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2019年8月

2019年8月30日 (金)

バッハ・オルガン作品演奏会 アンコール Vol.1/アルフィート・ガスト

8月29日(木)いずみホールへ。昨年、半年がかりで大規模改修が行われたパイプオルガンをドイツ・ブレーメン生まれのアルフィート・ガストの演奏で聴いた。

  • J.S.バッハ:クラヴィーア練習曲集 第3部 より抜粋
        (休憩)
  • 西村朗:オルガンのための前奏曲「焔の幻影」
  • シューマン:ペダル・ピアノのための6つの練習曲(カノン形式の作品)
  • レーガー:B-A-C-Hの名による幻想曲とフーガ
  • メンデルスゾーン:オルガン・ソナタ 第3番 第2楽章 アンコール

楽器のせいか、奏者の「音選び(レジスト)」の賜物かよく分からないが、明るく朗らかな音色が心地よい。森林浴をしている気分というか、前半のJ.S.バッハではステンドグラスから真っ直ぐ太陽光が教会内に降り注ぐ光景が幻視された。

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映画「天気の子」より

この「天使のはしご(ヤコブのはしご/薄明光線)」のような印象は不思議と、プログラム後半の作曲家からは聴き取ることが出来ない。大バッハ固有の特質だろう。

西村朗の曲は「初めちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子泣いても蓋取るな」というかまど炊きごはんの火加減の文句を想い出した。調性のない音楽だけど聴き易く、面白かった!あと「オルガンってこんな音も出せるんだ」という驚きがあった。

シューマンの音楽はとてもロマンティック。教会音楽からかけ離れた存在。ペダル・ピアノってこんなの。

Pedal

レーガーは複雑で荘厳。J.S.バッハより「しかめっ面」かな。因みに「B-A-C-Hの名による幻想曲とフーガ」ってリストも作曲していて、田村文生による吹奏楽編曲版が大人気なんだ。しばしば吹奏楽コンクール全国大会でも演奏される。

アンコールのメンデルスゾーンはシンプルで、バッハに回帰しようとする意志が強く感じられた。20歳のメンデルスゾーンが100年ぶりに「マタイ受難曲」を蘇演したことは余りにも有名である。

今回のシェフおすすめのフル・コースはデザートまで盛り沢山で、実に愉しかった。音楽を聴く歓びがそこにはあった。

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トゥーランドット@びわ湖ホール

7月28日(日)びわ湖ホールでプッチーニのオペラ「トゥーランドット」を鑑賞した。

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その前に「熟豚」でランチ。絶品だった!!とんかつ部門で間違いなく生涯ベスト。

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東京文化会館・新国立劇場・札幌文化芸術劇場との提携公演である。演出はバルセロナ生まれのアレックス・オリエ。

大野和士/バルセロナ交響楽団で、びわ湖ホール声楽アンサンブル+新国立劇場合唱団+藤原歌劇団合唱部の演奏。

主な配役はトゥーランドット:ジェニファー・ウィルソン、カラフ:デヴィッド・ポメロイ、リュー:砂川涼子 ほか。

なんと前日27日に周辺地域が停電し、公演が約1時間中断したそう。舞台機構も故障し、一部演出を修正して上演された。

やはり大野はオペラ指揮者だなと甚く感心した。オーケストラが実に雄弁だった。ただ、実力としては東京のオケのほうが上かな。管楽器とか、大阪フィルとどっこいどっこいだと感じた。

本作はプッチーニの遺作であり、第3幕途中で未完のうちに作曲家は死去した。プッチーニのスケッチを基にフランコ・アルファーノが補筆完成した。

中国の皇女トゥーランドットは求婚者に三つの謎掛けをする。それが解けぬと首を刎ねる。しかしタタールの王子カラフはすべて正解し、彼女と結ばれて幕となる。

今回の演出では結末を変更し、トゥーランドットがナイフで首を切り自害する。確かに冷酷で誇り高いお姫様が愛に目覚めて転向するのは不自然だし、こういう新解釈も「蝶々夫人」みたいで、ありかなと思う。しかし全般的に暗く地味で、あまり好きにはなれない。特に三人の大臣〈ピン・ポン・パン〉が顔を泥だらけにして、乞食みたいな格好で登場したのには「それはないだろう」と引いた。「貧乏くさい。レ・ミゼラブルか!」

このオペラにはもっと〈華(はな)〉が欲しい。

「ド派手でけばけばしい」と批判もあるが、僕はフランコ・ゼッフィレッリが演出した絢爛豪華なメト版や、チャン・イーモウ(映画「紅いコーリャン」「初恋のきた道」「HERO」を監督、北京オリンピック開会式チーフディレクター)が演出し、紫禁城で上演されたフィレンツェ歌劇場のプロダクション(ズービン・メータ指揮)の方が断然好きだなぁ。余談だが浅利慶太がミラノ・スカラ座で演出した「トゥーランドット」(ジョルジュ・プレートル指揮)は酷かった。びわ湖ホール版といい勝負(どんぐりの背比べ)だ。

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2019年8月29日 (木)

ミュージカル映画「ロケットマン」とハグ問題について。

評価:A  公式サイトはこちら

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映画「ボヘミアン・ラプソディ」のレビューで僕は次のように書いた。

主演のラミ・マレックと衝突していたブライアン・シンガー監督が感謝祭の休暇後に現場に戻らなかったことで、撮影終了2週間前にシンガーは解雇された。後任のデクスター・フレッチャーが監督を引き継ぐまでの間、撮影監督ニュートン・トーマス・サイジェルが監督代行を務めたという。(中略)しかし出来上がった作品はそんな混迷を微塵も感じさせない、極めて高い完成度に到達しており、心底驚いた。奇跡と言ってもいい。

エルトン・ジョンの半生を描く「ロケットマン」を観て、漸く「ボヘミアン・ラプソディ」が傑作に仕上がった理由が了解出来た。あとを継いだデクスター・フレッチャーが極めて優秀だったのである。

「ボヘミアン」でクイーンの曲が流れるのは主にコンサートとレコーディング・シーンである。しかしフレッチャーは「ロケットマン」でやり方をごろっと変えた。エルトン・ジョンだけではなく彼を取り巻く人々も歌い、踊る。本格的ミュージカル映画仕立てとなっている。エルトンは(その内面はともかく、見かけ上)ド派手な人なので、イリュージョンに満ちた演出法がピタッとはまった。タロン・エガートンの歌唱もパーフェクト!

