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2021年3月

花總まり × 甲斐翔真 IN ミュージカル「マリー・アントワネット」

3月7日(日)梅田芸術劇場でミュージカル『マリー・アントワネット』を観劇。

僕は2007年2-3月に梅芸で上演された旧演出版も観ている。タイトルは「MA」だった。これはマリー・アントワネット(涼風真世)と、もうひとりの主人公マルグリット・アルノー(笹本玲奈/新妻聖子のダブル・キャスト)の共通するイニシャルを表している。そして遠藤周作の原作には登場しない劇作家ボーマルシェ(山路和弘)と、錬金術師カリオストロ(山口祐一郎)という怪しげな狂言回し的人物がいたのだが、二人とも新演出版では消えた。

旧演出は栗山民也。やたらめったら人々がギロチンで首をはねられまくる血なまぐさい作品で、日本初演後にドイツ(2009年)、韓国(2014年)、ハンガリー(2016年)で現地キャストにより上演された。

新演出はロバート・ヨハンソン。旧バージョンの血なまぐささが緩和され、マリーとフェルゼンの恋愛がクローズアップされてロマンティックな仕上がりになった。ある意味、宝塚歌劇『ベルサイユのばらーフェルゼンとマリー・アントワネット編ー』に近づいたと言える。〈遠い稲妻〉〈孤独のドレス〉など新曲も多数加わった。

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兎に角、ソニンの歌唱が圧巻!ど迫力。痺れた。女帝・花總まりは安定の貫禄。相手役の甲斐翔真はイケメンだけど音程が危うい。これはダブル・キャストの田代万里生に軍配が上がる。

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すばらしき世界

評価:A

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監督は『ゆれる』『ディア・ドクター』『永い言い訳』の西川美和。彼女は文才もあり、小説『きのうの神様』『永い言い訳』で2回直木賞候補になっている。今までは全てオリジナル・シナリオだったが、今回初めて原作ものに挑んだ。佐木隆三のノンフィクション小説『身分帳』である。佐木は実在の連続殺人鬼をモデルとした『復讐するは我にあり』で直木賞を受賞、今村昌平監督で映画化された。『復讐する〜』は他に黒木和雄、深作欣二、藤田敏八が映画化を申し入れ、権利獲得を競い合った。また僕は彼が書いたルポルタージュ『証言記録 沖縄住民虐殺―日兵逆殺と米軍犯罪』について過去にブログ記事で触れている。

本作の魅力は何といっても主役の役所広司の凄さに尽きる。本当に刑務所から出てきたばかりのやくざ者にしか見えない。彼が平凡なサラリーマンを演じた『Shall we ダンス?』とは完全に別人。顔とか体型に変化がないのに、大したものだ。

また前科者の三上(役所)を取材対象としてテレビのドキュメンタリー番組を撮ろうとする青年役の仲野太賀が『あの頃。』に続いて好演。あと長澤まさみの〈異物感〉に目が釘付けになった。

見応えあり。

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中二病からの脱出〜映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版」

評価:A+

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テレビ・アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の放送(1995年10月4日-1996年3月27日)から25年、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の公開から14年。漸くこの物語は完結した。特に前作『Q』から8年以上も待たされた。そもそも2020年6月27日公開予定だったのが新型コロナウィルス感染拡大の影響で翌年1月23日に延期となり、さらに緊急事態宣言が発令されたため3月8日(月)に再延期された。緊急事態宣言の期限が3月7日に設定されていたからである。しかし結局、あてが外れて首都圏の1都3県では宣言が更に2週間延長されることになった。

テレビ・アニメ版『エヴァ』を一言で表現するなら「中二病」となるだろう。事実、登場する少年少女たちの年齢は14歳である。

Wikipediaによると「中二病」という言葉は1999年、伊集院光がラジオで発言したことに端を発するという。彼の潜在意識にも当然『エヴァ』のことがあっただろう。また精神科医・斎藤環はシンジを「ひきこもり」、アスカを「境界性パーソナリティ障害」、レイを「アスペルガー症候群」と評している。シンジの父・碇ゲンドウも未熟な精神の持ち主であり、「中二病」「厨房」と断じて差し障りない。

