の興亡』のベルトルト・ブレヒト作、クルト・ヴァイル作曲というコンビは『三文オペラ』でも有名。ドイツでの初演は1930年なので世界大恐慌の直後だ。欲望を全肯定し、なんでも金、金、金という資本主義社会を戯画化している。ヤクザな連中がアメリカの砂漠地帯に都市を築くというお話なので、僕が一番に連想するのはラスベガスである(行ったことがある)。実際にはバグジー(ベンジャミン・シーゲル)がネバダ砂漠の真ん中にフラミンゴホテルを建設しカジノの都を築いたのは1946年なので、未来を予言したと言えるだろう。ナチスが本作に“退廃音楽”の烙印を押し、上演禁止にするのは1933年である。音楽活動の道を閉ざされたヴァイルは同年パリに逃れ、1935年にアメリカ合衆国に移住、ミュージカルの作曲家になった。

歌劇『ルル』はアルバン・ベルク未完の遺作。しかし組曲の方は作曲家自身の手で完成されている。1934年にカルロス・クライバーの父エーリヒの指揮によりベルリンで初演された。しかし33年には既にアドルフ・ヒトラーが首相の座に就いており、エーリヒは『ルル』初演直後に幼い息子を連れてドイツを去り、アルゼンチンに移住した。

『ピーター・グライムズ』の主人公は独身の漁師である。だからうねるような波のモチーフが使用されている。4つの海の間奏曲はレナード・バーンスタインが生涯最後の演奏会で取り上げた。なお、ブリテンもレニーもLGBTQ+である。

『モスクワを疾走』の音源はシャイー/フィラデルフィア管の『ショスタコーヴィチ:ダンス・アルバム』を推薦する。風刺的内容で、聴いていて愉快な気分になれる。

以上紹介した楽曲の音源は、基本的にロビン・ステープルトン/ロイヤル・フィルの演奏か、カラヤン/ベルリン・フィルの演奏を推す。

ステープルトンの指揮では『タイスの瞑想曲』『軽騎兵』序曲、『カヴァレリア・ルスティカーナ』間奏曲、『マドンナの宝石』間奏曲 第1番、『時の踊り』が聴ける。Spotifyで“ロビン・ステープルトン”を検索すると、僕が作成したプレイリストが見つかる筈。

一方カラヤンもこういう小品を振らせたら超一級品で、『軽騎兵』序曲、『こうもり』序曲、『カヴァレリア・ルスティカーナ』間奏曲、『マドンナの宝石』間奏曲 第3番、『ノートルダム』間奏曲、『タイス』瞑想曲、『マノン・レスコー』間奏曲、『エフゲニー・オネーギン』ポロネーズ&ワルツ、『天国と地獄』序曲、『メリー・ウィドウ』ワルツ、『魔弾の射手』序曲、『どろぼうかささぎ』序曲、『レオノーレ』序曲 第3番、『運命の力』序曲などを録音している。Spotifyで僕はこれらをプレイリスト“カラヤン珠玉の小曲集”としてまとめた。

ロビン・ステープルトン(Robin Stapleton)はイギリスの指揮者だということくらいしか経歴がよくわからない。僕が小学生の頃、ロンドン・ジョフ・ラブ・オーケストラと組んだ管弦楽名曲集のLPレコードが「レコード芸術」や朝日新聞「母と子の試聴室」で推薦盤になった。

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これは日本のビクター音楽産業による独自企画でロンドンのEMIスタジオで録音され、1979年に発売された。「ロンドン・ジョフ・ラブ」は聞き慣れない名前で、実在のオーケストラが録音契約などの関係で変名を名乗っている「覆面オーケストラ」か、ロンドン・フェスティバル管弦楽団やナショナル・フィルハーモニー管弦楽団など、レコーディング目的で集められた音楽家の団体かも知れない。残念ながら廃盤で入手困難となっている。現在聴くことが出来るのはロイヤル・フィルを指揮したデジタル再録音盤である。

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コメント

いつもながら見事な選曲ですね。
とはいえ外された作品の残念さも見えてきます。
シュトラウスのワルツやポルカはさほど聴きたいとは思わないのですが、「こうもり」序曲は好きな作品で、カラヤンとウィーンフィル盤のLPが気に入ってました。後のベルリンフィルとの再録音には見られない優雅さが漂って、あれがウィーン情緒というものかなと思っています。
録音の多いカラヤンがウィーンフィルとデッカに残した一連の録音がカラヤンの頂点だった気がします。

