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2019年10月

森見登美彦@むこじょ

10月19日(土)武庫川女子大学(むこじょ)へ。

「作家と語る:森見登美彦さんをお迎えして」を聴講した。

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今回は第6回目。過去登壇した作家は、

  1. あさのあつこ
  2. 髙田郁
  3. 小川洋子
  4. 桐野夏生
  5. 森絵都

武庫川女子大学・短期大学部の学生1万人を対象にした「読書に関わるアンケート調査」の結果を受けて招聘する作家を決めているそう。

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公江記念講堂には1,800人の聴衆が集った。森絵都の時は500人程度だったらしい。

来場者への観覧申込時のアンケート「私が一番好きな森見作品とその理由」の集計結果は以下の通り。

 1.夜は短し歩けよ乙女 128票
 2.四畳半神話大系 66
 3.有頂天家族 62
 4.恋文の技術 51
 5.ペンギン・ハイウェイ 33
 6.宵山万華鏡 19
 6.(同点)太陽の塔 19
 8.新釈 走れメロス 18
 9.きつねのはなし 15
 9.(同点)熱帯 15

21世紀に出版された小説のうち(全世界の、すべての作家を対象とする)「夜は短し歩けよ乙女」よりも面白い作品を僕は知らない。今回のアンケートでもダントツの1位だった。

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トークセッションには武庫女の現役生・OGの計8名が登壇した。

基調講演とかはなく、参加者が一人ずつ自分が好きな森見作品を語り、著者に質問をぶつけるという形式で進行された。約1時間半。

「太陽の塔」日本ファンタジーノベル大賞を受賞した処女作。森見が得意とする腐れ(大学生)具合が詰まっているから大好きと。〈質問〉「うごうご」「ふはふは」などの珍しいオノマトペが多用されているのはなぜですか?〈回答〉文章がゴツゴツ濃いので、こわばりを抜くために入れている。そのギャップを楽しんでもらいたい。表現は意外とテキトーです。

「四畳半神話大系」四畳半に拘るのは時代錯誤で古めかしいから。京都大学に入学したとき、父親が勝手に下宿を決めてきた(森見は奈良県出身)。自分の原点。大学時代はライフル射撃部で、男友達の明石君と四畳半でくすぶっているだけだった。全然モテなかったのに、ネットで(作家になった今の自分を投影して)「森見は大学生の時モテた」とか書かれると激しい怒りを覚え、「ちがうんだ」とブログ〈この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ〉で全否定した。小説のことだったらどんな悪口を書かれても腹を立てたりはしないのだけれど。ある意味、自分の弱点をさらけ出している感じかな。

明石 夕方になって日が傾いた頃に、突然森見君が「押井守を知ってるか」って言い出して(笑)「短篇集のレーザーディスクとか一式持ってるから、今から俺の下宿に観に来るか」って。
森見 それはね、高校の時には、誰とも押井守の話とかできなかったんですよ、まったくまわりに通じなくて。そしたら明石君が押井守の名前を知ってたから、「この人なら!」と思ったんでしょうね(笑)。
明石 たまたま『攻殻機動隊』が好きだっただけなんですけどね。後日森見君の家に泊まったら、押井守のレーザーディスクをかたっぱしから見せられた(笑)
            文藝 2011年05月号【森見登美彦】特集より

「きつねのはなし」僕自身に怖い経験はない。幽霊とかは信じていない。こういった怪談話で心がけていることは文章のテンションを上げないこと。小説が読者に与える印象は主人公のエネルギーで決まる。元気ならば楽しい話になる。この小説は登場人物たちがやられていく。答えがない、解決しない話が好き。真相は読者が決めればいい。

「夜は短し歩けよ乙女」山本周五郎賞受賞。一番儲かった、親孝行な娘。この小説で食っているようなもの。語り手のキャラクター、語り口で〈京都をどう見るか〉が決まる。先に〈京都をどう描きたいか〉があるわけではない。ヒロインである黒髪の乙女のパーツにはモデルがいるが、トータルでは自分の内なる〈乙女的なもの〉が投影されている。彼女の創作により、灰色だった大学生活が虹色に変わった。

「新釈 走れメロス」最初に「山月記」を現代京都を舞台に転生させたいという動機があった。他の四篇(藪の中、走れメロス、桜の森の満開の下、百物語)は編集者と相談しながら決めた。

「有頂天家族」阿呆の話が書きたかった。〈面白きことは良きことなり!〉が許される世界。普段言い切れないことを語って開放されたかった。

「恋文の技術」〈質問〉おっぱいという言葉がいっぱい出てくるのはどうしてですか?〈回答〉ピカソに「青の時代」があるように、「おっぱいの時代」だったのです。理由はよく判らないな。「ペンギン・ハイウェイ」もそうでしょう?

「ペンギン・ハイウェイ」日本SF大賞受賞。少年はヒーローである。アオヤマくんは将来、腐れ大学生にならないと思う。むしろウチダくんの方が危ないかな。アオヤマくんは僕がモデルではなく、こうしたかったという心のヒーロー。彼の父親はアオヤマくんをモデルに発想した。だからスマートで人間味がない。僕の親父が「これって私のことだろ?」と訊いてきたが、全然違う。ウチダくんの方が少年時代の僕に近いかな。アオヤマくんは賢いけれど、時に幼い面ものぞかせて、その落差で読者をガクンとさせようと考えた。

現在は新刊「シャーロック・ホームズの凱旋」を準備している。語り部はワトソン。

浪人して京都大学に入学、留年して4回生の頃に1年休学し、大学院にも行ったので京大で足掛け7年間過ごし、しゃぶり尽くした。その間にやっていたこと=伏線は全て小説で回収した。決して無駄にはならなかった。でも今はもっと勉強しておけばよかったと、少し後悔している。

〈質問〉女子大についてどういうイメージをお持ちですか?〈回答〉大学生の時に、寿司屋の配達のアルバイトをしていた。京都ノートルダム女子大学に行ったときは、捕まるんじゃないかとドキドキした。

好きな食べ物について。今は王将の餃子にはまっている。天理スタミナラーメンばかり食べていた時期もあった。食にこだわりがある方ではなく、たまたま好きになった。

〈質問〉森見さんが幸せだと感じるのは何時ですか?〈回答〉日課の繰り返し。朝起きてベーコンエッグを食べる。9時くらいから原稿用紙に向かって書く。お昼になったら歩いて王将に向かう。ああ、いい天気だな。金木犀の匂いがする。そんなとき。毎日のコツコツが大切。

後で自分の小説を読み返してみて、「よくこんなの書けたな」と文才に惚れ惚れすることがある。神がかっていたというか、自分が書いたものじゃない気がする。

編集者について。いつも自分が書き上げるのを楽しみにしてくれる、喜んでくれると嬉しいな、と思う。

〈質問〉語彙を増やすにはどうすればいいですか?〈回答〉辞書を読んだりすることは無駄なことだ。語彙があればいいというものではない。自分でも腐れ大学生のうんちくを書いていて「ウザ」と思うことがある。

大変意義深い催しだった。来年は「蜜蜂と遠雷」で話題沸騰の恩田陸を希望する!!

