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2019年6月22日 (土)

大切なことは言葉にならない〜【考察】映画「海獣の子供」をどう読むか?

評価:A+

Kaiju

度肝を抜かれた。日本のアニメーション映画界に新たな地平を開く、途轍もないマイルストーン彗星の如く現れた。公式サイトはこちら

大切なことは言葉にならない

だからこそ、漫画やアニメーション映画という手法があるのだということが、有無を言わさぬ説得力で迫ってくる凄みがある。

20世紀のアニメーションは「セル」と呼ばれる透明シートに描かれる動画(セル画)と、絵画のように描かれる背景画を組み合わせて撮影される方法が用いられていた。だからカメラは横移動(パン)や縦移動(ティルト)が出来るが、基本的に背景画そのものは動かない。ウォルト・ディズニーはこの平板な画面に奥行きを与えるためにマルチプレーン・カメラを開発し、「白雪姫」(1937)の撮影に使用した(詳しい技術解説はこちら)。

「海獣の子」の冒頭で圧倒されるのは、主人公・琉花が画面奥から真っ直ぐ正面方向に向かって駆けてくる場面である。 当然背景画も動く。20世紀には表現出来なかった手法であり、CGIを使っているわけだ。この手書きによる人物・キャラクターの絵と、CGIの融合が何の違和感もなく空前絶後の高いレベルで達成されており、舌を巻く。CGI監督:秋本賢一郎と、手書きの迫力がビシバシ伝わってくるキャラクターデザイン・総作画監督:小西賢一(「かぐや姫の物語」も圧巻だった)の卓越した仕事ぶりに対して、惜しみない賞賛の拍手を送りたい。実はこの手法、宮崎駿監督「千と千尋の神隠し」(2001)の極一部で試されていたが、レベルが違う。隔世の感がある。

映画が終了し劇場内が明るくなると、周囲に微妙な空気が流れていた。自分たちが観たものは、一体何だったのだ!?という戸惑い。「難解だ」という声もちらほら聞こえて来るが、僕はそう思わなかった。

まず抑えておくべきことは、「海獣の子供」は現代の神話であるという点だ。フランスの社会人類学者レヴィ=ストロースは「神話通時的であると同時に、共時的に読める」と述べている。共時的とは、〈過去・現在・未来は同時にここにある〉とする考え方である。

著書〈神話論理〉四部作でレヴィ=ストロースは「神話とは自然から文化への移行を語るものであり、神話の目的はただ一つの問題、すなわち連続不連続のあいだの調停である」と説く。

劇中に登場する海洋学者アングラードとデデはRWA BHINEDAと船体に書かれた船に乗っている。「ルワ・ビネダ(rwa=2つ、bhineda=相反する) 」とはバリ語(インドネシア)で、「世界は対極する2つが存在し、その対極する2つがあるからこそ世界は成り立っている」という思想である。つまり二項対立だ。

「海獣の子供」には次のような二項対立がある。

  • 天(空・宇宙・永遠・連続)↔地(限りある生命・不連続
  • 海(自然)↔陸(人間が築いた文化

〈天↔地〉の二項対立を結び、調停する役割を担うのが〈隕石〉や〈海から来た少年〉だ。また〈海(自然)↔陸(文化)〉を調停するのは主人公・琉花 であり、 〈母なるもの〉と言えるだろう。胎児が浮かぶ羊水は海水と同じ成分を持ち、魚類の体液に近い0.85%の塩水である。つまり人間の子供は、母の内なる海から生まれてくるのだ。そして〈母なるもの〉を象徴するのが琉花 が幼い頃聞いた子守唄であり、クジラが歌うソングだ。

本作を貫くテーマは明快である。ポール・ゴーギャンの絵のタイトルでもある〈我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか〉、そして〈我々の魂(こころ)の中には宇宙が広がっている〉。これは、ここ最近僕自身も考えていたことである。

