〈知識〉と〈教養〉の間(はざま)で
当ブログを10年以上書いていると、「知識量がすごいですね」と言われることが時折ある。
多分、そう声を掛けてくださる方に他意はないのだろうが、どうも素直に受け取れない自分がいる。何かしら〈含むところがある〉ように感じてしまうのだ。「単に知識をひけらかしているだけでしょ?」とか、「衒学的な人ですね」と暗に非難されているような。「博識ですね」とか「教養がありますね」なら手放しで嬉しいのだが……。考え過ぎだということは分かっている。面倒くさい奴でごめんなさい。
僕の認識として〈知識〉があるとはクイズ王決定戦で優勝するとか、教科書や辞書を丸暗記するとか、そういった類のことである。つまり記憶力の問題ね。
一方、〈教養〉を辞書(三省堂 大辞林 第三版)で調べると次のようにある。
- 社会人として必要な広い文化的な知識。また、それによって養われた品位。
- 単なる知識ではなく、人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させるために、学び養われる学問や芸術など。
だから映画やミュージカルが大好きでたくさん観て、音楽をたくさん聴いて、本を読んで、その過程で自然に身についた知識なら、〈教養〉と呼ばれてしかるべきではないだろうか?
マーク・トウェイン「トム・ソーヤーの冒険」に次のようなエピソードがある。
日曜学校で聖書を二節暗唱すると、青い札を一枚貰える。青い札が十枚貯まると、赤い札に交換してもらえる。赤い札十枚が黄色い札一枚。黄色い札十枚と引換えに、日曜学校の先生がごく質素な装幀の聖書をくれる。つまり聖書の文句を二千節覚える必要がある。トムはリコリス菓子とかビー玉、ちょっとした小物などで他の子供達を買収し、交換した札を集めてまんまとその栄誉を手に入れる。そしてその場にいた判事から次のように褒められる。
「実に大したものだよ。それだけ頑張って覚えたことを、君は今後も絶対に後悔しないだろうよ。知識はこの世で何より価値あるものだ。知識があってこそ偉人も善人も生まれる。トマス、君もいつの日か偉人にして善人となることだろう。そのとき、昔をふり返って、みんなあの日曜学校のおかげだ、と思うことだろう。先生がたが教えてくださったおかげだ、校長先生が励ましてくださり見守ってくださり美しい聖書をくださったおかげだ、(中略)そう思うことだろう。きっと思うとも、トマスーそして君は、この二千節はどんな金より大事と思うだろうーそうとも、絶対に」
マーク・トウェイン(柴田元幸 訳)「トム・ソーヤーの冒険」新潮社
丸暗記した〈知識〉なるものの胡散臭さ、馬鹿馬鹿しさを見事に暴き出した文章である。意地悪だけど、ユーモアがある。
〈知識(knowledge)〉と〈教養(culture)〉は違う。「教養がありますね」と言われるような、そういうものに わたしはなりたい。そのために今後も切磋琢磨して、雨ニモマケズ〈エンターテイメント日誌〉を書いてゆく所存である。
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