映画をワン・カットで撮る夢〜「1917 命をかけた伝令」
評価:A+
兎に角、全編(疑似)ワン・カットという手法の没入感が凄い!公式サイトはこちら。
実際には撮影期間が65日で、1ショットは長いもので9分だったそう(撮影監督ロジャー・ディーキンス談)。
映画をワン・カットで撮るという実験に最初に取り組んだのはアルフレッド・ヒッチコック監督「ロープ」(1948)である。当時の撮影用フィルムは1巻10分なので、10分以内の長回しのテイクが10カット用いられ、最終的に約80分の作品となっている。カットが入るところでは登場人物の背中や家具などにクローズアップし、全体がつながって見えるように演出している。
「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」(山田宏一/蓮實重彦 訳)の中でヒッチは次のように述べている。
「わたしは、一本の映画をまるまるワン・カットで撮ってしまうという、じつにばかげたことを思いついた。いまふりかえって考えてみると、ますます、無意味な狂ったアイディアだったという気がしてくるね」
しかし結局、トリュフォーとの対話を経て次のような結論に至る。
「カット割りこそ映画の基本だ」
その無謀な試みに再挑戦したサム・メンデスは、今回見事に成功している。「ロープ」では映画で流れる時間と上映時間がピッタリ一致するようになっているが、「1917」は日中に始まり、夜間撮影を経て翌日の夜明けを迎える。ワン・カットなのに何故!?という疑問を持たれるのは当然だが、どういう仕掛けなのかは実際の映画を御覧ください。
カメラは2人の伝令兵にピッタリと寄り添い、観客は彼らと一緒に戦場を体験する。ヴァーチャル・リアリティに近い感覚。
川に飛び込む場面以外、基本的にカメラが登場人物の目線より上に据えられることはない。だから我々は、延々と伸びる塹壕の閉塞感とか、高台を超えるとその先に敵兵がいるのではないか?という恐怖を彼らと共に味わうことになる。
意外にも格調高く、宗教的な映画であった。まず伝令兵が塹壕を出て敵地に向かおうとするときに上官があたかも司祭が聖水を振りかけるように彼らの背中に酒を撒く場面があり、目的地に向かう道中で生まれたばかりの生命に出会い(赤ちゃんに寄り添う女性は聖母マリアを彷彿とさせる)、やがて夜明けを告げる教会の鐘の音が鳴り響き、漸くたどり着いた森では静かに"(I Am a Poor) Wayfaring Stranger"(私は貧しい彷徨い人)という歌が聞えてくる。これは有名なアメリカの民謡・ゴスペル(福音音楽)で、19世紀ー特に南北戦争時代に流行った。
それをどうしてイギリス兵が聴いているのか?というのが問題だが、第一次世界大戦では約200万人のアメリカ兵、通称「サミー(Sammy)」が大西洋を渡ってヨーロッパに遠征し、連合国軍の一員として戦った。そのうち5万人以上が戦死、20万人以上が負傷したという。1917年には"I'm Writing to You, Sammy"という歌がニューヨークのレーベル、Broadway Music Co. からリリースされている。冒頭の歌詞はこうだ。
I'm writing to you Sammy
And you're somewhere in Franceサミー、私は貴方に手紙を書いています。
貴方はフランスの何処かにいるのね。
映画にはインド人や黒人の兵士も登場する。
そして最後、伝令兵が座り込むのは旧約聖書の創世記に記された“生命の樹(Tree of Life)”だ。ここはどうしてもアンドレイ・タルコフスキーの遺作「サクリファイス」を思い出した。「サクリファイス」は核戦争をテーマにしており、明らかに「1917」に繋がっている。
「私の周りを暗い雲が覆い、私が行く道は荒れて険しい。私はヨルダン川を越えて行く。しかし、苦難に満ちたこの世界を旅した先には黄金色に輝く野原が広がっている。そこは神に救い出された者たちが休むところ」という"Wayfaring Stranger"の歌詞と映画の物語がピッタリと一致している(シンクロニシティ)。
そして、それまでずっと暗雲立ち込めていた雲が“生命の樹”を中心として次第に晴れ渡っていく演出は荘厳で、お見事としか言いようがない。
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