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【考察】「源氏物語」で紐解く古代日本人の深層心理と、その生活様式

僕は20歳を過ぎた頃から、折角日本に生まれたのだからいつか紫式部『源氏物語』は読まなければならないと切実に思い、しかしその余りの長大さ(文庫本で10巻)に繰り返し挫折してきた。漫画だったら読めるんじゃないかと考えて大和和紀『あさきゆめみし』にも挑戦したのだが、光源氏が須磨に退去した辺りであえなく音を上げた。次々と登場する女君がみな同じ顔に見えて、途中で混乱してわけがわからなくなってしまったのだ。小説の量が膨大過ぎて歯が立たないという経験はマルセル・プルースト『失われた時を求めて』に似ている。『失われた…』は何度挑戦しても第1巻より先に進まない(しかし未だ、諦めてはいない)。

『源氏物語』現代語訳として与謝野晶子、谷崎潤一郎(生涯に3度)、円地文子、田辺聖子、橋本治、瀬戸内寂聴ら錚々たる文学者が取り組んでいる。今回、僕が愛読している小説『対岸の火事』『八日目の蝉』『紙の月』や『愛が何だ』を書いた角田光代が訳したということで早速手にとってみると、兎に角スラスラ読めて驚いた!約2、3ヶ月で呆気なく通読出来た。女優・美村里江(旧芸名:ミムラ)も高校時代、谷崎潤一郎の現代語訳で挫折したが角田光代訳で漸く読破したとラジオで語った(こちら)。これに気を良くして僕は『あさきゆめみし』にも再度挑み、今度は完走した。さらに光源氏の死後(下巻)の部分は谷崎訳も目を通した。

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藤原俊成は鎌倉初期の建久四年(1193年)に開催された歌合で「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事也」と言った。

平安時代、『古今和歌集』(905年)より後に成立したと考えられる『伊勢物語』は歌物語である。その影響が色濃い『源氏物語』(1010年頃)でも沢山和歌が詠まれており、歌物語的性格がある。特に『古今集』からの引用が非常に多いので、『源氏物語』の前に、高田祐彦(訳注)『古今和歌集』(角川文庫)を読まれておくことをお勧めする。なお新海誠監督(中央大学 文学部文学科国文学専攻)のアニメーション映画『君の名は。』や『天気の子』は沢山の歌が挿入されているが、これは王朝文学の影響と思われる。

また副読本として臨床心理学者・河合隼雄の『源氏物語と日本人 ー紫マンダラ』(岩波現代文庫)と、大野晋(国語学者)×丸谷才一(小説家)の対談本『光る源氏の物語』(中公文庫)上下巻がとても参考になった。当時の風俗を知るという意味で『あさきゆめみし』も十分価値がある。

現代人が『源氏物語』を読むに当たり、まず受け入れがたいのが光源氏の華麗なる女遍歴であろう。精力絶倫と言うか、稀に見るプレイボーイぶりである。

京都大学および国際日本文化研究センター教授を定年退官後(65歳)初めて『源氏物語』を通読したという河合隼雄は『源氏物語と日本人 ー紫マンダラ』で次のように述べている。

 恥ずかしいことであるが、私は長い間『源氏物語』を読んだことがなかった。若いときに、人並みに挑戦ーといっても現代語訳であるがーを試みたが、「須磨」に至るまでに挫折した。青年期にはロマンチックな恋愛に憧れていたので、それとまったく異なる男女関係のあり方が理解できなかったのである。それは端的に言って、「馬鹿くさい」と感じられたほどであった。次から次へと女性と関係をもつ光源氏のあり方には、腹立ちさえ覚えたのである。

僕も20代の頃に、同様な感想を持った。しかし時代背景をしっかり鑑みなければならない。

平安時代の平均寿命は男性33歳、女性27歳ぐらいだったと言われている。出産時に亡くなる女性の割合が高く、また乳児死亡率も高かった。

例えば2017年の日本における乳児死亡率は(1000人比で)1.9。江戸時代の記録はないが、1918年(大正7年)は188.6だった。つまり5人生まれたら1人は死んでいたことになる。因みに大正時代の平均寿命は43歳。それより寿命がもっと短い古代は推して知るべしだろう。江戸時代において生後1年までの死亡率は20-25%と推定されている。

佐藤千春の報告(『栄花物語のお産』日本医事新報)によると、平安時代は経産婦47人中11人、実に23.4%がお産で亡くなっているという。つまり当時、子供を生むのは命懸けだった。実際のところ、光源氏の母・桐壺更衣は出産後に体調が思わしくなく源氏が3歳の時に亡くなり、源氏の正妻・葵の上も夕霧を出産直後に命を落とす。