上記事で映画のクライマックスで歌われる「黄昏のレンガ道」(Goodbye Yellow Brick Road,1973) について極めて重要なことを書いた。併せてお読み頂きたい。

劇中、繰り返し少年期のエルトンが登場する。「ハグして」と父親に求めてもそれに応えてくれなかったという悲しみが、癒やされることのない心の傷としてずっと尾を引く。本作を観ながら真っ先に想い出したのがエリア・カザン監督ジェームズ・ディーン主演「エデンの東」(原作者はノーベル文学賞を受賞したジョン・スタインベック)である。主人公キャルは「父に愛されていないのではないか」と苦悩する。一方、兄アロンは父から期待され祝福されており、アロンに対するキャルの嫉妬心が物語を転がす原動力となる。これは旧約聖書の「創世記」に書かれたカインとアベルという兄弟の確執がベースになっている。神ヤハウェに愛されたアベルを恨んだカインは弟を殺してしまう。人類最初の殺人である。ヤハウェはカインをエデンの東に追放する。

あと映画「フィールド・オブ・ドリームス」と、山田太一原作・大林宣彦監督の「異人たちとの夏」を観て、父親というものは息子と絶対にキャッチボールをしておくべきだということを学んだ。確かあれは「パンダコパンダ」DVDの特典映像だったと記憶しているが、宮崎駿の息子・吾朗がインタビューに答えて、少年時代に父の仕事が忙しくて彼が起きている間に帰宅することが全くなく、「キャッチボールも一度もしてもらえなかった」と恨みつらみを滔々と並び立てていたのがとても可笑しかった。いやいや吾朗くん、父親があの偉大な宮崎駿じゃなかったら、君がアニメーション映画を監督するチャンスを与えられるなんて一生なかったろうよ。感謝なさい。

というわけで全国のお父さんたち。息子が幼いうちにしっかりハグして、キャッチボールをしてあげておこう。そうじゃないと30年経っても恨まれ続けるハメになるから。

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2019年8月28日 (水)

超実写版「ライオンキング」の抱える欺瞞

駄目だこりゃ。死ぬほど退屈した。

評価:D

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今回は「超実写版」と銘打たれているが、その説明によると”ディズニーが挑んだ、実写もアニメーションも超えた新たな表現方法”なのだそうだ。身も蓋もない言い方をすれば、実写と見間違えるほどリアルなCGアニメーションということである。同じジョン・ファヴローが監督し、2016年度のアカデミー視覚効果賞を受賞した「ジャングル・ブック」の実績を踏まえての自信なのだろう。

いや、確かに技術はすごい。出てくる動物も、アフリカの風景も本物にしか見えない。CGも遂にここまで来たか!という感慨はある。

しかし映像がリアルになればリアルになるだけ、〈動物が人間の言葉を喋る〉ことの違和感が増幅する。それと〈Circle of life(生命の輪、円環構造)〉と言いながら、実は劇中でライオンが草食動物を捕食する場面を一切見せないという欺瞞が浮き彫りにされる。これは手塚治虫の名作漫画「ジャングル大帝」も同時に抱える欺瞞である。プンバァ(イボイノシシ)とティモン(ミーアキャット)のコンビは、シンバに食べられないようにするために彼に昆虫採食を勧めるわけだが、「草食動物を食べることは残酷で、相手が昆虫ならええんかい!」とツッコミを入れたくなる。矛盾だ。実際のところライオンの体は大きいのだから、昆虫のタンパク質だけだったら生命を維持出来ないだろう。人間だって草食動物をバクバク捕食しているわけだし、ライオンにこのような倫理観を押し付けるのは間違っている。そういう物語上のアラが目立ってしまった。

あと画面構成(レイアウト)も、編集(カット割り)も1994年のアニメ版とそっくりそのままで、「リメイクする意味って何かあるん???」と頭の中を疑問符がぐるぐる回り続けた。

これは〈映画〉じゃない。〈アトラクション〉だ。

それからスカー(シンバの叔父)の声はアニメ版のジェレミー・アイアンズ、ハイエナのシェンジ役はやはり94年版のウーピー・ゴールドバーグの方が断然味があって良かったなぁ。また余談だが、94年版でシンバの声を当てたマシュー・ブロデリックと、ティモン役のネイサン・レインは後に舞台ミュージカル「プロデューサーズ」(台本・音楽:メル・ブルックス)でもコンビを組み、トニー賞を総なめにした。僕は2001年8月末(9・11同時多発テロ直前)にブロードウェイでこの二人が出演する「プロデューサーズ」を観た。本当に素晴らしかった。

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2019年8月27日 (火)

「ダンスウィズミー」は和製ミュージカル映画の救世主たり得たか?

評価:B

「レ・ミゼラブル」「グレイテスト・ショーマン」「ラ・ラ・ランド」が大ヒットするなど、日本人はミュージカル映画が大好きだ。広義に音楽映画として捉えると、昨年公開された「ボヘミアン・ラプソディ」に対する熱狂的歓迎ぶりも記憶に新しい。我が国での興行収入は130億円を超え、米国に次ぐ世界第2位の記録となった(クイーンのお膝元イギリスは第4位)。しかし悲しいかな和製ミュージカルの傑作・ヒット作がなかなか生まれない。だから予告編を見て矢口史靖監督には期待していた。「スウィングガールズ」という優れた音楽映画の実績もあるわけだし。

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しかし「いきなり歌って踊り出すミュージカルはあり得ないから嫌い」とタモリみたいなことを言う主人公が人前で歌い出すきっかけが、催眠術という設定はそれこそ「あり得ない」不自然の極みであり、この開き直りは全く受け入れられなかった。問いに対する回答になっていない、これは「逃げ」だ。

それと歌われる楽曲が既成の昭和歌謡曲ばかりで古臭い。「のど自慢」大会じゃないんだから。本格的ミュージカル映画を目指すのならばオリジナル楽曲で勝負して欲しかった。そういう意味で、周防正行監督「舞妓はレディ」の方が断然志しが高かったと僕は思う。

ただ倉庫でヒロインがガラの悪い兄ちゃんたちと熱いダンスバトルを繰り広げる展開はダイアン・レイン主演、ウォルター・ヒル監督「ストリート・オブ・ファイヤー」みたいで血が滾(たぎ)ったし、会社でのミュージカル・シーンはロバート・モース主演「努力しないで出世する方法(How to Succeed in Business Without Really Trying ) 」、公園でのデュエット・ダンスは「バンド・ワゴン」のフレッド・アステアとシド・チャリシーによる"Dancing in the Dark"といった具合に往年の名画を懐かしく想い出した。

