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2020年2月

2020年2月28日 (金)

新型コロナウィルスと”浮草稼業“

新型コロナウィルス感染症の影響で、どんどんコンサートや各種イベントが中止に追い込まれている。2020年2月26日(水)、Perfumeが予定していた東京ドーム公演の2日目が中止された。開演5時間前の決定だった。新聞記事によると東京ドームのキャンセル料は実損2億円だという。

僕は2月29日(土)に兵庫県立芸術文化センターでフィンランドの俊英サントゥ=マティアス・ロウヴァリが指揮するエーテボリ交響楽団を聴く予定だったが、26日夕方に公演中止がアナウンスされた。なんとオーケストラの楽員は既に、遥々スウェーデンから日本に到着していた。一度も演奏することなく帰国することになった彼らがとても気の毒だ。

また37()8()にびわ湖ホールで上演される予定だったワーグナーのオペラ「神々の黄昏」も中止が決定された。「ニーベルングの指環」4部作を4年間かけて上演する大プロジェクトの最後を飾る筈の作品だった。チケットは既に購入しており、無念で仕方ない。

びわ湖ホールは赤字経営で滋賀県は毎年、11億円という助成金を出している。「神々の黄昏」の制作費は1億6千万円。その収益が0になった。果たして今後も存続出来るのだろうか!?

東京・帝国劇場や大阪・梅田芸術劇場、宝塚大劇場、劇団四季の全国の劇場もこの先2週間前後の公演中止を決定した。

さて、ミュージカル「レ・ミゼラブル」でジャン・バルジャンを演じたこともある某役者が、新型コロナ騒動に関して「文化、芸術だって経済を動かしている。劇場公演を中止するのなら、電車も止めろ」とツィートしている。また映画「蜜蜂と遠雷」でサウンド・トラック制作にも参加した某ピアニストは、「政府の要請を受け音楽業界は大騒ぎ、中止や公演延期が次々発表されていく。その一方、都内のラッシュ時に電車は相変わらず満員で、駅は大混雑。ウィルス拡散防止のバランスはこれでいいの?」という旨をSNSで呟いている。

呆れてしまった。そしてその直後からこみ上げてくる笑い。彼らは自分たちの職業が、”浮草稼業”であるという自覚がないのだろうか?

物事には優先順位がある。生命の危機に晒された緊急事態にまずカットされるのは音楽や芸能活動、娯楽、つまり全てひっくるめてAmusement & Entertainmentであることは仕方がないことだ。人が生きていく上で音楽や芝居がなくても差し障りはない(この際、”心の豊かさ”は二の次。そんな余裕はない)。

しかし首都圏の電車を止めたらどうなる?(職員の通勤に支障をきたし)霞が関や病院が機能しなくなっても構わないのか?電気やガスが止まって良いとでも?食料の流通もままならなくなる。ライフラインと芸能活動を等価で語るのは非常識だろう。

そもそも安倍総理は大規模なイベントの中止・延期を「要望(リクエスト)」しているのであって、これは行政命令ではない。主催者が総理の意向を忖度(そんたく)しているに過ぎない。あるいは日本人の特徴である同調圧力と言い換えることも出来る。強制力はないのだから「右にならえ」せず、したい者は信念を持って公演を続行すればいい。

上方落語界で唯一の人間国宝だった故・桂米朝は弟子入りした折、師匠の米團治から次のように言われたという。

「芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が良いの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに、むさぼってはいかん。ねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へのお返しの途はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで」

音楽家にしろ役者にしろ「米一粒、釘一本もよう作らん」身の上であり、「ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へのお返しの途はない」のも全く同じだろう。そういう”浮草稼業”でありながら、噺家と違って彼らに欠けているのは末路哀れという「覚悟」なのではないか?浮世離れしているというか、頭の中がお花畑なのだ。

こうした常識外れな音楽家たちの生態を見事に描き出したのが漫画「のだめカンタービレ」である。登場人物たちは全員、社会性が欠如した奇人・変人ばかり。でも芸術家って、きっとそれでいいのだ。世間は彼らの突出した才能だけすくい取って、消費する。そういう社会システムになっている。

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2020年2月27日 (木)

【考察】音楽とは何か?〜J.S.バッハ・オルガン作品演奏会:小糸 恵

いずみホールとバッハ・アルヒーフ・ライプツィヒ共同企画、今回登場したオルガニストはローザンヌ高等音楽院のオルガン科教授を務める小糸 恵である。いずみホール音楽ディレクターだった礒山 雅が不慮の事故(雪で足を滑らせ転倒、頭部を強打)で亡くなったのが2018年2月22日。その2年後の命日に同ホールで演奏会が行われた。