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藤岡幸夫×神尾真由子/ウォルトンの協奏曲とハチャトゥリアンの交響曲第2番

10月16日(水)ザ・シンフォニーホールへ。藤岡幸夫/関西フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会を聴く。ヴァイオリン独奏は神尾真由子。

  • ウォルトン:ヴァイオリン協奏曲
  • ハチャトゥリアン:交響曲第2番「鐘」

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名曲ライブラリーを網羅するかのように大量のレコーディングを残したカラヤン/ベルリン・フィルはエルガー、ヴォーン=ウィリアムズ、ブリテン、ディーリアス、アーノルド、ウォルトンらイギリスの作曲家の音楽を一切取り上げていない(ついでに言えば「剣の舞」を含めハチャトゥリアンも皆無)。またウィーン・フィル、パリ管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ(オランダ)がこれらを演奏することも滅多にない(またコープランド、ガーシュウィンも)。つまりヨーロッパ大陸の人々はイギリス音楽(+アメリカ音楽)を完全に見くびっている。何故か?

ひとつには上に挙げた人々は全員20世紀の作曲家だということが挙げられる。ヘンリー・パーセル(1659-1695)亡き後、イギリス音楽は18−19世紀の約200年間、暗黒時代が延々と続いた。その間にヨーロッパ大陸で古典派ーロマン派の音楽が目覚ましい発展を遂げた。だから大陸側から見れば、ブリテン諸島は完全に〈後進国〉なわけだ。バカにもされる。ただ芸術全般が〈後進国〉だったわけではなく、演劇に於いてシェイクスピアは昔から高く評価されており、大陸の劇場でもしばしば上演され、大作曲家たちも彼の戯曲に纏わる多数のオペラ・オーケストラ曲を残している。その一覧は下記事にまとめた。

さらに言えば、イギリスの作曲家の評価が低いのは調性音楽を守ろうとした点にもある。20世紀は十二音技法・セリー・無調音楽が席巻した時代だった。だからエルガーとかヴォーン=ウィリアムズは〈時代錯誤〉の烙印を押された。これはハリウッドに渡り、映画ごときに〈魂を売った〉〈裏切り者〉であるウィーンの作曲家、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトが長きに渡りヨーロッパで黙殺されてきたことと無縁ではない。21世紀に入り調性音楽の復権が始まったことで、漸く彼らの名誉も回復されつつある。

僕が初めてウォルトンを聴いたのは中学生の時。ジョン・ウィリアムズ/ボストン・ポップス・オーケストラのLPレコード「ポップス・オン・ザ・マーチ」を買ったら、戴冠式行進曲「宝玉と王の杖 」が収録されていたのだ。気高い(noble/decent)素敵な曲だった。次にスタンリー・ブラック/ロンドン・フェスティバル管弦楽団のアルバム(フィルム・スペクタキュラー・シリーズ)で、映画音楽「スピットファイア」に出会った。前奏曲とフーガがめちゃくちゃ格好良かった(cool)!

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ウォルトンのヴァイオリン協奏曲はヤッシャ・ハイフェッツの委嘱により作曲された。他にハイフェッツの為に書かれた名曲として、フランツ・ワックスマン(ドイツ出身。映画「サンセット大通り」「陽のあたる場所」でアカデミー作曲賞受賞)の「カルメン幻想曲」(神尾真由子のCDあり)や、ミクロス・ローザ(出身国のハンガリー読みはロージャ・ミクローシュ。映画「白い恐怖」「ベン・ハー」でアカデミー作曲賞受賞)のヴァイオリン協奏曲第2番がある(ビリー・ワイルダー監督「シャーロック・ホームズの冒険」に転用された)。また(委嘱は別人だが)コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲もハイフェッツが初演した。

滅多に聴く機会のないウォルトンのコンチェルトだが、とっても美しい。神尾が弾くのは今回初めてだという。第1楽章 第1主題は極めて静謐に歌い出し、咽び泣くような音色を奏でる。ジョージ・ハリスンが作詞・作曲したビートルズの名曲"While My Guitar Gently Weeps"を想い出した。憂いを帯びた旋律がネットリと絡みつく。展開部に至ると神尾はそれまで抑制してきた感情を一気に開放、燃え上がるパッションで聴衆を圧倒した。「ナポリ風の気まぐれなプレスト」と記された第2楽章は野太い音で妖艶。映画「にがい米」(1949)に登場するシルヴァーナ・マンガーノら 、逞しく豊満なイタリア女たちを想起させた。なお、ウォルトンは1948年にイタリア・ナポリ湾に臨むイスキア島に移住した。

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兎に角、神尾の演奏は途轍もなく、藤岡/関西フィルも好サポート。是非この曲はレコーディングしてもらいたい。また真由子さん、東京で弾いたコルンゴルトのコンチェルトを関西でも披露してくださいね。首を長くして待ってます。それといつか、ロージャのヴァイオリン協奏曲 第2番も聴かせて欲しいな。

さて、ハチャトゥリアンはアルメニア人だが現在のアルメニア共和国は1991年に独立するまでソビエト連邦に属していた。彼はショスタコーヴィチ、プロコフィエフと共にソビエト3巨匠のひとりと称されたが、どうもソ連ーロシアの指揮者からの評価は高くないようで、例えばエフゲニー・ムラヴィンスキー(交響曲第3番の初演者)とキリル・コンドラシンは交響曲第3番をレコーディングしているが、交響曲第1番と第2番は取り上げておらず、エフゲニー・スヴェトラーノフやゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、ヴァレリー・ゲルギエフに至っては交響曲を完全無視である。

