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2020年12月

2020年映画ベスト30+α & 個人賞発表!

毎年恒例、映画ベストを発表しよう。2020年に劇場で初公開された作品及び、Netflix, Huluなどインターネットで配信された作品を対象とする。ただし、「ザ・クラウン」「ウォッチメン」「ウエストワールド」「ダーク・マテリアルズ/黄金の羅針盤」など連続ドラマは除外する。

タイトルをクリックすれば過去に僕が書いたレビューに飛ぶ。今年は1位が2作品ある(タイ)。どちらが優れていると言うことは無理。どっちも最高!それでいい。

1)ストーリー・オブ・マイ・ライフ /わたしの若草物語
1)パラサイト 半地下の家族
3)1917 命をかけた伝令
4)僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46
5)ザ・プロム (Netflix配信)
6)ウルフウォーカー
7)燃ゆる女の肖像
8)アルプススタンドのはしの方
9)海辺の映画館ーキネマの玉手箱
10)透明人間
11)劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン
12)ミッドサマー
13)Mank/マンク(Netflix配信)
14)TENET テネット
15)マ・レイニーのブラックボトム (Netflix配信)
16)テリー・ギリアムのドン・キホーテ
17)ラストレター 
18)レイニーデイ・イン・ニューヨーク
19)ハリエット  
20)ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密  
21)フォード vs フェラーリ
22)三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実
23)劇場版 鬼滅の刃 無限列車編
24)シカゴ7裁判 (Netflix配信)  
25)ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから (Netflix配信)
26)窮鼠はチーズの夢を見る
27)WAVES/ウェイヴス
28)のぼる小寺さん
29)娘は戦場で生まれた
30)もう終わりにしよう。(Netflix配信)
31)キャッツ  
32)レ・ミゼラブル
33)ジュディ 虹の彼方に 
34)星の子
35)スキャンダル
36)ジョジョ・ラビット 
37)スパイの妻

続いて個人賞に移ろう。

実写監督賞:大林宣彦(海辺の映画館ーキネマの玉手箱)、ポン・ジュノ(パラサイト 半地下の家族
アニメーション監督賞:トム・ムーア、ロス・スチュワート(ウルフウォーカー
主演女優賞:シアーシャ・ローナン(ストーリー・オブ・マイ・ライフ /わたしの若草物語)、メリル・ストリープ(ザ・プロム
助演女優賞:アマンダ・サイフリッド(Mank/マンク
主演男優賞:ソン・ガンホ(パラサイト 半地下の家族)、チャドウィック・ボーズマン(マ・レイニーのブラックボトム
助演男優賞:ジェームズ・コーデン(ザ・プロム
オリジナル脚本賞:ポン・ジュノ、ハン・チンウォン(パラサイト 半地下の家族
脚色賞:グレタ・ガーウィグ(ストーリー・オブ・マイ・ライフ /わたしの若草物語
撮影賞:ロジャー・ディーキンス(1917 命をかけた伝令
編集賞:ジェニファー・レイム(TENET テネット
美術賞:ヘンリック・スヴェンソン(ミッドサマー)、イ・ハジュン(パラサイト 半地下の家族
衣装デザイン賞:ジャクリーン・デュランストーリー・オブ・マイ・ライフ /わたしの若草物語
作曲賞:トレント・レズナー、アッティカス・ロス(Mank/マンク
歌曲賞:Wear Your Crown(ザ・プロム
視覚効果賞:1917 命をかけた伝令
音響賞・音響編集賞:フォード vs フェラーリ

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2020年、今年抱いた感情を漢字一字で表すと……

毎年恒例となる、今年の世相を表す漢字一字が「密」と京都・清水寺で発表された。

僕の個人的な想いとしては、今年を象徴する漢字一字は「怒」だった。

行く予定だったコンサートや観劇がことごとく中止となり、10件以上の払い戻し手続きをした。一年中翻弄され続けた新型コロナウィルスに対する怒り、そして「自粛警察」「マスク警察」など、同調することを強要しようとする世間への怒りと苛立ち。

2020年は徹底的に「人間の醜さ」を見せつけられた一年だった。しかし逆に言えば恐怖心によって人々の被るペルソナ(仮面)が剥がされ、今まで見えなかったものが顕在化し、またとない貴重な体験を得られた一年でもあった。本質的に今の日本には個人の意見や、他者との違いが尊重される「自由」なんてないことが痛いほどよく分かった。大変勉強になった。

そして今年僕の心に一番刺さった歌は、秋元康が作詞した欅坂46の『不協和音』だ。「僕は嫌だ」と、閉塞社会に対して僕も一緒に叫んだ。ある意味、この曲に救われた。今更だが秋元はやっぱり天才だった。なんてったって香港の民主活動家の胸にまで届いたのだから。

2020年の明るいニュースって、劇場版『鬼滅の刃』無限列車編が19年ぶりに『千と千尋の神隠し』が持つ記録を塗り替え、映画興行収入歴代1位に躍り出たことくらいしかなかったんじゃないだろうか?

しかし12月に入り、ようやく希望の光が見えてきた。アメリカのファイザー社とモデルナ社が開発したワクチン投与がいよいよ世界各地で始まり、2021年1月4日からはイギリスのアストラゼネカ社が開発したワクチン投与も開始されるという。新型コロナウィルスよ、首を洗って待っていろ。「人類の反撃」はこれからだ!

2021年の漢字こそは、「歓」や「笑」でありますように。読者の皆さん、良いお年を!

〈追伸〉大晦日にもブログ記事は更新します。毎年恒例の企画です。乞うご期待。

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祝!Netflixから配信〜フランソワ・トリュフォー「恋のエチュード」

2020年11月16日からNetflixでフランスのフランソワ・トリュフォー監督『恋のエチュード』(1971)と『柔らかい肌」(1964)の配信が開始された。Netflixはアメリカの会社であり、ヨーロッパ映画に弱い。今までトリュフォーの映画は1本もなかったし、イタリアのヴィスコンティやフェリーニ、ロッセリーニも皆無。これは一体、どういう風の吹き回し?なお『恋のエチュード』『柔らかい肌』はAmazonプライムとかU-NEXTとかからは配信されておらず、Netflix単独である。