非常に哲学的命題であり、小学生には到底歯がたたないだろう。僕は3つの映画を思い出した。スタンリー・キューブリック「2001年宇宙の旅」、テレンス・マリック「ツリー・オブ・ライフ」、そして新海誠「君の名は。」である。

「海獣の子供」は、地球の生命の起源は地球ではなく、他の天体で発生した微生物の芽胞が地球に到達したものとする〈パンスペルミア説〉に基づいている。ギリシャ語でパン=汎(すべて)+スペールノ(種をまく)を意味する言葉に由来し、〈胚種広布説〉とも邦訳される。紀元前5世紀に活躍した古代ギリシャの自然哲学者アナクサゴラスの提唱した概念、スペルマタ(種子:最も微小な物質の構成要素)にその起源を辿ることが出来る。本編で描かれる事項には次のような意味合いがある。

〈海=母、子宮〉〈隕石=精子〉〈海の子供たち=卵子〉〈ザトウクジラの体内=産道〉〈誕生祭=受精・銀河の誕生・産み直し〉〈琉花(主人公)=巫女・触媒〉〈食べること=命を引き継ぐこと circle of life〉

伊勢神宮では神様は常に新しい神殿でお迎えしなければならないという発想から常に新しく造営する式年遷宮が行われているが、これは「常若(とこわか)」という考え方を表すとされる。古くなったものを作り替えて常に若々しくして永遠性を保つという発想だ。つまり〈誕生祭=常若〉である。

隕石が地球に落ちて受精し、細胞分裂が始まるという描写は「君の名は。」に共通している。おまけに両者共にへその緒を切断する場面もある。五十嵐大介 による原作漫画が発表されたのは2006年ー2011年であり、おそらく新海誠がこれに影響を受けたのであろう。

次に本作とユング心理学における元型(Archetype)との対応を見てみよう。〈ザトウクジラ=太母(The Great Mother)〉→琉花を呑み込む。 〈海の子供たち=トリックスター・影(Shadow)〉→トリックスターは境界を超える。〈デデ=老賢人(The Wise Old Woman〉、そして隕石を琉花に渡した後、光の粒子になって雲散霧消した「空」はヌミノース(汎神)化したと解釈出来るだろう。押井守監督「攻殻機動隊」の最後に草薙素子がインターネットの海に溶けて神になったように。

誕生祭の描写は「2001年宇宙の旅」のクライマックスでスターゲイト(ワームホール)を抜ける場面(スリット・スキャンと呼ばれる手法が用いられた)を彷彿とさせる。そして「ツリー・オブ・ライフ」でこの映像を再現するためにテレンス・マリック監督は「2001年」のダグラス・トランブルをVFX(特殊視覚効果)コンサルタントとして招聘した。「ツリー・オブ・ライフ」は、ある家族の歴史が地球の創世記にリンクする壮大な物語であり、ミクロからマクロへという構造が「海獣の子供」に一致している。

アングラードは次のように言う。「この世界に在るもののうち、僕ら人間に見えているものなんてほんの僅かしかないんだ。宇宙を観測する技術が進んでわかったのは、どんな方法でも観測できない“暗黒物質”があるという事。(中略)つまり、宇宙の総質量の90%以上は正体不明の暗黒物質が占めている事になる」

人間の中には、たくさんの記憶の小さな断片がバラバラに漂っていて、何かのキッカケで、いくつかの記憶が結びつく。それが思考。それは宇宙における星々・銀河の誕生に似ている。つまり、広大な無意識の中から意識・思考が芽生えるのは宇宙の構造を模倣しているというわけだ。実は僕も同じような発想をしていた。

琉花の瞳の中には海がある。つまり〈人=海=宇宙〉なのだ。

宮崎アニメを担当するときはメロディアスな久石譲の音楽は今回、ミニマル・ミュージックの手法が主体で非常に攻めの姿勢である。さらに米津玄師の主題歌が加わるという豪華布陣。聞くところによると米津は10代の頃から原作漫画の大ファンで、今回の映画化を知り自ら手を上げたのだそう。

 

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