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オール・J.S.バッハ・プログラムで、

  • プレリュードとフーガ ハ長調 BWV 545
  • “いざ来ませ、異邦人の救い主” BWV 659
  • “われらが神は堅き砦” BWV 720
  • “心よりわれこがれ望む” BWV 727
  • “われはいずこにか逃れゆくべき” BWV 646
  • “来ませ、造り主なる聖霊の神よ” BWV 667
  • トリオ ト短調 BWV 584
  • プレリュードとフーガ ト短調 BWV 535
    (休憩)
  • “おお人よ、汝の大いなる罪を嘆け” BWV 622
  • プレリュード ハ短調 BWV 546/1
  • Vn.とチェンバロのためのソナタ第3番 第1楽章(小糸恵編)
  • “バビロンの流れのほとりに” BWV 653
  • トッカータとフーガ ニ短調 BWV 538(ドリア調)

アンコールは、

  • カンタータ「神の時こそ良き時」 BWV 106から
    第1曲 ソナティーナ

「神の時こそ良き時」は別名「哀悼行事」と呼ばれ、葬儀の時に演奏するものと推測されている。つまり礒山への追悼としてわざわざ選ばれた楽曲だった。

2013年3月に小糸や礒山がステージに立った、次のような講演を僕は聴いている。

小糸のオルガン演奏は色彩豊かで(音色の選択が洗練されている。特に葦笛のようなコラール!)、力強く、動的(powerful & dynamic)。腹にこたえる、ずっしりした響きがある。

バッハの音楽、特にカンタータや受難曲、オルガン曲は神への捧げ物、供物であった。貴方がキリスト教徒であるかどうかに関わらず、生で演奏されるバッハのオルガン曲は間違いなく聴衆に神秘的な「ヌミノース体験」をもたらす。それはベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタ(第30,31,32番)や、後期弦楽四重奏曲(「大フーガ」,第14,15番)も同様である。

ヌミノースとは、「宗教体験における非合理的なもの」を指し、もともとはドイツの宗教学者であるルドルフ・オットーが提唱した宗教学の用語である。スイスの精神科医/心理学者カール・グスタフ・ユングはヌミノースについて「意志という恣意的な働きによって引き起こし得ない力動的な作用もしくは効果である。逆にヌミノースは、人間という主体を捉え、コントロールする。(中略)ヌミノースは、目に見える対象に帰属する性質でもあれば、目に見えない何ものかの現前がもたらす影響でもあり、意識の特異な変容を引き起こす」と述べている。「ヌミノース体験」に関して詳しくは、京都文教大学 松田真理子 准教授の解説をお読み頂きたい→こちら

早い話がヌミノース=「スター・ウォーズ」におけるフォースである。「ヌミノース体験」は瞑想や祈り、LSDなどのドラッグによるトリップでも獲得出来る。ザ・ビートルズの名盤「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に収録された"ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ(Lucy In The Sky With Diamonds) "はこの「ヌミノース体験」を歌っている。タイトルの頭文字を繋げたらLSDになるでしょ?正にサイケデリック・ミュージックである。

僕が中学生の時に読んだトルストイの「戦争と平和」で、今でも鮮烈に覚えている場面がある(以降、再読はしていない)。ロシア貴族で青年士官のアンドレイは、ロシア軍とナポレオン率いるフランス軍との〈アウステルリッツの戦い〉に臨み、敵弾に撃たれ仰向けに倒れる。そこで彼が見たのは高い空だった。そして次のように思う。

なんて静かで、落ち着いていて、おごそかなんだろう。おれが走っていたのとはまるで違う。

おれたちが走り、わめき、取っ組み合っていたのとはまるで違う。憎しみのこもった、怯えた顔で、フランス兵と砲兵が砲身清掃棒を奪い合っていたのとはまるで違うーまるで違って、この高い果てしない空を雲が流れている。どうしておれは今までこの高い空が見えなかったのだろう?そして、おれはなんて幸せなんだろう、やっとこれに気づいて、そうだ!すべて空虚だ、すべて偽りだ、この果てしない空以外は。何も、何もないんだ、この空以外は。いや、それさえもない、何もないんだ、静寂、平安以外は。ありがたいことに!、、

藤沼貴 訳/岩波文庫)