トリュフォーといえばジャン=リュック・ゴダールと並び称されるヌーヴェルヴァーグの旗手である。ヌーヴェルヴァーグは1950年代末に始まったフランスにおける映画運動で、「新しい波」(New Wave)を意味する。血気盛んな若者たちは既成の映画製作システムをぶち壊し、手持ちカメラを担いで外に飛び出し、スタジオではなくパリの街中でゲリラ撮影を敢行した。ロベルト・ロッセリーニ監督『無防備都市』(1945)やヴィットリオ・デ・シーカ監督『自転車泥棒』(1948)に代表されるイタリアのネオレアリズモ→フランス・ヌーヴェルヴァーグ→アメリカン・ニューシネマという風に、その運動は飛び火した。ネオリアリズモの背景には第二次世界大戦の敗戦とイタリア共産党の台頭があり、ヌーヴェルヴァーグにはアルジェリア戦争(1954-62)、ニューシネマにはベトナム戦争(1955-75)や映画業界の斜陽化が暗い影を落とし、学生運動やヒッピー文化(カウンターカルチャー)と連動していた。アメリカン・ニューシネマの先駆的作品『俺たちに明日はない』(1967)は当初、トリュフォーに企画が持ち込まれたが断られ、次にプロデューサーはゴダールに接触したが結局合意には至らなかったという経緯がある。

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『恋のエチュード』という映画があると僕が知ったのは20歳を過ぎた頃だったように思う。大林宣彦監督が何かの雑誌で本作への想いを熱く語っておられて、丁度『日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』が尾道映画祭で上映された1987年前後だったと記憶している。他に大林監督が推薦していたのはゴダールの『軽蔑』、ロジェ・ヴァディム『戦士の休息』、アニエス・ヴァルダ『幸福』等だった(ある方が大林監督の選んだオールタイム・ベストをまとめたブログはこちら)。そして漸く発売されたレーザー・ディスク(LD)で観ることが叶った。その後、トリュフォーの映画は殆ど観たが、一番好きなのはやはり『恋のエチュード』だ。なお、大林監督の遺作『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』には鳥鳳助 (とりほうすけ)という人物が登場するが、言うまでもなくトリュフォーのもじりである。

『恋のエチュード』の原題を直訳すると『二人の英国女性と大陸』。原作者のアンリ=ピエール・ロシェはやはりトリュフォーが映画化した『突然炎のごとく』の著者でもある。『突然炎のごとく』は一人の女を愛する二人の男の話で、『恋のエチュード』は二人の姉妹を愛する一人の男の話。両者は表裏一体の関係にある。『恋のエチュード』でジャン・ピエール・レオ演じる主人公クロードは最後に自分の体験を元に『ジェロームとジュリアン』という小説を出版する。これは『突然炎のごとく』の原題『ジュールとジム Jules et Jim』に呼応している。

撮影監督はスペイン・バルセロナ出身のネストール・アルメンドロス。テレンス・マリック監督『天国の日々』でアカデミー撮影賞を受賞した。マジック・アワーにおける撮影があまりにも有名。『恋のエチュード』では緑色の部屋が印象的で、スイスの湖にある小さな島に於ける水上移動撮影も美しい。またこの場面でクラヴサン(チェンバロ)が主旋律を奏でるジョルジュ・ドルリューの音楽"Une Petite Île"(小島)がとっても素敵で、トリュフォーは『アメリカの夜』(1973)でも再使用している(ロウソクで照らされた仮面舞踏会の場面)。ウェス・アンダーソン監督もこの曲がお気に入りらしく『ファンタスティック Mr.FOX』で使っている。

『恋のエチュード』オリジナル版は132分だが映画が不評だったため劇場側の要請で20分ほどカットした118分のパリ公開版や、さらにカットした106分公開版がある。日本での初公開はアメリカ版だったが、僕が最初に観たLD版では既に132分に復元されており、Netflixから配信されているのも完全版である。特に初夜でが流れるシーンに抗議が殺到したため、パリ公開版ではそのシーンがカットされているが、鮮烈な印象があり僕は好きだ。

僕が最も愛する場面はエピローグである。年老いたジャン・ピエール・レオがひとりぼっちでロダン美術館を彷徨する情景には観る度に胸をえぐられる。

ここに僕は『日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』ラストシーンの大林宣彦監督によるナレーションをどうしても重ねてしまう。

 ひとは、今日もまた
 恋にはぐれて
 くるほしく ー

 胸、張り裂けながら
 ただ、耐えて耐えて
 生くるのみか ー

 夕子、ー
 君を忘れない

『恋のエチュード』はフランソワ・トリュフォー自らがナレーションしている点でも特筆すべき作品である。僕が知る限りこれが唯一無二だろう。『突然炎のごとく』(1961)はミシェル・シュボール、『二十歳の恋/アントワーヌとコレット』(1962)はアンリ・セール、『恋愛日記』(1977)はブリジット・フォセーがナレーターを務めている。そもそも大林監督は自作における尾美としのりの役回りを、トリュフォー映画『アントワーヌ・ドワネル』シリーズ(『大人は判ってくれない』など)におけるジャン・ピエール・レオに重ねていた節がある。

フランソワは1932年に私生児としてパリに生まれた。翌年に母は建築技師であったロラン・トリュフォーと結婚、父親不明の幼児はこの男に認知され、トリュフォー姓を名乗る。しかし望まれない子供であったフランソワは里子に出された後、一旦祖母に引き取られるが、祖母の死後は再び両親と暮らし始める(この時8歳)。しかし両親からの十分な愛情を受けられず、家出や非行を繰り返しながら不幸な少年時代を過ごした。そんなトリュフォー少年にとって唯一の逃げ場所が映画館であった。1946年(14歳)には早くも学業を放棄、16歳になったトリュフォーは自らシネマクラブを作る。フィルムのレンタル料でかさんだ借金や彼の非行に業を煮やした父親は息子を48年にパリ郊外にある感化院(少年鑑別所)に入れるが、一度も面会に来ない両親の代わりに映画評論家アンドレ・バザン(当時30歳)が身元保証人を引き受け、少年は出所することが出来た。この辺の体験が処女長編『大人は判ってくれない』に投影されている。なお、実の父親は68年に私立探偵の調査により特定された。

ゴダールとトリュフォーはバザンが初代編集長を務めた映画評論紙『カイエ・デュ・シネマ』に執筆する批評家としてキャリアをスタートさせた。トリュフォーの方が1歳若く、彼らは〈若き急進派〉と称された。映画評論家から監督に進出した例として、他にアメリカのピーター・ボグダノヴィッチや原田眞人(『わが母の記』『駆込み女と駆出し男』)がいる。

ふたりは仲が良かった。例えばゴダールの長編映画デビュー作『勝手にしやがれ』(1960)の原案はトリュフォーが担当しており、ゴダールの『女は女である』(1961)の中でトリュフォーの『ピアニストを撃て』に言及される。またゴダール『男と女のいる舗道』(1962)では『突然炎のごとく』が上映されている映画館が映し出される。

1968年にトリュフォーはゴダールと共にカンヌ国際映画祭粉砕を主張して大暴れした。しかしこの五月革命(五月危機)を契機にふたりは袂を分かつことになる。ゴダールは政治に生き、トリュフォーは映画への愛に回帰した。そんなトリュフォーをゴダールは「ブルジョア的で堕落している」と激しく非難した。トリュフォーが脳腫瘍で1984年に52歳で亡くなったときもゴダールは葬儀に参列せず、沈黙を守った。

