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2020年6月

2020年6月30日 (火)

新型コロナ禍と、「日本人とは何者か?」part 2

の続きである。

6月29日、読売新聞に〈「コロナ感染は自業自得」日本は11%、米英の10倍…阪大教授など調査〉という記事が掲載された。

三浦麻子・大阪大教授ら心理学者の研究グループがまとめたデータで、「新型コロナウィルスに感染する人は自業自得だと思うか」という質問に対してYesと回答をした人が米国、英国、イタリアと比較して日本は10倍多かった。中国と比較しても2倍以上だ。非常に興味深い研究結果だ。自己責任を強く問う(責めたてる)日本人の特徴がよく表れている。

やはり日本は昔も今も〈ムラ社会〉なのだ。個よりも公を優先する。和を以て貴しとなし(聖徳太子「十七条憲法」第一条)、和を乱し目立った振舞いをする者に対して、しかとするなど制裁行動(sanction)に出る。村八分、陰湿ないじめの構造。自粛要請に応じない者を許せず(自粛警察)、公共の場でマスクをしない者を声を荒げて糾弾する(マスク警察)。居丈高なのだが、その仮面(ペルソナ)を剥がすと内面は極めて臆病、小心者。見えない敵=ウィルスに怯え、ぶるぶる震えている。

息苦しい世の中だ。嫌になる。最近読んだ紫式部『源氏物語』の表現を借りるなら〈浮世=憂き世〉(対義語は〈常世 とこよ〉)。まぁしかし反面、阪神・淡路大震災や東日本大震災など、いざという時に一致団結し、力を発揮する肯定的側面もあるのだが。

感情を表に出さず、礼儀正しく、秩序を重んじる日本人。だが仮面(ペルソナ)の裏には影(シャドウ)の部分も隠れている。

下記事で「パニックになった時、人の本性は現れる」と書いた。

今回のコロナ禍でも、様々な人々の本性が炙り出された。見ていて非常に不愉快ではある。しかし、またとない機会であり(多分、百年に一度)、色々学ぶことも多かったなという気もするのである。

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2020年6月28日 (日)

【考察】我が国の新型コロナウィルス感染予防対策は果たして正しいか(日本人とは何者か)?

本記事はNHKスペシャルの新型コロナ特集や、ノーベル医学賞を受賞した山中伸弥による新型コロナウィルス情報発信サイトに掲載された論文を参照した上で、執筆したものである。

【国別死亡率に大きな差異がある理由は?】わが国の新型コロナ感染症(COVID-19)の感染率・死亡率が低い理由として、

  • 日本人特有の生活習慣(挨拶で握手とかハグをしたりせず、距離を取る)
  • 日本人は清潔好きで家庭内では靴を脱ぐ
  • マスク率の高さ
  • 医療体制の充実

などが挙げられている。しかし果たして本当だろうか?

こちらの日経メディカルの記事をご覧いただきたい。COVID-19について人口100万人当たりの死者数が国別に表になっている。抜粋しよう。

  • スペイン:580
  • 英国:558
  • イタリア:557
  • スウェーデン:452
  • フランス:445
  • アメリカ合衆国:333
  • ポルトガル:143
  • ドイツ:104
  • イラン:96
  • 中国(湖北省):78
  • イラク:7
  • 日本:7
  • 韓国:5
  • マレーシア:4
  • オーストラリア:4
  • 台湾:0.3
  • タイ:0.2

ここで僕が「感染者数」を指標としなかったのには理由がある。韓国のように徹底的にPCR検査をした国と、我が国のようにPCR検査数が極端に少ない国の感染者数を単純比較することは出来ない。日本のやり方では無症状の(不顕性)感染者の拾い上げが出来ないからである。菅官房長官は6月24日の記者会見で、その日東京都で新型コロナウイルスの感染者が新たに55人報告されたことに関し「同一のホストクラブ関係者などに積極的に検査をした結果」と述べた。つまり検査を積極的にするか消極的にするかで感染者数は恣意的に操作出来るということだ。しかし死者に対しては嘘をつけない。死亡率は真の感染率を反映していると見なせる。

こうしてみると日本だけではなく、中国以外のアジア諸国の感染率がおしなべて低いことがわかるだろう。またオーストラリアの感染予防対策は日本より優秀だ。

さて、日本とイラクの死亡率(≒感染率)はほぼ同等。ではイラク人のマスク装着率は日本人に匹敵するのだろうか?あるいはイラクの医療水準が日本と同等なのか?ナンセンスである。台湾やタイの死亡率が日本の20分の1以下なのも上述した説明では全く納得がいかない。

つまり国別の死亡率(≒感染率)の差異の理由は必ず他にある筈だ。BCG接種の有無と、BCG株の違いは間違いなくその有力候補だろう。特に隣同士の国、スペイン vs. ポルトガルや、フランス vs. ドイツの死亡率に、どうしてこんなに差(4対1)があるのかは注目すべきポイントである。

【疫学調査の手法】結局、マスク着用が感染予防に有効なのか?とか、手洗いなど衛生面が有効なのかといった評価は〈多変量解析〉(解説こちら)をしなければ分からない。複数の独立変数(説明変数)があるからである。喫煙率とかGDP(国内総生産)、大気汚染(PM2.5)、肥満度(BMI)なども加味する必要がある。ちなみに中国やイランはPM2.5の濃度が高く、米国国内では低所得者である黒人の死亡率が高く、ブラジルでは富裕層より貧困層の死亡率が高い。〈多変量解析〉により死亡率が高い群(スペイン、イタリア、フランス、米国)と低い群(日本、韓国、台湾、タイ)の二群間で、明らかに統計学的有意差(P値が0.05以下)がある変数が見つかれば、その対策が効果的だったと評価出来る。これが公衆衛生学における疫学調査の基本である。

【マスクは新型コロナ感染予防に有効か?】ドイツ・マインツ大学などの研究チームは、同国でのマスクの義務化が新型コロナウイルスの感染者を「大幅に減少させた」とする研究結果を発表した(記事はこちら)。結論に異議はない。ただこの研究の問題点は〈感染者がマスクをした場合、拡大防止に有効か?〉と、〈非感染者がマスクをした場合、感染を予防出来るか?〉という問いを分けていないことである。一緒くたにしてしまっている。All or Nothingでは問題の本質を見失ってしまう。特にドイツの死亡率(≒感染率)は日本の十数倍である。(北海道と東京以外で)新規感染者が殆どなくなった日本で、健常者がマスクをすることに果たして意味があるのだろうか?