ライムスター宇多丸がパーソナリティを務めるTBSラジオ『アフター6ジャンクション』(アトロク)には現在「新概念提唱型投稿コーナー:イキりゲンドウ」というのがあり、めっぽう面白い。碇ゲンドウへオマージュを捧げているわけだが、実際のところあの男は言動がイキっているだけなんだよね。「人類補完計画」なんて大層なことを言っているけど、実質は死んだ(L.C.L.に溶けた)妻ユイともう一度会いたいだけ。そんな個人的なことに人類全体を巻き込もうってんだから、発想が身勝手で幼稚。〈対人関係が苦手/強いこだわり示す〉といった特徴をもつ発達障害の一つ「自閉スペクトラム症(ASD)」と診断出来るだろう。今にして思えば『エヴァ』という作品は〈ぼく(ゲンドウ)ときみ(ユイ)を中心とした小さな関係性の問題が、中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結している〉という定義にピッタリ当てはまり、セカイ系のはしりだったと言える。

旧劇場版『Air/まごころを、君に』の頃は庵野秀明自身も心が病んでいた。序盤でシンジがアスカの裸を見ながらマスターベーションして精液を飛ばす描写があったり、シンジがアスカの首を絞め、アスカの「気持ち悪い」という台詞で締めくくられたり、ホントどうかしている。実写で映画館の客席に座るアニメ・ヲタクを映す場面なんか、「自分を支えてくれているファンに対して喧嘩売っとんかい!」と怒り心頭に発した。おそらく当時の庵野はヲタクの事を本気で「気持ち悪い」と思っていたのだろう。自分のことは差し置いて。

アニメ+旧劇版は大風呂敷を広げっぱなしのまま何も回収せず無責任に終わったが、新劇場版は序・破・Qで散りばめられた伏線を『シン・エヴァンゲリオン』できれいに回収して風呂敷を畳み、有終の美を飾ったので心底驚いた。『Q』で登場しなかった加持リョウジやトウジ、ケンスケがその後どうなったか、渚カヲルの名前の由来など懇切丁寧な説明があり、アスカが眼帯している理由も分かる。「この四半世紀で庵野秀明も大人になったんだなぁ!」と妙なところで感動した。ちゃんと観客をもてなそう(entertain)という意志がある。そして救いのない旧劇に対して新劇の最後には明るい希望が見える。アニメ版が放送開始になった時、庵野は35歳。人間、何歳からでもやり直せる、成長出来るんだということを彼の生き様から学ばせて貰った。そして『シン・エヴァ』で碇シンジも真の大人になった。

上映時間が2時間35分と聞いたときは「集中力が持つかな?」と些か不安だったが、一瞬たりとも退屈することなく杞憂に過ぎなかった。

庵野の原体験として『宇宙戦艦ヤマト』と『ウルトラマン(特に、帰ってきたウルトラマン)』が作品に多大な影響を与えていることは、つとに有名である。『エヴァ』劇伴のティンパニの使い方は『ウルトラセブン』や『帰ってきたウルトラマン』に触発されているし、日本中の電力を集める「ヤシマ作戦」は『帰ってきたウルトラマン』の第20話「怪獣は宇宙の流れ星」が元ネタ。そもそもエヴァの内部電源5分間という設定はウルトラマンのカラータイマー3分由来であり、エヴァ自身は怪獣(中身)の暴走を制御するため拘束具としての装甲に覆われている。また庵野は『Q』と『シン』製作の合間に、『宇宙戦艦ヤマト2199』オープニングアニメーションの絵コンテを担当し、劇場版『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』では原画を描いている。

で『シン・エヴァンゲリオン』では葛城ミサトが「ヤマト作戦」とか言い出して、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』みたいな展開になるし、シンジとゲンドウが対決する場面はまるでウルトラマンと怪獣が戦う箱庭(特撮現場)のような空間構造になっている。ウルトラセブンとメトロン星人がちゃぶ台を挟んで向かい合う第8話「狙われた街」(実相寺昭雄監督)を彷彿とさせる場面も。

今まで何だかんだやいのやいの悪口も言ったが、『エヴァ』シリーズには長い間、本当に楽しませてもらった。心からありがとう!そして「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」

