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2020年11月

市村正親主演ミュージカル「生きる」と医学の進歩について。

11月13日(金)兵庫県立芸術文化センターで宮本亜門演出によるミュージカル『生きる』を観劇した。

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1952年に公開された黒澤明監督の名作を原作として、映画で志村喬が演じた主人公を演じるのは市村正親と鹿賀丈史のダブル・キャスト。僕は鹿賀が嫌いなので、迷うことなく市村を選んだ。鹿賀の、下からすくい上げて音程を合わせてくる演歌調の歌い方には虫酸が走る。

生の舞台に接するのは1月12日に観劇した宝塚歌劇『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』以来だった。実に10ヶ月ぶりである。その間に東宝『エリザベート』『アナスタシア』『ミス・サイゴン』『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド ~汚れなき瞳~』『四月は君の嘘』など、チケットを購入していたミュージカルが次々と公演中止になり、払い戻しをした。特にロイド・ウェバーの『ホイッスル〜』は生の三浦春馬を見る、最初で最後のチャンスだっただけに惜しまれる。ホリプロ主催『生きる』は前後左右1席ずつ間隔を空ける販売方式だった。

今回観劇してつくづく感じたのは医学の進歩である。映画公開当時と現在では隔世の感がある。

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上のグラフは部位別がんの〈人口10万対〉死亡率の推移だが(縦軸は対数表示)、胃がんは1955年に100だったのが2015年には25前後にまで下がっているので、四分の一に減ったことがわかる。

病人ではなく健康に関心のある人に対していわゆる人間ドック(短期入院身体総合精密検査)が始まったのが1954年、ファイバースコープ付胃カメラが開発されたのが1964年(日本のオリンパス社が胃カメラを開発したのは1950年だが当時は白黒フィルムで臨床的に十分使えるものではなかった)、バリウムによる胃がん検診が導入されたのが1983年。『生きる』の主人公は進行がんが発見され手遅れとなるが、現在では早期がんで発見されることが多く、5年生存率が飛躍的に改善した。

また胃がんに罹患する人の大半がヘリコバクターピロリ菌の感染者であり、その細菌に感染していない人が胃がんになることは殆どないということが2001年に判明した(上村直実先生がThe New England Journal of Medicineに発表)。さらに除菌治療をすると、胃がん発生を抑制出来ることも分かって来たので、日本では2013年からヘリコバクター・ピロリ感染胃炎に対する除菌治療が保険適応になった(世界初)。つまり慢性B型/C型肝炎同様、胃がんは感染症だったのである。

また「生きる」の医者は主人公が胃がんであることを本人にも家族にも告知しない。昔はそれが普通だったが、現在ではあり得ないことだ。

1969年、医師のエリザベス・キューブラー=ロスが執筆した「死ぬ瞬間」(On Death and Dying)が出版され、世界的に話題を席巻した。死を告知された患者200人が、どのような心理課程を経るのかを面談し研究したものである(否認→怒り→取引→抑うつ→受容)。この本により、残された時間をどう過ごすか(Quality of Life)が重要であると広く認識されるようになり、さらにinformed consent(医師が患者に対して病状の十分な情報を伝えた上で治療方針の合意を得る)の必要性が叫ばれるようになったため、余程の事情がない限りがん告知が行われないことは殆どなくなった。

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ミュージカルの公式サイトはこちら

音楽を担当したジェイソン・ハウランドはブロードウェイ・ミュージカル『Little Women-若草物語- 』の作曲家であり、またシンガーソングライター、キャロル・キングの生涯を綴るミュージカル『ビューティフル』では音楽スーパーヴァイザーを務めている。だから楽曲の完成度が高く、十分日本以外の国でも上演できるレベルに達している。特に自分ががんに罹患していると知った主人公が自暴自棄になってダンスホールやストリップショーを彷徨う場面では、ジョン・カンダー(作曲)&フレッド・エブ(作詞)コンビによるミュージカル『シカゴ』『キャバレー』などを彷彿とさせるジャジーで退廃的ムードが漂う。