これらの詳しい顛末をお知りになりたい方はドキュメンタリー映画『ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー』をご覧になることをお勧めする。

なお、トリュフォーはスティーヴン・スピルバーグ監督『未知との遭遇』にフランス人UFO学者クロード・ラコーム役で出演している。スピルバーグは『アメリカの夜』に映画監督役で出ていたトリュフォーの演技を見て、彼の起用を決めたという。

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燃ゆる女の肖像

評価:A+

Portrait

カンヌ国際映画祭で脚本賞とクィア・パルム賞を受賞した。公式サイトはこちら

クィア・パルムとは2010年に創設された賞でLGBTQをテーマにした映画に与えられる。今までにグザヴィエ・ドランの『わたしはロランス』や、トッド・ヘインズの『キャロル』などが受賞しているが、女性監督が受賞するのは本作が初めて。クィア(Queer)とは、元々は「風変わりな」「奇妙な」などを表す言葉であり、同性愛者への侮蔑語であったが、1990年代以降は性的少数者全体を包括する肯定的な意味で使われている。黒人が「ニガー(nigger)」といった差別的な用語であえて自称して、意味の転換を図って行く感じに似ている。

監督のセリーヌ・シアマは同性愛者であり、『燃ゆる女の肖像』でエロイーズを演じたアデル・エネルと暮らしていたが、映画撮影前に同棲を解消したそう。

僕は以前より、『モーリス』『ブエノスアイレス』『ウェディング・バンケット』『キャロル』『恋人たち』『ムーンライト』など名作と誉れ高いLGBTQ映画は大抵、分け隔てなく観ている。しかし正直、面白いと思ったことは殆どない。それは僕が異性愛者だからだろう。例えば『君の名前で僕を呼んで』にしろ、アカデミー監督賞を受賞したアン・リーの『ブロークバック・マウンテン』にしろ、男女の恋愛を単に男と男に置き換えただけで、「凡庸な恋愛映画じゃないか」と鼻白み、退屈してしまうのだ。しかし『燃ゆる女の肖像』はそうじゃなかった。

冒頭5分位観ていて、カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いたジェーン・カンピオンの『ピアノ・レッスン』にすごく似ているなと感じた。小舟で女が島に到着する設定、そして荒々しい波の描写が女の心のあり方を反映している点。調べてみると案の定、『ピアノ・レッスン』との類似を指摘する声が少なからずあった。男と女の性愛が、女と女に置き換えられている。

『ピアノ・レッスン』との明確な相違は、本作が〈眼差しの映画〉であること。つまり誰が誰を見ているかというのが極めて重要なのだ。

AがBを見ている。BもAを見つめる。二人は相思相愛なのかも知れないし、互いに憎しみ合っているのかも知れない(それは表情で分かる)。両者は簡単に変換可能である。

一方、AがBを見ている。しかしBはAを見ていない。この場合、AはBのことが好き。しかしBはAに無関心なのかも知れない。また逆に、BもAのことが気にかかっているのだけれど恥ずかしかったり、恋に落ちるのが怖くて意識的に目を逸らしているのかも知れない。

劇中で語られるギリシャ神話『オルフェウスとエウリュディケ』が〈眼差しの物語〉を象徴している。オルフェウスは黄泉の国に死んだ妻を取り返しに行った帰り道、「見るな」の禁を破り、振り向いて後ろからついてくる彼女を見た。彼は単なる愚か者なのか?それともそこには何か深い思慮があったのか?

このように各人の視線を追うことで、そこにダイナミックなドラマが生まれるのだ。

これを意識的に演出したのが大林宣彦監督の『廃市』と『姉妹坂』だった。各登場人物の交差する視線の先には台詞で語られる、シナリオに書かれた物語とは全く別の〈心のあや〉が紡がれていたのである。

『燃ゆる女の肖像』ではヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲『四季』の『夏』から第3楽章が劇的効果を生んでいる。正に激情。調べてみると演奏しているのは英国屈指のバロック・ヴァイオリニスト、エイドリアン・チャンドラーと、彼によって1994年に創設されたピリオド・アンサンブル、ラ・セレニッシマ。

僕の人生において最初、激烈な『四季』に脳天をぶち抜かれたのがアーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの演奏(1977)だった。その次はビオンディ(Vn.)/エウローパ・ガランデ(1991)。そして今回、第3波の衝撃(サードインパクト)に襲われた。う〜ん、最高!!

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高校演劇から映画へ!〜「アルプススタンドのはしの方」

映画「アルプススタンドのはしの方」の原作は2017年に全国高等学校総合文化祭(総文祭)演劇部門で、最優秀に当たる文部科学大臣賞を受賞した兵庫県立東播磨高等学校演劇部の作品。そこの顧問教諭を務めた籔博晶(現在31歳)が執筆した戯曲である。

2018年に総文祭で文部科学大臣賞を受賞した香川県立丸亀高等学校演劇部の舞台「フートボールの時間」も映画化される予定。丸亀高は女子サッカー発祥の地と言われている。監督は坂本春菜。四国新聞の記事はこちら

いま高校演劇の総文祭が熱いということを知ったのは、本広克行監督、ももいろクローバーZ主演の映画『幕が上がる』だった。先生役が黒木華で、彼女も大阪の追手門学院高等学校で「演劇部のエース」として1年時から3年間主役を務めていたという。

なお、2016年の総文祭では静岡県立伊東高等学校演劇部による『幕が上がらない』という作品が優秀賞に選ばれている。

評価:A+

Stand

映画公式サイトはこちら

原作戯曲では甲子園球場(西宮市)が舞台となるが、映画は神奈川県の平塚球場でロケされている。Wikipediaの情報で知ったのだが、3ヶ月以上粘り強く甲子園球場と交渉したが、撮影許可が降りなかったそうだ。甲子園球場関係者はアホだ。何をお高く留まっているのか。

また原作は正規部員4人のために書かれているが、映画では英語教師(リメイク公演から登場)とか、吹奏楽部部長の女の子とかが台詞のある役として加わり、両者ともいい味出している。(ちょっと鬱陶しい)熱血教師が呟く、"Don't let it bring you down"(へこたれちゃダメだ)が本作のテーマに直結している。

中屋敷法仁(なかやしきのりひと)が高校3年生の時に『贋作マクベス』 を書き、全国高等学校演劇大会・最優秀創作脚本賞受賞を受賞したエピソードなども劇中で語られて胸熱である。

映画は舞台版同様、グラウンドで展開される野球の試合を全く見せない。総てのドラマは観客席のリアクションで描かれる。このストイックな演出を踏襲したのは大正解だ。

本作には「ベンチにいない人間が、スタンドで応援することに何らかの意味はあるのか?」という大きな問いがあり、最終的に明確な答えが用意されている。そして登場人物たちの「頑張れ〜!」という応援は結局、彼ら自身に対するエールになっているという構造が実に見事だ。

頑張ったからといって、その努力が報われるとは限らない。しかし、その過程にこそ価値がある。「しょうがない」と諦めるな。「いま」を生きよう。

 いのち短し 恋せよ乙女
 あかき唇 あせぬ間に
 熱き血潮の 冷えぬ間に
 明日の月日は ないものを
 
 (『ゴンドラの唄』)

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作品背景を知り、Netflix映画「Mank/マンク」を味わい尽くせ!