キネマ旬報ベストテンで第2位に選出された『シン・ゴジラ』も傑作だったし、最近の庵野は絶好調だ。作家としての成熟を感じる。『シン・ウルトラマン』の公開日が待ち遠しい。

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鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン「ヨハネ受難曲」@いずみホール

2月20日(土)いずみホールでJ.S. バッハ作曲『ヨハネ受難曲』を聴いた。

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演奏は鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン。独唱は松井亜希(ソプラノ)、久保法之(アルト)、櫻田 亮(エヴァンゲリスト)、谷口洋介(テノール)、加耒 徹(バス)。

当初は外国人の独唱者が4人来日する予定だったが、新型コロナウィルス感染拡大の影響で不可能となり、全員が日本人となった。クオリティの低下が危惧されたが、特に問題なく杞憂に終わった。

諦念と憂愁に彩られた『マタイ受難曲』に対して、『ヨハネ受難曲』は激しい怒りに満ちていて熱い。火の玉のようだ。そして鈴木雅明の資質にはそんな『ヨハネ』の方が似合っているのではないか、と改めて思った。なお僕は鈴木/BCJの演奏する同曲を2007年4月7日(土)に神戸松蔭女子学院大学チャペルで聴いている。

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差別する心理〜欧米の植民地支配からBlack Lives Matter(BLM)まで

自尊心(pride):『自尊心』とは自分自身を尊重する気持ちであり、『自己肯定感』と言い換えることも出来る。「自分には何かしらの価値がある」という幻想であり、生きる意味を見出すこと。

人は自尊心がなければ生きていけない。「自分には何の価値もない」「生きる意味がない」と感じると自身を大切に出来ず、リストカットなど自傷行為に走ったり、最終的には自殺に至る。その典型が〈境界性パーソナリティ障害〉や〈うつ病〉である。

自尊心は幼少期に育まれる。親から愛され、「あなたは私の宝物」と大切にされ、「よくできました」「賢いね」と褒められたり、存在を肯定されることが大切。子供の頃に家族離散や育児放棄、児童虐待などを経験すると〈愛着障害〉を生じ、自尊心が損なわれる。

差別(discrimination):『自尊心』を持つ手っ取り早い方法は他者との比較である。社会は他者との関係性で成り立っている。「私はあいつよりも賢い(学歴自慢)」「あいつより容姿端麗だ」「ピアノ・コンクールで優勝した(特技自慢)」「財産が沢山ある」「都会に住んでいる」「家柄が良い(出自自慢)」「有名人と顔見知りだ(人脈自慢)」「子供が東大に合格した(家族自慢)」といったことで自信が持てる。後者3つは「人の褌(ふんどし)で相撲を取る」ことに過ぎないのだが……。これらの行為は他者との比較だから、差別意識が生まれる。「無学な奴め」「ブス」「この負け犬(loser)が!」「貧乏人」「田舎者」。世の中には悪口しか言わない人がいる。彼らは他者を貶めることで、相対的に『自尊心』を保っている。自分自身には何も誇れるものがないから。

身分制度:インドなどヒンドゥー教にはカーストという身分制度がある。日本も江戸時代には武士・平人(ひらびと)・賤民という三つの身分層で成り立っていた(昔、小学校で習った『士農工商』という制度があったという説は現在では否定されている)。百姓と町人が平人、穢多(えた)と非人(ひにん)が『人外』として賤民に相当した。ちなみに人口全体に占める割合は百姓が85%、武士7%、町人5%、穢多・非人が1.5%程度だった(残る1.5%は公家・神官・僧侶)。身分の差も『自尊心』の拠り所となる。

植民地支配:ヨーロッパ諸国が嘗て行った植民地支配やアメリカ合衆国の奴隷制度とは、身も蓋のない言い方をすれば他国の資源の搾取である。資源とは土地・鉱物(金やダイヤモンド)・動物(象牙や毛皮)・人材などを指す。その意味で泥棒・バイキング・海賊と何ら変わらない。しかし自分たちが単なる泥棒や海賊だとは思いたくない。それでは『自尊心』が保てない。そこで彼らが心理的に実行したのが現地人の差別である。「アフリカの黒人は家畜と何ら変わらない。だから豚や牛と同等に扱っても構わない」「インディアン(アメリカ先住民)には文化と呼べるものが何もない。彼らは資源を有効活用出来ない。宝の持ち腐れだ。だから私達が奪っても問題ない。野蛮人は殺せ!」