だから交響曲第2番「鐘」のまともな録音としては作曲者自身のものと、チェクナヴォリアン、ヤブロンスキー、ストコフスキー、(パパ)ヤルヴィくらいしかないというのが現状で、はっきり言って珍品中の珍品だ。アメリカで初演したのはレナード・バーンスタインだが、レニーも音源を残していない。気に入らなかったのだろう。

阿鼻叫喚の大爆音で開始され、野蛮で土着的な音楽が展開される。ハチャトゥリアンの音楽って、どこか伊福部昭と共通点がある気がする。オスティナート(ある一定の音型が執拗に繰り返されること)へのこだわりとか。伊福部のルーツはアイヌの民族音楽であり、アイヌとアルメニアが似ているのかも知れない(集合的無意識)。キングコングが出てきそうだと思った(伊福部は「キングコング対ゴジラ」を作曲している)。

高カロリーでハイテンションな音楽に50分晒されていると最後は胃が爛れ、胸焼けがしてきた。"Too Much (お腹いっぱい)!!"と思ったが、極めて得難い体験をさせて貰ったので、藤岡にはただただ感謝である。

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ヘンデルとは何者か?〜クリスティ/レザール・フロリサンの《メサイア》@いずみホール

10月12日(土)台風の中、いずみホールへ。〈古楽最前線!ー躍動するバロック〉シリーズを聴く。企画・監修は故・礒山雅。

  • ヘンデル:オラトリオ《メサイア》全曲(字幕付き)

演奏はウィリアム・クリスティ(指揮)/レザール・フロリサン(管弦楽&合唱)。独唱はキャスリーン・ワトソン、エマニュエル・デ・ネグリ(以上ソプラノ)、ティム・ミード(カウンターテナー)、ジェームズ・ウェイ(テノール)、パドライク・ローワン(バス=バリトン)。

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僕は今まで数回、《メサイア》を生演奏で聴いたことがあるのだが、如何せん退屈でいつも途中でウトウトしてしまい、有名な「ハレルヤ・コーラス」で漸く目覚めるということを繰り返していた。ところが今回は違った。

ヘンデル・ファンで曲目解説を書かれた音楽ライター・後藤菜穂子さんから叱られてしまうかも知れないけれど、僕がヘンデルに対して抱くイメージは〈胡散臭い興行師〉である。映画「グレイティスト・ショーマン」でヒュー・ジャックマンが演じたP・T・バーナムみたいな感じ。

J.S.バッハは10代の頃から教会のオルガニストとなり、ライプツィヒにある聖トーマス教会のカントルを務めた。目立つことなく地道に生きた。

一方ヘンデルはドイツのハレに生まれ、21歳から25歳頃までフィレンツェ、ローマ、ヴェネツィア、ナポリなどイタリア各地を巡り、イタリア・オペラを作曲した。その後ドイツ・ハノーファー選帝侯の宮廷楽長となったが、それでも飽き足らずロンドンを訪れ、オペラ「リナルド」を作曲。イギリス新国王ジョージ1世と良好な関係を築き「水上の音楽」を作曲、42歳で正式にイギリスに帰化した。その後イタリアを訪れて歌手と契約を結び、ロンドンの国王劇場で次々に新作オペラを上演、64歳の時にはオーストリア継承戦争の終結を祝う祝典のために「王宮の花火の音楽」を作曲する(この時の国王はジョージ2世)。祝典はロンドンのグリーン・パークで開催された。

こうしてヘンデルの生涯を見ていくと、栄華を極めることを夢見て、自分を高く売り込もうとヨーロッパ各地を練り歩いた派手好きな男の姿が浮かび上がってくる。そしてまんまとイギリス国王に取り入った。

ヘンデルは《エジプトのイスラエル人》とか《メサイア》など英語のオラトリオを幾つか書いたが、じゃぁキリスト教に対する信仰心が本気だったかどうか、怪しいものだ。なにせ山師だから。〈商売道具〉〈営業用〉という気がして仕方がない。

《メサイア》はアイルランドの首都ダブリンのホールでの初演後、ロンドンのコヴェント・ガーデン劇場で上演された。このとき「救世主の物語を劇場で上演するのはふさわしくない」と宗教関係者から非難の声が上がったそうだ。また《エジプトのイスラエル人》の初演はキングズ劇場だった。

一方でJ.S.バッハはその音楽を聴けば彼の信仰が本気だということが判るし、《マタイ受難曲》や《ヨハネ受難曲》の初演は聖トーマス教会である(ミサ曲 ロ短調の初演は死後)。ヘンデルとの明確な違いが浮かび上がるだろう。つまりヘンデルの場合、〈大衆のための受難劇・ショー〉〈娯楽提供〉という側面が強いと言えるのではないだろうか?

レザール・フロリサンはフランス最古の古楽団体であり、それを創設したクリスティは当然フランス人だと信じて疑わなかった。だから今回、彼がアメリカ生まれでハーバード大学とイエール大学で学んだと知り、驚天動地だった。

クリスティの指揮ぶりは清新で爽快。軽やかで"float in the air"(空中に浮く)という言葉が思い浮かんだ。アクセントのある楽句(Phrase)はスキップするようで、キレがあるけれどあくまでエレガント。フレッド・アステアのダンスを想起した。

ソプラノの「大いに喜べ、シオンの娘よ」などは、まるでオペラのアリアのように華麗で、そうか、ヘンデルの音楽ってハリウッドの映画音楽みたいだなと思った。ゴージャスな外装、でも中身は空っぽ。例えば映画館でイエス・キリストの生涯を描いた史劇「偉大な生涯の物語」(70mmフィルムを使用したシネラマ大作。ジョン・フォードの「駅馬車」同様モニュメント・バレーでロケされ、《メサイア》も使用された)を観ている感じ。

ヘンデルの「水上の音楽」も「王宮の花火の音楽」もイベントのためのエンターテイメント(余興)であり、後にも先にも花火大会のための音楽を書いた大作曲家なんて彼くらいだろう。

「ハレルヤ・コーラス」の歌詞、King of Kings,Lord of Lords,(王の中の王、君主/領主〚神という意味もある〛の中の君主/領主)なんて、まるでイギリス国王を讃えているみたいじゃないか。これ(double meaning)は多分、意図的な仕掛けだろう。さすが海千山千のヘンデル、ちゃっかりしている。ロンドン初演の時にジョージ2世がこの合唱で起立したと言い伝えられているが、「おっ、私のことだ。皆のもの、われを讃えよ」ということなんじゃないだろうか?