投稿: どぼこん | 2021年9月25日 (土) 12時10分

カラヤンの『こうもり』序曲といえば1987年 ウィーン・フィル「ニューイヤー・コンサート」の音源がありますが、そちらも優雅な名演ではないでしょうか?特にキャスリーン・バトルが歌った『春の声』は絶品でした。ウィンナ・ワルツに関する限りベルリン・フィルはウィーン・フィルに到底敵わない。その最大の理由はリズムの“ウィーン訛り”にあると僕は考えます。つまりウィーン・フィルはワルツを決して三等分で刻まない。“ズン・チャ・チャ”ではなく、二拍目が長めの"ズ・チャッ・チャ”という風に聞こえるんですね。

投稿: 雅哉 | 2021年9月25日 (土) 18時03分

ウィーン訛りというと、以前ラジオ番組で聞いたのですが、N響のワルツを聴いたウィーンフィル楽団員が「なんで俺たちの訛りを演奏できるんだ?」と驚いていたそうで、その理由はウィーン育ちの指揮者クルト・ヴェスが1950年代に鍛えていたからだそうです。
彼らとしては異文化の東洋でそのような音に出会ったのは、まさに未知との遭遇だったのかな。

キャスリーン・バトルはCMのオンブラ・マイフですっかりポピュラーになりましたね。
普通のソプラノ(に限らず)歌手はどうしても肉声感が出てしまうのですが(当然それが魅力の場合もありますが)バトルの声はまさに天上の声というのにふさわしい透明感があります。
日本人では森麻季にそれを感じます。

投稿: どぼこん | 2021年9月26日 (日) 15時08分

キャスリーン・バトルがオンブラ・マイ・フを歌って一躍有名になったスーパーニッカのCM(こちら)を演出したのは実相寺昭雄監督です。彼はクラシック音楽に造詣が深く、世紀の大傑作『怪奇大作戦 京都買います』ではフェルディナンド・ソルが作曲した(ギター独奏のための)モーツァルトの『魔笛』の主題による変奏曲が大変印象的に使われています。で『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』で碇ゲンドウと綾波レイが食事をする場面で、この曲が流れるんですね。庵野秀明監督は実相寺作品の大ファンだからオマージュなんです。

投稿: 雅哉 | 2021年9月26日 (日) 19時54分

こんばんは、ランキング拝読しました。
こうしてみると20世紀(ワーグナー以降といっても良いかもしれませんが)に入って、オペラというジャンルがいかに衰退したかがわかりますね。クラシック作曲家に大衆性が無くなっていくのとリンクしてるようにも見えて面白いです。
恐らく20世紀オペラでこの中に割って入れるとすればバーンスタイン「キャンディード」かガーシュイン「ポーギーとベス」くらいだと思います。(後者はキャットフィッシュロウよりベネット編のポートレート版の方が好きです)
ストラヴィンスキーやバルトークはもうオケのスタンダードとして定着してるにも関わらず、歌劇抜粋となるとほぼ取り上げられません。
ラヴェルの子供と魔法、ドビュッシーのペレアスですら滅多にないですし今後ますます難しそうですね。序曲だけでは魅力を堪能できない、と言えばそう言えるんですが。
そういえばこちらでもリヒャルトシュトラウスの名前が無いのが意外でした。薔薇の騎士か影のない女あたりはもしかしたら入ってくるのかな?と思っていました。(サロメは正直僕には7つのヴェールの踊りのセンセーショナルさが先立ってあまり魅力的には聴こえてこないんです)

投稿: 見習い | 2021年9月28日 (火) 00時54分

20世紀におけるオペラ衰退の主な原因は2つあると思います。①無調音楽に主流が移行することで楽壇が調性音楽を認めなくなったこと。②ミュージカルの発展・興隆。

『キャンディード』序曲は大傑作ですが、正真正銘ブロードウェイ・ミュージカルなので対象外としました。これを入れるのならば『回転木馬』『屋根の上のヴァイオリン弾き』『キャバレー』『レ・ミゼラブル』『オペラ座の怪人』『RENT』『エリザベート』『ロミオ & ジュリエット』『ハミルトン』そして一連のスティーヴン・ソンドハイム作曲のミュージカルも外せなくなってしまい、収拾がつきません。ガーシュウィンの『ポーギーとベス』は入れるべきでした。失念していました。ご指摘ありがとうございます。

以前にも書きましたが、僕は基本的にR.シュトラウスの管弦楽曲が大嫌いです。これは例えば、ピエール・ブーレーズがショスタコーヴィチの音楽を嫌悪し、クラウディオ・アバドがミラノ・スカラ座の音楽監督を務めながらも決してプッチーニやヴェリズモ・オペラを指揮しなかったことに似ています。つまり生理的に受け付けないのでご勘弁ください。『ばらの騎士』はオペラとして優れていますが、歌抜きの組曲版はピンときません。空疎に響きます。

投稿: 雅哉 | 2021年9月28日 (火) 08時40分

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