生物に課せられた使命は「種の保存」である。人工を減らさないためには男女1組あたり、2名の子供を成人になるまで育てなければいけない。ましてや天皇や貴族の場合、跡取りとして健康な男児が必要だった。しかし死亡率などから概算すると、平安時代の男性は1人あたり平均3−4人子作りする必要があった。光源氏が残した子供は3人。①葵の上ー夕霧 ②藤壺の宮ー冷泉帝 ③明石の方ー明石の君 である。決して多くはなく、標準的と言えるだろう。

生来、男に浮気性が多いのは生物学的必然である。種馬の如くせっせと種を植えなければ自分のDNAを後世に残すことが出来ない。しかしその辺の事情は近代医学の進歩で変わってきた。一方、女性の場合は一旦妊娠すると出産を経て産褥期が終わるまで約1年かかるわけで、男と比較して(子供の)生産性が高くない。だから生物学的に浮気をする謂れもない。世界にハーレムとか大奥というシステムが出来たのも上述したような理由からであろう。

平安時代において死因の三大疾患は①結核 54% ②脚気 20% ③皮膚病 10%だった。結核の原因は栄養失調。脚気はビタミンB1の欠乏。古代人は肉を食べなかったので慢性的にタンパク質が不足していた。宇治十帖に登場する大君(おおいきみ)の死因は神経性食欲不振症(摂食障害)と考えられる。皮膚病の原因は不衛生。平安時代の貴族は月に4−5回しか入浴しなかった。それも当時はお湯を沸かして室内を蒸気で満たしたサウナ風呂で、殆ど体を洗わない。入浴日は占いによる吉兆で決めていた。縁起の悪い日に入浴して垢を落とすと、毛穴ら邪気が入り込み命を失うと信じられていたという。裸では入らず「湯帷子」(ゆかたびら)という単衣を着用し、簀の上に敷物を敷いてその上に座る。これがゆかた風呂敷の語源である。裸で湯に浸かるようになったのは江戸時代以降である

また女性が長い髪の全体を洗うのは、多く見積もっても月一回程度だったようだ。『源氏物語』には宇治の中君が洗髪する場面があり、神無月(十月)に洗髪することは禁忌である旨が書かれている。つまり当時、お香が流行ったのは、(西洋の香水と同様に)体臭を消すという目的が大きかったんじゃないかな?因みに全長2mを超える髪を洗って乾かすまでは、朝から日暮れまで一日がかりだったとか。

平安時代の日本人は現在に生きる我々同様、宗教に対して鷹揚だった。『源氏物語』で朱雀帝はまず天皇として登場する。しかし32歳で冷泉帝に譲位し上皇となり、後に出家する(その際に娘である女三宮を光源氏に降嫁させる)。天皇は一応、天照大神(アマテラスオオミカミ)の末裔という設定になっており、神道のトップに立つ存在だ。その人が仏教に帰依するって矛盾してない?考えてみれば天武天皇の発願で奈良の大仏が建立されたというのも、おかしな話である。

また朝顔の姫君は斎院(さいいん)を努めた。斎院とは伊勢の斎宮(さいぐう)と同様に、平安時代から鎌倉時代にかけて京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)に奉仕した未婚の内親王または女王である。しかし彼女も後に出家して尼になる。神に仕える巫女が仏に宗旨変え??皆いいかげん、テキトーである。まぁこのおおらかさが、日本人らしいと言えるだろう。なお当時、女性の出家は坊主にせず、肩口で切りそろえる程度だった。それを「肩そぎ」あるいは「尼削ぎ」と言った。 現在でいうところのセミロング、おかっぱ頭である。

平安朝の人々は「末法(まっぽう)」という終末思想に囚われていた。仏の教えが世間に行き渡らず、衰退してしまうとされる時代のこと(ノストラダムスの大予言みたいなものだ)。 永承七年(1052)に「末法」が到来するというのである。死後への不安から、天皇や貴族も仏教に帰依し、極楽往生を願った。『源氏物語』に登場する女たちの7割方が出家するのもそのためである。光源氏や薫も出家したいと話す。そして末法元年の翌年(1053)に建立されたのが宇治平等院鳳凰堂である。 小説が書かれた時点で平等院はなかった。

六条御息所の面白いのは生霊として人(夕顔/葵の上)を取り殺すところにある。それも無意識にだ。死後もこの世を彷徨い、紫の上や女三宮に取り付く。

平安時代の人々は生きている状態で魂(たましい)が肉体から遊離すると考えていた。これは精神(理性)と欲望(本能=自然に近い状態)との分離を目指した西洋と対照的な観念である。

古今和歌集 九七七番を見てみよう。

身をすてて行きやしにけむ思ふよりほかなるものは心なりけり
(我が身を捨てて心だけは知らないうちにそちらへ行っていたのでしょうか。自分の思いと別にあるものは心だったのです