これはナチス・ドイツがユダヤ人を劣等民族と決めつけ虐殺し、彼らの富を奪ったことに似ている。銀行を経営するなど大財閥として栄華を誇ったロスチャイルド家も追放され、全財産は没収された。

日本が東南アジアの国々を植民地にしていたとき、学校を建てて現地の子供達を熱心に教育しようとした。しかし欧米人は決して、アフリカ人やアメリカ先住民を教育しようという発想がなかった。家畜に教育は不要だからである。

黒=邪悪?:欧米人のウエディングドレスは白と決まっている。白は純粋無垢の象徴であり、汚れのない色。人は二項対立で思考するので、対象的な黒色は邪悪とみなされた。忌むべき喪服は黒と決まっている(日本人の喪服が黒になったのは様式慣行が入ってきた明治維新以降。それまでは白だった。切腹の際も白無垢)。

日本語でも「無罪か有罪か」のことを「白か黒か」と言うし、「腹黒い」という表現もある。英語では邪悪なことを"black-hearted"という。またblackの縁語であるdarknessは「暗闇」「心の闇」「腹黒さ」「邪悪」を意味する。闇夜は視界が効かないので古代人は幽霊とか怪物を空想した。だから白人が黒人に対してそういう悪いイメージを無意識に付与するのもわからなくはない。

また旧約・新約聖書において、神は白のイメージである。

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逆に悪魔は黒。

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旧約聖書によると神は自分の姿を模して人を創った。つまり人は神の似姿なのだ。ということは、聖書を書いたのは古代イスラエル人・ユダヤ人であり、神は白人ということになる。だから二項対立として黒人=悪魔という先入観を彼らが持っていたとしても何ら不思議はない。実際、ローマ・カトリック教会に反発するサタン崇拝者の儀式を黒ミサ(black mass)と呼ぶ。

ワーグナーのオペラ『ローエングリン』は白鳥が純潔とか無垢の象徴として登場する。一方、チャイコフスキーのバレエ『白鳥の湖』では邪悪の化身として黒鳥(black swan)が登場する。

暗黒大陸と無文字社会:嘗てヨーロッパ人はアフリカのことを『暗黒大陸』と呼んだ。黒人が住んでいるからそう呼称されたと誤解している人がいるが、それは間違い。未開の地であり、鬼が出るか蛇が出るか予測がつかないというニュアンスである。アフリカの地理に関して無知であるという『暗黒』だけではなく、 野蛮なイメージが付加されていた。

ヨーロッパと比較するとアフリカには歴史的建築物はないし、遺跡もない。「ここには文化がない」と彼らは考えた。またアフリカ大陸の中でエジプトなど一部の中東〜北アフリカを除き、サハラ砂漠より南の地域(Sub-Saharan Africa)は一様に無文字社会であった。「読み書きの出来ない者は人間と呼ぶに値しない。だから家畜として扱っても構わない」という意識が白人たちにあったことは間違いない。

やはり文字を持たなかったアメリカ先住民や、オーストラリア先住民アボリジニも同等の扱いを受けた。アボリジニは奴隷にされなかったが、オーストラリアではスポーツハンティングとして日常的に『人間狩り』が行われた。「今日はアボリジニ狩りにいって17匹をやった」と記された日記がサウスウエールズ州の図書館に残されている(詳細はこちら)。これによりアボリジニ人口は90%以上減少した。

文字文化を持っているかどうかが白人の差別意識に強く関与していたことは、例えばインド人の扱いと比較してみればよく理解できるだろう。インドはイギリスの植民地であったが、アフリカ人やアボリジニ、アメリカ先住民ほど酷い仕打ちは受けなかった。彼らは奴隷にもされず、『人間狩り』もなかった。インドには『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』といった叙事詩をはじめ立派な文学があり、タージマハルなどの世界遺産もある。それらの文化に対して欧米人はそれなりの敬意を払ったし、彼らの差別意識が肌の色だけで決めつけていなかったことが伺えるだろう。