でも僕は、こういう人を嫌いじゃない(ハリウッドの映画音楽も大好き)。J.S.バッハみたいに真摯で生真面目な芸術家しかいなかったら、世界は味気ないものになってしまうだろう。ヘンデルという作曲家の概念を大きく変貌させてくれたクリスティに感謝したい。何より愉しかった!

参考文献:いずみホール《メサイア》パンフレットより、後藤菜穂子(著)「曲目解説」

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【考察】「天気の子」は米アカデミー賞の日本代表に相応しいか?/MX4D & 4DX体験記

まず大前提として読者の皆さんに知っておいて頂きたいことは、僕は新海誠監督「天気の子」が大好きだということだ。

今までに8回観た。内訳は、通常上映3回、IMAX上映(109シネマズ大阪エキスポシティ)3回、MX4D(TOHOシネマズ)1回、4DX(109シネマズ)1回。僕が過去映画館で観た最高回数は1982年に公開された「E.T.」の7回だったので、実に37年ぶりの記録更新である。

邦画・洋画併せて今年のマイ・ベストワンになることは100%間違いないし(第2位は今のところ「蜜蜂と遠雷」)、米アカデミー賞の長編アニメーション部門は絶対に「天気の子」に与えられるべきだと思っている。最有力と言われる「トイ・ストーリ4」なんか目じゃない。

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9月27日、公開11週目を迎えた「天気の子」は4DXMX4Dでの上映を開始した。4Dとはアトラクション型の上映システムで、体感型機能として“水” “風” “フラッシュ” “モーションシート” などが加わった。

4DX韓国のCJ 4DPLEX社が開発し、2009年から提供が開始されたもので、もう一方のMX4DロサンゼルスのMediaMation社が開発し2012年ごろから使われ始め、日本では2015年4月10日にオープンしたTOHOシネマズ ららぽーと富士見で初披露となった。

公式サイトには“雪”の効果もあると書いてあるので、これは体験してみなきゃ!と思い立ち、東宝の映画なのだからTOHOシネマズなら間違いなかろうと信じて、まずMX4D版を観た。

ところが、である。天空の場面ではアームレスト(ドリンクホールダーの先)にある穴から風が顔に吹き付けて来て気持ちいいのだが、頭上から“雨”が降ったりとか“濡れる”機能が全くなく、肝心の場面で“雪”も降らないし、がっかりした。看板に偽りありだ。

一体どうなっているのだと帰宅して色々調べてみると、どうやら4DXMX4D版は全く演出デザインが異なるらしいということが判明した。そこで4DX 版も試してみることにした。

4DXではしっかりと“雨”が降ってきて濡れるし、“雪”も降った!また陽菜が巫女として雲の上に召された場面では“シャボン玉”が劇場を舞い、これもMX4D版にはなかったので、びっくりした。さらにMX4D版で風はアームレストの穴から局所的に吹くだけだが、4DXでは劇場全体に風が渦巻き、とてもダイナミック。しっかり自然に包まれている感じがした。4DXの圧勝である。あと“濡れる”といっても霧吹き・ミストを浴びる程度なので、劇場を出るときにはすっかり乾いており何の問題もなかった。レインコートが必要になるレベルではない。水を浴びるのが嫌な人は、手元にOn/Offボタンも付いている(MX4Dにはない)。

さて、2020年のアカデミー賞では、これまで〈外国語映画賞〉とされてきた部門が、〈国際長編映画賞〉に名称が変更される。この部門に日本代表として「天気の子」の出品が決まった。

過去に日本映画は〈名誉賞〉と呼ばれていた時代に「羅生門」「地獄門」「宮本武蔵」が、〈外国語映画賞〉になってからは2008年に「おくりびと」が受賞している。また1980年以降にノミネートされた作品として「影武者」「泥の河」「たそがれ清兵衛」「万引き家族」がある。

しかし、アニメーション映画「天気の子」が今年選ばれたことには違和感を覚えた。ハードルが高すぎるのである。

〈外国語映画賞〉時代、1997年に「もののけ姫」が日本代表に選ばれたが、ノミネート5作品には入れなかった。あの宮崎駿でも無理だったのに、「天気の子」に予選通過の可能性が果たして本当にあるのだろうか??

〈外国語映画賞〉にアニメーション映画がノミネートされ、最有力候補と噂されたことが過去一度だけあった。2008年イスラエル代表の「戦場でワルツを」である。ところがこの年、大方の予想を覆して受賞したのは日本代表「おくりびと」だった。A big surpriseだった。この一件ではっきりしたのはアカデミー会員の多くはアニメーションをまともな映画として認めておらず、実写作品と並べるとアニメは圧倒的に不利だということ。だからわざわざ2001年から〈長編アニメ映画賞〉が新設されたのだ。契機となったのは1991年にディズニーの「美女と野獣」がアニメーション映画としてアカデミー作品賞に史上初ノミネートされるも、受賞には至らなかったことに端を発する。

そもそも以前から日本代表選びには首を傾げざるを得ないことが多々あった。特に不可解だった選考が2009年の君塚良一監督「誰も守ってくれない」(東宝)。キネマ旬報ベストテンでは第9位だった。それがなぜこの年のOnly Oneに?さらに山田洋次監督(松竹)の作品が5回も選ばれているのに、大林宣彦監督や北野武監督の作品は1回もない。山田洋次は果たしてそんなに偉大な監督か??

