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2021年7月

2021年7月30日 (金)

柳家喬太郎独演会@兵庫芸文 2021

7月22日兵庫県立芸術文化センターへ。

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昼の部

  • 柳亭市弥:高砂や
  • 柳家喬太郎:転宅
  • 林家あずみ:三味線漫談
  • 柳家喬太郎:結石移動症

夜の部

  • 柳亭市弥:紙入れ
  • 柳家喬太郎:親子酒
  • 林家あずみ:三味線漫談
  • 柳家喬太郎:本当は怖い松竹梅

喬太郎四席のうち、初めて聴いたのは新作「本当は怖い松竹梅」のみ。ミステリー仕立てで、巧みな筋運びに唸った。

これはSWAの「古典アフター」という企画から生まれたもので、古典落語「松竹梅」を基に、その後を描いた作品である。ご隠居が探偵役で、途中古典落語「崇徳院」の熊五郎と行き違い、近松心中物のような結末に至る。しかも一筋縄ではいかなくて、そこにLGBTQ+の風味が添加されるという凝りよう。天才・喬太郎ならではの仕上がりだった。天晴なり!

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2021年7月19日 (月)

チベット文学「白い鶴よ、翼を貸しておくれ」に刮目せよ!

2020年11月24日、TBSラジオ『アフター6ジャンクション』OPで、〈アトロク 秋の推薦図書月間〉として元TBSアナウンサー(現在フリー)宇垣美里が入魂の一冊を紹介した。

書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)から出版されているチベットの小説『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』である。

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熱がこもったプレゼンテーションだった。

さらに2021年3月3日、この小説を翻訳した星泉が『アフター6ジャンクション』に登場、その魅力を大いに語った(現在もSpotifyのアーカイブで聴くことが出来る。訳者のインタビュー記事はこちら。宇垣美里のことにも触れられている)。俄然興味を掻き立てられた僕は図書館で借りて読んだ。

1925年にチベットのニャロンという土地に布教目的で入ったアメリカ人宣教師夫婦の話から始まり、間もなく男の子が生まれ、現地の領主(ポンボ)の息子と義兄弟のように成長していく姿を描く。やがて日中戦争が始まり、敗戦の色濃い蒋介石をリーダーとする中国国民党軍が通り過ぎ、1949年には中華人民共和国が成立、翌50年に共産党軍がニャロンにやってくる。「民主改革」と称する伝統文化・宗教の大規模な破壊活動が始まり、共産党の政策に従わない者は思想改造センター送りとなる。そして1963年までこの土地がたどった歴史が紐解かれる。

チベットは本来、仏教が盛んな地域で曼荼羅が有名。曼荼羅はユング心理学で重要なアイテムである。カール・グスタフ・ユングは曼荼羅こそ自己(self)の象徴であり、普遍的(集合的)無意識の中にある元型(グレートマザー、太母)と考えた。

 ・〈ユング心理学で読み解く映画・演劇・文学 その2〉太母・老賢人・子供・アニマ・アニムス・ペルソナ 

チベットの古都ラサには1707年にカプチン・フランシスコ修道会の宣教師が入った。1715年にはイエズス会のデシデリがラサ入りし、やがてカプチン会はラサに伝道所の設立を認められ、1742年に閉鎖されるまで布教活動を続けた。ラサの最も神聖とされるチョカン寺に異教である「カプチン会のテ・デウムの鐘」が吊るされているというエピソードが本文中に2度登場する。

著者のツェワン・イシェ・ペンバ(1932-2011)はチベットに生まれ、9歳からインドにあるヴィクトリア・ボーイズ・スクールで学んだ。同級生は全員イギリス人だったという。そして大学はロンドンで医学を学び、外科医となった。彼はチベット人として初めて西洋医学を修めた人物であり、さらに初めて英語で長編小説を書いた人物でもある。なおチベット語で書かれたものを含めても、ツェリン・ワンギュルの書いた『比類ない王子の物語』(1727)くらいしか先行するチベット文学はない。

まるでNHK大河ドラマを観ているようなスケール感があった。僕が一番近いなと思ったのはボリス・パステルナーク著『ドクトル・ジバゴ』である。第一次世界大戦及びロシア革命に翻弄される主人公ジバゴの生き様がこの小説に重なった。『ドクトル・ジバゴ』は当時の体制=ソビエト連邦に批判的であるとみなされたため1957年にイタリアから出版され、本国では発禁処分となった。解禁となるのはペレストロイカを経た31年後である。一方2017年、『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』が出版されたのはインドであり、今なおチベット本国の人々は読むことが出来ない。この状況も似ている。

 ・スパイ小説「あの本は読まれているか」と「ドクトル・ジバゴ」の想い出

さらにブラッド・ピット主演、ジャン=ジャック・アノー監督の映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』を併せて観れば、より立体的にチベット近代史を味わうことが出来るだろう。

本作で描かれるのは宗教や人種、異文化の衝突である。共産主義というイデオロギーも、信仰の一種であろう。マルクス主義は唯物史観に立脚しており、それは無神論の亜型である。中国共産党にとってマルクスや毛沢東が神みたいなものだとも言える。

ペンバが凄いのは登場人物に対して善悪の判断を作者が下していないことにある。それぞれの立場に言い分があり、正義がある。対話を通して相手の考えへに対する理解を深め、認め合おうとする姿勢が一貫している。ニュートラル、公平無私なのだ。なかなか出来ることではない。

他者・異なる意見に対して寛容であることの難しさについて、色々と思いを馳せる小説である。

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2021年7月12日 (月)

「バビロン・ベルリン」〜ドイツの光と影@黄金の1920年代

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現在U-NEXTから配信されている『バビロン・ベルリン』を一気呵成に観た。Huluでも視聴出来るらしい。製作費は43億円でドイツのTVドラマ史上最高額が投入されており、現在シーズン3まで放送が終わっている。ヨーロッパ映画賞では「​フィクション連続テレビ映画への貢献賞」を受賞した(ヨーロッパ映画賞におけるTVドラマに対する唯一の賞。この年、作品賞・監督賞を受賞したのは『女王陛下のお気に入り』)。

原作はフォルカー・クッチャーの警察小説【ベルリン警視庁殺人課ゲレオン・ラート警部】シリーズで、2017年に放送されたシーズン1,2が『濡れた魚』、2020年放送のシーズン3が『死者の声なき声』を下敷きにしている。シーズン4の製作も決まっているが、次は『ゴールドスティン』に基づくものになるだろう。脚本・監督はトム・ティクヴァ。映画『ラン・ローラ・ラン』の監督で、『クラウド アトラス』ではウォシャウスキー兄弟(現在は姉妹)と共同監督を務めた。

当初、僕はベルリンをバビロンに結びつけた表題に強く惹かれた。ジャズ・エイジと呼ばれた狂騒の1920年代ニューヨークで活躍した作家スコット・フィッツジェラルドには『バビロンに帰る』という短編小説があり(村上春樹が翻訳している)、彼の遺作『ラスト・タイクーン』から霊感を得た小池修一郎(作・演出)のミュージカル『失われた楽園 ーハリウッド・バビロンー』という宝塚歌劇の演目もあった(小池はフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』もミュージカル化している)。こちらは1930年代のハリウッドを舞台にしている。

『バビロン・ベルリン』で、なんと言っても魅力的なのが1929年という時代設定。「光の中のベルリン」と歌われたワイマール共和国黄金期の終焉が描かれる。ボブ・フォッシー監督のミュージカル映画『キャバレー』は1931年のベルリンが舞台なので、その直前だ。株価が大暴落し世界恐慌が始まる1929年10月24日(暗黒の木曜日)に向けて物語はひた走りに走る。「こういうドラマが観たかったんだ!」と膝を打った。

