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2021年1月13日 (水)

スパイ小説「あの本は読まれているか」と「ドクトル・ジバゴ」の想い出

アメリカ探偵作家クラブが授与するエドガー賞の最優秀新人賞にノミネートされた、ラーラ・プレスコットのデビュー作『あの本は読まれているか』(The Secrets We Kept)は2019年にアメリカで出版され、2020年4月に翻訳が出た。〈あの本〉とはロシアの詩人・作家であるボリス・パステルナークが書いた小説『ドクトル・ジバゴ』のことである。1957年にイタリアで出版されたがロシア革命に対して批判的ということでソビエト連邦内では発禁処分となり、58年にノーベル文学賞を受賞するもソ連当局の圧力により辞退を余儀なくされた。結局、ソ連国内で『ドクトル・ジバゴ』ロシア語版が出版されるのはペレストロイカを推進したゴルバチョフ書記長時代の88年である。それから3年後の91年にソ連は呆気なく崩壊した。

2014年に「冷戦中、アメリカのCIAはソ連を崩壊させる手段として『ドクトル・ジバゴ』を使用した」という驚くべき九十九の機密文書が解除された。ワシントンポストのこの記事を父親がラーラ・プレスコットに送ってくれたという。しかしその文書は人物名に手が加えられていたり、一部が黒塗りされたりしていた。

Sevret

パステルナークに、妻とは別にオリガという愛人がいて、彼女が『ドクトル・ジバゴ』のヒロイン、ラーラのモデルだったというのはこの小説を読んで初めて知った。確かにユーリ・ジバゴにはトーニャという正妻がおり、ラーラとは不倫関係だ。なお『あの本は読まれているか』の著者の名前がラーラなのは、母親が映画の大ファンでそれに因んで名付けたという。そしてプレスコットは幼少期にモーリス・ジャールが作曲した〈ラーラのテーマ〉の旋律が流れるオルゴールを聞いて時を過ごした。正に〈運命の子〉と言えるだろう。

僕が『ドクトル・ジバゴ』のことを初めて知ったのは、音楽を通してであった。1978年、小学校5年生のとき映画館で観た『スター・ウォーズ』に衝撃を受け映画音楽が大好きになり、アカデミー作曲賞を受賞した『ドクトル・ジバゴ』(1965)サウンド・トラックLPレコードを買った。中学生だった。まだVHSビデオデッキすら家庭に普及していなかった時代で、レンタルビデオ店もなかった。3時間を超える長い映画なのでテレビ放送も望みなし。だからレコードの解説や写真で想像を膨らませるしかなかった。そこで原作小説に取り組むことにした。

僕が岡山市立図書館から借りて初めて読んだのは時事通信社記者・原子林次郎が訳した版である。しかし当時はロシア語の原典が入手困難で、イタリア語訳版と英訳版を相互に参照しながらの不完全な重訳である旨が訳者あとがきに記されていた。そして1980(昭和55)年、同じ時事通信社から待望の、ロシア文学の専門家である江川卓による原典を底本とする翻訳が出た。僕は上巻1,500円、下巻1,700円のハードカバーが出版されるやいなや、なけなしのお小遣いを叩いて購入した。この江川版は89年に新潮文庫に収められたが、今では絶版になっている。現在入試可能なのは2013年に出版された工藤正廣訳のみで、なんと8,800円もする!気軽に読める小説ではなくなってしまった。むしろDVD,Blu-rayや配信で鑑賞可能なので、映画の方がアクセスしやすいだろう。デヴィッド・リーン監督の名作であり、僕は『戦場にかける橋』や『アラビアのロレンス』よりも好き。ラーラを演じたジュリー・クリスティはイメージそのままで一分の隙もないし、悪徳弁護士コマロフスキー役のロッド・スタイガーも素晴らしい。

夢中になって『あの本は読まれているか』を一気呵成に読んだ。主人公はCIAに勤めるタイピスト兼、女スパイで『ドクトル・ジバゴ』をソ連国内に浸透させる諜報活動に従事する。事実は小説より奇なり。僕のために書かれたのではないか?と錯覚を起こすくらい気に入った。そして改めて自分がどれだけ『ドクトル・ジバゴ』を愛しているかを思い知った。もう、好き、好き、大好き!

『あの本は読まれているか』はLGBTQというテーマも絡んできて、さすが21世紀の小説という感じ。そして何より当時のCIAの人々が〈物語の力〉を信じていたっていう事実が素敵じゃない?正に〈ペンは剣よりも強し〉。超オススメ。こちらも映画化されることを是非期待したい。

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