また九九二番、

    女ともだちと物語して、別れてのちにつかはしける
飽かざりし袖の中にや入りにけむわが魂のなき心地する
(いくら語り合っても満ち足りない。お別れしても、あなたの袖の中に入ってしまったのでしょうか、私の魂が手元から消え失せたような気持ちがします)

他に離別歌 三七三番、

    あづまの方へまかりける人に、よみてつかはしける
思へども身をしわけねば目に見えぬ心を君にたぐへてぞやる

(あなたのことを思っても、身体を分けてついてゆくことは出来ません。だから目に見えない心をあなたに寄り添わせて遣わします)

恋歌 六一九番、

よるべなみ身をこそ遠くへだてつれ心は君が影となりにき
(あなたのそばに身を寄せるところがないので、身体は遠く離れているけれど、心はあなたの影になって寄り添っていました)

などがある。つまり遊離魂は〈影〉そのものだった。ここに古代日本人の心のあり方が読み取れる。

光源氏、頭の中将、匂宮、薫ら『源氏物語』に登場する男たちはよく泣く。〈男らしさ〉とは一体何なのだろう?僕らはそろそろ、そういった(武家社会時代に形成された)固定概念から開放されるべきだ。

米国の人類学者ルース・ベネディクトは著書『菊と刀』(1946)の中で、西洋は〈罪の文化〉で、日本は〈恥の文化〉だと分類した。〈恥の文化〉とは他者の非難や嘲笑を恐れて自らの行動を律することを指す。

光源氏は〈世間体〉を気にしている。後朝(きぬぎぬ)の別れでも、人目に触れないように女の家から極めて早朝に発ったりする。個人主義(Going my way)ではなく、〈場〉の雰囲気を毀さないよう、〈空気を読む〉ことに腐心している。

また六条の御息所が生霊となり、最後は鬼になるのは〈恥〉をかいたからだ。浮舟とその母も、他人に侮られるとか、物笑いのたねになることをすごく気にしている。

結局、千年経っても人の心のあり方は少しも変わらない。進化したのは社会保障、司法、医療、教育などの〈システム〉や〈科学技術〉であり、人間そのものではない。21世紀に生きる僕たちでもちゃんと『源氏物語』の感情に共感し、寄り添える。薫ー大君ー浮舟の関係性が、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画「めまい」の構造(スコティーマデリンージュディ)と全く同じだと気付いた時には驚いた。

『源氏物語』はマザー・コンプレックスの話であるとも言える。母性社会日本に相応しい(欧米諸国は父性原理で動いている)。光源氏が慕う藤壺の宮は源氏の母・桐壺更衣に生き写しと描写される。つまり母+アニマ(男性が抱く内なる女性像)。一方、源氏が幼少期から育てる紫の上は藤壺の宮の姪で、藤壺に似ている。つまり母+アニマ+娘の役割を果たす。

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河合隼雄『源氏物語と日本人 ー紫マンダラ』より

さて次に『源氏物語』最大の謎に目を向けよう。光源氏とは一体、何者だったのか?

角田光代は中巻の「訳者あとがき」に次のように書いている。

 上巻で、ずっと光君という人を追いながら、私にはどうしてもその顔が見えなかった。神のような、神の子のような、あるいは運命というものの象徴としての存在のような、人間的なものから離れた何かのようにしか思えなかった。

『源氏物語幻想交響絵巻』を作曲した冨田勲(故人)も、「私は源氏物語を読んでいて、光源氏の顔が全く思い浮かばないんです」と語った。

僕が思うに、光源氏とはプラネタリウムの光源(投影機から発する光)のような存在と言えるのではないだろうか。そして天井の曲面スクリーン一杯に写し出される数々の星座が女君たちというわけ。光源氏は様々な女性たちの生き様を浮かび上がらせるための装置であり、実体がない。だから実写映画やテレビドラマで『源氏物語』は成功しない。生身の男優が演じてもリアリティに欠けるのである。むしろ宝塚の男役が相応しい。

河合隼雄はこの仕掛を「マンダラ」と呼んだ。

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河合隼雄『源氏物語と日本人 ー紫マンダラ』より

光源氏の輝きは、太陽(昼)というよりは月(夜)に近い。紫の上が詠んだ歌、

氷閉ぢ石間の水はゆきなやみ空澄む月のかげぞながるる

「石間(いしま)の水」は遣水のこと。上の句は幽閉された自分自身のことを指し、下の句は自由戀愛を謳歌する光源氏のメタファー。つまり「光」=「月光(つきかげ)」なのである。とすると月読命(ツクヨミ)のイメージが重ねられていると解釈することが出来るだろう(天照大神と須佐之男とで三姉弟)。