映画監督や評論家が選ぶオールタイム・ベスト投票で常に1位に君臨するオーソン・ウェルズ監督・主演『市民ケーン』(1941)の脚本を書いた、ハーマン・J・マンキーウィッツが主人公の映画『Mank/マンク』が2020年12月4日(金)より、Netflixから配信された。

アカデミー賞では作品賞・監督賞(デヴィッド・フィンチャー)・主演男優賞(ゲイリー・オールドマン)・助演女優賞(アマンダ・サイフリッド)・オリジナル脚本賞(ジャック・フィンチャー)・撮影賞・美術賞・衣装デザイン賞・作曲賞など大量ノミネートされるだろう。

今年度のアカデミー賞は各映画会社の中でNetflix作品のノミネートが最多となるであろうと噂されている。他に有力なのが『シカゴ7裁判』『マ・レイニーのブラックボトム』『ザ・ファイブ・ブラッズ』など。

デヴィッド・フィンチャーの父ジャックが本作のシナリオを書いたのは20年以上前であり、彼は既に2003年に他界している。

評価:A

Manknetflix

本作がアカデミー賞で監督賞を受賞する可能性はあるかも知れないが、作品賞は恐らくないだろう。『ノマドランド』が最有力候補であることは動かない。『Mank/マンク』は一般観客にとって敷居が高いと思う。そもそも『市民ケーン』を観ていない人にとってはちんぷんかんぷん、全く面白くないだろう。最低限〈バラのつぼみ〉の意味は知っていないと。映画史に関する教養が必須であり、要するに通好み。

映画序盤、マンク(マンキーウィッツの愛称)に「大金が稼げるぞ」という電報をもらった雑誌ライターのチャールズ・レデラーが1930年にパラマウント・スタジオを訪れる場面がある。そこでマンクの仲間を紹介されるのだが、その中にベン・ヘクトがいる。彼はウィリアム・ワイラー監督『嵐が丘』やアルフレッド・ヒッチコック監督『白い恐怖』『汚名』などのシナリオライターとして知られ、クレジットされていないが『風と共に去りぬ』にも関わっている。ニューヨークで劇作家として活躍していたヘクトがハリウッドに行くきっかけを作ったのも1926年に友人のハーマン・J・マンキーウィッツから受け取った電報だった。 彼の戯曲『フロント・ページ』は1940年にハワード・ホークス監督のスクリューボール・コメディ『ヒズ・ガール・フライデー』として生まれ変わるのだが、その脚色をしたのがチャールズ・レデラーである。そしてレデラーは新聞王ハーストの愛人マリオン・デイビスの本当の甥であり、両親の離婚後は代理母だったデイビス(10歳年長)に育てられた。

また同じ部屋にいるチャールズ・マッカーサーは古くからのベン・ヘクトの親友で『フロント・ページ』『特急二十世紀』の共同執筆者。映画『嵐が丘』のシナリオも共作している。

そして彼らがたまり場から向かう先が大プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックのオフィス。セルズニックは31年にパラマウントからRKOに移り1933年版『キング・コング』を製作。35年に独立してセルズニック・インターナショナル・ピクチャーズを設立、『風と共に去りぬ』『レベッカ』『ジェニイの肖像』などを世に送り出した。なお、『風と共に去りぬ』 でセルズニックはルイス・B・メイヤーのMGMと組んだおかげでレット・バトラー役にクラーク・ゲーブルを起用することが叶った。

またマンクの弟ジョーゼフ・L・マンキーウィッツは1949年『三人の妻への手紙』と50年『イヴの総て』でアカデミー監督賞と脚色賞を2回ずつ受賞。『イヴの総て』は作品賞も受賞し、後にポール・バーホーベン監督『ショーガール』(1995)の元ネタになった。1930年にジョーゼフは脚本家としてパラマウントにいたが、後にMGMに移籍、ルイス・B・メイヤーから「監督になりたいのならまずプロデューサーとして映画製作の経験を積むべきだ」と諭された。これが丁度、兄が『市民ケーン』を執筆した頃。しかし1943年ミュージカル映画『踊る海賊』を企画した際に主演のジュディ・ガーランドと恋に落ち、当時すでに両方とも既婚者だったためにメイヤーの反感を買ってしまい、MGMに居られなくなったマンキーウィッツ(弟)は20世紀フォックスに移籍した。そして46年に漸く念願だった映画監督としてのデビューを果たすことになる。

劇中に登場する、早逝した天才プロデューサー、アーヴィング・タルバーグの業績を記念したアーヴィング・G・タルバーグ賞がアカデミー賞授賞式において授与されることも覚えておきたい。1991年には、それまでアカデミー賞とは縁遠かったジョージ・ルーカスが受賞している。

さらにレネー・ゼルウィガーがジュディ・ガーランドを演じ、アカデミー主演女優賞を受賞した映画『ジュディ 虹の彼方に』にもルイス・B・メイヤーが登場するので、こちらも押さえておくと多角的に『Mank/マンク』を味わえるだろう。

オーソン・ウェルズは新聞王ハーストの怒りを買ったため処女作『市民ケーン』は呪われた映画となった。この後に彼はハリウッドでの映画製作が難しくなり、世界中を放浪することになる。つまりノマド(遊牧民)として後半生を過ごした。第2作『偉大なるアンバーソン家の人々』(1942)のオリジナル版は131分だったが最終的な編集の権利を映画会社のRKOに任せていたためズタズタにカットされ、ラストシーンは助監督が新たに撮り直し88分まで縮められた。カットされた映像は後に廃棄され、復元は不可能となってしまった。また『Mank/マンク』で言及されるコンラッドの小説『闇の奥』は結局、予算がかかりすぎるということで製作中止となり(後にフランシス・コッポラが『地獄の黙示録』として完成させた)、ウェルズが長年温めていたセルバンテスの『ドン・キホーテ』映画化企画も実現することはなかった。