【感染者がマスクをする意義】感染者がマスクをすればウィルスの飛散を予防出来る。鼻や口からしぶきとして飛び出し、空中を漂う〈マイクロ飛沫〉の拡散を防止することが重要。これは間違いない。多数の実験がされており、論文発表もある。確かなエビデンスがあると僕も認める。

【非感染者がマスクをすることで予防出来るか?】この問いに対しては僕の知る限りエビデンスがない。もし明らかな反証があれば後学のために是非ご一報頂きたい。そもそも日本でも多数の医療機関でクラスターが発生し、医療従事者が感染している。彼らは当然マスクをしている筈であり、つまり感染予防に効果がないことを示唆している。いちばん重要なのは感染者と濃厚接触をしないことだ。SARS騒動のときも用いられたN95マスクをしていた救急隊員も感染したと報道されている。つまり僕は症状のない健常者がマスクをしても全く意味がないと考える。EBS(Evidence-Based Safety:根拠に基づく安全理論)と言えない。過剰反応だろう。

【クラスターが発生する条件】今までの経験で、どういう場所がクラスター(新型コロナ感染が異常に高い発生率である集団)になり易いかが判明している。

  • ライブハウス
  • ナイトクラブ、ホストクラブ、ゲイバーなど接待を伴う飲食店
  • カラオケ店(特に最近は北海道の昼カラオケ)
  • コールセンター(電話オペレーター)
  • スポーツジム
  • プロ野球、テニスなどスポーツ選手(特にロッカールームは閉鎖空間で危険)
  • 病院、デイサービス、ショートステイ、福祉事務所(医療/介護従事者、入院患者)
  • 合唱団の練習場
  • 中国から来た旅行者を乗せた観光バスや、クルーズ船乗客を乗せたタクシー

共通する特徴は明白である。「換気の悪い密閉空間で感染者と濃厚接触すること(3密)」「特に2m以内に近接し、感染者が発声することがハイリスク」「喋らなくても運動をしてハァハァ激しく呼吸をすることも危険」。

しかし僕が知る限りミュージカル・演劇を上演する劇場や、クラシック音楽のコンサート・ホールでクラスターが発生したという報告はない。これは日本だけでなく欧米諸国など世界に目を向けても同じだ。ではライブハウスとコンサート・ホールの違いは何か?

  • コンサート・ホールの方が空間が広い。
  • ライブハウスでは観客が歓声を上げたり、コール&レスポンス(演奏者の呼びかけに対して観客が応えること)したり、踊って息をハァハァしたりする。テーブルが設置され飲食可能な場合もある。一方、コンサートホールで観客は黙って音楽を聴くだけであり、同じ方向を向いている(感染者と向かい合わない)。またライブハウスは基本スタンディングなので、着席して大人しく聴くコンサート・ホールより密になる。

満員電車でクラスターが発生していないのも同じ理屈である。窓を開けて換気し、会話さえしなければ危険じゃない。それに対して観光バスでは長時間乗り、隣どうしてペチャクチャお喋りをする。補助席のない大型バスでは窓が開かない場合も多い。

映画館でのクラスターも皆無だが、法令により換気がしっかりしていること、観客が黙って同じ方向を向いていることにその理由があるだろう。

合唱団やロックバンド(グループ魂の宮藤官九郎ら)でクラスターが発生しているのに、オーケストラや吹奏楽団など楽器演奏家に事例が見当たらないのも発声の有無に問題の核心があることを示している。

【映画館・劇場対策に意味はあるのか?】2020年6月末現在、映画館や一部劇場が再開されたが、座席は前後左右1席ずつ開けるとか、マスク着用が必須とか条件付きである。ほとんどの商業演劇・ミュージカルでは客席数を半分以下に減らされると採算が取れない。オーケストラの演奏会だってそう。無茶な話である。ブロードウェイでは9月6日まで劇場閉鎖が決まっており、さらに延長される可能性も高い。「キャッツ」や「レ・ミゼラブル」、「オペラ座の怪人」といったミュージカル作品を手がけてきた著名な演劇プロデューサーで劇場オーナーでもあるサー・キャメロン・マッキントッシュは、ソーシャル・ディスタンシング措置のため来年までロンドンの劇場を再開出来ないと明言している。また経営難に陥った劇団四季はクラウドファンディングを開始した(こちら)。世界中のエンターテイメント業界は危機的状況にある。

ここで大いに疑問に思うのは、劇場に今までどおり客を入れた場合よりも、前後左右1席ずつ開けた方が感染リスクを統計学的有意差をもって低減出来るというエビデンス(根拠となるデータ)は本当にあるのだろうか?そういう実験をどこかでしたという話を僕は一切聞いたことがない。〈相手と2mの距離を取る〉というのは向かい合って、会話するという条件から生まれてきた指針である。喋らず、同方向を向いている状況で、ソーシャル・ディスタンシングを保つべき距離は自ずと変わってくる筈だ。発声を控えればマスクだって不要だろう。

京都大学ウイルス・再生医科学研究所の宮沢孝幸准教授は次のように述べている(出典こちら)。

「緊急事態宣言の発令後、映画館やパチンコ店など、ほとんど話をしない場所への自粛も呼びかけられ、駅の利用状況も問題視されましたが、唾液が飛ばないところで自粛しても意味がありません」

【恐怖心】アメリカの哲学者ラルフ・ワルド・エマーソン(1803-1882)はこう言った。「恐怖は常に無知から生まれる (Fear always springs from ignorance. )」知識を得ることは恐怖の解毒剤である。妖怪とか幽霊といった類は正にこれであろう。特に電気のない時代、蝋燭とか灯台(火皿に油を注ぎ灯芯を浸したもの)で照らす夜は暗く、見えないことの恐怖が彼らを生んだ。ウィルスも目に見えない。見えない敵と戦うことは恐怖心や不安感を増幅させる。