菅原孝標女が『源氏物語』に夢中だった少女時代を振り返って(平安時代中頃に) 書いた『更級日記』には次のような一文がある。

「われはこのごろわろきぞかし。盛りにならば、かたちも限りなくよく、髪もいみじく長くなりなむ。光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめ。」と思ひける心、まづいとはかなくあさまし。
(「私はいまのところ器量が悪いけれど、女盛りの時期を迎えれば顔貌も限りなく良くなり、髪もとても長く伸びるでしょう。光源氏が愛した夕顔や、薫君が愛した浮舟のようにこそ未来の自分はありたいものだわ」と思っていた心はむなしく、みっともない限りだ)

『源氏物語』の現代語訳をした円地文子は『源氏物語のヒロインたち』という対談本の中で夕顔について次のような所感を述べている。

どこか遊女性がありますね。娼婦性っていうのかしら。そういうものはあると思いますよ。

この小説はさながら、〈平安時代の女性コレクション〉という絢爛豪華なショーを見ているかのようだ。女性図鑑・カタログ・絵巻と言い換えても良い。

角田光代はこちらのインタビューで次のように語っている。

もし紫式部がこれを全部一人で書いたという前提で考えるのならば、私はたぶん作者が意図して自分のコントロール下で書き進められたのは「明石」の帖までだと思うんですよ。「明石」以降はちょっと自分でも思いもよらないほうにいってしまって、物語や登場人物が勝手に歩いていっちゃって、ときどきコントロールするために短い挿話を差し込んでいるんだけど、物語の大きな流れはたぶん作者の手を離れちゃったんじゃないかなという印象があるんですよね。

書き手として私が考えるのは、小説というのはたぶん自分ができるすべての力を注いでつくったとしても、できるのは百パーセントまでで──それすらも難しいんですけども──それ以上は絶対にいかないと思っていたんですね。でも小説が百パーセント以上の力を発揮することがあって、それは作者じゃなくて、小説に宿った力がそうさせることがごく稀にあるとなんとなく考えていたんです。それの超弩級版がまさにこの『源氏物語』じゃないかなって、最近は思っています。

(中略)女たちのほうが勝手に生き生きと息づきはじめてしまったのかもしれない。それも作者の思惑を超えて、のような気がします。 

松尾芭蕉に「紅梅や見ぬ恋作る玉簾」という俳句がある。平安時代の貴族の男女の出会いは〈見ぬ恋〉であった。寝殿造りは御簾(みす)や几帳(きちょう)、屏風で女の姿を隠し、外部から目に触れないようにしていた。だから「どこそこの家の娘は大層別嬪さんらしい」という噂は耳にすれど、実際に垣間見ることはほぼ不可能であった。通い婚だった当時は、初夜に至るまで互いに顔を知らず、しかも逢瀬は真っ暗なので相手の顔も見えず、事が終わってから昇ってきた朝日で漸く容姿が確認出来るというのが通常であった。だから事後に「しまった!こんな筈じゃなかった」と後悔することも当然あるわけで、『源氏物語』第六帳〈末摘花〉でもそんな顛末が面白おかしく書かれている。

20世紀フランスの社会人類学者レヴィ=ストロースは著書『親族の基本構造』の中で、オーストラリアの原住民らを研究し、近親相姦の禁忌と、母方交叉イトコ婚が推奨されるのは何故かを解明した。そこには〈女性の交換〉という原理があった。人間社会の基本はコミュニケーションであり、それは言葉や物(お金を含む)を交換することにある

平安貴族にとっても、娘=交換価値であった。その最高の価値は入内し、中宮として天皇に寵愛され、嫡男を生み、その男児が春宮→天皇という道を進むことであった。藤原道長はそうして摂政となり、一族は栄華を極めた。

つまり、いかにして地位の高い男を婿に迎えるかということが彼らにとって最も重要事項であり、見ぬ恋〉 は 娘=交換価値 を高めるために必要であったと言えるだろう。

最後に。『源氏物語』上巻を読んでいる途中で、「おや?」と引っ掛かった。明らかに欠落部分があると感じたのである。光源氏と藤壺の二回目の秘密の逢瀬が描写されるが、一回目については全く言及されない。また六条御息所が唐突に登場し、源氏との馴れ初めが書かれていない。この疑問は後に、大野晋×丸谷才一の対談本『光る源氏の物語』を読んで解消された。

藤原定家(1162-1241:小倉百人一首撰者)の書いた注釈書のなかに「一説には 巻第二 かゝやく日の宮 このまきもとよりなし」とある。つまり『輝く日の宮』という巻が元々あったが、定家の時代に既に失われていた可能性が示唆される。

丸谷は紫式部のパトロン・藤原道長の意向で削除されたという説を述べており、興味深い。脱落したこの巻を補う丸谷の同名小説も読んだ。また瀬戸内寂聴も同様の趣旨で小説『藤壺』を書いている。

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