優生学:命に優劣をつけ選別する『優生思想』はダーウィンが1859年に著した『種の起源』に影響を受けて、19世紀末に生まれた。人類は文明的な階層によって区分することができると考えられ、北ヨーロッパが文明的に最も優れていて、アボリジニは劣っていると見做された。アングロ・サクソンとスカンジナビア人が最高順位に置かれ、有色人種は下位に格付けされた。

アメリカでは1924年に移民法が成立し、白人と有色人種の結婚を禁ずる法律が正当化された。優生学の目的は「知的に優秀な人間を創造すること」「社会的な人的資源を保護すること」にあった。アメリカでは20世紀まで、「公共の利益のために社会の不適格者を断種する」という優生思想にもとづき、強制不妊手術が32の州で合法的におこなわれていた。被害にあったのは主にアフリカ系アメリカ人たち。手術は本人の合意も子供が産めなくなるという説明もなく行われた。詳しくはこちらの記事をご覧あれ。

ナチス・ドイツも『優生思想』を根拠に精神障害者を約7万人ガス室送りにして殺戮した。これが『T4計画』である。ホロコーストを正当化する理屈も根っこは同じである。

Black Lives Matterと恐怖心(terror)2020年5月25日、アメリカで黒人のジョージ・フロイド氏が白人警察官に首を押さえつけられ、「息ができない(I can't breathe.)」と訴えたにもかかわらず力が緩められることなく、その後死亡する事件が発生した。関与した4人の警官は翌26日に懲戒免職処分となり、フロイド氏を押さえつけていた元警官は29日に逮捕・起訴された。この事件が切っ掛けで暴動が起こり、世界的な抗議運動に発展していった。ブラック・ライヴズ・マター (BLM)である。

#BlackLivesMatter 以前、1960年代の自由公民権運動の頃から白人警官の黒人に対する激しい暴力は問題になっていた。その背景には当然差別意識もあるが、特に最近では恐怖心(terror)も強いのではないだろうか?黒人に対して今までしてきたことの罪の意識。「復讐されるのではないか?」という不安感。それが〈過剰防衛〉としての暴力という形で現れているという側面もあるだろう。

Black Lives Matterを考える上で観ておくべき映画・ドキュメンタリー番組

・『グローリー ー明日への行進ー 』:マーティン・ルーサー・キング・Jrを主人公に、有名な“セルマ大行進”を描く。
・『
あの夜、マイアミで』:マルコムX、モハメド・アリ、ソウル歌手サム・クックらが語り明かした一夜を描く。
・『リマスター:サム・クック』:ドキュメンタリー映画、Netflix配信。
・『マルコムX暗殺の真相』:ドキュメンタリー番組、Netflix配信。
・『私はあなたのニグロではない』:ドキュメンタリー映画。作家ジェームズ・ボールドウィンが語るキング牧師、マルコムX、そして
NAACP(全米黒人地位向上協会)に所属した公民権運動家メドガー・エヴァース。
・『ビール・ストリートの恋人たち』:ジェームズ・ボールドウィンの小説を原作とする劇映画。
・『自由の国アメリカ:闘いと変革の150年』ドキュメンタリー番組、Netflix配信。合衆国憲法修正第14条をめぐる、血と汗の滲む道程。

あと、キング牧師はマハトマ・ガンジーの非暴力非服従運動に強い影響を受けているので、アカデミー賞で作品賞・監督賞・主演男優賞など8部門受賞した映画『ガンジー』を併せて参考資料にされたし。

 

参考文献:①岡田尊司 『パーソナリティ障害 いかに接し、どう克服するか』(PHP新書)
②岡田尊司『境界性パーソナリティ障害』(幻冬舎新書)
③岡田尊司『死に至る病~あなたを蝕む愛着障害の脅威~』(光文社新書)
④上坂昇『キング牧師とマルコムX』(講談社現代新書)
⑤ロバート・ローラー(著)長尾力(訳)「アボリジニの世界ードリームタイムと始まりの日の声」(青土社) 
⑥アドルフ・ヒトラー(著)平野一郎 他(訳)『わが闘争』(角川文庫)

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【考察】映画「あの頃。」の登場人物たちはどうしてこんなに気色が悪いのか?