20世紀で最も著名なイギリスの論理学者で哲学者バートランド・ラッセル(1872-1970)は「恐怖心というものが迷信や残虐を生む。恐怖心を克服することが叡智につながる」と述べている。新型コロナウィルス流行で脚光を浴びたのがアマビエという妖怪である。僕は今まで全く知らなかった。

Ama

疫病除けでこういうのが流行るのも迷信のひとつだろう。そもそも宗教そのものが死の恐怖、人の命が有限であることの恐怖から生まれたと言える(↔永遠の命を有する神)。

また新型コロナに対する恐怖心から生まれた残虐が〈自粛警察〉であり、マスクをしていない人を公衆の面前で怒鳴りつける〈マスク警察〉だ。欧米では「コロナが感染拡大したのはおまえらのせいだ」とアジア人に対する差別や暴行事件が蔓延している。被害に遭っているのは中国系だけではなく、インドネシア人、ビルマ人、シンガポール人、韓国人、日本人と多岐にわたる(新聞記事こちら)。

ラッセルは「人間は信じやすい動物だから、何かを信じたくなる。信ずるに足る何かを見出だせない場合は、信ずるに足らないことでも満足してしまう」とも言っている。今回の場合は〈マスクによる感染予防効果〉がそれに当たるだろう。神社のお守り・お札みたいなものだ。

【新型コロナ恐るるに足らず】2020年6月26日現在、新型コロナウィルスによる日本の死者数は総計970人である。一方厚労省によると、通常の季節性インフルエンザによる年間死亡者数は日本で約1万人と推計されている(資料こちら)。世間の人々は神経質になり過ぎではないだろうか。

【アメリカ人はマスクをしない】2020年6月20日トランプ大統領が行った6,000人を超える大規模集会において、会場ではマスクが入場者に配布されたものの、実際に着用している人はほとんどいなかった。こちらの記事の動画をご覧頂きたい。ソーシャル・ディスタンシングなんか全く考慮しない、密の状態だということがお分かり頂けるだろう。

【日本人の生真面目さ】2020年4月7日に「緊急事態宣言」が発令され、5月25日に解除されるまで僕は無意味だと思いつつ、政府の方針に従って電車の中ではマスクを着用して通勤した。解除後も更に1ヶ月、我慢した。僕が住む兵庫県では1ヶ月以上、新型コロナウィルスの新規感染者は0だった。しかし6月末現在、阪急電車におけるマスク着用率は未だに100%である。どうして皆、そんなにお上に対して素直に従うんだ!?何故自分自身の頭で考えて、何が正しいかを判断しない?これはもう、一種の思考停止だ。感心を通り越して呆れてしまう。結局、軍国主義に走って暴走した政府に誰も異を唱えなかった第2次世界大戦時と日本人のあり方は少しも変わっていない。「欲しがりません勝つまでは」今も昔も羊のように従順な国民性だったのである。悪く言えば未だに〈個が確立されていない〉。しかし一方で、アメリカ人やフランス人みたいに個人主義が徹底しすぎても、良いことばかりではないのも確かだ。アメリカ人の離婚率の高さは悲惨だし、フランス人が一般に冷淡なのは、赤ちゃんのときから親が別室で寝る習慣が災いしているのではないかと僕は考える。つまり国民全体が〈愛着障害〉なのだ。

言い換えよう。日本人は昔から〈個よりも公を重んじる〉国民性なのだろう。出る杭は打たれ、和を以て貴しとなす(聖徳太子「十七条憲法」第一条)。それが良い場合もあれば、悪い場合もある。個か公か?何事も極端に走らず、程々が肝要である。

【同調圧力】そもそも外出時にマスクを付けなさいとかいうのは政府の〈要請〉であり〈強制〉ではない。罰則規定はないし、従わないからといって罪に問われるわけではない。米ニューヨーク州では行政命令でマスク着用が義務化された。アメリカ人は全然、人の言うことを聞かないからだ。パリでもメトロでマスクが義務化され、違反者には罰金1万6千円(135€ )が課せられる。じゃあ日本でも罰則規定を設ければいいじゃないかって?感染率がぜんぜん違う。フランスは日本の50倍以上だ。あちらでの義務化は感染者からの拡散を防ぐことに狙いがある。なお厚労省の調査で、東京都民の新型コロナウィルス抗体保有率は0.1%と判明した。一方、ニューヨーク州が実施した検査の抗体保有率は12.3%、スウェーデンのストックホルムは7.3%に達している。桁が違う。

しかし日本でマスクを着用せず街を歩いているとひしひしと同調圧力を感じる。汚物でも見るように、あからさまに嫌な顔をされ避けられたりする。ムラの発想だ。マスクをしない者は村八分。息苦しく、住みにくい世の中になったものだ。しかし僕はへこたれない。今の風潮は明らかに間違っている。誰になんと非難されようが「王様は裸だ!」とこれからも言い続ける。

【新しい生活様式のあるべき姿】以上述べてきた根拠に基づき、僕が考える〈新しい生活様式〉を提案したい。日本人は従順な国民だから、政府がしっかりとメッセージを発信すれば、きちんと実践出来る筈。

①以下のどれかに当てはまる人は必ず外出時、あるいは対面で会話をするときは必ずマスクを着用することとする。

  • 過去に新型コロナウィルスに感染した既往歴がある。
  • 直近2週間以内に新型コロナウィルスに感染した人と接触した可能性がある。
  • 37.5℃以上の発熱がある。
  • 咽頭痛や違和感・咳・頭痛・味覚/臭覚異常(味や臭いが分からない)・倦怠感などの症状がある。

これらに当てはまらない人はマスクは不要。勿論、不安があれば着用すればいいが熱中症に十分注意して適宜水分補給をする。

②映画館や劇場(ライブハウスを除く)で客席のソーシャル・ディスタンシングは不要。マスクも義務化しないが着席後の発声は慎む。また入場時の検温は実施する。

③舞台に立つ役者や演奏家には全員、新型コロナウィルスのPCR検査、またはLAMP法、抗原検査を実施する。感染初期には陽性化しない抗体検査はダメ。6月5日、 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が3ヶ月ぶりに公演を再開した際、楽員全員がPCR検査を受けた。

