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今年のアカデミー作品賞・監督賞最有力!映画「ノマドランド」と哲学者ジル・ドゥルーズの思想

評価:A+ 公式サイトはこちら

Nomado

映画『ノマドランド』(中国語タイトル:無依之地)の監督は中国で生まれ、アメリカ合衆国で活躍するクロエ・ジャオ。主人公ファーン役のフランシス・マクドーマンドとデヴィッド役デヴィッド・ストラザーン以外は実際に車上生活を送っている人々が起用され、本名で出演している。この手法はジャオ監督の前作『ザ・ライダー』を踏襲している。

40代のあるときマクドーマンドは夫(映画監督のジョエル・コーエン)に、こんなことを言った。「65歳になったら私は名前をファーンに変えて、ラッキーストライク(煙草)を吸い、ワイルドターキー(バーボン)を飲み、RV車を手に入れて旅に出るわ」これが役名の由来である。そして彼女の人生のエピソードの数々がシナリオに反映されている。ヴァン(VAN)の中にある食器や家具、小物は彼女の私物だ(詳しくはこちら)。

本作の主題をより深く理解するためには、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズ(1925-1995)が打ち立てた〈ノマド〉という概念を知っておくと大いに役に立つだろう。

〈ノマド〉とは遊牧民のこと。ドゥルーズがドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)について論じた『ノマドの思考』から要点を説明しよう。

ニーチェにとって社会とは、法、契約、制度という3つのコード(構成員が共有する暗号/符丁/決まりごと)に従って回る、人間を縛る官僚的構造である。集団行動していくために必要とされているものだが、人が生まれながらにして持っている資質を覆い隠し、触れ合うことを難しくしている。ニーチェはそこからの逃走、〈脱コード化〉を試みる。〈脱コード化〉とは、3つのコードが縦横無尽に走る社会という枠を越えて、「外」と直接接続すること。「外」との関係にこそ、人間の本来あるべき姿があるとニーチェは確信していた。これは〈脱領土化〉とも言い換えられる。

ドゥルーズにとって〈ノマド〉として生きるとは、新たなものを生成し、閉塞からの〈逃走線を描く〉ことを意味する。最も大切なのは〈生成変化〉すること。フランス語では"devenir"(ドゥヴニール:〜になる、〜に変わる)。つまりドゥルーズの思想は、固定的・官僚的な〈縦の秩序〉よりも、流動的・遊牧民的な〈横のつながり〉の方が新たな価値を生むという考え方である。

ここで僕なりの補足をしておくと、ニーチェ哲学の根底には反キリスト教(anti-christ)があった(ユダヤ教と共通する聖典、旧約聖書を含む)。法=ユダヤ教の律法であり、モーセの十戒がその典型。契約とは神との契約であり、制度=教会の組織を意味した。「人間を縛る官僚的構造」とは教会であり、原罪もしかり。人は生まれながらに「罪人(つみびと)」という枷をはめられている。ニーチェは〈神〉とか〈神の国=天国〉、〈真理〉、プラトン哲学が説く〈イデア〉といった永遠に不変・不滅のものを憎んだ。それらに対抗する概念として彼が生み出したのが〈永劫回帰〉である。〈永劫回帰〉は絶えず動き続ける。ドゥルーズが提唱する〈ノマド〉はニーチェの〈永劫回帰〉の言い換えであると断じても、あながち間違ってないだろう。また、唯一の真実の〈神〉への対抗馬としてニーチェが打ち立てたのが、その著書『ツァラトゥストラはかく語りき』で述べられる〈超人〉。つまり人間が〈神〉の代わりを務めればいいじゃん、ということ。スタンリー・キューブリック監督『2001年宇宙の旅』の“スター・チャイルド”であり、押井守監督『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』のラストでインターネットの海に旅立った草薙素子、そして新房昭之監督『魔法少女まどか☆マギカ』における“アルティメットまどか”がそれに該当する。

『ノマドランド』を観ていて、思い出す光景が幾つかある。まずTV『大草原の小さな家』(特に最初のパイロット版『旅立ち』)で描かれたインガルス一家。そしてジョン・スタインベック原作、ヘンリー・フォンダ主演、ジョン・フォード監督の映画『怒りの葡萄』、そしてリチャード・ギア主演、テレンス・マリック監督の映画『天国の日々』の季節労働者たち。アメリカの西部開拓史そのものが〈ノマド〉としての生き様だった。

『ノマドランド』の登場人物たちが車上生活を送るようになったきっかけは2008年に発生した未曾有の経済危機リーマン・ショックである。これは『怒りの葡萄』で描かれる農民一家の放浪が1929年の世界恐慌に端を発するのと同じ構造を持っている。

また『ノマドランド』のファーンは季節ごとに毎年何処で働くかを決めているので(例えばAmazonの倉庫での梱包作業)、『天国の日々』の季節労働者に近い。サイクルがある彼女の行動パターンは〈ノマド〉というよりも、ニーチェが言う〈永劫回帰〉であろう。

『ザ・ライダー』に続き、『ノマドランド』も朝日が昇る時刻や夕刻の〈マジックアワー〉(日の出前や日没後、太陽はないが辺りが薄明かりに包まれる約20分くらいの時間帯) に撮影された場面が多い。そういう意味においてもネストール・アルメンドロスが撮影監督を務めた『天国の日々』を彷彿とさせる。

「私はホームレスじゃない。ハウスレスなの」とファーンは言う。彼女にとってのHomeはキャンピングカーであり、自分の心の中にあるもの。HomeとHouseの違いは何か?それは移動が可能か、否かにある。

観終えて茫洋とした寂寞感に襲われる、深く、ほろ苦い味わいの作品である。ここに人の生の輝き、原石がある。

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