映画としてはトホホの出来だけれど、ヒロインを演じた三吉彩花が美人で大変魅力的。彼女が歌って踊る場面になるとワクワクしてしまうミュージカル・ファンとしての自分の性(さが)が悲しかった。彼女には是非とも舞台ミュージカルの世界へ来て欲しい。

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2019年8月26日 (月)

「シシ神の森」屋久島旅行記

8月3日(土)から7日(水)まで4泊5日で鹿児島県・屋久島に旅をした。

初めて屋久島を訪れたのは1997年夏。映画「もののけ姫」が公開された年である。宮崎駿監督とスタッフがロケハン時に泊まった民宿「水明荘」に僕も宿をとった。監督の色紙が飾られていた。往復8時間かけて縄文杉まで歩いたのだが、その時の旅の記録はここに書き記した。「スタジオジブリ」HPにも掲載された。あと帰りの屋久島空港の待合で、たまたま僕の隣に立川談志が座っていたのも懐かしい思い出だ。その時僕は談志の落語を聴いたことがなかったので話しかけたりしなかったが、付き人に対して何かブツブツ小言を並べていた。

今回宿泊したのはJRホテル屋久島。とろみのある天然温泉が極上だった。和歌山県の龍神温泉、愛媛県今治市にある鈍川温泉など、「美人の湯」と呼ばれる温泉は数あれど、僕が入った中では屋久島の泉質が最高だった。

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上の写真はホテルの展望風呂付き客室からの眺め。絶景のオーシャン・ビューである。食事も美味しかった!

それにしても可笑しいのは、屋久島には鉄道が走っていないんだよね。何故JRホテルがここに??

到着初日は空港近くでレンタカーを借りてヤクスギランドと、その近くにある紀元杉へ。

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屋久杉は何本もの太い縄を寄せ集め、束ねたような印象で、どこか注連縄(しめなわ)を想起させる。

「屋久島はひと月に35日雨が降る」と表現したのは林芙美子の小説「浮雲」である。成瀬巳喜男監督の映画版も日本映画史に燦然と輝く傑作だ。空港では晴れていたのに山中のヤクスギランドに着く頃は土砂降り。また海岸線に車で降りてくると道路はカラッと乾いていた。

旅の2日目は丸一日、ガイドを雇い沢登りを愉しんだ。屋久島の川の水はとてもきれいで、鮎も泳いでいる。ヘルメット、プロテクター、ライフジャケットを身に着けて、小学校2年生の息子は何度も高い岩の上から川に飛び込んでいた。その光景を見ながら映画「明日に向って撃て!」とか「ヤング・ゼネレーション」「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」の一場面を想い出した。

お昼はガイドの人が森の中でパエリアを料理してくれた。有頭海老やムール貝の入った本格的なもの。今まで食べたパエリアの中で一番の味だった。でも同時に飲んだインスタントの味噌汁も美味しかったので、シチュエーションの効果も大きいのだろう。

3日目、白谷雲水峡を歩く。

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今にも森の妖精〈こだま〉が出てきそうな「苔むす森」。

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ちなみに〈こだま〉は漢字で〈木霊〉と書き、樹木に宿る精霊のことである。「もののけ姫」が大好きな人はここと、縄文杉を併せて訪れたい。

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二股の「くぐり杉」である。

大川(おおこ)の滝は「日本の滝 百選」にも選ばれている。

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実にダイナミック。すぐ近くまで行けて、水飛沫を全身に浴びた。

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最終日は千尋(せんぴろ)の滝を訪れた。

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左側にある巨大な花崗岩 の岩盤が壮観である。

そしてトローキの滝へ。海に直接水が落ちる海岸瀑である。

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屋久島は山・川・海と大自然を満喫出来る。あと昨年の沖縄・宮古島でも感じたのだが、関西より断然涼しい。ガイドの人も「屋久島は避暑地です」と断言していた。日本の夏は南の島に限る!

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2019年8月17日 (土)

映画「ロケットマン」公開記念!エルトン・ジョンとバーニー・トーピンの世界 その2

「黄昏のレンガ道」(Goodbye Yellow Brick Road,1973)を翻訳する上での最大のポイントはYellow Brick Roadとは何か?に尽きる。これが分らないとちんぷんかんぷんだろう。黄色いレンガ道は「オズの魔法使い」に出てくるので、最低限ジュディ・ガーランド主演のMGM映画を観ておくか、ライマン・フランク・ボームの原作小説を読んでいることが必須である。つまり、リスナーの教養が問われている。 アルバムの表紙でも明らか。

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ドロシーは南の良い魔女グリンダに"Follow the yellow brick road"と言われ、

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その結果、オズの魔法使いが居るエメラルド・シティにたどり着く。

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「黄昏のレンガ道」はエルトン・ジョンに愛想を尽かしたバーニー・トーピンが彼に三下り半を突きつける歌詞である。それをエルトンが歌っているのが何とも皮肉な話だ(後にふたりは和解する)。なおバーニーはイングランド東部にあるリンカンシャー州スリーフォード出身。田舎町である。一方、歌の中で(黄色いレンガ道の終着地)エメラルド・シティは虚飾の都・ロンドンの暗喩になっている。

"Goodbye Yellow Brick Road"

When are you gonna come down?
When are you going to land?
I should have stayed on the farm
I should have listened to my old man

いつ都会(ロンドン)を離れるんだ?
いつ田舎に戻る?
僕は農場に留まるべきだった
おやじの言うことを聞いておけばよかった

You know you can't hold me forever
I didn't sign up with you
I'm not a present for your friends to open
This boy's too young to be singing, the blues

ねえ、君は僕のことを永遠に繋ぎ留めることは出来ないよ
僕は君と契約していないし
君の友だちに包装紙を開かせるための贈り物でもない
この少年(僕)がブルースを歌うには若すぎる

So goodbye yellow brick road
Where the dogs of society howl
You can't plant me in your penthouse
I'm going back to my plough

だから黄色いレンガ道にサヨナラさ
社交界の犬が吠える
君は僕を高級マンションの植木(お飾り)には出来ない
僕は農場(耕作地)に帰る

Back to the howling old owl in the woods
Hunting the horny back toad
Oh I've finally decided my future lies
Beyond the yellow brick road

年老いたフクロウが鳴く森へ戻り
ツノガエルを捕まえるんだ
ああ、漸く決心がついた。僕の未来は
黄色いレンガ道の、さらにその先にあるんだ

What do you think you'll do then?
I bet that'll shoot down your plane
It'll take you a couple of vodka and tonics
To set you on your feet again