【最後に】読者の皆さんに切に訴えたい。「マスクを捨てよ、町へ出よう」

本物の日常を取り戻そう。

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2020年6月26日 (金)

長ったらしい邦題は最低だが、映画は最高!「ストーリー・オブ・マイ・ライフ/わたしの若草物語」

評価:AA

Little

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原題はシンプルに"Little Women"、原作小説と同じである。最近は説明過多の長ったらしい邦題が多くて閉口する。

  • Judy→「ジュディ 虹の彼方に」
  • The Revenant→「レヴェナント:蘇りし者」
  • The Post→「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」
  • IT→「IT/イット”それ”が見えたら、終わり」

ちなみに原作の本邦初訳では「小夫人」だったが、1933年の映画が翌34年に日本で公開されたときに「若草物語」と銘打たれ、同年に発行された翻訳本もそれに準じた題名になったそう。

1933年RKO版は後に「マイ・フェア・レディ」を撮るジョージ・キューカーが監督し、ジョー役はキャサリン・ヘップバーン(26歳)だった。ヴェネチア国際映画祭において女優賞を受賞し、アカデミー賞では作品賞・監督賞にノミネート、脚色賞を受賞した。男勝りなお転婆娘を見事に演じきったキャサリンは生涯で4回アカデミー主演女優賞を獲った大女優であり、この記録はまだ破られていない。ノミネート数ではメリル・ストリープが21回で上回ったが、受賞は3回。

マーヴィン・ルロイが監督した1949年MGM版はテクニカラーでアカデミー美術賞を受賞。エイミー役のエリザベス・テイラー(16歳)が鼻を高くするために洗濯ばさみで鼻をつまんで寝る場面が有名で、大林宣彦監督「さびしんぼう」で主人公が通う高校の女教師(秋川リサ)が言及している。儚げにベス(原作では三女だが、四女に変更されている)を演じたマーガレット・オブライエンが僕は大好きだった。めっちゃ可愛い!撮影当時11歳で、1951年に彼女は映画界から引退してしまう。ジョー役のジューン・アリスンは31歳で年を取り過ぎ。キャサリン・ヘップバーンほどの輝きがない。

1994年版はジリアン・アームストロング(女性)が監督し、ジョーをウィノナ・ライダー、エイミーをキルスティン・ダンスト、母をスーザン・サランドンが演じた。これは劇場で観たが凡庸な出来。取り立てて言うべきことはない。

33年版や49年版のジョーは驚いた時などに「クリストファー・コロンブス!」と叫ぶ。"Oh my God!"とか、"Jesus Christ !"といった感嘆詞と同じニュアンス。これは調べたところ「若草物語」特有の表現みたい。2005年にサットン・フォスター主演で上演されたブロードウェイ・ミュージカル版でも「クリストファー・コロンブス!」は採用されている。ちなみに1998年にはオペラ化もされた。

さて、今回のグレタ・ガーウィグ版で目を瞠ったのは脚色の上手さである。原作小説では「続・若草物語」でジョーが自分の原稿を出版社に持ち込む場面から始まる。そこから7年前「若草物語」時代の回想となり、その後は青色を基調とする寒色系で描かれる現在と、暖炉の炎を連想させる橙色を基調とする過去を行ったり来たりするアクロバティックな構成となっている。そして映画終盤、ジョーが長編小説を書き始めると寒色系の画面に蝋燭の炎が灯り、そこからは彼女の脳内で創造されたフィクション部分が暖色、現実世界が寒色になるという創意工夫が凝らされている。

本作のテーマは〈結婚は経済の問題である〉ということに集約されるだろう。「女が独身のまま自立するには売春宿を経営するか、女優になるしかないわね。まぁ、どちらも同じようなものだけど」という台詞を、かの大女優メリル・ストリープに言わせるとは大胆不敵!「結婚することが女の幸せであり、ゴールである」という当時の風潮に対してジョーは徹底的に抗う。

しかし原作を読んだことのある人なら知っている。「続・若草物語」の最後にジョーがベア教授と結婚することを。ジョーは原作者オルコットの分身だが、オルコット自身は生涯を独身で通した。果たしてこの矛盾とどう向き合えばいい?グレタ・ガーウィグはメタフィクションの手法を用いてこの難問を鮮やかに解決した。まさかこんな手があったとは!!心底驚かされた。

ジョーを演じたシアーシャ・ローナンは躍動感に溢れ、彼女が走っている姿を見るだけで心が高鳴った。またガーウィグの前作「レディ・バード」でもシアーシャとの相性の良さを示していたティモシー・シャラメ演じるローリーがパーフェクト。ポージングの美しさはルキノ・ヴィスコンティ監督「ベニスに死す」の美の化身タッジオ(ビョルン・アンドレセン)を彷彿とさせた。ローリーがジョーにプロポーズし、振られる場面で一瞬、音楽がマーラー/交響曲第5番 第4楽章 アダージェットそっくりの旋律を奏でる。編成も弦楽器とハープだけだし。やっぱり「ベニスに死す」を意識しているんじゃないかな?

