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2020年1月24日 (金)

「パラサイト 半地下の家族」と黒澤映画

今から16年前の2004年、僕はポン・ジュノ監督「殺人の追憶」のレビューで、次のように評した。

処女作「ほえる犬は噛まない」についても言及し、褒めそやしている。その後しばしばポン・ジュノは〈韓国の黒澤明〉と呼ばれるようになるが、世界で最初に言い出したのは僕だと確信している(もっと早く言及した人がいれば、ご一報ください)。因みに監督のもとには黒澤映画のリメイクの依頼も来たという(本人談)。

最新作「パラサイト 半地下の家族」は米アカデミー賞で国際長編映画賞(昨年までは外国語映画賞)受賞は500%確実と言われており、他に作品賞(本賞)、監督賞、脚本賞、美術賞、編集賞の6部門にノミネートされている。

Parasite

評価:A+

公式サイトはこちら

2013年にポン・ジュノが英語で撮った「スノーピアサー」は地球が氷に閉ざされた近未来(2031年)に生き残ったわずかの人類が永久機関によって動き続ける列車内部に暮らしているという設定だ。貧困層は最後尾に住み奴隷扱いを受け、少数の富裕層は前方車両で優雅に暮らし別世界を築いている。公開当時僕が書いたレビューはこちら。「スノーピアサー」は水平方向に貧富の差が描かれていたわけだが、これが「パラサイト」では垂直方向に変換されている。実は垂直方向の差異で格差社会を描くという手法は黒澤明監督「天国と地獄」(1963)で既に行われている。

山崎努演じる誘拐犯・竹内は捕まり、三船敏郎演じる大手製靴会社の常務・権藤と刑務所の面会室で対峙する。竹内は言う。「私の住んでいたところは、冬は寒くて眠れない、夏は暑くて眠れない。そんな場所から見上げると、あなたの家は天国みたいに見えましたよ。するとだんだんあなたが憎くなってきて、しまいにはあなたを憎むことが生きがいみたいになったんです」竹内が逮捕される場面の、売春婦や麻薬中毒者がたむろする阿片窟のような横浜市黄金町が〈地獄〉として描かれ、高台にある権藤の家が〈天国〉のメタファーとなっている。

「パラサイト」で半地下に住むキム一家は、裕福なパク一家が住む高台の豪邸に一人ずつ寄生していく。しかしソン・ガンホ演じる家長は次第に弱者が強者に対して感じる憎悪・怨恨、つまりニーチェが言うことろのルサンチマンをパク社長に対して募らせていく。それは朝鮮半島の思考様式、(ハン)にも通じていると言えるだろう(について詳しくは韓国映画「風の丘を越えて/西便制」をご覧あれ)。そして蓄積されたのストレスで火病(ファビョン)に罹る。その切っ掛けとなるのが、映像では直接描くことの出来ない〈臭い〉であることが天才ポン・ジュノの独創性だと思った。

Kaze

高台に住むパク社長一家を韓国併合時代(1910-1945)の日本人(朝鮮総督府)、半地下の家族を当時の朝鮮人民に見立てる(置き換える)ことも可能だろう。支配者に対する被支配者の(≒ルサンチマン)は未だに尾を引き、徴用工や従軍慰安婦問題が燻ぶり続けている。こういった多様な解釈を許すという意味においても、奥深い作品である。

また新海誠監督「天気の子」の主人公も東京で半地下に住み、そこが大雨で浸水するという描写が共通しているという点でシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)を感じた。

参考文献:
1.ニーチェ、中山元(訳)「道徳の系譜学」(光文社古典新訳文庫)2009 ←ルサンチマンについて。
2.西尾幹二、呉善花「日韓 悲劇の深層」(祥伝社新書)2015 ←恨(ハン)と火病(ファビョン)について。
3.呉善花「韓国を蝕む儒教の怨念 〜反日は永遠に終わらない〜」(小学館新書)2019

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