それで君はこれからどうするつもり?
賭けてもいいが、君の自家用飛行機は撃ち落とされるね
ウォッカのソーダ割りが二杯必要になるさ
君が再び立ち直るためにはね

Maybe you'll get a replacement
There's plenty like me to be found
Mongrels who ain't got a penny
Sniffing for tidbits like you on the ground

多分君は代わりの人間(作詞家)を見つけるさ
探せば僕みたいなのはごまんといる
一文無しの野良犬たちが
君みたいな餌が地べたに転がっていないか嗅ぎ回っているからね

(以下繰り返し)

So goodbye yellow brick road
Where the dogs of society howl
You can't plant me in your penthouse
I'm going back to my plough

Back to the howling old owl in the woods
Hunting the horny back toad
Oh I've finally decided my future lies
Beyond the yellow brick road

強烈な歌詞である。

次に映画「ロケットマン」には登場しないが、バーニー・トーピンの傑作中の傑作をご紹介したい。これは衝撃的。"Ticking"、日本語タイトルは「母さんの言葉」1974年の作品だ。

ローリング・ストーン誌の読者が選んだ、「エルトン・ジョンの隠れた名曲ベスト10」で第2位に輝いた(第1位は「モナ・リザ・アンド・マッド・ハッター」)。14人の死者を出したニューヨーク・クイーンズ区のバーで起こった銃乱射事件を題材にした意欲作である。現在まで続くアメリカの病理に大胆に切り込んでいる。

"Ticking"

"An extremely quiet child" they called you in your school report
"He's always taken interest in the subjects that he's taught"
So what was it that brought the squad car screaming up your drive
To notify your parents of the manner in which you died

「極めて静かな子どもだった」と君の学校の報告書に書かれている
「彼は常に教えられた教科に興味を示した」
だからパトカーがサイレンを鳴らしながら君の家(の私道)に駆けつけ
君がどんな風に死んだか両親に知らせたあれは、一体何だったのか?

At St. Patrick's every Sunday, Father Fletcher heard your sins
"Oh, he's unconcerned with competition he never cares to win"
But blood stained a young hand that never held a gun
And his parents never thought of him as their troubled son

セント・パトリックで毎日曜日、フレッチャー神父は君の懺悔を聞いた
「ああ、彼は競争に関わらない。勝つことに全く興味がないのです」
しかし、それまで銃を持ったことがなかった若者の手は血で染まった
両親は決して彼を問題を起こすような息子だと考えたことがなかった

"Now you'll never get to Heaven" Mama said
Remember Mama said
Ticking, ticking
"Grow up straight and true blue
Run along to bed"
Hear it, hear it, ticking, ticking

「そんなことじゃ天国へ行けないよ」と母さんは言った
母さんが言ったことを思い出して
「真っ直ぐ育って志操堅固な人におなり
さぁ、さっさとベッドに行っておやすみ」
お聞き、お聞き。チクタク、チクタク

They had you holed up in a downtown bar screaming for a priest
Some gook said "His brain's just snapped" then someone called the police
You'd knifed a Negro waiter who had tried to calm you down
Oh you'd pulled a gun and told them all to lay still on the ground

君は繁華街のバーに引きこもり、神父を求めて叫んだ
ある東洋人が言った「彼の脳みそはパチンとはじけ飛んだ」そして誰かが警察を呼んだ
君のことを落ち着かせようとした黒人ウェイターを君はナイフで刺した
ああ君は銃を引っ張り出し、彼ら全員に地面に伏せるよう指図した

Promising to hurt no one, providing they were still
A young man tried to make a break, with tear-filled eyes you killed
That gun butt felt so smooth and warm cradled in your palm
Oh your childhood cried out in your head "they mean to do you harm"

もしじっと動かなければ、誰も傷つけないからと約束した
逃走を図った若者を、目に涙をいっぱい浮かべながら君は殺した
君の手のひらにそっと包まれた銃床は滑らかで暖かく感じられた
君の幼年期は頭の中で叫んだ「僕は悪くない、彼らが僕を傷つけようとしたんだ」

"Don't ever ride on the devil's knee" Mama said
Remember mama said
Ticking, ticking
"Pay your penance well, my child
Fear where angels tread"

「悪魔の膝に乗っちゃ駄目よ」母さんは言った
母さんが言ったことを思い出して
チクタク、チクタク
「しっかり神様に懺悔なさい、私の坊や
天使が足を踏み入れる場所を恐れなさい」

Hear it, hear it, ticking, ticking

お聞き、お聞き。チクタク、チクタク

Within an hour the news had reached the media machine
A male Caucasian with a gun had gone berserk in Queens
The area had been sealed off, the kids sent home from school
Fourteen people lying dead in a bar they called the Kicking Mule

1時間以内にそのニュースはマスコミに伝わった
銃を持った白人男性がクイーンズで暴れている
その地区は封鎖され、子どもたちは学校から帰宅させられた
「ラバの蹴り」と呼ばれるバーで14人の遺体が転がっている

Oh they pleaded to your sanity for the sake of those inside
"Throw out your gun, walk out slow just keep your hands held high"
But they pumped you full of rifle shells as you stepped out the door
Oh you danced in death like a marionette on the vengeance of the law

警官はバーの店内に残っている人達のために、君の正気に訴えた
「銃を捨てなさい。両手を高く上げてゆっくり歩いて出てきなさい」
でも君がドアから歩み出ると、彼らは一斉にライフル銃全弾を浴びせた
ああ君は法のもとに復讐され、操り人形のように死の舞踏を踊った

"You've slept too long in silence" Mama said
Remember Mama said
Ticking, ticking
"Crazy boy, you'll only wind up with strange notions in your head"
Hear it, hear it, ticking, ticking

「お前は長い間静かに眠りすぎたのよ」母さんは言った
母さんが言ったことを思い出して
チクタク、チクタク
「困った子。お前の頭はおかしな考えに取り憑かれてしまっただけなの」
お聞き、お聞き。チクタク、チクタク

Kicking Muleは直訳すると「ラバの蹴り」。キックはカクテルのアルコール度数の強烈さを表す表現。 「キックがある」「キックが強い」とはアルコール度数の高い強烈なカクテルである、という意味。アルコール抜きで作ることを「ウィズアウト・キック」とも言う。モスコー・ミュール(モスクワのラバ)はウォッカによるキックの強烈さをラバの蹴りに例えてつけられた。

なお、ローリング・ストーン誌で第1位になった「モナ・リザ・アンド・マッド・ハッター」もニューヨークの闇を描いており、Mona Lisaは微笑まない美人、Mad Hatter(気が触れた帽子屋)は「不思議の国のアリス」の登場人物だが、ここではドラッグ売人のスラング。歌詞の中に出てくる「スパニッシュ・ハーレム」はBen.E.Kingの名曲"Spanish Harlem"に触発されている。