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2020年6月25日 (木)

ハリエット

評価:A

Harriet

映画公式サイトはこちら

ハリエット・タブマンは南北戦争前に南部の奴隷として生まれ、北部に脱出後、奴隷解放運動家として活躍した。2020年に発行される20ドル紙幣でアフリカ系アメリカ人として初めてアメリカドル紙幣にデザインされる事が決まった。意外なことにマーティン・ルーサー・キング牧師は未だだったんだね。多分暗殺されてから50年くらいなので歴史の古い順ということなのだろう。ケネディ大統領も未だ

ハリエットは秘密組織〈地下鉄道〉の“車掌”として指揮をとったが、黒人作家コルソン・ホワイトヘッドが「地下鉄道」という小説を2016年に出版し、ピュリッツァー賞、全米図書賞、アーサー・C・クラーク賞ほか多数の文学賞を受賞した。日本でも翻訳され、大いに話題となった。実際に地下鉄が走っていて、奴隷の少女がそれに乗って自由が待つという北を目指すという虚構仕立てになっている。アカデミー作品賞を受賞した「ムーンライト」のバリー・ジェンキンスが新作ドラマ(リミテッド・シリーズ)として監督・脚本を務めることが決まっており、配信権を米アマゾン・スタジオが獲得した。

本作でアカデミー主演女優賞にノミネートされたシンシア・エリヴォは2016年にミュージカル「カラー・パープル」でトニー賞ミュージカル主演女優賞を受賞。「天使にラブ・ソングを」にも出演。僕は彼女の生歌を梅田芸術劇場@大阪で聴いたことがある。

「ハリエット」も脱出の合図に歌が使われたり、ゴスペル(福音音楽)も聴けるし、音楽映画的な側面がある。またアカデミー歌曲賞にノミネートされた「スタンド・アップ」が素晴らしい。MVの視聴はこちら

事実は小説よりも奇なり。これは真のHero映画だ!痛快ですらあった。マーベル作品(マーベル・シネマティック・ユニバース)なんか目じゃないね。

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2020年6月12日 (金)

ドキュメンタリー映画「娘は戦場で生まれた」

評価:A

Sama

公式サイトはこちら。英題は"FOR SAMA"「サマのために」。サマとは生まれた娘の名前である。

僕は邦題に不満がある。だって赤ん坊は自分の意思で戦場に生まれたわけではない。英語で言えば"She was born."つまり受動態、親の都合(身勝手)で「生まれさせられた」のである。「娘を戦場で生んだ」が相応しいだろう。

撮影・監督のワアド・アルティーブはドキュメンタリー作家で、結構美人である。アサド政権に包囲されたシリアの都市アレッポで取材しながら、そこの病院で働く医師と恋に落ち、娘を生む。アサド政権を支持するロシア軍は病院ですら空爆し、その様子が赤裸々に記録されていて凄まじい。

夫婦はアレッポから脱出するチャンスもあったのだが、最後まで抵抗しそこに留まり続ける。彼らの行為は素晴らしいし、僕には到底真似できない。しかし果たして「娘の親として」彼らは正しかったのか?そこは大いに疑問に感じる。サマちゃんが可哀想だ。

本編中「正義」という言葉が繰り返される。僕にはそれが虚しく響く。「大義」⇔「親としての(子供の命を守る)責任」、どちらが優先されるべきなのか?という問いが本作にはある。

夫婦の英雄的行為は認めるが、ならばそういう状況下で子作りをすべきではなかったし、娘が生まれた時点で脱出すべきだった。僕はそう思う。

たまたま彼らは助かり、そのおかげで本作がこの世に存在するわけだが、死ぬ危険性は極めて高かった。人として駄目でしょ?倫理的に許せない。

しかし映像のド迫力は圧巻で、一つの作品としては高評価せざるを得ない。誠にアンビバレントな心境である。

米アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞にノミネート、英国アカデミー賞(BAFTA)では長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。

あと本作と併せて、アカデミー短編ドキュメンタリー映画賞を受賞したNetflix配信「ホワイト・ヘルメット ーシリアの民間防衛隊ー」も是非観てください。

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2020年6月 6日 (土)

祝サブスク解禁!!山口百恵の魅力について語り尽くそう。〈後編〉

本記事は、

の続きである。

【プレイバック】1978年5月にリリースされプレイバック Part2」は作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童の夫婦コンビ作。元々はディレクターの発案で「プレイバック」というタイトルが先に決められ、やはり阿木燿子の作詞で馬飼野康二が作曲した「プレイバック Part1」と宇崎が競作し、宇崎の方が採用された。「Part1」は翌月に発売されたベストアルバムに収録されたが、シングルカットはされていない。両者を聴き比べれば優劣は歴然としている。

【秋元康】秋元康が放送作家を経て、作詞家としてデビューしたのは1981年だった。しかしその1年前に山口百恵は引退していた。

作詞家・秋元康は小泉今日子(「なんてったってアイドル」)や美空ひばり(「川の流れのように」)に間に合ったが、山口百恵には間に合わなかった。彼にはずっと「山口百恵に詞を提供したかった」という、くやしい気持ちが付きまとっているような気がして仕方がない。

秋元がAKB48グループを作り、東京、名古屋、大阪、博多、新潟、瀬戸内、海外へと組織を拡大していったのも、「公式ライバル」として乃木坂46や欅坂46など坂道シリーズをプロデュースしたのも、その原動力として「第二の山口百恵を発見し、育て、世に送り出したい」という強烈な欲望があったのではないだろうか?

山口百恵の才能は日本テレビ系列で放送されていたオーディション番組「スター誕生!」で見い出された。しかし「スター誕生!」は1983年9月に幕を閉じ、平成に入ると単体としてのアイドル歌手が全く売れない時代となった。つまり「スター誕生!」の代替として考案されたオーディションおよびアイドル育成システムがAKB48であり、坂道シリーズだったのではないか、と僕は考える。

【「黒い天使」ー山口百恵と前田敦子を結ぶ点と線】AKB48の一期生・前田敦子が東京ドーム公演(の翌日に開催されるAKB48劇場での公演)をもってグループを卒業したのが2012年8月、そのとき彼女は山口百恵が引退した年齢と同じ、21歳だった。シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)である。

AKB48 チームAの劇場公演5th Stage「恋愛禁止条例」において秋元康は「黒い天使」(Spotifyではこちら)という曲を作詞した。3人のユニット曲で、前田敦子がセンターで歌った。

山口百恵のプレイバック Part2」は、真紅(まっか)なポルシェを飛ばしている女が、カーステレオを掛けると、ラジオから「勝手にしやがれ 出ていくんだろ」と流れてくるのでPlay Back (巻き戻して!)と叫ぶ。これは沢田研二が前年(1977)に歌った「勝手にしやがれ」(作詞:阿久悠)に呼応している。その歌詞の中で「やっぱりお前は出ていくんだな」とある。つまり状況として「プレイバック Part2」は男と喧嘩した女が夜中に家を飛び出し、運転する車上で心情を歌っている。一方、「黒い天使」は夜の渋滞する高速道路で男と喧嘩をした女が助手席のドアを開けて車を降り、ヒールを脱いでトボトボと車道を歩いている時のやけっぱちな心情を歌っている。構造が似ていると思いませんか?