しかしつい先日、ようやくそのからくりが判明した。日本代表となる作品は、松竹・東宝・東映・KADOKAWA(旧・大映)の映画製作配給大手4社で構成する日本映画製作者連盟が選考していたのである。つまり悪名高き日本アカデミー賞の会員と似たような構成なのだ。日本アカデミー賞も理不尽な受賞結果が多く(メジャー会社優位)、独立プロダクションの映画は圧倒的に不利だ。故・黒澤明監督が「権威がない」と受賞を辞退したこともあった。

だから米アカデミー賞の代表選びも持ち回りで「今年は松竹さんに花を持たせよう」と忖度された年は、山田監督に集中的にお鉢が回ってくるという仕組みだったのである。

とは言え、僕が「天気の子」を真摯に応援する気持ちに変わりはない。ジャパニメーションに対する世界的評価も年々高まる一方であるから、22年前の「もののけ姫」の時代に比べれば、アカデミー会員の意識も変化しているかも知れない。〈長編アニメ賞〉でも〈国際長編映画賞〉でもどちらでも良いから必ずノミネートを果たし、出来うることなら授賞式当日に名前を読み上げられ、爪痕を残してほしい。Good Luck !!!

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映画「ジョーカー」とチャップリン、ソンドハイムのミュージカル、トリックスター

評価:A-

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ヴェネツィア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞。2017年に同賞に輝いた「シェイプ・オブ・ウォーター」はアカデミー作品賞も攫っている。公式サイトはこちら

映画の中で2回流れる曲が2つある。ひとつはチャールズ・チャップリンが作曲した"Smile"(初出は映画「モダン・タイムズ」)。〈デカッ鼻〉のコメディアンでミュージカル映画にも出演したジミー・デュランテが歌う。

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もうひとつはスティーヴン・ソンドハイムのミュージカル「リトル・ナイト・ミュージック(ドイツ語だとアイネ・クライネ・ナハトムジーク)」にある名曲中の名曲、"Send in the Clowns"。このタイトルは、日本語に訳すのがとても難しい。「悲しみのクラウン」と呼ばれたりするけれど、どうもピンとこない。エリザベス・テイラー、グレン・クローズ、ジュディ・デンチ(動画はこちら)、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ(動画はこちら)、越路吹雪、大竹しのぶら大女優が歌い継いで来た。さらに韓国のフィギュアスケート選手キム・ヨナはショートプログラムでこの曲を採用したことがある(動画はこちら)。「ジョーカー」のエンド・クレジットで流れるのはフランク・シナトラが歌うバージョン。

ここでいう"clowns"とはサーカスのピエロではなく、お笑い芸人(fools)のことを指す。"send in"は〈出場させる〉。ソンドハイムはこの曲について、「サーカスは想定していない。演劇でよく言われる〈ショーが上手く進行しなくなったら、道化者を出せ〉 (If the show isn't going well, let's send in the clowns)、つまり〈ジョークにして誤魔化せ〉(Let's do the jokes.)に因んでいる」「要するにデジレ(ミュージカルの主人公で舞台女優)はフレデリック(元夫で中年弁護士、18歳の新妻がいる)に対して『私たちって愚かね』(Aren't we fools?)と歌っているんだ」と後年インタビュー記事で語っている。結局のところこんな説明が必要になるくらいだから、英語のネイティブ・スピーカーたちも歌詞の意味がよく判っていなかったということだ。余談だが、演劇用語で極めつけに判り辛いのはメル・ブルックスのブロードウェイ・ミュージカル「プロデューサーズ」に登場する"Break a leg !"ー説明はこちら。これはおったまげたね。

で「ジョーカー」では酔っ払ったサラリーマン3人組が地下鉄で、この美しい"Send in the Clowns"を歌いながら主人公である大道芸人アーサーに殴る蹴るの暴行を加える。めっちゃ恐ろしい場面だ。映画館から帰宅して想い出したのだが、これって間違いなくスタンリー・キューブリック監督「時計じかけのオレンジ」(1971)へのオマージュだね。ほら、アレックスと愉快な仲間たちがジーン・ケリーの「雨に唄えば」を歌いながら作家をボコボコにし、彼の妻を輪姦する有名な場面。更に辿れば黒澤明監督「野良犬」(1949)に行き着く。つまり描かれている映像と、そこに流れる音楽の激しいギャップ=対位法だ。

さて、では次にどうして「モダン・タイムズ」の"Smile"なのかについて説明しよう。喜劇王チャップリンには次のような名言がある。

人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である。
( Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot. )

これと全く同じ意味の台詞を「ジョーカー」のアーサーは言うのだ。そしてイタリア・オペラ、ヴェルディ「リゴレット」やレオンカヴァッロ「道化師(Pagliacci) 」の主人公についてもすっぽり当てはまる。

あと面白いのはマーティン・スコセッシが当初、プロデューサーとして「ジョーカー」(DCコミックス原作)に参加する話があったのだそうだ。スコセッシはつい最近、マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)作品に対して「あれは映画ではない。最も近いと感じるのはテーマパークだ」と発言し、物議を醸している。で、「ジョーカー」にロバート・デ・ニーロが出演している。彼の役はテレビのトークショーの司会者なのだけれど、これって明らかにスコセッシが監督し、デ・ニーロが主演した「キング・オブ・コメディ」の立場を逆転(変換)しているんだよね。そしてやはりデ・ニーロ×スコセッシがタッグを組んだ「タクシー・ドライバー」を彷彿とさせる場面も多々ある。

心理学的に見てジョーカーは正真正銘トリックスターだ。

トリックスターは人間の劣等な性格特徴を集約した、集合的なの形姿である。悪賢い冗談や、ひどい悪戯を好み、姿を変える力がある。二重の性質(半獣、半神)や、困難や責め苦に身を晒す絶え間ない衝動を持っている。負の英雄だが、その愚かさによって他の者が一生懸命努力しても達成出来なかったことを軽々と成し遂げてしまう。

チャップリンが言うように、アーサーが悲劇の渦中に巻き込まれながら、喜劇を演じる二重の性格トリックスターそのものだ。彼は笑いながら(Smile)、人を殺す。スティーヴン・キングの小説「IT」に登場するピエロや、「時計じかけのオレンジ」のアレックスと同じ。道化師が着る、だんだら縞の衣装は反転の換喩である。トリックスターは価値を転倒させる

錬金術において、互いに似ていない物質の結合コニウンクチオという。これを人格化したのがメルクリウス(マーキュリー)で、トリックスターメルクリウスによく似ている(喜劇×悲劇)。