つまりアンドレイにとって空は神に等しい存在となった。これも「ヌミノース体験」と言えるだろう。

万葉集研究の第一人者で、新元号「令和」の考案者だと目される中西進は著書「万葉の秀歌」(ちくま学術文庫)において、御神酒(神前に供える。新海誠「君の名は。」の口噛み酒)を次のように説明する。

酒を飲むと、不思議な精神状態、すなわち「アソ」(ぼんやりした)なる状態になるので、神と人間との交流を可能にする陶酔と恍惚をつくりだすものとして、人々は酒を供えた。また音楽を奏してもアソになるので、これを神前に奏した。琴や鼓笛などの楽器は「あそぶ」もので、あそぶはアソなる状態になることであった。

つまり酒を飲んで「アソ」になるのはヌミノース体験そのものである。そして今回、小糸の演奏で聴いたバッハのオルガン音楽も「アソ」な気分に誘(いざな)ってくれた。特に「トッカータとフーガ ニ短調(ドリア調)」のクライマックスでは、閉じた瞳の中に眩い光のシャワーが放射状に降り注ぐのが見えたような錯覚に囚われた。僕はスティーブン・スピルバーグ監督「未知との遭遇」で巨大なマザーシップ(≒曼荼羅)が降臨してくる場面を思い出した。

この演奏会はNHKによりテレビ収録されており、2020年3月13日(金)5:00よりBSプレミアム「クラシック倶楽部」で放送される予定。

遊びをせむとや生まれけむ
戯(たはぶ)れせむとや生まれけむ
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さへこそゆるがるれ


(梁塵秘抄:りょうじんひしょうー平安時代の流行歌)

 

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2020年2月19日 (水)

木嶋真優 & イリヤ・ラシュコフスキー デュオ・リサイタル

2月2日兵庫県立芸術文化センター@西宮へ。

上海アイザック・スターン国際ヴァイオリン・コンクールで優勝した木嶋真優と、恩田陸の小説「蜜蜂と遠雷」で有名になった浜松国際ピアノコンクールで優勝したロシア出身のイリヤ・ラシュコフスキーを聴く。

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  • シューマン:幻想小曲集
  • シューマン:アラベスク(ピアノ・ソロ)
  • フランク:ヴァイオリン・ソナタ
  • プロコフィエフ:「ロメオとジュリエット」組曲(リディア・バイチ 編)
  • プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ 第2番

アンコールは

  • グラズノフ:瞑想曲 ニ長調 Op.32
  • スメタナ:わが故郷より
  • チャイコフスキー:「白鳥の湖」より“黒鳥”

シューマン「幻想小曲集」は元々、クラリネットとピアノのために書かれたもの。

プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ 第2番の原曲はフルート・ソナタで、これを聴いたダヴィド・オイストラフが作曲家にヴァイオリンへの編曲を熱心に勧め、オイストラフ自身が初演した。

木嶋は兵庫県神戸市生まれで、学生時代に西宮北口で阪急電車を乗り換え、小林駅まで通学していたという(小林聖心女学院小・中学校卒業)。

非常に雄弁で情熱的な演奏だった。大ホールの2階席中央で聴いたが、しっかり音が飛んできた。ラシュコフスキーのピアノは達者だが、余り印象に残らず。

2000席が完売。大したものだ。

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2020年2月14日 (金)

岩井俊二監督「ラストレター」と新海誠/大林宣彦

評価:A

映画公式サイトはこちら

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アニメーション映画「秒速5センチメートル」を初めて観た時に感じたのは、新海誠監督は大林宣彦と岩井俊二の映画が大好きなんだなということ。例えば踏切の場面に「転校生」の影響が感じられる。それは後に「君の名は。」の男女入れ替わりに「転校生」が、タイムリープや終盤の男女のすれ違いに「時をかける少女」が反映されることで確信に変わることになる(「天気の子」で陽菜の体がふっと消え失せるのは「さびしんぼう」だ)。

「秒速5センチメートル」はさらに、岩井の劇場用長編映画第1作 「Love Letter」への熱烈なオマージュがしっかりと刻印されている。特に学校の教室の窓が開いていて、カーテンが風に揺れる場面。そして図書室の貸出カードを触媒として、男女がつながるアイディア。正に「失われた時を求めて」(マルセル・プルースト著)である。

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岩井俊二「Love Letter」より

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新海誠「秒速5センチメートル」より

その後、岩井と新海は急接近し、何度も対談する仲となる。そして岩井はアニメーション映画「花とアリス殺人事件」で"Special thanks to"として新海誠をクレジットし、その返礼として新海は「君の名は。」のエンドロールで岩井俊二の名を挙げた。