今回のサブスク一斉解禁で初めて知り、心底驚いたことがある。1975年8月28日から31日まで開催された新宿コマ劇場における「第1回百恵ちゃん祭り」で、山口百恵はロック・ミュージカル「黒い天使」に取り組んでいたのである(音源はこちら)。このとき彼女はダウン・タウン・ブギウギ・バンドのヒット曲「スモーキン・ブギ」と「カッコマン・ブギ」を歌い、これが切っ掛けで今後歌いたい作曲家として宇崎竜童の名を挙げた。そして翌年に名曲「横須賀ストーリー」が誕生したのである。遂に山口百恵と前田敦子が繋がった!

秋元康は前田敦子に、山口百恵の面影をなんとか重ねようとしていた。しかし、あっちゃんは結局、百恵ちゃんにはならなかった。

また三期生の渡辺麻友が卒業する時に秋元が提供した楽曲「11月のアンクレット」の振付で、渡辺は最後にマイクをステージ中央に置き、後方に去る。言うまでもなく山口百恵さよならコンサート@武道館の再現である。しかし、まゆゆも百恵ちゃんではなかった。

こうして秋元は、まるで玩具に飽きた子供のように、急速にAKB48グループへの関心を喪失していった。

【大林宣彦再登場】AKB48のシングル「So long !」(センターはまゆゆ)ミュージック・ビデオの監督として秋元康は大林宣彦を起用した。ここで大林は自身の映画「この空の花 -長岡花火物語」の続編としてこのMVを仕上がっていたのだからぶっ飛んだ!なんと上映時間64分、破格の長さである。AKBファンは呆れ果てた。しかし秋元は大林の身勝手・大暴走を容認した。多分そこには「山口百恵を育て、見守った監督だから」という畏敬の念があったからではないだろうか?

【平手友梨奈】そんな状況下に、突如として救済の天使が現れた。平手友梨奈である。彼女を見て、誰しも目を見張った。醸し出す雰囲気が山口百恵そっくりだったからである。「山口百恵の再来」「平成の山口百恵」と世間で騒がれた。

Silent

僕は彼女なら、大林監督のライフワーク、福永武彦原作『草の花』のヒロイン、藤木千枝子を演じられるのではないかと思った(以前、尾美としのりと富田靖子主演で企画されていた)。しかし大林監督は既に病魔に侵され、結局『草の花』映画化は実現に至らなかった。

平手をセンターに据えた欅坂46のデビュー曲「サイレントマジョリティー」(動画はこちら)は気合が入っていた。秋元康の最高傑作と評しても過言ではない。またTAKAHIRO(上野隆博)の振付が凄かった。曲の途中で平手を旧約聖書のモーセに見立て、紅海を2つに割り、民を約束の地へ導く場面を描くのである(出エジプト記)。この解釈はTAKAHIROの発言もあり、間違いない。モーセは預言者であり、預言者とは神の言葉を人に伝える仲介者。日本で言えば巫女に相当する。つまり、秋元は平手=巫女と見立てていた。言うまでもなく彼女が仲介する女神とは山口百恵のことである。

実際に平手は巫女みたいな少女で、楽曲に没入するあまりトランス状態となり、ステージから転倒落下することもあった。2017年12月31日のNHK紅白歌合戦で「不協和音」をパフォーマンスしたときも過呼吸で倒れ、照明が暗くなってから他のメンバーに運ばれる事態となった。

平手がソロで歌った「渋谷からPARCOが消えた日」に、山口百恵「横須賀ストーリー」 「プレイバック Part2」「絶体絶命」のイメージが投影されていると感じるのは僕だけではあるまい。

秋元の平手に対する偏愛っぷりは常軌を逸していた。いくら平手以外のメンバーのファンたちから非難を浴びても、決して平手=絶対センターを譲らなかった。共犯者TAKAHIROは「二人セゾン」(動画こちら)の振り付けの最後に、平手以外のメンバー全員を欅の木=オブジェに変えてしまった。最早このグループは〈平手友梨奈と愉快な仲間たち〉状態であった。ファンが怒るのも無理はない。アルフレッド・ヒッチコック映画『めまい』でジェームズ・スチュワートが演じた主人公の狂気を、僕は秋元康の中に見た。彼は山口百恵の亡霊に取り憑かれていた(『めまい』のスコティはある事件がきっかけで高所恐怖症になり、警察を辞めて私立探偵となった。そこへ友人からの依頼で彼の妻マデリンを尾行するが、彼女は鐘楼の頂上から飛び降り自殺する。それからしばらく経ち、自責の念から神経衰弱に陥っていたスコティは街角でマデリンに瓜二つの女性ジュディを見かけ、彼女を追う。やがてふたりは親しくなるが、スコティは次第に正気を失い彼女の洋服、髪型、髪の色をマデリンと同じにしようと画策し始める……)。

2017年6月24日に幕張メッセで行われていた全国握手会ではナイフを持った男による襲撃未遂事件が発生、逮捕された犯人は「殺そうと思った」と供述した(容疑者が挙げた名前について警察は「言えない」としたが、平手が参加したレーンに並んでいた)。

「どうしていつも、てち(平手の愛称)ばかり優遇されて、私はセンターになれないの?」と運営に涙ながら訴えて、辞めていくメンバーもいた。

センターに立つ平手の背中を、他のメンバーの嫉妬に満ちた鋭い視線が射抜く。また前方客席からは「どうしてお前なんだ?」という怒気を帯びた圧が彼女を襲い、四方八方からズタズタに引き裂く。AKB48の絶対センター=前田敦子の心臓は意外と強かったが、満身創痍の平手友梨奈は次第に壊れていった。

それでも秋元康はその執着を緩めることなく、どんどん彼女を追い詰めた。次第にグループ内で孤立していく平手の心情を「不協和音」の歌詞に託し、「僕は嫌だ!」と絶叫させた。劇場版『さよなら銀河鉄道999』に登場したキャプテン・ハーロックならさしずめこう呟くだろう。「鬼だな…」