ジョーカー役のホアキン・フェニックスの演技は確かに凄くて、アカデミー主演男優賞に値する。ただねぇ、駆け出しの芸人としては年を取り過ぎじゃない?だってもう44歳だぜ!?普通そこまで売れなかったら、芸能プロダクションからとっくに契約を打ち切られているだろう。そこが引っかかった。

映画全編が悪夢の中を彷徨っているような雰囲気なのだが、もうアーサーは最初から頭がおかしくて、余り劇的な変化を感じなかった。つまり物語に起伏がない。僕はどちらかと言えばクリストファー・ノーラン監督「ダークナイト」でヒース・レジャーが演じたジョーカーの方が好き(死後にアカデミー助演男優賞を受賞)。あちらはトリックスターというよりは混沌(カオス)虚無の象徴として描かれており、何考えているか全く判らないからより一層不気味だった。

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音楽映画の金字塔現わる!!「蜜蜂と遠雷」

評価:AA

Honey

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映画化に際し「前編後編はやめてほしい」という原作者・恩田陸からの要望に応え、文庫本にして900ページを超える小説を見事2時間以内に収め、しかもモノローグを一切使わないという潔さは大したものだ。監督・脚本・編集を担った石川慶の手腕が冴えに冴えている。

  1. 天才とは何か(ギフトか、災厄か)?
  2. なぜ我々は音楽を聴くのか?

という原作の大きな問いは、しっかり映画のコア)として残った。

撮影監督はピオトル・ニエミイスキ。石川がポーランド国立映画大学で共に学んだ盟友である。映画冒頭、スローモションで雨が地面に跳ね返る情景を駆け抜ける黒い馬のイメージから魅了された。また物語の終盤でホールの地下搬入口に置かれたピアノに天井から水が滴り落ちる幻影を主人公・亜夜は見るが、まるでタルコフスキー映画のようだった。

音楽映画において、演奏シーンはともすると退屈なものになりがちだ。しかし本作では俯瞰でピアノの鍵盤上を走る指を捉えるショット、ステージの床ぎりぎりから仰角(あおり)で演奏者の表情を捉えるショット、カメラがピアノをぐるっと一周する移動撮影など、様々な工夫を重ね、巧みな編集で繋ぎ、飽きさせない。モンタージュそのものが音楽的である。

また波音が聞こえ、月明かりが差し込むピアノ工房で亜夜と塵がドビュッシー「月の光」〜It's Only a Paper Moon〜ベートーヴェン「月光ソナタ」をメドレーで連弾する場面は幻想的で素敵だった。

あと、「これだけは聴いておきたいピアノの名曲・名盤30選」に書いたように僕はドビュッシーのピアノ独奏曲「夢」が大好きなのだが、なんとコンクール審査員である元夫婦がバーで語り合う場面でこの曲が(自動ピアノ演奏で)流れていたので感動した!!

クラシック音楽をメインに据えた日本映画で、過去最も優れた作品は今井正監督の「ここに泉あり」(1955年)である。「蜜蜂と遠雷」は実に64年ぶりにそれを凌駕した。

小説から栄伝亜夜が飛び出して来たんじゃないかと錯覚するくらい、松岡茉優がはまり役。このフィット感は「風と共に去りぬ」でスカーレット・オハラを演じたヴィヴィアン・リー以来と評しても過言ではないだろう。寡黙だけれどその表情から、彼女の気持ちがしっかり伝わってくる。

幼い日の記憶の彼方から「あなたが世界を鳴らすのよ」と亡くなった亜夜の母が囁く。世界は音楽に溢れている。そして一瞬で消えていく音が永遠に繋がっていることを、我々観客は本作を通じて理解する。

以下余談。

音楽を聴くという行為は、「ヌミノース体験」そのものだと最近思うようになった。詳しくは下記事で論じた。

非合理的で言葉で説明し難い体験。それは海辺で波の音に耳を傾けたり、森の中で木々のざわめきを聴いた時に感じる、自然との一体感にどこか似ている。〈何か〉に包まれ、守られているような印象。〈何か〉とは〈音楽の神様〉と言い換えても良い。

音楽は時間の経過とともに変化し、やがて消える通時的芸術であるが、悠久の時の流れに身を任せているような体験を味わわせてくれるので、共時的でもある。つまり〈過去ー現在ー未来〉は同時にここにある。通時的かつ共時的であるという意味において、優れた音楽は社会人類学者レヴィ=ストロースが論じるように神話的構造を持っている。それでも通時的/共時的の意味が分からないという方は、下記事も参考になさってください。

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ハーゲン・クァルテット 2019@いずみホール

10月4日(金)いずみホールへ。ハーゲン・クァルテットを聴く。

Hagen

  • ハイドン:弦楽四重奏曲 第77番「皇帝」
  • バルトーク:弦楽四重奏曲 第3番
  • シューベルト:弦楽四重奏曲 第13番「ロザムンデ」
  • ハイドン:弦楽四重奏曲 第76番「五度」第4楽章
    (アンコール)

第2ヴァイオリンのライナー・シュミット以外の3人はハーゲン兄弟(妹)である。元々は4人兄弟姉妹で結成されたが、アンゲリカ・ハーゲンが途中で抜けた。

やはり肉親中心ということもあるのだろう。アルバン・ベルク弦楽四重奏団のような「切れ」よりも、「親密さ」を感じる。あくまで穏やか。

バルトークの音楽自体は尖っている。

シューベルトのカルテットは1824年に作曲された。梅毒の診断を受けたのが1822年12月(25歳)で、24年は水銀治療が開始された時期にあたる。

彼の弦楽四重奏曲の多くは家庭内での楽しみのために書かれた(第13番は作曲者の存命中に出版された唯一の弦楽四重奏曲である)。だからハーゲン・クァルテットのアプローチはとてもしっくりくる。

哀しい音楽だ。聴いていると頭の中に青ざめた、寂しげな面持ちの青年像が浮かび上がる。"Lonely Hearts Club Band"というビートルズの言葉が思い出された。

アルバン・ベルク弦楽四重奏団が「白黒」だとすると、ハーゲン・クァルテットは「淡い色」のシューベルトだった。


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〈20世紀の黙示録〉メシアンの最高傑作「世の終わりのための四重奏曲」をめぐって