新海は「ラストレター」に対して次のような賛辞を送っている。

ラブレターのいくつもの誤配や錯綜が、人生を作っていく。その美しさを教えてくれるのは、傘をさした二人の少女だ。岩井俊二ほどロマンティックな作家を、僕は知らない。

「君の名は。」で声優を務めた神木隆之介と「天気の子」の森七菜が「ラストレター」に出演していることも見逃せない。クロスオーバーだ。共犯関係と言い換えても良い。

「ラストレター」は紛うことなき岩井俊二の集大成である。「Love Letter」で主演した中山美穂と豊川悦司が中盤で登場するし(トヨエツがユング心理学で言うところの、主人公の影 Shadowの役割を果たしているのが面白い)、学校の教室の開いた窓、揺れるカーテン、そして図書室の場面もちゃんと用意されている。

さらに岩井の過去作「四月物語」から松たか子が、岩井が主演した映画「式日」からは監督・庵野秀明が今度は役者として出演している。なお庵野は漫画家役なのだが、彼が仕事中に聴いているのが芥川也寸志が作曲した映画「八甲田山」のサントラというのが粋だね(ガイナックス元代表取締役社長の岡田斗司夫が「庵野は『日本沈没』とか『八甲田山』が好き」と証言している)。試聴はこちら

あと小学生の男の子たちの使い方が「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を彷彿とさせる。そして嗚呼、浴衣姿の広瀬すずと森七菜が、廃校のプールで花火をする場面!「打ち上げ花火」の奥菜恵を想い出して胸がキュンとなった。

岩井俊二は少女が輝く最高の瞬間を掴み取り、フィルムの中に永遠に閉じ込める才能に長けた人である。その代表例が「打ち上げ花火」の奥菜恵であり、「Love Letter」の酒井美紀、「花とアリス」の蒼井優(特にバレエのシーン!)も挙げられよう。今回「ラストレター」の森七菜がそのリストに加わった。

予告編でショパン作曲「別れの曲」が使われていたので、「ラストレター」は大林映画「さびしんぼう」へのオマージュなのか?と僕は予想を立てていた。しかし本編で「別れの曲」は使用されず、代わりに驚くべき仕掛けが待ち受けていた。

「ラストレター」の主人公・鏡史郎(福山雅治)は中年の小説家で東京に住んでいる。彼はふとしたことから古里の仙台に帰る。そこで、初恋の相手・未咲とそっくりの少女・鮎美(広瀬すずが一人二役)に出会う。鮎美は亡くなった未咲の娘だった。

このプロット、実は大林映画「はるか、ノスタルジィ」とそっくり同じなのだ!!「はるか、ノスタルジィ」の綾瀬慎介も小説家であり、両者とも帰郷時にカメラをストラップで首から胸に下げている

また姉妹が登場し、ひとりの男と三角関係になり、姉が死ぬという物語構造は大林映画「ふたり」(赤川次郎 原作)を彷彿とさせる。

岩井は最近、大林監督と親しくしており、「フィルムメーカーズ ⑳ 大林宣彦」(宮帯出版社)に寄稿している。「ラストレター」は実質的に岩井版「はるか、ノスタルジィ」だった。

そして「ラストレター」の鏡史郎と、「はるか、ノスタルジィ」の綾瀬慎介の(ある意味狂気を感じさせる)妄執は、更に遡ってアルフレッド・ヒッチコック監督の「めまい」に接続している。映画は繋がっている。新海誠の言葉を借りるなら〈ムスビ(産霊)〉ということになるだろう

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2020年2月13日 (木)

アカデミー賞 2020 宴の後に

今年のアカデミー賞授賞式は韓国映画「パラサイト 半地下の家族」が国際長編映画賞のみならず、作品賞・監督賞・オリジナル脚本賞の4部門に輝くという前代未聞の快挙で幕を閉じた。

そもそも韓国映画が国際長編映画賞(今年から名称が変更、昨年までは外国語映画賞)にノミネートされること自体が初めてであり、韓国人がアカデミー賞を受賞したことも今まで一度もない(日本人は「サヨナラ」でナンシー梅木が助演女優賞、「ラスト・エンペラー」で坂本龍一が作曲賞、「乱」でワダエミ、「ドラキュラ」で石岡瑛子が衣装デザイン賞、「ウィンストン・チャーチル」で辻一弘がメイクアップ賞、「千と千尋の神隠し」で宮崎駿が長編アニメーション映画賞などを受賞している)。ところがポン・ジュノ監督がいきなり4つもオスカー像を攫っていった。天才が歴史を動かす。