シーズン3ではベルリンの映画会社ウーファでトーキー映画の撮影が開始されているのだが、マレーネ・ディートリッヒ主演でジョセフ・フォン・スタンバーグが監督した『嘆きの天使』 (1930)がドイツで最初のトーキー作品であり、フリッツ・ラングの『M』(1931)やG・W・パブストの『三文オペラ』(1931)が続いた。ウーファがサイレント映画からトーキーに切り替えるために大改修したのは1929年春だった。またここではビリー・ワイルダーが『人間廃業』(1931)『少年探偵団』(同年)等で脚本家として活躍していた。ユダヤ人だったラングもワイルダーも後にナチス・ドイツの台頭により、ベルリンを離れアメリカ合衆国に渡ることを余儀なくされる。

特に僕が痺れたのがシーズン1 第2話のクライマックス、「モカ・エフティ」のステージ上で男装の麗人が『灰に、塵に(Zu Asche, Zu Staub)』を歌う場面(動画はこちら)。享楽的・退廃的でミュージカル『キャバレー』の世界に通じるものがある。ホールにいる女の子たちがいわゆるフラッパーの格好をしており、フィッツジェラルドが『グレート・ギャツビー』(1925年出版)で描いたニューヨークと、ベルリンは完全に地続きだったんだということに気付かされた。さらに半裸の女性ダンサーたちはアメリカ生まれの黒人ダンサー、ジョセフィン・ベーカーをモデルにしているのだろうと思った。彼女は当時ベルリンやパリのミュージック・ホールで踊っていたという。

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「モカ・エフティ」はベルリンに実際にあった伝説的なナイトクラブ で、2021年2月にベルリン・フィルがここで演奏されたダンス音楽を特集する演奏会〈黄金の20年代:「モカ・エフティ」での夕べ〉を企画しており、デジタル・コンサートホールでその様子を視聴することが出来る(こちら)。

ここで取り上げられているクルト・ヴァイルの『三文オペラ』はジャズのスタンダードナンバー“マック・ザ・ナイフ”として知られており、ミュージカル『キャバレー』の音楽に多大な影響を与えた。そして『バビロン・ベルリン』シーズン2ではなんと『三文オペラ』(1928年8月31日初演)を上演しているシッフバウアーダム劇場でドイツ外相とフランス外相を暗殺しようとする計画が描かれ、まるでヒッチコックの『暗殺者の家』『知りすぎていた男』みたいな展開になる。クルト・ヴァイル はユダヤ人で、後に『三文オペラ』に出演した妻のロッテ・レーニャと共にアメリカ合衆国に亡命、ミュージカルの作曲家になった。そしてヴァイルの作品はナチスから“退廃音楽”の烙印を押され、演奏禁止になる。なおロッテ・レーニャは1966年、ミュージカル『キャバレー』ブロードウェイ初演時に下宿屋の女主人シュナイダーを演じた

また本作を通じて次のような衝撃的事実を知った。第一次世界大戦敗北後ドイツはベルサイユ条約で兵員の数を10万人に制限され、機甲隊や航空隊、潜水艦隊を持つことを禁じられた。そこでドイツ国防軍はソビエト連邦と秘密交渉を行い、モスクワから約400キロメートルの距離にあるリペツクに秘密の航空機訓練基地を建設したという。いやはや驚いた。実に勉強になる。

この物語で描かれるのは、如何にして民主主義がファシズムに屈し、独裁政治の影に覆われていったかということ。それはジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』のプリクエル(エピソード1〜3)で描こうとして、当時の観客から理解されず冷笑された内容にピッタリ重なる。

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2021年7月 9日 (金)

厳選 管弦楽の名曲ベスト40(+α)はこれだ!

記事「厳選 交響曲の名曲ベスト30はこれだ!」も併せてご一読ください。

まず、今回のリストにリヒャルト・シュトラウスが入っていないことについて弁明をしておきたい。彼の管弦楽法が華やかであると認めることにやぶさかではない。しかし聴いていてどうも空疎なのだ。交響詩に情景の表面的描写はある。しかし中身がない。『アルプス交響曲』は主人公が登山をし、頂上の雄大な景色を堪能して嵐に遭いながらも無事下山するまでが描かれており、ゴージャスな響きを堪能できる(小澤征爾/ウィーン・フィル、大植英次/大阪フィルで生演奏を聴いた)。でもそれだけ。心が全く感じられない。僕にとってR.シュトラウスの管弦楽曲は張りぼて、ちんどん屋の音楽だ。けばけばしくて下品。一方、オペラ作曲家としては実に素晴らしい。『ばらの騎士』『サロメ』『エレクトラ』……。どれも一級品だ。こちらのジャンルは高く評価する。

また超有名曲ムソルグスキー『展覧会の絵』を省いたのは、オリジナルがピアノ曲で、モーリス・ラヴェルが編曲しているから。他者によるアレンジは管弦楽曲(オリジナル)と認めないことを原則とした。同様の理由でビゼー『アルルの女』も外した。第2組曲は作曲家の死後、友人のエルネスト・ギローが編曲している。一方、ラヴェルの『クープランの墓』も原曲はピアノ独奏曲だが、ラヴェル自身が後にオーケストラ用に編曲しているので対象とした。

オペラの序曲や間奏曲は除外した。オペラは本来、総体として鑑賞すべきものだから。

 ・厳選!これだけは観て(聴いて)おきたいオペラ・ベスト25(+吹奏楽との関連も)

ちなみに僕がオーケストレーションの魔術師と考える作曲家はラヴェル、リムスキー=コルサコフ、そしてレスピーギである。

それではいってみよう!1作曲家に付き1作品に絞った。曲名の後の西暦は、作曲または初演された年を示しており、年代順に並べてある。

・J.S. バッハ:管弦楽組曲 第2番 1720年頃
・ベートーヴェン:序曲「コリオラン」 1807
・メンデルスゾーン:劇付随音楽「夏の夜の夢」 1843
・ムソルグスキー:禿山の一夜(原典版) 1867
・ワーグナー:ジークフリート牧歌 1870
・チャイコフスキー:幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」 1876
・ブラームス:大学祝典序曲 1880
・ボロディン:交響詩「中央アジアの草原にて」 1880
・スメタナ:連作交響詩「わが祖国」 1882
・シャブリエ:狂詩曲「スペイン」 1883
・リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェヘラザード」 1888
・グリーグ:「ペール・ギュント」第1・第2組曲 1891-93
・イッポリトフ=イヴァノフ:組曲「コーカサスの風景」 1894
・ツェムリンスキー:交響詩「人魚姫」 1903
・シェーンベルク:交響詩「ペレアスとメリザンド」 1903
・ウェーベルン:大管弦楽のための牧歌「夏風の中で」 1904
・ドビュッシー:海 1905
・アイヴズ:宵闇のセントラルパーク 1906
・ディーリアス:幻想曲「夏の庭で」 1908
・ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」 1912
・デュカス:舞踏詩「ラ・ペリ」 1912
・ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」 1913
・ファリャ:バレエ音楽「恋は魔術師」 1915(初稿)/1925(改訂)
・レスピーギ:交響詩「ローマの噴水」 1916
・ホルスト:組曲「惑星」 1917
・イベール:交響組曲「寄港地」 1922
・シベリウス:交響詩「タピオラ」 1925
・ヤナーチェク:シンフォニエッタ 1926
・ガーシュウィン:交響詩「パリのアメリカ人」 1928
・コルンゴルト:赤ちゃんのセレナーデ 1928
・プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」 1938
・ラフマニノフ:交響的舞曲 1940
・バルトーク:管弦楽のための協奏曲 1943
・コープランド:アパラチアの春 1944
・メシアン:異国の鳥たち 1956
・リゲティ:アトモスフェール 1961
・ロータ:バレエ組曲「道」 1965
・アダムズ:ハルモニーレーレ(和声学) 1985
・マルケス:ダンソン 第2番 1994
・武満徹:若い人たちのための音楽詩「系図(ファミリー・トゥリー)」 1995
・ジョン・ウィリアムズ:アメリカン・ジャーニー 1999