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2019年8月16日 (金)

映画「ロケットマン」公開記念!エルトン・ジョンとバーニー・トーピンの世界 その1

エルトン・ジョンの半生を描く映画「ロケットマン」が間もなく公開される。監督は「ボヘミアン・ラプソディ」でブライアン・シンガーが撮影現場に来なくなり、その後を引き継いだデクスター・フレッチャー。「ボヘミアン」でクイーンの音楽はライヴやレコーディング・シーンに流れるが、「ロケットマン」ではエルトンのまわりの人も歌って踊り出すミュージカル映画仕立てになっている。

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昨年は大阪桐蔭高等学校吹奏楽部(指揮:梅田隆司先生)が演奏するクイーン・メドレーが話題を席巻した(映画「ボヘミアン・ラプソディ」公式MVになった)。

今後、エルトン・ジョンの曲を演奏する吹奏楽団も沢山あるだろう。

今回ご紹介したいのはエルトンと組み数々の歌を作詞したバーニー・トーピンだ。ふたりが出会ったのは1967年7月。エルトンが20歳、バーニーは17歳だった。そして間もなく名曲「僕の歌は君の歌」(Your Song)が生まれた。エルトンはゲイ(LGBT)だが、バーニーはストレート(ノン気/異性愛者)である。

しかし残念なことにトーピンの詞のまともな日本語訳が殆ど無い。意味不明。これは長年に渡りエルトン・ジョンのアルバムのライナーノーツを書いてきた今野雄二(映画・音楽評論家。2010年に自宅で首吊り自殺した)の責任でもあるだろう。そこで僕なりに、きちんと意味が通るよう訳し直してみた。何かの参考になれば幸いである。まずは映画のタイトル曲から。

「ロケットマン」

She packed my bags last night pre-flight
Zero hour nine a.m.
And I'm gonna be high as a kite by then
I miss the earth so much I miss my wife
It's lonely out in space
On such a timeless flight

昨夜、飛び立つ前に妻は荷造りしてくれた
ロケット発射時刻は午前9時きっかり
その頃、僕は凧みたいに上空に舞い上がっているだろう
地球がとても恋しい、妻にも会いたい
宇宙ではひとりぼっち
こんな終わりのないフライトでは

And I think it's gonna be a long long time
Till touch down brings me round again to find
I'm not the man they think I am at home
Oh no no no I'm a rocket man
Rocket man burning out his fuse up here alone

まだずっと、ずっと先のことだけど
着陸して無事帰宅すれば
地球にいた頃の僕とは別人だって判るさ
いやいや全然違うさ、僕は宇宙飛行士
ヒューズは燃え尽き宇宙飛行士はひとりぼっちで虚空を漂っている

Mars ain't the kind of place to raise your kids
In fact it's cold as hell
And there's no one there to raise them if you did
And all this science I don't understand
It's just my job five days a week
A rocket man, a rocket man

火星は子供を育てるような場所じゃない
実際、地獄のように寒い
もし育てようとしたって上手くいかない
科学のことなんか全く判らない
僕は週5日仕事をこなす
宇宙飛行士、宇宙飛行士なのさ

And I think it's gonna be a long long time...

一番問題となるポイントは"Rocket man burning out his fuse up here alone"である。つまり、ロケットは停電し機能停止状態になり、宇宙飛行士は漆黒の闇を一人あてどなく漂っている。無事地球に帰還出来る望みは薄い。絶望的状況。ただ彼が船内に留まっているのか、船外に放り出されたのかははっきりしない。映画「ゼロ・グラビティ」(2013)でサンドラ・ブロックが陥った状態に近いと言えるのではないだろうか。

続いて「僕を救ったプリマドンナ」(Someone Saved My Life Tonight )に行ってみよう。そもそも邦題から間違っている。無茶苦茶だ。「今宵、誰かが僕の命を(プリマドンナから)救った」のであり、その誰かとは〈シュガーベア〉という渾名を持つ髭面のブルース歌手、ロング・ジョン・ボルドリーだ。エルトンは下積み時代にロング・ジョンの後ろで演奏していた。〈プリマドンナ〉とは当時まだ音楽家として食えなかった彼がロンドン・イーストエンドのアパートをシェアして住んでいたリンダという3歳年上の女性で、偽装結婚しなければならないと思い詰めていたエルトンは彼女と婚約していた(当時イギリスでゲイであることは罪であり、逮捕されたり投薬による矯正治療を強いられた。詳しくは映画「イミテーション・ゲーム」を参照されたし)。〈女王様(気取り)〉もリンダを指す。そんな彼にロング・ジョンは「自分を偽るな。そんなことをしたらミュージシャンとしても駄目になる」とバーで説得した。この頃、エルトンは自殺未遂もしたそうだ。ゲイの作曲家チャイコフスキーが追い込まれた精神状態に似ている。

"Someone Saved My Life Tonight"

When I think of those east end lights, muggy nights
The curtains drawn in the little room downstairs
Prima donna lord you really should have been there
Sitting like a princess perched in her electric chair
And it’s one more beer and I don’t hear you anymore
We’ve all gone crazy lately
My friends out there rolling round the basement floor

イーストエンドの街の灯、蒸し暑い夜を思う
階下の小部屋のカーテンは閉じていた
気難しいプリマドンナ様、君はそこにいるんだろ
光瞬く電飾の椅子にお姫様みたいにお高くとまって
ビールをもう一杯飲んだら、僕はもう君の言葉が耳に入らない
僕らは最近、どうかしていた
僕の友達は地下の床を転がっている
(恐らく地下のバーで酔いつぶれているシュガーベアたちのこと)

And someone saved my life tonight sugar bear
You almost had your hooks in me didn’t you dear
You nearly had me roped and tied
Altar-bound, hypnotized
Sweet freedom whispered in my ear
You’re a butterfly
And butterflies are free to fly
Fly away, high away, bye bye

今夜、ある人が僕の命を救ってくれた。シュガーベアのことさ
君は僕をフックに引っ掛けたままにしたね
僕をロープで縛り付け
結婚式の祭壇に拘束し、催眠術をかけた
ところが僕の耳に甘美な自由が囁かれた
「君は蝶々だ
蝶々は自由に飛び
高く舞い上がり、飛び去る。じゃぁね、バイバイ」