なお辻一弘は今年も「スキャンダル」で受賞したのだが、2019年3月に米国に帰化し、カズ・ヒロ(Kazu Hiro)に改名、日本国籍を捨てたので、最早日本人受賞者と呼べないかも知れない。

外国語映画がアカデミー作品賞を受賞するのは史上初(過去にフランス映画「アーティスト」が受賞したが、ハリウッドが舞台でダイアログも英語だった)。そもそも大半のアメリカ人は字幕で映画を観るという習慣がない(そこがフランス人との大きな違いだ)。ブルッキングス研究所メトロポリタン政策プログラムがまとめた報告書(2014年)によると、米国では生産年齢人口(16歳から64歳)の10人に1人が、英語力に問題を抱えているとされる(詳しくはこちら)。

アジア人が監督賞を受賞するのは台湾のアン・リー(「ブロークバック・マウンテン」「ライフ・オブ・パイ」)に続いて2人目となる。

僕の事前予想で的中したのは17部門。内訳は演技賞4部門すべて・脚本・脚色(原作あり)・視覚効果・メイクアップ・衣装デザイン・撮影・編集・短編ドキュメンタリー・国際長編映画・録音・作曲・短編アニメ・短編実写の各賞である。

今年出版された【なぜオスカーはおもしろいのか? 受賞予想で100倍楽しむ「アカデミー賞」 (星海社新書)】の著者、Ms.メラニーの的中が17部門なので同数 tie(昨年は僕が1部門上回った)。映画評論家・清水節 氏や「総合映画情報サイト」オスカーノユクエ氏も17部門当てた。

視覚効果賞のプレゼンターとして映画「キャッツ」に出演しているジェームズ・コーデンとレベル・ウィルソンが着ぐるみの猫姿で登場し自虐ネタを披露(動画はこちら!)。僕は大爆笑したのだが、視覚効果協会(The Visual Effects Society)は公式サイトで声明を発表し「アカデミーがVFXをジョークの的にしたことに心から失望した」と批判した。いやいや、協会も大人げないな。冗談ぐらい軽く受け流せよ!なお「キャッツ」は最低映画を決める祭典、ゴールデンラズベリー賞(ラジー賞)において、最低作品賞を含む最多9ノミネートを果たしている(コーデンとウィルソンも目出度く候補入り)。もう踏んだり蹴ったり。これこそ正に〈ねこふんじゃった〉だ。

また「アナと雪の女王」の主題歌〈イントゥ・ジ・アンノウン~心のままに〉をオリジナル歌手イディナ・メンゼルを筆頭に、日本の松たか子ら10カ国のエルサがそれぞれの言語で歌うパフォーマンスは圧巻だった。

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「パラサイト 半地下の家族」に登場するジャージャー・ラーメン(チャパゲティ+ノグリ=チャパグリ)で、ポン・ジュノの快進撃をお祝いした。唐辛子が効いて、か、辛い!でも美味い!!

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2020年2月 9日 (日)

2020年 アカデミー賞大予想!

恒例の第92回アカデミー賞受賞予想である。相当自信がある(鉄板)部門には◎を付けた。

  • 作品賞:1917 命をかけた伝令
  • 監督賞:サム・メンデス「1917 命をかけた伝令」
  • 主演女優賞:レニー・ゼルウィガー「ジュディ 虹の彼方に」◎
  • 主演男優賞:ホアキン・フェニックス「ジョーカー」
  • 助演女優賞:ローラ・ダーン「マリッジ・ストーリー」◎
  • 助演男優賞:ブラッド・ピット「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」◎
  • 脚本賞(オリジナル):ポン・ジュノほか「パラサイト 半地下の家族」◎
  • 脚色賞(原作あり):タイカ・ワイティティ「ジョジョ・ラビット」
  • 視覚効果賞:1917 命をかけた伝令
  • 美術賞:イ・ハジュン「パラサイト 半地下の家族」
  • 衣装デザイン賞:ジャックリーン・デュラン「ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語」
  • 撮影賞:ロジャー・ディーキンス「1917 命をかけた伝令」◎
  • 長編ドキュメンタリー賞:娘は戦場で生まれた
  • 短編ドキュメンタリー:Learning to Skateboard in a Warzone
  • 編集賞:フォード vs フェラーリ
  • 国際長編映画賞:パラサイト 半地下の家族◎
  • 音響編集賞(Sound Editing):1917 命をかけた伝令
  • 録音賞(Sound Mixing):1917 命をかけた伝令
  • メイクアップ賞:辻一弘ほか「スキャンダル」◎
  • 作曲賞:ヒドゥル・グドナドッティル「ジョーカー」◎
  • 歌曲賞:Stand Up「ハリエット」
  • 長編アニメーション賞:クロース
  • 短編アニメーション賞:Hair Love
  • 短編実写映画賞:向かいの窓

