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2020年1月 9日 (木)

ネルソンス/ウィーン・フィル「ニューイヤー・コンサート2020」とベートーヴェン交響曲全集

元旦に宿泊中だった群馬県の法師温泉 長寿館でウィーン・フィルの「ニューイヤー・コンサート2020」をTV鑑賞した。

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今年の指揮者はアンドリス・ネルソンス。ラトビア出身の41歳。昨年亡くなったマリス・ヤンソンス(ロイヤル・コンセルトヘボウ管及びバイエルン放送交響楽団の首席指揮者を務め、ニューイヤー・コンサートに3回登壇)も同郷だ。

ラトビアはバルト三国のひとつで、バルト海を挟んで向かい側にスウェーデンがある。ラトビアの隣国がエストニアで、その対岸にフィンランドが位置する。エストニアといえばヤルヴィ親子が有名で(父ネーメ、長男パーヴォ、次男クリスチャン)、ネルソンスはパパ・ヤルヴィやヤンソンスから指揮法を学んでいる。なお、パーヴォは現在NHK交響楽団の首席指揮者を務めている。

第二次世界大戦後から1970年代までベルリン・フィルやウィーン・フィルを支配していたのはヘルベルト・フォン・カラヤン(ザルツブルク@オーストリア出身)やカール・ベーム(グラーツ@オーストリア出身)だった。しかしカラヤンの死後ベルリン・フィルのシェフを務めたのはクラウディオ・アバド(イタリア)、サイモン・ラトル(イギリス)であり、昨年からキリル・ペトレンコ(ロシア)が芸術監督に就任した。

最近のベルリン・フィル定期演奏会に登壇した主な指揮者たちを列挙してみよう。クルレンツィス(ギリシャ)、フルシャ(チェコ)、ウルバンスキ(チェコ)、アダム&イヴァンのフィッシャー兄弟(ハンガリー)、パーヴォ・ヤルヴィ(エストニア)、ゲルギエフ(ロシア)、ハーディング(イギリス)、メータ(インド)、ドゥダメル(ベネズエラ)といったところ。ドイツ人はティーレマンくらいしかいない。

ウィーン・フィル「ニューイヤー・コンサート」に目を転じると、近年登壇した戦後生まれのドイツ・オーストリア系指揮者はティーレマンとウェルザー=メスト(リンツ@オーストリア出身)のみ。この地域の人材不足が深刻化している。

どうしてオーストリアやドイツの音楽教育は衰退・地盤沈下を起こしているのか?まず、子供の人権に対する社会の意識変化が挙げられるだろう。現代では子供の意見・自主性を無視して無理矢理、音楽のスパルタ教育を受けさせることが難しくなった。しかし音楽のプロを目指すなら3,4歳くらいからの徹底した幼児教育が必須である。その点で、1989年ベルリンの壁崩壊まで鉄のカーテンに閉ざされていた東欧諸国(バルト三国・ハンガリー・チェコ・ポーランド・ルーマニア)やロシアには未だに古くからの音楽教育の伝統が残っていた(ドゥダメルは言うまでもなくエル・システマの申し子である)。

ドイツ・オーストリア圏では優秀なピアニストも壊滅状態である。現在ドイツの芸術大学でピアノ科教授を務める河村尚子の証言をお読み頂きたい(→こちらの記事 )。自由な気風の西側諸国ではピアノを学ぶ学生が年々減っており、ドイツの音楽大学で勉強しているドイツ人は全体の10%くらいしかいない。代わって東欧の人たちやアジア人が多いという

もう一つ。ナチス・ドイツによるホロコーストの影響も無視できないだろう。アドルフ・ヒトラーが政権を握ると、ユダヤ系の音楽家たちはドイツ・オーストリアから去った。指揮者で言えばブルーノ・ワルター(ドイツ)、オットー・クレンペラー(ドイツ)、ジョージ・セル(ハンガリーに生まれ、ドイツで活躍)らである。いくら戦争が終わったとはいえ、悪夢のような記憶しかない土地へ戻る気にはなれないだろう。

さて、2020年はベートーヴェン生誕250年という記念の年である。それに向けて昨年末、ウィーン・フィルは交響曲全集のCDをドイツ・グラモフォンからリリースした。その大役に抜擢されたのがネルソンスである。日本では音楽之友社から出版されている雑誌「レコード芸術」誌において、レコード・アカデミー大賞銅賞を受賞した。つまり年間ディスクのベスト3に選出されたということ。

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これまで誇り高く頑迷なウィーン・フィルがベートーヴェン交響曲全集の録音で白羽の矢を立てた指揮者を振り返ってみよう。

  • ハンス・シュミット=イッセルシュテット(1965−69)
  • カール・ベーム(1970−72)
  • レナード・バーンスタイン(1977−79)
  • クラウディオ・アバド(1985−88)
  • サイモン・ラトル(2002)
  • クリスティアン・ティーレマン(2008−10)

ベートーヴェンのシンフォニーが彼らにとって「勝負曲」であることが、よくお分かりただけるだろう。ネルソンスに対して全幅の信頼を寄せていることが、うかがい知れる。

古楽器復興運動の最先端で戦っていたアーノンクールがモダン・オーケストラの指揮に進出して以降、世界のオーケストラは分断され、楽員たちは混乱し、大いに悩み続けて来た。

つまりティーレマンを代表とする〈守旧派〉が主張するように、古典派音楽に於いてカラヤンやベームが生きていた20世紀の演奏スタイルをそのまま踏襲しても構わないのか、それともメトロノーム記号を遵守した高速演奏で、弦楽器はノン・ヴィブラートで弾くなどピリオド・アプローチ(古楽器奏法)を学ぶべきか?