2018年の平手は体調が優れず、コンサートの休演が続き、その年末の紅白歌合戦も不参加。なんとか19年末の紅白には出演したがやはり過呼吸となり、パフォーマンス直後に倒れた。そして2020年1月23日、グループを(卒業ではなく)「脱退」することが電撃的に発表された。もう限界だった。しかし平手がやっぱり何かを「持っているな」と感じたのは、彼女が脱退した直後に新型コロナウィルスが日本を直撃し、「会いに行けるアイドル」というビジネス自体が崩壊してしまったこと。絶妙なタイミングだった。

こうして紫式部『源氏物語』の宇治十帖で、薫から亡くなった大君(おおいきみ)の人形(ひとがた;身代わりの人)として、その面影を重ねられた浮舟が入水自殺を図ったように、アイドル歌手・平手友梨奈は消え去った。しかし2020年秋に映画『さんかく窓の外側は夜』への出演が発表され、彼女は女優・平手友梨奈として再生しようとしている。果たして現代の薫=秋元康は、それでも浮舟=平手を追い求め続けるのか?今後のふたりの行く末を、しっかりと見届けたい。You ain't heard nothin' yet. (お楽しみはこれからだ。)

さて、ここまで書いてきたことを、読者の皆さんはひとりの男の単なる妄想だと失笑されるだろうか?

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2020年6月 2日 (火)

わが心の歌〈番外編〉祝サブスク解禁!!山口百恵の魅力について語り尽くそう。

Spotify, Apple Music, Amazon Music Unlimitedなど定額制音楽配信(サブスクリプション)サービスで聴けないアーティストたちが何人(組)かいる。

しかし2018年9月1日に井上陽水が、続いて同年9月24日に松任谷由実(ユーミン)、2019年8月31日に星野源、同年9月18日にPerfume、12月20日からサザン・オールスターズの全楽曲がサブスク解禁になった。僕は「もう残る大物アーティストは中島みゆき、米津玄師、山下達郎、RADWIMPS、そして山口百恵くらいだな」と思った。

ところが新型コロナウィルス蔓延により、多くの人々が自宅待機の生活を余儀なくされたことをきっかけに、まずRADWIMPSが2020年5月15日からサブスクを解禁した。漸く『君の名は。』や『天気の子』のサウンドトラック盤もサブスクで聴けるようになったのである。

そして5月29日に突如、山口百恵の全楽曲600曲以上がサブスクで一斉配信となった!!僕は狂喜乱舞した。彼女の引退から40年、待ちに待ったこの日が遂に来た。こうして今後の懸案事項は米津玄師、中島みゆき、山下達郎だけとなった。

Momo

僕は小学生の頃、百恵ちゃんが大好きだった。彼女一筋だったと言ってもいい。百恵ちゃんの引退とともにすっかり芸能界に興味を失い、代わってクラシック音楽や映画に夢中になるようになった。そして高校生の時、劇場で観た原田知世主演、大林宣彦監督の『時をかける少女』に衝撃を受けたわけだが、後に大林監督と山口百恵が浅からぬ縁だったことを知ることになる。

今の若い人は山口百恵のことなんか全く分からないだろうから、これを機会に彼女の魅力、そして後世にどれだけ甚大な影響を与えたかについて語り尽くそうと思う。彼女の強烈な輝きは、秋元康とか、元・欅坂46の平手友梨奈にまで波及することになる。

【来歴】山口百恵は1959年東京都渋谷区に生まれ、幼少期を神奈川県横須賀市で過ごした。だからホリプロのイメージ戦略上、「横須賀出身」ということになっている。彼女の歌う楽曲に「横須賀ストーリー」「横須賀サンセット・サンライズ」など横須賀を強調しているのはそのためである。また三浦友和との結婚式当日にリリースした32枚めのシングル「一恵」の作詞は横須賀恵となっており、百恵のペンネームである。作曲は「いい日旅立ち」の谷村新司。

彼女が生んだ長男がシンガーソングライターの三浦祐太朗(36)。全曲、山口百恵の楽曲をカヴァーしたアルバム「I'm HOME」をリリースし、レコード大賞企画賞を受賞した。次男は俳優の三浦貴大(34)で、大河ドラマ『いだてん』や、NHK連続テレビ小説『エール』に出演している。

【伝説のアイドル】山口百恵を伝説化している一つの要因として、純愛を貫き一人の男だけを愛し、21歳という若さで華やかなスポットライトから遠ざかって、その後一切老いた自分の姿をマスコミに見せないということもあるだろう(現在61歳)。こうした生き様の前例は女優のグレタ・ガルボと、小津安二郎の死去直後に引退した原節子くらいしかない。みじくも美しく燃え。桜の散り際のような潔さは、日本人の琴線に触れるのだ。

【大林宣彦】1973年5月21日に「としごろ」で歌手デビューしたが、実はその前に彼女はCMディレクターとして活躍していた大林宣彦監督と面会している。14歳だった。同年9月1日に発売された2枚目のシングル「青い果実」はかなりきわどい、アブナイ歌詞になっている。ドキッとする。後に〈青い性路線〉と呼ばれた。それは翌74年6月1日に発売された5枚目のシングル「ひと夏の経験」で頂点に達し、レコード大賞・大衆賞および日本歌謡大賞・放送音楽賞に輝き、その年末に「NHK紅白歌合戦」の紅組トップバッターとして初出場を果たした。なお大林監督が百恵に会ったのは、その当時から構想を練っていた映画『さびしんぼう』のヒロインを探していたのである(12年後に富田靖子主演で実現する)。

74年夏に放送されたグリコプリッツのCMで百恵は三浦友和と初めて出会った。演出したのは大林宣彦であった。ふたりが共演するグリコCMはその後長年続き(動画はこちらこちら)、同時に『伊豆の踊子』『潮騒』『春琴抄』『風立ちぬ』など名作文学の映画化でも百恵・友和は共演し(計12作)、「ゴールデンコンビ」と呼ばれた。ふたりの共演作『泥だらけの純情』で併映されたのが大林監督劇場デビュー作『HOUSE ハウス』(1977)。そして大林が監督した映画『ふりむけば愛』(1978)がリメイクでも原作付きでもない、ふたりにとって初めてのオリジナル作品となった。