番外編として弦楽合奏または、管楽合奏のための音楽ベスト12を挙げる。

・モーツァルト:13楽器のためのセレナード「グラン・パルティータ」 1784
・ドボルザーク:弦楽セレナード 1875
・チャイコフスキー:弦楽セレナード 1881
・グリーグ:ホルベアの時代から 1885
・スーク:弦楽セレナード 1892
・エルガー:序奏とアレグロ 1905
・ヴォーン・ウィリアムズ:トマス・タリスの主題による幻想曲 1910
・ヴァイル:管楽オーケストラのための「小さな三文音楽」 1929
・ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ 第5番 1938
・バルトーク:弦楽のためのディヴェルティメント 1940
・ハチャトゥリアン:バレエ音楽「ガイーヌ」より「ガイーヌ(ガヤネー)のアダージョ」 1942
・ハーマン:弦楽オーケストラのための物語「サイコ」 1968

ここで、バーバー:弦楽のためのアダージョを入れるかどうか、最後まで迷ったことを告白する。ただしこの作品、元々は弦楽四重奏曲 ロ短調の第2楽章をバーバー自身が弦楽合奏用に編曲したものなのだ。他にも、ストラヴィンスキーに絶賛された武満徹:弦楽のためのレクイエムとか、3つの映画音楽(映画『ホゼー・トレス』から「訓練と休息の音楽」/映画『黒い雨』より「葬送の音楽」/映画『他人の顔』よりワルツ)も入れたかったな。

大バッハの管弦楽組曲 第2番は実質的にフルート協奏曲と言っても過言ではない。特に後半、ポロネーズ〜メヌエット〜バディネリのあたりが華麗なるハイライトと言えるだろう。

『コリオラン』は演奏会用序曲で、ベートーヴェンが古代ローマの英雄を主人公にした同名戯曲を観劇した時の感動が作曲の動機となっている。今回のセレクションの中で、最も悲劇的。強いて挙げるならチャイコフスキー『フランチェスカ・ダ・リミニ』が双璧か。また劇付随音楽『エグモント』序曲も甲乙つけがたい。

『夏の夜の夢』はシェイクスピアの芝居のために書かれた付随音楽。1935年のアメリカ映画『真夏の夜の夢』ではエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトがオーケストレーションし直しており、そちらのヴァージョンもCDで聴くことが出来る。本作はコルンゴルトがハリウッドに進出する切っ掛けになった。

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原曲の方はプレヴィン/ウィーン・フィルの演奏でどうぞ。

『禿山の一夜』(原典版)の正式名称は音詩『聖ヨハネ祭前夜の禿山』。1867年に完成したスコアを見たバラキレフ(指揮者としても活躍)がその粗野なオーケストレーションを批判し修正を求めたが作曲家は拒否、演奏も出版もされぬままお蔵入りとなった。1881年ムソルグスキーの死後、彼の才能を何とかして世に知らしめたいと考えた友人のリムスキー=コルサコフは1886年にオーケストレーションを一新して改訂版を創り上げた。ここで「ロシア5人組」について説明しておこう。バラキレフをリーダーに、キュイ、ムソルグスキー、ボロディン、リムスキー=コルサコフから成る作曲家集団のこと。

リムスキー=コルサコフのアレンジは洗練されており、だから有名になってディズニー映画『ファンタジア』でも取り上げられたわけだが(一見の価値あり!)、原曲の持ち味=土の香り/バーバリズムが失われてしまった。原典版の楽譜が発見され出版されたのが1967年。ロイド=ジョーンズ/ロンドン・フィルにより初めて録音されたのが1971年。80年にアバド/ロンドン交響楽団の録音が出て一躍世間で注目を浴びるようになり、現在ではアバド/ベルリン・フィル、サロネン/ロス・フィル、ドホナーニ/クリーヴランド管、ゲルギエフ/マリインスキー劇場管、ユロフスキ/ロンドン・フィルなどの音源がある。

ワーグナー『ジークフリート牧歌』は妻コジマの誕生日およびクリスマスの贈り物として作曲された。コジマはその前年に息子ジークフリートを生んでいた。この初演の様子はルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『ルートヴィヒ/神々の黄昏』で詳細に描かれているので、是非ご覧あれ。幸福感に満ちた音楽である。カラヤン/ウィーン・フィルあるいはベルリン・フィルの演奏でどうぞ。

チャイコフスキーは当初、バレエ音楽『くるみ割り人形』を選ぼうと考えていた。しかし、幻想序曲『ロメオとジュリエット』も大好きだしなぁ……。この終結部の旋律がバーンスタインのミュージカル『ウエストサイド物語』("Somewhere")に引用されているんだ。そうこう思い巡らしているうちに、魅力的な楽曲ながら演奏される機会が少ない『フランチェスカ・ダ・リミニ』にしたらどうかという考えが思い浮かんだ。幻想曲と銘打たれているが、実質的には交響詩だ。ダンテ『神曲』の地獄篇が題材になっている。妻が弟と不倫している現場を目撃した兄は嫉妬に狂い2人を殺す。彼らは色欲の罪を犯した者として、地獄の業火で焼かれ続ける。

チャイコフスキーはゲイであり、ロシア正教会(キリスト教)において同性愛は罪だった。だからチャイコフスキー自身も死んだら地獄で責め苦を受け続けるという恐怖心があったのではないだろうか?つまり禁断の愛欲に溺れた恋人たちへの共感があった、ということだ。

『大学祝典序曲』はブラームスがポーランドにある大学から名誉博士号を授与された返礼として作曲した。以前ラジオたんぱで放送されていた旺文社『大学受験ラジオ講座』のテーマ曲として使用された。4つの学生歌が引用されている。興味深いことにプロの指揮者からの評価は低く、例えばヘルベルト・フォン・カラヤン、カール・ベーム、カルロ・マリア・ジュリーニといった大指揮者たちがこの曲を録音したことは一度もない。カラヤンは生涯にブラームスの交響曲全集を3回、悲劇的序曲と、ハイドンの主題による変奏曲はそれぞれ4回スタジオ録音しているのだが……。

ボロディンで一番有名なのは、なんてったって躍動感溢れる『だったん人の踊り』だろう。漢字では韃靼人と書く。最近は『ポロヴェツ人の踊リ』と呼ばれることが多い。これはオペラ『イーゴリ公』第2幕で演奏され、本来は合唱を伴う。合唱付きの方がド迫力なのでお勧め。今回紹介したいのは穏やかな『中央アジアの草原にて』。舞台となるのはコーカサス地方。そこでロシアと東方の歌が出会う。こちらは実演に接する機会が滅多にない。なおボロディンは有機化学を専門とする大学教授であり、自らを「日曜作曲家」と称した。

6曲から成る『わが祖国』の中でずば抜けて知名度があるのは第2曲『モルダウ』だ。旋律がイスラエルの国歌『ハティクヴァ(希望)』にそっくりなことは余りにも有名。起源が同じなのだ(17世紀イタリアの歌『ラ・マントヴァーナ』)。スメタナは既存の歌をそのまま自作に取り入れる人だった。例えば第5曲『タボール』と第6曲『ブラニーク』ではフス派教徒の賛美歌『汝ら神の戦士』が引用されている。『わが祖国』は指揮者クーベリックが数々の名演を残したが、1958年ウィーン・フィルとの録音は避けるべき。またチェコ・フィルとのライヴは1990年の「プラハの春」よりも、91年サントリー・ホールの演奏のほうが良い。他にボストン響やバイエルン放送響との録音も素晴らしい。また52年シカゴ交響楽団との録音はモノラルながら、沸騰するような渾身の熱演が展開される。余談だが吹奏楽の超有名曲、カレル・フサ作曲『プラハ1968年のための音楽』でも『汝ら神の戦士』の旋律が登場する。こちらの初演は1969年で、翌年には指揮者ジョージ・セルの委嘱で管弦楽版が初演された。

