佐用姫(さよひめ)伝説とドリームタイム
ベルリン・フィル首席奏者で、ソリストとしても名高い〈フルートの貴公子〉エマニュエル・パユの最新アルバムは「Dreamtime/ドリームタイム」と名付けられた。
ペンデレツキ、ライネッケ、モーツァルトらの楽曲に加え、武満徹の「ウォーター・ドリーミング」で締め括られる。
〈ドリームタイム〉とは、オーストラリアの先住民アボリジニの概念である。武満徹はオーストラリアのグルート島を訪れ、アボリジニのうたや踊りを見聞きし、その体験に基づきオーケストラ曲「夢の時(Dreamtime)」を作曲した。
パユも当然、そのことを踏まえた上で今回のアルバムを創っているわけだ。作曲者によるプログラム・ノートには次のように書かれている。
《ウォーター・ドリーミング》は、オーストラリア西部砂漠地帯 Papunya の画家によって描かれた 「Water Dreaming」という絵画に触発されて作曲された。オーストラリア原住民に伝わる神話「ドリームタイム」に基づいて描かれたその絵画の、簡素ながら、神話的記号と象徴に満ちたユニークなイメージは、私の心を強く捉えた。
絵の同心円は泉を表象している。そこから水が周囲に溢れ、干渉する。
ところで僕はつい最近、佐用姫伝説のことを初めてラジオ(TBS「アフター6ジャンクション」)で聞き知った。松浦佐用姫(まつらさよひめ)は現在の佐賀県唐津市厳木町にいたとされる豪族の娘である。次のような伝承が残っている。
(日本書紀にも記載のある)武将・大伴狭手彦(おおとものさてひこ)が朝廷の命を受け537年新羅に遠征するためにこの地を訪れ、佐用姫と恋仲になる。ついに出征の日が訪れた。佐用姫は鏡山の頂上から領巾(ひれ)を振りながら見送っていたが、こらえきれなくなり舟を追って海辺の呼子まで行き、加部島で七日七晩泣きはらした末に石になってしまった。それは今でも佐用姫岩として残っている。
「万葉集」にはこの伝説に因んで詠まれた山上憶良の和歌がいくつか収録されている。
- 山の名と言ひ継(つ)げとかも佐用比売(さよひめ)が、この山の上(へ)に領巾を振りけむ
- 万代(よろづよ)に語り継げとしこの嶽(たけ)に、領巾振りけらし松浦佐用比売(まつらさよひめ)
- 行く船を振り留(とど)みかね如何(いか)ばかり、恋しくありけむ松浦佐用比売
人(有機物)が自らの意思で石(無機物)に変化(へんげ)する神話・伝説・昔話というのは世界的に珍しい。ヨーロッパでは皆無だろう(ギリシャ神話のメドゥーサのエピソードは人の形のままの石化・石像化 freeze であり、変化 metamorphose ではない)。あちらでは「かえるの王さま」とか「美女と野獣」とか、魔法の力で人が他の動物に変えられる話が多い。そして大抵は元の姿に戻り、めでたしめでたし(and they lived happily ever after.)となる(そのアンチテーゼがアカデミー作品賞を受賞したギレルモ・デル・トロ監督「シェイプ・オブ・ウォーター」)。多分これはキリスト教と深い関わりがある。旧約聖書の「創世記」によると人は神に似せて造られた。だから人は万物の中で最も偉く、獣と結婚する(鶴女房/狐女房)とか、無機物に変化(へんげ)するなんてあってはならないのだ。そしてそれはイスラム世界にも当てはまる。
ところが、アボリジニ神話〈ドリームタイム〉にはこの手の話がいくつもみられる。例えば小説「世界の中心で、愛をさけぶ」にも登場した巨大な一枚岩ウルル(エアーズロック)にまつわるもの。大地を造った彼らの偉大なる祖先がここに眠り、岩に変化したというのである。
「アボリジニの概念〈ドリームタイム〉と深層心理学/量子力学/武満徹の音楽」で紹介したように、「古事記」に記述された〈天の岩戸〉開きによく似たアボリジニ神話もある。人と自然の融和、自然の中の人間ー日本人とアボリジニの人々は間違いなく集合的無意識で繋がっている。
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