I never realised the passing hours of evening showers
A slip noose hanging in my darkest dreams
I’m strangled by your haunted social scene
Just a pawn out-played by a dominating queen
It’s four o’clock in the morning
Damn it listen to me good
I’m sleeping with myself tonight
Saved in time, thank God my music’s still alive

昨日の夕立には気付かなかった
漆黒の夢の中で、ロープで作られた首吊用の輪がぶら下がっていた
君が言う忌まわしい世間体のために絞め殺される寸前だった
僕は支配者然と振る舞う女王様に操られるチェスの駒に過ぎなかった
今は朝の4時
畜生!いいか、僕の言うことをよく聞け
今日は僕一人で寝る
すんでのところで救われた。神よ感謝します、僕の音楽はまだ生きている

And I would have walked head on into the deep end of the river
Clinging to your stocks and bonds
Paying your h.p. demands forever
They’re coming in the morning with a truck to take me home
Someone saved my life tonight, someone saved my life tonight
Someone saved my life tonight, someone saved my life tonight
Someone saved my life tonight
So save your strength and run the field you play alone

僕は川の深みに足を取られ、頭まで水に浸かる(溺死する)ところだった
君の株や債権にがんじがらめにされ
君のローンを永遠に払い続けさせられて
でも朝になれば家族がトラックで迎えに来て僕を実家に連れ帰ってくれる
今夜、ある人が僕の命を救ってくれた
だから君はこれからも横暴なまま、一人で好き勝手に振る舞えばいいさ

(h.p. demandsとは【Hire Purchase:分割払い式購入】の請求)

なお、「ライオンキング」やディズニー版「アイーダ」(舞台)などのミュージカルでエルトン・ジョンと組んだ作詞家は「ジーザス・クライスト・スーパースター」「エビータ」のティム・ライスである。

To Be Continued...

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2019年8月14日 (水)

【考察】新海誠監督「天気の子」の神話学

神話としての「天気の子」を読み解くに当たり、フランスの社会人類学者レヴィ=ストロース(1908-2009)の考え方をご紹介しておこう。

南北アメリカ大陸の先住民の神話を詳細に研究した「神話論理」四部作で彼は次のように説く。

神話とは自然から文化への移行を語るものであり、神話の目的はただ一つの問題、すなわち連続不連続のあいだの調停である。

自然と文化の対立を語る神話が、様々なコードを用いて様々な二項対立(天と地、生のもとと火にかけたもの、新鮮なものと腐ったもの、裸と着衣、空っぽのものと詰まったもの、容れるものと容れられるもの=能動と受動、内のものと外のものなど)を語るのは、この調停不可能な根源的対立の調停を行う(隔たりを緩和したり、その間を循環する第三の項〘例えば天と地を結ぶつる植物〙を導入する)ためである。自然から文化への移行は、連続体としての自然に差異を導入して不連続化することによってなされる。この不連続化は言葉と交換(彼の著書『親族の基本構造』で明らかにされたように女性や財の交換)による他者とのコミュニケーションという、人間社会の基本的条件をもたらす。

「天気の子」には、

空(雲)・彼岸(ひがん)↔東京という大都会・此岸(しがん)

という二項対立がある。これは、

自然↔文化

を意味している。さらに、

神(永遠の命・連続)↔人間(限りある命・不連続)

重力からの開放↔重力による拘束

に繋がる。ではその二項対立の間を結ぶ第三の項は何か?

〈神(空)→人〉へのメッセージとして次のようなものが挙げられる。

  • 雨、水の魚
  • 落雷
  • 雲の切れ間から光が差し込む“天使のはしご”

Angel

逆に、〈人間→神〉へ語りかけるためのコミュニケーション・ツールとして次のようなものがある。

  • 精霊馬(しょうりょううま):ご先祖様をお迎えしたり、お送りしたりする乗り物。 主に夏野菜の「キュウリ」と「ナス」で作られる。
  • お盆の迎え火(煙)
  • 巫女・人柱=陽菜

Tenki2

Keburi

死者を荼毘に付した際に立ち上る煙(けぶり)を題材にした、次のような和歌もある。

  • 空蝉はからを見つつもなぐさめつ深草の山煙だに立て(古今)
  • あはれ君いかなる野辺の煙にてむなしき空の雲となりけむ(新古今)

主人公の帆高は陽菜が〈人柱〉になることを全身全霊で否定する。つまり神(天気)人間(文化)間の調停を拒むわけだ。ここが新しい。人間の業(ごう)の肯定交渉は決裂したため、文化(都市)は水没し、自然に還る。

エンドロールに流れるRADWIMPSの野田洋次郎が作詞した「愛にできることはまだあるかい」の歌詞を見てみよう。

何もない僕たちに なぜ夢を見させたか
終わりある人生に なぜ希望を持たせたか

なぜこの手をすり抜ける ものばかり与えたか
それでもなおしがみつく 僕らは醜いかい
それとも、きれいかい

答えてよ

これは、命に限りのあるもの(人間)不連続 が、永遠の命を有するもの(神)連続 に対して発した問いである。

そもそも映画(アニメーション)作りとは、命に限りのあるもの(人間)が、永遠の命を有するもの(映画)に、その想いや願いを託すことであると定義出来る。

さらに、「天気の子」に認められる顕著な二項対立として、

帆高(16歳の家出少年)↔社会

が挙げられる。

アドレッセンス(思春期)↔インチキな(phony)大人たち

の対決と言い換えても良いだろう。

その調停を担うのが拳銃であり、(象徴的な)「父親殺し」を経て帆高は社会(代表者:須賀)と和解する。

そもそも、

キミとボクの幸せ・愛↔世界の秩序・均衡を保つという大義・正義

の対立が”セカイ系”の基本構造であった。

次にユング心理学の手法を用いて「天気の子」を見てみよう。耳慣れない用語があれば、下記事を参考にされたし。

帆高にとって陽菜はアニマ(男性が抱く内なる女性像)であると言える。陽菜の弟・凪はinnocent(純真な)子供元型 Archetypeであると同時に、男女入れ替わりをするので、いたずら好きなトリックスターの役割も担っている。オカルト雑誌のライター・須賀は「なりたくない自分」、つまり影(シャドウ)だ。