エマニュエル・シャブリエは40歳近くまで、フランス内務省の役人を務める傍ら作曲活動を行っていた。狂詩曲『スペイン』は退職2年後にスペイン旅行をした際の印象を描写している。明るい色彩感に満ちた楽曲。この人は『楽しい行進曲』も素敵。デュトワ/モントリオール響の録音でどうぞ。

千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)に準拠した『シェヘラザード』は異国情緒溢れ、リムスキー=コルサコフの華麗なオーケストレーションを堪能出来る。あの、全体がうねるような感じが好き。デュトワ/モントリオール響か、ゲルギエフ/キーロフ(現:マリインスキー劇場)管、ストコフスキー/ロンドン響の演奏でどうぞ。

『ペール・ギュント』はイプセンの劇付随音楽として1875年に完成し、その後度重なる改訂を経て組曲として編纂された。第1組曲に入った“オーセの死”はペールの母のことだが、その旋律を聴くと“さくらさくら”を連想するのは僕だけだろうか?バルビローリか、ネーメ・ヤルヴィの指揮で。なおヘルベルト・フォン・カラヤンは第1,第2組曲を生涯3度スタジオ録音しているが、演奏会では1度も取り上げたことがない

イッポリトフ=イヴァノフはロシアの作曲家。『コーカサスの風景』は第1曲『峡谷にて』/第2曲『村にて』/第3曲『モスクにて』/第4曲『酋長の行列』から成る。『村にて』は黒澤明監督の映画『夢』の最後に流れ、印象深い。チェクナヴォリアン/アルメニアン・フィルの演奏で。

ツェムリンスキーはウィーン生まれ。アルマ・マーラーが結婚する前に音楽の先生を務め、彼女に恋焦がれていたことは有名(因みにツェムリンスキーはマーラーより11歳年少)。アルマは後にツェムリンスキーのことを「醜男だった」と語っている。 また彼は自分がユダヤ人で背が低いことにコンプレックスを感じており、歌劇『こびと』にその思いを託している。ロマンティックな『人魚姫』第1楽章は「海底/嵐、人魚姫が王子を救出する」、第2楽章「海の魔女を訪れる人魚姫。王子の結婚」、第3楽章「人魚姫の死と天国への救済」。シャイー/ベルリン放送響で。

シェーンベルクと言えば調性音楽を脱し、十二音技法を生み出した作曲家として知られており、「難解だ」「どう聴いたら良いのか分らない」「耳障りだ」といった印象を持っている人が多いのではないだろうか?ところがどっこい『ペレアスとメリザンド』は彼が無調時代に入る前の作品であり、弦楽六重奏曲『浄夜』同様に大変聴き易い。後期ロマン派の残り香が濃密に立ち込めており、幻想的で耽美な世界を醸し出している。あらすじや、主要なライトモティーフ(示導動機)を知っておけば鑑賞の助けになるので、大阪交響楽団の曲目解説をご覧あれ(こちら)。『ペレアスとメリザンド』の物語構造は基本的に『トリスタンとイゾルデ』とほぼ同じである。だからワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』に魅了された作曲家たちが競い合うように『ペレアス』に殺到した。フォーレとシベリウスは劇付随音楽を書き、ドビュッシーはオペラ化した。それらを聴き比べてみるのも一興だろう。なおピエール・ブーレーズ/グスタフ・マーラー・ユーゲント管がシェーンベルクの『ペレアス』を録音したアルバムには、それに先行してワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』前奏曲が収録されている。宜なるかな。

シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンら新ウィーン学派はクラシック音楽ファンから敬遠されがちで、演奏会で取り上げられることも滅多にない。ウェーベルンはシェーンベルクに師事して以降、十二音技法を突き詰めていくのだが、『夏の風の中で』はその前、ウィーン大学に在学中の1904年夏に作曲された。当時20歳だった。一陣の風が通り抜けるように爽やか。なんて瑞々しいんだろう!シャイー/ロイヤル・コンセルトヘボウ管かドホナーニ/クリーヴランド管の演奏で。なおウェーベルンはナチス・ドイツがオーストリアを併合した後もこの地に留まり終戦を迎えたが、喫煙のため夜間ベランダに出てタバコに火をつけたところオーストリア占領軍の米兵により闇取引の合図と誤解され、その場で射殺された。享年61歳、気の毒な最後である。

 ・シリーズ《音楽史探訪》音楽家の死様(しにざま)

ドビュッシー『海』は武満徹に多大な影響を与えた。武満にもアルトフルートのための『海へ』という作品があり、ピアノとオーケストラのための『夢の引用』では『海』からの大胆な引用がある。定まった形がなく、刻々と生成変化するものへの愛着。ブーレーズ/クリーブランド管、あるいはロト/レ・シエクルで。

保険会社に勤めながら「趣味」として作曲を続けたチャールズ・アイヴズ。『宵闇のセントラルパーク』ではまず、弦楽器が闇に包まれた公園の夜の静けさを描く。ベンチに憩っていると突然、池の向こうのカジノの音、ストリート・ミュージシャンの歌声、パレードや消防馬車が駆け抜ける音などが聴こえてくる。この混沌とした状況がアイヴズの真骨頂と言えるだろう。演奏時間7-8分。またこの曲と対に作曲された『答えのない質問』も哲学的で大変面白い。冒頭の弦楽器は「沈黙を守り祈る司祭たち」。トランペット・ソロが「存在についての問い」ーつまり「私たちはなぜ生きるか?」「神が人間を創造した目的は?」といったようなこと。それに対して木管四重奏があれやこれやと答えるが、正解は得られず最終的にお手上げになり押し黙る。演奏時間5-6分。レナード・バーンスタインか小澤征爾の指揮で。

ディーリアスといえば音詩(Tone Poem)。夏が来るとこの作曲家の音楽を無性に聴きたくなる。『夏の庭で』は幻想曲と銘打たれているが、実質的には音詩と考えて良いだろう。特に曲の中盤、木管楽器の奏でる分散和音と低弦に伴われて現れるヴィオラの旋律(第3主題)が素敵。ジンと来る。他に僕が好きなディーリアスの曲は『夏の歌』と『夏の夕べ』。『春はじめてのカッコウの声を聴いて』や『ブリッグの定期市』、オペラ『村のロミオとジュリエット』から『楽園への道』も勿論良い。『夏の庭で』と『夏の歌』はバルビローリの指揮、『夏の夕べ』はビーチャム/ロイヤル・フィルか、ロイド=ジョーンズ/ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管で。

当初はラヴェルがピアノ独奏曲として1899年に作曲し、1910年に管弦楽用に編曲した『亡き王女のためのパヴァーヌ』を選出しようと考えていた。しかしラヴェルのオーケストラ曲で代表選手といえば『ダフニスとクロエ』だろうと思い直した。ちなみに全日本吹奏楽コンクール(全国大会:中学/高校/大学/職場・一般の部)自由曲として『ダフクロ』が取り上げられたのが2021年現在112回、うち金賞受賞はのべ49回である(吹奏楽コンクールデータベースより)。演奏された回数としてはレスピーギ『ローマの祭り』に次ぐ歴代第2位の記録だ。半音階を駆使した作曲技法が後の十二音技法や無調音楽の誕生に繋がってゆく。クリュイタンス、ブーレーズ、ロト、デュトワいずれかの指揮でどうぞ。

『ラ・ペリ』はバレエ音楽として出版された数年後、前奏用ファンファーレが追加で作曲された。幻想的で大層美しい18分程度の楽曲。デュカスといえば『魔法使いの弟子』の作曲家としてしか認識されていないが、どうしてどうして『ラ・ペリ』も十分魅力的だ。『魔法使いの弟子』については、何はともあれディズニー映画『ファンタジア』を観てください。