今回の予想で打った大博打は「美術賞」と「歌曲賞」である。

美術賞で大方の予想は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」となっている。しかし僕はどうしてもあの映画の美術が優れていると思えない。「パラサイト」の方が断然モダンで美しい。目を引く。だから自分の直感に賭ける。

歌曲賞は映画「ロケットマン」のためにエルトン・ジョンが作曲した"(アイム・ゴナ)ラヴ・ミー・アゲイン"が獲ると言われている。これにも納得がいかない。はっきり言う。エルトンの曲はもう古臭い、ダサい。21世紀の音楽じゃない。だから僕は聴いて素敵だなと思う「ハリエット」の"Stand Up"に一票を投じる。それともう一つ。今年、演技賞にノミネートされた20人の役者のうち、非白人は「ハリエット」のシンシア・エリボただ一人である。しかし、シンシアが受賞で出来ないことは既に決まっている。レニー・ゼルウィガーが鉄板だからだ。するとまた今年のアカデミー賞は"Too White (白すぎる)!"と非難されることになるのは間違いない。アカデミー会員としてはその事態をどうしても避けたい。人種差別主義者と烙印を押されることを彼らは心底恐れている。しかし、歌曲賞を「ハリエット」に与えれば、それを作り歌ったシンシアを讃えることが出来て、万事丸く収まるというわけ。昨年「アリー/スター誕生」で主演女優賞にノミネートされながらも受賞を逃したレディー・ガガに、歌曲賞を与えたように。

肌の色(人種)問題同様、#MeToo 運動を経た今年は女性受賞者が増えることになるだろう。「ジョーカー」のヒドゥル・グドナドッティルがそのひとり。アイスランドのチェリスト兼作曲家だ。ドキュメンタリー映画「娘は戦場で生まれた」のワアド・アルカティーブ(共同)監督もそう。そういう意味で、脚色賞に「ストーリ・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語」のグレタ・ガーウィグというサプライズ受賞の可能性も捨て切れないんだな〜。グレタは監督賞候補に漏れてとても気の毒だった。だから当然、世間から「今年も候補者は男ばっかり!」と徹底的に叩かれた。

オリジナル脚本賞は「パラサイト 半地下の家族」のポン・ジュノと「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」のクエンティン・タランティーノとの頂上決戦。でもタラちゃんは過去に「パルプ・フィクション」と「ジャンゴ 繋がれざる者」で二度同賞を受賞しているから、もういいんじゃない?

音響編集・録音賞は「1917 命をかけた伝令」と「フォード vs フェラーリ」の一騎打ち。どちらに転ぶかは蓋を開けてみないと判らない。視覚効果賞は「1917 命をかけた伝令」 でなければ「アイリッシュマン」だ。

長編アニメーションは「トイ・ストーリー4」という予想が主流なのだけれど、過去この部門で続編が受賞したことは一度も無いんだよ。唯一の例外が「トイ・ストーリー3」なのだけれど、「トイ・ストーリー」「トイ・ストーリー2」が公開された時は、長編アニメーションという部門自体が無かったという特殊事情があるんだ。なので嘗てのミラマックス(ハーヴェイ・ワインスタイン)の4倍というオスカーキャンペーン資金を投入していると噂されるNetflixの「クロース」受賞と読む。正直、大した作品じゃないけどね。金の力だ。そういう意味で長編ドキュメンタリー映画部門でNetflixの 「アメリカン・ファクトリー」受賞という可能性も捨てきれない。

演技賞で番狂わせがあるとした唯一主演男優賞で、「マリッジ・ストーリー」のアダム・ドライバー。ホアキン・フェニックスが好きじゃないので、僕の希望的観測でもある。

あとね、一番大きな夢は「パラサイト」の作品賞とポン・ジュノの監督賞受賞。そうなったら本当に嬉しくて泣いちゃうよ。

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2020年2月 1日 (土)