『Mank/マンク』にはMGMスタジオがカリフォルニア州知事選挙でフェイク・ニュースを作り市民を騙したエピソードが登場するが、実はオーソン・ウェルズもマーキュリー劇団を主宰していた時代にラジオからフェイク・ニュースを流して視聴者にパニックを巻き起こした。有名な1938年の『火星人襲来』事件である。H.G.ウェルズのSF小説『宇宙戦争』を臨時ニュースとして始め、ドキュメンタリー形式のラジオ・ドラマを本物のニュースと間違うように仕掛けたのだ。その時、彼は23歳だった。

Mank

『Mank/マンク』の音楽はトレント・レズナー、アッティカス・ロストレント・レズナーはインダストリアル・ロックバンド「ナイン・インチ・ネイルズ」のメンバーで、ノイズ・電子音楽に特徴がある。フィンチャーの『ソーシャル・ネットワーク』でアカデミー作曲賞を受賞。今回は彼らのスタイルをガラリと変えて、『市民ケーン』の音楽を担当したバーナード・ハーマン(『めまい』『サイコ』『悪魔のシスター』『タクシー・ドライバー』)がもし現代に生きていたら、こんな曲を書くのではないかといった仕上がりになっている。しかし決して模倣ではなく、ジャズあり、ノイズ・ミュージックありとバラエティに富む。

また新聞王ハーストの愛人マリオン・デイビスを演じたアマンダ・サイフリッドが圧倒的に素晴らしい!ミュージカル映画『マンマ・ミーア!』(2008)で観たときは「歌の上手い可愛い女の子」程度の認識だったが、一皮むけた。なんかね、嫌いになれない。人間的優しさが全身から滲み出しているんだ。

 

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Netflixから配信されたミュージカル映画「ザ・プロム」にぶっ飛んだ!!

2020年12月11日(金)Netflixより映画『ザ・プロム』の配信が開始され、その質の高さと出演者の豪華さに心底驚かされた。ミュージカル映画としては『ラ・ラ・ランド』(2016年)以来、実に4年ぶりの大・大・大傑作!!なんてハッピーな気持ちになれる作品だろう。

評価:A+ 

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公式サイトはこちら。予告編はこちら

まず音楽が圧倒的に素晴らしい。オリジナルなら桁外れの完成度だと思い、調べてみると元々は舞台ミュージカルだったことが判明した。

2018年にブロードウェイで初演され、トニー賞でミュージカル作品賞・演出賞・主演男優賞・主演女優賞(ダブル)・台本賞・楽曲賞と7つノミネートされた(受賞なし)。2021年には地球ゴージャスにより日本初演が予定されている。出演は葵わかな、三吉彩花、岸谷五朗ほか。

「インディアナ州の田舎町で同性の恋人とプロムに行きたい女子高生を応援するために、落ち目のブロードウェイ・スターたちが町に乗り込んでくる」という物語。

本作で描かれるのは〈分断されたアメリカ合衆国〉である。

南北戦争(1861-65)で南北分断の争点となったのは黒人奴隷を開放するか否かだった。そして21世紀の分断で大きな比重を占めるのが同性愛者、LGBTQ(最近ではLGBTQ+に増えたようだ)の人権を認めるか否かということにある。インディアナ州とブロードウェイのあるニューヨーク州との対立はイコール、共和党支持者(保守)と民主党支持者(リベラル)の対立でもある。

ここで〈赤い州青い州〉という概念をWikipediaでご覧頂きたい→こちら民主党支持の青い州は東海岸のニューヨークと西海岸のロサンゼルスを中心とする沿岸部の大都市に多く、共和党支持の赤い州は内陸部の田舎に集中している。今年の大統領選でもニューヨーク州はバイデンが勝ち、インディアナ州はトランプが勝利した。つまり次のような二項対立に整理できる。

◯インディアナ州(田舎/内陸部)⇔ニューヨーク州(都会/沿岸部)
◯労働者階級(poor white/white trash)が多い⇔金持ち・知識階級が多い
共和党支持(保守)⇔民主党支持(リベラル)
◯アメリカ第一主義(ナショナリズム)⇔グローバリズムを信奉する
◯キリスト教原理主義者が多い⇔日曜日に教会に行く人が少ない
◯同性愛者、LGBTQのに対して不寛容⇔寛容
◯人工妊娠中絶を認めない⇔認める
◯銃規制に反対⇔賛成
◯地球温暖化対策に消極的⇔積極的(エコが好き♡)
◯新型コロナウィルス対策としてマスクをしない⇔マスクをする

熱心なキリスト教信者が多いと、なぜLGBTQに対して不寛容になるのか?これは中々日本人に理解し辛いところだろう。

キリスト教の本質は禁欲、自己犠牲の精神である。つまり本能的快楽、欲望を否定する。夫婦になって性交するのはあくまで、子供を作る=新たなクリスチャンを増やすことが目的であり、性交中に快楽を感じてはいけないのだ。だから自慰・マスターベーションは罪とされ禁忌である。快楽だけで生産性がないから。同様に同性愛者間に子供は生まれないから生産性がないので容認できないという理屈になる。

イギリスでは19世紀ヴィクトリア朝時代に自慰によってオルガスムが得られることを覚えた女子は医学的に問題のある子(病気)と見做され、陰核(クリトリス)を切り取られたり、焼灼されたりといった「治療」が施された。そして1976年にカトリック教会は自慰行為を「重大な道徳的退廃」とした。

イングランドとウェールズで21歳以上の男性同士の同性愛行為が合法化されたのは漸く1967年のことである。それまでは逮捕され刑務所に収監されるか、同性愛を「治療」するための化学療法を受けるかの選択を強いられた。さらにスコットランドでは1980年、北アイルランドでは1982年になるまで、同性愛は違法だった。

『ザ・プロム』を通して現代アメリカ合衆国の実情が見えてくる。SNSの活用も新しい。

主人公エマを演じたジョー・エレン・ペルマンは調べたところ、これが映画初出演のようだ。ディズニー・プリンセスを演じてもおかしくないくらいの歌声の美しさ、そして透明感。凄い新人が現れた。

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エマの恋人アリッサは当初アリアナ・グランデが演じると報道されたが、スケジュールの都合で降板、代わってアリアナ・デボーズが起用された。デボーズはミュージカル映画『ハミルトン』(2020年7月3日からディズニー・マイナスで配信されているが12月17日現在、未だに日本語字幕が付かず)にアンサンブルとして出演、そしてスティーヴィン・スピルバーグ監督による『ウエスト・サイド・ストーリー』リメイク版ではなんとアニタ役を射止めた!!"America"を彼女が歌い踊るんだ。

Westsidestory

余談だがスピルバーグ版『ウエスト・サイド・ストーリー』 は2020年12月に公開予定だったが、新型コロナ・ウィルス禍のせいで丸々1年延期になった。 

『ザ・プロム』の監督、ライアン・マーフィって知らないなと思って調べたところテレビドラマ『glee グリー』の企画・製作総指揮・原案・脚本・監督を担当した人らしい。私生活では同性愛者であることをカミングアウトしている。彼自身、プロムにボーイフレンドを連れて行くのを許されなかったという経験を持つ。

ミュージカル『ブック・オブ・モルモン』でトニー賞の最優秀演出賞と振付賞を受賞、『ザ・プロム』でも最優秀演出賞にノミネートされたケイシー・ニコロウによる振付が圧巻。キレッキレのダンスに高揚感マックス!!

