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2020年2月27日 (木)

【考察】音楽とは何か?〜J.S.バッハ・オルガン作品演奏会:小糸 恵

いずみホールとバッハ・アルヒーフ・ライプツィヒ共同企画、今回登場したオルガニストはローザンヌ高等音楽院のオルガン科教授を務める小糸 恵である。いずみホール音楽ディレクターだった礒山 雅が不慮の事故(雪で足を滑らせ転倒、頭部を強打)で亡くなったのが2018年2月22日。その2年後の命日に同ホールで演奏会が行われた。

Koito

オール・J.S.バッハ・プログラムで、

  • プレリュードとフーガ ハ長調 BWV 545
  • “いざ来ませ、異邦人の救い主” BWV 659
  • “われらが神は堅き砦” BWV 720
  • “心よりわれこがれ望む” BWV 727
  • “われはいずこにか逃れゆくべき” BWV 646
  • “来ませ、造り主なる聖霊の神よ” BWV 667
  • トリオ ト短調 BWV 584
  • プレリュードとフーガ ト短調 BWV 535
    (休憩)
  • “おお人よ、汝の大いなる罪を嘆け” BWV 622
  • プレリュード ハ短調 BWV 546/1
  • Vn.とチェンバロのためのソナタ第3番 第1楽章(小糸恵編)
  • “バビロンの流れのほとりに” BWV 653
  • トッカータとフーガ ニ短調 BWV 538(ドリア調)

アンコールは、

  • カンタータ「神の時こそ良き時」 BWV 106から
    第1曲 ソナティーナ

「神の時こそ良き時」は別名「哀悼行事」と呼ばれ、葬儀の時に演奏するものと推測されている。つまり礒山への追悼としてわざわざ選ばれた楽曲だった。

2013年3月に小糸や礒山がステージに立った、次のような講演を僕は聴いている。

小糸のオルガン演奏は色彩豊かで(音色の選択が洗練されている。特に葦笛のようなコラール!)、力強く、動的(powerful & dynamic)。腹にこたえる、ずっしりした響きがある。

バッハの音楽、特にカンタータや受難曲、オルガン曲は神への捧げ物、供物であった。貴方がキリスト教徒であるかどうかに関わらず、生で演奏されるバッハのオルガン曲は間違いなく聴衆に神秘的な「ヌミノース体験」をもたらす。それはベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタ(第30,31,32番)や、後期弦楽四重奏曲(「大フーガ」,第14,15番)も同様である。

ヌミノースとは、「宗教体験における非合理的なもの」を指し、もともとはドイツの宗教学者であるルドルフ・オットーが提唱した宗教学の用語である。スイスの精神科医/心理学者カール・グスタフ・ユングはヌミノースについて「意志という恣意的な働きによって引き起こし得ない力動的な作用もしくは効果である。逆にヌミノースは、人間という主体を捉え、コントロールする。(中略)ヌミノースは、目に見える対象に帰属する性質でもあれば、目に見えない何ものかの現前がもたらす影響でもあり、意識の特異な変容を引き起こす」と述べている。「ヌミノース体験」に関して詳しくは、京都文教大学 松田真理子 准教授の解説をお読み頂きたい→こちら

早い話がヌミノース=「スター・ウォーズ」におけるフォースである。「ヌミノース体験」は瞑想や祈り、LSDなどのドラッグによるトリップでも獲得出来る。ザ・ビートルズの名盤「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に収録された"ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ(Lucy In The Sky With Diamonds) "はこの「ヌミノース体験」を歌っている。タイトルの頭文字を繋げたらLSDになるでしょ?正にサイケデリック・ミュージックである。

僕が中学生の時に読んだトルストイの「戦争と平和」で、今でも鮮烈に覚えている場面がある(以降、再読はしていない)。ロシア貴族で青年士官のアンドレイは、ロシア軍とナポレオン率いるフランス軍との〈アウステルリッツの戦い〉に臨み、敵弾に撃たれ仰向けに倒れる。そこで彼が見たのは高い空だった。そして次のように思う。

なんて静かで、落ち着いていて、おごそかなんだろう。おれが走っていたのとはまるで違う。

おれたちが走り、わめき、取っ組み合っていたのとはまるで違う。憎しみのこもった、怯えた顔で、フランス兵と砲兵が砲身清掃棒を奪い合っていたのとはまるで違うーまるで違って、この高い果てしない空を雲が流れている。どうしておれは今までこの高い空が見えなかったのだろう?そして、おれはなんて幸せなんだろう、やっとこれに気づいて、そうだ!すべて空虚だ、すべて偽りだ、この果てしない空以外は。何も、何もないんだ、この空以外は。いや、それさえもない、何もないんだ、静寂、平安以外は。ありがたいことに!、、

藤沼貴 訳/岩波文庫)

つまりアンドレイにとって空は神に等しい存在となった。これも「ヌミノース体験」と言えるだろう。

万葉集研究の第一人者で、新元号「令和」の考案者だと目される中西進は著書「万葉の秀歌」(ちくま学術文庫)において、御神酒(神前に供える。新海誠「君の名は。」の口噛み酒)を次のように説明する。

酒を飲むと、不思議な精神状態、すなわち「アソ」(ぼんやりした)なる状態になるので、神と人間との交流を可能にする陶酔と恍惚をつくりだすものとして、人々は酒を供えた。また音楽を奏してもアソになるので、これを神前に奏した。琴や鼓笛などの楽器は「あそぶ」もので、あそぶはアソなる状態になることであった。

つまり酒を飲んで「アソ」になるのはヌミノース体験そのものである。そして今回、小糸の演奏で聴いたバッハのオルガン音楽も「アソ」な気分に誘(いざな)ってくれた。特に「トッカータとフーガ ニ短調(ドリア調)」のクライマックスでは、閉じた瞳の中に眩い光のシャワーが放射状に降り注ぐのが見えたような錯覚に囚われた。僕はスティーブン・スピルバーグ監督「未知との遭遇」で巨大なマザーシップ(≒曼荼羅)が降臨してくる場面を思い出した。

この演奏会はNHKによりテレビ収録されており、2020年3月13日(金)5:00よりBSプレミアム「クラシック倶楽部」で放送される予定。

遊びをせむとや生まれけむ
戯(たはぶ)れせむとや生まれけむ
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さへこそゆるがるれ


(梁塵秘抄:りょうじんひしょうー平安時代の流行歌)

 

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