【考察】今世紀最大の問題作・怪作!ミュージカル映画「キャッツ」〜クリエイター達の誤算

2019年12月20日に北米で公開されるやいなや、「グロテスクなデザインと慌ただしい編集で、不気味の谷へと転落していく。ほとんどホラー」(Los Angeles Times)「4回吐いた」「悪夢を見ているよう」「あまりの恐怖に涙が出た」「猫の皮を被ったカルト宗教集団から延々と洗脳され続ける体験」などと酷評され続ける映画「キャッツ」。

現在、IMDb(インターネット・ムービー・データベース)での評価は10点満点中2.8点(2万5千人以上の集計)、なんと!史上最低(B級映画をも下回る)Z級映画と誉れ?高い「死霊の盆踊り」Orgy of the Dead の2.9点より低い。

Bon

因みに「アタック・オブ・ザ・キラー・トマト」が4.6点、エド・ウッド監督「プラン9・フロム・アウタースペース」は4.0点だ。つまりZ級映画の殿堂入り確定、文句なしのカルト映画ということ。

続いて【腐ったトマト(Rotten Tomatoes)】を見てみよう。

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評論家の肯定的評価は20%で〈腐った〉、一般人からは53%の支持しか得ていない。なお北米で公開された新海誠監督「天気の子」(英題:Weathering With You)に対する評論家の肯定的評価は92%〈新鮮〉、一般人は95%となっている。

Cats

僕がこれだけのショック(電気的啓示 electric revelation)を受けたのは橋本忍(脚本・監督)のトンデモ映画「幻の湖」(1982)以来ではなかろうか!?だから40年に1本の珍作・怪作と断言しよう。小説で言えば「ドグラ・マグラ」「虚無への供物」「黒死館殺人事件」など三大奇書レベル。

BとかCとか中途半端な評価は本作に似合わない。AかZの二択だ。僕は存分に愉しんだので謹んでAを進呈する。字幕版だけでは飽き足らず、日本語吹き替え版も立て続けに観た。

公式サイトはこちら

舞台ミュージカル「キャッツ」は1981年にロンドンで開幕。ロンドンで21年、ブロードウェでは17年間のロングランを記録。トニー賞ではミュージカル作品・楽曲・台本・演出賞など7部門を制覇した。

役者が猫を演じ、人間役は一切登場しないという当時としては革新的なミュージカルであり、長らく実写映画化は不可能と言われていた。スティーヴン・スピルバーグの製作会社、アンブリン・エンターテイメントがアニメーション化するという話もあったが、結局立ち消えになった。

普段私達が舞台を観る時は、想像力をフルに働かせて足りないものを補っている。そこに猫の着ぐるみを身にまとった役者がいれば、【人間→猫】に〈見立て〉る 。つまり脳内で〈変換〉作業が行われる。絵の具で描かれた舞台背景=書き割りも、本物の風景が広がっていると〈想像力〉で補完する。その究極の姿が落語であり、座布団の上で演者が上下(かみしも)を切る(顔を左右に向けて話す)ことで、観客は二人の登場人物が会話していると脳内で〈見立て〉る 。小道具となる扇子も、広げて盆に〈見立て〉たり、閉じたまま煙管や筆、箸に〈変換〉して使用される。つまり落語は観客の〈想像力〉を借りなければ成り立たない芸能である。年端のいかない幼い子が見たら「あのおっちゃん、なに一人で喋ってんの?アホちゃう」ということになるだろう。これが芝居・寄席小屋における暗黙の了解である。

ところが、映画というメディアではそうはいかない。リアリティが求められ、〈想像力〉を働かせる必要がない。白黒の無声映画時代なら背景が書き割り(絵)でも許された。しかし音声が付き、カラーになり、画面が大きくなってサラウンド・スピーカー・システムが導入され事情が変わった。現在ではフィルムからデジタル時代になり、さらに細密な描写が必須となった。つまり映画は舞台よりも実生活に近いメディアであり、映画館はヴァーチャル・リアリティ(仮想現実)の場。だから観客は〈見立て〉たり、〈想像力〉を働かせることを止めてしまった。IMAX上映とかアトラクション(体感)型4Dシアターの出現は、その傾向に拍車をかけた。

舞台では日本人がリア王やマクベスを演じても不自然じゃない。ギリシャ悲劇やチェーホフも演る。宝塚歌劇の男役だってそう。しかし映画でそれは許されない。〈見立て〉が成り立たないのだ。つまり「これは花も実もある絵空事ですよ」という約束事が通じる閾値・境界線、仮にそれをReality Lineと呼ぼう、が舞台と映画では明確に違う。