現在71歳、最年長キャストのメリル・ストリープがなんと最多のダンスシーンをこなしている。メリルが実に楽しそうに演じていて、彼女を見ているだけで笑顔になれる。もう既にアカデミー賞を3度受賞しており、今後はやりたいことをやるんだ、という意志が伝わってくる。なんて自由なんだ!

またニコール・キッドマンのソロ・ナンバー“ザズ(Zazz)”は明らかにミュージカル『シカゴ』"All That Jazz"のパロディ。曲名からして韻を踏んでいるし。ボブ・フォッシーの振付をベースにしているので、元ネタを知っていると爆笑間違いなし。黒ずくめの衣装もフォッシー流。ウテ・レンパーのパフォーマンスでご覧あれ→こちら。なおニコールの役どころはブロードウェイで上演中の『シカゴ』のコーラスで、主役ロキシー・ハートのアンダースタディ。つまり元々の役者に何らかの緊急事態が起こって演じられなくなったときに備えて、その役を稽古して公演期間中待機している俳優のこと。

そしてミュージカル映画『キャッツ』のバストファー・ジョーンズ役でゴールデン・ラズベリー(ラジー)賞の“最低助演男優賞”という不名誉な栄冠に輝いたジェームズ・コーデンが本作で起死回生の大逆転ホームラン!いい味出している。素敵な役に巡り会えて本当に良かった。これで名誉挽回。涙が出た。

Corden

ブロードウェイ上演版の楽曲に2曲、新曲が加わった。エンドクレジットで流れる"Wear Your Crown"とジェームズ・コーデンのソロ"Simply Love"である。"Wear Your Crown"はメリル・ストリープ、ジョー・エレン・ペルマン、アリアナ・デボーズらが歌う。試聴はこちら。通常プロムの最後には生徒の投票でプロムキングとプロムクイーンを決める。 アメフト部の男子とチアリーダー女子が選ばれることが多いそう。つまりcrownはクイーンが頭に乗せる王冠(クラウンティアラ)のことを指している。そしてなんとこの曲でメリルはラップに挑戦している!!ノリノリだ。

Gotta wear your crown

Shout it loud
And let the world know
How your DNA
Is perfectly made

王冠をかぶれ

大声で叫べ
そして世界に知らしめるんだ
如何にあなたの遺伝子が
完璧に出来ているかを

ここで何故DNAの話が出てくるのかというと、LGBTQの人々は今まで「普通ではない」「病気だ」と見なされ、カウンセリングや「治療」が必要と判断されてきた歴史があるから。

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三谷幸喜の舞台「大地」とフェリーニの映画「8 1/2」

この記事は、

と併せてお読みください。

新型コロナ禍の劇場再開第1弾となり、作・演出が三谷幸喜、大泉洋、山本耕史、竜星涼、藤井隆、辻萬長らが出演した舞台『大地』( Social Distancing Version )を観た。公式サイトはこちら

この困難な時代に〈演じる〉ことの価値を改めて問う。そして〈観客〉さえいれば、そこが劇場であろうがなかろうが〈演じる〉ことに意味はあるのだという結論に至る。

ただ三谷の全盛期の芝居(『彦馬がゆく』『12人の優しい日本人』『ショー・マスト・ゴー・オン 幕を降ろすな』『笑の大学』)と比べると、凡庸な作品という感は否めない。

しかしその物足りなさを補って余りあるのが音楽だった。なんと映画史上に燦然と輝くフェデリコ・フェリーニ監督『8 1/2』のためにニーノ・ロータが作曲したサーカス風マーチが全面的に鳴り響いたのである(栗コーダーカルテットによる演奏)。Spotifyでの試聴はこちら

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結局『大地』という凡作は哀愁を帯びたニーノ・ロータの音楽に救われた。この芝居の感動は全てそこに由来する。

劇の最後に出演者全員が1列になって音楽に合わせて行進する場面があるが、これは完全に『8 1/2』の模倣である。

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『大地』を観劇することで、ニーノ・ロータの天才性を改めて思い知った次第である。彼の音楽抜きでは『8 1/2』もこれほどの高評価を得られなかったのではないだろうか?実際のところロータの死後、フェリーニ映画は腑抜けになった。

最後に『8 1/2』の名台詞をご紹介しよう。これは『大地』の主題でもある。

「人生は祭りだ、共に生きよう!」(E' una festa la vita, viviamola insieme! )

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ミッドサマー

評価:A

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映画公式サイトはこちら

夏至祭のお話で、シェイクスピアの『夏の夜の夢(Midsummer Night's Dream )』と同じ季節である。つまり6月21日頃。この前夜(ワルプルギスの夜)には妖精や魔女が地上に現れ、無礼講の乱痴気騒ぎをするといった俗信があった。

スウェーデンの田舎にある「ホルガ村」が舞台となる。このコミューンの描き方が、いくつか過去に見た情景を思い出させた。

◎1960年代後半に登場したヒッピーが共同生活を送り、草(大麻)を吸いながらトリップ、サイケデリックな世界を浮遊する。クエンティン・タランティーノ監督『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のマンソン・ファミリーやアン・リー監督『ウッドストックがやってくる!』など。
◎カルト宗教のコミューン。あるいはカルトじゃないが映画『刑事ジョン・ブック目撃者』で描かれるアーミッシュ(ドイツ系移民の宗教団体)の村。アメリカ合衆国に移民した当時の生活様式を保持し、農耕や牧畜によって自給自足生活をしていることで知られる。
◎映画『サーミの血』で描かれる、北欧の先住民サーミ人の暮らし。『アナと雪の女王』のクリストフもサーミ人であり、『アナ雪2』はサーミ文化が描かれる。
◎オーストラリアの先住民アボリジニや南・北アメリカの先住民族(例えばマヤ文明)におけるイニシエーション、通過儀礼の儀式。
◎深沢七郎の小説『楢山節考』で描かれる、姥捨て山の風習。ちなみにカンヌ国際映画祭で最高賞パルム・ドールを受賞した今村昌平監督による映画化(1983)が有名だが、木下惠介監督バージョン(1958)も引けを取らない傑作である。
◎デュオニュソスの祭り、ストラヴィンスキー作曲のバレエ音楽『春の祭典』、大地の礼賛。