評価:F

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原作はベーシストで神聖かまってちゃんのマネージャーだったこともある劔樹人(つるぎみきと)のエッセイ。大学生卒業後就職も出来ずに、もやもやしていた主人公(松坂桃李)が松浦亜弥のミュージック・ビデオを見て「ハロー!プロジェクト」のアイドルに夢中になり、イベントで知り合ったネット弁慶のコズミン(仲野太賀、原作ではコツリン)らと青春の日々を謳歌するという物語。公式サイトはこちら

小林よしのり、中森明夫、宇野常寛らの座談会を本にした『AKB48白熱論争』(幻冬舎新書)第1部は〈人はみな誰かを推すために生きている〉と銘打たれている。全く同感である。僕自身、〈誰か〉に限らず、〈何か〉を“推す”ためにこのブログを10年以上書き続けている。それは大好きな音楽だったり、映画だったり、舞台ミュージカルだったりする。自分が愛する〈誰か〉や〈何か〉を語ることは愉しい。嘗て大林宣彦監督の公式ファンクラブ、OBs club広島支部に入っていたこともあり、そこで仲間が出来た。

大のおとながアイドルを好きになる気持ちも分かると思っていた。僕は今までにAKB48、乃木坂46、欅坂46の握手会に各々一回ずつ行ったことがある。握手したのは柏木由紀、渡辺麻友、島崎遥香、川栄李奈、西野七瀬、齋藤飛鳥、平手友梨奈、長濱ねる、といった面々。また学会出張で博多に行ったときはHKT48の劇場公演(2回)、新潟に出張したときはNGT48の劇場公演を観た。ヲタクの生態も多少なりとは理解しているつもりだった。

だから『あの頃。』に登場する「恋愛研究会。」のメンバーにも共感出来るのではないかという期待を持って映画館に足を運んだ。ところが!僕が感じたのはホモ・ソーシャルな関係性の6人に対する嫌悪感だけだった。駄目だ、生理的に全く受け付けない。そんな自分に些かショックを受けた。な、なんなんだ、この感情は?同族嫌悪??いや、違う。僕は動揺した。そして数日間真剣に考えて、悩み、漸く結論に達した。

「恋愛研究会。」のメンバーがキモいのは、彼らに社会性が欠けているからだ。アルバイト程度の仕事をしている人はいるが、殆どが無職。家庭も持っていない。つまり現実社会において他者に真剣に向き合っていない。「恋愛研究会。」という名称にしたって恋愛は互いの気持ちが通じ合って成立するものだ。彼らがしていることは自分の一方的な“好き”をぐだぐだと語っているだけ。ストーカーと何ら変わらない。生産性がない。メンバーがモーニング娘。の『恋ING』を演奏し、熱唱する場面があるが、あまりにも音痴で聞くに堪えない。結局、自分たちが“愉しい”に終始しており、目の前にいる聴衆をもてなそう(entertain)という意志のかけらもない。つまりここでも社会性が欠如しており、マスターベーションを見世物にしているようなものだ。しかも『恋ING』を歌う場面はたっぷり2回も登場する。勘弁して〜。今泉力哉監督、「あんたバカぁ!?」(惣流・アスカ・ラングレー風に)。

“クズ”ミン、もとい、コズミンが女性を性欲処理の対象としてしか見做していないのも実に不愉快であった。 メンバーの彼女にちょっかいを出す場面でも、相手とコミュニケーションを取りたいという意思は全く無く、オッパイを揉むことしか頭にない。最低の男である。だから彼の興味関心が生身の(面倒くさい)人間から次第に離れて、アニメのフィギュアに終結していくのも、むべなるかなと思った。

結論。アイドルは明日を生きるための“希望”である。“好き”になって“推す”のは好い。しかしバランス感覚が大切。趣味仲間以外の社会との関係性(commitment)を喪失したら、人間終了である。

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