平成最後の吉野の桜
4月13日(土)奈良県の吉野山を訪ねた。十数年前に関西に引っ越してきてから毎年春に吉野に行くことが我が家の恒例となっているが、昨年は日程が合わず二年ぶりの再会となった。見事に満開であった。
桜といえばまず現代人はソメイヨシノ(染井吉野)を思い浮かべるが、あれは江戸時代に園芸用に品種改良されたクローン植物であり、吉野とも一切関係がない(お江戸の植木屋が憧れからつけた名称である)。和歌に登場する「桜」は山桜を指す。
「古今和歌集」から桜が詠まれた歌を紹介しよう。
桜花咲きにけらしなあしひきの山のかいより見ゆる白雲 貫之
(桜がどうやら咲いたらしいよ。山の谷間から見える白雲は)
み吉野の山べにさける桜花雪かとのみぞあやまたれける 友則
(吉野の山辺に咲く桜は雪ではないかとつい見違えてしまった)
ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ 友則
(陽の光がおだやかな春の日に、どうして花はあわただしく散るのだろう)
吉野を愛した西行の歌に、
願わくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月の頃
(願うことなら、旧暦2月15日-満月の頃、満開の桜の下で死のう)
とある。旧暦2月15日は釈迦入滅の日で、現在の4月初旬頃と考えられる。
武士を捨てた西行は法師となり、吉野の奥千本に今もある西行庵で3年間侘び住まいをしたと伝わる。
西行にはまた、次のような歌もある。
吉野山昨年(こぞ)の枝折(しをり)の道かへてまだ見ぬ方の花をたづねむ
しをり:木の枝を折って道しるべとすること。
さらに、
世の中を思へばなべて散る花のわが身をさてもいづちかもせむ
(この世の中について考えると、全ては散る花のように無常で儚い。ならばさて、我が身を一体どこへ向かわせたらよいものか)
吉野の桜は見る人それぞれに死生観に立ち返らせ、物思いに耽らせる。そんな春の日の、穏やかなひとときであった。
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