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「ホルガ村」の人々のことを〈狂気〉と表現する論評をいくつか目にしたが、僕は全くそうは思わなかった。それはマヤやアボリジニの文化が「狂気」ではなく、姥捨て山という日本各地で語り継がれている伝承が「狂気」ではないことと同様である。

キリスト教的倫理観が絶対正義であるはずもなく、それぞれの地域の価値観を尊重することこそ本来人としてあるべき姿だろう。

フローレンス・ピュー演じるヒロインの恋人はクズ男である。彼の名前がクリスチャンであることは象徴的だ。つまり脚本・監督を務めたアリ・アスターは「キリスト教徒なんか最低最悪さ!」と言っているのである。本作で描かれるのは反キリスト(Antichrist)世界だ。

僕はアリ・アスターの前作『へレディタリー/継承』を観て嫌な気持ちになり、生理的に受け付けられないとこき下ろしたが、『ミッドサマー』は気分爽快だった。ニヤニヤしながら観た。

北欧では白夜の時期なので、〈明るい日差しに照らされたホラー〉というのが新しいと思った。美術や衣装デザインも素晴らしい。あと途中登場する絵の数々に注目!物語に深く関わっていることが後から分かる仕掛けになっている。2回観ると新たな発見が色々あるはず。

冒頭で『へレディタリー/継承』同様に、呪いとしての家族が描かれる。そのトラウマに苦しむヒロインは「ホルガ村」で希望の光を見出す。イニシエーション儀式のように集団で泣いたり、喚いたり、感情を共有することにより救われる魂もある。こういった風習を現代社会に生きる僕らは失ってしまった。

禍々しいラストシーンについて解釈は分かれるだろうが、僕はある意味ハッピー・エンドなのだと思う。

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城田優(主演)ミュージカル「NINE」

12月6日(日)梅田芸術劇場へ。ミュージカル『ナイン』を観劇。

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マルチェロ・マストロヤンニ主演、フェデリコ・フェリーニ監督の映画史上に燦然と輝く名作『8 1/2』(1963)を原作とするこのブロードウェイ・ミュージカルは1982年に初演。トニー賞に10部門ノミネートされ、作品賞・楽曲賞・助演女優賞・衣装デザイン賞・演出賞の5部門を受賞した。2009年には『シカゴ』『メリー・ポピンズ・リターンズ』のロブ・マーシャル監督が映画化、ダニエル=デイ・ルイス、マリオン・コティヤール、ペネロペ・クルス、ジュディ・デンチ、ニコール・キッドマン、ソフィア・ローレンといった超豪華キャストだったが、作品の出来はイマイチだった。

『8 1/2』というタイトルはこれがフェリーニ単独では8本目の監督作品であり、さらに共同監督を務めた処女作『寄席の脚光』を半分として足すと『8 1/2』作目になるという意味。主人公である映画監督のグイドはフェリーニの分身であり、妻のルイーズのモデルは自作『道』('54) 『カビリアの夜』('57) で主演した女優ジュリエッタ・マシーナである。

フェリーニがジュリエッタ・マシーナと結婚するのが1943年、23歳の時。二人は『魂のジュリエッタ』('66)撮影中に別居し、イタリアの民法が改正され離婚が自由になった1971年に離婚した。 カトリックの国イタリアでは1970年まで離婚は罪と考えられており、認められていなかった。当然、中絶も禁止されていた。

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フェリーニは子供の頃、厳格な神学校に入れられたが、9歳のある日、脱出してサーカス小屋に入り込み、一夜を過ごした事があった。やがて連れ戻されたが、このサーカス団のイメージは『道』やその後年の諸作品に繰り返し出て来る。そして子供の頃の思い出は『8 1/2』や『アマルコルド』に投影されている。

『NINE』の台本=アーサー・コピット、作詞・作曲=モーリー・イェストンというコンビは他にミュージカル『ファントム』がある。またイェストンはミュージカル『タイタニック』や『グランドホテル』の作曲家でもある。

何故NINEなのかというと、劇中に9歳時のグイドが登場すること、胎児が母親のお腹にいるのが9ヶ月であること、さらに『8 1/2』に歌と踊りという1/2が加味されたことなどが挙げられる。

僕は2005年5月にシアター BRAVA!で『ナイン THE MUSICAL』としてデヴィッド・ルヴォー演出版を観ている。出演者は別所哲也・大浦みずき・池田有希子・純名りさ・髙橋桂・井料瑠美ほか。水の都ヴェニスのイメージそのままに、巨大壁画や床面から本物の水が吹き出してくる演出が印象深かった。宝塚歌劇娘役時代の純名里沙は圧倒的歌唱力で僕を魅了したが、『ナイン THE MUSICAL』の頃は声がかすれ、衰えが顕著だった。大浦みずきはダンスに切れがなく、精彩を欠いた(2009年に肺がんで死去、享年53歳)。グイドを演じた別所哲也は誠実・実直な役者だが、如何せん〈男の色気〉がない。伊達男マストロヤンニとはかけ離れた印象だった。

今回の出演は城田優・咲妃みゆ・すみれ・屋比久知奈・春野寿美礼・前田美波里ほか。

城田は日本人とスペイン人の間に生まれたハーフであり、別所に欠けていた〈男の色気〉があった。ラテン系の顔立ちということもあり、ブロードウェイのリヴァイヴァル版『NINE』で主演したアントニオ・バンデラスに近い雰囲気。前田はフォリー・ベルジェールの場面などさすがの風格だし、他のキャストも適材適所、文句なし!

ミュージカル『ジャージー・ボーイズ』で読売演劇大賞 優秀演出家賞及び菊田一夫演劇賞を受賞した藤田俊太郎の演出は悪くないのだが、日本語で歌ったり、英語で歌ったり、ときにイタリア語で喋ったりと脈絡がない。この物語は主人公の脳内世界を描いており、現実・記憶・幻想が入り乱れるその混乱(カオス)を浮き彫りにしようという戦略なのだろうが、なんだかなぁ~ピンとこなかった。冒頭部では〈城田=グイド目線〉でスクリーンに映される日本語字幕が逆さまに写ったりと確かに凝っているが、Too Much !!(やりすぎ)という感も。作品を愛していることは分かるが、“才子(さいし)才(さい)に倒れる”というか、熱意の空回り。演出に関して僕はデヴィッド・ルヴォーに軍配を上げる。

とは言え大好きな作品なのでDVDを予約注文した。12月13日(日)の千穐楽にはライブ配信も予定されている。詳細はこちら

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真風涼帆(主演)宝塚宙組「アナスタシア」と、作品の歴史を紐解く。