フランスの作曲家オリヴィエ・ メシアン(1908-1992)の最も大切な要素として次のことが挙げられる。

  • カトリックの信仰ーオルガン作品全集はCD6枚に及ぶ。メシアンは22歳の時にパリのサントトリニテ(聖三位一体の意味)教会のオルガニストに就任、亡くなる直前までこの職を務めた。そういう意味でJ.S.バッハ、サン=サーンス、セザール・フランクらと似た境遇である。
  • メシアンの音楽はある意味、霊的な瞑想のために生み出された。「聖なる三位一体の神秘への瞑想」という作品もある。
  • 彼はフランスの地方をあちこち廻り、の声を克明に採譜した。その集大成と言えるのがピアノ独奏曲「鳥のカタログ」。全7巻13曲で構成される。他に「ニワムシクイ」 や 、全6曲から成る「鳥の小スケッチ」もある。またピアノと小規模編成オーケストラのための 「異国の鳥たち」には47種類の鳥の声が登場する。

「世の終わりのための四重奏曲」はメシアンが第二次世界大戦に参戦し、ドイツ軍の捕虜 となり、1940年にドイツとポーランドの国境にある捕虜収容所で初演された。 ヴァイオリン・チェロ・クラリネット・ピアノという珍しい編成は、そういう特殊な状況に置かれたために否応なく生じた。内容は新約聖書の最後に配された聖典「ヨハネの黙示録」に準拠し、8つの楽章で構成される。

  1. 水晶の典礼
  2. 世の終わりを告げる天使のためのヴォカリーズ
  3. 鳥たちの深淵
  4. 間奏曲
  5. イエスの永遠性への賛歌
  6. 7つのトランペットのための狂乱の踊り(初演時「ファンファーレ」)
  7. 世の終わりを告げる天使のための虹の混乱
  8. イエスの不滅性への賛歌(初演時「イエスの永遠性への第二賛歌」)

キリスト教において「7」は聖書的完全数とされる。旧約聖書の「創世記」で神が天地創造の7日目に休暇(安息日)をとったことに由来する。更にメシアンは、消えることのない光と永続する平安の8日目まで引き延ばされたこと(=イエスの不滅性)の象徴として第8楽章を構想した。

作品の中心には時の終わりを告げる天使の姿がある。天使は雲の衣に身を包み虹の冠を戴いて、右足は海に、左足は大地に置いている(第2、及び第7楽章)。天使が右足を置く海は、遥かに遠い神と忘却の地を象徴している。

第1楽章冒頭から鳥の鳴き声が聞こえてくる。第3楽章「鳥たちの深淵」はクラリネット・ソロ。メシアンにとって鳥とは、神の国(天国)と我々の世界(地上)を橋渡しする存在だったのではないだろうか?日本でも奈良・平安時代にはホトトギス(時鳥/黄昏鳥/夕影鳥)が冥界(彼岸)と現世(此岸)を往来する鳥と考えられていた。紫式部「源氏物語」では光源氏の息子・夕霧が次のような歌を詠む。

ほととぎす君につてなむふるさとの花橘は今ぞ盛りと
(ほととぎすよ、あの世に行ったら紫の上に伝えて欲しい。あなたが住んでいらっしゃった里の花橘は今が盛りに咲いていますと)

またメシアンの意識の中には、に向かって説教したとされるカトリック修道士、アッシジのフランチェスコのイメージもあったろう。実際に彼は「アッシジの聖フランチェスコ」というオペラを作曲している。

第6楽章で7人の天使がラッパを吹く。第1のラッパで血の混じった雹と火が地上に降り注ぎ、地上の三分の一と木々の三分の一と、すべての青草が焼けてしまう(ソドムとゴモラを想起させる)。 第2のラッパで巨大な山のような火の固まりが海の中に落ち、海の三分の一が血に変わり、海の生き物の三分の一が死に、すべての船の三分の一が壊される。第3のラッパで巨大な彗星がすべての川の三分の一とその水源の上に落ち、水の三分の一が苦くなって多くの人が死ぬ 。第5のラッパで奈落の王アバドン(滅ぼす者)が招聘され、イナゴの群れを率いて人間に襲いかかり、五ヶ月間苦しめる ……。これらは例えば庵野秀明「新世紀エヴァンゲリオン」のセカンド・インパクトとか、宮崎駿「崖の上のポニョ」などで描かれている。またイナゴの大群はテレンス・マリック監督「天国の日々」(マジック・アワーと呼ばれる時間帯の撮影で有名)に登場した。

「怒りの日」=この世の終わり。そしてそれに続く神の国(千年王国)の成就(死と再生)。

穏やかな第8楽章はヴァイオリンとピアノの二重奏。ピアノの響きは天国から聴こえてくる鐘の音のようだ。ヴァイオリンの音程は次第に上昇し、最後は昇天する。

お勧めのCDはタッシの演奏。

初演者のうち、ピアノを弾いたメシアンとチェロ奏者パスキエは間もなく釈放されパリに戻るが、クラリネット奏者アンリ・アコカはユダヤ人だったため他の収容所送りとなる。そして護送中に列車から飛び降り、逃げ切った。長らく極寒の収容所で過ごしたヴァイオリン奏者ジャン・ル・ブレールは音楽家としての道を諦め俳優に転身し、ジャン・ラニエという名前で映画「天井桟敷の人々(劇中劇『オセロー』イアーゴー役)」や「去年マリエンバートで」「柔らかい肌」などに出演した。

同じく「ヨハネの黙示録」のテキストに基づく音楽として、フランツ・シュミットが作曲したオラトリオ「7つの封印の書」がある。1938年にウィーンで初演されたが、当時既にオーストリアはナチス・ドイツに併合さていた

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さて、9月30日ザ・フェニックスホール@大阪市で、「時の終わりのための音楽」と題されたコンサートを聴いた。シュトゥットガルト放送交響楽団首席クラリネット奏者のディルク・アルトマンと、白井圭(ヴァイオリン)、横坂源(チェロ)、岡本麻子(ピアノ)で、

