「自粛警察」「コロナうつ」の心理学
5月9日のNHKニュース(出典こちら)より一部引用。
新型コロナウイルスの感染拡大に伴う外出の自粛や休業の要請に応じていないとSNSなどで指摘する行為はインターネット上で、「自粛警察」や「自粛ポリス」などと呼ばれています。専門家は「こうした行為は自分を守ろうという防衛本能のあらわれだが、社会に分断を生み出している」として冷静な行動を呼びかけています。
東京・杉並区では先月26日、営業を休止しているライブバーが無観客で行ったライブをインターネットで配信したところ何者かに通常の営業だと誤解され「自粛してください。次発見すれば、警察を呼びます」などと書かれた張り紙を貼り付けられました。
また東京都内在住の20代の女性が、感染が判明した後に帰省先の山梨県から高速バスで都内に戻ったケースでは、インターネットの掲示板に女性の名前や住所を特定する動きが加熱し、ネット・リンチ(私刑)だと話題になった。犯人探しというゲーム感覚でもあるのだろう。専門家らは「軽率な行動だったとしても個人情報をさらすのは行き過ぎだ」と警鐘を鳴らしている。
こうした動きの背景には”見えない敵”、新型コロナウィルスに対する不安や恐怖がある。昔の人が暗闇を恐れ、妖怪や幽霊を創造(空想)したのと同じ。「自粛警察」は自警団みたいのもので、恐怖に押しつぶされた彼らはその場にありもしない怪物(モンスター)に怯えている。過剰防衛と言えるだろう。
「恐怖心というものが迷信や残虐を生む。恐怖心を克服することが叡智につながる」(バートランド・ラッセル:英国の哲学者。ノーベル文学賞受賞)
不安な日々が続き、自粛疲れもあって僕たちは多大なストレス・心の闇を貯めている。行動を抑制されていることへの不満もある。そうしたモヤモヤした感情のはけ口として、自分の〈影 shadow〉を他者に投影しているという側面もあるだろう。第一次世界大戦後、敗戦国として多額の賠償金を請求され天文学的なインフレーションに苦しんだドイツにおいて、ナチス・ドイツがユダヤ人を憎悪の標的にした構造に似ている。生贄の羊(scapegoat)だ。
「自粛警察」は、いじめの構造を内包している。それは児童虐待にも通じる。なぜいじめるか?彼らにとって、いじめは楽しいのである。その行為の最中に脳内で〈報酬系〉と呼ばれる神経伝達物質ドーパミンが放出され、快感を覚える。本来ドーパミンは困難な目的・課題を達成した時に生じるが、麻薬・飲酒・ギャンブル・いじめでも短絡的放出をもたらす。ただし短絡的な充足は耐性を生じ、更に強い刺激を求めるようになる。飢餓感は癒やされず、際限のない自己刺激行為に陥る。いじめは非常に中毒性が高いのだ。
2019年に千葉県野田市で小学校4年生(当時)の栗原心愛さんが自宅浴室で死亡した虐待事件で、父親である勇一郎被告に対して懲役16年の判決が言い渡された。裁判の過程で娘が号泣する動画を勇一郎被告がデジタルカメラや携帯電話に残していることが明らかになった。つまり彼は後でそのコレクション(報酬)を見て楽しんでいたのである。絶滅収容所でナチスがユダヤ人から掻き集めた金歯・腕時計・指輪・髪の毛(鬘に使った)に相当する。常人には理解できない鬼畜の所業である。
「自粛警察」の匿名性も深く関わっているだろう。素性のばれない安全地帯から他人を非難するのは気持ちが良い。私刑はなんだか自分がアメコミのヒーロー(スーパーマン/バットマン/スパイダーマン)とか、大岡越前みたいな名奉行になって悪党を裁くような錯覚・達成感を与えてくれる。あくまでもそれは幻想に過ぎないのだが。彼らは「正義」の仮面(スパイダーマスク)をかぶり、「公事場(くじば)」と呼ばれる高みから「お白州(しらす)」という砂砂利に敷かれた筵(むしろ)に座る被告人を見下す。その優越感は、まるで酒に酔ったような夢心地だ。これが「正義中毒」である。いじめの構造にも「自分たちは正義を実行している」という感触(思い込み)がある。ユダヤ人絶滅収容所の看守たちも、第二次世界大戦後のパリ開放時に「ドイツ兵と寝た女」たちの頭を公衆の面前で丸刈りにするリンチを実行した者たちも、 中国の文化大革命で文化人に対し自己批判を強要した紅衛兵たちも、連合赤軍(新左翼運動)における総括も、同じ穴の狢である。また「モンスターペアレンツ」の所業にも似ている。彼らは“保護者”という安全地帯から学校や幼稚園の教職員を断罪する。そりゃ快感だろう。“保護者” に対して教師は下手に出るしかないのだから。「自粛警察」 もやはり、新型コロナウィルスへの恐怖が生み出した怪物(モンスター)だ。おぞましい。
「自粛警察」を自認する「社会正義の戦士」たちはロシア革命におけるプロレタリアートである。普段から社会にルサンチマン(恨み)を抱えて生きている(流行語大賞トップ10入り「保育園落ちた日本死ね!!!」)。ルサンチマンとは哲学者ニーチェが好んだ用語で、主に弱者が強者に対して、「憤り・怨恨・憎悪・非難」の感情を持つことをいう。だから他者を断罪することで心理的な価値の転倒、下剋上、一発逆転を狙っているのだ。それが多少の憂さ晴らしにはなるのだろう。なお、上述した栗原勇一郎被告は、観光業の派遣社員だった。
ルサンチマンは劣等感の裏返しであり、妬みでもあるだろう。「自分はしっかり自粛をしていろいろと我慢しているのに、どうしてあいつらだけ勝手気ままに振る舞っているのか!」という怒り、嫉妬心である。ここには日本人的な「私」より「公」を重んじる同調圧力(「武士は食わねど高楊枝」という滅私奉公の精神/清貧の思想)があると同時に、多少「羨ましい」という気分、自由への渇望がないとも言い切れまい。
「パニックになった時、人の本性は現れる」と僕は以前書いた。今回の件で改めて思い知ったのは「自然(ウィルス)もりも、もっともっと恐ろしいのは怪物を生む人の心である」ということだ。ぼっけえ、きょうてえ!
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参考文献:① 岡田尊司(著)「あなたの中の異常心理」幻冬舎新書
② 岡田尊司(著)「死に至る病 あなたを蝕む愛着障害」光文社新書
③ 河合隼雄(著)「影の現象学」講談社学術文庫
④アドルフ・ヒトラー(著)平野一郎 他(訳)「我が闘争」角川文庫
⑤フリードリヒ・ニーチェ(著)中山元(訳)「道徳の系譜学」光文社古典新訳文庫
⑥岩井志麻子(著)「ぼっけえ、きょうてえ」角川ホラー文庫
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