須賀圭介は過去に囚われている。個人事務所「K&Aプランニング」のKは圭介、Aは死んだ妻・明日花の頭文字である。3年後(エピローグ;令和6年)に有限会社から株式会社に成長しても「K&Aプランニング」という名前を変更しない。旧事務所の冷蔵庫には明日花が書き残したメモが張りっぱなしであり、圭介は薬指に結婚指輪を2本はめている(1つは明日花のもの)。つまり須賀は延長された青春(アドレッセンス)を今も生きている(ゼルダという伴侶を得てジャズ・エイジを謳歌したアメリカの作家スコット・フィッツジェラルドみたいに)。だから、帆高が人生を棒に振っても会いたい子(陽菜)がいるという話を刑事から聞いて涙を流す。しかし同時に須賀はそんな〈駄目な自分〉を自覚しており、〈大人にならなければならない〉と自らに言い聞かせてもいる(須賀の台詞「ーもう大人になれよ、少年」)。故に彼は雨水で溢れた半地下の窓を開き、事務所を水浸しにしてしまう。無意識の内に〈過去を洗い流そう〉としたのだ。そしてクライマックスの廃ビルで須賀は大人の仮面(ペルソナ、社会的元型)を被り、「警察に自首しろ」と〈世間の常識〉を振りかざし帆高を説得しようとする。しかし帆高は拳銃を撃ってその仮面を割り、剥ぎ取る。こうして我に返った須賀は一転して帆高を助ける。

劇中に登場する占い師の女性、瀧の祖母(立花冨美)、そして気象神社の神主は老賢人(The Wise Old Man/Woman)だ。さらに雲の周囲を泳ぐ龍は帆高を呑み込むので、日本の昔話に登場する山姥と同じ意味合い=太母(The Great Mother)と言える。五十嵐大介の漫画「海獣の子」における、ザトウクジラの果たす役割だ。「天気の子」にもクジラが登場するのは決して偶然ではない。

また陽菜の体を取り巻く〈水の魚〉はヌミノース(宗教体験における非合理的なもの)である。それは波動であり、リズムだ。音楽用語で言えばグルーヴが該当する。

こうして見ていくと、「天気の子」のプロットがいかに入念に練られたものか、良くお判り頂けたのではないだろうか?

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2019年8月 9日 (金)

「あいちトリエンナーレ」の騒動と〈表現の自由〉について。

愛知芸術文化センターで開催されている「あいちトリエンナーレ」の企画展『表現の不自由展・その後』が物議を醸し、3日間で中止に追い込まれた。特に問題になった展示物は以下の通り。

  • 韓国の、いわゆる「従軍慰安婦像」
  • 「焼かれるべき絵 / 焼いたもの」と題された昭和天皇の写真
  • 時代ときの肖像―絶滅危惧種 idiot JAPONICA 円墳―」

― idiot JAPONICA ―とは「間抜けな日本人」という意味であり、墓の上には特攻隊の青年たちが寄せ書きした日の丸の旗が置かれている。

特攻隊員を美化/英雄視するつもりは毛頭ない。しかし、気の毒な戦争の犠牲者であることは確かだ。そんな彼らを「間抜けな」と侮辱する行為は決して許せないし、その展示を認めた輩を僕は人として軽蔑する。

「あいちトリエンナーレ 2019」の芸術監督を務める津田大介(早稲田大学教授)の父親は日本社会党(現:社民党)の副委員長・高沢寅男の議員秘書を務め、大介は中学生時代に「赤旗」を読んだことが「物書き」になるきっかけとなったとしんぶん赤旗で述べている(出典はこちら)。バリバリの左翼である。どうしてこの人が芸術監督に選ばれた?Twitterで弁明した企画アドバイザーを務める東浩紀(批評家、哲学者)も実に情けない。

昭和天皇の写真を焼く「作品」も対象が天皇だから「不敬」だと言うつもりはない。例えばアドルフ・ヒトラーの写真であろうが、焼いて踏みにじる行為は「不快」だし、それを芸術作品だと僕は決して認めない。単なる「ヘイト」である。ナチス・ドイツの犯罪を憎むのなら、まずはヒトラーの著書「わが闘争」を読み、彼のスピーチを詳細に検討する必要があるだろう。敵を知らなければ彼の主張する理屈を論破出来ないし、当時の民衆がどうしてカリスマに熱狂し、間違った方向に進んだのかを分析出来る筈がない。写真や肖像画を焼く行為は何も問題を解決しない。それこそ間抜けな人間のすることだ。

そもそも中国や韓国のことを悪く言うと、朝日新聞、東京新聞など左翼ジャーナリズム日本ペンクラブは直ちに「ヘイト・スピーチ」と断罪し、「ヘイト・スピーチを許すな!」と声高に騒ぎ立てる癖に、特攻隊や天皇制、トランプ大統領への「ヘイト」に対しては、ころっと言うことが変わり「表現の自由を守れ!」と擁護するのはどういう了見か?完全に矛盾しており、ご都合主義にも程がある。天皇制がそんなに憎いのならば堂々と紙面でそう主張し、憲法を改正すればいいだろう。しかし摩訶不思議なことに朝日新聞、東京新聞日本ペンクラブは強硬に日本国憲法改正に反対している。矛盾だ。

また、いわゆる「慰安婦像」はそもそも芸術と言えるのか、それともプロパガンダ(政治的主張)に過ぎないのか?まずそこから議論を始める必要がある。つまり芸術文化センターに飾る価値基準を満たしているのだろうか?果たして韓国以外で100年後にも美術館で鑑賞する人はいるか?時の洗礼を受けて生き残れる筈もなかろう。

ドラクロアの絵画「民衆を導く女神」が素晴らしいのはその政治的主張ではなく、1830年に起きたフランス7月革命を主題としていることを鑑賞者が知らなくても胸を打つ作品だからである。

Democracy

そもそもいわゆる「従軍慰安婦」が、強制的に日本軍に連行されたという証拠すら一切見つかっていない。この件に関して朝日新聞社は根拠のない自社記事の過ちを認め、謝罪したではないか。それなのにどうして〈表現の自由〉を振りかざし「あいちトリエンナーレ」を擁護する?謝罪は口先だけってこと?事実とは異なる政治的主張(反日感情)を日本の公的施設で表明させる必要はない。

「あいちトリエンナーレ」は愛知県が7億8,600万円、名古屋市が2億1,000万円を負担し、文化庁から受ける予定の交付金は約8,000万円。つまり税金が10億円も投入されていることを忘れてはならない。

表現の自由〉はある。しかし節度と礼節をわきまえた上でというのは最低限の条件だろう。品位のあるレストランで騒げば追い出されるのは当たり前。そういう場において、〈表現の自由〉は伝家の宝刀になり得ない。つまり時と場合による。

それでも朝日新聞社日本ペンクラブがあくまで〈表現の自由〉を求めるのなら、自分たちで出資し、持ち前の施設で展覧会を開催すれば誰も文句は言わないだろう。名古屋市長や日本政府から干渉される心配もない。ご自由にどうぞ。

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2019年8月 2日 (金)

ミュージカル「オン・ザ・タウン」宝塚月組版 vs. 兵庫芸文版 対決!