ストラヴィンスキーのバレエ音楽『春の祭典』初演時における阿鼻叫喚の大混乱については映画『シャネル&ストラヴィンスキー』で面白おかしく描かれている。ディオニュソス的大地讃頌、本能剥き出しの熱狂。1960年代後半から流行ったプログレッシブ・ロック(ピンク・フロイド/イエス/キング・クリムゾン/エマーソン・レイク・アンド・パーマー)に通じるものがあり、プログレ愛好家にも人気が高い曲。クルレンツィス、ロト、ブーレーズの指揮で。

ファリャはバレエ音楽『三角帽子』も良いのだが、『恋は魔術師』はなんてったって『火祭りの踊り』が素晴らしい。圧巻のフラメンコを堪能出来るカルロス・サウラ監督の同名映画(1986)をご覧になることをお勧めする。

全日本吹奏楽コンクールで最も演奏回数が多いのがレスピーギ『ローマの祭り』で総計115回、うち金賞受賞が47回となっている。これが『ローマの噴水』だと取り上げられたのが25回、金賞受賞は14回と激減する。『ローマの松』は41回演奏され金賞受賞は19回。カラヤンは『ローマの松』と『ローマの噴水』をレコーディングしているが、『ローマの祭り』は演奏会を含めて生涯一度も取り扱わなかった。あの騒音のようなうるささを毛嫌いしていたのではないだろうか?一方『ローマの噴水』はたおやかで繊細な楽曲である。因みにカラヤン/ベルリン・フィルは『ローマの松』を1984年にザ・シンフォニーホール@大阪で演奏しており、そのライヴは映像収録されDVDで発売されている。

『惑星』を一躍有名にしたのは1961年にカラヤン/ウィーン・フィルがスタジオ録音したことが切掛だった。しかしカラヤンというのは不思議な人で、基本的にイギリス音楽に対して冷淡。ブリテン/フランク・ブリッジの主題による変奏曲とヴォーン=ウィリアムズ/トマス・タリスの主題による幻想曲を1950年代にフィルハーモニア管と録音しているが、後のベルリン・フィル時代は皆無。ウォルトンはやはり1940-50年代に演奏会でオラトリオ「ベルシャザールの饗宴」と交響曲第1番を取り上げたが、スタジオ録音なし。また1981年に手兵ベルリン・フィルと『惑星』のデジタル録音を残したが、なんと演奏会では一度も取り上げなかった。エルガーに至っては演奏会・録音どちらも0である(『威風堂々』すらも)。余談だがカラヤンはベルリン・フィルと一度だけ『シェヘラザード』をスタジオ録音したが、演奏会では一度も取り上げていない。『惑星』は冨田勲によるシンセサイザー編曲が余りにも有名。一聴の価値あり。1976年にリリースされビルボード(クラシカル・チャート)で1位になるなど一世風靡し、2011年には冨田自身の手で再創造したULTIMATE EDITIONも出た。

イベールはパリ音楽院在学中の1914年に第一次世界大戦が勃発すると、志願して海軍士官になった。その時に地中海を航海した記憶が『寄港地』に結実した。第1曲:ローマーパレルモ(シチリア島)、第2曲:チェニスーネフタ(チュニジア)、第3曲:バレンシア(スペイン)で構成される。異国情緒溢れる傑作。デュトワ/モントリオール響で。

シベリウスの交響詩『タピオラ』が初演されたのが1926年、最後の交響曲第7番の初演が1924年だから、その直後に完成した作品と思われる。交響曲第7番は単一楽章で演奏時間約20分。これは『タピオラ』にも共通する。また『タピオラ』には具体的な物語がない。では交響曲と交響詩を分かつ違いは何か?答えはシンプルである。「作曲家がそう命名したから」ーただそれだけ。静謐で精緻なカラヤン/ベルリン・フィルのデジタル録音でどうぞ。

ヤナーチェクのシンフォニエッタは村上春樹の『1Q84 』に登場して一気に有名になり、CDも飛ぶように売れた。小説内で言及されるのはジョージ・セル/クリーブランド管弦楽団の演奏だ。ただこの作曲家の特徴は色っぽいところにあると僕は考えているので、その雰囲気はシンフォニエッタから味わえない。だから併せて歌劇『利口な女狐の物語』も聴いてみてください。マッケラス/ウィーン・フィルは全曲を録音しているし、管弦楽組曲版もある。シンフォニエッタの演奏もこのコンビに白羽の矢を立てる。

『パリのアメリカ人』は『ラプソディ・イン・ブルー』と並ぶシンフォニック・ジャズの傑作。バーンスタインの『ウエストサイド物語』〜シンフォニック・ダンスもそう。ただ後者はミュージカルを基にシド・ラミンとアーウィン・コスタルが再構成・編曲を手がけているのだが、そのことはあまり知られていない。 この二人は映画版『ウエストサイド物語』のオーケストレーションも担当し、アカデミー賞を受賞している。『パリのアメリカ人』についてはMGM映画『巴里のアメリカ人』のクライマックスでジーン・ケリーとレスリー・キャロンがダイナミックに踊るので、四の五の言わずまずはご覧あれ。全編がガーシュウィンの名曲で彩られている。

ウィーンからハリウッドに渡り映画音楽作曲家として名を馳せ、アカデミー賞を2度受賞したエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトの『ベイビー・セレナーデ』は彼の次男ゲオルクが誕生したことをきっかけにして作曲された。愛らしく軽快な曲で、1.序曲「赤ん坊が登場」2.歌「今日は、良き日」3.スケルツィーノ「なんて素敵なおもちゃ」4.ジャズ「坊やがしゃべるよ」5.エピローグ「そして、坊やは自分に語りかけるように寝てしまう」と副題が付いている。ゲオルク(英語読みでジョージ)・コルンゴルトは長じてレコード・プロデューサーとなり、チャールズ・ゲルハルト指揮でRCAから「クラシック・フィルム・スコア」シリーズをリリース、その中には父親の作品集も含まれていた(超優秀録音!)。また父の歌劇『死の都』や映画音楽『嵐の青春』を新録音盤として世に問うた。

Korn1

Korn2

プロコフィエフ『ロメオとジュリエット』はバレエも全曲鑑賞したことがあるが、実に見応えがある。特に英国ロイヤル・バレエ団が初演したケネス・マクミラン振付版が最高!アメリカン・バレエ・シアターでもこのバージョンが採用されており、映画『センターステージ』に有名なバルコニー・シーンが登場する。

厳選 交響曲の名曲ベスト30はこれだ!」ではラフマニノフの交響曲第2番を入れなかったことについて、様々なご批判を読者から頂いた。その際には「構成力に欠け冗長だから」と突っぱねたのだが、最近キリル・ペトレンコ/ベルリン・フィルの演奏をデジタル・コンサートホールで聴いて、考えを改めた。悪くない。あの時は申し訳ないことをした。演奏によって曲が輝くとは正にこれ。よって罪滅ぼしの意味も込めて今回『交響的舞曲』を選出した。3楽章からなり、終楽章に作曲家お気に入りのグレゴリオ聖歌『怒りの日』の旋律が登場するのはご愛嬌。『怒りの日』をラフマニノフは『パガニーニの主題による狂詩曲』、交響詩『死の島』、交響曲第2番、合唱交響曲『鐘』などでも引用している。

バルトーク『管弦楽のための協奏曲(Concerto for Orchestra)』は『オケコン』という愛称で親しまれている。ハンガリーに生まれたバルトーク・ベーラは第2次世界大戦勃発でナチス・ドイツを忌避してアメリカに逃れる。しかし生活は困窮し極貧生活を送ることになり、さらに白血病を罹患した。当時ボストン交響楽団の音楽監督だったクーセヴィツキーが、バルトークのそんな窮状を見かねて財団から委嘱したのが『オケコン』である。またポーランドの作曲家ルトスワフスキにも『管弦楽のための協奏曲』(1954)があり、やはり優れた作品として知られている。