宮本亜門の演出はスピーディーな場面転換が鮮やか。ただ物足りなかったのはラストシーン。映画と同様に完成した公園で楽しそうに遊ぶ子どもたちの姿を見たかった。まぁ予算の関係でここだけ子役を雇えないという事情はわかるんだけどね。労働基準法により、子役が労働できる時間も制限があるし(原則20時まで、厚生労働大臣が必要と許可した場合は21時まで)。

ミュージカル版で狂言回しの役割を果たすのは小説家。映画版でも案内役の彼はメフィストフェレスを名乗る。つまりメフィストに導かれる主人公・渡辺勘治はゲーテの小説におけるファウストだ。

メフィストフェレスはトリックスターである。ミュージカルでトリックスターが狂言回しを担うのは常套手段で、他に『ジーザス・クライスト・スーパースター』のユダ、『エビータ』のチェ・ゲバラ、『エリザベート』の暗殺者ルイジ・ルキーニ、『キャバレー』のM.C.などといった前例がある。

市役所に勤める渡辺の部下、小田切とよは〈無垢で純粋な魂=innocence〉の象徴として登場する。『ファウスト』におけるマルガレーテ(グレートヒェン)であり、〈永遠に女性的なるもの〉。黒澤映画にはしばしば登場するキャラクターで、例えば『酔いどれ天使』の女学生(久我美子)や、『赤ひげ』のおとよ(二木てるみ)。そして極めつけは黒沢が映画化したドストエフスキー原作『白痴』のムイシュキン公爵(森雅之)だろう。しかし、実際にはこんな酸いも甘いも噛み分けていない、赤ちゃんの魂のまま成長した大人なんて存在しないわけで、ここが黒澤明の限界でもあるだろう。黒澤映画が女性に人気がないのは、描かれる女性像のリアリティの無さに一因があるのではないかと僕は考える。

『生きる』という作品はカルペ・ディエム Carpe Diemというラテン語と深く結びついている。「その日を摘め」「一日の花を摘め」という意味で、劇中に登場する『ゴンドラの唄』もその精神を唄ったものだ。詳しくは下記事に書いた。

ミュージカル『生きる』は2020年11月29日(日)と30日(月)に大千穐楽ライブ配信が決定している。詳しくはこちら

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ヴェネチア国際映画祭・銀獅子賞(監督賞)に輝く「スパイの妻」を観て悲しい気持ちになった。

黒沢清監督『スパイの妻<劇場版)>』はヴェネチア国際映画祭で監督賞に相当する銀獅子賞を受賞した。日本映画が銀獅子賞を獲得するのは北野武監督『座頭市』以来、17年ぶりの快挙である。今年のコンペティション部門審査委員長は女優のケイト・ブランシェット。

評価:B+  

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何故わざわざ<劇場版>と銘打たれているかというと、元々NHK神戸放送局の企画で、2020年6月6日にBS8Kで放送されたテレビドラマだからである。そういう意味で村上春樹原作、イ・チャンドン監督による韓国映画『バーニング 劇場版』に近い形態であると言えるだろう。『バーニング』は劇場公開より先に短縮版がNHK BS4KやNHK総合で放送された(日本語吹替)。

脚本の完成度が高く、物語として面白い。中盤に登場するチェス盤が象徴するように、夫と妻が丁々発止とやり合うゲーム性がスリリング。NHK大河ドラマ「いだてん」のオープンセットを再利用した場面も違和感がなく、悪くない。

しかし如何せん予算の無さが画面から滲み出てきており、悲しい気持ちになった。TBSラジオ『アフター6ジャンクション』に出演した黒沢監督の談話によると、一切CGが使えないという撮影条件だったそうで、例えば蒼井優が路面電車(神戸市電は1910年に開業、71年に全線が廃止された)に乗る場面では窓の外の風景が全く見えない。あまりにも不自然。また高橋一生演じる夫が営む貿易会社の場面も、窓から光が差し込むだけで何も映らない。まるでホワイトアウト(雪や雲などによって視界が白一色となる現象)だ。日本映画の貧しさが骨身に沁みた。辛い。