  • ラヴェル:ヴァイオリンとチェロのためのソナタ
  • マーラー:アンサンブルのための4つの歌(ウッキ編曲)
    1.ラインの伝説(「少年の魔法の角笛」より)
    2.私はよく思う、子どもたちはちょっと出かけただけなのだと(「亡き子をしのぶ歌」より)
    3.無駄な骨折り(「少年の魔法の角笛」より)
    4.高き知性への賛歌(「少年の魔法の角笛」より)
  • メシアン:世の終わりのための四重奏曲
  • マーラー:アンサンブルのための”私はこの世に捨てられて”(「リュッケットの詩による5つの歌曲」より)

「世の終わりのための四重奏曲」の第1楽章はクラリネットが左端、ヴァイオリンが右端の配置だったが、第3楽章のクラリネット・ソロを経て第4楽章からは左右が入れ替わった。またステージ両脇に衝立があり、チェロとピアノの2重奏になる第5楽章では演奏しないクラリネットとヴァイオリンと奏者が、終楽章では出番のないクラリネットとチェロ奏者が衝立の後ろに引っ込んだ。また第3楽章は谷間の深淵からクラリネットの音が立ち上ってくるようだった。最弱音ppから最強音ffまでダイナミクスの幅が広く、聴こえない高周波音(不可聴域)をカットしたCDでは味わえない、生音の迫力を堪能した。

ラヴェルの作品は1918年に亡くなったドビュッシーのための追悼企画として作曲された。激しいピチカートの使い方などがバルトークを彷彿とさせる。調べてみるとバルトークはラヴェルより6歳年下。このドビュッシー追悼企画にはバルトークも参加しており、フランスへの演奏旅行の際にラヴェルに会ったという記録もある。両者が互いに影響を受けていても不思議ではないだろう。またラヴェルはガーシュウィンに会ったこともあり、「のだめカンタービレ」で人気となった彼のピアノ協奏曲ト長調(1931年完成)にはジャズのイディオムが用いられ、明らかにガーシュウィンからの影響が見受けられる。

最後に演奏された”私はこの世に捨てられて”は、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「ベニスに死す」で人気となったマーラー/交響曲第5番 第4楽章 アダージェットの原型である。天国の日々。

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佐用姫(さよひめ)伝説とドリームタイム

ベルリン・フィル首席奏者で、ソリストとしても名高い〈フルートの貴公子〉エマニュエル・パユの最新アルバムは「Dreamtime/ドリームタイム」と名付けられた。

Dreamtime

ペンデレツキ、ライネッケ、モーツァルトらの楽曲に加え、武満徹の「ウォーター・ドリーミング」で締め括られる。

〈ドリームタイム〉とは、オーストラリアの先住民アボリジニの概念である。武満徹はオーストラリアのグルート島を訪れ、アボリジニのうたや踊りを見聞きし、その体験に基づきオーケストラ曲「夢の時(Dreamtime)」を作曲した。

パユも当然、そのことを踏まえた上で今回のアルバムを創っているわけだ。作曲者によるプログラム・ノートには次のように書かれている。

《ウォーター・ドリーミング》は、オーストラリア西部砂漠地帯 Papunya の画家によって描かれた 「Water Dreaming」という絵画に触発されて作曲された。オーストラリア原住民に伝わる神話「ドリームタイム」に基づいて描かれたその絵画の、簡素ながら、神話的記号と象徴に満ちたユニークなイメージは、私の心を強く捉えた。

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Water2

絵の同心円は泉を表象している。そこから水が周囲に溢れ、干渉する。

Waterdreaming

ところで僕はつい最近、佐用姫伝説のことを初めてラジオ(TBS「アフター6ジャンクション」)で聞き知った。松浦佐用姫(まつらさよひめ)は現在の佐賀県唐津市厳木町にいたとされる豪族の娘である。次のような伝承が残っている。

(日本書紀にも記載のある)武将・大伴狭手彦(おおとものさてひこ)が朝廷の命を受け537年新羅に遠征するためにこの地を訪れ、佐用姫と恋仲になる。ついに出征の日が訪れた。佐用姫は鏡山の頂上から領巾(ひれ)を振りながら見送っていたが、こらえきれなくなり舟を追って海辺の呼子まで行き、加部島で七日七晩泣きはらした末に石になってしまった。それは今でも佐用姫岩として残っている。

「万葉集」にはこの伝説に因んで詠まれた山上憶良の和歌がいくつか収録されている。

  • 山の名と言ひ継(つ)げとかも佐用比売(さよひめ)が、この山の上(へ)に領巾を振りけむ
  • 万代(よろづよ)に語り継げとしこの嶽(たけ)に、領巾振りけらし松浦佐用比売(まつらさよひめ)
  • 行く船を振り留(とど)みかね如何(いか)ばかり、恋しくありけむ松浦佐用比売

人(有機物)が自らの意思で石(無機物)に変化(へんげ)する神話・伝説・昔話というのは世界的に珍しい。ヨーロッパでは皆無だろう(ギリシャ神話のメドゥーサのエピソードは人の形のままの石化・石像化 freeze であり、変化 metamorphose ではない)。あちらでは「かえるの王さま」とか「美女と野獣」とか、魔法の力で人が他の動物に変えられる話が多い。そして大抵は元の姿に戻り、めでたしめでたし(and they lived happily ever after.)となる(そのアンチテーゼがアカデミー作品賞を受賞したギレルモ・デル・トロ監督「シェイプ・オブ・ウォーター」)。多分これはキリスト教と深い関わりがある。旧約聖書の「創世記」によると人は神に似せて造られた。だから人は万物の中で最も偉く、獣と結婚する(鶴女房/狐女房)とか、無機物に変化(へんげ)するなんてあってはならないのだ。そしてそれはイスラム世界にも当てはまる。

ところが、アボリジニ神話〈ドリームタイム〉にはこの手の話がいくつもみられる。例えば小説「世界の中心で、愛をさけぶ」にも登場した巨大な一枚岩ウルル(エアーズロック)にまつわるもの。大地を造った彼らの偉大なる祖先がここに眠り、岩に変化したというのである。

アボリジニの概念〈ドリームタイム〉と深層心理学/量子力学/武満徹の音楽」で紹介したように、「古事記」に記述された〈天の岩戸〉開きによく似たアボリジニ神話もある。人と自然の融和、自然の中の人間ー日本人とアボリジニの人々は間違いなく集合的無意識で繋がっている。

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