コープランドといえばバレエ音楽『ロデオ』や『ビリー・ザ・キッド』などで西部劇の音楽を確立した人。エルマー・バーンスタインが作曲した映画『荒野の七人』とか、ジョン・ウィリアムズの『華麗なる週末』『11人のカウボーイ』などは明らかにコープランドの影響を受けている。『アパラチアの春』はコープランドの代表作で、これでピューリッツァー音楽賞を受賞した。レナード・バーンスタインの指揮でどうぞ。

オリヴィエ・メシアンの音楽を象徴するのはカソリック教徒としての〈信仰〉と、〈鳥〉である。その両者が密接に結びついたのが歌劇『アッシジの聖フランチェスコ』だ。『異国の鳥たち』はピアノと小規模編成オーケストラのための作品。オケは管楽器と打楽器のみで、弦楽器はなし。14分程の演奏時間で、47種類の鳥の鳴き声が聴こえてくる。

リゲティ『アトモスフェール』は映画『2001年宇宙の旅』で使用され、有名になった。皮膚の下を何か虫が這いずり回っているような、居心地の悪さを感じさせる曲。また『2001年宇宙の旅』終盤、白い部屋の場面で聴こえてくる異星人の囁き声は、スタンリー・キューブリック監督がリゲティの合唱曲『アヴァンチュール』を無断で編集したもので、後に裁判沙汰となった。

ニーノ・ロータの『道』は元々フェデリコ・フェリーニ監督の同名映画のための音楽だが、バレエ用にアレンジされ、1965年にミラノ・スカラ座で初演された。リッカルド・ムーティ/スカラ座フィルの演奏でどうぞ。またベルリン・フィル・デジタル・コンサートホールのアーカイヴでは、リッカルド・シャイーの指揮で聴くことが出来る。

20世紀の音楽は「ミニマル・ミュージック」を抜きに語れない。ごく短い音型を反復するす手法(minimal:最小限の、極小の)で、独特の浮遊感が漂う。その代表としてアメリカ合衆国の作曲家ジョン・アダムズを選出した。他に是非聴いてほしいミニマリストとしては、フィリップ・グラス(『Mishima』『めぐりあう時間たち』)、スティーヴ・ライヒ(『ディファレント・トレインズ』『クラッピング・ミュージック』)、マイケル・ナイマン(『ピアノ・レッスン』)、久石譲(『風の谷のナウシカ』『ソナチネ』『かぐや姫の物語』)、アルヴォ・ペルト(『フラストレス』『タブラ・ラサ』)がいる。気軽にアダムズを聴くならまず最初に『ショート・ライド・イン・ア・ファスト・マシーン(高速機械で早乗り)』がお勧め。スポーツカーとか、ジェットコースターに乗ったようなぶっ飛んだ疾走感が凄い。しかしたった4分の短い曲なので、演奏時間約40分と聴き応えのある『ハルモニーレーレ(和声学)』の方を挙げた。ミニマル・ミュージックというジャンルが到達した極北、壮大なる最高傑作と言えるだろう。交響曲におけるベートーヴェンの第5番みたいなものだ。3つのパートで構成され、パート2ではマーラー未完の交響曲第10番 第1楽章と密接な関わりがあるので注目!トランペットなど金管楽器による不協和音の絶叫、カタストロフィの場面だ。

『ダンソン 第2番』はアルトゥロ・マルケス(1950- )の代表作。演奏時間約10分で、欧米において最も頻繁に演奏されるメキシコ現代音楽である。これは熱狂のドゥダメル/シモン・ボリバル・ユース・オーケストラの演奏にとどめを刺す。アルバム『フィエスタ!』に収録。

武満徹のオーケストラ曲は『夢の時(Dreamtime)』『ウォーター・ドリーミング』『フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム(直訳すると『私から、あなたが“時”と呼ぶものがあふれ出す』)』が好き。でも中でも一番は?と問われたら、若い人たちのための音楽詩『系図(ファミリー・トゥリー)』を躊躇なく選ぶ。谷川俊太郎の詩集『はだか』から6篇(むかしむかし/おじいちゃん/おばあちゃん/おとうさん/おかあさん/とおく)が朗読される。語り手は12歳から15歳の少女が望ましい、と武満は語っている。 日本初演の語りは遠野凪子。小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラのCDも彼女だが、現在ナクソス・ミュージック・ライブラリーやSpotifyなどサブスクで聴けるのは、残念ながら小澤征良(娘)による英語版だ。他に上白石萌音や、のん(能年玲奈)が語った演奏もCDになっている。なんと浜辺美波もステージでやったことがあるらしい!面白いのは2006年2月18日に岩城宏之が指揮した京都市交響楽団定期演奏会。吉行和子が朗読を担当した。当時70歳。おいおい、「少女」でなくて良いのか!?

映画音楽の大家ジョン・ウィリアムズの"American Journey"はビル・クリントン大統領(当時)の依頼により作曲された。スティーヴン・スピルバーグ監督が手がけた西暦2000年(ミレニアム)を祝うマルチメディア・プレゼンテーション"The Unfinished Journey"(終わりなき旅)の付随音楽である。以下の6曲で構成される。

1)移民と建国 2)南北戦争 3)人気の娯楽 4)芸術とスポーツ 5)公民権運動と女性の活躍 6)空の旅と科学技術

ジョン・ウィリアムズは1984年ロサンゼルス五輪の開会式で演奏された『オリンピック・ファンファーレとテーマ』や1996年アトランタ五輪のための『サモン・ザ・ヒーローズ』も格好よくて最高!胸がスカッとする。ボストン・ポップスの演奏でどうぞ。

モーツァルト『グラン・パルティータ』は管楽器アンサンブルの代表作であり大作。同作曲家の弦楽合奏曲なら『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』を推す。英訳すると『ア・リトル・ナイト・ミュージック』となり、これは巨匠スティーヴン・ソンドハイムが作詞・作曲したミュージカルの題名だ。けだし名作。

ドヴォルザーク『弦楽セレナード』は映画『メッセージ(Arrival)』で印象的に用いられていた。ひたひたと心に沁み渡る曲。

一方で、チャイコフスキー『弦楽セレナード』を支配するのは激情と言っていい。作曲家は「モーツァルトへのオマージュ」と語っているが、例えば冒頭、ドシラソファと音階を駆け下りていくのがモーツァルト的なのだ。

『ホルベアの時代から』の原曲はピアノ独奏曲だが、今日ではグリーグ自身が編曲した弦楽合奏版の方が専ら知られている。やはりピアノ独奏曲である『抒情小曲集』からオーケストレーションされた『抒情組曲』も大変美しい音楽だ。

ヨゼフ・スークはチェコの作曲家でドヴォルザークの娘婿。同名の孫は世界的ヴァイオリニストでスーク・トリオを結成した。ベルリン・フィルの芸術監督キリル・ペトレンコはスークの作品に強い愛着を持っており、既にアスラエル交響曲や交響詩『夏物語』を取り上げ、2022年には交響詩『人生の実り』が定期演奏会のプログラムに組み込まれている。『弦楽セレナード』はフルシャ/プラハ・フィルか、ヤンソンス/バイエルン放送響の音源でどうぞ。

『序奏とアレグロ』はラヴェルにも同名の曲があり、こちらも素敵だ。ラヴェルの方はハープとフルート、クラリネットおよび弦楽四重奏のための七重奏曲で、「室内楽の森へ~厳選!これだけは絶対聴いておきたい80曲」に選出した。エルガーは弦楽合奏と弦楽四重奏のための作品。孤高の美しさ。バルビローリ/シンフォニア・オブ・ロンドンで。

ヴォーン・ウィリアムズ『トマス・タリスの主題による幻想曲』は弦楽合奏曲で、第1群・第2群のアンサンブル及び、弦楽四重奏という編成で演奏される。CDなどの音源ではこの構造が分かり辛いので、ベルリン・フィルのデジタル・コンサートホール(ラトル指揮)など映像で確認されることをお勧めする。