7月29日(月)梅田芸術劇場へ。宝塚月組でレナード・バーンスタインが作曲したミュージカル「ON THE TOWN (オン・ザ・タウン)」を観劇した(ソワレ)。

T3

僕は1階席3列目中央ブロックで観たのだが、何とこの日、花組トップスター・明日海りお様がご観劇で、トップ娘役と一緒に僕のすぐ3席横にお座りになられたのである!超緊張した……。そういえば宝塚大劇場で雪組「ファントム」を観たのも、みりお様ご観劇日だった。みりお様は着席前に周囲の人々に会釈された。なんて感じが良い人なんだ!

実は宝塚版上演前の7月20日(土)に兵庫県立芸術文化センターで〈佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2019〉の「オン・ザ・タウン」も鑑賞していた。

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演出はイギリスのアントニー・マクドナルド。上品で洗練されており、兵庫芸文でのブリテン「夏の夜の夢」も素晴らしかった。

歌や踊りのキャストはロンドンでオーディションが行われ、ウエストエンドの精鋭たちが集められた。特にダンサーのレベルは圧巻。

「オン・ザ・タウン」は1944年にブロードウェイで初演された。何とアメリカと日本が戦争の最中である。その後2度リバイバル上演されている。

1949年にはMGMで映画化され、日本では「踊る大紐育」という邦題で知られている。ジーン・ケリー、フランク・シナトラ、アン・ミラーらが出演した。監督は「雨に唄えば」のスタンリー・ドーネン。ただし、レナード・バーンスタインの音楽はばっさりカットされ、多くは他人が書いた楽曲に差し替えられてしまった("New York,New York"は残ったが、名曲"Lonely Town"は排除された)。はっきり言って原曲の方が断然魅力的なので、プロデューサー;アーサー・フリードの判断は未だに納得出来ない。結局、レニーの音楽が最先端(modern)過ぎたということなのだろう。

現代の視点で見るとクレアの婚約者ピットキン判事ってゲイ(LGBT)なんじゃないかな?と思った。レナード・バーンスタイン自身がバイセクシャルであり、偽装結婚だったと言われている。

そういえば「アリー/スター誕生」のブラッドリー・クーパーが現在、映画"Bernstein"を監督/主演する予定で準備中とのこと。バイセクシャルという性癖について描かれるのかどうか、興味津々だ(遺族の意向でお蔵入りになる可能性もある。三島由紀夫最後の日を描くポール・シュレイダー監督、緒形拳主演"Mishima"みたいに)。余談だが作曲家レニーの代表作ミュージカル「ウエスト・サイド物語」の再映画化は現在、スティーヴン・スピルバーグ監督により撮影中である。指揮はなんとあのグスターボ・ドゥダメルが務める。これは愉しみ!

「オン・ザ・タウン」も「踊る大紐育」も、以前からどうも物語に魅力がないなと思っていたのだが、今回漸くその正体が見えて来た。

ニューヨークに24時間だけ上陸許可を得た3人の水兵が、それぞれ恋人を見つけるお話である。「そんなん、どうでもええわ!!」という気がしませんか?結局3人とも一目惚れだし、そんな状況で生涯の伴侶が得られる筈もない。何でアメリカ人はこれを面白いと感じるのだろう??

そもそも、水兵を主人公にした小説はヨーロッパでは皆無と言っても過言ではない。小説家は大抵、貴族とか牧師の家に生まれたとか(ブロンテ姉妹)教養の高い人達であり、水兵の実態なんか興味もなければ何にも知らないのである。

ポパイもそうだけれど、水兵は肉体労働者であり筋肉隆々としている。つまりアメリカ人がこういうものを好むのは、そこに彼ら特有のマッチョ礼賛・筋肉信仰があるのではないだろうか?これはほとんど宗教である。根底にはアメリカの歴史(西部開拓史)が深く関わっている。詳しくは下記事で論じた。

ハリウッド映画で言えば、20世紀半ばには西部劇が量産されジョン・ウェインがヒーローになった。現在のマーベルを中心としたアメコミ・ブームも結局はマッチョマンの話だ。シルベスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガー、スティーヴン・セガールらがスターになれたのも、アメリカならでは。シュワちゃんはオーストリア出身だが(オーストリアではありません) 、ヨーロッパ映画で主役を張れるとは到底思えない。

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さて、宝塚月組版だ。

主な配役は海軍水兵三人組(ゲイビー/オジー/チップ)を珠城りょう/鳳月杏 /暁千星 。(ミス地下鉄)アイヴィ・スミス:美園さくら 、(タクシー運転手)ヒルディ:白雪さち花、(人類学者)クレア:夢奈瑠音(男役)、(ヒルディのルームメイト)ルーシー:海乃美月、(クレアの婚約者)ピットキン:英真なおき 。なおヒルディ/クレア/ルーシーは役替りである。

演出は野口幸作、音楽監督・指揮は「エリザベート」のアレンジなどで知られる甲斐正人。舞台前面にオーケストラ・ピットが設置され、生演奏だったのが嬉しかった。宝塚歌劇が梅芸やドラマシティで上演する時はカラオケのことも多いのだ。

演奏については宝塚歌劇に軍配を上げる。どうも佐渡裕の指揮ってリズムが鈍重でモッサリしているんだよね。甲斐正人の方がJazzyでSwingy,そしてGroovyなんだ。イイ感じ。

ダンス力ではウエストエンド(ロンドン)のパフォーマーに到底敵わないが、演技力としては宝塚の方が上かな。特にヒルディ役の白雪さち花はがさつな感じがよく出ていてコメディエンヌとして秀逸、歌も上手い。クレア役の夢奈瑠音は気品があって、シュッとした立ち姿が美しい。オジー役の鳳月杏は野性味があり、チップ役の暁千星は愛嬌がある。トップスター・珠城りょうを「エリザベート」で観た時はおばさん顔だし歌も上手くなく、「一体どこに魅力があるんだ??」と頭の中が疑問符でいっぱいになったのだが、本公演を観て「ああ、この人はダンサーなんだな」と得心が行った。

宝塚版は最後にショーもついており、レニーの名曲の数々をメドレーで堪能出来、兵庫芸文版より一層感動した。これ、DVD/Blu-rayで発売されないかな?因みに「ウエスト・サイド・ストーリー」は版権問題が非常に難しく、宝塚版がテレビで放送されたり、ビデオ・DVDなど映像が市場に出たことは一度もない。

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