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芦田愛菜「星の子」と原田知世「時をかける少女」

評価:B+

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僕が芦田愛菜ちゃんを初めて映画で観たのは松たか子主演『告白』(2010)で、その次が『阪急電車 片道15分の奇跡』(2011)だった。彼女は兵庫県西宮市出身なので『阪急電車』は地元の撮影で、当時6歳だった。

そして映画『星の子』撮影時、彼女は15歳。丁度、原田知世が初主演映画、大林宣彦監督『時をかける少女』(1983)に出演した年齢である。

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さて、『星の子』で芦田愛菜ちゃんの母親役を原田知世が演じている。夫役が永瀬正敏で、病弱な娘の命を守るために夫婦で新興宗教を信仰しているという設定だ。娘は両親たちの行為を馬鹿げたことだと心の中では分かっているのだが、入信の原因が自分にあるので、なかなか言い出せない。そういう複雑な心境を愛菜ちゃんは巧みに演じていた。中学生役ということで見始めた当初は「えっ?」と思ったが、身長が低い彼女はしっかりそう見えた。

原作者の今村夏子は『こちらあみ子』(2011)で三島由紀夫賞、『むらさきのスカートの女』(2019)で芥川賞を受賞。『星の子』(2017)も芥川賞候補になった。非常に良く出来たお話である。

映画は親子三人で薄っすらと雪が積もった丘の上で星空を眺めるという場面で終わる。主人公のちひろには流れ星が見えるのに、両親には見えない。

ここで「ハッ!!」としたのが、このラストシーンが大林版『時をかける少女』の冒頭に繋がっているという事実である。『時をかける少女』はスキー場で原田知世・高柳良一・尾美としのりの三人が夜空を眺めている場面から始まる。そしてしっかりと流れ星も見えるのだ。大森立嗣監督の粋な計らいに乾杯!

なお、原田と高柳はいまでも家族ぐるみで親しくしていて、年に数回会っているという(出典はこちらの記事)。

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アカデミー長編アニメーション部門のノミネートは確実!「ウルフウォーカー」

アイルランドのアニメーション・スタジオ、カートゥーン・サルーンは今まで『ブレンダンとケルズの秘密』『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』『生きのびるために/ブレッドウィナー』と製作した全ての長編アニメーション映画でアカデミー賞ノミネートを果たしている。『ブレンダン』『ソング・オブ〜』に続くケルト三部作の掉尾を飾る『ウルフウォーカー』もノミネートは確実、そろそろ受賞も夢ではないのではなかろうか?

僕が初めてこのスタジオの作品を観たのはトム・ムーア監督『ソング・オブ・ザ・シー』だった。絵の美しさとケルト神話の世界に魅了された。多神教のケルト神話が日本人にすごく身近に感じられるのは、八百万の神々を想起させるからではないだろうか?また『ソング・オブ〜』は人間とアザラシが結婚して子供が生まれるお話なので、日本昔話『狐女房』に通じる異類婚姻譚だなと思った。

『ソング・オブ・ザ・シー』に登場する狼の描き方は高畑勲監督『太陽の王子ホルスの大冒険』を意識しているのでは?と感じたのだが、『ウルフウォーカー』も『ホルス』は勿論のこと、線描の力強さが『かぐや姫の物語』を彷彿とさせるし、宮崎駿監督『もののけ姫』へのオマージュが鮮明に刻印されている。

評価:A+  公式サイトはこちら

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本作は城壁に囲まれた中世の街と、その外に広がる森の対立が描かれる。それは文化と自然の対立であり、ひいてはイングランドとアイルランド、さらに一神教であるキリスト教とケルト神話の対立でもある。そして城壁内に暮らす人々のキャラクターデザインや美術は四角形を主体とする角張ったもので、一方の森は円を主体に描かれる。