ブレヒト&クルト・ヴァイルによる『三文オペラ』は1928年にベルリンの劇場で初演された。指揮者オットー・クレンペラーはこの作品に夢中になり、演奏会用組曲を作るよう求めた。その結果生まれたのが管楽器及び打楽器という編成の『小さな三文音楽』である。クレンペラーはフィルハーモニア管弦楽団とステレオ録音を残しており、大層名演なのだが、全8曲中なぜか第3曲「“代わりに”の歌」が省かれている。『三文オペラ』の音楽はナチス台頭期のベルリンを舞台とするブロードウェイ・ミュージカル『キャバレー』に繋がっている。

『ブラジル風バッハ』は第9番まであり、それぞれ楽器編成や演奏形態が異なる。第8番はソプラノ独唱と8つのチェロのための楽曲。歌詞の意味を知っていたほうが味わいが深まるので、第1曲アリアのポルトガル語の歌詞を僕なりに訳してみた。

夕暮れ 薔薇色の薄雲がゆっくり流れ 
夢見心地の美しい空に浮かぶ
月が地平線上に甘やかに現れ
夕べを彩る あたかもきれいな娘が
いそいそと夢見がちに着飾るように
美しくなりたいと魂は不安に駆られ
空と大地に向かって万物が叫ぶ!
月の切実な訴えに鳥たちは押し黙り
海の反射はより煌めきを増す
柔らかい光を放つ月は残酷にも悟らせる
笑ったり泣いたりした日々は失われたと
夕暮れ 薔薇色の薄雲がゆっくり流れ 
夢見心地に美しい空に浮かぶ

オーストリアがナチス・ドイツに併合されたのは1938年。バルトーク:弦楽のためのディヴェルティメントはその翌年にスイスの山小屋で完成した。そして1940年にバルトークは妻と共にアメリカ合衆国に移住した。風雲急を告げる時代だった。

『ガイーヌ(ガヤネー)のアダージョ』は第1組曲に含まれるが、しばしば省略されて録音されたりしているので注意が必要。『2001年宇宙の旅』で木星探査宇宙船ディスカバリー号の船内でクルーが運動不足解消のためにジョギングしている場面で使用された。

『サイコ』は1960年に公開されたアルフレッド・ヒッチコック監督の同名映画のために作曲された。弦楽オーケストラのための物語は1968年にバーナード・ハーマンが新たに書いたコンサート用作品である。自作自演もあるし、サロネン/ロサンゼルス・フィルのアルバムがお勧め。あとベルリン・フィル・デジタル・コンサートホールではラトルの指揮で聴くことが出来る。

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2021年7月 6日 (火)

ブロードウェイ・ミュージカル「メリリー・ウィー・ロール・アロング」の辿った数奇な運命と、映画化について。

スティーブン・ソンドハイム(作詞・作曲)の「メリリー・ウィー・ロール・アロング」を梅田芸術劇場で観劇した。

Merrily

本当は6月12日(土)のチケットを購入していたのだが、緊急事態宣言発令により土日公演が中止に追い込まれ、払い戻しとなった。仕方がないので11日(金)のチケットを急遽購入し直し、有給休暇を取って劇場に向かった。

主なキャストは幼馴染の三人を笹本玲奈、平方元基、ウエンツ瑛士が演じ、他に朝夏まなと、昆夏美、今井清隆らが出演した。

8年前に、宮本亜門演出で同じ演目を観ている。

小池徹平、柿澤勇人主演:ミュージカル「メリリー・ウィー・ロール・アロング ~それでも僕らは前へ進む~」 2013.12.09

今回の演出はマリア・フリードマン。彼女は以前女優として本作の英国公演に出演したことがあり、新演出版はオリヴィエ賞で最優秀ミュージカル・リヴァイヴァル賞を受賞した。

現在から過去へと20年間をどんどん遡って話が展開するという斬新な台本である。三人の若者の出会いという出発点が幕切れとなる。過去→現在→未来と時間が経過する〈通時的〉物語ではなく、過去・現在・未来は同時にここにあるという〈共時的〉作品なのだ。亜門版には甚く感銘を受けた。新演出版に新鮮味はなかったが、悪くない。笹本玲奈がパンチのある声で熱唱。朝夏まなとはイマイチ。歌がねぇ……。

ソンドハイムが作詞・作曲し、『キャバレー』『エビータ』『オペラ座の怪人』『蜘蛛女のキス』のハロルド・プリンスが演出するという黄金コンビは『カンパニー』『フォーリーズ』『リトル・ナイト・ミュージック』『太平洋序曲』『スウィーニー・トッド』といった傑作群を世に送り出したが、『メリリー・ウィー・ロール・アロング』は興行的に惨敗を喫することとなり、本作がふたりの最後のコラボレーションとなってしまった。なんと公演回数たった16回で打ち切りになったのだ。時代の先を行き過ぎたのだろう。その顛末を関係者が語るドキュメンタリー映画『ベスト・ワースト・ストーリー』がNetflixから配信されており実に面白い。こちら。どうしてこんなニッチなドキュメントが日本語字幕付きで観ることが出来るのか、謎である。

本作は現在リチャード・リンクレイター監督により映画版が撮影中である。しかし!リンクレイターは『6才のボクが、大人になるまで。(Boyhood)』を12年間かけて断続的に撮影し、実際に少年が成長する過程を見せた人。そして今度はなんと!20年かけて撮るらしい(嘘じゃないよ、証拠記事はこちら)。おいおい、正気か!?途中で関係者が不慮の事故や病気で死なないことを祈るのみである。

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2021年7月 5日 (月)

甲斐翔真・天翔愛(主演)ミュージカル「ロミオ & ジュリエット」

7月3日(土)梅田芸術劇場でミュージカル『ロミオ & ジュリエット』大阪初日を観劇した。

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僕が観たのはロミオ:甲斐翔真、ジュリエット:天翔愛の回だったが、ダブルキャストで黒羽麻璃央と伊原六花(大阪府立登美丘高等学校でダンス部のキャプテンを務め、"バブリーダンス”で話題をさらった)も配役されている。出自から考えると伊原は「踊ってなんぼ」だし(ジュリエットは殆んど踊らない)、役のイメージじゃない。どちらかと言えば町娘が似合いそう。だから選ばなかった。

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天翔愛は仮面ライダー1号(藤岡弘、)の娘で、可憐な容姿で歌はそこそこ。悪くない。因みに僕は宝塚歌劇団の星組初演@梅芸(レビューこちら)からこの演目を観ているのだが、歴代のジュリエットで歌唱が素晴らしかったのは木下晴香と舞空瞳(宝塚星組)、美貌という点では愛希れいか(宝塚月組)が好みだった。

甲斐翔真はイケメンで歌はそこそこ。こちらも悪くない。僕にとってロミオのベストキャストは明日海りおと礼真琴かな。男だったら山崎育三郎。

というわけで今回は可もなく不可もなしといったところ。しかし既に10組を超える異なるキャストで観てきたので、そろそろこの演目にも飽きてきたというのが正直な気持ちである。

新型コロナ感染予防策として最近の劇場では分散退場が求められるので、それを避けるため舞台挨拶は見ずにカーテンが一度降りた時点でさっさと席を立った。ロッカーから荷物を引き出していると、向こうから演出家の小池修一郎がトコトコやってきて楽屋入り口に消えた。「そうか、初日だからちゃんと客席で観劇したんだ」と思っていると、次に若い男女が4,5人通り過ぎ、やはり楽屋口に入っていった。その際、「今日はすごく良かった!」という話し声で伊原六花だということに気がついた。広瀬すず主演の朝ドラ『なつぞら』を毎回見ていたので彼女の声を覚えていたのである。なんだか一寸得した気分になった。

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映画「夏への扉 ーキミのいる未来へー」と大林版「時をかける少女」