ウィーン・フィルはアーノンクールと良好な関係を築きつつ、頑なにピリオド・アプローチを拒み続けて来た。ノン・ヴィブラートで弾いたら彼らの持ち味が損なわれ、オケの個性が失われてしまうからである。

では、今回彼らがタッグを組むことを熱望したネルソンスはどうか?僕は聴いてみて「20世紀の巨匠たちのような、どっしりと重厚なスタイルでもなく、かといって潤いがなく〈タッタカタ!〉と進む古楽器オケの有り様でもない、第三の道」だと感じられた。それは2019年8月23日にキリル・ペトレンコがベルリン・フィルの首席指揮者就任演奏会で振ったベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」で提示した、〈20世紀の演奏様式とピリオド・アプローチの融合・ハイブリッド〉に通じるものがある。時代は成熟し、Next Stageに入ったのだ(2000年頃に録音されたアバド/ベルリン・フィルのベートーヴェン交響曲全集は発展途上というか迷いがあり、未成熟・中途半端な印象を拭えない)。

ネルソンスのベートーヴェンは弾力があって動的。ゴムボールが跳ねて坂を転がり落ちる感じ。ピリオド・アプローチのような硬さはなく、ふわっと柔らかい響きがする。リズムはサクサクして小気味好い。〈生きる歓び〉が感じられる。

例えば明るく伸びやかな交響曲第3番「英雄」。軽やかに歌う。従来から言われているようなナポレオンの気宇壮大なイメージとは全然違う。第2楽章も重くならず、ゆったりとしているが余り葬送行進曲という感じじゃない。〈透明な哀しみ〉がある。

交響曲第5番「運命」も〈苦悩を乗り越えて勝利へ!〉というコンセプトから遠く離れて、明朗で端正な世界が広がってゆく。

あと驚いたのが交響曲第6番「田園」や第7番で、第1楽章(ソナタ形式)提示部の繰り返しをしなかったこと!スコアに書かれた繰り返しを省略するのはカラヤン・ベーム時代は普通のことだったが、1970年代に入り、カルロス・クライバーやクラウディオ・アバド、リッカルド・ムーティら(当時の)若手指揮者たちがこぞって繰り返しを敢行するようになった(それに対して音楽評論家たちはことごとく苦言を呈した)。そして80年代以降、アーノンクール、ノリントン、ブリュッヘン、ガーディナーら古楽オーケストラの指揮者(=原理主義者)たちがベートーヴェン演奏になだれ込み、楽譜に記載されたリピート記号を遵守することが正しい作法、デフォルトとなった。だから却ってネルソンス/ウィーン・フィルの姿勢は挑発的というか、新鮮に感じられる。

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「ニューイヤー・コンサート2020」で感じ取ったのは、ネルソンスとウィーン・フィルの抜群の相性の良さである。相思相愛。楽員たちが正に〈水を得た魚〉のように、嬉々としてピチピチ飛び跳ねている。ふっくらとウインナ・ワルツを歌い、エレガント。馥郁たる香りが立ち込め、陶然となった。間違いなく、これから何度もネルソンスは再登板することになるだろう。

あと「郵便馬車のギャロップ」でネルソンスがトランペットを吹いたのだが、これが意外にもめちゃくちゃ上手くて呆気にとられた。調べてみると彼は音楽家としてのキャリアをラトビア国立歌劇場管弦楽団の首席トランペット奏者としてスタートさせ、後に指揮者に転向したらしい。どうりで。そもそもニューイヤー・コンサートはその創始者クレメンス・クラウス(ウィーン生まれ)が亡くなり、急遽当時コンサートマスターだったウィリー・ボスコフスキー(ウィーン生まれ)がヴァイオリンを持ったまま指揮台に上がった。ボスコフスキーが病に倒れた後登場したロリン・マゼールもそのスタイルを踏襲し、指揮台でヴァイオリンを奏でた。ネルソンスのトランペットはその伝統を想起させるものだった。Good job !

それと、ボスコフスキーやマゼールの時代、テレビ中継で挿入されるウィーン国立歌劇場バレエ団(当時)のダンスは、いかにも田舎の〈芋にーちゃん〉と〈芋ねーちゃん〉が踊ってます、という体(てい)だったのだが、組織体制の変更でウィーン国立バレエ団となった現在は衣装や振付が洗練され、隔世の感がある。これは2010年にフランスの天才ダンサー、マニュエル・ルグリが当団の芸術監督に就任したことと決して無関係ではあるまい。ルグリ恐るべし!

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