ふたりが恋をしていることにはじめて気がついたのは大林監督であり、それはCMの撮影を通してだった(詳細は監督の著書を参照されたい)。そして『ふりむけば愛』のサンフランシスコ・ロケに際して監督は一日だけ撮影のない休暇日を設けて、ふたりに自由な時間を与えた。つまり大林監督こそが恋のキューピットだったのである。そして1979年10月20日、大阪厚生年金会館のコンサートで「私が好きな人は、三浦友和さんです」と百恵は恋人宣言を突如発表し(20歳)、80年10月5日に日本武道館で開催されたファイナルコンサートをもって引退した。歌唱終了後、彼女はマイクをステージの中央に置いたまま、静かに舞台裏へと歩み去った。この仕草がさらなる伝説を作った。さよならコンサートは現在、Blu-rayで鑑賞出来る。

【赤いシリーズ】百恵はTBSのテレビドラマ『赤い疑惑』『赤い運命』『赤い衝撃』『赤い絆』と4作品〈赤いシリーズ〉に主演した。父親役は大方が宇津井健で、『赤い疑惑』『赤い衝撃』では三浦友和と共演した。物語展開が奇想天外(『赤い運命』は伊勢湾台風で家族が生き別れになり、検事の娘と元殺人犯の娘が赤ん坊の時に入れ替わりとなって育てられる。『赤い衝撃』はスプリンターが銃撃により半身不随となる)で、演技が大仰な、いわゆる大映ドラマであり、後に堀ちえみの『スチュワーデス物語』が一世を風靡した(「教官!」「ドジでのろまなカメ」が流行語となった)。特に『赤い衝撃』は演出家として大映映画の増村保造(『妻は告白する』『黒の試走車』『赤い天使』『陸軍中野学校』)が関わっており、大映ドラマの礎を築いたと言えるだろう(『スチュワーデス物語』も増村が演出している)。僕はこの〈赤いシリーズ〉が大好きで、毎週見ていた。また1978年に百恵が主演し、TBSで放送されたテレビドラマ『人はそれをスキャンダルという』は三國連太郎や永島敏行が共演し、大林宣彦が演出を担当した。

【阿木燿子/宇崎竜童】歌手として山口百恵が全盛期を築いたのは間違いなく作詞家・阿木燿子、作曲家・宇崎竜童(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)という夫婦によるコンビとの出会いから始まる。1976年の「横須賀ストーリー」を皮切りに、78年「プレイバック Part 2」ではNHK紅白歌合戦で史上最年少となるトリを務めた(日本レコード大賞にノミネートされたが、受賞したのはピンク・レディーの「UFO」)。この頃の百恵の歌唱は、とにかく艶っぽい。しかしマリリン・モンローを代表とするセックス・アピールとは全然方向性が違っていて、強いて言えば〈健康的な色香〉がある。「プレイバック Part 2」でも未だ19歳なのだから恐るべし。こんなに大人びた10代のアイドルを僕は他に知らない。77年リリースの「夢先案内人」はアラビアン・ナイトの世界に迷い込んだような綺羅びやかな色彩感がある。これは原田知世によるカヴァーも良い(こちら)。そして僕がイチオシの歌は「夜へ…」。1979年4月1日に発売されたアルバム「A Face in a Vision」に収録されている。元々はNHK特集『山口百恵 激写/篠山紀信』のために制作されたもので、これはDVDで観ることが出来る。こちらもお勧め!

Gekisha

夜へ…」を愛聴するきっかけになったのは相米慎二監督の映画『ラブホテル』(1985)。公開された年にヨコハマ映画祭で第一位に輝いた。劇画作家・石井隆が脚本を書き、村木と名美という名の男女が登場する一連の作品群の一本。相米作品としては『台風クラブ』や『光る女』の方が優れていると思うが、『ラブホテル』で「夜へ…」が静かに流れる場面はゾクゾクした。Jazzyでノワール。

夜へ…」で阿木燿子の詞は連想ゲームを彷彿とさせる単語の羅列で始まる。まるで呪文のような妖しさが漂う。なんて素敵なんだろう!

【さだまさし/谷村新司】さだまさし作詞・作曲「秋桜」は1977年、谷村新司 作詞・作曲「いい日旅立ち」は78年にリリースされた。いずれも、さだや谷村にとっての最高傑作と言える。そういう曲を贈りたくなる魅力、オーラが山口百恵にはあるのだろう。「いい日旅立ち」は国鉄(現在のJR)の旅行誘致キャンペーン・ソングとしてCMなどに使われた(動画はこちら)。やはり大林監督が手掛けている。「秋桜」も「いい日旅立ち」も陰りのある曲調だ。こういうのが百恵にはよく似合う。しかし決して暗くなり過ぎない。これが中森明菜とか華原朋美だと、病的になる。薬漬けとか自殺未遂まで行くと、洒落にならない。引いてしまう。一方、百恵の場合は〈程よい健康的な陰り〉なのだ。

【菩薩】1979年に評論家の平岡正明は『山口百恵は菩薩である』を著した。後に広末涼子主演の映画『20世紀ノスタルジア』を撮った原将人監督は「広末涼子は女優菩薩である」と絶賛したが、これは平岡の著書を意識したものだろう。また写真家・篠山紀信が1970年代に最も多く撮った女性は百恵であり、彼女を「時代と寝た女」と称した。

【その後の友和】三浦友和は大林監督の劇場デビュー作『HOUSE ハウス』に友情出演し、百恵と結婚後も『彼のオートバイ、彼女の島』『野ゆき山ゆき海べゆき』『日本純情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』『なごり雪』『22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語』など大林映画の常連として活躍した。また大林監督の自伝的映画『マヌケ先生』では本人役(馬場鞠男)を演じた。

【わが心の歌】ここで僕が考える山口百恵の歌、ベスト12を選出しておこう。

長くなったので続きは後編へ。To Be Continued ...

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