評価:B+

Tobira

映画公式サイトはこちら

1956年に出版されたロバート・A・ハイラインの余りにも有名な時間SF小説を三木孝浩監督が世界で初めて映画化した。主演は山崎賢人と清原果耶。清原については映画『まともじゃないのは君も一緒』のレビューで大いに語った。

6月25日(金)から公開されたが、なんと第1週目の週末興行成績ランキングでは11位と、ベストテン圏外からのスタートとなった。駄目じゃん。東宝としては期待外れの結果だろう。

三木孝浩監督は大林宣彦監督の熱狂的ファンで、高校生の時に大林映画『ふたり』をどうしても観たくて修学旅行先の東京で集団行動から抜けだし映画館に行ったという(参考記事こちら)。

彼の撮った化け猫映画『陽だまりの彼女』は『HOUSE ハウス』へのオマージュに溢れていたし、『ホットロード』は『彼のオートバイ、彼女の島』への挑戦状、そして『くちびるに歌を』では映画中盤に死んだ母親役で「ふたり」の石田ひかりか登場、オルガンを弾く場面があった(『ふたり』ではピアノでシューマンのノヴェレッテを弾く)。

そんな三木監督が『夏への扉』を映画化するなら、間違いなく『時をかける少女』を意識した作品に仕上がるだろうという確信があった。

『時をかける少女』は〈ひとが、現実よりも、理想の愛を知ったとき、それは、ひとにとって、幸福なのだろうか?不幸なのだろうか?〉という問いから始まる。そして『夏への扉』の冒頭もホーキング博士の言葉が画面に浮かび上がる。次にテレビのブラウン管に映像が流され、やがてワイド画面に移行するという流れも『時かけ』のスタンダードからビスタサイズへ、という手法を踏襲している。

猫のピートがすごく可愛かったので、それだけでも『夏への扉』の映画化としては大成功だと思う。考えてみれば大林監督にはテレビ映画『麗猫伝説』があるし、『時をかける少女』でRHYMSTER 宇多丸が唱える〈深町くん昏倒レイプ犯説〉の舞台となるタイル小路にも猫はいた。あと『夏への扉』に繰り返し登場する海も大林映画に繋がるものを感じた。さらに割れたガラスで指を切るくだりは『時かけ』への目配せなのかも。

誰が見ても本作に登場するマッド・サイエンティスト遠井博士が『バック・トゥ・ザ・フューチャー(BTTF)』のドクのパロディであることは明らかだが、原作小説がBTTFに多大な影響を与え、それが小説の映画化作品に還元された。ちゃんとループ構造になっているのが面白いなと思った。また30年前の過去に戻った主人公が少年が手に持つ雑誌にサインし、勇気づける場面はヤノット・シュワルツ監督の名作『ある日どこかで』を彷彿とさせる。大林監督は『時をかける少女』で音楽を担当した松任谷正隆に参考資料として『ある日どこかで』のフィルムを観せた。だから『時かけ』の音楽はジョン・バリーが作曲した『ある日どこかで』そっくりなのだ。そんなことどもを懐かしく想い出した。

『時かけ』で和子の「どうして時間は過ぎていくの……」という問いに対して深町は「過ぎていくんじゃない、時間はやってくるものなんだ」と答える。その言葉が『夏への扉』を観ている間中ずっと、通奏低音のように僕の耳の奥底に鳴り響いていた。

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2021年7月 2日 (金)

あなたは永遠の命を授かりたいですか?〜映画「Arc アーク」

石川慶監督の映画『蜜蜂と遠雷』(キネマ旬報ベストテン第5位)を公開当時、僕は手放しで絶賛した。

特に長大な原作を2時間以内にコンパクトにまとめ、それでも物足りなさを些かも感じさせなかった手腕には舌を巻いた。

さらに長編デビュー作『愚行録』(2017)も日本映画らしからぬルック、ヒヤッとした質感があり、好きだ。ポーランド人の撮影監督ピオトル・ニエミイスキの功績が大きいだろう。だから新作『Arc アーク』の出来も間違いないだろうと大いに期待していた。しかし……

落胆したと言っていい。127分という上映時間もスカスカの内容と比して長すぎる。苦痛でしかなかった。これはゴミだ。

評価:D

Arc

映画公式サイトはこちら

ケン・リュウのSF短編小説を石川監督が脚色・編集・監督した。

「永遠の命を授かることはひとにとって幸福なのか?不幸なのか?」という問いは、手塚治虫が漫画『火の鳥 未来編』(1968)で徹底的に突き詰めたテーマである。それから50年以上経過したわけだが、結局『Arc アーク』で語られていることは手塚が到達した地点より一歩も前に進んでいない。

本シナリオが決定的に駄目な点は芳根京子演じる主人公・リナに心の葛藤がないことだ。17歳の時、生まれたばかりの赤ん坊を見捨てることへの葛藤、30歳で不老不死の処理を受けるかどうか決断する際の葛藤。老化抑制技術を開発し実用化した天音(岡田将生)のどこが好きになって結婚するのか、その動機もさっぱり分からない。そもそも息子に対する愛情が皆無なわけだから、彼との再会を切掛に再び年を取ろうと決断する彼女の心の動きも全く理解不能である。共感する余地がない。

リナが90歳の誕生日を迎える場面で画面がモノクロームになるのも意味不明。不老不死を選択することで彼女の人生が色褪せたということなのかも知れないが、そもそも本人は(この時点で)全く後悔していないのだら。単なる軽薄な馬鹿女である。

結局最終的に彼女が老いる決意をする動機は、周りの人々が老いて死んでゆき寂しいからなのだが、ならば「周りの人々全員が不老処置を受けて生き続ければ、幸せになれるのか?」という問いに対して本作は何も答えてくれない。

僕自身は永遠の命なんてまっぴらごめんである。そもそも太陽や地球にも寿命がある。今後50億年以内に核融合に必要な燃料を使い果たした太陽は「赤色巨星」と化して膨張し、地球をいずれ飲み込んでしまうだろう。その時まで生きていたいか??年を取らないということは成長しない、生成変化しないということ。変わらない日常を永遠に送り続けても退屈なだけだ。誰も死なない、誰も成長しないのであれば映画も小説も意味をなさない。始めがあって、終りがあるから人生は豊かで面白いのだ。物語も同じである。

「なぜ生物は子孫を産むのか?」それは限りある一生だから、種を保存するために命をつなぐ=遺伝子を残すのだ。その過程で突然変異を生じ、自然淘汰により進化を遂げる。新型コロナウィルスも同様である。だから人間が不老不死になったら、子供を作ることも生物学的に無意味になる。それを無視して生み続ければ人口爆発が起こり生態系は崩れ、結局は食べるものがなくなって餓死するだろう。地球の資源には限りがある。

『映画.com』で4人が編集部の座談会を開き(こちら)、「自分なら不老処置を受けるか?」というテーマで語らっているのだが、女性2人が「受ける」、男性2人が「受けない」と答えているのが興味深かった。考え方に性差があるのかも知れない。

女性は自分の美しさや、肌のハリ・ツヤが衰えることを極端に恐れる。だから美容院やエステが流行り、「美白」やアンチエイジングがもてはやされる。女子アナは30歳が“賞味期限”と言われ、未だに30歳定年説が根強く流布している(小林麻耶は29歳でTBSを退社し、宇垣美里は28歳になる直前に辞めた。逆に30歳手前で局アナを辞める男性は滅多にいない)。35歳にもなると映画女優はほとんど良い役ががなくなってしまう。メグ・ライアンやキャメロン・ディアスが典型例。メリル・ストリープは例外中の例外だ。女優の“賞味期限”をめぐって、『デブラ・ウィンガーを探して』というドキュメンタリー映画が制作されたりもした。

結局女性の場合「永遠に生きたい」のではなく、「死ぬまで若く美しい姿でいて、周囲の人々からちやほやされたい」ということなのかも知れない。それが自由意志なのか、外部の目線からの圧力なのかは置いておいて。

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