イングランドからアイルランドにやって来た少女ロビンが森でウルフウォーカーのメーヴと出会うことで、ロビンを取り巻く角張った世界が次第に円形の世界へ吸収され、融合していく。それはとても感動的な情景だった。

ケルト三部作のみならずアフガニスタンを舞台とする『生きのびるために/ブレッドウィナー』も含め、カートゥーン・サルーン作品における円とは、チベット仏教の曼荼羅のように完全性とか、文化と自然の調和を象徴しているのではないかと僕は考えている。

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余談だが、主人公のロビンはイングランドの妖精ロビン・グッドフェローに由来する。シェイクスピア『夏の夜の夢』に登場する妖精パックもロビン・グッドフェローと呼ばれる。つまりロビンはトリックスター(境界を超える者)なのだ

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【考察】「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」は何故、これだけの大ヒットになったのか?

新海誠監督『君の名は。』が世界的メガヒットを飛ばした時、プロデューサーの川村元気がその要因を「集合的無意識にヒットした」と解説した。また日本で過去最高の興行成績を上げた宮崎駿監督『千と千尋の神隠し』は主人公の女の子がトンネルを潜り、集合的無意識の世界で八百万(やおよろず)の神々と出会う物語だった。

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今回の劇場版『鬼滅の刃』大ヒットの要因も集合的無意識が関わっているのではないかという気がする。『君の名は。』は他者の夢の中に入っていくということがテーマになっていたが、『無限列車編』もやはり、他者の夢に入って行く。そして夢を覆う膜を引き裂くと外側に無意識の領域が広がっており、そこに精神の核があるという設定は非常にユング心理学的だなと思った。

さらに列車という装置は宮沢賢治『銀河鉄道の夜』や松本零士『銀河鉄道999』と同様に、心の内奥(ないおう)への旅を想像させる。

そもそも『鬼滅の刃』における「鬼とは何か?」を考えてみると、不安とか恐怖、怒りといった諸々の感情が渦巻く人間の集合的無意識が生み出した魔物と言えるのではないだろうか?また鬼を消滅させる陽の光とは、覚醒の暗喩と解釈出来る。

主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)は他者への共感性が強いこと特徴だが、それは彼が、集合的無意識という井戸の底に深く潜っていって、他者と繋がる才能に長けていることを意味しているのだろう。『君の名は。』で言うところの〈ムスビ/産霊〉だ。絵柄も浮世絵とか錦絵を連想させ、日本人の心を揺さぶる。

21世紀の日本は核家族化、少子化が進み、経済的な豊かさや家事の自動化などにより、親もまた一人の人間として生を謳歌し、自分の自己愛を追求しようとするようになった。それによって子供に与えられる愛情は不安定なものとなりやすく、また「隣は何をする人ぞ」と地域住民相互の交流は失われた。社会の自己愛性は、非共感性が幅を利かせていることを意味する。他人の心の痛みに対して無関心な人が増え、ネットリンチ(ネットいじめ)が横行、社会は分断され不認証環境(自分が表した気持ちに対し適切な対応が得られず、嘲笑われたり、否定されたり、無視されたりする状況)を呈している。しかし一方で「関係性喪失」への漠然とした不安を感じ、無意識のうちに「今のままでは駄目だ。人と人の絆、共感性を取り戻さなければ」という想いや、焦りもあるだろう。そうした願いが『鬼滅の刃』への支持に結びついたと言えるのではないだろうか?

『無限列車編』の場合、父親から認めてもらえなかったというトラウマを抱えた煉獄さんの〈承認欲求〉が最後に満たされ、彼が〈自己実現〉を果たすまでの物語という捉え方も出来る。故に「我々はなぜ生きるか?」という根源的問いに答えてくれるような作品に仕上がっているな、と僕は感じた。

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