11月23日(祝)宝塚大劇場で『アナスタシア』を観劇した。

1997年に公開されたアニメーション映画『アナスタシア』に着想を得たミュージカルで、2017年4月24日にブロードウェイで開幕。以降、2019年3月まで2年間に及ぶロングラン上演となった。日本では2020年3月にヒロイン・アーニャ(アナスタシア)を木下晴香と葵わかなのダブル・キャストで東京公演が行われたが新型コロナウィルス禍の影響で度々中断され、4月に梅田芸術劇場で予定されていた大阪公演は全て中止となった。僕は購入していたチケットの払い戻しをする羽目になった。また当初6〜7月に予定されていた宝塚歌劇版も延期となり、漸く11月7日に幕が開いた。

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1990年代初頭、ウォルト・ディズニー・スタジオは『アラジン』(1992)、『ライオンキング』(1994)などの大ヒットで第二次黄金期を迎えていた。 映画『アナスタシア』はフォックス・アニメーション・スタジオの第1回長編作品で、アカデミー賞の作曲賞と歌曲賞にノミネートされた。

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ミュージカル仕立てを基本とするディズニー・アニメのスタイルを踏襲した本作はちゃんとヒットしたが、次作のSFアニメ『タイタンA.E.』が7500万ドルの製作費に対し、たった2200万ドルの収入で大赤字となり、2000年にはスタジオが閉鎖された。 一方ワーナー・ブラザースはブラッド・バードを監督に迎え1999年に『アイアン・ジャイアント』を製作したが、こちらも興行的に振るわず、ワーナーはアニメーション部門を凍結、ブラッド・バードはピクサーに移籍し『Mr.インクレディブル』『レミーのおいしいレストラン』でアカデミー賞を受賞することになる。こうしてセル画による2Dアニメーション映画の相次ぐ失敗を受け、ハリウッドの各スタジオは3DCG(3次元コンピューターグラフィックス)への完全移行を余儀なくされた。

なお20世紀フォックスという映画会社そのものが2019年にディズニーに買収され消滅したため、現在映画『アナスタシア』はDisney+から配信されている(こちら)。

ブロードウェイ・ミュージカル版はアニメから引き続き作詞:リン・アレンス、作曲:ステファン・フラハティが担当した。このコンビはブロードウェイ・ミュージカル『ラグタイム』でトニー賞の楽曲賞を受賞している。他にドクター・スースの絵本を原作とするミュージカル『スーシカル(Seussical)』がある。僕は『ラグタイム』の音楽が大好きなのだが、1998年のトニー賞に12部門ノミネートされながら、台本賞・楽曲賞・助演女優賞(オードラ・マクドナルド)・オーケストレーション賞しか受賞出来なかった。実はこの年の対抗馬がディズニー製作のミュージカル『ライオンキング』で、ミュージカル作品賞・演出賞をはじめ話題を全てそちらに持っていかれてしまったのである。WASP/ユダヤ人/アフリカ系アメリカ人(黒人)の対立を描くという題材の難しさもあって、日本での『ラグタイム』上演は未だ実現していない。

また舞台版『アナスタシア』の台本を書いたテレンス・マクナリーは「愛!勇気!同情!」や「マスター・クラス」などでトニー賞を4回受賞した劇作家で、2020年新型コロナ感染症で亡くなった。彼はアニメ版に関わっていない。

アニメ版から舞台版への移行で最も大きな変更点は敵側の設定である。アニメ版ではロシアの怪僧ラスプーチンの亡霊(本人はロシア帝政末期1916年に暗殺された)がアーニャの前に立ちはだかった。しかし舞台版でラスプーチンは一切登場せず、ボリシェヴィキの警視副総監グレブ・ヴァガノフが新たに設定された。正直このグレブという新キャラクターに全く魅力がなく、彼抜きでも物語は成立するのでは?という気がする。ただグレブを省くと、大本のネタであるイングリット・バーグマン、ユル・ブリンナー主演の映画『追想(原題はAnastasia)』(1956年、20世紀フォックス)と全く瓜二つになってしまう。苦しいところである。僕は元々バーグマンが2度目のアカデミー主演女優賞を受賞した『追想』も大好きで、アルフレッド・ニューマンの音楽も素敵だ。このロマンティックな物語には何か強く惹かれるものがある。

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僕はアニメ版『アナスタシア』を1997年12月の日本公開時に映画館で観ているし、音楽が大いに気に入ってサントラCDも購入した。だから待望の舞台版である。

プロローグの"Once upon a December"(昔々、ある12月に)や、アカデミー歌曲賞にノミネートされた"Journey to the Past"(過去への旅)は舞台版にも流用された。一方で当然ながらラスプーチンの歌はことごとく廃棄され、沢山の新曲が加わった。

ロマノフ王朝の末裔、皇女アナスタシアがロシア革命時の処刑から難を逃れて生きているという伝説は実際に根強くあった。しかし結局2007年までに皇帝一家全員の遺骨が発掘され、遂に生存者なしと確認された。

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偽アナスタシアの中でも有名なのがアンナ・アンダーソン。彼女の死後10年が経過した1994年にDNA鑑定が実施され、漸く偽者(僭称者)であることが判明した。

さて、宝塚歌劇版の出演は真風涼帆、星風まどか、芹香斗亜ほか。グレブ・ヴァガノフを演じた芹香は影が薄かった。華がない。果たしてこれで将来、トップになれるのか?

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真風は鷹揚としたトップで、存在感があってセンターがよく似合う。星風はきりりとして逞しく、芯が強いアーニャにピッタリ!このふたりは文句なし。

潤色・演出の稲葉太地は場面転換がスピーディで「盆(回り舞台)」の使い方が抜群に上手い!背景を彩る映像とのコンビネーションも手練れの技で、特に雪景色の中を疾走する列車の場面は絶品だ。

待ちに待った公演であり大満足、2021年2月11日にBlu-rayが発売されたら必ず購入するつもりなのだが、最後に一言だけ文句を言わせてください。

第一幕フィナーレで名曲中の名曲、"Journey to the Past"(過去への旅)を男役の真風が歌い始めたときにはずっこけた。これ、アニメ版もブロードウェイ版もアーニャ(アナスタシア)のソロ・ナンバーなんですけど!?途中から星風が加わりデュエットとなるのだが、『エリザベート』同様、タイトルロールである娘役最大の見せ場を男役が奪わないでほしいと切に願う。いや、事情は分かるよ。宝塚歌劇というのは現代日本において唯一〈男尊女卑〉が正々堂々とまかり通る世界であり、娘役より圧倒的に男役ファンの方が多い。そりゃ、第一幕の幕切れを「所詮添え物にすぎない」娘役のソロというわけにはいかないだろうさ。でもね、それでも……。もし潤色・演出が小池修一郎だったら、こんな酷い扱いはしなかっただろうと僕は信じる。稲葉よ、再演の際はこのシーンをもう一度考え直してほしい。頼みます。

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