映画「キャッツ」は着ぐるみではなく、最新のCG技術"Digital Fur Technology"を駆使して役者に猫の体毛を生やした。非常にリアルだ。すると観客は【人間→猫】に脳内変換することが不可能になる。人間でもなく、猫でもない化け物(monster)=猫人間の誕生である。「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する猫娘みたいなものだ。しかもおぞましいことに更に小さな、人間の顔をしたゴキブリ、つまりゴキブリ人間も登場し、猫人間がそれを食べてしまう衝撃的な場面が用意されている。ここで大半の人はカニバリズムを連想し、阿鼻叫喚となるだろう。「進撃の巨人」における巨人が人間を喰らう場面に相当、さながら地獄絵図である。

面白いのは映画「キャッツ」批判の中に、〈彼らは性器がついておらず、股間がツルンとしているのは何故?〉というのがあった。舞台版では一度もされたことのない問いである(Catsの着ぐるみに、性器がついていたら気持ち悪くないですか?)。ここでも舞台と映画ではReality Lineが異なることが示されている。映画ではより精密な描写が求められるのだ。この股間問題は、ディズニーの超実写(CG)版「ライオンキング」でも話題になった。アニメ版ではその省略を誰も気にしなかったのに。つまりセル画アニメとCGでも、観客が求めるReality Lineは違う。漫画のアニメ化に成功例は多いが、実写映画化は殆ど失敗しているのもReality Lineの差に原因があるのだろう。

本作を観た多くの人が「不気味だ」「怖い」と感じる。それは危険を察知して回避しようとする動物的な防衛本能である。私達は舞台を観るときにある程度距離をおいて客観視することが出来る。つまり知性で「これは虚構(Fiction)だ」と分かり、現実(Real)と区別している。しかし映画になると知性が吹っ飛び本能が表面に出てきて主観的になる。虚構と現実の境界が曖昧になるのだ。興味深い現象である。だからこそ映画には没入感があり、より一層人の心の深層に潜り込むことが出来る。

結局、「英国王のスピーチ」でアカデミー作品賞・監督賞を受賞したトム・フーパーら「キャッツ」のクリエイターたちは、舞台と映画の本質的違いをよく分かっていなかったのだろう。そこに彼らの大いなる誤算があった。結局、アニメーション化したほうが無難だった。

ミュージカル「キャッツ」は基本的に歌と踊りを主体としたショー=レビューである。一匹ずつ、自分がどういう猫かを語ってゆく。だから基本的に物語らしい物語はない。それを期待するだけ無駄である。過去の映画で一番近いのは「ロッキー・ホラー・ショー」かな?だからこれから映画版を観る人は、一夜のパーティに参加するノリで足を運んだら良いだろう。いずれ「ロッキー・ホラー・ショー」同様に、猫のコスプレしてスクリーンに向かって野次やツッコミを入れる観客参加型上映が定着するのではないだろうか。

映画版のオールド・デュトロノミー役:ジュディ・デンチは1981年のウエスト・エンド公演でグリザベラを演じる予定だったが、稽古中の怪我で止むなくエレイン・ペイジと交代した。粋な配役である。因みに舞台版のオールド・デュトロノミーは男優が演じる。

あと映画版のグリザベラ(ジェニファー・ハドソン)はシャンデリアに乗って上昇し、天上界へと向かう(舞台版ではタイヤが浮き上がる)。これは同じロイド・ウェバーのミュージカル「オペラ座の怪人」第1幕のクライマックスでシャンデリアが落下することと、きれいに対称を成している。このあたり、トム・フーパーの演出は冴えに冴えている。

ブロードウェイ・ミュージカル「ハミルトン」「イン・ザ・ハイツ」 などでトニー賞の振付賞を3度受賞しているアンディ・ブランケンビューラーによる振付がヒップホップを取り入れるなど斬新でダイナミック。

また日本語吹き替え版は山崎育三郎、大竹しのぶ、山寺宏一、宝田明らが素晴らしく、聴き応えあり。

映画という概念を変える、画期的・革新的エンターテイメントの出現である。四の五の言わず、直ちに劇場で体感せよ!!

〈追伸〉本作にガッカリしたという貴方、トム・フーパー監督を見限らないであげて。2月にAmazon Prime Video他から配信される「ダーク・マテリアルズ/黄金の羅針盤」は絶対に面白いから!なんと、「ゲーム・オブ・スローンズ」の米HBOと「シャーロック」の英BBC共同制作による超大作だ。こちらからどうぞ。

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